重たい掲示板
書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。
旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください
書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください
※ログイン後に投稿フォームが表示されます。
Loginはこちら【537】[596]日本では甲状腺への影響は出にくい。
壮快 2011年8月号の一部分
日本では甲状腺への影響は出にくい。
東京電力福島第一原子力発電所の事故が、日本全体に深刻な被害をもたらしています。日々放出され続けている放射性物質が健康に与える影響を、懸念されているかたも多いでしょう。
放射性物質を含む飲食物を摂取する場合、放射性物質の吸収をおさえて、放射線による影響を軽減することができます。その工夫の一つが、食生活です。
旧ソ連(現在のウクライナ) で起こった、チェルノブイリ原発事故を例に考えてみましょう。
チェルノブイリ原発事故では、近郊のキエフなどで、子供たちに甲状腺ガンが多発しま
した。
一方、ポーランドでも大量の放射能を感知しましたが、ポーランドの子供は、ほとんど甲状腺ガンを発症していません。
これはなぜでしょうか。
甲状腺には、ヨウ素が多く存在します。このヨウ素が不足していると、体内に入った放射性ヨウ素が甲状腺にたまって、ガンを引き起こすのです。
海から離れたキエフでは、ヨウ素が豊富な海藻などを摂取する習慣がなく、慢性的にヨウ素が不足していました。しかし、北部が海に面したポーランドでは、ヨウ素を摂取する機会に恵まれていました。この食習慣の違いが、ガンの発症率に影響した可能性があるのです。
このほか、旧ソ連は事故の情報をしばらく公にしなかったため、放射性物質によって汚染された牛乳を、住民が数年間飲み続けていました。
また、ポーランド政府は、原発事故後にヨウ素剤をすぐ住民に配布したのに対し、旧ソ連ではそうした配慮がなかった点も、明暗を大きく分けたと考えられます。
日本でも、コンプなどの海藻は非常に身近な食材です。また、厚生労働省の定めた暫定基準値を超えて放射性物質が検出された食材は、出荷が制限されるため、市場で流通していません。
このため私は、食品による内部被曝(呼吸や食事によって体内に入った放射性物質から放射線を浴びること) に限っていえば、日本ではキエフのような甲状腺への影響は出にくいのではないか、と考えています。
前川和彦先生
昭和42年、東京大学卒業。
(独)放射線医学総合研究所緊急被ばくネットワーク会議委員長。
放射線事故医療研究会代表幹事。
1999年9月に起こった茨城県東海村でのJCO臨界事故の際、救急医学の専門家として
被曝した作業員の救急治療に当たった。
【536】[592]浪江町の住民からの ここの文章の削除依頼を、拒絶しました。
副島隆彦です。 今日は、2011年6月21日です。
以下に転載するメールは、福島の津波被災者 および 原発避難者がたくさんいる、浪江町(なみえまち)の住民(原発から10キロぐらいだから、当然避難している)で育った人からのメールです。
要旨は、「自分は、学問道場の 以下の記述を読んで、誤認だと思い、かつ傷ついた。 削除を要求します」 である。 私は、その要求を認めず拒絶しました。その理由は以下の通りです。
この浪江町出身者 からのメールは実にしっかりした内容であり、かつ自分の実名(本名)で書いてきていましたので、私はまじめにお相手しました。 最後に、「名前を伏せて載せてください」と返事があった。
私、副島隆彦が、もう10年間も、学問道場のルールとして、厳しく、実名、本名、姓名(姓と名の両方)で投稿文を書きなさい。それは一般新聞の投稿欄と同じだと、書き続けて、ようやく「匿名、仮名、名無しのごんべえを排除する」という ルールが私たちの学問道場のルールとして確立してきました。それでも、まだ仮名、変名で書いてくる愚か者がいます。
よっぽどの理由がなければ、仮名、変名は、許しません。 それは、言論の自由(日本国憲法では21条)を守るための切実な要素であり、自分の文章に責任を持つ、と言う大事な原理に基づくからです。 匿名、仮名で、無名で文章を書いて、それが立派な行動である、と思い込めるような者には、ロクな人間はいない。
最近、弟子のひとりに聞いた。日本でもあと2年したら、Facebook フェイスブックのSNS(ソシアル・ネットワーク・サービス)が主流になって、ツウイッターでさえ、追い落とされるそうです。 私は、フェイスブックは、「ハーヴァード大学の同窓会名簿から始まった、情報交換、意見公開のネット言論手法であるから、特権的で閉鎖的であると感じて、あまり好きになれなかった。しかし、その徹底的な 実名投稿主義には注目していた。
日本人は、背骨が曲がっている人間が多くて、堂々と自分の名で、意見を公表する精神が希薄だから、私は、このことを激しく嫌ってきた。「権力者からの弾圧が怖い」とか「書いだことが周囲にばれて、自分が自分に及ぶから」という 歪(ゆが)んだ考え方がまだ、まかり通っている。この劣等な国民文化を、を叩き壊さなければならない。
あの昨年来のエジプト民衆革命でも、フェイスブックが果たした役割が大きいという。エジプトの若者たちは、フェイスブックに実名で書いて、ムバラク政権の秘密警察に捕まる危険を恐れることなく、実名・本名で書くことで、国民どおしの横の連帯と信頼を築いて、それで民衆革命を一程度まで成功させた。あとは、ムスリム同胞団という温和なイスラム思想に基づく7割のエジプト国民の支持を持つ、長年の国民政党が、今の優れたトルコ(エルドアン政権)をお手本にして、温和で堅実な政権による国民政治になろうとして努力している。
日本のネット上でまかり通っている、匿名、変名、仮名、無名の投稿文化を、フェイスブックの運営体は、即座に拒絶したそうである。 そして、実名、本名で書かない者の文を、削除するそうだ。 だから、私は、フェイスブックのこの大方針を、強く支持する。
世界民衆の平等な団結による世界政治の、 特権層、支配層からの 解放を、私たちは希求(ききゅう)し続けます。
それでは、浪江町の元住民からのメールを載せて、それに対する私、副島隆彦からの返事も載せます。
なお、この重たい掲示板(学問道場の総合掲示板)への投稿が会員しかできなくなったのは、誰でも投稿できるようにしていたら、5年ぐらい前に、私たちへの激しいウイルス攻撃がありまして、それで、仕方なく会員しか書けなくしました。
(転載貼り付け始め)
From: ***********
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp
Sent: Monday, June 20, 2011 9:37 AM
Subject: 浪江町の者です。
こんにちは。突然のメールで失礼致します。
私は東京在住ですが、実家が福島県の浪江町にあり、今回の原発事故のため警戒区域となり、年老いた両親が避難中です。
先日からtwitterやblogなどで、副島さんの以下のページから大きな誤解を招いており、それが元でひどく叩かれております。
「大熊町、双葉町、浪江町、富岡町 の住人たちは、今でも東電関連の企業から給与が出ていて、ほかにも漁業権や 定住による裏補償などで1人3000万円ぐらいの収入があったそうです。1世帯4人だと実に1億2000万円になります」
https://www.snsi.jp/bbs/page/1/page:5
私たち、少なくとも原発立地町ではない浪江町までもあたかも全住民が3000万円をもらっているような書き方で(もちろん副島さんの文でないことは存じております)、非常に憤慨を覚えております。原発立地町でも、こんな大金をもらっていると聞いたことはありません。
決して決っして事実ではありません。6人家族の我が家が1億8千万もらって、なぜ78歳の父はまだ働かなくてはいけないのでしょうか? しかしながら副島さんのこのblogは非常に影響が大きく、多くの方がこれが真実だと思い込んでいます。
東電や政府からの補償も決まらず、先が見えない大きな不安でそれでなくても精神的・肉体的苦痛を受けているうえに、世間からの大きな誤解がさらに追い討ちをかけ、地域住民は苦しんでおります。少なくとも、浪江町は東北電力の原発立地計画を断固拒否し続けた町です。
訂正なり削除を希望致します。
これ以上被災者を苦しめないでください。お願い致します。
*****
**** さまへ
2011年6月20日
副島隆彦から
メールをありがとうございます。
**さまの ご主張は分かりました。しかし、誰かがどこかの町を代表したり、ひとつの意見がすべての真実を表わすこともできません。
**様の 主張も 意見のひとつであります。 私の弟子たちが運営します学問道場 の 掲示板への 投稿文も 私たちの会員のひとりの 意見です。
意見と、事実(真実)は、どうせ 明確には区別できません。 ですから**様の意見も尊重しますが、 それを事実として、そのまま受け入れることも出来ません。
私は**様が、私たちの学問道場の文をよく読みに来て、それで、ご自分のご意見を言われるのなら、会員になって、そして会員どおしので、実名での 投稿 でのやり取りとして、意見の優劣を争っていただきたい。
私も、浪江町や双葉町(ふたばまち)の住民たちのすべてが東電関係者で、東電に長年、世話になって、東電から、漁業権の放棄の見返りの補償金として数千万円ももらい続けている人たちだとは思いません。しかし、そういう人たちもたくさんいるようです。私は何回も現地に行っています。
避難した人たちから私はあれこれ話を聞いていますから、大抵の真実は、私も把握しています。 原発御殿(げんぱつごてん)もたくさん見かけました。立派な枝ぶりのあの家に住みたいな、と私は思いました。 現実の世の中は、綺麗(きれい)ごとでは済みません。最後は、お金の支払いの問題になるのです。
それと、原発から10キロ圏ぐらいの双葉、浪江、大熊の人たちは、総じて、長年、東電の世話になってきたので、だから今でも東電の事故責任を追及したり、避難する者がほとんどいない、という大きな真実を、私は知っています。
私の携帯電話は、********* です。いつでもお電話ください。ご意見はお聞きします。
意見は、あなたおひとりの意見として、書いてください。あなたが、浪江町(なみえまち)全体とか、原発避難者 ( 津波の被災者とは、重なる人もいますが、区別してください) のすべてを代表することは出来ません。あなたはあなた一人しか代表できません。 このことを分かってください。
ですから、あなたがお書きの 「 世間からの大きな誤解がさらに追い討ちをかけ、地域住民は苦しんでおります。少なくとも、浪江町は東北電力の原発立地計画を断固拒否し続けた町です。 訂正なり削除を希望致します。 これ以上被災者を苦しめないでください。」 を、私、副島隆彦は、納得しません。
上記の文の投稿者と 議論をしたいならば、その旨を お書きください。あなたからの文を、このまま、重たい掲示板に 載せようと思います。いかがでしょうか。
私は、人間の 言論の自由を委縮(いしゅく)させる一切の 行動と 闘いつづけます。最近は、「自分たちは、ひどい目に遭っている社会的な弱者である。弱者をいじめるような、そういう 書き方で、自分たちは深く傷ついた。文章の削除を求めます。謝罪もしてください」というような角度からの、許しがたい、言論の自由への攻撃が多くなっています。
私たちの学問道場 の 大方針(創設以来の決まり)は、真実(事実)であり、それが公共の利害(パブリックインタレスト)である限り「すべてを暴(あば)け」 すべてを書け、であります。
**さまも、会員になっていただいて、「事実誤認であり、自分にとって不愉快な」その文の投稿者と堂々と議論をしてください。 お返事をお待ちします。
副島隆彦拝
(以上、拙メールに 加筆のうえ 転載貼り付け 終わり)
副島隆彦拝
【535】[591]避難所生活3ヶ月、そろそろ気力、体力が落ちてくる・・・それを政府と東電は待っている
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
浪江町から内陸の旅館に避難している知人から、こんな噂があると聞きました。
—————————
テレビで“専門家”が「避難所生活も3ヶ月もすれば慣れて、皆さん落ち着いてきます」なんて言っているが、本当は、政府はみんなが心身ともに弱るのを待っている。3ヶ月もすれば年寄りや病弱な人は死んでいく、20km圏内の犬、猫も死んでいく、若い人(働ける年齢の人)も気持ちが萎(な)え、体も鈍(なま)ってくる。働く気力や、東電、政府に抗議する気力もなくなってくる。政府はそれを待っている。
—————————
浪江の人が言うには、確かにこの避難している旅館でも、以前は毎日のようにお互い原発の話をしていたが、最近はめったにしなくなった。みんな「なんだか体が鈍って、働く気にならねぇなぁ」なんて言っている。避難民仲間で、休みの日に帰ってくる原発作業員を、また原発の仕事に送り出すとき、以前は涙ながらに送り出したのに、今は平常心で日常のこととして送り出すようになった。 以上
【534】[590]福一原発への道路整備作業 50歳代 1日2時間で5万円
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
6月6日に聞いた話。友人の親戚のおじさんが、前から東電の下請け会社で働いていて、現在福島第1原発に続く道路の整備をしている。地震、津波、爆発などでがれきが散乱したり痛んだりした道路を直している。若い人はまだ子供が小さい、あまり年齢がいくと体力がない、ということで、そのおじさんは50歳代だからちょうどいいので作業に送られる。作業は1日2時間で5万円、おむつをはいてやるそうだ。
【533】[589] T.D.Luckey博士のメッセージ 日本に贈る-視点
Journal of American Physicians and Surgeons Volume16 Number2 Summer 2011
放射線の生物学的効果 日本に贈る-視点
(以下抜粋 ※印は当方が追記)
世界のメディアの大半が放射線は全て有害であると思いこんでいる。もし日本政府が2011年3月の地震と津波がもたらした福島原発事故への対応にあたって、こうした思いこみに支配されるのならば、すでに苦況に喘ぐ日本経済が途方もない無用の出費に打ちのめされることになるであろう。ミハイル・ゴルバチョフが遅くに失して思い知った次の教訓を日本も学ばなければならない。
「20年前にチェルノブイリで起った原子炉のメルトダウンが、おそらく5年後のソビエト連邦崩壊の真の要因であった」
放射線にはホルミシスの性質がある。ホルミシスという概念はメディアにも政府にも一般的に理解されていない。少量なら有益である一方大量では有害というものである。このような効果は約40種の必須栄養素、全ての薬品および大多数の物質において生じることが知られている。(※産業では放射線は積極的に利用されている。自動車タイヤやプラスチック成形では放射線を照射して組成を強化したり、静電気予防に実用化されている。食品への照射は日本ではじゃがいもの発芽予防のみ許可されている)
慢性、急性いずれの放射線被曝にもホルミシスが見られる。核降下物の影響を理解するには、有益から有害までの全域にわたる放射線の考察を欠かすことはできない。
1.放射線は生命にとって不可欠である
小エビ、原生動物、マウスおよびラットに放射線の全くない環境を人工的に創り出したところ、放射線が生命に不可欠であることを示す説得力のある証拠が得られた。
低線量放射線が実験動物にも人間にも健康によい刺激を与えることは2000を超える科学論文により裏付けられている。(※T.D Lucky、Muckerheide Jら国内外の研究)
これらの論文では世界中で高い自然レベルあたり(3ミリシーベルト/年(mSv/y))でも真の健康には不十分であることを示唆している。
2.最適な慢性(継続的)被曝の場合
最低発ガン死亡率と最長寿命へと繋がる最適な放射線量は年間約100mSv(mSv/y)(※1時間あたり11μSv)である。健康によい効果が現れる境界は年10mSvであり、悪影響は年間10Svである。(※1千倍の幅に注目:本文中ではGyグレイであるが等価と見なしてSvとしている)
この事象の裏付けは台北のマンションである。1982年からコバルトが含まれた鋼材により20年間約1万人が高線量の環境で生活をした。平均被曝線量は年間50mSvである。この結果住民の癌による死亡率は台北の平均を下回る10万人あたり3.5人に過ぎなかった。同様に米国内での屋内ラドン濃度と肺ガンによる死亡率の相関も見付けられていない。(※米国の建築基準法で地下室などにラドン濃度の上限基準が設けられている。ラドンが肺ガンの原因という理由で制定されたいきさつがある。)
3.急性(一時)被曝の場合
急性被曝は日本のデータに基づいている。広島放射線影響研究所(RERF)では広島・長崎のガン死亡率を爆心地から3-10km(市内)の人々とそれ以上離れた人々の比較をしている。
(検証1)
3-10kmの人々はある程度の放射線を原爆から直接浴び、さらに残留放射線からも被曝している。原爆生存者120,321名の総死亡率は490mSv未満では増加していない。
(検証2)
広島・長崎ともに10-19mSv被曝した生存者7,430名のガン死亡率は、1000人あたり68.5人である。全生存者の70%を占める被曝線量200mSv未満の生存者28,423名のガン死亡率は1000人あたり76.6人であり、広島郊外の村落と変わらない。
RERFは市内のガン死亡者が市外よりも少なかったという比較結果をなぜか発表していない。
(検証3)
1954年3月ビキニ環礁での水爆実験で放射性降下物で被曝した23名の漁師の事例からも窺える。全員の全身被曝量は1.7-5.9Svで急性疾患に罹った。最大線量の被曝者を除き癌を患うことなく20年以上生存した。
4.放射線に被曝したとしても
これらの経験から、慢性または急性被曝の重要な指針となるはずである。核事故や核爆発時には心理的ケア、怪我による負傷、食料・水・住居の支援が必要であることは言うまでもない。
慢性的被爆者についての指針は簡単である。年10Sv未満(1mSv/h)は救援・救護側に廻るべきなのである。
T.D.ラッキー博士
ミズーリ大学生化学教授(1054-1968)退職後名誉教授。NASAアポロ計画にて宇宙放射線環境の安全性を研究する過程で、適度の放射線被曝は「人体に恩恵をもたらす」ことを発見し「放射線ホルミシス効果」と命名して世界へ発表した。
※全文の入手先 茂木弘道氏 http://hassin.org/まで
【532】[588]福島から報告します2
連投失礼します。明日・・・などと書き込んでしまいましたが、「やはり待っていられない、福島にはこういう優れた意思を持った方がいるんだ、彼らを放っておくのは単純に私達にとって損失なんだ」ということを、どうしても声を大にして言いたいので、報告を続けます。
(転載始め)
吉見 おさむです。
2011年6月18日の日誌です。
今回は長くなるので、前半と後半にわけています。
以下が前半です。
朝起きてトイレにブラシをかけました。
2階の掃除をやりなおしました。未だ不十分で、少し落ち込んでいます。
12時にKさん、Kさんのお父様、Sさんが事務所にいらっしゃいました。
冷蔵庫に残っているやきそばをKさんが調理されました。美味かったです。
お三方が調査等をされるのに私も同行させてもらいました。
この後、なにからなにまで全て、お世話になりました。
Kさん、Kさんのお父様、有難うございました。Sさんにもよろしくお伝えください。
平伏沼という、山の頂上にある沼に向かいました。モリアオガエルという蛙の産卵地です。
http://www.kawauchimura.jp/seeing/showplace/hebusu.html
後で話を聞くと、蛙ではなく、沼が天然記念物なのだそうです。
途中の民家には人がいないようでした。道中の399号線の途中で木が土砂崩れで倒れていました。川内村の途中は0.45μSvでした。
道中、「飯館村の地表では20から30μSvのところがある」とSさんがおっしゃっていました。
平伏沼の手前180メートルまでは車でいけたのですが、それから後は徒歩で細い道を行きました。ここをSさんが測定したところ、1μSvでした。
「パワースポットのよう」「タイムスリップしたよう」と川原さんが仰っていました。
到着してみると、沼がほとんど干上がっていて、果たしてこれで大丈夫なのか?とその時は思いました。後で出てくる蕎麦屋の職人さんは「大丈夫!」と言っていました。
「うまわるや森の?は阿武隈の沼べ水栖のかげ 草野心平」と彫られた石碑がありました。ここをSさんが測定したところ、0.78μSvでした。
帰る途中で落石がありました。
平伏沼から復興活動本部に戻る途中に、行く途中にあった蕎麦屋さんに寄りましたが、午後一時半で昼は終わりでした。
ですが、蕎麦の職人さんから話を聞けました。
職人さんが次のように言いました。
「モリアオ蛙の産卵は午前三時から四時。石碑のあたりで見つかりやすい」
「一時はこのあたりは30人から50人しかいなかったけど、今は170人に戻ってる。生活が大変だから。でも、子供がいる人は一人もいない」
「電力会社から来てるやつらとか、タイベックス着て走り回りやがる。むかついたので、この前ついに電話してしまった」
「一時支払金が払われた。100万+45万で145万円」
「でも、誰だって、金の問題じゃあ結局ないってどうせいつかはわかる」
「子供がいないから、ここで未来が途切れてしまう。ずっと続いてきた今喋ってるこの方言とかも終わってしまうだろう」
「ここは200円で入浴できるし、5部屋まで泊まることも出来る」
レジに置いてあった「かえるかわうち」というシールをKさんが話題に出すと、職人さんは100枚限定のかわうちむらTシャツを持ってきてくれました。
一枚2500円で、一人2枚ずつ購入しました。
職人さんは、福島復興本部の脇の288号線を通るので、学問道場のことを知っていました。
偶然お店にいた朝日新聞の記者さんに、学問道場とは何か訊かれ、6月4日と5日のチラシを一枚渡すように頼まれました。
正直戸惑い、判断に迷いましたが、何か恥ずかしいことをしているのではないと思い、渡しました。
Kさんのお父様が「20キロの一時帰宅が今日だから、記者がいるんじゃないか」とおっしゃっていました。
前半は以上です。
(転載終わり)
(転載始め)
吉見 理です。
2011年6月18日の日誌です。
今回は長くなるので、前半と後半にわけています。
以下が後半です。
都路へ戻る途中の車内で、どうやってこれから復興しようか、人を呼び戻そうか、という話になりました。
私は大した発想を思い浮かべられず、「娯楽を断てるというのは宣伝にならないだろうか」といった具体性の欠片もない事を言っていました。
大家さんのSaさんの所にご挨拶に行きました。奥様がいらっしゃったので、話を聞けました。
奥様が伝えたところによると、今日の新聞に、30キロ圏内の住民は一人あたり月に10万円、体育館などの避難所にいる住民は更に2万円貰えると書いてあり、「みんな喜んじゃってる」そうです。
期間は6ヶ月で、奥様は「6ヶ月じゃぁね・・・、副島先生は話半分に聞いといたほうがいいって言ってたし」と仰っていました。
一方、Kさんのお父様は、「いや、もらえるものはもらっておくべきだよ」と仰っていました。
奥様にかわうちむらのTシャツを差し上げました。奥様は「川内村は村長が良くて頑張ってる。だからこういうことができる。田村市は寄せ集めだから、そうならない」と仰っていました。
そしてやはり、どうやって復興しようか、人を呼び戻そうか、という話になりました。
Kさんが「川内村は一緒に復興したい位のいい村だ。住んでみたい」と仰ったところ、奥様が「川内は行政区分が違うから無理だよ」と返されました。
Kさんが「防護服を着て盆踊りとかやったらどうか。それを検問所の前でやって、捕まって連れて行かれるとか・・・。それでも、祭りとかでもなんでもやって区切りつけないと、人が戻ってこない」と仰いました。
事務所に一旦帰って、梅干し、梅、梅ジュースを作る作業を、Sさん指導のもとでやりました。
これらは冷蔵庫とコンロの下に置いてあります。
昼に行けなかった蕎麦屋に午後五時半に行きました。
とろろ蕎麦を頂きました。ツユなしで全部食べられる、美味しい蕎麦でした。
入浴料は200円でした。久しぶりに髭剃りが出来たのが嬉しかったです。
午後7時にお別れした後、妙な興奮状態になりました。
「どうやったら、福島に若い人が自発的に戻ってくるか。この事故を奇貨にして、お勉強を必要最小限の労力と時間に抑えて、ゲームでもなんでもやって顔を広くするのと、一旦立ち止まって物事を考える余裕を作る・・・などと叫び出したら俺は気が触れたと思われるだろうか。でも、お勉強して東京の大学に入っても、合う人は合うんだけど、地方の人たちに良いことがあるとは限らない。先日お話したNさんも、私もそうだった。地元の人が大切にされるのは結局地元であることが多い。東京の大学や大企業は結局地方出身者を大事にしない。それはこの東電の事故が一番象徴的・・・。以前の週刊ポストも、『大企業は最近地方の公立高校出身の有名大学を好んでいる。(なぜなら、言うことを聞かせやすいからだ)』と書いていたし。」
などとずっと考えていました。
そうしたら、いつの間にか午後11時を回っていました。慌ててこの文章を書き出しました。
これを書き始めた午前0時位に大きな余震がありました。最近午後10時から午前0時の2時間の間に余震が起きることが多く、少し気になっています。
この余震は、東京で感じていた余震よりずっと大きな、ちゃんと地震といっていいようなものです。震度4くらいありました。
実際、PCの前から全速力で離れて、建物の外に逃げ出しました。
後半は以上です。
(転載終わり)
【531】[587]福島から報告します
6月15日から福島復興活動本部にいる、吉見おさむです。
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4107&blockId=9855221&newsMode=article
には瓦職人のニュースが載っています。また、福島にくる途中にも、東北本線が北に向かうに従って、青いビニールシートの数は増えていきます。須賀川や安積永盛の辺りでは、途中から見えただけでも10軒ほど応急修理をした民家があります。
実は私にとっては、これらのことはテレビの中の出来事だったのですが、今となっては他人事ではありません。福島本部の近所にも、青いビニールシートで応急修理をした民家が2軒あるからです。
口幅ったい言い方かとは思いますが、どうか、一度福島を、物見遊山でも冷やかしでも不謹慎でも何でも構いませんので、「その目で見て」下さい。この投稿の続きとして明日にでも投稿したい箇所にもありますが、福島の人たちは「どうやって人を集めたらいいのか」「どうやって人に、特に若い人に戻ってきてもらえばいいのか」悩んでいるからです。
以下にSNSIのMLに以前投稿した内容を貼り付けます。何かを感じていただければ、私にとっては望外の喜びです。
(転載始め)
吉見 おさむです。
2011年6月17日の日誌です。
ダンボールのゴミ出しをしました。
使い捨ての食器類の片付けをしました。それでスペースが出来て、台所の残り半分も掃除できました。
駐車場脇のフェンスを掃除しました。小雨が降っていて、あまり進みませんでしたが、一人分ならば干すことが可能です。
お昼を食べました。どうしてもジャンクフードが欲しくなったので、カップラーメンを食べました。
高カロリーだからなのか、お茶を大量に飲んだからなのか、午後九時現在もお腹は空いていません。
ペットボトルのラベルとキャップを外す作業をしました。毛虫が5匹いて、刺されそうになりました。
東京よりもゴミ捨ての基準が大変に細かいです。↓の3個のpdfファイルをご覧下さい。
http://www.city.tamura.lg.jp/download/4535/kaniposter.pdf
http://www.city.tamura.lg.jp/download/4535/PDF_kubun50.pdf
http://www.city.tamura.lg.jp/download/4535/23miyakoji.pdf
・・・ただ実際に昨日見た感じでは、余り分別をせずに出している家庭の袋もありました。
2階に掃除機をかけました。ですが、ちょっといい加減にやりすぎたので後日やり直します。
やや疲れが溜まってきた影響かもしれません。
以上です。
(転載終わり)
(転載始め)
吉見 おさむです。
2011年6月16日の日誌です。
朝起きて、燃えるごみをごみ集積場に出しに行きました。
バーベキューセットの後片付けをしました。
駐車場脇のフェンスを一部掃除しました。意外と大変な作業ですが、布団を干せるようになるためにも、小さいスペースだけは早く完了させます。
Sさんに車で渋佐の海岸(原ノ町から東に1キロ)に連れて行って頂きました。制止などはされず、海岸まで行けました。
週刊誌などで現地の写真を見ることは多かったのですが、実際に、堤防が崩れている光景、家のブロック、折れた電柱、大量の石、そしてコンクリートの破片を見て、そしてそれが1キロ以上のを奥の陸地まで続いているのを見て、いまさらですがショックを受けました。
また、ダンプカーと重機で着々と瓦礫が撤去されていました。被害地の重要でないと思われる土地は、電線が切れたままで、まだまだ回復は後回しのようでした。
家が被害を受けたと思われる中年女性が二人来ていました。その家は海の側であり、基礎部分以外は跡形もありませんでした。
今でも漁船が一隻、かなり奥の畑に乗り上げています。
なお、東北や同じ福島の浪江の方がもっとずっと被害が激しいそうです。
瓦礫がかなり撤去された今更になって、ようやく津波の軽い被害を見ることになった私が言えた言葉では無いです。
無いのですが、行ける方は、どうか、一度でもテレビを通してでなく、3Dの自分の眼を通しての映像で、現地をご覧になって下さい。
「見たからといってどうにかなるものではない」と言われてしまえばそれまでかもしれませんが・・・。
以上です。
(転載終わり)
(転載始め)
吉見 おさむと申します。
本日より福島復興活動本部の日誌を記録いたします。
宜しくお願いします。
以下が2011年6月15日の日誌です。
朝、プラスチックのゴミと、ペットボトルのゴミが混ざっていたので、一度袋から出して分別しなおしました。
プラスチックのゴミを出しに、検問所そばのゴミ集積所へ行きました。
朝の町の放送があり、最寄の都路行政局は0.53μSvと発表されました。高いところでも1.15μSvでした。
午前9時から午後2時まで椅子と机のホコリ取り、冷蔵庫の上の雑巾掛け、台所の半分を掃除しました。台所は荷物の多さに戸惑って、半分しか掃除できませんでした。
周りを通る車両は「関西電力長浜原発」等と書かれた警察車両が半分を占めていました。先程(午後10時)もパトカーと思われる車両が399号線の方に曲がっていきました。
午後2時にNさんがいらっしゃいました。少しだけお茶を飲んだ後に無線LANの設定をお願いしました。
Nさんの手際は素晴らしく、20分ほどで無線LANが繋がりました。Nさん、有難うございました。
夕食をみやこ旅館で食べました。・・・報告文には余計な記述かとは思いますが、私の思っていたのより素晴らしい旅館と料理で、圧倒されました。
旅館を出ると、周りの家は電気の灯りがついていないのに驚いてしまいました。
以上です。
(転載終わり)
【530】[586]100msv問題
会員番号6666の澤田と申します。
二度目の書き込みをさせていただきます。
昨日ふと思ったのですが、副島先生や山下先生がよくおっしゃられている、20ミリシーベルト以下、はたまた、100ミリシーベルト以下は安全、問題ない。ということが、本当だと具体的に証明された場合、つまり、例えば数ヶ月後、数年後、異常のある人が全く、誰一人も出てこなかった場合、むしろそっちの方が怖い感じがしています。おそらく日本国民の多くが国家やそのバックにいる人々(アメリカなど)に対して疑問を持つきっかけになるでしょう。それはさすがに無視できない。だから、といっては何ですが、オレはこのままことが単純に事が進まない気がします。何か起きる気がします。皆さんはどうでしょうか? 私は心配し過ぎなのでしょうか? 以上です…。
【529】[585]副島隆彦先生の『人類の月面着陸は無かったろう論』がと学会の「ベスト・オブ・ベスト トンデモ本」に選ばれました
下仲もとゆきです。
副島隆彦先生の『人類の月面着陸は無かったろう論』がと学会の「ベスト・オブ・ベスト トンデモ本」に選ばれましたので、お知らせします。全体の半分以上の投票を得ての、圧倒的な優勝です。
と学会に興味を持つ人たちにとって、この20年間で最もインパクトのあった本だったということでしょう。と学会のみならず、「学問道場」の会員の方に、「どういう経緯で副島隆彦先生を知ったのですか?」と尋(たず)ねると、「『人類の月面着陸は無かったろう論』で知りました」という人が意外と多いのです。
ご存じの方が多いと思いますが、と学会は毎年1冊、その一年間でもっとも「トンデモ」だった本に賞を贈ってきました。『人類の月面着陸は無かったろう論』は2005年に大賞を受賞しています。
(転載開始)
日本トンデモ本大賞 :
http://www.togakkai.com/taisyou.html
第19回(2010年)
杉山徹宗「平和宇宙戦艦が世界を変える」(芙蓉書房出版)
第18回(2009年)
船瀬俊介「新・知ってはいけない!?」(徳間書店)
第17回(2008年)
ウォレス・ワトルズ「富を『引き寄せる』科学的法則」 (角川文庫)
第16回(2007年)
枡谷猛「人類の黙示録」 (文芸社)
[特別賞] 『ギリギリ科学少女ふぉるしぃ』『絹と立方体』
疑似科学の本質を見事に歌い上げたMOSAIC.WAVの『ギリギリ科学少女ふぉるしい』、ありとあらゆる架空文字を収集した同人誌『絹と立方体』に、特別賞が授与されました。いずれも、と学会内部で絶賛された作品です。
第15回(2006年)
前田文彬「量子ファイナンス工学入門」 (日科技連)
第14回(2005年)
副島隆彦「人類の月面着陸は無かったろう論」 (徳間書店)
第13回(2004年)
塩瀬中乗「ガチンコ神霊交友録」 (三交社)
第12回(2003年)
村津和正「歯は中枢だった」 (KOS九州口腔健康科学センター)
第11回(2002年)
天野仁「忍者のラビリンス」 (創土社)
第10回(2001年)
渓由葵夫「奇想天外SF兵器」 (新紀元社)
第9回(2000年)
山下弘道「大地からの最終警告」 (たま出版)
第8回(1999年)
阿修羅王「異次元の扉」(鳥影社刊/星雲社発売)
[特別功労賞] 五島勉氏
1999年7月ということもあり、五島勉氏には特別功労賞を授与することになりました。
第7回(1998年)
シャーマン武田「想造結果」(たま出版)
第6回(1997年)
松平龍樹「発情期 ブルマ検査」(二見書房)
第5回( 1996年)
武田了円「世界の支配者は本当にユダヤか」 (第一企画出版)
第4回(1995年)
ヤミリ・キリー(桑原啓善 監修 )「アトランティスのミンダ王女500機のUFO従え「生命の樹」へ」 (でくのぼう出版)
第3回(1994年)
小石泉「悪魔最後の陰謀」(第一企画出版)
[特別賞] 大槻義彦教授
超常現象研究界をひっかき回し、自らもちょ~理論を発案し広めた功績により、特別賞を贈呈することも正式に決定いたしました。
第2回(1993年)
三上晃「植物は警告する」(たま出版)
[特別賞] 會津信吾・横田順彌氏
両氏は『少年小説大系 第18巻 少年SF傑作集』(三一書房)を編集し、トンデモSFの超怪作、南沢十七の『緑人の魔都』を44年ぶりに復刻された功績によるものです。
第1回(1992年)
川尻徹「ノストラダムス複合解釈」(徳間書店)
川尻徹「ノストラダムス戦争黙示」(徳間書店)
(転載終了)
何冊か読んだ本もありますが、そうそうたる顔ぶれです。
と学会は今年で誕生20年だそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/と学会
それを記念して6月11日に開かれた、と学会20周年記念イベントのダイジェスト版がニコニコ生放送で見られます。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv52981921
動く山本弘(やまもとひろし)さんを初めて見ました。映像と声から、一途(いちず)な人だという印象を受けました。
このイベントの中で山本さんはこう語っています。
山本弘「いくらがんばってもねえ、結局トンデモ本を出している人の方が売れるんだよね」
別の男性「ほんと20年間、徒労(とろう)だったと思うね」
トンデモ本には、現実世界から脳を守るという大きな効用があるのです。この点において、トンデモ本は占いやスピリチュアル、マンガ・アニメ・ゲームと何ら変わりありません。
日常とは違った世界を読者に見させてくれるという効用がある限り、トンデモ本は21世紀も不滅です。
(転載開始)
やや日刊カルト新聞: 大川隆法氏、遂に日本トンデモ本大賞受賞! ~日本トンデモ本大賞2011を見て~ : http://dailycult.blogspot.com/2011/06/2011.html
■「ベスト・オブ・ベスト トンデモ本」は副島隆彦『人類の月面着陸は無かったろう論』に決定!
票の集計作業が終わり、ここ20年間で最もトンデモないトンデモ本「ベスト・オブ・ベスト トンデモ本」の発表となりました。
と言っても、私自身、ノミネート5作品の紹介の客席の反応などから、どの本が選ばれるのかは、ある程度予測していました。
<ベスト・オブ・ベスト 投票結果>
『人類の月面着陸は無かったろう論』219票
『世界の支配者は本当にユダヤか』85票
『発情期ブルマ検査』67票
『植物は警告する』38票
『人類の黙示録』24票
やはり、副島隆彦氏の著書『人類の月面着陸は無かったろう論』の圧勝でした。
副島隆彦氏のサイトで彼の文章を読めば分かることですが、独特の文体と、一文一文に込められた感情の激しさは、他の追随を許さない「魅力」があります。その副島隆彦氏が「人類の月面着陸はウソだ!」と叫ぶこの本が、この20年間のトンデモ本の頂点に立ったのも当然と言えるでしょう。
(転載終了)
下仲もとゆき拝
【528】[584]放射線量の単純に8760倍は、愚の骨頂である。
桑原と申します。
6月5日に福島の復興活動本部の事務所開きに行きましたが
1週間前の5月29日とは、明らかに放射線量の変化がありました。
走行ルートは同じく、高速道路で向かったのですが
まず驚いたのが、郡山市に入った途端に放射線量が、0.5マイクロシーベルト/h台という数値に跳ね上がったことです。
先週走った時には、そのような数値は確認されなかった(もっと低い数値)からです。
今日は、福島復興活動本部に向かうにつれて、放射線量が多くなるかも知れない
と、覚悟して向かったところ、船引三春インターを降りる頃には、0.3マイクロシーベルト/h台に下がったではありませんか!
まあ、放射線量が上がるよりは、下がるほうがいいわな、と、勝手に納得しながら車を走らせました。
先回と違うのは、雨が降っていた(5月29日)か、晴れている(6月5日)の違い位でしょうか。
しばらく走ると、もっと驚いたことに、0.1マイクロシーベルト/hや、0.15マイクロシーベルト/h
という、すごく低い放射線量の数値が確認される場所が存在したのには、思わず目が点になりました。
4月の26日に、いわき市に向かった時も、同じように放射線量が低い場所が存在していたので
線量計が壊れた訳ではなく、明らかに放射線量が低くなっているのだな、ということを認識しました。
その後、5月29日の最大数値を観測した場所(0.87マイクロシーベルト/h)では、
何と、0.3~0.35マイクロシーベルト/hと、先週に比べて半分以下だったのには、驚愕でした。
都路地区に着く頃は、0.5マイクロシーベルト/h台だったことから推測するに、放射能(放射線)は「移動(変化)する」という事実です。
勝手な推測ですが、東京電力福島第一原発から放出された放射能(放射線)が、福島方面に流れ込んだものが
風向きや地形の関係(車両の移動による拡散もか)などにより、「アメーバのように変化する」のだ
というのが、今回の放射線量の観測の成果です。
東京電力福島第一原発の爆発から、まだ約3ヶ月しか経っていないにも関わらず
「事故後1年の積算線量推定値」の放射線量が、単純にマイクロシーベルト/hの8760倍という計算値であれば
それは、明らかに「愚の骨頂である」。