重たい掲示板
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Loginはこちら【557】[618][607]で「原子力機構がの約1/100以下だと認めました。西村肇東大教授の勝利です。」と書きましたが、まだ勝利ではありませんでした。
[607]で「原子力機構が大気への放射性物質放射量がチェルノブイリの約1/100以下だと認めました。西村肇東大教授の勝利です。」と書きましたが、まだ勝利ではありませんでした。私のまちがいでした。
チェルノブイリの1/10のニュースがあったときに「セシウムをヨウ素に換算して」と書いてあったことを思い出して検索してみました。それで、仕組みがわかりました。
セシウムの場合、ヨウ素換算して放出量を表示するので「40倍」するそうです。だから、見積もった5000テラベクレルでは40倍すると20万テラベクレルになってしまう。1/100をこえています。
情けない話ですが、「あーこうやってどんどん増やしているんだ」という感じです。
このことは、原子力機構も、原子力安全・保安院が予想した37万ベクレル、原子力安全委員会の63万テラベクレルにそった数字を出してきているということです。
川端優美子様、丁寧な投稿ありがとうございました。でも、まだ、原子力機構は認めたわけではありません。お騒がわせして、すみませんでした。おわびします。
下條竜夫拝
【556】[617]福島本部活動日誌です6
福島本部活動日誌です。今後、この名前で統一します。
正直、これをここに書いていいのか、今でも躊躇しています。それでも、暴き系の端くれとして、知ったことは書かざるを得ない、そう思います。
「この町長なんて単なる可愛い笑い話じゃないか!本当にこの場合悪いのは、贈った側と見て見ぬ振りした税務署、警察じゃないか。それで贈った側は誰だよ!こっちが国家暴力団じゃないか!裏は本当きったないんだよこいつら!」
と、副島先生はしみじみ語っていました。
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年6月28日の日誌にひとつ追加します。
今でも内網とはいえ、これを書いていいのかわかりません。
かっぱ寿司で食べている時に先生から教えてもらいました。
津波で家が丸ごと流されたある町長は、流された後の家から5億円見つかったそうです。
警官がその場で確認の為に、金庫開けろ、と言ったことから明らかになったそうです。
そして何より、このことは福島民報には載っていないそうです。
町民も隠すはずです。
帰りの車で先生が「法律やる人間は皆知ってるんだが、騒ぐ人がいなければ犯罪にはならない」と言っていました。
万一誰かが義憤に駆られたとします。
一体どうやって封鎖された20キロ圏内の証拠を集めればいいのでしょうか。
また、何処の誰に話を持っていけばいいのでしょうか。税務署やその場にいた警察官でしょうか。
昨日の話から、原発をやりたくなる気持ちが本当によくわかりました。
今からでも酒かっくらって不貞寝したいです。
(転載終わり)
【555】[616]福島県弁護士会「原発事故損害賠償支援講演会」
福島県弁護士会説明会報告
会員番号6619福島県在住 川原と申します。
はじめて投稿しますので、乱文お許しください。
6月25日(土)福島県弁護士会主催「原発事故損害賠償支援講演会」に行ってきましたので、ご報告します。
120名の座席しかない会場には、50名以上の人が会場外にあふれていました。会場からあふれた若い女性が「ちゃんと段取りよくやれよ。」など怒号が飛んでいました。
講師は渡辺淑彦弁護士でした。
まずは、「原賠法の説明で高度成長期の昭和36年成立した法律であること。 他の関連業者は無責任で集中責任主義である。」旨説明がありました。
その次に「前例として茨城県東海村 JCO のケースについて説明がありました。その際には、訴訟になったケースは10件のみ 調停が2件 6000件以上は茨城県が対応して収束。JCOは1500億を出した。」旨説明がありました。
今後の賠償について 「東電は2400億を準備した。それ以上については政府が必要な措置を取る。7月中には中間指針が示される予定。また、ADR(紛争解決調停機関)が設けられる予定。賠償額については全く判らない。秋から風評被害による損害賠償も受け付ける予定。」との説明がありました。
その後今までの支払い状況の説明がありました。詳細は下記の通りです。
4月26日 30キロ圏内の方には、1世帯100万円 単身世帯75万円 を仮払い
5月31日 農林業漁業の従事者には、過去5年の粗利の83%の半分を仮 払い
6月10日 30キロ圏内の中小企業は過去2年の粗利の半分で上限250 万円
証明ができない場合には20万円を仮払い。
6月20日 避難者の慰謝料 月10万円の半年分 避難所暮らしの場合は +2万円/月
を仮払い。
弁護士から参加者への今後のアドバイスは以下の通りでした。
「訴訟を提起する場合には、立証責任が生じるので、今回弁護士会で配る「福島原子力災害被災者・記録ノート」に詳細を記録して欲しい。但し、これが全て事実認定される保証はありません。また、原賠法3条1項には免責規定があり、この規定により賠償を受けられない可能性もある。東電は訴訟になれば、この規定を持ち出して免責を主張してくる可能性がある。」
参考までに3条を掲載します。
第3条 原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。
最後には以下の説明がありました。
「弁護士会としては、ADRと政府の対応を待ちます。それに不服の場合には集団訴訟も検討している。政府が福島県民をだまし討ちしないことを願う。東京の弁護士の一部はビジネスチャンスとして活動しているが、こうした連中には煽られないよう対応してください。」
私の総評 弁護士会は東電 政府の対応を待つしかなく、賠償額についても全く判らない。
訴訟になっても、東電は原賠法3条免責条項により争ってくる。弁護士会としては「被災者記録ノート」の記載を奨励するくらいしかできない。法律は国家権力のために使われるので、その前には弁護士も無力であることを公言した。
最後に参加者からの質問と回答のやりとりです。以下
浪江町で家が20キロ圏内の男性
「家と土地の賠償について、額や時期はどうなのか?」
弁護士「全く判りません」
女性「ADRという機関は、被災者を丸めこむ機関ではないのか?個別で 訴訟をすべきではないのか?」
弁護士「大変重要なことですが、コメントできない」
【554】[615]福島から報告します5
原発事故発生当時読んでいた新聞で、保存していた記事を眺めてみたら、3月26日~28日は余り記事の更新がなかったです。ひょっとしたら、このころに、ピアソンは「原発は大丈夫だ」って情報が入ってきたのでしょうか。
以下にSNSIのMLに以前投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年6月26日の日誌です。
今日は雨の影響もあり、気温の日較差を体感する一日でした。
体温調節のために、家から持ってきた薄がけの布団を利用しています。
午前7時半にYさんと男性一人が来ました。小さなテレビを持ってきてくれました。
午前8時半に古道小学校前に集合されるというので、2人はすぐに車に乗りました。お茶も出せませんでした。
正午に会員のNさんが、いわき市から来ました。いわき市で会社を経営しているそうです。そして地震の影響は大きいそうです。
松原照子のサイト、幸福への近道(http://shohweb.com/)について言及し、「6月25日の『デビル』とはガイトナーのことではないか」と言っていました。
午後3時に会員のIさんたち4人が来ました。
Iさん達は気を使ってはいたのですが、それでも作業用靴についた土がカーペットに入ってきてしまいました。
帰った後の土の掃除に手間取りました。それでもここに来て貰えて有難かったです。
今日はずっと警視庁のパトカーが行きかっていました。
午後7時にKさんの知り合いというYさんご夫妻が来ました。浪江町への一時帰宅の人で、会員ではないと言っていました。
「よくわからないけど、とりあえず場所を確認しに来てみたんですが・・・」と言っていました。
学問道場の説明をしてみましたが、わかってもらえたかどうか微妙なところです。
頂いたラスクは先生がとても気に入っていました。
福島復興本部を訪れた人たちと、共通して話題になったのは、「福島の大きな地図と原発からの距離」、「防護服」、「武田邦彦とのケンカ対談」、「検問所」でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年6月27日の日誌です。
朝起きて、燃えるごみを捨てに行きました。検問所がゴミ捨て場前まで来ていました。
「ゴミ捨てですか?」と声をかけられました。
午後は、船引までの23キロを自転車で行ってみました。大変ですが、雨でもなんとか往復可能です。
但し、片道2時間かかること、高低差が大きいこと、288号線には信号が殆ど無いので休憩が取れないこと、等を考えると、余り良い移動手段ではありません。
途中に郵便局が2つありました。都路もそうなのですが、住民が避難していても、郵便局はやっています。
郵便局は、こんなとき「だからこそ」やっているのかもしれないと思いました。
帰りは福島交通の路線バスと同じ経路(http://www.fukushima-koutu.co.jp/bus/map/03ono_02.html)で、旧街道を帰ってみました。
高低差は小さいのですが、人気の少ない怖い道でした。普通に288号線を直進した方がよかったです。
午後9時に、水道が止まっているのに気付きました。
明日、急いで問い合わせます。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年6月28日の日誌です。
今日は、夜が18度、昼が32度でした。体温調節が難しいです。
水道はとりあえず復旧しました。明日、都路行政局へ行って説明を受けます。
掃除機を少しだけかけました。
布団を干そうと思ったのですが、突然雨が降ることが多く、断念しました。
外のトイレにブラシをかけました。トイレの便器自体はまだです。
午後4時半に、副島先生とTさんが着ました。
Tさんが無線LANの設定を訂正してくれました。ダイヤルアップ無しで自動的にネットに繋がるようになりました。
その他、先生の原稿へのペン入れを、画像データにして出版社に送信してもらいました。
有難うございました。
船引に、買出しと食事に行きました。
スーパーで食料を積み込んだ後、扇風機と洗濯機を購入しました。
洗濯機の到着は少し遅れます。
食事はかっぱ寿司で食べました。3人で3255円でした。
Iさんと行った時のように、満員で待ち時間がかかるほどではありませんでした。
それでも普通に家族連れで賑わっていました。
(転載終わり)
【553】[614]「今頃65歳にもなって、何を偉そうなきれいごとが言えるんだ!」 副島先生は質問の返答もすごい演説
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
2011年6月16日(木)午後6時から東京の文京区民センターで行われたシンポジウム「小沢一郎と日本の新しい政治」に行きました(泉浩樹さんが、【[611]動画:シンポジウム「小沢一郎と新しい日本の政治」】で知らせている動画です)。以前[601]で先生の演説の報告をしましたが、演説のあとで、会場からの質問に答える副島先生の動画です。だいたいな感じで書き起こしました。質問は・・・何だったかな。質問を知らなくても楽しめる内容ですが、興味のある人は動画【シンポジウム「小沢一郎と新しい日本の政治」-5/6】にあると思うので、探して下さい。
【動画】シンポジウム「小沢一郎と新しい日本の政治」-6/6(副島先生7:30から)
http://www.youtube.com/watch?v=Lqg09JtgaaQ&feature=related
———–副島先生 答え 書き起こし はじめ———–
日本の官僚が操られるのは当たり前なんです。小沢一郎をいじめている東大法学部を出た高級官僚と裁判官どもが、二流の官僚である検察官たちを使って、あそこまで追い詰めて、ボロボロにしている。検察審査会などというわけの分からない汚らしい団体まで使って。
それはアメリカが、絶対に日本国民の、日本人自らの独立はさせないという意志によっている。それはここにいる皆さんも知っていることだ。
時間だけがこうやって浪費されていく。
笑い話ではなく、この厳しい現実はこれからも、もっともっと私たちに襲いかかり、私たちは追い詰められていく。
小沢系も、鳩山系も、川内博史さんたちでも、次の選挙で叩き落されていくという恐ろしい目にこれから遭っていくんですよ。そんなことは皆さんでも分かっていることだ!ひしひしと!
「絶対に許さない!日本国民の独立と自立は。」それがアメリカの意思だ。
(ここで会場が「日本国民の独立と自立を邪魔することは絶対に許さない」という意味だと思ってしまって、大拍手)
わたしたちがへらへらしていたら、いったいどこで、誰が闘えるんですか。
「がんばろう、明るい未来」なんて言って。明るくもなんとも無い!
メディアもぜんぶアメリカの手先になってしまって!朝日新聞が左の代表で、反権力の代表だったのに、あそこまで崩れ果てて、読売よりももっと悪くなって、読売と合体していく。
そういう状況のなかで、日本国民がどこまで追い詰められていくのだろうか、小沢が育てた若い議員がどこまで叩き落されていくのだろうかということを、わたしはいつも心配している。
わたしたちが団結していかなきゃいけないのだが、今回の原発放射能問題で、国論をここまでボロボロにされて、団結が難しくなっている。
皆様の脳までやられて、「危ない、こわい」騒ぎで・・・いったいどこに逃げるところがあるんですか、日本人が!東京からも逃げろ、などと!
大金持ちは逃げてます。フランスやマレーシアに。帰ってきません、大金持ちは。
皆さんは、定年退職したあとの年金生活者なものだから、言いたいことが言えるけれども、サラリーマンはなんにも言えないんですよ!(ゆみこ、控えめに拍手)
年金暮らしになったからといって、自由な政治活動ができるなどと思っているジジイどもにろくなヤツは居ないんだ!みなさんだ、それが!(会場に笑い。図星)
扇動者(せんどうしゃ)の一人である武田邦彦が、5月25日に原子力安全委員に復帰した。
「こわい、こわい、危ない、危ない」を言うことが、いまは新しい体制派になって、体制を乗っ取って、皆様の脳まで乗っ取って!「危ない、危ない」と言っていれば自分が頭のいい人だ、くらいに思って!(ゆみこ:人間って、意外とこの程度の考えで動いてたりする。思考停止だいのぅ・・・。)
日本国民の団結と復興のための力を、自立していく力を、どうやって削ぎ落としていくかということを、アメリカもヨーロッパも考える。
しかし、アメリカだってヨーロッパだって脱原発になっていきます。大陸ですから、原発なんか作ったら危ない。それは、そうだ。
だが、しかし、考えてください。
一方で、電力労連の親分たちが、労働組合が、原発を認めていったその流れの中で、○○アキヨシさん(ゆみこ:よく聞き取れず)も急にお亡くなりになった。そんなきれいごとじゃない。エネルギー問題というのは甘い問題じゃなくて、世界規模の問題です。急に火力発電にすれば間に合います。が、しかし・・・。
わたしは18歳で高校を中退したときから、反原発運動の集会にずっと参加していた人間だ。しかし、途中で考えを変えて、「世の中こんなもんだ」と、みなさんとおんなじように、世の中に押しつぶされて、自分の考えを変えながら生きてきたんだ!
それを何が、今頃65歳にもなって、偉そうなきれいごとが言えるんだ!(ゆみこ:そうだ!と思う。)
何が自分にとっての正義なんだ!
わたしは「危険だ、危ない」派の連中と、今度徹底的に議論しますから!
先ほど川内博史さんは、60兆個の遺伝子の一つ一つに一本ずつ槍(やり)が突き刺さるみたいなくだらないことを言ってたけども・・・
○川内博史議員、副島先生の発言をさえぎって 「何がくだらないんですか!」
○副島先生 「あとで議論しましょう」
○川内博史議員 「何がくだらないんですか!」
○副島先生 「その件に関しては、あとで議論しましょう」
○川内博史議員 「わたしの言ったことが間違いだって言うんですか!*△%☆の専門家の!」
○副島先生 「放射線医学の医者たちの多数派に、わたしは従います!」
「この件に関しては、どうせ議論になると、わたしは覚悟してます。」
会場 「*☆※□▲!」(ゆみこ:プロのどめきか!?)
———–副島先生 答え 書き起こし おわり ———–
会場から「評論家なんだから、言いたいことを言えばいいんだ!」という声もあったと、あとから会場にいたOさんという人に聞きました。
一つ訂正します。【[601]「日本人だって、自分たちの運命を自分たちで決めることぐらいはできるんだ!」副島先生の、魂揺さぶる大演説 2011年6月16日 文京区民センターにて】の中で、
「自民党の政治家をボロボロにしたのと同じような集団が、小沢一郎の若い政治家たち、これから私が立派な政治家にしていこうとしている連中を、同じようにボロボロにすることは、副島隆彦の目の黒いうちは、絶対に許さない!」
と書きましたが、「これから私が立派な政治家にしていこうとしている連中を」は聞き間違いで、正しくは「この連中にしていることを」みたいなことでした。
以上
【552】[613]下條さんの[607]で、さらに安心しました。
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
下條さんの投稿【[607]原子力機構が大気への放射性物質放射量がチェルノブイリの約1/100以下だと認めました。西村肇東大教授の勝利です。】で、原発事故で出てしまった放射性物質の量が大したことなかった、ということと、海産物を食べても大丈夫だということがはっきりと分かって、さらにまた安心しました。どうもありがとうございます。
核廃棄物の最終処分場を作ってしまうと、もう原発を止めようがない、というのは考えていませんでした。確かにそうですね。人間、困れば、今やっていることを止めるしかない。困らなければ、そのまま続行!
わたしは、今ある核廃棄物を処分するためには、福島第1原発のあたりに処理場をつくるしかないかな、と思っていました。そうすると、いま日本にある核廃棄物は、いったいどこでどうするのでしょうね。どこかで処理しなくちゃならないですもんね。それが決まっていないから、今こういう事態(20km圏封鎖とか)になっているのでしょうか?「ええい、ここに作っちゃえ!」って。
【551】[612]福島から報告します4
スパリゾートハワイアンズが、まだ、常磐ハワイアンセンターとよばれていた頃・・・等と言うと、もうおっさんなのがばれてしまいます。
ただ、20年近く前でも、どうして父達が町内会であんなにもハワイアンセンターに行きたがったのか、子供心にも疑問に思っていました。
今となって、あの世代にとっては、新婚旅行でハワイに行った「気分」になった思い出の地だったのだなぁ・・・と、やっと思い当たりました。
以下にSNSIのMLに以前投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年6月22日の日誌です。
朝6時にプラスチックのゴミだしに行きました。
朝7時に事務所を出発して、皆でいわき市の小名浜港を見て回ることになりました。
最初に春山小学校を車から降りずに覗きました。自衛隊の特殊車両が駐車してありました。
老人達が溜まって生活している様子が見て取れました。
途中の磐越自動車道は、以前と比べて復旧がかなり進んだそうです。
周りの光景は雄大かつ広大なもので、正直、これだけ広ければ原発をやりたくなる気持ちがわかりました。
平地があれば、必ず水田を作っていました。
スパリゾートハワイアンズを車から降りずに見て回りました。
派手に崩れていたらしいのですが、建物にカバーがかけられ、復旧作業の最中でした。途中の道も相当に復旧したそうです。
この近辺では、無理に植えたヤシの木が枯れかけていました。また、がけ崩れや屋根が壊れている家屋がありました。
小名浜港は船が埠頭に戻っていました。以前は船が港に「刺さっていた」そうです。
海辺の倉庫は空になっていました。
港の近くは信号が軒並み故障していました。また、砂が流されたことで地盤が下がった結果、アスファルトが割れて露出していました。
港の側のローソンが開いていました。設備が新品そのもので、大急いで復旧工事をしたものと思われます。
ファミリーマートは閉まっていました。
南相馬市に比べると、被害はかなり軽めに見えました。既に復旧の材料が置いてありました。
とは言うものの、レンガの剥がれ、曲がった手すり、道路の陥没、砂の堆積、芝生に堆積した石は、明らかに津波の被災地のそれでした。
臨海部は工業地域でもあり、一部の工場では白煙が上がっていました。
いわき市では、小学校がやっていました。外で子供達が体育をしていました。
都路もそうなのですが、東京より福島の方が役所や小学校の建物が立派でした。
昼食はサービスエリアで素麺を食べました。
午後2時半に立川事務所組は帰りました。とてもお世話になりました。
村の放送で、都路行政局は0.55μSvでした。だいたいこれくらいの放射線量です。
夕食はラーメンにワカメを突っ込んで食べました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年6月23日の日誌です。
掃除機をかけました。かなり広いですので、もう暫く時間がかかります。
警察車両が検問所の方に5台連なって走っていきました。その後ろに6台連なっていた民間車はすべて、399号線を右折しました。
駐車場に2人組が来ていました。挨拶する前に帰ってしまったのですが、駐車場に立っている電柱の写真を撮るなどしていたので、また、服装が2人とも同じ作業着だったので、どこかの電力会社の人間かもしれません。
ブラインドの使い方を調べました。http://www.yuusai.co.jp/blind/toso/sousa.htmlの一番上にあるマルチポール式というものでした。
最初から下げられるだけ下げてありました。また、下げるのが大変に面倒くさいです。
Iさんに教えてもらった、いがらし商店に行きました。みや古旅館から寺に渡る道を、もう少し奥にいった所にあります。
雑貨類と食品類が、僅かですが置いてあります。
物によってはスーパーの2倍と、かなり割高ですが、いがらし商店と石井鮮魚店で、大体のものは揃えられます。
村の放送があり、6月21日にあった水道水の水質検査の結果が報告されました。放射性のヨウ素、セシウム、ともに検出されなかったそうです。
夜は残っている焼きそばにタマネギ、人参、もやしを入れて食べました。まだまだ焼きそばは残っています。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年6月24日の日誌です。
駐車場のフェンスを掃除しました。
午前中から午後2時まで一番大きい部屋に掃除機をかけました。細かいところが出来ていないので、明日やります。
かけた後に、虫、クワガタムシ、蛙が入ってくるので、疲労感を感じました。
この一番大きい部屋は、スーパー展示用の大型冷蔵庫と大型冷凍庫が動いている関係で、冷房をつけなくてもやや涼しめです。
Hさんが来ました。一緒に神田の湯と船引の中華料理屋に行きました。大変お世話になりました。
有難うございました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年6月25日の日誌です。
一番大きい部屋にずっと掃除機をかけました。
村の放送があり、今日も水道水の水質検査の結果が報告されました。放射性のヨウ素、セシウム、ともに検出されなかったそうです。
横浜から来た車に道を聞かれました。飯館村に向かうと言っていました。学問道場という看板を見て、いったい何事かと思っていたそうです。
観光用バスが2台通りました。私が見た限りでは初めてです。
余震が夜から今まで3回ありました。この建物は一階でもかなり揺れるので怖いです。
(転載終わり)
【550】[611]動画:シンポジウム「小沢一郎と新しい日本の政治」
泉浩樹です。
シンポジウム「小沢一郎と新しい日本の政治」
http://www.youtube.com/watch?v=LqjSJ_isPec&NR=1
YouTubeに副島先生の動画がアップされて居ります。
【549】[610]長崎大学学長のメッセージ
会員の大川です。
長崎大学の片峰茂学長が、6月23日、長崎大学のウェブサイトに、「福島県における放射線健康リスク管理活動について」というメッセージを発表しました。
http://www.nagasaki-u.ac.jp/ja/about/message/katamine/message97.html
長崎大学教授のご経験が長い医学博士の片峰学長は、「専門家として福島の原発事故による健康影響について一貫して科学的に正しい発言をしているのが山下(俊一)教授であると、私は思っています。」と明言されています。以下、抜粋してご紹介します。
(引用はじめ)
東日本大震災の発生以来、早いもので100日以上が経過しました。
(中略)
現在、放射線による健康リスクに関する議論は、さまざまな見解が流布され、ある意味で混乱の極みにあります。福島県民、とくにお子さまをお持ちのお母さまたちの不安やご心配はよく理解できます。今後、行政と科学者が一体となった粘り強く適切な対策が必要だと思います。そのためには、正確な情報に基づき、正しくリスクを理解することが大前提となります。
福島県に赴き、現場が抱える問題に直接接しながら、専門家として福島の原発事故による健康影響について一貫して科学的に正しい発言をしているのが山下教授であると、私は思っています。確かに、放射線の健康影響については解明されていないことが多く残っています。しかしながら、私たちは、ヒロシマ・ナガサキ、そしてチェルノブイリと、悲しく、大きな経験から多くのことを学びました。長崎の医学者は、原爆被曝医療や被曝健康影響研究に始まり、チェルノブイリにおける被曝医療や健康調査、そして人材育成にも大きな貢献を果たしてきました。今、この蓄積を福島県で役立てたいと思います。
一連の震災報道で衝撃を受けたことがあります。それは、福島県の住民が就職で差別を受け、あるいは施設への入所を拒否されたという事実です。ヒロシマ・ナガサキのヒバクシャが体験してきた事実無根の差別が、今回も繰り返されているのです。長崎に生まれ育った者として暗澹たる気持ちにさせられました。世界唯一の被爆国と言いながら、私たち日本人は、未だ、被曝の科学的意味を共有できていなかったのです。(以下省略)
(引用終わり)
「世界唯一の被爆国と言いながら、私たち日本人は、未だ、被曝の科学的意味を共有できていなかったのです。」
ずしんと重たく響きます。
片峰学長の格調高く感動的なメッセージを、多くの日本人に届けたいと思います。
【548】[609]東京中心の体制を即やめる必要がある2
私の主張は
東京を中心とした体制は、戦後ここまでくると
へたこきまくっているということ
原発事故 正直どんくさすぎるでしょう 勝俣さん
東京電力さん われわれをなめすぎていたのかな
東京にいる人間以外にとってはいい迷惑なんですよ
だから もう少しよく考えて 東京にあたりまえのように多くの人が
張り付いているのをやめてくれ ということです
東京電力さんがえらそうにしてるのも
東京の人口が多すぎるからでしょう
[608]の投稿者のかたはどちらのかたかわかりませんが
いかがですか(失礼ですが、お名前の読み方を教えてください)