重たい掲示板

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会員番号5950番田中 投稿日:2011/07/13 19:18

【570】[631]出来る事

私は3月11日震災後、考えた末に西へ逃げました。
放射能や原発の知識もないので「副島先生」の安全宣言だけを信じ東京に帰宅しました。

西にいた間は、
ずっと考えていました
「東京が放射能でやられ壊滅状態になっただった場合、私は親や知人に会いに戻る覚悟はあるのだろうか?」と。

結局、東京を始め東日本の危機は免れましたが
自分で決めて結論を出せた事は良かったと思います。

私は逃げた身なので
今現在原発問題に対して大きな活動はしていませんが

マスコミによる
醜い放射能報道を鵜呑みにしている知人や身内がいれば
私が逃げた理由と、帰宅した理由を説明をし
その都度、今はもう大丈夫だと説明する事にしています。

もしも同じく震災後、西に逃げた人がいるならば
自分がとった行動を知人などに打ち明けて、
その上で福島で副島先生らが活動している現状を
お話になればそれは人の為となり役にたつと思います。

富川洋子 投稿日:2011/07/12 05:39

【569】[630][629]の訂正 

7月11日の投稿で、今日 と書いていましたが、講演会は7月9日(土)に仙台市で行われたものです。訂正します。

富川洋子 投稿日:2011/07/11 21:37

【568】[629]原発の安全性を求める福島県連絡会代表の方とお話をしました

会員番号6871の富川洋子です。
事務所開きでは、ありがとうございました。副島先生はじめ、お弟子の皆さんにも大変お世話になりました。

今日、宮城県の小中学校教員組合(宮城県は小中学校の組合は日教組・高校の組合は全教です)主催の「みやぎで原発とどう向き合うのか」という講演会がありました。
3人の話を順番に聞きました。

★竹内峯氏(東北大学名誉教授・理学博士)
☆早川篤雄氏(原発の安全性を求める福島県連絡会代表)
○古関勝則氏(福島県川俣町立飯坂小学校 教諭)

★東北大学の先生は福島出身の方で、それなりにいろんな話をしてくれましたが、原発を作ったアメリカの会社・・・とだけ言ってGEという言葉は出てきませんでした。
このあと、福島原発が爆発でもしない限り、放射能は減ってきているから仙台は大丈夫ですから と言っていましたが 原発怖い怖い派のお母さん達が沢山参加していて(今までの組合主催の講演会には無かったことだ)草むしりしていいのかとか 運動会したけど被爆しちゃったんじゃないか とか そんな質問ばっかでした。

竹内博士の話は、大変納得のいくものでした。15日をピークに放射線は減ってきている。ましてや仙台はそのときの風向きを考えれば、怖がる必要はない場所なのだと言うことを言っていました。

それから、仙台日赤病院のお医者さんも来ていて「とんでもない御用学者の長崎大の山下とかいう教授が、福島医科大学の副学長になると聞いたけど、大学って一体どうなっているんですか!?」と、東北大名誉教授には答えられない質問をしていました。

☆原発の安全性を求める福島県連絡会の早川篤雄さんという方は楢葉町(ならはまちhttp://www.naraha.net/)に住んでいたそうです。ご自宅が15キロ圏内だったので、3回も避難場所を転々として、今はいわき市に住んでいらっしゃるそうです。

彼は、九州電力のメールの話を取り上げて「そんなのは、福島原発が出来る前もそうだった。俺達はずっと、反対運動をしてきたが、地元への説明会・公聴会と言いながら、地元の人が座る席は無く、全部、東電の関連の人たちで埋まってしまって座れなかった。私は、ずっと交渉してきたから『俺まで入れないのか!?』としつこく食い下がったら「あんただけだったら・・」と裏からこっそり入れてくれた。 と裏側をおしえてくれました。

 1953年に当時衆議院議長だった堤幸次郎氏が第一原発用地を先行取得していた話(がっぽがっぽでしたね)や、1955年に福島県梁川出身の木川田一隆氏が東電の副社長になって(4代目の社長になったそうですが)福島へ立地をすすめていった話や 正力松太郎は悪いやつだと いう話や いろいろ教えていただき、勉強になりました。

なんと昭和43年の元旦の福島民報(福島の地元紙です)の 「知事(木村守江)と両電力社長 新春座談会 」のコピーを配ってくれました。見出しは「新しい電源宝庫 楽しめる相双地区」でした。(ちなみに、相双とは 相馬市・双葉郡エリアを指します。)東京電力が原子力を推進するためのポスターなんかも、保管している方のようでした。

こんな悪いことを政府主導でやってるんだ。 と言ってはいましたが、アメリカの話はでてきませんでした。

後ろで聞いてたお母さん達は
「えー。しんじられなーい」と言っていましたが、放射能怖い怖いの前に なんで原子力発電所が出来たのかなぁ とかお母さん達にも勉強してほしかったです。
でも、これでちょっと勉強したと思います。

○そのあと、川俣町の古関先生のお話は、涙が出ました。
3月中旬から双葉町からの避難の人たちを学校で受け入れていたそうです。
200人入るところに700人 ぎゅうぎゅうづめだったと言っていました。

炊き出しをしていたら双葉町の人たちは、川俣の人たちばかりにそんなことをさせては・・・と地域のリーダーの人たちがみんなで係り分担を決めてちゃんと、自分達で炊き出しなどをしていたようです。

埼玉に行くことになったときに、「行きたくない。行きたくない」 と泣いて騒ぐおばあちゃんを「仕方ないんだ」と、なだめて、みんなで抱えてバスに乗せたそうです。

双葉町の人たちはいなくなったけど、今度は川俣町も計画的避難区域に入ってしまった。子供達は外で遊べない。給食はいまだに菓子パンと牛乳。
近畿大学から首に下げるガラスバッチを貸与されたが、あれは我々を調査したいんから。我々は実験台。(そこで、お母さん達が声を合わせて「ええ!」「・・・そうなんだぁー」と言っていて、かなり衝撃だったらしい)

最近は暑いので窓を開けているが、線量がだいぶ下がったから。
川俣町は各教室に扇風機を入れている。二本松とか各教室にエアコンとか入るらしい。どの自治体も国は何もしてくれないってことが分かってきたから独自に動き出している。

などなど

そのほか涙が出る話がありましたが、仙台市の自分ちの周りの草むしりを気にしていたお母さん達は、何も言わなくなりました。

何か感じてくれたんだと思います。

会のあとに、早川さん古関さんとお話させていただきました。どちらの方も副島先生をご存じないようでしたので、副島先生と学問道場のHPと紹介させていただきました。

半田みか 投稿日:2011/07/11 20:05

【567】[628]金、銀

原発問題という大変重要な課題に対しての意見を言うときにお金にかかわるお話で大変申し訳ありませんが、この7月15日から米国では金銀の店頭売買が禁止になる法律が始まるそうです。G20でもこの話は出ている(?)そうなのでいずれ日本でも金、銀は個人であろうと売買できなくなる可能性はないのでしょうか。国の財政が破たん寸前になれば韓国がそうであったように国民に金を手放させる方向に持っていくのではないでしょうか。私は豪州に居住しておりますが、豪州ではまだこのような法律は出てきておりません。将来はどうなるかわからないです。ところで豪州でも東北の震災のためのチャリテイーイベントがあちらこちらで行われていたり、喜んで日本に旅行に行きたいと言ってくれる人たちが多いです。ミックさんという人は日本に住んだこともあり、震災のニュース映像を見た後1週間涙が止まらなかったと言い、日本にボランテイアで行くために航空券を買ったと言っていました。日本が大好きな人がたくさんいます。応援しています。風評被害に負けないで頑張ってください。副島先生、先生のお弟子さんたちの身を削る活動に心より敬意を表し、又、感謝しております。

副島隆彦 投稿日:2011/07/11 11:12

【566】[627]ランス・ガトリングという名の、アメリカ軍人で核戦争・化学戦争の専門家

副島隆彦です。今日は、7月11日 です。
[623](原発 報告文 17)に書いた、もうひとり、ランス・ガトリングという名の、アメリカ軍人で核戦争・化学戦争の専門家がいる。おそらく、福島第2原発だろうが、ここの管理棟に、ずっと、ずっと常駐している。

この ランス・ガトリング Lance Gatling の 経歴を、転載する。
今回も、弟子の古村治彦くんが、翻訳してくれた。

古村治彦の酔生夢日記
http://suinikki.exblog.jp/

(転載貼り付け始め)

●社団法人日本外国特派員協会のウェブサイトから
http://www.fccj.or.jp/node/1218

Lance Gatling ランス・ガトリング

head of Gatling Associates aerospace and ICT consultancy based in Tokyo

東京に拠点を置く ガトリング・アソシエイツ代表(航空宇宙産業・情報通信作業コンサルタント)

A graduate of West Point, where he studied weapons systems engineering, Gatling also holds a master’s degree in Asian studies and public administration. Gatling served in the U.S. Army as a Northeast Asia political military affairs officer and as liaison to the Japan Defense Agency. He has worked in Japan’s military and space markets for over 20 years in government and industry. His firm’s current clients include aerospace and IT companies in Japan, the U.S., and Europe. He also chairs the Aerospace Subcommittee of the American Chamber of Commerce in Japan.

米国陸軍士官学校(West Point)卒。
専攻は武器システム工学(weapons systems engineering)。
アジア研究と行政学で修士号を取得。
ガトリングは米陸軍北東アジア地域軍事担当官と日本の防衛庁(現防衛省)に駐在する連絡担当官を務めた。
ガトリングは、米陸軍時代と退役後の民間での経験も含めると20年以上日本に滞在し、軍事と宇宙関連市場で働いた経験を持つ。
彼の会社は、日本、アメリカ、ヨーロッパの宇宙関連企業やIT企業を顧客としている。
ガトリングは在日米国商工会議所の宇宙関連産業小委員会の委員長を務めている。

●テンプル大学日本校のウェブサイトから
http://www.tuj.ac.jp/newsite/main/news/specialevents/events_2008/events_081001.html

Lance is a Bachelor of Science graduate of the US Military Academy at West Point with Masters in National Security Affairs, East Asian Studies and Public Administration. After a career as a Foreign Area Officer in the US Army in the US and Asia, he joined the US Foreign Service. He later led the Asian business development organizations of Texas Instruments, Raytheon, Hughes Electronics, and then, Boeing Space. He now runs his own aerospace consulting company, helping companies find business partners and negotiating manufacturing agreements in Japan, while also consulting for governments and private companies on aerospace and security affairs in East Asia.

ランス・ガトリングは米国陸軍士官学校で学士号(科学)、国家安全保障、東アジア研究、行政学でそれぞれ修士号を取得。
米陸軍で外国問題担当官として米国内とアジア各国で勤務後、米国務省に入省。
その後、テキサス・インスティルメンツ、レイセオン(アメリカの軍需製品メーカー)、ヒューズ・エレクトロニクス、ボーイング・スペースといった企業のアジア進出を支援した。
現在、宇宙関連産業のコンサルタント会社を経営し、日本への進出を考えている企業に対して、ビジネスパートナー探し、製品の製造に関する合意締結などに関して支援を行っている。
また、東アジア各国の政府や宇宙関連企業のコンサルタント業務も行っている。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

吉見おさむ 投稿日:2011/07/10 22:56

【565】[626]福島本部活動日誌です8

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年7月3日の日誌です。

7月3日午前1時に、二階で感じていた異臭の原因を発見しました。戸棚の中でした。
調理用の油がフライパン一杯に残っていて、ハエがそこで20匹死んでいました。
処分する時に油を床に少し零してしまい、その後始末にも時間を使ってしまいました。

朝起きて、11時に炊き上がるようにご飯をセットし、冷たい麦茶を急いで作りました。
バスが通っていなかったので、古道小学校に行って、今日は一時帰宅はやっていないことを確認しました。
麻婆豆腐を作って、味噌汁の準備をしました。

11時半に会員のNさんが来ました。焼き菓子のセットを持ってきてくれました。
先日のHさんもそうでしたが、結構なイケメンで、驚きました。
そう言ったら、微妙な意味に聞こえてしまい、慌てて更に変なことを口走ってしまいました。
昼食後に、先生の指示通り、2階も含めて事務所を案内しました。
検問所を案内しました。今日は埼玉県警でした。たしかに今日通った警察車両は埼玉県警が多かったです。
そのあとに、古道体育館と、ひまわりの種を植えた畑、古道行政局などを案内しました。
古道体育館は誰も人が無く、中を覗けました。椅子がバスに搭乗する人数ごとに分けられていました。

サッカーの話で盛り上がった後、2時半にNさんは帰りました。
迎える立場のはずの私が、大変楽しい時間を過ごしてしまいました・・・。

2階のPCとプリンタを繋いでいるUSBケーブルを、少し長いものに取り替えました。
ただ、今度は電源コードの問題で、あまり遠くには置けない状態です。

3時に急に雨が降ってきました。4時くらいに物凄い豪雨になりました。
干していた掛け布団が、少し濡れてしまいました。

台所の床に置いてあった保存食や袋の類を、調理台の中段に上げました。
水が排水口に向けて流れていく時に、濡れてしまうからです。
また、台所にあって、全く使っていないポットや鍋を、ビニール袋に入れてしまいました。
取り出して元の場所に戻すのは、すぐに可能です。

古道の体育館は、写真にとっておきたかったです。
今となっては、自宅のデジカメを持ってきておくべきだったと、後悔しています。

午後八時から、Yさんの「やきとり天国」の所でお酒の席を少しだけご一緒しました。
余っていた麻婆豆腐とお酒2瓶とツマミを持っていきました。
お酒が入っています。別に時間を措いて報告します。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年7月3日の日誌に追加します。
ちょっと日誌を外れてしまっているところがあります。

7月3日午後8時に、やきとり天国の灯がついているのを見つけました。酒2本、お茶菓子とツマミ、余っていた麻婆豆腐を持って伺いました。
Yさんご夫妻と、お連れの3人と、酒の席をご一緒しました。

Yさんの奥さんの言っていたことを以下に箇条書きでまとめます。
「都路には3000人いたけれど、今は年寄りが250人だけ残っている。残りの人は仮設住宅に入ったか、入れなくて待ってる人」
「ここにいる5人は、先生の説明で安心してここにいる」
「浜通りの人に比べれば、ずっとマシだから、帰ってくればいいのに、と思っている」
「本当は皆先生の説明を聞きたいと思っているけど、聞きにいけない。極東組か社会党なのか、と思って聞きに行けない。これは本当のこと」
「『学問道場は何をやっているのか?』と訊かれたら、安全だと説明するためにここにいる、と言えばいい」

ここから日誌を離れます。

学生時代に酒で色々と失敗した身としては、やはり、酒は出来るだけ飲まない方がいいのだと、絶対に酔って本音を漏らしてはならないのだと、今回しみじみ思いました。
本当に酔っていたのならば、失礼な態度を取ってしまっていたかもしれません。
そうならなかったのは中国式の、仲間うちだけの酒の飲み方を、北京で二回見て教えられていたからです。
中国式で酔わないのは無理です・・・。私は日本人ということで、免除してもらったのですが、学生の酒飲みをさらにエグくした感じでした。
老酒のコップ一杯一気飲みが挨拶で、その後にビール一缶一気飲みが延々と続くのです。
その後に、例えば婚約者の前で、男同士でキスさせるとか、性癖を聞き出すとか、そんな感じです。
そして友人同士で家に帰っては、帰り道でツマミを買って、また飲み、そこでやっと重要な話をするのです。
絶版ですが、遠藤誉『卡子』(文春文庫)の世界は、酒の場にも色濃く現れています。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年7月4日の日誌です。

頭痛とともに、9時に起きました。
慌てて、燃えるごみを出しに行きました。まだ収集車は来ていなかったので出せました。

建物の土手側に危険物があったので、まとめて安全にしておきました。

正午に都路体育館に行きました。今日は一時帰宅は行われていませんでした。
体育館の玄関は開いていました。自衛隊の特殊車両が一台ありました。
今日は目で見たものだけでも、自衛隊の特殊車両は12台、パトカーは9台通ったのを見かけました。
いつもより多いです。

換気が難しいです。正面玄関含め三箇所を開けるようにはしているのですが、上手くいきません。

午後3時にIさんが来ました。
事務所周りの雑草を草刈り機で一掃してくれました。
とても有難うございました。
「都路のたまご」と描かれたタンクローリー型の車が午後5時に288号線を通りました。
4日見ていなかったので心配だったのですが、安心しました。
午後6時前に豪雨になって、Iさんが雨に濡れてしまいました。
バスタオルを使ってもらえればよかったのですが・・・、大丈夫でしたでしょうか。
Iさんは午後6時半に帰りました。

夕食は、インスタントラーメンに残りものの野菜を入れて煮たものを食べました。

がけ崩れの補修工事が行われているのですが、そこで一時帰宅のバスが7月2日土曜日はかなり混雑していました。
ちょうど288号線と399号線がクロスするところなので、交通量も少しあり、混雑の元になっています。
工事は8月22日までとなっています。

燃やせないごみを分別してまとめました。
7月22日に絶対に出します。

3日ほど1階の奥の部屋で寝てみました。
車の音がするので、また、灯油が近くにあってにおいがするので、二階より寝心地は悪いですが、2人ほど寝られます。

今日も水浴びをしたのですが、あまりに体が寒くて途中で断念しました。
風呂は無くて私は大丈夫ですが、シャワーが欲しいです・・・。
本当にみや古旅館はありがたいです。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年7月5日の日誌です。

朝起きて、今日はゴミだしが無いことに安心しました。

午前8時半に、パトカーが物凄い勢いで検問所に走っていきました。
その直後に昨日以上の物凄い豪雨になりました。ただの偶然だとは思いますが、驚きました。
一時間したら天気雨になりました。午後11時には晴れました。

初めて、白い自衛隊の特殊車両を288号線で見ました。
今日は消防関係の車が多かったです。

今日も一時帰宅は行われていませんでした。
マスコミ関係者へのインフォメーションボード、として
「7/2 双葉116世帯200人  大熊町119世帯181人」
と、ホワイトボードに書いてありました。
また、
「マスコミ関係者立ち入り禁止!!」
という張り紙がありました。

事務所裏にあるワックスの缶は、市では収集していないと書いてありました。
「販売店か業者に依頼して処分」と書いてありまして、ちょっと処理に困っています。

ゴミ箱を4個購入しました。
「可燃」「プラスティック」「缶」「ペットボトル」と印刷し、それをガムテープで貼るだけで、かなりの時間を使ってしまいました。
また、プリンタが無線で接続できることに驚きました。PC音痴っぷりが丸出しの一日でした。

3日前の味噌汁、賞味期限4日切れの納豆、ご飯で、夕食を頂きました。
味噌汁は悪くなっていましたが、構わず飲みました。
明日は腹痛になるかもしれませんが、美味かったです。
そう思っていたら、夜にはもうおなかの調子が変です。

猫が二匹近くにいます。この前10分だけ外に出していたプラスチックのゴミが、袋を破られました。

Hさんが以前指摘されていたとおり、電子レンジは必要でした。
5000円のものを購入しました。

明日はややお休みを頂く感じで、思いっきり福島本部の掃除をしたいです。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年7月6日の日誌です。

午前0時40分に、和歌山県警のパトカーが3台連続して通りました。
赤いランプはなぜか点灯させていませんでした。
その後ろの2台は、ランプを点灯させていました。

朝起きて掃除を始めたのですが、右手にマメができかけたので、あまり進みませんでした。
できたのは、台所の半分、トイレ、布団干し、ハエ6匹駆除、荷物置き場になっている通路、2階、だけでした。
それでもバーベキューセットを置いてある辺りが掃除できて、安心しました。

午後1時にデジタルカメラが届きました。もっと前に買っておくべきでした。
急いで石井さんに依頼されていたヒマワリの画像を撮りに行きました。
ですが、どれがヒマワリなのかわかりませんでした。
明日再度撮りに行きます。
その他、検問所、古道体育館の内側、側面が壊れた家屋、寺、郵便局、石井魚店を撮影しました。
明日時間があれば、寺の奥や中学校に行きます。

裏口の近くで、福島県警のパトカーがUターンに近い折り返しをやっていました。
とても鮮やかな手際だったので、ナンバーを控えることもできませんでした。

みや古旅館でシャワーを借りました。途中で水浴びをしたとはいえ、6日ぶりのシャワーは最高でした。

(転載終わり)

『6日ぶりのシャワー』と書いていますが、現在は、相当に体に堪えるとはいえどシャワーで水浴びができるようになり、衛生的にはかなり改善しております。
・・・私の報告に意味があるのか、今でも自信がありませんが、少しでも笑ったり楽しんでいただければ、幸いです。

岸 圭介 投稿日:2011/07/10 22:09

【564】[625]属国日本

 私は小学校のおやじの会の代表を5年間やっていますが、先ほど3年前に定年退職された校長先生と飲んできました。
 原発が日本に54機もあることについて触れられ、「日本はアメリカの言うなりだよね。戦争に負けるって事は、こういうことなんだよ。日本は属国ですよ。マスコミも買収されているしね。」という発言をされました。その方は副島先生のことを知りません。新聞とTVと書物から情報を得ている方です。属国という言葉が出てきた時はびっくりしました。
 この原発事故で、日本は属国だということが、見えやすくなっています。自分の頭で考えようとしている人は、このことに気付くのでしょう。
 次に会うときは、副島先生の本をもっていこうと思います。放射能コワイ派に対向すべく、分かってくれる人を増やしていこうと思います。

副島隆彦 投稿日:2011/07/08 10:38

【563】[624]IAEA Management Team David Waller

副島隆彦です。[623](原発 報告文 17)に書いた、デイヴィッド・B・ウォーラー について、IEAEのホームページから、貼り付けます。
http://www.iaea.org/About/dg/waller_bio.html

(追記:弟子の古村治彦くんが翻訳してくれたので、訳も載せます。)
http://suinikki.exblog.jp/d2011-07-07/

(転載貼り付け始め)

IAEA Management Team
IAEA管理チーム

David Waller
デイヴィッド・ウォーラー

IAEA Deputy Director General and Head of the Department of Management
IAEA副事務総長兼管理部最高責任者

David B. Waller took up the position of IAEA Deputy Director General and Head of Management, in January 1993. Previously he served from 1981 to 1986 as a legal counsel to President Reagan at the White House and, in 1986 he was nominated by the President, and confirmed by the Senate, as Assistant Secretary for International Affairs, US Department of Energy a position he held until 1989.

デイヴィッド・B・ウォーラーは1993年1月にIAEA副事務総長兼管理部最高責任者に昇格。1981年から1986年にかけてドナルド・レーガン大統領の法律顧問を務めた。1986年には大統領からの指名、アメリカ上院の承認を受けて、米エネルギー省の国際問題担当次官補に就任。1989年まで次官補を務めた。

Mr. Waller began his professional career in 1974 as a lawyer in the Attorney General’s Honor Program at the Department of Justice, and thereafter from 1978 until he joined the White House staff he was in private practice at Hogan & Hartson, the largest Washington-based law firm. Mr. Waller holds a B.A. (with honors) in Economics, a J.D. (with honors) in law, and a Doctor of Laws, honoris causa.

ウォーラー氏は1974年にキャリアをスタートさせている。1974年、米司法長官選定優等プログラムに法律家として参加した。その後、1978年からホワイトハウスのスタッフとなるまで、民間の法律事務所ホーガン・アンド・ハートソンに勤務していた。この事務所はワシントンDCで最大規模を誇る法律事務所である。ウォーラー氏は経済学学士(優等)、法務博士(優等)、法律学博士(授与される際に名誉としてhonoris causaが付与された)を取得している。

Mr. Waller has received numerous awards including, in 1989, the Secretary’s Award – the highest award given by the US Secretary of Energy – for outstanding leadership and, in 1990, the Superior Achievement Award, in special recognition of his achievements in the international arena. He received, on behalf of the Agency, the 2003 Albert Schweitzer International University Science and Peace Prize. And, in 2005, he was the representative of the IAEA’s Management at the ceremony in Oslo awarding it the Nobel Peace Prize.

ウォーラー氏は数多くの賞を受賞している。1989年には、類希なリーダリップを発揮したとして、米エネルギー省で最も栄誉ある、長官賞を受賞している。1990年には彼の国際問題の分野での業績に対して特別業績賞が与えられた。2003年にはアルバート・シュバイツァー記念国際大学科学・平和賞を、IAEAを代表して授賞している。2005年、ウォーラー氏はオスロで開かれたノーベル平和賞の授賞式典にIAEAの管理部を代表して出席した。

In 1984 he was elected to the National Council of the Friends of the Kennedy Center for the Performing Arts, in Washington, a position in which he served until moving to Vienna. And, from 1991 to 1997 he was a member of the Board of Trustees of Denison University. In Vienna, he has been, since 1993, a Commissioner of the Fulbright Commission, and a member of the Board of Advisors of Webster University, the largest American based undergraduate and graduate school in that city. He is a frequent speaker worldwide.

1984年、ウォーラー氏はワシントンDCにある「舞台芸術のためのケネディセンター」の全国賛助会の会員に選ばれた。彼はウィーンに移るまで賛助会員を務めた。1991年から1997年にかけてデニソン大学の理事を務めた。ウィーンでは、1993年から現在まで、オーストリア・フルブライト委員会の委員長を務めている。またウィーン市内で最大のアメリカ式の教育を行う大学として有名なウェブスター大学の顧問も務めている。彼は雄弁家としても知られ、多くの機会でスピーチや講演を行っている。

(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝

副島隆彦 投稿日:2011/07/07 06:54

【562】[623](原発 報告文 17 ) 私たちの2つの講演会が迫っています。福島の近況。 官邸にいるアメリカの覆面高官の実名。

副島隆彦です。 今日は、2011年7月7日です。

私は、先週は福島県の 会津地方に行きました。会津若松市の東山(ひがしやま)温泉街や、会津の磐梯(ばんだい)山のあたり一円の ホテル、温泉旅館などに分散して暮らしている原発避難民たち約一万人の暮らしぶりを見てきました。

多くは、原発から10キロ圏の浪江町(なみえまち)2千人と、大熊町(おおくままち)6千人の避難者たちでした。 彼らの一部とは話もして、実情と彼らの考えを知りました。私たちの会員の磯貝さんにずっと案内していただいてお世話になりました。 私は、自分の会津訪問記を書かないまま、一週間を空費しました。

そのあと、私は田村市(たむらし)都路(みやこじ)町にある私たちの福島復興活動本部に行きました。 その様子は、駐在している吉見君がここで活動日誌で報告しているとおりです。 今、この浪江、大熊町の避難民たちが、一時帰宅のバスに乗せられて、私たちの活動本部から見える所にある古道(ふるみち)小学校や体育館から、国道288号線(住民は、ニッパッパーと呼ぶ)の検問所を通って20キロ圏内の自宅へと帰って行きます。たったの2時間の帰宅です。次は、いつ帰宅できるのか、誰にも分からない。

さて、ここで大事なことを報告します。 私は、ついに 首相官邸にい、3月17日からずっと詰めて、常駐している アメリカの政府高官で、かつ、IAEA(アイ・エイ・イー・エイ、国際原子力委員会)の高官、それも No3の大物である 人物を突きとめました。

この男の名は、 デイヴィッド・B・ウォーラーです。

・David Waller
IAEA Deputy Director General and Head of the Department of Management

このデイヴィッド・ウォーラー David B Waller  のIAIE内での肩書きは、deputy director general  副事務総長(副専務理事とも訳せる) である。 天野之弥(あまのゆきや)事務総長の 次の 高官である。 しかし、もうひとり間に、board governer 議長を名乗るパキスタン人がいるので、このウォーラーは、IAEAのナンバー3です。

このデイヴィッド・ウォーラーが、3月17日からずっと、首相官邸に潜んでいて、菅直人首相や、枝野幸男官房長官その他の大臣たちに、直接、命令と指図を与えて、それで、福島第一原発の事故と放射能漏れの大事件の処理と対応に当たっている。 これを官邸の内部では、「日米連携チームの会議」と呼んでいる。 辞職したはずの 米沖縄総領事だったケビン・メアというワルの高官も、まだこのあたりで暗躍している。

すなわち、これが、アメリカによる日本直接管理、アルルくんが言い出した「日本再占領」である。アルル君は、今、この書名の本を、突貫工事で書いている最中である。重要な資料を手に入れたようです。この本は、8月中に刊行とのことです。乞うご期待。

このアメリカ政府高官たち(お供の通訳たちと)が、もうこの3ヶ月も首相官邸に隠密で常駐して、そして日本国の首相以下に、「あれをこうしろ。次は、ここをこうしろ。それでよし。お前は無能だからここから出てゆけ」とかの指示と命令を、毎日、出しているのである。IAEA による日本直接管理は、本当に、実行されているのである。「日本人になんか任せておけない」ということだ。重大な原子力事故を起こした。世界全体に影響することだから。

この事実に悲憤慷慨(ひふんこうがい)しない日本人がいたら、お目にかかりたい。 私、副島隆彦が、元気なうちは、アメリカからのこのような屈辱的な日本支配を許容しない。日本国民に、広く事実を知らせる。 私と学問道場が頑張らなければ、日本はよくならない。 今や私たちこそが、日本の最高頭脳であり最先端の情報発信体である。 違うというなら言ってみろ。すべて実名で叩(たた)きのめしてみせる。

もうひとり、福島第2原発だろうが、ここの管理棟に、ずっと、ランス・ガトリングという名の、アメリカ軍人で核戦争・化学戦争の専門家がずっと常駐している。それから東京の東芝の本社ビルの中に、年老いたアメリカ人の核技術者たちが10名ぐらい来ている。

彼らは、1979年のスリーマイル島の原発事故の時に対応した、GE(ジーイー)の技術者たちである。だからもう70歳をとうに過ぎて80歳ぐらいの爺さんたちだ。この人たちの様子は、日本のテレビでチラと報道された。この爺さんたちは、福島第一の一号機のマークワンという名の格納容器や炉心の設計技師たちであるから、複雑な配管の配置もすべて知っている。逆に彼らでなければ分からない。

彼ら3者は、皆、連携して動いている。そして、そのすべてを、 ウォーラーが統括している。

菅直人が、「私はステップ2まで(すなわち来年の3月まで)首相をやりたい」とぬけぬけと言い放ったのは、この ウォーラーからの「そこまではお前がやれ」という指図(さしず)があったからだ。 今やみじめな野党である自民党や、菅直人に反対する民主党内の大勢力からなる日本の国会議員400人が束になってかかっても、菅直人を首相から引きずり下ろせ無いのは、こういう「地底(すなわち外国)からの大きな力」が働いているからだ。

この アメリカ政府の覆面高官が、首相官邸に秘かに常駐していて、(夜は、裏のキャピトル東急ホテル に地下のトンネルを通って寝に帰るのだろう)。 そしで、日本の国家政治を直接、管理しているからだ。 日本国に、このような大きな外側からの力がかかっているのです。

私は、自分がどんな目に遭ってもいいから、日本国民に本当のことを知らせる。福島の現地でも常駐する弟子たちと、福島の住民たちと共に闘い続ける。誰にも遠慮しない。大きな真実以外の、何ものも恐れない。

私、副島隆彦が、20年かけて築きあげてきた 「帝国‐属国理論」の政治思想に依らなければ、そして、この理論によってのみ、今、私たちの前で進行している事態は、説明がつくのである。

デイヴィッド・B・ウォーラーたちは、毎日、衛星回線のテレビ電話 TV presence で、これが、虎ノ門の米大使館だけでなく、ワシントンDCのホワイトハウス(ヒラリーたちがいる)と、ウィーンのIAEAと直接つながって、報告し会議を開いている。だから、意思の疎通も最高度の決断もここでなされている。

「原発の大事故があったら現場に、一人の有能な専門家を 派遣して、その人物にすべてを判断する権限を与えそしてすべてを任せる。それと事故を起こした原子炉の実際の設計者たちである技師たちがそこにいなければいけない。そうでないと誰にも何も分からない 」と、3月に私に教えてくれた、西村肇(にしむらはじめ)東大名誉教授の言うとおりだった。私の同志である西村教授が、一番よく、今の事態を分かっている。

その他、今から日本国民にいろいろ書いて教えなければいけないことがある。このことは、先週発売になった、「大災害から復活する日本」(徳間書店刊)と、武田邦彦(たけだくにひこ)氏との共著である「原発事故、放射能 ケンカ対談」(幻冬舎刊)に、あれこれ書いている。

この2冊が今、全国のすべての書店に並んでいますから買って読んでください。テレビの統制ニューズ見 とネットしからやらず、本を自分で買って読むということをしない人間には、大きな真実は分からない。

それから、来週の末、7月17日に、私たちの学問道場の定例会の講演会が東京の御茶ノ水で開かれます。演題は、「深い知恵(ちえ)で立ち向かう 原発放射能による国民洗脳」 です。 おそらく、もうすぐ定員一杯(600人)になって締切りになりますから会員で時間のある人は急いで申し込んでください。 アメリカの覆面高官の動きの話も、ここで再度します。

それから、7月31日に、東京で、私、副島隆彦の金融・経済のことが中心の講演会があります。こちらは、私、副島隆彦のこれまでの金融本を買って、まじめに読んで、そして自分の資産をしっかり守った人たちの集まりです。お金のことにあまり興味のない人や、自分の金融資産を守ることに熱心でない人や、投資でひどい目にあったあったことのない人は来ても仕方がないです。

この金融講演会の方の案内は、前掲「大災害から復活する日本」の本の中に挟み込まれているはがき大の広告チラシの中に書いてあります。この講演会のことは、後日、再度、お知らせしますからゆっくり待っていてください。まだまだ定員に余裕があります。ただし、ご自分のこの7月31日(日)の日程だけは空けておいてください。

私は、弟子たちを育てて、一人前の言論人、知識人にすることにおいて本気です。 私、副島隆彦に向かって、「原発事故までも自分の金儲けの手段にする」と言うような、卑劣なことを書く連中と徹底的に闘います。私たちが闘って、そして生活するためには最低限度の資金がなのです。それを、私たちは、学問道場の会員と、それから私の本の熱心な読者たちに頼っています。

私たち学問道場に敵対する、低能で 頭の悪い、「ほんのわずかでも、放射能はコワイ、コワイ派のバカ」たちとの目下の闘いも全力でやります。来週は、福島市まで行って、「山下俊一 辞めさせろ署名運動」をしている謀略人間たち(グリーンピースその他)のようすも調べてきます。

日本国が、この国難に男男(おおおお)しく立ち向かって、そして乗り越えてゆくために私のような人間がいるのだ。

副島隆彦拝

川端優美子 投稿日:2011/07/04 21:58

【561】[622]8年がかりで山を切り開いて作る福島第一原発への道

群馬のゆみこ(川端優美子)です。

【[590]福一原発への道路整備作業 50歳代 1日2時間で5万円】の続報です。[590]は、おじさんが東電の下請けで働いているという、わたしの友人からの、又聞きの又聞きぐらいだったので、少し情報が間違っていたところがありました。今回は、友人が6月末に法事でおじさんに会い、直接聞いてきた話です。

おじさんは原発に向かう道路を作る仕事の候補者として挙がっていて、話を聞いた当時(6月末)はまだ実際にはその仕事はしていませんでしたが、今月から行くそうです。おじさんは「いぎたくねぇなぁ」と言っていたそうです。

その原発へ向かう道路は、なんと、山を切り開いて作る計画だそうで(なんで?どこから?)、雇う側の説明では完成まで7~8年かかるということです。でも、おじさんとしては「8年じゃあ、無理だんべ。10年はかかるだんべな」ということです。

その仕事に就いた場合、宿泊場所は原発から70km圏外にあり、毎日1時間半かけて通うことになる。(これも、「放射能こわいよ、作業員も泊まるときは70km圏外だよ」というパフォーマンスでしょうか。)

仕事は午前中に二時間、午後に二時間で、1日5万円の報酬だそうです。昼食はおにぎり2個が支給されるのみ。夕食はお弁当ひとつ。

作業中はマスクを外してはいけないので、飲食は禁止。 

この話を聞いたときは、「お昼ごはんはおにぎり二個って、ひどい」とか「この暑さの中、防護服を着てマスクして2時間、水も飲めないのはきつい」などと思っていましたが、よく考えたら「8年がかりで山を切り開いて作る道路」って、なんのためなのか、という疑問が湧いてきました。やはり、日本中の核廃棄物を大きなトラックで運ぶための道路なのでしょうか。その前に、核廃棄物処理場を建設する資材を運ぶための道路? 以上