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Loginはこちら【490】[542]「がんばろう日本」と言って思考停止させる
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
3.11以降、世間では「がんばろう日本」という言葉が流行(はや)っています(または、マスコミが流行らせようとしている)。わたしは、この言葉を「思考を停止させるスイッチだ」と考えました。
「がんばって」というのは、一種の挨拶として遣われています。挨拶というのは、その言葉の意味を深く考えずに遣います。例えば、「今日テストなんだ~。」「ああ、そうなんだ・・・がんばって。」のように遣われます。もしくは「付き合ってる彼の連帯保証人になったら、そのうち彼が失踪(しっそう)しちゃってぇ、結局わたしがすごい借金抱えちゃってさぁ、しかも最近体調悪くて、もう最悪。」「へぇ・・・大変だね・・・がんばって」のようにも遣われます。
つまり、相手が大変な目に遭っているとき、気の毒だなあと思うときに、これさえ言っておけば良いという言葉が「がんばって」です。これさえ言えば、その相手の大変な境遇についてもうこれ以上考えなくていい。その切り替えスイッチが「がんばって」です。
「がんばろう日本」というのは「がんばって東北」ではないので、一応「東北から離れたところに住んでいるわたしたちも他人事(ひとごと)としてではなく、自分のこととして3.11を捉(とら)えていますよ」というニュアンスが入っています。でも、津波にも地震の被害にも遭わずに自分の家に住んでいられて、原発からも遠く離れていれば、みんな日常に追われていつもと変わらずに過ごしている。でも、それでは人として冷たいような気がするから、とりあえず「がんばろう日本」と言って、日本赤十字社にいくらか寄付をすれば、それ以上福島のことはしばらく忘れていてもいい、考えなくてもいい。
そうして日本人を思考停止させて、アメリカは再占領しにくるんだ。
原発のことを身近に考えるには、とりあえず原発の近くに行けばいい。みんなで学問道場の福島復興活動本部の事務所開きに行こう。ね。
【489】[541]福島復興活動本部からの報告
5 月 23 日から福島復興活動本部に現地入りしている下仲もとゆきです。
福島は地震がまだまだ続いており、大小の地震が数時間おきに来ます。今朝5時半すぎには震度5弱の地震がありました。小さな地震はテレビや新聞では報道されませんが、その地域に住む人にはジャブのように疲労や不安が蓄積されていきます。そのことを身をもって経験しています。
以下に、私がSNSIのメーリングリストに書いた文章の一部を転載します。
(転載開始)
Subject: 5 月 23 日の福島復興活動本部からの報告
本日、福島復興活動本部に現地入りしました。
建物に「学問道場」の看板がついていて、雰囲気がありました。
以下に時系列順に、今日の活動記録を記します。
予定時刻通り船引駅に到着し、駅から出て私がキョロキョロしていたら、Kさんの方から声をかけてくれました。
その後、Kさんの車で道中にあるスーパーに買い出しに行きました。
冷蔵庫が動いているということなので、数日分の食料を買いました。
そしてホームセンターで鍋と米10kgを買い、ケーズデンキで炊飯器を買い、昼食を食べて本部に向かいました。
本部に着き、二階に上がり、ドアを開けると新しい畳の香りに包まれました。Kさん、ありがとうございます。
冷蔵庫はあまり冷えていなかったので、とりあえず食料を冷凍庫に入れました。
(凍るのも良くないので、しばらくしてから冷蔵庫に移しました。夜に確認したら、今のところ冷えていました。)
Kさんの車で大家さんの家に行き、お土産を渡し、ご挨拶をしてきました。庭に大きな犬が二匹いました。
本部に戻り、Kさんと別れました。
お土産を持って、本部の近くにある民家に挨拶回りをしました。
バイクの修理会社では、事務所に上がらせていただき、この近辺の話を聞かせていただきました。人がいなくなって、商売がやっていけるのか心配だということを話してくれました。当然私も、どういう人たちが来るんですかと質問されました。
夜になったので、炊飯器でご飯を炊きました。
ガスコンロが使えたので夕食を作り、食べました。
今日のところは以上です。
2、3時間に一回、震度3前後の地震が来ます。
つい先ほども大きい地震がありました。
今日は気温があまり上がらず、肌寒いです。布団にくるまってすごしています。
日中は暑くなるそうなので、来られる方は温度の調整ができる服装にした方がいいです。
現地で生活をしていると、こういうものがあった方がいいとわかってくると思いますので、
明日以降、特に車で本部に来られる方に持ってきて欲しいものをこのメーリングリストでリストアップしていきます。
もし自宅に余っているものがある場合は、名乗りを上げてくださると大変助かります。
2011年5月23日
(転載終了)
(転載開始)
Subject: 5 月 24 日の福島復興活動本部からの報告
今日は、福島復興活動本部に現地入りして2日目です。
以下に時系列順に、今日の活動記録を記します。
朝は地震で目が覚めました。
起きたら、二階の窓ふきをしました。
本部の二階は三方が大きな窓になっています。その窓は汚れており、蜘蛛の巣がはっていたり、虫の死骸がサッシにはさまっていました。
三面ともふき終わると、部屋に明るい光が入ってくるようになりました。
下に降りると、ちょうどF電気工事店さんが来ました。息子さんとお母さんの2人でした。
外灯を取りつける工事をしてもらいました。
外の明るさに応じて、自動で点灯、消灯するタイプのものは手元になかったので、2時間ほど作業をされたのち、一度戻られました。
近くの民家でごみの捨て方を尋ねました。
すると、1キロ先の検問所の手前にごみ捨て場があると教えてくれました。
そこで歩いて、検問所まで行きました。
検問所には機動隊員が2人立っていました。車の往来が意外とあり、道を回るように指示していました。
わかりにくいのですが、木の屋根になっている小さな小屋がごみ捨て場になっていました。
もやせるごみは月、木。プラスチックは水。缶、ペットボトル、びん、紙類、もやせないごみはそれぞれ第一、二、三、四金曜日・・となっており、五種類の指定のごみ袋が決められています。
道中、機動隊の車とすれ違いました。
わずかな時間に、反対車線に3台、同じ側の車線に1台・・です。
ここの道路(国道288号線)を通って、20km圏内に入っているのでしょう。
本部に戻ると昼になっていたので、昨日の残りのご飯にレトルトカレーをかけて食べました。
ガスコンロはプロパンガスが来ているので使えます。
Kさんが車で来てくださり、この数日の寒さを考えて、石油ストーブと電気ヒーターを持ってきてくれました。大量のネギももらいました。
この建物は複雑な電気配線になっているので、どのスイッチとどの配線が対応しているのかをわかる範囲で確認しました。
Kさん、本日もありがとうございました。
午後は、徒歩で本部の周辺を散策しました。
まず大家さんの家に行き、奥様に再びご挨拶をしました。この近辺のバスは止まっていると教えてくれました。車以外の移動できる手段を探していましたが、しばらくは再開する見込みがないとのことです。
大家さんの家の隣の橋は工事中です。作業員が交代で、軽トラックで食事に出かけていました。
次に古道小学校、都路中学校に行きました。平日にもかかわらず、どちらも誰もいませんでした。
古道小学校は入り口から少し入ったところの石柱に、片方だけ立ち入り禁止の黄色いテープがぐるぐる巻きになっていました。見張りの人もいなくなったということです。実際、敷地内には誰もいませんでした。
グラウンドには、子どもたちの足跡がたくさん残っていました。雨が降っても足跡がくっきり残っているので、粘土性の土です。通常、長期休暇中でも部活動でグラウンドを使うので、トンボかけを行い、足跡は残らないものです。このことから、ある日突然、立ち入り禁止になったとわかります。
都路中学校は山の上にありました。通学路の草は膝の高さぐらいまで伸びていました。しばらく誰も通っていないのでしょう。
100段以上の階段を上がると、校門がありました。途中、階段が崩れているところがありました。
校門前には、福島ナンバーの白のワゴンが一台止まっていました。ワックスがかかっていて綺麗だったので、職員が一人来ているのでしょう。しかし人の気配はしませんでした。姿も見当たりません。それでも、校舎の時計は正確に時を刻み続けていました。
グラウンドには、山からイノシシかシカのような足跡が続いていました。獣の通り道になっているのでしょう。広くて立派なグラウンドです。山から降りる途中には野球場もありました。部室なども見ましたが、破壊されたところはありませんでした。
中学校から車で降りていく方の道は、地割れをしているところがたくさんありました。それぞれの場所に、注意を呼びかけるコーンがたっています。
山を下り、道なりに歩いて行きました。
途中で自衛隊員が三人立っているところがありました。
自衛隊の車も止まっていました。
このときは、なぜここに自衛隊がいるのかわかりませんでした。
JAの前では、職員の中年男性が暇そうにタバコを吸っていました。
交番には真面目そうな警官が一人、駐在していました。
福島県警のパトカーが一台、巡回していました。
そして都路行政局(役場)に行きました。
なぜか入り口前の時計の時刻がずれていました。
人がいないのかなと思ったら、自動ドアが開き、中に入れました。職員も数人いました。男性の職員数人(みな中年)は作業服を着ていました。
窓口の職員(中年女性)にこの辺りのことを尋ねました。小中学の生徒は全員、船引やその他の地域に転校したと教えてくれました。もちろん家族も一緒にです。
ごみを出す日のカレンダー、パンフレット、各種指定のごみ袋をもらいました。なぜか別の女性職員に「大山こま最中」ももらいました。
古道体育館に避難した人の名簿が貼り出されていました。合計435人。それぞれの住所、連絡先が書かれていました。大熊町などの人が避難してきていたそうです。今は船引や郡山、あるいは親戚をつたって県外に移って行ったと職員は言いました。
古道体育館は先ほど、自衛隊員が立っていたところです。避難者がいなくなったあとは、自衛隊の駐屯地になったということでした。ここで謎が解けました。自衛隊はここから20km圏内に出入りを繰り返しているようです。表に立っていた自衛隊員に過度の緊張感や疲労感はなく、人がうまく回っていることがうかがえました。
本部に戻ると、再び外灯工事に来てくれたF電気工事店さんと、水道工事に来てくれたM設備工業さんが作業をされていました。
F電気工事店さんには、1階のクーラーも見てもらました。
お蔭様で、自動点灯、消灯する外灯がつき、自動ドアも動くようになり、1階のクーラーも動くようになりました。水もれをしていたトイレの水回りも直りました。
夕方になると、焼き鳥屋「天国」のYさんご夫妻が車で本部を尋ねてくれました。
6月4、5日の打ち合わせをしました。
都路に人が来てくれることを、2人とも喜んでくれていました。
そこで腕を振るって、焼き鳥に加えて、山菜の天ぷらなどを出してくれると言っていました。
夜になると、夕食を作って食べました。
今日のところは以上です。
数時間に一回、大小の地震が来ます。
先ほども震度4ぐらいの地震がありました。
建物の被害はありません。
本日、Kさんが持って来てくれた石油ストーブと電気ヒーターのお蔭で、暖かくなりました。Kさん、ありがとうございます。
冗談で、「今日の朝には東京に帰っちゃったんじゃないかと思って来た」とKさんのお父さんが言っていたほど、昨日は寒かったです。
日中は一転して、窓を全開にしなければいけないほど暑くなります。
体調を崩さないように気をつけます。
シャワーをまだ一度も浴びられていません。
明日は近くの旅館を訪ねる予定ですが、どうなるかわかりません。
冷蔵庫は牛乳などはあまり冷えていませんが、野菜などはある程度冷えています。
冷凍庫はしっかり冷えています。
ガスコンロはプロパンガスが来ていて、使えます。
これで調理をしています。
水道も使えます。
電気も来ています。
コンセントにプラグインすれば、充電できます。
SoftBankの基地局が敷地内にあるそうです。
そのため、奇跡的に山中でiPadが使えています。
布団は昨日届きました。
2セットあります。
畳が敷かれているので、十分寝られます。
トイレはちゃんと流れています。においはしません。
今日の工事で水もれもなくなりました。
コインランドリーは車で行ける範囲にあるようです。
徒歩で行ける範囲にはありません。
生活に必要なことでは、以上です。
2011年5月24日
(転載終了)
下仲もとゆき拝
【488】[540]なぜ事故原因の説明がないのか
福島第一原発の事故原因が、2か月以上が経過した現在も明らかにされていない。日本国民と全世界を恐怖のどん底に陥れた未曾有の大事故だったのだ。事故を二度と起こさないために、東電と政府の責任者は事故原因の究明に命がけで取り組むべきではないのか。
5月16日、東京電力は原子力安全・保安院の指示に従って、福島第一原発事故直後の詳しいデータを初めて提出した(同社ウェブサイトで公開)。これによると3月11日14時46分に地震が発生、1号機は直ちに原子炉が緊急停止(自動スクラム成功)、2号機も14時47分に停止したが、この後の正確な状況がわからない。明らかにすべきなのは次の点である。
1.1号機と2号機の原子炉建屋、中央制御室、緊急冷却装置を動かす電気系統・配管等に、それぞれ何時何分に何メートルの津波が到達したのか。
2.津波の水はどこにどの程度侵入したのか。扉、窓、床、配管、装置類にどのような防水対策が取られていたのか。それらは機能したのか、しなかったのか。
3.非常時に原子炉を冷却する装置が、1号機と2号機それぞれで何時何分に作動して、何時何分に停止したのか。
4.停止した原因は何か。津波の侵入による故障か、作業員が止めたのか、地震の揺れで停止したのか、津波以外による故障・破損・爆発等のために止まったのか、製品の欠陥によるものか、複数の要因によるものか。
5.津波の到着時刻と、緊急冷却装置の停止時刻と、どちらが先だったのか。
津波が到着する前に冷却装置が停止したのであれば、これまで報道されてきた「想定外の大津波のために電気系統が故障して冷却装置が動かなくなった」という説明は間違いだったことになる。
以上については、今回のデータと併せて、事故発生当時まで現場にいた社員や作業員に確認すればかなりの程度わかることであり、「放射線のために現場の調査ができない」というのは理由にならない。
5月24日東京新聞朝刊:
「大津波が到着する前に、1、2号機の原子炉冷却に使う水タンクの配管などが地震によって損傷していたことが、東京電力の公表資料から分かった。東電は事故の主な原因を津波としているが、今回判明した損傷などの評価によっては、耐震設計の見直しも迫られそうだ。」
【487】[539]トーマス・ラッキー(ミズーリ大学名誉教授)2008年の論文より
微量放射線の健康への好影響を30年前から研究している有名なT.ラッキー博士の最新論文(Dose-Response,2008)を読んだので、かいつまんでまとめます。
本文中には日本人研究者の論文からの引用も多数あります。電力中央研究所(ここから研究者や政治家へ金がばらまかれている)は電力会社の設立なので差し引いても、放射線影響研究所(広島と長崎にある日米共同運営機関)が綿密に収集したデータベースを用いて導き出されたヒバクシャの結果には一瞥する価値があります。
論文中にで近藤という名前がしばしば出てます。
大阪大学近藤宗平教授もラッキー教授と同様の指摘をされています。
http://homepage3.nifty.com/anshin-kagaku/sub081128kondo.html
(貼り付け始め)
日本人の放射線怖がりすぎの原因は何であろうか?
それは、一つには、放射線取締りの行き過ぎである。日本の法律では、一般公衆の被ばく限度は1年間1mSvで、放射線職業人の被ばく限度は5年間100mSvである。他方、米国の保健物理学会の声明は次のようになっている。「放射線の健康影響は100mSv以下ではでは認められていない。放射線のリスク評価は年間50mSv以上の被ばくに限定すべきである。」
米国保健物理学会の声明は放射線は年間50mSv以下は安全という主張。この主張に賛成する運動を国内で広げたい。この運動が広がれば日本人の放射線怖がりは治るだろう。
(貼り付け終り)
収集されたデータによれば低線量の放射線は有害ではない、いや実際には人間の健康に明らかに有益であることが多い。近藤宗平(1993)
「結論として、低量放射線(100mSv未満)更には超低量放射線(10mSv未満)の発ガン性リスクの評価にあたり、LNT仮説があてはまるとは考えにくい」フランス科学アカデミーおよび国立医学アカデミー(2005)
注:LNT仮説:Linear No Threshold 被曝量を直線で表すと発ガンリスクも比例する仮説
■■■■ T.ラッキー教授の論文(2008)のまとめ ■■■■
1.胎児への影響
先天性欠陥、死産、白血病、癌、死亡率、男女割合、幼少期の成長・発達度、遺伝子異常、突然変異から血清タンパク中のDNAを50年にわたり調査した結果
(1)広島・長崎298,868名の子供達からは何の影響も見いだされなかった。
(2)1Sv以下で10-90mSvを浴びた胎児の方が死産・先天性異常・新生児死亡率が低かった。
(3)3Sv以上浴びた胎児に小頭症や知的障害が発生している。
2.癌(白血病)発生率
(1)長崎で310-690mSvの被曝をした人々(2,527名)に白血病での死者は0
(2)長崎で390mSvの被爆者(25,643名)に白血病での死者は0
(3)広島・長崎で260mSv以下の被爆者は白血病死亡率は平均値(1万人に18名)以下
(4)1950-78年でガン死亡率は1.2Sv以下の被爆者は年平均(2.3人/1000人)以下の年2.1人/1000であった。
(5)1950-78年で広島・長崎の250mSv以下の被爆者のガン死亡率は一般平均を1とすると0.9となる。
(6)長崎では3Sv以下の被爆者のガン死亡率は一般平均を上回ることはなかった。
(7)広島・長崎でのガン死亡率は60mSvを被曝したグループ23,000名は一般平均より低く、かつ平均寿命が長い。
(8)広島・長崎でのガン死亡率は20mSvを被曝したグループ7,400名ではさらに著しい低下があった。
3.寿命について
(1)100mSv~1Svの被爆者の子供50,689名の死亡率は一般平均より低い。
(2)同年齢のグループとの比較では癌を除く死亡率では1.8Sv以下の被爆者は65%であった。
(3)広島・長崎で2Sv未満の被爆者20,000人の平均寿命の短縮は認められなかった。
(4)1950-85年の死亡率は700mSv以下の被爆者で相対的な低下が認められた。最小値は140mSvの被爆者。
(5)45歳から75歳の年齢では、5mSvよりも10mSvの被爆者の方が死亡率が1~3割少ない。(より強い放射線の方が長寿であったという意味)
3.水爆とチェルノブイリ
1954年(昭和29年)のビキニ環礁で被曝した第五福竜丸の乗組員23名中、6.7Sv被曝した一人は206日後に死亡した。
しかし他の2~5.75Svの被爆者は(論文作成時1993年までの)40年間癌の発生はない。
第五福竜丸はチェルノブイリの場合と酷似している。つまり2Sv未満の作業員209名は誰も死亡していない。
4.考察
引用した論文によると、急性の低線量放射線は日本の原爆生存者へ生涯にわたり健康に寄与したことを示唆している。広島と長崎の人々が浴びた放射線は、いわば「放射線ワクチン」と言える。
一時的に浴びるにせよ、慢性的に受けるにせよ、動物を使った1991年の実験によれば、たとえば以下のような長期的効果があることが判明した。
1)大量の電離放射線への抵抗力
2)傷の治癒が早いこと
3)ミクロではDNAや細胞の修復力の改善
4)免疫力の強化
5)罹病率の低下(特に感染症からの)
6)健全な子孫
7)死亡率の低下
8)平均寿命の伸び
など
原爆による放射線の影響を総括すると、結果的には「電離放射線は生命体には不可欠なもので、我々はその不可欠な物質が不足しているかもしれないという仮説」を裏付けるものである。原爆生存者に関する諸研究により、放射線には有益と有害の境界があることが明らかになった。この結論によりフランスの権威ある委員会も全ての放射線は有害であるという考えは間違っているというという確証を発表した。
以上
※全訳文の入手先は 茂木弘道氏 http://hassin.org/まで
【486】[538]山下俊一氏講演
山下俊一氏講演(5月3日・二本松市)【前半/講演】
http://www.youtube.com/watch?v=7364GahFWKI&feature=related
山下俊一氏講演(5月3日・二本松市)【後半/質疑】
http://www.youtube.com/watch?v=ZlypvPRl6AY
【485】[537]放射線医学者・山下俊一長崎大教授を私たちは強く支持します。
副島隆彦です。 以下の 長崎大学教授で、現在、放射能の健康被害の問題で、原発事故のあとの早い時期から、福島県放射線健康リスク管理アドバイザー に 就任している、長崎大学大学院 医歯薬学総合研究科 研究科長 の 山下俊一(やましたしゅんいち)教授の 現地・福島での 果敢な闘いに、私たち学問道場は、一丸となって、強い 支持をしたいと思います。
以下の山下教授の 二本松市での 講演のあとの 聴衆との 激しいやり取り(応酬)を読んでいますと、血沸き肉躍(おど)るという感じです。 私は、以下の山下俊一という徹底的に冷静で、かつ峻厳な人格者 の姿に 深く胸を打たれます。
以下の 受け答え(質疑応答)の中の 山下教授の 次の
「私の孫を福島に連れてこい、というのなら、そうします」以下の
「・・・・もし私がそれをしたら信じてくれますか? 私 は基本的に被ばく二世で、親戚郎党(ろうとう)みんな原爆で亡くなりました。 親たちの代は 私たちを連れて、みんな汚染された水を飲み、復 興してくれました。広島の方々も一緒だと思います」
と話している。 この山下教授の言葉に、私は涙が流れる。
長崎、広島の人たちよ。山下教授と共に、もっともっと本当のことを、現地の福島の人たちに、そして、「放射能こわい、こわい」でヒステリーを起こしている愚か者たちに、どんどん、本当のことを話してやってください。
この 過剰反応の 放射能恐怖症の 愚か者たちのその扇動者たちを 私たちは、徹底的に 順次実名の名指しで、撃滅(げきめつ)しなければいけないと思います。
長年の”原子力村”の原発御用学者(げんぱつごようがくしゃ)たち(東電からものすごいカネを、一人当たり、何億円も長年もらって汚れまくっている)とは全く違って、放射線医学、放射線防護学 の 医者たちの ほとんどは、まじめで誠実だ。
彼らは放射線治療の現場にいるから真実を知っている。彼らは、今も本当のことを言いつ続けているのに、扇動者たちから、まとめて袋叩きにされている。
彼ら放射線医学者たちを、私たち日本国民が守らなくてはならない。
原発・放射能恐怖症(こわい、こわい派)の 扇動者の愚か者ども。お前たちを、正義の言論戦で打倒してみせる。
その中でも、特に薄汚(うすぎたば)いのは、長年、原発推進派だったくせにコロリと態度を変えて、今は原発反対派のリーダーになりおおせている愚劣極まりない者たちだ。私、副島隆彦はこの 変節漢(へんせつかん)たちを絶対に許さない。 お前たちが、”波乗りサーフィン”よろしく、コロコロ態度を変えて、次の時代の寵児(ちょうじ)になることを全力で阻止する。
以下の山下俊一教授の以下の講演会場での聴衆(参加者)との、丁々発止(ちょうちょうはっし)の受け答えに、私は、我がことのように 胸はすく思いがする。
日本政府 (その実態はバカ官僚ども )自らが、「放射能、こわい、こわい」の風評被害をまき散らすことで、日本国の信用と国力を落としている現状に、私は、大きな危機感を抱いている。 このままでは、日本は没落して、三等国に転落して今う。 この危機を跳ね返して、私たち国民が、団結して乗り切らなければならないと真剣に思います。
私は、この山下俊一教授の 放射能の人体(生体)への影響の論文を、3月の早い時期に、私たちの会員で、たったひとりで、原発10キロ圏の双葉町、浪江町の 犬猫たち を助けるために、何度も自力で現地に入った 川本さん(女医さん)から送ってもらって読みました。ありがとうございます、
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
副島隆彦さまへ
さきほど電話でお話しした山下俊一教授のネットの記事です。二本松市 での講演会の質疑応答がまとめられていますが、きわめて適切で誠実な回答ぶりだと感心 しました。 ****から
(以下引用)
●「「100ミリ以下は安全」放射線アドバイザー山下俊一氏に苦言殺到 」
2011年5月6日
福島県放射線健康リスク管理アドバイザー・山下俊一長崎県大学教授が、就任以降、福島県内のメディアや講演で、「100ミリシーベ ルトは大丈夫。毎時10マイクロシーベルト以下なら外で遊んでも大丈夫」と発言してきたことに対し、3日に福島県二本松市で開催され た講演会で、住民から次々と厳しい意見が飛んだ。
これに対し、山下氏は「今でも100ミリシーベルトの積算量にリクスがあるとは思っていない」としながらも、「(原子力安全委員会か ら)私は多分指導されるでしょう。甘んじてそれを受けなくはいけないと考えます。」と回答した。
また「将来、子どもたちに何か影響があった場合に、責任がもてるか」との質問に対しては、「将来のことは誰も予知できない」とした上 で、起こった病気が放射線のせいかどうかを調査するには、福島県民全員による、何十年間もかけた疫学調査が必要と回答した。
質疑応答(一部抜粋)
質問:先生にも覚悟をもっていただきたい。安全というなら、お孫さんを連れて砂場で遊んで頂きた い。
山下:もし私がそれをしたら信じてくれますか? 私 は基本的に被ばく二世で、親戚ろうとうみんな原爆で亡くなりました。親たちの代は私たちを連れて、みんな汚染された水を飲み、復 興してくれました。広島の方々も一緒だと思います。
他にチョイスがない、逃げられない人たちはそこで自分で自分の 道を切り開いていったんですね。もちろん、今、住職さんの言われた私への期待は重いほどよくわかります。私がそれに応えて、孫を連れ てきて砂場で遊んで、みんなが信じてくれるのだったら、お安い御用だと思います。私は住職さんとのお約束を守りたいと思います。
質問: これまで、福島は安全です。安全ですと言い続けてきたが 将来、子どもたちに何か影響があった場合に、責任がもてますか?イエスかノーでお答えください。
山下: 基本的に大切なことは、将来のことは誰も予知できないんですね。神様しかできないんです。 彼の質問に答えるには、膨大な数の疫学調査がいるんです。
起こった病気が放射線のせいかどうかを調査するには、福島県民全員の協力が必要となります。
正しい診断をし、正しい経過を把握するには、何十年間も必要なんです。数年、5年、10年ではなかなかその結果はでない。そのレベル の話ですので残念ながら、今の質問にはイエスともノーとも答えられません。
質問:市政だよりなどに、マスクもしなくても大丈夫だと先生の話が書かれていて100ミリ先生の 言葉を信じて、戻ってきている人もいる。20ミリが最大だ、その下は自己責任になりますところっと話が変わっている。今までが間違っ ていたのか、話して欲しい
山下: これがみなさんの混乱の一つの原因だと思います。私は、みなさんの基準を作る人間ではあり ません。みなさんへ基準を提示したのは国です。私は日本国民の一人として国の指針に従う義務があります。
科学者としては、100ミリ シーベルト以下では発ガンリスクは証明できない。だが 不安を持って将来を悲観するよりも、今、安心して、安全だと思って活動しなさ いととずっと言い続けました。ですから、今でも、100ミリシーベルトの積算線量で、リスクがあるとは思っていません。これは日本の 国が決めたことです。私たちは日本国民です。
質問:文部科学省は、先生が100ミリ以下は安全だと言っているということに対し「指導する」と 昨日、テレビで言ってましたよね。
山下:私は多分指導されるでしょう。甘んじてそれを受けなくはいけないと考えます。
質問:マスクはしなくていいんですか。先生は気休めだと言っている。
山下:はい、今の状況はまったくそうです。大気中に放射線ヨウ素はもうありません。ほぼ放射線セ シウム137です。
衛生上、それをきちんとするということは、子どもたちに注意を喚起する用心するということでは非常に重要だと思います。ですから、私 ともう一人の放射線アドバイザー神谷先生は、しっかりとそのことをご説明していると思います。
質問:布団は干しとか、洗濯物を外に干すのは大丈夫か?
幼児に対する日常生活の注意点は?
山下:こうした個別の質問、たくさんあると思います。当初は数字が提示されていませんでしたか ら、単純に10μSv/h以下になればそんなに心配はないですよ。1μSv/hだったら全く心配ありませんよ。その間は、明確な結論 が出せずに、話をしていました。
しかし国は20mSvをもって、3.8μSv/hというのを出しましたからやはり測って、それのレベ ルを遵守するということが重要になります。
私は皆さんとずっとお話して来た当初は、クライシスコミュニケーショんといって危機をいかに未然に防ぐかという話をきてきました。し かし、今日、皆さん方が来てよくわかるように、具体的にどうするか放射線とどう付き合うかということが、皆さんのメインのテーマだと 思います。
先ほどの質問で「二本松は危険だから逃げろ」というのがありましたがとんでもない話です。今のレベルは全く心配ありません。その保証 を、私の首をかけろというならかけますが、私は子どもたちよりも早く死にます。
もし文科省が私を喚問するのであれば、私はそれに行かなければならないと思います。ただ伝えたい根拠は理論ではありません。現実で す。皆さん、現実、ここに住んでいる。ここに住み続けなければなりません。
広島、長崎もそうでした。チェルノブイリも550万人もそ ういう状況で生活しています。そういう中で、明らかな病気は、事故直後のヨウ素による子どもの甲状腺がんのみでした。私はその現実を 持って皆様にお話をしています。ですから国の指針が出た段階では国の指針に従うと、国民の義務だと思いますからそのような内容でしか お答えできません。
今の環境庁がもし、年間20mSv以下であれば外に布団を干すということもご自由ですし、何もしても自由です。国がその線引きをし ちゃったのです。線引きをした段階でちょっとでも超えると危ない、問題だということに対してじゃあこれをどう考えましょうか。
ということを私は皆さんと一緒に問おています。お母さんのご心配も十二分に分かります。でも、この二本松で、3.8mSv/h以下で あれば、そこで干そうが子どもを遊ばせようと問題ないと思います。
質問:私は学校に勤めていて、文科省が出した3.8mSv/hという基準に悩んでいる。もうヨウ 素はないと言われているが、土壌の検査の結果では、ヨウ素6200ベクレル、セシウムは16900ベクレルある。飯館はホットスポッ トだが、それ以外で見ると中通の線量が高いが線量が非常に高かった3月15日頃、みんな知らずに、マスクさえつけなかった。年間20 ミリシーベルトという指針が出されているが文科省の累積に3月23日までの線量、内部被ばくも入っていない。
年間20ミリシーベルトになるのではないかと心配だし、その基準にも疑問。山下先生はアドバイスをする立場にいるので県なり、文科省 なり、行政に私たちが安心して暮らせるようなアドバイスをしていただきたい。
山下:過去の積算が出されていないというのはまさに仰る通り、3月12日から3月いっぱいのデー タも当然公開されると思います。それを踏まえた上で、20mSvについて安全か、安全でないか議論されます。
そして今すぐ何ができるかという問題を提言されました。残念ながら、この福島の中通り地区も、みんな汚染をしました。放射線物質が降 り注いだという非常事態にあります。その渦中で、そういう措置をすることがすることが本当に適切か。自分のところだけで済まない、多 くの方々の対応をどう統合していくかということを早急に多分、教育委員会や県、国が対応して回答を出すだろうと思いますのでこれはし ばらくお待ちいただきたいと思います。
質問:国の基準に従うしかないというお話をされたのですが、先生は、県を通して国に提案する立場 にはないでしょうか。
山下:直接国に話をできます。話をしています。
質問:原子力安全委員会の防災対策で示されている基準は10ミリシーベルトというのが一つの規準 なっている。しかし、現在、私達に関しては、屋内退避も退避勧告もない以上、逃げても国からの保障が一切無い。逃げることに対しての リスクを全部自分で背負わなければならない。
福島市の積算量は10ミリシーベルト超えることが予想されているが、これに対して、屋内 退避の勧告をして、原子力事故に対する保障の対象にすれば、住民の選択肢が広がると思う。それに対して提言はしていただけないか。
山下:極めて重要なポイントで、どこまでを原子力災害損害賠償紛争審査会に取り上げるかというこ とになります。精神的な障害と風評被害にみえるということも、当然そこに入ってきます。今後第二次指針の中でそういうの議論がされて いくと思うので、私自身は何もお約束できませんが、自主非難に対する保障というのは重要な問題だと認識しています。
質問:現在の規準は20ミリシーベルトですが、原子力安全委員会の今までの取りまとめをみると、 緊急時、高い線量が観察されたとしても、数日中に必ず何らかの手立てが採られるはずだから、これぐらいの規準でかまわないということ がレポートに書いてある。実際、福島原発に関しては、東電のスケジュールをみても6ヶ月から9ヶ月かかるという。原子力安全委員会の 10ミリシーベルトでもかまわないという前提と大きく違うのですが、これに関して考え直す必要があるのでは。
山下:これはまさに議論されているところです。私の言える立場ではありませんが、整合性をいかに つけるか、そして説明をどのようにやっていくか、ということがこれからなされると思います。
質問:放射線に対する子どもの感受性が高いことから、子どもの安全をいかに守るかということを大 人がまず最初に考慮しなければいけないと思う。空気中に漂う放射性物質は爆発直後に比べて落ちているんが、土に落ちているものも含め て、塵となって吸引する可能性がある。
塵も水も食べ物も、すべて内部被ばくが子どもに対して重要になってくるわけですが、それぞれの 基準がばらばらに設定されていて、内部被ばくの総合的なリスクに対する提言が何もされていないことに非常に不安がある。
山下: これは出来ないですね。内部被ばくを細かく検証することは、それぞれ分けて計算ができない ので、今は出せませんが、唯一チェルノブイリの経験で、いくつかの式が出来てます。理論値です。
そういうものが、それぞれ複合的なも ののパラメータを入れて、どのくらいってのは計算されると思うのですが、1パーセントから数十パーセントまで非常に誤差があります。 ですからこれをどうにかしてみなさまにお見せするかということに関しては、厚労省、農水省も含めて時間がかかると思います。
質問:最終的には100ミリシーベルトを基準にして概算法で、しきい値はないとする考え方と、し きい値以下ならほとんど健康に害がないという考え方という、二種類の対立する考え方がある。しかし、基本的にはしきい値がない考え方 のほうが、リスクを考える上では安全だと思う。テレビに出られる先生方の話を聞いて気になるのは、0.5~1パーセントがんの発生率 が高まるだけと言っているんですけど、それは1000人いれば、5~10人発症するということ。
確率論から言うと0.5から1という 数字なのかもしれないけど、その5人10人というのは人間。その人間は本来放射線被ばくを受けなければがんというリスクを負わなくて 良かった人です。少なくともリスクがある以上それを排除するのが国や自治体の姿勢だと思うんですけど、それに対して先生は「これくら いの線量だったら遊ばせていいんですよ。
マスクもする必要ない。」と言っている。しかし、もう少し「守る」ほうの意見を出していただ けると安心だと思う。先生があまりにも「安全だ」と言い過ぎるものですから、それについては異論がある以上一番安全なラインでお話し ていただかないと困ると思う。
山下:おっしゃるとおりで、「安全」という言葉を安易には使いません。皆様方に少しでも「安心」 してもらえればということで話をしています…
会場:「安全」と「安心」とどう違うの?…
山下:まったく違います。「安全」は誰が見ても安全ということを認知できます。「安心」は一人 一人全部違うんですね。リスクの認知の仕方っていうのは、まったく個人によって異なります。この3.8マイクロシーベルト/hという のが絶対安全域かというと一つの大きな問題。
これは基準値であって、参考値なんですね。これで一ヶ月過ごしましょうってことで、当然 日にちが経てばこのレベルを下げてくると思うんです。今はしかし、これを採った以上は、これで行動規範をつくる必要があるというふう に考えます。ですからおっしゃるように、防護策をもっと提出していけということですよね。それはもうこれからもずっとされていくと思 います。
質問:チェルノブイリの後に、オーストリア政府はオーストリア国民が受けた損失額の見積もりを出 して、空間線量からの被ばくが15%、直近からの内部被ばくが80%と出しましたが、先生はどういった割合で内部被ばくと外部被ばく があると考えますか。
山下:今、チェルノブイリの人たちは、内部被ばくと外部被ばくはほとんど無視できるくらいです。 事故直後、1991年から95年、96年の間は、実は内部被ばくの方が少し多かったですね。放射性セシウムというのがずーっと入って ましたから。ただその被ばく線量年間にすると、だいたいレントゲン数枚程度です。これは非常に低い。ミリシーベルトに届かない量であ るので、食べ物と外からの比はなかなか出しづらいというのが今までの見解です。
質問:今現在、(チェルノブイリの時の)オーストラリアの見解が適用されたとして、空間線量は 15%と考えて行動したほうがより安心であるといえる。そういうことですか。
山下:マイクロシーベルトは内部も外部も含めて出しているんですね。分けられないんですよ。そう いう基準値だと思ってください。ですから安心安全ということではなくて、これそのものがそういう基準であると考えてもらったほうがい いと思います。
質問:モニタリングポストで出ているデータは外部だけですよね。考えうる内部被ばくの割合はどう あるべきなのか。今ここの空間線量で被ばくする状態というのは、内部被ばくよりもさらに低いと見積もって、それ以上に被ばくする。足 し算的に被ばくしていく。というふうに考えることがより安全に近い考え方だ、ということには、どう思われますか。
山下:環境放射線と人体の影響のパラメータで議論して計算して出しますから、私はこのプロではあ りませんから、簡単に回答できませんが、いろんな考え方があると思います。しかしそれをすぐに肯定することはできません。
質問:子どもが転んで怪我をし、傷口から地表に体積した放射性物質を取り込んでしまい、放射線の ゼロ距離射撃にあってしまう。ゼロ距離射撃とそうでないときは、人体への影響が違うわけなんですけど、そのようなケースの話をあまり 聞かないんですけど、これはどうされるべきだとお考えですか。
山下:一番わかりやすいのは、原発の作業労働者が怪我をして、汚染地域で皮膚を汚染したという場 合はたいてい洗うと流れてしまいます。血液に入る量はほとんどありません。ですからそういう心配に対してすぐに対応する必要はないと 考えます。
質問: 原発の作業労働者に適用された労災の表を見ると、一番低い人で、4ヶ月くらいで40ミリ シーベルトかそんなもんで、骨髄性の白血病だとかなんかで労災を受けてるんです。40ミリシーベルトということ、20ミリシーベルト なら2年ですよね。そこに居続けるならということですが、これについて先生の学者としての見解についてお聞きしたいです。
山下: 今のは労災との関係ですよね。これは裁判の事例になりますので、この値についての検討は個 別の症例になりますから出来ないと思います。裁判の結果に従うしかないんだろうというふうに思います。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【484】[536]5月16日(月)河野太郎議員の講話
原です。
2011年5月16日に開催された、河野太郎氏緊急講演会 「日本は『フクシマ』を乗り超えられるか?」のUstreamアーカイブです。(IWJより)
http://www.ustream.tv/recorded/14745486#utm_campaign=synclickback&source=http://iwakamiyasumi.com/&medium=14745486
前半1時間ほどに「核燃料サイクル」に関してホワイトボードを用いながら河野議員がとてもわかりやすく解説してくださっています。
メディアなどでは今後のエネルギー政策の課題として「発電量」「コスト」などを特にあげています。しかしこの「核燃料サイクル」に関しては、あまり扱われていないと思います。
今後原発の問題を議論するうえでは、
「日本が保有している(海外に預けているものも含め)45tものプルトニウムをどうするか」
「高速増殖炉は少なくとも2050年までは稼動しないのに、使用済み核燃料を再処理して毎年8tものプルトニウムをつくる(作ろうとしている)のはどうか」など、「核燃料サイクル」について知ることが必要不可欠だと感じました。
実際河野議員の話を聞いて、「一貫して反原発(核燃料サイクルに生じる矛盾)を唱え続けている、数少ない議員の1人なんだろうな」と感じました。
あと、ユーストリームだから流せる内容なんだろうなって思いました。
【483】[535]原発に呼び戻されるときは「赤紙」が来るんだと。
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
こないだ電話で聞いたんだけど、避難している原発作業員が原発に呼び戻されるときは、封筒も中身も赤い紙の通知が来るんだと。電話の主は、その作業員と避難所で仲良くなって、ちょっと家族みたいな気分になっているから「本当に戦場に送り出すようだ」と言ってたぃな。すこしふざけて「最後の晩餐(ばんさん)だ」っつって、その人だけ一品多くつけて、お酒もつけてやったんだと。その人は「俺、国のために頑張ってくるよ」と言い、周りは「一回行って、帰ってきて、もう行くな」と言ったんだと。
【482】[534]RE:RE;[530]「半減期」について
六城様
ご丁寧なご教示を戴き、有難うございました。六城様は現場経験が豊富な
方と拝察いたしました。
「よくわかりました」と申し上げたいのですが、恥ずかしながら素人には
完璧な理解まで至っておりません。
ご例示戴きましたリンクなどにより、勉強いたします。
【481】[533] Re:[530]「半減期」について
赤馬様
慌てて書いたので言葉足らずでありました。
なんせこの掲示板はあとからは修正できませんので。
指数関数のイメージを捉えやすく、発言したつもりでいました。
実際に書き込むときに頭の中で描いていたのはべき関数です。
ビジネスの世界ではロングテールの法則(20:80)の法則というやつです。http://ja.wikipedia.org/wiki/冪乗則
普通に指数関数では
半減期が30年であるので、経過時間をX、その時の線量をYとすると
Y=(1/2)^(X/30)
対数をとって
LogY=-(X/30)Log2
では数値が半減ではなく、Y=3/4になる時間Xは
X=30(Log3-2Log2)/(-Log2)
X=12.4年
最初に半分の半分(75%)に要する時間は15年ではなく12.4年です。
同様に計算して半減期の半分の半分(62.5%)になる時間は20年です。直線で低減する場合との差は3年です。
あくまでも時間の経過30年毎に半分(50%)、半分(25%)、半分(12.5%)・・・となると赤馬さんの考えでおかしくないと思います。
ここからは言い訳です。
半減期が30年ですが、この半減期が短いものはどんどん<えぐれた>グラフになります。http://ja.wikipedia.org/wiki/指数分布
(半減期が短い→λが大きくなる)
実際、非破壊検査の現場でコバルト60やイリジウム192といった<人工的な>放射能物質では理論値よりももう少し大きな割合で減少しているという話を聞いたことがあります。
もし実際には30年で1/3になってしまったら、12年ではなく8年程度で25%が消えることになります。
理論と現場感覚の違いですね。