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Loginはこちら【412】[457]副島先生の報告文12の感想と分析 その2
以下の所間違っていたので 訂正しました。
<間違い>チェルノブイリの100万分の1
<訂正>チェルノブイリの10万分の1
佐藤研一朗
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
つづけて佐藤研一朗です。
次に、これが示されれば原発の事故はもうダイジョブだと私が思える条件を考えていきたい。自分だけでなく、世界の人々がとりあえず Fukushimaは大丈夫だなと思ってくる条件を考えてみます。
<原発の事故はもうダイジョブだと思える条件>
1.この原発事故がチェルノブイリと比べ用もないほど小規模の事故だったということがハッキリとすること。
事故の全体像が分からないからみんな安心できない。
しかし、保安院の言う「福島原発事故の規模はチェルノブイリの10分の1」では、大半の人はとても安心出来ない。これでは10年は福島に行かないようにしようと思うはず。
西村肇(にしむらはじめ)東大名誉教授が主張する「事故の規模はチェルノブイリの10万分の1。この規模で100日続いても1000分の1だ。」というのであれば、安心出来る。 (西村肇教授による会見
理論物理計算が示す福島原発事故の真相 http://www.ustream.tv/recorded/13874304)
この違いが何処から来るのか、しっかり検証する必要がある。
学問道場の研究員の下條竜夫さんはこの重掲で次のように指摘している。
<引用開始>
原子力安全委員会が汚染の拡散予測では、西村先生がつかった「風下からどれほどの距離で汚染物質の降積量は増えるかを推測できる(プルーム理論)」が入っていないので、飯舘村(いいだてむら)での放射線量を高くするために、どうしても、もと(原発付近)の濃度を高く見積もらなくてはいけない。結果として、高い放出量になったようです。
<引用終了>
ここをやはりハッキリさせなくてはいけない。だれかが西村肇ところに出向いて、この違いはなんですかと聞く必要があります。保安院にも、どのような計算をしたのか突っ込んでもらわなければならない。
国際的に考えても重要だ。チェルノブイリの10分の1のままでは、日本は環境汚染国家の烙印を押されるでしょう。
日本への海外旅行も当分だめでしょう。でも1000分の1なら大丈夫だと感じる人多いだろう。そしてアメリカで予定されている東電訴訟にも影響してきます。
もし西村肇教授が正しいのであれば、どんどん海外に発信して、環境汚染国家の汚名を取り払う必要があります。
せめて西村肇教授が、外国人記者クラブくらいで記者会見をしてもらわなければいけない。
2.原発の事故が収束に向かっていると納得出来ること
これは報告文12で載っていた各地の放射線の推移のグラフが事態が悪化していない事をハッキリと示されていた。グラフは一目で分かるので効果的だった。
3.今後、最悪の事態(格納容器の爆発による広範囲におよぶ高濃度の放射能汚染)が起きない。または、起きる可能性が低いと分かること。
放射線のグラフを見れば事態が収束の方向に進んでいるように見えるが、まだ事態が悪化する可能性があるので安心出来ないと考える人は多いと思います。
1,2,3号機の原子炉の温度が150度~200度と、まだ高いのでまだ安心出来ない。
冷却ポンプが外部電源によって正常に動き、炉内の温度が、5,6号機のレベルに下がれば安心できる。そうなればもう事態は悪化しないと確信できでしょう。
今の段階でも、中部大学の武田邦彦氏も最悪の事態が起きる可能性は5%くらい、ゴールデンウィーク開けには、もう爆発の心配が無いところまでいくだろうと発言しています。
http://g2o.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-9a5a.html
4.今後、どのような工程で、どのくらいの期間で新たな放射性物質の外部への放出が終わるのか見通しがしめされること
事故がどのように終わるのかが、大きく示されていないから安心出来ない。
具体的にどのようなスケジュールで、どのような作業が必要となるのか、だれかが示す必要がある。
竹田氏は上記の動画で、次のように話している。
ゴールデンウィーク開けには、もう爆発の心配が無いところまでいく。
今後4ヶ月くらい減少しながらも放射能漏れはつづく。
15年から20年くらい様子を見て廃炉にする。
このような専門家が語った今後の道筋を集める必要がある。
5.この事故が収束に向かうとして、今の放射能汚染でどれだけの健康被害がでるか、でないかという基準が明らかになること。
避難地域に、子供を連れて帰るためには、ここが明らかになっていなければ安心出来ない。
ICRPの出している数字、緊急時は20ミリシーベルトから100ミリシーベルト/年までOK、長期的には1ミリシーベルトを目指すべきがどういう意味なのか、もう少し解説が必要。
帰った人が、日常的に放射線物質にたいしてどんな対策をとるべきか分からないと不安だろう。
ICRPのサイトで「原発事故のあと長期的に汚染された地域で人々をどう守るか」という報告書が無料でダウンロード出来るようになっていたので、70ページあるが読んでみます。
http://www.icrp.org/publication.asp?id=ICRP Publication 111
原発から遠隔地は、すでに放射線のレベルが平常値に下がっているから、大丈夫だというのは説得力がある。
6.今後、汚染された土地の放射性レベルが下がるのか、環境を改善することができるのかの見通しが示されること
ヨウ素の半減期は8日だから、原子炉からの飛散が減れば、各地の放射線レベルが下がるだろうが、セシウムの半減期は30年。もうセシウムに汚染されたらもう終わりなのかと、地元の人が心配していると思う。
人為的に放射線レベルを下げる手立てがあるのかを知りたいと思っている人は多いはず。
何かできるのであれば、無力感ではなくて、前向きな気持で、村に戻ってこれるはず。未来への希望がないと、人々はその地で元気に生きていけない。特に農家をやっていられる人が多いわけだから、土壌の浄化などを知りたいと思うはず。
武田邦彦氏は、人間の手でクリーンな福島を取り戻すことができると指摘。これがどれほど現実性があるかは別として、少し未来に希望を持てる内容です。
原発と生活 08 「クリーン福島」・大作戦
http://takedanet.com/2011/04/post_074a.html
現在、避難地域から避難されている方が、安心して子供を村に帰って暮らすとなると、自分がもしその立場なら、やはりこのくらいの情報がほしいです。
PS.
宮城は、もう完全に復興モードのようです。原発のことより、目の前の瓦礫を片付け、住環境を元の戻すことにみんな集中しているようです。
佐藤研一朗 拝
【411】[454]副島先生の報告文12の感想と分析 その1
アメリカ、ニューヨーク州ロチェスター市の佐藤研一朗です。一応学問道場の研究員の一人に加えてもらっています。今日は4月15日です。
自分は、今回の東日本大震災がおきてから、今回の原発の問題を、余震や放射能の恐怖もないアメリカから観察していました。事態をある程度冷静に受け止めている立場から、副島先生の報告文12まで読んだ感想と分析を書きます。
まず、副島先生と学問道場の研究員の仲間の体を張った原発事故の報告を賞賛したいです。いち早く現地に入って放射線のレベルを測って来たことは凄い活躍だと思います。現地でも直ちに健康に被害が出るレベルではないと分かったことで、後に続いてジャーナリストや専門家が現地に入りやすくなった。これは大切な事です。潜入リポートの動画を海外のメディアにも送るべきだと思います。
先生のボヤキの報告文12には一定の説得力があったと思います。自分もかなり説得されました(まだ完全にでは無いですが)。
報告文12を読んで、少なくとも原発から遠い東京などから避難した人は、もう戻っても大丈夫だと思ったはずです。たしかに東京などの放射線レベルはすでに平常値です。(各地の放射線レベル一覧をご覧ください。 http://atmc.jp/)
ただ、原発近くの避難地域から避難した人や、漠然と福島原発の今後に不安を持っている人は、まだ安心していないでしょう。
この原発事故は個人の生命に関わってくる問題なので、防衛本能が働いて、みんなが慎重になるのは仕方が無いことだと思います。しかし原発の問題を頭の中で整理できないと、日本全国復興モードにならないというのは、そうだと思います。
あまり感情的にならず、十分な根拠を示し、精密に議論をすれば、もっと説得力が上がり、現場まで行ってきた先生の言う事に、もっと多くの人々が耳を傾けるはずです。我々が頑張って何とか復興への道筋を描いていかなくてはいけません。
<ボヤキに掲載された報告文11までで示されている情報>
では、報告文11までに先生が提示した情報が、客観的にどんな意味があったのか考えてみましょう。
副島先生が福島第一原発の正門まで近寄って放射線レベルを測定したことで、つぎのことが分かりました。
1.政府が出している放射線のレベルが捏造でないこと。
2.福島第一原発の前ですら、直ちに健康に被害が出るほどの放射線のレベルではない。
3.原発の周辺地域でも、同様である。
4.避難している周辺住民(中年以上の男性)が一時帰宅して、必要な物を取りに帰るのは妥当である。
5.原発周辺の土壌汚染はかなり酷い。
報告書11までを読んで、原発周辺でこの程度の放射線レベルならば、原発から離れた東京などから避難した人は子どもを連れて帰ってもいいだろうと考えた人は多かったと思います。しかし原発周辺から避難した人が、子供を連れて帰っても安全だという根拠は現場の放射線レベルのほかは示されていなかった。
<ボヤキの報告文12で加えられた新たな情報>
次に報告文12で、新たにわかった情報を考えてみます。
1.副島先生の落ち着いた感じの動画のおかげで、先生が冷静に現場に行って状況をみてきたことが分かる(情報混乱状態の中、落ち着いた言葉使いや、文章の書き方が説得力を持つ。)
2.ICRP(国際放射線防護委員会)が出している数字(緊急時は20ミリシーベルトから100ミリシーベルト/年までOK、長期的には1ミリシーベルトを目指すべき)は非常に説得力があった。安心して避難地域にも帰ってもいいという、一つの判断基準を示した。
3.各地の放射線の推移のグラフが、(少なくとも現状では)事故が収束の方向に向かっていることをハッキリと示している。
4.各専門家や、政府や保安院の政治的立ち位置
5.避難地域の人々の大変な様子
報告書12で副島先生が、ICRP(国際放射線防護委員会)が出している放射線レベルの基準(緊急時は20ミリシーベルトから100ミリシーベルト/年までOK、長期的には1ミリシーベルト/年を目指すべき)と、自分で現地にいって測ってきた放射線レベルを比較して、安全だと言っていることが分かったのはいいことだと思う。このICRPの緊急時の基準値の意味をもう少し詳しく調べる必要があると思いました。
各地の放射線の推移のグラフを見るとやはり3月13日から数日間が一番高かったことが分かる。結果的に、いち早く3月12日に出来る人は自主的に避難するべきだと言った副島先生は正しかった。3月13日から数日間をピークに、各地で放射線レベルがだいぶ下がっている傾向にあることがよく分かった。現状で放射性物質の拡散が悪化していない、改善していることを、グラフが語っている。
次の投稿でこのくらいの情報が分かれば、自分は安心するということ書いていこうと思います。
【410】[453]福島県の会津若松市民です。
当方、色々と悩みましたが、本日、仲間内の定例の飲み会があり、今日のぼやき1210を印刷したものを回し読みして頂きました。
内容的にインパクトがもの凄いので、これを直接、避難所にもっていっても大丈夫なのかなど避難所でボランティアをしている方も飲み仲間にいるので、「おいてきて、本当に大丈夫かよ」などを含め相談した次第です。
当方の飲み会の人らも騒然となりました。
会津若松の市内の人も原発事故に関してもの凄く過敏になっていますので、大変な騒ぎになりましたが、結論的には、皆様方、安堵されたようです。
また、避難されている方々にも、是非、読んで頂き、書いた人(副島先生)がOKであれば、避難されている方々にも早急に伝えるべきという結論となりました。
前回までの副島先生の現地レポートは、印刷したものを避難所の掲示板あたりにおいてきただけでしたが、明日は、当方の連絡先を添え、避難所においてきます。自分でもよくわかりませんが、じわりじわりと腹が据わってきました。自分自身が突然変異したようです。
反応があれば、というより、間違いなくあると思います。
その反応の内容は、この掲示板か、内容によっては副島先生にお伝えしたいと思います。
ここ一番正念場が繰り返される毎日が続きます。
出来る範囲でそれなりに頑張ろうと思っているところです。
誤字脱字だらけで赤面していますが、ここしばらくの間、掲示板への書き込みのほど、よろしくお願いいたします。
【409】[452]税務署(財務省)は経済鬼である。
デヴィ夫人も、副島先生と同じく税務署と行政訴訟を行っていたことを自分のブログに書いていた。
(転載開始)
その時、 税務署員が、 私に、
「チケットは 売りましたか?」と 訊ねました。
私は、 正直に言いました。
「無名の人のコンサートに、 誰がチケットを買って下さるのでしょうか?」
アーティストにとって、 劇場が一杯、つまり 万雷の拍手を受けることが、
何よりの 幸せなのですから。
世界に埋もれている 才能を見出し、 世界に紹介し、
育成をするのが 私達、 イブラ財団のモットーでした。
「私のような 人間がしなくて 誰が 日本でするのですか?」
それに対し、 税務署員はこう言いました。
「それは あなたの趣味であり、 道楽に過ぎません」と。
そして、 これは 100%贈与税に相当すると言ってきたのです。
パバロッティでしたら、 1人で10万円のチケットが売れることでしょう。
しかし、 イブラ・グランド・プライツは、
全員無名のアーティストばかり。
いったい、 誰が チケットを買ってくれるのでしょうか?
もし 私が日本の「法律」を知っていたら、
「チケットは売れず、 赤字は・・・しかじかです」、
と申告すれば何でもなく、 良かったのです。
つまり、 日本で自己負担でする「慈善」は "道楽"とみなされ、
税金が100%かかる。
これが アメリカだったら 100% 税金が控除になります。
(転載終了)
(転載開始)
渋谷税務署からの 3年間にわたる 精神的苦痛と悪夢は、
一生拭い去ることは出来ない程の、 心に痛みを負いました。
私は余生を、 恵まれないアーティストと 動物愛護に費やそうと
思っておりましたが、 この日本では とても無理と 断念せざるを
得ませんでした。
犬猫の殺処分を救う シェルター建設の夢が はかなく 消えました。
私の心は、 本当に傷つきました。
自分で一生懸命に働いて 得た 自分のお金を
自由に使うことも 出来ないのです。
日本政府や 高官の税金の無駄使い。
良いことをして、 罰せられる日本。 良い人は日本に居られない。
こんなようでは、 良い人は皆、 日本から逃げ出してしまいます。
(転載終了)
日本の財務省は、お金のある人が、人を育てるという社会的使命を道楽と考えている事に注意しなければならない。
復興税の成立など増税を行う法律を成立されるのは、おかしいのでわないかと考える。
参照先:http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-10858844975.html
(全文転載開始)
2011-04-12 18:44:22
私は日本を去ります! 原発の為ならず、 日本の追剥のような税務署の為に
テーマ:ブログ
私はこのたび、 NYに立つ前、 弁護士に呼ばれました。
そして、 私自身が、 法廷に、 出廷する予定であった裁判所の方から、
「その必要がない」 と言われたとのこと。
つまり、 私の戦っている件が"敗訴"になる
ということを 示唆されたのでした。
判決は 5月12日(木)に 言い渡されるのです。
実は、 私は 東京地方裁判所 民事第2部において、
渋谷税務署を相手に、 所得税の更正処分の取り消しを求め、 戦い、
訴訟を起こしておりました。
私は、 スカルノの亡き後、 誰も頼らず、 誰の助けもかりず、
独りで一生懸命、 今まで働き 生きて参りました。
一時は、 「スハルト政権下」 のインドネシアに戻り、
10数年間、 フランスのエンジニアリング会社 Technip社、
米英の Foster Wheeler社、 フランスの Fourgerolle社、
スペインの Dragados社、 イタリアの E.N.I国営会社、
Nuova Pignone 重工業会社など、
主に パワープラントの仕事に没頭しておりました。
スカルノ未亡人としての体面を保ちながら、 パリでの生活、 そして
スハルト政権下で働くことは、 プライドをのみ、 語り尽くせぬ大変な
ことでした。 私の設立した会社では、 朝は 誰よりも早くオフィスへ行き、
夜は、 10時頃まで、 誰もいなくなったオフィスビルに
一人残って 仕事をしておりました。
19才から日本を離れ 40年間外国で過ごしていた私は、
日本の法律なぞ、 知りようも ありませんでした。
このことが、 私の人生に こんなにも 暗い影を落とすとは、
想像もつきませんでした。
縁があって、 10年前 私は 日本で還暦を迎えることができ、
愛する母と弟のお墓のある、 この日本の地で 安らぎを得たいと
思うようになり、 40年間の 外国生活に終止符を打ちました。
日本の地に足をつけ、 余生を過ごしたいと思ったのです。
そして いずれかは 母と弟のお墓に一緒に入ることができれば・・・と。
ですが、 スカルノ大統領は、 遺言に、
「私の亡き後、 デヴィが死ねば、 私と同じ墓に 彼女を埋めよ。
私の望みは、 永遠に愛する彼女と 共にあることである。」
と遺してくださいましたが、 スカルノ大統領は、 「独立宣言者」であり
インドネシアの初代大統領、 国家の「英雄」です。
「私一人」と そんなわけにはまいりません。 故に 私の毛髪位は、
スカルノ大統領のお墓の中に 入れていただいてもよいですが、
私の意向としては、 私の遺骨は、 母と弟と一緒にと
思っておりました。
日本に平穏を求め、 最後は日本人として過ごして生きたい、と
私は思っていました。 インドネシアに命を掛けた私でしたが・・・
日本の国籍に戻って、 人の薦めもあり 日本の政治に関与してみたい、
それには、 インドネシアの国籍から日本の国籍に
戻らなければなりません。
私は簡単に 自分の元の戸籍を復活できるものと 思っていました。
ところが、 インドネシアに嫁ぎ、 日本国籍を離脱した私は、
普通の外国人が 日本人に帰化するのと、
全く同じ 大変面倒な手続きを とらなければならず、
積み重ねたら20cm程の書類を 集め、 提出しなければなりませんでした。
そこまでして・・・ という思いと、 インドネシアを"裏切るような"勇気
もなく、 そのままにしておりました。
私の日本での仕事と生活が忙しくなり 荷物も増え、
ホテル住まいから、 御殿山の借家に移って 二年位たったある日、
エジプト・ロケの最中、 突然、 ショックに 突き落とされました。
品川税務署から、 "億以上"の 膨大な税金をかけられ、
私の全く知らぬ間に、 週刊誌に掲載されたのです。
つまり私は、 「外務省」と「法務省」においては
公用パスポートを所有する 「VISA」で日本に滞在している
"非居住者"でしたが、 財務省(税務署)においては、
"居住者"扱いになるということで
日本においての収入に対し、 数年分 ドンと 税金がかかってきました。
外国人の"非居住者"の場合、 私の日本で得た収入の源泉徴収は、
日本人は1割のところ、 自動的に2割を 支払うことでありました。
19才で日本を離れた後、 日本で 「申告せよ」と 言われたことはなく、
2割を払い続けて参りました。
それを、 税務署から それは「見解の相違」 であると言われました。
びっくりしましたが、 私は日本で得た収入に対し、
税金を支払うのは当然であり、 誇りをもって多額の税金を支払いました。
その時払った 私の都民税は、 1,500万円でした。
私が憤慨したのは、 私が会長を務める イブラ音楽財団の
ことについてでした。
イブラ音楽財団のことにつきましては、
4月1日の私のブログ、
「イブラ財団のために、 明後日ニューヨークへたちます」に
詳しく書いてございますので、 ご覧下さいませ。
それは、 イブラ・グラン・プライツに入賞した アーティスト17人に、
東京・初台の オペラシティのタケミツ・メモリアルホールにて、
コンサートを開催したときのことでした。
彼ら達17名の旅費、 日本での滞在費、 会場費(定員1,632席)、
楽器の運搬費等々・・・・
全て私が、 個人で、 2年間、 続けてサポート致しました。
2001年4月10日 第10回目の、 2002年3月25日 第11回目と。
そのコンサートにかかる費用は、 1回につき1,700万円位でした。
デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba
その時、 税務署員が、 私に、
「チケットは 売りましたか?」と 訊ねました。
私は、 正直に言いました。
「無名の人のコンサートに、 誰がチケットを買って下さるのでしょうか?」
アーティストにとって、 劇場が一杯、つまり 万雷の拍手を受けることが、
何よりの 幸せなのですから。
世界に埋もれている 才能を見出し、 世界に紹介し、
育成をするのが 私達、 イブラ財団のモットーでした。
「私のような 人間がしなくて 誰が 日本でするのですか?」
それに対し、 税務署員はこう言いました。
「それは あなたの趣味であり、 道楽に過ぎません」と。
そして、 これは 100%贈与税に相当すると言ってきたのです。
パバロッティでしたら、 1人で10万円のチケットが売れることでしょう。
しかし、 イブラ・グランド・プライツは、
全員無名のアーティストばかり。
いったい、 誰が チケットを買ってくれるのでしょうか?
もし 私が日本の「法律」を知っていたら、
「チケットは売れず、 赤字は・・・しかじかです」、
と申告すれば何でもなく、 良かったのです。
つまり、 日本で自己負担でする「慈善」は "道楽"とみなされ、
税金が100%かかる。
これが アメリカだったら 100% 税金が控除になります。
悪徳会社 / プロデューサーは、
これを「慈善」という看板を掲げても、 掲げなくても
営業・コマーシャルとして、 チケットが 売れても 売れなくても、
会社の赤字として 計上すればよいのです。 営利目的でして、
それを 何回も 何年間も し続けてもよく、 赤字続きとして
税金を払わなくてよいのが、 日本です。
私が 「日本の法律」 を知らなかったばかりに、
善意が、 このように不条理・不公平に扱われ、
良いことをしたのに 罰せられるがごとく、
税金を課せられ払わせられる。 しかも2年分(2回)です。
おかげで私は、 タケミツ・メモリアルホールで、 毎年コンサートを
開催するという約束を、 残念ながら出来なくなりました。
しかもその上、 品川の税務署員に 騙されてしまいました。
「申告漏れをした人は、 品川税務署の壁に名前が貼りだされます。
そうなると 更にマスコミに騒がれ、 知ることになりますよ。
だから僕達が、 申告書を作っておくのは どうでしょうか?」
びっくりした私は、 「それは困ります」ということで、
「是非 作ってください」とお願いをしました。
ところが、 それは真っ赤な嘘でした。
私が自ら、 修正申告書を提出しない、
つまり、 彼らが作成するということは、
『決定更正』にあたる事だったのです。
申告漏れの『修正申告』と、 『決定更正』には、
大きな相違がございました。
悪質なのは どちらでしょう!
この税務署員は、 後に日本橋税務署に栄転したと ききました。
私は 多額の税金を 毎年払うことが出来る位、
日本で成功できたら、 どんなに誇りに思うことでしょう。
私は非居住者でしたのに、 "居住者"としての税金を押しつけられ、
つまり 参政権の無い外国人、 しかし 日本人同様の税金をかけられ、
しかも数年間分を払わされたため、 これを機に NY、TKYを
往復することを止め、 正式に日本の"居住者"となることを
決意致しました。
そして 38年間住んでいた思い出の
パリのアパルトマンを売却し、 東京を拠点として
私の残りの人生を過ごすことにしました。
余生を愉しみながら いただいた「生」を還元しながら
暮らすことをし、 東京に居を移す大決心をし、
娘の反対を押し切って、 パリのアパルトマンを売却し、
日本の家の購入額の一部に 当てました。
私のアパルトマンは、 今は世界一のアヴェニュー・モンテーニュとなり、
プラザアテネの真前に位置し、
隣には、 クリスチャンディオール、 シャネル、 ルイ・ヴィトン等、
無いブランドはない位、 華やかな場所にありました。
娘カリナの始めてのクリスマス、 パリの自宅にて 1967年
デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba
お正月、 パリの自宅にて。
デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba
私の肖像画のあるお部屋 パリの自宅にて。
左、ビダル・クワドラス画、右クローディオ・ブラボ画。
デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba
インドネシアの政変後の1967年、 夫スカルノ大統領は幽閉、
私はパリへ生後6ヶ月の娘カリナを連れて 命からがら亡命してきました。
27才の時でした。
その翌年の68年2月 ジャカルタの元フランスのジレー大使閣下の紹介で、
ご家族のアパルトマンを購入しました。
当時、 政変直後のこと、 暗殺されるか、 何が起こるかわからないため、
自分の名前も出せず、 エドモン・ド・ロスチャイルド男爵紹介の、
スイスの弁護士の取り計らいで、 パナマ会社の名義で購入しました。
当然、 このパナマの会社は、 ペーパーカンパニー。
実務0(ゼロ)。 ビジネス・アクティビティ0(ゼロ)の、
名義だけの会社でした。
銀行口座も持たず、 38年間、 私は このアパルトマンの管理費、 税金
その他を 私の当時の東京銀行(現在の三菱東京UFJ)パリ支店より、
支払ってきました。
そして 私は今の東京渋谷、 松涛神山に 拠点を移したのでした。
"オフィス デヴィ スカルノ"を構え、 NPO アースエイド・ソサエティも
設立し、 日本での誇れる第一歩を 歩みだしたのでした。
ところが、 3年後のある日。
渋谷税務署から「このパリからの送金は何ですか?」と訊かれたので、
すでにフランスでアパルトマンの 売却代金の税金を 支払い済みの私は、
堂々と、 そして またバカ正直に、
「これは パリの不動産を売却したお金です」と、 答えました。
私は、 売却と同時にフランスにおいて、
会社名義の場合の 33.5%の税金を支払っており、
プラス、 フランス政府の出先機関、
不動産社のエージェント・フィー、 弁護士等々、
合計で、 売却代金の 4割近くを支払い、
その残りの 6割近くを 日本に送っていたのでした。
しかし、 ここで、 パリの私のアパルトマンの 全送金額は
パナマの会社の法人名義であり、 不動産売却に対しては、
「配当」となり、 税金がかかるということを 通告されました。
フランスの私の弁護士は、 「不動産」においては、
二重に税金をかけられないことは、 日・仏間のみならず、
国際法で決まっていると主張したが、
日本の税務署は、 それを無視。
私が「日本の税法」を知っていたら、 処置を誤ることなく
自分の口座に振り込むようなことは しませんでした。
しかし私は、 自分のお金で購入し、
自分のお金で38年間、 「管理費と税金」を払い続けてきたため、
そして 又、 "居住者ミーティング"の際も、
スカルノ夫人と呼ばれ(会社名義で呼ばれることもなく)、
売却時も、 会社名義の口座も無いため、
私の個人口座に 振込みをされたため、
残金を、 日本の私の自分の口座に振り込むことに、
何の不思議さも 持ちませんでした。
"自分の口座に送金振込することは、 間違いだ"と知っていたら、
しませんでした。 只、 それだけのこと。
日本の税法を知っていたら とるべき処置は、 いくらでもあるのだった。
しかも、 家を購入してから3年後、
私は これまた"知らなかった"というだけで、
多額の税金を 支払わなくては ならなくなったのである。
私は イチローでもありませんし、 石川遼君でもなく、 ましてや
ソフトバンクの孫正義社長や、 ユニクロ社長の柳井正氏でもありません。
かかってきた税金すべて、 払わなければ 利息が年間14.5%かかります。
再び 私に、 億に近い税金が、 都民税も又、 前回と同様に、
1,500万円かかってきました。
外国からの送金は、 もう怖くて とても考えられません。
普通、 私のように外国から送金し、 投資をし、 日本に会社をつくり、
日本で雇用をした場合 その国は感謝すればこそ
その国に入った投資額に対して 税金をかけません。
日本の場合、 良いことをすると、 罰せられるのです。
そんんな税法の国は、 世界にございません
私はこれまで、 税金を誤魔化そうとしたことは、 一切ありません。
逆に 沢山の税金を払えることは、"誉れ"と信じてきました。
なぜ、 40年間外国に住み、 外国での資産を処分したことに対し、
追剥にあうように 税金をかけられねばならないのでしょうか。
乳飲み子を抱えて、 一生、 戦場の一戦士として、
生き、 戦い抜いてきた私が、
38年間住んでいた愛着こもり、 想い出がいっぱいつまった
家を売って、 残ったお金が たったの 2%。
そんなことが ありえましょうか。
私が、 会社の実質的なオーナーでしたが、
社長は、 私の娘カリナでした。
私は娘の反対を押し切り、 パリの不動産を売却しました。
100% カリナへ引き継がれるはずの遺産が、
ゼロとなってしまったのです。
こんなに 悲しいことは ありません。
日本の税務署は あまりに "非情"です!
こんな不条理・不公平なことを、 私に強いる日本に住んでいられない
と思いました。 外国からの送金は、 恐ろしくて 何ももう出来ません。
私は、 銀行に借り入れをして、 この無謀な税金を払いました。
今や、 私は日本において、 銀行に返金するためだけに、
働くのみなのです。
そして、 私が 裁判にいくまでに受けた、
渋谷税務署からの 3年間にわたる 精神的苦痛と悪夢は、
一生拭い去ることは出来ない程の、 心に痛みを負いました。
私は余生を、 恵まれないアーティストと 動物愛護に費やそうと
思っておりましたが、 この日本では とても無理と 断念せざるを
得ませんでした。
犬猫の殺処分を救う シェルター建設の夢が はかなく 消えました。
私の心は、 本当に傷つきました。
自分で一生懸命に働いて 得た 自分のお金を
自由に使うことも 出来ないのです。
日本政府や 高官の税金の無駄使い。
良いことをして、 罰せられる日本。 良い人は日本に居られない。
こんなようでは、 良い人は皆、 日本から逃げ出してしまいます。
日本の法律に対して、 知識がなかったといことだけで、
追剥に合うような目に、 何故 私が合わされなければならないのか。
日本には 何億も 税金を払うためだけに 帰ってきたみたい。
前原氏は 25万円、 外国人から献金を受け 辞職しましたが、
日本の法律や、 規則をつくる ロウ・メーカーである 政治家。
なぜ菅首相は、 106万円を 外国人からの献金を受けたことが発覚し、
それを返金するだけで、 罪逃れ。
まだ「首相」となっていられるのですか?!
それでは、 私は 日本にパリから送った私のお金を、 処置の仕方が
間違っていたからと言って、 し直すことは 出来ないのですか?
パリの私の口座に戻せばよいのではないですか?
やり直しは きかないのですか?
私はこれまでに、 自分のお金を、
NYの国連環境計画に10万ドル(当時のレート1,100万円)
長野で開催された スペシャルオリンピックスに100万円
熊本 慈恵医大「こうのとりのゆりかご」に、30万円、
あいアイに、 27万円、
ミュージック・シュアリングに、 20万円、
そして NPOアースエイド・ソサエティから これまでに、
日本赤十字社に、 1,675万円、
難民を助ける会に、 2,575万円、
マルタ勲爵士団に、 1,196万円、
朝鮮赤十字会に、 120トンの精米、
パキスタン カシミール地震被害者に、
2,556枚の毛布と3,500枚の防寒着を、
エジプト スザンヌ・ムバラック児童博物館に、 100万円、
南アフリカ ネルソン・マンデラ基金に、 100万円。
パキスタン、カシミール地方での大震災へ、 物資を届ける。 2005年
デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba
パキスタンの赤月社の方の説明を受け、 被災者のテントを視察。
デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba
北朝鮮の赤十字社に精米120トンを寄付。
デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba
私の苦痛は、 今回の東日本大震災の 被災者の方々の
悲しみに比べたら、 なんでもないことではございますが、
大変傷つきました。
しかし、 被災者の乳幼児をお持ちのお母様方が、
まだミネラル・ウォーターを必要としていましたら、
これからも 送る努力は惜しみませんし、
動物愛護の運動は続けるつもりです。
日本の皆さま、 しっかり考えてみて下さい。
こんな不公平極まることは あるでしょうか?
鳩山由紀夫元首相と 鳩山邦夫元総務大臣。
このお二人は、 月 1,500万円の"子供手当"を
お母様から 何十年にもわたって 受けていたといわれています。
発覚した5年前に逆戻り、 納税義務が発生したようですが、
年1億8千万、 5年で9億円となります。
これは 意図的な(重要な)脱税であり、
"贈与税"を誤魔化そうとしたものであるのは、 明確です。
この方達には、 ほんの お義理の税しかかからず、
(全文転載終了)
【408】[451]非常事態に慣れていない
会員番号1021、岩手県盛岡市に住む小澤博幸と申します。
盛岡市から70キロはなれた岩手県沿岸部は、大震災後1ヶ月を過ぎても、普通の生活に戻ることが出来ていません。
わたしは、縁あって「ゆめ風基金」が後援して設立した「被災地障がい者センターいわて」のお手伝いを4月7日からしています。
http://homepage3.nifty.com/yumekaze/
http://yumekaze21.blog39.fc2.com/blog-entry-119.html
「ゆめ風基金」は、阪神・淡路大震災以来、被災して孤立している障害者を救援している組織です。障害者一人ひとりの情報が、とても重要なのですが、障害者の団体に、障害者の住所・氏名などを問い合わせると、「プライバシーなので、答えられません。」という返事が返ってきます。
「個人情報の保護」は、とても大切なことですが、それは「平時」のルールなのではないでしょうか。避難所を覗けば、ダンボールのついたてで、何とか他の家族と間合いを取っています。プライバシーなんてありません。
こういう非常時には、ルールは変わるのではないでしょうか。まず、命を救ってからのプライバシーです。
がけ崩れの時には、普段穏やかな人でも、叫び声をあげて、警告を発すると思います。
「個人情報の保護」という言葉によって、横のつながりが断たれています。わたくし達は、非常事態に慣れていないので、どんなふうに行動していいか
わからなくなっています。
「平時」と「非常時(または戦時)」との違いを認識して、行動すべきだと感じました。
【407】[450]「16日(土)午後3時より小沢一朗民主党元代表とフツ―の市民緊急座談会」
東京在住の28歳です。
ニコニコ生放送のアドレスが決まりました。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv46671523
USTREAM(APF通信)
http://www.ustream.tv/channel/apfnews-live
私がこの座談会に参加できるのはとても「不思議な縁」ですが、とにかくこの「未曾有の緊急事態」ですので、小沢一郎氏にトップに立っていただき圧倒的リーダーシップで早く日本を救っていただきたいと切に願います。
明日(16日)、午後3時~です。
正式に決まったのが昨日(14日)のことで十分に「告知」できず、何度もこちらの学問道場に掲載しますことどうかお許しくださいませ。
【406】[449]真実
副島隆彦さん安全ならば原発の近くに住んでみれば
2,4日行ったから安全は少し馬鹿じゃないの!
私は電気事連と付き合いがあったから安全と言って
いると本当のことを言ってください。
他の人から言われる前に
【405】[448]福島県の会津若松市民です。
困ったことになりました。
いいのか悪いのかよくわからない状況になっています。
私は、決して自発的ではなく、軟弱者で町内の区長さんやら民生委員(すいません以前は、民生員と記載しました)の勢いにおされて避難所のお手伝いに行っていたよう者です。
震災直後、地震、津波、放射能と大パニック状況で、当方のような者も結構かり出されましたが、最近は落ち着いてきたお陰であまり行かなくなりました。
区長さんらとお会いすると、津波とか、地震があった方々でも、ご自宅がなんとかなる方はほとんど帰られたようです。
震災当時は、こちらも放射能が吹っ飛んでくるのではないかという大パニック状況から気が動転していましたので、避難されていた方とも、もの凄い一体感がありました。
時間が経つと、避難者と定住者との間の微妙な距離感も感じています。
このあたりを具体的に記載すると、自己嫌悪になりそうないやな差別意識になるので割愛しますが、このあたりの意識は、自分自らを含め反省しなくていけないと思います。
今では、ほとんど福島原発事故で避難されている方々のみが残られたので、その方々のお子さんらの小学生、中学生らが、少子化で廃校になった学校校舎や、市役所内の庁舎などで開校されました。
小学生が800人ぐらい、中学生も200人程度が、仮校舎で入学、進学をしました。
友達と離れたくないなどの理由から、想定された以上の人数だそうです。
子供は、理屈抜きの直感的な雰囲気を感じ取るのでしょう。
転校すると差別されないかが心配なのではないでしょうか。福島県自体が差別から、福島県の中での差別があります。本当に悲しい事です。
このようなことは、大人、子供関係なく理屈ではないので、今後どうすればいいのか、難しい対応になっていくと思います。
この道場内では福島原発事故に対する安全宣言されていますが、現実は厳しいです。
ところで、20年ぐらい前に、地府で工業団地が乱立しましたが、ほとんどが売れ残って、いまでもいわゆる塩漬けとなっています。
そこに、仮設住宅が建てられることがほぼ決まってきました。
工業団地の区画自体ものすごく広いので、仮設住宅も1工業団地1区画当たり200戸とか100戸の仮設住宅が立ち並ぶ事になります。
仮に200世帯で1世帯4人家族となれば、いきなり、800人が居住する集落が出来上がります。
具体的な数字は分かり次第ご報告したいと思います。
とはいえ、受け入れ側も、売れ残りの工業団地の有効活用で人口も増える。人口が増えれば、国から地方自治体に落ちてくる地方交付税交付金が増えます。
人口が増えれば、福島県のような猛烈な勢いで過疎が進む地域にとっては、天の恵みのようなものです。
ましてや、夕張ではありませんが、工業団地整備の多額の起債事業(起債というと名前はかっこいいのですが、わかりやすくいうと国債と同じで借金です)の返済にも歯止めがかかります。
体育館当たりの避難所生活での被災者のストレス(最近直接見ていないので伝聞です。すいません)が、極限状態だそうですので、仮設住宅は喜ばれるでしょう。
そうなると、この学問道場では、自宅に帰っても全く支障がない原発周辺の方々が、自宅から100キロ以上離れた会津の仮設住宅に住むことになってきます。
一般的に仮設住宅は、自宅がなくなって困っている方々、自宅近くに建てられるものだと思いますし、阪神大震災や、今回の大震災での津波や地震の被災者の仮設住宅も今まで住んでいたところの近く建てられているようです。
会津に避難されている方々、津波、地震で避難された福島県の福島市や郡山、いわきなどに避難し、そのあと避難命令が出た原発付近の方々が、ところてん式に、それから奥の会津にはじかれて避難されることになりました。
今のところ、一時帰宅も許されない、帰宅も絶望的となると、今、避難されている会津若松を中心とした自治体の仮設住宅をどうして建てるかということになってきます。
ところが、この学問道場では安全宣言がされました。そうなれば、仮設住宅建設自体が無駄になるでしょう。
ところが、一般世間はそうなりません。
これから、200とか300、400とかの仮設住宅建設が着々と始まります。
そうなると、用地買収、建材費、人件費は、全額東京電力からでるのでしょうか。
1人でも、地震、津波の被災者がいれば、東電は関係なしとなり、私を含め、皆さんが取り立てられる税金(血税)からの支出となるではないでしょうか。
そうなると、「ああそうか大変ですね」とかの問題ではないと思います。
日本は借金まみれだとか政府が言っていますが、たまたま被災者受け入れをした自治体やら業者の火事場泥棒やら焼け太りではないでしょうか。
余震やら、原発事故などが落ち着いてくると、このほかにももの凄く変なものが見えてきます。
ここ最近、美談も多々ありますが、考えたくなかったり、みたり聞いたりしたくない嫌な事も、毎日毎日、ハリウッドのアクション映画のような展開です。
当方、3月11日以来、震災やら、原発事故の当事者になってしまいましたので、しばらくの間はおかしいなとか、変だなと思うことを乱筆乱文ながら投稿していきたいと思います。
よろしくお願いします。
【404】[447]福島県南相馬市・浪江町に4月13日に行ってきました。
長井大輔(ながい・だいすけ)す。今日は4月14日です。
4月13日に福島県南相馬(みなみそうま)市の原町(はらまち)区・小高(おだか)区と浪江(なみえ)町に行ってきた。
【地図】相双地区
http://ameblo.jp/sozialdemokraten/image-10861485708-11165955431.html
南相馬市ではまず、海岸沿いにある原町火力発電所に行ってきた。youtube(ユーチューブ)には原町火発が3月11日に大津波に襲(おそ)われる動画がアップロウドされている。かなり衝撃的な映像だ。実際に行ってみると、火発の施設はかなり損傷を受けていた。火発周辺の海岸では、陸上自衛隊(JGSDF)の施設科部隊(工兵、corps of engineers)が土木作業をしていた。
【写真01】東北電力 原町火力発電所
http://ameblo.jp/sozialdemokraten/image-10861485708-11165973328.html
【動画01】津波到達時の原町火発 http://youtu.be/53rTFZXZW2Q
原町区にある渋佐(しぶさ)海岸では、高圧線が切れていた。近くにはなぎ倒された鉄塔があった。ここで福島から来たというパン屋さんに出会った。客周りをしに来たそうだ。彼によると4月12日に原町に帰ってきたと言う人が多いようだ。日本政府によって原町は「屋内退避」区域から「緊急時避難準備区域」に指定されることが決まったが、それがきっかけになったらしい。
【写真02】渋佐地区の切れた高圧線
http://ameblo.jp/sozialdemokraten/image-10861485708-11165978940.html
私が原町に住んでいたころは、よくここ渋佐海岸にドライヴに来たものだが、ここも津波によって変わり果てていた。コンクリート製の防波堤は根こそぎ流されていた。集落もあったのだが、跡形(あとかた)もなかった。海沿いの県道120号線(北泉小高線)で小高に入ろうとしたが、途中で橋がまるごと流されていた。
【写真03】県道260号線
http://ameblo.jp/sozialdemokraten/image-10861485708-11165992803.html
国道6号線に行ってみると、以前と同じJR磐城太田(いわきおおた)駅付近で通行止めになっていた。4月7日はコーンとテープしかなかったが、今回は警視庁の警察官たちが検問をしていた。
【写真04】国道6号線(JR磐城太田駅付近)
http://ameblo.jp/sozialdemokraten/image-10861485708-11165992805.html
原町区内は交通量も人通りもぐっと増え、活気づいていた。ヨークベニマル(YB、郡山が地元、セブンアンドアイの子会社)やイオンスーパーセンターなど大手(おおて)の店は閉まっていたが、コンビニはほとんど営業を再開していた。南相馬市役所は何らかの手続(てつづき)をしようとする住民でいっぱいだった。
【写真05】ヨークベニマル原町店
http://ameblo.jp/sozialdemokraten/image-10861485708-11165992804.html
原町から林道や農道を抜けて県道120号線に入り、小高をめざした。途中、地元民と思われる車に数台出くわした。小高市街は原町とは違い、ひっそりとしていた。地震で被害を受けた家屋(かおく)は手つかずのままだった。人通りは全くなかった。
【写真】小高区内の損壊したままの家屋
http://ameblo.jp/sozialdemokraten/image-10861485708-11165999103.html
再び120号線にもどり、浪江をめざした。浪江では信号機が生きていた。たぶんあの時、浪江には私しかいなかっただろうが、信号を守って運転した。浪江の駅前に車を停(と)めて、周辺をあちこち撮影した。浪江駅には水と犬の餌(えさ)があった。カラスや小鳥が啄(ついば)んでいた。
【写真07】浪江町ショッピングセンターサンプラザ
http://ameblo.jp/sozialdemokraten/image-10861485708-11165999105.html
浪江は道路が地震で破損したままだった。「陥没(かんぼつ)注意」などの標識(ひょうしき)もないので、慎重(しんちょう)に車を運転した。浪江の町はずれで撮影していたら、警察官たちに職務質問された。ここに来た目的や氏名・住所・勤務先を尋(たず)ねられ、車内を調べられた。
その後、国道114号線(富岡街道)を川俣(かわまた)町方向に走り、原浪(はらなみ)トンネル付近の封鎖地点を撮影した。あとで調べたら、このあたりが福島県でいちばん放射線量が高いらしい。msn産経ニュースの4月13日づけの記事を転載する。
(転載貼り付け開始)
【放射能漏れ】浪江町で62・4マイクロシーベルト 福島、市街地調査速報値
2011.4.13 23:42
福島県は13日、福島第1原発から20キロ圏内を除く県内全域の市街地で12日から大規模調査している空気中の放射線量の速報値を発表した。最も高かったのは、浪江町昼曽根の国道114号沿いで、地面近くで毎時62・4マイクロシーベルト、高さ1メートルで44・8マイクロシーベルトだった。
県は店舗や生活道路など往来がある場所や、人が集まる公園などの計約2760地点を調査。15日までに終える予定で、速報値をホームページで公表する。
12日は約700地点で測定。うち、県が「直ちに健康に支障がない」としている毎時10マイクロシーベルトを超えたのは南相馬市、浪江町、飯館村の17地点だった。県は「局地的に放射線量が高いホットスポットがある。結果は避難区域見直しに反映させてほしい」としている。
(転載貼り付け終わり)
それから、横川ダムを眺めながら県道49号線(原町浪江線)を抜け、原町から国道6号線に乗って仙台に帰った。(おわり)
【写真08】原浪トンネル付近(福島県浪江町)
http://ameblo.jp/sozialdemokraten/image-10861485708-11166099927.html
【動画02】私が撮影した南相馬市・浪江町の動画 http://youtu.be/40jfrtwOqYI
【403】[446]4月16日(土)午後3時 「小沢一郎元民主党代表vsフツーの市民」座談会ネット番組配信のご案内
東京在住の28歳です。
日付が迫っておりまして、情報告知のご協力を御願いしたくこちらに掲載させていただきます。
もう日本を救える政治家は「小沢一郎氏」しかいないと思います。
私もフツーの市民の20代として参加いたします。
以下「ネットメディアと主権在民の会」HPより詳細を載せます。
重ねまして、みなさまのtwitter、ブログ、HPなどでの告知のご協力よろしく御願いいたします。
4月16日(土)午後3時 「小沢一郎元民主党代表vsフツーの市民」座談会ネット番組配信のご案内
「ネットメディアと主権在民を考える会」
http://netshuken.blog103.fc2.com/
既存メディアは、報道する側や制作する側がいて、私たち一般市民は読者・視聴者として情報を享受するだけの存在です。そこには、ともすると「真実を伝える」というメデイア本来の役割が忘れ去られ、「世論誘導」の道具として利用されているのでは?と思うこともあります。そのことを、「最近なんかヘンだ」と気づきはじめている国民も増えきているのではないでしょうか。
一方、政治は政治家に任せておけばいいという意識もまだまだ根強く、本来主役であるはずの国民の意志がなかなか政策に反映されていかないという現実もあります。こうしたことから、ネットメディアを市民の手によってもっと底上げすることで、市民が情報や政治の主体者になっていけるのではないかと2011年1月に立ち上げたのが個人参加の市民組織「ネットメディアと主権在民を考える会」です。
私たちは情報の受信者であると同時に発信者にもなれるというネットメディアの特性を活かすことで、本来在るべき姿の民主主義を取り戻し、主権在民を実現していくことができるのではないかと考えています。
私たちは、ネットメディアの可能性を試行錯誤していくなかで、いろいろな形のダイレクトコミュニケーションを実現していきたいと考えています。そのひとつとして企画したのが、今回の座談会です。これは、私たち一般市民が政治家と政策や日本の現状について直接語り合うことで、日本のある得べき姿を真摯に考えていこうという試みです。
そして、政治家と直接議論するというこうした試みが各選挙区で行われ、各地に広がっていくことで、本当に国民の生の声を反映した「世論」が形成されていったり、心ある政治家を国民が支えていくことができるのではないかと考えております。なにぶん素人がやることなのでいろいろ失敗もあるかもしれませが、どうぞ温かく見守って下さい。
放映の詳細は下記の通りです。
【記】
タイトル:小沢一郎元民主党代表vsフツーの市民 座談会
~「東日本大震災」と「福島原発大事故」、第三の建国に向け二つの国難にどのように立ち向かうか~
配信日時:4月16日(土) 午後3時
配信先:Ustream http://www.ustream.tv/channel/apfnews-live
主催:「ネットメディアと主権在民を考える会」
制作・運営協力:株式会社APF通信社、株式会社サイゾー
取材について:当日の取材(録音・撮影)はお受けできません。あらかじめご了承ください。
<ブロガーの皆様へ 配信のご協力のお願い>
下記のアドレスから埋め込みコード(Ustream)をコピーして、ご自分のブログから本番組を生配信していただくことができます。是非、ご協力ください。
http://www.ustream.tv/channel/apfnews-live
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