重たい掲示板
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Loginはこちら【313】[340]原発の現状
副島様他の行動力に敬服いたしております。
しかし原発の現況、そして放射能汚染に関して楽観視はできないと思います。
躊躇しながらも敢えて投稿します。
関係者の決死的な復旧活動に関らず、最早、福島原発の何機かは制御不能になることが、避けられない状況に至っているような気がします。
勿論そうならないことを願っております。
【312】[339]結局
セシウムやヨウ素などは
確かに「ただちに健康を害する事はない」と言えそうだが
3号機の大爆発による「プルトニウム漏れ」に関しては
同様に安全と言えるのだろうか?
プルトニウムは重いから飛び散らないという
情報もあるが、
真実は分からない。
今の時点で、この程度の放射線濃度なら安全だと
信じたいが
それは「プルトニウムが漏れている」事を含めた上でも
安全宣言で良いのか?
その上で
奥さんや子供を持っている人は
判断をし直したほうが良いではないか。
【311】[338]原発流民
こんばんは。山形県の柴田寛喜(しばたひろよし)です。
副島先生の論を読み解くと、為政者は放射能に過剰に反応し、ありもしない危機に対する責任回避を行っている、と思われます。
原発の真実を隠すというような大それた陰謀を企てているのではなく、自己保身に走って、現実逃避しているだけなのではないでしょうか?
健康被害への責任を取りたくないという気持ちと、パニックの責任を取りたくないという気持ちが重なって、「自主退避」の促進を図っているのでしょう。
そうやって責任を曖昧にすることは珍しいことではありません。
責任回避に向ける情熱のすごさは、多くの方がお分かりだと思います。
私、地元の温泉にて福島県から避難されたご老人が話しているのを耳にしました。
移動につぐ移動を重ね、そのことを気丈に話しておられましたが、なおさら「流民」の悲哀が伝わってきました。
不適切かもしれませんがどうしても「流民」という言葉がしっくり来るのです。
日本人は動乱を起こさないのが立派だと信じていますが、それは素晴らしい面と哀しい面があります。
フクシマの人にはさまざまな意味でふるさとを返せと叫ぶ権利があります。
私たちも折を見てその一助を努めなければならないと思います。
見当はずれだったらごめんなさい。
【310】[337]福島の野菜を買いに来られる 田山晃さん
いわき市在住のNo.5161中西と申します。
田山さんの勇気ある行動に感謝して、いわき市内の現況を報告します。
いわき市小名浜は原発50km地点にあります。30km圏内ではありません(市の北端にある久ノ浜は30km圏内にかかります。副島先生が来られる四倉は30km強の圏外になります。ちなみに私の家は市の中央部にあり40km地点です)。
現在いわき市内では大手スーパーも含め野菜を売っているところが極端に少ない状況です。福島産だけでなく、どこ産の野菜も入ってこない、野菜だけでなく一般食品もほんのわずかしか入らず店を開けるとあっと言う間に完売してすぐに閉店となります。
いわき市民としては地元野菜でも何でも買えればすぐにでも買って食べたいのですが、販売量が少なくどこの店で売るかがわかりにくく、販売情報が入ってもすぐに売り切れてしまいます。決して買い占めたいのではなく、今日や明日に食べたい物を求めているので、いつ食べ物が無くなってしまうかという恐怖感もあります。年齢の行った人間にとって’すぐには健康に影響の出ない’程度の放射能など全く気にするものではありません。摂取を禁止して畑に生えているものをつぶす様なもったいないことをせず、事情を理解して食べたい人には好きに食べさせるような、物を大事にする施策をとることはできないのでしょうか?
その他、ガソリンも同じ状況で販売予定のスタンドは早朝から長蛇の列ができ、3時間待ってようやく高騰したガソリンが3千円分だけ入るということがいまだに続いています。
いわき市は3台から4台車を持っている家がたくさんありますが、これは豊かなためではなく車がないと生活が出来ないからです。ガソリンが無いと働きに行くことが出来ないし、食材を買いに行けなくなってしまいます。
したがって現在多くのいわき市民は物の不足により生活が大変困難な状況にあります。
このようになっているのは、いわき市内すべてが原発30km圏内と思われているため、物流トラックの運転手が放射能を恐れていわき市内に入ってきてくれないことによりわずかな物資しか入ってこないことが大きな要因になっています。
このままでは住民が離れ定って、いわき市が崩壊してしまうかもしれないという懸念もあります。
皆様のご協力をいただけますようお願いします。
【309】[336]福島の野菜を買いに行きます。
会員No6479 田山晃といいます。父親の親戚が小名浜、久の浜、折木という場所にいます。みんな埼玉草加市と足立区へ避難してきています。
小名浜、久の浜、折木の家は津波に流されずに済みました、ただ原発から30km圏内という事もあり不安だということです。親族はメディアを信じる人達ばかりなのですが、副島隆彦さんの活動を知れば安心して戻れると思います。
副島隆彦さんと弟子の方々が活動してくれる事を親戚にも伝えます。どんだけ心強いかと思います。
自分は福島まで行って野菜魚肉を買って食べてみんなに安全と伝えたいと思います、それぞれ、ツイッターやら日記やらで広く伝えられると思います。自分はmixiの日記で伝えたいと思います。
副島先生達の活動場所が決まり次第住所などを教えていただきたいと思います。野菜を買いにいくと同時に差し入れを持って行きたいです。そして親戚に福島は大丈夫と自分が言いたいと思います。書き込み待ってます。
こんな自分でも世のため人のためになる事をしたい。だから福島の野菜を食べます。
【308】[335]再び、双葉町。
土曜日にも双葉町に行きました。
朝4時に家を出て、5時に米沢に着き、ガソリンスタンドで
9時の開店を待つ。米沢はまだ山形よりも恵まれていて、
満タンつめてくれるし、5時で前から3番目だった。
スタンドでガソリンを詰めたあとは、ホームセンターで
9時半まで開店を待って、
しこたま犬とねこのえさを買い込んで(約50kg買った)
一路福島をめざしました。
うちから双葉町まで、片道約170kmの道のりです。
火曜日と水曜日に解放した犬とねこにえさを配り終えて、
土地勘ない場所で、地割れで行く手を阻まれたりして
作業はなかなか進まない中、日暮れまでがんばりました。
土曜日解放した第1号。
土曜日の第2号。
水曜日に解放した犬。PTSD気味で鬱っぽい。
家の中から ぞろぞろと出てきた猫。やせようがひどい。
これも水曜に解放したやぎ。ちゃんと家で家人の帰りを待っている。
町を望む。左手の白い建物が小学校。
美しい双葉町の田園風景。
なにも怖くないのに・・・知ってさえいれば。
インフルを怖がるひとたちに、なにを説明してもむだなのかな、とも思う。
でも、いまならまだ、間に合います。
どうか、飼い主のひとに少しのあいだだけ、家に帰ってきてほしい。
政府も一時帰宅を検討始めたとのニュースが流れている。
でも、そんなの待たなくても大丈夫です。
動物たちもそろそろ限界です。
114号線、浪江の入り口の検問所では、どんどん軽装になって
この日、ちょうど検問所のところにあるガソリンスタンドの車列をさばいていた
自衛隊の人たちはみな、普通の紙マスク一枚でした。
ガソリンじゃなくて双葉町のうちに帰るっていうと、笑顔で本線に誘導してくれました。
つまり、だれでも、普通に帰れるのです。
避難所の人がこの記事を見ることはないかもしれないですが、
縁のある方はどうぞ、教えてあげてください。
どうか宜しくお願いいたします。
【307】[334]遺体安置所の写真がニューヨークタイムズに載ってるぞ
遺体安置所の写真がニューヨークタイムズに載ってるぞ
【306】[333]会津若松市民です。
母が避難所でボランティア活動をしています、避難生活が長引いて被災者の方々は相当ストレスが溜まっているようです、子供たちは目の前で配給のおにぎりをゴミ箱へ爺さんにはこんな冷たいもの食べられるかと食事を投げつけられたそうです。酒をだせと暴れている方もいるそうで、やはり長引く避難所の生活、何かストレスを発散させてあげないといけないのでしょう。これからますます、被災者が会津へやってきます、どう受け入れてあげればよいのでしょうか?
乱筆で失礼しました。
【305】[332]副島隆彦です。今日のぼやき の方に 私の「報告文 9」を書いて載せました。
副島隆彦です。 たった今、
今日のぼやきの広報ページに、 「1204」番として、「 明日からまた弟子たちと福島に行きます。原発の放射能の測定を続けます。四ツ倉海岸に活動拠点を作ります(報告文 9)。 2011.3.27 副島隆彦」を載せました。 ご覧ください。
私は弟子たちと福島に行きます。拠点とする家が、なんとか私たちの福島復興活動」の本部として、うまく使えればいいのですが。行ってみなければ分かりません。
私が、次に、載せたいのは、津波の死者の遺体安置所の中の様子とか、1999年の茨城県東海村での、JOC(ジェイ・オウ・シー、住友化学の子会社)の、臨界(りんんかい)事故で、激しく被曝(ひばく)して死去した 作業員ふたりの 焼けただれた体の写真とか、チェルノブイリ原発事故(1988年)で、高濃度の放射能をまき散らす事故原発をふさぎにゆく作業員たち(全員死亡した)たちの写真とかを、載せます。
津波で死んだ人の遺体を、自衛隊が収容する写真も載せなければならない。 報道(プレス) は、自主規制とか、してはけないないのだ。どんなむごたらしい写真でも、報道 として、国民に伝えるべき 事件、事故の真実として、映して、写して、見せなければいけないのだ。
死者を冒涜するとか、被害者の人権に配慮すべきだとか、そういうことを言っているから、日本は、激しい、言論統制、思想統制の国に、されてしまうのです。 日本のジャーナリズムが、国民の番犬(ウオッチドッグ)として、権力を監視するために、国民の目である、という重要な役割を放棄して、「権力の番犬」に、なってしまっている。
政府、東電、原子力安全・保安院( 原子力を規制し監視する委員会 の方がいつの間にか消えている)の官僚たちの、 大本営発表を、垂れ流すだけの、おろかな、国家による情報・知識統制の下部機関、下請け機関に成り下がっている。 この、今の事態は、日本国民にとって、危険だ。
私たちは、被災者、退避者たちが、避難所から避難所へ、そして、親戚の家に引き取られていって、政府と東電を厳しく避難し、糾弾する声を上げられなくされて、疲れ切り、集団疎開させられ、悲憤慷慨の 嘆きの声をあげることも、それを報道することもしなくなったら、それは、日本が、国家統制体制の、翼賛政治(よくさん)政治体制に向かっていることの、危険な道だと、気づかなければならない。
特に、福島県民は、原発事故の退避(避難)で、封じ込められて、何も発言できないまま、抑え込まれ、そして、やがて無視されてしまう。福島第一原発から、10キロ圏の、双葉町(ふたばまち)は、埼玉県の加須(かぞ)市に移され、大熊町(おおくままち)は、会津若松市に移された。
楢葉町(ならはまち)と、浪江町(まみえまち)、広野町(ひろのまち)も、すぐに行政機能ともども、口封じで、仮設住宅の建設とともに、どんどん、散り散りバラバラにされて、隠し込まれてしまう。そのために、「原発の現場だけでなく周辺まで、今も危険です」 という 政府による巧妙に仕組まれた情報統制が行われている。
福島県の浜通りには、原発事故の被災地として、誰も近寄らせないようにして、事故の傷跡を、誰にも見せないようにする気だ。私、副島隆彦は、それは間違った考えだと思います。 ですから、再び現地に向かいます。 副島隆彦拝
【304】[331]117万ベクレル
飯館村でヨウ素117万ベクレル 土壌、直ちに退避不要
文部科学省は23日、福島第1原発周辺の福島県内で採取した土壌中の放射性物質の調査で、同原発から北西約40キロの飯館村で20日に採取した土から、土1キロ当たりヨウ素を117万ベクレル、セシウムを16万3千ベクレル検出したと発表した。土壌の放射性物質の量には国の基準値がなく、文科省は「直ちに退避が必要なレベルではないが、長期的な影響については専門家の判断が必要だ」としている。同原発から北西約45キロの川俣町で18日に採取した土壌からも、土1キロ当たりヨウ素8万4300ベクレル、セシウム1万4200ベクレルを検出した。
(共同通信社)
>記事のように、すさまじい放射能が現在も垂れ流れています。格納容器に破損があるのは、間違いありません。頭がおかしくなりそうです。