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Loginはこちら【641】[712]富岡タマ(みーこ)の飼い主の渡辺さんからのメール。
副島隆彦です。 私が、3月28日に、大津波で全壊していた富岡町(とみおかまち、福島第一原発と第ニの間の、海辺の風光明媚な駅がある)の駅のそばでニャーニャー鳴いていたので助けて拾ってきた 富岡タマ(本名は、魚八さんちの みーこ。メス猫2歳ぐらい) の 飼い主の 渡辺さんからメールを昨日いただきました。
早速返事しました。私は、またこの 最愛の猫に会いにゆきます。私と富岡タマは、運命の糸で結ばれていますので、きっとずっと時々、会い続けます。 タマのほうがきっと私よりも長生きでしょう。
7月13日に川内村(かわうちむら)でタマに再会出来たのは、幸運でした。 川内村は、私たちの活動本部のある 都路(みやこじ)古道(ふるみち)から、南に車で30分行ったところにあります。同じく原発から20キロちょっとのところです。もうすぐ避難区域の指定が解除されます。住民も、若い人達も含めてどんどん戻ってきています。 皆、元気です。
誰一人として、放射能のせいで病気になっている人はいません。赤ちゃんも、子供の元気です。 5年後にも、10年後にも、元気でしょう。
福島の現地の住民たちで、騒いでいる人は誰もいません。皆、はやく元の生活に戻りたいと願っています。福島県民は団結しています。
愚か者たちの、「放射能コワイ、コワイ」の大合唱をしている、バカたちには、本当に迷惑です。そういう人たちは、一度でいいから、福島の第一原発のそばの出来る限り近いところまで来て、自分の目と体で、真実を見て、住民たちと話して、すべてを実体験してください。
「本当は何があるか分からないから、コワイから、用心する」と慎重な態度で生きている人たちも、一度でいいから、福島の現地に時間とお金を作って行って来てください。そうしたら真実と現状が分かります。日本人ならそうすべきだ。 何も 外国の遠いところに行けと言っているのではありません。
私たちは、放射線医学の専門家で、放射性物質の人体への被害、影響について、本当に、何十年も自分の体を使って、放射線を日々、扱ってがん治療をしてきた、山下俊一教授(長崎大)たちの指導に従って、冷静沈着に生活していればいいのです。
私は、自分の「ケンカ対談」本に、山下俊一教授の他に、神谷研二(広島大)教授、近藤宗平(こんどうそうへい、大阪大)教授、中村仁信(ひろのぶ、大阪大)教授、伊藤哲夫(近畿大)、北村晴彦(東北大)、高田純(札幌医大)らの名前を挙げて、彼ら 放射線医学の専門の医学者たちの考えと、判断に従えばいいのだ、と書きました。 この本の77ページです。
この他に、日本アイソトープ協会の佐々木康人(やすひと)常務理事、と放射線影響研究所の理事長だった、この学界の重鎮である長瀧重信(ながたきしげのぶ)氏と、それから、東大の放射線医学の専門家の若手の代表である、中川恵一准教授の 指導に、日本国民は従えばいいのだと、書きました。
彼らが、放射能の人体への影響の、本当の専門家なのであり、彼ら以外は、ウソ者の、大ウソつきの、インチキ人間たちです。彼ら放射線医学者たちの学界(学会)での総意を、無視して、本当の専門家でもない者たちが、 逆流の嵐を起こして、現在、この放射線医学者たちを、ドンデモ学者として、攻撃をしています。
愚か極まりない、テレビ、新聞、そして言論誌までを動員して、ここには悪質な世界規模での企(たくら)みが有るとしか考えられないような、日本国民への「放射能コワイ、コワイヒステリー」攻撃が加えられています。
放射線医学者たちは、堅実で誠実な人たちですから、じっと、この理不尽な攻撃に耐えています。彼らは、日本政府に助言する有資格者たちであるから、ちっとも慌(あわ)てない。じっくりと構えて、5年後、10年後のことを考えて、しっかりと原発事故の放射能の影響の医療データを、後世、貴重な学術証拠となるように着実に収集している。彼らのこの専門家としての自重した態度は立派だと思う。
それにひきかえ、私がケンカ対談した相手の、武田邦彦(たけだくにひこ)という男は、おそるべき低能である。愚か者を通り越して、このままゆくと、ピエロ(喜劇俳優)も通り越して、福島だけでなく、東北の農民たちの総意の重低音の激しい怒りを買って、ろくな死に方はしないだろう。
武田に正しく抗議した一関(いちのせき)市長は、こんなバカを相手にしていると自分たちがひどい目にあう、ということで怒りの鉾(ほこ)を収めた。武田は、「一関で、放射能が検出されたのは畑に青酸カリが撒(ま)かれたのと同 じだ。東北地方の農産物を食べると発病する」というテレビでの恐るべき暴言を撤回するどころか、居直って、そして、これからものうのうとテレビに出続けるのだろう。 なにか恐ろしい世界規模での謀略攻撃が、日本国民に仕掛けられている、と、私は感じる。
放射能は、どんなに微量でも人体に危険である、という 恐怖感を日本人に植えつけて、それで私たちから、正しい判断力と、現状への批判的な思考力を奪い取ってしまおうという策略だろう。 そして、事故原発20キロ圏には人々が近づかないように仕向けて、それで、あの周辺の地下に巨大な地下空間をつくって、そこを核廃棄物の最終処分場(名目は「中間貯蔵施設」)を現在も着々と建設中なのだろう。
日本のメディア(テレビ、新聞)は、この20キロ圏内に絶対に近寄ろうとしないから、「国民による政治の監視の目」の重要な役割を放棄し続けている。突撃カメラマンも、フリーのジャーナリストの果敢な調査所在も行われない。 報道の自由の大切さが、今の日本では死に絶えている。
私たちの学問道場が貧弱な力でなんとか設営している、20キロ圏のすぐ外側の、都路(みやこじ)の福島復興活動本部からの 政府と東電の動きに対する監視と観察の目だけが、かろうじて残されているだけだ。 そうではないのですか。
私は、おとといの10日の新聞の広告に大きく載った、月刊・文藝春秋の
「原発 私は警告する 除染せよ、一刻も早く」という記事の 児玉龍彦(こだまたつひこ、東京大学アイソトープ総合センター長)という男のヒステリー論文の掲載に、怒りを覚えた。まだ、このような新手(あらて)のバカを使って、「放射能コワイ、コワイの大キャンペーン」を続ける気だ。
福島の現地に来てみなさい。道路沿いの小学校や、中学校などの校庭を無残に、ブルドーザーが掘り起こして、炎暑の中で、砂ぼこりが舞う中で、それを「除染」だと言っている。住民たちは、迷惑そうな顔をして、口を砂ボコリから覆いながら、知らん顔をして通りすぎる。 その削りとった表土を一体どこに捨てにゆくのか。誰も語らない。
農産物や人体への除染というのは、ただの水を噴射器で飛ばすだけだ。それだけのことだ。水をかけるだけで除染と称している。その水は、下水管に入って、それから処理場に行き、そして海に流れる。そういう話もタブーだ。
この 「除染というマンガのような所業」のために、多額の予算を、農水省と、文科省と、国土交通相の官僚たちがもらって、喜んでいる。
地元の人達は、たしかに、東電と政府からの補償金(ほしょうきん、保証金ではない。損害賠償金のことである)を期待している。 住民は寡黙(かもく)にして押し黙っている。国がやることには逆らわないという態度で、じっとしている。
たったひとりの赤ちゃんも、放射能事故のせいで、入院しているとか、具合が悪い、という話が、福島の現地には無い。無いものは無い。誰も放射能のせいで病気になってない。赤ちゃんと子供もだ。この先、5年後にも誰も発病しない。 10年後にもだ。 甲状腺が肥大してその摘出手術をする子供もいないだろう。 私は、そのように断言する。 なぜなら、現地で、私たち、学問道場の人間たちは、住民たちと話しながら、平穏に生きているからだ。
「専門家でもないのに、どうしてそのような断定(断言)が出来るのか。証拠はあるのか。少しは心配しなければいけないのではないのか」と、疑いの目で、私の言論を見る人は、自分で、現地にゆきなさい。行って、自分の体で、すべてを感得(かんとく)してください。 これ以上の何を私たちは言えるのか。
だから、あとは、「放射性物質の人体への被害、影響」についての本当の専門家である 長年の年季の入った、前述した放射線医学者たちの言うことを私たちは、冷静に聞きていればいい。 彼らは責任感のある人たちだ。
私は、あまりに 一方的で、無根拠の、大法螺吹(おおぼらふき)をやって、扇動言論をやって、日本国民を脅(おど)かしている、武田邦彦、児玉龍彦、小出裕章(こいでひろあき)、広瀬隆の4人組に対して、これからも徹底的な批判を行う。私はほんの僅(わず)かも黙ってない。彼らの凶悪な「科学(サイエンス)のふりをした扇動言論」と闘い続ける。
私たちは、福島産の、東北産の果物や野菜や魚や肉を、すすんで食べることで、東北を応援しているあたたかい気持ちをした多くの国民と共に、行きている。
福島産の農産物を食べることで、私たちは日本人として団結できる。
私たちは、被災地、原発事故地の人たちと同じものを食べるという重要なことをすることで同じ、同族の人間としての誇りと名誉を保つことが出来る。そうやって 日本国を復興させることができるし、そうしなければいけないのです。
福島では放射能のせいのたったひとりの赤ちゃんの病人も出ていない。誰一人として病人になっていない。 それなのに、どうして、そんなに馬鹿げた騒ぎ方が出来るのか。 放射能コワイ、コワイ派のバカたちは、自分の脳が今、操(あやつ)られているのだ、とハッと気づいて、すこしは反省したらどうか。 これ以上の扇動言論は許しがたい。
副島隆彦記
遅くなりましたが、以下が、私が愛する福島の地元の猫の富岡タマの飼い主の渡辺さんとの、昨日の やりとりのメールです。
(転載貼り付け初め)
From:***************
To: GZE03120@nifty.ne.jp
Sent: Sunday, September 11, 2011 8:57 PM
Subject: お引っ越し
こんばんは。ご無沙汰しています。私達家族四人と 猫三匹ミーコ、マメそして今週、半年ぶりに見つかった本当のタマ (半分野生化して逃げ腰)達と、広野町(ひろのまち)に引っ越しました。
小さなアパートで富岡に帰れる日を待ちます。猫達も環境がころころ変わり落ち着かない日が続いてると思います。それでもが山の中を走り出すのも、もうすぐだと思います。ミーコは やはりどこに来ても貫禄です。
ずーっと住みついている住民のように落ち着き払ってます。
今月末には ここも避難解除になるそうです。年明けから警戒地区も除染が始まります。帰れる希望を持ってもいいでしょうか。帰りたいです。
渡辺衣子
渡辺衣(きぬ)子 さまへ
2011年9月11日
副島隆彦から
メールをありがとうございます。
渡辺さまのご一家と かわいい猫さんたちが、広野町に 引っ越しなさったことのお知らせをいただきました。
広野は誰でも行けるところですから、私も出かけてゆきます。 前のお蕎麦屋さんの庭の感じとはきっと違うと思います。
津波でおうちが流されて、全財産を失った渡辺さまのご一家にとっての これからの お暮しのことを思うと本当に 大変なことが起きたものだと思います。ご同情申し上げます。
私は今のような現地の 超微量な放射能は、人体には何の被害もないし、たとえ赤ちゃんや子供でも 何の被害はないし、5年後にも甲状腺癌が発病する人はいない、と 確信しています。 それなのに 放射能がコワイ、コワイの 大騒ぎを今もやって、そして福島県人200万人を苦しめている人たちがいます。
政府は内緒で、第一原発の敷地の周辺に 巨大な地下空間を作って、そこに瓦礫などを収納し、放射性物質の最終処分場にする気でしょう。
私は、原発からせいぜい3キロ以内だけを封鎖して、それ以外は すべて住民に返して、さっさと現地を復興させるべきだと 考えています。常磐道も常磐鉄道もさっさと開通させるべきだと思います。 しかし、政府はそうはしないでしょう。
コワイ、コワイの声を、変な学者たちを使って わざと大きくさせて、テレビ・新聞まで使ってけしかけて、 私たち国民を脅かしつづける気です。
福島の人たちにとっては苦難の追い打ちです。
渡辺さん。福島の浜通りの原発のそばにいる者たちには、放射能が何の害悪ももたらしていないし、皆、元気だし、子供も動物も誰一人として 病気になっている者はいないと、よく分かっていますよね。 5年後にも誰も発病しないでしょう。 私たちはこのことを現場にいて自分の体でイヤと言うほど知っています。原発の周りで生きている人は作業員たちを含めてみんな、このことを知っています。 このことはあまりお互いには話さないで淡々と生きています。 私は弟子たちと都路(みやこじ)の活動本部にいて、このことを実感しています。
それなのに、 こんなに ひどい状態のまま、渡辺さまはじめ7万人の住民は20キロ圏内に入れなくされて 今もひどい状態で、避難者として放置されています。 福島県の復興も何もあったものではありません。
ほんとうに 悲惨極まりない現状です。 哀れを通り越します。
かしこい猫のみーこ(私にとっては抱きしめたいほど愛している 富岡タマです) はじめ、マメも、ようやく半年もたって野生化していて見つかったというタマも、みな 渡辺さまのご一家です。ご主人とお嬢さんたちと、ほんとうにご家族が全員、寄り添って元気に生きていることが何よりも
すばらしいことです。
私は、10月には、都路から50キロ南にくだった広野町まで皆さんに会いに参ります。 そのときに みーこ(タマ)を抱きしめたいと思います。お元気でお暮しください。 携帯にお電話します。
副島隆彦拝
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【640】[708]東京大学の児玉龍彦(こだまたつひこ)アイソトープ総合センター長に関する記事
会員の平田裕子です。
下の「707」で大川晴美さんが書いていらっしゃるように、「どんなに微量でも放射線は危険だ」という科学的に検証されていない仮説に基づき、今の日本では放射線の基準値が決められています。
以下に、コワイコワイを喧伝する、東京大学の児玉龍彦(こだまたつひこ)アイソトープ総合センター長に関する記事や、ネット上にあった意見などを載せます。
1.日本経済新聞から引用します。児玉氏の参考にしている資料は、「科学者の間で多くの疑問点が指摘されている」ものだったそうです。
(引用はじめ)
●「「健康リスク」専門家の見解割れる」
2011年8月29日 日経新聞
http://www.nikkei.com/news/special/related-article/g=96958A9693819595E0E5E2E29E8DE0EAE2EAE0E2E3E386989FE2E2E2;q=9694E0EBE2EAE0E2E3E3E1EBE1E6;p=9694E2E6E2EAE0E2E3E3E1E2E4E5;o=9694E2E6E2EAE0E2E3E3E1E2E4E4
東京大学の児玉龍彦アイソトープ総合センター長の発言が波紋を広げている。
7月下旬、衆議院厚生労働委員会で「福島原発事故で放射性セシウムを被曝した人では、ぼうこうがんのリスクが増える恐れがある」と主張、
根拠となるチェルノブイリ原発事故の健康影響をまとめた科学論文も示したからだ。
一方、丹羽太貫・京都大学名誉教授は「引用した論文に対しては科学者の間で多くの疑問点が指摘されており、慎重な評価がいる。
あたかも科学的に 確定した事実のように扱うのは、不要な不安をあおるだけだ」と児玉氏の主張に批判的だ。
専門家らが放射線の健康リスクを判断する材料に使うのが、過去に発表された様々な科学論文だ。ただ、その信頼性はまちまち。
査読といって第三者の審査委員がチェックしたかどうかなど、掲載条件が雑誌によって異なるからだ。
一度、論文に掲載されても、その後の研究で内容は否定されることも少なくない。
日本は放射線の健康影響を管理する上で国際放射線防護委員会(ICRP)が定めた基準を採用している。
ICRPは1928年に世界の放射線研究 者たちが立ち上げた老舗組織。
国際原子力機関(IAEA)をはじめ、多くの国が法律や管理のたたき台にしているほど、信頼度は高い。
だが、このICRPの評価に批判的な専門家もいる。97年に欧州議会の「緑の党」が設立した、放射線リスク欧州委員会(ECRR)は、内部被曝 に関しICRPの評価が甘いと主張する。
放射線の健康リスクは科学的根拠が定まらない分、専門家の主観が入り込む余地が増え、見解も食い違う。
消費者を惑わす大きな要因になっている。
●「「放射線巡る混乱、収束遠く 「安心な値」定まらず」」
2011年8月29日 日経新聞
放射線(放射性物質)を巡る混乱や被曝(ひばく)への不安が、なかなか収まらない。
消費者らは「安心できる基準」を求めるが、健康への影響では不確かな点が多く、今の科学では絶対安全を示すことが不可能だからだ。専門家の間でも意見がわかれ、翻弄される。
消費者庁は28日、横浜市で食品と放射線をテーマに意見交換会を開いた。
パネリストの1人は消費者の不安を代弁し「100ミリシーベルト以下なら、本当に健康に問題ないのか」と追及した。
専門家は「絶対がんにならないとはいえないが、影響は他の要因に隠れるほど小さい」と述べるにとどまった。放射線の「許容値」を求める消費者の納得は得られなかった。
100ミリシーベルト以上の放射線を浴びると何十年もの間にがんになるリスクが上昇するのは、広島・長崎の原爆被爆者を対象とした疫学調査で立 証済み。
しかし、これを下回った場合に、がんが増えるのかどうかには科学的な根拠はない。影響はないとみる専門家もいる。
がんは様々な要因が複雑にからみあって起きる病気だ。
放射線によって遺伝子に傷がつくと、がん細胞ができる、大量の線量だと話は別だが、
今回の 原発事故のように月単位、年単位の低線量被曝では、必ず遺伝子が傷つき、がん細胞が増殖していくというわけでもない。
傷つきやすさは性別や年齢、 持って生まれた「体質」によっても違う。修復機能も人間の体には備わる。
大分県立看護科学大学の甲斐倫明教授は「危険と安全の境目は人それぞれで、一定の値を決めることはできない」と説明する。
7月下旬、食品を介した放射性物質による健康影響のリスク評価をした食品安全委員会は
「生涯で100ミリシーベルト以上を被曝すると、健康影響 が出る恐れがある」との報告書をまとめた。
部会の座長を務めた山添康・東北大学教授は「100ミリシーベルトは許容値を示しているわけではない。
あくまでも目安で、放射線は浴びないにこしたことはない」と話す。
(引用おわり)
2.ジャーナリストの高野孟(たかのはじめ)氏が主宰する「THE JOURNAL」というサイトがあります。
その中のニュース・スパイラル2011年8月1日で、児玉氏の国会陳述の内容が掲載されています。そのコメント欄にあった書き込みを引用します。
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/08/_296.html
(引用はじめ)
またか、と言う思いで苦々しくなる。
児玉氏の迷演説は矛盾が満載で、なんでこんなレベルの人間が専門家として参考人に呼ばれるのか、何か意図があって選任されたのかはなはだ疑問だ。
高野氏も衝撃ばかり受けないで、もう少し専門的に検証した方がよい。
自分で出来なければ、詳しい人の意見も聞いてはどうなのか。
児玉氏の矛盾
1)広島原爆29.6個分の放射線量総量が漏出、と児玉氏はぶち上げる。高野氏はそれでたまげる。
放射線は漏出するものではない。放射性物質が漏出したために、それによる放射線量が増えていると言うことであり、それならまず放射性物質が広島よりも膨大だとの説明が必要になる。
なお、長期間にわたり被曝し続ける総量というなら、まだ5ヶ月の福島の今観測される線量では、広島とは比較にならない。
広島では、直後に数万人が放射線障害でなくなっているのだ。
放射性物質の漏出なら、広島型原爆はおよそ10Kgのウランが使用されていて全量が飛散したのだが、
爆発を起こしたのはごくごく一部、1%以下であり、最初の爆発で残りは蒸発飛散しているから、ばらまかれたのはウラニウムがほとんどだ。
核爆発により生成した放射性物質は極微量である。ちなみに、海水中には天然ウランが45億トンとけ込んでいる。
福島原発には使用中および使用済み燃料が数百Kg以上存在したが、事故時核爆発も核分裂も起こしていない。
漏出したのは、崩壊熱による水蒸気爆発などであり、核燃料が直接気化し爆発した物ではない。
これも漏出した総量は極めて少量である。何を根拠に29.6個分としたかの説明が無く、しかも核爆発である原爆と違い、核燃料が直接爆発飛散したわけではないので、児玉氏の挙げる数字は物理的にあり得ない。
直接爆発で気化飛散させた原爆よりは桁違いに少ない筈だ。
2)プルトニウムは飲んでも大丈夫と言った学者がいたが、とんでもないと児玉氏は言った
プルトニウムが発する放射線はα粒子であり、紙一枚で遮られる放射線であって、
またプルトニウムは体内に取り込まれず比較的早期に排出される。
したがって、今回の排出量、すなわち検出限界ギリギリの量等の溶け込んだ水を飲んでも一切健康には問題がないのは当たり前であり、
べつにプルトニウムの固まりを飲んでも大丈夫という意味ではない。
誰がそのようなことをわざわざして福島の事故でプルトニウム検出、みんな癌になると言う証明をするのか。
大気圏核実験以降、全世界の人間の体内には平均数ピコキュリーのプルトニウムが取り込まれている。
環境にばらまかれているため、今後永久にそれが続くだろう。
3)α線は危険な物質と児玉氏は言っている
α線とは核物質崩壊の際に生ずるヘリウムの原子核と同じ電荷を持った粒子であり、単独で存在する物質ではない。
放出されても人間の皮膚を通して中に入り込む透過力はない。
4)放射性ヨウ素で癌になると児玉氏は確信している。
ヨウ素が甲状腺、特に幼児の甲状腺に集まるのは事実だが、日本人の場合は普段からヨウ素が十分に足りていて、必要以上のヨウ素が集まることはない。
もちろん、放射性だからよけいに集まるなどはあり得ない。
放射性ヨウ素を今回問題になっている量の数万倍を甲状腺癌やバセドウ病患者に与えて治療を行うなどは50年前から医師なら常識だろう。
チェルノブイリが良く引き合いに出されるが、実際には児玉氏が言うように、
彼らで見つかった甲状腺癌が放射性ヨウ素による物であるとの確認は取れていない。
したがって、児玉氏は恐れがあるから危険だというのだが、それは単なるトンデモ博士のトンデモ脅迫だ。
計算上、今後10年間で40万以上の癌患者がでるから危険だというなら、それをどのように検証するのか。
検証する義務も負わず、電卓を叩いたから危ないというのでは、過去の実績はどうなるのかと反論されて当たり前だ。
広島長崎、千回以上繰り返された大気圏内核実験による放射線物質の飛散の結果、どこでどれだけの人間が癌になったのか証明されたことはない。
では、今後も福島原発が原因で癌になる人間をどう証明するのか。
それでなくとも、喫煙、肥満、食生活、ストレス、環境汚染、紫外線などなど周りには発癌要因があふれている。
その中のどの分が福島由来だと証明するのか。
たとえば欧州放射線リスク委員会はWW2以降放射線障害で亡くなった人間は延べ6500万人だと言っているが、
戦後66年間で世界中で死んだ人間は、少なくとも100億や200億はくだらないだろう。
しかも人口は急激に増えている。100-200億、またはそれ以上の延べ死者のうち6500万人の放射線障害死が、電卓を叩いた数字以外どんな根拠があるのか。
また児玉氏がアイソトープの専門家だと聞いて納得できたことがある。
5)被曝総量が問題とのことと児玉氏は仰る
児玉氏は、政府基準が一時の被曝に対する物で、長期間にわたる外部被曝、内部被曝に対する物ではないから危険だ、自分たちは長期間にわたる被曝の総量を問題視すると言っている。
しかし、一般的に放射線物質は一度飛散すると、すぐに消えることはなく環境に長くとどまり放射線を出し続けるし、また水や食物を通じて人体に取り込まれ、内部被曝も起こす。
つまり放射線障害とは長期間にわたる外部被曝内部被曝を前提とするのが当たり前であり、戦後広島長崎の被爆者達の追跡調査も当然それを前提としている。
一時的な高度の被曝とは、レントゲン技師、アイソトープ技術者、航空機のパイロットなどであり、それなりの対策を講ずるのは当然だが、原発事故による放射線被曝は極めて長期間続く。
そのうえで、今の線量は全く健康被害には関係がないとの結論が、広島長崎以来の放射線医学に於ける研究で出ている。
だから、児玉氏の言うように、検証されたことがないのだ。
検証されないからと言って無いとは言えない、と言っていたらどんな恐怖でもばらまける。
高野氏もあまり踊らされないよう、そしてここに集まる方々も少しは自分で調べる努力をされてはいかがか。
むろん、危険という可能性があるなら子供を守るためにその方を信ずる、というのは自由だが、そのために子供を疎開させ、食べ盛りの子供に食物を制限し、外での運動を禁じてストレスを与え、父親だけ単身で残すような犠牲を払うのが、証明されていない危険に対する正当な行為なのか。
証明されていない危険ではなく、過去の放射線発見以来続いている、
放射線医学の100年近い研究の結果、危険はないと証明されている事実に目をつぶるのが正しいのか。
(引用おわり)
3.「誇りはどこにある」という、ブログから転載します。このブログの筆者は、都内でご商売をされて3児の父だと、プロフィールにあります。
この方が書いている「「わかってないことを心配しろ」と言って普通の人たちの行動に余計な縛りをかけるのは、科学者の取るべき態度ではないと思います。」
という考え方に私は同意します。
(引用はじめ)
●「児玉龍彦氏の発言に対する疑問」
2011年7月30日
http://blog.livedoor.jp/furusatochan/archives/5436581.html
児玉参考人の国会における冒頭陳述がネットで大きな話題になっています。
動画ではよく理解できなかったのですが、文字起ししてくださった方がいたので読んでみました。
文字にして読んでみると、いくつか疑問が湧いてきます。
■飛散したのは核燃料の一部か?
児玉氏は以下のように発言しています。
児玉「粒子の拡散というのは、非線形という科学になりまして、
われわれの流体力学の計算ではもっとも難しいことになりますが、核燃料というのは、ようするに砂粒のようなものが、合成樹脂のようなものの中に埋め込まれております。
これがメルトダウンして放出されるとなると、細かい粒子がたくさん放出されるようになります。
そうしたものが出てまいりますと、どういうことがおこるかというのが、今回の稲藁の問題です。」
ここをとやかくいうのは本質ではないと思いますが、これを聞いた人は「核燃料が粒子となって飛び散った」と解釈するでしょう。
しかし、被災直後から「ベントによる放射性物質の放出」とされているように、燃料溶融と放射性物質の拡散は直接関係ないはずです。
水素爆発による原子炉建屋の破壊も放射性物質拡散の原因でしょうが、
核燃料の一部が吹き飛ばされたかどうかは誰にもわからないし、おそらくその可能性は低いでしょう。
科学者が国会で陳述するのにこんな乱雑な認識(というか、テキトーな表現)でいいのでしょうか?
■プルトニウムはそんなに危険か
児玉氏の次の発言にも驚きました。
児玉「プルトニウムを飲んでも大丈夫という東大教授がいると聞いて、私はびっくりしましたが、α線は最も危険な物質であります。」
wikipediaが正確だという保証はありませんが、私にはwikipediaの記述が妥当に思えます。
半減期が何万年とか何億年というと「長く影響が残る=恐ろしい」と思いがちですが、それはすなわち「放射線をチョロチョロとしか出していない」ということです。
プルトニウムは体内摂取比率も非常に低く、ほとんどが時間と共に排出されてしまうので、
紙1枚も通過できないα線では消化管の壁をひっかく程度のことでしょう。
児玉氏は他に専門的な難しそうな話もされていますが、こんなにわかりやすいところで定説と違う見解を示される以上、
よほどニッチな研究をされているのか、トンデモ科学者かのどちらかなのだろうな、と推察します。
■放射性ヨウ素の影響について
さらに私が最近勉強したことと全く違う見解も述べられました。
児玉「次にヨウ素131。これはヨウ素はご存知のように甲状腺に集まりますが、甲状腺への集積は成長期の甲状腺形成期がもっとも特徴的であり、小児に起こります。
しかしながら1991年に最初、ウクライナの学者が甲状腺癌が多発しているというときに、日本やアメリカの研究者は、ネイチャーに、これは因果関係が分からないということを投稿しております。
なぜそういったかというと1986年以前のデータがないから統計学的に有意だということが言えないということです。
しかし統計学的に有意だということが分かったのは、さきほども長瀧先生からお話しがありましたが、20年後です。
20年後に何が分かったかというと、86年から起こったピークが消えたために、過去のデータがなくても因果関係があるということがエビデンスになった。
いわゆるですから疫学的な証明というのは非常に難しくて、全部の事例が終わるまでだいたい証明できないです。」
1つずつ見ていきましょう。
児玉「甲状腺への集積は成長期の甲状腺形成期がもっとも特徴的であり、小児に起こります。」
これはたしかにそう言えるのかもしれませんが、もっとも大事な要因は「甲状腺にもともとヨウ素が満たされているか」であり、これは年齢に関係ないことです。
参考:がんの放射線治療──その3 放射性ヨウ素内用療法|team nakagawa
http://tnakagawa.exblog.jp/15314393/
ここには、内部被曝を利用した治療が有効になるように、海藻などによるヨウ素の摂取制限をすると書いてあります。
つまり、年齢が高くてもヨウ素がカラカラの甲状腺には放射性ヨウ素がとりつくし、ヨウ素で満腹の甲状腺細胞には取り込まれないのです。
日本人は海藻などからヨウ素を摂取する量が多いので、乳幼児は別としてある程度の年齢であれば甲状腺はヨウ素で満たされている人が多いでしょう。
ソ連の内陸部にはヨウ素のないカラカラ状態の甲状腺を持つ人が多かったので、深刻だったとされています。
児玉「1991年に最初、ウクライナの学者が甲状腺癌が多発しているというときに、日本やアメリカの研究者は、ネイチャーに、これは因果関係が分からないということを投稿しております。
なぜそういったかというと1986年以前のデータがないから統計学的に有意だということが言えないということです。」
これも不思議な説明です。検索してみたら1997年の資料に「放射性ヨウ素(131I)を用いた甲状腺疾患の治療は50年以上前から行われており」と書いてあります。
<1997年の資料>
http://www.rada.or.jp/database/home4/normal/ht-docs/member/synopsis/030010.html
統計学的にどうこうではなくて、放射性ヨウ素が甲状腺がんの原因になることくらいは当然のこととして認知されていたはずです。
児玉「しかし統計学的に有意だということが分かったのは(中略)20年後です。
(中略)ですから疫学的な証明というのは非常に難しくて、全部の事例が終わるまでだいたい証明できないです。」
手前の説明がおかしいので結論部分がすっかりぼやけて見えてしまうのが残念ですが、疫学調査に膨大な事例と長い時間がかかるのは当然のことだと思います。
こんな説明をしなくても、そんなことはわかります。
また、DNAの異常からがん発症までに10年以上かかるのが普通だと聞いてますので、
20年くらいかけなければ影響があったかなかったかもわからないというのは正しいでしょう。
そしてここに、先ほどの答えがあるような気がします。
つまり、事故から5年後に癌が発症するというのは普通では考えられない、というのが、ネイチャーに書かれた日米の研究者の意見だったのではないでしょうか?
それにしても、この手の「わかってないから心配しろ」の理屈は他のトンデモ学者から何度か聞かされました。
一種の脅迫だと私は感じています。
私たちは現在わかっている範囲内で科学を信用して対処するしかない。
未来の知見を利用することはできないのだから、結果的にそれが間違いだったとしても、現在の仮説に基づいて行動するしかないのです。
「わかってないことを心配しろ」と言って普通の人たちの行動に余計な縛りをかけるのは、科学者の取るべき態度ではないと思います。
もちろん、政府にやるべきことを進言するのは、多ければ多いほどいいでしょう。
でも、私が見ても他で聞く定説らしいものと相反することをこれだけ並べられれば、信用しろという方が無理だというものです。
(引用おわり)
【639】[707]放射線のことを考え続けました
会員の大川です。高校時代から中高年の現在まで、ずっと文科系で科学は苦手でした。
2011年5月に福島で初めて放射線量を測定して以来、雨の日も晴れの日も、寝ても覚めても放射線のことを考え続けました。5月から8月まで4回、福島県を訪問しました。一般向けの本を手当たり次第に読み、毎週末ネットで調べました。専門家の講演を3回、聞きました。何度も夢に放射線が現れました。
・・・そして、ようやく次のことがわかりました。
1.年間被ばく線量が100ミリシーベルトの場合、致死的ながんのリスクが0.5%増加する。これはリスクを「最大限厳しく」見積もった場合であり、「大人でも子供でも」これより悪い影響は「今までに全く見つかっていない」。
2.年間100ミリシーベルトより低い放射線量では、「大人でも子供でも」、がんの発症リスクもそのほかの疾病のリスクも「今までに全く見つかっていない」。
それではなぜ日本では、平時において年間1ミリシーベルトなどという、100分の1もの低い数値が規制値となっているのでしょうか。その理由は、どんなに微量でも放射線は危険だ、という「直線しきい値なし(LNT)仮説(モデル)」にあるようです。
けれどもこの仮説は、未だに科学的に検証されていない仮説にすぎません。だから、「なぜ年間1ミリシーベルトなのか」という問いに対して、専門家の多くは、「“ほんのわずか”に危険性が増している“かもしれない”ことを“想定”して安全側に立つ」、などという、不可解な表現をするしかないのです。つまり、年間1ミリシーベルトにも20ミリシーベルトにも科学的な根拠はありません。
現時点で最も説得力のある基準は、年間100ミリシーベルトだと思います。しかし、そもそも空間線量で人々の生活を規制すること自体に、大きな疑問を感じます。避難するかしないかは、リスクへの対応を含め、原則として当事者が自分で決めるべきです。その代わり、放射線の放出源そのものを直接的に規制して、罰則を強化すべきではないでしょうか。
国際放射線防護委員会(ICRP)は2007年の勧告で、緊急時における目安として、1~20ミリシーベルト、20~100ミリシーベルト、100ミリシーベルト以上(急性または年間)、という3つの枠で示し、それぞれの枠内で適切な線量を選定することを勧告しました。これを受けて、日本政府は20~100ミリシーベルトの枠内から、最も低い20ミリシーベルトを選択しました。けれども、この時もし100ミリシーベルトを選択していたら、福島県でこれほど多くの人が何か月も避難し続ける必要はなかったのです。
参考資料: 山下俊一監修 「正しく怖がる放射能の話」 長崎文献社(2011) p.117-119 日本学術会議会長談話
大川晴美
【638】[706]ミクロネシアのヤップ島で、ヤップ人とフィリピン人と副島先生の『人類の月面着陸はなかったろう論』の話をする
わたしがこの間、ミクロネシア連邦のヤップ島に行った時の話です。コテージ(cottage カティッジ)にしばらく泊まったのですが、毎日隣にあるレストランで食事をしたりお茶を飲んだり手紙を書いたりと長居していたので、そのまた隣にあるダイヴィング・ショップのヤップ人と仲良くなりました。
ある晩、その人と、その人の友達のフィリピン人の自動車修理工(共に40代男性)と、いい調子でお酒を飲んで、わたしがコンスピラシー(conspiracy 共同謀議)っぽい話を出したら、おもしろい話になったんですよ。副島先生が、外人さんは知っているから根掘り葉掘り聞いてみなさい、とどこかで書いていらしたので、そういう話を出しました(先生がおっしゃったのは白人さんのことだと思うけど、このアジアの人達はどうだろうと思って話してみた)。
その前に、わたしはヤップ島を拠点にして、離島の本当に小さな島(住人300人くらい、ほとんど自給自足)に団体で行ってきたところでした。その島では1986年に大きな台風が来て、マホガニーの柱とヤシの葉の屋根でできたお家はほとんど流されてしまい、今はコンクリートの家が建っています。わたし達は伝統的な、壁がなくて風が吹き抜ける、ヤシのお家に泊めてもらえると思っていたので、がっかりしました。島の人によくよく聞いてみると、その1986年の台風のあとに、なんとFEMA(フィーマ Federal Emergency Management Agency of the United States アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)がやって来て、台風の後片付けをしてくれて、お金をくれたんですって。「これでコンクリの家を建てなさい」って。そのお金で人々は島の外からコンクリを買って、コンクリとトタンの屋根のお家を造りました。時が経ち、トタンの屋根が朽(く)ちたりしてきて、人々ははっと気付きました。この家は台風には強いけど、お金がないと修理ができない。マホガニーとヤシの家なら、修理する材料は島のどこにでもあるのに。それで、人々は伝統的なお家をまた建て始める相談をしているそうです。
その話を、ヤップ島に戻って、ヤップ人とフィリピン人に飲みながら話しました。
ゆみこ「そしたらFEMAが来たんだよ!それでお金を置いていったんだって!」
フィリピン人「あー、あいつらはこれだもの(と、両手で頭から二本の角を出す)。」
ゆみこ「そうなんさ!FEMAはevi fellows(イーヴル・フェロウズ わりいやつ)だいね!」
ヤップ人「このコはよく分かってる。」
それで、わたしにはマスター(師匠)がいて、コンスピラシーのことを教えてくれるのよ、とか言いました。そしたらフィリピン人が「オー、ユーハブ・センセイ!」とか言ってね。それでわたしが「そう。センセイは、人類は月に行ってないという本を書いて、クレイジー・ブックの賞をもらったんだよ!」と言ったら、身を乗り出して「オウ、ワッツ・ヒズ・ネイム?」と聞くから、わたしは「イッツ・ソエジマ!」と言いました。で、ヤップ人がまた「う~ん、このコはよく分かってる」って。
わたしはこの人たちが世の中のことをよく分かっているので、驚いて、「なんで、そういうこと知ってるの?日本人なんか、ぜんぜん知らないんだよ」と言いました。だって、失礼だけど、フィリピンから流れ着いた元アル中の現自動車修理工ですよ。もう一人はダイヴ・ショップの店員ですよ(素潜りで水深40m行けるらしい)。そしたらフィリピン人が「まあ、日本人は・・・ナイーヴだからねぇ」ですって。そうさな。
後日、学問道場会員の友達に会ったときにこの話をしたら、それはやはり彼らは英語が使えるので、英語の情報をダイレクトに取れるからじゃないか、と言われて、やっぱそうだいねーと思いました。 おわり
【637】[705]たかじんの武田先生の発言について
会員の掲示板に掲載しようかと考えて、文章をつくりましたが、重掲に同じ内容がでていたものですから、追加で発言をいたします。
今回の問題の動画、及び苦情の岩手県一関市長のメール内容、そして、中部大学教授 武田邦彦氏の返事の内容がわかるブログがあります。また、9月4日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」の動画も参照できます。
「晴 天 と ら 日 和」さんのブログ
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/51942172.html
動画では、最初の質問に対して、武田教授は、
(ブログから引用開始)
9月4日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」で東北の野菜とか牛肉を食べたら僕らはどうなるの?(小4男子)という質問に対して、「もちろん健康を害しますから出来るだけ捨ててもらいたい。それは決まってます 仕方がないです。ええ。今生産するのが間違ってる 綺麗になってから生産しないと畑に青酸カリが撒かれたと青酸カリをのけてから植えて下さい これは順序。仕方ないですよ。ね。撒かれたのは撒かれたこんなことはいくら言っても仕方がない。 もう、そんな事をぐずぐず言わない方がいい。」
(引用終了)
と発言しています。
ところが、岩手県一関市長宛てのメールでは、LD50という確率的致死率をだしてきています。
(引用開始)
1. 「畑に青酸カリがまかれた」について
テレビで発言するにあたり、できるだけわかりやすく、しかも科学的に間違いの無いように配慮しました。放射性セシウム137の{成人、経口}での50%致死量は0.1ミリグラム程度です。これに対して青酸カリは{成人、経口}で50%致死量が200ミリグラム程度ですから、青酸カリの方が約2000倍ほど毒性が低いという関係にあります。
「放射性物質は目に見えない」と言われますが、科学的には「あまりに毒性が強いので、目に見えないほど微量でも死に至るもの」と言えます。従って、青酸カリは一般的に猛毒であることが知られており、かつ単離しうる化合物であることから青酸カリを例に出しました。
つまり、放射性セシウムの方が青酸カリより約2000倍の猛毒であり、それが一般的に知られていないので驚いた方もおられると思いますが、このようなことこそ政府などが国民に知らせ、除染しないまま作物を生産するのに慎重にならないいけないと思います。
(引用終了)
武田先生は、LD50の単位を正確に表記しておりません。たしか、副島先生との対談でも、副島先生は、単位表記の正確性を指摘していたと記憶しておりますが。セシウム137のLD50(LD50:Lethal dose 50%,半数致死量、 このLD50というのは、その量を与えると対象とした動物の半数が死んでしまうと予想される値だそうです。例えば、LD50が10mg/kgという化合物があった場合、それは体重1kgあたり10mgの投与で半数が死ぬことを表しています。)は、武田先生が,0.1mg/kgと市長に報告しています。(本当かどうかは確認できていません。)
また、青酸カリについては、(LD50は)「成人、経口}で50%致死量が200ミリグラム程度」と述べています。やはり、単位が正確ではありません。200mg/kgというのが正確だと思うのです。
さて、ここに一冊の本があります。
「へんな毒すごい毒 こっそり打ち明ける毒学入門」(田中真知著、株式会社技術評論社発行、平成18年10月初版)です。
ようするに、薬と毒は表裏一体なんです。
(引用開始)
中部大学教授 武田邦彦様
あなたが、9月4日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」に出演中、一関市の名前を出しながら、今生産するのが間違っているとか、畑に青酸カリが撒かれた、青酸カリをのけてから植えてくれ、東北の野菜とか牛肉を食べたら健康を壊す、などと発言したことに対して、地元自治体の首長として強く抗議します。
あなたは、発言を取り消すつもりはないとも語っていましたが、本当に取り消す考えはないんですか。それを確認の上、今後の対応を考えていきます。 岩手県一関市長 勝部 修
岩手県一関市 勝部 修市長殿
メールでお問い合わせをいただいた件、内容ごとにご返事を差し上げます。
1. 「畑に青酸カリがまかれた」について
テレビで発言するにあたり、できるだけわかりやすく、しかも科学的に間違いの無いように配慮しました。放射性セシウム137の{成人、経口}での50%致死量は0.1ミリグラム程度です。これに対して青酸カリは{成人、経口}で50%致死量が200ミリグラム程度ですから、青酸カリの方が約2000倍ほど毒性が低いという関係にあります。
「放射性物質は目に見えない」と言われますが、科学的には「あまりに毒性が強いので、目に見えないほど微量でも死に至るもの」と言えます。従って、青酸カリは一般的に猛毒であることが知られており、かつ単離しうる化合物であることから青酸カリを例に出しました。
つまり、放射性セシウムの方が青酸カリより約2000倍の猛毒であり、それが一般的に知られていないので驚いた方もおられると思いますが、このようなことこそ政府などが国民に知らせ、除染しないまま作物を生産するのに慎重にならないいけないと思います。
(引用終了)
読書感想文を見つけたので、リンクします。
「へんな毒すごい毒」
http://ameblo.jp/sakae2/entry-10021397252.html
この本の著者である田中真知氏によると、青酸カリのLD50は、7.0mg/kgとしていますので、武田教授の200mg/kgとは、格段に相違しています。
そして、肝心なのは、武田先生が言論の自由を訴えた点が腑に落ちないのです。私達国民が権力者でないのですから、それは、場違いに当たるのではないか、敷いては、権力の笠の下に入りこもうとしているのか、わかりません。(長文、失礼しました。)
【636】[704]一関市長が武田教授の発言に抗議した件
会員の平田裕子です。
副島先生と『原発事故、放射能、ケンカ対談』(幻冬舎)で対談した武田邦彦教授のテレビ番組での発言が波紋を呼んでいます。
以下に新聞記事を貼り付けします。
(転載貼り付けはじめ)
●「東北の野菜や牛肉、健康壊す」教授発言に一関市長抗議
2011年9月7日 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0907/TKY201109070190.html
岩手県一関市の勝部修市長は6日、読売テレビ(大阪市)系列の番組で中部大の武田邦彦教授が一関市を挙げて「東北の野菜や牛肉を食べたら健康を壊す」などとした発言を取り消すよう抗議のメールを送った。さらに、「農家の感情を逆なでする非常識な発言である」とのコメントを発表した。
武田教授は4日午後に放送された「たかじんのそこまで言って委員会」で、「東北の野菜とか牛肉を食べたら僕らはどうなるの」という子どもからの質問に対し、「もちろん健康を害する」「今生産するのが間違っている」などと発言。ほかの出演者が「発言を取り消すべきだ」と反対したが、「取り消しません」と応じた。番組は同日、秋田、宮城両県でも放送された。
武田教授は「メールが届いていないため、再度送ってくれるよう一関市にお願いした。抗議の内容は報道を通じて聞いた。自分の発言は、放射能汚染されたものは出荷しない良心的な農家の感情を逆なでするものではないと思う。大人たちは、子どもに東北産の食べ物の汚染を心配させている事実を問題とすべきだ」と話している。武田教授は原発や地球環境問題についての著書が多数あり、テレビのバラエティー番組にも出演。原子力安全委員会の専門委員も務めたことがある。
読売テレビによると、6日夕方までに視聴者から約50件の電話があり、うち35件が抗議の内容だったという。同局は「他の出演者の発言を含め、番組全体をご覧いただければ、現在の安全基準の問題などについて真摯(しんし)に議論した内容と理解していただけると考えている」とコメントした。
●「中部大・武田教授発言 一関市にメール殺到 岩手」
2011年9月8日 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110908/iwt11090802010000-n1.htm
■JA「農家の感情逆なで」
読売テレビ(大阪市)が4日放送した「たかじんのそこまで言って委員会」で、中部大の武田邦彦教授が東北地方の野菜や牛肉を「健康を害するから捨ててもらいたい」と発言し、勝部修・一関市長が抗議のメールを送った問題で、一関市には7日朝からメールが殺到、大半は市長の対応を疑問視する声だった。勝部市長は産経新聞の取材に応じ、「私の真意が伝わっていない。放置できない問題」との認識を示した。武田教授から返信はなく、7日、再度メールを送ったことを明らかにした。(藤原保雄)
◇
一関市によると、今月5日の市災害対策本部会議の席上、「市民から情報があった」として、武田教授の発言が取り上げられた。勝部市長が発言をネットの「ユーチューブ」で確認、6日にメール送信した。
一関市では市内4つの消防署近くで毎日放射線量を測定している。市によると、7日の放射線量は毎時0・3マイクロシーベルトを下回っており、暫定基準値を大幅に下回っている。
7月には8日と14日に市内全ての小、中学校、幼稚園、保育園111施設の放射線量を測定、3施設で毎時1マイクロシーベルト以上の数値を観測した。市は土砂を入れかえるなどの措置を取り、数値は大幅に減ったという。
7日は午後5時までに254件のメール、6件の電話が寄せられた。大半が「市長名の抗議は行き過ぎではないか」「抗議先が間違っている。国や東京電力に抗議すべきだ」と市長の行動を疑問視する意見だったという。
一関市は「武田教授の発言は全体としては国の責任で除染すべきという内容であり、理解できる部分もある。しかし『畑に青酸カリがまかれたようなもの』という発言は論外で、市民感情を考慮してほしかった」として、市長の対応に誤りはなかったという認識だ。
一関市を管轄するJAいわて南の幹部は武田教授の発言について「特定の地域を対象に根拠がない発言が目立った。収穫の秋を迎えて農家が頑張っているさなか、農家の感情を逆なでしている」と憤りを隠さなかった。
JAいわて南では8月27日から全頭検査と並行して肉用牛の出荷を再開、「市場に出回る野菜や牛は検査を経ている。風評に惑わされず消費者の方は冷静な判断を」と呼びかけている。
●「武田教授発言:抗議の一関市長「考え方分かった」」
2011年9月8日 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/today/news/20110909k0000m040079000c.html
読売テレビ(本社・大阪市)系列の番組で中部大の武田邦彦教授が「東北の農産物は健康を壊すので捨ててもらいたい」と発言し、岩手県一関市の勝部修市長がメールで抗議した問題で、勝部市長は8日、返信があったことを毎日新聞の取材に明らかにした。武田教授は「発言は取り消さない」との考えを示した。勝部市長は「すっきりはしないが、考えが分かったので終わりにしたい」と述べた。
武田教授は4日放送の番組で、放射線量が高い地域に一関市を挙げ、「今、東北で農作物を生産するのは間違い」などと発言した。
勝部市長によると、武田教授はメールで「農家も子供も(東電の)被害者。国の暫定基準値(の設定)が大きいという現実があり、子供の心配を除く必要から『東北の野菜は出荷するな』という趣旨で発言した」と説明。放射能汚染を「青酸カリ」にたとえ、「畑の青酸カリをのけてから植えてくれ」と話したことに関しては「分かりやすくするために例にした」と答えた。
勝部市長は「青酸カリという言葉を持ち出すのはどうなのか」と述べたが、武田教授から返信があったことや考え方に一定の理解を示した。
(転載貼り付けおわり)
私は、武田教授の「東北の野菜とか牛肉を食べたら僕らはどうなるの」という子どもからの質問に対し、「もちろん健康を害する」「今生産するのが間違っている」などという発言は不適切だと思います。
私の住んでいる名古屋市のデパートやスーパーには福島県産をはじめ、東北地方の野菜がたくさん売られています。県や国も食べてもいいと許可しているからです。
武田教授の発言は、東北の復興に対する妨害だと思います。
お店の前で、「ここの野菜は買ってはいけませんよ」と店頭で、大きな声で騒いでいる人と同じだと思います。
私は、桃と梨のお取り寄せに続き、これからも福島県産をはじめ、東北地方の農作物を食べることで支援してゆきます。
【635】[703]今頃になって、NHKまで使って、アポロ月面着陸はあったのニューズを流したそうです。
副島隆彦です。 NHKが、一昨日の9月7日に、NASA のアポロ計画の月面での活動の新しい証拠があることを、日本でも報道したそうです。NHKのニューズでこのことが報じられたことを、私に教えてくれた人が数人います。
私、副島隆彦がこのニューズをどう考えるのかを、多くの人が気にしているのでしょう。 人によっては、動画でも見て、月面に残されたというアポロ17号とかの乗組員(各号、2人ずつが月面に到着して月面で活動したことになっている)の飛行士たちの足あとも大きく写っていたそうです。
例のあの 草鞋(わらじ)のような大きな足跡です。あのワラジの大きさは、本当は70センチぐらいあるものだそうです。 まず、以下の新聞記事を読んでください。
(転載貼り付けはじめ)
「最後のアポロ、月面に残した跡」
ナショナル・ジオグラフィック・ニュース 2011年9月8日
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2011090801&expand&source=gnews
NASAは2011年9月6日、月探査機ルナー・リコナイサンス・オービタ(LRO)が撮影したアポロ17号など3つの着陸地点の写真を公開した。写真には、宇宙飛行士が月面探査の際に残した足跡も写っている。
公開された画像はアポロ12号、14号、17号のもので、いずれにも月の表面に残された宇宙飛行士の足跡が確認できるが、特にアポロ17号の着陸点の写真には、人類が月に残した最後の痕跡が写っており、ムーンバギー(月面探査車)が残した軌跡も見ることができる。
LROはこれまで2年以上にわたり、アポロの着陸地点を含め月面を広範囲に撮影してきたが、今回オービタの軌道を高度約50キロから約21キロの低高度に修正した。低高度に28日間留まって撮影を行い、6日には元の高度に戻っている。
LROメインカメラの主任調査員でアリゾナ州立大学の研究員マーク・ロビンソン氏は、「新しい低高度望遠カメラによって、月の表面がより鮮明に捉えられている」と話す。「良い例がアポロ17号の着陸地点に写ったバギーの車輪の跡だ。これまでの写真でも走行した跡は見えた。が、今回は平行な2本線の轍(わだち)もはっきり確認できる」。
●「アポロ飛行士の足跡など撮影」
2011年9月7日 NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110907/t10015439811000.html
アメリカの月探査機が、およそ40年前に月に着陸した「アポロ17号」などの着陸地点を上空から撮影し、宇宙飛行士が歩いた跡など、月面での人類の足跡が鮮明な画像で捉えられています。
これは、月の周りを飛行しているNASA=アメリカ航空宇宙局の月探査機が先月撮影したもので、6日に公開されました。 探査機が撮影したのは、1969年から1972年にかけて打ち上げられたアポロ12号、14号、そして17号の着陸地点です。
今回はこれまでで最も月面に近い高度およそ20キロから撮影されました。このうちアポロ17号の着陸地点の画像には、宇宙飛行士が歩いた跡や、探査用の車のタイヤの跡、それに月面に残された着陸船の台座の部分などが写っていました。
NASAは、40年も前の月面活動が今も消えずに残っているのは、月に大気がなく、地球のような風が吹いていないためだと説明しています。
アポロ計画を巡っては、月での宇宙飛行士の活動は実際には月には行かず、映画のスタジオで撮影されたのではないかと疑う声もありますが、NASAでは、今回の画像から当時の月面での活動の様子がより鮮明に分かるとしたうえで「アポロの輝かしい歴史を思い出させてくれる」と話しています。
(転載貼り付けおわり)
副島隆彦です。 NASA も 予算をオバマ大統領から、ものすごく削られて、今にも潰(つぶ)れそうになっているので、こんな 小賢(こざか)しいことをやります。 こんな中途半端なことをしないで、月面に無人のカメラを落として、アポロという名の月ロケットの残骸を近距離から撮(うつ)せばいいのです。
こうやって、悪あがきとしか言えないことを、やって日本のNHKまでも脅(おど)して、放送させるということは、何か新しい策謀があるのでしょう。
ここの学問道場の会員たちで、まだ、私、副島隆彦の重要な著作である『人類の月面着陸は無かったろう論』(徳間書店、2004年6月刊)を読んだことのない人は、是非、読んでください。
自分で言うのもなんですが、この本はものすごく重要な本です。この本をじっくりと読んで正確に理解してください。副島隆彦の文章の緻密(ちみつ)さがよく分かるでしょう。私は、狙った獲物(えもの)は徹底的に研究して、周到に準備して逃がさないようにして、そして最後に打ち倒(たお)します。
この「人類の月面着陸はあったのか問題」は、今度の放射能コワイ、コワイ問題とよく似ています。この私の態度に対して、「私は、もう、副島隆彦の言うことを信じません。あなたの本はすべて捨てました。会員を辞めます」と書いてきた人と同じようになる人たちが出てくるかもしれません。おもしろいなあ、と思っています。
人間は、自分の脳がグラグラするぐらいに、1つのことで悩んだほうがいい。そのほうがその人の脳(=、知能、思考力)の成長になる。
さあ、日本最高の思想戦闘員(しそうせんとういん)である私、副島隆彦と、崩れつつあるアメリカ帝国の大ウソつきどもの、果たしてどちらが勝つかの、勝負の決着が着く時代にようやく至りつきました。あと一押しだ。 おもしれえなあ。
副島隆彦拝
【634】[702]やっと、副島先生のご発言が正しいと理解致しました。
初めて投稿致します。
会員であります角田の秘書です。
社長は、白内障により、あまり目が見えないので、副島先生の著作を秘書である私が音読をしております。
社長は、とにかく副島先生に傾倒しており、口癖は「やはり、副島先生の言う通りになったです。」
副島先生が、巻末付録で詳細に解説されている銘柄や貴金属の動向を必ずチェックして、投資をしています。
今回、私がここに投稿するのは、昨今の被災された地域及び人いじめに関して、腹が立ってならないからです。
最初は、副島先生のレポートや著書を読んで、「少々、過激すぎるのでは?この先生は、熱過ぎる!」って感じてました。
ところが・・・東北で取れた美味しい農産物/被災地復興の祈りとも言えるお焚きあげの拒否。これは、日本人の日本人によるいじめとしか思えません。
そして、副島先生が対談された武田先生のこれまた異常とも思える発言。
しかも、武田先生にではなく、抗議をした一関市長に反論するメールが来ていることに驚きました。
私は、売って下さるのならば、もう安全!とお墨付きなのですから、喜んで東北の食品を正規の値段で購入して、頂きたいと思っています。
今まで、大丈夫だ!と発言していた学者先生はどこへ行ってしまったのでしょう??
今は、大丈夫、皆さん食べましょうって言っているのは、副島先生だけの様な気が致します。
今まで、副島先生を誤解をしていた事をお詫びすると共に、
副島先生には是非とも更に声高に叫んで頂きたく思います。
日本の製品は全く持って安全ですと。
副島先生!被災地の方々をいままで、そしてこれからもサポートしている事に
敬意を表します。
【633】[701]福島本部活動日誌です23
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年8月31日の日誌です。
午前0時に目が覚めてしまったので、止む無く朝用の調理だけしました。
まずは豚肉で油をとって、Iさんから頂いたジャガイモでポテトチップスもどきを作りました。
次に、余っている食材を減らすため、再び闇鍋を作りました。
今回は、余っているご飯、豚肉、卵、人参、キャベツ、玉葱、を炒めたのでチャーハン風になりました。
今回はトマトは自重しておいてよかったです。
朝、闇鍋に、賞味期限4ヶ月越えの焼肉のたれ「だけ」をかけて食べました。
美味しかった?です。
新聞の集金が来ました。2905円でした。
午前11時半にAさんが来ました。
ヒマワリ畑を案内してから事務所に戻りました。
事務所に戻って、Aさんから日本酒を頂きました。
ビールとつまみ類を出しました。
午後3時に、私は歯医者に行きました。一度延期していたので、今回は外せませんでした。
帰るときに石井魚店に寄ってみると、福島産の大きなネギが70円で売っていたので、2本購入しました。
午後4時に戻ってきた後、Aさんが「草刈りでもしようか」と言って下さり、一緒に草刈りをしました。大変有難うございました。
Yさんのやきとり天国方面の崖だったので、どの程度やればいいのかわかりませんでしたが、店舗裏のアスファルトのところに立派な雑草が生えている位でしたのでガリガリやりました。
途中で庭匠のご主人が来て、少し話しました。「何やってるのかと思った。除草剤でも撒いたらいいんじゃないのか」と言っていました。
後半は布団を干す崖の方も「草取り」をしました。
Aさんも言っていたのですが、ここの草は手袋をして手で取ってしまった方が早いかもしれません。
草刈りの後に、外に120リットルの桶を出して風呂にしました。蚊がいたので、あまりうまく入れませんでした。
その後Aさんの服も一緒に洗濯しました。干すのはAさんがして下さいました。
夕食は7時半から、蕎麦、トマトとチーズ、豚肉を焼いただけのもの、ポテトチップスもどき、でした。あと、お酒でした。
私は途中でアルコールに負けて、午後10時から9月1日午前1時まで寝てしまいました。
Aさんは9月1日午前2時に二階に上がりました。
9月1日午前3時から皿を洗って、出汁をとりました。また、明日の朝用のご飯をセットしました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月1日の日誌です。
朝はずっと起きていて、朝食として、Aさんにご飯と麻婆豆腐と味噌汁を用意しました。
朝食後、頭痛に負けて布団に横になりました。
午前10時半に腹が痛くなり、トイレに行きました。トイレの最中に正面玄関から人が来たので、大慌てで出ました。
腹痛と頭痛で体調は最悪でした。
また、ズボンのチャックが壊れていて上まで閉まらない、一度閉めても100メートルほど歩いていると下がって開いてしまうズボンが2着あるのですが、丁度そのズボンでして、必死に力任せに上に引き上げようとしたのですが、その時に指先を痛めました。
8月7日に、ズボンのチャックが開いていたことを指摘されたことがありましたが、半分も閉まっていたので、あのズボンの割には非常に閉まっていた状態でした。
あれ以上閉めようとすると、上の方で溶接するしか方法がないのですが、どなたかあの時一緒だった方、溶接して頂けないでしょうか。
・・・まあ、その前にズボンが燃えてしまうとは思いますが。また、それは果たしてズボンの機能を果たすのかどうかは知りませんが。
もろもろが重なった結果として、良くない対応を、Hさんの事務所から10時半にいらしたYさんにしてしまいました。
大失敗でした・・・。
夕食は朝食の残りをもう一度用意しました。
Aさんは酒のつまみを食べていました。
午後9時にIさんからskypeで連絡を頂きました。
skypeはアカウントだけ取って、使っていなかったのですが、確かに便利なものでした。
ただ、マイクが何処なのかわからず、外付けのマイクを700円くらいで購入することになりそうです。
また、都路のネット環境は、頻繁に接続できなくなる余り信頼のおけないものなので、そちらの方が問題かもしれません。
Aさんは今日も宿泊しました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月2日の日誌です。
今日は台風の影響か安定しない天気でした。
晴れたまま豪雨になる、面白く、かつ、困った天気でした。
Aさんは午前6時29分のバスで帰りました。
缶のごみをゴミ捨て場に持って行きました。
午前7時前だったのですが、288号線を今日も普通の自動車が、おそらく通勤のために原発方面に抜けていきました。
午後1時に、郵便局で電気料金62000円を支払いました。
次に都路行政局で8月分の駐車場料金5000円を払いました。
これで駐車場は解約のはずです。駐車場のカードも都路行政局の地域振興課に返却しました。
なお、行政局の2階が臨時の公民館になっているのですが、休憩室や会議室でおそらく職員の方々が豪快に休んでいました。
具体的には、先生がよくやるように、椅子を4つくらい並べて、その上で寝ていました。
午後3時から、帳簿をつけてレシートを整理しました。結構微妙なものがあったので、レシートから除外しました。
午後7時に、独り焼肉もどきをしました。
豚肉、ピーマン、ナス、小松菜、キャベツ、シメジ、じゃがいも、をそれぞれ全て単体で油で炒めました。
その後に焼肉のたれをかけました。
これならば失敗して食べられないことはありません。
それでも、たれの化学調味料が私には邪魔になっています。
二郎本店に毎日行って、もっと舌を莫迦にしておくべきでした。
・・・考え直してみると、私は二郎に一回行っただけで、気持ち悪くなりましたので、やっぱりそれは無理でした。
とにかく明日は一日中焼肉の残りで、食事は間に合いそうです。
夜になって雨はやんだのですが、台風の影響か、とても風が強い状態です。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月3日の日誌です。
風呂用の石を、奥に動かしました。
これからのシャワールームと岩風呂の設置時に、邪魔になりそうだったからです。
冷蔵庫から水が出て、床と薄いカーペットに溜まっていました。
モップで外に水を出すのが精一杯でした。
床を見てみると、前にも水が溜まった跡がありました。
簡単な除湿機の購入を考えています。
昼食は、昨日の焼肉もどきの残りを食べました。
机を整理しました。
広い方の机は、接客用と食事用のものとして使用し、なるべくものを置かないようにしてみます。
狭い方の机にパソコンなどが置いてあります。
シャワーの温度調節がやっと上手くなってきました。
室内で風呂に入るのは、どうしても排水の問題が解決できません。
夕食も、昨日の焼肉もどきを食べました。
まだ残っています。
(転載終わり)
石井魚店の店長から訊いた話なのですが、野菜が大量に安いのは、他県に出荷できないからではなく、供給が多かった時期に仕入れたからだそうです。それにしても、東京のスーパーの3~4割というのは安すぎるのでは、と、少し心配です。
【632】[700]福島本部活動日誌です22
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年8月27日の日誌です。
午前7時半に起きて、朝食を作りました。キャベツ刻んで、ばら肉焼いて、取れた油でジャガイモ焼いて、大根と人参の味噌汁作りました。
後は、冷蔵庫にあった生卵と納豆を出しました。
結構重めの朝食になりました。しかも下味は無いので、お二人には微妙な朝食だったと思います。
YさんとOさんは午前10時に帰りました。
午後2時に三春に住んでいるというWさんが来ました。6月の事務所開きの時に一度来ていたそうです。
会員かどうかはわかりませんでした。
ビールとウーロン茶とポカリスエットを差し入れに来ました。
お返しに、冷蔵庫にあったワイン一つを差し上げました。
K社のTさんが、漫画家の方2人(お名前失念しました・・・)と来ました。
漫画家の方は、どうにか20キロ圏内に入る方法は無いだろうかと、かなりの執念を持っていました。
検問所を案内し、写真を撮りました。
事務所に帰る途中で、会員のUさんが来ていました。
漫画家の方から、帰る間際にドッグフードを12キロ貰いました。大家さんか庭匠さんに差し上げることになるのだと思います。
Uさんに事務所で麦茶を出して、二階を案内しました。
Uさんは午後5時に帰りました。楽しい時間をご一緒できて、有難うございました。
夕食は今日の来客に出したものの残りを食べました。
昨日のそばの残り、油揚げの残り、味噌汁の残り、ご飯の残り、トマトの残り、焼き鳥の残り、でした。
まだ闇鍋も残っていますが、明日食べられるのでしょうか。
なぜか蚊が入ってくるようになってしまっています。刺さない蚊なのですが、寝ている時に睡眠の邪魔になってしまっています。
昨日の案内中にあった張り紙に、「8・26の一時帰宅は広野の方で行う」という内容のものがありました。
ひょっとすると、一時帰宅が一段落ついて、古道での一時帰宅の機能は縮小気味なのかもしれません。
(転載終わり)
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2011年8月28日の日誌です。
午前1時に布団に入る少し前に、今日は塩分の摂りすぎだったと反省しました。
布団に入った後、なかなか寝れなかったので、終わらなかった残りの洗い物を終わらせました。
ついでにコンロの魚焼を、特に網のところを、変質的に油取りしました。
やっていて「こんなところ綺麗にしても何にもならないよな・・・」と自分に突っ込みをしつつ、取れるだけ取りました。
午後2時くらいに昼食として、昨日の味噌汁の残りに味噌ラーメンのスープを溶いてからご飯を入れて食べました。
意外と野菜たっぷりで美味しかったです。健康的かは微妙ですが。
午後5時から6時35分まで、崖の草刈りをしました。前回と同じ広さだけ刈れました。
肉を買いに自転車で外に行きたかったのですが、草が少なくなる方が快適だと思い直してやりました。
配水管や鉄筋の支えが草に隠れているので、返す返すも、なかなか進まないです。
刺してくる蚊もいました。5箇所刺されました。
ひょっとしたら建物の下から、排水溝から蚊が入ってきているのかも知れません。
終わった後には、洗濯をして、風呂に入らざるを得ませんでした。
午後10時、夕食として期限切れのレトルトパスタソースにピーマン、焼き鳥の残り、パスタを炒めて合せました。
なんといいますか、食べられればいいんです・・・。
画像の整理をして名前をつけているのですが、枚数が多いのでかなり時間がかかってしまいそうです。
(転載終わり)
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2011年8月29日の日誌です。
起きて、布団を干しました。ごみを出すのは忘れてしまいました。
午後2時に来る予定になっていたOさんが午後3時50分にバイクで来ました。
待っている1時間50分の間に昼食を食べました。豆腐を処理したかったので、ネギを大量に入れた麻婆豆腐とご飯でした。
Oさんは出したもののうち、麦茶だけ飲んでいました。来客用に何かを作っておく、というのは無駄になるので、見直したいです。
二階を案内しました。「とりあえず事務所というのはどんな感じなのか見てみたかった」と言っていました。
今後の事務所の方針について訊かれました。
Oさんによると、最寄のガソリンスタンドのおばちゃんの知り合いが、先生に会いたいと言っているそうです。
Oさんは午後4時40分に帰りました。
午後5時から午後6時35分まで、草刈りをしました。
終わる頃には真っ暗に近く、夏が終わりかけていることをしみじみ感じました。
終わった後、やはりシャワーを浴びて洗濯機を回しました。
夕食は、昼食と同じものと納豆を食べていました。
夜中に大広間の整理をしました。自分のPC周り以外は整理できました。
これでやっと合宿前の、快適とは言えないまでも余り気を回さないでやっていける状態に、大まかに回復しました。
この3週間は泥縄で物事を処理してきたので、いつもボロが出そうでした。
(転載終わり)
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2011年8月30日の日誌です。
朝起きて、布団とソファーを干しました。虫がいなかったので、表玄関も開けて、風を通しました。
虫が少なかったのは、草を刈ったからなのか、季節が秋に向かっているからなのかはわかりません。
午後0時20分から午後5時10分まで崖の草刈りをしました。
やきとり天国の裏に、茨が出てきています。そこで止まってしまいました。
途中で昼食代わりとして、トマト一個を丸かじりしました。
午後2時半、草刈りの途中で佐藤栄佐久前知事が1分だけ来ました。
運転しているのは息子さんだったのかもしれません。
崖で草刈りをしていたので、居留守になってしまうところでした。
副島先生に資料を渡すように言われました。
すぐに399号線に車で行ってしまいました。
草刈りから急いで戻ってきた状態とはいえ、もう少し落ち着いた対応が出来たはずでした・・・。
草刈り後はソファーと洗濯物と布団を取り込んで、シャワーを浴びました。
午後8時に事務所に来ることになっていた会員のAさんから電話が来て、おそらくAさんは明日くることになりました。
詳細はどうにもよくわかりませんが、http://www.hananoyu.ne.jp/に来て泊まってらっしゃるようです。
午後8時、Tさんから駐車場の解約の件で連絡をいただきました。
今日は疲れたので、夕食は作らずに寝ます。日誌も簡易になってしまいました。多分明日は筋肉痛です。
麦茶を食事代わりにした一日でした。なかなか冷蔵庫の期限切れ食品を減らせません。
(転載終わり)
佐藤栄佐久前知事は、とても上品そうといいますか、「温厚そうなおじいさま」でした。その優しい印象と、革新知事として、中央官庁から派遣されてきた公務員を追い返したとされる烈しさが、どうしても一致しません。