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原 正寛 投稿日:2011/04/17 15:49

【414】[459]「小沢一郎さん」と話をしてみて。

東京在住の28歳です。
先日(16日)「小沢一郎vsフツーの市民」に参加いたしました。まだご覧になっていないかたはこちらから観れます。
20110416小沢一郎氏座談会(APF NEWS)
http://www.ustream.tv/recorded/14060013
メインテーマが「原発」のことでした。私はこちらの学問道場で勉強させていただいている者として、
『原発周辺に戻れるのかどうか。戻れないとしたらいつぐらいを目処に帰れるのか』を小沢さんの口から聞きたかったです。
そして質問に対する小沢さんの答えは「いまのままでは帰れない」でした。(私はそう解釈しました)
 副島先生のおっしゃる
「日本政府は、急いで、原発事故の終了宣言と、安全宣言を、国民に出しなさい。そして、急いで、ゼネコンと土木業者を、東北3県に、数十万人、一挙に投入して、瓦礫の片付けと、国民皆で、復興を始めましょう。」
という「安全宣言」を小沢さんの口からは聞けませんでした。
 私は「安全宣言」を期待していたので、残念でした。

学問道場会員の川端優美子(群馬のゆみこ)さんよりメールをいただきましたので私の返信も一緒に載せさせていただきます。

心強いメッセージをありがとうございます。
 
※)転載開始
川端 優美子さん
はじめまして。原 正寛です。
返事が遅くなりましてもうしわけございません。

昨日は座談会終了後メンバーで「お疲れ会」をし、自宅に帰ってきても何か落ち着かず
そのまま1日明けてしまいました。

1日明けて「周りの反応はどうだったかな?」と思ったのですが、
mixi、twitter、ブログなど「想像以上に」無反応でした(笑

そんななかでのこの川端さまのメールでした。
とっても嬉しかったです。
PCとテレビを繋いでいただいて、そしてお父様と一緒に観ていただいて、拍手までしていただいて
(拍手はもちろん小沢さんへむけてだと思いますが)
それだけでも「やってよかった」と思いました。

私はほぼ「参加させていただいた」だけで、打ち合わせ、段取り、調整などは他のメンバーの
尽力の賜物です。
そして「APF通信さん」「ニコニコ動画さん」という「プロ」に入っていただいたので、
「打ち合わせ」から「カメリハ」から何から何まで「タレントさん」になった気分でした^^

「行動すると批難される」とは、川端さまのおっしゃる通り直近の例では「福島へ行った」ことです。
小沢さんもおっしゃっていたのですが、どうして日本人は「影で批難」ばかりするのでしょうか。

今回の撮影も「被災地の方も見ていらっしゃるので笑わないようにしてください。それだけでクレームになります」
とニコ動の担当の方から言われました。

なので、私も相当「固く」なりました。(笑

しかし、これも「?」と思います。
そもそも「被災地のことを本当に笑う」ような人物たちであれば、わざわざこのような座談会をひらくでしょうか?
私たちはフツーの市民です。無表情で撮影しろってまるで「北朝鮮のニュース(よくテレビなどでみるやつ)」みたいに
なっちゃいます。

 まだまだ「既存のマスメディアは信じない。しかしPCの前でああだこうだ言うだけ」の人が多いのかなって思います。
それとは別に川端さまのように、自ら行動し、自ら所在を明かし、堂々と行動されている方もたくさんいるのだと思います。

せっかくの「縁」でこのような境遇にたたせていただいているので、
これからも「大陸人として厚かましく」どんどん行動していきます。

ありがとうございました。どうぞこれからもよろしく御願いいたします。
それでは、また。
原 正寛

PS,「牛小屋の映像」は私が撮ったものではありませんよ。

> > Subject: 見ました・「小沢一郎元民主党代表vsフツーの市民」座談会
> Date: Sat, 16 Apr 2011 18:16:19 0900
>
>
> 原 正寛さん、
>
> 副島先生の学問道場 会員の川端優美子(群馬のゆみこ)です。
> はじめまして。
>
> さっきの「小沢一郎元民主党代表vsフツーの市民」座談会、見ました。
>
> 素晴らしい!素晴らしい!素晴らしい!
> 素晴らしかったです!
> わたしは手放しであの座談会を賞賛します!
> 言うことなしの、素晴らしい座談会でした!
> あんなにじっくりと、しかもわたしたちが小沢さんから聞きたいようなことを
> 「フツーの市民」の皆さんが引き出してくれて、本当に充実していました。
> (でも、小沢さん、風邪がひどいみたいで、心配ね。)
>
> わたしはPCとテレビをつなぐケーブルを買ってきてつないで、
> 音もテレビから出るようにつないで、ソファーに座って見ました。
> それがまたよかったです。
> いつもはきゅうくつな勉強机のいすで見ていたし、一人で見るだけでした。
> でも、今日は父親と一緒に見ました。
> 父親は以前「小沢の顔が嫌いや」とか、低レベルなことを言っていましたが、
> 今日はじっくり小沢さんの話を聞いて、最後はなんと拍手をしていました。
> (父の名誉のために言いますが、立派で頭のいい人なんです。でもテレビや
> 新聞にだいぶ洗脳されてしまって。わたしが一生懸命「真実」を説いています。)
>
> それから、原さんは「行動すると、批判されることを知った」というようなことを
> おっしゃってましたね。あの福島に行って撮ってきたビデオのことでしょう?本当で
> すよね。
> 原さんが副島先生に励まされて行動したことを、わたしは本当に素晴らしいと思いま
> す。
> 人から抜きん出た行動には批判がつき物ですね。わたしもそういうことが分かってき
> ました。
> そして、批判する人は、たぶんあまり行動をしない人だと思います。
> もし自分が行動をしたことがあれば、行動することのすごさ、苦労、失敗、勇気がい
> ることなどを
> 身をもって知っているはずだから、簡単に批判しません。
> だから、批判は気にしないで、これからもわたしたちのやりたいことをそれぞれやっ
> ていきましょうね。
> それこそ大陸人のように厚かましく!
>
> 原さんは批判を教訓にして、声を入れないで牛小屋の映像を撮ったでしょう。
> あれ、すごく良かったです。ああ、こんな状態なのか、としみじみ分かりました。
> 本当にあれは良かったです。どうもありがとう。
>
> それでは、また。
>
> 川端 優美子
※)転載終了

山口@福岡 投稿日:2011/04/16 22:17

【413】[458]日本赤十字義援金という名の募金詐欺団。

こんばんわ。山口@福岡です。
木村盛世氏のブログで日本赤十字義援金の使い方が公表されていたので、アップする。

(転載開始)
6 宇多田ヒカル氏の不安 清水国明氏の疑問

 伝えられるところによれば、歌手の宇多田ヒカル氏が、日本赤十字社を通じて8000万円の義援金を寄付した。
 片山善博総務大臣は4月3日のNHKの番組で、日本赤十字社の義援金の分配について「政府で何らかの目安をつくり、早めに配れるような基準を作りたい」と述べた。その結果が前述の「義援金配分割合決定委員会」であろう。いかにも元自治官僚らしい。この委員会は、実益に無関心な官僚的手続そのものである。義援金を税金のように扱っている。寄付がなんたるかについての世界の常識とかけ離れている。官僚の手続は、どれだけ多くの人を救えるかではなく、整合性の追求が最優先課題になっている。(「災害救助法の運用は被災者救済でなく官僚の都合優先」
http://medg.jp/mt/2011/04/vol112.html#more)。整合性の追求は、責任回避のためである。

 翌日、宇多田氏は、ツイッターで以下のように反応した。 
「赤十字社に集まった義援金の分配に政府が介入してきたこれ! 私の寄付金、被災者の皆さんの今後の生活と被災地のためにちゃんと使ってもらえるのかな しっかり頼んます民主党さんっ」
 アメリカ生活の長い宇多田氏にとって、民間のドネーションに政府が介入することは驚天動地だったに違いない。アメリカ人からみれば、片山総務大臣は泥棒にしか見えないのではないか。アメリカの常識では、寄付金の使い方を自分で決められないような団体は、寄付を集める資格がない。寄付金獲得のために、団体は、活動をアピールし続ける。

 タレントの清水国明氏も日赤の寄付の活用方法にブログで疑問を表明している。
http://ameblo.jp/kuniaki-shimizu/entry-10847761951.html
(国明)そんな仕組みになっていることを知らない人が多い。今後募金を集めるとき、この義援金は今すぐに使われることはありません、と表示するつもりは?
(日赤)「・・・・・・」
(国明)この義援金を、今すぐ動いている組織、団体などの活動支援に使うことは?
(日赤)ない。
(転載終了)

募金詐欺の元締めも官僚等いう行政鬼である。毎年、年末などに行われていたも募金のことを考えるとかなりの額の余剰金があるかもしれない。その場合、国庫に返納されるのであろうか。
本来ならば、今度の東日本大震災で集まった義援金のすべてを東日本大震災基金の設立資金にあって、震災に遭った、18歳以下の人々と妊婦さんに毎月、学資と生活費に援助されるようにすべきであると考える。支払期間は該当者が高校を卒業するまで、支給要件は復興によって学費がきちんと支払われる経済的状況の該当者から打ち切っていく。このような基金がなぜ提案されないのであろうか。この基金をやる目的は将来を背負う人たちへの援助を目的としているからである。

参照先:http://www.kimuramoriyo.com/41/

(全文転載開始)
日本赤十字社義援金は能力なりの規模に:免罪符的寄付から自立的寄付へ

日本赤十字社義援金は能力なりの規模に:免罪符的寄付から自立的寄付へ
小松秀樹
2011年4月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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 日本赤十字社は、従来の惰性で、使い方を決めないまま、莫大な義援金を集めた。義援金は寄付の一類型である。寄付は、公のために、私財を投ずることと理解される。わが身まで捨ててしまう苛烈な寄付から、権威依存の免罪符としての寄付まで、さまざまな類型がある。それぞれの背景に、歴史的経緯と考え方がある。
 日本赤十字社の義援金については、政府が介入して、被災者に被害に応じてお金を平等に分配することになった。もっと有益な使い道があったのではないか。使途の判断に問題があるとすれば、寄付する側が、使途について、自立的に判断して適切な相手に寄付する必要がある。
 以下、寄付について考える。

1 陽明学的寄付

 私財を投じて公益事業を自分で行う。自らの利害を無視して行動する。明治期まで見られた。身分制度は、社会的エリートに指導者としての強い自覚を促す側面があった。身分制度と学問と社会の混乱が、特異な抽象的指導者を生んだ。
 例えば、明治初頭の香川県の地方政治家大久保諶之丞。知行合一の陽明学の徒である。裕福な地主の家に生まれた。維新後、青年期を迎えた。明治6年、西讃竹槍騒動が勃発した。徴兵制度など明治新政府の政策に対する農民の反感が背景にあった。騒動の中で、諶之丞の家屋は焼失した。この事件では、農民側の死者50名、官軍側死者2名。7名が死刑になった。諶之丞は、この騒乱の前後より、地域の指導者になっていった。農家の子弟を山梨県に派遣して養蚕業を学ばせたり、育英制度で学資を提供して医師を村に招いたり、農家の二男以下を北海道に入植させたりした。香川用水(1974年完成、徳島県の吉野川から香川県への水道で現在の香川県の水の生命線)や瀬戸大橋を最初に提唱したことでも知られる。
 四国新道を計画し、その工事に私財を投じた。1891年、県議会で演説中に倒れ死去。享年42歳。残された家族は三度の食事にも窮したという。

2 石門心学的寄付

 石門心学は石田梅岩を祖とする。石門心学の倫理には、砂漠地帯の一神教や、ニュルンベルグ綱領のような相手に向かう猛々しさはない。日常生活に密着した、地に足のついた行動規範である。自らを滅ぼす苛烈さはない。暴利をむさぼることなく、正直に節度をもって勤勉に働き、倹約して蓄財することを勧める。家族や親戚、近隣の人々が困っていれば、その金で助けなさいと説く。石門心学は勤労の喜び、優しい心、人を助けることで得られる深い満足感を推奨した。京都、大阪の商人の精神的よりどころとなり、誇りをもたらした。
 ウィキペディアによると、江戸期の大阪には「きたのう貯めて、きれいに使う」ことを美徳とする習慣があったという。商売では無駄を省き、倹約して資本を蓄え、商売外では、世のため、人のためにできるだけのことをした。江戸期の大阪の八百八橋は町人の寄付で作られたという。明治以後も中之島公会堂や小学校などは、市民の寄付で作られた。第二次大戦後、お上に頼る東京中心の文化が優勢になった。

3 パトロン的寄付

 全国訪問ボランティアナースの会キャンナスは、東日本大震災で大活躍している。震災から1カ月。被災地から、一部のボランティア団体が引き揚げ始めたが、状況はとても改善したとは言えない。
 2011年4月10日、キャンナス代表の菅原由美氏のメールを読む機会を得た。

「現在は、気仙沼で2カ所、石巻で3カ所、南三陸1カ所でそこに泊まりながら活動しています。(今日は石巻で急に欠員が出て困った小学校に緊急配置しましたので、4カ所に泊まっています)本日帰ったナース8名。医師、ヘルパーなど、12名。今夜泊まっているナースは18名、ヘルパーなど6名です。明日3名追加、あさって3名追加になります。」
「神奈川の藤沢市から、週2回の人員と物資の輸送も欠かすことなく行ってきています。救援物資は、毎回10カ所以上に配っています。
 キャンナスは、全くの任意団体でどこからの支援もなく、熱い思いだけで突っ走ってきました。しかし、これには限界があります。熱い思いのナースが沢山いるのに、この人たちを現地で活かしていくには、このナースたちの生活を支えないとなりません。その財力が、私にはないことが情けなく悔しくてなりません。今日も、石巻から真っ黒な顔で、でも生き生きした顔で帰って行くナースを沢山見送りました。また来ます!!皆そういってくれました。彼女たちはずっと石巻で頑張りたい!そう思っています。
 でも全くの無報酬では稼ぎに帰らねばならないのです。被災者にとっても、ナースにとっても、気心が知れた人が去って行くことはつらいでしょう。今はまだ混乱の時期なので、被災者は人の入れ替わりに、なれてしまっています。しかし、今後心のケアはさけて通れません。心のケアは、なじみの関係がとても大事だと思っています。そういう意味でも、ナースを定着させたいのです。救援物資を購入することができない私にナースの人件費を出すことなどできません。私にできるのは、熱い思いのナースを集めそのナースを応援支援することだけです。どうか、このような団体に、そして、熱い思いのナース達をご支援賜りたく心よりお願い申し上げます。」

 苦境のキャンナスにソフトバンクの孫正義氏が援助を申し出た。その後どうなったか確認できていない。孫正義氏が申し出たパトロン的寄付の考え方は、石門心学と重なる。東日本大震災で、多くの会社が、何らかの寄与をしている。創業オーナーは資産と権限が大きいだけ、動きが目立つ。ローソンの新浪剛史氏は、救援活動と能動的寄付を一体として展開している。

4 有償ボランティア

 ここで脱線する。私は無償のボランティア活動を好まない。行動を保障する責任の証としての契約が成立しないので、本気が長続きしない。そもそも、長期間にわたる無償の奉仕は奴隷労働に近い。長くなれば当然逃げ出す。日本には不況で就職できない若者がたくさんいる。こうした若者から希望者を募って、有償のボランティアとして責任を持って働いてもらってはどうだろう。就活の重圧と失敗で落ち込んでいた若者に、誇りと元気と新たな視点を与えるだろう。ボランティアの経験は、次の就職活動に役立つに違いない。証明書や推薦状も当然書かれるだろう。ボランティア活動に従事した若者の経験の総量が大きければ、将来の日本に良い影響をもたらすに違いない。

5 日本赤十字社義援金

 以下に日本赤十字社ホームページ(4月12日現在)の義援金募集画面の冒頭部を示す。

「東日本大震災による被災者に対して全国からお寄せいただいた義援金を被災都道県に配分するため、厚生労働省の協力を得て、学識経験者、被災都道県および日本赤十字社、中央共同募金会をはじめとする義援金受付団体を構成メンバーとする『義援金配分割合決定委員会』が4月8日(金)に設置されました。
 この委員会で、被災状況に応じて、それぞれの被災都道県への義援金の配分割合が審議され、決定しました。具体的には『住宅全壊・全焼・流失、死亡、行方不明者は35万円』、『住宅半焼、半壊は18万円』、『原発避難指示・屋内退避指示圏域の世帯は35万円』を基準として、これに対象世帯・対象者数を乗じた額を各被災都道県に配分することになりました。」

 義援金集めのミッションとそれを支える論理は示されていなかった。平等を担保する手続としての委員会と、被害に応じた分配額についての記載しかなかった。緊急対応には使われないこと、平等に配分されることを前提としていた。
 

6 宇多田ヒカル氏の不安 清水国明氏の疑問

 伝えられるところによれば、歌手の宇多田ヒカル氏が、日本赤十字社を通じて8000万円の義援金を寄付した。
 片山善博総務大臣は4月3日のNHKの番組で、日本赤十字社の義援金の分配について「政府で何らかの目安をつくり、早めに配れるような基準を作りたい」と述べた。その結果が前述の「義援金配分割合決定委員会」であろう。いかにも元自治官僚らしい。この委員会は、実益に無関心な官僚的手続そのものである。義援金を税金のように扱っている。寄付がなんたるかについての世界の常識とかけ離れている。官僚の手続は、どれだけ多くの人を救えるかではなく、整合性の追求が最優先課題になっている。(「災害救助法の運用は被災者救済でなく官僚の都合優先」
http://medg.jp/mt/2011/04/vol112.html#more)。整合性の追求は、責任回避のためである。

 翌日、宇多田氏は、ツイッターで以下のように反応した。 
「赤十字社に集まった義援金の分配に政府が介入してきたこれ! 私の寄付金、被災者の皆さんの今後の生活と被災地のためにちゃんと使ってもらえるのかな しっかり頼んます民主党さんっ」
 アメリカ生活の長い宇多田氏にとって、民間のドネーションに政府が介入することは驚天動地だったに違いない。アメリカ人からみれば、片山総務大臣は泥棒にしか見えないのではないか。アメリカの常識では、寄付金の使い方を自分で決められないような団体は、寄付を集める資格がない。寄付金獲得のために、団体は、活動をアピールし続ける。

 タレントの清水国明氏も日赤の寄付の活用方法にブログで疑問を表明している。
http://ameblo.jp/kuniaki-shimizu/entry-10847761951.html
(国明)そんな仕組みになっていることを知らない人が多い。今後募金を集めるとき、この義援金は今すぐに使われることはありません、と表示するつもりは?
(日赤)「・・・・・・」
(国明)この義援金を、今すぐ動いている組織、団体などの活動支援に使うことは?
(日赤)ない。

7 自立的寄付と免罪符的寄付

 東日本大震災で、日本の行政システムの判断基準や判断方法が、大災害に通用しないことが明らかになった。
 日本の官僚は、臨機応変に対応することを禁じられている、あるいは、禁じられているふりをしている。責任を問われないし、そもそも楽だから。書類には官職名だけで個人名を書かず、杓子定規を貫く。従って、想定外の緊急時の対応はできない。それでも、強い権限を持つ統一的な指揮命令系統を整備することで、あらゆることに対応できるという幻想に固執する。これも、権限が欲しいからだけではないか。

 中央集権に対する幻想は、かつての共産主義国家に似たところがある。そもそも、計画経済が成り立たないのは、巨大で複雑な経済システムを統御できる能力を人間が持っていないからである。多くの目で認識して、それぞれが自主的に動くしかない。
 被災者に現金を渡すのは、緊急対応ではない。災害で被災者の持つ金銭が有用になるのは、本人が生き残り、復旧が進み、金銭が使えるようになってから、あるいは、被災地外に出た時である。
大震災の被害が相当程度克服されるまでは、自主的に活動している団体を支える方が、被災者に現金を渡すより有益ではないか。日本赤十字社には、大震災での寄付金の扱いについて、突き詰めた議論をした形跡が見てとれない。

 日本赤十字社の募金は、今回のような使い方にするのなら、震災発生後、1カ月後あたりからゆっくりと始めるべきではないか。そうでないと、本気の急場の寄付集めを阻害しかねない。
 寄付をする側は、寄付がどのように使われるのが望ましいのか自分で判断し、適切な団体に寄付しなければならない。できればその団体の活動に注目し続けて、評価してほしい。
日本では、自立的寄付と権威に依存した免罪符的寄付のバランスが、後者に偏りすぎている。被災者の苦難を思えば、寄付する側にも責任が生じる。

———————————————————————
2011年4月16日
(全文転載終了)
山口@福岡拝

佐藤研一朗 投稿日:2011/04/16 14:33

【412】[457]副島先生の報告文12の感想と分析 その2

以下の所間違っていたので 訂正しました。
<間違い>チェルノブイリの100万分の1
<訂正>チェルノブイリの10万分の1
佐藤研一朗
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

つづけて佐藤研一朗です。

次に、これが示されれば原発の事故はもうダイジョブだと私が思える条件を考えていきたい。自分だけでなく、世界の人々がとりあえず Fukushimaは大丈夫だなと思ってくる条件を考えてみます。

<原発の事故はもうダイジョブだと思える条件>

1.この原発事故がチェルノブイリと比べ用もないほど小規模の事故だったということがハッキリとすること。

事故の全体像が分からないからみんな安心できない。

しかし、保安院の言う「福島原発事故の規模はチェルノブイリの10分の1」では、大半の人はとても安心出来ない。これでは10年は福島に行かないようにしようと思うはず。

西村肇(にしむらはじめ)東大名誉教授が主張する「事故の規模はチェルノブイリの10万分の1。この規模で100日続いても1000分の1だ。」というのであれば、安心出来る。 (西村肇教授による会見
理論物理計算が示す福島原発事故の真相 http://www.ustream.tv/recorded/13874304

この違いが何処から来るのか、しっかり検証する必要がある。

学問道場の研究員の下條竜夫さんはこの重掲で次のように指摘している。

<引用開始>
原子力安全委員会が汚染の拡散予測では、西村先生がつかった「風下からどれほどの距離で汚染物質の降積量は増えるかを推測できる(プルーム理論)」が入っていないので、飯舘村(いいだてむら)での放射線量を高くするために、どうしても、もと(原発付近)の濃度を高く見積もらなくてはいけない。結果として、高い放出量になったようです。
<引用終了>

ここをやはりハッキリさせなくてはいけない。だれかが西村肇ところに出向いて、この違いはなんですかと聞く必要があります。保安院にも、どのような計算をしたのか突っ込んでもらわなければならない。

国際的に考えても重要だ。チェルノブイリの10分の1のままでは、日本は環境汚染国家の烙印を押されるでしょう。

日本への海外旅行も当分だめでしょう。でも1000分の1なら大丈夫だと感じる人多いだろう。そしてアメリカで予定されている東電訴訟にも影響してきます。

もし西村肇教授が正しいのであれば、どんどん海外に発信して、環境汚染国家の汚名を取り払う必要があります。
せめて西村肇教授が、外国人記者クラブくらいで記者会見をしてもらわなければいけない。

2.原発の事故が収束に向かっていると納得出来ること

これは報告文12で載っていた各地の放射線の推移のグラフが事態が悪化していない事をハッキリと示されていた。グラフは一目で分かるので効果的だった。

3.今後、最悪の事態(格納容器の爆発による広範囲におよぶ高濃度の放射能汚染)が起きない。または、起きる可能性が低いと分かること。

放射線のグラフを見れば事態が収束の方向に進んでいるように見えるが、まだ事態が悪化する可能性があるので安心出来ないと考える人は多いと思います。

1,2,3号機の原子炉の温度が150度~200度と、まだ高いのでまだ安心出来ない。
冷却ポンプが外部電源によって正常に動き、炉内の温度が、5,6号機のレベルに下がれば安心できる。そうなればもう事態は悪化しないと確信できでしょう。

今の段階でも、中部大学の武田邦彦氏も最悪の事態が起きる可能性は5%くらい、ゴールデンウィーク開けには、もう爆発の心配が無いところまでいくだろうと発言しています。
http://g2o.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-9a5a.html

4.今後、どのような工程で、どのくらいの期間で新たな放射性物質の外部への放出が終わるのか見通しがしめされること

事故がどのように終わるのかが、大きく示されていないから安心出来ない。

具体的にどのようなスケジュールで、どのような作業が必要となるのか、だれかが示す必要がある。

竹田氏は上記の動画で、次のように話している。
ゴールデンウィーク開けには、もう爆発の心配が無いところまでいく。
今後4ヶ月くらい減少しながらも放射能漏れはつづく。
15年から20年くらい様子を見て廃炉にする。

このような専門家が語った今後の道筋を集める必要がある。

5.この事故が収束に向かうとして、今の放射能汚染でどれだけの健康被害がでるか、でないかという基準が明らかになること。

避難地域に、子供を連れて帰るためには、ここが明らかになっていなければ安心出来ない。

ICRPの出している数字、緊急時は20ミリシーベルトから100ミリシーベルト/年までOK、長期的には1ミリシーベルトを目指すべきがどういう意味なのか、もう少し解説が必要。

帰った人が、日常的に放射線物質にたいしてどんな対策をとるべきか分からないと不安だろう。

ICRPのサイトで「原発事故のあと長期的に汚染された地域で人々をどう守るか」という報告書が無料でダウンロード出来るようになっていたので、70ページあるが読んでみます。
http://www.icrp.org/publication.asp?id=ICRP Publication 111

原発から遠隔地は、すでに放射線のレベルが平常値に下がっているから、大丈夫だというのは説得力がある。

6.今後、汚染された土地の放射性レベルが下がるのか、環境を改善することができるのかの見通しが示されること

ヨウ素の半減期は8日だから、原子炉からの飛散が減れば、各地の放射線レベルが下がるだろうが、セシウムの半減期は30年。もうセシウムに汚染されたらもう終わりなのかと、地元の人が心配していると思う。

人為的に放射線レベルを下げる手立てがあるのかを知りたいと思っている人は多いはず。
何かできるのであれば、無力感ではなくて、前向きな気持で、村に戻ってこれるはず。未来への希望がないと、人々はその地で元気に生きていけない。特に農家をやっていられる人が多いわけだから、土壌の浄化などを知りたいと思うはず。

武田邦彦氏は、人間の手でクリーンな福島を取り戻すことができると指摘。これがどれほど現実性があるかは別として、少し未来に希望を持てる内容です。
原発と生活 08 「クリーン福島」・大作戦
http://takedanet.com/2011/04/post_074a.html

現在、避難地域から避難されている方が、安心して子供を村に帰って暮らすとなると、自分がもしその立場なら、やはりこのくらいの情報がほしいです。

PS.
宮城は、もう完全に復興モードのようです。原発のことより、目の前の瓦礫を片付け、住環境を元の戻すことにみんな集中しているようです。

佐藤研一朗 拝

佐藤研一朗 投稿日:2011/04/16 07:03

【411】[454]副島先生の報告文12の感想と分析 その1

アメリカ、ニューヨーク州ロチェスター市の佐藤研一朗です。一応学問道場の研究員の一人に加えてもらっています。今日は4月15日です。

自分は、今回の東日本大震災がおきてから、今回の原発の問題を、余震や放射能の恐怖もないアメリカから観察していました。事態をある程度冷静に受け止めている立場から、副島先生の報告文12まで読んだ感想と分析を書きます。

まず、副島先生と学問道場の研究員の仲間の体を張った原発事故の報告を賞賛したいです。いち早く現地に入って放射線のレベルを測って来たことは凄い活躍だと思います。現地でも直ちに健康に被害が出るレベルではないと分かったことで、後に続いてジャーナリストや専門家が現地に入りやすくなった。これは大切な事です。潜入リポートの動画を海外のメディアにも送るべきだと思います。

先生のボヤキの報告文12には一定の説得力があったと思います。自分もかなり説得されました(まだ完全にでは無いですが)。

報告文12を読んで、少なくとも原発から遠い東京などから避難した人は、もう戻っても大丈夫だと思ったはずです。たしかに東京などの放射線レベルはすでに平常値です。(各地の放射線レベル一覧をご覧ください。 http://atmc.jp/

ただ、原発近くの避難地域から避難した人や、漠然と福島原発の今後に不安を持っている人は、まだ安心していないでしょう。

この原発事故は個人の生命に関わってくる問題なので、防衛本能が働いて、みんなが慎重になるのは仕方が無いことだと思います。しかし原発の問題を頭の中で整理できないと、日本全国復興モードにならないというのは、そうだと思います。

あまり感情的にならず、十分な根拠を示し、精密に議論をすれば、もっと説得力が上がり、現場まで行ってきた先生の言う事に、もっと多くの人々が耳を傾けるはずです。我々が頑張って何とか復興への道筋を描いていかなくてはいけません。

<ボヤキに掲載された報告文11までで示されている情報>

では、報告文11までに先生が提示した情報が、客観的にどんな意味があったのか考えてみましょう。
副島先生が福島第一原発の正門まで近寄って放射線レベルを測定したことで、つぎのことが分かりました。

1.政府が出している放射線のレベルが捏造でないこと。

2.福島第一原発の前ですら、直ちに健康に被害が出るほどの放射線のレベルではない。

3.原発の周辺地域でも、同様である。

4.避難している周辺住民(中年以上の男性)が一時帰宅して、必要な物を取りに帰るのは妥当である。

5.原発周辺の土壌汚染はかなり酷い。

報告書11までを読んで、原発周辺でこの程度の放射線レベルならば、原発から離れた東京などから避難した人は子どもを連れて帰ってもいいだろうと考えた人は多かったと思います。しかし原発周辺から避難した人が、子供を連れて帰っても安全だという根拠は現場の放射線レベルのほかは示されていなかった。

<ボヤキの報告文12で加えられた新たな情報>
次に報告文12で、新たにわかった情報を考えてみます。

1.副島先生の落ち着いた感じの動画のおかげで、先生が冷静に現場に行って状況をみてきたことが分かる(情報混乱状態の中、落ち着いた言葉使いや、文章の書き方が説得力を持つ。)

2.ICRP(国際放射線防護委員会)が出している数字(緊急時は20ミリシーベルトから100ミリシーベルト/年までOK、長期的には1ミリシーベルトを目指すべき)は非常に説得力があった。安心して避難地域にも帰ってもいいという、一つの判断基準を示した。

3.各地の放射線の推移のグラフが、(少なくとも現状では)事故が収束の方向に向かっていることをハッキリと示している。

4.各専門家や、政府や保安院の政治的立ち位置

5.避難地域の人々の大変な様子

報告書12で副島先生が、ICRP(国際放射線防護委員会)が出している放射線レベルの基準(緊急時は20ミリシーベルトから100ミリシーベルト/年までOK、長期的には1ミリシーベルト/年を目指すべき)と、自分で現地にいって測ってきた放射線レベルを比較して、安全だと言っていることが分かったのはいいことだと思う。このICRPの緊急時の基準値の意味をもう少し詳しく調べる必要があると思いました。

各地の放射線の推移のグラフを見るとやはり3月13日から数日間が一番高かったことが分かる。結果的に、いち早く3月12日に出来る人は自主的に避難するべきだと言った副島先生は正しかった。3月13日から数日間をピークに、各地で放射線レベルがだいぶ下がっている傾向にあることがよく分かった。現状で放射性物質の拡散が悪化していない、改善していることを、グラフが語っている。

次の投稿でこのくらいの情報が分かれば、自分は安心するということ書いていこうと思います。

磯貝 太(いそがいはじめ) 投稿日:2011/04/16 02:14

【410】[453]福島県の会津若松市民です。

当方、色々と悩みましたが、本日、仲間内の定例の飲み会があり、今日のぼやき1210を印刷したものを回し読みして頂きました。

内容的にインパクトがもの凄いので、これを直接、避難所にもっていっても大丈夫なのかなど避難所でボランティアをしている方も飲み仲間にいるので、「おいてきて、本当に大丈夫かよ」などを含め相談した次第です。

当方の飲み会の人らも騒然となりました。

会津若松の市内の人も原発事故に関してもの凄く過敏になっていますので、大変な騒ぎになりましたが、結論的には、皆様方、安堵されたようです。

また、避難されている方々にも、是非、読んで頂き、書いた人(副島先生)がOKであれば、避難されている方々にも早急に伝えるべきという結論となりました。

前回までの副島先生の現地レポートは、印刷したものを避難所の掲示板あたりにおいてきただけでしたが、明日は、当方の連絡先を添え、避難所においてきます。自分でもよくわかりませんが、じわりじわりと腹が据わってきました。自分自身が突然変異したようです。

反応があれば、というより、間違いなくあると思います。

その反応の内容は、この掲示板か、内容によっては副島先生にお伝えしたいと思います。

ここ一番正念場が繰り返される毎日が続きます。

出来る範囲でそれなりに頑張ろうと思っているところです。
誤字脱字だらけで赤面していますが、ここしばらくの間、掲示板への書き込みのほど、よろしくお願いいたします。

山口@福岡 投稿日:2011/04/15 21:43

【409】[452]税務署(財務省)は経済鬼である。

デヴィ夫人も、副島先生と同じく税務署と行政訴訟を行っていたことを自分のブログに書いていた。

(転載開始)
その時、 税務署員が、 私に、
「チケットは 売りましたか?」と 訊ねました。

私は、 正直に言いました。

「無名の人のコンサートに、 誰がチケットを買って下さるのでしょうか?」
アーティストにとって、 劇場が一杯、つまり 万雷の拍手を受けることが、
何よりの 幸せなのですから。

世界に埋もれている 才能を見出し、 世界に紹介し、 
育成をするのが 私達、 イブラ財団のモットーでした。 
「私のような 人間がしなくて 誰が 日本でするのですか?」
それに対し、 税務署員はこう言いました。

「それは あなたの趣味であり、 道楽に過ぎません」と。
そして、 これは 100%贈与税に相当すると言ってきたのです。

パバロッティでしたら、 1人で10万円のチケットが売れることでしょう。
しかし、 イブラ・グランド・プライツは、 

全員無名のアーティストばかり。 
いったい、 誰が チケットを買ってくれるのでしょうか?
もし 私が日本の「法律」を知っていたら、 

「チケットは売れず、 赤字は・・・しかじかです」、 
と申告すれば何でもなく、 良かったのです。

つまり、 日本で自己負担でする「慈善」は "道楽"とみなされ、 
税金が100%かかる。
これが アメリカだったら 100% 税金が控除になります。
(転載終了)

(転載開始)
渋谷税務署からの 3年間にわたる 精神的苦痛と悪夢は、
一生拭い去ることは出来ない程の、 心に痛みを負いました。

私は余生を、 恵まれないアーティストと 動物愛護に費やそうと
思っておりましたが、 この日本では とても無理と 断念せざるを
得ませんでした。 

犬猫の殺処分を救う シェルター建設の夢が はかなく 消えました。
私の心は、 本当に傷つきました。

自分で一生懸命に働いて 得た 自分のお金を 
自由に使うことも 出来ないのです。

日本政府や 高官の税金の無駄使い。

良いことをして、 罰せられる日本。 良い人は日本に居られない。

こんなようでは、 良い人は皆、 日本から逃げ出してしまいます。
(転載終了)

日本の財務省は、お金のある人が、人を育てるという社会的使命を道楽と考えている事に注意しなければならない。
復興税の成立など増税を行う法律を成立されるのは、おかしいのでわないかと考える。

参照先:http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-10858844975.html

(全文転載開始)
2011-04-12 18:44:22
私は日本を去ります! 原発の為ならず、 日本の追剥のような税務署の為に
テーマ:ブログ

私はこのたび、 NYに立つ前、 弁護士に呼ばれました。
そして、 私自身が、 法廷に、 出廷する予定であった裁判所の方から、
「その必要がない」 と言われたとのこと。
つまり、 私の戦っている件が"敗訴"になる 
ということを 示唆されたのでした。
判決は 5月12日(木)に 言い渡されるのです。

実は、 私は 東京地方裁判所 民事第2部において、
渋谷税務署を相手に、 所得税の更正処分の取り消しを求め、 戦い、
訴訟を起こしておりました。

私は、 スカルノの亡き後、 誰も頼らず、 誰の助けもかりず、
独りで一生懸命、 今まで働き 生きて参りました。
一時は、 「スハルト政権下」 のインドネシアに戻り、
10数年間、 フランスのエンジニアリング会社 Technip社、
米英の Foster Wheeler社、 フランスの Fourgerolle社、
スペインの Dragados社、 イタリアの E.N.I国営会社、
Nuova Pignone 重工業会社など、
主に パワープラントの仕事に没頭しておりました。

スカルノ未亡人としての体面を保ちながら、 パリでの生活、 そして
スハルト政権下で働くことは、 プライドをのみ、 語り尽くせぬ大変な
ことでした。 私の設立した会社では、 朝は 誰よりも早くオフィスへ行き、
夜は、 10時頃まで、 誰もいなくなったオフィスビルに
一人残って 仕事をしておりました。

19才から日本を離れ 40年間外国で過ごしていた私は、 
日本の法律なぞ、 知りようも ありませんでした。
このことが、 私の人生に こんなにも 暗い影を落とすとは、 
想像もつきませんでした。

縁があって、 10年前 私は 日本で還暦を迎えることができ、
愛する母と弟のお墓のある、 この日本の地で 安らぎを得たいと
思うようになり、 40年間の 外国生活に終止符を打ちました。

日本の地に足をつけ、 余生を過ごしたいと思ったのです。 
そして いずれかは 母と弟のお墓に一緒に入ることができれば・・・と。

ですが、 スカルノ大統領は、 遺言に、 
「私の亡き後、 デヴィが死ねば、 私と同じ墓に 彼女を埋めよ。
私の望みは、 永遠に愛する彼女と 共にあることである。」
と遺してくださいましたが、 スカルノ大統領は、 「独立宣言者」であり 
インドネシアの初代大統領、 国家の「英雄」です。 

「私一人」と そんなわけにはまいりません。 故に 私の毛髪位は、
スカルノ大統領のお墓の中に 入れていただいてもよいですが、

私の意向としては、 私の遺骨は、 母と弟と一緒にと
思っておりました。

日本に平穏を求め、 最後は日本人として過ごして生きたい、と
私は思っていました。 インドネシアに命を掛けた私でしたが・・・

日本の国籍に戻って、 人の薦めもあり 日本の政治に関与してみたい、
それには、 インドネシアの国籍から日本の国籍に
戻らなければなりません。

私は簡単に 自分の元の戸籍を復活できるものと 思っていました。
ところが、 インドネシアに嫁ぎ、 日本国籍を離脱した私は、
普通の外国人が 日本人に帰化するのと、

全く同じ 大変面倒な手続きを とらなければならず、
積み重ねたら20cm程の書類を 集め、 提出しなければなりませんでした。
そこまでして・・・  という思いと、 インドネシアを"裏切るような"勇気
もなく、 そのままにしておりました。

私の日本での仕事と生活が忙しくなり 荷物も増え、 
ホテル住まいから、 御殿山の借家に移って 二年位たったある日、
エジプト・ロケの最中、 突然、 ショックに 突き落とされました。

品川税務署から、 "億以上"の 膨大な税金をかけられ、
私の全く知らぬ間に、 週刊誌に掲載されたのです。

つまり私は、 「外務省」と「法務省」においては 
公用パスポートを所有する 「VISA」で日本に滞在している
"非居住者"でしたが、 財務省(税務署)においては、
"居住者"扱いになるということで
日本においての収入に対し、 数年分 ドンと 税金がかかってきました。

外国人の"非居住者"の場合、 私の日本で得た収入の源泉徴収は、
日本人は1割のところ、 自動的に2割を 支払うことでありました。
19才で日本を離れた後、 日本で 「申告せよ」と 言われたことはなく、
2割を払い続けて参りました。 
それを、 税務署から それは「見解の相違」 であると言われました。 
びっくりしましたが、 私は日本で得た収入に対し、 
税金を支払うのは当然であり、 誇りをもって多額の税金を支払いました。
その時払った 私の都民税は、 1,500万円でした。 

私が憤慨したのは、 私が会長を務める イブラ音楽財団の
ことについてでした。

イブラ音楽財団のことにつきましては、

4月1日の私のブログ、

「イブラ財団のために、 明後日ニューヨークへたちます」に
詳しく書いてございますので、 ご覧下さいませ。

それは、 イブラ・グラン・プライツに入賞した アーティスト17人に、
東京・初台の オペラシティのタケミツ・メモリアルホールにて、
コンサートを開催したときのことでした。

彼ら達17名の旅費、 日本での滞在費、 会場費(定員1,632席)、 
楽器の運搬費等々・・・・
全て私が、 個人で、 2年間、 続けてサポート致しました。

2001年4月10日 第10回目の、 2002年3月25日 第11回目と。
そのコンサートにかかる費用は、 1回につき1,700万円位でした。

デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba

その時、 税務署員が、 私に、
「チケットは 売りましたか?」と 訊ねました。

私は、 正直に言いました。

「無名の人のコンサートに、 誰がチケットを買って下さるのでしょうか?」
アーティストにとって、 劇場が一杯、つまり 万雷の拍手を受けることが、
何よりの 幸せなのですから。

世界に埋もれている 才能を見出し、 世界に紹介し、 
育成をするのが 私達、 イブラ財団のモットーでした。 
「私のような 人間がしなくて 誰が 日本でするのですか?」
それに対し、 税務署員はこう言いました。

「それは あなたの趣味であり、 道楽に過ぎません」と。
そして、 これは 100%贈与税に相当すると言ってきたのです。

パバロッティでしたら、 1人で10万円のチケットが売れることでしょう。
しかし、 イブラ・グランド・プライツは、 

全員無名のアーティストばかり。 
いったい、 誰が チケットを買ってくれるのでしょうか?
もし 私が日本の「法律」を知っていたら、 

「チケットは売れず、 赤字は・・・しかじかです」、 
と申告すれば何でもなく、 良かったのです。

つまり、 日本で自己負担でする「慈善」は "道楽"とみなされ、 
税金が100%かかる。

これが アメリカだったら 100% 税金が控除になります。

悪徳会社 / プロデューサーは、 
これを「慈善」という看板を掲げても、 掲げなくても
営業・コマーシャルとして、 チケットが 売れても 売れなくても、 
会社の赤字として 計上すればよいのです。 営利目的でして、
それを 何回も 何年間も し続けてもよく、 赤字続きとして 
税金を払わなくてよいのが、 日本です。

私が 「日本の法律」 を知らなかったばかりに、
善意が、 このように不条理・不公平に扱われ、
良いことをしたのに 罰せられるがごとく、 
税金を課せられ払わせられる。   しかも2年分(2回)です。

おかげで私は、 タケミツ・メモリアルホールで、 毎年コンサートを
開催するという約束を、 残念ながら出来なくなりました。

しかもその上、 品川の税務署員に 騙されてしまいました。
「申告漏れをした人は、 品川税務署の壁に名前が貼りだされます。
そうなると 更にマスコミに騒がれ、 知ることになりますよ。

だから僕達が、 申告書を作っておくのは どうでしょうか?」
びっくりした私は、 「それは困ります」ということで、

「是非 作ってください」とお願いをしました。

ところが、 それは真っ赤な嘘でした。
私が自ら、 修正申告書を提出しない、 
つまり、 彼らが作成するということは、
『決定更正』にあたる事だったのです。

申告漏れの『修正申告』と、 『決定更正』には、 
大きな相違がございました。

悪質なのは どちらでしょう!

この税務署員は、 後に日本橋税務署に栄転したと ききました。

私は 多額の税金を 毎年払うことが出来る位、
日本で成功できたら、 どんなに誇りに思うことでしょう。

私は非居住者でしたのに、 "居住者"としての税金を押しつけられ、
つまり 参政権の無い外国人、 しかし 日本人同様の税金をかけられ、 
しかも数年間分を払わされたため、  これを機に NY、TKYを
往復することを止め、 正式に日本の"居住者"となることを
決意致しました。

そして 38年間住んでいた思い出の
パリのアパルトマンを売却し、 東京を拠点として
私の残りの人生を過ごすことにしました。
余生を愉しみながら いただいた「生」を還元しながら
暮らすことをし、 東京に居を移す大決心をし、 
娘の反対を押し切って、 パリのアパルトマンを売却し、 

日本の家の購入額の一部に 当てました。 

私のアパルトマンは、 今は世界一のアヴェニュー・モンテーニュとなり、
プラザアテネの真前に位置し、
隣には、 クリスチャンディオール、 シャネル、 ルイ・ヴィトン等、
無いブランドはない位、 華やかな場所にありました。

   娘カリナの始めてのクリスマス、 パリの自宅にて 1967年

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              お正月、 パリの自宅にて。

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        私の肖像画のあるお部屋 パリの自宅にて。

     左、ビダル・クワドラス画、右クローディオ・ブラボ画。

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インドネシアの政変後の1967年、 夫スカルノ大統領は幽閉、 
私はパリへ生後6ヶ月の娘カリナを連れて 命からがら亡命してきました。 
27才の時でした。

その翌年の68年2月 ジャカルタの元フランスのジレー大使閣下の紹介で、
ご家族のアパルトマンを購入しました。
当時、 政変直後のこと、 暗殺されるか、 何が起こるかわからないため、
自分の名前も出せず、 エドモン・ド・ロスチャイルド男爵紹介の、
スイスの弁護士の取り計らいで、 パナマ会社の名義で購入しました。
当然、 このパナマの会社は、 ペーパーカンパニー。 

実務0(ゼロ)。 ビジネス・アクティビティ0(ゼロ)の、 
名義だけの会社でした。

銀行口座も持たず、 38年間、 私は このアパルトマンの管理費、 税金
その他を 私の当時の東京銀行(現在の三菱東京UFJ)パリ支店より、 
支払ってきました。

そして 私は今の東京渋谷、 松涛神山に 拠点を移したのでした。
"オフィス デヴィ スカルノ"を構え、 NPO アースエイド・ソサエティも
設立し、 日本での誇れる第一歩を 歩みだしたのでした。

ところが、 3年後のある日。
渋谷税務署から「このパリからの送金は何ですか?」と訊かれたので、
すでにフランスでアパルトマンの 売却代金の税金を 支払い済みの私は、 
堂々と、 そして またバカ正直に、 
「これは パリの不動産を売却したお金です」と、 答えました。 

私は、 売却と同時にフランスにおいて、

会社名義の場合の 33.5%の税金を支払っており、
プラス、 フランス政府の出先機関、
不動産社のエージェント・フィー、 弁護士等々、
合計で、 売却代金の 4割近くを支払い、 
その残りの 6割近くを 日本に送っていたのでした。
しかし、 ここで、 パリの私のアパルトマンの 全送金額は
パナマの会社の法人名義であり、 不動産売却に対しては、 
「配当」となり、 税金がかかるということを 通告されました。

フランスの私の弁護士は、 「不動産」においては、
二重に税金をかけられないことは、 日・仏間のみならず、
国際法で決まっていると主張したが、
日本の税務署は、 それを無視。
私が「日本の税法」を知っていたら、 処置を誤ることなく
自分の口座に振り込むようなことは しませんでした。

しかし私は、 自分のお金で購入し、 
自分のお金で38年間、 「管理費と税金」を払い続けてきたため、
そして 又、 "居住者ミーティング"の際も、
スカルノ夫人と呼ばれ(会社名義で呼ばれることもなく)、

売却時も、 会社名義の口座も無いため、 
私の個人口座に 振込みをされたため、
残金を、 日本の私の自分の口座に振り込むことに、 

何の不思議さも 持ちませんでした。

"自分の口座に送金振込することは、 間違いだ"と知っていたら、
しませんでした。 只、 それだけのこと。
日本の税法を知っていたら とるべき処置は、 いくらでもあるのだった。
しかも、 家を購入してから3年後、 
私は これまた"知らなかった"というだけで、 
多額の税金を 支払わなくては ならなくなったのである。

私は イチローでもありませんし、 石川遼君でもなく、 ましてや
ソフトバンクの孫正義社長や、 ユニクロ社長の柳井正氏でもありません。
かかってきた税金すべて、 払わなければ 利息が年間14.5%かかります。 
再び 私に、 億に近い税金が、 都民税も又、 前回と同様に、
1,500万円かかってきました。

外国からの送金は、 もう怖くて とても考えられません。

普通、 私のように外国から送金し、 投資をし、 日本に会社をつくり、 
日本で雇用をした場合 その国は感謝すればこそ 
その国に入った投資額に対して 税金をかけません。

日本の場合、 良いことをすると、 罰せられるのです。
そんんな税法の国は、 世界にございません

私はこれまで、 税金を誤魔化そうとしたことは、 一切ありません。
逆に 沢山の税金を払えることは、"誉れ"と信じてきました。
なぜ、 40年間外国に住み、 外国での資産を処分したことに対し、
追剥にあうように 税金をかけられねばならないのでしょうか。

乳飲み子を抱えて、 一生、 戦場の一戦士として、 
生き、 戦い抜いてきた私が、
38年間住んでいた愛着こもり、 想い出がいっぱいつまった
家を売って、 残ったお金が たったの 2%。
そんなことが ありえましょうか。

私が、 会社の実質的なオーナーでしたが、
社長は、 私の娘カリナでした。

私は娘の反対を押し切り、 パリの不動産を売却しました。

100% カリナへ引き継がれるはずの遺産が、
ゼロとなってしまったのです。

こんなに 悲しいことは ありません。
日本の税務署は あまりに "非情"です!

こんな不条理・不公平なことを、 私に強いる日本に住んでいられない
と思いました。 外国からの送金は、 恐ろしくて 何ももう出来ません。
私は、 銀行に借り入れをして、 この無謀な税金を払いました。

今や、 私は日本において、 銀行に返金するためだけに、
働くのみなのです。

そして、 私が 裁判にいくまでに受けた、 
渋谷税務署からの 3年間にわたる 精神的苦痛と悪夢は、
一生拭い去ることは出来ない程の、 心に痛みを負いました。

私は余生を、 恵まれないアーティストと 動物愛護に費やそうと
思っておりましたが、 この日本では とても無理と 断念せざるを
得ませんでした。 

犬猫の殺処分を救う シェルター建設の夢が はかなく 消えました。
私の心は、 本当に傷つきました。

自分で一生懸命に働いて 得た 自分のお金を 
自由に使うことも 出来ないのです。

日本政府や 高官の税金の無駄使い。
良いことをして、 罰せられる日本。 良い人は日本に居られない。
こんなようでは、 良い人は皆、 日本から逃げ出してしまいます。

日本の法律に対して、 知識がなかったといことだけで、
追剥に合うような目に、 何故 私が合わされなければならないのか。

日本には 何億も 税金を払うためだけに 帰ってきたみたい。

前原氏は 25万円、 外国人から献金を受け 辞職しましたが、
日本の法律や、 規則をつくる ロウ・メーカーである 政治家。
なぜ菅首相は、 106万円を 外国人からの献金を受けたことが発覚し、
それを返金するだけで、 罪逃れ。 

まだ「首相」となっていられるのですか?!

それでは、 私は 日本にパリから送った私のお金を、 処置の仕方が
間違っていたからと言って、 し直すことは 出来ないのですか?
パリの私の口座に戻せばよいのではないですか?

やり直しは きかないのですか?

私はこれまでに、 自分のお金を、
NYの国連環境計画に10万ドル(当時のレート1,100万円)
長野で開催された スペシャルオリンピックスに100万円
熊本 慈恵医大「こうのとりのゆりかご」に、30万円、
あいアイに、 27万円、
ミュージック・シュアリングに、 20万円、
そして NPOアースエイド・ソサエティから  これまでに、
日本赤十字社に、 1,675万円、
難民を助ける会に、 2,575万円、
マルタ勲爵士団に、 1,196万円、
朝鮮赤十字会に、 120トンの精米、 
パキスタン カシミール地震被害者に、 
2,556枚の毛布と3,500枚の防寒着を、
エジプト スザンヌ・ムバラック児童博物館に、 100万円、
南アフリカ ネルソン・マンデラ基金に、 100万円。

   パキスタン、カシミール地方での大震災へ、 物資を届ける。 2005年
デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba

 パキスタンの赤月社の方の説明を受け、 被災者のテントを視察。 
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           北朝鮮の赤十字社に精米120トンを寄付。
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私の苦痛は、 今回の東日本大震災の 被災者の方々の
悲しみに比べたら、 なんでもないことではございますが、

大変傷つきました。

しかし、 被災者の乳幼児をお持ちのお母様方が、
まだミネラル・ウォーターを必要としていましたら、 
これからも 送る努力は惜しみませんし、
動物愛護の運動は続けるつもりです。

日本の皆さま、 しっかり考えてみて下さい。
こんな不公平極まることは あるでしょうか?

鳩山由紀夫元首相と 鳩山邦夫元総務大臣。
このお二人は、 月 1,500万円の"子供手当"を
お母様から 何十年にもわたって 受けていたといわれています。
発覚した5年前に逆戻り、 納税義務が発生したようですが、

年1億8千万、 5年で9億円となります。

これは 意図的な(重要な)脱税であり、

"贈与税"を誤魔化そうとしたものであるのは、 明確です。

この方達には、 ほんの お義理の税しかかからず、
(全文転載終了)

小澤博幸 投稿日:2011/04/15 20:30

【408】[451]非常事態に慣れていない

会員番号1021、岩手県盛岡市に住む小澤博幸と申します。
盛岡市から70キロはなれた岩手県沿岸部は、大震災後1ヶ月を過ぎても、普通の生活に戻ることが出来ていません。

わたしは、縁あって「ゆめ風基金」が後援して設立した「被災地障がい者センターいわて」のお手伝いを4月7日からしています。

http://homepage3.nifty.com/yumekaze/
http://yumekaze21.blog39.fc2.com/blog-entry-119.html

「ゆめ風基金」は、阪神・淡路大震災以来、被災して孤立している障害者を救援している組織です。障害者一人ひとりの情報が、とても重要なのですが、障害者の団体に、障害者の住所・氏名などを問い合わせると、「プライバシーなので、答えられません。」という返事が返ってきます。

「個人情報の保護」は、とても大切なことですが、それは「平時」のルールなのではないでしょうか。避難所を覗けば、ダンボールのついたてで、何とか他の家族と間合いを取っています。プライバシーなんてありません。

こういう非常時には、ルールは変わるのではないでしょうか。まず、命を救ってからのプライバシーです。

がけ崩れの時には、普段穏やかな人でも、叫び声をあげて、警告を発すると思います。

「個人情報の保護」という言葉によって、横のつながりが断たれています。わたくし達は、非常事態に慣れていないので、どんなふうに行動していいか
わからなくなっています。

「平時」と「非常時(または戦時)」との違いを認識して、行動すべきだと感じました。

原 正寛 投稿日:2011/04/15 15:02

【407】[450]「16日(土)午後3時より小沢一朗民主党元代表とフツ―の市民緊急座談会」

東京在住の28歳です。
ニコニコ生放送のアドレスが決まりました。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv46671523
USTREAM(APF通信)
http://www.ustream.tv/channel/apfnews-live

 私がこの座談会に参加できるのはとても「不思議な縁」ですが、とにかくこの「未曾有の緊急事態」ですので、小沢一郎氏にトップに立っていただき圧倒的リーダーシップで早く日本を救っていただきたいと切に願います。

 明日(16日)、午後3時~です。
正式に決まったのが昨日(14日)のことで十分に「告知」できず、何度もこちらの学問道場に掲載しますことどうかお許しくださいませ。

田中公男 投稿日:2011/04/15 06:25

【406】[449]真実

副島隆彦さん安全ならば原発の近くに住んでみれば
2,4日行ったから安全は少し馬鹿じゃないの!
私は電気事連と付き合いがあったから安全と言って
いると本当のことを言ってください。
他の人から言われる前に

磯貝 太(いそがいはじめ) 投稿日:2011/04/15 00:39

【405】[448]福島県の会津若松市民です。

困ったことになりました。
いいのか悪いのかよくわからない状況になっています。

私は、決して自発的ではなく、軟弱者で町内の区長さんやら民生委員(すいません以前は、民生員と記載しました)の勢いにおされて避難所のお手伝いに行っていたよう者です。

震災直後、地震、津波、放射能と大パニック状況で、当方のような者も結構かり出されましたが、最近は落ち着いてきたお陰であまり行かなくなりました。

区長さんらとお会いすると、津波とか、地震があった方々でも、ご自宅がなんとかなる方はほとんど帰られたようです。

震災当時は、こちらも放射能が吹っ飛んでくるのではないかという大パニック状況から気が動転していましたので、避難されていた方とも、もの凄い一体感がありました。

時間が経つと、避難者と定住者との間の微妙な距離感も感じています。
このあたりを具体的に記載すると、自己嫌悪になりそうないやな差別意識になるので割愛しますが、このあたりの意識は、自分自らを含め反省しなくていけないと思います。

今では、ほとんど福島原発事故で避難されている方々のみが残られたので、その方々のお子さんらの小学生、中学生らが、少子化で廃校になった学校校舎や、市役所内の庁舎などで開校されました。

小学生が800人ぐらい、中学生も200人程度が、仮校舎で入学、進学をしました。

友達と離れたくないなどの理由から、想定された以上の人数だそうです。

子供は、理屈抜きの直感的な雰囲気を感じ取るのでしょう。

転校すると差別されないかが心配なのではないでしょうか。福島県自体が差別から、福島県の中での差別があります。本当に悲しい事です。

このようなことは、大人、子供関係なく理屈ではないので、今後どうすればいいのか、難しい対応になっていくと思います。

この道場内では福島原発事故に対する安全宣言されていますが、現実は厳しいです。

ところで、20年ぐらい前に、地府で工業団地が乱立しましたが、ほとんどが売れ残って、いまでもいわゆる塩漬けとなっています。

そこに、仮設住宅が建てられることがほぼ決まってきました。

工業団地の区画自体ものすごく広いので、仮設住宅も1工業団地1区画当たり200戸とか100戸の仮設住宅が立ち並ぶ事になります。

仮に200世帯で1世帯4人家族となれば、いきなり、800人が居住する集落が出来上がります。

具体的な数字は分かり次第ご報告したいと思います。

とはいえ、受け入れ側も、売れ残りの工業団地の有効活用で人口も増える。人口が増えれば、国から地方自治体に落ちてくる地方交付税交付金が増えます。

人口が増えれば、福島県のような猛烈な勢いで過疎が進む地域にとっては、天の恵みのようなものです。

ましてや、夕張ではありませんが、工業団地整備の多額の起債事業(起債というと名前はかっこいいのですが、わかりやすくいうと国債と同じで借金です)の返済にも歯止めがかかります。

体育館当たりの避難所生活での被災者のストレス(最近直接見ていないので伝聞です。すいません)が、極限状態だそうですので、仮設住宅は喜ばれるでしょう。

そうなると、この学問道場では、自宅に帰っても全く支障がない原発周辺の方々が、自宅から100キロ以上離れた会津の仮設住宅に住むことになってきます。

一般的に仮設住宅は、自宅がなくなって困っている方々、自宅近くに建てられるものだと思いますし、阪神大震災や、今回の大震災での津波や地震の被災者の仮設住宅も今まで住んでいたところの近く建てられているようです。

会津に避難されている方々、津波、地震で避難された福島県の福島市や郡山、いわきなどに避難し、そのあと避難命令が出た原発付近の方々が、ところてん式に、それから奥の会津にはじかれて避難されることになりました。

今のところ、一時帰宅も許されない、帰宅も絶望的となると、今、避難されている会津若松を中心とした自治体の仮設住宅をどうして建てるかということになってきます。

ところが、この学問道場では安全宣言がされました。そうなれば、仮設住宅建設自体が無駄になるでしょう。

ところが、一般世間はそうなりません。

これから、200とか300、400とかの仮設住宅建設が着々と始まります。

そうなると、用地買収、建材費、人件費は、全額東京電力からでるのでしょうか。

1人でも、地震、津波の被災者がいれば、東電は関係なしとなり、私を含め、皆さんが取り立てられる税金(血税)からの支出となるではないでしょうか。

そうなると、「ああそうか大変ですね」とかの問題ではないと思います。

日本は借金まみれだとか政府が言っていますが、たまたま被災者受け入れをした自治体やら業者の火事場泥棒やら焼け太りではないでしょうか。

余震やら、原発事故などが落ち着いてくると、このほかにももの凄く変なものが見えてきます。

ここ最近、美談も多々ありますが、考えたくなかったり、みたり聞いたりしたくない嫌な事も、毎日毎日、ハリウッドのアクション映画のような展開です。

当方、3月11日以来、震災やら、原発事故の当事者になってしまいましたので、しばらくの間はおかしいなとか、変だなと思うことを乱筆乱文ながら投稿していきたいと思います。
よろしくお願いします。