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Loginはこちら【527】[580]福島復興活動事務所開き 報告3: 副島先生と高野亮さんの講演
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
事務所開きで副島先生とSNSI研究員の高野亮さん(地元では東大よりも信頼の厚い福島県立安積(あさか)高校の物理の先生)の公演が6月4日、5日の両日行われました。わたしは4日の公演を聞きました。そのときのことを書きます。場所は学問道場・福島復興活動事務所で、会員と地元の人たち総勢50人ほどが集まりました。
当たり前ですが、わたしが聞いて理解できたことだけしか書けません。また、わたし自身が「原発事故が起こってしまった日本で生きていく」上で知りたいことは、次の二点ですので、主にそれに偏(かたよ)って書きます。
●福島第1原発は、今後、核爆発する危険があるのか
●どのくらいの放射線量まで、だいたい大丈夫なのか
◆副島先生のご挨拶
○このあたりの放射線量はもう0.5μSv/時にまで下がっている(一瞬でバッと6Sv浴びたら20日後くらいに死ぬ)。放射線量の高い飯舘村でも10μSv/時。これを8760倍(年間総量)すると87.6mSvだが、この8760倍すること、すなわち単純積算すること自体に意味がない。花粉のように、風が吹けば空中の放射線量は変わってしまうのだ。
《ゆみこ: 「・人はふつう24時間戸外に居ない ・放射線を多少浴びても、体から排泄される ・今後も放射線量は減っていくはず といったことから単純積算では体への影響を計れない」という意味かと思います。つまり、飯舘村で生活しても年間87.6mSvよりもずっと低い値しか浴びないということです。 この「単純積算には意味がない」というのはとても大事な話だと思います。今もみんなせっせと8760倍しているはずです。そういう人たちに教えてあげなくちゃね。》
○避難民を下のように区別しなくてはいけない。
「被災者」: 津波で家を流されたり、地震で家が倒壊したりした人
「避難民」: 家は無事だけど、原発からの放射能のせいで逃げた人
○原発避難民である地元の人たちも悪い。20km封鎖される前に、地震後、放射線量が下がった頃から、地元の人たちはどんどん20km圏に入るべきだった。
○福島県民が、日本中、世界中から憐(あわ)れまれて、優しくされて、それで(楽だから)いいという風になりつつある。こういう根性になるのが非常に危ない。
《ゆみこ: 根尾知史さんの〔[566]福島で見聞きしたこと。【第三部】〕に書いてある下の文章がそれの一例でしょう。
(はりつけ始め)
避難所生活では、朝昼晩の三食がただで食べられて、皆でいられて楽しい、と思ってしまって、おじいちゃん、おばあちゃんや、あるいは、もらえる物をできるだけもらおうとして居続けて、家も壊れてないし、放射能汚染ももう問題ない数値になっているのに、避難所からいつまでも離れない避難者たちもいます。
(はりつけ終わり)
わたしはこれを読んで、ついにいいのが出た、と思いました。これこそ人間だぃね。そうだんべ。生々しいやね。「みんなでいられて楽しい」という年寄りについては、わたしはこんな想像をします。こういう年寄りは地震の前は、さみしかったんじゃないかな。嫁さんは恐(こえ)ぇし、息子は相手にしてくれねぇし、孫は小せぇうちはかわいかったけど、すぐ生意気になって、中学生になりゃ部活、部活で家にいねぇし。野良仕事ができりゃ、まだ楽しいけど、野菜作りすぎてまた嫁に怒られるし。「まぁた、ばあちゃん、こんなに作って。食べ切れないがね!」
「楽しい」というのは、前より状況が良いから楽しいと感じるんだよね。しょうがないやね、そう感じるんだから。人間はほかの人から認められたい、「あなたは大事な人だ」と扱われたい。世界中から憐れまれて、ボランティアに優しくされて、今それが叶(かな)えられているから嬉しいという、素朴な気持ちというものが人間にはあらぃね。・・・違うかね。やっぱり、ずっと東電から原発手当をたくさんもらい続けて、慣れきってしまったのかな。
この状態からどうするか、真剣に考えなくちゃ。でも、要(よう)は本人たち(福島の人たち、原発避難民たち)がどうしたいか、ということが大事さね。でもでも、本当のことを知らされなけりゃ、考えようにも考えられない。みんなで本当のことを発信していきましょう。》
◆高野 亮さんのお話 「福島県原子力災害のキーワード」
○もう核爆発は、科学的に起き得ない。理由は、格納容器の底に溶けて(メルトダウンして)たまった核燃料は溶けた制御棒と混ざり合っている。その制御棒の成分が、核分裂反応のときに出る中性子を吸収するので、再臨界は起き得ない。
《ゆみこ: よかった。 公演後に男の人たちから教えてもらったのは、そもそも再臨界なんて、核爆弾の技術で、イランや北朝鮮が核爆弾を作りたくて作りたくてしょうがないけど作れない、とても難しい技術だそうです。いろんな条件を整えて、やっとこさできる(再臨界を起こせる)そうです。原発は、そもそも再臨界を目指して作っていない、ゆるい核爆発が起こり続けるように、安全に作ってある。だから、再臨界なんてできない。》
○ 水素爆発の危険性もほとんどない。理由は、ホウ素をいれたり、なんだり、いろいろと手当をしているから。
◆副島先生のお話 「政府と県は安全宣言を出すべきだ」
○ 天皇陛下までが、福島第一原発の正門前で国民に安全宣言を出すべきだ。
○ 再臨界(criticality)というのは核爆発とおなじこと。 チェルノブイリは分厚い圧力容器がなかったから、核爆発が起きて外に大量の放射性物質が出てしまって、たぶん1Svくらいの雨が降った。福島第一原発は、分厚い圧力容器があるので、メルトダウンした核燃料と制御棒の混ざったものが、その圧力容器の底に溜まっているだけ。
○乳がん治療では1回につき2Svをバシッと当てる、それを週5回、休みを入れながら2ヶ月の間に60Svを浴びる。それでも死なない。
ここで、会場にいた、乳がん治療を受けた阿部 真由美さん(【[556][557]放射能の影響について】を書いた方)が「それ、わたしです」と声を上げました。振り向いて見ると、とても健康的で、たっぷりとした髪の毛が黒くつやつやで、とてもきれいな方でした。わたしはもっと弱々しい人を想像していたので、びっくりしました。
公演が終わってから、わたしは事務所の出入り口でイスに座ってお弟子さんたちと話していました。帰ろうとする地元の人らしき年配のご夫婦がいたので、奥さんに「どこから来たんですか」と聞くと、福島市だと言いました。わたしは奥さんの手を握って「もう核爆発はしないって、良かったね」と言いながら、どさくさに紛れてちょうどわたしの目の高さにあった奥さんのおっぱいに顔を寄せました。やっぱりお母さんのおっぱいは、いいなぁ。あのとき、わたし免疫力上がったと思います。 以上です。
【526】[578]6月10日福島民報
泉浩樹です。
福島の実家(第一原発より約60km)へ一時帰省し農作業をしております。
新緑の中ウグイスが鳴き、ツバメが軒先に巣作りをし、新鮮な野菜を食べ、草刈りをし汗を流しています。
昨日線量は、地上1mで約0.12μSv/hとなって居ります。
土ぼこりも立ちますが、気にしてたら仕事になりません。
本日は雨模様です。
周りの皆さん、生き物、家族も至って元気です。
実家の新聞を整理しましたら6月10日付け福島民放に大きな見出しで「高放射能がれき 県内に最終処分場 環境省、知事へ整備方針」と出ています。一週間前の記事ですが。
大手テレビ、新聞にはこの件はでて居たのでしょうか?。
私は確認していませんでした。
やはり、副島先生の懸念が現実となって来ました。
県民はどれだけ、このことが意味する事を、理解しているのかどうなのか、判りません。
6月10日福島民報のニュース
ーー以下リンクより抜粋張り付け致します。ーー
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4107&mode=0&classId=&blockId=9854670&newsMode=article
環境省が県内に最終処分場を整備方針 高放射能のがれき、知事は拒否
東京電力福島第一原発事故により高いレベルの放射性物質が付着したがれきの処理で、環境省が県内に最終処分場建設を検討していることが9日、明らかになった。南川秀樹環境事務次官が同日、県庁で佐藤雄平知事と会談し伝えた。佐藤知事は断固拒否する考えを示すとともに強い不快感を表した。同省の方針はこれまで県などに一切伝えられておらず、今後、反発が起きるのは必至だ。
■次官「福島以外考えられず」
南川事務次官は佐藤知事との会談で、東日本大震災と原発事故からの復旧・復興に向けては放射性物質の付着したがれき処理は急務と説明。その上で「最終処分場の建設場所として福島県以外は考えられない」とした。
これに対し、佐藤知事は「県として受け入れられない」とし、今後、最終処分場建設についての要望、提案を一切受け付けない考えを強調した。
会談後、取材に応じた南川事務次官は、最終処分の方法が決定していない状況では初期段階の撤去は進まないと指摘。「県民感情をさかなでするつもりはないが、福島県以外に建設場所は考えられない」として、引き続き本県への処分場の建設を目指す考えを示した。
■知事「ありえない」 断固拒否、不快感表す
佐藤知事は会談後、記者団に「(本県への最終処分場の設置は)ありえないと今日まで明確に言ってきた。原子力政策は国策であり、国がしっかりと考えてほしい」と述べた。
内堀雅雄副知事は「今後、最終処分場の議論が県内でなされることは1%もない」と強調した。
放射性廃棄物は、原子炉等規制法に基づき低レベルの場合は青森県六ケ所村の貯蔵施設に埋め立て処分される。しかし、同法は、今回のがれきのように原子力関連施設外で大量に汚染ごみが発生することを想定していない。一方、災害ごみは廃棄物処理法で埋め立てや焼却処理されるが、同法では放射能を帯びた廃棄物は対象としていない。
こうした中、環境省は警戒区域や計画的避難区域を除く県内全域のがれきについては、放射性物質が付着していても焼却や埋め立て処分を認める方針を決定。
省内に組織を設け、最終処分場の設置場所や規模、処理する放射性物質の濃度の基準などの検討に入っている。最終処分までの工程を確立し、がれき撤去に早急に着手することで、農産物や工業製品を含めた風評被害の払しょくにつなげる狙いがあるという。
3日時点の環境省の推計では、本県の震災によるがれきは288万トン。16%が仮置き場に搬送されているが、原発周辺の自治体では処理が全く進んでいない。
ーー貼付け終了ーー
*国は原発政策をこのまま推進し、国内の放射性廃棄物を私の産まれ育った故郷「福島」へ持ち込むのです。
さあ、何処へ怒りをぶつけていいのか。。
「そろそろ気づけ。騙されるんじゃない。自分たちの未来と人生を他人に任せるな。」
そう、言いたくてたまりません。
泉浩樹 拝
【525】[577]広島の被爆者の孫です。
はじめまして、会員番号3397の吉川 輝です。
私も子供のころ聞いた話を紹介させていただきます。
私の祖父(明治37年生まれの当時41歳)は広島原爆投下時に爆心地から直線距離で4キロのところの広島の三菱軍需工場で徴集されていて、そこで被爆したそうです。爆風で工場の屋根が吹き飛び、祖父自身も爆風で数メートル飛ばされたそうですが、奇跡的に大した怪我もなくその場から脱出できたそうです。
そして、その日のうちに実家がある広島県北部の三次へ帰省するために、原爆で焦土と化した広島市中心部を歩いて、何とか国鉄が動いている駅(広島駅は壊滅状態)までたどり着き、列車に乗って帰ってきたそうです。
時同じくして、私の叔父(父の兄で14歳くらい)も、三次から広島へ向かっていて、熱線や爆風による怪我などはなかったものの、原爆が落ちた後に広島に到着してから被爆し、すぐに実家に帰省したそうです。
もちろん当時は放射能などはまったく知らされていないし、二人とも下痢や、体の不調、微熱などがひと月ぐらいはあったそうです。
原子爆弾が落ちて、そのような病状になったことは後からわかったことで、当時は原因不明であったと思いますし、叔父も後から考えてみるとあれが被爆における症状であったんだといわれていました。
でも、その祖父もその後90歳まで生きながらえて、大往生であったと思われますし、叔父も80歳を過ぎた今も「がん」などにもかからずまだ健在です。
そのことからも、爆弾が落とされた後の、一時的に強い放射能の中を歩いて放射性物質を吸い込んだとしても、人には破壊された細胞を直す回復機能があるのだと思います。被爆の度合いにもよると思いますが、命が奪われることはないのではないでしょうか。
【524】[576]長崎の被爆者の孫です。
はじめまして。会員番号6188番 市原理恵子です。
私の祖母は、長崎原爆投下の際、ばっと核爆発の光を浴びたり熱風を浴び「なかった」被爆者です。
85才どころか93才まで元気でした。もちろん原爆手帳は交付されています。
病気らしい病気をしたこともなく、染めていないのに髪も黒々としており、早朝から庭木の手入れをしつつ趣味の旅行を楽しんでいました。
☆
祖母は、太平洋戦争中に看護婦として働いていました。
そして、長崎に原爆が投下された知らせを受けて、派遣命令が出され、福岡から汽車と徒歩で長崎に向かいました。
(原爆がなんであるかは誰も知りません。長崎に大きな爆弾が落とされたらしいという知らせをうけて急遽派遣されました。)
当時祖母は20代後半でその派遣部隊の班長で4~5名の後輩看護婦(10代20代の女性)と一緒です。
長崎市内に到着したのは、原爆投下の2日後です。
ですので、祖母はばっと核爆発の光を浴びたり熱風を浴び「なかった」被爆者であり、
放射性物質をあびただけの被爆者に該当します。
☆
福島第一原発から出た放射性物質は大半が太平洋に流れ出していますが、
長崎では谷間に原爆が投下されており、放射性物質が風に流されることなく停留していたと思います。
その中で、長崎の水を飲み、食べ物を食べ、風に吹かれて、雨に打たれて、祖母は看護婦として働いていました。
防護服なんてありませんし、屋内避難やマスクや、屋内の水拭き・・といった概念もありません。
現地にいた期間ですが、三ヶ月か半年かは、ちょっと手元に資料がなくわかりません。
ただ、長崎原爆投下直後は医療関係者が非常に不足していますし、簡単に現地から離れることは不可能だったと思います。
この長崎派遣の後、看護学校の教員にリクルートされましたので、途中で逃げ出さず、長期の任務を全うしたのだと思います。
☆
祖母も元気でしたし、同行した若い後輩看護婦の皆さんも戦後それぞれ活躍されて、長生きされています。
放射能のせいで病気になったなんて耳にしたことがありません。
当時のことについては、あまりにも現地の状況が酷く、祖母は話したがりませんでした。
ばっと核爆発の光を浴びたり熱風を浴びた街や人々の悲惨さは、思い出すと苦しくなり、口に出して話せないと言っていました。
「戦争はしちゃいかん、あんなひどかことは絶対にいかん」と顔を伏せて言うばかりでした。
これは、私の身内の話ですが、参考になればと思い、投稿しました。
【523】[575]ついに 山下俊一長崎大教授・放射線医学への 解任要求 という 攻撃が公然と掛かってきました。私たちは山下教授と共に闘い抜きます。
副島隆彦です。 以下の記事は、J-CAST (ジェイキャスト)ニュースという、独立系のネット通信社が 発信しているものです。 一般紙が、どのように報道しているか、分かりません。
私は、このJ-CASTニュース も 偏向している団体だと思っています。以下の記事の中で、 山下俊一教授(やましたしゅんいち。福島県の放射線健康リスクアドヴァイザー)への解任要求をした、と書かれている
「 FoE Japanやグリーンピース・ジャパンなどの環境NGO 」というアメリカの息のかかった、おかしな 日本国民扇動(せんどう)のための、団体のひとつだということだ。 ついに お前たちの正体を顕(あら)わしたな、と私は考えます。 これらの 環境NGO(エヌ・ジー・オウ 非営利、非政府の公共利害の追求団体)が、実は、アメリカの巨大石油会社である、エクソン・モービルからの資金援助で動いて、たとえば、日本の捕鯨活動(調査捕鯨というやや品のないやり方での捕鯨)への激しい実力行動などで知られる。
まず、この J-CASTの記事の書き方の中で、山下教授の5月3日の二本松市での発言からの 引用で、「100ミリシーベルトで、5人くらいがんのリスクが上がることが、長年の調査結果で分かっている・・・」と書いている。
しかし、この「100ミリシーベルト」が、24時間×365日=8760 という、一時間当たり(パー・アワー)の 放射線量の、大雑把で、実にいい加減な、バカげた、8760倍という単純積算による 一年間の年間被曝総量であることを書いていない。
少なくとも、「年間総量(パー・イヤー per year )の100ミリシーベルト」のごく微量(びりょう)であることを、常に書かなければならない。 原発の現場の作業員たちの積算計による 放射線総量の250ミリシーベルトなどとは、比較にならないぐらいの 超微量(ちょうびりょう)である。 この厳格な事実の、国民的な議論を抜きにして、現在の、「放射能こわい、こわい」派の 扇動言論のすべて が行われている。
そのうえで、「100ミリシーベルトで5人くらいのがんのリスク」というのは、「一万人で5人」のがんが、5年後、10年後に、その放射線事故による放射線の影響で生じる 確率論的なリスクが、「200ミリシーベルト年間総量(こっちは厳格な積算での)」で 出現する、という 放射線医学上の 放射線医学者たちによる、世界的に認められている(当然、日本の放射線医学者たちの圧倒的に認めている)科学的な事実(サイエンティフィック・ファクト scientific fact )である。
10000人(一万人)で5人ということは、1000人で0.5人だから、2000人に1人ということだ。しかもこれは、200ミリシーベルト年間総量の放射線被ばくの場合の症例だ。 がん患者の発病は、若い人も含まれるが、ほとんどのがん患者は、老人だから、2000人にひとりが、5年後、10年後に出る、という事実を、私たち 日本国民が、「どうやって、事故を起こした放射能のせいで、その老人ががんになったと証明できるのか」という健全な疑問を持つべきだ。
放射能は、天然痘やこれらのような病原菌ではない。 放射能(レイディオウ・アクテヴェイティ radio activity )あるいは放射性物質(レイディエイション、radiation )というのは、最終的には熱量(ねつりょう、ジュールという単位で測定する)である。 ばっ と 核爆発(=再臨界)の放射線の光を浴びたり、高熱の爆風を浴びれば、5から6シーベルトを瞬間で浴びたら、200日ぐらいで死亡する。
しかし、それに対して、放射性物質のガス(気体状)や酸化物などの 微小の塵(ちり)のようなものをが降って、それが、地上に1000ミリシーベルト(=1シーベルト)の単純積算の年間総量ぐらいのちっぽけな量を浴びても、人間は、赤ちゃんを含めて、元気のままだ。全く問題はない。
呼吸や、食物で、体内に取り込んでも、すべて体外排出される。
ばっと核爆発の光を浴びたり熱風を浴びなければ、人間は、みな、微量の放射能などでは全く被害はない。85歳まで元気で生きて行ける。遺伝子を壊されることと、小腸(消化器官の造血機能)を毀損しなければ、みな、大丈夫だ。 爆風や光を核爆発で浴びなければ人間は、なんともない。
現に、爆心の5キロ圏の外の、広島、長崎の被爆者たちは、被爆者手帳を握りしめたまま85歳までみんな元気で生きている。
がん患者で、放射線治療を受けたことのある人なら、その周囲の人も含めて、すべて知っている事実がある。それは、一回当たりの 照射される放射線は、なんと 2シーベルト毎時(パーアワー)である。それを、2か月ぐらいで、合計60シーベルトぐらい浴びるのだ。それでがんの治療をしている。
なぜ、 福島の現地で、10キロ圏でも、たったの 5から10マイクロシーベルト毎時(一時間当たり、パー・アワー 5~10μSv/hour )ぐらいの超微量に、バカげた、単純積算の、 冒頭で書いた、8760倍をかけて、それで、10×8760= 87.6ミリシーベルト年間総量(パー・イヤー) だ、と言って、「高濃度(こうのうど)だ」と、騒ぐのか。
この「放射能こわい、こわい派の、低能の、集団ヒステリーを扇動する者たち」との、闘いを、私たち学問道場は、徹底的にやります。
頑強に学問的真実を掲げて、ひとりで誠実に闘い続ける山下俊一教授を、私たちは、強く強く応援します。山下教授を守りぬこうとする福島県人たちとともに、私たちは、この 現下(げんか)の焦眉(しょうび)の、国論を二分する言論戦 を、闘い抜かなければならないと思います。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
「「福島原発のリスクを軽視している」 「安全説」山下教授に解任要求署名 」
J-CASTニュース 2011年6月14日(火) 20時22分 配信
福島第1原発から放射性物質が放出されて続けている問題で、一貫して「安全・安心説」を唱えていると受け止められている識者が、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一・長崎大学教授だ。
1年間に許容される被曝量として「20ミリシーベルト」という数字が議論になるなか、山下氏は「100ミリシーベルト以下のリスクは分からない」との立場を崩していない。これが「リスクを軽視している」と批判を浴びており、NGOは、解任を呼びかける署名活動を始めている。
山下氏は、長崎市生まれの被曝二世。1991年から約20年間にわたって、チェルノブイリやセミパラチンスクでの被曝者治療に携わっている。05年から2年間は、世界保健機関(WHO)のジュネーブ本部で放射線プログラム専門科学官を務めている。福島県の放射線リスク管理アドバイザーには3月19日に就任し、県内の講演会で「放射能を『正しく恐れる』ことが大事」などと説いている。
■「年間100ミリシーベルト」の評価
山下氏に対して解任要求をしているのは、FoE Japanやグリーンピース・ジャパンなどの環境NGO。6月10日に菅首相や佐藤雄平福島県知事に宛てた要請文の中で、(1)特に放射線量が高い地域において、避難・疎開・夏休みの前倒しを促進すること(2)子どもを含む県民の内部被ばく検査の実施、など4項目を要求。そのなかの一つに、山下氏の解任が入っている。要請文では、
「低線量被ばくのリスクを軽視し、『100ミリシーベルトまでは、妊婦も含めて安全』との言動を福島県内で繰り返しています」
と山下氏を批判。署名活動を7月6日まで展開するという。
山下氏の発言で主に批判が集中しているのは、「100ミリシーベルト」の評価と、住民を避難させる範囲についてだ。
例えば、5月3日に、福島第1原発から50キロ以上離れた福島県二本松市で行われた講演会では、山下氏は
「100ミリシーベルトで、5人くらいがんのリスクが上がることが、長年の調査結果で分かっている。100ミリシーベルト以下は分からない。明らかな発がんリスクは観察されていないし、これからも、それを証明することは非常に困難」
と発言。
「二本松は危険だから逃げろ」という声があることについては、
「とんでもないこと」
と反論。
「皆さん、現実、ここに住んでいるし、住み続けなければならない。広島、長崎もそうだったし、チェルノブイリもそういう状況。そういう中で、明らかな病気は、事故直後のヨウ素による子どもの甲状腺がんのみ。このような現実をもって話している。国の指針が出た段階では、国の指針に従うのが国民の義務だと思うので、そのような内容でしか答えられない」
と発言し、「国の指針に従うのが国民の義務」という発言が、さらに地域住民の反感を読んだ模様だ。
■「30キロ圏外でも必要ならば避難させなきゃだめ」
その後も、山下氏は「100ミリシーベルト以下のリスクは確認出来ていない」との立場を崩しておらず、5月24日発売の「週刊朝日増刊 朝日ジャーナル 原発と人間」の中では、
「1回、100ミリシーベルト浴びると、例えば細胞に傷が100個できます。1ミリシーベルト受けると細胞に傷が1個できます。100個の傷にはときどきエラーが起きますが、1個の傷は体がすぐ治します。遺伝子は傷がついても治るという生物学的な生命現象が大前提としてあるので、僕は、微量の被曝には過敏になるな、と言っているんです」
と主張。「潮」11年6月号では、
「原発の放射性物質によってがんにかかりうるといっても、がんは日本人の3人に1人がかかる病気だ。確率論的に誰にでも起こりうる病気なのに、『放射線のせいでがんにかかる』と心配して生活を台無しにしても仕方がない」
とも述べている。
ただし、住民を避難させる範囲については、前出の朝日ジャーナルの中で
「僕は飯舘や浪江、川俣の一部の数値が高いのを見て、自主避難ではだめだ、きちんと命令してあげないといけないと言ってきたんです。国に対しても、30キロ圏外でも必要ならば避難させなきゃだめだとも言ってきました」
と述べており、講演会での発言との整合性を問われる可能性もある。
6月13日に行われた福島県議会の特別委員会でも、山下氏のアドバイザー解任を求める声があがっており、今後も波紋は広がりそうだ。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【522】[574]年間の被ばく放射線量について
会員の大川です。平田さんの投稿「人が、がんや病気になる本当の理由」に同感です。
この1カ月ほど、放射線の健康への影響に関する本を読んだり、研究者が一般向けに解説しているウェブサイトを調べたり、一般公開の講演会に参加してきましたが、研究者の間では「年間の被ばく放射線積算量が100ミリシーベルト以下の場合、がんの発症を含めて統計的に有意な健康への影響は見られない」という研究結果が、概ね共有されているのだとわかりました。
ところが、ある講演会の終了後、「テレビでこの話をすると、視聴者から抗議の電話やメールが殺到するので困っている。本当は危ないくせに安全とは何事か、お前は御用学者かと言われる」、と、その研究者は嘆いていました。
1つの理由は、平常時の基準が年間1ミリシーベルトまでで、1と100の違いがあまりにも大きいので、感覚的に「100ミリシーベルトなどとんでもない」という印象を抱いてしまうのでしょう。けれども、以前もこの掲示板で会員の方々が書いていたように、よく調べれば、1という数値は研究結果に基づく数値ではなく「平常時に安全の側に立つ」考え方であることがわかります。
専門家ではない一般の者がやるべきことは、自分で本を何冊か読み、学会や研究者のウェブサイトを調べ、講演会に参加し、情報を主体的に集め、最後は自分の頭で判断することだと思います。
【521】[573]『原発事故、放射能、ケンカ対談』
副島隆彦を囲む会から、お知らせします。
次の本が6月末に 幻冬舎から出版され、全国の書店で発売になります。
【520】[572]人が、がんや病気になる本当の理由
会員の平田です。
昨日、「そういえば、国立がんセンターが放射線とがんのリスクについて、そんなに気にすることはないと発表して、そのあと政府から怒られたとか、なんとかっていうことがあったよねー」と知人と話しました。それで、その記事を探してみました。
現在、日経新聞のサイトからは削除されていますが、記事を転載します。
(転載はじめ)
●「 放射線のがんリスク、100ミリシーベルトで受動喫煙なみ 」
2011年4月25日 日本経済新聞
放射線を健康に影響が出るとされる100ミリシーベルト程度浴びた場合でも、がんの発生するリスクは受動喫煙や野菜不足並みにとどまることが、国立がん研究センターの調べでわかった。肥満や大量の飲酒、喫煙に比べると低い。低線量の放射線による健康影響を考えるうえで、ひとつの目安になりそうだ。
<放射線と生活習慣の発がんの相対リスク比較>
受動喫煙の女性 1.02~1.03倍
野菜不足 1.06倍
100~200ミリシーベルトを浴びる 1.08倍
塩分の取りすぎ 1.11~1.15倍
200~500ミリシーベルトを浴びる 1.16倍
運動不足 1.15~1.19倍
肥満 1.22倍
1000~2000ミリシーベルトを浴びる 1.4倍
毎日2合以上の飲酒 1.4倍
2000ミリシーベルト以上浴びる 1.6倍
喫煙 1.6倍
毎日3合以上の飲酒 1.6倍
(注)相対リスクは、例えば喫煙者と非喫煙者のがんの頻度を比較した数字
広島、長崎の原子爆弾で被爆した人のうち約4万4000人が、その後、どの程度の割合で肺がんなどを発症したかを長期間にわたって追跡調査した放射線影響研究所などの論文と、国立がん研究センターなどが実施してきた生活習慣によるがん発生リスクの疫学研究とを、津金昌一郎・予防研究部長らが比較検討した。
原爆で100ミリ~200ミリシーベルトの放射線を浴びた集団は浴びていない集団に比べてがんになるリスクが1.08倍だった。生活習慣によるリスクと比較すると、1日1箱たばこを吸う夫を持つ妻が受動喫煙でがんになるリスク(夫が禁煙の妻と比較して1.02~1.03倍)や野菜嫌いな人のリスク(野菜を食べる人と比較して1.06倍)よりもわずかに高い程度だった。
肥満や運動不足、塩分の取り過ぎなどでがんを発症するリスクは1.1~1.2倍程度で、放射線を100ミリ~200ミリシーベルトを浴びた場合よりも高い。
一方、男性の喫煙者はたばこを吸わない人よりも1.6倍がんになりやすい。放射線の被曝(ひばく)量でみると2000ミリシーベルト以上浴びた場合のリスクとほぼ同じだという。
津金部長は「がんは様々な要因が複雑に絡み合って発症する。放射線リスクだけを気にしすぎないようにしてほしい」と話す。
(転載おわり)
私は、この記事を読んで、100ミリシーベルトが1年間あたりなのか、1度に浴びる放射線量なのかが明確でない書き方であることが気になった。しかし、この記事は放射線に対する過剰な「コワイコワイ」を避ける意図があるのだと思う。
今、盛んに「放射性物質が危険だ」「内部被ばくが問題だ」という、放射線がキケンだキケンだ、コワイコワイと喧伝している人たちに私は言いたい。
「そんなに怖くて、不安ならば、自分が安全だと思うところへ、さっさと避難すればいいではないですか。日本から出ていけばいいではないですか」と。
原発事故が起こってしまった以上、この現実を受け止めて、生きていくしかない。現に福島市や郡山市の方々は自分の家に住み続けている。
私は、人がガンを含め病気になる要因は、その人の気持ちの持ち方に左右されると考えている。人は約60~80兆個の細胞で構成されるという。その細胞ひとつひとつにも、私は意識があると考えている。だから、私の本体が放射線、放射性物質のせいでガンになるかもしれない、病気になるかもしれない、と恐れていたら、私を構成する細胞のひとつひとつもガンや病気を恐れて、カラダに不調をきたすと考える。だから、私は心配や恐れを抱かずに暮らしている。
この日経の記事が、がんと比べているので、次の書籍を紹介したい。医学博士の土橋重隆先生の著書『ガンをつくる心 治す心』(主婦と生活社、2006年刊)である。この『ガンをつくる心 治す心』は、参考になる1冊である。
土橋医師は、「なぜ、ガンになったと思いますか?」とガン患者へ質問して統計をとった。一例をあげれば、右乳ガンには「家庭内の問題」、左乳ガンには「肉体の酷使」があったことがわかった。ここでは詳しくは述べないが、肺ガン、胃ガン、大腸ガン患者の回答にも特徴があった。
本書のなかで、「心理的ストレスこそガンの原因の中でもっとも重要なものの一つであり、再発や移転の防止にも大きくかかわっていると私は考えています」と土橋医師は述べている。
だから、私は、今ある放射性物質を怖がる必要はないと思う。そんなに放射性物質が気になるならば、放射性物質を無害化する技術に目を向ける方が現実的である。EM(有用微生物群)やゼオライトの有効活用だ。これについては調べて、次回、投稿したい。
今は、お互いを批判しあったりするのではなく、日本人みなが協力して、目の前にある困難に立ち向かい、問題を乗り越えていくことが大切だ。
【519】[571]「東電の背広たち」と「避難所を出るということ」
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
知り合いの避難民から、さっき電話で聞いた話です。
ひとつめは、避難している旅館から赤紙が来て([535]参照)、原発に働きに行っている作業員の人の話。4日間仕事に行って、3日間休みで帰ってくるんだって。仕事に行くときは、本当にみんなで毎回送り出してやってるんだって。
上等の背広を着た東京電力の社員が東京からJヴィレッジまで来るそうです。その作業員の人が同じ部屋に入っていくと、その東電の社員は「お前らはここに来ないで、さっさと仕事に行け!」と言われたそうです。そして、「こんな放射能濃度の高い、危ないところに来るのは嫌だ」とか言うのだそうです。
あるときは、東電の背広たちがひとつのパソコンの前に群がっていたので、その作業員の人がなんだろうと思って覗(のぞ)くと、ゲームをして遊んでいたんだそうです。
また、あるときは、その作業員の人が、仕事が終わって、あの暑い防護服を脱いでシャワーでちょっと汗を流してから帰ろうと思い、東電の社員にシャワーを使っていいか聞くと、「お前らはダメだ。社員専用って書いてあるのが見えないんか」と言われたんだって。
もうひとつは、避難している旅館に東京電力の社員が3人、説明に来た話です。なんの権限もないその東電の社員は、型どおりの説明をして、あとはこちら(避難民)の話を聞いて頭を下げるだけ。お話を聞いて上に伝えます、という係り。わたしの知り合いの避難民の人は、作業員から聞いた上記の話をして、泣きながら文句を言ってやったって。「東京のど真ん中に原発を持って行け!」と言ってやったってさ。
その人は、原発避難民です。津波の被害はなかったけど、20km圏内に家があるので帰れません。でも、このたび避難している旅館(むなしい三食昼寝つき)を出ることを計画しているそうです。なぜなら、以前の仕事に戻れそうだからです。それには職場(お店)に通えるところに家を借りなくてはなりません。「通えるところに家を借りられたら連絡してくれ」と店長に言われたそうです。仕事をしたいけど、そのためには住むところが要る。住むところを借りるには、仕事(お金)が要る。なかなか大変な状況です。よく旅館を出る決心をしたなあと感心します。実際にやるのは大変なことです。そういう気力が出てきて、よかったなあと思います。 以上です。
【518】[570]福島復興活動事務所開き 報告2:国道288号線 原発から20km封鎖地点
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
6月4日(土)に学問道場・福島復興活動事務所開きでみなさんと原発から20km封鎖地点に行った報告です。
午後1時からの副島国家戦略研究所(SNSI)メンバー・高野亮さんと副島先生の講演会が始まる前に、副島先生を先頭にして、お弟子さんと会員のみなさん(総勢30人くらいかな)で、すぐ近くの20km封鎖地点にぶらぶらと歩いて行きました。わたしたちがたどり着く前に、機動隊員が警察のワゴン車に付いている拡声器で「道路に広がらないで下さい」「一般の交通がありますので、広がらないで、歩道に上がって下さい」と大きな音で言いました。封鎖で行き止まりなんに、車なんか来(き)ねぇだんべ。
先頭の副島先生が、マスクをして手術用ゴム手袋みたいなのをはめた機動隊員(静岡県警のわけえし4人くらい)のところに着くと、さっそく怒鳴り始めました。「余計なことを言うな!」「おまえらが大きい声で何か言えば、こっちが怖がって言うことを聞くと思っているのか!」わたしは、きゃ~、副島節キター!と喜んで周りを見回すと、みんな真面目な顔をしている。ゆみこ、喜びすぎ。不謹慎。
副島先生「なんで封鎖してるんだ」
機動隊員「危険だからです」
副島先生「何という危険があるんだ」
機動隊員「・・・」
副島先生「なんという法律に基づいて封鎖してるんだ。言ってみろ」
機動隊員「・・・」
ケンカ番長・副島先生を先頭に、いい大人が30人もぶらぶらやって来て、怒られたり、難しくて答えられないことをいろいろ聞かれた機動隊員たち、おやげない。危険を感じた機動隊員の一人がワゴン車の中の通信機で本部に連絡をしている。応援を呼んだのでしょうか。
機動隊員はあまり賢くないことが分かったので、もういいか、ということで、みんなで立ち入り禁止の看板や機動隊員の前で副島先生と記念撮影。わたしは自分が先生と撮り終わったので、隣にいた機動隊員に聞きました。「おまわりさんも、先生と一緒に写真撮る?」すると「いえ、職務中ですから」と断られました。
20km圏の住人は許可証があれば中に入れるそうです。封鎖しているすぐ後ろ脇に民家があったので、「あのお家の人も許可証が要るんですか」と聞くと、「あそこの人は要りません。厳密に言うとここは20km地点よりちょっと出たところなので。厳密に20km地点で封鎖すると、Uターンとか出来ないのでここで止めてます」とのこと。へえ。
またぶらぶらとみんなで歩いて復興活動事務所に戻りました。
すると、さっき呼ばれたのであろう応援のパトカーや大きな青いバスや黒塗りのワゴン車がやって来ました。副島先生が大きな青いバスの警官とやりとりをしているのを、わたしは遠くから見ていました。しばらくすると、副島先生が警官に「行ってよし」という合図をしているのが見えました。ふつうとは完全に立場が逆転しています。さすが、番長!あとで先生に聞いたら、先生は警官に「わざわざ来るな」と言ったんですって。そしたら警官が「はい」だって。先生は「やっぱりわざわざ来たんだよ。人間本当のことを言われると、はい、とか言うんだな」とおっしゃっていました。なるほど~。
それから、機動隊員たちが華奢(きゃしゃ)で弱っちかったので、先生が「あいつら静岡県警でいじめられてる奴らだったりして。お前ら行ってこい、とか言われたのかな」なんておっしゃってました。ほんと、そんな感じでした。彼らもワケが分からずに、ふつうの人と同じように「放射能こわいなあ、でも仕事だからなあ」と思いながらあそこに居たのかもしれません。わたし達がマスクも何にもつけないで大勢来たので、「あれ?放射能ってもう大丈夫なのかな」と内心ほっとしたかもしれません。
わたしたち学問道場のメンバーは、20km封鎖地点に仕事で仕方なく居る機動隊員たちを、安心させてあげました。いいことしたな。 以上