重たい掲示板

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副島隆彦を囲む会 投稿日:2011/05/27 13:13

【493】[545]警戒区域の報道は疑問(メールの転載)

※以下に転載する文章は、副島隆彦先生宛てにいただいたメールです。公共に益する内容ですので、副島先生の御指導を受け、こちらにも転載します。※

(転載はじめ)

** さまへ

副島隆彦から

メールをありがとうございます。 
現在は 東京のお住まいの、小高出身(ここは、一面、津波でがれきの山です)の**様から、緊急で、重要なご指摘がありました。ありがとうございます。

私は弟子たちと 学問道場というサイトをやっています。ご存知のことと思います。
どうか、会員になっていただいて、**様ご自身が、自分で、重たい掲示板に、以下の文をそのまま投稿してください。 

私、副島隆彦 宛てに、知らされましても、このあとどうすることもできないのです。
あなた自身が、発信人になって、一日5万人が見に来る 私たちのサイトで、どんどん書いてください。 あなたの見識は、私の考えと全く同じです。 よろしく。

副島隆彦拝

—– Original Message —–
From: ****
To:
Subject: 警戒区域の報道は疑問
Date: Thu, 26 May 2011 11:03:19 0900

はじめまして、****と申します。南相馬市小高区の出身です。

5月25日に南相馬市の一時帰宅があったが、NHKの報道には失望した。
防護服を着せられた一時帰宅者は放射能が少ないことは当然気がついているはずだが、

批判や不満は一切報道されない。もう二度と戻れないという意見ばかり放送される。
国民から受信料を取って、警戒区域は放射能が充満していると国民を洗脳している。

添付資料
岡田幹事長が原発19.9Kの工場を視察し、警戒区域にも例外措置を認めるとし、それに対する枝野の回答であるが、何者かに直ちに削除された。
桜井市長や工場員が普通の作業服なのに、岡田側は防護服だった。
これに関してYahoo質問箱が選んだベストアンサーは「放射能に対して無防備過ぎる。市長は市民を皆殺しにする気か。」だった。Yahooの正体は何なんだ。
正解は「防護服を脱ぐと、民主党が放射能がないことを認めたことになるから」だよ。

菅首相は村長や市長の言い分を一切聞かなかった。
小高区や浪江町の町うちから海岸までは放射能はわずかである。

住民2,3万人はすぐにでも帰せるはずである。万が一の時(緊急時ーーそんなことはないだろう)は避難すればいいだけである。

帰したほうが地域のためであり、東電の負担を減らし、国のためになるのである。
菅社会主義的全体主義者は何を考えているのか。賠償金は東電が払えばいいと思っているらしい。

マスコミは警戒区域内の人々を見捨てた。マスコミの薄情さに愕然としている。触らぬ神に祟りなしと。

この活動を知り、救われた思いです。警戒区域の不当をマスコミが取り上げてくれることを望んでいます。

住所:****

(転載おわり)

副島隆彦を囲む会 投稿日:2011/05/27 12:56

【492】[544]陸前高田市へボランティア活動

※以下に転載する文章は、副島隆彦先生宛てにいただいたメールです。公共に益する内容ですので、副島先生の御指導を受け、こちらにも転載します。※

(転載はじめ)

—–Original Message—–
From: ****
Sent: Friday, May 27, 2011 11:07 AM
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp
Subject: 陸前高田市へボランティア活動?

副島先生、おはようございます。初めてメールをさせていただきます。会員番号****番の****と申します。私は、奈良県明日香村で農薬や化学肥料、除草剤、生長促進剤等を使わないで肥料は発酵肥料のみ与えるという限りなく自然農法に近い栽培方式と取り入れながら、百姓をやっております。そして、自ら仕留めたイノシシの肉や自然蜂のハチミツ、養鶏による卵なども含めた総合的な農産物販売を目指しています。今年8月、37歳になります。

さて、***という組織に入っている私は、この5月9日~13日にかけて陸前高田市へボランティア活動をして参りました。その折りに作成し***へ提出したレポート(若干改編しています)を、副島先生にもご報告したいと考え、思い切ってメールさせて頂くことにしました。まだまだ、世の中のことやいろいろな見識も備わっていない私ですが、今後とも先生の講演や書物でご指導して頂き、そして自分なりに考えながら生きていきます。

陸前高田市ボランティア活動
レポート?

****です。陸前高田市でボランティア活動をして参りました。主な活動は、炊き出しです。報道やいろいろな情報からおおまかには被災地の状況を把握していましたが、実際現地に到着して感じたのは、想像を通り越していました。そして、幼い子供がいる自分が同じ状況下であればどのような思いで生活しただろうか?というのを考えながら、ボランティア活動に臨みました。

とにかく、支援物資についてはいわき市の嫁の友人の友人に送り届けたりしていましたし、情報を精査していますと行き届いている被災地と行き届いていない被災地が相当数に上ることが想像できます。そんな中で、炊き出し(豚汁とおでん風煮物)という活動をするわけですが、現地に向かう前から私なりに味付け等のシュミレーションしていました。50人分や100人分の食事なんて作ったことがありませんし、おいしくて温かい料理を食べていただきたいですしね。また、現地の交通状況も行ってみないとわからないところがありますし、限られた時間内で作業することになるかもしれませんから。。。

そして、その当日。**さん達と相談しながらスムーズに作業を進め、みんなで切った食材を大鍋にぶっこみながら、味を合わせていきました。特に、困難だったのは最終日の100人分のおでん風煮物でした。料理の提供までに1時間弱しかない状況でしたので、とにかくみんなで切った火が通りにくい堅い野菜を先に大鍋にぶっこみ、水をひたひたにした状態で沸騰させ柔らかくさせてから、順次野菜やお肉を入れていき、と同時に味を合わせていきました。時間内ぎりぎりのフィニッシュでしたが、まずまずの味が出せてホッとしました。

被災された方々は、楽しそうに食べていらっしゃったし、私もそれを見ていて何かうれしくなってしまいました。食事が終われば、帰り際に何度も元気にありがとうありがとうとおっしゃっていただいたし、こちらこそ、逆に元気をいただいてありがとうと感謝の気持ちでいっぱいになりました。秋、田んぼでイノシシとの格闘が終われば、また被災地に支援活動に出向きたいと考えています。今度は、子供たちと野球をしたいな~。

H23/5/15 ****

(転載おわり)

副島隆彦 投稿日:2011/05/27 11:10

【491】[543]ウクライナの首都キエフからチェルノブイリの今。キエフ在住の読者からのメールを載せます

副島隆彦です。ウクライナの首都キエフ在住の読者からのメールを載せます。ウクライナの首都キエフから、チェルノブイリの今がわかります。よく読んでください。

—–Original Message—–
From: ***@***.com
Sent: Thursday, May 05, 2011 8:00 PM
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp
Subject: 真摯な心に敬意を表します(ウクライナのキエフ市より)

 初めてメールを差し上げる者です。
私は石田朝子と申します。現在ウクライナのキエフ市に住んでおります。当地に住んで15年目になります。

 福島第一の事故以来、副島様のサイトを拝見するようになりました。福島のかたがたと痛みを分かち合う副島様の真摯な姿勢に深く共感するとともに、これについてまったく誰も発言しない、無関心を装う私の祖国の内情に大きな驚きを覚えています。

 当地ではチェルノブイリ原発での事故から25周年ということで、私もいろいろな新聞記事を読みました。しかし、私が見た範囲に限って申し上げれば、25年前に住み慣れた土地を強制的に追われた人々の当時の苦しみ、あるいは彼らが今どんな暮らしをしているのかということについて触れた記事は、ただの一つもありませんでした。

 唯一の例外は、先週地元の書店でやっと見つけた本です。著者は女性民俗学者で、チェルノブイリを含む周辺地域をフィールドワークした結果をまとめた内容なのですが、避難民のお年寄りを避難先に訪ね、当時の思いを聞き書きした文章もふくまれているのです。家族や祖先の記憶がしみこんだ土地を離れ、そこに永久に戻ってこられない、見ることさえかなわないということがどんなに恐ろしく悲しいことであるか。読みながら涙が出ました。

 この本によれば、プリピャチ( 副島隆彦注記:ウクライナの北部にある市。チェルノブイリ原発から4キロ離れた街だ )周辺の農村から避難させられたお年寄りは、今でも知らない土地に与えられた湿気の多い粗末な家に住み、ガスもなく、わずかな補償は最初のうちだけで後はなしのつぶて、肉親も知り合いもいない、という暮らしを送っています。15年ウクライナに住んでいる私も、今回関心を持ったがゆえに避難民のことを「思い出した」のであって、それ以前は彼らがどこにいて何をしているのか知ることもなく、知ろうとすらしなかったのです。

 私は仙台の出身なのですが、祖先が福島の出で、農家の知り合いも福島におります。彼は桃農家で、今年の出荷の見通しもないまま、黙々と果樹の世話をしています。
 今や私が上に書いたお年寄りの痛みを味わっています。福島を「なかった」ことにされるわけにはいかないと感じています。土地というのは私たちの記憶、よりどころであり、生活です。言葉に出来ないほど重いものなのだと思います。鉄条網で囲んで、あたかも存在しなかったかのごとくにしたり、あるいは逆に洗浄して「はい、これでクリーンになりましたよ。あなたのお子さんは安全ですね。よかったですね」などというものではないと感じるのです。このように言う人たちは、なぜあくまで物質的なレベルで考えることしか出来ないのか。私には理解出来ません。

 独白のような見苦しいメールをどうぞお許しください。日本から遠く離れてはおりますが、ご健勝をお祈りしています。最後にもう一度、副島様の自己を顧みない真摯な心に深く敬意を表します。

2011年5月5日 在キエフ市 石田朝子

ウクライナ国の キエフ市にお住まいの 石田朝子さまへ

副島隆彦から

 早くにメールをいただいており ありがとうございます。
福島の原発事故のことに強い 関心をお持ちで、私の弟子たちが運営しています 学問道場のサイトをお読みくださいってありがとうございます。 地震・大津波、そして原発事故から2か月が経ちまして、大分、日本は落ち着いてきました。
 福島からの放射能漏れと広がりのことも、 一部の国民以外は、気にはなるけれども、目先の自分の仕事に追われて、テレビで見る程度で、それほどの関心を示さなくなりました。 被災地と血縁でつながる人たちは、友人、親戚を助けるために岩手、宮城を訪れるようです。 しかし、福島の 原発のそばには、この5月の連休にも、あまり人が近寄りません。

 住民たちでも、まだ、避難したままの人が多いです。とくに小さな子供たちや、小学生、中学生は、50キロ離れた学校に間借りして、そこの空いている 教室を貸してもらって、授業をやっています。30キロ圏内の 南相馬市は、小学校も、中学校も開いていません。 住民は 6割ぐらいは帰って来ているようです。 

 石田さまがお住まいのキエフ市は、チェルノブイリから南に100キロのところであり、国の首都であり、ウクライナ民族の誇り高さでは、モスクワ(ロシア人)たちが、タタールの頸木(くびき)で、モンゴルに屈服して、モンゴルの言いなりになって繁栄したことへの反感 で成り立っている ウクライナ人 の 反ロシアの 民族感情が今も強いところだと、私は理解しています。自分たちウクライナ人が、この 東ヨーロッパ地帯の 本当の 中忍民族なのだ、という気持ちがあるのだろうと推察いたします。私はまだ行ったことがないので、遠くからの勝手な知識です。

 チェルノブイリの原発事故から25周年の 記念日が、4月26日に 、日本のフクシマ事故があったことで、ものすごく注目を集めたということだけは、日本でのニューズ報道で チェルノブイリの原発前での 式典の様子を チラリと見ましたので、それぐらいの理解しか私にはありません。

 チェルノブイリの事故で、果たして何千人の 作業員が、現場の封じ込め(石棺づくり)作業に参加して、5年後くらいから白血病や癌で死んだのか、私なりに調べましたが、 まず 「4000人の作業員 が 5年後ぐらいから発病して死んだ。決死隊で炉心に近づいて応急の 制御棒の挿入作業をやったのですぐに死んだ、急性の放射能障害の死者は、 26人と それから 16人である 」 という事実しか知りません。
作業員たちは、事故の後、現場で数年間働いていますから、きっともっと多くて、2万人ぐらいは、10年以内に発病して死んだのではないか、とう私は勝手に推測しています。  彼らの話は、探しても 表に出ません。

 米軍の兵士たちで、1950年代の ネバダ砂漠で ずっと続けた核実験 を 直接 並んで座らされて 爆発を 目撃して、被曝して光線や爆風を浴びて(遮蔽物もなく) そのために、 5年後、10年後に死去した 米兵たちの 放射能の人体(生体)への健康被害の資料(データ)も、私たちは、この フクシマ原発事故で大騒ぎしていた2か月間に、少しも出て来ません。 放射線医学の専門医たちも誰も 何も発表しません。
 それなのに、 彼ら、放射線医学の専門家たちの発言を、原子炉学者と同列に置いて、”御用学者”の焼印を押して、冷静に聞こうとしません。
「 放射能は、ほんのわずかでも危険だ、危険だ、非難しなければ」の 集団ヒステリーの、頭の悪い 人間たちの 狂騒(きょうそう)が、4月に入ってから、突如、起きまして、それへの 防戦で、私は、疲れ切りました。

 この 放射能恐怖の 集団ヒステリー を扇動した人間たちを、私は、一人ずつ摘発して、今から、筆誅を加えます。 
今の私、副島隆彦は、「体制派(保守)からも政府批判派(反体制)の 両方から 危険人物扱いされている」されて完全に無視されているのだそうです。 私は、そういう低劣な評価など全く気にしません。

 大事なことは、「どれぐらいの 放射能なら安全で、どの基準値(限界値、上限)を超えたら 人体に危険なのか、の冷静な議論である」はずなのです。 集団ヒステリー派は、あとしばらくは、この冷静さを取り戻さないでしょう。
 それでも、いくら東京も危ない、で 九州まで逃げて、熊本市の喫茶店に溜まっている、この扇動された,考えの足りない人々もお金がなくなれば、戻って来ます。  

 石田さまがお書きの、ウクライナのプリチャピ市は、チェルノブイリから 10キロぐらいの町だったでしょうか。今はゴーストタウンになっているのか、それとも、コーカサス(チェチェンやグルジアなどのある地方)から戦争や内乱を逃れてきた農民たちが住んでいるのでしょうか。チェルノブイリ原発から30キロ圏は、今の 厳しい立ち入り制限があるのか、それとも割と 緩やかになって勝手に戻ってきている人々がいるのか、私たち には分かりません。

石田様。 出来ることなら、ご自身で、チェルノブイリまで行って、実情を観察して、本当のところは、今はこうなっていると、日本に居る私たちに、お伝えくださいませんでしょうか。そして、その報告文を、私たちの 学問土壌のサイトで 公表させてください。
それが、日本人を勇気づけます。真実だけが人間を 感動させ、そして、勇気づけます。 
 メールを いただきました御縁だけで、まことに勝手なお願いをいたします。 

 この 20キロ、30キロ圏の 強制避難、立ち入り禁止の問題は、現在、福島でものすごく重要な  喫緊の 焦点となっています。
チェルノブイリの 強制立ち退きと 30キロ圏の金網による完全封鎖 が、日本政府の フクシマ での 先例になってしまって、頭の固い 日本のバカ官僚たちが、その世界事例の 先例 に拘束されて、それで 、福島の避難住民を 地獄の苦しみに陥れています。

石田様。 どうか、私の希望を、福島の原発近くの 住民たちの 叫び声 の代理だとお考えくださいまして お聞きください。
どうせ ウクライナ国でも、普通のウクライナ人たちや、ウクライナ政府の役人たちでも、日本のフクシマの悲劇は知っていても、それに、チェルノブイリの 前例が どれほど重大に関わるかまでは、全く考えないでしょう。日本からの 原発担当役人たちが、応急でチェルノブイリの封鎖(立ち入り禁止)の様子の 現地視察をしに来ているでしょうから、その動きも、出来れば お伝えいただきたいです。

 勝手なお願いをして申し訳ありません。
遠く日本から、キエフに在住なさる 石田様に、今後とも「副島隆彦の学問道場」サイトを よろしくお願い申し上げます。更に ご連絡ください。

副島隆彦拝

—–Original Message—–
From: Asako Ishida
Sent: Monday, May 16, 2011 10:22 PM
To: GZE03120@nifty.ne.jp
Subject: 現在のチェルノブイリに関する記事翻訳(キエフ市の石田より)

副島隆彦様

 こんにちは。1週間ほど前にサイト「学問道場」を通じてメールを差し上げた
キエフ市在住の石田朝子です。

 心のこもったお返事、ありがとうございました。
このような熱心なお手紙を受け取るとは、正直思っておりませんでした。
たいへん感激しております。

 副島様から、「ぜひチェルノブイリへ行ってみてほしい」というご提案がありました。

実は、福島の事故が起こるかなり前から、プリピャチには行ってみたいものだと考えていたのですが、いまだに実現できないでいます。
プリピャチ市には誰でも行くことが出来ます。キエフから出ているツアーに参加するのが条件ですが、それがかなり高額だというのが理由です。

ただ、あくまで経済的な問題ですから、そのうちにひょんなきっかけで解決するかもしれません。その時には行って、自分の目で見てくることが出来るでしょう。
ただ、今のところは「必ず行きます」とはお約束できません。
副島様は大変真摯な方ですから、私もメールとはいえ、いい加減な口約束だけはしたくないのです。今ご期待に添えないのは残念ですが、どうぞこちらの事情をご理解ください。

そこで、いつになるか分からない私のプリピャチ訪問よりも、今ご提供できる情報のほうが有益かもしれないと考え、ある雑誌の記事で興味ぶかいものがありましたので、こちらを翻訳してお送りいたします。

”Vokrug sveta” という、ロシアの雑誌からの記事です。ナショナル・ジオグラフィックの ロシア版とでもいうような雑誌で、原文はロシア語です。
本文の図版もご覧いただけるよう、ページをデジカメで撮影したものを添付しました。

・“Vokrug sveta”誌の画像(1)

・“Vokrug sveta”誌の画像(2)

・“Vokrug sveta”誌の画像(3)

福島の方々にとってじかに参考になるかどうかは分かりませんが、些細であっても何がしかのヒントが得られましたら幸いです。

ところで、数年前、在ウクライナ日本大使館で働いていた日本女性が「プリピャチに行ってみた」と話をしてくれたことがあります。
その話の内容とは、

・プリピャチは現在無人である。人っ子一人いない。
・町全体が事故当時のまま。時間が止まったような感じ。
・日用品などは何も残っていない(略奪にあったから)

というようなものでした。
プリピャチには決まった「観光コース」のようなものがあり、それに沿って参加者を案内する、という風になっているのかなと私は想像しています。

 副島様が推測しておられるような、ロシアでの紛争を逃れてきた難民が住み着いている、
という事実は、少なくとも私は聞いたことがありません。
 プリピャチはまったく無人であり、自主的に戻ってきて住み着いている人々は、主にその周辺の廃村で、ほそぼそと自給自足の生活を送っているウクライナ人のお年寄りたちです。しかも、チェルノブイリで生まれ育った土着の人々であり、たとえばよその食い詰め者が流れてきて住み着いている、という話はないようです。
 ウクライナの農村生活は過酷で、手間ひま惜しまず働かなければ生きていけませんので、 いくらか生活の楽な都市部においてさえ生きて行けなくなった者が農村を、しかもライフラインすらないチェルノブイリをめざす、ということは、私の生活実感としてちょっと考えられません。
その土地に愛情があって、どうあってもよその土地で死ぬ気にはなれない…
そういう人たちがチェルノブイリに住んでいるのでしょう。

 ついでながら、チェチェンの難民について私が聞いたことがあるお話を書きます。
姑の甥っ子が、ドニエプロペトロフスク州のとある村に住んでいるのですが、彼が言うに、近くには「チェチェン人ばかりが住んでいる村」があるそうです。
 もちろんロシアから逃れてきた人々ですが、彼らはものすごくお金持ちで、家一軒にトラクター1台は当たり前(一般的なウクライナ人農民は手でたがやしています)、衛星テレビもちゃんとあるという具合だそうです。
どこからそんなお金を得ているのかは分からないそうですが、不幸な難民というイメージからは遠い、それは事実のようです。

 話をチェルノブイリに戻します。
副島様はメールで「これまでに蓄積されてきたはずの、放射能が人体に与える影響のデータは今回の事故でも全然出てこない」と指摘されていますが、私も同感です。
 ただ、私の疑問はもっと素朴で、たとえばウクライナには今でも毎年のように広島大学あたりから専門医がやって来て、チェルノブイリ被爆者の検査にあたっている「らしい」のに、なんでそういうお医者さんたちが福島のことでいろいろ言ってくれないのかな、というものなのですが。

 ウクライナ人にとっては、日本は頼りがいがある存在ということになっています。
広島・長崎の惨禍をくぐりぬけ、膨大なデータと経験を蓄積しているはずだから。
しかし、本当にそうなのか。これを考え始めると、不快になってきます。

 退避区域○○キロという問題についてですが、チェルノブイリでは30キロ圏内が一般立ち入り禁止になっています。
しかし、聞いた話によれば、これは厳密なものではないようです。
今現在は、定規で引いたように30キロ圏内を金網でおおっている、というわけではないそうです。
しかし、これ以上のことは残念ながら分かりません。

 退避区域内に住み着いている人の経験談として、ときどき民警(警察官)がやって来て 出て行くように説得しているという話も聞きました。
たぶん90年代半ばのことです。たぶん、上司に言われておざなりに来ているだけだったのではないかと思われます。今でも民警が訪問しているかどうかは不明です。

 私が読んだ新聞記事の中には、事故当日のキエフ市(原発から直線距離で120キロほど)の放射線量は
34マイクロシーベルト/毎時 だったと書かれてありました。風向きの関係で、大部分の放射性物質は北のベラルーシに流れた、というのは周知の事実です。
今、私がいる部屋の中は0.07です。外は0.10くらいでしょうか。
私の夫の職場には、事故当時キエフ市の小学生だったという同僚がおります。
「逃げられる人はみんな逃げていったけど、私たちはキエフに残った。がらんとしたキエフが印象的だった」
と、夫に話していたそうです。
私はこの人に会ったことがありませんが、子供もおり、健康で快活な方のようです。

 4月に地元で「チェルノブイリの25人」という写真展があり、見に行きました。
事故収拾作業にあたった人25人と、事故当日にキエフ市で生まれた人25人の顔写真とその言葉を展示したものです。
前者はすでに老人で、後者は若者たちです。

 若者たちは、特に健康被害もなく、今を楽しく生きるのに一生懸命という印象でした。
もと軍人であった老人の一人が 「放射能とは奇妙なものだ。ある者の命はすぐに奪い去る。また別の者はしばらくの間生かしておく」 という言葉を残していたのが印象的でした。

 さらに、複数の老人が、「チェルノブイリの事故はソ連崩壊を誘発するために仕組まれた人為的事故だった、と私は信じる」 と証言していました。

 内容にまとまりがなく、読みづらいメールで申し訳ありません。
私が見聞きしたことが、少々でもお役に立てましたらうれしく思います。
副島様にありましては、くれぐれもご自愛ください。

在キエフ市 石田朝子

川端優美子 投稿日:2011/05/26 21:45

【490】[542]「がんばろう日本」と言って思考停止させる

群馬のゆみこ(川端優美子)です。

3.11以降、世間では「がんばろう日本」という言葉が流行(はや)っています(または、マスコミが流行らせようとしている)。わたしは、この言葉を「思考を停止させるスイッチだ」と考えました。

「がんばって」というのは、一種の挨拶として遣われています。挨拶というのは、その言葉の意味を深く考えずに遣います。例えば、「今日テストなんだ~。」「ああ、そうなんだ・・・がんばって。」のように遣われます。もしくは「付き合ってる彼の連帯保証人になったら、そのうち彼が失踪(しっそう)しちゃってぇ、結局わたしがすごい借金抱えちゃってさぁ、しかも最近体調悪くて、もう最悪。」「へぇ・・・大変だね・・・がんばって」のようにも遣われます。
つまり、相手が大変な目に遭っているとき、気の毒だなあと思うときに、これさえ言っておけば良いという言葉が「がんばって」です。これさえ言えば、その相手の大変な境遇についてもうこれ以上考えなくていい。その切り替えスイッチが「がんばって」です。

「がんばろう日本」というのは「がんばって東北」ではないので、一応「東北から離れたところに住んでいるわたしたちも他人事(ひとごと)としてではなく、自分のこととして3.11を捉(とら)えていますよ」というニュアンスが入っています。でも、津波にも地震の被害にも遭わずに自分の家に住んでいられて、原発からも遠く離れていれば、みんな日常に追われていつもと変わらずに過ごしている。でも、それでは人として冷たいような気がするから、とりあえず「がんばろう日本」と言って、日本赤十字社にいくらか寄付をすれば、それ以上福島のことはしばらく忘れていてもいい、考えなくてもいい。
そうして日本人を思考停止させて、アメリカは再占領しにくるんだ。

原発のことを身近に考えるには、とりあえず原発の近くに行けばいい。みんなで学問道場の福島復興活動本部の事務所開きに行こう。ね。

下仲もとゆき 投稿日:2011/05/25 13:15

【489】[541]福島復興活動本部からの報告

5 月 23 日から福島復興活動本部に現地入りしている下仲もとゆきです。

福島は地震がまだまだ続いており、大小の地震が数時間おきに来ます。今朝5時半すぎには震度5弱の地震がありました。小さな地震はテレビや新聞では報道されませんが、その地域に住む人にはジャブのように疲労や不安が蓄積されていきます。そのことを身をもって経験しています。

以下に、私がSNSIのメーリングリストに書いた文章の一部を転載します。

(転載開始)

Subject: 5 月 23 日の福島復興活動本部からの報告

本日、福島復興活動本部に現地入りしました。
建物に「学問道場」の看板がついていて、雰囲気がありました。

以下に時系列順に、今日の活動記録を記します。

予定時刻通り船引駅に到着し、駅から出て私がキョロキョロしていたら、Kさんの方から声をかけてくれました。
その後、Kさんの車で道中にあるスーパーに買い出しに行きました。
冷蔵庫が動いているということなので、数日分の食料を買いました。
そしてホームセンターで鍋と米10kgを買い、ケーズデンキで炊飯器を買い、昼食を食べて本部に向かいました。

本部に着き、二階に上がり、ドアを開けると新しい畳の香りに包まれました。Kさん、ありがとうございます。
冷蔵庫はあまり冷えていなかったので、とりあえず食料を冷凍庫に入れました。
(凍るのも良くないので、しばらくしてから冷蔵庫に移しました。夜に確認したら、今のところ冷えていました。)

Kさんの車で大家さんの家に行き、お土産を渡し、ご挨拶をしてきました。庭に大きな犬が二匹いました。
本部に戻り、Kさんと別れました。

お土産を持って、本部の近くにある民家に挨拶回りをしました。
バイクの修理会社では、事務所に上がらせていただき、この近辺の話を聞かせていただきました。人がいなくなって、商売がやっていけるのか心配だということを話してくれました。当然私も、どういう人たちが来るんですかと質問されました。

夜になったので、炊飯器でご飯を炊きました。
ガスコンロが使えたので夕食を作り、食べました。

今日のところは以上です。

2、3時間に一回、震度3前後の地震が来ます。
つい先ほども大きい地震がありました。

今日は気温があまり上がらず、肌寒いです。布団にくるまってすごしています。
日中は暑くなるそうなので、来られる方は温度の調整ができる服装にした方がいいです。

現地で生活をしていると、こういうものがあった方がいいとわかってくると思いますので、
明日以降、特に車で本部に来られる方に持ってきて欲しいものをこのメーリングリストでリストアップしていきます。
もし自宅に余っているものがある場合は、名乗りを上げてくださると大変助かります。

2011年5月23日

(転載終了)

(転載開始)

Subject: 5 月 24 日の福島復興活動本部からの報告

今日は、福島復興活動本部に現地入りして2日目です。

以下に時系列順に、今日の活動記録を記します。

朝は地震で目が覚めました。
起きたら、二階の窓ふきをしました。
本部の二階は三方が大きな窓になっています。その窓は汚れており、蜘蛛の巣がはっていたり、虫の死骸がサッシにはさまっていました。
三面ともふき終わると、部屋に明るい光が入ってくるようになりました。

下に降りると、ちょうどF電気工事店さんが来ました。息子さんとお母さんの2人でした。
外灯を取りつける工事をしてもらいました。
外の明るさに応じて、自動で点灯、消灯するタイプのものは手元になかったので、2時間ほど作業をされたのち、一度戻られました。

近くの民家でごみの捨て方を尋ねました。
すると、1キロ先の検問所の手前にごみ捨て場があると教えてくれました。
そこで歩いて、検問所まで行きました。
検問所には機動隊員が2人立っていました。車の往来が意外とあり、道を回るように指示していました。
わかりにくいのですが、木の屋根になっている小さな小屋がごみ捨て場になっていました。
もやせるごみは月、木。プラスチックは水。缶、ペットボトル、びん、紙類、もやせないごみはそれぞれ第一、二、三、四金曜日・・となっており、五種類の指定のごみ袋が決められています。

道中、機動隊の車とすれ違いました。
わずかな時間に、反対車線に3台、同じ側の車線に1台・・です。
ここの道路(国道288号線)を通って、20km圏内に入っているのでしょう。

本部に戻ると昼になっていたので、昨日の残りのご飯にレトルトカレーをかけて食べました。
ガスコンロはプロパンガスが来ているので使えます。

Kさんが車で来てくださり、この数日の寒さを考えて、石油ストーブと電気ヒーターを持ってきてくれました。大量のネギももらいました。
この建物は複雑な電気配線になっているので、どのスイッチとどの配線が対応しているのかをわかる範囲で確認しました。
Kさん、本日もありがとうございました。

午後は、徒歩で本部の周辺を散策しました。

まず大家さんの家に行き、奥様に再びご挨拶をしました。この近辺のバスは止まっていると教えてくれました。車以外の移動できる手段を探していましたが、しばらくは再開する見込みがないとのことです。
大家さんの家の隣の橋は工事中です。作業員が交代で、軽トラックで食事に出かけていました。

次に古道小学校、都路中学校に行きました。平日にもかかわらず、どちらも誰もいませんでした。
古道小学校は入り口から少し入ったところの石柱に、片方だけ立ち入り禁止の黄色いテープがぐるぐる巻きになっていました。見張りの人もいなくなったということです。実際、敷地内には誰もいませんでした。
グラウンドには、子どもたちの足跡がたくさん残っていました。雨が降っても足跡がくっきり残っているので、粘土性の土です。通常、長期休暇中でも部活動でグラウンドを使うので、トンボかけを行い、足跡は残らないものです。このことから、ある日突然、立ち入り禁止になったとわかります。
都路中学校は山の上にありました。通学路の草は膝の高さぐらいまで伸びていました。しばらく誰も通っていないのでしょう。
100段以上の階段を上がると、校門がありました。途中、階段が崩れているところがありました。
校門前には、福島ナンバーの白のワゴンが一台止まっていました。ワックスがかかっていて綺麗だったので、職員が一人来ているのでしょう。しかし人の気配はしませんでした。姿も見当たりません。それでも、校舎の時計は正確に時を刻み続けていました。
グラウンドには、山からイノシシかシカのような足跡が続いていました。獣の通り道になっているのでしょう。広くて立派なグラウンドです。山から降りる途中には野球場もありました。部室なども見ましたが、破壊されたところはありませんでした。
中学校から車で降りていく方の道は、地割れをしているところがたくさんありました。それぞれの場所に、注意を呼びかけるコーンがたっています。

山を下り、道なりに歩いて行きました。
途中で自衛隊員が三人立っているところがありました。
自衛隊の車も止まっていました。
このときは、なぜここに自衛隊がいるのかわかりませんでした。

JAの前では、職員の中年男性が暇そうにタバコを吸っていました。

交番には真面目そうな警官が一人、駐在していました。

福島県警のパトカーが一台、巡回していました。

そして都路行政局(役場)に行きました。
なぜか入り口前の時計の時刻がずれていました。
人がいないのかなと思ったら、自動ドアが開き、中に入れました。職員も数人いました。男性の職員数人(みな中年)は作業服を着ていました。
窓口の職員(中年女性)にこの辺りのことを尋ねました。小中学の生徒は全員、船引やその他の地域に転校したと教えてくれました。もちろん家族も一緒にです。
ごみを出す日のカレンダー、パンフレット、各種指定のごみ袋をもらいました。なぜか別の女性職員に「大山こま最中」ももらいました。
古道体育館に避難した人の名簿が貼り出されていました。合計435人。それぞれの住所、連絡先が書かれていました。大熊町などの人が避難してきていたそうです。今は船引や郡山、あるいは親戚をつたって県外に移って行ったと職員は言いました。
古道体育館は先ほど、自衛隊員が立っていたところです。避難者がいなくなったあとは、自衛隊の駐屯地になったということでした。ここで謎が解けました。自衛隊はここから20km圏内に出入りを繰り返しているようです。表に立っていた自衛隊員に過度の緊張感や疲労感はなく、人がうまく回っていることがうかがえました。

本部に戻ると、再び外灯工事に来てくれたF電気工事店さんと、水道工事に来てくれたM設備工業さんが作業をされていました。
F電気工事店さんには、1階のクーラーも見てもらました。
お蔭様で、自動点灯、消灯する外灯がつき、自動ドアも動くようになり、1階のクーラーも動くようになりました。水もれをしていたトイレの水回りも直りました。

夕方になると、焼き鳥屋「天国」のYさんご夫妻が車で本部を尋ねてくれました。
6月4、5日の打ち合わせをしました。
都路に人が来てくれることを、2人とも喜んでくれていました。
そこで腕を振るって、焼き鳥に加えて、山菜の天ぷらなどを出してくれると言っていました。

夜になると、夕食を作って食べました。

今日のところは以上です。

数時間に一回、大小の地震が来ます。
先ほども震度4ぐらいの地震がありました。
建物の被害はありません。

本日、Kさんが持って来てくれた石油ストーブと電気ヒーターのお蔭で、暖かくなりました。Kさん、ありがとうございます。
冗談で、「今日の朝には東京に帰っちゃったんじゃないかと思って来た」とKさんのお父さんが言っていたほど、昨日は寒かったです。

日中は一転して、窓を全開にしなければいけないほど暑くなります。
体調を崩さないように気をつけます。

シャワーをまだ一度も浴びられていません。
明日は近くの旅館を訪ねる予定ですが、どうなるかわかりません。

冷蔵庫は牛乳などはあまり冷えていませんが、野菜などはある程度冷えています。
冷凍庫はしっかり冷えています。

ガスコンロはプロパンガスが来ていて、使えます。
これで調理をしています。
水道も使えます。

電気も来ています。
コンセントにプラグインすれば、充電できます。

SoftBankの基地局が敷地内にあるそうです。
そのため、奇跡的に山中でiPadが使えています。

布団は昨日届きました。
2セットあります。
畳が敷かれているので、十分寝られます。

トイレはちゃんと流れています。においはしません。
今日の工事で水もれもなくなりました。

コインランドリーは車で行ける範囲にあるようです。
徒歩で行ける範囲にはありません。

生活に必要なことでは、以上です。

2011年5月24日

(転載終了)

下仲もとゆき拝

大川晴美 投稿日:2011/05/24 23:30

【488】[540]なぜ事故原因の説明がないのか

 福島第一原発の事故原因が、2か月以上が経過した現在も明らかにされていない。日本国民と全世界を恐怖のどん底に陥れた未曾有の大事故だったのだ。事故を二度と起こさないために、東電と政府の責任者は事故原因の究明に命がけで取り組むべきではないのか。
 5月16日、東京電力は原子力安全・保安院の指示に従って、福島第一原発事故直後の詳しいデータを初めて提出した(同社ウェブサイトで公開)。これによると3月11日14時46分に地震が発生、1号機は直ちに原子炉が緊急停止(自動スクラム成功)、2号機も14時47分に停止したが、この後の正確な状況がわからない。明らかにすべきなのは次の点である。

1.1号機と2号機の原子炉建屋、中央制御室、緊急冷却装置を動かす電気系統・配管等に、それぞれ何時何分に何メートルの津波が到達したのか。
2.津波の水はどこにどの程度侵入したのか。扉、窓、床、配管、装置類にどのような防水対策が取られていたのか。それらは機能したのか、しなかったのか。
3.非常時に原子炉を冷却する装置が、1号機と2号機それぞれで何時何分に作動して、何時何分に停止したのか。
4.停止した原因は何か。津波の侵入による故障か、作業員が止めたのか、地震の揺れで停止したのか、津波以外による故障・破損・爆発等のために止まったのか、製品の欠陥によるものか、複数の要因によるものか。
5.津波の到着時刻と、緊急冷却装置の停止時刻と、どちらが先だったのか。
 津波が到着する前に冷却装置が停止したのであれば、これまで報道されてきた「想定外の大津波のために電気系統が故障して冷却装置が動かなくなった」という説明は間違いだったことになる。

 以上については、今回のデータと併せて、事故発生当時まで現場にいた社員や作業員に確認すればかなりの程度わかることであり、「放射線のために現場の調査ができない」というのは理由にならない。

5月24日東京新聞朝刊:
「大津波が到着する前に、1、2号機の原子炉冷却に使う水タンクの配管などが地震によって損傷していたことが、東京電力の公表資料から分かった。東電は事故の主な原因を津波としているが、今回判明した損傷などの評価によっては、耐震設計の見直しも迫られそうだ。」

六城雅敦 投稿日:2011/05/21 02:26

【487】[539]トーマス・ラッキー(ミズーリ大学名誉教授)2008年の論文より

微量放射線の健康への好影響を30年前から研究している有名なT.ラッキー博士の最新論文(Dose-Response,2008)を読んだので、かいつまんでまとめます。

本文中には日本人研究者の論文からの引用も多数あります。電力中央研究所(ここから研究者や政治家へ金がばらまかれている)は電力会社の設立なので差し引いても、放射線影響研究所(広島と長崎にある日米共同運営機関)が綿密に収集したデータベースを用いて導き出されたヒバクシャの結果には一瞥する価値があります。

論文中にで近藤という名前がしばしば出てます。
大阪大学近藤宗平教授もラッキー教授と同様の指摘をされています。
http://homepage3.nifty.com/anshin-kagaku/sub081128kondo.html

(貼り付け始め)
日本人の放射線怖がりすぎの原因は何であろうか?
それは、一つには、放射線取締りの行き過ぎである。日本の法律では、一般公衆の被ばく限度は1年間1mSvで、放射線職業人の被ばく限度は5年間100mSvである。他方、米国の保健物理学会の声明は次のようになっている。「放射線の健康影響は100mSv以下ではでは認められていない。放射線のリスク評価は年間50mSv以上の被ばくに限定すべきである。」
 米国保健物理学会の声明は放射線は年間50mSv以下は安全という主張。この主張に賛成する運動を国内で広げたい。この運動が広がれば日本人の放射線怖がりは治るだろう。
(貼り付け終り)

収集されたデータによれば低線量の放射線は有害ではない、いや実際には人間の健康に明らかに有益であることが多い。近藤宗平(1993)

「結論として、低量放射線(100mSv未満)更には超低量放射線(10mSv未満)の発ガン性リスクの評価にあたり、LNT仮説があてはまるとは考えにくい」フランス科学アカデミーおよび国立医学アカデミー(2005)
注:LNT仮説:Linear No Threshold 被曝量を直線で表すと発ガンリスクも比例する仮説

■■■■ T.ラッキー教授の論文(2008)のまとめ ■■■■

1.胎児への影響

先天性欠陥、死産、白血病、癌、死亡率、男女割合、幼少期の成長・発達度、遺伝子異常、突然変異から血清タンパク中のDNAを50年にわたり調査した結果
(1)広島・長崎298,868名の子供達からは何の影響も見いだされなかった。
(2)1Sv以下で10-90mSvを浴びた胎児の方が死産・先天性異常・新生児死亡率が低かった。
(3)3Sv以上浴びた胎児に小頭症や知的障害が発生している。

2.癌(白血病)発生率
(1)長崎で310-690mSvの被曝をした人々(2,527名)に白血病での死者は0
(2)長崎で390mSvの被爆者(25,643名)に白血病での死者は0
(3)広島・長崎で260mSv以下の被爆者は白血病死亡率は平均値(1万人に18名)以下
(4)1950-78年でガン死亡率は1.2Sv以下の被爆者は年平均(2.3人/1000人)以下の年2.1人/1000であった。
(5)1950-78年で広島・長崎の250mSv以下の被爆者のガン死亡率は一般平均を1とすると0.9となる。
(6)長崎では3Sv以下の被爆者のガン死亡率は一般平均を上回ることはなかった。
(7)広島・長崎でのガン死亡率は60mSvを被曝したグループ23,000名は一般平均より低く、かつ平均寿命が長い。
(8)広島・長崎でのガン死亡率は20mSvを被曝したグループ7,400名ではさらに著しい低下があった。

3.寿命について
(1)100mSv~1Svの被爆者の子供50,689名の死亡率は一般平均より低い。
(2)同年齢のグループとの比較では癌を除く死亡率では1.8Sv以下の被爆者は65%であった。
(3)広島・長崎で2Sv未満の被爆者20,000人の平均寿命の短縮は認められなかった。
(4)1950-85年の死亡率は700mSv以下の被爆者で相対的な低下が認められた。最小値は140mSvの被爆者。
(5)45歳から75歳の年齢では、5mSvよりも10mSvの被爆者の方が死亡率が1~3割少ない。(より強い放射線の方が長寿であったという意味)

3.水爆とチェルノブイリ
1954年(昭和29年)のビキニ環礁で被曝した第五福竜丸の乗組員23名中、6.7Sv被曝した一人は206日後に死亡した。
しかし他の2~5.75Svの被爆者は(論文作成時1993年までの)40年間癌の発生はない。
第五福竜丸はチェルノブイリの場合と酷似している。つまり2Sv未満の作業員209名は誰も死亡していない。

4.考察
引用した論文によると、急性の低線量放射線は日本の原爆生存者へ生涯にわたり健康に寄与したことを示唆している。広島と長崎の人々が浴びた放射線は、いわば「放射線ワクチン」と言える。

一時的に浴びるにせよ、慢性的に受けるにせよ、動物を使った1991年の実験によれば、たとえば以下のような長期的効果があることが判明した。

 1)大量の電離放射線への抵抗力
 2)傷の治癒が早いこと
 3)ミクロではDNAや細胞の修復力の改善
 4)免疫力の強化
 5)罹病率の低下(特に感染症からの)
 6)健全な子孫
 7)死亡率の低下
 8)平均寿命の伸び
など

原爆による放射線の影響を総括すると、結果的には「電離放射線は生命体には不可欠なもので、我々はその不可欠な物質が不足しているかもしれないという仮説」を裏付けるものである。原爆生存者に関する諸研究により、放射線には有益と有害の境界があることが明らかになった。この結論によりフランスの権威ある委員会も全ての放射線は有害であるという考えは間違っているというという確証を発表した。

以上

※全訳文の入手先は 茂木弘道氏 http://hassin.org/まで

会員番号5980番 投稿日:2011/05/20 20:41

【486】[538]山下俊一氏講演

山下俊一氏講演(5月3日・二本松市)【前半/講演】
http://www.youtube.com/watch?v=7364GahFWKI&feature=related
山下俊一氏講演(5月3日・二本松市)【後半/質疑】
http://www.youtube.com/watch?v=ZlypvPRl6AY

副島隆彦 投稿日:2011/05/20 05:23

【485】[537]放射線医学者・山下俊一長崎大教授を私たちは強く支持します。

 副島隆彦です。 以下の 長崎大学教授で、現在、放射能の健康被害の問題で、原発事故のあとの早い時期から、福島県放射線健康リスク管理アドバイザー に 就任している、長崎大学大学院 医歯薬学総合研究科 研究科長 の 山下俊一(やましたしゅんいち)教授の 現地・福島での 果敢な闘いに、私たち学問道場は、一丸となって、強い 支持をしたいと思います。

 以下の山下教授の 二本松市での 講演のあとの 聴衆との 激しいやり取り(応酬)を読んでいますと、血沸き肉躍(おど)るという感じです。 私は、以下の山下俊一という徹底的に冷静で、かつ峻厳な人格者 の姿に 深く胸を打たれます。 

以下の 受け答え(質疑応答)の中の 山下教授の 次の 

「私の孫を福島に連れてこい、というのなら、そうします」以下の

「・・・・もし私がそれをしたら信じてくれますか?  私 は基本的に被ばく二世で、親戚郎党(ろうとう)みんな原爆で亡くなりました。 親たちの代は 私たちを連れて、みんな汚染された水を飲み、復 興してくれました。広島の方々も一緒だと思います」 

と話している。 この山下教授の言葉に、私は涙が流れる。

 長崎、広島の人たちよ。山下教授と共に、もっともっと本当のことを、現地の福島の人たちに、そして、「放射能こわい、こわい」でヒステリーを起こしている愚か者たちに、どんどん、本当のことを話してやってください。

 この 過剰反応の 放射能恐怖症の 愚か者たちのその扇動者たちを 私たちは、徹底的に 順次実名の名指しで、撃滅(げきめつ)しなければいけないと思います。

 長年の”原子力村”の原発御用学者(げんぱつごようがくしゃ)たち(東電からものすごいカネを、一人当たり、何億円も長年もらって汚れまくっている)とは全く違って、放射線医学、放射線防護学 の 医者たちの ほとんどは、まじめで誠実だ。

 彼らは放射線治療の現場にいるから真実を知っている。彼らは、今も本当のことを言いつ続けているのに、扇動者たちから、まとめて袋叩きにされている。

 彼ら放射線医学者たちを、私たち日本国民が守らなくてはならない。

原発・放射能恐怖症(こわい、こわい派)の 扇動者の愚か者ども。お前たちを、正義の言論戦で打倒してみせる。

 その中でも、特に薄汚(うすぎたば)いのは、長年、原発推進派だったくせにコロリと態度を変えて、今は原発反対派のリーダーになりおおせている愚劣極まりない者たちだ。私、副島隆彦はこの 変節漢(へんせつかん)たちを絶対に許さない。 お前たちが、”波乗りサーフィン”よろしく、コロコロ態度を変えて、次の時代の寵児(ちょうじ)になることを全力で阻止する。 

以下の山下俊一教授の以下の講演会場での聴衆(参加者)との、丁々発止(ちょうちょうはっし)の受け答えに、私は、我がことのように 胸はすく思いがする。

 日本政府 (その実態はバカ官僚ども )自らが、「放射能、こわい、こわい」の風評被害をまき散らすことで、日本国の信用と国力を落としている現状に、私は、大きな危機感を抱いている。 このままでは、日本は没落して、三等国に転落して今う。 この危機を跳ね返して、私たち国民が、団結して乗り切らなければならないと真剣に思います。  

私は、この山下俊一教授の 放射能の人体(生体)への影響の論文を、3月の早い時期に、私たちの会員で、たったひとりで、原発10キロ圏の双葉町、浪江町の 犬猫たち を助けるために、何度も自力で現地に入った 川本さん(女医さん)から送ってもらって読みました。ありがとうございます、  

副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)

 副島隆彦さまへ

 さきほど電話でお話しした山下俊一教授のネットの記事です。二本松市 での講演会の質疑応答がまとめられていますが、きわめて適切で誠実な回答ぶりだと感心 しました。  ****から

(以下引用)

●「「100ミリ以下は安全」放射線アドバイザー山下俊一氏に苦言殺到 」

2011年5月6日

 福島県放射線健康リスク管理アドバイザー・山下俊一長崎県大学教授が、就任以降、福島県内のメディアや講演で、「100ミリシーベ ルトは大丈夫。毎時10マイクロシーベルト以下なら外で遊んでも大丈夫」と発言してきたことに対し、3日に福島県二本松市で開催され た講演会で、住民から次々と厳しい意見が飛んだ。
 
 これに対し、山下氏は「今でも100ミリシーベルトの積算量にリクスがあるとは思っていない」としながらも、「(原子力安全委員会か ら)私は多分指導されるでしょう。甘んじてそれを受けなくはいけないと考えます。」と回答した。
 
 また「将来、子どもたちに何か影響があった場合に、責任がもてるか」との質問に対しては、「将来のことは誰も予知できない」とした上 で、起こった病気が放射線のせいかどうかを調査するには、福島県民全員による、何十年間もかけた疫学調査が必要と回答した。
 

 質疑応答(一部抜粋)

質問:先生にも覚悟をもっていただきたい。安全というなら、お孫さんを連れて砂場で遊んで頂きた い。
 
山下:もし私がそれをしたら信じてくれますか? 私 は基本的に被ばく二世で、親戚ろうとうみんな原爆で亡くなりました。親たちの代は私たちを連れて、みんな汚染された水を飲み、復 興してくれました。広島の方々も一緒だと思います。 

 他にチョイスがない、逃げられない人たちはそこで自分で自分の 道を切り開いていったんですね。もちろん、今、住職さんの言われた私への期待は重いほどよくわかります。私がそれに応えて、孫を連れ てきて砂場で遊んで、みんなが信じてくれるのだったら、お安い御用だと思います。私は住職さんとのお約束を守りたいと思います。
 
質問: これまで、福島は安全です。安全ですと言い続けてきたが 将来、子どもたちに何か影響があった場合に、責任がもてますか?イエスかノーでお答えください。
 
山下: 基本的に大切なことは、将来のことは誰も予知できないんですね。神様しかできないんです。 彼の質問に答えるには、膨大な数の疫学調査がいるんです。
起こった病気が放射線のせいかどうかを調査するには、福島県民全員の協力が必要となります。

 正しい診断をし、正しい経過を把握するには、何十年間も必要なんです。数年、5年、10年ではなかなかその結果はでない。そのレベル の話ですので残念ながら、今の質問にはイエスともノーとも答えられません。
 
質問:市政だよりなどに、マスクもしなくても大丈夫だと先生の話が書かれていて100ミリ先生の 言葉を信じて、戻ってきている人もいる。20ミリが最大だ、その下は自己責任になりますところっと話が変わっている。今までが間違っ ていたのか、話して欲しい
 
山下: これがみなさんの混乱の一つの原因だと思います。私は、みなさんの基準を作る人間ではあり ません。みなさんへ基準を提示したのは国です。私は日本国民の一人として国の指針に従う義務があります。

 科学者としては、100ミリ シーベルト以下では発ガンリスクは証明できない。だが 不安を持って将来を悲観するよりも、今、安心して、安全だと思って活動しなさ いととずっと言い続けました。ですから、今でも、100ミリシーベルトの積算線量で、リスクがあるとは思っていません。これは日本の 国が決めたことです。私たちは日本国民です。
 
質問:文部科学省は、先生が100ミリ以下は安全だと言っているということに対し「指導する」と 昨日、テレビで言ってましたよね。
 
山下:私は多分指導されるでしょう。甘んじてそれを受けなくはいけないと考えます。
 
質問:マスクはしなくていいんですか。先生は気休めだと言っている。
 
山下:はい、今の状況はまったくそうです。大気中に放射線ヨウ素はもうありません。ほぼ放射線セ シウム137です。

 衛生上、それをきちんとするということは、子どもたちに注意を喚起する用心するということでは非常に重要だと思います。ですから、私 ともう一人の放射線アドバイザー神谷先生は、しっかりとそのことをご説明していると思います。
 
質問:布団は干しとか、洗濯物を外に干すのは大丈夫か?
幼児に対する日常生活の注意点は?
 
山下:こうした個別の質問、たくさんあると思います。当初は数字が提示されていませんでしたか ら、単純に10μSv/h以下になればそんなに心配はないですよ。1μSv/hだったら全く心配ありませんよ。その間は、明確な結論 が出せずに、話をしていました。

 しかし国は20mSvをもって、3.8μSv/hというのを出しましたからやはり測って、それのレベ ルを遵守するということが重要になります。
私は皆さんとずっとお話して来た当初は、クライシスコミュニケーショんといって危機をいかに未然に防ぐかという話をきてきました。し かし、今日、皆さん方が来てよくわかるように、具体的にどうするか放射線とどう付き合うかということが、皆さんのメインのテーマだと 思います。

 先ほどの質問で「二本松は危険だから逃げろ」というのがありましたがとんでもない話です。今のレベルは全く心配ありません。その保証 を、私の首をかけろというならかけますが、私は子どもたちよりも早く死にます。

 もし文科省が私を喚問するのであれば、私はそれに行かなければならないと思います。ただ伝えたい根拠は理論ではありません。現実で す。皆さん、現実、ここに住んでいる。ここに住み続けなければなりません。

 広島、長崎もそうでした。チェルノブイリも550万人もそ ういう状況で生活しています。そういう中で、明らかな病気は、事故直後のヨウ素による子どもの甲状腺がんのみでした。私はその現実を 持って皆様にお話をしています。ですから国の指針が出た段階では国の指針に従うと、国民の義務だと思いますからそのような内容でしか お答えできません。

 今の環境庁がもし、年間20mSv以下であれば外に布団を干すということもご自由ですし、何もしても自由です。国がその線引きをし ちゃったのです。線引きをした段階でちょっとでも超えると危ない、問題だということに対してじゃあこれをどう考えましょうか。

 ということを私は皆さんと一緒に問おています。お母さんのご心配も十二分に分かります。でも、この二本松で、3.8mSv/h以下で あれば、そこで干そうが子どもを遊ばせようと問題ないと思います。
 
質問:私は学校に勤めていて、文科省が出した3.8mSv/hという基準に悩んでいる。もうヨウ 素はないと言われているが、土壌の検査の結果では、ヨウ素6200ベクレル、セシウムは16900ベクレルある。飯館はホットスポッ トだが、それ以外で見ると中通の線量が高いが線量が非常に高かった3月15日頃、みんな知らずに、マスクさえつけなかった。年間20 ミリシーベルトという指針が出されているが文科省の累積に3月23日までの線量、内部被ばくも入っていない。

 年間20ミリシーベルトになるのではないかと心配だし、その基準にも疑問。山下先生はアドバイスをする立場にいるので県なり、文科省 なり、行政に私たちが安心して暮らせるようなアドバイスをしていただきたい。
 
山下:過去の積算が出されていないというのはまさに仰る通り、3月12日から3月いっぱいのデー タも当然公開されると思います。それを踏まえた上で、20mSvについて安全か、安全でないか議論されます。

 そして今すぐ何ができるかという問題を提言されました。残念ながら、この福島の中通り地区も、みんな汚染をしました。放射線物質が降 り注いだという非常事態にあります。その渦中で、そういう措置をすることがすることが本当に適切か。自分のところだけで済まない、多 くの方々の対応をどう統合していくかということを早急に多分、教育委員会や県、国が対応して回答を出すだろうと思いますのでこれはし ばらくお待ちいただきたいと思います。
 
質問:国の基準に従うしかないというお話をされたのですが、先生は、県を通して国に提案する立場 にはないでしょうか。
 
山下:直接国に話をできます。話をしています。
 
質問:原子力安全委員会の防災対策で示されている基準は10ミリシーベルトというのが一つの規準 なっている。しかし、現在、私達に関しては、屋内退避も退避勧告もない以上、逃げても国からの保障が一切無い。逃げることに対しての リスクを全部自分で背負わなければならない。

 福島市の積算量は10ミリシーベルト超えることが予想されているが、これに対して、屋内 退避の勧告をして、原子力事故に対する保障の対象にすれば、住民の選択肢が広がると思う。それに対して提言はしていただけないか。
 
山下:極めて重要なポイントで、どこまでを原子力災害損害賠償紛争審査会に取り上げるかというこ とになります。精神的な障害と風評被害にみえるということも、当然そこに入ってきます。今後第二次指針の中でそういうの議論がされて いくと思うので、私自身は何もお約束できませんが、自主非難に対する保障というのは重要な問題だと認識しています。
 
質問:現在の規準は20ミリシーベルトですが、原子力安全委員会の今までの取りまとめをみると、 緊急時、高い線量が観察されたとしても、数日中に必ず何らかの手立てが採られるはずだから、これぐらいの規準でかまわないということ がレポートに書いてある。実際、福島原発に関しては、東電のスケジュールをみても6ヶ月から9ヶ月かかるという。原子力安全委員会の 10ミリシーベルトでもかまわないという前提と大きく違うのですが、これに関して考え直す必要があるのでは。
 
山下:これはまさに議論されているところです。私の言える立場ではありませんが、整合性をいかに つけるか、そして説明をどのようにやっていくか、ということがこれからなされると思います。
 
質問:放射線に対する子どもの感受性が高いことから、子どもの安全をいかに守るかということを大 人がまず最初に考慮しなければいけないと思う。空気中に漂う放射性物質は爆発直後に比べて落ちているんが、土に落ちているものも含め て、塵となって吸引する可能性がある。

 塵も水も食べ物も、すべて内部被ばくが子どもに対して重要になってくるわけですが、それぞれの 基準がばらばらに設定されていて、内部被ばくの総合的なリスクに対する提言が何もされていないことに非常に不安がある。
 
山下: これは出来ないですね。内部被ばくを細かく検証することは、それぞれ分けて計算ができない ので、今は出せませんが、唯一チェルノブイリの経験で、いくつかの式が出来てます。理論値です。

 そういうものが、それぞれ複合的なも ののパラメータを入れて、どのくらいってのは計算されると思うのですが、1パーセントから数十パーセントまで非常に誤差があります。 ですからこれをどうにかしてみなさまにお見せするかということに関しては、厚労省、農水省も含めて時間がかかると思います。
 
質問:最終的には100ミリシーベルトを基準にして概算法で、しきい値はないとする考え方と、し きい値以下ならほとんど健康に害がないという考え方という、二種類の対立する考え方がある。しかし、基本的にはしきい値がない考え方 のほうが、リスクを考える上では安全だと思う。テレビに出られる先生方の話を聞いて気になるのは、0.5~1パーセントがんの発生率 が高まるだけと言っているんですけど、それは1000人いれば、5~10人発症するということ。

 確率論から言うと0.5から1という 数字なのかもしれないけど、その5人10人というのは人間。その人間は本来放射線被ばくを受けなければがんというリスクを負わなくて 良かった人です。少なくともリスクがある以上それを排除するのが国や自治体の姿勢だと思うんですけど、それに対して先生は「これくら いの線量だったら遊ばせていいんですよ。

 マスクもする必要ない。」と言っている。しかし、もう少し「守る」ほうの意見を出していただ けると安心だと思う。先生があまりにも「安全だ」と言い過ぎるものですから、それについては異論がある以上一番安全なラインでお話し ていただかないと困ると思う。
  
山下:おっしゃるとおりで、「安全」という言葉を安易には使いません。皆様方に少しでも「安心」 してもらえればということで話をしています…
 
会場:「安全」と「安心」とどう違うの?…

山下:まったく違います。「安全」は誰が見ても安全ということを認知できます。「安心」は一人 一人全部違うんですね。リスクの認知の仕方っていうのは、まったく個人によって異なります。この3.8マイクロシーベルト/hという のが絶対安全域かというと一つの大きな問題。

 これは基準値であって、参考値なんですね。これで一ヶ月過ごしましょうってことで、当然 日にちが経てばこのレベルを下げてくると思うんです。今はしかし、これを採った以上は、これで行動規範をつくる必要があるというふう に考えます。ですからおっしゃるように、防護策をもっと提出していけということですよね。それはもうこれからもずっとされていくと思 います。
 
質問:チェルノブイリの後に、オーストリア政府はオーストリア国民が受けた損失額の見積もりを出 して、空間線量からの被ばくが15%、直近からの内部被ばくが80%と出しましたが、先生はどういった割合で内部被ばくと外部被ばく があると考えますか。
  
山下:今、チェルノブイリの人たちは、内部被ばくと外部被ばくはほとんど無視できるくらいです。 事故直後、1991年から95年、96年の間は、実は内部被ばくの方が少し多かったですね。放射性セシウムというのがずーっと入って ましたから。ただその被ばく線量年間にすると、だいたいレントゲン数枚程度です。これは非常に低い。ミリシーベルトに届かない量であ るので、食べ物と外からの比はなかなか出しづらいというのが今までの見解です。
  
質問:今現在、(チェルノブイリの時の)オーストラリアの見解が適用されたとして、空間線量は 15%と考えて行動したほうがより安心であるといえる。そういうことですか。
  
山下:マイクロシーベルトは内部も外部も含めて出しているんですね。分けられないんですよ。そう いう基準値だと思ってください。ですから安心安全ということではなくて、これそのものがそういう基準であると考えてもらったほうがい いと思います。
  
質問:モニタリングポストで出ているデータは外部だけですよね。考えうる内部被ばくの割合はどう あるべきなのか。今ここの空間線量で被ばくする状態というのは、内部被ばくよりもさらに低いと見積もって、それ以上に被ばくする。足 し算的に被ばくしていく。というふうに考えることがより安全に近い考え方だ、ということには、どう思われますか。
 
山下:環境放射線と人体の影響のパラメータで議論して計算して出しますから、私はこのプロではあ りませんから、簡単に回答できませんが、いろんな考え方があると思います。しかしそれをすぐに肯定することはできません。
  
質問:子どもが転んで怪我をし、傷口から地表に体積した放射性物質を取り込んでしまい、放射線の ゼロ距離射撃にあってしまう。ゼロ距離射撃とそうでないときは、人体への影響が違うわけなんですけど、そのようなケースの話をあまり 聞かないんですけど、これはどうされるべきだとお考えですか。
  
山下:一番わかりやすいのは、原発の作業労働者が怪我をして、汚染地域で皮膚を汚染したという場 合はたいてい洗うと流れてしまいます。血液に入る量はほとんどありません。ですからそういう心配に対してすぐに対応する必要はないと 考えます。
  
質問: 原発の作業労働者に適用された労災の表を見ると、一番低い人で、4ヶ月くらいで40ミリ シーベルトかそんなもんで、骨髄性の白血病だとかなんかで労災を受けてるんです。40ミリシーベルトということ、20ミリシーベルト なら2年ですよね。そこに居続けるならということですが、これについて先生の学者としての見解についてお聞きしたいです。
  
山下: 今のは労災との関係ですよね。これは裁判の事例になりますので、この値についての検討は個 別の症例になりますから出来ないと思います。裁判の結果に従うしかないんだろうというふうに思います。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

原 正寛 投稿日:2011/05/18 23:09

【484】[536]5月16日(月)河野太郎議員の講話

原です。
2011年5月16日に開催された、河野太郎氏緊急講演会 「日本は『フクシマ』を乗り超えられるか?」のUstreamアーカイブです。(IWJより)
http://www.ustream.tv/recorded/14745486#utm_campaign=synclickback&source=http://iwakamiyasumi.com/&medium=14745486
 前半1時間ほどに「核燃料サイクル」に関してホワイトボードを用いながら河野議員がとてもわかりやすく解説してくださっています。

 メディアなどでは今後のエネルギー政策の課題として「発電量」「コスト」などを特にあげています。しかしこの「核燃料サイクル」に関しては、あまり扱われていないと思います。
今後原発の問題を議論するうえでは、
「日本が保有している(海外に預けているものも含め)45tものプルトニウムをどうするか」
「高速増殖炉は少なくとも2050年までは稼動しないのに、使用済み核燃料を再処理して毎年8tものプルトニウムをつくる(作ろうとしている)のはどうか」など、「核燃料サイクル」について知ることが必要不可欠だと感じました。
 実際河野議員の話を聞いて、「一貫して反原発(核燃料サイクルに生じる矛盾)を唱え続けている、数少ない議員の1人なんだろうな」と感じました。
 あと、ユーストリームだから流せる内容なんだろうなって思いました。