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六城雅敦 投稿日:2011/01/18 21:07

【147】[162]実物経済への布石と日本の農業

六城雅敦です。どうやら勘違いしておりました。

米国がTPP加盟を踏み台に農産物の市場開放を狙っているものだと思っていました。
ドル覇権の崩壊で示されているとおり、世界はコモディティーバスケットに向かいつつあり、すでに米ドル中心の世界金融から脱却をはかっているようです。そこで貨幣の代わりとなる通貨の裏付けとして、コモディティーバスケット(=商品先物を流動化した制度)が考えられていることは農林水産省の資料でもうかがい知れます。副島先生唱えられているようにジャブジャブに薄まったドルに変わる通貨がマーカンタイル(CME)主導で本当に動き出しているようです。

■ 日本の関税撤廃と市場自由化で困る国は?
もういちどおさらいしてみると、関税自由化は工業国の輸出産業にはメリットが多いのです。逆に海外から安い農産物が入ることで、国内農水産業にはダメージがあると試算されています。(経産省と農水省のGDPの試算による)
日本経済へのメリット/デメリットが相反してあるために、誰も賛否の判断ができないのですが、ここで改めて、米国の立場を考えてみます。
米国はドル覇権からコモディティーバスケット通貨への移行を画策しているとします。米国産の農産物が「通貨」となるわけですから、米国産農産物を大量に輸入する国が一国でも多くなければならないのです。世界への供給量こそが、信用の裏付けです。
アジア経済圏など、世界がブロック経済化することで困る国は、まさにアメリカでしょう。

■ アジア経済圏にくさびを打つ米国
ASEAN、ASEAN 3、ASEAN 6、広域FTAといった具合に関税撤廃を主とした経済圏が東アジアに築かれつつあります。こういった経済連携に強い危機感を抱いているのは、のけ者となっている米国だけでしょう。農産物の域内自由化により、米国産農産物が排除されることになることは決して許せないことです。
少なくともアメリカ抜きで農産物の自由化は許されるものではありません。(これは現役の農水官僚が体験しているようです)
一方EU諸国は金融危機に揺れながらも域内で独自に商品先物の流通市場を形成するものと見られています。米国にとってEU経済圏(ユーラシア大陸全体)との覇権争いのためにも、アジアは常に米国の市場でなくてはならないのです。

■ 米国発金融危機の重要なキープレーヤーとなった日本!?
日本国内の農産物の市場の行方が、金融危機にまで繋がっていることには少々飛躍しているかもしれませんが、背後ではでは、すでにその後の世界へと動いているようです。
そのひとつに農協(JA)が総合商社の丸紅と業務提携したというニュースが挙げられます。

(貼り付け始め)
JA全農が丸紅と米穀事業で提携
 JA全農は1月17日、米事業で商社の丸紅と戦略提携意向書を締結したと発表した。
 両者は米の集荷・販売・加工事業について一体的な事業運営を行うことで合意した。
 今後のJAグループの米の生産・販売戦略では、これまでの玄米販売中心から精米流通を基本としたビジネスモデルへの転換をめざすことなどを盛り込んでいる。
 一方、丸紅はダイエー、マルエツ、東武ストアなど小売事業に出資しているほか、中食・外食など首都圏を中心に多様な販売チャネルを持つ。こうした事業基盤をふまえ、JA全農は産地で精米した商品を直接消費地に届ける精米流通など、消費者や顧客ニーズに応えるための事業展開で丸紅と協力関係を構築していく。
 消費者からは安全・安心への関心の高まりに加えて、経済性・環境への配慮なども求められていることから、設備面での増強や流通各段階での品質管理体制の高度化、商品開発などを追求していくとしている。
◎JA全農の米穀事業取扱高:387万6000t、7294億円(平成21年度)
◎丸紅(株)の米穀事業取扱高:22万5000t、385億円(22年度見込み)。
(貼り付け終わり)

関係者から聞いた話では、JA自体は農産物の市場開放の圧力には手詰まり状態だそうです。総合商社との提携の建前は日本産のお米を海外に輸出するためということですが、農産物での市場開放を睨んだ外米の国内流通も取り仕切るという戦略へ転換したのかもしれません。(了)

六城雅敦 投稿日:2011/01/18 16:10

【146】[161]「野菜が壊れる」集英社新書でTPPを考える

会員番号2099番六城雅敦(ろくじょうまさつる)です。

昨今TPP(Trans-Pacific Partnership :環太平洋経済協定)の採択の可否がニュースになっております。簡単に言えば相互に農作物の関税撤廃の可否なのですが、協定締結によって農家の集約が進み、日本の農業の競争力が進み、消費者はより安価な農産物を国内外から購入できるとマスメディアによるプロパガンダが行われています。

あまりにも当たり前な理屈で、私にはどうも腑に落ちません。

肝心の農家の意向を伝えず、マスコミと政府主導で進められる協定の宣伝に極めて懐疑心をかき立てられます。そこで最近読んだ化学肥料に関する本を介して、農業の大規模化を促す、その本意を推測してみたいと思います。

参考文献:「野菜が壊れる」新留勝行(にいどめかつゆき)集英社新書 2008年11月刊

■ 化学肥料漬の農業の現実
この本は化学肥料の多用により土壌の生態系が崩れ農業は危機的な状況に陥っているという警告の書です。ここでいう化学肥料とは窒素を硝酸などの化合物として保持したもので、一般には窒素肥料、硫安、硝酸塩、硝酸アンモニウムと呼ばれています。(本書では硝酸態窒素で統一)
この化学肥料の多用が、土壌に過剰の窒素化合物を高め、このことが地中の微生物から生態系にまで悪影響を引き起こしているというのが筆者の分析です。
前半は窒素過多による土壌汚染で根が痩せてビタミンが年々減少している野菜といった例や化学肥料で育った牧草を牛が食べると異常死してしまう実例で構成されています。畜産業では青草は牛に食べさせないことが半ば常識になっていると記されています。化学肥料で育った牧草は干し草にしないと化学肥料成分が抜けず、牛の胃袋で肥料成分が亜硝酸態窒素という毒性の強い物質となり、ヘモグロビンと結びついて酸欠で牛は死んでしまうのです。
そこまで現在の農業は化学肥料を大量にばらまいて維持しているのです。

■化学肥料の使用は国策!農家は鉄鋼・自動車メーカーの「産廃処分場」

ではなぜ化学肥料の弊害がこれほど知られているにもかかわらず大量に使われているのかという疑問に本書では驚愕する事実が述べられています。
戦前において化学肥料をはじめとする化学工業は爆薬の製造と結びついていました。アンモニアの酸化で硝酸という火薬原料を作るために1942年(昭和17年)日本窒素肥料株式会社(現在のチッソの前身)が中国の河北省に建設されたことが始まりです。戦後は外貨獲得のために、品質の悪い工業製品を急務で改善する必要がありました。当時の自動車で使われる薄板は粗雑ですぐに錆が周り、塗装前には赤さびが浮いているほどだったのす。そこで製鉄課程において石油から作られた硫酸アンモニウムで洗浄しながら圧延する技術が編み出されました。鉄の表面から酸素を奪うことで、塗装時にまで錆びない鉄材がこうして誕生したのです。
しかし硫酸アンモニウムの廃液は硫酸という劇物と化合しているため、そのままでは揮発することが無く、石灰で中和して固形化して埋め立てる必要があったのです。
ただし処理費用は外貨獲得を国是としているため、価格転嫁できない状況でした。そこで「硫安」「硫酸アンモニア」という化学肥料として農業で強制的に使わせる施策が行われたのだと本書でははっきり述べてあるのです。
セメント工業や化学繊維の製造においても大量のアンモニア廃液が発生するのですが、鉄鋼・自動車メーカーに倣えと、どの会社も厄介者であったアンモニア廃液を肥料として販売します。元は産廃であったアンモニア廃液も化学肥料という名目で盛んに輸出するまでになったのです。
時代は変わって、大気汚染が問題になると煙突への脱硫装置や脱窒装置の設置が義務となり、多くの工場では回収した硫酸は化学肥料として農業に投入されていくのです。
このように戦後のひ弱な工業を支え続けたのは、農業であったという事実はほとんど知られていません。
1950年代に化学肥料を農家に強制的に使わせることと併せて、国内でだぶつき気味の硫安の価格維持を目的に「肥料二法」という法律を制定しました。本書では、その実態は国内化学肥料の価格カルテルを認め、輸出においては安値という二重価格を認めるという法律であったという事実を示しています。
すなわち、工業の資本を農家に負担させることを国是としてはっきりさせたのです。

■政策から垣間見える「農家は資本回収システムの末端に過ぎない」事実

国を挙げて工業産廃の最終処分システムとして機能したのが、ご存じ農協です。農協の前身は戦時中の「農業会」でした。国による食料の一元管理・統制を目的に作られた組織は、戦後も農林水産庁の下部組織として現在でも存続しています。
農協による農家の統制は、本書で記されていますが、ここでは割愛します。早い話、農協指定の肥料(化学肥料)を使わなければ成果物は引き取らないし貸付もしないという強制が露骨に行われているのです。
農業の大規模化という前に、現実には減反政策をはじめ、化学肥料(産業廃棄物)の強制割当を強いられている農家の苦しく重い負担を考えなくてはならないのです。
政治家にとってはまさに票田である農家は、資本家にとっては資本の回収先という面があることを知らなくてはなりません。こうしてみると、TPPと農業の大規模化という政策が違う意味に見えてくるでしょう。
農業人口を減らすことと耕作面積を統合することで、恩恵をもたらす立場は誰でしょうか。
実際にTPPにより農作物の自由化が進むと、離農者が増え、結果、大規模農業への転換の推奨と進むことをアメリカの手先である官僚達が予想し推し進めているのです。
そして農業人口の低下、結果機械化、画一化が進み、まさに農業の「夢の工業化」が達成するとしましょう。その工業化された農業は、最終的にはモンサントやカーギルといった寡占企業、その他化学メーカー、農業機器に至る供給元(サプライヤー)の巨大市場となり得るのです。

■アメリカの大規模農家には未来はない。つぎは日本の農業が狙われる

TPPや大規模農家政策を進める官僚と政治家の脳裏には、アメリカのような巨大トラクターで耕作されている風景を想像しているはずです。日本にも米国の風景に見られるような巨大な耕作基地を夢見ているのでしょうか。
ところが一方のアメリカ式農業の実際は日本の産廃処理方式を見習い、なんと有機農法の禁止法案を昨年に提出しているのです。

その名は「食品安全近代化法」という法案で昨年11月30日にアメリカの上院で可決されています。全米の農家をFDA統制下に置き、種子や肥料の流通も管理するという恐ろしい法律なのです。この法案の建前は消費者の安全を守り、農作物の輸出力を高めるというもので、FDAに強大な権力を認めるという趣旨です。
現実には米国式の巨大な農地と機械化による大量生産は、そのままモンサントやカーギルといった寡占企業に搾取される仕組みでしかない。そのため米国の農家も搾取される側に過ぎず、さらにオバマ政権では社会主義体制的な農業生産システムにまで体制を整えようとしているのです。

まさに日本の戦時中の農業会そのままではないでしょうか。

だんだんTPPと大規模農家への転換政策の恐ろしさが見えてきたのではないでしょうか。日米の為政者にとって農業政策における農家は単なる生産者ではないのです。巨大資本家による工業生産物の潜在的な優良消費者であり、国家間の重要な攻略目標なのです。

■大規模農家政策は絶対阻止すべし

このように大規模農家政策は、より強化した統制経済への布石として強く進める勢力がいると考えるとニュースの動きが見えてきます。もし実現されると、結果的には国土は産廃処理場となり、新留氏が訴える不毛な耕作地がますます広がることになるのです。
大規模化でも生産コストは下がらないのです。なぜなら飛行機で種まきするような米国と違い、日本では機械化は現状からはそれほど向上しません。アジアと比べてトラクターやコンバインの普及率はある程度の水準です。旧来の牛馬や手作業による農作業を行っているわけではないので、規模の効率化などしれたものでしょう。
生産コストの現況は、農協(農水省)による強制的な購買システムであり、規模にかかわらず搾取の構造が変わらない限り、低い生産性による無用なコストは農家と消費者に転嫁され続けるのです。よって状況が最悪になるだけであり、ますます農家、我々消費者にとっては悪弊がはびこる結果が予想されるだけなのです。

以上、私がTPP締結と大規模農家政策に断固として反対する理由です。

小関貴史 投稿日:2011/01/17 14:53

【145】[160]「二宮尊徳と小沢一郎」

「二宮尊徳と小沢一郎」

会員番号5836番
小関貴史(おぜきたかし)です。現在都内の大学に通う4回生です。
4月からは運送会社(副島先生曰く某ヤクザ系)に就職します。

今日は1月17日です。阪神大震災から16年目、湾岸戦争から20年目となります。震災に遭われた方々、戦争で犠牲になられた方々に深く追悼を捧げます。

さて、今回、私がこの一年間、大学の卒業論文で「二宮尊徳(金次郎)の尊徳仕法」の業績を研究し、研究の途中で、二宮尊徳は小沢一郎 元民主党代表と類似する人物だ、と発見しました。煩雑な文章ですが、ここ学問道場でそれを成果として提示したいと思います。その論点は 二宮尊徳「民は国の邦(国民は国の本)」と 小沢一郎「国民の生活が第一」です。まずは二宮尊徳の簡単な略歴から。

二宮尊徳は江戸時代末期、1787年に神奈川県小田原市栢山で生まれました。幼少時代に両親を亡くし、親類の家に預けられた彼は、ひたすら仕事と学問に打ち込み、独立したあとは、小田原藩家老 服部十郎兵衞(はっとえいじゅうろうべい) の下で、服部家の財政立て直しに尽力します。5年で借金を完済し手元には300両(一両は10~30万円)の余剰金が生まれる程(最近の研究では5年以上かかり借金も増大していった)、その立て直し手法は合理的でした。

彼の評価は小田原藩主 大久保忠真(おおくぼただざね) の耳に届き、桜町領(栃木県)の立て直しを命じられます。立て直し はいつしか「尊徳(報徳)仕法」と呼ばれるようになりました。彼の仕法の肝は 分度(年貢の定額化、経営で言えば予算)にあり、過去10年間の米の収穫量、金銀銭の収支の平均を算出し、その平均値を今後10年の仕法で納める年貢の限度にします。「入るを以て出づるを制す(収入以上の支出をしない)」、これは現代の国家経営「支出を量って入りを制す」から見たら全く逆に思われますが、納税者側(農民)の立場に立った尊徳仕法はこれでよかったのです。それまでの農村では、飢饉や人口減少により年貢が減収傾向でした。そこで為政者たちは増税で税収増加を図ります。しかし、尊徳は疲弊した農村に重税をかけても全く効果はなく、むしろマイナスであることを知っていました。現在の市場原理主義者が唱える「消費税増税」と全く同じですね。
そこで、分度により、年貢を今後10年間は一定額に抑える政策にシフトします。これにより数年間は税収が減ります。が、将来的に農村の生産額が向上すれば、次の10年間で新たに設定した新分度(初めの10年間の収穫量の平均)で年貢は増加します。増収となるのです。分度外(一定額以上の生産量)は、農民に還元され、田畑の面積拡大や荒地開墾の費用に充てられました。拡大再生産です。それまでは年貢以上の生産も納めなければなりませんでしたが、分度は一定です。
分度で農民の年貢負担を軽減し、それと共に、地元の名主や隣村の有志からは出資を募り、仕法の原資(元手)とします。これまた現在の富裕層減税、それ以外の貧困層は増税という愚策の真逆です。
農民の生活・環境から改善し、意欲(モチベーション)を上げます。また人口増加で生産量をあげれば、結果的に年貢・税収は増加します。この辺りの話は菊池英博「消費税は0%にできる」(ダイヤモンド社)に詳しいので参照をお勧めします。

国の9割は農民なのです。1割の武士は農民に食べさせてもらっている寄生虫です。官僚・政治家は国民の納税で食べていけるのです。偉くもちっともありません。そう考えた尊徳は農民(国民)の生活を第一考え農民の減税を働きかけたのです。

2009年に「国民の生活が第一」で民主党が政権交代を果たしました。2010年にはその政権も菅直人に変わり、歴代最悪の首相に成り果てています。彼は30年前にアメリカ・レーガン政権で大失敗し、2008年に破綻した市場原理主義の病に犯されています。
私は、小沢一郎議員の復活と、二宮尊徳の美徳が再び日本で少しずつ拡がることを願い、この投稿を終わりたいと思います。

稚拙な文章でしたが、最後までお読み頂いた方には感謝申し上げます。

小関貴史拝

一般市民 投稿日:2011/01/12 11:13

【144】[159]全国に広がるタイガーマスク運動に思う

一般市民です。

タイガーマスク運動が全国各地に広まり,養護施設の子供たちなどにランドセルや文房具,現金,そして米や野菜まで届けられているようだ。 民主党がやるといって十分にやらなかったくせに,高所得者層にもお金をばらまいたのに対し,名もない有意な民間人たちによって,子供手当は本当に必要なところにきちんと手当てされているという構図である。
日本には相互扶助をし合う精神が土壌としてあり,わざわざ高い税金を払ってまで行政に任せる必要がないことがはっきりしてきた。むしろ,税金でとられていた分を個人の判断で使った方が行くべきところにお金がいくのだということがわかったのである。

見直しの得意な総理大臣は,自分自身を見直す必要がないかどうか,見直してみてはいかがであろうか。

根尾知史 投稿日:2011/01/10 16:43

【143】[158]中国と新興諸国のジレンマ。金利か通貨か?

SNSI研究員の根尾知史です。現在、世界では、アメリカから中国への大きな「覇権(はけん、世界を支配・統率する世界帝国の権力)」の移動が起こっています。

時代を動かし、文明の発展させ、世界の経済成長を牽引する「世界覇権国(世界帝国)」が、私たちが住むアジアに新しく生まれつつあるという歴史的に重要な事実です。
その巨大な引力は、周りのアジア諸国を激しく巻き込んで、ものすごい勢いで増大を続けています。

これまでの「西洋(欧英米中心)の時代」は、アメリカという最後の白色人種の帝国が、120年と言われる覇権の寿命(盛衰の期間)が終焉を迎えることで、もうすぐ幕を閉じるのです。
今まさに、中国を中心とする新しい「アジアの時代」が始まりつつあります。

世界帝国(覇権国)の寿命は、「覇権サイクル(ヘジモニック・サイクル hegemonic cycle)」と呼ばれ、約100~120年が、その一周期であると言われます。
帝国の勃興と衰退や経済の成長には、必ずサイクル(周期、循環)があるという理論は、複数の学者によって提唱されています。

その基本にあるのは、景気の変動には循環(サイクル、波動)があり、その周期は50~60年で一巡りをするという「コンドラチェフの波」という経済理論です。「コンドラチェフ・サイクル」が二回りすると「覇権サイクル」になるということです。

この「コンドラチェフ」の景気循環は、技術革新や、鉱山(資源、エネルギー)の発見、農業(食料)生産量の変動、そして、戦争などによってもたらされると主張されています。
ニコライ・コンドラチェフ(1892-1938)という旧ソビエトの経済学者が、1920年代に発表しました。

世界の覇権(帝国)が西洋から東洋へ移るというと、とても大きな話で、どことなく掴みどころがない感じがします。
しかし、この「コンドラチェフの波(50~60年周期)」や「覇権サイクル(100~120年)」という視点から現在の経済・金融情勢の大変動や景気変動を見つめなおすと、世界を支配する力(覇権)の大移動しているという、歴史の流れに重なって、すべては引き起こされているのだという
事実を、実感で理解できるようになります。

数十年~百年の単位で起こるような、歴史的な変革から、私たちがここでテーマとしている、経済・金融の変動や、世界のお金の流れの一番大きなところを理解することができます。
19世紀末前後に始まったアメリカの「覇権サイクル」は、今、120年の時を経て、その最後を遂げようとしていることが分かります。

なお、副島隆彦先生は、世界で4つの帝国(ロマノフ王朝、オスマン・トルコ帝国、中国清王朝、オーストリア=ハンガリー帝国)がすべて滅亡した1917年が、歴史的に世界覇権がイギリスからアメリカに移った年であると主張されていたと思います。

アメリカの120年の「覇権サイクル」の下降時期にあたる、後半の60年間が、1940年から2000年までだと考えると、2000年からすでに、新しい中国の「覇権サイクル」が始まっていたのだ、と考えることができます。

そうすると、中国の現在の急激な高度成長は、中国の「覇権サイクル」始まってまだ10年目の、勃興期にあたるのだという位置付けで、見ることができます。
つまり、冷静に歴史の法則から考えると、あと50年は、中国という大国の世界覇権はさらに拡大し続けるということです。
さらに、残りの60年間、2060年から2120年までに中国は衰退して、また次の新しい覇権国に、その地位を譲るということになるのでしょう。

このたび紹介する英「フィナンシャル・タイムズ(Financial Times)」記事は、中国とアジアの新興諸国が、目下のインフレ(物価急騰)と戦うために、自国の「金利」と「通貨価格」をどうやってコントロールするべきか(これを「金融政策」といいます。その反対が「財政政策」)で苦渋の選択を迫られている、という現状を描いたものです。

欧米からの大量のダブついた投機資金(ホット・マネー=バッド・マネー)の流入が、その選択を難しくさせているのだということが、分析されてます。
この度も、日本語訳が見つからなかったので、また、私、根尾知史の速訳を併記いたします。多少の誤訳もあるかも知れません。

この記事で重要なのは、中国や東南アジアやトルコ、南米のブラジルやチリなどの新興諸国(emerging countries) が、「金融政策」として自国の「金利」を上昇させても、実際は、国内経済の「インフレ(物価上昇)率」を加味して計算しなおした「実質金利(real rate、リアル・レート)」で
考えると、実際の金利は高いどころか「マイナス金利」になってしまう国がほとんどであるという事実です。

これは、何を意味するのか。

インフレを抑えるために金利上げて、経済活動や投資(投機)を抑えているといっても、実際は物価の上昇(インフレ)の方が大きくて、そのスピードに追いついていないということです。

中国国内では、昨年一年間で2~3割の物価上昇が起こりました。食料品や燃料、衣類など日用品などの価格上昇は、経済成長に見合った、実の「効需要」がある「健全なインフレ」です。

いっぽう、上海、北京、深セン、広州などの沿岸部の大都市では、投機的なバブルによって、中心地の不動産価格などは数年の間に2~3倍にまでなっています。こちらが、中国政府が急いで押さえ込みたい、不動産の「ハイパー(バブル)インフレ」です。

それなのに、昨年の中国のように、金利を年間で0.5%程度、ちょっと上昇させただけの「金融政策」を行っても、実体経済に見合っていないということです。

だから、中国人が人民元を銀行に預けて、現在、金利が年率2.75%付きますといっても、それ以上の割合で、物の値段(物価)が日々上昇して行く訳ですから、誰も銀行預金が資産保全になるとは思っていないということです。
だから、中国人は、自分たちの将来のための蓄財、年金として、株式投資や、不動産投資を一生懸命やるのです。

現在、なぜこれほどの勢いで、インフレ(物価の上昇)が起きているのか。

「インフレ」とは、本当は「インフレーション(Inflation、膨張)」という言葉です。もとの意味は「価格」ではなく「通貨(お金)」の量が「インフレート(膨張)」するという意味です。
通貨の、市場に出回る流通量が膨らむとどうなるか。それだけ、通貨の価値が薄まって、通貨が安くなります。

価値の安く(低く)なった通貨で、おなじ商品やサービスを買おうとしても、おなじ値段では売ってもらえなくなるのです。

いま世界で、通貨を大量に刷り散らかして、その量を膨張(インフレート)させているのはアメリカです。だから、本当は、アメリカ国内でインフレが起きていなければなりません。

それが、中国やアジア、南米の諸国や、食品価格にインフレが移植されたようになっているのは、アメリカが増刷した大量の米ドルの余剰通貨が、米国内ではなく「新興諸国の株式市場」や「商品(コモディティ、実物資産)市場」にどんどんと流れ込んでいるからなのです。

「食糧危機だ!」とから「中国が買い占めているから」と言って、過剰に騒ぎ立てている論調には注意が必要です。
それは、「日本は財政危機だ!」と騒ぎ立てて、埋蔵金の掘り出しも終わっていないし、官僚の無駄をそぎ落とす本当の仕分けも終わっていないのに、「さあ大変だから増税を!」と主張する人々と同類です。

この海外からの投機資金は、一時的な取引(売買)利益を狙って流れ込んできているだけなので、いざと言うときには、さっと引き上げられて、アメリカ国内に戻ってしまいます。

だから今後もまだしばらくは、一時的な米ドルの買戻し(ドルキャリー・トレードの解除ということもある)で、ドル高=円安という反転は起こりうると考えられます。
同じ理由で、アメリカの株高も、あくまでも人工的にですがどこまでか続くのでしょう。ETF(上場投信、exchange traded fund)というアメリカの金融機関にダブついた、QE(quantitative easing、通貨量緩和)政策で銀行に注入されたの余剰資金を動かすための隠れ蓑となっている金融商品を通して、レバレッジを効かせた大量の短期資金で、HFT(high-frequency trading)などのロボット・トレーディングで、ニューヨークの株価操作をやっているから、なおさら、株価の不自然な上昇がまだあっても不思議ではありません。

こうした海外からの投機資金(ホット・マネー)で引き起こされたのが1997年の「アジア通貨危機」であり、それに続く1998年の「ロシア危機」、さらに、2001年の「アルゼンチンの財政破綻(デフォルト)」などです。

だからこそ、海外からの大量の投機資金が入り込んで、自国の株式市場や為替レートを荒らされないように、中国もブラジルもトルコも、他の新興諸国も必死で「金融政策(金利や通貨量を調整して景気や通貨価値をコントロールする)」をやっているのです。

中国は、日本の住宅バブル(狂乱地価高騰)を研究し尽くしているので、同じようなバブル崩壊を繰り返すことはしないのでしょう。
あるいは、経済成長のサイクルから見て、まだ勃興期に過ぎない中国は、成熟期を迎えていた、1980年代末の日本の経済状況とは、本質的に大きく異なっているのではないか、と考えることもできます。

ちなみに、アメリカも日本も、この「金融政策」をやり過ぎて、「ゼロ金利」になったままです。そして、景気も通貨価値もコントロールできないままの状態が長らく続いています。
つまり、経済成長が停滞して市場が成熟した、先進国の経済政策として、「金融政策」はほとんど効果がないのだ、という事実が露呈してしまっている、ということなのです。

これが、アメリカの経済学者ポール・クルーグマン(1953-)が、日本に対して自分が押し付けようとした経済政策は誤りだったと謝罪したことや、昨年、英「フィナンシャルタイムズ」紙が、実証実験ができない経済学の理論などは宗教に過ぎないという記事を、さらっと掲載してしまった、その根本にある真実なのでしょう。

いっぽうで、高度成長真っ盛りの新興諸国の経済の舵取りには、まだ、「金利」や「通貨量」を調整する「金融政策」が、ある程度の効き目を持っているということが分かります。

それでは、以下、記事をご参照ください。

(転載貼り付け始め)

●「中国の通貨政策のパズルが、新興市場を悩ませる」
“China currency puzzle irks emerging markets”
By James Mackintosh(ジェームス・マッキントッシュ筆)

「フィナンシャル・タイムズ(Financial Times)」
2011年1月8日

http://www.ft.com/cms/s/0/680e8a74-1ac0-11e0-b100-00144feab49a.html#axzz1APdB7Tb7

China is not making life easy for anyone. In just a week
the renminbi has given back 17 per cent of its rise since June, when Beijing loosened controls. It is now just 2.9 per cent stronger than in the summer and going in the wrong direction.

中国は、誰の生活も容易にはしてくれない。人民元は、北京政府が
昨年7月に緩和政策を行って上昇したところから、この1週間で17%
も下落してしまった。

いまや、人民元は昨年の夏から、2.9%高いだけであり、さらに
下落しそうな、望ましくない方向性にある。

A weakening Chinese currency is one of the few things that
could unite Republicans and Democrats in Washington. It is
also sure to worry those faced with the increasingly difficult task of managing other emerging economies, for whom China is the main competitor.

中国の通貨が安くなることは、米ワシントンで、共和党と民主党を
団結させることができる数少ないテーマのひとつである。

同時に、中国を一番のライバルとしている他の新興諸国で、経済の
舵取りをする為政者たちにとっても、確かに心配の種である。

Emerging markets are struggling with soaring food prices -
at record highs this week - and the resulting inflation.
At the same time, they are trying to stop enormous inflows
of hot money from developed markets.

新興市場は、今週、記録的に高騰している食料品の価格と、その
結果として引き起こされたインフレに苦しんでいる。

しかし同時に、彼らは、先進諸国市場からの巨大な投機資金
(ホットマネー)の流入を、抑えようともしている。

The dilemma is well known, but it has left politicians and
central bankers facing an impossible choice. Either they can keep their currencies stable by running low interest rates, deterring hot money, or they can control inflation by raising interest rates, slowing their economies.

この(二つの間の)ジレンマはよく知られている。

政治家と中央銀行の銀行家たちは、選びようのない選択肢を
突き付けられているのである。

つまり、金利を低く維持することで、自国の通貨を(安値で)
安定させ、海外からの投機資金(ホットマネー)の流入を抑える
という選択肢がまずある。

しかし(もう一方に)、 金利を上げるという政策によって、
経済活動を減速させ、自国内のインフレをコントロールする
という選択肢を選ぶこともできるのだ。

Unfortunately, the appropriate policies for a stable currency and for low inflation are directly contradictory - and require vastly different approaches from investors. Attempts are being made to try to escape this catch-22, controlling inflation without hitting exporters with a stronger currency. None are likely to work for long.

残念ながら、「安定した通貨のための政策」と「インフレを低く抑える
ための政策」は、このように真っ向から対立するものであり、投資家に
も大きく異なるアプローチを要求する。

このジレンマから逃れるために、インフレを抑制しつつ、同時に、
自国通貨が上昇し過ぎて、輸出企業に打撃を与えないようにする
試みが行われてきた。しかしそのどれも、長く続くことはないのだ。

Brazil and Chile demonstrated two of these alternatives this week.
Chile went down the well-worn route of currency intervention, sterilised through local bond issues, to try to limit peso strength.
Brazil was more devious, hitting its local banks with new rules restricting their ability to short the dollar. Both had an immediate impact, weakening their currencies.

ブラジルとチリが、今週、上記の異なる二つのアプローチを
それぞれに実施した。

チリは、すっかり使い古された通貨介入政策(中央銀行が自国通貨を
売って、外貨(米ドル)を買う。根尾注) を行い、(大量に売られて
市中銀行にあふれた通貨を) 国内債券の発行によって(吸収し)
不胎化 (ふたいか、市中に売られた自国通貨が流通しないように
すること。根尾注) させて、ペソが高くなるのを制限しようとした。

ブラジルは、もっと回りくどいやり方で、国内銀行に、米ドルを
売ることを制限するという、新しい法律を押し付けた。

いずれも、すぐに効果があらわれ、それぞれの自国通貨を下落させた。

Yet neither is likely to stop hot money for long, as there is too much swilling around. For example, investments in emerging market equity mutual funds hit $3.4bn in the first week of the year, according to EPFR Global - double last year’s weekly average.

しかし、どちらも海外からの投機マネーの流入を長く食い止めることは
できないだろう。あまりにも大量の資金が、溢れかえっているからだ。

たとえば、ミューチュアル・ファンド(投資信託)は、今年、最初の
一週間だけで、34億ドル(約2800億円)を新興市場の株式に投資した。

EPFR Global によると、これは昨年の、一週間の平均投資額の2倍の
金額になるそうである。

Investors can see what policymakers see: interest rates are
too low, and when they rise currencies will rise with them,
bagging foreigners a profit.

投資家は、政策者と同じことを知ることができる。つまり、現在の
金利は低すぎるが、通貨を切り上げると金利も上がってしまうので、
海外からの投資家にあまりに都合よく利益を与えてしまうのだ。

The chart shows just how low real rates, adjusted for inflation, are. Only Brazil and South Africa among major emerging economies have significant real rates; many are negative. China, even after its Christmas day rate rise, still has a real rate of just 0.46 per cent, its lowest since June 2008.

(金利変動の)チャートは、インフレ率を織り込んで調整した、
実質金利(real rates)がいかに低いかを示している。

ブラジルと南アフリカだけが、実質金利も高いが、他の多くは
マイナス金利なのだ。中国は、昨年のクリスマスの日にも金利を
上げたのにもかかわらず、実質金利はたったの0.46%しかない。
2008年の6月以来、最低である。

There is no reason to expect emerging markets to accept sharply higher rates, and stronger currencies, any time soon.

しかし新興市場が、急激に高い金利やより高い自国通貨を、早々に
受け入れると期待する理由もない。

Many seem to be keeping their fingers crossed that high food prices will prove temporary, allowing inflation to fall back without big rate hikes. In the meantime, they are using alternative policies to try to slow their economies and foreign capital flows, with the occasional small rate rise.
One, Turkey, has even taken a punt on cutting rates, hoping that lower inflows of foreign cash will slow its booming economy.

多くの新興国は、現在の食料価格の高騰が一時的なものであって、
金利も大きく上昇することなく、インフレがもう一度下降してくれる
ことを、神に祈り続けているようだ。

新興国のひとつであるトルコなどは、(反対に) 金利を下げるという
「逆張り」で、海外の現金資金の流入を低くおさえて、加熱気味の
国内経済を減速させることを望んでいるようである。

As Jerome Booth at fund manager Ashmore points out, emerging market policymakers must realise their approach is not sustainable.
But none wants to be the first to take a hit by letting their currency rise a lot - giving other emerging markets a chance to take export market share.

アシュモアというファンドの運用担当者であるジェローム・ブース氏が
指摘するように、新興国市場の政策者たちは、そのアプローチが
持続可能ではないことに気付くべきだ。

しかし、彼らのうち誰も、自国の通貨を最初に高騰させることで、その
先頭を切ろうとする者はいない。自国通貨の高騰で、他の新興諸国の
輸出市場にシェアを与えたくないのだ。

China holds the solution. If the renminbi was allowed to strengthen, other emerging countries would be likely to follow, easing inflation pressures, enriching impoverished populations, easing global imbalances and helping troubled western exporters.

中国が解決策を握っているのである。もし人民元が上昇するのを
許されるのなら、他の新興国もそれに続く可能性が高い。

それによってインフレの圧力をやわらげ、貧困層の人々を豊かにする
ことで世界的な不均衡を改善し、さらに、西洋諸国の輸出企業を
助けることにもなるのだ。

There could be a surprise agreement to rebalance currencies at the Group of 20 this spring, although the failure of its November summit does not augur well. Some hope China could be persuaded to open its capital account to developing country central banks, diversifying their reserves away from the dollar and so easing the way to a co-ordinated strengthening of emerging market currencies.
But neither looks probable.

この春に開催される「20ヵ国・地域主要国会議」で、各国の通貨間の
バランスを改善するような驚くべき合意に達することも起こりうる。
しかし11月に開催したときには失敗しており、これは悪い兆候である。

ある人々は、中国が他の新興諸国の中央銀行に自国の資本勘定口座
(キャピタル・アカウント、capital account)を開設し、その外貨準備を
米ドルから離れて多様化させることによって、新興諸国の通貨を強くする
協力をしやすくする、という提案を受け入れることに期待している。

しかし、いずれも起こりそうにない。

The most likely outcome in the short term is the worst for investors: more capital controls, slow currency appreciation, inappropriately low interest rates and more asset price bubbles.

短期的に最も起こりそうな結果は、投資家にとっては最悪のものだ。

つまり、より強力な資本統制と、緩慢な通貨価値の上昇、不当に低い金利、
そして、さらなる資産価格の高騰バブルである。

Inflation is unpredictable, with much of the food price rise due to bad harvests; but there are many signs that core inflation is rising in the emerging world, too.

収穫の悪化による食料価格の上昇などもあって、インフレは予測不可能な
状況にある。しかし、新興諸国の世界では、本格的なインフレが起こって
いるという兆候も、たくさん見られるのである。

The policy dilemma will eventually trump these factors, unless policymaker errors - or a new western crisis - derail emerging economies’ growth.

この金融政策のジレンマは、次第にこれらの要素よりさらに大きな
問題になるだろう。為政者が間違ったり、欧米英の西側諸国で新たな
金融危機が起こらない限りは、新興諸国の経済成長を脱線させる
ことになるなるだろう。

Investors must decide whether the dilemma’s resolution will be a focus on controlling inflation or on stabilising currencies. The former means short-term local currency bonds or cash are the best bet, while the latter should lead to rising inflation and benefit emerging equities.

投資家は、この金融政策のジレンマを解決する方法が、インフレを
抑制することに重点を置かれるのか、あるいは、通貨価値を低く安定
させることに集中するものになるのか、その判断をしなければならない。

前者(インフレ抑制が中心)の場合は、短期の現地通貨建て債券か
現地通貨の現金に投資すること、後者(通貨価値の安値が中心)の
場合は、さらなるインフレを引き起こすので、新興市場の株式が
利益になるだろう。

Whichever they choose, emerging market investors need to keep both eyes on China’s policymakers.

彼らがいずれを選ぶにせよ、投資家は、中国の政策者たちの両方の
可能性を見ておく必要がある。

(転載貼り付け終わり)

根尾知史拝

高橋 郷 投稿日:2011/01/06 03:42

【142】[157]日本社会を憂う

傲慢を恐れずに言わせてもらうなら、私は岩手を知らずして維新後の近代日本は語れないと考えている、生粋の岩手県人であり、日本人以外のアジア人とアフリカ人の友人たらんと願い、恩師であるProf. Broadnax(http://faculty.maxwell.syr.edu/broadnax/)のように、権力にしがみつくことなく役割を終えれば自ら身を引くことを知るごく少数の一部の米国人を尊敬する者でもある。
元大統領のクリントンなどは権力の残骸にしがみつくだけの凡人だ。師であるProf.Broadnaxは、私の知る限り、国に捉われず社会と人間の本質を語ることのできる世界でもごく少数の者の1人である。彼と比べれば、直接話を聞いたことがあるが、ジョゼフ・ナイなど単なる知ったかぶりのインテリでしかない。(未だに講演中必ず米国の占領政策の成功モデルとして日本を名指しで持ち出す愚か者だ。)

 先月岩手銀行が世銀のグリーンボンドを購入するという愚行を犯したが(http://surouninja.seesaa.net/article/174633460.html)、県民の資産を危険にさらしたそのことの真意を問いに本店市場金融部を訪ねた。その結果、担当部長より「トリプルAの信用度がある米国債と同様グリーンボンドも岩銀の信用格付けでは最高位である。(それゆえ購入した)」との驚くべき回答であった。米国債と世銀の債券が最高格付けとは。この担当者はよほど世界の金融情勢に疎いのか、それとも権力者におもねるやからなのか。岩銀は長らく永野一派により支配されていることは公然の秘密であるが、うわさ通りご機嫌とりやごますり上手な者が上級職を占める組織だ。(どこの会社も似たようなものかもしれないが。)この記事のように、(http://blog.goo.ne.jp/ibarakiisuzu/e/dae53108667e3c218b0a32a6c838c352)永野氏は会長職を2009年春に電撃解任されているが、それはうわべのニュースの話でまだまだその影響力は衰えていない。現にこの担当部長も私が永野氏と同郷であることをにおわせただけでとたんに態度を変えてきた。日本人は本当に卑しい者が多くなってしまった。自己の安定のみを考え、小さくまとまるか、自己の栄達だけを考え、他人を蹴落とすような、卑しいものか、その2極化がはなはだしい。
温暖化問題など、今さら語るのも馬鹿馬鹿しいが、米国では、公共政策の中で、温暖化政策を学ぼうとする者はnutとレッテルを貼られるし(私は米国で温暖化についてどう教えているのかを知りたくて受講したが)、私の見たところでも、どちらかというと草食系の人間(いわゆるnerdと呼ばれるような)方が多いように思う。ちなみに、私はまじめに頑張っている人間をnerdと呼んで蔑むような米国文化は認めることはできない。そして、米国的平等と考えられてもいる、外国人もいっしょくたに米国の基準を押しはめて評価するやり方には断固として反対である。私はこのことで大学学長・副学長にも直訴して話しあったが、学長は何を勘違いしたのか、「本学で学ぶものはグローバルリーダーでなければならない」などとたわごとを言いだした。身の程知らずだ。米国発のグローバルリーダー等誰も欲してはいない。
温暖化に話をもどすと、米国の理系の科学者なら、気候変動などまともに測定できるはずがない、と言い切る。米国にいると、日本の温暖化問題熱が異様に見えて仕方がない。ノーベル平和賞を受賞したからと、IPCCの言うことを世界一額面通りまともに受け取るのも日本だけだ。私の教わった経済学の教授は、ノーベル賞は単に専門家のための賞だといった。そのとおりである。ノーベル賞=天才のような図式を描き、受賞者を持ち上げ、専門外の社会問題にまで口出しさせて聞いて喜んでいるのは日本人だけだ。学閥だってそうだ。いわゆる名門校にいくのは、”才能がある”ではなく、米国ではまず”お金持ち”の子弟と考える。この辺の権威に対する考え方は米国の数少ない良い点である。
大学のプログラムディレクターからは環境政策を専攻したいと相談した際、”環境問題は科学者かエンジニアが取り組むべき問題であって、経済学以外の政策面からのアプローチは意味がないからやめた方が良い”とアドバイスされた。全く正論である。日本では、理系の素養のない文系の人間ほど温暖化問題に口出しをしたがるから困ったものである。個人的には、ここまで暴走した温暖化問題がどういう帰結点を迎えるかには興味があるが。

日本に戻って来てから数カ月。留学前からわかっていたことであるが、日本が巨大な談合社会である現実は相変わらずだ。そして世界における日本のプレゼンスの弱体化は危機的状況であるのに、政治家ですらそのことを理解せず、どうでもよい小沢氏の問題を執拗に追及している。国民は、政治を遠い世界のことと思わず、どんどん身近な政党・政治家事務所を訪れ、意見を言うべきだ。そしてその人が(事務所が)どういう対応で話を聞くのかしっかりみなさい。政治の質が悪いのは、政治家の問題ではなく、良い政治家を育てる努力を放棄してきた国民自体に責任がある。この国にはまだ、民が主役の民衆主義が根付いていないのだ。
本日(5日)は、自民党の事務所を訪問した。1区の支部長がまだ決まらないと言う。高橋ひなこ氏という報道があったが、彼女では力不足だ、と私は言った。自民党はどうも、地元の名家、旧家(要は金持ち)の声に影響を受けやすいようだ。岩手の県都盛岡でも、土建屋の樋下氏が勢力を振っているし、現在の盛岡市長谷藤氏も地元の有力者、橋市グループの出だ。(谷藤氏の奥様は、数年前ご相談にお伺いした時、「八方塞がりだと思っても、上を見れば、ほら天井があるじゃない」とおっしゃってくださった面白い方である。)「高橋ひなこ氏の家に遠慮することはない」とも言ってきたがどうなるか。次回の選挙で自民党に揺れ戻しがくることは、これはもう明らかであるが、岩手においては、まだまだ民主が強い。どうやら自民党岩手県連は、誰を出しても、階猛氏には勝てないと白旗を上げているようだ。情けない。階氏は、てらいのなく、まじめなところは、一般人としてなら大いに好感がもてる。しかし政治家としてはどうか。少なくとも、階氏の東京の秘書、コボク氏は、礼儀知らずの嘘つきだ。しかし、岩手の階氏の秘書は礼儀をわきまえ、人の話に耳を傾ける。仲間をきっちりかばう。しかしそれは、あくまでも秘書の話である。そもそも、小沢氏は尊敬すべき立派な政治家であるが、岩手の全ての民主党議員が立派なわけではない。内閣府副大臣の平野氏は、議員立法であるNPO法案に成立には、とんと役に立たない人であるようだ。秘書のホシ氏も、「お世話になっております」と私に話す暇があるなら、主人の仕事をしっかりとさせてほしいものである。TPPの仲介役を果たしたなどと、周囲の人間以外は誰も評価していない。
岩手県民は、そろそろ、”東大”神話から脱却すべきだ。”東大”卒が能力の何の保証も担保にもなっていない現実をきちんと直視し、理解しなくてはならない。しかるに、岩手県は、愚かにも”東大卒”の肩書のあるものばかり当選させてきている。達曽知事しかり、階氏しかり、平野氏しかりだ。田舎の人間ほど、肩書に弱い。達曽氏など、民主党内からも知事に反対の声があったではないか。役人をやっていたということは、型どおりの枠のなかでしか発想できないということなのだ。(増田知事は違ったが。)現に、留学する東大出の官僚の多くが米国の授業についていっていない。(彼らは国費留学生なので黙っていても卒業はできるが。米国はそういう配慮はする国なのだ。)
いくら小沢一郎氏を応援したいからといってその他の有象無象まで一緒に当選させるのは次からはやめなくてはならない。どの党でもいいから、しっかり自分の足を運んでその人物と話をして判断しなさい。もっとも、対立候補にもたいした人物があまりいないのが、現状ではあるが。しかし、落選した中にもなかなか見どころのありそうな方はいらっしゃった。肩書や党名ではなく、自分の頭で判断しなさい。小沢一郎氏は偉大である。しかし、いつまで、日本に燦然と輝く歴史をもつ岩手県を「小沢王国」などと狭い社会にしておくつもりか。小沢氏に恩返しするつもりで、日本の他地域に先駆け、自立した”岩手県人”を次回の選挙で示してもらいたい。それが岩手県人としての矜持というものだ。

脈絡のない文章になってしまったことお詫びいたします。

石井裕之 投稿日:2011/01/05 15:54

【141】[156]中国の内蒙古から(フフホト通信)

明けましておめでとうございます。中国内蒙古の石井です。
御承知の通り、中国の正月は旧暦で祝います。
が、この「陽暦」の正月の賑わいも相当のものでした。デパートも一斉に売り出しセールをやりますから、商業地区はどこもかしこも「ヒト」で溢れかえっていました。私の居る街(呼和浩特(フフホト))では、屋外は氷点下10度以下の気温です。にも拘わらずこのような状況ですからこちらの人たちの活気の度合いが知れようと言うものです。

さて、今回はここにお集まりの皆さんの中に、レアアース系の知識を持った方がいらっしゃったら是非連絡を頂きたいと思い投稿させて頂いております。
と、言いますのも私の家内の実家近辺に磁石他のレアアースの鉱脈があると言うのです。
以下に、この付近を取り巻く環境を列記します。
・場所は、内蒙古自治区の首府である呼和浩特(フフホト)市の南方50kmに位置する和林(フーリン)県。人口20万人前後の小さな町です。
・西に150km程行くと包頭(バオトウ)市があり、そこは内蒙古を代表する工業都市です。内蒙古産出のレアアースは、目下この街で精製しているようです。
・和林は、大理石(御影石系ですね)の鉱脈を持っていることで近年全国からの注目を集めました。
・蒙乳(モンニュウ)という乳製品のナショナルブランドの発祥の地であり、和林の北方には蒙乳開発区という巨大な敷地面積を持つ経済開発特別区が存在します。
・大々的にはまだ開発が開始されていませんが、石炭の鉱脈もあるようです。
・ガーネットの算出も成されています。
・土地は、全体的に黄土(黄砂)です。キナコ状の土(キメの細かい砂)で覆われ尽しています。ベントナイトのようだと言えば判りやすいでしょうか。このあたり一帯がそうだ、と言っても過言ではないと思います。
・産業の一つとして、素焼きレンガ作りがあります。その原材料も豊富に産出されます。セメント分をほとんど混ぜなくても強度が立ち上がってくるそうです。
・農業で言えば、目下トウモロコシとジャガイモをメインに生産しているようです。

・この小さな町に、高速道路が3本も付けられることになりました。
・高速鉄道も乗り入れられるそうです。
・超巨大な火力発電所(北京、天津にも送電)の建設が既に始まっています。
・内蒙古で一番大きな「物流基地」が、上記蒙乳開発区の中に出来るそうです。
・噂では、蒙乳開発区の西外れに、新たに国際線の就航を念頭においた空港の建設計画もあるそうです(フフホトには既に立派な飛行場があるのに)。
・このような片田舎に、イギリス資本の「スタンダード・チャータード銀行」の支店が去年オープンしております。ここにプレミアム口座を開設する階層の人が今の和林に居るとも思えません。
・今後3年以内に、新たに20個の工場誘致が蒙乳開発区の東側地区で決定しているそうです。
・未確認ですが、強力な磁石の原材料が採れるようです。

以上の事を総合的に考えて(状況証拠ですね)、私はこの和林という場所に、内蒙古政府(或いは和林県政府)が新たにレアアースの集積場所、或いは精製工場を作ろうと思っているのではないか、と考えた訳です。
上記のような情報から、何かお判りになる方がいらっしゃいましたら是非ご一報下さい。
ひょっとしたら、大きなビジネスになるかも知れません。

ジョー(下條) 投稿日:2011/01/03 18:45

【140】[155]なぜ、最澄(伝教大師)は長安にいけなかったのか?

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。

さて、副島先生がぼやきで、最澄が長安、今の西安(シーアン)には行かず、天台宗の本山で修行したとことを取り上げています。

<引用開始>
この伝教大師(でんぎょうたいし)ともいわれる最澄(さいちょう)は804年に中国に渡っています。同じ年に空海(くうかい)も渡っています。空海は長安、今の西安(シーアン)にまで行っています。1年半ぐらいしか行っていません。

それに対して、最澄に至っては1年も行ってないのではないかと思います。最澄はどこへ行ったかというと、天台寺から行っています。日本の留学僧が必ず渡ったところは寧波(ニンポウ、ネイハ)という町で、上海からずっと南のほうへ行って、かなり大きな湾がある杭州(こうしゅう)の側(そば)です。中国人はみんな白酒という強い酒を飲みますが、日本人は紹興酒(しょうこうしゅ)が大好きです。その紹興という町に近いと思いますが、この寧波という町に日本人の留学生は何があろうがたどり着くわけです。そこよりさらに南のところに天台山というのがあって、ここが天台宗の総本山です。そこから、お経やら戒律やらをもらってきたわけで、大したことはありません。本当は長安まで行かなければなりませんでした。
(ぼやき「1152」 夏の終わりに実感で京都調査旅行を語る(3完)から引用)
<引用終了>

なぜ、最澄は長安に行かなかった、あるいは行けなかったのでしょうか?

その答えは、当時の唐の標準の発音である、いわゆる「切韻(せついん)」が彼はできなかったからというのが、私の考えです。

一般には、日本では神代(かみよ)の昔から、方言はあるものの、すべての人が同じ言語を話していたということになっています。日本書紀も古事記もそういう前提で話が進んでいるので、疑う人も問題にする人もいません。

しかし、歴史学者の岡田英弘氏は、日本にも実際は多くの言語があり、しかも、その人たちは、他の言語をしゃべる人たちとは商売以外の交流はほとんどなかっただろうと述べています。

<引用開始>
それでは、668年に天智天皇が日本を建国する前、7世紀後半の韓半島の人口構成はどうだったでしょうか。636年に唐が編纂した『隋書』の「東夷列伝」によると百済の国人は、新羅人・高句麗人・倭人の混合であり、また中国人もいる。新羅の国人も中国人・高句麗人・百済人の混合である、と書いています。この記事では百済には倭人がいるのに新羅には倭人がいないのが目立ちます。これは新羅が、倭から百済をへて南朝にいたる貿易ルートを外れているのが原因だと思います。

それでは日本列島ではどうだったか。ここで、同じ『隋書』に伝えられる、609年に隋使・裴世清が立ち寄った秦王国のことを思い出していただきたい。博多の竹斯のすぐ次が秦王国であり、しかもその先十余国をえてから倭国の難波の津に到着することから考えれば、秦王国は瀬戸内海の西部沿岸の下関付近だろうと思いますが、そこに中国人だけの秦王国という国が実際にあったことは、疑う余地がありません。そうして見ると、韓半島だけでなく、日本列島も人口構成は似たようなもので、倭人以外の種族が混じって住んでいたことになります。
(『日本史の誕生』より引用)
<引用終了>

つまり600年頃、倭には中国人(秦人と漢人)・新羅人・高句麗人・倭人がいたことになります。彼らの何が違うのかといえば、風習もありますが、主に言語です。ちょっと長いですが、『倭国の時代』から引用します。

<引用開始>
たびたび説明したように、漢人・百済人の言語は楽浪群・帯方郡で土着化した中国人と中国化したわい人・朝鮮人・真番郡の土着民とかが使った河北・山東方言系の中国語の基礎の上に、後漢・魏・晋の河南方言と南朝の南京方言と、475年の百済の南下によって中国化した馬韓人の言語との影響が加わって出来た言語であり、倭国の首都の難波から河内・大和にかけて話されていた。

秦人・新羅人の言語は、それよりも古く倭国に入ったもので、辰韓・弁韓の都市国家郡を建設した華僑が話した前漢の陝西方言系の中国語を基礎とし、それに辰韓人・弁韓人の土語の影響が加わったものであったが、大和・河内では新しく侵入した漢人・百済人の言語に圧倒されて影が薄くなり、奥地の山城・近江を中心として話されていた。

倭人の言語は3つの中では一番古いが、畿内の諸国では、平野部に入植して来た帰化人の言語の影響で語彙も文法もひどく変わってしまっていた。

以上の3つの言語はそれぞれ話される場がちがう。それぞれの言語を話す人々は、別々の社会を構成していて、コミュニケーションの必要があれば、ブロークンな中国語と倭語をちゃんぽんに使って、やっと用を弁じたのである。
(『倭国の時代』から引用)
<引用終了>

主に分ければ、倭には3種類の言語、つまり漢人(あやびと)・百済人の言語、秦人(はたびと)・新羅人の言語、倭人の言語があったわけです。そして彼らは「別々の社会を構成していて、コミュニケーションの必要があれば、ブロークンな中国語と倭語をちゃんぽんに使って、やっと用を弁じ」ていました。

さて、これらは違う言語ですが、特にちがうのが発音あるいは発声です。これは現代の我々の漢字の読み方にも残っています。

例えば「行」という漢字。これは「ぎょう」とも「こう」とも「あん」とも読めます。「ぎょう」を呉音、「こう」を漢音(かんおん)、「あん」を唐音(とうおん・とういん)といいます。また、他にも、呉音が入る前の古い読み方である古音というのもあります。

例えば「妙法蓮華経」は、呉音では「みょうほうれんげきょう」ですが、漢音では「びょうほうれんがけい」になります。唐音では「びょうはれんがきん」だそうです。

呉音は、名前からいってどうやら南方系の発音のようですから、先ほどの百済人・漢人の系統の言語でしょう。

一方、長安などの唐の中国語の発音が漢音です。また漢音の発音、発声、読み方を含めて切韻(せついん)といいます。後で述べるように新羅人・秦人の言語はこれに近いようです。

ちなみに唐音というは、名前と違って、もっと新しい発音で、明から清の頃の発音をいうそうです。

日本には、この切韻の発音をするための「音博士」という制度がありました。どうやら、当時、日本では呉音の発音が主流であり、漢音は特別な人しか使えなかったようです。

では、最澄はなぜ長安までいかなかったのでしょう?実は、最澄の母親は漢人(あやびと)です。上記で言えば、百済・漢人系の呉音の発音をしていた人たちです。ですから、基本的に中国南東部のことばしか理解せず、また切韻もできなかったということになります。

副島先生によれば、通訳(義真という人)がいたというから、切韻ができる人間をつれていったのだと思います。

「いや、そんなこと言っても、中国に行けば、発音を覚えてなんとかなるでしょう」と思う方もおられるとおもいます。そこで、空海といっしょに西安に修行にいった橘逸勢(たちばなのはやなり)という人の文章があるので引用しておきます。

<引用開始>
空海と対照的なのが、入唐も帰国の一緒だった逸勢である。空海は唐で逸勢の代筆をした。

<中略>

中国とわが国では言葉が違っています。私逸勢はまだ中国の言葉が不自由で、学校で勉学に励むことができません、仕方がないので、以前学んだものを復習しています。また、琴や書を学んでいます。
(『古代日本人と外国語』から引用)
<引用終了>

「私逸勢はまだ中国の言葉が不自由で、学校で勉学に励むことができません」と正直に書いています。したがって、長安に行っても中国語(ここでは切韻)がわからなければ、「以前学んだものを復習する」しかないわけです。

いずれにしても、空海といっしょに長安に行った逸勢の手紙は、長安に行かなかった最澄の選択が正しかったことを如実に物語ってくれています。

さて、それでは、なぜ一方の空海は切韻ができたのか?という話になります。

さきほど、倭では3種類の言語に分けられるという話をしましたが、この中で、特に重要なのが、秦人が話していた言語です。609年に隋使・裴世清が立ち寄った秦王国では、「その人華夏と同じ」であったと述べています。この華夏というのは「華(はな)のような中国の中心部」という意味で、当時の長安と同じということです。

つまり、倭にいた人の中でも、秦人であれば切韻をなんとか理解できたことになります。ただし、668年の日本誕生以来、秦人・新羅人は必死に日本人として同化していったそうですから、800年のころに話せた人は、そうたくさんはいなかったでしょう。

そして日本人で長安に留学して活躍できた僧や留学生は、この秦人の系統の人たちだと思います。例えば、弘法大師の出身は多度津というところの近くですが、この多度津も明らかに秦人の町です。また吉備真備(きびのまきび)は吉備下道の人です。この下道の古い人は吉備上道と呼ばれていますが、彼らは秦人であったということがわかっています。

この秦人は、今では秦氏とよばれ、なにかあやしい民族のように思われています。しかし、言語が当時の中国の中心部と同じだったのだから、彼らこそが、隋・唐からの最先端の土木・工芸・医療技術の担い手だったのでしょう。今の日本で、英語ができると最新の社会科学が学べるのと全く同じです。

下條竜夫拝

副島隆彦 投稿日:2011/01/01 14:22

【139】[154]新年のご挨拶を、今日のぼやきに書きました。

副島隆彦です。 今日は、1月1日(元旦)です。 たった今、私は、今日のぼやきの広報ページに、新年のご挨拶の文を書きました。そちらをご覧ください。 学問道場の会員、読者の皆様、今年ももよろしくお願いします。

私たちは、しぶとく頑張り続ける以外にありません。

副島隆彦拝

ジョー(下條) 投稿日:2010/12/31 19:09

【138】[153]アメタラシヒコとは誰だったのか?

あと、5時間ほどで今年もおわりですが、今年の最後に歴史について投稿します。

表題のアメタラシヒコという大王(おおきみ)を知っている人は、歴史通だと思います。この大王は日本書紀にも古事記にもでてきませんが、中国の歴史書である隋書の倭国伝にでてくる倭の王です。

隋書の該当の箇所を訳したものをそのまま貼り付けておきましょう。

<引用開始>
開皇20年、俀王あり、姓は阿毎(アメ、またはアマ)、字は多利思北孤(タリシヒコ、又はタリシホコ)、阿輩雞弥(オオキミ)と号す。

<中略>

王の妻は雞弥(キミ)と号す。後宮に女六七百人あり。太子を名づけて利歌弥多弗利(ワカミタフリ)となす。

<中略>

大業三年,其の王多利思北孤,使いを遣わして朝貢す。使者曰く『海西の菩薩天子重ねて仏法を興すと聞く。故に遣わして朝拝せしめ,兼ねて沙門数十人来りて仏法を学ぶ』と。
<引用終了>

この頃は、推古天皇の時代つまり聖徳太子の時代であり、当然、この名前の天皇はいません。通説では、アメタラシヒコは聖徳太子であり、聖徳太子を倭王だと中国側が勘違いしたものだと言われています。また、倭には二人の王がいて、タラシヒコは九州の王であったなどという説もあります。

歴史学者の岡田英弘氏は「日本史の誕生」の中で「中国側にはわざわざ倭人風の名前をつけてまで、ウソをつく理由は何もない、むしろ、日本書紀がなにかを隠しているのだろう」と論じています。

それではアメタラシヒコは一体だれなのでしょうか?本当に九州の王なのでしょうか?岡田英弘氏は別の本でまたふれると書いていましたが、まだあきらかにはしていないようです。

仮にアメタラシヒコという大王の存在を仮定すると、いくつか重要な事実が浮かび上がります。

まず、日本書紀は、この時代の事実を改竄(かいざん)していることになります。実は、日本書紀は、「中国風でかつ漢音を含んだ漢文」と「倭習と呼ばれる倭人色がつよくかつ倭音・呉音を含んだ文」の2つに大別できます(『日本書紀の謎を解く』より)。これは、書き手が二人いたと解釈されていますが、上から考えると漢文で書かれた文を倭人色の強い文で改竄(かいざん)したことになります。

この倭人色の強いところは、崇峻天皇の後半部、推古天皇、舒明天皇記だそうです。したがって、日本書紀が歴史時代(歴史書にあったことが、ほぼ間違いなくおこっている時代)に入るのはその後、つまり皇極天皇以下ということになります。

また、アメタラシヒコの存在を仮定すると、アメタラシヒコが大王になった後、事実上、天皇家は「天(アマまたはアメ)」という姓(名字)をもっていたということがわかります。実際、「天」という和風諡号(わふうおくりごう)を持った天皇が5代にわたって続いています。順に並べてみましょう。

天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)皇極天皇
天万豊日(あめよろづとよひ)孝徳天皇
天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)斉明天皇
天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)天智天皇
天淳中原瀛真人(あまのぬなはらおきのまひと)天武天皇

ちなみにこの後の持統天皇から「天」という姓は無くなります。

隋書や唐書にも、はっきりと「倭の王の姓は阿毎(アマ)」と書いてあります。ですから、「天皇家は万世一系であり、姓はない」とされていますが、この時代には姓があったと考えてもいいでしょう

実は新羅もこのあたりの時代から、金官伽耶の歴代王朝の名前であった「金」という名前を自分たちの王家の名前として用いています(『日本史の誕生』より)。ですから、同時代のことですから、別に「天」と姓を名乗ってもおかしくないことになります。

また、この後の天皇は皇極天皇=斉明天皇ですが、彼女の和風諡号が「あめとよたからいかしひたらしひめ」、つまり短くすると、「アメ・タラシヒメ」です。したがって皇極天皇はアメ・タラシヒコの妃か娘と考えていいでしょう。状況から考えて何人かいたうちの最後の王妃だと私は思います。

この「天」という王家は、北斗七星を死ぬほど愛し、自分たちの守護星としたと思います。それは北斗七星には「天」という字が入る星が4つもあるからです。アルファ星(北斗七星の枡(ます)の一番端の星)から順に、天枢、天璇(てんせん)、天璣(てんき)、天権という名前です。このような星座を他にありません。

また、北斗七星の枡(ます)で囲まれたところの星群にも「天理」という名前がついています。インターネットで調べると天理というのは天命と同じような意味を持つ言葉らしいです。

吉野裕子という歴史学者は、伊勢神宮の天皇の儀式である新嘗祭などは北斗七星の動きと関連していることを明らかにしています。これは多分、「天理つまり天命を柄杓(ひしゃく)を逆さまにして北極星に返す」というのと、「北極星から落ちてきた天理(天命)を受け止める」という二つの動作を表現しているのだと私は考えています。

実は、壁画で有名な高松塚古墳には星図がありますが、ここには、北斗七星が描かれていません。北極五星が書かれているので、北斗七星とよく勘違いされますが、描かれていません。スペースがたくさんあるので、ちょっと描けばいいから、はがれたのかもしれないと考え、その跡を探したらしいのですが、本当にないそうです。

ここから、高松塚古墳埋葬の時期に政治思想上の大転換があったことがわかります。天皇大帝または天皇の出現です。

さて、話を元にもどして、実はこのアメタラシヒコは、死んだという記録がありません。旧唐書では、632年に高表仁(こうひょうじん)という人が唐からの使者として倭を訪れています。この時は、太子と言い争いになり、結局、唐の帝からの文書を渡すことなく帰っています。この太子は、さきほどでてきたアマタラシヒコの皇太子ワカミタフリと考えることができますから、これはアマタラシヒコがこの頃でも生きていただろうということを意味します。副島先生はこの事実から、645年に乙巳の変で殺された蘇我入鹿をアメタリシヒコと認定しているわけです。達見だと思います。

しかし、私は「帝国・属国論」から違う可能性を見ています。つまり、アメタラシヒコはすでに死んでいたが、太子のワカミタフリは親高句麗政策を支持していたため、王の称号を唐からもらえなかったという可能性です。帝国・属国論では「倭王」という称号は帝国あるいは周辺国からの認知がない限りもらえません。仕方なく名目上、大王になったのが、皇極=斉明天皇です。多分、祭主に近い存在だったのでしょう。大王が決まらないとき、祭主が最高権力を握るのが卑弥呼以来の伝統です。

実際、孝徳天皇になって親唐路線になると男の王に戻っていますし、逆に反唐に戻ると女王(斉明天皇)が即位します。

これは、新羅でも状況が同じで、その頃は新羅も、やはり反唐・親高句麗でした。従って、真平王(しんぺいおう)という新羅王が死んだときに、善徳(そんどく)という女王が即位しています。その後も真徳という女王で、男王が新羅王になれたのは、親唐である金春秋という武烈王(ぶれつおう)からです。

この説がわかりやすいのは、日本書紀の聖徳太子と推古天皇の関係が、ワカミタフリと皇極天皇の焼き直しであった見ることが出来るからです。もちらん、ワカミタフリ=蘇我入鹿=聖徳太子、アマタリシヒコ=蘇我馬子です。蘇我蝦夷という人が入鹿と馬子の間にいたと歴史上されていますが、副島先生によると彼の存在は、疑問視されているそうです。

さて、以上のことを仮定するとおもしろい事実がひとつ浮き上がります。蘇我馬子には別にひとり息子がいるのですが、名前を「善徳」といいます。上に出てきた新羅女王が同じ諡号(おくりごう)を持っています。しかも、ふたりは全く同世代。2つの国の王家に同じ名前の子どもがいるのは偶然でしょうか?

つまり、新羅の歴史とは全然あわないのですが(例えば、善徳というのは諡(おくりな)で別に名前があった)、新羅の善徳女王、真徳女王というのは、本当は蘇我馬子と皇極天皇の娘だったのではないでしょうか?

そう考えると、皇極天皇の異常とも思える行動の理由が見えてきます。この善徳女王は戦場で死んだとされていますが、実際は金春秋に殺されたのでしょう。次の真徳女王も同じです。そうしないと、親唐であった金春秋が突然王になれるわけがありません。これを知った皇極天皇は激怒し、再び斉明天皇として重祚(ちょうそ)し、北九州までわざわざ出向いて新羅への復讐を誓った。こう考えれば、あの皇極天皇の異常な行動は、娘を殺された母親の復讐だったと考えることができます。歴史通の方だったら、「証拠はないけで、そう考えるとわかるなあ」と思われるのではないでしょうか?

下條竜夫拝