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Loginはこちら【523】[575]ついに 山下俊一長崎大教授・放射線医学への 解任要求 という 攻撃が公然と掛かってきました。私たちは山下教授と共に闘い抜きます。
副島隆彦です。 以下の記事は、J-CAST (ジェイキャスト)ニュースという、独立系のネット通信社が 発信しているものです。 一般紙が、どのように報道しているか、分かりません。
私は、このJ-CASTニュース も 偏向している団体だと思っています。以下の記事の中で、 山下俊一教授(やましたしゅんいち。福島県の放射線健康リスクアドヴァイザー)への解任要求をした、と書かれている
「 FoE Japanやグリーンピース・ジャパンなどの環境NGO 」というアメリカの息のかかった、おかしな 日本国民扇動(せんどう)のための、団体のひとつだということだ。 ついに お前たちの正体を顕(あら)わしたな、と私は考えます。 これらの 環境NGO(エヌ・ジー・オウ 非営利、非政府の公共利害の追求団体)が、実は、アメリカの巨大石油会社である、エクソン・モービルからの資金援助で動いて、たとえば、日本の捕鯨活動(調査捕鯨というやや品のないやり方での捕鯨)への激しい実力行動などで知られる。
まず、この J-CASTの記事の書き方の中で、山下教授の5月3日の二本松市での発言からの 引用で、「100ミリシーベルトで、5人くらいがんのリスクが上がることが、長年の調査結果で分かっている・・・」と書いている。
しかし、この「100ミリシーベルト」が、24時間×365日=8760 という、一時間当たり(パー・アワー)の 放射線量の、大雑把で、実にいい加減な、バカげた、8760倍という単純積算による 一年間の年間被曝総量であることを書いていない。
少なくとも、「年間総量(パー・イヤー per year )の100ミリシーベルト」のごく微量(びりょう)であることを、常に書かなければならない。 原発の現場の作業員たちの積算計による 放射線総量の250ミリシーベルトなどとは、比較にならないぐらいの 超微量(ちょうびりょう)である。 この厳格な事実の、国民的な議論を抜きにして、現在の、「放射能こわい、こわい」派の 扇動言論のすべて が行われている。
そのうえで、「100ミリシーベルトで5人くらいのがんのリスク」というのは、「一万人で5人」のがんが、5年後、10年後に、その放射線事故による放射線の影響で生じる 確率論的なリスクが、「200ミリシーベルト年間総量(こっちは厳格な積算での)」で 出現する、という 放射線医学上の 放射線医学者たちによる、世界的に認められている(当然、日本の放射線医学者たちの圧倒的に認めている)科学的な事実(サイエンティフィック・ファクト scientific fact )である。
10000人(一万人)で5人ということは、1000人で0.5人だから、2000人に1人ということだ。しかもこれは、200ミリシーベルト年間総量の放射線被ばくの場合の症例だ。 がん患者の発病は、若い人も含まれるが、ほとんどのがん患者は、老人だから、2000人にひとりが、5年後、10年後に出る、という事実を、私たち 日本国民が、「どうやって、事故を起こした放射能のせいで、その老人ががんになったと証明できるのか」という健全な疑問を持つべきだ。
放射能は、天然痘やこれらのような病原菌ではない。 放射能(レイディオウ・アクテヴェイティ radio activity )あるいは放射性物質(レイディエイション、radiation )というのは、最終的には熱量(ねつりょう、ジュールという単位で測定する)である。 ばっ と 核爆発(=再臨界)の放射線の光を浴びたり、高熱の爆風を浴びれば、5から6シーベルトを瞬間で浴びたら、200日ぐらいで死亡する。
しかし、それに対して、放射性物質のガス(気体状)や酸化物などの 微小の塵(ちり)のようなものをが降って、それが、地上に1000ミリシーベルト(=1シーベルト)の単純積算の年間総量ぐらいのちっぽけな量を浴びても、人間は、赤ちゃんを含めて、元気のままだ。全く問題はない。
呼吸や、食物で、体内に取り込んでも、すべて体外排出される。
ばっと核爆発の光を浴びたり熱風を浴びなければ、人間は、みな、微量の放射能などでは全く被害はない。85歳まで元気で生きて行ける。遺伝子を壊されることと、小腸(消化器官の造血機能)を毀損しなければ、みな、大丈夫だ。 爆風や光を核爆発で浴びなければ人間は、なんともない。
現に、爆心の5キロ圏の外の、広島、長崎の被爆者たちは、被爆者手帳を握りしめたまま85歳までみんな元気で生きている。
がん患者で、放射線治療を受けたことのある人なら、その周囲の人も含めて、すべて知っている事実がある。それは、一回当たりの 照射される放射線は、なんと 2シーベルト毎時(パーアワー)である。それを、2か月ぐらいで、合計60シーベルトぐらい浴びるのだ。それでがんの治療をしている。
なぜ、 福島の現地で、10キロ圏でも、たったの 5から10マイクロシーベルト毎時(一時間当たり、パー・アワー 5~10μSv/hour )ぐらいの超微量に、バカげた、単純積算の、 冒頭で書いた、8760倍をかけて、それで、10×8760= 87.6ミリシーベルト年間総量(パー・イヤー) だ、と言って、「高濃度(こうのうど)だ」と、騒ぐのか。
この「放射能こわい、こわい派の、低能の、集団ヒステリーを扇動する者たち」との、闘いを、私たち学問道場は、徹底的にやります。
頑強に学問的真実を掲げて、ひとりで誠実に闘い続ける山下俊一教授を、私たちは、強く強く応援します。山下教授を守りぬこうとする福島県人たちとともに、私たちは、この 現下(げんか)の焦眉(しょうび)の、国論を二分する言論戦 を、闘い抜かなければならないと思います。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
「「福島原発のリスクを軽視している」 「安全説」山下教授に解任要求署名 」
J-CASTニュース 2011年6月14日(火) 20時22分 配信
福島第1原発から放射性物質が放出されて続けている問題で、一貫して「安全・安心説」を唱えていると受け止められている識者が、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一・長崎大学教授だ。
1年間に許容される被曝量として「20ミリシーベルト」という数字が議論になるなか、山下氏は「100ミリシーベルト以下のリスクは分からない」との立場を崩していない。これが「リスクを軽視している」と批判を浴びており、NGOは、解任を呼びかける署名活動を始めている。
山下氏は、長崎市生まれの被曝二世。1991年から約20年間にわたって、チェルノブイリやセミパラチンスクでの被曝者治療に携わっている。05年から2年間は、世界保健機関(WHO)のジュネーブ本部で放射線プログラム専門科学官を務めている。福島県の放射線リスク管理アドバイザーには3月19日に就任し、県内の講演会で「放射能を『正しく恐れる』ことが大事」などと説いている。
■「年間100ミリシーベルト」の評価
山下氏に対して解任要求をしているのは、FoE Japanやグリーンピース・ジャパンなどの環境NGO。6月10日に菅首相や佐藤雄平福島県知事に宛てた要請文の中で、(1)特に放射線量が高い地域において、避難・疎開・夏休みの前倒しを促進すること(2)子どもを含む県民の内部被ばく検査の実施、など4項目を要求。そのなかの一つに、山下氏の解任が入っている。要請文では、
「低線量被ばくのリスクを軽視し、『100ミリシーベルトまでは、妊婦も含めて安全』との言動を福島県内で繰り返しています」
と山下氏を批判。署名活動を7月6日まで展開するという。
山下氏の発言で主に批判が集中しているのは、「100ミリシーベルト」の評価と、住民を避難させる範囲についてだ。
例えば、5月3日に、福島第1原発から50キロ以上離れた福島県二本松市で行われた講演会では、山下氏は
「100ミリシーベルトで、5人くらいがんのリスクが上がることが、長年の調査結果で分かっている。100ミリシーベルト以下は分からない。明らかな発がんリスクは観察されていないし、これからも、それを証明することは非常に困難」
と発言。
「二本松は危険だから逃げろ」という声があることについては、
「とんでもないこと」
と反論。
「皆さん、現実、ここに住んでいるし、住み続けなければならない。広島、長崎もそうだったし、チェルノブイリもそういう状況。そういう中で、明らかな病気は、事故直後のヨウ素による子どもの甲状腺がんのみ。このような現実をもって話している。国の指針が出た段階では、国の指針に従うのが国民の義務だと思うので、そのような内容でしか答えられない」
と発言し、「国の指針に従うのが国民の義務」という発言が、さらに地域住民の反感を読んだ模様だ。
■「30キロ圏外でも必要ならば避難させなきゃだめ」
その後も、山下氏は「100ミリシーベルト以下のリスクは確認出来ていない」との立場を崩しておらず、5月24日発売の「週刊朝日増刊 朝日ジャーナル 原発と人間」の中では、
「1回、100ミリシーベルト浴びると、例えば細胞に傷が100個できます。1ミリシーベルト受けると細胞に傷が1個できます。100個の傷にはときどきエラーが起きますが、1個の傷は体がすぐ治します。遺伝子は傷がついても治るという生物学的な生命現象が大前提としてあるので、僕は、微量の被曝には過敏になるな、と言っているんです」
と主張。「潮」11年6月号では、
「原発の放射性物質によってがんにかかりうるといっても、がんは日本人の3人に1人がかかる病気だ。確率論的に誰にでも起こりうる病気なのに、『放射線のせいでがんにかかる』と心配して生活を台無しにしても仕方がない」
とも述べている。
ただし、住民を避難させる範囲については、前出の朝日ジャーナルの中で
「僕は飯舘や浪江、川俣の一部の数値が高いのを見て、自主避難ではだめだ、きちんと命令してあげないといけないと言ってきたんです。国に対しても、30キロ圏外でも必要ならば避難させなきゃだめだとも言ってきました」
と述べており、講演会での発言との整合性を問われる可能性もある。
6月13日に行われた福島県議会の特別委員会でも、山下氏のアドバイザー解任を求める声があがっており、今後も波紋は広がりそうだ。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【522】[574]年間の被ばく放射線量について
会員の大川です。平田さんの投稿「人が、がんや病気になる本当の理由」に同感です。
この1カ月ほど、放射線の健康への影響に関する本を読んだり、研究者が一般向けに解説しているウェブサイトを調べたり、一般公開の講演会に参加してきましたが、研究者の間では「年間の被ばく放射線積算量が100ミリシーベルト以下の場合、がんの発症を含めて統計的に有意な健康への影響は見られない」という研究結果が、概ね共有されているのだとわかりました。
ところが、ある講演会の終了後、「テレビでこの話をすると、視聴者から抗議の電話やメールが殺到するので困っている。本当は危ないくせに安全とは何事か、お前は御用学者かと言われる」、と、その研究者は嘆いていました。
1つの理由は、平常時の基準が年間1ミリシーベルトまでで、1と100の違いがあまりにも大きいので、感覚的に「100ミリシーベルトなどとんでもない」という印象を抱いてしまうのでしょう。けれども、以前もこの掲示板で会員の方々が書いていたように、よく調べれば、1という数値は研究結果に基づく数値ではなく「平常時に安全の側に立つ」考え方であることがわかります。
専門家ではない一般の者がやるべきことは、自分で本を何冊か読み、学会や研究者のウェブサイトを調べ、講演会に参加し、情報を主体的に集め、最後は自分の頭で判断することだと思います。
【521】[573]『原発事故、放射能、ケンカ対談』
副島隆彦を囲む会から、お知らせします。
次の本が6月末に 幻冬舎から出版され、全国の書店で発売になります。
【520】[572]人が、がんや病気になる本当の理由
会員の平田です。
昨日、「そういえば、国立がんセンターが放射線とがんのリスクについて、そんなに気にすることはないと発表して、そのあと政府から怒られたとか、なんとかっていうことがあったよねー」と知人と話しました。それで、その記事を探してみました。
現在、日経新聞のサイトからは削除されていますが、記事を転載します。
(転載はじめ)
●「 放射線のがんリスク、100ミリシーベルトで受動喫煙なみ 」
2011年4月25日 日本経済新聞
放射線を健康に影響が出るとされる100ミリシーベルト程度浴びた場合でも、がんの発生するリスクは受動喫煙や野菜不足並みにとどまることが、国立がん研究センターの調べでわかった。肥満や大量の飲酒、喫煙に比べると低い。低線量の放射線による健康影響を考えるうえで、ひとつの目安になりそうだ。
<放射線と生活習慣の発がんの相対リスク比較>
受動喫煙の女性 1.02~1.03倍
野菜不足 1.06倍
100~200ミリシーベルトを浴びる 1.08倍
塩分の取りすぎ 1.11~1.15倍
200~500ミリシーベルトを浴びる 1.16倍
運動不足 1.15~1.19倍
肥満 1.22倍
1000~2000ミリシーベルトを浴びる 1.4倍
毎日2合以上の飲酒 1.4倍
2000ミリシーベルト以上浴びる 1.6倍
喫煙 1.6倍
毎日3合以上の飲酒 1.6倍
(注)相対リスクは、例えば喫煙者と非喫煙者のがんの頻度を比較した数字
広島、長崎の原子爆弾で被爆した人のうち約4万4000人が、その後、どの程度の割合で肺がんなどを発症したかを長期間にわたって追跡調査した放射線影響研究所などの論文と、国立がん研究センターなどが実施してきた生活習慣によるがん発生リスクの疫学研究とを、津金昌一郎・予防研究部長らが比較検討した。
原爆で100ミリ~200ミリシーベルトの放射線を浴びた集団は浴びていない集団に比べてがんになるリスクが1.08倍だった。生活習慣によるリスクと比較すると、1日1箱たばこを吸う夫を持つ妻が受動喫煙でがんになるリスク(夫が禁煙の妻と比較して1.02~1.03倍)や野菜嫌いな人のリスク(野菜を食べる人と比較して1.06倍)よりもわずかに高い程度だった。
肥満や運動不足、塩分の取り過ぎなどでがんを発症するリスクは1.1~1.2倍程度で、放射線を100ミリ~200ミリシーベルトを浴びた場合よりも高い。
一方、男性の喫煙者はたばこを吸わない人よりも1.6倍がんになりやすい。放射線の被曝(ひばく)量でみると2000ミリシーベルト以上浴びた場合のリスクとほぼ同じだという。
津金部長は「がんは様々な要因が複雑に絡み合って発症する。放射線リスクだけを気にしすぎないようにしてほしい」と話す。
(転載おわり)
私は、この記事を読んで、100ミリシーベルトが1年間あたりなのか、1度に浴びる放射線量なのかが明確でない書き方であることが気になった。しかし、この記事は放射線に対する過剰な「コワイコワイ」を避ける意図があるのだと思う。
今、盛んに「放射性物質が危険だ」「内部被ばくが問題だ」という、放射線がキケンだキケンだ、コワイコワイと喧伝している人たちに私は言いたい。
「そんなに怖くて、不安ならば、自分が安全だと思うところへ、さっさと避難すればいいではないですか。日本から出ていけばいいではないですか」と。
原発事故が起こってしまった以上、この現実を受け止めて、生きていくしかない。現に福島市や郡山市の方々は自分の家に住み続けている。
私は、人がガンを含め病気になる要因は、その人の気持ちの持ち方に左右されると考えている。人は約60~80兆個の細胞で構成されるという。その細胞ひとつひとつにも、私は意識があると考えている。だから、私の本体が放射線、放射性物質のせいでガンになるかもしれない、病気になるかもしれない、と恐れていたら、私を構成する細胞のひとつひとつもガンや病気を恐れて、カラダに不調をきたすと考える。だから、私は心配や恐れを抱かずに暮らしている。
この日経の記事が、がんと比べているので、次の書籍を紹介したい。医学博士の土橋重隆先生の著書『ガンをつくる心 治す心』(主婦と生活社、2006年刊)である。この『ガンをつくる心 治す心』は、参考になる1冊である。
土橋医師は、「なぜ、ガンになったと思いますか?」とガン患者へ質問して統計をとった。一例をあげれば、右乳ガンには「家庭内の問題」、左乳ガンには「肉体の酷使」があったことがわかった。ここでは詳しくは述べないが、肺ガン、胃ガン、大腸ガン患者の回答にも特徴があった。
本書のなかで、「心理的ストレスこそガンの原因の中でもっとも重要なものの一つであり、再発や移転の防止にも大きくかかわっていると私は考えています」と土橋医師は述べている。
だから、私は、今ある放射性物質を怖がる必要はないと思う。そんなに放射性物質が気になるならば、放射性物質を無害化する技術に目を向ける方が現実的である。EM(有用微生物群)やゼオライトの有効活用だ。これについては調べて、次回、投稿したい。
今は、お互いを批判しあったりするのではなく、日本人みなが協力して、目の前にある困難に立ち向かい、問題を乗り越えていくことが大切だ。
【519】[571]「東電の背広たち」と「避難所を出るということ」
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
知り合いの避難民から、さっき電話で聞いた話です。
ひとつめは、避難している旅館から赤紙が来て([535]参照)、原発に働きに行っている作業員の人の話。4日間仕事に行って、3日間休みで帰ってくるんだって。仕事に行くときは、本当にみんなで毎回送り出してやってるんだって。
上等の背広を着た東京電力の社員が東京からJヴィレッジまで来るそうです。その作業員の人が同じ部屋に入っていくと、その東電の社員は「お前らはここに来ないで、さっさと仕事に行け!」と言われたそうです。そして、「こんな放射能濃度の高い、危ないところに来るのは嫌だ」とか言うのだそうです。
あるときは、東電の背広たちがひとつのパソコンの前に群がっていたので、その作業員の人がなんだろうと思って覗(のぞ)くと、ゲームをして遊んでいたんだそうです。
また、あるときは、その作業員の人が、仕事が終わって、あの暑い防護服を脱いでシャワーでちょっと汗を流してから帰ろうと思い、東電の社員にシャワーを使っていいか聞くと、「お前らはダメだ。社員専用って書いてあるのが見えないんか」と言われたんだって。
もうひとつは、避難している旅館に東京電力の社員が3人、説明に来た話です。なんの権限もないその東電の社員は、型どおりの説明をして、あとはこちら(避難民)の話を聞いて頭を下げるだけ。お話を聞いて上に伝えます、という係り。わたしの知り合いの避難民の人は、作業員から聞いた上記の話をして、泣きながら文句を言ってやったって。「東京のど真ん中に原発を持って行け!」と言ってやったってさ。
その人は、原発避難民です。津波の被害はなかったけど、20km圏内に家があるので帰れません。でも、このたび避難している旅館(むなしい三食昼寝つき)を出ることを計画しているそうです。なぜなら、以前の仕事に戻れそうだからです。それには職場(お店)に通えるところに家を借りなくてはなりません。「通えるところに家を借りられたら連絡してくれ」と店長に言われたそうです。仕事をしたいけど、そのためには住むところが要る。住むところを借りるには、仕事(お金)が要る。なかなか大変な状況です。よく旅館を出る決心をしたなあと感心します。実際にやるのは大変なことです。そういう気力が出てきて、よかったなあと思います。 以上です。
【518】[570]福島復興活動事務所開き 報告2:国道288号線 原発から20km封鎖地点
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
6月4日(土)に学問道場・福島復興活動事務所開きでみなさんと原発から20km封鎖地点に行った報告です。
午後1時からの副島国家戦略研究所(SNSI)メンバー・高野亮さんと副島先生の講演会が始まる前に、副島先生を先頭にして、お弟子さんと会員のみなさん(総勢30人くらいかな)で、すぐ近くの20km封鎖地点にぶらぶらと歩いて行きました。わたしたちがたどり着く前に、機動隊員が警察のワゴン車に付いている拡声器で「道路に広がらないで下さい」「一般の交通がありますので、広がらないで、歩道に上がって下さい」と大きな音で言いました。封鎖で行き止まりなんに、車なんか来(き)ねぇだんべ。
先頭の副島先生が、マスクをして手術用ゴム手袋みたいなのをはめた機動隊員(静岡県警のわけえし4人くらい)のところに着くと、さっそく怒鳴り始めました。「余計なことを言うな!」「おまえらが大きい声で何か言えば、こっちが怖がって言うことを聞くと思っているのか!」わたしは、きゃ~、副島節キター!と喜んで周りを見回すと、みんな真面目な顔をしている。ゆみこ、喜びすぎ。不謹慎。
副島先生「なんで封鎖してるんだ」
機動隊員「危険だからです」
副島先生「何という危険があるんだ」
機動隊員「・・・」
副島先生「なんという法律に基づいて封鎖してるんだ。言ってみろ」
機動隊員「・・・」
ケンカ番長・副島先生を先頭に、いい大人が30人もぶらぶらやって来て、怒られたり、難しくて答えられないことをいろいろ聞かれた機動隊員たち、おやげない。危険を感じた機動隊員の一人がワゴン車の中の通信機で本部に連絡をしている。応援を呼んだのでしょうか。
機動隊員はあまり賢くないことが分かったので、もういいか、ということで、みんなで立ち入り禁止の看板や機動隊員の前で副島先生と記念撮影。わたしは自分が先生と撮り終わったので、隣にいた機動隊員に聞きました。「おまわりさんも、先生と一緒に写真撮る?」すると「いえ、職務中ですから」と断られました。
20km圏の住人は許可証があれば中に入れるそうです。封鎖しているすぐ後ろ脇に民家があったので、「あのお家の人も許可証が要るんですか」と聞くと、「あそこの人は要りません。厳密に言うとここは20km地点よりちょっと出たところなので。厳密に20km地点で封鎖すると、Uターンとか出来ないのでここで止めてます」とのこと。へえ。
またぶらぶらとみんなで歩いて復興活動事務所に戻りました。
すると、さっき呼ばれたのであろう応援のパトカーや大きな青いバスや黒塗りのワゴン車がやって来ました。副島先生が大きな青いバスの警官とやりとりをしているのを、わたしは遠くから見ていました。しばらくすると、副島先生が警官に「行ってよし」という合図をしているのが見えました。ふつうとは完全に立場が逆転しています。さすが、番長!あとで先生に聞いたら、先生は警官に「わざわざ来るな」と言ったんですって。そしたら警官が「はい」だって。先生は「やっぱりわざわざ来たんだよ。人間本当のことを言われると、はい、とか言うんだな」とおっしゃっていました。なるほど~。
それから、機動隊員たちが華奢(きゃしゃ)で弱っちかったので、先生が「あいつら静岡県警でいじめられてる奴らだったりして。お前ら行ってこい、とか言われたのかな」なんておっしゃってました。ほんと、そんな感じでした。彼らもワケが分からずに、ふつうの人と同じように「放射能こわいなあ、でも仕事だからなあ」と思いながらあそこに居たのかもしれません。わたし達がマスクも何にもつけないで大勢来たので、「あれ?放射能ってもう大丈夫なのかな」と内心ほっとしたかもしれません。
わたしたち学問道場のメンバーは、20km封鎖地点に仕事で仕方なく居る機動隊員たちを、安心させてあげました。いいことしたな。 以上
【517】[569]最終処分場
処分場の件
読まれた方も多いと思いますが、時事通信にでていました。
筋書きはもうできているようです。
最終処分場、福島県内に=放射能がれき処理で―環境次官
時事通信 6月9日(木)17時4分配信
南川秀樹環境事務次官は9日、東京電力福島第1原発事故で放射性物質に汚染された、福島県内の災害廃棄物の焼却灰などを埋め立てる最終処分場について「県外は考えにくい」と述べ、同県内に整備する考えを示した。福島県庁で佐藤雄平知事と会談後、記者団の質問に答えた。
ただ、南川氏によると知事は会談で最終処分場の県内受け入れには「今『はい』と返事はできない」と即答を避けたという。
【516】[568]道場開きに参加しました
広島の西です。
6月4日(土)の福島復興事務所開きに参加しました。副島先生はもとより、準備をされたスタッフの方々、料理をして下さった副女の皆さん、ありがとうございました。広島くんだりから行った甲斐が十分ありました。
まず会の開始前に、道場から徒歩15分程の関所(?)まで歩いて行くことに。その途中、道場から目と鼻の先にある坪井モーターズという地元の自動車修理工場の事務所にいらっしゃった方と目が合いご挨拶。関所を見学した後、またご挨拶したら親切にも中にお招きいただき、お茶をご馳走になりました。
事務所はちょっとしたミニサロンのような状況で、地元の人達が立ち寄っては、今後のことも含めた話をされているようでした。私達がお邪魔した際も、オーナーご夫妻の他、非難区域20km圏内に家がある為、現在は別の地区のアパートで暮らしている方も来ておられました。その方は津波で被災した人達の住宅を作って受け入れることを考え、地元の若い人達に話をしてNPOを立ち上げる構想もあるとのことです。
またその後道場で話した、いわき市の男性は、地元で会社を経営しておられ、今後は自社製品は風評被害を受け県外での売り上げ減は避けられないとの見通し。しかし、それだからこそ、福島県内で持ちつ持たれつという精神でお互いに協力して流通させる仕組み作りに向けて話し合いを開始されているとのことでした。
このように地元では復興に向けて、自ら考え行動する気概を持つ人々もおられることが分かりました。いずれの方も「ここで生きていくわけですから」といったようなことを仰ったのは、あきらめという消極性ではなく、ある種の郷土愛に基づいた、腹の据わった考え方だというのが感じられました。恐らくは66年前の広島、長崎もこのようにして復興してきたのでしょう。私自身被曝2世ですので、私の祖父母の世代の人達が、当時は全く危険性が分かっていなかった放射能まみれの中、町や産業を復活させてきたその精神を福島の人達の中に見た思いがしました。
今回の原発事故やそれに至る道筋またその後の後始末などは、ここ何年か何十年かの日本で、小さいことから大きいことまで通奏低音のように響いていることが象徴的に凝縮されている感じがします。つまり、『面倒なことや考えたくないことは全て人に丸投げし、かつ、結果起こった不利益も人のせいにする、終始一貫して無責任』ということです。もちろんこれは私にも当てはまります。全く持って不徳と致すところです。政治家も企業も国民もいつの間にかこんな感じになっていた、、、そんな気がします。副島先生が「ヒトゴトとしてではなく、自分のこととして」と繰り返しおっしゃいましたが、福島に行ったことによって、私自身が責任感を持って復興するためのメンバーの一人であるという意識が高まりました。
続いて、一緒に参加した田端から一筆令状を。
ともあれ福島に行ってみよう見てみよう…との単純な動機による「福島復興活動本部」事務所開きへの参加でした。学問道場の会員ではありません。
遅蒔きながら3・11から副島隆彦氏の発信に共感するようになりました。そして導かれるかのように20キロ地点に…。今も残って頑張っている住民は「ここらは原発で生きてきたんだから、事故処理は住民もしなきゃ。それが落とし前よ」と力強く語り、事務所開きの講演会にも参加されていました。
美しい阿武隈山系に囲まれた緑豊かな田園地帯での暮らしを取り戻すには、住民自らの強い意志と行動力が何より大切だと思います。そのための支援をするのが学問道場福島復興本部なのだと認識しました。微力ながら奈良から応援を続けます。
【515】[567]活動本部に行きました
6月4日と5日、福島復興活動本部の事務所開きに参加しました大川晴美です。
活動本部では学問道場会員の皆様、地元の方々、スタッフの皆様とお会いして、原発や放射線のことなど様々なお話を伺うことができました。焼き鳥、おにぎり、福島県産のネギ、しいたけ、きゅうり、レタスも美味でした。そして!!!尊敬する副島先生にお会いして興味深いお話を伺ったり(人間よりも猫がお好きとか)、一緒に写真を撮ったり、最後は握手までしていただきまして、副島先生のファンとして夢のような時間を過ごすことができました。ありがとうございました!!!
ところで、年間の被爆放射線量は、何ミリシーベルトまでなら健康に影響がないと言えるでしょうか。
午後の講演会で、高野先生は年間20ミリシーベルトまで、副島先生は200ミリシーベルト以上でも大丈夫、と意見が分かれましたが、私は発がんリスクという観点から年間100ミリシーベルトまでが基準になると考えます。1つの根拠は、山下俊一長崎大学教授による「広島・長崎の調査では、年間100ミリシーベルト以下の被爆では統計学的に発がんリスクに明らかな影響は見られなかった」という説で、東京工業大学の松本義久准教授も同様の説明をされています。
しかしながら、がんのリスクは年齢、体質、生活習慣(たばこ、飲酒、食事、運動、ストレス)の影響も大きいうえに、同じ放射線量でも一回に浴びると影響が大きく、長期にわたって少しずつ連続的に浴びた場合は影響が小さいのだそうです。また、がん以外の不妊、胎児への影響、脱毛、白内障などでは、それぞれ「しきい値」(境目)が相当異なります。
結論:これらの情報を参考にしながら、各自のライフスタイルや価値観に基づいて、最後は自分で判断するしかありません。そのためには、避難するかしないかを含め、選択の自由も保証されるべきでしょう。
【514】[566]福島で見聞きしたこと。【第三部】
【第三部】
根尾知史です。福島復興活動本部として借りている元コンビニの建物の大家さんの奥さまが、震災当日の様子を話してくださいました。
大屋さんご夫婦も、福島第一原発から20キロ圏の検問所から、1キロくらい外側の場所に住んでいます。
3月11日(金)の地震があった日の夜は、富岡町や浜通りなど他の町からたくさんの人たちが、わっと避難してきたそうです。
その夜は、その人たちのためにおにぎりを握って、差し入れをしてあげたりしていたそうです。
ところが翌3月12日(土)になって、家の近くに見たこともないくらいたくさんの車が押しかけてきた。どうやらそれは、東電の職員たちで、彼らは住民よりも先に、逃げて行ったそうです。
そのうちに、町内放送で「集会所に避難してください!」と流れたので、自分たちも訳もわからず、着の身着のままで避難した。
そのときは、まさかそれから2ヶ月も避難所生活が続くとは、さすがに思わなかったわ、と言っていました。
このとき避難した地元の方たちの中には、原発20キロ圏内に住んでいた方たちもいて、その人たちは結局、3月11日以来いちども自宅に帰っていそうです。衣類とかを取りに帰りたいと言っているそうです。
福島第一原発から20キロ圏内の人口はおおよそ7万人で、約27,000世帯いるそうです。
復興活動本部がある福島県田村市の都路(みやこじ)という地区は、とてものどかな田園地帯で、海風も吹いてすがすがしく、夏もそれほど暑くはならず、自然が豊かで美しい場所です。
地震が起こる前は、田舎暮らしを求めて都会から移り住んでくる「リタイア組」に人気がある地域であったそうです。
坪当たり1万~5万円くらいの単価で一軒家を購入できるので、都会の人は喜んで家を購入していたということです。
地元の方と話していて、避難した地域の家庭で買われていたペットの話になりました。彼女はしみじみと、「犬、猫が一番かわいそうだったよ」と言っていました。
地震のあと飼い主が急にいなくなって、1ヶ月も2ヶ月も戻って来ないまま餌ももらえず、家の中に閉じ込められたり、鎖に繋がれたままにされていたからです。
知り合いのところで飼われていた犬は、地震のあと、20日間くらおいてけぼりにされたショックでボケてしまっていて、主人が戻っても分からなくなってしまっていたそうです。
名前を呼んでも、ぼーっとしているだけで反応を示さなくなって、感情が無い犬になってしまったそうです。ただ、餌をやると餌だけは食べるから本当かわいそうだ、と言っていました。
その女性の息子夫婦が、郡山(こおりやま)に住んでいて、奥さんが妊娠しているそうなのですが、震災後は、その息子夫婦の家を訪ねても、放射能が(移るから?)危ないから、嫁さんには近寄らないでくれ、と言われるのだそうです。
野菜などおみやげで持っていっても、「都路(みやこじ)の野菜は持ってこなくていい」と言われた、と寂しそうに言っていました。「都路の野菜だって、ちゃんと放射線量を測定してもらって、食べても大丈夫だと言われているのにねえ」ということなのです。
「とにかく、人が帰ってこないのよ。放射線量も測ってもらって大丈夫だと言われてるのに。もう帰ってきても大丈夫だよと、(政府に)言ってもらえたらいいのにねえ」と、やるせない表情でつぶやいていました。
調査や作業やに来ている東電の人や自衛隊の隊員たちも、20キロ検問所の警備のために全国から呼ばれている警察官たちも、20キロ圏の境界線から一番近い、この都路(みやこじ)にある旅館に泊まればいいのです。
それをわざわざ、これ見よがしに、そこからさらに車で一時間も離れた飯坂まで帰って、寝泊りしてるんだよ、とも言っていました。
都路の地元の方々は皆、あと1年は、今の状況が続くだろうと考えているそうです。
避難所生活では、朝昼晩の三食がただで食べられて、皆でいられて楽しい、と思ってしまって、おじいちゃん、おばあちゃんや、あるいは、もらえる物をできるだけもらおうとして居続けて、家も壊れてないし、放射能汚染ももう問題ない数値になっているのに、避難所からいつまでも離れない避難者たちもいます。
副島先生が、津波をかぶって家も何もすべて失った「被災者」と、原発のせいで無理やり避難させられている「避難者」とは、はっきり区別しなければならないと言っている意味を、もういちど、私たちも、自分たちの頭の中でもよく考えて、より正確な、現場の現実を理解する必要があります。
私が訪れた都路(みやこじ)の古道(ふるみち)の人たちは、家も壊れていなくて、放射線量も1日3回、各行政地区ごとの役場から公共放送が流れて公表されていて、数値的に問題ないレベルにまで下がっています。
それなのに、20キロの境界線のすぐそばの21キロの地点に住む住民は、まだ今でも半分以上が家に帰っておらず、30キロ圏内でもまだ不安だからといって、いつまでも政府が用意した避難所に住み着いて、自宅に帰ろうとしない人々が大量に出てきているのです。
こうした人たちが今後どのようになって行くのか。すでに現在でも、ただでもらえる支援物資や食料や、そして、一番問題の補償金をどれだけもらえるか、ということばかり考えるようになっているという現実があるのです。
周りから「かわいそうな避難民」というレッテルを張られて、そのなかで福島県民全体が、「かわいそうな県民」として、どんどん堕落していくことが恐ろしいと、副島先生が復興パーティーで話されたとおりです。
最後は、「世界のフクシマ」とおかしく世界に認識されるようになって、まるで他国から「チェルノブイリ」のように、扱われる地域になってしまうでしょう。
これが、世界が(アメリカが)、福島県を「世界の核廃棄物処理場」にすると決めた、恐ろしい計画を遂行するために利用されるのです。
これまでに繰り返し書いてきたとおり、福島県の20キロ地点の地域は、すでにすべてが平常に戻っています。
違うのは、20キロ地点に警察が勝手に検問所を置いて、法的にも科学的にも根拠が限りなく曖昧なままなのに、勝手に違法な立ち入り禁止命令を言い続けていることです。
そしてそのために、いつまでも避難所から帰ってこない住民が、まだ8割くらいもいるという事実です。
「避難所から避難してきたんだよー」と言っていた、元気な農家をやっているおばあちゃんの以下の言葉が、正しい真実を物語っています。
「あんなところにいたら、人間がおかしくなっちまうよ。とっとと帰ってこなきゃだめだ!おれは、先にさっさと逃げ帰ってきたよ。いま、自宅を掃除してきれいにして、野菜とか自分の分だけでも軒下で植えて、今年はダメだっけども、来年また、農作業を始められるように、今から準備はじめねばならねんだ。避難所で、ぼーとして、喜んでる場合でないって。だから、先に出てきたおれの方が頭いいんだってば」
根尾知史拝