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Loginはこちら【563】[624]IAEA Management Team David Waller
副島隆彦です。[623](原発 報告文 17)に書いた、デイヴィッド・B・ウォーラー について、IEAEのホームページから、貼り付けます。
http://www.iaea.org/About/dg/waller_bio.html
(追記:弟子の古村治彦くんが翻訳してくれたので、訳も載せます。)
http://suinikki.exblog.jp/d2011-07-07/
(転載貼り付け始め)
IAEA Management Team
IAEA管理チーム
David Waller
デイヴィッド・ウォーラー
IAEA Deputy Director General and Head of the Department of Management
IAEA副事務総長兼管理部最高責任者
David B. Waller took up the position of IAEA Deputy Director General and Head of Management, in January 1993. Previously he served from 1981 to 1986 as a legal counsel to President Reagan at the White House and, in 1986 he was nominated by the President, and confirmed by the Senate, as Assistant Secretary for International Affairs, US Department of Energy a position he held until 1989.
デイヴィッド・B・ウォーラーは1993年1月にIAEA副事務総長兼管理部最高責任者に昇格。1981年から1986年にかけてドナルド・レーガン大統領の法律顧問を務めた。1986年には大統領からの指名、アメリカ上院の承認を受けて、米エネルギー省の国際問題担当次官補に就任。1989年まで次官補を務めた。
Mr. Waller began his professional career in 1974 as a lawyer in the Attorney General’s Honor Program at the Department of Justice, and thereafter from 1978 until he joined the White House staff he was in private practice at Hogan & Hartson, the largest Washington-based law firm. Mr. Waller holds a B.A. (with honors) in Economics, a J.D. (with honors) in law, and a Doctor of Laws, honoris causa.
ウォーラー氏は1974年にキャリアをスタートさせている。1974年、米司法長官選定優等プログラムに法律家として参加した。その後、1978年からホワイトハウスのスタッフとなるまで、民間の法律事務所ホーガン・アンド・ハートソンに勤務していた。この事務所はワシントンDCで最大規模を誇る法律事務所である。ウォーラー氏は経済学学士(優等)、法務博士(優等)、法律学博士(授与される際に名誉としてhonoris causaが付与された)を取得している。
Mr. Waller has received numerous awards including, in 1989, the Secretary’s Award – the highest award given by the US Secretary of Energy – for outstanding leadership and, in 1990, the Superior Achievement Award, in special recognition of his achievements in the international arena. He received, on behalf of the Agency, the 2003 Albert Schweitzer International University Science and Peace Prize. And, in 2005, he was the representative of the IAEA’s Management at the ceremony in Oslo awarding it the Nobel Peace Prize.
ウォーラー氏は数多くの賞を受賞している。1989年には、類希なリーダリップを発揮したとして、米エネルギー省で最も栄誉ある、長官賞を受賞している。1990年には彼の国際問題の分野での業績に対して特別業績賞が与えられた。2003年にはアルバート・シュバイツァー記念国際大学科学・平和賞を、IAEAを代表して授賞している。2005年、ウォーラー氏はオスロで開かれたノーベル平和賞の授賞式典にIAEAの管理部を代表して出席した。
In 1984 he was elected to the National Council of the Friends of the Kennedy Center for the Performing Arts, in Washington, a position in which he served until moving to Vienna. And, from 1991 to 1997 he was a member of the Board of Trustees of Denison University. In Vienna, he has been, since 1993, a Commissioner of the Fulbright Commission, and a member of the Board of Advisors of Webster University, the largest American based undergraduate and graduate school in that city. He is a frequent speaker worldwide.
1984年、ウォーラー氏はワシントンDCにある「舞台芸術のためのケネディセンター」の全国賛助会の会員に選ばれた。彼はウィーンに移るまで賛助会員を務めた。1991年から1997年にかけてデニソン大学の理事を務めた。ウィーンでは、1993年から現在まで、オーストリア・フルブライト委員会の委員長を務めている。またウィーン市内で最大のアメリカ式の教育を行う大学として有名なウェブスター大学の顧問も務めている。彼は雄弁家としても知られ、多くの機会でスピーチや講演を行っている。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【562】[623](原発 報告文 17 ) 私たちの2つの講演会が迫っています。福島の近況。 官邸にいるアメリカの覆面高官の実名。
副島隆彦です。 今日は、2011年7月7日です。
私は、先週は福島県の 会津地方に行きました。会津若松市の東山(ひがしやま)温泉街や、会津の磐梯(ばんだい)山のあたり一円の ホテル、温泉旅館などに分散して暮らしている原発避難民たち約一万人の暮らしぶりを見てきました。
多くは、原発から10キロ圏の浪江町(なみえまち)2千人と、大熊町(おおくままち)6千人の避難者たちでした。 彼らの一部とは話もして、実情と彼らの考えを知りました。私たちの会員の磯貝さんにずっと案内していただいてお世話になりました。 私は、自分の会津訪問記を書かないまま、一週間を空費しました。
そのあと、私は田村市(たむらし)都路(みやこじ)町にある私たちの福島復興活動本部に行きました。 その様子は、駐在している吉見君がここで活動日誌で報告しているとおりです。 今、この浪江、大熊町の避難民たちが、一時帰宅のバスに乗せられて、私たちの活動本部から見える所にある古道(ふるみち)小学校や体育館から、国道288号線(住民は、ニッパッパーと呼ぶ)の検問所を通って20キロ圏内の自宅へと帰って行きます。たったの2時間の帰宅です。次は、いつ帰宅できるのか、誰にも分からない。
さて、ここで大事なことを報告します。 私は、ついに 首相官邸にい、3月17日からずっと詰めて、常駐している アメリカの政府高官で、かつ、IAEA(アイ・エイ・イー・エイ、国際原子力委員会)の高官、それも No3の大物である 人物を突きとめました。
この男の名は、 デイヴィッド・B・ウォーラーです。
・David Waller
IAEA Deputy Director General and Head of the Department of Management
このデイヴィッド・ウォーラー David B Waller のIAIE内での肩書きは、deputy director general 副事務総長(副専務理事とも訳せる) である。 天野之弥(あまのゆきや)事務総長の 次の 高官である。 しかし、もうひとり間に、board governer 議長を名乗るパキスタン人がいるので、このウォーラーは、IAEAのナンバー3です。
このデイヴィッド・ウォーラーが、3月17日からずっと、首相官邸に潜んでいて、菅直人首相や、枝野幸男官房長官その他の大臣たちに、直接、命令と指図を与えて、それで、福島第一原発の事故と放射能漏れの大事件の処理と対応に当たっている。 これを官邸の内部では、「日米連携チームの会議」と呼んでいる。 辞職したはずの 米沖縄総領事だったケビン・メアというワルの高官も、まだこのあたりで暗躍している。
すなわち、これが、アメリカによる日本直接管理、アルルくんが言い出した「日本再占領」である。アルル君は、今、この書名の本を、突貫工事で書いている最中である。重要な資料を手に入れたようです。この本は、8月中に刊行とのことです。乞うご期待。
このアメリカ政府高官たち(お供の通訳たちと)が、もうこの3ヶ月も首相官邸に隠密で常駐して、そして日本国の首相以下に、「あれをこうしろ。次は、ここをこうしろ。それでよし。お前は無能だからここから出てゆけ」とかの指示と命令を、毎日、出しているのである。IAEA による日本直接管理は、本当に、実行されているのである。「日本人になんか任せておけない」ということだ。重大な原子力事故を起こした。世界全体に影響することだから。
この事実に悲憤慷慨(ひふんこうがい)しない日本人がいたら、お目にかかりたい。 私、副島隆彦が、元気なうちは、アメリカからのこのような屈辱的な日本支配を許容しない。日本国民に、広く事実を知らせる。 私と学問道場が頑張らなければ、日本はよくならない。 今や私たちこそが、日本の最高頭脳であり最先端の情報発信体である。 違うというなら言ってみろ。すべて実名で叩(たた)きのめしてみせる。
もうひとり、福島第2原発だろうが、ここの管理棟に、ずっと、ランス・ガトリングという名の、アメリカ軍人で核戦争・化学戦争の専門家がずっと常駐している。それから東京の東芝の本社ビルの中に、年老いたアメリカ人の核技術者たちが10名ぐらい来ている。
彼らは、1979年のスリーマイル島の原発事故の時に対応した、GE(ジーイー)の技術者たちである。だからもう70歳をとうに過ぎて80歳ぐらいの爺さんたちだ。この人たちの様子は、日本のテレビでチラと報道された。この爺さんたちは、福島第一の一号機のマークワンという名の格納容器や炉心の設計技師たちであるから、複雑な配管の配置もすべて知っている。逆に彼らでなければ分からない。
彼ら3者は、皆、連携して動いている。そして、そのすべてを、 ウォーラーが統括している。
菅直人が、「私はステップ2まで(すなわち来年の3月まで)首相をやりたい」とぬけぬけと言い放ったのは、この ウォーラーからの「そこまではお前がやれ」という指図(さしず)があったからだ。 今やみじめな野党である自民党や、菅直人に反対する民主党内の大勢力からなる日本の国会議員400人が束になってかかっても、菅直人を首相から引きずり下ろせ無いのは、こういう「地底(すなわち外国)からの大きな力」が働いているからだ。
この アメリカ政府の覆面高官が、首相官邸に秘かに常駐していて、(夜は、裏のキャピトル東急ホテル に地下のトンネルを通って寝に帰るのだろう)。 そしで、日本の国家政治を直接、管理しているからだ。 日本国に、このような大きな外側からの力がかかっているのです。
私は、自分がどんな目に遭ってもいいから、日本国民に本当のことを知らせる。福島の現地でも常駐する弟子たちと、福島の住民たちと共に闘い続ける。誰にも遠慮しない。大きな真実以外の、何ものも恐れない。
私、副島隆彦が、20年かけて築きあげてきた 「帝国‐属国理論」の政治思想に依らなければ、そして、この理論によってのみ、今、私たちの前で進行している事態は、説明がつくのである。
デイヴィッド・B・ウォーラーたちは、毎日、衛星回線のテレビ電話 TV presence で、これが、虎ノ門の米大使館だけでなく、ワシントンDCのホワイトハウス(ヒラリーたちがいる)と、ウィーンのIAEAと直接つながって、報告し会議を開いている。だから、意思の疎通も最高度の決断もここでなされている。
「原発の大事故があったら現場に、一人の有能な専門家を 派遣して、その人物にすべてを判断する権限を与えそしてすべてを任せる。それと事故を起こした原子炉の実際の設計者たちである技師たちがそこにいなければいけない。そうでないと誰にも何も分からない 」と、3月に私に教えてくれた、西村肇(にしむらはじめ)東大名誉教授の言うとおりだった。私の同志である西村教授が、一番よく、今の事態を分かっている。
その他、今から日本国民にいろいろ書いて教えなければいけないことがある。このことは、先週発売になった、「大災害から復活する日本」(徳間書店刊)と、武田邦彦(たけだくにひこ)氏との共著である「原発事故、放射能 ケンカ対談」(幻冬舎刊)に、あれこれ書いている。
この2冊が今、全国のすべての書店に並んでいますから買って読んでください。テレビの統制ニューズ見 とネットしからやらず、本を自分で買って読むということをしない人間には、大きな真実は分からない。
それから、来週の末、7月17日に、私たちの学問道場の定例会の講演会が東京の御茶ノ水で開かれます。演題は、「深い知恵(ちえ)で立ち向かう 原発放射能による国民洗脳」 です。 おそらく、もうすぐ定員一杯(600人)になって締切りになりますから会員で時間のある人は急いで申し込んでください。 アメリカの覆面高官の動きの話も、ここで再度します。
それから、7月31日に、東京で、私、副島隆彦の金融・経済のことが中心の講演会があります。こちらは、私、副島隆彦のこれまでの金融本を買って、まじめに読んで、そして自分の資産をしっかり守った人たちの集まりです。お金のことにあまり興味のない人や、自分の金融資産を守ることに熱心でない人や、投資でひどい目にあったあったことのない人は来ても仕方がないです。
この金融講演会の方の案内は、前掲「大災害から復活する日本」の本の中に挟み込まれているはがき大の広告チラシの中に書いてあります。この講演会のことは、後日、再度、お知らせしますからゆっくり待っていてください。まだまだ定員に余裕があります。ただし、ご自分のこの7月31日(日)の日程だけは空けておいてください。
私は、弟子たちを育てて、一人前の言論人、知識人にすることにおいて本気です。 私、副島隆彦に向かって、「原発事故までも自分の金儲けの手段にする」と言うような、卑劣なことを書く連中と徹底的に闘います。私たちが闘って、そして生活するためには最低限度の資金がなのです。それを、私たちは、学問道場の会員と、それから私の本の熱心な読者たちに頼っています。
私たち学問道場に敵対する、低能で 頭の悪い、「ほんのわずかでも、放射能はコワイ、コワイ派のバカ」たちとの目下の闘いも全力でやります。来週は、福島市まで行って、「山下俊一 辞めさせろ署名運動」をしている謀略人間たち(グリーンピースその他)のようすも調べてきます。
日本国が、この国難に男男(おおおお)しく立ち向かって、そして乗り越えてゆくために私のような人間がいるのだ。
副島隆彦拝
【561】[622]8年がかりで山を切り開いて作る福島第一原発への道
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
【[590]福一原発への道路整備作業 50歳代 1日2時間で5万円】の続報です。[590]は、おじさんが東電の下請けで働いているという、わたしの友人からの、又聞きの又聞きぐらいだったので、少し情報が間違っていたところがありました。今回は、友人が6月末に法事でおじさんに会い、直接聞いてきた話です。
おじさんは原発に向かう道路を作る仕事の候補者として挙がっていて、話を聞いた当時(6月末)はまだ実際にはその仕事はしていませんでしたが、今月から行くそうです。おじさんは「いぎたくねぇなぁ」と言っていたそうです。
その原発へ向かう道路は、なんと、山を切り開いて作る計画だそうで(なんで?どこから?)、雇う側の説明では完成まで7~8年かかるということです。でも、おじさんとしては「8年じゃあ、無理だんべ。10年はかかるだんべな」ということです。
その仕事に就いた場合、宿泊場所は原発から70km圏外にあり、毎日1時間半かけて通うことになる。(これも、「放射能こわいよ、作業員も泊まるときは70km圏外だよ」というパフォーマンスでしょうか。)
仕事は午前中に二時間、午後に二時間で、1日5万円の報酬だそうです。昼食はおにぎり2個が支給されるのみ。夕食はお弁当ひとつ。
作業中はマスクを外してはいけないので、飲食は禁止。
この話を聞いたときは、「お昼ごはんはおにぎり二個って、ひどい」とか「この暑さの中、防護服を着てマスクして2時間、水も飲めないのはきつい」などと思っていましたが、よく考えたら「8年がかりで山を切り開いて作る道路」って、なんのためなのか、という疑問が湧いてきました。やはり、日本中の核廃棄物を大きなトラックで運ぶための道路なのでしょうか。その前に、核廃棄物処理場を建設する資材を運ぶための道路? 以上
【560】[621][618]の下條さんへ
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
そうですか。原子力機構の見積では福島原発のヨウ素の放出量は20万テラベクレルで、ということは、放出量520万テラベクレルのチェルノブイリの1/26ということですかね。でも、それでもチェルノブイリよりずっと軽い事故だったんですね。
やっぱり数字が出てくると、とたんに難しく感じてしまって大変です。その値がどんな意味を持つのかということを説明してくださる下條さんなど、頭のいい人たちに感謝します。わたしなど、富士山の高さを問われて、「そうね、だいたい8,000mくらい・・・あれ、8,000kmかな?」とか言ってしまう。(念のため、富士山は3,776m)
それでも、この部分【原子力機構の中野政尚技術副主幹は「内部被曝量は年間被曝線量限度の500分の1程度で、魚を食べても健康に影響があるレベルではない」と話している。】は、とても安心できる内容で、嬉しかったです。これからも毎日お魚と海藻を食べます。以前はスーパーにいつも岩手県産の「きりこんぶ」があり、買っていましたが、今は韓国産にかわってしまいました。韓国産で悪いということはないですが、今は東北を応援するため、韓国産きりこんぶは買わずに三陸わかめを買っています。この発表をみんなが知って、岩手のきりこんぶがまたスーパーに並ぶといいなと思います。
そして、福島に核燃料の最終処分場ができると、原発は止められない。大事なことは何度も書いちゃう。 以上
【559】[620]福島本部活動日誌です7
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年6月29日の日誌です。
昨晩、音楽をかなりの音量でかけた車が、復興本部後ろの路肩にしばらく停まっていました。
朝起きて、プラスチックのゴミ出しに行きました。
「燃えるゴミの袋で燃えないゴミを出している家庭がある」
「プラスチックとペットボトルの分類が全くされていない」
「月一回のみ回収の缶類が一週間前からずっと置いてある」
など、結構いい加減なゴミ捨て場になっています。
避難者の一時帰宅などを考えると、これも止むを得ないのかもしれません。
ご飯を炊き、味噌汁を作りました。
Kさんが事務所に来ました。
冷蔵庫にあった納豆で朝食を食べました。
Kさんの車で大家さんの家に行きました。既にKさんのお父様がいました。
大家さんの家の犬二匹を、犬の運動も兼ねて、事務所まで連れて歩きました。
大人しい素敵な犬でした。
KさんとKさんのお父様は、事務所に一回戻ってお茶を飲んだ後、午後1時半に帰りました。
午後2時に都路行政局に水道の手続きに行きました。
担当した職員によると、学問道場は、塾かヤクザかと思っていたそうです。
Suさんが事務所に到着しました。
一緒に大家さんに犬を返しにいきました。
副島先生が、お手洗いへの案内の張り紙を作りました。妙に味があって良い感じです。
夕食は、余っていたご飯と味噌汁、麻婆豆腐でした。
夕食を食べていると、午後7時にSさんが事務所に来ました。
昨日の日誌の続きになりますが、現金を隠していた町長はさらにもう一つ金庫を持っており、そちらは見つかっていないそうです。
悪酔いするビールを、雰囲気のままに大量に飲むことになってしまいました。大失敗でした。
Sさんが帰った後、悪酔いした勢いのまま、冷凍庫を止めました。
後部の上にある冷凍庫のコンセントを外したら、止まりました。
・・・酔ったままではかなり危険な作業だったと、今はカッとなってやったことを反省しています。
ただ、暫く続いていた懸案が解決して、嬉しかったです。
酔った勢いのまま、かなり生意気な口を色々な人にきいていたような覚えがあります。
顔から火が出そうです。
さらに酔った勢いのまま、日本に留学中の中国人で、一番の友人を、福島復興活動本部に一回来るようにチャットで誘いました。
ほぼ二つ返事でOKでした。寧ろ、福島に行ってみたいと言っていました。とても堂々とした態度の取り方で、羨ましく思いました。
彼は7月9日か10日に来る予定です。
クワガタムシを見かけました。これで室内で見るのは6匹目です。
ガスが止まっているようです。明日対処します。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年6月30日の日誌です。
朝、燃えるごみのゴミ出しをしました。
検問所は再び後ろに下がっていました。大分県警や神奈川県警など、地方ごとによって考え方が違うのかもしれません。
他の家庭のごみを見ていて、
「燃えるごみとプラスチックごみは、厳密に分別しなくていい」
「事務所でたまりやすい、缶・ペットボトルごみは、第一金曜日以外に出されたものも意外と収集されている」
のだとわかりました。個人的には役立つ知識です。使わずに済ませたいですが。
ご飯を炊いて、トマト、もやしとチンゲンサイを炒めたもの、揚げ出し豆腐、野菜ジュースで朝食にしました。
ガスについて電話しました。午後3時に交換に来ました。
学問道場について、何をやるのか尋ねられました。
明日、集金に来るといわれました。
外の草抜きをしました。燃えるごみ一袋ぶんになりました。
都路に人が戻ってきました。床屋が2軒あるのですが、どちらも店が開いていました。
その他にも人がいる民家が多くなりました。
ただし、子供の姿はありません。
昼の放送で、都路行政局は0.43μSvでした。以前より0.1μSvほど低くなっています。
今日再び都路行政局の建物に入ったのですが、ペットボトルの飲料水など、避難時のものと思われる物資が山積みになっていました。
夕食は余っている焼きそばにしました。遂に、焼きそばの余りを、二人前にまで漕ぎ付けました。
2週間の間に一人で11人前食べたことで、流石に飽きてしまいました。
5日ぶりのシャワーのために、みや古旅館に行きました。
帰り道の民家に4軒、灯がついていました。なぜだかわからないのですが、安心しました。
2階に掃除機を軽くかけました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年7月1日の日誌です。
ペットボトルのごみを3袋、缶のごみを4袋、ごみ捨てに行きました。
事務所開きの時以来一ヶ月間置いておくしかなかったものなので、捨てられてほっとしました。
朝食をとりました。ご飯、納豆、ネギ、漬物でいただきました。
今朝は検問所の方に直進する車がとても多かったです。
立派な車が一台、乗用車が2台で、あとはバンとワゴン車でした。
その後2時間経ったのですが、やたら警察の車両と護送車が多いです。
10時半に古道公民館に置いてあったバスが検問所に向かったので、一時帰宅のバスなのだと思います。
気になったので、11時半に古道体育館に行ってみました。大熊町へのバスが8台並んでいました。
体育館内では、ずっとマイクで説明がされていました。
東京電力の作業着を着た人が5人、県や市の職員と思われる人が10人、館外にいました。
中にも入ってみたかったのですが、声をかけられたので断念して、地元の者だと言って帰りました。
電気料金を支払いにいきました。郵便局が500メートル先にあって本当によかったです。
郵便局に行く途中で、大熊町へのバスとすれ違いました。
運転手も含めて、乗っている人は細菌防護服(http://item.rakuten.co.jp/shoei-masuku/10000275/)に見えるものを着ていました。
果たしてあれで放射性物質に効果があるのでしょうか。
帰宅者を「もう家には帰れないぞ」と覚悟させるために着せる、仰々しいコスプレに見えました。
ガスの集金が来ました。
冷蔵庫の左側半分が止まっていました。コンセントを入れなおしたら、なぜか直りました。
おそらくコンセントの接触不良だと思います。
2時に昼食をとりました。
焼きそばの残り、茄子と油揚げを炒めたもの、を頂きました。
不味かったです。どうして私はこんなに料理が下手なんでしょうか。
眠くなって一時間弱の仮眠を机の上で取りました。
午後5時半、観光バスで288号線を大熊町の人たちが帰っていきました。
午後6時には福島県庁行きのバスが2台通りました。
午後8時に、全く掃除をしていないことに気付き、あわてて、冷蔵庫裏、冷蔵庫裏の上、大広間の半分、奥の部屋に掃除機をかけました。
掃除機自体に大量の虫の遺体、埃、小石が溜まっていました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年7月2日の日誌です。
朝8時に起きたら、福島交通の観光用バスが、おそらく古道体育館に行きました。
12時にいってみると、今日も大熊町への一時帰宅がされていました。
古道小学校と都路行政局は車で一杯でした。
朝食は昨日の夕食の残りを食べました。
布団を2個干しました。フェンスまで持っていくのが大変でした。
駐車場の草取りをしました。時間をかけたのに、ごみ袋の半分にもなりませんでした。
アスファルトの隙間から生えているので、手強かったです。もう一度やり直します。
洗濯のついでに、もってきたバリカンで頭を丸坊主にしました。
その後にホースで水浴びをして、体を石鹸で洗ってみました。
室内は35℃なのに、体が冷え切りました。
明日は会員のNさんが来るので髭をそりたかったのですが、断念しました。
布団を干す際に邪魔になっていた、小さな崖側の雑草を、邪魔にならない程度に刈り取りました。
雑草というよりは、木に近いようなしっかりした根のものが大きかったです。
汗だくになって、水浴びをした意味がなくなってしまいました。
ただ、体は温かくなりました。正直、体を温めるのが目的だったはずなのに、どうしてこうなった、という感じです・・・。
詳しい方ならば「草刈り機を使ってしまえば何の手間も無いのに」と言われるのでしょうが、鍬一つでやるのは結構大変でした。
裏の出口から割りと近いところに、見た目は地味ですが、ゴム手袋を貫通する棘が危険で、且つ、水道管などが入り組んでいて、除去できていない草があります。
できるだけ除去しましたが、一部残ってしまっています。
夕食「も」、昨日の夕食の残りを食べました。
以前に冷蔵庫の接触の不具合があるかもしれないと書きました。
ですが、二日ほど観察した感じでは、冷やし過ぎを防止するために自動停止する機能が、左側に働いているのかもしれません。
少し様子を見てみます。
(転載終わり)
ここに書くのが適切なのかわかりませんが・・・、7月3日に福島事務所までお越し頂いた皆様方、有難うございました。本当は皆様それぞれにメールを差し上げるのが筋かとは思いましたが、連絡先がわかりませんでしたので、こちらで失礼します。
いわき市からお越しになられたN様、お茶がぬるかったと思います。どうかご寛恕下さい・・・。若輩者の私にお付き合いいただきまして有難うございました。
I様達4名様、防護服やガイガーカウンターくらいしかお見せできませんでしたが、ご満足頂けましたでしょうか。「応援してます」という言葉を下さいまして、本当に嬉しかったです。
「会員ではないけれど・・・」と仰っておられたY様ご夫妻、頂いたラスクは先生がとても喜んでいました。「頑張れ」などと軽々しく私が申し上げられる状況ではないと思いますので、どうかせめて、ご自愛ください。
【558】[619]東電、電力使用率を情報操作 恣意的に数値を高く見せる。
東電、電力使用率を情報操作 恣意的に数値を高く見せる。
以下出典先リンク
http://www.mynewsjapan.com/reports/1453
http://ch10670.seesaa.net/article/200667254.html
泉浩樹 拝
【557】[618][607]で「原子力機構がの約1/100以下だと認めました。西村肇東大教授の勝利です。」と書きましたが、まだ勝利ではありませんでした。
[607]で「原子力機構が大気への放射性物質放射量がチェルノブイリの約1/100以下だと認めました。西村肇東大教授の勝利です。」と書きましたが、まだ勝利ではありませんでした。私のまちがいでした。
チェルノブイリの1/10のニュースがあったときに「セシウムをヨウ素に換算して」と書いてあったことを思い出して検索してみました。それで、仕組みがわかりました。
セシウムの場合、ヨウ素換算して放出量を表示するので「40倍」するそうです。だから、見積もった5000テラベクレルでは40倍すると20万テラベクレルになってしまう。1/100をこえています。
情けない話ですが、「あーこうやってどんどん増やしているんだ」という感じです。
このことは、原子力機構も、原子力安全・保安院が予想した37万ベクレル、原子力安全委員会の63万テラベクレルにそった数字を出してきているということです。
川端優美子様、丁寧な投稿ありがとうございました。でも、まだ、原子力機構は認めたわけではありません。お騒がわせして、すみませんでした。おわびします。
下條竜夫拝
【556】[617]福島本部活動日誌です6
福島本部活動日誌です。今後、この名前で統一します。
正直、これをここに書いていいのか、今でも躊躇しています。それでも、暴き系の端くれとして、知ったことは書かざるを得ない、そう思います。
「この町長なんて単なる可愛い笑い話じゃないか!本当にこの場合悪いのは、贈った側と見て見ぬ振りした税務署、警察じゃないか。それで贈った側は誰だよ!こっちが国家暴力団じゃないか!裏は本当きったないんだよこいつら!」
と、副島先生はしみじみ語っていました。
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年6月28日の日誌にひとつ追加します。
今でも内網とはいえ、これを書いていいのかわかりません。
かっぱ寿司で食べている時に先生から教えてもらいました。
津波で家が丸ごと流されたある町長は、流された後の家から5億円見つかったそうです。
警官がその場で確認の為に、金庫開けろ、と言ったことから明らかになったそうです。
そして何より、このことは福島民報には載っていないそうです。
町民も隠すはずです。
帰りの車で先生が「法律やる人間は皆知ってるんだが、騒ぐ人がいなければ犯罪にはならない」と言っていました。
万一誰かが義憤に駆られたとします。
一体どうやって封鎖された20キロ圏内の証拠を集めればいいのでしょうか。
また、何処の誰に話を持っていけばいいのでしょうか。税務署やその場にいた警察官でしょうか。
昨日の話から、原発をやりたくなる気持ちが本当によくわかりました。
今からでも酒かっくらって不貞寝したいです。
(転載終わり)
【555】[616]福島県弁護士会「原発事故損害賠償支援講演会」
福島県弁護士会説明会報告
会員番号6619福島県在住 川原と申します。
はじめて投稿しますので、乱文お許しください。
6月25日(土)福島県弁護士会主催「原発事故損害賠償支援講演会」に行ってきましたので、ご報告します。
120名の座席しかない会場には、50名以上の人が会場外にあふれていました。会場からあふれた若い女性が「ちゃんと段取りよくやれよ。」など怒号が飛んでいました。
講師は渡辺淑彦弁護士でした。
まずは、「原賠法の説明で高度成長期の昭和36年成立した法律であること。 他の関連業者は無責任で集中責任主義である。」旨説明がありました。
その次に「前例として茨城県東海村 JCO のケースについて説明がありました。その際には、訴訟になったケースは10件のみ 調停が2件 6000件以上は茨城県が対応して収束。JCOは1500億を出した。」旨説明がありました。
今後の賠償について 「東電は2400億を準備した。それ以上については政府が必要な措置を取る。7月中には中間指針が示される予定。また、ADR(紛争解決調停機関)が設けられる予定。賠償額については全く判らない。秋から風評被害による損害賠償も受け付ける予定。」との説明がありました。
その後今までの支払い状況の説明がありました。詳細は下記の通りです。
4月26日 30キロ圏内の方には、1世帯100万円 単身世帯75万円 を仮払い
5月31日 農林業漁業の従事者には、過去5年の粗利の83%の半分を仮 払い
6月10日 30キロ圏内の中小企業は過去2年の粗利の半分で上限250 万円
証明ができない場合には20万円を仮払い。
6月20日 避難者の慰謝料 月10万円の半年分 避難所暮らしの場合は +2万円/月
を仮払い。
弁護士から参加者への今後のアドバイスは以下の通りでした。
「訴訟を提起する場合には、立証責任が生じるので、今回弁護士会で配る「福島原子力災害被災者・記録ノート」に詳細を記録して欲しい。但し、これが全て事実認定される保証はありません。また、原賠法3条1項には免責規定があり、この規定により賠償を受けられない可能性もある。東電は訴訟になれば、この規定を持ち出して免責を主張してくる可能性がある。」
参考までに3条を掲載します。
第3条 原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。
最後には以下の説明がありました。
「弁護士会としては、ADRと政府の対応を待ちます。それに不服の場合には集団訴訟も検討している。政府が福島県民をだまし討ちしないことを願う。東京の弁護士の一部はビジネスチャンスとして活動しているが、こうした連中には煽られないよう対応してください。」
私の総評 弁護士会は東電 政府の対応を待つしかなく、賠償額についても全く判らない。
訴訟になっても、東電は原賠法3条免責条項により争ってくる。弁護士会としては「被災者記録ノート」の記載を奨励するくらいしかできない。法律は国家権力のために使われるので、その前には弁護士も無力であることを公言した。
最後に参加者からの質問と回答のやりとりです。以下
浪江町で家が20キロ圏内の男性
「家と土地の賠償について、額や時期はどうなのか?」
弁護士「全く判りません」
女性「ADRという機関は、被災者を丸めこむ機関ではないのか?個別で 訴訟をすべきではないのか?」
弁護士「大変重要なことですが、コメントできない」
【554】[615]福島から報告します5
原発事故発生当時読んでいた新聞で、保存していた記事を眺めてみたら、3月26日~28日は余り記事の更新がなかったです。ひょっとしたら、このころに、ピアソンは「原発は大丈夫だ」って情報が入ってきたのでしょうか。
以下にSNSIのMLに以前投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年6月26日の日誌です。
今日は雨の影響もあり、気温の日較差を体感する一日でした。
体温調節のために、家から持ってきた薄がけの布団を利用しています。
午前7時半にYさんと男性一人が来ました。小さなテレビを持ってきてくれました。
午前8時半に古道小学校前に集合されるというので、2人はすぐに車に乗りました。お茶も出せませんでした。
正午に会員のNさんが、いわき市から来ました。いわき市で会社を経営しているそうです。そして地震の影響は大きいそうです。
松原照子のサイト、幸福への近道(http://shohweb.com/)について言及し、「6月25日の『デビル』とはガイトナーのことではないか」と言っていました。
午後3時に会員のIさんたち4人が来ました。
Iさん達は気を使ってはいたのですが、それでも作業用靴についた土がカーペットに入ってきてしまいました。
帰った後の土の掃除に手間取りました。それでもここに来て貰えて有難かったです。
今日はずっと警視庁のパトカーが行きかっていました。
午後7時にKさんの知り合いというYさんご夫妻が来ました。浪江町への一時帰宅の人で、会員ではないと言っていました。
「よくわからないけど、とりあえず場所を確認しに来てみたんですが・・・」と言っていました。
学問道場の説明をしてみましたが、わかってもらえたかどうか微妙なところです。
頂いたラスクは先生がとても気に入っていました。
福島復興本部を訪れた人たちと、共通して話題になったのは、「福島の大きな地図と原発からの距離」、「防護服」、「武田邦彦とのケンカ対談」、「検問所」でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年6月27日の日誌です。
朝起きて、燃えるごみを捨てに行きました。検問所がゴミ捨て場前まで来ていました。
「ゴミ捨てですか?」と声をかけられました。
午後は、船引までの23キロを自転車で行ってみました。大変ですが、雨でもなんとか往復可能です。
但し、片道2時間かかること、高低差が大きいこと、288号線には信号が殆ど無いので休憩が取れないこと、等を考えると、余り良い移動手段ではありません。
途中に郵便局が2つありました。都路もそうなのですが、住民が避難していても、郵便局はやっています。
郵便局は、こんなとき「だからこそ」やっているのかもしれないと思いました。
帰りは福島交通の路線バスと同じ経路(http://www.fukushima-koutu.co.jp/bus/map/03ono_02.html)で、旧街道を帰ってみました。
高低差は小さいのですが、人気の少ない怖い道でした。普通に288号線を直進した方がよかったです。
午後9時に、水道が止まっているのに気付きました。
明日、急いで問い合わせます。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年6月28日の日誌です。
今日は、夜が18度、昼が32度でした。体温調節が難しいです。
水道はとりあえず復旧しました。明日、都路行政局へ行って説明を受けます。
掃除機を少しだけかけました。
布団を干そうと思ったのですが、突然雨が降ることが多く、断念しました。
外のトイレにブラシをかけました。トイレの便器自体はまだです。
午後4時半に、副島先生とTさんが着ました。
Tさんが無線LANの設定を訂正してくれました。ダイヤルアップ無しで自動的にネットに繋がるようになりました。
その他、先生の原稿へのペン入れを、画像データにして出版社に送信してもらいました。
有難うございました。
船引に、買出しと食事に行きました。
スーパーで食料を積み込んだ後、扇風機と洗濯機を購入しました。
洗濯機の到着は少し遅れます。
食事はかっぱ寿司で食べました。3人で3255円でした。
Iさんと行った時のように、満員で待ち時間がかかるほどではありませんでした。
それでも普通に家族連れで賑わっていました。
(転載終わり)