重たい掲示板

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片岡裕晴(かたおか のぶはる) 投稿日:2020/07/01 12:13

【2207】[2595]2020年7月5日の都知事選挙の行方

7月5日投開票の2020東京都知事選挙は、現職の小池百合子が圧倒的に有利で、ほぼ無風状態で圧勝すると当初から言われてきた。6月18日にスタートした選挙戦は12日が過ぎ後半戦に入っている。メディアの報道では小池有利の状況に変わりは無いとされている。

その主な理由はコロナ危機に対する、小池の対応の素早さがあるだろう。オリンピックの延期が決まると、すかさず「ロックダウン」という言葉を(テレビを通じて)発し、東京の空気を一変させ、その後もお得意の言葉遊び、「三蜜」「ステイホーム」「ソーシャルディスタンス」「ウイズコロナ」を連発して都民の関心を自分に引き付けた。

一方、安倍晋三は4月1に(本人は良いことをした積りで大威張りの)ガーゼのマスクを各世帯に2枚配給すると発表、巨額の予算の割には余りにもショボい内容にエープリルフールではないかと皮肉られ、間もなく「アベノマスク」と命名され嘲笑の対象となった。4月12日には星野源とのコラボ動画を発表し、本人は受けを狙ったのだろうが、コロナ騒動で恐怖と困惑で委縮している国民の気持ちを逆なでするものでしかなかった。

小池はコロナ対策で毎日テレビに出て記者会見(これがそもそも選挙運動になっている)を行い、その際、綺麗な模様入りの大きなマスクで口元を覆い、鬱陶しいマスクをファッションとして演出し、そのセンスの良さに女性の間ではたちまち手作りのファッションマスクが流行した。

一方の安倍は自ら発表してしまったショボい「アベノマスク」を意固地になって着け、記者会見でも、国会の答弁でもその小さなマスクでは醜い顔を隠しきれず、はみ出す顎(あご)が醜悪さとセンスの悪さを強調している。
まるで女帝小池百合子を際立たせるために、自ら道化役を演じるために存在するかのように。。。

このような状況を旧メディア(テレビ、新聞=既得権益者)を通してみている人にとっては、都知事選の行方は現職知事の小池百合子が圧倒的に強いと映るであろう。

◆ 小池百合子の青空はいつまで続くか

ところが、無風状態の都知事選挙の雲一つない青空の一角に、五月の終わり一片の黒雲が出現し、刻々と大きくなりつつある。

その暗雲とはドキュメンタリー作家の石井妙子の『女帝小池百合子』のことで5月28日に発売された。

この為、小池の都知事選出馬表明が事前予告されていた6月10日の都議会最終日に議場において表明できなくなり、小池は「コロナ対策のため(出馬表明を)延期します」と、お茶を濁さざるを得なくなった。

『女帝小池百合子』はすでに5刷、20万部を売ってベストセラーとなっている。

しかしながら、小池百合子は他を圧するほどの組織票を持っているので、このまま逃げ切る可能性が高いと言われている。小池はいち早く、コロナ対策と感染予防を理由に従来のような街頭での選挙運動は行わないと宣言した。

また、まことに異例なことに7月1日現在、地上波テレビでの公開討論会が全く開かれておらず計画されてもいない。

テレビのワイドショーでもほとんどテーマとして取りあがられず、ニュース番組でもトップニュースとして取り上げない傾向が続いている。

従来の都知事選挙のテレビでの扱い方と比べると、その異常さが分かる。小池自らが露出を避け、表に出ない作戦をとっている。テレビもそれに忖度し、(選挙隠しと小池隠しに)協力しているように見える。

一方、ネットでは日本記者クラブ主催の公開討論会が告示前の6月16日に主要5候補(小池、宇都宮、小野、山本、立花)を招待し開かれた。

告示後初めての公開討論会が(リモートによる討論会として)6月27日に開かれた。映像制作団体「Choose Life Project」主催の討論会には小池、宇都宮、小野、山本の4候補者が招待されたが、何故か立花は招かれなかった。

小池と山本は15分遅刻しての参加となり、小池はリモートであるにもかかわらずマスクを深々とかけて(顔を半分以上隠し)参加し、司会者(津田大介)からの質問におざなりに回答するにとどまり、他候補者への質問コーナーでも積極的に参加する意思が見られず、かつリモート討論ではの音質の悪さ、画質の悪さが加わり、まったく盛り上がらない討論会に終わった。(主催者の意図に反して大失敗の企画だったと思う)

討論をネットで見た人がまず思ったことは、なぜ立花孝志が招待されていないのだろうという疑問であり、津田(主催者)が立花を呼ばなかったことが様々憶測され、(既得権益者側の)津田(と主催者)の意図に反して、返って立花への関心を高め、立花に有力な結果をもたらしたと思う。

三回目のネット討論会は6月28日、東京青年会議所の主催で行われ、招待者は主要5候補に加えホリエモン新党公認、N国党推薦の齊藤健一郎(堀江貴文の秘書)、服部修(ミュージシャン)の7人が招かれた。

東京青年会議所の招待者基準が恐らく国政政党(*)の公認または推薦がある候補という原則を守ったからであると思われ、津田大介が招待者から立花孝志を恣意的に外した事を考えると、公平さを感じられたと思う。

(*)国政政党・・・日本には現在9つの国政政党がある。自民、公明、共産、維新、立憲、国民民主、社民、れいわ新選組、N国党。れいわ新選組とN国党は昨年の参議院選挙で国政政党の定義である「所属する国会議員を5人以上か、直近の国政選挙で2%以上の得票を得る」という要件を満たし、新興の国政政党となった。他の旧7党が既得権益層の支持を得ているのに対し、反既得権益層の支持を得る新興2政党という新たな対立点が生まれつつある。(旧7党VS.新興2党)

この構図(旧7党 VS. 新興2党)は昨年10月の参議院埼玉県選出議員補欠選挙と今年四月に行われた衆議院静岡4区補欠選挙においても現れている。

そして今回の東京都知事選挙では党独自の公認候補を擁立できたのは、れいわ新選組とN国党(=ホリエモン新党)の新興2政党のみであることが注目すべき現象であることを強調しておきたい。

また、ホリエモン新党(N国党)が一人しか当選しない首長選挙で公認候補を3人擁立したのは(これまでの常識ではあり得ない)深く巧妙な戦術的意味があるのだろう。

◆ 『女帝』の悪い情報はネット上で拡散している

今やだれでも知っている小池百合子の学歴詐称問題。カイロ大学を首席で卒業という虚偽の経歴をマスコミ界にデビューするためのアクセサリーとして(若い日の小池百合子は)ごく軽い気持ちで使ったのだろうが、政界の頂点に近くまで上り詰めた今となっては、余りにも重い虚偽であり国益を左右しかねない問題にもなっている。

しかし、学歴詐称問題を都議会で追及されても、まともな回答はせずに誤魔化しを続けている。

そればかりか『女帝小池百合子』に書かれた数多くのエピソードは、初めて知る人にとっては余りにも恐ろしく信じられない事柄が沢山描かれている。それを一言でいうなら一般国民(有権者)との会話はテレビカメラの前ではきわめて暖かい態度で国民に寄り添うことを言い、後日カメラの無い場面では手のひら返しの冷たい態度を見せるということになるだろう。

1995年の阪神淡路大震災の一年後、一向に進まない復興の窮状を訴えるために小池の地元芦屋の女性たちが小池を訪ねた。小池はマニュキアを塗りながら、陳情を聞いていたが、一度として顔を上げることが無かったという。小池はすべての指にマニュキアを塗り終えると指先に息を吹きかけこう告げた。「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます?私、選挙区変わったし」女性たちは大きなショックを受けた。

北朝鮮拉致問題では、小泉が訪朝した2002年9月17日東京の外務省飯倉公館に被害者家族が集まっていた。そこへ「5名生存、8名死亡」という残酷な情報がもたらされる。沈痛な空気の中、記者会見が開かれるが、被害者家族の中央になぜか小池の姿がある。「いつもテレビに映りこもうとする」と拉致議連の中で問題になっていたらしい。

めぐみさんの死亡という知らせを聞いた直後の横田茂さんの会見は涙に言葉を詰まらせたものであったが、その横田夫妻の真後ろには、黄緑色のジャケットを着た(目立つ)小池の姿があり、横田夫妻の肩に優しく手をかける小池の姿がテレビを通して映し出された。

テレビの中継はここで終わり、取材陣や政治家は引き揚げ、部屋には被害者家族と関係者が取り残され、大きな悲しみに包まれていた。そこへ、いったん退出した小池が足音を立てて駆け込んできて、大声を上げた。「私のバッグ。私のバッグがないのよっ」部屋の片隅にそれを見つけると、横田夫妻のいる部屋で小池は叫んだ。「あったー、私のバッグ。拉致されたかと思った」

『女帝小池百合子』にはこのような耳を疑う様なエピソードが沢山描かれている。それは人々の口から口にヒソヒソとザワザワと語られ、さらにネットを通じて拡散されている。

発売前から予約ですでに売り切れ追加の増刷が決まり、6月の中頃にはいったん本屋の店頭から消えて手に入らなくなってしまった。発売後一か月で20万部を売り上げて、ベストセラーの一位を続けている。

◆ 小池百合子が当選しない可能性はあるだろうか?

前回の都知事選挙で小池百合子に投票した人が、今回はこの本『女帝小池百合子』を読んだ後、それでもなお彼女に一票を入れる人がいるだろうか?普通の良識を持った人なら、こんな恐ろしい女、上昇志向しかなく、政治的な理念も何もない小池百合子に投票しないだろう。しかし、それは何のしがらみも無い普通の人の場合だろう。

現実には、しがらみのある恐ろしい組織票の壁に良識は跳ね返えされて、今回も小池百合子が当選するだろう。

僅かでも可能性があるとしたら、それは過去最多の立候補者数22名に求めることが出来るかもしれない。

◆ 法定得票数・・・当選するためには有効投票の総数の4分の1以上の得票が必要

前回の都知事選挙で「NHKをぶっ壊す!」とNHKテレビの政見放送で叫んでトンデモオジサンと馬鹿にされた泡沫候補立花孝志は三年後の2019年の参議院選挙で当選し、日本に九つしかない国政政党の党首となった。

その立花は前回の都知事選挙では27,241票 得票率0.42% 第8位という結果であった。

前回の有権者数 11,083,306人 有効投票数は約662万票 投票率59.73 % 前回の数字を元にして一位と予想される小池の得票率が25%を切るには170万票がそのラインと想定できる。つまり<現職の小池都知事 VS. 21人の挑戦者>という構図である。21人の挑戦者の得票率の合計が75.1%に達すれば「再選挙」が実現する。そして再選挙になれば恐らく小池は敗れるだろう。

しかしそれでも小池が当選する可能性は高く、再選挙に持ち込むには①ベストセラー『女帝小池百合子』に描かれた真実のエピソードがあと4日間でどれだけ広まるか、②増加傾向にあるコロナ感染者数と小池のコロナ対策が都民にどう評価されるか、③オールドメディアのテレビ新聞が公開討論会の開催も含めてどのように報道するかに掛かっている。

以上①②③が小池に有利に展開すれば小池は二期目の都知事として再選されるだろうが、それでも来年の都議会議員選挙では小池与党の都民ファーストは惨敗するであろうから、小池は任期途中で辞任する可能性が高い。(→ 結局、再選挙)

 2020年7月1日投稿

庄司 豊明 投稿日:2020/07/01 11:10

【2206】[2594]いつまでもごまかすのか

政府とマスコミがグルになり、相変わらずコロナの脅威で洗脳しようとしています。
また、日経平均が2万円台とはいっても国が買い支えているだけです。
でも、金相場は正直なのか6/25から高値を更新しています。
本当に買えなくなる日は確実だと思います。

中山裕之 投稿日:2020/06/29 07:33

【2205】[2593]副島先生の歴史的発見のお祝い

「1881」番の今日のぼやきで、副島先生が「イギリスがプロイセンすら操っていた」という、重大な世界史の秘密を解明されました。このことを心からお祝い申し上げると共に、この大きな真実を私たちに教授してくださったことに感謝いたします。

 ここは学問道場なので、正直に書きます。私はいつものように今日のぼやきを読みながら、心の中で「ふーん、プロイセンもやっぱりイギリスが操ってたんだ」と、最初は事の重大性を理解していませんでした。

しかし今日のぼやきの同文章内で、副島先生が書いていた「大きな理解に、共感できる人は、私に、メールください。共に喜びたい」の一文を目にした時に、はっと我に返りました。座禅の最中に和尚さんに叩かれた様にです。

 普段の実生活で自分の脳が衰退しているためと、あまりにも副島先生の言論に馴れすぎてしまっていたためです。我に返ると同時に、久しぶりに、知る喜び が、今より若い頃に味わった刺激的な感動ではない、静かな心地良さが、一時ゆっくりと駆け巡り、是非なんでもいいから、嫌われてもいいから先生にメールしたいと思ったしだいです。

 思い起こせば、昔『英文法の謎を解く』で、はじめて副島先生の言論に触れたときに「私が本当に知りたかったことは、こういうことなんだ!」「こんなことがわかる日本人がいたのか!」と強い衝撃を受け、正に目から鱗が落ちて、遠くの広々とした世界が見えてくるようでした。

 私は文系的なことならなんでもかんでも関心があり、その中でも私が特に知りたかったことは、自分が生まれる何百年も前から、世界中を支配してきたヨーロッパ文明、とりわけ今も現在進行形で世界を支配するアメリカの根本的な実像を知りたかった。

 自分は巨大な覆(くつがえ)すことのできない大きな力に、支配されている、という劣等感と苦しみがあり、これほどの力に対する憧れと、それに対して、結局、自分はどういう態度を取るべきか、という問題で悩みました。このことは歴史好きな、私以外の大勢の人々にとっても、とても重要なことであるはずです。それなのに、何故このことに関心を持つ人が少ないのか、と自分勝手に嘆いていました。

 しかし、私自身が、先に述べたように、いつの間にか、うすらぼんやりした脳になってしまっていました。 副島先生は、現存する中で、日本第一の知者でありながら、長年不当な扱いを受けながらも、腐らず、見捨てず、過激に反発せず、そして堂々と学問を追究され、広められた。この態度こそは、私が上に述べた問題への答えであると思います。

 その先生が、このたび世界の知識人に追いつき、一歩先に進まれたことは、日本にとって大変めでたく、素晴らしいことです。 これからも応援し学び続けます。失礼いたしました。

宮林謙吉(会員番号7327番) 投稿日:2020/06/27 13:22

【2204】[2592]ほんとうのことに忠実であることの重要さ

副島先生が [2587]河井克行、案里の逮捕の裏側の恐ろしい真実。 にお書きになった
— 引用はじめ —
「おまえたちなあ。法務、検察ごときが、日本国民というほんとうに大事な人々を、軽く見て、自分たちが、威張り腐って、アメリカの手先をやりながら。その挙句に、こんな、恥ずかしいことになったんじゃないか。恥を知れ」
— 引用おわり —
というのは、換言すると、
「今になって、もぐりこんできた者たちに『法の秩序をねじ曲げられた』と逆上しているが、もともと宗主国であるアメリカ=真の権力の意向に沿って、厳密に法の秩序だけにもとづいて判断したら責められる理由がない人たちを、たくさん責めたててきた、戦後これまでの75年の歴史があるじゃないか。本来、そのことの反省なしに『私たちは法の番人です』と偉そうにする資格はないはずだ」
ということになるかと思うんです。
法に仕える者は、本来の法の秩序、ほんとうにその法律が規定する条件や果たすべき役割に忠実に、その法律を適用することを旨としなくてはいけないでしょう。
それは、自然科学の研究者が実験や観測を行ったら得たデータが示す「ほんとうのこと」を忠実に説明・発表しなくてはいけない、自分が予想したことや望ましいと思うことと異なるふるまいを示すデータを意図的に削除したら、つまり不都合な真実に目をつぶったら研究不正であり、その誤りをおかしたら研究のコミュニティから追放される、ということと同じレベルで認識されているのが本来のあり方だろうに、と思いました。
でも、現実にはそうなっていないのですね。

田中進二郎 投稿日:2020/06/27 11:14

【2203】[2591]↓の東海アマブログの投稿を削除してください

2020年6月27日
↓の東海アマブログを貼り付けした田中進二郎です。

↓の記事を詳しく検証せず、貼り付けてしまいました。反省します。
記事を削除してください。

「砂川闘争の塹壕戦」が1970年代のことのように東海アマと言う人は書いているが、砂川闘争は1957年から63年の裁判判決で終結しています。

↓wikipedia「砂川闘争」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/砂川闘争

wikipedia程度で調べてもそんなことは載っているのに、よく検証せず、副島先生の経歴をでたらめに書いている人間を鵜呑みにしてしまいました。
深く反省します。記事を削除してください。

おそらく、東海アマと言う人物は、1970年代初めまで続いた成田空港の三里塚闘争と、砂川事件を混同して、学生運動をやってきたかのように書いている。このようなネット記事をそのまま貼り付けごめんなさい。

副島先生に「お前は軽い精神障害だ。そのことを認めなさい。政治闘争に関係する恐ろしさがまだ分からないのか」と叱られました。

昨年七月の参院選で、「NHKから国民を守る党」を支持する文章を数度ここに投稿しました。N国党の立花孝志氏は、国会議員に当選したのに、9月ぐらいで、議員をやめて、地方首長の選挙戦を繰り返しています。
これは、N国党を信じて投票した99万人有権者に対するひどい裏切りでした。
国会議員を党首がやめてしまったことで、信用はガタ落ちしました。私田中進二郎もあれには、失望しました。都知事選挙も応援する気持ちは全くありません。

このような人間を支持して、昨年に、この重たい掲示板に投稿したこともこの場で反省します。自分という人間は政治活動に首を突っ込むと、頭がおかしくなりやすいのだということを、自覚しておかないといけない。
自覚しているつもりでも、なんかの拍子にパッと出てしまうのは、甘ったれた根性だからでしょう。

↓の東海アマという人物の投稿も、副島先生の言論活動に対するホメゴロシという妨害工作の一環なのだ、ということに、気づきませんでした。ネットの世界にはこのような恐ろしいワナがあるのだ、ということをもっと知っておくべきでした。

統一教会は、統一教会を攻撃しているかのように見せかけて、反対派をつぶすという巧妙な手口を使っている。バカ正直に信じてはいけない。
このような記事に騙される人間が、首を突っ込むような世界ではない、ということだ。

学問道場を危険にさらすような投稿をしてしまいました。猛省します。
頭のおかしい人間のやることでした。
しばらく投稿を休止し、自分の仕事に専念します。
田中進二郎

副島隆彦 投稿日:2020/06/27 08:33

【2202】[2590]下↓の「2589」番の投稿に厳しく反省を促す。謀略に嵌められるな。

副島隆彦です。 今日は、2020年6月27日(土)です。

 下↓に、この重たい掲示板の「2589」番で、「匿名希望」として、私、副島隆彦の学生時代の 学生運動のことを書いてるブログの 文を 載せた人がいる。

 下に書いている 「東海アマ」という 人が、どういう人か、私は、知らない。会ったことも無い。10年ぐらい前の リーマンショックの頃に、ネット上に、無責任なことをいろいろ書いた人だ、というぐらいの、私の印象しか無い。 彼が無根拠に書いたことで、迷惑を受けた人たちがいた、という噂は聞いたことがある。

 この「東海アマ」という 人物が、私、副島隆彦のことを、以下のように書いている。

「 副島は私と同級生、記憶に間違いがなければ、1970年前後、第4インターという新左翼グループにいて、砂川反戦塹壕で出会ったことがある。このとき、「こいつは、ただ者じゃない!」と感嘆した記憶がある 」

と書いている。これは全て虚偽である。私、副島隆彦は、第4インターナショナルという新左翼グループに入ったことも、彼らと話したこともない。1970年前後に、「砂川(すながわ)反戦塹壕(さんごう)」などという恐ろしそうな場所に行ったこともない。砂川闘争(立川の米軍の滑走路の拡張の反対の農民運動が始まり、1955年に始まり1957年がピーク)の時、私は4歳だ。

 私、副島隆彦は、この東海アマ という奇っ怪な人物と会ったこともない。だから、彼は、自分が書いたことの事実誤認の訂正を丁寧にしたうえで、私、副島隆彦に、謝罪しなければいけない。
 そして、それ以上、馴れ馴れしい態度を、私に取らないように。この男は狂っている。ばい菌そのもの(病原体)だ。 私は、このような人間とは、警戒して、ほんの微(かす)かにも付き合わない。これを機会に、副島隆彦にあれこれ、因縁、難癖、論争の仕掛け、をして近寄る、ということを許さない。今後とも、一切、無関係だ。

 彼は、私と「同級生」(同学年、同年生まれ、という意味か?) だと、書いている。これも虚偽である。私は、早稲田大学法学部に1973年に入学している(現在、私は、67歳)。この東海アマという変人が、どこの大学にいたか、知らない。

 彼は、さらに書いている。私、副島隆彦が、「 2009年のこと、副島氏は、鳩山由紀夫政権を軍事クーデターによって転覆させて、幕張に田母神俊雄幕僚長を首班として臨時革命政府を置く、自衛隊右翼集団の陰謀を暴露した」 と書いているが、私は、そんな文章を書いた覚えが無い。

 私は、2009年に、鳩山由紀夫と小沢一郎が、やっとのことで苦労して、作った、本当の日本国民の意思を表した政権を強く支持した。それを応援する文章なら、たくさん書いた。しかし、「自衛隊右翼集団の陰謀を暴露した」など、私、副島隆彦には、何のことだか、分からない。

 この東海アマ という男は、意図的に虚偽を書く、精神障害者であろう。彼の周(まわ)りの人たちも、そのように理解しているはずである。

 私は、思い出すと、田母神俊雄(たもがみとしお)元航空自衛隊の幕僚長 とは、1回だけ、東京駅のそばの高層ビルのホテルで、1時間だけ、話したことがある。会ってくれ、と私を誘ったのは、●芸社 という奇っ怪な出版社(今から、考えれば、ここは、統一教会が経営している出版社だった)の、優秀そうな編集者(慶應大学を出ていた。しかし頭は狂っている。。彼の名刺が残っているはずだ )が、取り持って、「是非、田母神さんと対談本を出してください」とのことで、会った。私は、田母神氏は、ヘンな勢力に取り込まれている、と、その時、もう気づいていた。だから、お話を聞くだけで、それっきりになった。 

 この他に、その頃、自衛隊幕僚監部 あがりの 志方(しかた)俊之(中曽根康弘系の拓殖大学の教授だった)と、テレビ出演で一度だけ会って、その番組のあと、志方氏が、私に、詰め寄るように寄って来て「副島さんは、自衛隊のことを誤解している」と言って、何かを私に教えようとした。それで、私が、

「志方(しかた)さん。私は、東京電力の会長の平岩外史(ひらいわがいし。経団連の会長もした財界人のトップ )さんが主導して、三菱重工と、自衛隊の中の優秀な技術陣が、アメリカにバレないように、いざという時のために、密かに核兵器を作っていることを、知っていますよ。これはこれで先の先を見越した、いざというときの用心のための、愛国的な行動です。でも、アメリカに気づかれたら大変でしょうね 」

と、答えた。それで志方氏は、興ざめした感じで黙ってしまった。この辺りのことを、この東海アマは、勝手に、妄想を膨らまして言っているのか。

 東海アマが、以下に書いている、「 軍事クーデターによって転覆させて、幕張に田母神俊雄幕僚長を首班として臨時革命政府を置く、自衛隊右翼集団の陰謀 」というのは、まさしく、統一教会が、田母神をあやつって、自分たちの脳内で、実行しようとした計画だ。どうして、こういう文章が、急に私と関連させて、出てくるのか。これは謀略言論だ。

この東海アマは、自分は、統一教会では無い、その反対だ、副島隆彦の文は、すばらしい、
「 ここまで面白い情報を提供してくれた副島隆彦氏に感謝したい」 と書いている。

 だが、この東海アマ自身が、恐ろしい、極度の謀略人間であって、おそらく、統一教会のメンバーだろう。このように、ネット上の 政治言論というのは、よごれまくって、キタなく成り果てて、気持ちの悪いものに成り果てる。だから、健全な精神の人々は、この計画的によごされた、ネット言論の世界を、気持ち悪がって、近寄らなくなった。 

 彼ら統一教会は、このような、巧妙極まりない、「誉め殺し(ホメゴロシ)」の手法まで使って、私、副島隆彦の信用を落とそうとして、複雑怪奇な攻撃を掛けてくる。これからも、きっとどんどん仕掛けてくる。私は、用心深くなって、警戒している。私の弟子たちでも、すぐに、騙されて、この動きに、引っ掛かって、載せられる。

 皆さん、このことに、気づいてください。だから、政治言論というのは、ちょっと書くだけでも、危険なのです。途端に思いっきり、きたない世界に引きづられてゆきます。

 なぜ、あなたは、軽い気持ちで「匿名希望」で、「副島先生の、過去の恥部を自分は、知ったぞ」というような、歪んだ精神で、このように記事を、ここに転載、貼り付けしたのか。この「匿名希望」氏に、強く反省を促します。あなた程度の知能では、すぐに、敵たちの謀略に騙されるのです。そして、その使いっ走り(パシリ)となって、利用される。このとこに気づきなさい。そして肝に銘じなさい。

さらに、東海アマは、「副島氏の関連文書も、今はすべて削除されている。
 https://www.snsi.jp/  」

と書いている。 私たちの学問道場は、過去の文章を、削除したことは無い。すべて、1999年からのものが、サイト上に残っている。私たちには、隠すことはなにも無い。2011年の「3.11」の大地震、大津波のあとの、福島第1原発の事故のあと、私が、弟子たちと第1原発の前まで行って、そして、現地活動本部を作って、現地から報告したことも、動画を含めて、すべて今も残っている。私たちは、自分たちの活動と、言論を、あとで削除したりしません。

 私、副島隆彦は、高校(九州の進学校のひとつ)を2年生で退学した(17歳)あと、大学検定試験を受けて、それから、早稲田大学の法学部に入った。入学したら、そこで、革マル派という、凶暴な過激派を激しく、糾弾する、一般学生たちの闘いがあった。私はそれに参加した。私が、入学する前年に、革マル派は、学生をひとり殺害していた(川口大三郎事件。1972年◯月)。それで、一般学生たちが、「もう、いくらなんでもあんまりだ」と、騒ぎ出して、何千人もの学生が集まって、激しい抗議行動になっていた。私は、その翌年に大学に入っている。 

 その中の文学部の クラス活動家の中に、今、岩波書店の社長になっている、岡本厚(あつし)氏がいる。彼は、私よりも2年上だ。彼の部屋にもいったことがある。それなのに、その後、40年間、彼は、私に一度も、岩波書店の雑誌に原稿を書かせてくれなかった。私の文章が、過激で、きっと彼らの基準からは、嫌われることばかり書いていたからだ。それはそれで仕方が無い。

 私は、所謂(いわゆる)、「岩波・朝日文化」の申し子であり、岩波書店と朝日新聞に憧(あこが)れて、少年時代(それこそ13歳)からずっと生きて来た。それなのに、彼らからすれば、私は、近寄って欲しくない、鬼っ子なのだろう。彼らの学問と思想の組み立ての、いけないところ、弱点を、私が、暴き立てるように書く、と知っているからだ。

 ここには、日本共産党の忠実な学生組織から、分裂して、共産党の言うことを聞かなくなって、始まった、日本の新左翼(ニューレフト)運動の始まりからの、憎み合いが深く横たわっている。1956年のポーランド、ハンガリーでの民衆暴動が、反(はん)ソビエト運動の始まりだ。

 日本の新左翼運動も、欧米の先進国の知識人運動の内部分裂と同じく、この流れに呼応して、従来どおり、アメリカ帝国主義に反対するが、ソビエト・ロシアがすることにも反対する、として始まったのだ。共産党の指導部にしてみれば、自分たちに抗議して、暴れ出した学生たちの動きは、非常に、不愉快なものだった。それ以来の、岩波書店の、新左翼たちへの 反感と憎しみがある。

 この日本共産党から分裂した、若者たちが作ったのが、ブント(共産主義者同盟。書記長は、島成郎=しましげお=氏 )で、「60年安保ブント」とも言われる。そのNo2だったのが、森田実(もりたみのる)氏だ。私は、彼と3冊対談本を出している(いずれも日本文芸社刊)。今からでも読んでください。 私は、森田実氏に、相当、失礼なことも聞いている。「森田さん。ブントは、アメリカのCIAから、資金を貰いましたか」と。  

これらの経緯は、その後、「日本の秘密」(PHP研究所から復刊)に書かれている。私は、安保ブントの最高指導者の、島成郎(しましげお)にも、直接、インタヴューして、これらの秘密を暴いている。

 このようにして、私は、徹底的に、政治的人間であり、新左翼(これを、過激派とも、世間では言う)である。 大学闘争とも、学園紛争とも、70年安保(あんぽ)とも言う。全共闘(ぜんきょうとう)運動とも言う。私は、あの時代に、まだ17歳で、日本の新左翼思想 に憧(あこが)れて、それと共に、ずっと生きたひとりだ。おそらくあの頃、50万人から100万人の学生が、この学生運動に参加している。今は、もう70歳過ぎの老人たちだ。でも皆、元気だ。元気で定年退職して、暇を持て余している。それより10年前の「60年安保闘争」の時とは、まさしく10年違うのだ。

 キツい苦しい時代だった。あの政治運動というか、社会騒乱の雰囲気の中で生きた。私は、たくさんの政治集会に、参加した、というか、行ってみた。そして確かに、たくさんのことを、自分の目で「見た」。しかし本当に危ない場所には、近寄らなかった。これ以上、ここにいると、自分も警察(機動隊)に、逮捕される、とか、衝突に巻き込まれて、大怪我をする、という場所からは、早めに離れた。

 そして部屋に帰って本を読んで、徹底的に勉強した。大学の授業など、腐り果てていて、まともな大学教授など、もうひとりもいなかった。1970年の大学闘争を境(さかい)にして、日本の大学から、本当の本物の知識人は、消えた。まともな学者は、大学教授をやめた。そのあと、どうやって、ご飯を食べるかで、ひとりひとりは、苦労した。

 私の歳(年齢)、1953年生まれでは、もう当時でさえ新左翼の活動家は、ほとんどいない。ほとんどは、私よりも5歳上の人たちだ。だから、私は、自分のことを、少年兵と呼んでいる。
 今、彼らは、72,3歳になっている。私は、この、自分よりも5歳ぐらい上である活動家たちと、付き合っていた。この人たちは、刑務所から出てきたあと、訳の分からない感じで、死んだ。半狂乱の狂い死にとか、酒の飲み過ぎも、いれば、心臓発作での死もいる。いわゆる、内ゲバで死んだ者たちもいる。悲惨な時代だった。

 それでも、私は生き延びた。私には逮捕歴がない。犯罪歴が無い。どこの政治党派(セクト)にも入ったことがない。私は、徹底的に注意深かった。こんな恐ろしい政治運動なんかで、自分の人生をぼろぼろにしてはいけない、と、ずっと念じていた。

 私は、19歳(1972年)から、ずっと、吉本隆明(よしもとりゅうめい、たかあき)主義者である。 吉本が、死ぬ(2012年、87歳)直前まで書いていた「原子力発電の技術は、人類の知能が先端の物理学で獲得した、新しい科学的エネルギーなのだから、これを、危険だ、ということだけで止めてはいけない」という、吉本の思想に、私は今もずっと忠実だ。

 それに対して、同じ吉本主義者であっても、坂本龍一(さかもとりゅういち。私より2歳上)と、糸井重里(いといしげさと。私より4歳上? 彼は、法政大学の中核派だった)は、「原発は危険なので、廃棄すべきだ」と考えを変えた。この2人は有名人で、その穏やかで爽(さわ)やかな生き方で賛同者も多いだろうか、誰に影響されて、政治思想を勉強したか、というと吉本隆明の本からだ。
吉本隆明は、”過激派の教祖”と呼ばれて、60年安保闘争の、指導部だった人たちからも尊敬されたのだ。私も吉本の家に行って粘って話を聞いたりした。

 吉本主義者というかつての 新左翼の勢力が、今も日本に散らばって数千人はいるのだ、と、ここで、書いておきます。私は、彼らと今も考えが通じる。 私が、この他に、小室直樹(こむろなおき)先生の勉強会に出るようになったのは、1983年からで、私が、30歳になってからだ。小室直樹は、保守思想の人だ。だが、世界基準の大(だい)学者だから、私は、彼から多くのことを、30歳からあとは、学んだ。

 私は、だから、70年安保闘争の頃の、社青同(しゃせいどう)解放派(青いヘルメットを被った。東大や、東北大、明治大学などで強かった)や、革共同(かくきょうどう)中核派(白いヘルメット。法政大学が拠点だが、全国の大学にいた)や、それから、関西ブントと呼ばれる(赤いヘルメット。ブント、共産主義者同盟、という60年安保の系譜の老舗 )セクトの活動家たちと、付き合った。彼らから、たくさんの知識を学んだ。ただし、「ダメだな、この人たちは」と、私が、気づいた、愚かな点まで含めて。

 1970年代の学生運動のことを知りたかったら、大きくは「8派(はっぱ)全学連」と言うコトバを覚えなさい。新左翼は、大きくは、この8つのセクト(党派)のどれかである。本当は、もっと、小さく分かれていて、20派ぐらいあった。共労党(きょうろうとう)、マル戦、フロント、など、日本共産党から分裂してきて、新左翼になった党派もいた。評論家で、週刊誌ライターの 竹中労(たけなかろう)とかが、作っていた党派だ。数百人ずつの、そういう小さな過激派党派があった。

 1970年前後の、当時は、毎日のようにテレビで、これらの 過激派の集会(日比谷野外音楽堂とかに1万人ぐらいが良く集まった)とか街頭デモは、放送された。とくに TBSの 夕刻のニューズ番組で、田英夫(でんひでお)というニューズキャスターが、これらの反戦集会とか沖縄返還のことを、報道した。 週刊「朝日ジャーナル」という週刊誌(朝日新聞社発行)が、バカ売れして、もんな、この朝日ジャーナルを読んでいた。

 それ以外の新聞でも週刊誌でも、たくさんの報道がなされた。新左翼関係の政治運動もの書籍もたくさん出版された。 おそらく千冊ぐらいある。私は、それらの本のほとんどを、自分の人生行路(人生の節々(ふしぶし)ででの移動、引っ越し)で、大半を捨てていって無くした。まだ100冊ぐらいは持っている。 

 まるで、毎日がお祭りのようだった、と書くと不謹慎だと言われるか。そんなことはない。少なくとも1972年までは、まるで、お祭り(祝祭空間)のようだったのだ。大勢の人が集まって騒いだ。楽しかったのだ。これからが、悲惨な地獄になって行ったのは、1973年からだ。

 ブントの中の、関東ブントが、大きくは、日向派(ひゅうがは)と、荒派(あらは)に、分かれていた。もう、こうなると、何が何やら、普通の人たち(堅気、かたぎの衆)には、分からないだろう。まるで、広域暴力団の山口組の分裂、抗争のような感じだ。それと大きく対立する、関東ヤクザの住吉連合と稲川会だ。そう考えれば、そうなのだ。

 私が、知っていて、面識があった、関西ブントの中の、一番、過激な人たちが、赤軍派だ。京都大学で強かった。塩見隆也(しおみたかや)という人が、京大出で議長だった。彼は、長いこと刑務所にいて、出てきて、私は、話をしたが、今は、右翼のようになっている。彼は、もう80歳ぐらいの老人だから死ぬだろう。

 他のもっと年下の、赤軍派は、中東アラブに行ったり、北朝鮮に行ったり、旅客機をハイジャック(人質乗っ取り)した。坂東国男(ばんどうくにお)とか、重信房子(しげのぶふさこ。彼女は、今、府中の刑務所病院にいる。もうすぐ死ぬだろう)だ。 

 彼らは、最後は、連合赤軍事件(1972年)で、浅間山荘事件と、凄惨な仲間殺しで自滅した。その中に、公安警察のスパイたちが潜り込んでいて、彼ら過激派を嗾(けしか)けた。内ゲバの殺し合いも、警察がやらせたのだ。政治運動というのは、どんな穏やかなものでも、危険な集団であり、危険な行動だ。

 前述したおとり、彼らは、ほとんどは、私よりも5歳ぐらい上の人たちだ。他のセクト(党派)の活動家たちからも話を聞いた。しかし、私は、第4インター(“四(よん)トロ”、と呼ばれた。 レオン・トロツキーの思想を継承すると自称したひとびとだ)の人とは、付き合いは無い。ここも、前述した、「8派(はっぱ)全学連」のひとつだ。

 あ、そうだ、重要な一派に、毛沢東主義者(もうたくとうしゅぎしゃ)たちがいた。ML派(えむえるは)と言った。彼らは、当時、中国で起きていた、文化大革命の紅衛兵(こうえいへい。レッドガード)の思想の影響を受けていた。M L派が、隊列で現れると、私たち、無党派の少年兵たちは、「おお」と、感動した。

 この毛沢東主義者、M Lで、一番の大物が、1969年の東大全共闘(とうだいぜんきょうとう)の代表の、山本義隆(やまもとよしたか)だ。彼は、東大の物理学で、ノーベル賞を貰える男だと言われていた。彼は、ずっと、駿台予備校(すんだいよびこう)で、その後も、ずっと物理を教え続けた。

 彼は、闘争のあと、まったくメディアに出でこなかったし、自己弁護も、何の発言も一切、しなかった。今、山本義隆が、80歳ぐらいで、今なにをやっているのか、私は知らない。 ”ゲバルト・ローザ”と呼ばれた、東大の歴史学者の大内力(おおうちつとむ)の娘(だから、東大の経済学者の大内兵衛=おおうちひょうえ=の孫だ )が、活動家として有名だった。あの女性は、今、どうしているのだろう。自分で本も書いていた。

 東大全共闘は、不思議なことに、だから指導部は、山本を始めとして、M L派(マルクス・レーニン派。毛沢東主義者)だった。東大の正門に、「造反有理(ぞうはんゆうり)」の看板を掛けた。「私たち若者が、大学で、大学粉砕、東大解体 を叫んで、暴れるのには、それだけの理由があるのだ」という考えだった。今から、考えれば、なんとも幼稚な、とも思う。だが、当時は、世界的に、ベトナム反戦闘争が、世界中の若者たちによって、荒れ狂っていたのだから、それに日本から、呼応(こおう)連帯していたのだ。

 このように、新左翼を、「8派」として、大きく理解すると、今の若い人たちでも、何とか、分かるだろう。この「8派」の中には、絶対に、革マル派(革命的マルクス主義派)はだけは、入れない。

 やること為すことが、あまりにキタナイものだから、新左翼、過激派全体から、嫌われた。
革マル派は、1969年の、東大闘争(安田講堂の攻防戦。8派の各派合計で、400人の活動家が捕まった。彼らのその後の人生は、刑事裁判を抱えて大変だった)のときに、東大構内への機動隊の導入の前夜に、持ち場だった工学部3号館だったか?から、夜逃げした。組織の力を温存する、という考えで、いつも、こういう卑劣なことをするのが、革マル派だった。だから、新左翼8派から、嫌われていた。

 一番、爽やかで、悪いことをしない正義の集団の、立派な人間たちの党派が、社青同(しゃせいどう。社会主義青年同盟)解放派(通称、青解(あおかい。別名、反帝学評=はんていがっぴょう=、反帝国主義学生評議会 )。前述した、青いヘルメット)だ。ドイツの、ローザ・ルクセンブルクの思想で、動いた。議長の中原一(なかはらはじめ)は、ビラ配りをしていたときに、革マル派から、襲撃され、鈍器で殴られて死亡した。 解放派は、元々は、日本社会党の左派の 青年部の一部だった

 あ、そうだ。今、立憲民主党の党首(代表)をやっている、枝野幸男(えだのゆきお)は、東北大学の革マル派だ。彼は、それから勉強して弁護士になった。だから、私たち8派全学連の、主流派の新左翼からは、「ああ。枝野か。枝野は革マルだからなあ。信用できねえよな」と、なる。そのように、私たちは、うめき声のように、低音で言う。それが、8派全学連、8派共闘 の、私たちの流儀であり、今も持ち続けている、新左翼(しんさよく。ニュー・レフト)としての気風だ。分かってくもらえるかなあ。

 広い世の中からみれば、革マル派 と言っても、かつて存在した証券会社の勧業(かんぎょう)角丸証券 との区別も付かない。□◯(かくまる)と書くと、笑い話にもならない。本当にバカみたいなのだが、こんな世界で、これまでに数百人が死に、数千人の障害者を出し、裁判と犯罪歴を抱えて、苦渋の人生を送った者たちがいるのだ。 今も、警察に追われて、全国に潜伏している者たちが、このセクトだけで数百人はいる。悲惨な話なのだ。

 私、副島隆彦の、新左翼(過激派)としての活動の記録は、日本の公安警察の中にあるだろう。だから、それが明らかになればいいことだ。だから私には隠すことはない。彼らに、その後の人生で、要所、要所で、嫌がらせをされた。このように、新左翼の、党派の話など、若い人あちにいくら説明しても、分かって貰うことはできないだろう。

 1969年、1970年をピークとする大学闘争(東大を頂点として。ここには、やはり学歴、大学差別もあった。日大(日本大学)闘争は、日本刀まで一瞬は、持ち出した、学ラン右翼たちとの闘いだったから低く見られた。日大全共闘の代表(議長)は、秋田明大=あきたあきひろ=だった )と、 70年安保闘争は、丁度、今から50年前のことだから、歴史の一部だ。

 前述したおとり、私、副島隆彦は、逮捕歴がない(すなわち犯罪歴が無い)し、どこのセクトにも入ったことが無い。だから、私は、今もこうして飄々(ひょうひょう)と、一介の評論家として生きている。どこの政治的な組織や団体に所属したことが無い。

 たとえば、日本共産党や、創価学会(公明党)のような大きな全国組織に入会した人たちであっても、その入会(つまり組織員になったということ)の記録は、必ず、公安警察(政治警察)が入手するからバレる。 組織の中で内部対立が起きて、抗争になって、除名とか脱退ということになると、その後も長く、「裏切り者」として、長い争いになる。
私は、そういう暗い過去を引摺(ひきず)ってっていない。自分の体に、焼き印や、入れ済みを入れたような、組織、団体の、活動家だったことはない。

 ただし、あの時代(1970年代)の、政治運動を少しでも経験した人たち、すなわち、今の72,3歳のじいさん、ばあさん、たちと、同時代を生きたことの強い共感だけがある。
私は、彼らに、私の本の読者になって貰いたいし、私の味方勢力の中心だと思いたい。

 私たちの親の世代は、戦争世代だ。戦中派(せんちゅうは)だ。第2次大戦(日中戦争、太平洋戦争、大東亜戦争)の時に青年だ。彼らは(私の父も)、学徒出陣とかで、兵隊となって戦地行かされて、地獄の経験をした人々( 運良く 生きていれば、もう97歳とかだ)は、その時代を生きた者たちとしての、共感があっただろう。人は、すべて時代の子であり、時代の産物だ。自分が生きる時代を、自分で選ぶことは出来ない。自分の両親を、赤ちゃんが自分で選ぶことが出来ないのと同じだ。

 私、副島隆彦は、あの時代を一緒に生きた、今、72,3歳前後の人たちの、思想的なリーダーになりたい、と、常々(つねづね)思っている。彼らに、私の本をもっともっと読んで貰いたいと、思っている。彼らを私の支持勢力の中心にしたい。なぜなら、彼らだけが、まだ書店で本を買って読むからだ。

 若い人たちは、もう、本を買って読む、ということをしない。私の本を、わざわざ買って「この人の本は、おもしろいんだ。ためになるんだ。本当のことを書いているんだ」で、熱心に読んでくれる人たちだけが、私の、お客様だ。私は、言論商売人だから、自分のお客さまになってくれる人たちを、なによりも大事にする。当たり前じゃないか。

 三島由紀夫(1970年11月25日、45歳で華々しく血だらけで割腹自殺。今から考えれば、この人は、自分のすべてを演出して演技にしたのだ。当時、騒然となって、私のような少年を含めてひどく興奮して、騙された)が、1970年の5月に、東大の駒場(こまば)の教養部の900番教室(大講堂)で、1回だけやった、東大生たちへの講演と、討論の テレビ局が撮影した記録フィルムが、、現在、映画となって公開されているそうだ。 だから、三島が死んだのは、それから6カ月のことなのだ。もう自分は死ぬ、と決めていたのだろう。

 この映画の宣伝の画像に写っている、あそこに集まった、見るからに秀才そうな、千人の東大生の学生たちは、「クラス活動家」と言って、危険なことはしていない。よくてデモの隊列の中にいかた、機動隊に向かって、石を投げたぐらいのものだ。機動隊(警察)に捕まったり、大怪我をしたりしたら、それこそ一生涯の経歴のキズになる。

 ほとんどは、クラス活動家だ。あんまり激しい行動をすると、警察に捕まる。だからひとりひとりは、父親から、泣きながら殴られたりしながら、みんな、いい加減なところで、運動をやめていったのだ。そして、彼らは、馬鹿ではない(みんな本当に秀才だった)から、その後、ちきんと大学を卒業して、文科系なら、一般の大企業の他に、多くがテレビ局、新聞社、出版社に入っていった。ちゃんと大学を卒業してさえいれば、何とか新聞社にも潜り込めたのだ。大学教授になった者もたくさんいた。数百人ではきかない。みんな活動家になるぐいらだから、頭はいいのだ。

 出版社に入って20年も経(た)って、1990年代でほとぼりが冷めて、酒の席で、過去の自分たちのことを話し出すと、急に激高して喚(わめ)きだしたり泣き出して、それで、若い人たちから怪訝(けげん)な目で見られる、ということを、した。この人たちも、もうみんな、テレビ局、新聞社、出版社を幹部社員で退職して、今は、70歳代の年金暮らしだろう。私は、今こそ彼らに私の本を読んで貰いたいのだ。私は、暴き立てるように多くの真実を書いている。

 だから、みんな、そんなに激しいことはしていない。本当に激しいことをした少数の者たちは、そのあと犯罪者扱いで、牢屋(刑務所)で苦しむか、身体障害者になるか、長い裁判で刑事被告人となって人生を痛めつけられるか、した。それは、党派(セクト)に所属した人間たちだ。私、副島隆彦は、何でも知っている。きれい事は言わない、書かない。ウソも書かない。 

 私は、自分が生きた、この50年間の日本の各時代の、目撃者であり、観察者だ。それを出来るだけ正確に書いて記録として後世に残したい。それが、知識人という職業の責務だ。

 私が、19歳の時から、自分の強い信念、思想的な確信 にして来たのは、次の吉本隆明の文章だ。

 「・・・身は学生というタテから見てもヨコからみてもプチブル・インテリゲンチャ
以外の何物でもないのに、インテリゲンチャの自立した思想と運動をつきつめるまえに、だらしない革命家気取りに移行してしまう。これがくだらない政治組織に禍された学生の政治意識の墓場である。 
 街のただのおやじでさえ、現実の社会では、学生を青二才(あおにさい)としか総括しないということを骨身にしみて知っているはずなのに、頭の中だけで、喜劇を演ずる」

「・・・ただマルクス主義の文献を読みかじって、こうしてはおられぬという衝動からプロレタリア党を作れなどといい、学生運動や労働運動のなかにいくらかの足がかりをもっているにすぎない。本当のインテリゲンチャの根性も知らなければ、労働者の実体も知ってはいないのだ。・・・「前衛党」に飛び込んだり、出たり、同伴したりする我が国の進歩的なインテリ・・・・」 

( 出典。吉本隆明全著作集 13巻 「政治思想評論集」 1969年刊、勁草(けいそう)書房、P.564 「睡眠の季節 」(注。1961年に書かれた文))

 このように吉本隆明は書いている。この文が、私、副島隆彦の一生涯の指針であり、私の思想の中心にもなったものだ。私は、学生運動、政治運動、思想運動の中にある、地獄の中から、必死で這い出して、生き延びた。そして、「自分は、こんな所では死なない。何があっても生き延びる。そして、知識人として自立する」と堅く決めた。

 この「自立(する)思想」と、「共同幻想論」と「転向論」が、吉本主義者の教条(きょうじょう、ドクトリン)で真髄だ。 知識人となって、自分の文章で、自力でご飯を食べられるようになること。そのために粉骨砕身の努力をすること。甘えたことを言わないこと。弱音を吐かないこと。専門職で身を立てる、とういうことはそういうことだ。言論人、政治知識人で、身を立てる、ということは、それぐらいキツいことだ。これが、自分を支えた堅い信念だ。 このことを分かってください。

 だから、無根拠に、私の人生の経歴を、デマで書いた、東海アマという 人は、私、副島隆彦の冷酷な判断では、1970年ごろの、過去の怨念を背負った、新左翼、過激派の、一番、悪い部分を、ずっと、引き摺った、人間のひとりだ、という厳しい判定になる。 この
過去の怨念を引き摺った、過激派のお化け(悪霊、怨霊)たちからも、私は、これから生まれる清新な国民運動を守らなければいけない、と、ずっと書いて来た。 

 秀作「日本会議の研究」を書いた、菅野完(すがのたもつ)君が、書いていた。日本会議すなわち、統一教会の表(おもて)の団体の、活動家たちは、1970年の過激派の学生運動の
活動得たちとそっくりだ。左翼の学生運動の真似をしながら、自分たち新右翼(しんうよく。反共主義)の運動を作っていった。 

 安倍晋三も稲田朋美(いなだともみ)も、篭池(かごいけ)・・も、統一教会=原理研究会の者たちは、皆、自分のことを、反共(はんきょう)思想の燃えるような情熱の、政治運動の活動家だ、と自分のことを思って生きている、と。本当に、その通りだと、私、副島隆彦も思う。

 だから、私がいつも書くとおり、安倍“統一教会”政権を打ち倒したあとの、新しく生まれてくる日本の 清新な国民運動には、1.統一教会などの反共右翼の狂った宗教集団 。2.潜り込んでくる公安警察官(政治警察)。そして、3.自分たちの1970年の闘争の 過去の暗い怨念を引き摺る、過激派党派の残党たち。

 この3つの集団を、徹底的に、自覚的に、排除しなければいけない。そのために、副島隆彦は、 自ら進んで、新しく出来る、優れた国民運動を防衛するために、上記の3つの人間たちが、内部も潜り込んでくることを、事前に、摘発し、阻止するための「秘密警察長官」(笑い)になる、と ずっと、これまで書いて来た。私のこの書き方の意味が、分かる人たちは、あまりいない。私は本気だ。

 私、副島隆彦が、このように書くことが、日本の、これからの新しい民衆運動、革命運動の、重要な前進、進化、進歩になるのだ。歴史を前の方にグイ、グイと推し進めることになるのだ。私の言論が、過去を引き釣りながら、これからの大きな方針を出している。私は、このことを重々(じゅうじゅう)分かっている。

 だから、今、72,3歳前後の、全共闘(ぜんきょうとう)世代の、じいさん、ばあさんたち、かつては、少しはインテリだった人たちの、思想的なリーダーとなって、彼らからの賛同と支持を貰(もら)わなければいけない。彼らに、まず、私が書いた 「世界覇権国(せかいはけんこく)アメリカを動かす政治家と知識人たち」(講談社プラスアルファ文庫、2001年刊) ” Modern American Political Intellectuals , 1995 ” を読んで貰いたい。私が、42歳の時に書いた本だ。それまで自分が研鑽して収集した知識を結集して、心血を注いで書いた本だ。 

口幅(くちはば)ったい言い方をすると、私は、この本で、吉本隆明と、丸山真男(まるやままさお)を超えた。そのように自負している。まさか、そんな、お前ごときが、と思う人は、私のこの本を読んでみてください。 初版は、1995年から、もう今から25年前の本だ。私の主著だ。

 この本は、今から読んでも、ためになるだろう。これで、現代の世界政治思想の全体像 が分かる。本当に、生来、頭のいい日本人は、全員が読まなければ行けない本だ。バカは、どうせ読んでも分からないから、ほっておく。私に寄ってくる弟子たちでも、今でも、まだ分からないのが大勢いる。

 残念ながら、左翼的な大衆の一部は、現在、ネトウヨ の反対の、 ネトサヨ(とか オサオさん)と、呼ばれるネット人間になっている。彼ら、ネトサヨは、自分の名前を堂々と名乗って、ネットで、自分の意見を表明することをしない。彼らは、背骨の折れた、ネズミのような、言論を書き散らしている。それは、やめるべきだ。人間は、皆、自分の実名で、しっかりと、勇気を持って、自分の意見を書かなければいけない。仮名、匿名、名無しの権兵衛(ごんべえ)で、政治言論を 書いてはならない。

「それでは、自分に禍(わざわい)が降りかかります」という人は、そのように注意書きして、事情がありまして、かつ、小心者(しょうしんもの)なので匿名(とくめい)を希望します、と断り書きしてから、書くべきだ。 私たちの学問道場は、ずっとこの方針で、この20年間、やってきました。

 実は、下 ↓の「2589」番の、投稿をしたのは、田中進二郎君だ。 彼は、早稲田大学の政経学部に入って4年間、大学にいたのに、あと、ほんの僅かの単位を取らないで、中退して、郷里の大坂で、家業の大手の学習塾の講師をずっとしてきて、子供たちに、政治思想の考え方の初歩まで教えて、きっと優れた教育者になっている人だ。

 だが、私から、「どうして、君は、大学をきちんと卒業しなかったのか。両親が心配して、悲しがっただろう」「はい。父に、叱られました」 「他の私のところに寄ってくる弟子たちも、そうだが、君も、どうも性格に偏(かたよ)りがある。自覚して、直しなさい」と、私は、彼を叱った。

 私、副島隆彦に弟子入りしてくる者たちは、生来の知識人、インテリゲンツア(ドイツ語、ロシア語。これの元の英語が、intellectuals インテレクチュアルズ )の素質があって、もの書き(言論人)に、育てることのできる才能を持っているものが多い。ところが、同時に、どうも頭(、知能、思考力)に軽い障害を持っている者が多い。私は、この20年間、ずっと、私の元に寄ってくる、そう言う者たちに、

「君は、自分の頭の、ごく軽度の精神障害を自覚しなさい。そうすれば、そのことを、自分の才能に転化できるのだ。文学者(小説家、今は、漫画家)になるような人は、だいたい、軽度のキチガイ(狂人)だ。そうでなければ、優れた小説(漫画)なんか、書けるわけが無い。だから、その微妙な自分の脳波の乱れを、自覚して、それを、自分の才能に変化させなさい」と。
 
そのように教え諭(さと)すことを、我が学問道場の社是(しゃぜ)、所信として、私、副島隆彦は、弟子たちを育ててきた。それでも、・・・・・なかなか、上手くゆきません。

田中進二郎君は、ここの重たい掲示板にも、よく書いているとおり、今、「戦国時代の大名たちは、ほとんどが、隠れキリシタンだった」という本を書いている。そろそろ編集者が、彼の原稿を纏(まと)めてゲラにする段階に来ている。来週、編集者が私の住む熱海に、そのたたき台を持ってくる。

こういう事情なのに、田中進二郎は、自分の脳の脳波の乱れを、そのまま出して、匿名で、
「副島先生の、過激派としての過去を暴き立てる証拠が出た」と、有頂天になって、以下 ↓の通り、「 副島先生の半世紀前の同志の方のようです 」と書いている。

 コラー! 田中進二郎。お前は、まだ、その曲がった根性が直らないのか。「お前は、すぐに騙されるんだ。まだ、分からんのかー 。お前程度の頭では、すぐに、ヘンな政治集団にひっかかって、そこに嵌まってゆくのだ。利用されるのだ。まだ、分からんのか!」
 ネット上の、精神の歪んだ人間たちが書いた、過去の怨念に満ちた謀略の文章を、みつけて来て、鬼の首(つまり、私、副島隆彦の首)を取ったかのように、勢い込んで、こんな穢(きた)ならしい文章を、いいかと思って、貼り付けた。本当に、お前の精神は歪んでいる。いくら、直しなさい、と言っても、直らないのかな。

 田中進二郎君。このあと、私に電話してきなさい。私に何を言うかは、自分で考えなさい。
私は、君たちを育てる、ということで、あれこれ、本当に苦労しているんだよ。私の苦労も、すこしは分かりなさい。

 会員の皆さん。統一教会を、強く批判すると、このように、おそろしい、巧妙な謀略攻撃が、次々と、襲いかかってきます。私は、覚悟しています。それでも、ここの学問道場を、このように、きたなく汚されるのは、私でもたまりません。何とか、私が全力で、自分の知能の限りを尽くして防御します。 見ていてください。    副島隆彦 記

副島隆彦 投稿日:2020/06/22 11:40

【2201】[2587]河井克行、案里の逮捕の裏側の恐ろしい真実。

副島隆彦です。 今日は、2020年6月21日(月)です。

 河井克行、案里の 2議員が、6月18日(木)に逮捕された。逮捕したのは警察ではない。最高検察庁(法務省と一体。東京地検特捜部の肩書きで)だ。この異常さが分かる日本人は、あまりいない。

 このあとうしろの方に、日刊ゲンダイの6月20日(土)の記事を載せる。しっかり目を皿のようにして読んでください。一体、今の日本で、何が起きているか。大変な権力闘争、権力動揺(どうよう)が、起きている。血生臭(ちなまぐさ)い殺し合いだ。

 私は、6月19日(金)に、佐藤優氏と、対談本用の最終の対談を六本木でやった。そこで、佐藤氏に、ワーワー喚いて、今、日本国で何が起きているかを教えてあげた。河井克行と前日、佐藤優が、電話で話して、「拘置所に入ったら、サンダルにひどい水虫の菌が付いているから、まずサンダルをすぐに買いなさい」と佐藤優は、助言した。これは、ニューズになって知られている。そういうすっとぼけた話ではないのです。事態は異常の進展です。

 19日、そのあと、私は、主要な弟子および友人たちと東京駅で待ち合わせて、そのあと祝杯を挙げた。だが私の弟子たちで、私の祝杯の意味を分かる者は、残念ながらいない。今から、私がここに書くことの真意を、ここの学問道場の、本当に気合いの入った、人生経験もある、ずば抜けて頭のいい100人ぐらいが、分かってくれるだろう。

 河井克行(かわいかつゆき)は、去年、2019年9月11日に、法務大臣になった。安倍首相の特別の計らいだ。そして50日で、10月末に、河井は辞任した。 ・・・・
 私、副島隆彦が今から書くことは、走り書きになる。そのうち、まとめて、今日のぼやきに載せる。今日は、概要(がいよう。アウトライン)だけにする。巨大な真実を、分かる人だけ分かりなさい。人それぞれ持って生まれた知能というものがある。

 河井克行(そのまえに、外務担当首相特別補佐官 もしていた。スティーブ・バノンを招いた)は、日本の統一教会 (Moonie ムーニー)の、現職、現役の、最高幹部だ。その奥さんの、案里(アンリ)も同じく、「お母様、聖母様」として日本の統一教会の大幹部だ。

 河井克行は、統一教会の創立者の文鮮明(ぶんせんめい。ムン・サンミョン)の奥様の韓鶴子(はんはくじゃ。かんつるこ)を日本に招いて、東京の有明のビックサイトで開かれた、「お母さま(聖母様)に献げる会」の一万人集会の主催者である。そこにいた6人の自民党の衆議院議員の筆頭である。 

 河井は、法務大臣(法相)になったとき、「これで(私たちが)法務・検察の上に立った」と言ったそうだ。このことは、後ろに乗せる、一昨日(20日)発売の日刊ゲンダイに載っている。5月22日に、賭けマージャンで、幕を引いた、黒川弘務(くろかわひろむ)東京高検 検事長が、検事総長になろうとして、遂に失敗した。この黒川が、この日本の最高検と法務省に、「裏口入学」で、着々と潜り込んだ潜入者(インフィルトレイターinfiltrator )の統一教会の検察官たち100人ぐらいのトップだ。

 日本の官僚機構は、このように、反共右翼の、恐ろしい政治宗教団体に、よって激しく汚染、ウイルス感染している。外務省も、財務省も同じく、ムーニーたちが、幹部たちの中にまで、一杯いる。東大法学部に入学する前から、父親に連れられて、そういう秘密の勉強会に入っている。日本会議や、神社本庁(じんじゃほんちょう)などは、そこから見れば、下っ端の、出先の、フロント団体に過ぎない。 

 それから、みんな、知らないだろうが、「幸福実現党」および、「幸福の科学」というのも、統一教会の 表(フロント)に団体だ。幸福の科学は、それこそ、全国各地に、その建物が建っている。
本当に恐ろしいことだ。

 統一教会は、昔は、勝共(しょうきょう)連合 とも、 原理研究会(げんりけんきゅうかい)ともとも名乗った。そして、盛んに街頭で宣伝活動をした。勝共(しょうきょう)とは、「共産主義に勝つ」という意味で、ソビエトや中国の共産主義を打ち倒すことを自分たちの、宗教的な堅い信念にしている人たちだ。その後、全国の大学のサークルや、別の宗教団体の中にも潜り込んでゆくことをした。狂気のカルト集団である。

 アメリカやヨーロッパ諸国の先進国にも広がっている。おそろしい連中だ。なんで、こんな気色の悪い人間たちが、大きな勢力として出現してしまうのか、と、私は問われることが、多くなってきた。そのうち、まとめて、私の知る限りのことを書いて説明します。

 私、副島隆彦は、自分もこのキチガイ集団に狙われている、と知っているので、あまり、彼らのことは書かないようにして、この20年間を、慎重に生きて来た。それでも、河井克行が捕まったので。そのお祝いとして、今日は、どうしても書く。

 この後ろの方に、3日前の、6月19日のネット上(ウエブサイト)の、週刊新潮の記事を載せる。「去年の12月10日に、広島地検に赴任して、河井案里の選挙違反の捜査の、担当検事だった、30歳前後の、若い、(おそらく優秀な)検察官が、自死している」

 という記事だ。それが、19日発売の、週間新潮に載った。それは、どうでもいいことばっかり書いてあった。ウグイス嬢たちと河井が性交をしていたとか、広島の市議や、県議たちに、数十万円ずつ、ポケットの中に入れた、とか、そういう、どうでもいいような、記事にしてあった。

「公職選挙法違反の、賄賂の犯罪が、どうして、どうでもいいことなのですか。大変なことではないですか、副島先生」と、私に向かって言うな。この低脳のバカ人間めが。

 どうでも、いいんだ、そんなことは。1億5千万円の選挙資金を買収に使った、とかは表明のことだ。問題は、東京から派遣した、真面目な若い検察官が、去年の12月10日に、殺されて、日本の法務省=最高検察庁=最高裁 のトップたちが、煮えたぎったように、怒り狂って、「もう、あいつら、許さん」と、なったのだ。
週刊新潮も、文春も、統一教会(ムーニー)と言うコトバを1行も書かない。このことが問題なのだ。

 今、日本の国家体制で起きていることは、最高権力者たちの間で起きている、狂乱状態だ。私は、ずっと冷ややかに、この事態を見ている。

 宮崎駿(みやざきはやお)の、「風の谷のナウシカ」(1984年制作)は、中で、自分たち虫(worm 本当は、「ワーム」/wa:m/ 。この映画では、日本共産党の超インテリ知識人だった宮崎駿でも「ウォーム」と呼んだ。日本のインテリも全員「ウオーム」と発声する。バカなんだこの土人たちの国は)

 ・・・この虫の子供一匹を、虐めて殺した、大魔神の巨人ロボットに向かって、怒り狂った虫(ワーム。warm 「暖かい」が「ウォーム」/w c:m/ (このc は反転)なの。発声がひっくりかえる。私の英語勉強の本を読め。だが、本当に悪いのは、文字と読み(発声、音)が食い違う、英語という劣等言語、交雑言語のせいだ。日本語もそうだ。 私が書いた「英文法の謎を解く」筑摩新書、1995年刊 全3巻。今の日本の中学、高校の英語教育は、私のこの本からペロペロたくさんのことを学んだ英語教師たちによって、行われている。私はここまで豪語する )

 このカブトムシのような虫たちが、大群となって巨人兵に襲いかかり食い掛かっていった。自分たちがいくら破壊光線で殺されても、虫たちの進軍は続いた。そして巨人兵ロボットを打ち倒した。今、法務省=最高検が、やっていることは、これだ。
 
 河井が言ったのだ。「私たちに手を出すと(つまり、私を捕まると)、お前たち(検察官ども)みんな、あんな風にしてやるぞ」と。統一教会というのは、こういう凶悪な組織だ。震え上がったあと、怒り狂った 日本の法務省、検察の主流派の、稲田検事総長と、林(次の検事総長に就任した)派は、全国の法曹(ほうそう)を結集して立ち上がった。

 法曹内の黒川派=統一教会を叩き潰すと決めたのだ。弁護士会も、裁判官たちも団結した。目を血走らさせて、「私たちの絶対に、汚してはいけない、日本の法秩序という、お城、祭壇を守れ。あいつらを叩き出せ」となった。

 このことが、黒川弘務を、突然、例外の63歳の定年延長で、閣議決定までして、次の検事総長にする、という異様な事態に対して、日本の法曹(ほうそう。legal guild リーガル・ギルド。日本の法律エリート集団。裁判所、検察庁、弁護士会の3者)が、一丸となって、法律に違反している定年延長に絶対反対、抗議を唱えだした。その真の理由は、法曹内部に潜り込んで来た統一教会の問題なのである。 

 黒川を閣議決定で、稲田検事総長を急いで辞任に追い込んで、次に据えようとした 悪足掻(わるあが)きは、今年の1月31日である。広島地検の 河井案里事件担当の若い検事が、殺された、昨年の12月10日から、1か月後である。黒川弘務を検事総長にして、河井夫婦への追及を、不起訴処分で、押しつぶす計画だった。当然、安倍晋三首相がやったことだ。多くのボロボロ答弁で、苦境にある法務大臣の森雅子(もりまさこ)も、統一教会である。

 日本の検察、法務省は、これまで長いこと、戦後もずっと、アメリカの手先となって、愛国者の田中角栄を捕まえた(1976年7月)。それから自民党のハト派 のすぐれた政治家たちを、「逮捕するぞ」と脅して痛めつけた。それをテレビ、新聞、週刊誌(大手の出版社たちが発行)という、アメリカの手先の別働隊が、「カネと女の問題」のスキャンダル報道で痛めつけた。「日本は、アメリカ、西欧ばかりでなく、ロシア、中国とも話し合いをして、仲良くする」という考えで動いた、温厚な保守の自民党政治家たちを、煽情的な記事を書いて、辱(はずかし)め、追い落とした。

 法務省、最高検は、悪いことの限りを尽くして、互いに「部長、部長」と呼び合って、威張ってきた。国民の代表である政治家たちよりも、自分たちの方が、上なのだと。このお前たち自身が、反共右翼の砦(とりで)となって、悪いことをずっとしてきた。それなのに、今、その内部に、さらに凶悪な、ウイルス、病原体が蔓延(はびこ)っていることが、満天下に暴かれた。

 それで、全身、膿(う)みだらけになって、掻(か)き毟(むし)りながらながら、身もだえしながら、獅子心中の害虫の駆除を、今、やっている。最高裁の長官だった、三好達(みよしとおる)はじめ、いっぱい、いっぱい、歴代の統一教会の大幹部たちがいるではないか。そのうち、私が、名前を列挙する。 

 私は、まるで、今のこの様子は、「2.26」事件(1936年)の叛乱将校たち(皇道派、こうどうは)と、戒厳令司令部(統制派)の、つかみ合いと同じだと、考えている。激しい形相をした、血みどろのつかみ合いが、今、起きているのだ。と、腹の底から私は知っている。そして、じっと見ている。

 「2.26」の叛乱軍(昭和維新の断行)の青年将校たちのトップの、磯部浅一(いそべあさいち)と、統制派の、石原莞爾(いしはらかんじ)の、ギリギりの睨み合いのような感じだ。このあと、「世界最終戦争」まで書けた、満州国の設計者の、石原莞爾が、反乱軍の本部に乗り込んで、「貴様(きさま)ら、何をやってんだー」と、対峙したときの、あの気迫と同じだ。 石原莞爾は、陸大(りくだい)出 の白い銀のバッジを付けていた。叛乱軍の将校たち、ただの陸軍士官学校卒の、部隊付きの将校では無い。

 彼らは、双方、軍刀を持ち、腰に拳銃(ピストル)を下げている。双方が、この拳銃の蓋(ふた)に手を掛けている。一触即発だ。怒鳴り合いのあと、掴(つか)み合いで、どちらかが、拳銃を抜いたら、その場で、撃ち合いの殺し合いだ。今、日本で起きていることは、このことだ。

 日本の法務省官僚(赤レンガ組という)と最高検は、自分たちが、日本の最高権力者だ、と、本当に、死ぬ気で思っている。頭のてっぺんから狂っているのだ。「自民党のよごれた政治家どもを、たとえ首相であっても、私たちが捕まえて、牢屋にぶちこんでやる」と信じ込んでいる。

 今の法務省と最高検の検察官は、軍刀と拳銃を持っていないが、それと似た強い権力をもっっているのだ。アメリカが、そのように仕組んだ。 だから、日本の愛国者の政治家(議員、大臣)たちでも、検察を、ひどく恐れている。どこが、何が、デモクラシーだ。こんなものは、デモクラシー(自分たち民衆、国民の代表に本当の権力を握らせろ。代議制民主政体=だいぎせいみんしゅせいたい=、X民主主義 )ではない。 

 だから、今の、新聞記事は、「次は、安倍晋三首相の事務所や、自民党の総裁室が、捜索されるだろう」と、公然と書いている。

 それでも、私、副島隆彦の、日本で一番の、最高の頭脳から、すれば、「おまえたちなあ。法務、検察ごときが、日本国民というほんとうに大事な人々を、軽く見て、自分たちが、威張り腐って、アメリカの手先をやりながら。
 その挙句に、こんな、恥ずかしいことになったんじゃないか。恥を知れ」 と。「統一教会に、ここまで内部に潜り込まれて、それで、目を剥(む)き出して、つかみ合いのケンカをしている。お前たちの、苦悩を、私は、じっと間近で見ていてやるよ」と。

 本当の、殺し合いは、素手でやると、ボクシングみたいな、きれい事の、パンチの応酬という訳にはゆかない。きたない、血だらけの格闘技(K-1、とかアルティメット、グレイシー柔術とか)だ。

 本当に殺し合いの、最高度の憎しみが高まったら、すぐに、クリンチしあって、地面に転がって、互いに羽交締(はがいじ)めになって、相手の指を歯で、食いちぎる、目に指を突っ込む、ことをする。最後は腕力の強い方が相手の喉を絞めて絞め殺す。それが本当の殺し合いだ。今、統一教会と、日本の法務検察が、やっていることは、そういうことだ。

 私、副島隆彦は、本当のことを、平然と書くぞ。今の、この河井克行、案里の逮捕の、真実を知っているのは、自民党の幹部たちで、上の方だけだ。各省官僚の中でも上の方だけだ。

 テレビ、新聞でも本社の上の方だけだ。あとは、本当の政治とは何かを、分かるだけの頭の無いのばっかりで、ただの真面目なサラリーマンで終わる連中だ。だから、副島隆彦の学問道場に、結集してくる、本当に、副島隆彦の本を、血眼(ちまなこ)になって真剣に読んできた、生来、高い知能をした者たちだけが、今、私が、書いていることを理解できる。

 それ以外は、平和な、お庶民(しょみん)で、穏やかに平穏に生きて、死んでいけば、それで、いいんだ。それが、最上の生き方だ。“ Ignorance is bliss .“ 「イグノランス・イズ・ブリス」 「無知(むち)は至福(しふく)なり 」、「何も知らないことが、最大の幸福だ」、「お前たち、庶民、平信徒は、何も知らないのが、一番、仕合わせだ。平穏無事の人生がなによりだ。ローマ・カトリック教会の裏側の恐ろしい姿など知ってはいけない。近寄ってはいけない」 だ。

 本当に、副島隆彦は心底、そう思いますよ。血だらけの、穢(きたな)らしい、権力者たちの、いがみ合いの、この世の真実なんか、知ってしまって、何が、楽しいことがあろうか。

 大坂(おおざか)と、京都の、上層の町人(市民、金持ち層、商人)たちは、「おお、ついに、この御方も、こうして、四条河原に、お首(くび)を、晒(さら)しなさった。一時は、あれほどの権勢を誇られたのに・・・」 と、橋のたもとから、みんなで、その、首が切り離された 死体を、眺めるのだ。無惨な、権力者たちの、権力闘争の、末路だ。

 小池百合子も、もう終わってゆく。学歴詐称と、盗作(とうさく)と、政党をコロコロとあまりに変わる政治家を、民衆(国民)は、どうせ許さない。美しい晴れやかな、高級和服(色留め袖。いろとめそで。六〇〇万円ぐらい)の姿で、オリンピックの旗を、小池が、晴れがましく、左右に大きく振ってみせる(ブラジルの選考会でこれをやった)、という、一世一代の美しいドラマももうないのだから。

 お役目ゴメンで、この女も、どうせ消えてゆく。小池ゆり子は、統一教会の中でも、7男坊の、文亨進(ぶんきょうしん)派だ。安倍晋三が、“聖母さま”の韓鶴子(ハンハクジャ)と3男坊の文顕進(ぶんけんしん)派の主流派であるのと、派閥が違うのだ。  副島隆彦記

 副島隆彦です。このあとに、上記で説明した、記事を2つ載せる。長い。
そして、さらに、1枚、世界政治も、まったく日本と同じように、激しく動いているのだ、の 私が作った画像を1枚載せる。これの解説はしない。生来、頭のいい人間だけが、食い入るように、じっと見て、そして自分の脳で必死に考えなさい。 副島隆彦 記

(転載貼り付けはじめ)

●「 なぜ法相に(なれたのか)?  核心は買収ではなく安倍首相の捜査妨害 」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/274891

  2020/06/20 日刊ゲンダイ 

 ともに現職国会議員の夫婦が同時に逮捕されるのも、法相経験者が逮捕されるのも憲政史上初めてだという。昨年7月の参院選広島選挙区をめぐる公選法違反(買収)容疑で、18日、検察当局に逮捕された前法相の衆院議員・河井克行容疑者(57)と妻の参院議員・河井案里容疑者(46)。2人は案里を当選させるために、地元の県議、市議ら100人近くに計2570万円ものカネを配った疑いが持たれている。

 案里は取り調べに対し「違法な行為をした覚えはない」と強気に容疑を否認しているというが、捜査関係者によれば、2人が選挙当時に陣営関係者らとやりとりしたLINEの記録の一部を消去していた疑いがあるという。買収の証拠隠滅を図った夫妻には、やましい自覚があったのだろう。東京地検特捜部は消されたデータの復元を進めている。

 前代未聞の逮捕劇。すべての発端は、昨年10月に「週刊文春」が報じた「法務大臣夫婦のウグイス嬢『違法買収』」だった。案里が当選した参院選で法定上限の倍額の日当を車上運動員に支払い、ウソの領収書で偽装していた疑惑だ。

 この参院選で案里は初当選。「定数2」の広島選挙区で、安倍首相が敵視する自民党のベテラン溝手顕正前参院議員は落選の憂き目に遭った。その2カ月後、9月の内閣改造で、克行は6選を目指した溝手を追い落とした論功行賞のごとく法相に起用されたのだが、文春報道を受け、就任からわずか50日で辞任したことは記憶に新しい。

首相の関与が大きく疑われる
 ウグイス嬢14人に法定の上限を超える報酬を支払った公選法違反では、すでに克行の元政策秘書と案里の公設秘書が起訴され、16日に案里の公設秘書に有罪判決が下された。この事件を捜査する過程で河井夫妻の事務所や自宅を家宅捜索したところ、夫妻の自宅や事務所から現金の配布先を示すリストが押収され、買収事件に発展したのだ。

「この選挙買収事件が前代未聞なのは、前法相の犯罪というだけでなく、安倍首相の関与が大きく疑われるところにあります。参院選で党本部から投入される資金は1500万円が基本なのに、案里氏の陣営には1億5000万円が振り込まれていた。相場の10倍という尋常ではない待遇で、幹事長の一存で動かせる金額ではない。

 党総裁の安倍首相が指示したとしか思えません。さらに、河井陣営には安倍首相の地元である山口県の事務所から、筆頭秘書をはじめ4人もの秘書が送り込まれていた。まさに首相丸抱えの選挙だったのです。安倍事務所が選挙買収を指南していた可能性だって否定できない。法解釈をねじ曲げてまで、“官邸の守護神”と呼ばれた東京高検の黒川前検事長の定年延長を画策したのは、安倍首相に後ろ暗いところがある証左でしょう」(政治評論家・本澤二郎氏)

 河井夫妻の事件に関し、発売中の「週刊文春」が広島地検の幹部の発言を伝えている。黒川氏が賭けマージャンで検事長の職を辞した5月22日、地元記者らを前に、憤まんやるかたない様子でこう話したのだという。

「官邸が圧力をかけて、河井夫妻の捜査をやめさせようとしている」

「官邸は(稲田伸夫)検事総長を(黒川の監督責任で)辞めさせて、河井捜査を止めようとしているようだが、そうはいかない。法務・検察は内閣に人事を握られているが、俺は捨て身でやる」――。

 この検事の憤りこそが、事件の核心ではないのか。
安倍事務所と自民党総裁室へのガサ入れは必須

 首相補佐官や総裁特別補佐を歴任した克行は、紛れもない安倍側近だ。そして安倍は昨年、妻の違法選挙を取り仕切った克行を、よりによって法の番人に据えた。違法行為を働いた直後に法相に抜擢なんて、悪い冗談としか思えない。官邸は本当に選挙買収を知らなかったのか?

 東京新聞(19日付)によると、克行は法相就任後、宴席で親しい知人たちに「法務・検察の上に立った。もう何があっても大丈夫だ」と言い放ったという。

「違法選挙の捜査を抑え込むために、あえて当事者の克行氏を法相に就けたという見方もある。文春報道で悪事が明るみに出なければ、今も克行氏が法相を務め、黒川氏の定年延長を決定していた可能性があるのです。これは恐ろしい話ですよ。官邸ぐるみで、民主主義の根幹を歪める不正選挙の隠蔽工作が行われていた。

 検察への露骨な人事介入で疑惑を封じようとしたのです。河井夫妻が離党し、自民党も政権も買収疑惑は候補者個人の問題だと切り離しにかかっていますが、本当の司令塔は誰だったのかを解明する必要がある。日本のメディアは昨年、韓国の“タマネギ法相”夫妻の疑惑報道で過熱していましたが、それどころではないスキャンダルです。河井事件の担当検事が昨年12月に自殺していたというのも、森友学園事件と同じ構図で、底知れぬ闇を感じます」(高千穂大教授の五野井郁夫氏=国際政治学)

 通常国会の閉幕を受けたおとといの会見で安倍は「我が党所属であった現職国会議員が逮捕されたことについては大変遺憾であります。かつて法務大臣に任命した者として、その責任を痛感しております」とお決まりのセリフを読み上げた。

 法相任命は「かつて」と遠い昔の話のように印象操作し、河井夫妻の個人的問題に矮小化することで、政権へのダメージを回避しようという魂胆だろうが、夫妻は前日まで自民党所属議員だったし、何より安倍丸抱えの選挙における買収疑惑であり、その捜査を官邸主導で潰そうとした。それこそが、この事件の争点なのである。

法定上限を超える資金提供の意味は?
 昨年の参院選で広島県選管が定めた選挙運動費用の上限は4726万9500円だった。その3倍以上もの資金を河井陣営に投入したのは、買収を奨励するようなものではないのか。

 なりふり構わず違法行為を働いてでも、溝手を追い落として案里を当選させろという官邸の意向が反映されていたのではないか。1億5000万円は誰が決裁し、何に使うと考えて支給したのか。

「買収の原資は、党からの1億5000万円だったのか。政党交付金からの支出なら、国民の税金がカネで票を買う違法選挙に使われたことになる。そんなことは絶対に許されません。原資を特定しなければ、法相の違法行為という前代未聞の犯罪の全容を解明できない。少なくとも、安倍事務所や自民党総裁室へのガサ入れは必須です。

 そこに切り込めなければ、検察は官邸と手打ちしたと見られても仕方ない。官邸の守護神と言われた黒川氏がいなくなっても、権力に忖度する姿勢に変わりはないと国民から見放され、今度は検察に批判が向かうでしょう。河井夫妻の逮捕というトカゲの尻尾切りでお茶を濁せば、国民の期待を裏切った検察は、二度と信頼を回復できなくなります」(本澤二郎氏=前出) 

 その黒川氏にはきのう、約5900万円の退職金の支給手続きが行われた。コロナ禍で困窮する国民への支援は届かないのに、首相に近い黒川氏や河井夫妻には、税金から速やかに巨額が支払われるのだから、やるせない。

 この不条理を正すには、諸悪の根源である安倍の退陣しかないだろう。河井事件の本質は安倍事件だ。検察人事にも介入して捜査を潰そうとした。「桜を見る会」にも通じる首相の犯罪である。チンピラ夫妻の逮捕というガス抜きで終わらせるわけにはいかない。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。2本目の記事を載せます。この記事の、本当の恐ろしさを、感じ取ることができなければ、政治というものの、本当の姿は、分からないから、アホのままの一般国民として、今のまま、生きてゆきなさい。それが一番、いい。 
 現職の、若いエリートの検察官で、河合案里の公職選挙法違反の担当の検察官が、昨年の12月10日に、広島で殺されているのだ。このことに、激しい恐怖感を持たない者は、鈍感人間だ。学問道場を去りなさい。このことで、驚かないで、他のことに話題と関心をすぐに、移そうとする者は、すべて私、副島隆彦の敵である。以後、私に、馴れ馴れしく近寄るな。

(転載貼り付け始め)

●「「河井案里」捜査担当検事が自死していた 夫妻は“暴露”の切り札に…」

デイリー新潮 2020年6月17日   週刊新潮 6月25日号掲載 
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/06171700/?all=1

 広島地検が河井案里議員(46)と夫の克行前法相(57)の本格捜査に着手したのは、今年1月。国会の閉会翌日となる6月18日が逮捕の「Xデー」とも噂されているが、その裏では、案里議員の捜査担当検事が自ら命を絶っていた。

「亡くなったのは昨年12月10日。広島市内のマンションです。この検事は国立大卒で30歳前後と若く、2年ほど前に東京地検から異動してきたばかりでした。遺書も残されていなかったようです」
 と証言するのは、広島の政界関係者。上司のパワハラを苦にして……との情報があるものの、理由は定かではない。案里議員の捜査との関係については、

「検事が亡くなったのは本格捜査の開始前です。とはいえ、事件の露見から捜査に着手するまでには告発状なども出されていたし、情報提供もあった。彼はそういった情報を精査し、案里事件を検察が手掛けられるかどうかを見極める、下調べ的な位置づけの捜査にたずさわっていたのです」(同)

 亡くなった検事の遺族に尋ねると、自殺の原因は不明としつつも、
「検察の方から息子が職場で注意を受けていたという話はありました。でもそれは、よくある仕事上の軽い失敗に対する叱責とのことで、具体的な説明はありません」と涙ながらに語る。

 関係者が頭を悩ませているのは、この一件が、すでに河井夫妻の耳に入っているためだ。
「否認している案里が、検察当局や周囲に対して、“自分たちに何かあればこの話を暴露してやる”と息巻いているんです」(先の政界関係者)

“何かあれば”とは、夫妻の逮捕を指してのものである。
「彼女が自殺の情報をどのような筋で得たかは定かではありません。法相だった克行ルートかもしれませんね」(同)
 検察の不祥事隠蔽を暴露してやると“恫喝”めいた切り札を手にしていた夫妻。検察に抱く恨みのほどがうかがえる――。6月18日発売の週刊新潮では、ウグイス嬢をも相手にしていた克行前法相の女性遍歴と併せ、夫妻の事件、そして若き検事の死を詳しく報じる。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。さらに、1枚だけ、ものすごく重要な、世界政治の 真髄(しんずい)と言うべきとを、私、副島隆彦の手垢(てあか)の付いた、手書きもしてあるものを、ここに載せる。本気で読め。

副島隆彦拝 

一柳 洋 投稿日:2020/06/22 09:17

【2200】[2586]コロナ神奈川県資料から見る真実

 会員の一柳洋です。神奈川県の資料から「コロナ怖い」のウソを見てました。
 相も変わらずコロナ怖いを煽り続けるテレビ。
 そして欧州、米州と違い日本を含む東アジアは、著しく低い死亡者数から、何らかの抗体を獲得しているらしいので、そう怖れることはないと言わない政府と各知事。
 そこで神奈川県のコロナ感染&死亡の年代構成と、インフルエンザの比較をしてみましたので、以下貼り付けます。

 以下の表は神奈川県の新型コロナの罹患と死亡数で6月初旬のもの。
 県は感染者数は毎日出す物の、年代別罹患や死者数、及び陽性確認者の軽症・無症状率などは出さないので、知り合いの県議に頼んで出して貰った物です。
  年代     陽性者数   死亡者数   死亡率
 0~10   21   0     0%
 10代 29     0      0%
 20代     210      0     0%
 30代     215      1      0.47%
 40代     230      2      0.87%
 50代     239     22      0.84%
 60代     156     11     7.05%
 70代     143     20    13.99%
 80代     103      31    30.10%
 90代      35      18    51.43%%
 100才超     1      1    100%
 非公表      1      1    100%
  合計   1387 87

  神奈川県では30才以下の死亡ゼロ(全国でも30才以下は数人)。また20才以下の感染確認数も極めて少なく、20才以下の感染確認数は50人で全陽性確認者のたった3,6%。
 50代での死亡数は年代感染確認者数の1%に満たない。
 要するに60才以下の通学・就労年齢者の死亡数は全く怖れる必要のない数である。
インフルエンザとの比較
 ではインフルエンザでの県内死亡数はどうなっているのか直近3年の状況を県衛生年報から見ると、平成27年 104名 平成28年 80名 平成29年 160名となる。
 なお全ての死因は医師の死亡診断書記載によるので、死亡者ががんや基礎疾患があり最期は肺炎で死んでも医師が、インフルエンザに死とすれば「インフル死亡」となる。
 インフル死亡者が多かった2017年(H29)の年代別死亡数は以下の通り。
0~4歳 2人、5~64歳 0人、65~69歳2名、70~74歳6名 、75~79歳16名、80~84名 27名、85~89歳 38名 90歳以上69名となっている。
 4才以下が2名いるが僅か1,3%であり、圧倒的に80以上の後期高齢者で、90代が69名と凄い(施設等のクラスター感染のようだ)。
 これは新型コロナでも同様傾向であるが新型コロナの場合、神奈川県はもちろん全国でも20才以下の死亡はない。
 インフルでもコロナでも死亡者は80代以上が圧倒的に多い。寝たきりや重度基礎疾患で体力、免疫力の弱い人が天に召されていることになる(人類の新陳代謝)。
 結論は
 新型コロナによる感染数と死亡数をインフルエンザと比較すれば、神奈川県の罹患数と死者数はインフルエンザより軽いと言うことになる(全国も同様傾向)。これは数字から見た動かぬ証拠ではないか。
脅されない騙されない
 第2波を迎えるあいだの中間総括としては、新型コロナの若年層死亡はインフルより低く、60才以下の罹患数、死亡数からすると、どうみてもコロナはインフル並み対応で十分と言えるでしょう。となると学校閉鎖は完全にやり過ぎ、少なくとも5月の7日の緊急事態宣言解除時に、政府と各知事は延長でなく「学校は再開」をすべきであった。
 就学年代に死者はいないのにコロナ禍を煽り、2ヵ月半も授業機会を失わせた。
 また50代以下の就労者の死亡率も極めて低いのに十派一絡げで、ステイホームと経営自粛の強要をして低所得層や零細業者の生活を破壊し、日本経済を破壊した。
 と言うことになりますが、安倍政権は何を目的にこの様なことをしているのでしょうか。また、やらされているとしたら、どの勢力の意向なのでしょうか?  

会員 古都弁蔵 投稿日:2020/06/18 17:46

【2199】[2585]米国も過去に海外における人権侵害はなかったか 

トランプ大統領が中国に貿易戦線をしかけて以降、じっとその動向をみている。勿論私は、この問題の専門家でもなく素人ではあります。

コロナの件を通じて、米中関係は残念ながら後戻りできないように見える。勿論次の大統領がトランプ氏になるかバイデン氏になるかによって少しかわってくる可能性はある。

しかし現状どう見ても後戻りが難しいと見える。

中国の天安門事件を今回も米国が当然問題視発言している。

チベットについても問題視している。有名な経営評論家の方の記事によると中国のチベットにおける人権問題は相当現在改善されているようだ。日本のマスコミはそのことを一切言わない。

天安門事件当日 職場のテレビで天安門の映像をみていたことを思い出す。
人権上大きな問題があったことは事実だ。

中国がこれは国内問題だとして防戦しても説得力が現在の世界情勢の中では弱くなっていると感じる。

では では アメリカは今までなにをしてきたかだ。
この際 はっきりさせた方がよいのではないか。

かつて他国に対する人権上の重大な問題がなかったのか。

古くは ベトナム戦争 確か1972年チリのアジェンデ政権の転覆 記憶に新しいところではアフガニスタン戦争しかりイラク戦争しかり
これは米国内ではなく他国に対する戦争であった。

これも大きな歴史の検証が必要である。

戦争の場合には、人権侵害だけではなく具体的に死者が多く出ている。
天安門事件も中国の国内の問題ではあるがこれも人権侵害があったと思う。
この際 アメリカの他国における上記などの戦争そして人権侵害も一緒に論議すべきである。

特に歴史に照らして両者の公正な論議を期待したい。
力関係と特定の偏見だけで事実を歪曲してはいけない。

副島隆彦 投稿日:2020/06/15 10:34

【2198】[2584]当時、最先端の知性で戦争に反対し続けた清沢洌(きよさわきよし)の「暗黒日記」について。

副島隆彦です。今日は、2020年6月15日(月)です。

 今日のぼやき に、遠藤誉(えんどうほまれ)女史の優れた中国分析の文を載せて、それに私が、大いに論評(ろんぴょう。コメント)を加筆で加えたものを載せたので、読んでください。

 さらに、これの末尾に、6月10日に、5月22日からの中国の全人代(ぜんじんだい)が、「習近平指導部は、コロナウイルス攻撃を見事に防御し撃退した。それで中国民衆は、習近平体制を、大いに支持している、という重要な記事を載せた。よく読んで、自分の頭で真実とは何かを、考えてください。

 私は、今も自分の狂人日記(きょうじんにっき)を書き続けている。
そのために、清沢洌(きよさわきよし)という、私が、心底、尊敬できる知識人が、戦争中に、憲兵や特高(とっこう)の捜索を警戒しながら、こつこつと書いた「暗黒日記(あんこくにっき)」を丁寧に、読み返している。


暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫)

 この本は、彼の死後、随分経(た)った1954年に、東洋経済から出版された。この本を、ずっと読み直しながら、私は、今の自分の歳(とし)で、初めて、清沢たち、日本の温厚な自由主義者(リベラリスト。これはドイツ語からの訳。英語にはリベラル liberals しかない。無いものは無い)が、開戦の前から、ずっと戦争に反対し続けて、どれぐらい苦労したかをずっと丹念に調べていた。

 清沢の同志で生涯の盟友は、東洋経済(とうようけいざい)の中興の祖の、石橋湛山(いしばしたんざん)である。石橋が、どれぐらい優れた人物で、本当の日本の愛国者で、温厚な自由主義者であり、汚れた政治家や軍部を嫌う、堅実な経営者(資本家)たちの厚い支持を受けて頑張り通したか、今の日本人には、ほとんど知られていない。

官僚たちが実質で支配した政治を、強く批判した。官僚主義というコトバは、石橋湛山が使い始めたのだ。  石橋湛山が、書いた、すばらしい文章たち(政策提言)は、私が、そのうち紹介し説明する。

石橋湛山(1884~1973)
 石橋湛山は、1956年の12月初めに、自由党(もう自民党)の総裁選挙に勝って首相に就任した。ところが、翌年の1月末には、政治謀略で病床に倒れ、このあと大(おお)ワルの岸信介(きしのぶすけ)が、1957年の2月末から、首相になった。アメリカのきたない勢力が、岸を選んだ。周知のように、この岸信介の孫が、今の安倍晋三である。
日本は、すっかり政治がよごれた国になった。この時から日本人は、自分たちの運命を自分たちで決めることに出来ない国にされた。

 石橋湛山は、言論人であり、出版人であり、経済政策の専門家である。多くの優れた、そして高潔な日本の有識者たちが仲間、同志として彼を支えていた。それが、たったの3カ月弱で、首相の座を病床から、悪人たちに明け渡した。

 ここには、明らかに、日本人が、自分の足で立ち、自分たちの力で、自分たちの運命を決めてゆこうとする、日本の自主独立路線を葬り去り、「お前たちは、自立なんかしないで、アメリカ帝国の属国のままでいろ」と、押え付けた、アメリカの意志が働いている。

 石橋湛山の、前の首相であった鳩山一郎(はとやまいちろう)も、病気になって、たった2年で、首相を辞めた。鳩山一郎については、私は、自分の著作『日本の秘密』(PHP研究所刊、2010年)で、 鳩山一郎論を書いて、「鳩山は、全方位外交(ぜんほういがいこう)で、(ソ連、中国とも)すべての国と仲良くする外交方針をとった。鳩山は、ものすごく日本国民に支持され愛された」、「・・・・日本の自主独立を目指した、鳩山一郎の無念が、私に伝わってくる」と、最後の1行に書いた。副島隆彦の本の読者だったら、この日本政治論の本を、どうか読んでください。

 私たちが今も尊敬する、真の国民指導者であった田中角栄は、1972年7月に首相になったあと、すぐの9月には、中国に国交回復の話し合いをしに行った。大平正芳(おおひらまさよし)外務大臣と。そして、あの歴史的な日中共同声明(日中国交正常化合意。9月29日)を発表した。 

 田中角栄は、アメリカに虐(いじ)められ続けた。文藝春秋という、アメリカのCIAの手先に成り下がった、出版社の編集長(のち社長)の田中健吾(たなかけんご)と、あの性悪(しょうわる)編集者あがりの、立花隆(たちばなたかし)に、「金脈事件(きんみゃくじけん)」という、スキャンダル攻撃を受けて首相を辞任した。

 角栄は、その後も、ずっと執拗に狙われて、ロッキード事件という謀略で、角栄は、逮捕された(1976年7月27日)。そしてずっと裁判を闘った。田中軍団と呼ばれ、闇将軍と呼ばれながら、最大派閥の自民党政治家たちを率いた。

 この日本の真の愛国者、指導者は、ヒドい目に遭い続けて、脳梗塞を起こし(1985年2月)た。そして、生ける屍となって8年後に逝った(1993年12月16日死)。 田中角栄の日本愛国者としての戦いは、そのまま、私たち日本国民の人生と重なる同時代だ。みんな、自分の目先の生活と、自分の人生目標の実現のために忙しくて精一杯だから、政治のことなど、あまり構っていられない。それでも私たちの日本国の戦後の75年間は、このようにして続いて行ったのだ。

 田中角栄は、1972年9月25日に、首相として中国に行く、その前日に、石橋湛山を病床に見舞った。そして、「湛山先生。今から、私は中国に行って参ります」と、湛山の手を握りしめながら挨拶した。

 湛山は、もうほとんどボケて、痩せ衰えた病床から、うんうんと嬉しそうに頷(うなず)いた。このシーンは、ニューズ報道の記録フィルムに残っている。私、副島隆彦は、自分が自覚して生きたこの50年の日本の政治を振り返り、本当の愛国政治家たちのことを思うと、今も、涙が出る。

 この石橋湛山と盟友で同志だった、清沢洌(きよさわきよし)のことを、日本人はもうほとんど誰も知らない。清沢は、敗戦の直前の、1945年5月に、肺炎で死んだ(55歳)。その直前まで、ずっと暗黒日記(本当は、「戦争日記」)を書き続けている。流石に、知米派の一流ジャーナリストの、文章は、すばらしい。簡潔で要を得ている。

 日本国民は、どのように、あの苦難の戦争中を生き延びたか( 兵隊は、外国の前戦でたくさん死んだ)この本を読むと本当によく分かる。ヘンな偏(かたよ)った、くだらない学者たちの、見てきたようなウソの、歴史の本なんか、読まないで、この清沢の「暗黒日記」を読みなさい。そうしたら本当の日本の私たちの歴史が分かる。

 終戦(本当は、敗戦)間近の、1945年の3月9日と10日の東京大空襲で、焼けただれて、ぼろぼろになって、目を真っ赤に腫らしながら、浅草や領国の方から逃げてくる人々のことも、ずっと、書いている。この一晩だけで8万人が死んだ。暗黒日記を、今から日本人は、読んで再評価しなければいけない。その先頭に副島隆彦が立つ。

全巻3巻の評論社版があるが、一冊にまとまった岩波文庫版(1990年刊)がある。

 清沢洌の、もうひとりの盟友は、中央公論社の2代目社長(社主)の、嶋中雄作(しまなかゆうさく)である。嶋中も偉い人だった。出版人として、格調高く、吉野作造(よしのさくぞう)を表に出して“大正デモクラシー”を闘った「中央公論」の編集長として、ずっと出版業界で重きをなした。 

嶋中雄作(1887~1949)
 東洋経済新社も、中央公論も、今では、すっかり、アメリカのグローバリスト(ディープ・ステイト)の子分に成り下がっている。それでもまだ、温厚な保守で、経済重視の、世の中の堅実な経営者や小金持ち層の支持に支えられている。

 清沢洌は日記に、1943年に入ってからの、日本の苦しい戦局を、ずっと、書き留めている。その主なものを列挙すると。

1. 前年(1942年)の6月5日に、ミッドウエー海戦で、日本海軍は、主力の空母4隻を失っていた。このことは国民には正確には知らせず、誤魔化していた。それでもまだ、1942年中は、戦争の帰趨が見えなかった。そして、ガダルカナル島へ米軍が上陸(1942年8月7日)した。そして、ここで、8カ月が過ぎている。

 1943年の2月1日から7日に、日本軍は、撤退を完了した。これが大きな敗北であることを、日本の指導者たちも、清沢たちも、考え込んでいるが、よく分析できていない。大本営が、ウソの発表をするからだ。

 日記では、この箇所は、2月11日。 「石橋湛山が、吉田茂ら外交官に、すきやきを振る舞う。僕も旧知なり」と書いている。ここで、三土忠造(みつつちちゅうぞう)という外務省の幹部が、「今朝(10日)の「ガダル・カナルよりの転進(てんしん)」の、大本営発表を、三回読みかえしたが・・・何を意味するからよく分からぬ」と言った」 と書いている。

2.4月18日に、ソロモン島上空で、戦線視察に行った、山本五十六・連合艦隊司令長官が、撃墜されて死んだ。 清沢は、5月23日に、「山本神社が長岡に建つ由(よし)。・・・・
情勢の正しい見通しは出来ない。その選択が大東亜戦争最大に弱点だ」

3.アッツ島の守備隊の全滅。1943年5月29日、アリューシャン列島のひとつ。「今朝の新聞でみると、最後には百数十人しか残らず、負傷者は自決し、健康者は突撃して死んだという。これが軍関係でなければ、・・・社会の問題となったろう。・・・・」

4.7月15日、米軍、シシリー上陸。7月25日「ムッソリーニついに辞す。イタリー脱落。・・・皆遠慮して時局の談話には触れず。ただ困ったというようなことを繰り返すのみなり」・・・・9月8日、イタリア(パドリオ政権が)、無条件降伏した。

5.10月19日。 「毎日新聞」に、徳富蘇峰と本多熊太郎(元、中国、ドイツ大使)の対談会載る。開戦の責任は、何人よりもこの二人である。文筆界に徳富、外交界に本多、軍界に末次信正(すえつぶのぶまさ)、政界に中野正剛(なかのせいごう)――これが四天王だ。徳富も本多も客観性皆無。」

6.10月27日。午后の夕刊にて中野正剛(なかのせいごう)の自殺を知る。僕は、・・ショックを受けた。彼に、ローマにてご馳走になれるからかもしれず。・・・僕は、かれのを憎んだ。かれの思想が戦争を起したのである。・・・彼は生一本(きいっぽん)であった。かれは開戦すれば、米国は直ちに屈服すると公言していた。これは謬りであった。・・・」

 副島隆彦注記。中野正剛は、東条内閣の 倒閣の クーデターのようなことを計画していて、東条派から先制攻撃で、中野の東方会、百数十名が、検挙、梗塞されていた。中野は、追い詰められて、自宅での自殺だが、「死ね、死ね」と 強制されて割腹自殺した。 殺されたも同然だ。

7.1944年2月1日。マーシャル群島に米軍、上陸。6日、日本軍6800人、全員玉砕。2月17日、トラック島に、米軍の大空襲。暗黒日記では、「2月5日。マーシャル島に、敵上陸したの旨発表。これは既に3日に外務省畠の人から聞いたところ。石橋和彦君がクエゼリンにいるはずで、果たして無事であるかどうか。」

ずっとこういう感じで、淡々と日記は書かれている。

 石橋湛山の東洋経済新報社は、日本銀行の真向かいに、今もビルがある(日本橋本石町。もといしちょう)。そこで、いくつか研究会を主催して、清沢の友人、同志たちが、戦争中も、ずっと集まって、毎週のように、順番に研究発表をし合っている。

 主な人名を列挙する。
 馬場恒吾(ばばつねご。ジャパンダイムズ編集長。戦後、読売社長も)、嶋中雄作(前述した。中央公論社長 )、谷川徹三、長谷川如是閑(はせがわにょぜかん)、芦田均(あしだひとし。戦後すぐ、吉田茂への評判が悪いとき7カ月だけ、首相をした)、小林一三(こばやしいちぞう。東宝、阪急鉄道、それから東京電灯のちの東電などの電力会社の創業者。清沢は、小林から、東電の社史を書くことを頼まれていた)。

 片岡鉄兵(かたおかてっぺい。横光利一たちと新感覚派の作家。左翼になる。そして転向)、三木清(みききよし。京大の哲学者。私の先生の久野収=くのおさむ=の先輩。敗戦間近に、策略で捕まり、獄死した。)、田中耕太郎(戦後、最高裁長官になった)高橋亀吉(かめきち。経済ジャーナリストの優れた政策家)、正宗白鳥(まさむねはくちょう。小説家)、

 徳田秋声(とくだしゅうせい。彼も自然主義の文学者)、蝋山政道(ろうやままさみち。東大の行政学の権威)、柳田国男(やなぎたくにお)、正木ひろし(弁護士)・・・・

 彼らが、戦争になる前から、戦争に反対して、戦争中も、しぶとく細々と粘り強く、論陣を張った。多くの企業経営者(資本家)たちが応援した。
 
 優れた経営者(資本家)たちの応援で、東条英機の軍事政権(東条は参謀総長を兼ねた)に反対する言論を、締め付けに遭いながら続けた。しかし、この自由主義者たちは、英米や外国の動きをよく知っている優れた見識を持っていたから、外務省も、内務省警保局(けいほきょく)の特高警察も、必要としていた。 今の、私、副島隆彦からの世界情報を、ペロペロ盗み読みに来ている各省の国家情報官どもと同じだ。

 戦後の日本の官僚政治の支配者であった吉田茂でさえ、清沢の友人だ。1930年のロンドン海軍軍縮(ぐんしゅく。ディスアーマメント)会議のとき、吉田は外務省の交渉官として、清原の博学な知識に頼った。1945年の敗戦の間近には、大磯の吉田の屋敷の床下に、憲兵が潜り込んで、吉田たちの会話を盗聴した。この吉田茂でさえ、「外国と、和平の工作をしているのではいか」と疑われて、捕まり拘留されている。

 石橋湛山や、嶋中雄作から、「清沢さん。あんたは、特高や憲兵隊に狙われているよ。日記を書くのはやめた方が良い」と、再三、この暗黒日記の中に出てくる。

 清沢洌の、最大の敵は、 徳富蘇峰(とくとみそほう)で、彼が、明治、大正、昭和の、3代を生きた、生き方上手の ワルの権化の、言論人の親分で、伊藤博文(いとうひろぶみ)をハルピン駅頭で自分の銃殺隊に射殺させたあと、日本の最高検権力者になった、山縣有朋(やまがたありとも)や、その子分の 桂太郎(かつらたろう)に、べったりとくっついて、御用(ごよう)言論人の筆頭になった、大ワルの男だ。 

 この徳富蘇峰が、戦争突入後は、大政翼賛会の大幹部で、「文学報国会(ほうこくかい)」、言論報国会」の両方の会長だ。徳富蘇峰は、戦後は、戦犯容疑で自宅拘禁(81歳)になった。が、その後も厚かましく、皇国史観(こうこくしかん。天皇中心の国家思想)で生きながらえた。

 徳富蘇峰も、それより27歳下の 清沢も、上記の反戦(はんせん)思想の自由主義者たちも、15歳ぐらいから、当時のハイカラさんである、キリスト教に近寄り、同志社か、内村鑑三の無教会派の聖書購読運動に、強く憧れて、それから、渡米して、苦労して、苦学しなから英語を身に付け、国際的な教養人として、日本で一流の言論人になった人たちだ。

 私、副島隆彦が、彼ら真実の戦争反対の勢力(左翼では無い。温厚な保守だ )の系譜を、今に蘇らせなければ、誰も、もう今の日本の知識人は、彼らのことを知らない。 

 私たちは、コトバだけ激しい、奇妙に歪(ゆが)んだ、ネトウヨ(反共右翼)のコトバにも、その反対で、左翼思想の亡霊を引き摺(ず)った、過去からの怨念をもつ、急進リベラル派(人権絶対主義。無条件での、弱者の味方)の言論にも騙されないようにしないと、いけない。

今、大事なのは、反共バカ右翼では無い、穏健で温厚な、本当に穏(おだ)やかな保守の思想というものから、私たちは、多くを学ばなければいけない、ということだ。だが、私たちは、自分の言論においては、徹底的に反(はん)権力、反(はん)体制でなければいけない。
 私たちは、慎重に、注意深く考えて、目先の軽薄な正義判断(放射能や、コロナウイスルは、ほんの僅(わず)かでも、コワイ、コワイ、キャーキャー ではなく )に、一気に自分の脳を、絡(から)め取られないようにしないといけない。

 私は、このあと、今、アメリカで起きている、黒人暴動の、人種差別反対の、破壊活動を、強く疑い、それを批判し、その背後を探(さぐ)る文を書こうと思った。だが、もう長すぎるので、一旦、ここまでにして載せる。  副島隆彦拝