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田中三郎 投稿日:2011/07/24 06:00

【577】[638]放射能差別と立ち向かうために

会員番号2682田中三郎
現在65歳の老人です。元地方公務員をしていました。いまは退職しています。
資産運用のことで学問道場を知るきっかけとなりました。
先日福島の都古町古道復興活動本部にいってきました。先生や弟子さん、それから会員さんと直接お会いできてよかったです。先生からはまだ生きていたのかといわれ、本当のところショックでした。でもそれだけ、一生懸命にいきていくべきだと教えられたように思います。
さて、福島の農産物、最近、牛肉にセシュウムが暫定基準値上回て入っているといって、騒がれています。
これまで、水が危ないと言われ、野菜が危ないと言われ、次に牛肉とつぎつぎに怖いものがでてきて、日本で住めなくなる勢いです。でも今の汚染よりももっと高い放射能汚染を経験してきて生き延びてきた広島や長崎があるのですから、今の汚染ぐらいで、びくびくするべきではないと思うのです。
福島の産品を買わなくなる、ということは福島の産業が衰退することであり、日本と言う国の視点で見るとき、放射能汚染と言う差別をとうして、日本が衰退していくことになると思うのです。
仮に危ないといっても、それは世代によって大きな差があると思うのです。つまり子育て前の青年、未成年の人、子育て中の成人、子育ての終わった老人といるわけであるが、この子育ての終わった老人は全然危なくのなんともないこと、だと思います。
だから、放射能汚染と言う差別を排除するために、私ども老人(子育て終了人間)が団結して、そういった農産物を購入する組織をつくれないかと思うのですが、難しいでしょうか?

吉見おさむ 投稿日:2011/07/22 22:52

【576】[637]福島本部活動日誌です11

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年7月15日の日誌です。

昨日のことですが、午後10時にTさんが来ました。
Tさんは、ガイガーカウンターを一つ借りていくはずだったのですが、3個のうち1個が壊れていることが判明したので、そのままお茶を飲んで帰りました。
あまっているさくらんぼを差し上げました。

先生は一階の大広間で、椅子を使って物凄い格好で寝ていました。
午前五時に起きて、書道の練習をしていました。
そして、三枚書いて、事務所に貼ってあります。

幻冬舎に本30冊の代金を振り込みました。郵便振替ができて、助かりました。

午前11時に駅へ向けて出発しました。
志田食堂で980円の焼肉ラーメンセットを頂きました。量が多かったです。
Sさんと先生が、米国予備選の話をしていたのですが、私には話についていけませんでした。

駅について、先生はそこから東京に行きました。
私とSさんは、ホームセンター、ケーズデンキ、ドラッグストア、コンビニに行って、雑事を処理して、揃えるものを用意しました。
戻る途中の船引小学校では、小学生達が校庭で遊んでいました。船引で小学生を見たのは久々でした。
戻る途中で古道中学校や古道体育館を見て回ったのですが、中学校に車が2台止まっていただけで、大きな変化はありませんでした。

事務所に戻ってきてシャワーを浴びました。冷水でも髭剃りは可能だとわかりました。

午後5時に、288号線を一時帰宅からの帰りと思われるバスが通りました。川内村グラウンドからの帰りだと思います。

夕食は、私が余り物で焼きそばを作り、Sさんがゴーヤとモヤシと卵を炒めて豚タンを添えたものを作りました。
作ったものからして、技量の差が明らかです。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年7月16日の日誌です。

朝起きて、ご飯と、マーボー豆腐、油揚げをフライパンで焼いて生姜のおろしとネギと七味とめんつゆをかけたもの、闇そばの残り、納豆で頂きました。
来客がいると、どうしても食べる量が多くなってしまいます。

通路にブラシをかけました。他のところと同様にやったのですが、余り綺麗になっているようには見えません。
台所の右半分をブラシがけしました。
フェンスを掃除できました。ずっと上手く処理できていない箇所だったのですが、これで布団を安心して干せます。
余分に買ってしまったと思っていた5mのホースが役に立ちました。フェンスに対しては、ブラシよりもタワシが合いました。
ただ、手を少しだけ負傷しましたので、明日は抑え目にします。
ブラシがけばっかり5時間やるのは、余り手によくありません。

午後3時に双葉町と書かれたバスが288号線を帰っていくのを見かけました。
古道体育館に行くと、一時帰宅から戻ってきて体育館に戻るところでした。
体育館の後ろには自衛隊の車両が2両ありました。
体育館の奥にテントのようなところがあるので、除染のための車両でしょうか。

(↑の写真の右側は7月16日に撮ったものではありません)

Sさんと船引に買い物に行きました。
布団やタオルケットなど、8月5日からの合宿であって困らないものを中心に選びました。
Sさんが車の運転ができて、本当に助かりました。

4000円の電動髭剃り機を買いました。本当は電動髭剃りを使うと肌が痛痒くて辛くなるのですが、止むを得ません。
・・・さっき使ったのですが、今も痒いです。

夕食は、ご飯の残り、麻婆豆腐の多量の残り、カツオの刺身、イカの刺身、納豆、鮎を焼いたもの、野菜炒めで頂きました。
イカの刺身と野菜炒めはSさんが調理しました。上手かったです。
麻婆豆腐は悪くなりそうだったので、夜までかけて気合で食べ切りました。

Sさんのアイディアで、簡単な露天風呂を作りました。
まずは、子供用の空気で膨らませる小さなプールに水を入れました。
そして、壊れた給湯器から出る熱湯を大なべで10回ほど運んで混ぜました。
疲れましたし、危険でした。
明日ホームセンターで、あるいは後日amazonで、耐熱用のホースを購入する予定です。
でも、出来上がった風呂は、誇張でなく、人生最高の風呂でした。

Sさんから、翻訳の難しさについて話を伺いました。
Fさんから以前twitterのダイレクトメッセージで頂いていた一言の難しさを実感することになりました。

Nさんへの返信を完全に忘れていました。大反省です・・・。

なぜだか、私が「読まされている」クソ新聞(←失礼。汚い言葉ですみません)の記事を、ここ1月全く読んで無いと、非常にストレスが溜まります。
3月25日くらいに、原発の状態はある程度落ち着いたことをそれとなく教えてもらったことに、恩義を感じているのかもしれません。
「福島民報読めよ」と言われてしまえばそれまでですが、あんな新聞でも前から少しずつ読んできたものなので、切る気になれません。
自分の為に、なんとかまた読み出せる気力を復活させたいです。
あと、講演会の手伝いに行きたかったです。往復1万円がかかってしまうので、また、日曜は来客の可能性が高いので、断念しました。
ついでに打ち上げでご飯を食べて、秋葉原に行きたかったです。・・・こちらが本音です。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年7月17日の日誌です。

昨日はソファーで寝てみました。買ってきたばかりの掛け布団の相性の良さとも相まって、睡眠は充分に可能です。

朝起きて、洗濯をしました。シーツや敷布団などが一気に干せるようになって嬉しいです。

午前8時40分に都路体育館に行きました。一時帰宅の準備が行われていて、大熊町などに住んでいた住民がバスや車で来ていました。
何人かは既に体育館の中に入って、パイプ椅子に座っていました。
マスコミ関係者へのインフォメーションボード、は
「7月 日 双葉  世帯/  人 大熊町  世帯/  人」
と空白になっており、昨日の状況は既にわからなくなっていました。
一時帰宅者の出発口では、青い作業服を着た人が大勢集まっていました。

午前9時半に朝食として、ご飯、味噌汁、昨日の残りの野菜炒めと鮎、納豆、漬物、イカの塩辛、を頂きました。

午後はfax機能付きの電話機を設置していました。
SDカードで通話を録音しておけるらしいので、なんとか説明書を読んでいるところです。
子機の充電に10時間かかるので、その後に色々試してみたいです。

洗濯機の上に、子供用プールと一緒についてきた、簡易テントをつけました。
とりあえず雨から洗濯機を守っていますが、子供だましですので、洗濯機カバーを注文しました。

午後5時に、ネットが一時的に繋がらなくなりました。
周りの天気が雷でゴロゴロいっていたので、その影響で繋がらなくなったのだと思います。
前回繋がらなくなったときにNさんが言っていた通りでした。

午後5時頃に、講演会は無事おわったのだろうか、と妙に心配になりました。

正午ごろに続々とバスが検問所方面に向かっていきました。
また午後5時半に乗客の居ないバスが6台、399号線から検問所方向に右折していきました。最後の7台目は乗客が乗っており、左折して288号線を帰っていきました。

午後7時に、Sさんにお寿司をご馳走しました。車で大量の布団などを運んでもらったお礼です。
常葉町のお寿司屋さんに行きました。地元の少年サッカー団の10周年パーティーをやっていたようで、子供達がたくさんいました。
ご主人の話によると、避難しているのは古道の方で、常葉町はかなり家に戻ってきているそうです。
その後ホームセンターに向かったのですが、耐熱湯のホースは置いていないそうです。
ネットで見ると、10メートルのもので2万円となっており、買うべきか迷っています。
ホームセンターは閉店間際だったこともあり、ほとんど何も買えませんでした。

事務所に戻ってから午後9時に、夜の古道にいってみました。
古道体育館のホワイトボードは
「7月 日 双葉  世帯/  人 大熊町  世帯/  人」
になっていました。
以前に「灯が町に戻ってきた」と書きましたが、今日は灯がついているのは3軒だけと、またかなり寂しくなっていました。

午後9時にSさんが大広間の換気扇をつけました。予想外に涼しくなりました。

午後10時半から風呂を屋内で作ってみました。
6メートルの熱湯でも使えるホースがあれば簡単に作れるのですが、今度は排水の問題が出てきてしまいました。
14メートルの熱湯でも使えるホースを買って、外に作るのがいいかと思っています。

昨日、今日と、横になるための布団類を揃えました。8月の合宿の際に使うはずだと思ったからです。
無理すれば、ですが、今の段階で8人雑魚寝が可能です。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年7月18日の日誌です。

朝起きて、燃えるごみを出しました。

fax付き電話機にSDカードを入れておきました。電話帳や通話内容が保存できます(そのはずです・・・)。

午前11時にKさんが来ました。
壊れた給湯器と隣の水道を使って、お湯が出るようにしてくれました。
更に、午後にわたって、シャワーの設置をしてくれました。
・・・これで、念願のシャワーが手に入りました。大変有難うございます。
また、シャワーのホースを延ばして、外にある小型プールに入れることも可能です。

12時半にKさんとSさんで、川内村の蕎麦屋に行きました。今日も、タマと妹ネコさんに会えました。
蕎麦屋のご主人と
「一度戻った人は、一時的な帰宅で、また避難所に戻った人も多い。出たり入ったりで、とりあえず人口は暫く増減ゼロ。」
「この前日比谷でやった100人くらいのデモの主催者は有名な運動家。ポスターが役所のプレハブに張ってあるからって、自治体公認ってわけじゃない。旦那さんが土建屋。双葉町を返せ、とかいって、国に対してデモ行進してる。あんなのは福島の代表じゃない。」
「23日に、詩の朗読会をやろうとしてるんだけど、色んな所から横槍が入っている。でもやる。東京からも15人くらい来るし。」
「温泉だって、行政から8月1日から始めろとか言われた。なんで8月1日なのかと言ったら、区切りがいいからだと。馬鹿いってるんじゃないよ、全く。」
「都路だと風車のあるあたりが連れて行きやすいんじゃないだろうか」
という話をしました。

事務所に戻って、Sさんはお風呂に入り、Kさんは足りない用具を買いに出かけました。

午後3時半に古道体育館に行ってみました。今日は一時帰宅は行われていませんでした。
帰り道で、8月22日まで工事をすることになっているところが綺麗な道路になっていました。現金な話ですが、とても嬉しいです。
近くのやっていないレストランの裏側に車が固まって放置されているのを発見しました。
一瞬、原発事故から逃げる時に乗り捨てられた車かと思ったのですが、車のボロボロになっている具合から、不法投棄だと思います。

午後4時からKさんは草刈機を使って、事務所裏のあたりの草を一掃しました。
かなりの時間をかけて、Iさんに負けないくらい広範囲にやっていました。

午後5時に、会員のHさんが来ました。
お茶を出して、デジカメをある程度見せました。
二階の先生の仕事場も見せました。Sさんが寝ていました。
しかし、30分くらいの滞在で、帰って行きました。
これまでのほとんどのお客様は、帰りの時間の関係上、ほとんど滞在時間が無いうえ、事前連絡無しなので、こちらとしても余り納得のいく応対が出来ていません。
見せるもの等の考え方を大きく変えなければならないと思います。頭の痛いところです。

夕食をSさん、Kさんと一緒に頂きました。
余っていたナスとピーマンを炒めた後に市販のミートソースをあわせたスパゲッティ、余ってしまっていた味噌汁、イカの塩辛、納豆、牛乳と酒のチャンポン、でした。

Kさんは、これから車の運転があるので、ノンアルコールビールを飲みました。
車で来る人が多いので、ノンアルコールビールの減りが激しいです。

撮影した写真のほうが、私の文章よりも雄弁になってしまっています。

みや古旅館で早く食事を食べなければいけないのですが、まだ行けていません。

(転載終わり)

泉浩樹 投稿日:2011/07/20 22:37

【575】[636]福島復興本部で何が出来るか

会員の泉浩樹です。

学問道場の定例会7/17に参加致しました。
「深い知恵で立ち向かう 原発放射能による国民洗脳」のテーマで石井研究員、副島先生のお話を聞かせて頂きました。
「副島節」炸裂!を期待?して居りましたが、一部、二部の講演とも淡々とした講演との印象でした。
それだけに副島先生の、深い所での、「苦悩」が感じられました。

武田邦彦、小出裕章、広瀬隆、三氏らの影響力が強く 国民へ深く洗脳が浸透している…。
あげくに、「放射能が怖い怖いと 自ら中絶に向かうママ達が出て来ているそうです。
奇形児が生まれることを危惧しているらしいのです。数がどれくらいかは明らかでは在りません。」との事でした。

講演の中と後、先生は話の中で「誰か女の人で現地で子供を産んで、元気に育ててくれないか!。〇〇さん!君はどうだ!?」
 みなさん、 ”笑って, 許して…”  って感じ?でした。

「何か良いアイデアは無いものだろ~かぁ…」と 特有のため息まじりで重たくつぶやいておられました。

私は先日、実家(福島県石川町)へ帰省のついでと云っては何ですが「復興本部」に寄らせて頂きました。
距離は在りますが、地元の人間として感じた事は、
1、「学問道場 福島復興本部」は奇異な目で観られており、立地目的の認知がされていない。
2、国道288号線の立地で交通上、目立つ所では在るが、警察、自衛隊、自治体の車両等は「学問道場 福島復興本部」を
 無視し相手にしていない。(宗教団体の様な認識)(どうせ大したことない おかしな団体)等。
3、駐在の吉見くんが現地で感じる事はその通りです。
  地元の人は「興味が有っても、なかなか近づけない」様です。
  「吉見くんのキャラ」が、そうさせている訳でも無いと思うのですが..?、未だ警戒されているみたいです。
  (吉見くん。緊張をもって!。甘く見られない様に。君は私達の「顔」でもあるのです。)

そこで、 「福島復興本部で何が出来るか!」実動部隊が必要となってきました。
アイデアを募集いたします。

不肖、私は「学問道場 福島復興本部」の国道沿いに看板なり、メッセージボードを作成に参ります。
「学問道場 福島復興本部 今日のぼやき」とか「おさむのぼやき」などは如何でしょう?。
何でも発信して行きましょう。「目に付けば〇〇でも何か考えます。」
実家の手持ちの鉄管とベニア板など、材料で作成予定です。
先生の手前、”言い出しっぺ”はやらせてもらいます。

「コンビニ跡」という立地でもあるので、地元人の「サロン?」的なものになれば良いなと感じます。
震災後に収録したビデオが観れて、気軽?に立ち寄れる所になれば理想ではありませんか。
地元語で言うと「おぢゃでも飲んでがしぃ~」ってとこです。
慣れてくればしめたもので、おばちゃん達は漬け物もって集まります。
”おばちゃん”を味方に付けましょう!。そこから広がります。

会員ならば、「学問道場 福島復興本部」へ行こうではありませんか。
独りではなかなか「学問道場 福島復興本部」に行きづらいと思います。時間も経費も必要です。
皆さんそれぞれ仕事を持たれている訳ですから、どなたか代表者の車両に5名なり分乗をして週末のツアーなど如何かと考えます。
一泊二日なら現地を体感できます。

夏の福島の暑さは厳しいです。
これからは、名産”桃”ほか果物の季節が参ります。
福島県中通りは盆地特有の寒暖の差で、甘く美味しい農産物に恵まれています。
お米は、ササニシキ、ひとめぼれ など全国一、二の品質を誇って居ります。
福島の新鮮な野菜と果物で、元気と鋭気を取り込んでください。
「自分は特別だ」みたいな下らないエリート、インテリ意識は要りません。

誰か聞いて下さい!。繰り返しますが、「こんな微量の放射線など何でもないんです!!」
「お前が言うな」ならば、「重掲」をさかのぼって検証願います。

外食を1回2回ガマンして、武田邦彦氏との対談本『原発事故、放射能 ケンカ対談』(幻冬舎)を買いましょう。
会員である以上必読です。

ありがとうございました。
泉浩樹 拝

副島隆彦 投稿日:2011/07/20 03:30

【574】[635]定例会が無事終わりました。 緊急で、米で金(きん)の個人取引が禁止される法律の施行のことを書きます。私の金融セミナーに来てください。

副島隆彦です。  今日は、2011年7月20日です。

 一昨日7月17日に、私たち学問道場の定例会(講演会)は無事、終わりました。会員の皆さん、ありがとうございます。

 この7月の定例会は、私たちの大切な会員が集まる年に2回の大きな会であり、一般の企業の株主総会に相当するものです。 私たちは、「深い知恵で立ち向かう 原発放射能による国民洗脳」というテーマ(演題)に絞り込んで講演を完了しました。ありがとうございました。

 そのために私は、金融・経済の話をすることがほとんど出来ませんでした。ここからは緊急事態だということで書きます。 私は、17日の定例会では、「これから半年で迫って来る金(きん)の大暴落」の話は敢えてしませんでした。あくまで、「ごく微量の放射能汚染問題で、一部の日本国民を計画的に恐怖状態(集団ヒステリー、強迫神経症)に陥れている策略」について絞り込んで話しました。

 アメリカ政府の財政破たん問題が深刻化しています。 来たる8月2日の期限で、debt ceiling (デット・シーリング、国家債務=国債発行上限の限度)の引き上げ問題で、揉(も)めに揉めています。このアメリカ政府の財政崩壊の危機を今年は何とか超えるでしょう。

 しかし、私、副島隆彦がもう8年間もずっと書いてきたとおり(2003年からずっと、多くの自著で)、アメリカ発の巨大な金融危機は、来年、2012年に起きます。私、副島隆彦の考え を 泥棒して書いている真似本と泥棒(どろぼう)評論家たちが増えてきています。注意してください。私はこの薄汚い人間たちに怒っています。

 ここで緊急で書きます。 金(きん)の個人取引までが、アメリカで禁止される事態が本当に迫っています。 その名を the Dodd Frank Act ザ・ドッド・フランク・アクトといいます。このドッド(上院議員)とバーニー・フランク(下院の実力者、暗い性格の裏のある政治家)の名前を冠した「米国の金融規制法」が、昨年の7月に可決していました。この発動(一部分の施行 provisional )が、なんとこの7月15日から急激に始まりました。

 この ドッド・フランク法で、先物(さきもの)業者だけでなく小売業者(リーテイル・デイーラー retail dealer )からの金の購入が本当に禁止されそうです。すでに、15日からアメリカ国内で法律が一部、施行(しこう)され始めました。
 
 従って、副島隆彦が緊急で私たちの大切な会員たちに連絡します。および金融投資、自分の資産防衛に関心のあるひとたちに 連絡します。 今、金(きん)の地金(じがね)は激しく高騰しています。金(きん)は、NY市場で1オンス1600ドル、日本国内で4080円(1グラムあたり)を超えました。

 ここで金(きん)の飛びつき買いをするのはやめてください。 これまでに一度も金(きん)を買ったことがない人が、今頃になって、急に「副島隆彦という評論家が金(きん)を買えというから買ってみようかな」 などど という 卑(いや)しい根性をした 人々は必ず大損をします。 今は、じっとしていなさい。

 私宛てに、個人のメールで、私に金融投資の個人的な助言、指南を求めてくる人たちがいます。 そういう欲ボケ人間は、必ず大失敗します。来年まで、静かにしていなさい。私の本の本当の読者たちで賢明な人たちは、そのような愚かな行動はしません。

 今月末日の7月31日に私の金融セミナーが開かれます。 その場で、私は緊急で目下に迫りくる厳しい事態について真剣に話します。 ですから 金融投資と自己資産防衛に本気の人は集まってください。 以下の要領です。このことは、現在全国の書店に並んでいる 私の最近著の『大災害から復活する日本』(7月初め刊、徳間書店)の中の差し込みはがきに書いています。

(転載貼り付け始め)

 金融講演会への参加の問い合わせのメールをいただきました。 以下の、主催:ブレイントラスト企画に、直接、申し込んでください。

「大災害から復活する日本」発刊記念~講演会~
副島隆彦の“予言者”金融セミナー 第2回

東日本大震災と原発事故を受けて、日本の金融・経済は、今後どうなる?
●高騰する金(きん)について
●やがて迫り来るインフレと預金封鎖
●安全な資産は何か?
●大好評の質問コーナー!  など

日時:2011年7月31日(日)
10時受付開始、11時開演、16時30分終了(途中休憩あり)
場所:よみうりホール(東京・有楽町)
受講料:15,000円
主催:ブレイントラスト企画

お問い合わせ:
(TEL) 03-3292-8401(平日10~18時)
(メール) seminar@seikoshobo.co.jp

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。以上の要領です。 私の最新の本である『大災害から復活する日本』も買わず読まず、ただケチ臭く、学問道場のサイトを盗み読みに来るだけの人たちは、ご自分の財産を吹き飛ばして大損するでしょう。

 私は、今度の金融セミナーでだけ本気で迫りきつつある巨大な世界的な金融危機(アメリカ発の世界恐慌突入)について話します。自分が保有する金(きん)の地金(インゴット)をどのように保全すべきかも話します。
7月31日(日)の金融セミナーへの申し込みは、出来るだけ、前掲書の中の折り込みハガキをお使いください。席はまだ十分あります。 それでも急いで申し込んでください。

 ここで注意しておきます。個人まで含んだ金(きん)の取引の禁止法の実施はアメリカ合衆国だけの法律の施行(憲法違反であるから、多くの裁判がこれから起きる)であって、アメリカの金融崩壊であって世界の終わりではない。「金・ドル兌換(だかん)体制=ブレトンウッズ体制=修正IMF体制= ロックフェラー石油・ドル体制 の 終わり」なのであって世界はこの嵐を乗り越えてゆきます。安心してください。

 これまでどおりアメリカ帝国の力にしがみつき、すがりつき続けたい人たちは破産し自滅していってください。 「米ドルは強い。アメリカは復活する」と長年、洗脳されたその頭のまま崖(がけ)から落ちていてください。私の知ったことではない。私は私を言論と先読み(予言)を信用してくれる人たちだけを助けます。

 アメリカ(とドル)中心の世界(アメリカによる傲慢な世界支配)が終わるからと言って、世界が終わるわけではありません。私たちは次の新しい世界秩序の形成に向かって大きく頭を切り替えてゆきましょう。古い頭の人間たちは死に絶えてゆけばいいのです。アメリカ一国の破綻(はたん)と金融統制ごときで世界の安定が壊れることはありません。

私、副島隆彦の脳は、今、ものすごい勢いで金融情報を収集し整理して、自分なりの大きな決断をし始めています。どんどん発表します。お待ちください。

  以下に載せるのは、迫りくる アメリカでの金(ゴールド)の取引の禁止の法律の施行についての信頼のおける情報と記事の一部です。 ゴールドだけでなく銀、プラチナ、パラジウムまでが含まれています。さらには外国為替(通貨取引)までが規制されるようです。 

 これらの記事 を読んで、私、副島隆彦も驚いています。いよいよ始まるか、という緊張感で私の全身が反応します。 この3月12日の福島第一原発の爆発事故の時と同じような感じです。さあ、迫りくる嵐の正体に向かって突撃するぞ、という感じです。

(転載貼り付け始め)
 
●“FOREX.com To Discontinue Metals Trading Due To New Dodd-Frank Regulations ”

21 June 2011, 10:32 a.m.
By Kitco News
http://www.kitco.com/reports/KitcoNews20110621ASKN_forex.html*

(Kitco News)* – FOREX.com has notified customers that it will discontinue its metal-trading platform for U.S. residents in mid-July due to Dodd-Frank regulations that will go into effect.

After July 16, retail investors can only trade commodities, which are leveraged or not delivered within 28 days, on exchanges regulated by the Commodity Futures Trading Commission, as outlined by the Dodd-Frank Wall
Street Reform and Consumer Protection Act passed last summer.

These rules affect not only but gold and silver but also other commodities in which delivery occurs later than 28 days or are not paid for fully.FOREX.com has advised clients that U.S. residents must close all metals
positions by Friday, July 15, at 5 p.m. Eastern time.

“We encourage you to wind down your trading activity in these products over the next month in anticipation of the new rule, as any open XAU or XAG positions that remain open prior to July 15, 2011, at approximately
5:00 p.m. ET will be automatically liquidated,” FOREX.com said.

FOREX.com, a part of parent company GAIN Capital Holdings, offers retail traders access to the global foreign-exchange market.

The CFTC is writing dozens of rules for financial and commodity markets aimed at reducing risk and increasing transparency, and the agency has delayed its new rules that had been scheduled to go into effect in
mid-July. However, the rules driving the FOREX.com announcement were spelled out in the Dodd-Frank Act itself and go into effect next month independently of the CFTC’s other rule-making.

●「ドッド・フランク法は大手銀行への影響大=米FRB議長」

2011年3月24日 ウォールストリートジャーナル

http://jp.wsj.com/Finance-Markets/Finance/node_208191

 米連邦準備理事会(FRB)のバーナンキ議長は、ドッド・フランク法(金融規制改革法)について不平をもらしている地方銀行に対し、金融 規制改革は実際、大手の金融機関に一段と大きな影響が出るとの見方を示した。

 バーナンキ議長は23日、インディペンデント・コミュニティ・バンカーズ・オブ・アメリカがサンディエゴで主催した年次会議で、 数千人の商業銀行家向けに講演した。議長は事前に準備した原稿で、中小企業に対する融資提供により地銀各行が米景気回復において果た す重要な役割の概要を示すとともに、昨年7月に可決した金融規制改革法により、特に大手金融機関に対する監督がいかに厳格化するかを 指摘した。

 議長は「同法により銀行の資本市場での活動に新たな規制が加わっている。大手銀行の構造や収益性に特に影響する規制だ」と指摘し た。

 FRBは2008、09年の金融危機の際に大手金融機関を救済したとして批判されており、バーナンキ議長は時折、これが米経済の 崩壊回避にとって必要だったと説明するのに苦戦してきた。地方銀行各行は大手金融機関よりも金融危機からの回復が困難と感じており、 これが中小企業を中心とする顧客基盤を圧迫する要因ともなっている。中小企業は雇用創出において重要な役割を果たすものの、引き続き 米経済の軟調部分となっている。

 バーナンキ議長はドッド・フランク法による金融規制上の構造変化の大半は銀行だけでなく、最大手で最も複雑な金融機関に主に影響 すると強調。議長は、破たんすれば米経済全体に脅威を与えかねないこうした金融機関の段階的縮小に向けたメカニズム設定の重要性を再 び強調し、その方向でまだなすべきことが多くあると主張した。

 バーナンキ議長は、「金融規制改革の利点の一つは、すべての規模の金融機関にとって一段と公平な機会の創設となることだろう」と の見方を示した。また、議長は「小さな町から近郊の大都市に至る地域社会が米経済の基盤で、地域社会には事業拡大と繁栄を支援する地方銀行が必要 だ」と指摘した。

 バーナンキ議長はさらに、中小銀行に対する称賛を示し、最大手銀行は信用貸し出しに関する判断を下す複雑なモデルとアルゴリズム を有しているかもしれないが、いかに洗練されていようとも、「融資の判断を下す際に性質や状況を判断する上で地方銀行が使用する地域 に根ざす深い知識に欠くことがしばしばある」と言及した。

 その上で議長は、地方銀行の多くは回復しつつあり業績も改善していると言及。一方で、引き続き軟調な経済と不動産市場など主要市 場で不透明感が続いていることに加え、規制環境の変化から著しい課題に直面していると警告した。

 さらに、「地方銀行はまた、こうした新たな課題の対応でもうまくいっていると確信している」と表明した。

● From: FOREX.com Date: Fri, Jun 17, 2011 at 6:11 PM
Subject: Important Account Notice Re: Metals Trading
To: xxx

Important Account Notice Re: Metals Trading

We wanted to make you aware of some upcoming changes to FOREX.com’s product offering. As a result of the Dodd-Frank Act enacted by US Congress, a new regulation prohibiting US residents from trading over the counter precious metals, including gold and silver, will go into effect on Friday, July 15, 2011.

  In conjunction with this new regulation, FOREX.com must discontinue metals trading for US residents on Friday, July 15, 2011 at the close of trading at 5pm ET. As a result, all open metals positions must be closed by July 15, 2011 at 5pm ET.

  We encourage you to wind down your trading activity in these products over the next month in anticipation of the new rule, as any open XAU or XAG positions that remain open prior to July 15, 2011 at approximately 5:00 pm ET will be automatically liquidated.

  We sincerely regret any inconvenience complying with the new U.S. regulation may cause you. Should you have any questions, please feel free to contact our customer service team.

Sincerely,
The Team at FOREX.com

●「デフォルト回避に最後の手段=為替介入資金を活用-米財務省」

2011年7月16日 時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011071600040

 米財務省は15日、連邦政府の法定債務上限到達に伴うデフォルト(債務不履行)回避のため、為替安定基金(ESF)の資金を財務省証券で運用す ることを停止すると発表した。これにより、財務省証券の発行残高が230億ドル目減りし、その分借り入れ余地ができるという。

 同省によると、ESFは東日本大震災後の急激な円高に対応して3月にG7が実施した協調介入でも利用された。米国の債務残高は5月中旬に上限に到達。財務省はこれまでに州・地方政府の資金調達支援策や財務省証券での年金運用を停止するなどの措置を取っ てきて おり、ESFは最後の手段。

●「ソロス氏のクオンタムF、現金比率75%-ヘッジファンドがリスク縮小 」

2011年7月19日 ブルームバーグ
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90900001&sid=a.zspcI5pQsE

 資産家ジョージ・ソロス氏が率いるヘッジファンド会社、ソロス・ファンド・マネジメントで255億ドル規模の「クオンタム・エンドウメント・ ファンド」を運用するキース・アンダーソン氏は、国際市場の乱高下を目の当たりにしてきた。

 事情に詳しい関係者2人によると、アンダーソン氏は今年6月半ば、ファンドが年間で6%のマイナスとなったことから、ポートフォリオマネジャー らに取引を手控えるよう指示した。より良い機会を待つ姿勢を取った結果、同ファンドの現金比率は約75%に達しているという。

 欧州の債務危機や中国のインフレ抑制策、米国の連邦債務上限の引き上げ問題など世界の先行きに不透明感が広がる中、同社やムーア・キャピタル・ マネジメントなどヘッジファンド会社は株式や債券、通貨への投資額を減らしている。

 先月公表されたバンク・オブ・アメリカ(BOA)の調査では、 現金の比重を高めているヘッジファンドなどを含めた資産運用会社の割合は全体の約18%と、1年ぶりの高水準となった。5月は6%だった。

 アンダーソン氏の上司で、1992年に英ポンド売りで10億ドルの利益を得たとされるソロス氏(80)でさえ当惑している。同氏は4月の会合 で、「現在の状況は金融危機のさなかよりもはるかに不可解で予測しにくい」と述べ、「市場は本質的に不安定だ」と指摘した。

 複数の投資家が匿名を条件に語ったところによれば、ルイス・ベーコン氏率いるムーア・キャピタル(運用資産150億ドル)もリスクを縮小してお り、旗艦ファンド「ムーア・グローバル・ヘッジファンド」の今年のリターンは6月末時点でマイナス6%だという。ソロスとムーアの広報担当者はい ずれもコメントを控えた。

●「米国債はデフォルトするのか…ねじれ議会で駆け引き」

2011年7月19日 産経新聞

(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一=たかはしよういち=)
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110719/plt1107190949000-n1.htm

 最近米国のニュースで、オバマ米大統領と議会指導部が債務上限を協議中というものがある。来月2日までに協議が整い議会が上限の引き上げに同意 しないと、米国国債はデフォルトという最悪の事態に陥る可能性も指摘されている。

 まず米国の国債制度を確認しておこう。毎年度の国債発行額は、第二自由公債法に基づく発行残高についての制限を受けるのみである。だから、日本 の場合、毎年度建設公債発行額が予算総則で、特例公債が特例法で制限されているが、米国では第二自由公債法の債務残高上限さえ下回っていれば、毎 年度の発行には支障ない。現在の法定上限は14兆2940億ドル(1150兆円)である。

 もっとも、債務残高上限を決めている第二自由公債法は1917年制定であるが、それから現在まで74回の上限の引き上げがあった。今年5月には 債務残高が法定上限を超え、ガイトナー財務長官は議会に法定上限の引き上げを要請した。そこで、8月2日までオバマ政権に猶予が与えられた。

 最近注目されているのは、米国では昨年の中間選挙で共和党が過半数を奪回しており、上院は民主党が過半数を上回っていることで、日本と同様のね じれ議会となっているからだ。

 民主党オバマ政権は、財政赤字削減について歳出カットと富裕層への減税の打ち切り(増税)を主張しているが、共和党は歳出カットを中心とすべき と対立している。8月2日までに必要な手続きを行うためには、今月22日までに与野党合意が必要といわれている。

 どこか、日本の特例公債法をめぐる与野党の構図と似ている。野党自民党は、特例公債法を成立させるためには、与党民主党の子ども手当などのカッ トが必要といっている。特例公債法という絶対に必要な法案を人質にとって与党の目玉政策をつぶそうというわけだ。

 米国で本当に協議が整わなければ、米国債はデフォルトするが、マーケットは冷静に見ている。これまで93年間で74回も法定上限が引き上げられ て、米国債はデフォルトしなかったからだ。例えば、米国国債の保証料を示すCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)のレートは0・5%程度 と、世界最低水準を維持している。

 これはデフォルトがないと市場が見ている証拠だ。ちなみに本当にデフォルトが噂されるギリシャ国債は23%にも なっている。

 米国の財政状況はリーマン・ショック以降悪化したものの経済力は健全で、財政破綻の懸念はない。単なる政治駆け引きによって、デフォルトや金利 上昇でもあったら大問題なので、なんらかの妥協があるだろう。

●「オバマ米大統領、合意可能な案を議会に要求―債務上限問題」

2011年7月16日 ウォールストリートジャーナル、ワシントン 
http://jp.wsj.com/US/Politics/node_274111

 オバマ大統領は15日、米政府と議会が折衝中の債務上限問題につ
いて、上限引き上げに「いつでも動く用意ができている」と強調、こ の2日間で合意可能な案を議会が大統領に提示するよう求めた。

 大統領はこの日の記者会見で「時間切れが迫っている」と述べ、16日を一日使って債務上限引き上げに向け合意可能な最善の案を練り上げ、 提示するよう求めた。

 大統領はさらに民主、共和両党は最低限、債務上限の引き上げと歳出削減の第1弾を含んだ案には合意できるはずだ、と述べた。ただ 同大統領はこれよりさらに包括的な案を追求したいとの気持ちを持っているものの、引き上げ期限の8月2日が近づいているため、まず債 務上限問題に対応することが優先する意向を示唆した。

 一方、議会側は下院の多数を握る共和党指導部が、19日に取りあえず同額分の歳出削減と将来の政府支出の管理ガイドラインを含ん だ2兆4000億ドル(約190兆円)の債務上限引き上げ案を票決する意向を示した。

 ただ、オバマ大統領はこの案が税金の引き上げを含んでいないため、同意することは難しいと述べた。さらに大統領はこの案自体はま だ見ていないと話し、下院の投票は「幾つかの問題で政治的メッセージを出すため」の動きだろうとの見方を示した。実際この共和党下院 案に対する上院の支持は得られておらず、この案が合意の道を開く可能性は低い。

 また、ベイナー下院議長(共和、オハイオ州)は同日、オバマ政権側がこれまで「本命の案」を提示していないと述べる一方、19日 の投票行動が民主党側と今後何らかの合意に到達すること可能性を排除するものではないと語った。

 この下院共和党の動きで宙に浮いた形となったのが上院のマコネル共和党院内総務(ケンタッキー州)の案だ。大統領に議会の3分の 2の反対がなければ、大統領に債務上限を3段階で引き上げさせる一方で、その分を埋め合わせる歳出削減案の提示を求めるというもの。

 この案についてオバマ大統領は同意できる可能性を示唆している。財政赤字問題は解決されないが「最低限、ハルマゲドン(世界の終 焉)は避けられる」と話した。また大統領は下院共和党がやはり提案している財政均衡を求める修正案については、問題を先送りするだけ だとして反対する意向を表明した。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 私は、学問道場の 会員ページに、これらのアメリカの財政崩壊、金融危機、および、金(きん)などの個人取引の禁止法などのことについて緊急で、私の論文を発表します。お待ちください。 私は真面目な会員たちしか相手にしません。 

このあとも、急いで最新の金融情報を載せます。

副島隆彦拝

アルルの男・ヒロシ 投稿日:2011/07/18 09:44

【573】[634]細野豪志・原発担当大臣のカウンターパートが判明した。ジョン・ホルドレンである。

アルルの男・ヒロシです。

 細野豪志・原発担当大臣がアメリカの指示を受けて福島第一原発の事故収束のステップワンとステップツーまでの工程表の履行を行っていることは分かっていたが、一体、アメリカ本国のカウンターパートは誰なのだろうということが私はずっと、気になっていた。NRCの職員が日本にやってきたりしていたことが分かっていたがホワイトハウスのカウンターパートは一体誰なのだろうと。

 そして、アメリカ国内のジャパン・ハンドラーズとホワイトハウスや合衆国議会といった最高権力層との若干の考え方の違いにも気になっていた。

 マイケル・グリーンやリチャード・アーミテージたちは、今すぐにでも菅直人首相を退陣させるべく、子飼いの前原誠司前外相を使って、不信任案政局で腰砕けになった鳩山グループや小沢グループを取り込んで「菅降ろし」にとりかかっていた。しかし、小沢一郎は今回はさすがにのらなかった。鳩山由紀夫も乗らなかった。日本の政局はアメリカのジャパン・ハンドラーズごときが仕掛けた「菅降ろし」という動きでこの数ヶ月あっちにフラフラ、こっちにフラフラしてきた。

 また、長島昭久が仕掛けた「菅降ろし」の呼びかけも虚しく、集まったのは民主党員の32人しかいなかった。メディア報道では長島昭久やもう一人の呼びかけ人の吉良州司が仙谷由人に近いことを小沢グループが嫌ったとなっているが、要するに長島や仙谷がアメリカのジャパン・ハンドラーズ寄りということである。(この中に私も大昔に選挙のボランティアを手伝った長尾たかしさんが含まれているのは残念な限りである。もっと大きな図で世界を見たほうがいいよ、長尾さん)

 ところが菅直人はびくともしない。それは菅政権がホワイトハウスや議会の重鎮からの一定の了解を受けて原発事故収束を行うように指示を受けていたからで、菅もこの指示にうまく乗っかって、脱原発路線、クリーン・エネルギー路線を推進している。こんなことは孫正義ごときの一人と菅首相がくっついたからできるという話ではない。だから菅政権は当面続くのではないか。ステップツーの終了がメドだと思う。

 ただし、孫正義はグローバル財界人だから、アメリカでは原発推進よりも今や新しいエネルギーである太陽光技術やそれ以外のガス革命、スマートグリッドなどのITを絡めた新しい技術競争が中国を巻き込んで始まっているのに気づいている。すでに私がブログで書いたように、新しいアメリカの商務長官となるジョン・ブライソンという男は、太陽光パネル企業の重役だった。孫正義はそういう風向きの流れを読んで再生可能エネルギーへの先行投資を行いたいわけだ。

 ところが、ジャパン・ハンドラーズといわれる「知日派」たちは冷戦時代の申し子だから、単純に安全保障の範囲でしか物事を考えられない。彼等の関心ごとは中国を以下にして軍事的に封じ込めるかということであり、その他の再生エネルギーも中国をいかに外してアメリカが太平洋地域で勝ち残るのかという発想である。

 ところが、細野豪志や菅直人が直接支持をうけているホワイトハウス人脈の人間たちは違う。
そのことがだんだん分かり始めてきた。

 その一例が今朝の日経新聞の記事である。

(貼り付け開始)

米大統領補佐官が来日、福島第1原発を視察へ
2011/7/18 0:12

 福島第1原発事故の対日協力を担当するホルドレン米大統領補佐官が21~24日の日程で来日する方向で、日米両政府が調整に入った。ホルドレン氏は福島第1原発を視察して現場の状況を直接、確認する一方、脱原発依存を打ち出した菅直人政権の方針を見定める考えだ。

 福島第1原発では敷地内に入って建屋周囲の状況を視察し、汚染水を処理した水を原子炉へ再注水する循環注水冷却などの対応についても説明を受ける方向だ。日本滞在中、細野豪志原発事故担当相や原子力安全委員会の幹部らとも会談する。

 ホルドレン氏は科学技術担当の大統領補佐官で、原発事故発生後は米側窓口を務めてきた。原発視察は米側の希望という。

(貼り付け終わり)

 このホルドレンという人物の名前、地球温暖化問題でアメリカの人脈を調べたことがある人ならご存知だろう。ジョン・ホルドレンというのはオバマ政権の環境対策チームの主要人物であり、アル・ゴアと似たような考えを持つ、温暖化マフィアの一人である。もともとはハーヴァード大学教授だったが、気候・エネルギーが専門の物理学者で、核兵器の廃絶運動でも活躍している。分かりやすく言いえば、アメリカにおける小宮山宏・前東大総長のような男である。

 オバマ政権はもともとは外交政策上のリアリストたちというよりも、このようなグローバルな地球環境問題を利用していかにアメリカが環境対策でのリーダーシップを握っていくかという進歩主義的な価値観をもった勢力が主流だった。ヒラリー・クリントンの国務省やロバート・ゲイツの国防総省は、どちらかと言えば、リージョナルなアメリカの覇権をいかに維持していくかという観点で物事を考えてきた人たちが多く、日本の官僚たちもこの勢力への対応を考えてきたわけだ。

 ところが、ジョン・ホルドレンというのはいわゆる「新世界秩序」を常にアメリカは模索し続けるべきだという考えであり、人口増加が地球環境を蝕むという優生学的なエリート的発想の持ち主である。いわばアメリカ民主党系の典型的なエリートの考え方を持つ人間だ。ホルドレン補佐官に加えてキャロル・ブラウナー補佐官、スティーブン・チューエネルギー庁長官といったオバマ政権の環境対策チームが発足していたが、ブラウナー環境担当補佐官は今年の3月に退任しており、科学技術担当補佐官であるホルドレンとチュー長官がどうやらホワイトハウスの福島原発事故対策チームの最高責任者となっていたようだ。

 実は、細野豪志は6月上旬に訪米した際にはホワイトハウスに出向き、NRCのヤツコ議長や、このホルドレンと会合を持っている。(参考:http://www.houseofjapan.com/local/kans-adviser-to-brief-on-fukushima

 更に重要なことは、ホルドレンを高く評価するのが、あのジェイ・ロックフェラーであるということである。ジェイは石炭州のウェストヴァージニア州出身であり、原発政策についての詳しい見解は、ジェイが原発事故直後に「自分は原子力の熱狂的なファンではないが、この政策問題を他の国の事故に左右されるべきではないのも事実だ」と言ったこと以外は詳細には分からない。しかし、ジェイは、議会における電気自動車や新しいクリーン・エネルギー技術開発の委員会(米上院商業科学運輸委員会委員長)の議長でもある。http://sundaygazettemail.com/News/201107131046” target=”_blank”>。アメリカ国内でマードックのニューズ社の盗聴疑惑を率先して捜査せよといったのもジェイ・ロックフェラーだった。アメリカ国内ではデイヴィッド死去に向けて、勢力の立て直しが始まっているとも言えそうだ。

 菅直人がなかなか首にならないのは、そのようなオバマ政権直属の環境グローバリストチームと提携しているからだ。従来の安全保障人脈ではない。ただ、このふたつの勢力はどこかでそれを媒介する「つなぎ屋」がいる。TPP参加を促す動きはこの民主党系のグローバリストにとっても、共和党系のグローバリスト(グリーンやアーミテージなどCSIS系)にとっても、アメリカの帝国としての存続を左右する大きな問題であり、ここでは二者は共闘するだろう。

 その時こそ、菅政権の真価が問われるときである。今はアメリカ国内の違う種類の利権のバランスの中でうまく綱渡りをしているのが菅政権ということなのである。

 その時までに民主党政権は自国の利益を定義し、うまくアメリカと交渉する胆力を持った政治家を生み出すことができるか。いずれにせよ、今の菅政権は、従来の安全保障分野におけるジャパン・ハンドラーズという狭い利権を越えて、ホワイトハウスの指示をうけている。だから崩れないのだ。

 このことがホルドレン来日のニュースではっきりと分かった。

吉見おさむ 投稿日:2011/07/15 22:26

【572】[633]福島本部活動日誌です10

転載する前に、これから福島復興活動本部にお越しになられるかもしれない会員の方にお願いします。お越しの際は、どうか、事前にleeyoshimi1@gmail.comまでメールをお願いいたします。

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年7月11日の日誌です。

燃えるごみを捨てに行きました。ゴミ捨て場前の民家、つまり検問所のすぐ近くの民家には、老人が避難せずに残っています。

朝食は4日前に炒めたピーマン、たまねぎ、細切れの肉に中濃ソースをかけて、それに5日前のご飯をのせて頂きました。
下味も何もなくても、食べられるようにしてくれる中濃ソースは偉大です。

PCが再び無線LANに繋がりました。理由はわかりません。

机の上が片付きません。Nさんが7月9日にとても手早く机の上を片付けて、大変あり難かったのですが、どうにも私は散らかしてしまいます。

実験的に水浴びを3回しました。午前11時半に一回目を、午後2時半に二回目を、午後4時に三回目を浴びました。
一回目で体を洗えました。ただ、髭剃りはできませんでした。
二回目と三回目は、体を冷やす目的で行いました。直射日光のある所で浴びなければならないので、女の人には厳しいかと思います。
いずれも畑に水をまくシャワーで浴びたのですが、「広拡散」という水圧の弱いものにしたら快適でした。
前回体が冷え切ったのは、ホースから直接高い水圧の水を浴びていたからかもしれません。
この農業用の水撒きシャワーは、ホテルや家庭にあってもいいと思います。
後日に朝や夜に浴びれるか試してみます。

午後2時にNRさんから電話がきました。7月23日か24日に来ることになりました。
足りないものを用意していく、と言って頂き、大変感激しました。

午後5時に古道体育館と検問所を回ってみたのですが、今日は一時帰宅が行われていなかったこともあり、変化はありませんでした。

夕食は、インスタントラーメンに朝食の残りを入れて食べました。
夕食後に悪くなりかけの食材を調理し、明日の朝食に備えていました。
ですが、ストレス解消のためにどうしてもそれらを食べたくなり、5分の1ほど食べてしまいました。
・・・大反省です。

余震が2回くらいは今でもあります。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年7月12日の日誌です。

昨夜も288号線を赤いランプをつけたパトカーが走っていました。

本音を言えば、赤いランプをつけていてもいいです。
ですが、スピードは落として走行して欲しいです。
夜なので、走行時の騒音が結構響くのです。
夜眠れなくて生活リズムがおかしくなりそうです。
折り合いがつかなければ、検問所のところに行って文句を言ってしまいそうです。
「30キロ圏内は本当は避難して欲しいんです。そういう状態にある地域なんです」と言われてしまうでしょうか。

明日お客様がいらっしゃるので、今日はバスで船引に買出しに行きました。
バス停に行く途中に、「まどか荘」と「日本財団」と表示されたワゴン車とすれ違いました。その後ろには「まどか荘」とだけ書かれたワゴン車がありました。
バスに乗る時に、運転手から「あそこでなにやってるんですか?まさか放射線の量を調べてるんですか?」と訊かれました。
「ガイガーカウンターで調べてるんですけど、全然大丈夫ですよ。」と答えました。
ただ、医療用に使う放射線の量を併せて説明したかったのですが、自分自身の中で上手く覚えられていなかったので、兎に角大丈夫です、と言うに留まりました。

午前8時50分「古道車庫」発のバスで、「中の内」というバス停に行きました。ケーズデンキの側です。1040円かかりました。
そこから400メートル歩いて、ダイユーエイトというホームセンター兼スーパーに行きました。

ホームセンター側で日用品を、スーパー側で食品類を大量購入しました。
野菜の価格は、古道の個人商店である石井魚店より高いものが多かったです。
但し、石井魚店にはネギなどが無いので、それらを購入しました。また、大体のものは大体石井魚店の方が高いです。
実は東京は、家賃を除けば、業務用スーパーやOKストアなどの安いお店で生活必需品を揃えられるのだと気付きました。田舎の方が物価が安いとも限りません。
ただ、東京であれ福島であれ私は、スーパーの半額シールが貼ってある値引き品を購入しており、今回もそうしました。
1ヶ月期限切れの焼ソバをずっと食べ続けたのですから、これ位は、大丈夫です、問題ありません。

午後1時53分のバスまで2時間弱時間が余ってしまい、重ねて、生鮮食品が一杯で途方にくれていると、店員さんに声を掛けられました。
レジで、発泡スチロールに氷を詰めて蓋をしてもらった方がいいと言われ、それに従いました。
こっちに来たばかり、というと、「仮設の人ですか?」と尋ねられました。
「いえ、逆方向で古道の方です」と言うと、変な顔をされました。
レジでも「仮設から来られたんですか?」と尋ねられました。

リオン・ドールというスーパーでも値引き製品があったので、そちらにも行きたかったのですが、20キロ超の大荷物になったので断念しました。
特に、トマトを買えませんでした・・・。明日、石井魚店にあるといいのですが・・・。

20分かけてダイユーエイトから300メートル先の「川代橋」というバス停に行き、そこからバスで「古道車庫」まで帰りました。1070円でした。
一日6本だけで利用者は10人弱ですが、バスがここに走っていることが、大変私には助かっています。東京にいる頃には理解しえなかった感覚です。
とはいえ、みや古旅館で夕食だけ食べると1000円なので、やっぱり高く感じてしまいます。
なお、最寄のスーパーとホームセンターも「常光寺」下車で片道890円かかってしまいます。

バス停で待っていると、午後1時25分に「都路中学校」と書かれた即席のスクールバスを見かけました。
その後も断続的に中学生と思しき学生を乗せたスクールバスが船引駅方面に通り過ぎていきました。
そのうちの一台は無理やり「田村市」のシールを上から貼り付けた即席の中型バスでした。
その後ろを「船引『町』」と書かれた自動車がついていきました。

古道に戻ってきて、荷物を事務所まで持ち帰ったあとに、石井魚店で茄子や大根などの野菜を購入しました。
古道体育館にも寄りましたが、今日も一時帰宅は行われていませんでした。

午後5時半に水浴びをしました。髭剃りも出来ました。とても嬉しいです。
大きなたらいに、水と、温度調節機能の壊れた給湯器のお湯を1対1で入れたところ適温になりました。
そのお湯で暖をとりつつ、顎や鼻の下を濡らして、髭を剃りました。
途中で蜂が一匹狙ってきたので、なかなか進みませんでした。
その後に体と頭部を洗って、残りのお湯を体にかけて屋内に逃げ込みました。
Zさんが、みや古旅館で入浴した際、お湯と水を交互に体にかけていたことから思いつけました。

夕食はご飯に、残っていた麻婆豆腐、冷めた味付けのない野菜炒め、納豆で頂きました。
大体一日一食で充分になってきました。ただ、その一食がドカ食いになってしまいます・・・。

午後7時半にSさんからお電話があり、明日から一週間ほど滞在されるそうです。
お待ちしております。

買ってきたUSB接続の扇風機でPCを冷やしています。CPUが20度近く下がるので、凄く嬉しいです。

今日の都路行政局は0.48μSvでした。0.5μSvを超えることがなくなってきました。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年7月13日の日誌です。

前日作った麦茶を冷蔵庫にいれ、ポットにお湯を入れました。
エアコンは午前9時半に入るようにセットしておきました。

朝起きて、石井魚店にトマト、生姜、はちみつを買いに行きました。トマトがあって安心しました。

午前11時にMさんがきました。とても綺麗な方で驚きました。
検問所のところに行って記念撮影をしました。今回はなんだか微妙な雰囲気の撮影でした。
川内村の蕎麦屋に行って、先生が富岡タマと再開しました。

猫かわいがりしていました。タマの写真だけで40枚くらい撮ってしまいました。
富岡タマの妹猫とも会えました。飼い主さんは、瓦礫の中に何度か行って、遂に見つけ出したそうです。

最初は広野の海岸に行く予定で出発しました。
道に迷って一回川内村の検問所に行ってしまいました。岐阜県警の人たちは、私達に道を尋ねられて困っていました。
その後、399号線をずっと南下して、いわき市の国道6号線に入り、それから北上しました。
しかし、途中で海岸への道が、震災の瓦礫の影響で途絶えていて、諦めて四倉海岸に行きました。

四倉海岸はかなり瓦礫の集積と撤去が進んでいましたが、それでも折れ曲がった電柱や、柱だけになった家屋は普通に見られます。
撮った写真を見れば一目瞭然なのですが、私の文章では伝えられないのが残念です。

帰りは磐越道で帰りました。2050円でした。途中で雨が降ってきました。
Mさんの運転が非常に丁寧、且つ、スムーズで、感心しました。
先日に渋佐海岸へご一緒したIさんも、大変に丁寧なのにもかかわらず速い運転をされていたのを思い出しました。
・・・先生の運転は、ジェットコースターのようで、あれはあれで、なかなか楽しい、です。
・・・でも、素人目ですが、不思議と事故を起こすようには見えない運転です。

午後6時に事務所に戻ってきました。そしてSさんと事務所で合流しました。
これから一週間よろしくお願いします。

午後7時半にみや古旅館にいって、Iさんとお会いました。大変情熱的な方でした。
私の倍以上の年の功があるのに、バイタリティに圧倒されそうでした。

みや古旅館の夕食は、焼きおにぎり、海老と南瓜のてんぷら、焼き魚、オクラと山芋のおひたし?、海老と帆立の刺身、漬物でした。
夕食の席で、田村市が「坂上田村麻呂」由来の名前だったらしい、など、思わぬ発見がありました。

一度事務所に戻って、先生の新刊4冊をみや古旅館に差し上げたところ、「ただにしてもらう訳にはいかない」と言われてしまい、料金として6000円頂いてしまいました。
できるだけ早く、みや古旅館で食事に1000円×10回使ってお返ししたいと思います。本当は、自分は料理が下手なので、みや古旅館の食事を食べたいだけです。

副島先生、Mさん、Iさんは、みや古旅館に泊まりました。
私とSさんは事務所に泊まりました。

事務所に戻ってから、満腹にもかかわらず、悪くなったさくらんぼを大量に食べることになりました。
ダイユーエイトで、580円のさくらんぼをお客様用に買っておいたのですが、劣化が進んでいて、食べる以外の選択はありません。
お客様にお出しできるのは5割くらいしか残りませんでした。
なお、580円といえど、首都圏で買ったら3000円以上になりそうな量です。
おそらく、出荷できないので現地で現品処分になったさくらんぼだと思います。

Yさんから折角テレビを頂いたのに、本当に全く見られていません・・・。

今日は日誌を書くのに一番苦労し時間をかけました。それなのに全然ダメで辛いです。
努力して上手い文章を書こうとするからうまく行かないのでしょうか。

最後に、これは日誌から大きく外れますが、自分の為に一度メモさせてください。

石井魚店で、やや割高ながらもあるものは
「肉、牛乳、バター、チーズ(←美味いかは今度確認)、納豆、漬物、麺類、胡椒、七味、豆板醤、麻婆豆腐のもと、ポッカレモン、しめじ、まいたけ、なめこ、レタス、キャベツ、大根、もやし、豆腐、ニラ、ピーマン、人参、茄子、にんにく、生姜、ドレッシング、キムチ、わかめ、塩、出汁のもと、卵、醤油、めんつゆ、はちみつ」

逆に欲しくてもなかったものは
「ネギ、イタリアンドレッシング、ヨーグルト、トマト(←時々ある)、食パン(←菓子パン類はある)、魚介類(←碌なモノがない、練り物ばかり)、油揚げ、食べられる煮干、ジャム(←マーマレードはある)」

(転載終わり)

(転載始め)

2011年7月14日の日誌です。

朝7時20分にMさんとIさんが事務所に来ました。
副島先生が毛筆と墨汁で2枚標語を書きました。
Sさんが事務所を案内しました。
MさんとIさんは、午前8時に船引駅に帰りました。

昼食は、昨日のやきおにぎりを事務所に持ち帰ってきたもの、味噌汁、豆腐(に生姜を載せたもの)、納豆、モモ、Mさんから頂いた辛そうなもの、トマトにチーズを挟んでパスタソースをかけたもの、でした。
味無しの野菜炒めが3日冷蔵庫に残っています。早くどうにかしたいです。

午後2時半に生協の係員が来て、明日から利用できることになりました。
金曜に配達されるそうです。こんなところでも、配達に問題はないと言われました。
中田先生、教えていただいて、有り難うございます。

午後4時に検問所と都路体育館に行ってみましたが、今日も変化はありませんでした。
「マスコミへのインフォメーションボード」に書いてあった簡潔な文章は、報道関係者に対して
「取材に来るなってことだよ、言わせんな、恥ずかしい」
と暗に言っているのでしょうか。

通路で、排水が心配でずっと掃除できなかったところを掃除しました。
買ったばかりのワイシャツが、ブラシをかけていたら豪快に汚れました。泣きたいです。

シャワーを二回、午後3時と午後5時に浴びました。
なかなか5時だと辛かったのですが、Sさんは更に後に浴びたので、一寸心配です。

夕食は、洗うだけのそば、先生がコンビニで買ってきたパン、フライパンで焼いた油揚げに生姜おろしとネギと七味をのせてから麺つゆをかけたもの、豆腐(にネギを載せたもの)、トマトにチーズを挟んでパスタソースをかけたもの、を食べました。cookpadさまさまです。
残っている野菜炒めはどうしてあげたらいいのかわかりません・・・。
食後にお酒を飲んでしまい、やや醜態を晒しました。

(転載終わり)

Nさま、頂いたオーボンヴュータンのクッキーは大変美味しいと先生が言っていました。有難うございました。

吉見おさむ 投稿日:2011/07/14 03:25

【571】[632]福島本部活動日誌です9

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年7月7日の日誌です。

午前2時にパトカーが行き交っていて、ランプで起こされました。
証拠としてカメラを一枚屋内のガラス越しに撮ったところ、パトカーが停車してこちらを見ていました。

起床後、朝食を作りました。キャベツと人参を炒めて、そこにインスタントラーメンを入れました。
また、ここ4日は緑茶でなく麦茶を作って冷やしています。
暫く客人は来ず、徒労に終わっていました。
ですが、今日はKさんが来ました。

Kさんが、設置するシャワーの下見をしてくれました。

Kさんと車で、放置されていた大量の処分に困るゴミ(古い蛍光管、車のマフラー、オーディオ機器、ダンボール)を船引清掃センターに捨てに行きました。
大変有難うございました。
マフラーについて「本来は産廃なんだけど、同じ田村市民だから特別に処理します」と言ってもらえました。
意外と田村市の行政サービスは柔軟でありがたいです。

以前にも行った、川内村の蕎麦屋に行きました。ここで思いがけないことがありました。
ここのお店で、富岡タマの飼い主の一家が手伝いをしていました。
「じっとしていても仕方ないので知り合いであるここのお店で、お手伝いをさせてもらっている」とのことです。
み~こもそこらへんで寝てる、と言っていました。タマを・・・見てみたかったです。
蕎麦屋のご主人は、川内村の議員さんです。困った人に手を差し出せる、立派な人だと思います。
話の途中で「川内のEさんはいいEさん、富岡のEさんはお金持ってるEさん」という話になりました。
あとで車内でKさんが、「川内村の村長は、いい村長だと思う。○○のときに〇〇くらしいけど」と言っていました。

川内村役場に寄りました。役場近くはかなり民家に車があったので、人が戻っていると思われます。
川内の湯という入浴施設は、まだ再開していないそうですが、シャワーは浴びれるようです。
川内村の役場内には0.09μSvという電光掲示板が一番目立つところに置いてありました。
5,6人くらいが掃除をしていました。役場で緊急雇用をして、役場の掃除をしてもらっているそうです。
『すべては村民のために!クレームはラッキーコール』という標語が大きく、目立つところに貼ってありました。

掃除をしている一人から話を聞けました。
話を聞いた人はブログをやっていて「0.09という数字が示す通り、もう安全なんだ。だから貴方達も発信してくれ」と言っていました。
また「人が戻ってこないのは、また爆発が起きると思ってるから。俺が話した記者の2割も、また爆発が起きると言っていたよ」とも言っていました。
たくましい人でした。「役人はここまで活動的じゃないから、おそらくこの人も緊急雇用の人」とKさんがいっていました。

車の中でKさんから
「折角中国から一人オタクが来るのだから、何かできないだろうか」
「馬鹿じゃないと村おこしなんてできない」
「水道局で塾かヤクザかと思われたのなら、本当に塾かヤクザになってしまったらどうか」
「原発関連グルメ本とかどうだろうか」
等のアイディアを頂きました。

午後2時半にケーズデンキの荷物が到着し、遂に洗濯機が使えるようになりました。
設置時にホースの長さが足りないと言われたのですが、設置員が帰った後に向きを変えたら、繋げられました。
設置場所は適当な所がなかったので、外になってしまいました。また、物干し竿も購入しました。

Kさんは午後3時に帰りました。

午後5時に288号線を、富岡町と書かれたバスが帰っていきました。
気になったので、古道体育館に行ってみたのですが、今日はここからの一時帰宅は行われていませんでした。
おそらく、川内小や富岡高分校でも一時帰宅が行われていて、その帰りだったのだと思います。

午後5時半に都路中学校に行きました。途中の階段がかなり損傷していました。
中学校は下水を流せるように、ビニールシートと土嚢で突貫工事をしていました。
この辺りには、小学校と中学校はあっても、高校はありません。
一方で川内村には、一つは分校ですが、高校が二つあります。
改めて川内村は立派だと思いました。

午後6時にみや古旅館の近くのお寺に行きました。このあたりは寺前といいます。
鐘の上の屋根が壊れて、ビニールシートが3分の1だけかかっていました。
ここのお寺の人はずっと避難せずに、朝夕の鐘を鳴らし続けていたと話に聞きました。

近くの個人商店で買ったピーマンですが、特大サイズ八個入りで75円でした。
福島県産ということで売れないのでしょうか。

福島民報にしていた申し込みの返事が来ました。7月9日から届く予定です。

隣の庭匠さんの家の大型犬が駐車場にやってきて、糞をしていきました。
すぐに庭匠さんが塵取りと箒を持って回収に来ました。

市の放送によると、7月5日は0.46μSv、7月6日は0.48μSv、7月7日は0.44μSvでした。
二週間前はだいたい0.55μSvほどでした。
ただ、福島本部の入り口を開けていることが多くなったので、室内が高くなりました。
以前は0.28μSv前後だったのが、今は0.32μSv前後です。

2階の油汚れをもう少し取りました。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年7月8日の日誌です。

朝起きて、ビンのごみを捨てに行きました。
検問所の前に黄色い防護服を着た4人が、車を留めていました。

トイレ、台所、テーブルの上にあったタオルを洗濯しました。

古道小学校を見に行きました。今日は、ここからは一時立ち入りは行われていませんでした。
途中の、288号線と399号線が交差するところが、一時的に通行止めになっていました。
看板によると、川内村グラウンドから一時立ち入りが行われているようです。

アルル先生から電話を貰いました。生協で食品を購入したらどうか、と言われました。

午前11時前にIさんが来ました。
会員ではないと言っていましたが、副島先生へのお手紙を持って来ました。
福岡からいらした方です。2日ほど避難所生活もしていた方です。

Iさんのレンタカーで、原町市の渋佐海岸を見に行きました。
途中の道路はかなり復旧されていましたが、所々、大きな工事が必要と思われるところがありました。
途中で飯館村の地面をガイガーカウンターで測定したところ、約50μSvでした。同じ地点で車内に戻って計ると、約5μSvでした。
渋佐海岸は以前と比べて、瓦礫の撤去が進んでいました。瓦礫を3種ほどに分けて分別し、それらをショベルカーを使ってダンプカーに積んでいました。

午後3時10分に事務所に戻った後、「バーナードマドフ事件」を差し上げました。
慌しく2階を案内した後、Iさんは午後3時20分に急いで帰りました。
郡山へレンタカーを返す時間が午後5時だったからです。

都路行政局に気温や気圧が表示されているのですが、ここは大体960hPaです。
また、周りの山が700~900メートルと表示されていることを考えると、ここは300~400メートルにあるのだと思っていました。
あとで大家さんのSaさんが、大体380メートルだと言っていました。

午後4時にKさんが来ました。洗濯機のホースを少し延長してくれました。

Kさんと一緒に、大家のSaさんご夫妻、やきとり天国のYさんご夫妻と、やきとり天国でお酒の席をご一緒しました。
Kaさんから事務所開きの際に貰った日本酒とツマミ類を持って行きました。Kaさん、有難うございました。
川内村の村長と大家さんが親戚だった、等のお伝えする情報があるはずなのですが、お酒のせいで頭に残っていません。

今日はKさんは2階に宿泊しています。

今回、色々なことが重なって、日誌が遅れてしまいました・・・。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年7月9日の日誌です。

朝、自分の衣服のタバコの臭いで目が覚めました。
今日から福島民報が届きました。

大きい部屋に軽く掃除機をかけました。

Kさんと郡山駅へ行きました。途中で静岡県警の護送車とすれ違いました。
郡山駅でNさん、Oさん、Zさんと合流しました。
郡山駅前は大きな街で、高校生も大勢いました。お店の店員さんも標準語でした。

避難所になっているビッグパレットに行きました。ここは0.10μSvでした。
元の駐輪場に洗濯機が置かれていました。また、屋外に自衛隊の特殊車両とともにお風呂が置かれていました。
ビッグパレットは警察官は2人いましたが、問題なく入っていけました。
入り口のところでは、おそらく高校の卓球部が試合をしていました。
子供もそれなりにいましたが、目立っていたのは高齢者でした。それでも、都路にはない活気がありました。
入ってすぐのところで、職員が大勢集まって会議を開いていました。その20分後に外で集合写真を撮っていました。
漫画が揃えられた即席の図書館がありました。
入って左のホールに行政機能が集まってまとめられていました。
Kさんが係員に、県の借り上げ住宅について質問していました。
5人以上ならば9万円、5人以下ならば6万円の補助が、最長2年間出るそうです。
Kさんは、いい商売になる、と言っていました。

大きなホールに作られた避難所には、意外と空きがありました。
ところが通路の多くの所にも、ダンボールで自製した避難所がありました。
広さやプライベートの問題で、大きなホールに集まっているのは辛いことなのだろうと想像しました。
いずれのところにも、毛布と飲料用のペットボトル、漫画などが置いてありました。

ビッグパレットにある川内村の出張所に行きました。仮設住宅と同じプレハブ小屋の様な建物です。
ここは川内村の村長が来て、寝泊りしていたそうです。また、川内村のE村長は、新潟に逃れた避難民も、後で一人ずつ全員を訪ねて歩いたそうです。
Oさんが、Yさんとともに20キロ圏内に一緒に入りたい件について問い合わせました。
国の管轄であり、国に問い合わせて欲しい、というもどかしい返答がされました。
次にNさんが避難状況を問い合わせました。ビッグパレットに残っているのは、川内村16人、富岡町約500人でした。
この差は、まだ富岡町に仮設住宅ができていないことによるものだそうです。

ビッグパレット隣の仮設住宅に行きました。見たところ8割方入居していました。
普通に洗濯物が干してあり、エアコンの室外機が回っていました。

福島本部でSさん、それからSさんのお知り合いのITさん、Iさんと合流しました。

川内村の蕎麦屋に行きました。今日は富岡タマを呼んでくれて、少しだけ頭と背中を撫でられました。
私も写真を撮りましたが、小さいです。アップの写真はOさんが持っています。
8人全員でせいろの大盛りを頂きました。

蕎麦屋のご主人に話を聞けました。
ビッグパレットへの入居について、阪神大震災の被災者がこれからのことを心配している、と言っていました。
ただ、お年寄りにとっては、友達ができるので良いかもしれない、とも言っていました。
慰謝料を2万円増やすために、避難所から帰らない住民も多いそうです。
国は今でも30キロ圏内は自主避難を求めている、とも強調していました。
そして、郡山にも放射線量の原則からいけば避難しなければならない所があるのに、なぜ20キロで一律に区切るのか、国は中途半端だ、と憤っていました。
それでも、商工会をと通して、せめて地方に散っていく川内村の若い住民に、川内村という名前を一時的にでも思い出して貰えるような仕組みを今作っているそうです。
中国からの留学生であるZさんに対して、冗談とはいえ、中国の土地買占めに過敏に反応していました。
ただ、中国人の研修生はとても真剣に努力するので、尊敬していました。川内村でも4人の元研修生が、結婚して住んでいたそうです。
帰りの車のなかでNさんとOさんが、「廃棄物処理場の情報は入っていないんだ」と言っていました。

蕎麦屋からの帰り道で、一時帰宅のバスが続けて三台すれ違いました。
搭乗者は細菌防護服を着ていました。

事務所に戻った後に、Oさんからお茶と紅茶を、Zさんからウイスキーとその他日用品を貰いました。
Oさんから「何が事務所に足りないのかわからないから迷ってしまって・・・」と言われました。
仰るとおりで、何が事務所に足りないのか、何を多く必要としているのか、まだわからない状態です。

Sさんが、「土壌の変化計測をやってみよう」という題で、実験をしました。
Zさんが同じ条件にするための突っ込みをしていました。
正直、よくわかりませんでした。

みや古旅館に午後7時に行きました。
まずシャワーを浴びました。
一度ZさんのPCを取りに事務所に戻ったのですが、その際にITさんが車を出してくれました。

みや古旅館で午後8時半に夕食を頂きました。
ご飯と、刺身、かれいの煮付け、フライとキャベツ、冷やしうどん、よくわからない和え物、よくわからない肉とご飯の練り物、でした。
ご飯を残してはいけないと思って食べ過ぎました。ビールも悪酔いしてしまいましたが、一杯だけ飲んでしまいました。
みや古旅館の食事は、地味に美味しいです。若者言葉を使えば「フツーに美味い」です。
吃驚するような美味しさを求める人には余り向かない食事でもあります。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年7月10日の日誌です。

Zさんは午前2時まで文章をノートパソコンで書いていました。
私は寝てしまいました。

午前8時にみや古旅館で朝食を頂きました。
ご飯と、鮭、納豆、卵、明太子、あさりの味噌汁、ハム、レタス、トマトでした。
昨日ご飯を食べ切ってしまっていたからか、恐ろしいほど大量のご飯がでてきました。
中国の「食事の際は一口残すのがマナー」というものの良さが少しだけわかりました。
余ったご飯でおにぎりを作って事務所に持ち帰りたかったです。

帰る前にひまわりを植えた田んぼを見に行きました。
ヒマワリはどれなのか、ITさんに教えてもらいました。
以前に石井さんが直播きをしたところが線になって密集して生えていました。
事務所に戻って石井さんに画像を送信しました。

KさんとNさんが、事務所後ろの畑の脇にヒマワリを植えました。私も少し手伝いました。
裏側に水を撒くホースでシャワーが出ることがわかりました。つまり、水浴びは可能です。
ここはホースが捩れていたことにより、水があまり出ないと勘違いしていました。
そのため、余計なホースを一本買ってしまいました。

Zさんが防護服を着ました。記念撮影をしました。
昨日に電話で「今福島か?じゃあ長居は無用だ」といっていた彼のお父さんが聞いたら、なんと思うのでしょうか。

Nさん、Zさん、Kさん、Sさん、ITさんは滝根山に行きました。
私も行きたかったのですが、日曜日は訪問する人がいる可能性が高いので、事務所で留守番していました。
午後2時半に戻ってきました。丁度雨が降り出していて、Zさんの洗濯物が少し濡れてしまいました。

11時くらいから無線LANが使えなくなりました。復旧しようと一時間頑張ったのですが、出来ずに一回諦めました。
午後3時にPCを見てみたら、なぜか復旧していました。原因がわかりません。
その後4時に再び接続できなくなりました。
現在、以前にNさんが設定した接続で繋いでいる状態です。
原因としては、3台のPCを一度に接続したこと、位しか考えられません。

12時過ぎに一時立ち入りのバスが3台検問所の方に向かいました。
今日は古道体育館のほうからマイクの音が少し聞こえてきましたので、一時帰宅が行われたのだと思いました。

午後4時半に6人全員で検問所のところに行きました。
「記念写真を撮りに来た」と警察官に説明しました。警察官は警察車両に戻って、無線でどこかに連絡していました。
問題なく撮影できました。他の担当者だったら、また違う対応をされたのかもしれません。

午後5時に原発から22キロの所で田植えをしているという人に会いに行きましたが、留守でした。
ただ、家の近くの水田に田植えがされ、堆肥も置いてありました。

午後5時半に川内村の蕎麦屋に行きました。富岡タマに会えました。

富岡タマが交通事故にあって死に掛けていた、など全然知りませんでした。
手で抱くのは上手くいきませんでしたが、暫く撫でていられました。後で写真を見せてもらいましたが、自分は気持ち悪い顔をしていました。
ご主人が商品券は金融庁も取り締まれないとか、とても興味深い話をされていたようでしたが、私は富岡タマを撫でるのに必死で、全然頭に入りませんでした。
至福の時間でした。猫を撫でられたのは、おそらく8年ぶりくらいでした。
車が入ってきてしまい、富岡タマはそれを避けるかたちで、もといた家屋の方に帰っていってしまいました・・・。
せいろの大盛りを頂きました。富岡タマの喪失感で味があまりわかりませんでした。
そばつゆをそのまま飲んでいたような気がします。もう少し辛目のつゆの方が好きです。

午後6時20分にKさん、Nさん、Zさん、Sさん、ITさんが、電車の都合などで一斉に帰りました。
お世話になりました。

午後7時に古道体育館に行ってみました。
マスコミ関係者へのインフォメーションボードに、
「7月10日 双葉111世帯/198人 大熊町106世帯/168人」
と書いてありました。やはり今日は一時立ち入りが行われていました。

(転載終わり)

Iさま、先生へのお手紙等は、必ず今日お渡しします。諸事情ありまして、お渡しするのが遅くなってしまいました。申し訳ございません。

7月9日、10日にご一緒しました皆様、楽しいお時間を有難うございました。

会員番号5950番田中 投稿日:2011/07/13 19:18

【570】[631]出来る事

私は3月11日震災後、考えた末に西へ逃げました。
放射能や原発の知識もないので「副島先生」の安全宣言だけを信じ東京に帰宅しました。

西にいた間は、
ずっと考えていました
「東京が放射能でやられ壊滅状態になっただった場合、私は親や知人に会いに戻る覚悟はあるのだろうか?」と。

結局、東京を始め東日本の危機は免れましたが
自分で決めて結論を出せた事は良かったと思います。

私は逃げた身なので
今現在原発問題に対して大きな活動はしていませんが

マスコミによる
醜い放射能報道を鵜呑みにしている知人や身内がいれば
私が逃げた理由と、帰宅した理由を説明をし
その都度、今はもう大丈夫だと説明する事にしています。

もしも同じく震災後、西に逃げた人がいるならば
自分がとった行動を知人などに打ち明けて、
その上で福島で副島先生らが活動している現状を
お話になればそれは人の為となり役にたつと思います。

富川洋子 投稿日:2011/07/12 05:39

【569】[630][629]の訂正 

7月11日の投稿で、今日 と書いていましたが、講演会は7月9日(土)に仙台市で行われたものです。訂正します。

富川洋子 投稿日:2011/07/11 21:37

【568】[629]原発の安全性を求める福島県連絡会代表の方とお話をしました

会員番号6871の富川洋子です。
事務所開きでは、ありがとうございました。副島先生はじめ、お弟子の皆さんにも大変お世話になりました。

今日、宮城県の小中学校教員組合(宮城県は小中学校の組合は日教組・高校の組合は全教です)主催の「みやぎで原発とどう向き合うのか」という講演会がありました。
3人の話を順番に聞きました。

★竹内峯氏(東北大学名誉教授・理学博士)
☆早川篤雄氏(原発の安全性を求める福島県連絡会代表)
○古関勝則氏(福島県川俣町立飯坂小学校 教諭)

★東北大学の先生は福島出身の方で、それなりにいろんな話をしてくれましたが、原発を作ったアメリカの会社・・・とだけ言ってGEという言葉は出てきませんでした。
このあと、福島原発が爆発でもしない限り、放射能は減ってきているから仙台は大丈夫ですから と言っていましたが 原発怖い怖い派のお母さん達が沢山参加していて(今までの組合主催の講演会には無かったことだ)草むしりしていいのかとか 運動会したけど被爆しちゃったんじゃないか とか そんな質問ばっかでした。

竹内博士の話は、大変納得のいくものでした。15日をピークに放射線は減ってきている。ましてや仙台はそのときの風向きを考えれば、怖がる必要はない場所なのだと言うことを言っていました。

それから、仙台日赤病院のお医者さんも来ていて「とんでもない御用学者の長崎大の山下とかいう教授が、福島医科大学の副学長になると聞いたけど、大学って一体どうなっているんですか!?」と、東北大名誉教授には答えられない質問をしていました。

☆原発の安全性を求める福島県連絡会の早川篤雄さんという方は楢葉町(ならはまちhttp://www.naraha.net/)に住んでいたそうです。ご自宅が15キロ圏内だったので、3回も避難場所を転々として、今はいわき市に住んでいらっしゃるそうです。

彼は、九州電力のメールの話を取り上げて「そんなのは、福島原発が出来る前もそうだった。俺達はずっと、反対運動をしてきたが、地元への説明会・公聴会と言いながら、地元の人が座る席は無く、全部、東電の関連の人たちで埋まってしまって座れなかった。私は、ずっと交渉してきたから『俺まで入れないのか!?』としつこく食い下がったら「あんただけだったら・・」と裏からこっそり入れてくれた。 と裏側をおしえてくれました。

 1953年に当時衆議院議長だった堤幸次郎氏が第一原発用地を先行取得していた話(がっぽがっぽでしたね)や、1955年に福島県梁川出身の木川田一隆氏が東電の副社長になって(4代目の社長になったそうですが)福島へ立地をすすめていった話や 正力松太郎は悪いやつだと いう話や いろいろ教えていただき、勉強になりました。

なんと昭和43年の元旦の福島民報(福島の地元紙です)の 「知事(木村守江)と両電力社長 新春座談会 」のコピーを配ってくれました。見出しは「新しい電源宝庫 楽しめる相双地区」でした。(ちなみに、相双とは 相馬市・双葉郡エリアを指します。)東京電力が原子力を推進するためのポスターなんかも、保管している方のようでした。

こんな悪いことを政府主導でやってるんだ。 と言ってはいましたが、アメリカの話はでてきませんでした。

後ろで聞いてたお母さん達は
「えー。しんじられなーい」と言っていましたが、放射能怖い怖いの前に なんで原子力発電所が出来たのかなぁ とかお母さん達にも勉強してほしかったです。
でも、これでちょっと勉強したと思います。

○そのあと、川俣町の古関先生のお話は、涙が出ました。
3月中旬から双葉町からの避難の人たちを学校で受け入れていたそうです。
200人入るところに700人 ぎゅうぎゅうづめだったと言っていました。

炊き出しをしていたら双葉町の人たちは、川俣の人たちばかりにそんなことをさせては・・・と地域のリーダーの人たちがみんなで係り分担を決めてちゃんと、自分達で炊き出しなどをしていたようです。

埼玉に行くことになったときに、「行きたくない。行きたくない」 と泣いて騒ぐおばあちゃんを「仕方ないんだ」と、なだめて、みんなで抱えてバスに乗せたそうです。

双葉町の人たちはいなくなったけど、今度は川俣町も計画的避難区域に入ってしまった。子供達は外で遊べない。給食はいまだに菓子パンと牛乳。
近畿大学から首に下げるガラスバッチを貸与されたが、あれは我々を調査したいんから。我々は実験台。(そこで、お母さん達が声を合わせて「ええ!」「・・・そうなんだぁー」と言っていて、かなり衝撃だったらしい)

最近は暑いので窓を開けているが、線量がだいぶ下がったから。
川俣町は各教室に扇風機を入れている。二本松とか各教室にエアコンとか入るらしい。どの自治体も国は何もしてくれないってことが分かってきたから独自に動き出している。

などなど

そのほか涙が出る話がありましたが、仙台市の自分ちの周りの草むしりを気にしていたお母さん達は、何も言わなくなりました。

何か感じてくれたんだと思います。

会のあとに、早川さん古関さんとお話させていただきました。どちらの方も副島先生をご存じないようでしたので、副島先生と学問道場のHPと紹介させていただきました。