重たい掲示板
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Loginはこちら【437】[482]太田様
御意見ありがとうございます。
おっしゃる通りです。
また、有益な御意見をお聞かせいただければ幸いです。
ありがとうございました。
今は、とにかく、冷静にこの現地で生きるより我が道はないので、淡々と生きていく、副島先生や学問道場の冷静な御見解を傾聴しながら生きていく、
それ以外に自分や家族を生かす道はありません。
ありがとうございました。
【436】[481]市井の福島市民様
市井の福島市民様。さぞ御不快な文面であったにも関わらず、ご丁寧な回答をいただきありがとうございました。
ご指摘の「エコ利権集団」は、さらなる安全策らしきものを提示しつつ、涼しい顔で原発を稼動し続けています。どさくさにまぎれて情報統制するやら、TVでプルサーマルの宣伝を再開するわ、やりたい放題です。でも、こんなことを許している責任は国民側にもあります。私が本当に悲しく思うのは世論調査の結果です。例えば、4月1~3日の読売新聞による結果では、今後原発を、「増やすべき」10%、「現状維持」46%、「減らすべき」29%、「なくすべき」12%。他の新聞社の調査結果も似たり寄ったりです(いつもながら、この数字が必ずしも正しいとは限らないのでしょうが・・・)。
でも、なにか、おかしいと思うのです。良いとか悪いとかではなく、何でこんなことになっているのか・・・? どうやって浜岡原発を止めるかの答えは簡単です。ボタンを押して制御棒を突っ込めばよい。福島第一の原子炉はもはや制御不可能ですが、他の原発なら、今なら、いとも簡単にできます。なのに、出来ないという。できないのではなく、やりたくない。私は、政府も電力会社も、頭の中では何をすべきか、理性では判っていると思います。では、なぜ、それを実行しないのか?理由は本当に利権でしょうか?一方、国民も本心では原発を止めるべきと分かっていると思います。では、なぜ、こんなアンケート結果になるのか?
私自身は、政府や電力会社は、もはや、将来の利権のことまで考えていないように感じます。だって、自分の国が滅ぶかもしれないのですよ。さすがに、そんな方法でお金を得て幸せになれるとは思っていないだろうし、それどころか、怒った国民に殺されるかもしれないとも感じているはずです。馬鹿でなければ・・。
理由はきっと別のところにあります。政府や電力会社の幹部は、自分の人生の大半をつぎ込んで築き上げた、今の生活や地位を守りたいだけなのです。今、負けを認めて原発を停止したりすれば、内からも外からもひどい非難を浴びて、どんな目に合わされるか分からない。築き上げたものはすべて崩れる。そうなるくらいなら、今までの生き方を貫いて、なるようになれ!そんな心境ではないでしょうか?被災地以外の、国民もそうです。好きなだけ電気が使える今の快適な暮らしを守りたいのです。でも、それは、単なる贅沢とはいえない。「原発は現状維持」と回答することによって、「これからも、今の生活が続く」と、ご自身に言い聞かせておられるのではないかと思うのです。
そして、ここからは、本当に失礼をお許しください。福島の被災者の方も同じ心境にあるのではないかと思うのです。たとえ、放射能を浴びても、自分がこれまで手塩にかけて育ててきた牛や農作物、そして生活を守りたい。悲惨な現状が自業自得ではない分だけ、なおさらそのように思われているように感じます。副島先生は現地におもむかれて、そのような動かしがたい現地の覚悟を見抜かれたからこそ、「これは命をかけて応援してあげるしかない!」、そう思われたのではないでしょうか?これは、「大愛」で、一般人のレベルではありません。
でも、お叱りを受けるのを覚悟で敢えて言いたいと思います。時代は考えられないくらい巨大なスケールで変化してきているように思えます。昨日の常識は今日の非常識で、経済や政治システムも人々の考え方も根底から変わろうとしているように思えます。まさに、副島先生が予言されたとおりです。そして、今回の未曾有の天災や人災も、そのような巨大な変化の一場面に過ぎないのではないかとさえ感じます。もしかしたら、ルネッサンスや明治維新クラスか、それ以上の大転換期ではないかと・・。このあと、どんな世の中になるか分かりませんが、きっと、当時の大多数の人々も何が起こっているのかわからなかったと思います。でも、特にこのような激動期には、変化に抵抗せずに、冷静に受け入れて対応した者だけが、災難を乗り越えて幸せになると言われます。逆に、そのような中で、財産、地位、生活、業績、信念、なんであっても、自分がこれまでに得たものを守り抜こうとする気持ちはあだになると言われます。マスコミは、そのようなこだわりを通そうとする気持ちを「希望」とか「勇気」とか言って称えますが、仏教では、「執着」と呼びます。それが、「悪い」理由は、ごく単純で、結果的にその人自身や周りを不幸にするからであると教えます(念のためですが、私は、特定の宗教活動には一切興味ありません)。
市井の福島市民様、私は、あなたの今の苦境に対して、上からものを言える立場でないことは重々分かっております。あなたと同じ苦境を私が耐えられるか、と問われると、その自信もさらさらありません。ただ、一点だけお願いしたいことがあるとすれば、「もし、裸一貫で、海外から始めて福島に訪れたばかりとすれば、今、どう行動するのが一番自分にとって幸せか?」と考えてみていただきたく思います。私が、もし、同じ立場に立ったと想像したら、それ以外に、気持ちの支え方が思いつかないのです。
浜岡原発をどうやって止めるか?そのことに対する秘策も持ち合わせておりません。実に、原発を止めろ!といわれるのは、政府や電力会社のお偉いさんにとっては、「執着を捨てなさい」といわれているのと同じ気持ちでしょう。「では、あなたが先に捨ててから言ってください」という気持ちになって、さらに陰険に抵抗したくなるのではないかと思います。
私は、ごく近い将来、あちこちから原発廃止運動が沸き上がり、原発利権にまみれていない政治家がそれを利用して活躍する。そんな場面を、期待を持って想像しております。でも、それには、国民自身が、一時的にせよ電力30%カットを自ら受け入れる腹を決めることがどうしても必要です。あんな世論調査では小沢さんも動きにくいでしょうし、我々自身にも良い具体策など浮かぶはずがないと思います。優秀な日本人のことですから、一旦腹をくくれば、すぐに、太陽光や風力を器用に利用して、信じられないスピードでその30%を埋めていくのではないかと想像します。市井の福島市民様や他の被災者の皆様、あるいは、計画停電に苦しむ東京都民の皆様、いかがでしょうか?さらなる原発事故のリスクと天秤にかけなければならないほど、電力30%減は悲惨なものでしょうか?それとも、耐えうるものでしょうか?申し訳ないと思いながらも、未だにヌクヌクとした生活を送っている大阪人にはどうもイメージが浮かばないのですが、一方で、残された時間があまりないような気がして心配でなりません。
【435】[480][479]のビデオについて
以前、この重掲において、稲博士のyoutube映像を紹介した投稿がありましたが、削除されました。副島先生は、稲博士をいんちき学者と判断されているようです。六城さんが、副島先生の指示で、投稿者を出て行かせたと記憶しています。私も稲博士のyoutube映像を見て、副島先生の発言の裏づけになるかと思いましたが、大声で「まったく問題ありません」を繰り返しているところや、最後のほうの質疑で「どのくらいの放射線量で治療しているのか?」という質問にきちんと答えず、むしろ質問者を攻撃している態度から、うそ臭い人物であることは分かります。副島先生は、どのような根拠で、稲博士をいんちき学者と判断しているかは、発言していませんが、副島先生がいんちき学者と判断されているのだから、信じてはいけません。
【434】[479]福島大丈夫宣言の根拠
初めて投稿します。群馬県で医師をしております。
副島先生の「福島大丈夫、定住する予定」の根拠となりうるビデオを発見しました。
副島先生はこの方とその話を知っていて、今回の福島大丈夫宣言をしていたんだと、勝手に納得し、感心しました。皆さんもご参考までに見て下さい。
医師としては一つの考えとして理解できるものです。
否定、肯定は個々人が決めるしかありませんが。
http://www.youtube.com/watch?v=PQcgw9CDYO8&feature=related
【433】[478]太田様への回答
太田様のメッセージにも一理あり。
一番原発を止めてほしいのは私たち福島県民体験者です。
私も小沢さんに期待するしかないと思うのですが、
もし彼に全てを託しても、すぐに原発を止められるかどうかは疑問だということです。
もし、止められるなら、とっくに止めていると思うのです。
では、なぜ止められないのか?
そこは世界経済、アメリカ、フランス、日本、アフリカ、中国の、核抑止力なき後の核平和利用による地球温暖化の嘘によるエコ利権による経済問題がある。
だから止められない。
止めてほしい、これ以上、犠牲を出してほしくない。
だから私は、副島先生を信じて、ここで生きる決意をして、復興はどころか復旧の段階ですが、借金をまたして働く、動く、それをしている。
まずは、原発止めろ、ではなくて、小沢さんを官僚国家から救い、日本の産業構造を大きく変換してもらわなければならない。
この福島でこれほどの事故を起こしながら、なぜ浜岡が止められないのか?浜岡が断層の上にあり、これも明日爆発しかねないのを誰もが知っていて、なぜできないのか?
そこを考えてほしいということです。
私は、原発推進を擁護しているわけではない、
この恐怖は凄い。
ただ、冷静になぜすぐとめらえないのか?
あっちこっちで止めろと運動が起きているのに止められない。
やはり、原発産業政策に依存してきた歴史を検証し、それを撤回する準備と順序があり、それは一歩一歩でしか進まない、40年のエネルギー政策の利権は世界規模で重いので、すぐには無理だと思う、では、みんなで考えて動きましょう。
それで、具体的に太田様はどんな秘策があるか教えて頂きたい。
止める秘策です。それがわからないからもの申している。
・・・・と思うのですが、やっぱり違うかな?
他の学問道場の方々の御意見もうかがいたい。
あなたがやっと止めてください、と書いたのは喧嘩をふっかけたわけではなく、冷静に具体的な事案を出してください、という意味でしたので、謝罪します。書き方が悪かった。
とにかく人は死ぬし、私の頭ではもう案が浮かばない。
浜岡を止める案が浮かばない。
止めたい気持ちは痛いほどわかる、ここは地獄ですからこの地獄を日本国で作ってほしくない。
現実は、福島差別で悲惨です。
廃業、経済ストップ、誰も近づかない。
私は飯舘、南相馬にも行きました。
その苦悩を人々から聞いてきました。
農家は作付できないまま。
ただし、ぼやきで書かれている副島先生の言葉は、99%賛同しています。
【432】[477]なぜ、副島先生は、「もう、大丈夫です。安心してください。と、私は、言い続けるしかない」のか。
こんにちは。
石井 利明です。
私は副島先生と一緒に、二回、福島の現地を訪れました。
大震災の発生から、40日です。
この重たい掲示板でも、佐藤さんが“454”と“457”で、副島先生の報告文を解説しています。
そこで、私も出来るだけ簡単に整理してみようと思います。
まずは、佐藤さんと同じように、時系列でまとめます。
始まりは、12日の15時36分に起きた、福島第一原発第1号機が爆発です。
この事実は、17時45分に枝野官房長官が緊急会見まで伏せられていました。
つまり、2時間ほど隠蔽(いんぺい)されていました。
会見の内容は。「原子炉そのものとは確認されていないが、なんらかの爆発的な事象が確認された。総理や専門家をまじえて、情報の把握と分析など対応にあたっているところである。放射能について測定はおこなわれているところであるが、18時過ぎに新しい数字がでてきます。落ち着いて行動を。」
です。
副島先生の第1信は、この会見から1時間以内、18時33分でした。
この掲示板の[207]の “福島第一原発で メルトダウン(炉心溶解)が起きました。 自分の判断で逃げてください。”です。
13日の5時には、官邸ホームページの地震関連ページに「東北地方太平洋沖地震への対応」という資料が追加されます。
この内容は、ベント操作により1名が大量被爆(線量106msv)し、原発に近くの双葉病院にいた3名も被爆、というものでした。
先生は、同じ、13日の8時21分に[210]をこの掲示板に投稿しました。
[207]は、先生自身の安否情報も兼ねていましたので、この[210]が正式な原発に対する報告文の最初です。
タイトルは、“[210]福島第一原発の事故(報告1)この大凶事は、日本国の本当の危機です。日本国民は、もう疲れ果てて「どうにでもなれ」と諦(あきら)めつつある。”でした。
この時の先生は原発事故をタイトルにあるように、日本国の危機、全国民の危機として、として判断されていました。
だから、将来の日本国を担う若者たちに、「逃げろ! 生き延びろ!」と訴えたのです。
(報告1の[210]から引用開始)
私たち、もう50台から上の人間たちは、いい。十分に生きた。しかし、判断力も人生の知恵もない、若い人たちを守らなければいけない。若者たちだけが、私たちの財産だ。
([210]から引用終了)
しかし、原発の状況は悪化の一途をたどります。
14日の11時1分には、 福島第一原発第3号機で水素爆発が発生。爆発音は2回にわたり、水素爆発特有の白い煙とは別に灰褐色の煙が高くあがったとの情報があり。第3号機の建物外壁がなくなり、骨組のみとなっている様子が報道され、半径20キロ圏内屋内退避指示が発令されました。
私も、このプルトニウム燃料の3号機の爆発を見て、「もう、ダメかもしれないなぁ」と思い、逃げることをあきらめました。
15日の8時30分頃には、福島1-2 発電所所長判断で一部従業員が退避を始めるという報道が流れ。子どものいる友人に電話を何件も掛けました。何人かは、奥さんと子どもを今いるところより安全な場所に移動させてくれたようでした。
そして、逃げるだけでは、もう、どうしようもない状況だと、私は理解しました。
15日の9時40分に投稿されていた、副島先生の報告文5
“若い人たちは、西に逃げてください。 老人と、公務員は、決死隊員になる覚悟を決めてください。”
を読んで、副島先生に電話を掛けました。
「決死隊にはなれませんが、手伝えることが言ってください」というようなことを話しました。
先生は、「これから、東京に行って政治家を説得する」と言っていました。
16日の17時過ぎに投稿された。
[254]“まだ大惨事が迫っています。大切なのは、上に立つ人間たちが、責任を取る、という思想です。”に先生が決意を述べられている通りです。
18日の午前7時は、[273]“ECCS(緊急の炉心冷却装置)の電源回復、冷却ポンプが作動することが一番、重要だろう。”が投稿されました。
([273]から引用開始)
私は、都心で国会議員たちを説得して、現地視察をすることを強く勧めています。国会議員たちでないと、福島県境の東北縦貫道の警察の制止線を越えられない。(中略)
政治家たちが動かない、ということになったら、私は、自分と弟子だけで、現地に向かって、出来る限り福島第一の現場の近くまで行きます。
([273]から引用終了)
結局、責任ある政治家で現地に赴(おもむ)くという人は現れませんでした。
「手伝います」と言ったので、先生と一緒に、3月19・20日に福島へ行くことになりました。
その結果は、19日の15時27分に[292]として、速報で中田さんにより“福島県内に調査に入った副島先生からの電話の内容”として、この掲示板にアップされ。
翌朝の6時39分には、先生が[295]として、
“強運により、原発事故の凶悪事(強度の放射能汚染)から日本国民全体が、逃れることができました。”
と投稿されたとおりです。
この現地調査を境に、先生の原発事故に関する視点は変わります。
実際に現場に行きデータを取ることで、日本の危機という国家規模の問題から、福島の地域規模の問題へと変化したのです。
福島の人たちを助けるためには何をすべきか?
先生の“福島に住む!”発言は、この中から生まれたのだ、と思います。
3月22日の、午前6時21分には、[309]
“私たちは、今こそ福島県産の野菜、果物、コメ、魚を進んで食べる運動を始めなければならない。それが復興への支援だ。”
が投稿されています。
この転換が分からない人たちは、“危険だ!危険だ!”を連発し、挙句、「金をもらったんだろう」という輩(やから)も現れました。
私が先生と一緒にいて印象に残ったのは、「俺はなぁ。現地の人の頭とも同化できるから、現地の人の気持ちが分かるんだよ」でした。
確かに、現地行けば、そこに住んでいる人が、当たり前に居るのです。
そして、一番怖いのは、私たちではなく現地の人たちなのです。
その人たちは、自分の家を見に帰りたい、と思っても怖くて行けない。
私にも、その気持ちは少しは分かる。
だから、二回目に福島に現地調査に行った報告文10として、ぼやき「1207」で書かれた、
“原発の避難者の皆さん、子供もつれて自分の家に帰りましょう。もう、大丈夫です。安心してください。と、私は、言い続けるしかない”、
が、どれくらい、現地の人たちを勇気づけたかが分かる。
昔、つのだじろう、という漫画家の書いたマンガに『恐怖新聞』というのがあった。
主人公の家には、毎日、12時になると明日の出来事が書いてある新聞が届けられる。
いくら要らないといっても届けられ、それを読むと100日寿命が縮む。
私は、“危ない! 危ない!”といい続ける人は、恐怖心の配達人に似ていると思った。
現実を少しでも良くするという方策も無く、ハズレても、「ハズレて良かったじゃない」だ。
何の責任も取らないばかりか、「あなたのためを思って言っていたんです」とも言いかねない。
その間に、それを読んだ人たちの寿命が縮んだことなど、考えもしない。
石井 利明拝
【431】[476]「支援金」の情報です。やはり「お金」です。
東京在住の28歳です。「支援金」の情報です。
最近のこの掲示板のやりとりは「福島」なので少し論点がずれてしまうかもしれません。
しかし「お金を振り込む」ことは誰にでも『すぐ』に、『何度』でもできるかと思い、かつ「赤十字への義援金」よりはよほど「すぐに役立つ」と思い載せさせていただきました。
タレント清水国明さんのブログより「口座名」のみ抜粋いたします。
基金の設立の経緯や活動の詳細などはブログからご覧ください。
http://ameblo.jp/kuniaki-shimizu/
『生きるチカラ基金口座
銀行:三井住友銀行
支店:新橋支店(店番216)
種類:普通預金
口座番号:2137380
口座名義:生きるチカラ基金口 (イキルチカラキキングチ)
公益財団法人東京コミュニティー財団
代表理事小川敏男』
活動に賛同いただける方はtwitter、ブログなどぜひ「情報拡散」へのご協力もお願いいたします。
今朝(21日)のニュースで「20km圏内」が「警戒区域(地元民でも立ち入り禁止)」を設定したようです。
あれだけ「安全」「安全」と連呼しておきながら、震災より40日以上経過してのこの措置。
「地域や地元の理解必要」などと簡単にいう菅直人を私は許せません。
【430】[475]福島行
会員番号3792の長谷川高士です。初めて投稿します。
先週4月16日(土)と17日(日)に原発周辺に行きました。その報告と所感を述べます。
私は福井県で消防防災関連の会社を経営しております。ある企業と共同開発を行なっている関係で、かねてより、そちらの小名浜工場で実験を行なうことにして居りました。もう少し早く行ければよかったのですが、いろんな事情が重なって、些か遅れました。
金曜日の夜に車で現地に入り、土曜の早朝から実験を開始しました。その甲斐あって、予想以上に早く順調に終了しました。その後は自由時間です。
出発前の心積りでは、土曜日はいわき市から広野町までを動き、日曜には北側からアクセスしようと考えておりました。取り扱い商品は出来るだけそのサンプルを所有する方針ですが、サーベイメータ(一般的にはガイガーカウンター)は持っておりませんでした。偶々ポケット線量計何本か手元にありましたので、運転助手の息子と私の分2本を携行しました。この線量計はスイッチがONになっている間、検知した放射線を積算値として表示します。その時点での放射線の強度をμSv/hで表示するサーベイメータとは違い、表示単位はμSvです。
小名浜の社員さんは情報を持っていました。「最近になって事故地域の出入りが厳しくチェックされるようになった。」「知り合いが現地で働いている。」「良かったら、何か情報を貰おうか」と言うことで昼食時に電話をかけてもらいました。電話の相手は関東の建築会社の部長さんだそうで、その返答は「現地にいる社員に電話して、原発の前でもどこでも、幾らでも連れて行ってもらってあげる」と言う、驚くべきものでした。
実験の後片付けもそこそこに部長氏の指示のまま、高速に乗り四倉ICまで行き、一旦外に出てUターンし、一般車両通行止めの広野ICまでの区間を進み、高速を降りました。そのままJビレッジで部下の方と落ち合いました。広野ICからJビレッジまでの間に警察の検問がありましたが、実験時の作業服のままだったせいででしょうか、身分証の掲示だけで簡単に通れました。あとで気づいたのですが、そこが20Km圏の検問だったような気がします。ここまでは予想を超えた展開でした。
社員の方はJビレッジの駐車場まで車を誘導してくれましたが、Jビレッジを見せてやってくれと言う程度の指示しか貰っていなかったようです。
数百台の作業員の通勤車両がグリーンに停められていました。帰宅してからJビレッジのHPを確認したのですが、駐車場になっていたのはメイン建屋の裏のサッカーコート3面分だったようです。建屋1階の約半分が作業員向けのスペースで、東電支給の防護服を着て指示を受け、正面玄関から出発するシャトルバスで事故現場に向かうのだそうです。人数は駐車車両の数以上になりますが、全て圏外から通勤しているとのことです。前線基地としての様相はかなり良く理解できました。
Jビレッジから原発までは約20Kmですから車だと30分間程度です。原発の近くまで行って良いですかと聞いたところ「行った車は出る際、洗わなければならない」とのこと、行くのが憚られましたのでそのまま南下しました。
入った時とは違う検問所を抜けましたが、その際は何も言われませんでした。広野町を市街地から海岸線へと通り抜けました。折からの強風も相俟って、津波に襲われた地域は凄惨でした。不自然に感じられたのは、被害を受けなかった地域に人気が感じられなかったことです。何軒かは残っていたのかもしれませんが、店もガソリンスタンドも営業しておらず寄る辺ない生活になっているだろうと思われました。海岸と並行して走る旧街道のコンビニだけが営業しており、かなりのお客さんが入っていました。
この日は福島市近くの宿に泊まることにしました。朝7時から広野町を出るまでの積算線量は3μSv、穴原温泉に着くまでに1上昇して4μSvとなっていました。
17日は399号線を通って飯舘村と南相馬市を走りました。昨夕と打って変って日曜日は穏やか日でした。誰もいない早朝の飯舘村役場とは対照的に旧原町市役所(南相馬市原町庁舎)の駐車場は満杯でした。何か集会でもあるのかと覗いたところそうではなく、多くの人が罹災証明書を受け取る為の混雑でした。数人の方が掲示板犠牲者名簿を食い入るように見ておられました。別の掲示板にはA2程度の市地図モノクロコピーが貼り出され、第1原発から20Km圏、30Km圏を示す円弧が赤鉛筆で示されていました。旧原町地区は人出が多く、津波罹災地区を除き、広野町とは違った、活きた町でした。
海岸線を南下して双葉町に隣接する小浜という地区に入りました。津波で壊滅状態です。消防団のトラックが先を走っていたお陰で車を進めることができましたが、そうでなければ引き返していたはずの危なっかしい道路状態でした。
道なりに走っていた結果、いつのまにか20Km圏内に入っていたようです。警官から「もう入りませんね。念のためナンバーは控えさせてもらいます。」と言われのですから、そこで圏外に出たということです。
帰宅モードのナビの命じるまま、20Km圏の外周を少々走りました。ナビがどうしても検問所を通過せよというので、3つ目の検問所で警官に聞いたところ「通過は駄目です」と言われました。多摩ナンバーの警視庁の警官でした。道路地図で調べてもらい、迂回して東北道ニ本松ICを通るしかないと判りました。しかし先行して交渉していた軽トラックは「気をつけて行ってください」と言われて中に入りましたので、きっと圏内の住民の方だったのです。ですから圏内の住民の出入りは禁止されているわけではありません。
二本松で線量計を見たところ、数値は7μSv。朝、宿を出た7時過ぎの数値は昨夜と同じ4μSv。7時から12時まで、飯舘村→南相馬市→双葉町直近→南相馬市→飯舘村→二本松で我々が受けた放射線の総量は3μSvだったことになります。飯舘村→二本松間は約1時間だったと思われますので、4時間の単純平均線量率を敢えて採れば、0.75μSv/h。ところでポケット線量計は指向性が高く左程正確ではないといわれていますが、二つの線量計の数値は一致しています。
因みに、同じロットの線量計を3月末から小名浜の工場に貸してあります。3月28日午後4時から4月1日の8時までの88時間の数値が残っています。積算線量は29μSvでした。平均すると0.33μSv/hと言うことになります。
地震発生後、夜7時のニュースで津波の映像を見て心底驚きました。しかし福島第一原発の冷却系等に異常があるとの報道を耳にしてからの私の心理状態は別物でした。不安で堪らず、13日からは仙台の妹に15日からは関東の兄弟達に脱出を奨めるメールを送って居りました。チェルノブイリの再来必至と本気で恐れました。私は福井で原発事故が発生することをいつも恐れています。
不真面目な読者で、学問道場の頁を見始めたのは17日です。何と副島先生が現地に行く?私には恐怖でした。自分の血もイヤですが、人の血も怖い。従って3月20日、副島先生の現地調査の報に触れ、本当に安堵しました。有難うございました。即座に脱出中止メールを兄弟に送りました。日頃は仲が良いわけでもないのですが。
福井県で暮らしているだけでなく、原発銀座と呼ばれる地域の消防機関をお客さんにしている関係で、放射性物質・放射線、原子力事故に関してはそれなりの知識を持っている積りでした。チェルノブイリがあれだけの大災害になったのは単なる水素爆発で原子炉が壊れた為だけではなく、減速材として使われていた黒鉛が燃え核燃料を上空高く巻上げたためだということです。本来高純度黒鉛は燃えるはずがないのですが、所謂想定外の不運の連鎖が成した業。これは石川迪夫先生の著書「原子炉の暴走第2版」に述べられていることです。私が先生とお呼びするのは、本の内容が優れているためというだけでなく、その姿勢が首尾一貫しているためです。この本はあの難解な原子炉内での物理的な動きに関する説明において、素人でも何とか理解が出来るほどに優れているだけでなく、信念が貫かれている印象を持ちました。しかし残念なことに、原子力発電システムに内在する脆弱な部分、矛盾には触れられていません。
どなたの言葉だったか名前を覚えていないのが悔やまれますが「原子力発電は単なるボイラーだ。但し石炭・石油を使うボイラーとは決定的な違いがある。後者の場合は機嫌が悪ければお守りをする我々が聴診器を当てたり、触ってみたりして不具合箇所をほぼ完全に治せる。但し、直接触れることが出来なければどんなボイラーだって危険である。一旦動き始めた原発は、生身のわれわれの手が届かないところにある。」運転に関する限り、私はこれが本質だと考えております。石川先生は核燃料のコントロール、原子炉の運用のプロなのであって、配管材料を始めとする原子力発電システム全体に責任を持つわけでも、廃棄物の責任者でもないのでしょう。
気の毒なことに80歳近くの先生はアメリカの委員会に呼びつけられて事故の釈明をさせられました。「今回事故は、保安院が発表したようなレベル5ではありえない。レベル6だ」と発言されたそうです。先週の突発的なレベル7への格上げを、どのような思いで見ておられたのでしょうか。不肖の弟子を育てたと言うことかもしれません。
チェルノブイリ事故の際は風の通り道となった地域が汚染されました。ヨーロッパのかなりの広範な地域が、恐らく今回の比ではないくらいに汚染されたはずです。ではその時ヨーロッパ人はどうしたか?結果としては、風と雨が汚染物質を掃き流してくれるのを、耐えて待っただけだったはずです。少なくとも現段階では、チェルノブイリと比較した汚染物漏出はたいした量ではありません。発表された冷静な分析を根拠として言っているのではなく、チェルノブイリとは事故の様相が全く違うのです。それは副島先生が3月19日に現地で体を張って確認されたとおりで、幸運にも地獄の釜の蓋は開かなかったのです。同じ町でも津波が作った一本のラインの陸地側は、何事もなかったような様相を呈します。災害の特徴です。今回の原発事故もあと一歩のところで、あわやと言うところで、とどまっています。そうでなければ今頃東京は惨憺たる状態に陥っていたはずです。
だからごく一部の地域を除いて、大したことはないのだ。そのように、私も頭では理解しています。
しかし告白をしなければなりません。私は放射線・放射性物質について全く何も考えたことがありませんでした。字面ではそれなりの説明が出来ます。しかしただ単に恐ろしいものとズーッと怯えていただけでした。副島先生がマスクも何にも身に付けずに19日の原発前で放射線を測っている写真を見て恐怖しました。しかし、逃げようのない現実は受け容れなければなりません。副島先生の仰るとおり、がつがつ食べることには抵抗がありますが。
今回の福島行は従って、そんな私を啓蒙するためのものでした。息子の蒙の方もついでに啓いてしまったことになります。
先ほど小沢一郎さんの一般市民との対談を見ました。一刻も早く、国民を代表する政治家が主導して事態を収拾して欲しいと心から願います。多少の失敗など私は容認します。
【429】[474]福島に行くつもりです
[473]川端さんの言うとおり、福島にお金を落とさなければなりません。こちらは子供が2人いて日程に制約があります。学問道場の方とご一緒はできませんが、5月3日~5日の間に行ってきます。女房は嫌がっていますが、
これから説得します。できるだけ現地のものを食べ、軽に積めるだけの品を買って帰ります。連休明けにその成果をこの場でご紹介できると思います。
【428】[473]ゴールデンウィークに2泊3日で福島に行こう
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
福島県産のものを消費しようという先生の呼びかけに賛成したわたしですが、今のところ意識して福島県産のものを買っていません。なぜなら流通していないからです。わたしが買うものといえば自分のお弁当用の食料品くらいなので、たいした量にはならないのですが、それでも買おうと思っているのに、売ってない。まあ、しょうがないかな、と思います(お店を責める気にはなれない)。
そこで、要(よう)は福島にお金が落ちればいいわけですから、福島の旅館に2泊3日で学問道場のみんなで、大勢で泊まりに行ったらどうかと考えました。日程は2011年5月3日(火)から5日(木)です。行きたい人はいますか?
もし誰もいなければ、わたし一人で行くつもりです。もし大勢行きたい人がいたら、旅館を決めて手配したりとか、そういう取りまとめをしてくれる人を募集します。わたしは末っ子なので(言い訳)、そういうことが苦手でやりたくありません(自分の面倒は見られます)。男女の部屋を分けてくれれば、あとはお任せします。
きっと楽しいと思うんですよね。誰か行きませんか。 以上