重たい掲示板

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吉見おさむ 投稿日:2011/06/20 16:58

【531】[587]福島から報告します

6月15日から福島復興活動本部にいる、吉見おさむです。
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4107&blockId=9855221&newsMode=article
には瓦職人のニュースが載っています。また、福島にくる途中にも、東北本線が北に向かうに従って、青いビニールシートの数は増えていきます。須賀川や安積永盛の辺りでは、途中から見えただけでも10軒ほど応急修理をした民家があります。

実は私にとっては、これらのことはテレビの中の出来事だったのですが、今となっては他人事ではありません。福島本部の近所にも、青いビニールシートで応急修理をした民家が2軒あるからです。

口幅ったい言い方かとは思いますが、どうか、一度福島を、物見遊山でも冷やかしでも不謹慎でも何でも構いませんので、「その目で見て」下さい。この投稿の続きとして明日にでも投稿したい箇所にもありますが、福島の人たちは「どうやって人を集めたらいいのか」「どうやって人に、特に若い人に戻ってきてもらえばいいのか」悩んでいるからです。

以下にSNSIのMLに以前投稿した内容を貼り付けます。何かを感じていただければ、私にとっては望外の喜びです。

(転載始め)
吉見 おさむです。
2011年6月17日の日誌です。

ダンボールのゴミ出しをしました。

使い捨ての食器類の片付けをしました。それでスペースが出来て、台所の残り半分も掃除できました。

駐車場脇のフェンスを掃除しました。小雨が降っていて、あまり進みませんでしたが、一人分ならば干すことが可能です。

お昼を食べました。どうしてもジャンクフードが欲しくなったので、カップラーメンを食べました。
高カロリーだからなのか、お茶を大量に飲んだからなのか、午後九時現在もお腹は空いていません。

ペットボトルのラベルとキャップを外す作業をしました。毛虫が5匹いて、刺されそうになりました。
東京よりもゴミ捨ての基準が大変に細かいです。↓の3個のpdfファイルをご覧下さい。
http://www.city.tamura.lg.jp/download/4535/kaniposter.pdf
http://www.city.tamura.lg.jp/download/4535/PDF_kubun50.pdf
http://www.city.tamura.lg.jp/download/4535/23miyakoji.pdf
・・・ただ実際に昨日見た感じでは、余り分別をせずに出している家庭の袋もありました。

2階に掃除機をかけました。ですが、ちょっといい加減にやりすぎたので後日やり直します。
やや疲れが溜まってきた影響かもしれません。

以上です。
(転載終わり)

(転載始め)
吉見 おさむです。
2011年6月16日の日誌です。

朝起きて、燃えるごみをごみ集積場に出しに行きました。

バーベキューセットの後片付けをしました。

駐車場脇のフェンスを一部掃除しました。意外と大変な作業ですが、布団を干せるようになるためにも、小さいスペースだけは早く完了させます。

Sさんに車で渋佐の海岸(原ノ町から東に1キロ)に連れて行って頂きました。制止などはされず、海岸まで行けました。
週刊誌などで現地の写真を見ることは多かったのですが、実際に、堤防が崩れている光景、家のブロック、折れた電柱、大量の石、そしてコンクリートの破片を見て、そしてそれが1キロ以上のを奥の陸地まで続いているのを見て、いまさらですがショックを受けました。
また、ダンプカーと重機で着々と瓦礫が撤去されていました。被害地の重要でないと思われる土地は、電線が切れたままで、まだまだ回復は後回しのようでした。
家が被害を受けたと思われる中年女性が二人来ていました。その家は海の側であり、基礎部分以外は跡形もありませんでした。
今でも漁船が一隻、かなり奥の畑に乗り上げています。
なお、東北や同じ福島の浪江の方がもっとずっと被害が激しいそうです。
瓦礫がかなり撤去された今更になって、ようやく津波の軽い被害を見ることになった私が言えた言葉では無いです。
無いのですが、行ける方は、どうか、一度でもテレビを通してでなく、3Dの自分の眼を通しての映像で、現地をご覧になって下さい。
「見たからといってどうにかなるものではない」と言われてしまえばそれまでかもしれませんが・・・。

以上です。
(転載終わり)

(転載始め)

吉見 おさむと申します。
本日より福島復興活動本部の日誌を記録いたします。
宜しくお願いします。
以下が2011年6月15日の日誌です。

朝、プラスチックのゴミと、ペットボトルのゴミが混ざっていたので、一度袋から出して分別しなおしました。

プラスチックのゴミを出しに、検問所そばのゴミ集積所へ行きました。

朝の町の放送があり、最寄の都路行政局は0.53μSvと発表されました。高いところでも1.15μSvでした。

午前9時から午後2時まで椅子と机のホコリ取り、冷蔵庫の上の雑巾掛け、台所の半分を掃除しました。台所は荷物の多さに戸惑って、半分しか掃除できませんでした。

周りを通る車両は「関西電力長浜原発」等と書かれた警察車両が半分を占めていました。先程(午後10時)もパトカーと思われる車両が399号線の方に曲がっていきました。

午後2時にNさんがいらっしゃいました。少しだけお茶を飲んだ後に無線LANの設定をお願いしました。

Nさんの手際は素晴らしく、20分ほどで無線LANが繋がりました。Nさん、有難うございました。

夕食をみやこ旅館で食べました。・・・報告文には余計な記述かとは思いますが、私の思っていたのより素晴らしい旅館と料理で、圧倒されました。

旅館を出ると、周りの家は電気の灯りがついていないのに驚いてしまいました。

以上です。

(転載終わり)

澤田信弘 投稿日:2011/06/20 14:09

【530】[586]100msv問題

会員番号6666の澤田と申します。
二度目の書き込みをさせていただきます。

昨日ふと思ったのですが、副島先生や山下先生がよくおっしゃられている、20ミリシーベルト以下、はたまた、100ミリシーベルト以下は安全、問題ない。ということが、本当だと具体的に証明された場合、つまり、例えば数ヶ月後、数年後、異常のある人が全く、誰一人も出てこなかった場合、むしろそっちの方が怖い感じがしています。おそらく日本国民の多くが国家やそのバックにいる人々(アメリカなど)に対して疑問を持つきっかけになるでしょう。それはさすがに無視できない。だから、といっては何ですが、オレはこのままことが単純に事が進まない気がします。何か起きる気がします。皆さんはどうでしょうか? 私は心配し過ぎなのでしょうか? 以上です…。

下仲もとゆき 投稿日:2011/06/20 02:16

【529】[585]副島隆彦先生の『人類の月面着陸は無かったろう論』がと学会の「ベスト・オブ・ベスト トンデモ本」に選ばれました

下仲もとゆきです。

副島隆彦先生の『人類の月面着陸は無かったろう論』がと学会の「ベスト・オブ・ベスト トンデモ本」に選ばれましたので、お知らせします。全体の半分以上の投票を得ての、圧倒的な優勝です。

と学会に興味を持つ人たちにとって、この20年間で最もインパクトのあった本だったということでしょう。と学会のみならず、「学問道場」の会員の方に、「どういう経緯で副島隆彦先生を知ったのですか?」と尋(たず)ねると、「『人類の月面着陸は無かったろう論』で知りました」という人が意外と多いのです。

ご存じの方が多いと思いますが、と学会は毎年1冊、その一年間でもっとも「トンデモ」だった本に賞を贈ってきました。『人類の月面着陸は無かったろう論』は2005年に大賞を受賞しています。

(転載開始)

日本トンデモ本大賞 :
http://www.togakkai.com/taisyou.html

第19回(2010年)
杉山徹宗「平和宇宙戦艦が世界を変える」(芙蓉書房出版)

第18回(2009年)
船瀬俊介「新・知ってはいけない!?」(徳間書店)

第17回(2008年)
ウォレス・ワトルズ「富を『引き寄せる』科学的法則」 (角川文庫)

第16回(2007年)
枡谷猛「人類の黙示録」 (文芸社)

[特別賞]  『ギリギリ科学少女ふぉるしぃ』『絹と立方体』
  疑似科学の本質を見事に歌い上げたMOSAIC.WAVの『ギリギリ科学少女ふぉるしい』、ありとあらゆる架空文字を収集した同人誌『絹と立方体』に、特別賞が授与されました。いずれも、と学会内部で絶賛された作品です。
第15回(2006年)
前田文彬「量子ファイナンス工学入門」 (日科技連)

第14回(2005年)
副島隆彦「人類の月面着陸は無かったろう論」 (徳間書店)

第13回(2004年)
塩瀬中乗「ガチンコ神霊交友録」 (三交社)

第12回(2003年)
村津和正「歯は中枢だった」 (KOS九州口腔健康科学センター)

第11回(2002年)
天野仁「忍者のラビリンス」 (創土社)

第10回(2001年)
渓由葵夫「奇想天外SF兵器」 (新紀元社)

第9回(2000年)
山下弘道「大地からの最終警告」 (たま出版)

第8回(1999年)
阿修羅王「異次元の扉」(鳥影社刊/星雲社発売)

[特別功労賞]  五島勉氏
  1999年7月ということもあり、五島勉氏には特別功労賞を授与することになりました。

第7回(1998年)
シャーマン武田「想造結果」(たま出版)

第6回(1997年)
松平龍樹「発情期 ブルマ検査」(二見書房)

第5回( 1996年)
武田了円「世界の支配者は本当にユダヤか」 (第一企画出版)

第4回(1995年)
ヤミリ・キリー(桑原啓善 監修 )「アトランティスのミンダ王女500機のUFO従え「生命の樹」へ」 (でくのぼう出版)

第3回(1994年)
小石泉「悪魔最後の陰謀」(第一企画出版)

[特別賞] 大槻義彦教授 
  超常現象研究界をひっかき回し、自らもちょ~理論を発案し広めた功績により、特別賞を贈呈することも正式に決定いたしました。

第2回(1993年)
三上晃「植物は警告する」(たま出版)

[特別賞]  會津信吾・横田順彌氏
  両氏は『少年小説大系 第18巻 少年SF傑作集』(三一書房)を編集し、トンデモSFの超怪作、南沢十七の『緑人の魔都』を44年ぶりに復刻された功績によるものです。

第1回(1992年)
川尻徹「ノストラダムス複合解釈」(徳間書店)
川尻徹「ノストラダムス戦争黙示」(徳間書店)

(転載終了)

何冊か読んだ本もありますが、そうそうたる顔ぶれです。

と学会は今年で誕生20年だそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/と学会

それを記念して6月11日に開かれた、と学会20周年記念イベントのダイジェスト版がニコニコ生放送で見られます。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv52981921

動く山本弘(やまもとひろし)さんを初めて見ました。映像と声から、一途(いちず)な人だという印象を受けました。

このイベントの中で山本さんはこう語っています。

山本弘「いくらがんばってもねえ、結局トンデモ本を出している人の方が売れるんだよね」
別の男性「ほんと20年間、徒労(とろう)だったと思うね」

トンデモ本には、現実世界から脳を守るという大きな効用があるのです。この点において、トンデモ本は占いやスピリチュアル、マンガ・アニメ・ゲームと何ら変わりありません。

日常とは違った世界を読者に見させてくれるという効用がある限り、トンデモ本は21世紀も不滅です。

(転載開始)

やや日刊カルト新聞: 大川隆法氏、遂に日本トンデモ本大賞受賞! ~日本トンデモ本大賞2011を見て~ : http://dailycult.blogspot.com/2011/06/2011.html

■「ベスト・オブ・ベスト トンデモ本」は副島隆彦『人類の月面着陸は無かったろう論』に決定!

 票の集計作業が終わり、ここ20年間で最もトンデモないトンデモ本「ベスト・オブ・ベスト トンデモ本」の発表となりました。

 と言っても、私自身、ノミネート5作品の紹介の客席の反応などから、どの本が選ばれるのかは、ある程度予測していました。

<ベスト・オブ・ベスト 投票結果>
『人類の月面着陸は無かったろう論』219票
『世界の支配者は本当にユダヤか』85票
『発情期ブルマ検査』67票
『植物は警告する』38票
『人類の黙示録』24票

 やはり、副島隆彦氏の著書『人類の月面着陸は無かったろう論』の圧勝でした。

 副島隆彦氏のサイトで彼の文章を読めば分かることですが、独特の文体と、一文一文に込められた感情の激しさは、他の追随を許さない「魅力」があります。その副島隆彦氏が「人類の月面着陸はウソだ!」と叫ぶこの本が、この20年間のトンデモ本の頂点に立ったのも当然と言えるでしょう。

(転載終了)

下仲もとゆき拝

桑原 投稿日:2011/06/19 14:31

【528】[584]放射線量の単純に8760倍は、愚の骨頂である。

桑原と申します。

6月5日に福島の復興活動本部の事務所開きに行きましたが
1週間前の5月29日とは、明らかに放射線量の変化がありました。

走行ルートは同じく、高速道路で向かったのですが
まず驚いたのが、郡山市に入った途端に放射線量が、0.5マイクロシーベルト/h台という数値に跳ね上がったことです。
先週走った時には、そのような数値は確認されなかった(もっと低い数値)からです。
今日は、福島復興活動本部に向かうにつれて、放射線量が多くなるかも知れない
と、覚悟して向かったところ、船引三春インターを降りる頃には、0.3マイクロシーベルト/h台に下がったではありませんか!
まあ、放射線量が上がるよりは、下がるほうがいいわな、と、勝手に納得しながら車を走らせました。
先回と違うのは、雨が降っていた(5月29日)か、晴れている(6月5日)の違い位でしょうか。
しばらく走ると、もっと驚いたことに、0.1マイクロシーベルト/hや、0.15マイクロシーベルト/h
という、すごく低い放射線量の数値が確認される場所が存在したのには、思わず目が点になりました。
4月の26日に、いわき市に向かった時も、同じように放射線量が低い場所が存在していたので
線量計が壊れた訳ではなく、明らかに放射線量が低くなっているのだな、ということを認識しました。
その後、5月29日の最大数値を観測した場所(0.87マイクロシーベルト/h)では、
何と、0.3~0.35マイクロシーベルト/hと、先週に比べて半分以下だったのには、驚愕でした。

都路地区に着く頃は、0.5マイクロシーベルト/h台だったことから推測するに、放射能(放射線)は「移動(変化)する」という事実です。
勝手な推測ですが、東京電力福島第一原発から放出された放射能(放射線)が、福島方面に流れ込んだものが
風向きや地形の関係(車両の移動による拡散もか)などにより、「アメーバのように変化する」のだ
というのが、今回の放射線量の観測の成果です。

東京電力福島第一原発の爆発から、まだ約3ヶ月しか経っていないにも関わらず
「事故後1年の積算線量推定値」の放射線量が、単純にマイクロシーベルト/hの8760倍という計算値であれば
それは、明らかに「愚の骨頂である」。

川端優美子 投稿日:2011/06/18 17:51

【527】[580]福島復興活動事務所開き 報告3: 副島先生と高野亮さんの講演

群馬のゆみこ(川端優美子)です。

事務所開きで副島先生とSNSI研究員の高野亮さん(地元では東大よりも信頼の厚い福島県立安積(あさか)高校の物理の先生)の公演が6月4日、5日の両日行われました。わたしは4日の公演を聞きました。そのときのことを書きます。場所は学問道場・福島復興活動事務所で、会員と地元の人たち総勢50人ほどが集まりました。
当たり前ですが、わたしが聞いて理解できたことだけしか書けません。また、わたし自身が「原発事故が起こってしまった日本で生きていく」上で知りたいことは、次の二点ですので、主にそれに偏(かたよ)って書きます。

●福島第1原発は、今後、核爆発する危険があるのか
●どのくらいの放射線量まで、だいたい大丈夫なのか

◆副島先生のご挨拶

○このあたりの放射線量はもう0.5μSv/時にまで下がっている(一瞬でバッと6Sv浴びたら20日後くらいに死ぬ)。放射線量の高い飯舘村でも10μSv/時。これを8760倍(年間総量)すると87.6mSvだが、この8760倍すること、すなわち単純積算すること自体に意味がない。花粉のように、風が吹けば空中の放射線量は変わってしまうのだ。

《ゆみこ: 「・人はふつう24時間戸外に居ない ・放射線を多少浴びても、体から排泄される ・今後も放射線量は減っていくはず  といったことから単純積算では体への影響を計れない」という意味かと思います。つまり、飯舘村で生活しても年間87.6mSvよりもずっと低い値しか浴びないということです。 この「単純積算には意味がない」というのはとても大事な話だと思います。今もみんなせっせと8760倍しているはずです。そういう人たちに教えてあげなくちゃね。》

○避難民を下のように区別しなくてはいけない。
「被災者」: 津波で家を流されたり、地震で家が倒壊したりした人
「避難民」: 家は無事だけど、原発からの放射能のせいで逃げた人

○原発避難民である地元の人たちも悪い。20km封鎖される前に、地震後、放射線量が下がった頃から、地元の人たちはどんどん20km圏に入るべきだった。

○福島県民が、日本中、世界中から憐(あわ)れまれて、優しくされて、それで(楽だから)いいという風になりつつある。こういう根性になるのが非常に危ない。

《ゆみこ: 根尾知史さんの〔[566]福島で見聞きしたこと。【第三部】〕に書いてある下の文章がそれの一例でしょう。
(はりつけ始め)
避難所生活では、朝昼晩の三食がただで食べられて、皆でいられて楽しい、と思ってしまって、おじいちゃん、おばあちゃんや、あるいは、もらえる物をできるだけもらおうとして居続けて、家も壊れてないし、放射能汚染ももう問題ない数値になっているのに、避難所からいつまでも離れない避難者たちもいます。
(はりつけ終わり)
わたしはこれを読んで、ついにいいのが出た、と思いました。これこそ人間だぃね。そうだんべ。生々しいやね。「みんなでいられて楽しい」という年寄りについては、わたしはこんな想像をします。こういう年寄りは地震の前は、さみしかったんじゃないかな。嫁さんは恐(こえ)ぇし、息子は相手にしてくれねぇし、孫は小せぇうちはかわいかったけど、すぐ生意気になって、中学生になりゃ部活、部活で家にいねぇし。野良仕事ができりゃ、まだ楽しいけど、野菜作りすぎてまた嫁に怒られるし。「まぁた、ばあちゃん、こんなに作って。食べ切れないがね!」
「楽しい」というのは、前より状況が良いから楽しいと感じるんだよね。しょうがないやね、そう感じるんだから。人間はほかの人から認められたい、「あなたは大事な人だ」と扱われたい。世界中から憐れまれて、ボランティアに優しくされて、今それが叶(かな)えられているから嬉しいという、素朴な気持ちというものが人間にはあらぃね。・・・違うかね。やっぱり、ずっと東電から原発手当をたくさんもらい続けて、慣れきってしまったのかな。
この状態からどうするか、真剣に考えなくちゃ。でも、要(よう)は本人たち(福島の人たち、原発避難民たち)がどうしたいか、ということが大事さね。でもでも、本当のことを知らされなけりゃ、考えようにも考えられない。みんなで本当のことを発信していきましょう。》

◆高野 亮さんのお話 「福島県原子力災害のキーワード」

○もう核爆発は、科学的に起き得ない。理由は、格納容器の底に溶けて(メルトダウンして)たまった核燃料は溶けた制御棒と混ざり合っている。その制御棒の成分が、核分裂反応のときに出る中性子を吸収するので、再臨界は起き得ない。

《ゆみこ: よかった。 公演後に男の人たちから教えてもらったのは、そもそも再臨界なんて、核爆弾の技術で、イランや北朝鮮が核爆弾を作りたくて作りたくてしょうがないけど作れない、とても難しい技術だそうです。いろんな条件を整えて、やっとこさできる(再臨界を起こせる)そうです。原発は、そもそも再臨界を目指して作っていない、ゆるい核爆発が起こり続けるように、安全に作ってある。だから、再臨界なんてできない。》

○ 水素爆発の危険性もほとんどない。理由は、ホウ素をいれたり、なんだり、いろいろと手当をしているから。

◆副島先生のお話 「政府と県は安全宣言を出すべきだ」

○ 天皇陛下までが、福島第一原発の正門前で国民に安全宣言を出すべきだ。

○ 再臨界(criticality)というのは核爆発とおなじこと。 チェルノブイリは分厚い圧力容器がなかったから、核爆発が起きて外に大量の放射性物質が出てしまって、たぶん1Svくらいの雨が降った。福島第一原発は、分厚い圧力容器があるので、メルトダウンした核燃料と制御棒の混ざったものが、その圧力容器の底に溜まっているだけ。

○乳がん治療では1回につき2Svをバシッと当てる、それを週5回、休みを入れながら2ヶ月の間に60Svを浴びる。それでも死なない。

ここで、会場にいた、乳がん治療を受けた阿部 真由美さん(【[556][557]放射能の影響について】を書いた方)が「それ、わたしです」と声を上げました。振り向いて見ると、とても健康的で、たっぷりとした髪の毛が黒くつやつやで、とてもきれいな方でした。わたしはもっと弱々しい人を想像していたので、びっくりしました。

公演が終わってから、わたしは事務所の出入り口でイスに座ってお弟子さんたちと話していました。帰ろうとする地元の人らしき年配のご夫婦がいたので、奥さんに「どこから来たんですか」と聞くと、福島市だと言いました。わたしは奥さんの手を握って「もう核爆発はしないって、良かったね」と言いながら、どさくさに紛れてちょうどわたしの目の高さにあった奥さんのおっぱいに顔を寄せました。やっぱりお母さんのおっぱいは、いいなぁ。あのとき、わたし免疫力上がったと思います。 以上です。

泉浩樹 投稿日:2011/06/18 15:41

【526】[578]6月10日福島民報

泉浩樹です。

福島の実家(第一原発より約60km)へ一時帰省し農作業をしております。
新緑の中ウグイスが鳴き、ツバメが軒先に巣作りをし、新鮮な野菜を食べ、草刈りをし汗を流しています。
昨日線量は、地上1mで約0.12μSv/hとなって居ります。
土ぼこりも立ちますが、気にしてたら仕事になりません。
本日は雨模様です。
周りの皆さん、生き物、家族も至って元気です。

実家の新聞を整理しましたら6月10日付け福島民放に大きな見出しで「高放射能がれき 県内に最終処分場 環境省、知事へ整備方針」と出ています。一週間前の記事ですが。

大手テレビ、新聞にはこの件はでて居たのでしょうか?。
私は確認していませんでした。

やはり、副島先生の懸念が現実となって来ました。
県民はどれだけ、このことが意味する事を、理解しているのかどうなのか、判りません。

6月10日福島民報のニュース

ーー以下リンクより抜粋張り付け致します。ーー
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4107&mode=0&classId=&blockId=9854670&newsMode=article

環境省が県内に最終処分場を整備方針 高放射能のがれき、知事は拒否 

 東京電力福島第一原発事故により高いレベルの放射性物質が付着したがれきの処理で、環境省が県内に最終処分場建設を検討していることが9日、明らかになった。南川秀樹環境事務次官が同日、県庁で佐藤雄平知事と会談し伝えた。佐藤知事は断固拒否する考えを示すとともに強い不快感を表した。同省の方針はこれまで県などに一切伝えられておらず、今後、反発が起きるのは必至だ。

■次官「福島以外考えられず」
 南川事務次官は佐藤知事との会談で、東日本大震災と原発事故からの復旧・復興に向けては放射性物質の付着したがれき処理は急務と説明。その上で「最終処分場の建設場所として福島県以外は考えられない」とした。
 これに対し、佐藤知事は「県として受け入れられない」とし、今後、最終処分場建設についての要望、提案を一切受け付けない考えを強調した。
 会談後、取材に応じた南川事務次官は、最終処分の方法が決定していない状況では初期段階の撤去は進まないと指摘。「県民感情をさかなでするつもりはないが、福島県以外に建設場所は考えられない」として、引き続き本県への処分場の建設を目指す考えを示した。

■知事「ありえない」 断固拒否、不快感表す
 佐藤知事は会談後、記者団に「(本県への最終処分場の設置は)ありえないと今日まで明確に言ってきた。原子力政策は国策であり、国がしっかりと考えてほしい」と述べた。
 内堀雅雄副知事は「今後、最終処分場の議論が県内でなされることは1%もない」と強調した。
 放射性廃棄物は、原子炉等規制法に基づき低レベルの場合は青森県六ケ所村の貯蔵施設に埋め立て処分される。しかし、同法は、今回のがれきのように原子力関連施設外で大量に汚染ごみが発生することを想定していない。一方、災害ごみは廃棄物処理法で埋め立てや焼却処理されるが、同法では放射能を帯びた廃棄物は対象としていない。
 こうした中、環境省は警戒区域や計画的避難区域を除く県内全域のがれきについては、放射性物質が付着していても焼却や埋め立て処分を認める方針を決定。
 省内に組織を設け、最終処分場の設置場所や規模、処理する放射性物質の濃度の基準などの検討に入っている。最終処分までの工程を確立し、がれき撤去に早急に着手することで、農産物や工業製品を含めた風評被害の払しょくにつなげる狙いがあるという。
 3日時点の環境省の推計では、本県の震災によるがれきは288万トン。16%が仮置き場に搬送されているが、原発周辺の自治体では処理が全く進んでいない。

ーー貼付け終了ーー

 *国は原発政策をこのまま推進し、国内の放射性廃棄物を私の産まれ育った故郷「福島」へ持ち込むのです。
 さあ、何処へ怒りをぶつけていいのか。。

 「そろそろ気づけ。騙されるんじゃない。自分たちの未来と人生を他人に任せるな。」
 そう、言いたくてたまりません。

泉浩樹 拝

吉川 輝 投稿日:2011/06/17 17:46

【525】[577]広島の被爆者の孫です。

はじめまして、会員番号3397の吉川 輝です。

私も子供のころ聞いた話を紹介させていただきます。
私の祖父(明治37年生まれの当時41歳)は広島原爆投下時に爆心地から直線距離で4キロのところの広島の三菱軍需工場で徴集されていて、そこで被爆したそうです。爆風で工場の屋根が吹き飛び、祖父自身も爆風で数メートル飛ばされたそうですが、奇跡的に大した怪我もなくその場から脱出できたそうです。
そして、その日のうちに実家がある広島県北部の三次へ帰省するために、原爆で焦土と化した広島市中心部を歩いて、何とか国鉄が動いている駅(広島駅は壊滅状態)までたどり着き、列車に乗って帰ってきたそうです。

時同じくして、私の叔父(父の兄で14歳くらい)も、三次から広島へ向かっていて、熱線や爆風による怪我などはなかったものの、原爆が落ちた後に広島に到着してから被爆し、すぐに実家に帰省したそうです。

もちろん当時は放射能などはまったく知らされていないし、二人とも下痢や、体の不調、微熱などがひと月ぐらいはあったそうです。
原子爆弾が落ちて、そのような病状になったことは後からわかったことで、当時は原因不明であったと思いますし、叔父も後から考えてみるとあれが被爆における症状であったんだといわれていました。

でも、その祖父もその後90歳まで生きながらえて、大往生であったと思われますし、叔父も80歳を過ぎた今も「がん」などにもかからずまだ健在です。

そのことからも、爆弾が落とされた後の、一時的に強い放射能の中を歩いて放射性物質を吸い込んだとしても、人には破壊された細胞を直す回復機能があるのだと思います。被爆の度合いにもよると思いますが、命が奪われることはないのではないでしょうか。

会員6188 市原理恵子 投稿日:2011/06/17 13:23

【524】[576]長崎の被爆者の孫です。

はじめまして。会員番号6188番 市原理恵子です。

私の祖母は、長崎原爆投下の際、ばっと核爆発の光を浴びたり熱風を浴び「なかった」被爆者です。
85才どころか93才まで元気でした。もちろん原爆手帳は交付されています。
病気らしい病気をしたこともなく、染めていないのに髪も黒々としており、早朝から庭木の手入れをしつつ趣味の旅行を楽しんでいました。

祖母は、太平洋戦争中に看護婦として働いていました。
そして、長崎に原爆が投下された知らせを受けて、派遣命令が出され、福岡から汽車と徒歩で長崎に向かいました。
(原爆がなんであるかは誰も知りません。長崎に大きな爆弾が落とされたらしいという知らせをうけて急遽派遣されました。)
当時祖母は20代後半でその派遣部隊の班長で4~5名の後輩看護婦(10代20代の女性)と一緒です。

長崎市内に到着したのは、原爆投下の2日後です。
ですので、祖母はばっと核爆発の光を浴びたり熱風を浴び「なかった」被爆者であり、
放射性物質をあびただけの被爆者に該当します。

福島第一原発から出た放射性物質は大半が太平洋に流れ出していますが、
長崎では谷間に原爆が投下されており、放射性物質が風に流されることなく停留していたと思います。

その中で、長崎の水を飲み、食べ物を食べ、風に吹かれて、雨に打たれて、祖母は看護婦として働いていました。
防護服なんてありませんし、屋内避難やマスクや、屋内の水拭き・・といった概念もありません。

現地にいた期間ですが、三ヶ月か半年かは、ちょっと手元に資料がなくわかりません。
ただ、長崎原爆投下直後は医療関係者が非常に不足していますし、簡単に現地から離れることは不可能だったと思います。
この長崎派遣の後、看護学校の教員にリクルートされましたので、途中で逃げ出さず、長期の任務を全うしたのだと思います。

祖母も元気でしたし、同行した若い後輩看護婦の皆さんも戦後それぞれ活躍されて、長生きされています。
放射能のせいで病気になったなんて耳にしたことがありません。

当時のことについては、あまりにも現地の状況が酷く、祖母は話したがりませんでした。
ばっと核爆発の光を浴びたり熱風を浴びた街や人々の悲惨さは、思い出すと苦しくなり、口に出して話せないと言っていました。
「戦争はしちゃいかん、あんなひどかことは絶対にいかん」と顔を伏せて言うばかりでした。

これは、私の身内の話ですが、参考になればと思い、投稿しました。

副島隆彦 投稿日:2011/06/15 07:06

【523】[575]ついに 山下俊一長崎大教授・放射線医学への 解任要求 という 攻撃が公然と掛かってきました。私たちは山下教授と共に闘い抜きます。

副島隆彦です。 以下の記事は、J-CAST (ジェイキャスト)ニュースという、独立系のネット通信社が 発信しているものです。 一般紙が、どのように報道しているか、分かりません。

 私は、このJ-CASTニュース も 偏向している団体だと思っています。以下の記事の中で、 山下俊一教授(やましたしゅんいち。福島県の放射線健康リスクアドヴァイザー)への解任要求をした、と書かれている

 「 FoE Japanやグリーンピース・ジャパンなどの環境NGO 」というアメリカの息のかかった、おかしな 日本国民扇動(せんどう)のための、団体のひとつだということだ。 ついに お前たちの正体を顕(あら)わしたな、と私は考えます。 これらの 環境NGO(エヌ・ジー・オウ 非営利、非政府の公共利害の追求団体)が、実は、アメリカの巨大石油会社である、エクソン・モービルからの資金援助で動いて、たとえば、日本の捕鯨活動(調査捕鯨というやや品のないやり方での捕鯨)への激しい実力行動などで知られる。

 まず、この J-CASTの記事の書き方の中で、山下教授の5月3日の二本松市での発言からの 引用で、「100ミリシーベルトで、5人くらいがんのリスクが上がることが、長年の調査結果で分かっている・・・」と書いている。

 しかし、この「100ミリシーベルト」が、24時間×365日=8760 という、一時間当たり(パー・アワー)の 放射線量の、大雑把で、実にいい加減な、バカげた、8760倍という単純積算による 一年間の年間被曝総量であることを書いていない。 

 少なくとも、「年間総量(パー・イヤー per year )の100ミリシーベルト」のごく微量(びりょう)であることを、常に書かなければならない。 原発の現場の作業員たちの積算計による 放射線総量の250ミリシーベルトなどとは、比較にならないぐらいの 超微量(ちょうびりょう)である。 この厳格な事実の、国民的な議論を抜きにして、現在の、「放射能こわい、こわい」派の 扇動言論のすべて が行われている。

 そのうえで、「100ミリシーベルトで5人くらいのがんのリスク」というのは、「一万人で5人」のがんが、5年後、10年後に、その放射線事故による放射線の影響で生じる 確率論的なリスクが、「200ミリシーベルト年間総量(こっちは厳格な積算での)」で 出現する、という 放射線医学上の 放射線医学者たちによる、世界的に認められている(当然、日本の放射線医学者たちの圧倒的に認めている)科学的な事実(サイエンティフィック・ファクト scientific fact )である。

 10000人(一万人)で5人ということは、1000人で0.5人だから、2000人に1人ということだ。しかもこれは、200ミリシーベルト年間総量の放射線被ばくの場合の症例だ。 がん患者の発病は、若い人も含まれるが、ほとんどのがん患者は、老人だから、2000人にひとりが、5年後、10年後に出る、という事実を、私たち 日本国民が、「どうやって、事故を起こした放射能のせいで、その老人ががんになったと証明できるのか」という健全な疑問を持つべきだ。

 放射能は、天然痘やこれらのような病原菌ではない。 放射能(レイディオウ・アクテヴェイティ radio activity )あるいは放射性物質(レイディエイション、radiation )というのは、最終的には熱量(ねつりょう、ジュールという単位で測定する)である。 ばっ と 核爆発(=再臨界)の放射線の光を浴びたり、高熱の爆風を浴びれば、5から6シーベルトを瞬間で浴びたら、200日ぐらいで死亡する。 

 しかし、それに対して、放射性物質のガス(気体状)や酸化物などの 微小の塵(ちり)のようなものをが降って、それが、地上に1000ミリシーベルト(=1シーベルト)の単純積算の年間総量ぐらいのちっぽけな量を浴びても、人間は、赤ちゃんを含めて、元気のままだ。全く問題はない。
 呼吸や、食物で、体内に取り込んでも、すべて体外排出される。

 ばっと核爆発の光を浴びたり熱風を浴びなければ、人間は、みな、微量の放射能などでは全く被害はない。85歳まで元気で生きて行ける。遺伝子を壊されることと、小腸(消化器官の造血機能)を毀損しなければ、みな、大丈夫だ。 爆風や光を核爆発で浴びなければ人間は、なんともない。

 現に、爆心の5キロ圏の外の、広島、長崎の被爆者たちは、被爆者手帳を握りしめたまま85歳までみんな元気で生きている。

 がん患者で、放射線治療を受けたことのある人なら、その周囲の人も含めて、すべて知っている事実がある。それは、一回当たりの 照射される放射線は、なんと 2シーベルト毎時(パーアワー)である。それを、2か月ぐらいで、合計60シーベルトぐらい浴びるのだ。それでがんの治療をしている。 

 なぜ、 福島の現地で、10キロ圏でも、たったの 5から10マイクロシーベルト毎時(一時間当たり、パー・アワー 5~10μSv/hour )ぐらいの超微量に、バカげた、単純積算の、 冒頭で書いた、8760倍をかけて、それで、10×8760= 87.6ミリシーベルト年間総量(パー・イヤー) だ、と言って、「高濃度(こうのうど)だ」と、騒ぐのか。

 この「放射能こわい、こわい派の、低能の、集団ヒステリーを扇動する者たち」との、闘いを、私たち学問道場は、徹底的にやります。

 頑強に学問的真実を掲げて、ひとりで誠実に闘い続ける山下俊一教授を、私たちは、強く強く応援します。山下教授を守りぬこうとする福島県人たちとともに、私たちは、この 現下(げんか)の焦眉(しょうび)の、国論を二分する言論戦 を、闘い抜かなければならないと思います。  

副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)

 「「福島原発のリスクを軽視している」 「安全説」山下教授に解任要求署名 」

J-CASTニュース 2011年6月14日(火) 20時22分 配信

 福島第1原発から放射性物質が放出されて続けている問題で、一貫して「安全・安心説」を唱えていると受け止められている識者が、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一・長崎大学教授だ。

 1年間に許容される被曝量として「20ミリシーベルト」という数字が議論になるなか、山下氏は「100ミリシーベルト以下のリスクは分からない」との立場を崩していない。これが「リスクを軽視している」と批判を浴びており、NGOは、解任を呼びかける署名活動を始めている。

 山下氏は、長崎市生まれの被曝二世。1991年から約20年間にわたって、チェルノブイリやセミパラチンスクでの被曝者治療に携わっている。05年から2年間は、世界保健機関(WHO)のジュネーブ本部で放射線プログラム専門科学官を務めている。福島県の放射線リスク管理アドバイザーには3月19日に就任し、県内の講演会で「放射能を『正しく恐れる』ことが大事」などと説いている。

■「年間100ミリシーベルト」の評価

 山下氏に対して解任要求をしているのは、FoE Japanやグリーンピース・ジャパンなどの環境NGO。6月10日に菅首相や佐藤雄平福島県知事に宛てた要請文の中で、(1)特に放射線量が高い地域において、避難・疎開・夏休みの前倒しを促進すること(2)子どもを含む県民の内部被ばく検査の実施、など4項目を要求。そのなかの一つに、山下氏の解任が入っている。要請文では、

  「低線量被ばくのリスクを軽視し、『100ミリシーベルトまでは、妊婦も含めて安全』との言動を福島県内で繰り返しています」

と山下氏を批判。署名活動を7月6日まで展開するという。

 山下氏の発言で主に批判が集中しているのは、「100ミリシーベルト」の評価と、住民を避難させる範囲についてだ。

 例えば、5月3日に、福島第1原発から50キロ以上離れた福島県二本松市で行われた講演会では、山下氏は

  「100ミリシーベルトで、5人くらいがんのリスクが上がることが、長年の調査結果で分かっている。100ミリシーベルト以下は分からない。明らかな発がんリスクは観察されていないし、これからも、それを証明することは非常に困難」

と発言。

 「二本松は危険だから逃げろ」という声があることについては、

  「とんでもないこと」

と反論。

  「皆さん、現実、ここに住んでいるし、住み続けなければならない。広島、長崎もそうだったし、チェルノブイリもそういう状況。そういう中で、明らかな病気は、事故直後のヨウ素による子どもの甲状腺がんのみ。このような現実をもって話している。国の指針が出た段階では、国の指針に従うのが国民の義務だと思うので、そのような内容でしか答えられない」

と発言し、「国の指針に従うのが国民の義務」という発言が、さらに地域住民の反感を読んだ模様だ。

■「30キロ圏外でも必要ならば避難させなきゃだめ」

 その後も、山下氏は「100ミリシーベルト以下のリスクは確認出来ていない」との立場を崩しておらず、5月24日発売の「週刊朝日増刊 朝日ジャーナル 原発と人間」の中では、

  「1回、100ミリシーベルト浴びると、例えば細胞に傷が100個できます。1ミリシーベルト受けると細胞に傷が1個できます。100個の傷にはときどきエラーが起きますが、1個の傷は体がすぐ治します。遺伝子は傷がついても治るという生物学的な生命現象が大前提としてあるので、僕は、微量の被曝には過敏になるな、と言っているんです」

と主張。「潮」11年6月号では、

  「原発の放射性物質によってがんにかかりうるといっても、がんは日本人の3人に1人がかかる病気だ。確率論的に誰にでも起こりうる病気なのに、『放射線のせいでがんにかかる』と心配して生活を台無しにしても仕方がない」

とも述べている。

 ただし、住民を避難させる範囲については、前出の朝日ジャーナルの中で

  「僕は飯舘や浪江、川俣の一部の数値が高いのを見て、自主避難ではだめだ、きちんと命令してあげないといけないと言ってきたんです。国に対しても、30キロ圏外でも必要ならば避難させなきゃだめだとも言ってきました」

と述べており、講演会での発言との整合性を問われる可能性もある。

 6月13日に行われた福島県議会の特別委員会でも、山下氏のアドバイザー解任を求める声があがっており、今後も波紋は広がりそうだ。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

大川晴美 投稿日:2011/06/13 22:19

【522】[574]年間の被ばく放射線量について

会員の大川です。平田さんの投稿「人が、がんや病気になる本当の理由」に同感です。
この1カ月ほど、放射線の健康への影響に関する本を読んだり、研究者が一般向けに解説しているウェブサイトを調べたり、一般公開の講演会に参加してきましたが、研究者の間では「年間の被ばく放射線積算量が100ミリシーベルト以下の場合、がんの発症を含めて統計的に有意な健康への影響は見られない」という研究結果が、概ね共有されているのだとわかりました。

ところが、ある講演会の終了後、「テレビでこの話をすると、視聴者から抗議の電話やメールが殺到するので困っている。本当は危ないくせに安全とは何事か、お前は御用学者かと言われる」、と、その研究者は嘆いていました。

1つの理由は、平常時の基準が年間1ミリシーベルトまでで、1と100の違いがあまりにも大きいので、感覚的に「100ミリシーベルトなどとんでもない」という印象を抱いてしまうのでしょう。けれども、以前もこの掲示板で会員の方々が書いていたように、よく調べれば、1という数値は研究結果に基づく数値ではなく「平常時に安全の側に立つ」考え方であることがわかります。

専門家ではない一般の者がやるべきことは、自分で本を何冊か読み、学会や研究者のウェブサイトを調べ、講演会に参加し、情報を主体的に集め、最後は自分の頭で判断することだと思います。