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Loginはこちら【474】[526]福島旅行報告3: 世界のガラス館は、なから良かったぃなー。
群馬のゆみこ(川端優美子)です。5月3~5日に大川晴美さんと福島に行ってきました。[516][518]に続いて、5月4日(中日)の午前中に行った「世界のガラス館」のことを書きます。
世界のガラス館(入館無料) 公式ウェブサイト:http://www.world-glassware.com/
「世界のガラス館」に行くことになったきっかけは、学問道場会員のあやめさんがわたしにメールをくださり「世界のガラス館」へ来ませんかと誘ってくださったからです。あやめさんは日本でボヘミアガラスを一番良く知っている人で([493]あやめさんの投稿参照)、そのお友達の学問道場会員ブンタの母さんも東京から来て、一緒に館内を案内してもらいました。
5月4日、大川さんと朝9時前に旅館を出て、磐梯熱海駅から猪苗代駅までJRで20分、まず駅に隣接する猪苗代観光協会へ行く。バスの時刻表などをもらい、その日の午後の予定、浪江町から裏磐梯(うらばんだい)に避難している知人を訪ねる計画を立てる。観光協会の人たちは暇(ひま)なのか、うるさいくらいに相手をしてくれる。あとから入ってきたバッグパッカーのわけえし(若い衆)が観光協会の人に蚊の鳴くような声で話しかける。建築学科の学生で、ペンションを研究対象にしており、猪苗代や裏磐梯のペンションを訪ねたいとのこと。観光協会のおじさんが言う。「ペンションもねぇ、けっこう大変で、やってみたけど経営難でねぇ・・・夜逃げしたりね・・・。それに今回の原発事故でしょう・・・。」
あやめさんとご主人(欧州出身の白人)が車で迎えに来てくださり、わ~、きゃ~、と挨拶して盛り上がり(わたしら初対面です)、ご主人に「まあ、話は車に乗ってから」と促(うなが)される。車の中であやめさんから、わたしと大川さんにそれぞれボヘミアガラスのビーズでできたロング・ネックレスをプレゼントされる。ご主人がデザインしたものの中から、あやめさんがわたしたちそれぞれのイメージで選んでくれたそうだ。早速装着。似合う。ところどころに平たい天然石が入っている・・・と思ったら、これもボヘミアガラスなんだって。こういう珍しいものを開発していかないと競争に勝てないんだって。たしか、ご主人のアイデアだと言っていた気がします。切磋琢磨(せっさたくま)だいな。ブンタの母さんとはガラス館で落ち合う予定。あやめさんが「ブンタの母さんが、今日は副女(そえじょ)が四人も集まるのよぉ、って言ってた」って。車窓から会津磐梯山(あいづばんだいさん)を眺めながら、あやめさんの「副島先生の本との出会い」や「ブンタの母さんとの出会い」の話を聞く。磐梯山はまだ雪が残っている。平野ににょきっと突き出た山だ。高さはどれくらいかと聞くと、ご主人が1800mだと教えてくれた。さすが、男衆(おとこし)。群馬の赤城とおなしくれぇの高さなんに、なんか小せぇ感じだぃな。赤城は裾野(すその)がなげぇから、でかく見えるんだぃな。「裾野は長し 赤城山」上毛カルタの「す」。
世界のガラス館に到着。スイスとかドイツなんかの家みちょーな建物で、駐車場はけっこう車がへぇってらぁね。それでも例年のこの時期よかずっと少なげだということで、あやめさんが「いつもは観光バスがずらっと停まっているのだけど、今年は一台もいないでしょう」と言っていた。ブンタの母さんとご主人、ブンちゃん、ブンタの母さんに預けてあったあやめさんちの子二人が登場。わたしは「わあ、ブンちゃん!」と、「久しぶりぃ」的な感じで頭をなでる。わたしたち、初対面です。ブンちゃんもあやめさんちの子もすげーかわいんさ。わたし子供そんなに得意じゃないんだけどな。やっぱり副島先生つながりだから、なんか一体感があらぃね。
子ども達をご主人達に預けて、わたしたち副女(そえじょ)はあやめさんの案内でガラス館を見て回る。そもそもこの世界のガラス館は、地元の山持ちの一家(いっけ)が、もう日本の木材は高くて売れないので「どぉすべぇ」と親族会議を開いて決まった事業。どうせやるなら、と世界中からお金に糸目を付けずに良い物をたくさん買い集めて来て展示している。う~ん、お道楽っぽいねぇ。でもこういうのがいんだぃね。
天井からたくさん下がっている様々なシャンデリアが素晴らしい。「あの大きなボヘミアガラス(ベネチアだったっけかな?)のシャンデリアは、あの大きさの曲げたガラス管を作れる職人がもういなくて、いくらお金を積んでも、もう手に入らない」とか。まぁっさか、でっけぇシャンデリアだぃな。色もピンクや黄緑色で、お花が咲いてる植物みとーで、かわいんさ。他にもグラスやアクセサリー、鏡、花瓶など、1階と2階を詳しく案内してもらいました。ボヘミアガラスはどっしりした感じなんだって。ふんふん。
では、お買い物タイム!「じゃあ、11時45分に集合ね」で、解散。やっぱ、買い物は興奮すらぃのう!まず、餞別(せんべつ)をくれた両親にロックグラスを探すけど、迷って決められないから、先に自分のネックレスを買う。あやめさんが解説してくれた「丸いガラス玉を熱いうちに一度水につけて、ひび割れさせて、もう一度表面を熱してなめらかにしたガラス玉」(凝ってらぃなー)をつないだボヘミアガラスのネックレスと、それとおそろいのイヤリング。ガラス玉の中のひび割れがキラキラして、なからいい。値段も手頃だったんさのぅ。セットで5,000円しねかったで。
あやめさんのヨーロッパ人の旦那さんにロックグラスを一緒に選んでもらった。最初に旦那さんから「まずはぁ、自分がいいと思うものがいいです」と釘を刺される(これ、外人さんが必ず言うよね。これがワールド・ヴァリューズかね。最後はおめぇが決めろやぁ、っていうさ)。ボヘミアガラスのカットしてあるロックグラスをふたっつ買った。「これは手作りだからいいものです」と旦那さん。「あっちのは鋳型(いがた)で抜いてるから安いね」だって。それ、わたしが最初にちょっといいなと思ったやつだ。いい方を買えてよかった。親にくれるんだもんな。
最後にチーレンのチョコレートを買った。あやめさんによると、ゴディバなんかでも保存料が入っているけど、これは保存料なしなので、毎週水曜日にスイスから空輸してるんだと!帰ってから食べたら、まぁず、うんまかった。
ガラス館の隣の地ビール館に全員で移動して、お昼を食べる。この旅はお金を遣うのが目的だから、高いものを注文。地元の牛、会津牛っていうんかね、やわらかくて味があって、おいしかった。副女(そえじょ)たちは黒ビールを飲みながら副島先生の話に花を咲かせる。あやめさんは、副島先生の本を読み始めてから、この世の本当のことを知ってびっくりして、逐一(ちくいち)ご主人に話すのだけど、ヨーロッパ人のご主人は「そんなの当たり前」って感じだったんだって!ワールド・ヴァリューズ!わたしは、あやめさんに是非その具体的な話をたくさん、この掲示板に書いて欲しい。お願いします。とても興味がある。
そいでさ、ブンタの父さんがいい提案をしてくれたんさね。副島先生の話はもっとたくさんの人が知ったらいいと思うけど、難しすぎて入れない。本を読むのも大変。だから池上彰(いけがみあきら)が副島先生の言ってることを解説してくれたらいい、と。題して『サル(バカ)でも分かる 副島隆彦』!いい考えだよね。池上彰って、どうしたらそいうことしてくれるの。やっぱりお金かねぇ。誰か、池上彰を振り向かせるほどのお金を積んでくれる人はいませんか。
まあ、しかし、本を読むというのは、大変なことなんだぃね。余裕がねぇとできねぇやな。みんなこんなに奴隷労働させられてたら、うちけぇって、テレビ見て、ネット見て、寝るだけだぃな。
最後に、わたしは「副女(そえじょ)の旦那さん」という種類の人々がいることを知りました。ご苦労様でございます。 以上、報告でした。
タイトル解説:「世界のガラス館は、なから良かったぃなー。」=「世界のガラス館は非常に良かったです。」
【473】[524]警戒区域の法律的観点について
会員の大川です。福島第一原発の半径20キロ圏内が警戒区域に設定されたことについて、副島先生が激しく怒っていらっしゃいますが、私も次の2点を理由として警戒区域の設定に疑問を持ちます。
1.なぜ20キロ圏なのか。
4月26日に事故対策統合本部が公表した放射線量分布マップによれば、20キロ圏内でも放射線量が30~50マイクロシーベルト/時の地域もあれば、1マイクロシーベルト/時以下、1~5マイクロシーベルト/時、10~30マイクロシーベルト/時の地域など、同じ20キロ圏内でも大きなばらつきがあります。高い放射線量が避難する理由であるなら、一定の放射線量以上の地域としなければ論理的な一貫性がありません。それともほかに理由があるのでしょうか。
2.なぜ強制なのか。
警戒区域(罰則あり)の設定は、原子力災害特別措置法と災害対策基本法に基づいて内閣総理大臣と市町村長が決定しましたが、日本国憲法は次のように定めています。
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
○2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
○2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
このように日本では居住と移転の自由が保障されているので、たとえ高い放射線量の地域でも「避難しない権利」が認められるべきではないでしょうか。20キロ圏外、30キロ圏外と同じように放射線量が低い地域であればなおさらです。また、避難または移住を強制されることによって、農地が使えない、家畜が死んでしまうなど財産権が侵害されるので、その期間における私有財産は正当な補償がなされなければなりませんが、住民の方々は補償されるかどうかわからないままに避難だけ強制され、しかもいつまで避難し続けるのかわからないというのが現状ではないでしょうか。
以上は高校生レベルの法律知識しかない者の意見ですので、間違っていれば法律の専門家にご指摘いただきたく、よろしくお願い致します。このようなことを書いてよいのか迷いましたが、副島先生が先陣を切って激烈なる文章とビデオメッセージを我々に届けてくれましたので、安心して投稿することにしました。日本国憲法は表現の自由と学問の自由を保障しています!
【472】[523]IAEAがレベル7認定させた意図は何でしょうか
522の件名に不備があったため再投稿させて頂きます。
1215の副島さんの動画を見て、素朴な疑問があったので書き込ませて頂きます。
■自己紹介
私は通信企業で働いており、社会人3年目になります。
副島先生の本から社会のことを学ばせて頂いております。
副島先生につきましては真実を追求する態度、国際社会への深い知識力、金融分析ができる能力を尊敬しております。
歴史や政治や金融に全く興味がなかった私が、興味を持たせて頂いたのは副島先生の本を読んでからです。
3年間ほどの間に、先生の本を10冊程度読ませて頂き、学問道場のサイトも拝見させて頂いております。
■質問内容
1215の副島さんの動画を見て、素朴な疑問があったので書き込ませて頂きます。
副島さんはIAEAが脅して福島原発事故をチェルノブイリと同じレベル7に認定させたとおっしゃっておりますが、IAEAがレベル7認定させた意図は何なのでしょうか?
IAEAは本部がオーストリアにあるからロスチャイルドの人脈を持っており、原発を推進させたいはずです。従って、原発推進派のロスチャイルドがレベル7の通告をするのは原発推派にとって不利益になるのではないでしょうか?むしろ、ガスや石油や再生可能エネルギ‐の利権を拡大させることになりませんか?
どなたが教えて頂けませんでしょうか。
また、誤解や事実認識の間違いがあればご指摘願います。
【471】[522]レベルIAEAの意図は
1215の副島さんの動画を見て、素朴な疑問があったので書き込ませて頂きます。
■自己紹介
私は通信企業で働いており、社会人3年目になります。
副島先生の本から社会のことを学ばせて頂いております。
副島先生につきましては真実を追求する態度、国際社会への深い知識力、金融分析ができる能力を尊敬しております。
歴史や政治や金融に全く興味がなかった私が、興味を持たせて頂いたのは副島先生の本を読んでからです。
3年間ほどの間に、先生の本を10冊程度読ませて頂き、学問道場のサイトも拝見させて頂いております。
■質問内容
1215の副島さんの動画を見て、素朴な疑問があったので書き込ませて頂きます。
副島さんはIAEAが脅して福島原発事故をチェルノブイリと同じレベル7だと認定させたとおっしゃっておりますが、IAEAがレベル7認定させた意図は何なのでしょうか?
IAEAは本部がオーストリアにあるからロスチャイルドの人脈を持っており、原発を推進させたいはずです。従って、原発推進派のロスチャイルドがレベル7の通告をするのは原発推派にとって不利益になるのではないでしょうか?むしろ、ガスや石油や再生可能エネルギ‐の利権を拡大させることになりませんか?
どなたが教えて頂けませんでしょうか。
また、誤解や事実認識の間違いがあればご指摘願います。
【470】[521]日本語と自他認識
会員番号1149番の茂木です。
今回の東電原発事故を巡る動きを見るに付け、日本語で思考する人々の「環境への同調性」に驚きます。ここの会員が、作為の環境=風評に踊らされてどうするのか。副島氏の熱意を源はそこにあると思います。
日本語が内包する環境への同調性、自他認識の薄弱性について、以前私のブログ
http://celadon.ivory.ne.jp
に書いた「母音言語と自他認識」という記事を、一部加筆・再編の上転載させていただきたいと思います。
———————————————–
「母音言語と自他認識」(11/16/2010)
日本語が母音語であることと、それに伴って起こる日本語的発想における「自他認識」の薄弱性は、
I 日本語には身体性が強く残っていて母音の比重が多い
II 日本人は母音を左脳で聴く
III 日本語は空間の論理が多く、主体の論理が少ない
IV 日本語に身体性が残り続ける
という循環運動(IVから再びIへ)で説明できる。詳しくは「脳における自他認識と言語処理」や「社会の力」などの項を見て欲しいが、ここではすこし順番を変え、言葉をさらに補足しながら、この循環運動を説明してみよう。また仮説の域を出ないことも多いだろうが、興味深い理論だと思う。
1. 人の言語野は左脳にある
2. 子供ははじめ右脳経由で言葉を覚える
3. 習熟すると人は左脳(言語野)で言葉を処理するようになる
4. 人の脳の自他認識機能は右脳にある
5. 日本語には身体性が強く残っていて母音の比重が多い
6. 英語は子音の比重が多い
7. 人は発話時に母音を内的に聴く
8. 社会と母国語の学習によって脳神経回路が組織化される
9. 母親と社会から日本語(母音語)を聞かされて育つと、母音に習熟し、発話時に母音を左脳で聴くようになる
10. 母親や社会から英語(子音語)を聞かされれて育つと、母音に習熟せず、発話時に母音を右脳で聞き続ける
11. 日本人は発話時に自他分離の右脳をあまり刺激しない
12. 欧米人は発話時に自他分離の右脳を刺激する
13. 日本語は容器(空間)の比喩が多く、擬人の比喩が少ない
14. 英語は擬人の比喩が多く、容器(空間)の比喩が少ない
15. 日本語は空間(環境や場)の論理が多く、主体の論理が少ない
16. 英語は主体の論理が多く、空間(環境や場)の論理が少ない
17. 日本語的発想は環境中心で、環境と一体化しやすい
18. 英語的発想は主格中心で、環境と一体化しにくい
19. 日本語に身体性が残り続け、母音の比重が多くあり続ける
20. 英語は子音の比重が多くあり続ける
以上だが、ここで再び、上の言葉を補足しながら冒頭の循環運動(IVから再びIへ)を見てみよう。
I 日本語には身体性が強く残っていて母音の比重が多い
(1)人の言語野は左脳にある
(2)社会と母国語の学習によって脳神経回路が組織化される
II 日本人は母音を左脳で聴く
(3)脳の自他認識機能は右脳にある
(4)人は発話時に母音を内的に聴く
(5)日本人は発話時に自他分離の右脳をあまり刺激しない
III 日本語は空間の論理が多く、主体の論理が少ない
IV 日本語に身体性が残り続ける
いかがだろう。複雑で分りにくいかもしれないが、この循環運動が理解できれば、日本語が内包する環境への同調性、自他認識の薄弱性がよくわかるのではないか。さらに詳しくは「言葉について」の各項、「脳における自他認識と言語処理」でも引用した“日本人の脳に主語はいらない”月本洋著(講談社選書メチエ)などを参照して欲しい。
———————————————–
ブログからの引用は以上ですが、日本語という極めて環境依存性の高い言語を使って、どのように「公(おおやけ)」の議論の場を構築していくか、という難題を皆で一緒に考えましょう。Twitterも始めました。http://mobile.twitter.com/sanmotegi
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。
【469】[518]福島旅行報告2:こんぐれーのちっとんべえの放射能、世話ねえよ。
群馬のゆみこ(川端優美子)です。5月3~5日に大川晴美さんと福島に行ってきました。[516]に続いて、5月3日(初日)郡山市在住の学問道場会員Yさんの案内で原発から20km地点、川内村の立入禁止看板前まで行った報告をします。
5月3日午前、東京からの大川さんと新幹線の車内で落ち合う。わたしと大川さんは、「ああ、どうも」と挨拶するくらいで、ほとんど前置きなく本題を話し始める。気が合う。
ゆみこ:「お、これは・・・ヘラルド・トリビューン!」
大川さん、英字新聞を読むインテリです。一面のビン・ラディン殺害のニュースで盛り上がる。「あれはもうとっくの昔に死んでいるのに、わざとらしい、やらせだ」「なんで死体を海に沈めるんだ」「ビン・ラディンはCIAのエージェントだ」などなど。
郡山駅に着くと、以前からメールで案内を申し出てくださっていた郡山市在住の学問道場会員Yさんと落ち合い、まずお昼を食べに行く(Yさんにご馳走になる)。『魚紋(ぎょもん)』というお寿司屋さんで、Yさんによると「たべログ」お寿司部門で一位になったお店で、震災前のお昼は外にずらっと行列ができたそうだけど、いまお店は空(す)いている。お寿司は新鮮でおいしかった。海のない群馬では、ちょっとこういうのは食べられない。
食べながら三人で原発のことや副島先生のことを話す。Yさんは、副島先生のと同じガイガーカウンターをお持ちで、郡山の自宅で測ると毎時1マイクロシーベルトくらいは出るそうだ。あとで行った川内村の原発から20km地点、立入禁止の看板と警官が6,7人いたところで測ったら、毎時1マイクロシーベルトだった。「同じ放射線量で、郡山市は住んでいてよくて、川内村は強制的に住民を追い出す(入ったら罰金)って、どういうことだ、ワケがわからない」と三人で言い合う。
話していて、郡山に住んでいるYさんと、原発から200km以上はなれて住んでいるわたしと大川さんには、やはりギャップがあることを感じた。三人とも副島先生の「大丈夫だ」というのを理解して信じているけれど、Yさんはお子さんがいるので、飲み水や料理にはミネラルウォーターを使っているそうだ。「大人だけならいいんだけどね」と言っていた。
心理学の実験で「ウソも7回言われると、本当かな、と思う」というのを聞いたことがある。あれだけマスコミで「危ない、危ない」と言われ続けると、やっぱり冷静ではいられない。わたしも福島旅行の前に、何度かふっと行くのが怖くなった。そういうときは「あのでたらめのマスコミ(電通)と、いつも本当のことを教えてくれた副島先生のどっちを信じるんだいね」と自分に問うた。
ところで、すごく不思議な感じがしたのは、三人とも初対面とは思えないほど、すぐに打ち解けあったこと。この世の真実を知っているという前提と、副島先生の下(もと)に集まった三人だから、そのように思えるのだ、と言い合った。だって、ふだんは職場でいろんな話をしても、「川端さん、また陰謀ですか」とか言われちゃう。みんなもそうでしょ。
『魚紋』さんを出て、Yさんの車で案内してもらう。まず有名な三春(みはる)の滝桜(樹齢千年)へ。桜はもう散ってはっぱが出ていたけど、大きくてりっぱな桜でした。「いつもなら観光の車で渋滞して動けないのだけど、原発事故があったから今はがらがらでしょ」とYさん。そのあたりは小さな山がたくさんあって、その合間に集落があって、昔話の挿絵(さしえ)のようでした。「これが里山(さとやま)だね」とYさんが教えてくれた。
その先の三春ダムの桜湖で放射線量を計測。 地上1m 毎時0.26マイクロシーベルト
(放射線の計測値は大川さんの【[506]福島からの報告(第一報)】と同じです。)
次々に移動して、放射線量を計測。
田村市都路行政局 地上1m 毎時0.61マイクロシーベルト
川内村JAふたば川内支店 地上1m 毎時0.35マイクロシーベルト
どこもかなり家が密集しているのに、がらんとしている。
Yさんが、「さて、どうしますか。20km地点に行きますか」と言うので、わたしは「行きましょう」と力強く答える。(大川さんはもちろん最初からYes。)
川内村の原発から20km地点に着いた。「災害対策基本法により立入禁止」の大きな看板が3枚、道を塞(ふさ)いでいる。神奈川県警の警官が6,7人。車を降りると、マスコミらしきわけえし(若い衆)が一人、わたしたちの前を通り過ぎようとするので「お兄さん、どこの人」と聞くと「毎日新聞です」。「毎日新聞が・・・一人、と」ゆみこメモを取る。向こうにはテレビカメラ1台を持った三人組のわけえし(若い衆)。「なに新聞ですか」と聞くと、「NHKです」。「えねえちけーが・・・三人」ゆみこメモを取る。「いつから来てるの?」「おとといからです。」「おととい・・・から、と。」NHKはメモを取られているのが嫌なようで、ぷいっと向こうに行ってしまう。
では、計測。川内村 原発から20km地点 地上1m 毎時1.09マイクロシーベルト、地面(芝生の上) 毎時11.07マイクロシーベルト、地面(アスファルトのくぼみ、雨が溜まって蒸発したであろう場所) 毎時13.04マイクロシーベルト
立入禁止の看板の前で、大川さんと代わる代わる証拠写真を撮って退散。大川さんが「突破しよう」と言わなくてよかった。
このあと、山道を抜けて海のほう(いわき市の新舞子海岸)へ案内してもらう。車の中でわたしと大川さんは「副島先生ってぇ」「副島先生がぁ」と盛り上がり(今日のぼやきの1215の動画がかっこよかったとか)、はしゃぎ疲れて眠ってしまう。ガタンとなって目が覚めると、海のそばの松林の間をゆっくり走っている。地震でアスファルトの地面がところどころ割れている。ああ、ついに来たなあ。
Yさんが「若いころよく来た」という新舞子(しんまいこ)海岸で車を止める。外に出ると、見渡す限り海が広がり、白い砂浜に波が打ち寄せていい音がする。群馬は海がないので、わたしは海にとても憧(あこが)れる。こんないい所ないな。でも、降り向くと、1階部分がぜんぶ水に浸(つ)かり中身や壁が津波に持っていかれて慚無(ざんな)い姿の家が並んでいる。道端には冷蔵庫やテレビ、ソファ、本棚などの家具が積み上げられている。
Yさんと大川さんが「屋根瓦(がわら)は無事だから、このあたりはそれほど高い津波じゃなかったようだ」などと話し合っている。「原発まで津波が来たのか」ということが気になっている様子。
いわき市平(たいら)新舞子海岸 地上1m 毎時0.49マイクロシーベルト
Yさんに、かなりの道のりを高速道路を飛ばして磐梯熱海の旅館まで送ってもらう。福島県ってすごく広い。
旅行を計画したときは、ただの観光旅行のつもりで、原発20km圏や津波の被災地まで来られるとは思っていませんでした。Yさんのお陰で、立派な調査旅行になりました。どうもありがとうございます。
タイトル解説「こんぐれーのちっとんべえの放射能、世話ねえよ。」=「これくらいの超微量の放射線は大丈夫です。」 以上
【468】[517]Re: 警戒区域の法的根拠を教えてください
福島における警戒区域の設定は、次の二段階で行われたと推測します。
1.原子力災害対策特別措置法に基づき、原子力災害対策本部長である内閣総理大臣が関係市町村長に対し、避難指示区域(福島第一原発から半径20キロ圏内がすでに避難指示区域であった)を警戒区域に設定するよう指示した。安全・治安を確保するためという理由による。
2.この指示に基づき、関係市町村長は災害対策基本法を根拠として、4月22日に上記1の区域を警戒区域に設定した。
専門家の皆様、もし間違っていたら教えてください。
5月の連休中に郡山の「ビッグパレット福島」を訪問し、被災者対象の法律相談を実施している弁護士のお話を伺いました。相談内容の多くは二重ローンの返済など、緊急の切羽詰まった内容とのことでした。ビッグパレット福島は避難所になっていて、多くの被災者が避難生活をしていますが、その生活は本当に厳しそうで胸が痛みました。根本的な解決策は、被災者への補償が早急に行われるとともに、放射能に汚染された土壌の除去などにより、自宅に帰りたい人は一日も早く帰って元の生活に戻ることだと思います。
【467】[516]福島旅行報告1:「放射能濃度が高いという話はだめですよ。住民の人たちが怖がるから。」避難所の男子高校生
群馬のゆみこ(川端優美子)です。2011年5月3,4,5日に[506]の大川晴美さんと福島県に行ってきました。3日は郡山在住の学問道場会員さんの案内で、ガイガーカウンターで放射線量を計りながら川内村の20km検問地点まで行き、4日午前は会員のあやめさんの案内で猪苗代の「世界のガラス館」へ、午後は裏磐梯の宿の避難者を訪問、5日は期せずして巨大避難所「ビッグパレットふくしま」を訪問しました。順序が逆になりますが、いま一番書きたい5日のビッグパレットふくしまでの体験から書きます。
5月5日、ニ泊した磐梯熱海(ばんだいあたみ)の旅館をチェックアウトしてコーヒーを飲んでいると、旅館のおじさんが「あの副島さんの報告文は、ここに置いていっていいんですか」と話しかけてきました。4月29日の副島先生の【[499](報告文 14) 原発事故の責任者たちを、どうしても裁判(刑事裁判も)に掛けなければいけない。住民が殺処分にされつつあるるのです。私は真剣に深刻にそう思います。】のことです。わたしが「当事者である福島の避難者に読んでもらわねば」と思って、7部コピーして持ってきたうちの2部を旅館のロビーに置いたものです。
(前日の4日に、わたしはその旅館に観光客風でない人たちがたくさんいることに気づき、一人に話しかけてみたところ、川内村から避難している人たちでした。その人に先生の[499](報告文14)を「これ読んで」と渡すと、食い入るように読んでいました。旅館のおじさんも、先生の報告文を見て、学問道場のウェブサイトを見たと言っていました。)
旅館のおじさんが、この旅館にも、周りの旅館にも避難者がたくさん滞在していること(福島民報より:「二次避難」始まる ホテル・旅館に県、宿泊費を負担:
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/04/post_104.html)、
郡山に「ビッグパレットふくしま」という避難所があることを教えてくれました。避難所で、旅館に避難したい人を募(つの)って、移動してくるそうです。「体育館のような避難所にいる人と、旅館に避難している人の違いは何ですか」と聞くと、「避難所からのほうが職場から近い、近所の人と離れたくない、子どもの学校があるから」などの理由だということでした。ビッグパレットふくしまにわたしたちが行ったら迷惑だろうか、とおじさんに聞いてみると「ん~、そんなことないんじゃない」と言われたので、思い切って行くことにしました。
磐梯熱海駅から郡山駅まで電車で15分、そこからタクシーで10分、ビッグパレットふくしまに到着。大音量でロックがかかっている。建物の外(前)の屋外展示場の端に自衛隊のお風呂があった。若い自衛隊員(じえたいさん)に声をかけると、練馬から来た第1師団だそうだ。福島は第12旅団の担当で、それの手伝いだとか。第12旅団って、群馬の自衛隊じゃないか。ありがとう。ご苦労様。
大音量のロックは鳴り止んでおり、自衛隊のお風呂の隣でプロレスをやってるのを見に行った。あの音楽は入場曲ね。リングの横断幕に「佐々木健介25周年記念 がんばれ東北」とあった。ああ、テレビで見たことある人だ。リングサイドには黒のジャージーを着た北斗晶(ほくとあきら・佐々木健介のお嫁さん)もいた。北斗晶って意外と小さいんだな。
取材に来ていたのは、脚立(きゃたつ)も用意している読売新聞(カメラ小僧のような望遠)、脚立なしの福島民友新聞、あとどこかのテレビ局。ボランティア・スタッフ風の黄色い上っ張りを着た若い男性に話しかけると、他府県から1週間派遣された市役所職員だった。「あなたは?」と聞かれたので「群馬から来た普通の人。マスコミがちゃんと取材しないから、あたしが来たんさ」と言うと、目が輝いて名刺をくれた。そして「マスコミはひどい。特にNHKが一番ひどい。避難している人に、どんな気持ちですか、とか無神経な質問をして、たくさん撮っていくのにひとつも放送しない」と教えてくれた。
次に、黄色い上っ張りのごく若いボランティア・スタッフ三人組に声をかけた。本人たちも富岡町からの避難者で、ボランティアをしている男子高校生。「ボランティアって、お金もらえるの」と聞くと、「無償です。ここにタダで泊めてもらって、食事ももらっているのに、そんなバイト代だなんて」と言う。こんなひどい目に遭(あ)っているのに、こんなこと言うんだ。でも、よくよく話を聞いてみると、やっぱり怒っている。「みんなイライラして、喧嘩(けんか)ばっかりですよ」と。そりゃ、そうだろうね。先の見通しもなく、もう二ヶ月近く経つんだもの。
富岡町の住人は福島県の三春(みはる)、郡山、大玉村、姉妹都市提携をしたばかりの埼玉県の杉戸町の四ヶ所の避難所に分かれているそうだ。高校生たちは原発から7kmとか1.3kmのところに家があるのだと言っていた。
「情報がないでしょう。みんなでまわし読みして」と、先生の[499](報告文14)をその子に渡した。するとその高校生は「放射能濃度が高いという話はだめですよ。住民の人たちが怖がるから」と言う(なんてしっかりした子だろう)ので、わたしは「違うよ、反対だよ。もう放射能はすごく低い数値なんだ。もう大丈夫なんだよ」と言った。「先生のレポート全部(ファイル3冊くらい)をここの人たちに読んでもらいたい。あなた宛に送っていいかな」とわたしが聞くと、「いいですよ。うちのお父さんは役場の職員だから、お父さん宛に送って」と言う。「お父さんがお役人なら、(内容が内容だけに)お父さんに迷惑がかかるんじゃないの」とわたしが聞くと、高校生は「役場の職員とか、避難者とか、そういうの関係ないですよ!」と言う。役場の職員も含めてみんなが避難民であり、同じつらい境遇なので連帯感が強いよう。
田舎は役場職員と言っても、みんなだいたいは住民と知り合い(同級生、ご近所など)なので、都市部とは感覚が違う。わたしも田舎に住んでいるので分かる。役場の人は基本的に住民に親切だ。わたしの父が確定申告に行くと、税務課の職員が「こうしたほうが得ですよ」とやり直してくれる。すると本当に何万円も税金が返ってくる。これを、一緒に旅行した東京在住の大川さんに話すと「税務課の人が税理士さんをやってくれるのね」とびっくりしていた。
プロレスも終わり、恐る恐る避難所の中に入ってみた。誰にも咎(とが)められずにどこへでも入っていけた。ちょうどお昼時で、食事の配給に長い行列ができていた。食事はコンビニのおにぎり、パン、カップラーメン、パック入りの野菜ジュースなどで、ニヶ月近く毎食これでは大変だなと思った。みんな廊下にダンボールでついたてをして住んでいた。まるで新宿のホームレスだ。わたしはこの二つを実際に見て、肌で感じて、先生が「戦争状態」と仰(おっしゃ)っていたのがやっと理解できた。本当に異常事態だ。
無料法律相談をやっているところにいった。日本弁護士連合会(日弁連)の弁護士さんが4人、東京から日替わりで来ているそうだ。大川さんが弁護士さんにいろいろと質問していた。どんな相談があるのか聞くと、国や東電を相手に住民が集団訴訟とかそいうのではなく、もっと細かい、住宅の二重ローンといった相談が主だという。わたしは「普通の人々は国や東電を訴えるとか、そんなこと考えられない、どうしたらいいか分からないのだ、だから弁護士さんたちが手伝ってあげてほしい」と訴えた。わたしは冷静に言えず、文句を言っているようだった。弁護士さん、ごめんね。日弁連では、今回の原発事故のことで国に対して提言をしている、というようなことを言っていた。わたしは興奮していたし、内容が難しいのでよく覚えていない。大川さんが「これは素晴らしい活動で、国民を代表してお礼申し上げます」と言い、わたしも一緒にお辞儀してそこを離れた。
すると、向こうから男性三人組が日弁連の弁護士さんたちに挨拶をしにやって来た。わたしたちは少し離れたところから様子をうかがっていて、挨拶が済んだ三人に「マスコミの人ですか」と話しかけた。すると、こちらも弁護士さんだった。さっきの日弁連の弁護士さんは「スーツを着た青白いガリ勉ちゃん」たち、こちらの三人は「日曜日のお父さん」二人と「日焼けしたチャラいお兄さん」一人。このお三人は人権擁護(ようご)派の弁護士だそうで、「さっき、わたしたちが入れる範囲で一番原発に近いJヴィレッジに行って放射線濃度を測ったら毎時1.2マイクロシーベルトだった。郡山でも毎時1マイクロシーベルトもあるのだから、住民の安全のためにもっと避難地域を拡大するべきだ」と言う。わたしたちが「国際基準で年間20ミリシーベルトまで大丈夫なんだから、毎時1マイクロシーベルトくらい大丈夫ですよ」と言うと、弁護士さんたちは「いや、年間1ミリシーベルトじゃなきゃだめだ」と言う。
弁護士さん:「親が放射線濃度の高い地域に残って住むと言ったときに、子どもを親の勝手で被曝させていいのか、という問題がある。」
ゆみこ:「子どもが親と離れて生きていけるわけないでしょう!」
この人、なに考えてるんだろう。まさか、子どもを親から引き離して集団疎開させるとか。もしかして、これがコミュニタリアン(代表・マイケル・サンデル)?「人権、人権」と叫(さけ)んで、よけいにひどいことをする人たち?不勉強でよく分からない。
弁護士さん:「20km圏外でも、20km圏内と同じか、それより放射線濃度の高いところがある。それなのに避難させないのは危ないでしょう。人権問題だ。」
ゆみこ:「ということは、原発から20kmで同心円を描いて避難させてるのは、放射線の濃度で区別してるんじゃないってことですよ!」
弁護士さん、ちょっとはっとする。
ゆみこ:「20km圏内に入らせない、罰則まで付けて入ってくるなと言うことは、あの中で、なにか日本国民に見せたくないことをやるんですよ!あそこに日本中の放射性廃棄物を持ってきてゴミ捨て場にするとか、米軍がやって来るとか、そういう話があるんです!」
すると、それまでわたしたちを「ダメだコリャ」という感じで引いてみていた一番年長の弁護士さんが「放射性廃棄物の処理場っていうのは、あるかもしれないな」と真剣な顔になって言いました。
そこで、弁護士さんたちは「マスコミの取材の時間だから」ということで、名刺をもらって別れの挨拶をしました。一番年長の弁護士さんは梓澤和幸(あずさわかずゆき)さんという、植草一秀先生の弁護士さんだそうです。「NPJ(News for the People in Japan)のウェブサイト見てよ」と言われたので、「じゃあ、副島先生の学問道場も見てください」と言うと、「ああ、副島さんとこの!」という反応でした。副島先生と植草先生は対談本出してるもんね(『売国者たちの末路』)。最後は和(なご)やかに挨拶できました。
もう帰ろう、ということで、外に出てタクシーに乗って走り出すと、もう避難所とは別世界の、群馬と変わらない普通の街です。郡山の市民からは、避難民は見えないようになっているみたいです。なんか、異常な感じです。
わたしが感じたのは、副島先生が学問道場で仰(おっしゃ)っていること(もう福島は大丈夫だ、家に帰ろう)は、まだ知らない人が多い、ということです。マスコミが使えないということは、わたしたちにできるのは草の根活動で広げていくことだと思います。副島先生はものすごい先生だけれども、わたしたちと同じ人間であり、一人しかいないのです。だから、みんなでお手伝いしないと!
わたしは、二年位前でしょうか、小沢一郎が西松問題(言いがかり)でひどい目に遭(あ)っているときに、はっと気づきました。いかに小沢一郎がすごい人であろうと、彼も一人の人間なのだ。体はひとつだし、選挙の投票権だって一票しか持ってない。議会で投票するときも一票だけ。だから、「小沢さん、お願いします」とスターにぶら下がってないで、わたしたち一人ひとりが具体的に小沢一郎を応援しないと、この革命を成すことはできないんだ。それで、わたしは陸山会に入りました。群馬の小沢ガール、三宅雪子衆議院議員の集会にも行きました。政治集会なんて怖かったけど、勇気を出して行ったら別に怖くなかった。原口総務大臣(当時)がゲストで来ていて、お話を聞くことができたし、それを報告文にして阿修羅サイトに投稿したら、みんながたくさん拍手してくれて、1位になりました。副島先生がそれを見ていてくださって、「これはいい」と、この重掲で紹介してくださいました。すごく嬉しかった。
それから、今日のぼやきの「1215」の動画(【動画】副島隆彦からの緊急提言。動物たちの殺処分だけでなく、福島の住民たちに対する、恐るべき政治的殺処分が行われようとしている。東電原発事故の責任者たちを追求せよ。)の全編をDVDに焼いて、たくさん焼いて、避難所の人や、旅館に避難している人たちに配ることはできないでしょうか。当事者があの先生の動画を見れば、何か思うはずです。 以上です。
【466】[515]福島県浜通り地方と原発巨大事故
長井大輔です。今日は5月7日です。
私はこれまで、重掲に福島報告文を3本書いた。
今回は自分の出身地である福島県浜通り地方について、書いてみようと思う。
【地図】原子力発電所立地地点の概要図(福島県のホームページから)
http://www.pref.fukushima.jp/nuclear/pdf_files/aramashi03.pdf
【相馬市と新地町】
私は福島県の相馬市(そうまし)というところで生まれた。相馬市街は中村(なかむら)と呼ばれ、沿岸の漁師町は原釜(はらがま)と呼ばれる。中村は江戸時代、相馬6万石の本拠地であった。相馬家は中村の前は、小高(おだか)に居城(きょじょう)を置いており、米沢(よねざわ)の伊逹政宗(だて・まさむね)と戦っても負けない、強い大名だった。相馬市は本当は、中村市と名のるはずだったが、高知県に同名の市があったため、相馬市と名のることになった。
日本政府の総務省が主導する「平成の大合併」のとき、相馬市は新地町(しんちまち)との合併をめざしたが結局、実現しなかった。新地町は現在は、福島県に組み込まれているが、かつては伊達領(仙台藩、62万石)で、方言的にも宮城県に近い。新地町には東北電力系の新地発電所(相馬共同火力発電株式会社)があり、その恩恵(おんけい)を受けているため、あまり相馬市とは合併したがらない。新地には立派な町役場と図書館が建っている。火発建設の際には、住民に多額の補償金(ほしょうきん)が支払われたと聞いている。
新地町には釣師(つるし)という漁師町があったが2011年3月11日の地震・津波により、潰滅(かいめつ)した。私のおばは釣師の水産業者で働いていたが、普通の揺(ゆ)れではないと思い、一目散(いちもくさん)に鹿狼山(かろうさん)という山にむかって避難した。ただ一旦、自宅に引き返したため、再度逃げる際には津波が到達し始め、津波と競争しながら、避難した。新地町では国道6号線まで津波が押し寄せている。
相馬市の原釜地区も同様に、津波によって潰滅した。私も何度も、現地に足を運んだが、津波による惨状(さんじょう)を目の前にしても、いまひとつ実感が湧(わ)かない。漁師町が瓦礫(がれき)の山と化してしまったことは、目の前の現実なので、信じられないということはない。だが「こんな風になるはずがない」「原釜に大津波が来るわけがない」とは、今でも思う。私の母親は「おれの故郷(ふるさと)がアフリカみたいになってしまった」と嘆(なげ)いている。母親の実家は高台にあるので、津波に流されることはなかったが、それでも床上まで浸水したらしい。
原釜地区には、松川浦(まつかわうら)という観光地がある。日本三景の松島になぞらえて、小松島(しょうまつしま)とも呼ばれる。ただ宣伝が下手なので、全国的な知名度は低かった。その松川浦には、松川浦大橋(まつかわうらおおはし)という橋がある。松川浦大橋は、斎藤邦吉(さいとう・くにきち)のおかげで、できたと言われている。
斎藤邦吉は自民党大平派(宏池会、こうちかい)の衆議院議員で、党幹事長や厚生大臣をつとめた。田中角栄に近かった。浜通りで力のあった政治家といえば、この斎藤邦吉ぐらいだ。田中角栄の女婿(じょぜい、むすめむこ)の田中直紀(たなか・なおき)が浜通りを選挙区としていたこともあったが、落選したために新潟に移って行った。
【南相馬市】
南相馬市は原町市(はらまちし)・鹿島町(かしままち)・小高町(おだかまち)が合併してできた市だ。当初は飯館村(いいだてむら)も合併するはずだったが、決裂した。「南相馬市」という名前は一般公募で決まった。一旦、「ひばり野市」という名前に決まったが不評だったので、再投票により、現在の名前に決まった。当時、原町市の住民だった私も「南相馬市」と書いて、投票した。
だが、「南相馬」という地名を使う地元民は皆無だ。みんな昔から使い慣れた「鹿島」、「原町」、「小高」を使う。南相馬市という名前に決まった理由は、「相馬野馬追(そうま・のまおい)」という伝統行事があるからだろう。神旗争奪戦(しんきそうだつせん)や騎馬武者競争が行われる。開催が危(あや)ぶまれたが、今年もやるらしい。南相馬市は相双地区(そうそうちく、相馬地方と双葉地方)の中心地ということになっているが、盛りを過ぎた、さびれた街だ。私は原町よりも、相馬の方が好きだ。
相双地区で進学校といえば、相馬高校( 相高、そうこう)と原町高校(原高、はらこう)だ。就職校として有名なのは、小高工業高校だ。小高区は1F(福島第一原発)から20km圏内の警戒区域に入っているため、授業が再開できない。相馬市にある相馬東高校で代替授業をする。小高工業の卒業生は技術者となり、優秀な生徒は原発関連企業に行く。
【相双地区といわき市】
浜通りにはJR常磐線(じょうばんせん)、国道6号線が走っている。近々、待ちに待った常磐自動車道も全面開通する予定だった。相馬地方の連中は、買い物や遊びに行くときは、仙台に行く。Wikipediaによれば、相馬地方は仙台大都市圏に組み込まれている。これは私の実感とも一致する。
福島県は会津・中通り・浜通りの3つの地方に分かれる。会津地方は福島県西部にある。東部地方は阿武隈高地(あぶくまこうち)を境にして中通り地方と浜通り地方に分かれる。中通り地方には、福島市や郡山市があり、福島県の中心部だ。私は、会津や中通りには、殆(ほとん)ど行ったことがない。小学校の宿泊訓練(修学旅行のようなもの)で会津若松市(あいづわかまつし)には1回行ったことがある。福島市には、免許の更新をしに行くぐらいだ。
ざっくり言って、新地町・相馬市・南相馬市は宮城県だ。同様にいわき市は茨城県(いばらきけん)だ。上野(うえの)始発のL特急「スーパーひたち」もだいたい、いわき終点だ。だから、いわきは関東地方だといってよい。たしか、TVも関東ローカルを受信できたはずだ。
となると、残るは双葉(ふたば)地方だ。ただ、双葉地方の最北端にある浪江町(なみえまち)は、相馬地方に組み込んでいいと思う。私も原町に住んでいる時は、浪江によく遊びに行っていた。また双葉地方の最南端にある広野町(ひろのまち)も、いわき市に組み込んでいい。ニューズを見ていると、広野の住民の勤務先はいわき市だ。
最後に残るのが双葉町(ふたばまち)・大熊町(おおくままち)・富岡町(とみおかまち)・楢葉町(ならはまち)であり、ここが「原発銀座」「原発海岸」だ。私は相馬地方に長年住んでいたが、双葉地方には殆ど、行ったことがない。用があるときは仙台に行く。東京に行くときも、双葉地方はただ通過するだけだった。何もないからだ。
ただ、私のおじが原発作業員なので、その送り迎えで大熊町には行ったことはある。今回の原発巨大事故に関して、おじに話を聞いてみたが、1Fでも、2F(福島第二原発)でも、勤務したことがあり、若いころは今回、水素爆発を起こした1Fの一号機の中で作業したことがあると言っていた。
【浜通りと原発】
3月11日の地震により、1Fで原発巨大事故が起きた。それにより、福島県は世界的に注目されることになった。私は一生、福島県、特に浜通りは有名になることはないと思っていた。あの地域は一生、あのままで終わっていくと思っていた。私の母親は「相双地区は日本で一番、遅れている」と言っていた。発展から取り残された「陸の孤島(ことう)」だとも言っていた。
今回の原発巨大事故が起きた時、「恐(おそ)れていたものがついに起きた」と私は思った。小学生のころ、NTV(日本テレビ)の『世界まる見え!テレビ特捜部』が、原発事故をシミュレイトしたドイツの番組を紹介しているのを見たことがあった。おそらく、チェルノブイリ原発事故に影響されてつくられた番組だったのだろう。
原発事故が起き、放射性物質が漏(も)れ、住民に避難命令が出る。避難民の車が長蛇(ちょうだ)の列をつくる。軍の検問所(けんもんじょ)で避難民がスクリーニングを受け、除染(じょせん)される。子供だった私にとって、その映像はショックだった。小学校の授業でも、原発事故について調べて発表した。原発作業員のおじがいたこともあって、他の人よりは原発に関心があったと思う。
ただ、福島県では、原発の小規模事故のニューズは日常茶飯事で、「原子炉は自動停止しました、微量の放射能が計測されましたが、環境には影響ありません」といった類(たぐい)のものばかりだった。だれも原発に関して、気にも留(と)めなかったと思う。双葉地方の連中は原発と共存していたのかもしれないが、相馬地方は原発と無縁(むえん)だった。まさか、本当に原発で事故が起きるとは思わなかった。私も人生の中で一番、神経をすり減らし、頭を悩まし、胃を痛めた。
双葉町と大熊町にまたがって1Fが、富岡町と楢葉町にまたがって2Fが建っている。調べてみるとTEPCO(テプコ[ウ]、東京電力)ではないが、東北電力が浪江町と南相馬市小高区にまたがって、浪江・小高原発を建てようとしていたらしい。完成すれば「福島第三原発」になったというわけだ。電力会社の元従業員の話によると、浜通りの北部にある相馬や原町、また南部のいわきは原発建設を断るのだが、その間にある過疎(かそ)地域が原発を受け入れてしまうのだ。
【原子力発電所建設の経緯と現状】
福島県による『原子力発電所建設の経緯と現状(以下、経緯と現状)』という文書を読むと、どうも地元の双葉・大熊にせよ、楢葉・富岡にせよ、原発建設に反対するどころか、むしろ、積極的に誘致している。福島県も原発誘致に協力的だ。『経緯と現状』の1Fの「誘致運動の発端」を引用する。
(引用開始)
[福島]県は、昭和35[1960]年5月10日、(社)日本原子力産業会議に加盟するとともに、県内数地点について、原子力発電所立地調査を行った結果、大熊、双葉地点が適地であることを確認した。同年7月には、通商産業省産業合理化審議会原子力部会の答申があり、原子力発電の民間開発の気運が高まる。
昭和36[1961]年9月には、東京電力(株)が、原子力発電所敷地を双葉郡大熊町、双葉町にまたがる太平洋岸長者原地内の元飛行場跡地を物色しているとの情報に、大熊町、双葉町では積極的協力の態度を示し、県及び東京電力(株)に対し、原子力発電所の設置について陳情するとともに、用地買収及び受入態勢の整備について協力することとした。また、大熊町議会においては昭和36年9月19日、双葉町議会においては同年10 月22 日に、それぞれ東京電力(株)福島原子力発電所誘致の決議を行った。
(引用終了)
①[]は引用者による補足
②読み易さを考えて、引用者が適宜、改行した。
つぎに『経緯と現状』から2Fの「(1)誘致運動の発端」と「(2)建設用地の買収」を引用する。
(引用開始)
(1)誘致運動の発端
大熊町、双葉町の原子力発電所誘致運動が発端となり、富岡町、楢葉町においてもその気運が高まり、昭和42[1967]年11月には、南双方部総合開発期成会が企業誘致を知事に陳情し、43[1968]年1月、県は、東京電力(株)福島第二原子力発電所の誘致を発表した。なお、富岡町、楢葉町は協力の態度を示し、富岡町議会でも原子力発電所誘致促進の決議を行っている。
(2)建設用地の買収
昭和43年6月、東京電力(株)は県に対し、富岡町、楢葉町の太平洋岸に原子力発電の第二地点の用地斡旋[あっせん]を依頼した。県はこれを了承し、県開発公社が同業務を引受けることとし、44[1969]年7月には、県開発公社と東京電力(株)との間に「東京電力(株)福島第二原子力発電所の用地取得等の契約」を締結したが、富岡町毛萱[けがや]地区では、原子力発電所設置絶対反対を決議したことなどもあり、富岡町議会では、原子力問題調査特別委員会を設置した。
昭和45[1970]年3月、楢葉町議会では、東京電力(株)福島第二原子力発電所建設用地の町有地処分を議決し、昭和46[1971]年3月、東京電力(株)福島第二原子力発電所地点の土地買収交渉がまとまり、昭和48[1973]年3月、県開発公社は、東京電力(株)に福島第二原子力発電所地点にかかる用地等(発電所用地132万m²、進入路用地3.7万m²)の引渡しを完了した。
(引用終了)
①[]は引用者による補足
②読み易さを考えて、引用者が適宜、改行した。
「原子力発電所建設の経緯と現状」は福島県が発行する「平成21年度版原子力行政のあらまし」の一部である。全文は福島県のホームページで読むことができる。
【資料】福島県原子力安全対策課
http://www.pref.fukushima.jp/nuclear/aramashi/index.html
【原発巨大事故について】
浜通りは田舎(いなか)だから左翼がいない。だから左翼的な原発反対運動が起こることもない。だいたい左翼は田舎では嫌われる。「何が何でも自民党」という土地柄だった。原発立地地域の双葉地方の連中は、各地に散らばって避難させられているから、いまどういう風に考えているのか、分からない。ただ、私の原町にいる親戚(しんせき)の話を聞いていると、TEPCOと福島県知事に対して、かなり怒っているようだ。また東京都民に対しても、「何であいづらに電気を送るために、おれらが犠牲にならなければならないのか」と憤慨(ふんがい)している。
現在は、これまで意識したことがない原発巨大事故が起き、原発というもの初めて意識し、その被害が自分たちに影響を及ぼし、怒りが湧(わ)き起こっているという段階だ。私は地震直後、仙台の避難所にいたが、その時から原発事故に最大限の注意を払っていた。3月の15日には仙台を離れ、16日に静岡まで避難した。原町にいる親戚が避難を考え始めたのは16日だ。それほど、原発に対する危機意識は、薄(うす)かったということだ。
TEPCOなり日本政府から少額なりとも見舞金をもらい、徐々に日常の生活にもどっていけば、その怒りも収まっていってしまうかもしれない。しかし、私の母親はいくら何でも、今回はそうならないだろうと言っている。住民たちの政治意識は低い。教育水準も低い。知識もない。たとえば、漁師(船方、ふながだ)なら漁業のことしか知らない。百姓なら農業のことしか知らない。何かに関心を持つこともない。よそ者は村八分(むらはちぶ)にする。趣味もない。どこかに行くといっても仙台くらいで、東京はもう外国だ。
ただし、今回ばかりは「原発事故、しょーねな(仕様がないね)」というわけにはいかないだろう。原発巨大事故によって初めて、TEPCOや日本政府、福島県庁というものを意識し始めた。政治的なものにめざめた。南相馬市で開かれた福島県による住民説明会は、住民のTEPCOや福島県に対する怒りで、大荒れになったと聞いている。原発建設の経緯(けいい)や原子力産業に対する正確な知識を身につければ、自分たちが住んでいた浜通り地方が、本当はどういう地域だったのか、初めて分かるようになるだろう。
【465】[512]人工地震
副島 隆彦先生、
ショックドクトリンとは、方向性を失った心を、
都合良い方向に誘導することのようですが、
そうであれば、
今回の東北大震災はまさにチャンスであったと思います。
ところで先生は、リチャード輿水氏の人工地震説を、
明確に否定しておられますが、
私には人工地震は、非科学であると断じられません。
過去の報道を調べる限りにいては、そのオプションもありそうだと、
私は感じております。
けれどあるいは、
それこそが、
方向性を失った心への、まさにショックドクトリンの支配、
という事なのでしょうか。