重たい掲示板
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Loginはこちら【281】[306]せっかく関西に避難した人は慎重に判断をしてください
今日は2011年3月21日です。
昨日(3月20日 日曜日)、「今日のぼやき」の1202番で副島先生の現地調査の報告を読みました。
土曜の夜は重苦しい気持で寝床に入ったのに、この報告文を読み気持が一気に明るくなり、光明が見えてきました。
下の299番のゆみこさんの安心した気持はよくわかります。多くの会員の皆様も同じくほっとされたのではないかと思います。
しかし、私は副島先生のこの文章を読みながら多少の違和感を感じました。これまで30冊近くのご著書を読み、「今日のぼやき」で膨大の文章を読んできました。
その中には私の信じてきた事を根底から覆すような記述がいくつもありましたが、今回のような違和感を感じたのは初めての事です。
「強運により、原発事故の凶悪事(強度の放射能汚染)から日本国民全体が、のがれることができました」と述べられていますが、その根拠として原発から8キロメートルの地点で、ガイガーカウンターの数値が15マイクロシーベルト毎時(15μSv/h)であったということです。
「すべてを疑え」「真実を暴け」というのが副島先生の教えであると私は理解しています。ゆみこさん、先生の文章も疑がってください。
その数値が正しかったのか(たまたま風上になっていたとか、ガイガーカウンターが壊れていたとか、極端な疲労で計器の設定の誤りで読み違いの可能性とか、、、)その数値が正しかったとしても、8キロメートル付近の数値を計っただけでどうして強度の放射能汚染がこれからもないと結論付けられるのか?
現地からの報告の文章は先生が極度の緊張と極度の疲労の中で書かれたものであろうと想像します。(事実この文章を午前12時10分から書き始め十数行書かれた時点で先生は激しい睡魔に襲われて午前3時まで昏睡されたようです)そのような疲労と一時的な楽観の感情に支配された中で書かれた文章である事を会員である私たちは正いく理解しなければなりません。
私は先生が決死隊を組織して予想されるメルトダウンの後、炉心をコンクリートで覆う作業を行い日本民族のために死んでいく覚悟を表明されたことを重い気持で受け止めました。本物の思想家はその思想により自分の死に場所を知って行動するのだと思いました。
現在決死の覚悟で冷却作業を行い、電気システムの復旧作業をされている原子力プラントの技術者の方々、自衛隊、消防隊、警察官らのすべての関係者の努力が成功して、事故を起こした原発が一刻も早くコントロール下に置かれるように祈っています。
そして、我らが副島先生がこれからも我々の先頭に立ち日本の真実を暴き続けられることを期待します。
【280】[305]2通のメールが届きました
昨日からこれまで2通のメールをいただきました。
1通目への返信は、大内なんでかなさん([301]Re)へのお答えにもなるかもしれません。
2通目は、深刻に受けとめました。重要な情報と思います。
1.123さんから
「副島先生は勘違いされています。安心なんかまだできません。」という題のメールで、「副島先生は単位を良く理解されていません勘違いです武田邦彦先生の見解を見てくださいhttp://takedanet.com/ 」とあった。
次のような返信を差し上げました。
(転載はじめ)
メールありがとうございます。
<私は、この原発事故地から、8キロの地点で、自分のガイガー・カウンターで計測して、放射能の線量(せんりょう)が、わずか、15マイクロシーベルト毎時(15mSv/h) であることを、自分の目で目視し、確認しました。>
<「原発の近くまでは、ものすごく危険だから行かないよ」と、誰でもが言うことを、彼も初めは言っていました。それを、少しずつ説得して、原発の事故現場の近くまで接近できたのは、やはり所持したガイガー・カウンターがあったからです。車を走らせながら、試標(サンプル)となっている、これも持参したラジウム鉱石で、「ほら、このように、健康浴場のラジウム温泉のラジウムでも、80マイクロシーベルト毎時( 80mSv/h) ぐらいの数値が出ているでしょう。>
たしかに「ミリ」と「マイクロ」の混同があります。ここは「μ」とすべきを「m」にしてしまったのではないでしょうか。
また、8キロ地点15マイクロシーベルト毎時は、131.4ミリシーベルト/年間になりますね。
<学問道場の、会員のみなさん、喜んで下さい。もうこれ以上の放射能の飛散は、ありません。微量の放射能の拡散には、私たちは、健康のまま、耐えて行けます。全国の空に広がっている、こんな微量の2~10マイクルシーベルト毎時(2~10μSv/h)の 放射能なんか、私たちは、がぶがぶ食べて、慣れきってゆけばいい。いちいち、微量の放射能の飛散になど、もう、私たちは、怯(おび)えてはいけない。 私は、自分の体で現地まで到達し、このことを確信しました。>
「2~10マイクルシーベルト毎時」は、「17~87.6ミリシ―ベルト/年間」です。
私も重掲板で知って、武田邦彦先生のブログをずっと見てきました。
武田先生によると、「一般人が年間に被爆しても大丈夫な量は1ミリシーベルト」「放射線の作業者は年間で50ミリシーベルトの放射線暴露が認められています」(原発緊急情報(14)http://takedanet.com/2011/03/14_9fe6.html)とのこと。「17~87.6ミリシ―ベルト/年間」は放射線作業者の基準の2倍以内です。
<副島隆彦は、弟子の石井君と、19日、早朝から、動き出して、死ぬ覚悟で、福島第一原発を目指しました。 放射線量(ほうしゃせんりょう)250ミリシーベルト毎時( 250mSv/h)までは、突き進む、と私は密かに決めていました。>
この覚悟からすると、15マイクロシーベルトはごく小さい数字に思われたのでしょう。
計算等に間違いがありましたらご指摘願います。
(転載おわり)
2.副島学問道場のファンさんから
(転載はじめ)
高岡 様
突然のメールをお許しください。
いつも副島学問道場を読ませていただいている者です。
副島先生がHPに、福島原発に関して楽観的なことを書かれていることに
不安を感じています。
物理学者の槌田敦先生(原発のプロ中のプロ)が、福島原発における作業に対し、
緊急提言をされていますので、ご紹介させていただきます。
槌田先生によると、海水の注入は全くの逆効果になるそうです。絶対に
してはいけないことだそうです。
なぜなら、海水を入れ続けるうちに、炉に塩がたまってしまい、水が循環しなく
なってしまうからだそうです。それと使用済み核燃料プールを急激に水で
冷やすと、崩壊してしまい、再臨界を起こすそうです。メルトダウンはしないけれど、
結果的に、メルトダウンしたときと同じくらい大変な事態を招くそうです。
東電と政府は、そんなことさえ知らない無知な人が作業にあったっていることは恐ろしい
とのことです。米国はたぶんこのことを知っていながら、しらんふりして、放水を協力
しているのではないか、とのことです。
チェルノブイリのように、鉛を投下し、その後に、液体窒素で冷やすと解決するとのことですが、
いろいろな知恵を、槌田先生は、原子力安全保安員に緊急提言したそうですが、
反原発学者の言うことは無視だそうです。
このままだと、無知は東電と政府によって、最悪の事態に突入するかもしれません。
槌田先生の詳しい見解はこちらです。非常に信用できます。
http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-1e2e.html
副島先生は原発のことに関しては、専門家ほどはくわしくないと思います。
槌田先生の見解を紹介させていただきました。
突然の失礼をお許しください。
返信は不要です。
副島学問道場のファンより
(転載おわり)
槌田敦氏講演メモ(「ふじふじのフィルター」)
から転載します。
http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-1e2e.html
(転載はじめ)
ようするに原子炉の運転をよく知らない人たちが運転していることになりますから、これは、東京電力の原子炉運転の免許を取り上げなきゃいけませんね。情けない限りですよ。何にも知らなかったんだなって。
で、一番知らないのは何か。海水をぶち込んだことです。こんなことをさせるだなんて、これは、保安院も一緒になってしていることですから、東京電力だけの責任ということではないんですけれども、原子炉の中に海水ぶち込んでどうなるか考えたことあるのか。ただ、水入れて冷やすってことしかないから、手近な海水を使った。
だけども、そんなものを使うとどういうことになるか。炉心で水が蒸気になります。炉心に残るものがあります。塩です。どんどん塩が残ってしまう。そしたら、そこ水が流れなくなる。ますます持ってとんでもないことをしてくれた。こんなことを日本の原子力の人がやってたということは、これはどうしようもない。
(中略)
【どうやって解決するか】
チェルノブイリ原発事故の時の経験をそのまま使えばいい。
何したか。天井に穴があいていた。ソ連の原発の場合は。その穴から鉛を落とした。で、燃料を鉛で包んでやった。もちろん鉛は、300度ちょっとで溶けるから、いったんは溶けて、そして、燃料を包んで、徐々に冷えていってということになる。そして、チェルノブイリの原発事故は終息に向かうことになる。
その時に鉛で包んだ上に冷やすのに、液体窒素で冷やしました。液体窒素が水よりずっと効率がいいわけです。それをそっくり頂ければいいだけじゃないの。
向こうは全くやる気がなさそうですね。
【反原発の言うことなど聞く気がない保安院】
16日付で保安院長寺崎さんに手紙を出したが、そこに書いておきました。何の返事もありません。要するに、反原発の奴のいうことなんか聞くもんか。これは、実は、おとといでしたかたんぽぽ舎で集まりがあった時に、槌田さんなぜそれを向こうに言わないかって、そんなこと言ったって採用なんてしてくれないよって言ったけれども、やっぱり言うだけ言うのは義務かなと思って、手紙は16日には出しました。だけども無視ですね。ということになると、水ぶっかける。海水をぶっかけることばかりこれからやることになります。
(転載おわり)
政府、保安院、東電、関係する諸々の方々、正しいことを言う勇気、正しいことをする勇気、己れへの諸々のこだわりをひとまずは棚に上げ、虚心坦懐この国難に対処し得るかどうかが問われています。お願いします。祈る気持ちです。
高岡亮一拝
【279】[304]今回の大地震・津波による福島第一原発の放射性物質拡散の問題の検証
埼玉在住の一般市民です。
現在,名古屋市内にきています。
今回の大地震・津波による福島第一原発の放射性物質拡散の問題に私が実感をもったのは,副島先生による,[207]の「炉心溶解が起きた」という報告が発端であった。
そして,副島先生からの[216]の報告では仰天した。
(「216」からの抜粋開始)
福島第一原発の 現地にまではいったカメラマンの 森住卓(もりずみたく)氏と、ジャーナリストの広河隆一(ひろかわりゅういち)氏の 報告文が、今は、一番、重要である。
(転載部分から抜粋開始)
写真家の森住です。
いま福島第一原発の町 双葉町(ふたばちょう)の取材から帰ってきました。
双葉町役場 や 双葉厚生病院 はすさまじい放射線が出ていました。
チェルノブイリ事故の現場から二〇〇メートルのところより酷(ひど)い。測定器は振り
切れてしまった。 町はゴーストタウンになっている。
(転載部分から抜粋終了)
(「216」からの抜粋終了)
この報告が副島先生をして「もう、日本は、完全に 超 異常事態です。1986年のチェルノブイリ原発事故 以上の 悲惨な 放射性物質の 大量の 広がりが起きています。」と言わしめたわけです。
しかし,私はこのことを信じきれてはいなかった。その理由は,かれらが現地取材してきた動画が貼られていたが(現在どこに貼られていたのか確認ができない。ご存知の方,訴お知らせ下さい),ガイガーカウンターのメモリが動画上ではっきりと見えなかったからである。それもあって私は, [224]で「どこまでが真実なのか」と提言したのであった。
そうすると,確か3種類のガイガーカウンターのすべてで「 測定器は振り
切れてしまった」のはなぜかなのである。すべてが故障だったというのであろうか?
(副島先生の現地取材による,今日のぼやき「1202」では写真にくっきりとガイガーカウンターの数値が見えました。)
また,[218]などで「キノコ雲の目撃情報があった。」という報告もあったが,そのキノコ雲はいったい何だったのであろうか?
非常事態で,副島先生が西への移動を呼びかけたのは国家的視点で重要であった。結果としては,わが国が存亡の危機から脱したのは不幸中の幸いであったと言えよう。
今日は 年老いた母親をつれて 熱田神宮で国家の復興を祈り,その後,ひつまぶしを食べにいくとしよう。
明日,埼玉に戻るつもりです。
【278】[303]放射線業務従事者の線量限度
繰り返しになりますが、一般的に放射線業務従事者の線量限度は、以下。
(貼り付け開始)
*放射線業務従事者の線量限度
放射線業務従事者の線量限度は、5年間につき100ミリシーベルト及び1年間につき50ミリシーベルト(女子(妊娠不能と診断された者、妊娠の意思のない者及び妊娠中の者を除く)については、前述の規定のほか、3月間につき5ミリシーベルト)。
なお、5年間は平成13年4月1日以後5年毎に区分した各期間。
(貼り付け終わり)
http://www.rea.or.jp/chutou/koukai/H21nendo/honbun-h21.htm
50ミリシーベルト=50000マイクロシーベルト
ですので、15マイクロシーベルト/時の線量ですと、
50000÷(15×24)=138.888・・
で、積算50ミリシーベルトに達するまでに138日もかかるのだ。
4か月以上だよ。
だーいじょうぶだあ!なんも心配なんかいらない!
みんなで乗り込んでもだいじょうぶ。1週間交代で
大丈夫を証明するキャンプとかもできそうに思います。
次の作戦行動のアイデアは、きっともう副島先生が考えておられますよ!
わたしは救出作戦の準備を着々と進めています。車はガソリン満タン70L
入っている。予備のガソリン缶も積んでいく。キャンプ道具も、積んで
いく。なにも恐れるものはない!がんばるのだ。
【277】[302]ロケットストーブ
泉浩樹です。実家が原発より内陸に約50km石川町にあります。
今は電話も回復して連絡が取れています。
この10日間副島先生に励まされています。
福島の被災地に出向いていただき、言葉もありません。
あつく感謝いたします。
ご承知の通り被災地には燃料が不足して居ります。
薪が在っても石油に依存しての生活です。
『ロケットストーブ』紹介致します。
http://nature21.exblog.jp/14436514/ こちらが判り易かったので拝借いたしました。お許し下さい。
ブリキを切れる金物と一斗缶と砂(土、砂利)、煙突のエルボー管を見つけられたら作れます。
これなら被災地で活躍出来るでしょう。
燃焼効率が良く、ススも出にくいです。
被災地の煮炊きに活躍する時です。あったかいお湯、暖を取って下さい。
煙突を延長出来れば室内も暖めれます。
気をつけて考えて工夫して下さい。
身体を動かし、何かを作る目標が出来ると元気が出ます。
現地に連絡網がある方には広めて下さい。
一人が二人、二人が10人へ!!
口では説明が難しいのでネット検索で理解して貰いましょう。(ネット環境の在る所から)
原理は簡単です。田舎の人間(自分も)は理解が早い。
原理を理解すれば他の材料でも作れます。(レンガ等)
時間も材料もいっぱいある筈です。
男どもに仕事を、女は煮炊きを!!(ん~、逆も可。)
がんばれ!東北!!負けるな日本。
泉 浩樹拝 Ⓒ
【276】[301]Re :
副島先生の放射線の計算がなんか違うと思うんですけどどうでしょうか?。
武田邦彦先生のブログhttp://takedanet.com/2011/03/post_3cdd.htmlから無断で貼付けます。
(転載貼り付け始め)
原子力情報 01 風評被害を無くすために
これから、福島原発を冷やすのに成功して徐々に沈静化していった後、福島県の人は農作物や魚それに土地の価格等いろいろな面で風評被害を受ける可能性があります。
それが本当のことであれば、まだ対策乗っ取りようがありますが、風評被害であれば本当に悔しいと思います。
数年前、風評被害の専門家と一緒に講演をしたことがありますその方は今回のことでもテレビでお見受けいたしました。
彼の話ですと、風評被害が発生するには一にも二にも「本当のことを言わない事による」と言っておられました。
日本ではメディアが本当のことを言わないので、日本の風評被害はほとんどメディアが原因するという研究を示していました。
確かに「風評」ということ自体が、事実と違うことですので、事実と違うことを言っているとその次に風評被害に遭うということを意味しています。
・・・・・・・・・
今回の福島原発でわたくしは「メディアが伝えなかったり、大きく間違ったことを伝えている」ことに3つあると思います。
一つは付近住民の被爆について「かけ算をしない」ということです。
これはすでに、このブログでは説明しましたが、1時間に10マイクロシーベルトという放射線は「安全なレベルだ」ということを繰り返していますが、それは「1時間だけそこに住んでいる場合」に限られています。
1時間で10マイクロの場合、2時間いますと20マイクロ、10時間ですと100マイクロになります。
普通「生活する」ということはその場所に1ヶ月ぐらいいますから、例えば42日ですと1時間の1000倍の時間、放射線をあびることになります。
たしかに1時間に10マイクロの放射線は1時間だけなら問題はありません。それはテレビのいう通りです。しかしそこに住んでいるとそれを1000倍にしなければならず、10ミリシーベルトになります。
放射線の基準値は一般人(赤ちゃん、妊婦を含む)が1ミリシーベルトですので、この値は明らかに一般人が1年間にあびて良いとされている値の10倍になります。
福島の多くの地域は、すでにこの値を超えています。
それでもテレビは安全だと繰り返しています。このようなウソをついていると人は政府やテレビの情報を信じることができなくなりそこに風評が発生するということになります。
「基準値を超えても安全だ」という論理はかなりおかしいのですが、もし規制値を超えても安全であっても、「基準値を超えている」ということを言わなければ、将来また同じような風評がおこるということは十分考えられます。
基準値を信用しない専門家でも「現在は基準値を超えているけども健康に問題がない」と発言すべきなのです。それは個人の責任として言ってもいいことですが、基準値は国の基準として存在するわけですから。それを言わないのは専門家ではありません。
ぜひ本当のことを言って欲しいものです。
・・・・・・・・・
2番目は、「すでに市民が受けた放射線」は測定することができないということです。
原子力に従事する人は、放射線をあびますから、必ず線量計やフィルムをつけて自分があびた放射線を測定します。これは厳密に守られています。
それは、一旦放射線を浴びてしまうと体の中を抜け、「遺伝子の異常」などの形で残ります。しかし、遺伝子にどのくらい障害が残ったかを測定することができません。
福島原発でも、地震のあと、作業員が原発から退避するときにでも被曝した線量を測定してから原子炉を出たと証言をしています。いかにあびた放射線の量を測定することが健康に大切かが分かります.ところが、事故が起こって以来、原発の付近に住んでいる人は、どのくらい放射線を浴びたかを測定していません。
従って、推定した計算でその人がどのくらいの放射線を浴びたかを計算するしかないのです。
テレビでは、人の衣服の周りをカウンターのようなもので測定している画像が出ますが、これはその時に衣服についている放射性物質の量を図っているだけで、本人がどのくらい被曝したかということとは無関係です。
これも間違った報道が行われています。
すでに福島原発から放射能が漏れてから7日経ちます。7日ということは168時間ですから。1時間当たりの放射線の値に168を掛けなければなりません。
例えば、原発の周りは1時間に100マイクロシーベルト、福島市では20マイクロシーベルとぐらいが続きましたから、すでに付近住民は16.8ミリシーベルと福島市の人は2ミリシーベルトの被爆を受けたことになります。
もちろん国の基準を超えていますので、健康に影響があるとしなければなりません。さらに、大人の場合は問題がないかもしれませんが、妊婦やお子さんは大いに心配しなければならないと思います.
おそらくこのことを報道しないのは、報道すると大騒ぎになるとか、線量計の数やフィルムバッチの数が足りないので、ここは隠しておこうということだと思います。
しかし、風評被害を止める意味でも事実をそのままいってそれに耐えるだけの精神力を政府は持ってもらいたいと思います。
・・・・・・・・・
三番目は、今後、福島原発がどのようなことになるかということを曖昧にしていることです。
確かにチェルノブイリやスリーマイル島の場合と違うので、今後どのくらいの放射能が出るのか、それともこのまま沈静化するのかわかりにくい面はあります。
しかし、この時こそ「原子炉の専門家」というのであれば、今後どのくらいのことが起こるのかということを明確に示さなければいけないと思います。
国や東京電力があれ程、懸命になって原子炉に水を注ぐ努力をしているのですから、仮に水を注ぐのが失敗した場合どうなるかということはすでにわかっているからです。
わたくしはすでにこのブログでおおよそ、このくらいの範囲になるだろうということとそれに基づく計算式を示しています。読者の方からは現実にその計算ができるホームページを作っていただいた方もおられます。
政府がやらないなら、わたくしたちで身を守らなければならないのですが、それはやがて福島県に風評をもたらすでしょう。
・・・・・・・・・
福島県の知事、もしくは福島の市町村の自治体の長は市民の側に立っているのですから、今後の風評被害を防止するという意味でもこの際、はっきりとした事実を市民の前に示した方がいいとわたくしは思います。
(平成23年3月19日 午前8時 執筆)
武田邦彦
(転載貼り付け終わり)
【275】[300]わたしも火曜日、双葉町に入ります。
先生、ほんとうにありがとうござました。信じて信じて、気持ちを強く
持って忍耐した。不安だったけど、乗り越えられた。
本日東京に行ってきました。エドガー・ケイシーという偉かった人がいて、
その流れをくんで現実を強く生きる方法を教えている先生に会ってきた。
その先生に会いに行く途中、短い移動時間の中で、福島出身の友達に
会いました。なんとその友達は双葉町の人です。話を聞いて、胸が
つぶれる思いでした。友達の悲しみが全身で感じられて、必死で耐えた。
そして、エドガー・ケイシーの先生に会って、力強く幸福な未来を創造
する決意と元気でもって山形に帰ってきたら、先生の大大大ニュースが
ありました。
すぐ友達と相談して決めた。火曜日に双葉町に、残してきた大切な家族を
迎えに行ってきます。長年を人間とともに生きてきた、彼らの大切な
わんこです。先生に続きます。きっと、家族を連れて帰ってきます。
希望を迎えに行くのだ!先生、ほんとうにありがとうございました。
【274】[299]明日、群馬に帰ります。
京都に避難している、群馬のゆみこです。
副島先生、石井利明さん、命がけの調査をして報告してくださって、本当にありがとうございます!お二人の勇敢さと冷静さは素晴しい!心から感謝します。報告を読んだ人たちみんながほっとしていると思います。わたしは京都の叔母に「ほっとした顔してるわ」と言われました。
わたしは数日前、崎谷博征さんの【[275]原発は最悪の選択である】を読んで、また広瀬隆さん出演のテレビを見て、日本は原発がなくてもやっていけることを知りました。それでわたしは原発がとても不憫(ふびん)に思いました。利権のために建てられて、自分自身がすごく危険な存在だと知りながら40年間働いて、今ほんとうに危険な姿をさらしている。わたしは観音さんになって、原発を抱いたろうと思いました。二晩、観音さんになって、原発と原発の悲しみを抱いて眠りました。
そもそも女の人はみんな観音さんです。たぶん。
これからまだしばらく原発が静まるまで、女の人みんなで原発を抱いてやりましょう。原発さん、いい子ね、大丈夫よ、あなたが身を挺(てい)して人々にもっと違う安全なエネルギーを使うことを考えさせてくれた、ありがとう、って、なだめてやりましょう。
わたしは明日、群馬に帰ります。嬉しいです。
先生、石井さん、本当にありがとうございます。
【274】[298]神風が何度も吹くことを祈る
崎谷です。
今朝、以下の記事のように1、2号機の配電盤兼変圧器に外部からの送電線を引き込み接続する作業が完了したという記事がありました。
この冷却装置を稼働させるまで(あるいは稼働できるかできないかを確認する作業)にもさらに1週間くらいはかかるのではないかというコメントが福島原発の原子炉格納容器設計者で元東芝の後藤政志工学博士からありました。
これであとは冷却システムが電気を送ったときに稼働するかにいまや世界中の耳目が属していると思います。
津波の影響や海水注入などによって、原子炉内部はかなりの損傷を受けていると想像されますので、冷却装置が生きていれば「神風が吹いた」といえる事態だと思います。
(転載開始)
1、2号機に送電線接続…20日から通電作業
読売新聞 3月19日(土)18時29分配信
東日本巨大地震で被災した東京電力福島第一原子力発電所で、冷却機能が喪失した1、2号機の配電盤兼変圧器に外部からの送電線を引き込んで接続する作業が完了した。
20日朝から2号機内部の機器を点検し、その後、緊急炉心冷却装置(ECCS)などの系統につながる大容量のポンプを動かし、原子炉や使用済み核燃料貯蔵プールなどを効果的に冷やす冷却システムが稼働するかを確認する。
同原発では、地震によって停電したほか、ECCSなどを作動させる非常用ディーゼル発電機も津波の影響などで破損した。
(転載終了)
崎谷です。その後、以下の記事のように福島第一原子力発電所3号機の原子炉格納容器の圧力が再び上昇を始めたことが報道されました。圧力があがったということは、開けていた弁が閉じたか、あるいは原子炉格納容器内の温度が上昇していることを意味していると考えます。
したがって、燃料棒が露出する可能性が高まっているのではないか(実際はすでに露出しているかも知れない)。
3号機にはウランより放射能が高いプルトニウムが核燃料として使用されています。しかし、圧力がこれ以上高まり、格納器が破損すると大惨事になるため、以下の記事のように別のバルブを開く可能性があると報道しています。これによって、再度高濃度の放射能が大気中に放出されることになります。このときも神風が陸から海に吹いてくれることを祈るしかありません。
この圧力を下げる作業のため3号機の電源の復旧作業や放水作業などは中断されますので、3号機原子炉内の温度が再び上昇していく懸念が出てきました。
(転載開始)
福島第一3号機格納容器、圧力降下策で蒸気放出
読売新聞 3月20日(日)12時58分配信
東京電力は20日、福島第一原子力発電所3号機の原子炉格納容器の圧力が再び上昇を始めたとして、格納容器内の蒸気を外部に放出して圧力を下げる操作を再度行うと発表した。
圧力は同日午前1時10分には約2・8気圧だったが、同4時30分には約3・4気圧になった。現在、所内で行われている電源の復旧作業や放水作業などは中断する。
3号機は13日午前8時41分から蒸気を放出する弁を開けたままで、圧力が再び上昇した理由は不明。この弁が閉じてしまっている可能性があるため、復旧作業員などが退避した後、弁を開ける操作を試みる。
それでも圧力が下がらなければ、別の弁を開けるが、冷却水を通さずに排気するため、強い放射能を帯びた物質が外部に放出される可能性がある。
(転載終了)
崎谷です。そして使用済みの核燃料が冷却貯蔵されている4号機の現状について、以下のように日米の見解の相違があることも報道されていました。
(転載開始)
福島第1原発 「4号機プール」見解相違 米「壁に穴」、日本「水位ある」
産経新聞 3月20日(日)7時56分配信
福島第1原子力発電所4号機の使用済み核燃料貯蔵プール(約1400立方メートル)をめぐり、日米で見解の違いが鮮明化している。日本側は19日、自衛隊による放水準備を進めたのに対し、米専門家らはプールに亀裂が入り冷却水が漏れ、「打つ手のない」(米物理学者)状況に追い込まれる可能性を指摘している。
4号機では15日早朝に爆発音が確認された。5階にあるプール付近で爆発が起きたとみられ、建屋が大きく破損した。計測機器が電源喪失で使えないうえ、建屋内は放射線量が高く、東京電力はプールの水位や温度を確認できない状況となっている。このことが日米間の食い違いを生む要因となっている。
米紙ロサンゼルス・タイムズ(電子版)は18日、米原子力規制委員会の複数の専門家の見解として、プールの壁に亀裂か穴が開いていると報じた。地震が起きた後の事態の推移のほか、事故発生時に同原発にいた米国人から得た情報をもとに判断したという。
原子力企業幹部も同日、米紙ニューヨーク・タイムズにプールが壊れており、水の補充が極めて困難になっていると語った。
4号機の危険性を最初に指摘したのは規制委のヤズコ委員長。16日の下院エネルギー委員会で「水はもう完全になくなり乾いている」と証言した。日本側は否定したが、同氏はすぐに「情報は信じるに値する」と反論した。
これに対し、北沢俊美防衛相は19日の記者会見で「米側の見解は聞いている」としながらも、4号機の表面温度が100度以下であるとして、残っている水により冷却の効果があらわれているとの認識を示した。
経済産業省原子力安全・保安院の担当者も19日、産経新聞に対し、プールの水位について「16日に目視した時点よりも下がっていると考えられるが、水がなくなっているという情報はない」と強調した。
16日に陸上自衛隊のヘリが原発上空で計測した放射線量は250ミリシーベルトと高い数値だったが、専門家は「燃料棒が露出していればもっと高い数値になるはずだ」と指摘する。
東電と保安院も4号機より、プールの水が蒸発して白煙が上がり続けていた3号機の方が緊急性が高いとして、3号機への放水を優先した。
北沢氏は「(3号機で)一定の効果をあげたら4号機に移る」と語った。
(転載終了)
崎谷です。以上からは、現場では今できる必要最小限の作業を行っていると同時に、新たに噴出した問題に緊急対処しなければならないという大変恐ろしい緊張状態がずっと続いていると思います。まだ予断を許しません。
スリーマイルの事故では偶然、格納機の底にメルドダウンして溜まったウランの反応が停止し、それ以上の大惨事を経験しなくて済みました。なぜ反応が止まったかはその後の専門家の検証でもまだ明らかになっていません。
これは、自然現象も含め世の中の出来事は正確な予測不能な「複雑系」物理現象だからです。物理現象がコントロール下にないときは、少し条件の違いによって180度違う結果が出ても不思議ではありません。
今回の原発事故も復旧した電源で冷却システムが“偶然”うまく稼働する、あるいは圧力が上がっていた格納機の圧が“偶然”に下がっていくといったかなり予測不能な偶然に依拠せざると得ない状況はしばらく続くでしょう。
そのギリギリのところにまだ私たちがいることを直視し、最悪の事態に備えるという「予防原則」の知恵を働かさなければなりません。現在の「予防原則」は、福島原発が制御不能になったときを想定して避難する準備をすることです。最悪の事態が起こらなかったらそれで安心したら良いのです。
私は今回の事故が起きた1週間前に福島近辺の住民は西日本へ避難させることが「予防原則」だと考えていましたし、今でもそうです。西日本には不況のあおりで空き室だらけの不動産やホテルが山ほどあります。ここを買い取るなり借りるなりして事態が落ち着くま避難させればよい。
日本政府のリーダーが「私は米国の暗殺部隊に殺されるかも知れない。しかしそれでもよいから積みあがった米国債の一部を売却して、そのお金に充てる」と国民に早い段階公の場で宣言すべきだったと思います。米国債を売却できなければ、それを担保に海外の金融機関で借款してもよい。
それを、政府は子供手当を廃止して復興資金にあてるなど相次ぐ増税策を話し合っているという報道がすでに出ている。とんでもない連中である。これ以上国民に増税すると日本の経済は奈落の底に落ちることは小学生でもわかることだ。それほどアメリカ、いや自分の保身だけが大事なのか。
このように日本という国は、明治維新以降は太平洋戦争までずっと現場の人間や国民だけにしわ寄せが来ていたのです。とくに太平洋戦争以降は、米国に心身を売り渡してしまったさもしい人間たちが、国民の上に立ち、散々搾取してきた。今もそうである。
また原発被害だけでなく、地震被災で両親を一瞬にして亡くした孤児たち(重度のストレス性心的外傷をこれからも負う)の問題も山積している。この子供たちを助けられるのは、今被害のない地域の余裕のある家庭だけなのだ。私の周りにも政府が声をかければいつでも孤児を引き取るという方がおられる。私も引き取れるものなら引き取りたいと思う。
日本がこの緊急事態に変わらなければいつ変われるというのだろうか。これから日本国民は、もう者分かりのよさそうな「大人」の言葉(米国という長いものに巻かれておけ)には耳を傾ける必要はない。国民の多くが現実を直視して自立していくこと、そして何度も神風が吹くことを切に願っています。
【272】[297]流域思想について
会員番号1149番の茂木です。
東日本巨大地震で被災された方々に心よりお見舞い申しあげます。また復興に従事する皆さまに深い敬意を表します。
福島原発事故が提起するこれからの日本のエネルギー政策に関連して、以前私のブログ
http://celadon.ivory.ne.jp
に書いた、「流域思想」と「流域思想 II」の記事を転載させていただきたいと思います。21世紀型産業システムであるところの多品種少量生産、食の地産地消、資源循環と整合するこの「流域思想」については、以前転載した「内需と環境技術」(旧サイト[1425])でも触れたことがあるので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。
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流域思想(5/11/2010)
これまで「内需主導と環境技術」や「牡蠣の見上げる森」などで紹介してきた流域思想(もしくは流域思考)について、“環境を知るとはどういうことか” 養老孟司・岸由二共著(PHPサイエンス・ワールド新書)の「あとがき」から、岸由二氏のお考えを紹介したい。その前に、本のカバーから同書の紹介文を引用しておこう。尚この本はすでに「内需主導と環境技術」の項でも紹介した。
(引用開始)
大地を構成する流域から考えよう。
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生物学者・岸由二氏は三浦半島の小網代や、都市河川である鶴見川の環境保全活動に尽力し確かな成果を挙げてきた。小網代は源流から海までまるごと自然のままで残っている、全国的にも稀有(けう)な流域である。本書で岸と養老孟司は共に小網代を訪れた後、「流域思考」を提唱する。自分が暮らす流域のすがたを把握することから、地球環境に対するリアルな認識が生まれるのだ。後半では元・国土交通省河川局長の竹村公太郎も鼎談に参加する。
(引用終了)
<同書カバーより>
次に、岸由二氏の「あとがき」からの引用に移る。
(引用開始)
環境を知るということはどういうことか。<脳化>社会の常識でいえば、それは、温暖化や、生物多様性の危機や、さまざまな汚染指標について、あまたの理論をまなび、技術や指標をマスターし、危機の現状と未来について知識をためこむことといって良いかもしれない。しかし本書に通低するテーマは、そういう知り方以前の知り方、生まれ、育ち、働いて死んでゆくヒトが、だれとどんな場所を生きてゆくと了解するのか、そういう意味での「生きる場所」としての世界の知り方の問題でなければならない。
(引用終了)
<同書「あとがき」(岸由二)より>
ここで岸氏は、自分を環境から外さない思考の重要性を述べておられる。これは、私が以前このブログで紹介したアフォーダンスの考え方と親和性がある。「アフォーダンスについて」の項からその部分を引用する。
(引用開始)
アフォーダンス理論では、我々の住むこの世界は、古典幾何学でいうような、直線や平面、立体でできているのではなくて、ミーディアム(空気や水などの媒体物質)とサブスタンス(土や木などの個体的物質)、そしてその二つが出会うところのサーフェス(表面)から出来ているとされる。そして我々は、自らの知覚システム(基礎的定位、聴覚、触覚、味覚・嗅覚、視覚の五つ)によって、運動を通してこの世界を日々発見する。(中略)
この論理の重要な点は少なくとも三つある。一つは、常に思考や行動の枠組みから「自分」というものを外さないということ。私は「集合名詞(collective noun)の罠」で、行為主体として自己の重要性を指摘し、自己言及性に富んだアフォーダンスとの親近性に触れた。(後略)
(引用終了)
<「アフォーダンスについて」より>
残りの二つの重要な点については全文をお読みいただくとして、ここに引用したアフォーダンスにおける環境の捉え方や自己言及性は、岸氏のいう“「生きる場所」としての世界の知り方”と極めて近い考え方であることがご理解いただけると思う。
続けて岸氏は、“「生きる場所」としての世界の知り方”の歴史を振り返る。
(引用開始)
思い切って単純化すればそのような知り方は、実は数種類しかないというのが私の感想である。足もとの大地を生きものたちと共に生きる場所として、採集狩猟民のように知るという知り方。足もとの大地を耕作すべき場所として農耕民のように知る知り方。そして足もとの大地から地球製を剥奪し、大地そのものの生態的な可能性や制約とますます離れた様式で、ひたすらに経済的な功利性・技術的な可能性に沿って空間を分割し、極限的にまったくの人工空間、デカルト的な座標世界として世界を構成することこそ成熟と考える都市文明的な知り方。これまでの歴史は、おおむねこの三種類の知り方を時系列として展開されてきたのではないか。地球環境危機は、その展開が、足もとのリアルな地球の限界によって、いよいよだめ出しされている状況と考えるほかないと、私は思うのである。
(引用終了)
<同じく「あとがき」(岸由二)より>
ここで氏は、地球環境に対する人類の歴史を俯瞰している。日本列島の歴史に引き付けていえば、縄文文化、弥生文化、都市文化、という流れだろうか。その上で氏は、次のように自らの「流域思考」を定義する。
(引用開始)
苦境からの脱出は、たぶん新しい文明を模索する脱出行となるだろう。それは都市からの脱出ではない。宇宙への脱出ではさらにない。むしろ都市の暮らしの只中において、採集狩猟民の「知り方」、ときには農民の「知り方」を駆使して、足もとから地球の制約と可能性を感性的・行動的に再発見し、もちろん都市そのものの力も放棄することなく、地球と共にあるエコロジカルな都市文明を模索する道なのだろうと私は考えている。採取狩猟民時代の人類は足もとの地表にすみ場所をさだめる地表人であった。産業文明の都市市民は足もとにますます暗く、<家族と家>というまるでスペースシップのような人工空間暮らしと、さらには実現するはずもない宇宙逃亡さえをも妄想する宇宙人となりつつある。その宇宙人たちが、採集狩猟の地表人のように足もとから地球=環境を知る暮らしを再評価し、地表人の幸せの中で子供たちを育てはじめ、やがて宇宙人+地表人=地球人となってゆく。百年かかるのか、二百年かかるのかわからないが、<流域思考>を手立てとして、人類はそんな道を選んでゆくことができるのだろうと私は信じているのである。
(引用終了)
<同じく「あとがき」(岸由二)より>
いかがだろう。新しい環境の知り方は、これまでの採集狩猟民的、農耕民的、都市文明的、という三つの「知り方」の上に立脚し、さらにそれらを発展させたものでなければならない。それがこれからの「流域思想」であると岸氏は云うのである。
流域思想 II(5/18/2011)
前回「流域思想」のなかで、流域思想とアフォーダンスの考え方の親和性に触れた。「アフォーダンスについて」の項では、アフォーダンス理論の重要な三点を挙げたので、流域思想についても、同じように重要だと思われる点を三つ挙げてみたい。その前に、「アフォーダンスについて」から、アフォーダンス理論の重要な三点を復習しておく。これは前回飛ばしてしまったところだ。
(引用開始)
この論理の重要な点は少なくとも三つある。一つは、常に思考や行動の枠組みから「自分」というものを外さないということ。(中略)
二つ目は、環境と知覚とが、運動を通して表裏一体とされる点である。(中略)表裏一体ということは、お互いの交換価値が等しいということである。私はこの価値等価性を「通貨とは異なる価値基準の鼎立」として、さらに展開・深化できないものかと考えている。これまでの経済理論では、生産と消費とは別々の場面で、それぞれ異なった動機で行われ、その価値は通貨という客観的な価値基準で決まるとされている。このようなアフォーダンス理論の経済学への適用は、まだあまりなされていないのではないだろうか。(中略)
さて、アフォーダンス理論の重要な点の三つ目は、「知覚システム」には終わりがないということだ。どういうことかというと、我々は、世界の何処で何をしていようが、常に世界全体を(一挙に)把握しているということである。知覚システムは常に環境からの情報をそれまでの情報に重ね合わせて修正を加え続ける。たとえば、今あなたはPCの画面を覗いているが、画面の後ろにある壁、部屋全体、家や街、そして世界全体を(一挙に)把握している筈だ。あなたの頭の中にはあなたがこれまで体験してきた世界の全てが同時にある。アフォーダンスではこれを「異所同時性」と呼ぶ。つまり、脳は常に「現在進行形」なのだ。
(引用終了)
さて、それでは流域思想に戻ろう。まず重要な点の一つは、アフォーダンスと同じように、常に思考や行動の枠組みから「自分」というものを外さないということである。これは前回「流域思想」の項でも述べたところだ。環境の内側から自己を捉えることが流域思想の重要な点の一つ目である。
二つ目は、多様性の尊重である。ひとつの流域は、水の流れに沿って一つの纏まりを形成する。「内需主導と環境技術」の項で紹介した“環境を知るとはどういうことか” 養老孟司・岸由二共著(PHPサイエンス・ワールド新書)によると、日本には「一級水系」と呼ばれる流域が全部で109あるという。同書から引用しよう。
(引用開始)
岸 日本には一級水系が一〇九ありますが、どの水系に対応する流域でも基本構造は同じです。生きものの体の単位が細胞で、細胞がわからなかったら生物がわからないのと同様、大地のことを知るためには、その構成単位である<流域>のことを知らなければならない。(中略)
私はグーグルアースが、ワンクリックで地球の全表面を流域に分けるプログラムをつくってくれないかなとつねづね考えています。プログラムは難しくないはずですし、そうしたら全世界規模で大地の認識が激変すると思いますね。(後略)
(引用終了)
<同書69-72ページ>
東京周辺の主な一級水系を挙げてみると、利根川、荒川、多摩川、鶴見川、相模川などなど。さらに二級以下の水系には、渋谷川、目黒川、呑川、帷子川、大岡川、境川、引地川などがある。自分が暮らしている水系を人々がもっと意識すれば、流域独自の文化と共に、全体の多様性について認識できる筈だ。
三つ目は、資源の循環。「牡蠣の見上げる森」の項で述べたような食物連鎖とエネルギーの循環が、流域思想の重要な柱の一つだと思う。自然に理に適った流域ごとの発電・供給システムはもっと検討されて良いのではないか。同じく「内需主導と環境技術」の項で紹介した“本質を見抜く力”養老孟司・竹村公太郎共著(PHP新書)から引用しよう。
(引用開始)
竹村 日本はどうしたらよいのでしょうか。私はやはり、エネルギー源を日本列島内で分散化すべきだと思います。「国土の均衡ある発展」などという建前ではなく、各々の地方地方が自立したエネルギー獲得システムとしく食料自給システムを作らないといけない。そうやって自立した地方には、今後必ず、都会から逃げ出す人が出てきます。地方にそのときの受け皿になってもらいたいです。
たとえば電力会社が大発電所を作り、全国津々浦々に送電するのは無駄が多い。そこで、たとえば過疎地は地元の川で水車を回してエネルギーを作ることにする。夜は水車で発電し、余った電気で水を分解して水素を作り、昼間はその水素をチャージする。そんな新しい文明を、国家として構築することが大事だと思います。(後略)
(引用終了)
<同書45-46ページ>
以上、流域思想の重要点を三つ挙げた。これからも様々な角度から流域思想について勉強していきたい。