重たい掲示板
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Loginはこちら【354】[387]微量な放射能であれば安心でしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=4gFxKiOGSDk
京都大学原子炉実験所助教の小出裕章先生講演
【353】[386]微量な放射能であれば安心でしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=4gFxKiOGSDk
京都大学原子炉実験所助教の小出裕章先生講演
【352】[385]とにかく日本で生きていくしかない
放射能関連の情報が錯綜して、賛否両論ありますが、副島先生やお弟子さんが現地で自ら測定し、「安全だった」という事実は万感の重みがあります。我々日本人には何だかんだ言っても、今の職場や日本を捨ててまで、外界に活路を求める覚悟や気概がありません。
東北に駆けつけて、現地の声や事情を確かめたいと思っていても、自分の生活が優先で、実現できていません。でも、お気に入りの日本酒の酒蔵が宮城・福島には多く、ささやかながら復興資金を直接手渡ししたいと思っています。「義捐金」言う名の「偽善金」に私は全く信頼を寄せていません。有名人が億単位で寄付したとしても、集めた資金をどのように配分しているのか、その金額と時期を外部からもわかるように説明できなければ、横流し、売名行為、怠慢の謗りを免れないと思います。
【351】[384]原発周辺は安全ですか
副島先生は原子力の人たちと変な関係があったようですね
だから安全と言っているのですね。金の付き合いがあれば仕方ないですね。
【350】[383]会津若松の市民です。
観光地で有名な裏磐梯に地元産品を直売する道の駅があります。
裏磐梯は福島県なので農産物の出荷は出来ません。原発からは少なくとも120キロ以上離れていると思います。
先日生産者の集会があったそうですが、予想通り大変な騒ぎになりました。
このような集会に裏磐梯のある北塩原村の役場職員は出席出来ますが、県や、国の職員が出向いたら半殺しの目にあったと思います
県から、建設会社に原発処理に提供出来る重機の数の確認があったそうです。
被爆した水の処理に使用するそうですが、そうなると、何千万円もする重機が二度と使えなくなります。
また、重機を取り扱うオペレーターには家族全員の保証書の提供が必要ですが、保証内容は一切記載されてないそうです。
役人が仕事をしているふりをしているとお怒りでした。
また、会津には半導体、レンズなどを作る工場がたくさんありますが、福島県の部品は被爆の恐れがあるということで、使用されないそうです。
あまり、はっきり記載すると会社や団体が特定され、思わぬところでご迷惑をおかけするかもしれませんので、曖昧なところはご了承ください。
【349】[382]人間は何を食して生かしてもらっているか
元祖一般市民です。
日本では口蹄疫に感染した牛,豚が出たことにより,無差別に連帯責任を負わせて一定地域の牛,豚を皆殺しにした。
鳥インフルエンザウイルスに感染した鶏も同じく無差別に連帯責任を負わせて皆殺しにした。
そして,今度は放射線量が一定レベルを超えたという理由で,野菜類を無差別に連帯責任を負わせて一定地域の野菜を皆殺しにした。
次には,魚介類に対して同様の扱いをすることだろう,いや,もうしはじめた。
人間は何を食して生かしてもらっているか,そろそろ気づくべきだ。
経済を優先しすぎて,命を軽視しすぎるのはもうやめよう。
少しぐらい貧乏になってもいいじゃないか,他の生き物たちにもっと優しくなろう。
昨日,流された乳牛14頭が宮城農高に帰ってきたというニュースがあった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110405-00000500-yom-soci
良かった,良かった。放射能が出ようがなんだろうが,大切にしてあげてほしい。
テレビ番組で,牛,豚,鶏,野菜の虐殺死体を,ぎゃあぎゃあ言って軽いのりで食いまくるのもいい加減やめたほうがいいのではないか。
このままいけばわれわれは何も食べられない苦しみを味わわなければならなくなるだろう。
【348】[381]たびたびの投稿で恐縮ですが、福島県の近況です。
会津若松市民の磯貝太(いそがいはじめ)です。
3月11日の震災直後から1週間ほどの間、雀やカラスが会津若松市内から不気味なほど姿を消しました。
当方近隣の知人とのフェイスブック、ツイッターでも「どこに雀何匹、カラス発見」という話題で持ちきりでした。
お陰様で先週28日の月曜日あたりから戻りはじめ、今では、雀、カラスも戻ってきました。
しっぽが長い水鳥も見かけました。
4月4日に仕事の関係で会津若松から郡山に移動した際には、猪苗代湖に飛来するオオハクチョウものびのびと編隊を組んで飛んでいました。
渡り鳥を含め、国や県では放射能に汚染されているとされている地域の雑穀、雑草やらの餌を食べても雀やらカラスも元気で生きています。
放射能の被害が本当であれば福島県では鳥類の死骸が散乱しているでしょうが、そのような話は、今のところ全くありません。
逆にそうなれば、私も本気で逃げます。
相当以前になりますが、某宗教のサティアンで機動隊員がカナリヤとともに突入した映像の記憶がありますが、福島県の鳥類は元気です。
ここ最近気温が上がったお陰で、小さな昆虫も元気で飛び回っています。
人類が都合良く作ったガイガーカウンターという計量計の数値よりも、今は、鳥類、昆虫類の現状を信頼しています。
春先の弱小昆虫類は、市販の殺虫剤程度の毒物を用いれば一発で全滅出来るでしょう。
「頑張ろう」なんたらと精神論がテレビなどで放映されますが、精神論よりも一般論で論じることが必要だと思います。
私は一民間企業の会社員で福島県やら自治体、農協の職員ではありませんが、この場をお借りし福島県民を皆様から応援して頂ければ幸いです。
重ねてよろしくお願い申し上げます。
【347】[380]放射線量
№6291の篠原良一です。
ガイガーカウンターが中古で2万円くらいで(アナログ式です)、以前に比べアマゾンでも簡単に帰るようになりました。
ところで、大前研一氏が4月3日のbbtやユーチューブで、ようやく次の発言をしました。「放射線量はその場で違う」、「20キロは今回の線量では大丈夫」、「地表面の濃度と体積での濃度との違い」、「野菜等の出火停止はいけない(混乱するだけ)」、「計画停電はダメ」、「政府のミステイク」・・・と発言しました。
副島先生と大前氏は、思想、考え方も根本的に違うと思いますが、大前氏はグローバル的欧米化?サムライのイメージですが、副島先生の影響があったのか?と思うような気がします。副島先生は、すべて分かって「日本のサムライ」だと思います。
【346】[379]「約束」の重さ
元祖一般市民です。
2009年にコペンハーゲンで開催されたCOP15において,
当時の鳩山元首相は,「CO2排出量を2020までに1990年レベルと比較して25%削減する」と国際公約をした。これには世界中がびっくり仰天した。できるはずがないと思ったからだ。
しかし,東日本大震災を受けて,計画停電の実施や国民的節約志向が徹底され,さらに日本全体のあらゆる生産量が大きく落ち込んでいけば,ひょっとしたら意図せず実現できる可能性が出てきたのではないだろうか。
「約束」というのは軽視してはいけない。形が変わってもいずれ守らされるはめになるのだとつくづく感じさせられる次第である。
【345】[378]3月28・29日の報告文
こんにちは。
石井 利明です。
3月19・20日の調査に続き、28・29日に、再び、副島先生と福島現地調査に行ってきました。
少し遅れてしまいましたが、その時の報告文です。
私が、先生一行と合流したのは、28日の午前9時過ぎ。場所は、前回と同じ、那須塩原駅でした。
その前に、駅前のコンビニで熱海の仕事場から先生の車を運転してきた須志原さんと落ち合うことが出来。二台に分乗し、一路、東北自動車道で福島の郡山を目指しました。
前回は、高速道路が使用できなく時間が掛かったのですが、今回は、1時間弱で郡山に到着しました。
そこで、3月19日の調査で、お世話になった、西条タクシーのKさんと落ち合い、先生たちはタクシーに乗り換えです。
先生とKさんとは、短い付き合いながら、ちょっとした戦友という雰囲気がありました。
おそらく、タクシードライバーという人たちは、世界のどこでも、地元の情報のあらゆる情報を知り尽くしている人たちなのでしょう。そして、車の中の私的な密室の空間の中で知り得た情報を、私たちのような、よそ者に教えてくれるのです。
今回の調査の目的は、出来るだけ福島第一原発に近づきデータを採取すること、支援者の方から、使ってくださいと提供の申し出のあった、いわき四倉の住宅を確認すること、避難区域に残るイヌやネコの救援の3つでした。
前回の調査で先生は、「防護服の人たちと一緒に写真に写れなかったのが残念だ!」と言っていましたから、今回の調査は、郡山から一直線に原発を目指すルートを採りました。
まずは、浪江町、双葉町の前回の調査地点で、再度、放射線量を測定したところ、JR浪江駅前では、約7マイクロシーベルト毎時(μSv/h)。双葉町では、約20マイクロシーベルト毎時(μSv/h)という値を示しました。
・JR浪江駅前。
19日に測定した値に比べると、1/2~1/3位に減少していました。
私たちは、この数値に勇気づけられ、原発の正門に向けて進みました。
道を進み、道が開けたと思ったら目の前に巨大な原発が現れました。
私は、この大きさを見て、「近くに来ちゃったなぁ」と実感しました。
・福島第一原発5号機が見える場所で。
全員、車から降りて調査を開始すると、80マイクロシーベルト毎時(μSv/h)位です。
私は、カーナビに位置情報を登録しました。
北緯:37°25′2″
東経:141°1′20″
ここまで来ると、第一原発正門は、眼と鼻の先です。
車のステアリングを握る手にも力が入るのが分かりましたが、特別なことも起きずに正門のゲートにたどり着くと。
二人の守衛さんが、何だ何だ、という感じで飛び出してきました。
こちらも、ガサガサと全員で正門に向かいます。
こんな時、人数が多い、ということは心強いもの。数は力です。
また、各々、測定機器やデジカメ、ビデオなどを手に近づいたのも良かったと思います。
何だか、少し安心できるのです。
・福島第一原発正門前。
この辺りの、臨場感(りんじょうかん)は、先生のぼやきのとおりです。
私が少々可笑しかったのは、この守衛さんと会社(本部とでもいうのでしょうか)の会話でした。
「言っても聞かないんです!」
「帰らないんです!」
ということを連呼(れんこ)していました。
私たちは、原発にかかわる仕事の邪魔をしに来たのではありません。
先生が、ぼやきで書かれているように、「日本国民のための報道の自由、言論の自由に依る」現地調査に来たのです。
だから、簡単に帰るわけにはいかないのです。
次に、調査した第二原発の方は、もっと、おっとりしていました。
まず、服装が違います。事務服にマスクという、到って簡易ないでたちです。
近寄ると、ここの守衛さんたちも、「ダメだ!ダメだ!」、「帰れ!帰れ!」の一点張りです。
そこで、先生が「理由を言え!」と怒鳴ると。
なんと、彼らは、「上司がダメだと言っているからです」と答えました。
横で聞いていた私も、思わず、ガクッときました。
・福島第二原発正門前。
「東電の言うことは、福島県民や日本の人たちに、これぽっちも信じなれていないんだゾ。だから、私のような、第三者が現場に来て、測定して、事実を発表する、ということに意味があるんだ!邪魔するな!」と先生が言うと。
それ以上、ダメだ、とは彼らも言わなくなりました。
守衛さんたちも、分かってくれたのでしょう。
第一、第二原発に最接近できたことで、最初に目標であったデータ採取はあらかた達成できました。
今回も、拍子抜けするほど、すんなりと物事が運びました。
もしかしたら、ぼやき1207で先生が書いているように、
「副島隆彦という いつもは政府と官僚たちの悪口ばかり書いている人間を、うまく利用して、「絶対に政府と東電の肩を持たない、第3者の立場の人間が、そのように、自宅に帰りなさい。大丈夫です」と、言うことを期待しているのだろう。」
という気もします。
しかし、今回の調査も、前回の調査も、ウソをついている箇所は、一点もありません。
すべて、事実なのです。
そして、事実こそが尊いのです。
ウソだ、と言う人は。やはり、自分で現場に行って計測するべきだ、と思います。
残る目標のひとつ、イヌやネコの救援も、移動の道すがらに彼らが出てくるので、難しいことはひとつもありませんでした。
飼われているイヌやネコには、大雑把(おおざっぱ)に言って、二種類あるように感じました。
一つは、人恋しくて、すり寄ってくるもの。しかし、このタイプは、多くありません。二割くらいでしょうか。
もう一つは、ある程度まで寄ってくるものの、ある一定の距離からは、決して近づいてこないもの。イヌの大部分は、このタイプでした。彼らは尻尾(しっぽ)を股の間にしっかり入れていました。
・イヌに餌やり。
恐怖を感じているサインです。恐怖がひどくなると、イヌも精神病になるようです。
私は、身体の半分くらいの毛が抜けているイヌを見ました。
はじめは、他のイヌにやられたのかと思いましたが、毛が抜けるような傷跡(きづあと)が、全くありません。
人間が緊張すると、脱毛症になるように、イヌも毛が抜けるのでしょう。
半分人間のペットたちは、人間が居ないと生きられないのです。
その点、タマ(富岡駅前で先生に拾われたネコ)は幸運でした。
いわき四倉の住宅確認の作業は、初日の午後3時過ぎになってしまいました。
原発最接近の後、私は、個人的に、この拠点確保の問題が心配でした。
どうかすると、先生から、
「2、3日住んでみろ」と言い出しそうな気配(けはい)がありました。
私は、先生の言う、福島の出来るだけ、原発に近いところに住む、という意義と決心は理解しているつもりですが、災害地で生活する(たったの2,3日で生活というのはおこがましいですが)ことに対する不安がありました。
しかし、現場に到着すると、その家は、残ってはいるものの建っているのが精一杯で。とても、住めるような状況ではありませんでした。
私は、何だかホッとしました。
今回の調査で現場の事実に接してみて、私は放射能に対して、“恐れず侮(あなど)らず”という態度というか覚悟(かくご)が必要だと考えました。