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Loginはこちら【2247】[2640]10月18日に金融セミナーがあります。来てください。
副島隆彦です。今日は、2020年9月30日です。
恒例の私が5時間しゃべる「副島隆彦(そえじまたかひこ)の“予言者”金融セミナー第20回」があります。
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副島隆彦(そえじまたかひこ)の“予言者”金融セミナー 第20回
*会場:イイノホール&カンファレンスセンター 東京都千代田区内幸町2-1-1
*日時:2020年10月18日(日)
*開場・受付11:00~ 開演12:00~ 終了17:30(予定)
*受講料:15,000円(税込)/指定席
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申し込み方法は、後ろの方に載せてありますから、そのサイトから申し込んでください。
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追記:10月1日
ホールでの受講は、満席となりました。
「オンライン受講」動画配信(10月19日~)+DVD(後日、発送)の、受付になります。
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前回の金融セミナーは、コロナ大騒動が起きた直後の3月15日にありました。このときは、ギリギリセーフで500人の会場(ホール)に全員、入場できました。もし1週間でも遅れていたら、「自粛、自粛」で東京都知事のあの女性の「強い要請」で開催できなかったでしょう。
ところが今回も、まだコロナ騒ぎの余波と残滓(ざんし)で会場には定員の半分しか入れません。日本政府は「全員入れていい」と、言っているのに・・・。だから、このことへの切実な対策として、私の講演内容を翌日にはすぐに、YouTubeの動画配信で見ることができる選択肢も作りました。それでも、実際、生(なま)で直(じか)に、私の話を聞きたい人は、あと少しだけ席があるそうですから(注記:ホールでの受講は満席になりました)、急いで申し込んでください。コロナがコワイ人は前述した動画配信と、必ず後で送ってくるDVDで見てください。
この金融セミナーは、あくまで、小金持ち層や、経営者、投資家たち向けのものです。私の本を読んで、金(きん)を買って儲(もう)かっている人たちが中心です。このあと、「さあ、どうしたらいいか」を話します。それと、ついに菅政権が、預金封鎖、金融資産(預・貯金、株)への財産税を言い出した。一刻の猶予も無くなってきた。そしてハイパーインフレの予兆と、リデノミ(通貨単位の変更)が一斉に起きる時代が、私たちの目の前に迫ってきた。このことを、私が本気で喚(わめ)き立てます。
私の本の中の難しい知識や思想を理解する、頭のいいインテリ読者と、学問道場の会員たち向けに、別個に、学問道場の定例会(自力での講演会)を、来年(2021年)1月17日(日)に、東京で開きます。こっちは、会場に全員入れます。その詳細は、追ってお知らせします。
私は、自分の読者を今や、明確に2種類に分けています。前者が金融セミナーに来る人で、後者は定例会に来てください。両方が混ざっている人もいるでしょうから、ご自身で判断してください。
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追記:10月1日
ホールでの受講は、満席となりました。
「オンライン受講」動画配信(10月19日~)+DVD(後日、発送)の、受付になります。
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以下が、再(さ)来週の10月18日(日)の金融セミナーの申し込み事項です。
申し込みはコチラ → https://kokucheese.com/event/index/602548/
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副島隆彦(そえじまたかひこ)の“予言者”金融セミナー 第20回
*会場:イイノホール&カンファレンスセンター 東京都千代田区内幸町2-1-1
*日時:2020年10月18日(日)
*開場・受付11:00~ 開演12:00~ 終了17:30(予定)
*受講料:15,000円(税込)/指定席
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申し込みはコチラ → https://kokucheese.com/event/index/602548/
副島隆彦 拝
【2246】[2639]戦国大名はほとんどがキリシタンであった。この事実の重さを改めて知ることになる
9月26日に発売された田中進二郎著「秀吉はキリシタン大名に毒殺された」(電波社)を読了した。
本書は田中進二郎氏がずっと追いかけていたキリシタン大名の系統の集大成である。
同盟と裏切りが横行した戦国史の謎が、田中進二郎氏が示すように高山右近、蒲生氏郷という二人のキーマン、そして千利休を中心とする「日本十字軍」の暗闘という視点を加えると、カチッカチとパズルのピースがはまってゆく快感を覚えるだろう。
茶の湯が戦国武将に愛されたのは、茶の湯=イエズス会のミサという面があったからだ。
すなわち利休を日本での司祭(bishop)代理に見立てて、イエズス会の背後に控える覇権国スペインの恩寵を我先にと少しでも得たいからだ。
千利休が扱う茶器は、そのままスペイン国公認の神器であったのだろう。
剣、勾玉、鏡が天皇即位に必要なように、利休が認めた茶入れこそがキリシタン大名の誉れであり、イエズス会を通してスペインと結びつく証明のようなものだったのだ。キリシタン大名のこの弱みをうまく利用したのが信長であり、秀吉の茶の湯御政道の本質だ。
加賀前田家は現在、古九谷焼とよばれる磁器を製作していたが、これはもともと三代藩主・前田利常(利家の息子)がキリシタンのミサ(礼拝)での必要にかられて城下で作らせたそうだ。
たしかに、そう考えれば古九谷を焼いたとする窯(かま)は徹底して破壊されて現存しない理由に合点する。
本書で暴露されているが、秀吉が伴天連追放令(1587)の3ヶ月後に北野天満宮で「北野大茶会」を開催した。
千利休・今井宗久(そうきゅう)・津田宗汲(そうぎゅう)の三大茶人が目の前で茶を点てて振る舞う一大イベントを、秀吉は城下庶民にまで開放した。
10日にもわたる大茶会とうたった割には、参加は1000人程度で閑散とし、たった一日で終わってしまった。
武将たちの”宗教ごっこ”に脳天気にノコノコ出ていって、キリシタンの嫌疑を掛けられるのなんかまっぴら御免と誰もが思ったのだろう。
利休を通して暗にイエズス会の権威を利用した秀吉も最後には斬り捨てられ、豊臣家の命運は潰(つい)えた。
■つぎつぎと氷解する戦国武将たちの疑問
まず、冒頭に多くの方はあの島津家の家紋(丸に十字)は、本来は縦棒が長い十字架であったという副島隆彦先生の指摘に、まさかそんなことがと驚くのではないだろうか。
しかし幕末の偉人西郷隆盛がよく揮毫したという『敬天愛人』はキリスト教の教義であるという指摘がある。隆盛も島津藩においてキリスト教の影響を強く深く多く受けた人物なのだ。
また日本一美しい城郭といわれる姫路城(白鷺城)にも、譜代藩であるに関わらず実は十字架が掲げられている。
パンフレットにもしっかりと明記されているが、理由は謎とされている。
写真 二の門に掲げられる丸に十字
キリスト勢力は権力者から弾圧された側という解釈ばかりが歴史教科書には示されているが、それでは、なぜ徳川の血統である結城氏と松平氏が交互に藩主を務めた姫路城に十字架が掲げられて現存しているのかがわかるはずがない。
わたし(六城)の出身地でもある堺は南蛮貿易の拠点として繁栄し、千利休を生み出したところであるにも関わらず、いまでは大阪湾に面した工場と密集した住宅が混在するだけの地域にすぎない。歴史を感じさせるような街並はほとんど消えている。
日本のベニスとまでポルトガル商人に讃えられた面影などどこにもない。日本で最初に鉄砲までも造った打刃物産業が伝統工芸として残っているだけだ。
せいぜい百舌鳥古市古墳群(仁徳天皇陵や応仁天皇陵)が世界遺産登録されたことが最近の唯一明るいニュースではある。
このような個人的な疑問にも本書を読めば氷解する。
江戸時代に幕府直轄領となってからは、堺は外国と直接通じる貿易港の役目を剥奪され、イエズス会(耶蘇教)の要注意監視区域だったのだろう。
だからイエズス会や布教の面影を残すものは全部破却されたのだろう。千利休を始めとする堺の豪商(会合衆:豪商の連合)の史蹟もない。
日比谷了慶の屋敷跡は公園となり、寄付で石碑が建てられているだけだ。
(写真:堺市戎公園 通称ザビエル公園)
本書で南蛮貿易の貿易事務所として登場する南宗寺は千利休(1522-1591)と三好長慶(1522-1564)の墓がある。
現在放映されているNHK大河ドラマ「麒麟が来る」で三好長慶も登場している。
畿内の支配者の三好長慶は細川晴元ともに京に攻め入り国内で初めて火縄銃を使ったとされる。(1550)
信長よりも先に火力兵器を手中にしたことで、現在の大阪地域で勢力を固めたのが三好長慶だ。
だが、南蛮貿易で火薬原料と鉛を独占していた三好長慶は家宰の松永久秀によって毒殺されたのが、長慶の死の真相なのだ。
松永久秀は、三好長慶を殺したあと、三好三人衆を動かして、畿内をしばらく牛耳っていた。その間、畿内のキリシタン大名たちは、戦々恐々としており、彼らに代わる新しい庇護者を必要としていた。だから、信長の台頭を歓迎したのだとわかる。
イエズス会の強力な庇護者であった三好長慶は、イエズス会が禅宗に擬装した南宗寺で長慶を弔らわれたのだろう。
(写真:南宗寺の利休由来の茶室とキリシタン灯籠(織部灯籠)。灯籠の竿(足の部分)は作り直されている。一旦壊されたのかもしれない)
そしてこの南宗寺は大阪夏の陣で死んだとされる徳川家康の墓があることで有名だ。
ただしこれは松下幸之助が再建したもので、当時のものではないが戦災で焼ける前は東照宮の廟があったそうだ。
いままでは訪れても「家康の墓?馬鹿らしい」と一笑一蹴していたが、この南宗寺は水戸徳川家の庇護下の由緒ある古刹である。(だから瓦は三ッ葵の紋だ)
南宗寺には、三代将軍家光も参拝したという言い伝えも残っているらしい。
本書で水戸徳川家もキリシタン大名の有力な一派であることを知ると、俄然イエズス会の勢力は徳川幕府下においても温存されていたことがわかる。
もしも徳川幕府がイエズス会勢力(スペイン勢)により倒幕された際には、家康はすでに大阪で死んでいることを水戸徳川が発表して、水戸藩主こそ真の大権現様であるぞとキリシタン大名と共に公布しようとしたのではないだろうか。
そうすると、イエズス会の寺に家康の墓があるのかということの説明がつく。
■キリシタン大名の中心であった蒲生氏郷
自著「かくされた十字架 江戸の数学者たち」(2019 秀和システム)において江戸時代初期にキリシタン弾圧を指揮した張本人の井上政重(1585-1661)の出自におおいて、駿河で生まれ、徳川家臣の大須賀家(キリシタン)に使えていた。その後二代将軍秀忠に仕える前は、福島二本松の蒲生(がもう)家に出向していることが判明していることを記した。井上政重は徳川の伊賀忍者系の出身だ。
徳川家のお膝元である駿河(遠州)から遠く離れた蒲生家になぜ出向いたのか。
田中進二郎氏によると、蒲生家とは信長政権からずっと一貫してキリシタン大名であり、反信長、反秀吉の中心大名であるのだ。
秀吉によって高山右近が国外追放された後も、蒲生氏郷の家系はイエズス会のエージェント(agent)として暗躍していたのだ。
だからこそ徳川家もキリシタン大名ネットワークの連絡係としても井上政重をキリシタン大名の統制を担う蒲生家に公儀隠密(スパイ)として派遣したということ。
やがて井上政重はキリシタン弾圧とは真逆に密入国したイタリア人宣教師ジョセッペ・キアラを江戸の小石川に匿った。そこで西洋数学(天文学)を同じ駿河出身の関孝和に学ばせた。
本書とはちょっとずれるが、井上政重の系統に江戸後期の数学者で高橋至時(たかはしよしとき 1764-1804)という人物がいる。
弟子が日本地図を作り上げた伊能忠敬(1745-1818)である。
高橋至時は見廻り組の小役人が表向きの身分で、井上家に所属している。忍者の家系は江戸城の警備を担当だ。
この人物が江戸幕府の頭脳集団となり、浅草天文台(幕府の数学研究所1782年)を設立した。やがて蕃書調所(ばんしょしらべしょ:幕府の海外研究機関)となった。
世界に対峙できる頭脳がなぜ禁教下の江戸時代に集められたのか不思議に思わないだろうか。
黒船来航(1853)の百年前にはすでに海外情勢と西洋科学(Science)をキリシタン大名が密かに研究していたのだ。
代表例として挙げると岡山の津山藩だ。天才・秀才の家系として知られる箕作(みつくり)家だろう。(維新後は華族となった)
だからこそキリシタン大名ネットワークで速やかに人材を一箇所に集めることが可能だった。
■海外情勢はそのまま国内勢力に大きく影響した
日本の戦国時代と同時期のヨーロッパでは凄惨なカトリックと新興のプロテスタントの勢力抗争が行われていた。
イギリスにおけるスペイン勢力(カトリック)とオランダ勢力(プロテスタント)イギリスを経てアメリカ建国(独立)へとつながっていく過程は、副島隆彦先生の「本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史」(2020 秀和システム)に詳しくわかりやすく書かれている。
本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史
さて、その影響(イエズス会の勢力低下)は日本にもどのように影響したのか、が本書の後半の主題である。
イエズス会配下の大名たちをアメとムチでなんとか懐柔してきた秀吉政権も、身内までもがキリシタンに侵蝕されて瓦解していったことがつぶさにわかるだろう。
秀吉恩顧のキリシタン大名たちを関ヶ原で家康側に寝返らせたのは、反イエズスであった権力者石田三成への憎悪である。
本能寺の変から続く反勢力・イエズス会ネットワークは関ヶ原の戦いで決定的に豊臣家を孤立させ家康有利に働いた。
大阪夏の陣(1614)、大阪冬の陣(1614~15)で豊臣家滅亡させた家康の原動力は、プロテスタント国家のオランダとイギリスの支援によるものだった。
家康がイエズス会からプロテスタント勢力に鞍替えした理由、それはヨーロッパでも明白な差となっていたプロテスタント側の科学であり、兵器や築城や治水(開拓)といった先進の工学であった。
覇権国がスペインからイギリスへ動くという海外情勢の大きな変動がそのまますぐに日本にも波及していた。
キリシタン大名たちを操ったイエズス会(=スペイン)とオランダのプロテスタント(=ユダヤ人勢力)の暗闘が日本中世史の真の姿であったことが、本書によってはっきりと解るのである。
【2245】[2638]年会費のお振込みなどに関しての学問道場からのお知らせ(学問道場・古村)
SNSI・副島隆彦の学問道場研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)です。
今日は2020年9月25日です。
本日はいくつかお知らせをいたします。
(1)会員の方には2021年度会員継続のお願いのお手紙をお送りいたしました。受け取っていない、届いていないという方は下記連絡先までお問い合わせください。
(2)2021年度の会員有効期間は、「2021年2月1日から2022年1月31日」までとなります。2020年度の会員期限は2021年1月31日までとなります。
(3)領収証をご希望の方は下記連絡先までお知らせください。
(4)代表交代に伴う、振込先口座番号変更に関するお問い合わせも下記連絡先までお願いいたします。
(5)田中進二郎(たなかしんじろう)研究員の単著デビュー作『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』(電波社)が2020年9月28日に発売となります。田中研究員の本掲示板への投稿[2635]加賀前田藩は隠れキリシタン王国だった①」(少し下にあります)を是非お読みください。
【連絡先】
副島隆彦の学問道場
Eメールアドレス:snsi@mwb.biglobe.ne.jp
330-0855 埼玉県さいたま市大宮区上小町591-5
シウコウビル3A
電話:048-788-1837
ファックス:048-788-1854
以上、よろしくお願いいたします。
副島隆彦の学問道場
古村治彦拝
【2244】[2637]『マリス博士の奇想天外な人生』とコロナ騒動
『マリス博士の奇想天外な人生』(早川書房)という興味深い本を読み次々と想像(妄想)を膨らませてみました。
マリス博士はPCR検査(Polymerase Chain Reaction)の発明者でその功績により1993年のノーベル化学賞を獲得した人です。
恐らく多くの人にとっては「PCR検査」という言葉は今年の2月に横浜港に戻ってきたクルーズ船の乗客がコロナウイルスによって感染し発病したというニュースがテレビで報道されるようになったころ初めて聞いた言葉ではないかと思います。
今では毎日のように耳にし、小学生でも知っている「PCR検査」、どのような検査なのか具体的には、つい最近まで私は全く知りませんでした。(その後、以下に紹介する大橋眞先生のYouTube動画を何十本も観ることによって、おぼろげながらではありますがイメージを掴むことが出来ました)
この『マリス博士の奇想天外な人生』はマリス博士の自著で1998年に出版されました。日本語訳は2000年に単行本として早川書房から出版されました。
そして現在、この本の題名にあるごとく「奇想天外」な展開が世界中で繰り広げられていると私は思っています。
昨年(2019年)8月マリス博士は突然亡くなりました。(殺害されたともいわれています)
生前、博士はPCR検査を感染症の診断に使ってはならないと警告していました。
そして2019年の秋から冬にかけて、中国の武漢で謎の感染症が流行しました。その感染症の陽性判定にPCR検査が使われています。
この本の中に「エイズの真相」という一章があって、40年前突然流行したエイズと今回の新型コロナウイルス騒動の展開の構図が余りにも類似しているので私は驚いています。
博士の突然の死と感染症の流行、エイズとワクチンをめぐる疑惑・・・・・コロナウイルスとワクチンの開発競争。
まるで推理小説の謎を解くような奇想天外な結末が待っているような予感がします。 (笑)
意図的に編集されたテレビの映像によってパニックが引き起こされ、たった半年の間に人々の生活はすっかり変わってしまったことに、あらためて驚きを感じます。今では電車に乗るときも、スーパーマーケットに買い物をするときもマスクなしでは白い目で見られるようになりました。
先日、あるコンサートに行った人によると、スマホにCOCOA(新型コロナウイルス接触感染アプリ)が入っているかのチェックを受け、入っていない人はその場でインストールを要請(命令?)されたということです。(エッ!ということは、そもそもスマホを持っていないとコンサートホールに入れないの?)
このコロナ騒動がどのように落し前を付けて世界中が納得出来る状況を作れるのか、それとも描かれた(誰によって?)デザインの中に押し込められて納得させられてしまうのか、実に興味深い展開が今後も続いて行くのです。
次に紹介する講演会は「納得出来る状況を我々が作るのか、それとも納得させられてしまうのか」の瀬戸際で闘っている人々の数ある運動の一つであると私は思っています。
8月24日、永田町の参議院議員会館の小ホールで行われた大橋眞先生(おおはし まこと 徳島大学名誉教授)の講演会に参加しました。
免疫学者大橋教授は新型コロナウイルス(新コロ)の恐怖をあおるマスコミを批判し、PCR検査の問題点を指摘する立場から論陣を張っておられる方です。
この講演会では非常に驚いたことが、二つありました。
驚いたことの一つ目は、開演間際に私は会場に着きましたが、中に入って既に300人以上集まった聴衆を見るとマスクを着けている人が誰も居なかったのです。(後で目視で確認したところでは僅か3名がつけていました)
会場に来るまでの地下鉄でも暑い歩道を歩いて来る時も、ほぼ全ての人がマスク姿であったのに、この会場はまるで別世界と思うような光景でした。
しかし考えてみれば、これが当たり前のことで真夏にマスクなど着けている方が可笑しいのに、いつの間にか常識が逆転していたようです。
ところが、この会場に限って、マスクをつけることを拒否する人が300人もいたことに、私は何となくほっとし安心しました。
驚いたことの2つ目は、この講演会は3部で構成されていて、第3部は質問コーナとなっていましたが、司会者が質問者を指名しようとした途端、会場から勢いよく発声を伴い一斉に挙手する人々(中には立ち上がって指名を求める人も何人かいて)が30人以上いたのです。とても活発なそして熱気にあふれた会場であったということです。
それにしても、このように熱気あふれる集会は、いつか見たことがあるなぁー と思い巡らせていたら・・・思い出した!
それは50年も昔の大学闘争が始まったばかりのごく初期の学生集会。そこには学生自治会の議長がいて、一定の秩序があり、活発な意見交換がなされていた、非常に真面目な集会でした。(しかし、やがてはこれらの有意義な議論は暴力によってすべて消え去って行ったのですが・・・)
大橋先生の講演会「コロナウイルスの真相」の質問コーナーも非常に活発で熱心な質問が飛び交い、予定時間を一時間以上超過したように思いました。
質問者の意見は私の見たところ、①純粋にコロナウイルスやこの騒動について詳しく知りたいという人達(8割近く)、②行政が行うコロナ危機対策に不満がありそれに対抗する政治活動を目指している人達、③一般からはかなり浮いた極端で過激な陰謀論を展開し自説を述べ警告したい人達の3つのグループに分けることが出来ました。
しかし、どの人たちも大橋先生の静かに語る言葉に科学者らしい説得力を感じて、満足して聞いていたように思いました。
大橋眞先生のYouTube動画サイト「学びラウンジ」 (マリス博士の遺言について語った動画も数本あります)
↓ ↓ ↓
https://www.youtube.com/user/ias1ohashi/videos
現在(9月22日)120本以上の「新コロ」関係の動画がありますが、YouTube側の判断(どのような基準?)により既に何本かの動画が削除されています。
上にも書きましたが、コンサートホールに入るのにスマホに「新コロ」接触感染アプリが入っていないと入場できないという事態にまで状況が出来上がりつつあります。
この先「新コロ」ワクチンが完成すると、ワクチンの接種が薦められ、接種した人には「証明書」が発行され、「証明書」がないと買い物もできず、電車にも乗れないという様な状況が作られないとも限りません。
今後どのような状況が出現して行くのか、じっくりと観察したいと思います。
2020年9月22日投稿
【2243】[2636]日本でも、これをすぐにやらないとダメだ。何が、マスク着用にご協力を、だ。強制じゃないか!
「 マスク着用に抗議する人々 」 これが正しい。
副島隆彦です。 私は、これまでに、病院や、デパートの入り口で、マスクをしないで
突破しようとして、何度か羽交い締めにされた。不愉快だ。法律でも義務でもないのに。
どいつもこいつも、みんな、ヘラヘラとまわりの言うことを聞く、
根性無しの、奴隷人間 ばっかりじゃないか。馬鹿野郎ども。お前らなんか、
大嫌いだ。まわりを見て、物わかり がいいことが、そんなに大事なことか。
ちょっとは、今の事態は、おかしい、と思わないのか。脳タリンども。
あのピーチ航空内で、マスクを拒否して、北海道から乗って、途中の新潟空港に
緊急着陸させられて外に連れ出された人の、記事を載せてください。
(転載貼り付けはじめ)
●「ピーチ機で乗客がマスク拒否、騒いで飛行機降ろされる」
朝日新聞 川田惇史 2020年9月8日 20時50分
https://www.asahi.com/articles/ASN986THPN98PPTB00B.html
北海道の釧路空港発関西空港行きのピーチ・アビエーション機で7日、乗客の男性がマスクを拒否し、大声で騒ぐなどしたため、同機が新潟空港に臨時着陸した。8日、同社への取材で分かった。
同社によると、客室乗務員が離陸前からマスクの着用を求めていたが、男性が拒否を続けたという。そのため、男性周辺の席の乗客を移動させた上で、約45分遅れの午後1時15分に出発。その後も男性は機内で大声を出したり、他の乗客と言い争ったりして、客室乗務員の注意も聞かず威圧的な態度をとったという。
機長は航空法の安全阻害行為にあたると判断。新潟空港に臨時着陸し、男性を降ろした上で出発した。
関空には約2時間15分遅れで到着。同機には乗客約120人が乗っていた。
同社の広報担当者は「マスクの着用は義務ではなくお願いベースなので着用しないからといって搭乗拒否できない。今回は大声を出すなど、機内の秩序を乱す行為があったので男性に降りてもらった」と話した。(川田惇史)
(転載貼り付け終わり)
(転載貼り付け始め)
マスク着用に抗議する人々(Twitter/@Rexchapman)アメリカ合衆国
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f630445c5b618455866bef6?utm_hp_ref=yahoo
マスク反対派が小売店で抗議デモ。店内を練り歩き「マスクを外せ!」と叫ぶ
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦記
【2242】[2635]加賀前田藩は隠れキリシタン王国だった①
加賀前田藩は隠れキリシタン王国だった ① 田中進二郎
このたび、副島隆彦先生の監修と推薦文を頂き、電波社より『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』が出版されることになりました。↓著者の田中進二郎です。
1冊の本を書くというのが、とても大変であるということを、身をもって学ぶ貴重な経験になりました。9/28に発売開始予定、ということで、この場をお借りして、宣伝させて頂きます。(少し製本作業が遅れて、9/24の発売予定日に間に合わないのではないか、と思われます。)
『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』のタイトルは、副島先生の『信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた』(2016年 PHP刊)の間を埋める内容である、ということです。『信長はイエズス会に爆殺され、・・・』以外の副島先生の著作からも、理論や知識を借用させて頂きました。
大小含めて、全部で30箇所ぐらいあります。ですから、副島先生の本の読者にとっては、『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』は、馴染みやすいのではないか、と思います。ただ、全て著者の理解した範囲での、副島理論の引用、活用であることはお断りしておかなくてはなりません。
副島先生から頂いた推薦文の冒頭で、「本書ー『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』ーの圧巻は、加賀(石川県)金沢の大名、前田利家のもとに落ち延びた、キリシタン大名の筆頭、高山右近が、そのあと25年にもわたり、加賀でイエズス会宣教師たちとともに密かに布教活動を続けていた事実を明らかにしたことである。秀吉のキリシタン禁教令(バテレン追放令)天正15(1587)年6月のすぐあとからだ。金沢は今やキリシタン文化都市として知られる。」
と紹介して頂いています。
本書の後半の主人公は、秀吉、家康ら天下人と、キリシタン大名・高山右近、前田利家、蒲生氏郷、宣教師ヴァリリャーニです。
利家の正室・まつや、利家の四女で宇喜多秀家の正室だった、豪姫も重要です。豪姫は、関ヶ原の戦いで西軍についた夫・宇喜多秀家が八丈島に流されたあと、1608年に備前岡山から生まれ故郷の金沢に帰還しました。この年に、高山右近は金沢教会(現在の金沢城と兼六園の入り口辺りに存在した)に、豪姫を招待して日本最初のクリスマス・パーティーを開いた、ということです。
右近の金沢での布教活動について、実際に現地調査を行ったところ、新たに興味深い事実が分かってきました。本書で書き切れなかった部分を中心に、以下補足として書きたいと思います。
(写真貼り付けに失敗しているだろうな、、、。空白は写真を入れてるつもりなんですが)
●キリシタン大名・高山右近が加賀に落ち延びるまで
高山右近(1552-1615)は1564年に、父・飛騨守(友照)とともに、イエズス会宣教師のガスパル・ヴィレラから洗礼を受けて、入信する。ヴィレラは、ザビエルの来日布教(1549年)後の、第2陣の宣教師である。
1568年高山父子は、足利義昭を擁立して、入京した織田信長に下り、武将・荒木村重の配下に入る。73年に家督を父・飛騨守から譲られ、高槻城主(大阪府)となっている。
1576年には、京都(四条蛸薬師通り)に南蛮寺を建立し、父子が揃(そろ)って、落成式に参加している。
京都・南蛮寺跡(三階建てで、本能寺から150mほど離れたところにあった)
高槻領内では、家臣や領民をキリスト教に改宗させている。強制的な改宗も行われ、高槻の仏教寺院は破壊された。イエズス会の『1579年日本年報』(ローマに送る年次報告書)には、高槻の領内に八千人のキリシタン信者がいた、と記されている。が、さらにその2年後の、81年には、高槻の二万五千人の人口のうち、一万八千人が信者だった、ともいわれている。
1579年の荒木村重の謀反では、荒木と連携して、信長に抗した。だが、信長が宣教師オルガンチーノを高槻城に送り、右近が恭順しなければ、京都の宣教師は皆殺しにされる、と説得させた。右近は、高槻城を開城し、信長に下った。その後、再び高槻領の城主になる。
一方、父・高山飛騨守は荒木の本城・伊丹城(摂津国 兵庫県)に逃げた。伊丹城が信長の大軍に攻め落とされた後、飛騨守は信長の重臣・柴田勝家を頼って、北の庄(越前国 福井市)に逃れている。そして、越前国で布教を続けた。一向宗の拠点でもある越前国に、キリスト教が入っている。柴田勝家と妻・お市の方(信長の妹)、それから、お市の方の前の夫・浅井長政の娘の三姉妹・茶々(のちの淀君)、お初、お江(のちの徳川秀忠の正室)の一家が、飛騨守の影響でキリシタンになっていた可能性もある。
1583年に、秀吉に北の庄城を攻められた、柴田勝家、お市の方は自害するが、そのあとも越前国にも、隠れキリシタンは少なからずいたようである。
金沢カトリック教会前に立つ高山右近像(1588年秋から、26年以上、能登と加賀で布教活動を行った)
高山右近は、1582(天正10)年6月2日の本能寺の変後の、山崎の戦い(京都府 6月13日)で、秀吉に味方して、決定的な役割を果たした。これは本書で詳しく論じましたが、ルイス・フロイスが、「右近はわずか一千の兵で、明智光秀の軍一万を破った」と記している。(1583年イエズス会総長宛書翰『信長の死について』より)
山崎の戦いで勝利を収めた秀吉が、柴田勝家ら信長の重臣たちを圧倒して、次の天下人になっていきますが、秀吉は右近を用いつつも、警戒するという姿勢でした。1614年に右近を国外追放した徳川家康は、右近を徹底的に嫌いました。
家康は常々、「右近麾下(きか)千人は他の何人(なんびと)の部下の一万人にも優る」と言っていた。これは、山崎の戦いでの右近の働きを指している、と考えれば納得がいく。
秀吉本隊が、「中国大返し」で20km余りを走ってきて、疲労困ぱいで戦場にたどり着いたときには、光秀軍は敗北寸前だった。先鋒隊の右近隊一千が、光秀本隊に勝利を収めつつあった。秀吉本隊は、総崩れとなり、逃げる光秀軍を追撃して、光秀軍の首を取るだけでよかっただろう。
山崎の北にある勝竜寺城を包囲すると、光秀はさらに逃げようとして、京都の小栗栖(おぐるす)で落ち武者狩りにあって死んだことになっている。が、本当は、光秀は家康の忍者部隊・水野忠重に保護された(副島先生の『信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた』)。
そして、天海となった光秀は、家康に、イエズス会が背後にいる高山右近の恐ろしさを教えたのだろう。
秀吉は、右近の山崎の戦いの功績に報いて、高槻領に隣接する能勢郡(大阪府北部)を与えた。ここは一帯が、多田銀山と総称される銀の産出地だった。大阪夏の陣のときに、豊臣方の真田幸村が、ここに大阪城の埋蔵金を隠した、という伝説がある。
ところがその三年後(1585年)には、明石に改易(国替え)になっている。秀吉は京都、大阪の真ん中にキリシタンがぞろぞろいることを望まなかった。領民と領主がキリスト教で一丸となることを、秀吉は恐れていた。また、この年、右近は、黒田官兵衛(如水、孝高)ら秀吉配下の武将に、洗礼を与えた。蒲生氏郷(がもう・うじさと)もこの時受洗した、とされている。
が、彼らはその前から、ずっとキリシタンだっただろう、というのが、筆者・田中の考えだ。この頃に秀吉の家来たちが、公然と、キリシタンとして動き出した、ということだろう。
20年後のことですが、右近は、京都の伏見屋敷でも布教している(1604-1614)。「右近の屋敷は、そのまま教会であった」、と伏見屋敷跡の説明に書かれている。伏見の町の中心部です。現在、酒造会社の「月桂冠」がこの跡地を整備しています。
(筆者撮影)
右近は、改易後、明石の城と港を整備して、ここにガスパル・コエリュ、ルイス・フロイスらが長崎から寄港すると、彼らと、総勢三十名で大阪城に向かい、秀吉と歴史的会見をする(1586年5月4日)。しかし、ここでのコエリュ(イエズス会日本準管区長)とフロイスの傲慢な発言が、秀吉に、イエズス会に対する警戒の念を抱かせることになった。加賀の前田利家も、この時秀吉と同席して、不快になった。右近もあわてて発言を制止しようとしたが、この時、イエズス会の日本侵略の謀略が、ばれてしまった。そして、翌年の87年(天正15)7月、青天の霹靂(へきれき)のように、バテレン追放令が出される。しかし、右近だけは、この日が来ることを予感していた、という(渡辺京二著『バテレンの世紀』より)。
小西行長や黒田官兵衛が表向きの棄教をして、秀吉の勘気を和らげたが、右近は棄教を拒み、秀吉の家臣を追放される。そのあと、小西行長の領地の、瀬戸内海の小豆島(香川県)に潜伏していたが、それが秀吉にばれて、そこを離れ、長崎でコエリュに会っている。そして、前田利家が、秀吉の怒りが和らいだ頃合いを見計らって、とりなした。右近は、秀吉の許しを得て、加賀の前田利家のもとへ頼っていった(1588年9月)。千利休が蒲生氏郷に、手紙でそのように伝えている。「利休十字軍」の情報網だ。右近は、以後1614年まで、26年間も、加賀で布教活動をした。
●『右近が建てた金沢教会は日本で最も繁栄した貴族集団である』
加賀の前田利家についてであるが、金沢を本拠地にするのは、賤ヶ岳の戦いの後である。それまでは、本能寺の変以後、利家は、能登国の七尾城に拠っていた。金沢は信長の家臣・佐久間盛政が入っていた。金沢の街割りも、佐久間盛政が最初に行っている。金沢城はもともと、浄土真宗の道場の金沢御坊があった。それが、叩き壊されて、城下町に変わった。大阪城が、石山本願寺の跡地に建てられたのと同じだ。佐久間時代の街割りを、ほぼ当時のまま残している、と言われるのが、金沢の香林坊(こうりんぼう)の近くの長町(ながまち)武家屋敷の辺りだ。佐久間盛政は賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで、柴田勝家側について奮戦するも、捕らえられて処刑される。「死んでも、秀吉の配下になりたくない。」という猛将だった。以後、利家が金沢を拠点として、佐々成政(さっさなりまさ)を末森城に破って、加賀国を支配することになった。
前田利家像
右近は、利家に匿われ、1万5千石の禄(ろく)をもらった。能登の七尾の本行寺にいて、ここで利家と正室・まつたちをキリシタンに変えていった。ここでイエズス会宣教師が、当時の西洋学問も教えた。ここで学んだ一人が辰巳用水を開いた、板屋兵四郎である。日蓮宗の本行寺の茶室で、ミサを行っていた。
右近は、金沢城天主閣の修築も、手掛けたと言われている。この時天主閣は、京都に建てた南蛮寺を模して作られた。
金沢城 菱櫓と京都南蛮寺が酷似していることについての記事↓
https://go-centraljapan.jp/route/samurai/spots/detail.html?id=140
金沢城 菱櫓の木組み 実物の10分の1の模型と菱櫓((菱櫓内にて筆者撮影)
金沢の年配の観光ボランティアから聞いた話であるけれども、京都の南蛮寺と、金沢城天主閣(1602年の火災で焼失)を再現したもの、といわれる菱櫓(ひしやぐら)には、大きな共通点がみられる。菱櫓の四隅が黒塗りだが、それは柱を入れた上から、黒漆塗りの鉄板で覆っている点である、とのことである。金沢城・天主閣で右近はミサなども行っていたはずだ。
どうも、高山右近が天才建築家であったことは疑い得ないようである。これは、イエズス会宣教師たちから、非常に高度な工学を教わっていたためであろう。
七尾だけでなく、金沢城下にも、高山右近は屋敷を構えた、とされている(1599年以降とされている)。兼六園の入口の紺屋坂下に、金沢教会(南蛮寺)があった。
右近の生存中に、加賀前田藩の有力藩士はみな、キリシタンになっていった。ミサを執り行うたびに百名の藩士たちを一晩で受洗させていた、という。しかし、領民たちはほとんど、右近のミサに参加しなかった。武士たちが密かにデウスを信仰した。
また加賀藩は、真宗王国の加賀・能登の一向宗徒を弾圧した。キリシタンと一向宗信徒が階級で真っ二つに分かれていた。
バテレン追放令を出した羽柴秀吉だが、「農民、町人など下々(しもじも)の者が、キリシタンを信じるのは、勝手にせよ。だが、大名、武士たちがキリシタンになることは、許さない。」と考えていた。しかし、徹底できなかった。秀吉の中途半端なキリスト教禁教政策の裏には、一向一揆に対する恐れがあった。それが仇となり、加賀前田藩は、秀吉が恐れていた通りの布教状況になっていった。
右近国外追放の翌年の、1615年のイエズス会年報には、「金沢教会は日本で最も繁栄した貴族集団である」と記されている。金沢は、1587年のバテレン追放令以後、キリスト教布教の中心であった。
イエズス会の指令を受けたキリシタン大名たちが、繰り返し秀吉暗殺計画を行っていたことは、本書『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』第二部で論じました。これまでの利家像は,秀吉政権を裏で支えるナンバー2、というのが、一般的でした。秀吉と利家の関係は、たとえるなら、中国共産党の毛沢東と彼に忠実な、周恩来の関係のように思われてきた。
しかし、それはキリシタン大名という存在を全く捨象して、築かれてきた戦国日本史の中の利家像である。秀吉の身内や側近たちはキリシタンだらけだった。
その中心人物が千利休、高山右近、小西行長、蒲生氏郷である。この4人はイエズス会から直接指令を受けていた。利家が右近を庇護したことにより、利家と秀吉は、「懐に刀を隠した友情」の関係になっていく。副島先生いわく、「秀吉が利家を殺そうとして、家康がかばったこともあった」そうである。
利休は何度も秀吉暗殺を企てているが、その度に失敗して、最後は処刑された(1591年3月17日)。右近は、直後、再来日した宣教師ヴァリリャーニに会うために大坂に出向いた。
イエズス会の方針は、「秀吉を謀殺せよ、そして小西行長を日本国王にする。」というものだった。この指令は右近を通じて、加賀の前田利家にも伝えられた。
その後は、骨肉相食む(こつにくあいはむ)の恐ろしい殺し合いでした。そして、秀吉はキリシタンの前に、敗北した、本書で筆者は結論づけました。
利家もまつも、秀吉の正室・北の政所も、側室の淀君もみんなキリシタンでは、秀吉もお手上げです。
秀吉の死(1598年9月18日)後、五大老・前田利家も、1599年4月27日に死ぬ。利家は、二代目藩主・利長に、右近の忠誠をたたえ、大事にするように、と遺訓を与えた。家臣の扱いについて、触れたくだりで、右近は二番目に名前が挙がっている。嫡子・利長は、利家に輪をかけて熱心な隠れキリシタン大名だった。だから、家康は利長を憎悪した。
藩主の名代(みょうだい)として、高山右近と横山長知(ながちか 加賀の有力藩士)が、大坂城の家康の元へ弁明に向かった。
だが、家康はふたりに面会もしなかった。キリシタンを極度に警戒していたためである。
家康はそれでも、キリシタンに寛容であるか、禁教の立場なのかあいまいにして、関ヶ原の戦いを迎える。前田家は徳川方につく。
右近は加賀へ戻ると、すぐに加賀藩の防衛強化を急いでいる。わずか27日間で、金沢城の城下に内惣構、(および外惣構)(うちそうがまえ)をつくり、城下一帯が攻撃に耐えられるように工事した。関ヶ原の戦いの後の徳川との戦に備え動いていたのである。右近の凄まじい工事のスピードに驚かなかった者は、一人もいなかった、という。
イエズス会の日本のエージェント高山右近と、三人目の天下人・徳川家康の暗闘が、関ヶ原の裏で、始まっていたのであった。
(参考:『ユスト高山右近 光は今も 』木佐 邦子
『福者ユスト高山右近ー金沢市内の足跡を訪ねて』 監修 木佐 邦子
カトリック金沢教会 発行より)
新刊 『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』のご支援をどうぞよろしく。
田中進二郎拝
【2241】[2634]コロナ騒動にひとこと
本投稿は2020年9月10日になされたものです。投稿を編集するために、
いったん削除し、再び投稿いたしました。
本投稿は2020年9月10時点でなされたものとご承知の上で、お読みください。
副島隆彦の学問道場
古村治彦拝
(以下本文)
投稿者:63歳主婦
副島先生
ご無沙汰しています。
●●です。
コロナ騒動にウンザリする中で、
学問道場の情報のお陰で、
元気にしております。
前回送った「抗体を確保しよう!」の意見の
間違いに気づきました。
訂正したいと思い、意見を送ります。
コロナウイルスを甘くみていました。
インフルエンザならば、抗体が出来るのに、
新型コロナウイルスでは、抗体が簡単に確保
できないぐらい弱毒だと。
今、8月発売された「日本は戦争に連れてゆ
かれる」を読んでいるところです。
ギックリ腰では不自由なことだろうと、心配
しています。
ご自愛下さい。
先生と学問道場の皆さんの活躍を応援してい
ます。
また、お会い出来る日を、
楽しみにしています。
・・コロナウイルス騒動にひとこと・・
永遠に63歳主婦
3月に重たい掲示板に意見を載せていただいた63歳主婦です。
5月に5人目の孫が生まれ、娘の処と往復する毎日が続いています。
2006年に副島先生の著書「預金封鎖」に出合ってから、先生のファンになりました。『副島隆彦の学問道場』の書き込みや小室直樹氏の著書、「田中宇の国際ニュース」をはじめ、様々な情報に出合うことが出来ました。藤森かよこ先生の著書「馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。」に刺激を受け、先生の愛を一杯いただきました。大好きです。
私は読書人ではありませんが、学問道場で紹介される著書のお陰で、様々な社会問題に気付くことが出来、視野が広がったと自負しています。
特に「ショック・ドクトリン」は3回も読み直し(呑み込みが悪くて)、東日本大震災時の原発事故時や今回のコロナ騒ぎでも、何に利用されるのかと考える指標となりました。
こちらの重たい掲示板に前回は「新型コロナウイルスの抗体を確保しよう」と提案していましたが、コロナウイルスの抗体は簡単に出来ないほど(重篤化して生還した人ぐらいでないと抗体は確保できなさそう)弱毒であることが分かってきました。
やはり「自分との闘い、免疫力を鍛えよう!」しかないと思っています。
コロナ騒動で世界経済や人々の暮らし方、心のあり様まで、変わってしまいました。
当初、中国やクルージング船の情報に不安を抱きつつ静観していましたが、半年近くが経過しても、「大変なことが起こる」と同じことを繰り返しています。
飽きてきました。
ウイルス学の基本を、私のような素人の主婦でも理解できる講座をYouTubeで見ることが出来ます。この“重たい掲示板”で紹介されていた徳島大学のウイルス学を専門とされる大橋眞名誉教授の「学びラウンジ」です。1回17分ほどの映像です。是非、皆さんもご覧ください。
PCRで何を検査しているのか?肺炎に繋がる病原体なのか?ウイルスの数は?肺炎を起こすウイルスという証拠は?無症状者から本当に感染するの?誰も科学的検証を行わない、不思議な状況だと指摘されています。
また、「我々と平和に共存してきたウイルスを敵視する考え方は、マスクやソーシャルディスタンス、三密回避、自粛生活を永遠に続けること。本当に恐ろしいのは、我々の心を狂うわせるプロパカンダです。」と、表明されています。
感度が良すぎるPCR検査は、数個のウイルス(表皮上に?)でも検出してしまうそうです。感染者というのは、ウイルスが細胞に入って増殖する状況の人のことを言うそうです。1000万個以上、億単位のウイルスが無ければ、症状も出ないし感染もさせない。「PCR検査でウイルスが発見されただけの陽性者を、感染者扱いにして発表している。」と問題提起されています。
私は科学的な専門性はありませんが、ウイルスが細胞に入って増殖すれば、人の体は免疫が働いて熱を出してウイルスを殺そうと頑張ってくれることは知っています。私の子育て中にも、子どもが麻疹やオタフクかぜ、インフルエンザで高熱を出すたびに不安に思いつつ、ウイルスと闘っているのだと見守ってきました。子育てママの常識です。
出産後、数時間ごとの授乳やオムツ替え、沐浴、汗やよだれ、着替え、洗たく、泣く赤ん坊に寝不足、子育ては苦しい毎日です。平常時でも、日々不安と寝不足を抱えながら頑張っている子育てママにとって、今回のコロナ騒動のストレスは想像以上です。お友達と遊べない子どもたち、夏のプールを中止した学校、遊具にロープを張られた公園、利用を中止した公共施設、巨額の税金で運営されている公共の場が遊んでいます。
失業でローンや家賃が払えない、貯金を取り崩しての不安な生活、家庭内DVと様々な形で息苦しさが蔓延しています。最近の(コロナを原因とする)自殺者や精神疾患による自殺予備軍の方が、新型コロナウイルスの死亡数(現在1000数十名)より、はるかに多いのでは。
3.11の原発事故同様に、「コロナウイルスをインフルエンザより弱い」と言おうものなら、説教されるので、学問道場で愚痴らせていただきました。会員の皆さんと情報交換が出来れば嬉しいです。
読んでいただき、ありがとうございました。
【2240】[2633]新型コロナワクチンに、ひとこと
新型コロナウイルスワクチンにひとこと
「健康管理に努力して、自己免疫力を鍛えるので、ワクチンいりません。」
「学びラウンジ」8月15日終戦記念日の講座と、学問道場「日本のタブー」の書籍から、医療の側面を垣間見ることが出来たので、ご紹介します。
大橋眞名誉教授のお話しから、
「戦前は、ドイツ医学が中心で、“コッホの4原則(140年前)”に即した病原体の確認が原則となっていた。」
「戦後は、ロックフェラー医学(お金の出どころという意味でしょう)のガン治療が主流で“早期診断、早期治療”を良しとして、予測、類推のやり方で早く治療することが最善と考えられてきた。」と話されています。
注)コッホの4原則:病気観察⇒仮説を立てて⇒実証実験(データ)⇒考察の手順で病気の本質を確認する
“早期診断、早期治療”の言葉で、親戚の叔母さんの乳がん手術を(1960年代ぐらい)思い出しました。乳がんは遺伝すると心配した娘が、母親と同じ年齢になった頃に病院に相談したところ、「戦後は、映像だけで乳がんと診断されて、切除する手術が行われていた」と聞いて、母親の苦しみを思い出し、ショックを受けていました。
これが、戦後初期のがん治療“早期診断、早期治療”の実態だったのでしょう。
大橋先生が、「ガン治療の“早期診断、早期治療”のやり方が、新型コロナウイルスの遺伝子の類似性だけを見て(PCR検査のこと:病原体を確認する検査ではない)、感染確認、隔離、自粛、マスク、ワクチン接種の状況に繋げているのは、同じ思考だ。」と指摘されています。
レントゲンを見てガンと診断する・・。
レントゲンを見て新型コロナウイルスの肺炎と診断する。
ガン細胞なのか病理診断しないで手術する・・。
病原体を確認しないでPCR検査だけで隔離、自粛する。
ガンにならないためにワクチン接種する(例:子宮頸がんワクチン)・・。
新型コロナウイルスにかからないために、遺伝子組み換えワクチン(DNA、ゲノム、 クローンと、色々な言い方があるようです)を全国民に接種する。
注)子宮頸がんワクチン(日本で2013年~2018年まで実施)
12歳~16歳対象338万人が接種、厚労省に3080件の副反応報告、内重篤者707件。「認知機能低下」「高次脳機能障害」など7割近くが大脳を中心とした中枢神経障害(後遺症は多発性硬化症)です。子宮頸がんワクチン薬害に、100名以上の女子高校生が裁判に訴えるため、車いすで出廷していました。
ワクチンを接種するまでは元気に暮らしていた10代の高校生の明るい未来が奪われています。
誰も責任を取りません。お金で解決できません。
接種直後ですら、この有様です。
コロナの遺伝子組み換えワクチンを接種した子どもたちの10年後20年後を、考えてくれるでしょうか。
私たちもお医者さんも、開発する製薬会社の安全検査を信じてワクチンを受けています。
が、一旦薬害が起きると、医者が訴えられ、因果関係が立証できない被害者は泣き寝入りです。
私の子育て時代にも、ワクチン接種事故は起きていました。今は「5種類のワクチンを1日で打っても大丈夫、とお医者さんが言っているから」と、生後3か月の孫は5種類のワクチンを受けてきました。
今の子育てママの常識だそうです。
大丈夫でしょうか?
これ以上、ワクチン漬けにしないで欲しいと思います。新型コロナウイルスの遺伝子組み換えワクチンは、私たちの元気な子どもや孫には必要ないワクチンです。
2010年に出版された、副島先生と16人のお弟子さんが書いた「日本のタブー」という書籍があります。その中で、お医者さんの崎谷博征氏が「優生思想 ユージェニックス」の中で、ワクチンやWHO、医療について指摘されているので、紹介します。
(「優生思想」から引用)
ワクチンを奨励する世界保健機構(WHO)をはじめとして国際機関のほとんどもユージェニックス(人口削減思想)の隠れ蓑である。
医療研究が停滞している本当の原因は、遺伝子研究という狭い範囲に集中してユージェニシストからの研究資金が提供されているからである。遺伝子をいくら研究しても病気の本態は見えてこない。
(引用おわり)
「WHOの実態」と、「遺伝子では病気の本態は見えてこない。」という一文に注目してみて下さい。
大橋先生は「WHOなど権威のある組織は、利用される」、「遺伝子の類異性を確認するPCR検査では、病原体は分からない」と何度も説明されています。
(「優生思想」から引用)
遺伝子組み換えワクチン(GMO)の人体実験
2009年~2010年の豚インフルエンザ・パンデミックの時に、WHOが中心になって、彼らの所有する製薬会社(グラクソ・スミスクライン・ノバルティス)がGMO(遺伝子組み換え)ワクチンを、緊急を要する事態という錦の御旗のもと、豚インフルエンザGMOワクチンの危険性はほとんど検証されないまま世界にばらまかれた。
・・・・・・・・・
わが国では推定1600万人に豚インフルエンザワクチンが接種され、ワクチン接種早期死亡が107人も出ている。これは同時期に行われた米国のワクチン接種早期死亡率の24倍にもなる。豚インフルエンザは従来の香港型インフルエンザと病原性はさほど変わらなかったことがすでに検証されている。しかもワクチンの効果も無かったことも判明している。あのパンデミック騒ぎは何だったのか?
・・・・・・・・・・・
(引用おわり)
9月9日に、英アストラゼネカのコロナワクチン最終段階の臨床試験で参加者の健康に問題が発生したため、試験を中止したというニュースが流れました。日本が1億2000万回分のワクチンを注文していたそうです。安全性も分からない段階から注文していたことに驚きました。
マスコミ報道でみんながワクチンに期待しています。過去のワクチン被害を知らない若いママたちも、元気な子どもにワクチンを打つことで、一生安全と思っています。
目に見えないウイルスやコロナに負けないために、美味しい物を食べて、運動や仕事に汗を流し、しっかりと睡眠をとる生活で免疫力を鍛える方が、薬害に巻き込まれなくて安全なのではないでしょうか。
以上、
コロナのお陰で、免疫学や遺伝子のことを学ぶことが出来ました。10年前の書籍が今でも新鮮に感じられます。学問道場の皆さん、ありがとうございました。
崎谷博征医師の文章の一部を抜き出しているので、誤解を招くかもしれません。疑問に思われる方は是非、「日本のタブー むき出しの真実ほど恐ろしいものはない」著者:副島隆彦(編著)+SNSI副島国家戦略研究所 を読んでみて下さい。
【2239】[2631]副島先生の代表作『覇権アメ』本 第4章を分かりやすく解読した動画があります
副島隆彦先生の代表作『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(講談社α文庫)を私は十数年前(2005年ごろ)に読みました。初版は1995年に筑摩書房より『現代アメリカ政治思想の大研究 世界覇権国を動かす政治家と知識人たち』というタイトルで単行本として刊行されてものです。現在でも大学でアメリカの政治思想を扱う授業でテキストとして使われているということを聞いています。
ところが、初めてこの本を読んでみた読後感は「ほとんど理解できなかった」というのが正直な感想です。その後、折に触れ何回か部分的に拾い読みするようなことをしています。しかし知らない人名や用語が沢山出てくる上に、アメリカの政治思想の基礎にある18世紀のヨーロッパの古典の知識がないので、なかなか難しい本でした。
話は横道にそれますが、バブル崩壊後の1990年代初め、私は(40歳代後半でしたが)あるきっかけで銀座で有名な天ぷら屋の創業者と二度ほどお話をする機会がありました。この方は美術品のコレクターでもあり、高麗・李朝の陶磁器や有名作家の絵画作品を集めていて、群馬県に美術館を持っているような人でした。当時80歳位だったと思いますが、大変元気で高貴な人という印象を持ちました。
この頃は、株価が大暴落して、繁華街にある大きなビルがロックアウトされ、新宿の西口の地下広場や都庁に通じる地下道にホームレスの段ボールハウスが沢山出来た頃です。確か「段ボール村」と呼んでいたと思います。
二度目にお会いした時、この創業者の高級自動車の後部座席に並んで座り、銀座辺りを移動していました。信号で車が止まった時、歩道を歩いているホームレスの姿が目に入りました。この方は「これは自然現象です」「仕方がない事です」といわれました。
私は多少異論があったのですが、余りにも堂々と自信をもって話されたので、自説を述べることなく、ただ頷(うなづ)きました。
それから十数年後、私は『覇権アメ』本を読みました。アメリカの政治思想は大きく分けると4つに分かれていて①②保守と③リベラル(人権派)そし④人定法派(反税金、反福祉のリバータリアン)に分かれる。
ところが保守の内部が思想的に大きく2つに分かれているが、このことを理解している日本人はいないということが最初に解説されています。
第四章 「法」をめぐる思想闘争と政治対立の構造 を読んでいて、「アメリカの法思想・法哲学界は、保守派内部が大きくは①ナチュラル・ローnatural law(自然法)派と、②ナチュラル・ライツnatural rights(自然権)派に分かれている」という下りで、ギリシア古典哲学の 人間社会には、それを成立させて、社会を社会、人間を人間たらしめている自然のきまり・おきてがある・・・・・①ナチュラル・ロー(永遠の保守の思想)派は「現在のわれわれに救えないものは救えないものとして放っておくしかない」「助ける余裕がない以上、助けられないのだ」・・・・・それがナチュラル・ロー=自然のおきてだ。
・・・・・②のナチュラル・ロー派は、「現実の汚い政治」をたいへん嫌って、それらに近づこうとしない。①派は出来る事なら山の中にこもって隠者となって生きたい人々なのである。
この辺りを読んでいる時、十年前に出会ったこの老紳士の言った「これは自然現象です」という言葉を思い出し、同時にこの老人が山の中に立派な美術館を建て、美術品を愛(め)でて暮らしていたのを納得したのです。
話を本題に戻します。YouTubeに『覇権アメ』本の第四章を尾崎全紀(おざき まさのり 49歳)という人が分かりやすく解説した動画があります。この動画(一時間ほど)を観て第四章を読んでみると、とてもよく理解できました。
尾崎全紀のyoutubeチャンネル
↓ ↓ ↓
https://www.youtube.com/watch?v=wdLl2LNSZAs
2020年9月13日投稿
【2238】[2630]急いで、私たちの定例会の準備をしなければ。
副島隆彦です。今日は、2020年9月12日(土)です。
私は、ずっと自分の仕事をしていた。 黙々と、コツコツと自分の仕事をしている人が、賢い人だ。男でも女でも、元気なのに、やるべき自分の仕事を持っていない人は、定年退職した人でも、賢くない人だ。年金だけで生きて行ける人は少ない。 みんな個人事業主となって、出来高払いの収入を持っていないとダメだ。
定年したあと、会社(法人)を作って、それで社長を気取るのは、間違った考えだ。いろんな種類の税金が掛かってくる。政府と銀行の策略に嵌(は)まって、残りの人生を騙されてヒドい目に遭う。売り上げも、能力も無いのに法人(会社、企業)なんか作っていはいけない。
これからの厳しい時代は、みんな日雇い労働者のような、日給月給の、出来高払いの仕事になってゆく。私がやっているもの書き業、評論家業(作家の一種)も、出来高払いの、請負(うけおい)、委任業の専門職だ。日雇い労働者と変わらない。
今度のテレワークで判明して、バレてしまったことは、オフォスは小さくていい、会議ばっかり開いて仕事をしているフリばっかりの、中間管理職の要らない社員は、もう要らない、となったことだ。
これからは会社に雇われて、言われたままに働いて、それで安定した給料(生活費)が出る、という時代ではない。若い人たちは、この厳しさを自覚している。大学を出たら、取り敢えず会社に入って、世の中の仕組みに入って、それから暫(しばら)くしたら、自分で自分の道、即ち、自分に向いている職業を見つけそっちに向かってゆくべきだ。
やれやれ、ようやく、コロナバカ騒ぎが収束して、政府が主導して、「経済を再開、復活させないといけない」となった。
(転載貼り付け始め)
●「プロスポーツ、数万人観戦可に 「GoTo」来月に東京追加―政府」
2020年9月11日 時事通信
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020091101014&g=pol
・・・・5月の緊急事態宣言の解除後、・・・ 歌舞伎など古典芸能やクラシックコンサート、演劇などについては、観客が大声を出して飛沫を発生させる可能性が低いと判断。収容率を100%まで認める」
(転載貼り付け終わり)
やれやれ、これで、ようやく、私たち学問道場の定例会(自力での講演会)が開ける。これで、公共のホールで、全員座席に座らせる、講演会を開けるようになる。400人の会場に400人丸々入れることが出来る。
この半年、本当に、貸しホールは、どこも、厳格なルールを作って、「席は1人おき、あるいは2人置きでないと、座らせない」と、どこも、それこそ日本全国、貸し会場は、定員の3分の1しか、入れない、というキマリで、催し物の主催者を、苦しめた。何と言う、馬鹿野郎たちだろう。
「自分の会場から、クラスター(集団感染、15人とか。クラスターというのは、葡萄の房のような形のこと)が出たら、大変なことになる、という、管理責任者の自分が責任を取らされる」で、脅(おび)え根性で、まったくの役人根性で、冷たく撥(は)ね付けた。 戦争中の、役人、軍部、隣組(となりぐみ)、国防婦人会(こくぼうふじんかい)もこんな、感じだったんだろうなあ。心底、イヤなやつらだ。
今も、まだまだこの手の、バカ人間たちが居て、会場への入場には、最新の注意を払って、検温、除菌、マスクの着用の義務、とかを言い続けるだろう。心底、バカなんだ、お前たちは。まったく動物以下だ。何か、自分が上品な、他者に思いやりのある、優しい人間だと、勘違いできる、生来、厚かましい人間だ。
急いで、私たちの学問道場の定例会の準備をしなければなりません。ところが今から申し込んでも、公共の会場は、そんなに早くは使わせてくれない。何とか年内に出来るかな、という会場使用の予約申し込みの状況です。
私は、1か月ぐらい前に、私の本の熱心な読者の医師と、電話でケンカになった。
「先生は、そう言いますが、本当に、コロナに感染した人たちがいるんです。私たち医者は、みんな必死で対応しているんです」
私「専門家だからと言って、そんなに国民を脅かしてはいけない」 「いや、先生は決めつけが過ぎる」 私「あなたは、たくさんいるという、その感染者たちの治療に当たったのか」「いいえ、担当したことはありません!」
私「それなら、何にも知らないのと同じだ」 「私は、もう電話を切りますよ。先生とは、2度と話をしません」となった。バカなんだ、この医者は。自分が専門家だと言い張って、それで、何か優越した立場にある、と思っている。始めは、和(なご)やかに、「病院は、コロナで儲かっています。PCR検査をすると、一人、3万円になりますから」と言っていた。
私は、「何にもしなかった(商店街の閉鎖も)スウエーデンの政府と国民が一番賢かった」と言ったら、その医者は逆上した。
私「 スウエーデン国民に、集団免疫( herd immunity ハード・イミューニテイ)が出来るのを待って静かにしていた。この国の首相と、疫学者(えきがくしゃ)の、アンデシュ・テグネル Anders Tegnell が、世界で一番、優れていた。こんな新型ウイルスなど、ただのインフルエンザだ、と、本当に優秀な専門家たちは、始めから分かっていた。
スウエーデンの疫学者(えきがくしゃ)アンデシュ・テグネル Anders Tegnell教授
ところが、人間世界には、邪悪な悪意が満ちているから、「生物化学戦争(バイオ・ケミカル・ウオーフェア)」へと向かわせる、恐ろしい政治扇動と民衆洗脳が、実行された。ヒラリー派の凶暴な者たちと、ビル・ゲイツたち(その為の資金を、ジョンズ・ホプキンス大とかに出した)の仕業だった。
政府というのは、政治権力者たちだから、法律の力で、何でもする。
緊急事態です、で、徴兵令(ちょうへいれい、draught , draft 軍隊に引っ張ること)を敷いたら、国民を兵隊に取ることが出来る。本当に、そういう事をする、と、みんな、今度のことで、分かっただろう。
「緊急事態です」と、国民を集団発狂状態に陥れたら、もう、キャーキャー大騒ぎで、集団ヒステリーを起こす。全く以て、猿(さる)以下だな、と、私、副島隆彦は、諦観(ていかん)した。
それで危なくない表現の部分を、上手に、編集長が刈り込んでくれて自主規制して、「日本は(また)戦争に連れて行かれる 狂人日記 2020」(祥伝社新書、8月10日刊)となった。私は、自分が、この3月からのコロナバカ騒ぎの顛末(てんまつ)の、冷静な観察者、後々(のちのち)のための証言者になる気で、この本を書いた。
私は、今、次の金融本を書いている。それから、中国本「中国は、人類の文明の新しい段階を作りつつある」(仮題)を書いている。それから、佐藤優氏との対談本「宗教問答」(仮題)を仕上げなければ。ベンジャミン・フルフォード氏との対談本も作り始めた。それから、「ロスチャイルド財閥 200年の栄光と挫折」の復刊の改訂版を出そうとしている。他にも本作りの原稿仕事をしている。例えば、「数学という暗黒大陸。・・・数学・・・」を作っている。数学(マセマティックス)を、私の頭脳で、何とか始末してみせる。
7月にかなり痛い思いをして、苦しんだ、ギックリ腰と、座骨神経痛は、ひたすら、朝晩、歩くこと と、小食(できるだけ食べない。体重を落とす)と、柔軟体操で乗り切ることが出来る、と自信がついた。腹筋や、大腿部の中殿筋(ちゅうでんきん)の筋肉を付けて、骨を支えて、内臓を守らなければいけない。
このようにして、私は、痛い思いをすることで、自分の体を作り直すこと、に本気になった。自分は、長いこと、「頭でっかち」で、頭と口 ばっかりが司令本部で、「下の方」である、体、特に、腰から下と、足と、足の先を、蔑(ないがし)ろにして、顧(かえり)みることなく、これらをヒドい目に遭わせて来た。深く反省して、体の作り直しをすることにした。
最後に載せるのは、私が、去年の5月に、「次の首相は、菅義偉(すがよしひで)だ」として、ここの重たい掲示板に書いた、証拠の文である。私たちの学問道場の会員の一柳ひろし氏が、探し出して、送ってくださった。
(転載貼り付け始め)
ブログときどき政策提言 一柳ひろし
https://tokitei.exblog.jp/
2020年 09月 03日
管義偉が総理に選ばれるホントの理由
安倍の次は管(すが)である事は昨年からアメリカが決めていたのである。
この事を副島さんが指摘している。そこで昨年5月の副島さんが自身の投稿フォーム「重たい掲示板」に投稿した記事を抜粋掲示するので、ぜひ属国総理の決まり方(悲しく情けない現実)を知られたい。
副島予言(昨年5月の投稿)
(2019年)5月8日から、菅義偉(すがよしひで)は、官房長官(首相の女房役)なのに、留守をして、アメリカに呼ばれて、首実検(くびじっけん)を受けにゆく。
「果たして、こいつでいいのか。アメリカの言うことをちゃんと聞くかな。文句を言わないで、カネを払うか(米国債を買い続けるか-上納金)。そして日本国内を、きちんと治めることがで着るのか」の検査を受けに行く。
さあ、この重要な問題を、私は、予測、予言しなければいけない(後日談として、この首実検はペンス副大統領がしたそうである-そしてトランプに此奴(こいつ)で OK としたそうだ)。
どうも、ウイリアム・ハガティという、駐日アメリカ大使が動き回って、トランプ政権に、この案、計画を持ち上げているようだ。 副島隆彦の「帝国 – 属国」理論の、公式(フォーミュラ)を自然に当てはめると、自分たち帝国が、ある国の、次の 属国の王を決めるときの、帝国側の権限者はアメリカ大使である。だから、ウイリアム・ハガティが、動かないと、今のような微妙な感じにはならない。
(引用終わり)
副島隆彦です。 次の首相になる(14日に、自民党総裁選。16日が、国会のでの議員たちの投票での首班(しゅはん)指名)菅義偉 論 を書く。それと、菅義偉の唯一の同志で同じぐらい、ド穢(きたな)い、大(おお)ワルの、森山裕(もりやまひろし)のこともすぐに書きます。
菅と二階で、じっと我慢し続けて、まさしく安倍晋三の”寝首を搔いた”。ずっとずっと、7年9カ月も、よいしょ、よいしょで、時期を待っていた。この点は偉いものだ。
「菅義偉は、田中角栄の ダースベイダー卿(版、バージョン)だ」論とか。家柄や家系もなく、秋田のド田舎から這い上がった、菅は、今太閤(いまたいこう)として、本当に、豊臣秀吉、というのはこういう男だったのではないか。
手腕と実務能力に長(た)けていて、能力判定だけで人材を登用する、という冷酷さに、自民党と官僚たちは恐れ戦(おのの)いているようだ、とか。男たちは、上下関係がキツいから、リベラル派であっても、仕事の出来る、冷酷で陰険な上司には逆らわない。女たちが、とりわけ自民党女(金持ちの娘だった者たち)が、「こんな出(で)の悪い、貧相な、暗い感じの人は いやだ」と反対し始めるだろう。 副島隆彦拝