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川端優美子 投稿日:2011/08/20 11:29

【601】[665]お取り寄せという手があったか!

群馬のゆみこ(川端優美子)です。
福島県産農産物を生産者から直接買うなんて、なんと素晴らしいことでしょう!中間手数料なしですよ。なんというか、“支配者がいない”感じがしませんか。興奮してきました。学問道場福島復興活動万歳!
5kgはちょっと食べきれない、という群馬県在住の方に。群馬県の大手スーパーチェーン フレッセイで今週末、福島の桃を2個1パック298円で売っています。わたしもきのう買いました。まだ硬いのでしばらくもちます。福島県産のインゲンもありました。100gあたり128円で、一袋170g前後。わたしは二袋買いました。フレッセイ、偉い!
フレッセイのチラシhttp://fressay.supermommy.jp/fressay1/

副島隆彦 投稿日:2011/08/20 07:14

【600】[664]福島の泉くんの周辺の農家の桃を買って食べましょう。福島復興のために食べましょう。

副島隆彦です。 今日は 2011年8月20日です。

 同じ日本人だったら、福島産の農産物を食べるべきです。
私たちはどんどんガブガブ 福島県でできる果物、野菜、米を
食べましょう。それが同じ日本人として誰にでも出来る原発放射能漏れ事故を起こした福島復興への支援だ。

現在、福島県知事が女優の三田佳子を連れて、「福島県の農産物を食べてください」というキャンペーンをやって全国を回っているそうです。私たちも賛同します。

すぐ下 ↓ の「663」番の 投稿者の 泉浩樹(いずみひろき)君は、原発から50キロの須賀川(すかがわ)市のそばの農家 (中通りという)の出で東京で映像カメラマンをしていますが、以下の文にあるように、実家の農家によく帰って農業の手伝いをする人です。

 まるでコマンドウcommando (特殊部隊戦闘員、突撃隊員)のような立派な体をした人です。5,6人は即座になぎ倒すでしょう。彼が咄嗟(とっさ)にカメラを構えるとまるで機関銃のようだ。 

 私たちの学問道場の福島復興活動本部の 看板(意見広告) も彼が作ってくれました。 下の「656」番 で 吉見君が、活動日誌の内容として写真を貼ってくれた一枚にある、国道沿いに作った私たち学問道場としての主張です。車で通る地元の人たちが物珍しそうに読んでくれます。

 その泉くんが、私たちの内部連絡網(内網=ないもう、メーリングリスト)で、自分の親戚の果樹園農家の今年の桃は豊作で味もいいのに、どうも 売れ行きがよくない、ということで、「桃を産地直送で食べたい人は生産農家を紹介しますので買ってください」と内網に書きこみましたら、すぐに「私も食べる」と注文する人たちが出ました。私も一箱(20個ぐらい、送料込みで4000円)を注文しました。

 8月上旬の活動本部での夏合宿の食料の買い出しに、船引(ふねひき)のスーパー(20キロぐらい郡山方向に戻る)に行ったら、ちょっと赤くなったおいしそうな桃(「あかつき」という品種です)が、20個で1890円で売っていました。一個100円弱です。それを買って帰って、私は皮も剥かないで洗いもしないで、ガブガブ食べました。美味しかった。

 こういう桃は、東京のスーパーで買うと一個300円ぐらいします。それを福島の地元では100円弱で食べています。きっと微量の放射能(セシウム)入りとか何とかで、福島産の果物、野菜は、敬遠されて、全国のスーパーで売れ残っているはずです。

 福島の人たちは、当然、皆、福島産の野菜や果物や米を毎日食べている。地産地消(ちさんちしょう)で食べている。当たり前だ。福島の人間で、「外国産の放射能の入っていない輸入品の、値段は少し高いものを食べている」というような偽善者(ヒポクリット)は、売国奴(ばいこくど)の県レベルでの人間で、売県奴だ。

 福島県人は、今も3日に一回ぐらいは起きる小さな地震を平然と受け入れながら、皆、元気で生きている。子供も赤ちゃんも、誰一人として、原発事故・放射能漏れのせいで病気になっていない。今、誰も病気になっていないということは、5年後も、10年後も誰も発病しない、ということだ。私、副島隆彦はそのように断言する。 

 私に向かって、「あなたは内部被曝のことを知らないのですか。5年後に子供たちから甲状腺がんの患者が出たら、どうするのですか。福島の農産物を食べろ、と書いて、責任を取れるのですか」 と書いてきた、主に女たち(バカ女たち)が20人ぐらいいた。私たちの学問道場から、「考えが合いません」と退会していった者が10人ぐらい出た。

 私は、重ねて断言する。福島の人は誰も放射能のせいでの発病などしない。5年後も、10年後もそうだ。今、病気にならないということは10年後もならない、ということだ。

 私は、まじめな放射線医学者で、本当の専門家である 山下俊一(やましたしゅんいち)教授( 長崎大学医学部教授のまま、現在、福島県立医大の副学長に就任した)らの言うことを、きちんと聞く。彼ら本当の専門家 たちの言葉に真剣に従う。 このことと、大事故を起こした東電への責任追及は別のことだ。

 放射線(放射性物質)の人体への影響についての本当の専門家でもないくせに、「放射能コワイコワイ」の国民扇動を行い、放射能コワイ教(目に見えないからコワイ、形がないからコワイは、まさしく宗教体験、入信体験 と同じだ) を布教して回った 者たち全員を、私は、これから、徹底的に 追及して、名指しで筆誅(ひっちゅう)を加える。

 この愚か者たちを私は絶対に許さない。向こう側は、「内部被曝の恐ろしさの知らない無知な副島隆彦を糾弾する」と来るだろう。いいだろう受けて立つよ。

 その 高級そうな「内部被曝」というコトバを、お前たちは、5月何日頃の、いったい、どのヨゴレ週刊誌 の 扇動記事で知ったのか。 何年も前から知っていたコトバではないだろう。どうして、そうやって急に、知ったかぶりをして、自分が急に頭がいい人間になったと思い込めるのだ。ただの臆病者で、ヒステリー症状を起こしやすい体質をしているだけのくせに。 

 元々、そういう人間であり、「いや待てよ。本当はそうではないのではないか」と踏みとどまって再考するだけの思考力もない者たちだ。化けの皮がはがれてよかったよ。

 私たちは、今こそ、福島産の農産物を、ガブガブ食べるべきだ。それが同じ日本人としてやるべき本当に大切なことだ。同じ国民、民族、同胞というのは、そういうものなのです。同じものを食べて生きているのです。

 泉さんの周辺農家の果樹園業者たちが、今も収穫しているこの桃(あかつき)と同じようなものが、すでに東京はじめ全国の大都市に出まわって、静かに買われているはずだ。「なんだか、すごく安いわね。もしかしたら福島産なんじゃないの」と軽口(かるぐち)を叩き合いながら主婦たちが買っているだろう。「私は絶対に福島産は食べない」と思慮深そうにする主婦もいるだろう。それでも赤く熟れて、一個50円ぐらいにまで値下がりした果物はおいしい。 

 安ければ買う、というのが消費者の切実な心理だ。それを馬鹿にしてはいけない。質のいいものをより安く消費者(国民)に提供することこそは、すべての生産者の使命であり生き甲斐だ。

 ですから、以下の泉くんのまわりの果樹園農家が摘み取って、即座に新鮮なまま、宅急便で直販(ちょくはん、現地直送)する果物以外に、、もしかしたら、福島県全体では、巨大な冷凍庫のある物流倉庫にすでに大量に滞留したままになっているかもしれない。

 私は、来週にも、また福島市の福島県庁に行って、農政部の幹部たちと会って、「売れ残って困っている福島産の果物や野菜がありますか。それらを、日本国民が手分けして、直販方式で、皆で買う、という国民運動を私たちは始めたいと思います」 と 言いに行こうと思う。 私たちはやると言ったら、やる。

 売れ残っているのなら安くしてくださいと、当然、言う。おそらく泉くんの周辺の農家も、売れ残りそうになったら、現在は桃20個4千円(送料込み。だから一個150円見当だ。送料が、関東圏で1050円かかるそうです)を安くしてくれるだろう。

 福島の現地でたべる一個100円弱とかまでは安くならないとしても、130円ぐらいまでなら、送料(運搬料)を見込んでも出来るのではないか。

 9月に入ったら、中通りのほかに、米どころの会津(あいづ)の福島産の米の大収穫が始まる。それを買い控える傾向が起きそうだったら、そのときこそ私たちが動くべき時だ。

私たちは、同じ日本人としてこうやって、同じものを食べることで福島の復興(そして、岩手と宮城の物も食べる)に協力するべきだ。同胞であるというのはそうことです。

副島隆彦拝

泉浩樹 投稿日:2011/08/19 21:59

【599】[663]「ふくしまの農産物」

会員の泉です。

「ふくしまの復興」を目的とした、学問道場のメーリング リストがありまして、そちらに書いたメールを転載いたします。
副島先生から「重掲」へ と指示を頂きました。

(転載はじめ)
「ふくしまの農産物」を食べる運動がひろがっております。

副島先生を始め 皆様からの反響の大きさに驚いております。
午後の地震の事ではありません。
「もも、ぶどう」の件です。

家の辺りは震度4くらいだった様です。
自分は帰省して、田んぼの草刈り中でした。
地震には気がつきませんでした。
一度 シリモチをついたのが、そうだったのかも知れません。

「フルーツ王国 福島」の くだもの の紹介です。
生産者は、私(泉)の実家の親戚や友人にあたります。

早速 副島先生を筆頭に 何人かの方から 問い合わせをいただき購入してもらいました。

以下に、注文の手順の同じものを張り付けいたします。

******************************

くだものの情報をお送りたします。

今年は天候に恵まれ、味、糖度ともに申し分ありません。
朝に収穫した もも、ぶどう をクール便での宅配です。
「もも、ぶどう」収穫期が終わりに近づいていますので、案内は今回限りとなります。
*スーパーの安売りと比べて頂く物ではありません。*

ご注文をご希望されるようでしたら、下記宛先まで、直にファクシミリにてお願いいたします。
Faxは自動受信です。そのまま発信してください。
「学問道場」または「泉」の紹介と一言お書きください。

*注:もしかしたら、農家の人達は 不慣れも手伝い、受け答えが上手では無いかも知れません。
   申し訳在りませんが、少々ご理解願います。
   畑での収穫時は 電話に出れないかと思います。

記入事項:
(送り主/受け取り主)とも:郵便番号、住所、氏名、自宅/携帯番号、希望の到着日/時間帯、
収穫の様子で発送が変わります。
クール便発送。振込用紙が同梱されると思います。
尚、合計金額等は事前に お確かめ願います。

以下が住所です。
******************************
もも生産者:
有賀果樹園 有賀 和雄
Fax(0248)76-7384
090-5848-6259
962-0812 福島県須賀川市大字浜尾字猫沼58
収穫予定:「あかつき」は8月24日ころ迄の収穫
9月初旬「ゆうぞら」という品種の収穫 
5kg1箱/約20個前後入り、クール便関東圏/送料込み4,000位。
******************************

ぶどう生産者:
小松農園 小松ヒデユキ
Fax/(0248)76-3523 .
Tel/(0248)76-3516 / 090-8787-3455
品種:「あずましずく(福島の巨峰)、ピオーネ、他」
収穫期は9月初旬ころまで
4kg1箱、クール便関東圏/送料込み4,000位。
******************************
(この後の予定)

*梨(なし)生産者:長田和男
Fax/(0247)26-2799.
Tel/(0247)26-7571
9月2週目頃からの収穫が始まります。 

*「りんご」は秋に入りましたらご紹介致します。
     (多くの品種があります)。
******************************
(張り付け終了)
泉浩樹 拝

K.Yaginuma 投稿日:2011/08/18 08:29

【598】[662]福島県産の農産物の値段は地元では安すぎる

東京で売れない、売れ残りの実績が欲しいのかも知れませんね。
それと、価格を下げないのは、あくまでも風評被害であって、
汚染されているということを認めたくないのでしょう。

こちら郡山からですが、全てのスーパーではないけれども、
一部のスーパーでは肉も野菜も捨て値で売ってます。
立派なキャベツは10円です。
立派なトマトも一箱数百円だし、キュウリもナスも椎茸も・・・
普段食べれないようなサーロインステーキも半値以下です。

ある程度汚染されてるかも知れないこと、ある程度危険なのかも知れないこと、
でも、概ねたぶん大丈夫だろうということ、
自分を含めた原住民(笑)はみんな知ってます。

一部にキケンだ、コワイだ、の、ヒステリーな精神異常的な人もいるようですが、
そんな人は自分はどうでもよくて、捨て値の食料は実にありがたいものです。
金持ちじゃない自分は、気にしないで買って家族団らん、楽しく食べてます。

どうせその内、みんな食料で困る時が来ます。
ほんの微量の放射線含みの食料でさえ、
食べないと生きていけない時代はもう直ぐそこです。と、思います。

野田リベイル 明子 投稿日:2011/08/18 01:35

【597】[661]「小沢一郎政経フォーラム」に行ってきました

会員の野田リベイルと申します。これまで「あやめ」というHNで書き込んでいましたが、今回より実名で投稿することにしました。

本日「第62回小沢一郎政経フォーラム」に、参加してきました。副島先生が講師をおつとめになるとういうことで、まるで学問道場の定例会のように気軽に申し込んで、あとで「政治資金パーティー」なのだ、ということに気づきました。お金を振り込む際に、一瞬「どうしよう?!」とも思いましたが、これまでの人生にあり得ない出来事として、経験してみよう!と心に決めました。

「私のような者が行くのは場違いでは・・?」と感じる程ビビッてしまうのは、人生でこれが2度目です。
1度目は、忘れようもない植草一秀氏の「日本の独立」出版記念講演会(1回目の方)の時でした。この時も、植草氏と共に副島先生の話が聞けるということで、結構何も考えず当日会場へ行くと、副島先生よりもお年上のおじさま達ばかりではありませんか!若い人はあまり見当たらず、ましてや女性となると、会場で簡単に数えられる位しかいませんでした。
「やばい、私のような者が来る所ではなかった・・・。か、帰ろうかな?」と脅えているうちに、講演会が始まってしまいました。結果としてこの日は、副島先生が絶妙に場の空気を取り仕切っておられたので、私の緊張もほぐれ、次第に笑いながら話が聞けるようになりました。その直前に、たまたま副島先生の「日本の秘密」を読んでいたことも、この世代のおじさま方の熱い、生の空気を、生まれて初めて体感するための、良い素地になっていたと思います。

話を戻しまして、今日は私にとっては、それ以来の「ドキドキデー」でした。一人で申し込みましたので、一人で行ったわけですが、今日は上記の時ほど年齢に偏りはなく、男女の比率もバランスが取れていました。恐らくあとで小沢さんとのツーショット写真を撮るためでしょうか、めかし込んだ女性も、何人かお見受けしました。
話し相手もいなかったので、どうしても周りの会話が聞こえてしまいます。
60代らしき男性達が「副島の話は、おもしろいんだよナ」「ああ」と言ったり、50代らしき女性達が「この副島って人は、ひとかどの言論人よね」「そう、私も今ちょうど彼の本を読んでるところ。それにしても民主党の議員は、どいつもこいつも情けないわね・・」などと言うのが、耳に入ってきました。「ああそうか、ここは筋金入りの小沢支持者たちが集うところだものな。一般社会とは意識がちがうや。」と思いました。不思議なご縁に導かれ、今日勇気を出してこの場にいられることを、急に感謝したい気持ちになりました。

副島先生が壇上に上がられる際に持っておられたお写真を、すぐに「小室直樹じゃないか!」と気づく方々がおられました。先生が、初めに小室先生にお捧げになった言葉は、今日恐らく舞台裏で先生のお話を聞いておられた小沢議員とあの場に集ったすべての人たちを結びつけ、貫く重要なサイレンでした。もしも小室先生のことをご存知ない方が会場にいらっしゃったとしても、副島先生のあの言葉で、「彼のような人がいたからこそ、今日の政経フォーラムにつながり、自分達がここにいるのだ」ということを、理解されたのではないでしょうか。
時間を気にしながら、ブレイクしすぎぬよう自重気味に進められた先生のお話でしたが、それはそれでおもしろく、会場にも幾度か笑いが起こっていました。しかし「官僚から行政を奪還すること(=政権交代の原点に還ること)」、「小沢一郎が育てた若い議員達を守り、育ててゆかねばならないこと」などの最重要ポイントは、会場から湧き上がる拍手とともに、しっかりと参加者に伝わっている様子でした。
同時に、小沢支持者であればあまり聞きたくないであろう「日本の政情の厳しい事実」への言及もありました。世界の政情の分析・解説では、学問道場の定例会では何度か聞いている内容ですが、政経フォーラム参加者にとっては「本当に勉強になった部分」ではなかろうかと思います。
「リバータリアン」や「ティーパーティー」という単語について、まともな言及や解説をしているマスメディアは日本にはありませんから、ああした機会に、一人でも多くの方の「耳に入ること」が、まずはとても重要だと感じました。

こんな様子で勉強会は、時間通りでピタリと終わり(!!)、隣の部屋で懇親会があるという。「隣ってどっち?」と思ってウロウロしていると、知らないおじさんが「こっちの方じゃないか?」と話している。ふーん、じゃとりあえずそっちの方へ移動。どこか隅っこへ行こうとしたら、3メートルくらい離れたところに、なななんと小沢一郎議員が!、おいでになるではないか。
初めて、生で、偶然とはいえ至近距離で見た小沢さんは、思っていたよりずっと小さくて、丸くて、柔和であたたかそうで、(こう言っては失礼だと思いますが)ぬいぐるみのようでした。笑顔が印象的でした。
顔を反対へ向けると、今度はまたすぐそこ(ほんの1、2メートルでしたでしょうか)に、石川議員がおられました。こちらはネットで拝見していた画像より、ずっとハンサムでした。あとで考えてみると、私が移動した場所は懇親会場とは反対側の、小沢さんと石川さんが入場される前に待機しておられたスペースでした。知らなかったとはいえ、自分の方向音痴のおかげで、至近距離で「本日の主役」を見てしまいました。
「ただの有名人」ではなく「公人」のオーラというのは、また別ものだということを知りました。

そんなこんなで、多分一番最後に懇親会場へ入ってみたらば、既に人だらけで、どこが壇上なのかも見分けがつかない。かろうじて声のする方へ顔を向けると、小沢さんがご挨拶をされていました。
「命を賭してしてやる!という気概のある人を、次の代表に。」という短い言葉に、幾重にも深い、小沢さんの国家への願いが込められていることを感じました。
そのあと副島先生が、乾杯の音頭を取られました。その時、私のすぐ前にいたおじさんが移動され、お2人のお顔がよく見えるようになりました。
「このお2人がこうして並んで立つまでに、どれだけの年月があったろう。どれだけの積み重ねた思いがあったろう。そしてどれだけの苦難があったろう(苦難はまだ終わってないが)。」と思いました。
思った時間は、多分一瞬なのですが、私にはしばらく時が止まり、その映像はゆっくりと時間をかけて、脳裏に焼きつきました。小さな声で一緒に「乾杯!」と言って、会場をあとにしました。

時間にしたら、ほんの2時間足らずのことなのですが、勇気を出して行ってよかったなと思いました。

会員番号1350 高橋紀夫 投稿日:2011/08/18 01:28

【596】[659]福島県産の農産物の値段は高過ぎる

会員の高橋紀夫です。

№657の投稿を読んでの東京の消費者として投稿します。

まず「風評被害」という言葉が独り歩きしていますが、凄く違和感があります。

過去にも狂牛病の国産牛肉や毒入り餃子事件での中国産食品の販売量が激減しましたが、その時には「風評被害」なんて言う言葉はまるで聞きませんした。
どうして「今回の原発事故」だけが風評被害なんて言う言葉が生まれたのか違和感があります。

次に「どうして福島産の農産物が売れないのか?」ですが、消費者の立場から言えば「魅力が無いから」です。
私の地元のスーパーでは福島産の農産物と言うと「なす」と「きゅうり」位しか見かけません。もちろん売れずにいつも残っています。
「何で売れもしない商品を並べるだろう?」とは思います。

地元のスーパーを何件か回って確かめたのですが、「福島産のなすときゅうりの値段が、原発被害を受けていない地域(新潟・長野・関西等)の物と値段が殆ど変わらない」です。せいぜい「若干安いかな?」と言う程度です。

ようするに「福島産の農産物と原発被害の無い地域の農産物が同じ値段で売られていれば、原発被害の無い地域の物を買うのは当然」と言うことです。
そして「福島産のブランドイメージが原発事故で傷ついたのですから、値段を下げて商品の魅力を上げる」という行為をしないと消費者は購入しないと思います。

ここで不思議なのが泉さんも「収穫しても、一割も売れないそうです。」と書いていますが、消費者の立場から言えば「売れないのにどうして値段を下げないの?」です。
狂牛病の時などは国産牛肉が半値程度まで下がりました。自分なども「狂牛病の心配よりも美味くて安い牛肉が手に入る」と喜んで購入したものです。

「売れないのならば値段を下げる」のは当然の行為だと思うのですが・・・・
それとも「農家が出荷する値段は安いが流通段階で高くなる」のでしょうか???
事情をご存知の方が居ましたらお願いします。

ちなみに私が値段を調べたのは中央線の新宿・高円寺・荻窪・吉祥寺・三鷹・武蔵境の近隣のスーパーです。他の地域では「福島産の農産物の値段は安いよ」と言う情報がありましたら、投稿をお願いします。

泉浩樹 投稿日:2011/08/17 20:36

【595】[657]東北のフルーツ大国「福島」の くだもの 風評 被害が 深刻です。

会員 泉です。
昨夜から遅いお盆の帰省をしています。
復興本部 看板設置後の まわりの反応は如何でしょうか。

さて、東北のフルーツ大国「福島」の くだもの 風評 被害が 深刻です。
ただいま「もも」(あかつき)の収穫がピークを迎えております。

私の実家も数年前迄ももの生産をしておりました。
親戚は大きな規模で果物を生産しております。
その親戚は須賀川市にありますが、昨年は収穫を目前にし、降雹(ひょう)の被害をうけ、
地域一帯の果樹作物がほぼ全滅致しました。大きな損失をだしました。

そして、今年 です。
天候に恵まれ、良い作柄になりましたが、、

悲しくなりました。
収穫しても、一割も売れないそうです。

この後には ぶどう、梨、りんご、と収穫が巡って参ります。

この気持ちと云うものを、どれだけの人に判って頂けるか。
飯館地方の牛を育てた人達も同じです。

これを機に「離農」をする農家も出てくるでしょう。
既に、自殺者は早い時期に出ています。

「福島を見殺しにする」 は始まっています。

泉浩樹 拝

p/s:
「くだもの」腹いっぱい食べたい方、。
 連絡いただければ、生産者を紹介致します。

吉見おさむ 投稿日:2011/08/16 12:25

【594】[656]福島本部活動日誌です17

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年8月8日の日誌です。

台所を掃除してくれたのはKさんでした。大変有難うございました。

朝6時に起きたら、床にスーツで寝ていました。

朝ごはんは、Kさんから頂いたスイカだけでした。

Fさん、Hさん、Iさんが朝に電車で帰りました。
大変お世話になりました。

午前10時20分にNさんが来ました。
10時30分に先生が駅から帰ってきました。
パン、おにぎり、いなり寿司、豆腐を買ってきました。

午前11時に外に調査に出発しました。事務所の車とNさんの車に分乗して、10人でした。
まず、南相馬市の石神第一小学校に行きました。
Hさんが炊き出しの時に拠点にしていた所です。
半分に減ったとはいえ、まだまだ避難民の方が残っていました。

昼食は、南相馬市の検問所近くの食堂でとりました。冷やし中華を頼む人が多かったです。
私は味噌ラーメンでした。600円とメニューの中では安かったからです。

昼食を食べ終わった後、原町の検問所に記念撮影にいきました。やはり先生が警備の警察官を言い負かしました。
「お前達は木と一緒なんだぞ。邪魔するな」と言っていました。・・・その方が、警察官にとってもいいのではないかと思いました。

原町の海岸に行きました。まだまだ撤去はすすんでいませんでした。

飯館村に行きました。
空気中が5μSv/hで、地面が45μSv/hでした。
以前にIさんが行った時よりも、地面の積算量が少し減っていました。7月8日時点では、地面は50μSv/hでした。
帰る途中、飯館村とかかれた石碑が、下3分の1ほどが草に隠れてしまっていました。

帰り道でIさんから電話がかかってきました。ずっと草刈りや看板設置の仕事をされていました。
大変有難うございました。

かわうちの湯にはいけませんでした。かわりに、10時に家の子供用プールに皆でお湯を溜めて入りました。

夕食は9時からでした。
Hさんにお酒を大量に飲まされて、あの世に旅立ちそうでした。
ダンディーで格好良いおじさまという最初のイメージは吹っ飛び、チョイ悪おやじを飛び越して、ウルトラ不良中年でした・・・。
有難うございました。ただ、私は2次元に行くまで死ねません。
どうか次の機会では、お手柔らかにお願いいたします。

泥酔した後、アルル先生に酷いセクシャルハラスメントをしてしまいました。
アルル先生すみません。散々な目に遭わせてしまいました。

酔っ払って泥酔した後、8月8日午前2時くらいにソファーで寝ていました。

歯医者の予約を10日に延期しなければなりませんでした。次は必ず行きます。
(転載終わり)

(転載始め)

2011年8月9日の日誌です。

午前9時から朝食を食べました。
インスタントラーメンにもやしや豆苗やキャベツが入っていました。
昨日の夕食もそうだったのですが、Hさんの料理はとても美味しくて悔しいです・・・。

午前10時にKさんが来て、シャワーの増設について打ち合わせをしていました。
何から何まで本当にお世話になっています。

午後12時、先生も含め7人が帰りました。

先生が帰った直後、Yさんの奥様が尋ねてきました。
看板を見て「これより良いことはない」と言っていました。

午後1時に、会員ではないですが、Kさんという方が夫妻で尋ねてきました。
麦茶と来客用のゼリーを出しました。アルル先生が主に対応しました。

午後2時、疲労が限界までたまったので、ソファーに寝てしまいました。
Kさん、アルル先生、下仲さんは、かわうちの湯に行きました。
話によると、川内村の立派な温泉です。
私は疲れが溜まっていたので、ベッドで眠り続けていました。惜しいことをしました。

夕食は各自が適当に食べました。
私は3日前に余っていたご飯を気合で全部、アルル先生はカップラーメンとサトウのご飯を、下仲さんはラ王というカップラーメンを食べました。

最後になってしまいましたが、合宿に参加された皆様、大変お世話になりました。
一杯、御礼を申し上げなければならないことがあるのに、多すぎて書ききれません。
また、日誌に書き忘れたことも多々あります。
どうか、ご容赦ください。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年8月10日の日誌です。

今日からしばらく、下仲さんとアルル先生が福島にいます。

朝6時に起きて、ご飯をセットし、皿を洗いました。

朝食は、ご飯、肉、納豆、卵、でした。

洗濯物をし、布団を干し、風呂に入って体を洗いました。
今日は天気が良くてよかったです。

午前10時半に歯医者に行きました。正しい歯の磨き方のレクチャーを受けられて儲け物でした。

正午過ぎに、会員のIさんが来ました。
この前の講演会、金融講演会、ともに参加したそうです。
また、宮城に向かう途中で寄られたそうです。
Iさんには、ビール3本と麻婆豆腐、トマトとチーズのドレッシングがけを出しました。Iさんは2時半に検問所を見に行きました。今日は福井県警だと言っていました。

午後3時からひまわり畑に行って、鍬で表に出ている草を8分の1だけ刈り取りました。
効果があるかは疑問ですが、やらないよりはましだと思います。
同時に、岩風呂に使えそうな石のある場所を見て回ったのですが、草が生い茂っていて、川へ下りられそうな場所がなかなか見つかりませんでした。

午後5時半、工事現場から川に降りられました。
丸い石を集めたので、自転車の籠に2杯分しか集まりませんでした。
持ち帰るのも含めると、2時間半かかりました。
石は子供用プール側に置いてあります。

アルル先生が転倒して負傷しました。痛みが引かなければ、立川に戻らざるを得ない感じです。
その影響で、アルル先生は夕食を食べずに、ソファーで休んでいます。心配です。

副島先生の仰っていた通り、風呂の写真、看板の写真、集合写真を画像掲示板にうpしました。
宜しければご覧ください。

下仲さんと昨日、今日と話しているうちに、彼こそはthe last manそのものなのではないかと思うようになりました。
私はとても及びません。下仲さんこそは新世代の人間です。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年8月11日の日誌です。

朝起きて、燃えるごみを出しました。
昨日もプラスチックごみを出していたのですが、なんだか余裕がなく、日誌に書いていませんでした。
やっと普通の日々に、ある程度は戻れた感じです。

下仲さんの朝ごはんは桃でした。
アルル先生はお茶のペットボトルを朝食代わりにしました。足を冷やすための保冷剤もアルル先生の居る二階に持って行きました。
私は麦茶の残りでした。
男の食事なんてこんなもの、です。

アルル先生は足の痛みが引かないので、都路診療所に行こうかと言っていました。
その後にアルル先生は、明日も痛いようだったら診療所に行って、明後日も痛いなら帰るしかない、と方針転換しました。

朝の9時位に、コミケの前日設営で拍手がそろそろあがったころかなぁ、と遠い有明に思いを馳せました。

洗濯機でシーツを洗いました。
先日の講演会の資料を壁に画鋲で張りました。
途中で画鋲が足りなくなりましたので、amazonで注文しました。
もう一つ貼るように指示されている、アルル先生の今度出版されるグラビア本は、スペースが足りないので、悩んでいます。

午前10時50分、大家さんの奥様が車でいらして、お茶菓子のお礼を伝えに来ました。
奥様は「副島先生に宜しくお伝えください」と言ってすぐに帰りました。

ほとんどの時間で、アルル先生は2階で研究を、下仲さんは1階で「石川日本史B講義の実況中継」を読んでいます。
アルル先生は足を負傷しているので、ずっと2階で落ち着いているしかなさそうです。
夕食前に下仲さんが「今日は勉強したー、よかったー」と言っていました。
お二人とも福島で、はかどるのなら嬉しいです。

12時半、「福島88 や 40-62」のセメント車が、裏にある畑のそばで車を洗っていました。
問題はないとは思いますが、セメントの薄いわずかな分が、こちら側の地面に落ちていました。

昼食は、蕎麦を煮て、大根、ネギ、天かす、納豆で頂きました。
アルル先生は、カップ麺のどん兵衛の方がいいそうなので、2階の湯沸かし器でお湯を沸かしていました。

下仲さんが使う扇風機がamazonから届いたので、組み立てました。
2階にある扇風機より組み立てが明らかに簡単で、少し心配になりました。

明日に捨てるビンの分別をしました。ワイン類や日本酒はこれが面倒、且つ、難しいです。

午後4時に洗濯物の取り込みをしたのですが、シーツのたたみ方が下手で頭を抱えてしまいました。

午後5時から鍬を持って、ひまわり畑の雑草を駆除しました。
まだまだ残っていますが、手にマメができそうなので、暫く自重します。

ついでに工事現場を降りて、川で石を取りました。
アブと薮蚊が襲い掛かってきたので、昨日の3分の1ほどで切り上げました。

戻ってきて、体についた砂などを洗い流すために風呂に入って、体を洗いました。
その後に、負傷したアルル先生のお世話をしました。

夕食は、私は余りものの蕎麦を処分しました。下仲さんには、さとうのごはんになってしまいました。
すみません・・・。仰るとおり、明日は3人でみや古旅館にご飯を食べに行きます・・・。
他には、下仲さんがウインナーを茹でてくれました。
2階のアルル先生には、ウインナー、パイン缶、プリン、カルピスゼリーを持っていきました。

夜でしたが、洗濯機を回しました。タオルケットや枕カバーを洗濯したかったからです。

物を買わない、物を減らす、という方針でいるのに、どうしても物が増えてしまって、ストレスが溜まります。
自分が情けないです。

今日は一時帰宅は行われていませんでした。
8月8日~10日まで行われていたので、物寂しい気分です。
また、その間は合宿だったので、写真を撮りにいけなかったのが悔しいです。

(転載終わり)

えと、この後、コミケ訪問があるのですが、・・・18番目で書くべきでしょうか?私にとっても、例のないコミケでしたが。

茂木 投稿日:2011/08/16 11:28

【593】[655]南船北馬

会員番号1149番の茂木です。

以前、学問道場のどこかのサイトで、“飲食男女”福永光司・河合隼雄共著(朝日出版社)の紹介がありました。その時に入手したこの本が、震災を契機に出てきたので読み直したところ、福永氏のいう「南の船の文化と北の馬の文化」という分類が、生命形態学(三木成夫氏)における「体壁系と内臓系」の分類と整合することを見つけました。

見つけたといっても、既に誰かが指摘しておられるかもしれませんし、私の解釈に誤解があるかもしれません。皆さんのご意見を伺いたいことと、“飲食男女”を紹介下さった方への感謝の気持ちを込めて、先日私のブログ
http://celadon.ivory.ne.jp
に載せた文章をここに転載させていただきます。

「南船北馬」(5/23/2011)

 先日の東日本大地震で、書棚の本が多少崩れ落ちたのだが、片付けるとき一冊の本が目に止まった。“老子”金谷治著(講談社学術文庫)である。パラパラと頁を開いてみると、昔読んだので忘れていたが、「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」「其の雄を知りて、其の雌を守る」など、このブログで書いていることの参考になる内容があった。

 これはまた後日じっくり読むことにして、とりあえず老子や荘子の思想を復習してみようと思って手にしたのが、これまた本棚に奥に埋もれていた“飲食男女”福永光司・河合隼雄〔聞き手〕共著(朝日出版社)である。

 この本は、臨床心理学者の河合隼雄氏が、中国哲学者の福永光司氏に「老荘思想」についていろいろと聞く内容となっている。目次を見ると、

第七章 道とはなにか
第八章 命の哲学――生老病死と飲食男女
第九章 万物斉同という思想
第十章 日本に受け継がれた老荘思想
第十一章 今こそ求められる老荘的発想
第十二章 老荘思想入門

ということで、本のサブタイトルには“老荘思想入門”とある。尚、著者の河合氏も福永氏も共に既に故人である。

 この本の中で、福永氏が繰り返し述べているのが、老荘思想の「道教」と、孔孟思想の「儒教」の違いをわかりやすく示す「船の文化と馬の文化」という言葉である。詳しくは同書をご覧戴きたいが、船の文化とは、中国大陸南の老荘思想を象徴し、馬の文化とは、大陸北の儒教を象徴する。

 船の文化の特徴は、天候や気候に左右される「混沌」を是とし、社会としては横に結ぶ連帯を尊ぶ。馬の文化の特徴は、天候や気候に左右されない「秩序」を是とし、社会としては縦に貫く支配構造を尊ぶ。

 「南船北馬」とは、広辞苑によると、“(中国の南方は川が多いから船で行き、北方は陸地続きだから馬を馳せる意)絶えず各地にせわしく旅行すること”とあるけれど、このブログでは、南の船の文化を象徴する「道教」と、北の馬の文化を象徴する「儒教」とを対照的に示す言葉として、今回のタイトルに使用した。

 さて、前回「体壁系と内臓系」の項でみた“胎児の世界”三木成夫著(中公新書)21ページに不思議な記号が書き込まれている。南北の方位を示すローマ字「N」の矢印だ。そのページには、無脊椎動物と脊椎動物の、内臓系と体壁系の横断面略図があるのだが、北の方位に体壁系が、そして南の方位に内蔵系が描かれている。

 この謎解きは、三木氏の“海・呼吸・古代形象”(うぶすな書房)に書かれている。135ページから166ページに亘る「南と北の生物学」の部分だ。その初めの文章を引用しよう。

(引用開始)

 先年「胎児の世界」を描いた挿絵の一つに、人体の横断面を略図で載せたが、その時、図の片隅に、かなり唐突な感じの記号を一個入れておいた。およそ解剖図とは無縁の、それは地図に出てくる、あの「北方」を表すローマ字「N」の矢印だった。当時としては、ただ漠然と一部の読者を想定しての、それは、ささやかな問題提起だったのである。(中略)
 
(引用終了)
<同書137ページより>

詳しくは同書をお読みいただきたいが、ここで三木氏は、体壁系の中枢部が『脳髄』であり、“あたま”の世界は「冷」=「北」で形象され、内蔵系の中枢が『心臓』と『子宮』であり、“こころ”の世界は「温」=「南」で形象される、と述べておられる。北の「体壁王国」と南の「内臓王国」というわけだ。

 この「冷の体壁系」と「温の内臓系」という対照性は、上でみた福永氏のいう「北の馬の文化」と「南の船の文化」と整合するように思われる。“あたま”=「秩序」と“こころ”=「混沌」といった対照性である。すなわち、

A 体壁系、冷たい“あたま”
a 馬の文化、縦に貫く支配

B 内臓系、温かい“こころ”
b 船の文化、横に結ぶ連帯

ということで、これをさらに先日「複眼主義のすすめ」の項で示した「公(public)」と「私(private)」の対比に当て嵌めると、

「公(public)」    「私(private)」

脳(t = 0) 身体(t = life)
都市(t = interest) 自然(t = ∞)
自立 共生

解糖系 ミトコンドリア系
男性性 女性性
体壁系 内臓系

北 南
馬の文化     船の文化
孔孟思想     老荘思想

となる。都市の孔孟思想、自然の老荘思想という対比構造は昔からよく云われている。

 それにしても、中国の古い思想と現代の生命形態学とが、こうも見事に(「公(public)」と「私(private)」の対比軸上で)シンクロするとは驚きである。「複眼主義」の奥の深さを示していると思う。そういえば“胎児の世界”(中公新書)にも、「北」と「南」の双極を示唆する挿話として、「月の砂漠」と「椰子の実」という二つの歌曲への言及があった。

 “飲食男女”で語られた内容は、南船北馬以外にも、老荘思想の日本仏教への影響、神道と道教など、奥が深く興味は尽きない。これからも歴史や宗教についていろいろと勉強していきたい。

長井大輔 投稿日:2011/08/16 01:01

【592】[654]福島県楢葉町・広野町のJヴィレッジ前にある検問所に行ってきました

長井大輔です。今日は2011年8月16日です。

 8月8日、9日に福島県に行ってきました。これは私の福島報告文4になります。

http://www.flickr.com/photos/66408459@N07/6046225904/
【地図】福島県浜通り南部地図

 8月8日に、福島県田村市(たむらし)にある学問道場の福島復興活動本部に行きました。午前3時前に埼玉県にある自宅を出て、関越(かんえつ)自動車道、東京外環(がいかん)自動車道を経由して、常磐(じょうばん)自動車道に乗って、福島県をめざしました。本当は東北自動車道を利用した方が近道なのですが、どうしても震災後の常磐道の様子が見たくて、常磐道を利用しました。

 福島県相馬市(そうまし)出身の私にとっては、常磐道とJR常磐線は思い入れのある交通路です。福島県浜通(はまどお)り地方から、関東・東京方面に向かう際には必ず、常磐道か常磐線を利用します。関東地方と福島県・宮城県をつなぐ両交通路を、何度往復(おうふく)したかしれません。

 いわきJCT(ジャンクション)で、磐越道(ばんえつどう、新潟-郡山-いわきをつなぐ高速道路)に乗り換えて、船引(ふねひき、福島県田村市)に向かおうと思いましたが、広野町(ひろのまち)と楢葉町(ならはまち)の境界にある警戒区域の検問所が見たくて、そのまま、常磐道を直進して、広野IC(インターチェンジ)をめざしました。

 常磐道は、埼玉県三郷市(みさとし)と宮城県亘理町(わたりちょう)を結ぶ高速道路ですが、まだ全面開通していません。宮城県山元町(やまもとちょう)と福島県富岡町(とみおかまち)の間が、まだ工事中です。

 ちょうど、相双地区(そうそうちく、相馬地方と双葉地方)と呼ばれる、浜通り北部を通る区間にあたります。ただし、富岡町は警戒区域(福島第一原子力発電所から20km圏)内にあるため、現在の常磐道の北端(ほくたん)は、広野ICです。そこから先は警戒区域に指定されているため、立入禁止です。

 広野ICの料金所では、ちょっとした渋滞が起きていました。高速道路の料金所には、ETCレーンと一般レーンがありますが、被災者や復興支援のための車両が、無料措置を受けるため、一般レーンに並んでいたためです。

http://www.flickr.com/photos/66408459@N07/6045975326/
【写真①】Jヴィレッジ(福島県楢葉町・広野町)

 広野ICを出ると、すぐ国道6号線に乗ることができます。6号線を北進してすぐのところに、原発検問所は設置されていました。検問所付近には、Jヴィレッジ(東京電力がつくったサッカー施設)があります。広野に到着したのは午前7時でしたが、まだ早朝だというのに、とにかく蒸し暑い。検問所が設置されている交差点で、往来(おうらい)する車両を眺(なが)めていると、作業員をのせた車両や資材を載(の)せたトラックが続々と、警戒区域の中へ入って行きました。交通整理をしていたのは私企業の警備員で、警察官たちは警戒区域への車両の進入許可を行っていました。

http://www.flickr.com/photos/66408459@N07/6045430343/
【写真②】楢葉町と広野町の境界にある検問所

 私は南相馬市(みなみそうまし)原町区(はらまちく)、田村市都路(みやこじ)、そして今回の広野・楢葉の3カ所で諸検問所を見ましたが、原発南方にある広野・楢葉のJヴィレッジ前の検問所がもっとも、ものものしく、人々や車両の往来が激しかった。検問所の近くには東芝(とうしば)の対策本部や日立(ひたち)の復興事務所、そのほか茨城県の「東海村(とうかいむら)」と書かれた車両を見かけたので、原発事故対策の最前線は、関東方面に近い広野町やいわき市に設置されているのでしょう。

 一通り、広野・楢葉の検問所の観察を終え、次なる目的地である学問道場の福島活動本部に向かうことにしました。しかし、ここからが大誤算でした。警戒区域が設定され、国道6号線が使用できない状況では、広野町から田村市に向かうには、県道249号線を西進(せいしん)して、国道399号線に乗り換え、北上するしかありません。地図を見ると、249号線は阿武隈山地(あぶくまさんち)を横切る、完全な山道です。嫌な予感が脳裏(のうり)をよぎります。もしかしら、地震による道路の崩落(ほうらく)や落石によって、道路が寸断されているかもしれない。

 しかし、一刻(いっこく)もはやく福島活動本部に着きたいと思っていた私は、一か八かで249号線を利用することにしました。走ってみると、案の上、完全な山道で、急カーヴが続く、かなりの悪路でした。しかも、10kmほど進んだところで、道は落石により、通行止めになっていました。徒労感(とろうかん、無駄な苦労)に襲われながらも来た道を引き返し、しかたなく、いわき市まで後退して、そこから国道399号線を北上することにしました。

 しかし、この399号線は249号線にまさる大悪路、難路で、「国道」なのに一車線、急カーヴ、傾斜の急な上り坂・下り坂の連続でした。私は盛(さか)んに、車のペダルを踏み替え、ギアを切り替えて、難関の399号線を走り切り、目的地の福島活動本部に到着することができました。広野町から田村市に行くのに、約3時間もかかってしまいました。

 厳しい山岳(さんがく)道路を運転したことにより、まっすぐで平坦(へいたん)な道のありがたみが、よくわかりました。福島県の復興のためには、まず国道6号線の通行止めを解除することです。とくに浜通りは6号線がなくては、どこにも行くことができません。そして、JR常磐線を復旧し、中断していた常磐道の工事を再開し、全面開通を急ぐことです。浜通りの交通路の三本柱は、6号線(国道)と常磐線(鉄道)と常磐道(高速道路)です。三つの交通路が開通することによってこそ、福島県の復興が始まると思います。

映像編はこちらです。
http://www.youtube.com/watch?v=i4OJotgoQ6A

長井大輔 拝