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Loginはこちら【662】[735]福島本部活動日誌です29
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年9月24日の日誌です。
今朝の室温は16度でした。着々と気温が下がっています。
朝食は、昨日の残りの焼そばと味噌汁もどきを片付けました。
昨日干し切れなかった布団を干しました。
トイレを二箇所掃除しました。
大広間と二階と奥の部屋に掃除機をかけました。
・・・書くと3行なのですが、午前9時半から午後4時半の7時間のうち、半分くらいは掃除していました。
27日に、反対側の親知らずを抜かなければならないので、それまでに出来るだけの事はしておきたいです。
生協で、布団干しや洗濯などに使う日用品を注文しました。
今回も1万円を越えてしまいました。ただ、これで一通りのものはそろったはずです。
午後4時50分に、Iさんが来ました。
Iさんは、みや古旅館が予約で一杯で宿泊出来ませんでしたので、事務所に泊まりました。
夕食として、ご飯、豚肉ともやし入りの味噌汁、焼肉、シメジを炒めただけのもの、レタス、をお出ししました。
その後に二階にIさん用の布団を敷きました。
大広間で使っている室内用スリッパですが、外用のサンダルと混同されやすいので、使用を取り止めることにしました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月25日の日誌です。
今朝の外の気温は8度だったそうです。Iさんは半袖なので、とても寒いと言っていました。
私は長袖のワイシャツをずっと着ていたのに、その前から非常に寒かったです。
朝食としてIさんに、ご飯、味噌汁、納豆、肉とピーマンとキャベツを炒めて焼肉のたれをかけただけのもの、をお出ししました。
殆ど昨日の夕食と同じです。
Iさんは10時のバスで帰りました。
実はこの後、大量に溜まっていた皿洗いをしなければなりませんでした。
水が冷たいので、皿洗いが滞ってしまっていました。気合で洗いました。
冬の水道や温水のことを今から対応するのは無理ですが、せめて覚悟だけはしておきます。とても寒いので、対策してなお、水道管が凍るらしいです。
ソファーや枕や座布団を干しました。
夕食は、朝食の残り物を片付けました。
余った炒め物に焼そばを投げ込んで炒めました。それから、一口残っていたご飯と大量に残ってしまっている味噌汁をレンジで温めました。
夕食後、もう酒は金輪際飲まないなどと前にのたまっておきながら、少し飲んでしまいました。・・・ごく少量なので大丈夫だとは思います。
ジャックダニエルズをレモン果汁で1:1で割って、塩と砂糖を加えた後、黒胡椒とグローブを挽いて撒きました。
こんな馬鹿な飲み方をするのは、私みたいな味音痴だけで充分です。良い子は真似しないで下さい。
ティフィンミルク、カンパリオレンジ、マリブコーラといった定番どころは、よく考えて作ってあるのだと思います。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月26日の日誌です。
早朝に燃えるごみを出しました。
今朝は10度はあったと思うので、寒さが一段落したと思いたいです。
2階のpcに古いワードを入れました。古いのは、私が愛着があって好きだからです・・・。
また、2階のpcはウイルスソフトが期限切れになっていたので、急ぎ注文しました。
台所の排水溝の掃除をしました。簡単に汚れるところなので、今後も気を払う必要がありそうです。
常葉町までバスで行きました。常光寺というバス停で降りました。890円かかりました。
セブンイレブンでネット代2205円を振り込みました。
ホームセンターで冬用のカイロや日用品を買い込みました。
肉屋で安い肉を買い込みました。こんな便利な店があるとは、常葉町は近代的です。
肉屋には、安全を強調する張り紙がありました。
小学校の運動会を知らせる張り紙もありました。
酒屋で先生用のジャックダニエルズを二本買いました。その後に、カンパリ、カルーア、ビーフィータージン、ラム酒、ルジェ・カシス、を買いました。
オレンジジュース、グレープフルーツジュース、コーラ、ミルク等があれば、簡単な家庭用カクテルが出来るかもしれません。
常葉町では稲の収穫が行われており、ところによっては藁を干していました。
実家の町でよく目にした光景でした。
本当は事務所から旧街道沿い方面にかけて、同様の光景が見られるはずだったので、とても残念です。
常葉町では小学校もやっていて、普通の暮らしがありました。人の戻ってきていない都路とは大きく違いました。
古道車庫までバスで帰りました。
かなりの大荷物になったので、荷物を4回に分けて自転車で運んだのですが、途中で福井県警の警察官が職務質問をしてきました。
非常に細かいことまで訊いてきて、正直、相当にストレスが溜まりました。
警察の職務質問に関するガイドラインはどうなっているのか、わずかに興味を持ちました。
「他人に名前を聞く前に、まず自分の名前を名乗れ」という台詞は創作物などでよくありますが、福井県警の文字が入った警察官の服装をしていれば、顕名は済んでいると考えているのでしょうか。
・・・ぶっちゃけますと、警察官が身分証の提示を求める場合、それは依頼なのか命令なのかという問題以前に、自身の身分証を出してから言って欲しいです。
せめて、胸に名札を付けておくこと位はして欲しいです。そうでないと怖いです。
事務所に戻った後、ストレス解消を目的に、少しお酒を飲んでしまいました。
とりあえず、カンパリをビールで割ったものを飲みました。
それから、ビーフィータージン、カンパリ、ジャックダニエルズを1:1:1で混ぜてからコーラで割りました。
・・・考えてみたら、「少し」どころか、相当キツいものをかなりの量飲んでいました。
夕食は、豚のハツを焼いて酒のつまみにしました。また、味噌汁に鶏肉を入れて飲みました。
そろそろ味噌汁がやばくなっていそうで怖いです。
事務所の裏口から見えるガソリンスタンドが、午後6時に電灯をつけていました。節電は終わりにしたのかもしれません。
レシートの整理をしました。
一月にかかる費用は、あと2万円くらい圧縮したいところです。
昼に買ってきた、レンジで暖めるカイロなどを使ってみました。かなり使えそうです。
9月27時午前1時43分、パトカーが凄いスピードで288号線を通りました。
久々の傍若無人な走行だったので、新鮮に感じました。
明日はもう一本の親知らずを抜かなければなりません。
(転載終わり)
30キロメートルの緊急時避難準備区域の外にある常葉町では、本当にごく普通の暮らしがありました。
コンビニもスーパーもありますし、常葉町ならば普通の暮らしをなんとかしていける都会の人もいるのではないでしょうか。
・・・ということは、都路に居る私は都会の人間では元々なかったということなのかもしれません。
考えてみれば、実家の県庁所在地が「都会」であり、東京駅や渋谷駅、横浜駅は生活で使った駅で、降りると何故かホッとします。
・・・なんか変ですね・・・。
【661】[734]福島本部活動日誌です28
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年9月20日の日誌です。
昨夜から今朝8時まで、Zさんとチャットをしていました。
「マルクス経済学の資本主義の経済恐慌論についてどう思う」
「ぶっちゃけアメリカは今国債のみで食っていけるような気がしなくもないが其れについてどう思う」
と訊かれて、どう答えたらいいのかわからず、スタンしてしまいました。
今朝の福島民報の一面は「放射線医療5施設新設へ-健康管理センター330床など福島医大」でした。
今日は古道体育館でも、自家用車を20キロ圏内に入れての一時帰宅が行われていました。
朝8時、事務所から見える288号線と399号線が交差する箇所に、黒い作業着を着た交通整理をしている係員が二人立っていました。
そこから古道小学校までは、だいたい200メートル間隔で係員が立っていました。
係員が多くて、ちゃんとした写真が撮れませんでした。下の写真は都路行政局の駐車場で交通整理をする係員の2人を写しています。
一時帰宅の自家用車には、ピンク色の布のような旗が車の上につけてありました。
一時帰宅する人は、やはり細菌防護服を着ていました。
公民館前の駐車場で、「報道」というワッペンをつけたカメラマンが、老人を撮影していました。
むしろカメラマンの重そうな防護服が目立っていたので、カメラマン自身を撮影した方が絵になるのではないかと思いました。
検問所のところでは、学校の運動会などで使われる白いテントが二つ立っていました。
そこには机が置かれていて、係員が待機していました。おそらくですが、使われたビニールなどがゴミ袋に捨てられていました。
もっと写真を撮っていたかったのですが、今日は雨が強く、寒かったため、途中で事務所に戻りました。
一時帰宅した人たちには大変厳しい天候になってしまいました。
大型冷蔵庫を止めてみてから、大広間が静かになりました。
午後1時に、町の放送を使って一時立ち入りの人たちへの連絡がありました。
「9時以前に出発した人は、4時間経過していますので、スクリーニングのために都路(この所聞き取れず不明)に行った後、都路体育館に戻って下さい」
という内容でした。
佐藤前知事から頂いたパンフレットを、熱海に郵送しました。
水道代を地元の農協に払いに行きました。5390円でした。
ネットのプロバイダ料金2205円は、28日までにコンビニに払いに行かなければなりません。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月21日の日誌です。
9時から凄い雨になりました。一時的に小康状態になったこともありましたが、基本的には豪雨の一日でした。
撮った写真の画像を整理していました。
7月23日~8月14日の分が残っています。あと約1000枚あります。
インターネットプロバイダのサポートセンターに電話してみたのですが、オプション解約は契約者本人が電話する必要があると言われてしまいました。
午後3時にKさんが様子を見に来ました。
シャワールーム等の大まかな様子を見ていました。
文明堂のカステラを、お出ししました。一人で全部食べることにならなくてよかったです。
Kさんに、かわうちの湯に連れて行ってもらいました。
100円で入るのは悪いような立派な施設でした。
帰りがけに受付の人が言っていたのですが、かわうちの湯もこれから修復作業があるので休業になるそうです。
露天風呂が地震の影響で割れてしまい、全くお湯が溜められない状態だそうです。
川内村の蕎麦屋にも寄ってみたのですが、営業していませんでした。
ここもしばらく営業しないようです。
事務所に戻ってきて、Kさんに不味いご飯をお出ししました。・・・すみません。
ご飯、味噌汁、納豆、油揚げを炙ってネギ載せただけのもの、堅い肉、でした。
9月22日午前6時15分に町の放送で、午前中の磐越東線は運行しない、とありました。
Kさんが、シャワールームからシックハウスの臭いがする、と言っていました。
昨日からドアを開けているのですが、臭いは変わらず有ります。
一度使用しないと臭いは取れないのかもしれません。
Kさんから昆布を頂きましたので、中田先生の持ってきたカップ麺を、これから頑張って消費します。
朝になってみると、台風の被害といっていいものが、二階で発生していました。
網戸が一つ下に落ちていました。また、鍵をかけて閉めておいたはずの窓が開いて、そこから雨が吹き込んでいました。
現在処理の最中です。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月22日の日誌です。
二階が台風の影響で雨が入ってしまいました。
とりあえず除湿機をかけました。
雨が吹き込んだ所に丁度毛布一つと布団二つがあったので、外に干しました。
干してから2時間後に雨が降りだしました。取り込まざるを得ませんでした。
電話・ネット回線代を郵便局で払ってきました。5925円でした。
帰る途中で古道体育館に立ち寄りました。田村市の車が体育館の目の前に置いてありました。
体育館の二階から時折泥水が、一度に5リットルほど落ちてきていました。
台風で体育館に溜まった水を、田村市の職員が排水に来たのだと思います。
体育館は至る所がひび割れていますので、致し方のないことだと思います。
昼食は、出汁を昆布と椎茸でとってから、それをカップ麺に入れて、茹でたもやしを乗せて頂きました。
午後4時に町の放送で
「今日の磐越東線の営業は終日運休となりました」
と放送がありました。
夕食は、カップ麺に前出の出汁を入れてから、炒めた小松菜とネギを乗せて頂きました。
恥ずかしい事ですがそのまま書きます。
午前11時40分に予約していた18禁ゲームが佐川急便から届きました。
昨日、Kさんが大家さんとしたという話では、
「郡山の方がここより便利だからみんななかなか戻ってこない」
ということでしたが、生協とアマゾン等のネット通販があれば別に大きな差は無い、と思ってしまう私は変なのでしょうか。
イヤホンで音が外に漏れないようにした上で、オートプレイにしてパソコンの前に座っていました。
その上で画像の整理をしていたのですが、全然進みませんでした。
午後7時には、もう完全に作業を諦めて、牛乳とコーヒーとノンアルコールビールと日本酒とほうじ茶のチャンポンを飲みながら、18禁ゲームの方に集中しました。
現在、9月23日午前6時50分です。12時間連続プレイは流石に疲れました。
原発から21キロ地点で、私は何をやっているのでしょうか。
今朝の室内は19度です。かなり寒いです。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月23日の日誌です。
朝食は、カップ麺に出汁を注いで肉と小松菜とネギと納豆を乗せて頂きました。
乗せたものの最後がおかしいですが、気にしませんでした。もっとおかしいのは、納豆の賞味期限が10日切れていたことですが、それも気にしませんでした。
カップ麺の食べ過ぎで、体がおかしくなってきました。やっぱり私、これは食べられないです。
私はビールも飲めないですし、舌が子供なのかもしれません。
二階の外れてしまった網戸ですが、落ちた際に壊れてしまったのか、窓枠に嵌らなくなってしまっています。
洗濯をしました。意外とかなりの量になりました。
布団をできるだけ干して、ソファーを日光にあてました。
2時くらいに3分だけの通り雨が降ったので、慌てて取り込んだのですが、その後快晴になって泣きたくなりました。
昼間は
http://www.dailymotion.com/video/xl6jvk_yyyyyyyy-01_news
http://www.dailymotion.com/video/xl6jxn_yyyyyyyy-02_news
の二本の動画を見ていたら、かなり時が過ぎてしまいました。
検問所に行ってみました。「立入禁止」と書かれた看板が手前に出ていました。
古道体育館に行きました。体育館内部は、多数並べられていた椅子が片付けられ、簡単な検査を行うだけの機能に減らされているようでした。
公民館前の駐車場には、バスが一台もありませんでした。
古道小学校に行ってみると、台風の影響か、校庭の隣の崖で土砂崩れが起きていました。木々のいくつかは校庭の中央に移動させられていました。
都路中学校に行ってみました。途中の道が台風の影響で、土が入ってきていました。
中学校の校庭は、ほぼ除染済みのようで、学校の入り口にショベルカーが置かれていました。
校庭の入り口と校庭の奥に除染したと思われる土が盛ってありましたが、以前よりかなり小さくなっていました。
玉葱が腐っていました。処理するのが大変でした。
夕食は、冷蔵庫の残り物をできるだけ処分しました。
豚バラ肉で油をとってから、腐るまえの玉葱1個とキャベツ3分の1を炒めた後に、焼きそば一玉を入れました。
次に、昨日の昆布と椎茸の出汁に、炒めた小松菜とえのきとネギと豚肉を入れて、醤油と味噌を半々で入れて飲めるようにしました。
どちらも美味しいとは言い難いですが、食べるのに問題はありませんでした。
(転載終わり)
以前にも書きましたが、その後は自家用車を使っての一時立ち入りは行われていません。
一時帰宅は物凄く大変そうでした。
特に9月20日は、丁度天候が不順な日で、体に堪えてしまった一時帰宅の係員の人が多かったのではないかと心配でした。
【660】[733]福島本部活動日誌です27
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年9月16日の日誌です。
風呂に入って体を洗いました。
月末にシャワールームが使えるようになるはずなので、風呂入るだけでこんなに疲れる状況ともお別れです。
朝食を食べました。
大量に食べられるのかと思いましたが、胃が受け付けないのか、なめこ汁を一杯飲んだだけで終わりました。
午前10時に古道体育館に行きました。
公民館前には、これまでも一時帰宅に使われていたと思われるバスが10台前後並んでいました。
午前9時にも白い自衛隊車両が288号線を通っており、古道体育館からの一時帰宅が再開されるのかもしれません。
明日から天気が崩れるという予報だったので、洗濯をしました。
昼食は残っているカレーを、なめこ汁で体に流し込みました。
午後2時丁度に、288号線を引っ越し業者の車が通っていきました。
午後4時半、生協の配達が届きました。
衣服の防虫剤や食器、それに無駄に買ってしまったものがあったので、計14000円にもなってしまいました。
Rさんからskypeで連絡を頂きました。
予定があえば、自転車で都路まで来ると言っていました。
私は船引まで自転車で往復するだけで疲労困憊になるので、羨ましいです。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月17日の日誌です。
台所の調味料類を、台所中央の台に移動しました。
前のところでは直射日光が当たってしまっていました。
午前10時50分に、私物の冷蔵庫が届きました。ひとまず一階で使ってみます。
シャワールームを入れる時に動かした荷物を、使っていない冷凍室にしまいました。
朝から午後10時までゆっくりと片付けました。・・・そういえば今日も、麦茶以外口にしていません。
かなり体に悪いので、明日は無理やりにでも何か食べます。
今日も良い天気でした。山の天気はよくわかりません。
布団を干さないでしまったので、なんだか損した気分です。
二階と奥の部屋に掃除機をかけました。
掃除機自体が汚れてしまったので、明日掃除します。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月18日の日誌です。
朝起きて、とにかく残っているなめこ汁とポテトチップスもどきを食べました。
大広間に適当に掃除機をかけました。
その後に、掃除機自体を洗いました。
フェンスをたわしで洗いました。
服が濡れましたが、仕方ないです。
大広間のカーペットを敷いていない所を、モップがけしました。
実は、これまで雑巾を使ってばかりいて、モップを使うのは人生初だったのですが、こんなにいいものだとは思いませんでした。
明日からこそ、天気が下り坂らしいので、改めて洗濯をしました。
その際にはソファーも外に出して、日光にあてました。
適切な行為だったのかはわかりませんが、スリッパ計12組もを日光にあてました。
昨日、今日と、家畜を運搬する車両が、288号線から399号線に右折していきました。
都路農場以外の農業・酪農用トラックが通ると、何気に目立ちます。
6月下旬には帯広ナンバーの家畜運搬車が、5、6回通っていたことを思い出しました。
昼食は、カレーの残りをできるだけ食べるつもりでした。
ですが、カレーはまだ劣化していなかったので、後で食べれば良いと思い、何も食べませんでした。
いつの間にか午後4時を回ってしまっていましたので、食欲もなくなっていました。
午後8時前に、普通のバンが10台ほど、検問所方面に向かっていきました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月19日の日誌です。
試験的に大広間の大型冷蔵庫を止めてみました。
冷蔵庫の裏に水が溜まってしまっていて、その水を外に出すのに労力を使ってしまっているからです。
特に今日は雨が降っているので、なかなか凄い状態でした。
3リットルは外に捨てました。
古道体育館に行きました。
公民館前の駐車場に置いてあるバスは、修理されたものが一時的に置いてあるのだと思います。
バスのフロントガラスにおいてあったハンドアウトは、南相馬か広野のところに納車されたようになっていました。
また、「大熊町20号車」と書かれた紙があったのですが、古道体育館には全部あわせてもバス20台で一時帰宅は行われていなかったので、広野や南相馬ではもっと大規模に一時帰宅がされているのかもしれません。
小学校の体育館では、入り口を広げる工事が行われていました。
バスを建物下の駐車場に入れられるようにして、そこにバスを置くのではないかと思います。
小学校の校庭は、集められた表面の土が撤去されていました。
下の画像は、前者が8月24日、後者が9月19日のものです。
288号線を大型バスが2台帰っていきました。
今日は川内村での一時帰宅が行われる日だと聞きましたので、そこから戻るバスだと思われます。
今日は雨だったので、体感温度が低かったです。
外に温度計を置いてみましたが、18.5度でした。
大広間の一番台所よりの換気扇の近くで、水滴が落ちる音がしています。
ネットショップで16000円の酷いスーツを購入しました。ユニクロで普段着を買うのと、余り値段が変わりません。
裾上げをしようとしたのですが、アイロンがなかったので裾上げ用のシールが接着できず、今日は断念しました。
アルミ鍋の裏を加熱しても、アイロン代わりにはなりませんでした。
現在、Zさんと長時間のチャット中です。徹夜になりそうです。
明日の日誌は更に遅れてしまいそうです。
(転載終わり)
次に、9月20日に古道体育館で行われたのは、自家用車を使った一時帰宅でした。
ただ、とても大変かつ煩雑そうで、それから1週間は動きがありません。
【659】[732]福島本部活動日誌です26
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年9月12日の日誌です。
午前6時40分に、原発に通勤していると思われる車が、検問所に向かっていきました。
ちょっと今日はスピード出し過ぎで走行していましたので、福島県警に見つかったら取り締まりの対象になってしまうのではないか、と余計な心配をしてしまいました。
朝7時に、草刈りを簡単にしました。BOSCHの草刈り機は、ちょっとしたところをやるのには便利です。
凄い勢いでススキが生えていたので、驚いてしまいました。
午前11時に、田村市の役所の人だと名乗る2人が来ました。建物の周りの放射線量を測らせて欲しいと言ってきました。
事務所の周りが、町の放送より少しだけ高い0.5μSv、駐車場にできている水溜りの所は、1cm上から測って3.5μSvでした。
計り終わった後、役所の2人は庭匠さんのほうに測りに行っていました。
昼食は、残っていた麻婆豆腐、ナス、ご飯、ネギ、豚肉を油で炒めて、何も考えずに喉の奥に飲み込みました。
意外と美味しかったです。今となっては、味わって食べればよかったです。
午後1時半、Kさんが、以前事務所に来た事のあるMさんと一緒に来ました。
Mさんから干した椎茸をいただきました。一袋は去年のもの、もう一つは今年の放射能入りと思われるものでした。
もちろん、どちらも有難く頂きました。
F先生から頂いた蒲鉾を、お出ししました。
この辺りの冬の気候は、雪が余り降らない分だけ、会津より寒いそうです。
午後2時半から午後5時まで、KさんとMさんの、川内村の山奥にある不動産群の視察に同行させてもらいました。
まずはキノコ取りの名人とされる人の所に行きました。とても80歳以上とは思えない、若々しい人でした。
それから別荘のようなところに行ったのですが、山奥の深いところでした。ちょっと住むには厳しすぎるところでした。
夕食は昨日の昼食と同じで、パスタにジェノベーゼのソースをかけて食べました。
他にも人参やピーマンを炒めたものにジェノベーゼのソースをのせて食べましたが、美味しくなかったです。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月13日の日誌です。
Mさんから頂いた椎茸で出汁をとりました。
朝食は、その出汁でカップめんを茹でました。妙に美味しかったです。
その後、なんだか出汁を冷蔵庫にしまうのも面倒になったので、炊飯器で炊き込みご飯ぽいものを作ろうと思ってしまいました。
炊飯器に、米、出汁、醤油、酒、ネギ、鶏肉、油揚げを投げ込んでからスイッチを押しました。
炊飯器の火力が足りなかったので、芯が残ってしまいました。
仕方ないので、出汁を足してから、おかゆとして炊きなおしました。
美味しいけれど、塩気の全然足りない炊き込みご飯が完成しました。
午前11時40分に昼食として、味噌を添えて食べました。
今日はamazonから、荷物が一度にたくさん届きました。
Oさんの仰っていた毛布、暖房器具、skype用の600円のマイク、急須、台拭きなどです。
その際に出るダンボールがかなりの量溜まってしまっています。
炊飯器は、2合だけ炊くのならば美味しいのですが、5合以上炊くと火力不足を露呈します。
普段はそんなにたくさんご飯を炊く機会もないのですが、合宿の時のご飯はかなり酷いものでした。
それでもこの炊飯器でしばらく持たせようと思っています。
午後9時40分、岩井沢図書館付近で火災が発生したとの町内放送がありました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月14日の日誌です。
午後3時に、都路農場の卵を運んでいるトレーラーが通る音で、目がばっちり覚めてしまいました。
このトレーラーは、ほぼ毎日午後5時にも通っています。
朝、プラスチックごみを3袋出しました。
午前中は原発へ通勤する車が、11時に通った1台しかありませんでした。。
大広間に適当に掃除機をかけました。
Kさんから9月16日か17日にシャワー室が運び込まれるとのメールを頂いたので、設置場所付近をブラシがけしました。
生ごみ用のゴミ箱を、簡単に水洗いしました。
布団を干しつつ、ソファーと座布団を外に出して、日光にあてました。効果があるのかはわかりません。
シーツ2枚と枕カバー4枚を洗濯しました。
台所をブラシがけしました。
裏口付近をブラシがけしました。
掃除ばかりしていて、今日はご飯を食べるのを忘れました。
また、午後1時半、掃除の途中で歯医者に行ったのですが、そのせいで掃除の効率がとても落ちてしまいました。
歯医者の後に古道体育館に行ってみたのですが、一月前と同じ状態のまま放置されていました。
余計なお世話かもしれませんが、そろそろ体育館の窓を開けて換気した方がいいのではないか、と心配になってしまいました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月15日の日誌です。
午前4時に起きて、食事を大量に作り出しました。
茄子と鶏肉とネギの入ったカレー、小松菜炒め入りのなめこ汁、ポテトチップスもどきでした。
カレーはルーが一個しかなかったので、コーンスープの素で代用しました。
作ったはいいのですが、今日も急な用事が多くて、お茶以外は何も口にしていません。
ハエと同サイズのアブに、足の裏を刺されていました。
どんなに暑くても靴下を穿くことに決めました。
午前6時半に燃えるごみを出しました。
ソファーと二階の布団を干しました。
F先生から、amazonギフトで書籍を頂きました。
有難うございます。鍋敷きにしないで、ちゃんと読ませて頂きます。
午前11時半、Iさんとskypeで通話できました。600円のマイクでしたが、なかなかのものでした。
これで携帯代がかなり浮かせられそうです。
除湿機が届きました。試しに運転してみたのですが、余り取れている感じではないです。
それでもコンパクトなので、これはこれでいいかもしれません。
水道の脇についていたコンセントの意味がわからなかったのですが、恐らくは冬季時の凍結防止用についているのではないか、と思い至りました。
冬は電気代がどうしてもかかってしまいそうです。
午後2時にシャワールームが届きました。
人手が一人足りなかったこと、また、荷物をどかす必要があることから、一度、近所の工務店の最上商会の人は帰りました。
どかした荷物を、建物裏の倉庫に置いてあります。また、大広間や台所にも置かざるをえない状態です。
午後5時、最上商会の人が二人来て、シャワールームを中に運び込みました。
その際、裏口近くの物置の台を、分解して撤去せざるをえませんでした。置くスペースがないので、この台は捨てるしかないかもしれません。
また、台の下がひどく汚れており、急いでブラシをかけて、汚れを外に出しました。
床が濡れた状態でシャッターを降ろすしかなかったので、小さな除湿機が早速役に立ちました。
午後7時半、窓枠に溜まっていた虫の死骸を、掃除機を使って除去しました。
夜のうちにダンボールのゴミと危険ゴミを出しました。
私物として小型の冷蔵庫を購入します。
(転載終わり)
3.5μSv/hという数字は、現在心配している人ならば吃驚してしまう値なのかもしれませんが、一回飯館村の地面を計ってしまうと、「ああ、こんなもんかぁ」と思ってしまいます。
それよりも、悪くなりかけの食物を食べるなどの暴飲暴食の方が、私の体には悪そうです。
【658】[731]福島本部活動日誌です25
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年9月8日の日誌です。
歯の治療の影響で、一日中体力が低下した状態でした。
風邪に近い状態でした。手に力が入りません。
10時に何とか起きたら、遂に4日前のカレーが完全劣化していました。
泣く泣く捨てました。
これまでの3日間食べ続けたのですが、食べ切ることは出来ませんでした。一日1.5食の私には厳しかったです。
特に昨日は、親知らずを抜いたばかりでカレーを大量に食べなければならないという、かなり厳しい状態でした。
体調が良くない中、少しずつしか口に入れられず、飲み込む時も気を払わなければならなかったので、怪しい宗教団体の苦行か何かのようでした。
11時にYさんの奥様が少しだけ様子を見に来ました。
11時に歯医者に行きました。
ずっとカレーを食べていて、少し悪い気になりました。
F先生から電話を頂き、明日お会いすることになりました。
石井魚店で買ってきた、悪くなりかけの野菜に火を通しました。
ついでに夜のうちに、ご飯のセットなど、明日の準備をできるだけしました。
ヤカンに付着した油などの、ちょっと普段はやらない掃除をしました。
生協の注文で、必要のないものを注文してしまいました。
掃除機をかけても全然きれいにならなかったのですが、掃除機の一番大切なふたが閉まっていませんでした。
一寸ショックです。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月9日の日誌です。
急いで掃除機をかけました。なんだか随分と綺麗になりました。
午前10時40分にF先生が来ました。
お茶を出した後に、ご飯、肉、麻婆豆腐、トマトとチーズ、で昼食にしました。
いつもお客さまに用意するのは、この種の食べ物で固定になってきました。
「お酒のツマミになって」「ご飯でも食べられて」「すぐ簡単にできて」「私でも失敗しにくい」食べ物が他にあったら教えて下さい・・・。
検問所を案内しました。そのあと、デジカメの過去の写真をお見せしました。
F先生は午後0時40分に帰りました。
夕食に、F先生が買って置いていったサンドイッチを頂きました。
お腹が空いていても、喉をなかなか通ってくれない、且つ、余り体力が回復していないのであまり食べられない状態だったので、今日の私には最高でした。
お心遣い、本当に痛み入ります・・・。
ただ、帰られた後に30分寝てしまいました。
午後6時、冷蔵庫の下から水がやや流れ出て来ていました。雑巾でバケツに吸い取って外に捨てました。
床に大体2リットル溜まっていました。
壊れかけているのかもしれないので、しばらく様子を見てみます。
蜂が3匹いたので、駆除しました。また、大きいトンボが入ってきていました。
多分建物の後ろの方に、迷い込んでくるそれなりに大きい穴があるのだと思います。
生協のチラシに、簡単な放射線計測器のチラシが入っていました。
読者の声の欄では「計ってみたら思ったより低くて安心した」といった声が載せてありました。
昨日してしまった生協での余計な買い物は、ラムレーズンのアイスとカステラでした。
何故なのか原因を考えてみると、前者はアニメで、後者はゲームで登場したものだからでした。
特に後者は、文明堂のカステラを独りで一気に全部食べきるというシーンで登場したものでした。
カステラの賞味期限は20日となっていました。
もしもお客様にお出しできないとなると、10月初旬には私に、カステラを独りで全部一気に食べるというイベントが発生するかもしれません。
それ以前に、ここには冷凍庫が無いので、ラムレーズンのアイスも一気に全部食べきらなければならないです・・・。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月10日の日誌です。
体力が段々戻ってきました。とはいえ、まだ腕から力が抜けている感じです。
過去に撮影した写真の画像に名前をつけました。
4時間かけて、やっと7月22日まで終わったところです。
かなりの数、写っている人に、メールで送るべき記念写真がありました。
7月24日の分まで終わったら、一旦一区切りをつけて送ろうと思います。
5時間ちゃんとした睡眠が取れました。午後7時から午後11時48分まで寝ました。
ずっと好きだったsharpの空気清浄機兼セラミックファンヒータが、新しいものが発表になっていました。凄く嬉しいです。
大広間は喚気がやり辛いので、一個は私物として買います。
先程届いた福島民報の、震災から半年後の特集号に、山下俊一氏のインタヴューが載っていました。
机の上に別にわけて置いておきます。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月11日の日誌です。
冷蔵庫の下から、それなりに水が出てきています。
今までにバケツ二杯分は出てきました。もう少し様子見してみます。
いい加減に掃除機をかけました。いい加減すぎて、埃を拡散させる結果となってしまいました。
昼食は、パスタにそろそろ悪くなりかけのジェノベーゼのソースをかけて食べました。
ちょっと失敗気味なので、麦茶を沸かして喉の奥に流し込みました。
一月ぶりに英語の簡単な文章をwikipediaで読みました。
全く読めなくなっていて、愕然としました。
9月12日午前3時40分時、9月10日のラグビーw杯で対戦した相手国の監督、BKコーチ、次期監督の名前を思い出して、しみじみと歳をとったことを実感しました。
子供の頃にアイドルだったスポーツ選手が監督やコーチになる、というのは、サッカーファンの方はよく経験されることだと想像しますが、どうしても感傷的になってしまいます。
感傷的になったついでに、月と星が綺麗だったので、外に小さな風呂桶を出して、お風呂に入りました。
『異邦人』を子供の頃に読んだとき、全くわからなかった「太陽が眩しかったから」という台詞の意味を、少しだけわかった気になりました。
・・・残ったのは、夜にガス代と水道代を浪費したという結果だけでした。
(転載終わり)
以前にメールを下さいましたUさま、実はあの後、家庭用冷蔵・冷凍庫を購入しました。時間に余裕があれば、教えて頂いた「野菜の冷凍」に挑戦してみたいと思います。有難うございました。
【657】[730]福島本部活動日誌です24
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年9月4日の日誌です。
今日は晴天のまま豪雨になるなど、勘弁して欲しい天気でした。
パトカーの通る頻度が、かなり減りました。少なくとも、深夜の午前2時にパトカーが通ることは滅多になくなりました。
石井魚店に油揚げが置いてありました。好きな食材ではないのですが、ちょっとしたものを作るのには重宝するので嬉しいです。
かなり品揃えが元に戻ってきました。以前は郡山の豆腐屋が閉じていたので入荷できなかったそうなのですが、営業を再開したようです。
調理場の排水溝を、もう少しだけ掃除しました。
机の上を、もう少しだけ片付けました。ただ、見た目はほとんど変わりません。
8月25日に草刈りをしたところが、すでにかなり草が生えてきてしまっていました。
今日の夕食は、相当に失敗しました。でも今日の分は食べ切りました。
実験的にネギと生姜を一緒にフードプロセッサーで細かくしてみたのですが、すっごく不味いものができました。
これを油揚げの上に乗せると、・・・ちょっと勘弁して下さい、と言いたくなるほど酷い食物ができました。
仕方ないので、残っている肉と一緒に焼いて、上から焼肉のたれをかけて誤魔化そうとしました。
誤魔化せませんでした。不味かったです。
仕方ないので、鍋に水を張って、酷い食物と冷蔵庫内の駄目になりそうな食材で出汁を取りました。
その後に、出来た出汁でカレーを作りました。本当は市販のルーではなくて、スパイスだけで作りたかったのですが、仕方ありません。
Kさんから頂いたスパイス類が良かったからか、偏って美味しいカレーが出来上がりました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月5日の日誌です。
午前8時45分にIさんが来ました。ガイガーカウンターを、一つ貸しました。
ノンアルコールビールと柿の種とペットボトルのお茶を差し上げました。
Iさんは午前9時5分にどこか目的地に出発しました。
次に植えるのは、菜の花なのでしょうか。その時は宜しくお願いします。
・・・その前に、ヒマワリの処分はどうしましょう。
燃えるごみは今日は出しませんでした。ここ3日間、ごみの量が減りました。
あと1週間くらい持ってほしいです。
もう少し大広間を整理しました。
ついでに掃除機もかけたのですが、失敗気味だったので、明日かけなおします。
カレーが大量に残っています。
その余波で、ご飯と、付け合せの焼いた茄子などの野菜なども残ってしまっています。
最近は福島県産の(おそらく他県に出荷できない)野菜を石井魚店で買って食べ過ぎているので、そろそろ控えます。
ただ、スーパーの4割ほどの価格で売っているものなので、控えない方がいいかもしれません。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月6日の日誌です。
午前3時にパトカーが通り過ぎていきました。
午前7時41分、最寄のガソリンスタンドでパトカーが4台、給油をしていました。
午後2時に、Nさんたち3人が来ました。
事務所に上がらなかったので、中を案内するまでいきませんでした。
ペットボトルのお茶と豆を差し上げました。
午後6時10分に大型のバスが通りました。今でも日に2台はバスが通ります。
もう既に、かなり寒いです。日中に33度まで行っているのは嘘のようです。
明日は親知らずを抜きますので、なるべく安静にしていたのですが、逆に体調を崩しました。
大丈夫でしょうか・・・。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年9月7日の日誌です。
朝にプラスチックごみを出すのを忘れました。2袋あったので、失敗しました。
2箇所のトイレを掃除しました。
大広間を『自分に向いているように、少しだけ』配置換えしました。
2回と大広間と奥の部屋に掃除機をかけました。
午後1時半、歯医者に行きました。
午後3時半までかけて、親知らずを抜く治療でした。
治療後に説明を受けたとおり、麻酔が切れた後痛いのと、体がダメージを受けて弱っている感じです。
明日の午前11時に、もう一度行かなければなりません。
明日、F先生が来る予定なので、石井魚店で食料を購入しました。
石井魚店の店長さんと結構話してしまいました。
恐ろしく安い野菜は、福島産だからではなく、市場の流通量が多いときに買っているからだそうです。
親知らずを抜いた反対側の歯が痛くて、寝られません。
布団で3時間くらい無駄に過ごしました。
(転載終わり)
この頃は33度位に日中はなっていたのです・・・・・・。
最近の早朝は、10度を下回ります。
東京は温和で暮らしやすい気候なのだと実感しています。
【656】[729]フフホト通信(中国内蒙古)
中国内蒙古の石井です。
23日から副島先生が内蒙古入りされております。フフホト、バオトウ、オルオスという、内蒙古の重要な街を一緒に見学しています。
今回ご覧になられた情報も、11月に書店に並ぶ本の中に織り込まれるそうです。ご期待下さい。
さて、その副島先生からの緊急提言です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110926-00000005-jct-bus_all
↑上をご覧下さい。
金が大暴落しております。ここで金を買うべし!とのことです。
先生も明日、フフホトにて金を買いに行きます。
私も一緒に買うつもりです。
以上、ご報告まで。
【655】[728]福島県南相馬市の近況
福島県の南相馬市在住の西槙です。
緊急時避難区域となっている、南相馬の近況をお伝えします。
こちらは日差しも和らぎ、大分涼しくなってきました。
現在、市内の話題は、「除染処理の進め方」が中心となっています。
既に、役所や市民により、高圧洗浄機などによる、学校や公園など、公共施設の除染は行われています。
近所の公園の除染の様子。
http://goo.gl/GTBqV(9月11日)
こうなりました。 http://goo.gl/vBFqY(9月24日)
自治体レベルでは、コストのかからない土の上下入れ替え式で除染が進められています。
9月3日には、東大の児玉龍彦博士らによる「放射能と除染に関するシンポジウム」が開催され、私も行ってきました。
http://goo.gl/TizLd
Youtubeに上がっていた動画⇒http://youtu.be/3TvT1j3DuI4
児玉博士は、始めに内部被爆の恐ろしさについて、
「熱い炭に手をかざす(外部被爆)のと、それを口に入れる(内部被爆)の違い」という表現で煽っていました。
放射性セシウム137の人体への影響についても、
「セシウム137が尿中に6ベクレル/Lとなる土壌汚染地区に住み続けると、膀胱がんになる可能性が増す」と説明していました。しかし、南相馬や福島第一原発周辺の汚染度に、それが当てはまるあるのか?への言及がなく、よく分りませんでした。
この日の中心テーマである、土壌の除染方法については、
「市内70平方kmの地表面を削り、ドラム缶のようなタンクに入れ、海岸に巨大な貯蔵施設にを建設し貯蔵する」といった案を説明していました。
この施設は、概算で六ヶ所村にある貯蔵設備の5倍ほどの規模になる見込みだそうで、とてつもないモノになりそうです。聞いていて馬鹿らしくなりました。
どの程度の汚染度まで、民間の居住地の本格的な除染が必要かの線引きは、これからの市民をまじえた学者や役所との話し合いで決まるので、この決定により、除染作業の規模が大きく変わってきます。
その他、除染と並行で、市の復興案も進められています。
大まかなプランは、東京の大手コンサル会社(南相馬では、当初、大和総研と進めてましたが、市長とソリが合わず日本総研に変更となったとか。一線級の社員は、被災規模の大きい、宮城や岩手に配属されているらしい。)が市から依頼を受け、進めているようです。
復興プランの内容は、住居の高台への移動、更地になった海端へのクリーンエネルギー発電所の建設、といった基本骨子、これは隣の相馬市も同じで、それに各市町村毎の地域の特色や市民の要望が付け加えられるといった感じです。
http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/zigyouzireinokenkyu.jsp
また、双葉郡の8町村では、今後、原発交付金がなくなるのを見越し、合併話が進んでいます。
放射能ガレキの中間貯蔵施設の建設場所は、新聞によると、
原発立地地域の大熊町にある産廃処理施設(クリーンセンターふたば。第一原発の南西にある)になるだろうと出ていました。
以下町の様子です。
http://goo.gl/KWDrP
休耕となった田んぼには、雑草が生い茂り、セイタカアワダチソウなどが生い茂っています。
http://goo.gl/T98FT
http://goo.gl/8kFff
http://goo.gl/22iNH
海岸の津波被災地では、瓦礫が素材ごとに洗浄され、分別され、積み上げられています。
更地となった場所には、ススキなどが生い茂っています。
木材はバイオ燃料として再利用すると復興案には書いてありました。
東北電力の火力発電所(1,2号機)の復旧も少しずつですが、進んでいます。
1,2号機が修復された後、太陽光発電所が新設されるらしいです。(ただし、この計画は2010年度からありました。)
http://goo.gl/aHQQG(7月17日)
http://goo.gl/5xHdv(8月27日)
他に、お盆には、除染と休耕地の有効利用を兼ねて植えられたひまわりが咲いていました。
http://goo.gl/GKa20
http://goo.gl/s7AAB
以下の動画は、最近Youtubeにアップされた、相馬市原釜卸売市場の津波被災時のものです。
津波はじわじわとゆっくり迫ってくるようですが、10分間で状況が一気に変わります。
大きな地震の後は、海から遠くの高台に一気に逃げるのが一番です。
http://youtu.be/S0K8xpCzO7s
以上
【654】[727]アイソトープ診断につかう放射性物質は、一回あたり、6億ベクレルである
最近、福島第一原発の事故により放射能や放射性物質が話題になることが多くなりました。下に引用するのも、放射性物質が話題になっていなければ、新聞にのることもなかったニュースです。
<引用開始>
「甲府病院、小児も成人も千メガベクレル投与 技師会調査」
甲府市立甲府病院で子どもが放射性検査薬で過剰被曝(ひばく)した問題で、日本放射線技師会は15日、技師会が指針としている放射性物質(放射性同位元素)の量を大幅に超える千メガベクレルが腎臓の検査で、成人、小児問わず一律で投与されていた、と発表した。
技師会が13日に同病院の副院長や放射線部長らから聞き取った結果として、明らかにした。
今回問題となった腎臓の検査については、同病院のマニュアルには、成人でも技師会の指針とする投与量の2倍の600メガベクレルと記載されている。
asahi.comより
「基準の40倍投与の子どもも 市立甲府病院、過剰投与で」
甲府市立甲府病院が放射性物質テクネチウムの入った検査薬を子どもに過剰投与していた問題で、日本核医学会の推奨基準の約40倍の量を投与された例のあったことが4日、病院などへの取材で分かった。
また、成人の基準は最大185メガベクレルなのに、独断で投与量を決めていた放射線部の男性技師長補佐(54)が作成した病院内の検査マニュアルには、500メガベクレルと記載されていたことも判明。
病院側は1日の記者会見で「15歳以下の145人のうち84人に基準の2倍を超える量を投与し、うち41人が10倍以上だった」と内訳を説明していた。
2011/09/04 23:10 【共同通信】
<引用終了>
治療現場では、どれくらいの放射性物質が自分に与えられたのか、自分は内部被曝しているのではないかと、ものすごく気にする患者がでてきているのだと思います。
さて、上にでてきた「600メガベクレル」、恐ろしいほど大きな値です。メガは百万ですから、その600倍は6億!。
これを見て自分で調べてみました。
アイソトープ診断では様々な手法がありますが、標準的な骨シンチグラフィーと呼ばれる手法で、740メガベクレル、心筋シンチグラフィーで100メガベクレルが診断前に投与されます。
最近、肉や飲料水に放射性物質が含まれていると話題になりますが、そのとき、一般的に許容量とされているのが500ベクレル/kgです。この740メガベクレルはこの500ベクレルのおよそ100万倍!!(6ケタ)です。
放射線治療になるとさらに10倍以上、大きくなるようです。
私も、これほどの高濃度の放射性物質を投与しているとは全然知りませんでしたから、びっくりしました。多分、放射性物質の半減期が短いのでしょうが、それでも診断するのだから1時間程度はあるでしょう。すると、放射性ヨウ素(半減期8日)とくらべても2ケタ程度しか違いがありません。
500ベクレルでさえ危ないとすれば、「放射線(アイソトープ)診断というのは、ほんとうはものすごく危険な診断なのだ、治療なら我慢するが、ただの診断でこんなに内部被曝させられたのではたまらない」という話になります。
ところが、現場でそんな話はありません。下に示したのは町田市民病院のホームページです。
<引用開始>
アイソトープ検査Q&AQ 放射線は心配ないの?体に影響は?
A ごく微量の放射線量のため、直接的な影響は無いと言われています。心配ありません。
Q 検査に苦痛は?
A ほとんどの検査が、注射をして時間をおいてからベッドに寝て撮影をします。寝ている姿勢が大丈夫であれば苦痛はありません。
Q 薬の副作用は?
A ほとんど無いと言われています。過去の調査データでは、10万人に2~3人と非常に少なく、いずれも症状は軽微で、またその中でも使用薬品が直接影響したものではなかった例もあるとのことです。安全性は高いと言って良いでしょう。
Q 前処置や食事の制限などは?
A ほとんどありませんが、検査項目によっては食事を抜いていただいたり、前日に下剤を飲んでいただく検査があります。予約時に検査案内票とともに、詳しくご説明します。
アイソトープ検査に関するお問い合わせ検査に関する質問などがございましたら、遠慮なく放射線科受付までご連絡ください。
町田市民病院 放射線科
<引用終了>
「ごく微量の放射線量のため、直接的な影響は無い、薬の副作用は、ほとんど無く、過去の調査データでは、10万人に2~3人にしか影響がなかった」とはっきり書いてあります。
下の下仲さんの投稿ですが、児玉龍彦氏は東大アイソトープセンターのセンター長だそうです。どういう立場かよくわかりませんが、東大病院の現場の医師の方は困っているのではないでしょうか?アイソトープ検査の患者に、「おまえのところのボスは内部被曝は危ないといっているぞ、私を殺すつもりか!!」といわれたら、返すことばがありません。
下條竜夫拝
【653】[726]児玉龍彦氏に対する私の考え
下仲もとゆきです。
東京大学アイソトープ総合センター長である児玉龍彦(こだまたつひこ)氏に対する私の考えを文章にしました。
*************************
3.11の震災以後、東京大学の児玉龍彦(こだまたつひこ)教授は、京都大学の小出裕章(こいでひろあき)助教と並んで、インターネット上でヒーローになりました。
なぜでしょうか。
共に非現実的で極端なことを言ったからです。
児玉龍彦氏の肩書きは東京大学アイソトープ総合センター長です。その児玉氏による、2011年7月27日に行われた衆議院厚生労働委員会での意見陳述がYouTubeにアップロードされ、インターネット上で8月に話題になりました。
http://www.youtube.com/watch?gl=US&feature=player_embedded&v=eubj2tmb86M
「アイソトープ(isotope)」とは聞き慣れない言葉ですが、「同位体」と訳されていて、「原子核の中性子の数が違うもの」を指す言葉です。その中で「放射線をピーピー出す原子」は「ラジオ・アイソトープ(radio isotope)」と呼ばれています。
自然界にある大半の物質は安定して存在しています。時間がどれだけ経っても、別の元素に変わることはありません。ところが一部の元素には不安定な物質が存在します。それがラジオ・アイソトープです。たとえば水素Hであれば、軽水素、重水素、三重水素の3つの同位体(アイソトープ)があります。このうちラジオ・アイソトープと呼ばれる放射性物質は三重水素です。ウラン238やセシウム137、ヨウ素131などが有名です。ラジオ・アイソトープは放射線を出して、別の元素に変化します。その方が安定するからです。
児玉氏は「人間の身体の中にアイソトープを打ち込むのが私の仕事」と述べています。通常の医薬品であれば、マウスを使ってその効き目を実験します。万が一死んでしまっては困るので、人間を使っての実験は許されていません。しかし、ラジオ・アイソトープは例外的に人間に対して使うことが認められています。微量であれば健康被害がない上、体内に入れたときにどこにいるかがはっきりとわかるからです。ラジオ・アイソトープは多くの医療機関で病気の検査や治療に使われています(アイソトープ | 町田市民病院 : http://www.machida-city-hospital-tokyo.jp/department/radiology/isotope.html )。もちろん研究室でも薬の効き目を調べるために、マウスなどの動物に対してラジオ・アイソトープをガンガン打ち込んでいます。アイソトープ総合センター長である児玉氏は、放射性(=放射線をピーピー出す)物質を扱うプロフェッショナルだと私は理解しました。
7月27日に児玉氏が「私は国に満身の怒りを表明します」と国会議員に対して述べたこの映像は、Twitterやblogなどでものすごいスピードで拡散され、YouTubeで100万回以上再生されました(なぜか今は削除されている)。この意見陳述を文字起こししたものが、幻冬舎新書から『内部被曝の真実』というタイトルで出ました。
http://www.amazon.co.jp/内部被曝の真実-幻冬舎新書-児玉龍彦/dp/4344982290/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1316576887&sr=1-1
児玉氏は、「国が何もしないので、自分たちの判断で南相馬市に行って除染活動をしている。国会は何をしているのだ」と怒りをあらわにしています。科学者が公(おおやけ)の場で、自分の意見を述べるのは珍しいことです。だから児玉氏の16分少々の演説は新鮮味がありました。
児玉氏はただちに除染をしなければ、高い線量の放射線が土壌や植物から出続け、人間の細胞中にあるDNAが傷つけられ、大勢の人がガンになってしまうと言っています。もちろん、大量の放射線をあびればDNAはバラバラになって死んでしまいます。1999年の東海村での臨界事故では、硝酸ウラニルを製造中にウランの核分裂反応が起きてしまい、目の前で被曝した大内久さん(16~20シーベルト被曝)と篠原理人さん(6~10シーベルト被曝)の2名が亡くなりました。共に作業をしていた横川豊さん(1~4.5シーベルト被曝)は一時白血球がゼロになり危ない状態でしたが、その後回復し退院されました。
「被曝した」とされている人の大半はすぐには死亡していません。ですから、どの程度の放射線量をあびるとガンなどの病気になるのかは議論のあるところです。細胞は傷ついても修復する機能を持っています。トータルで同じ線量をあびたとしても、短い時間で放射線をあびるほど再生が追いつかなくなり、細胞が死ぬスピードが上回る可能性が高まります。福島第一原発の作業員が胸ポケットに線量計を入れているように、実際の積算値を測定するのが一番正確な値になります。私が8月に福島に行ったときには、福島第一原発から20キロ地点の検問所の近くには、いつからの積算値かはわかりませんが、「0.27ミリシーベルト」と空気中の線量の積算値を示すガイガーカウンターが設置されていました。これは積算値ですから正確な数値です。
私は被曝しても問題ない放射線量は、100ミリシーベルトまでだと考えています。なぜならば、それが世界標準だからです。どこの国でも、100ミリシーベルトを切る数値を基準にしているところはほとんどありません。
日本政府は東日本大震災による原発事故のあと、20ミリシーベルトという数字を基準にして、福島第一原発周辺の地域に避難勧告を出しました。
なぜ100ミリシーベルトではなく、20ミリシーベルトを基準にしたのでしょうか。世界標準の100ミリシーベルトを基準にすると、原子力安全委員会や原子力安全・保安院の存在意義がないことが明らかになるからです。それを恐れて、20ミリシーベルトを基準にしたのでしょう。 自分たちの立場を守るために、本来逃げなくてもいい人たちを強制移住させました。これは許しがたいことです。
話を児玉龍彦氏に戻します。
児玉氏がただちに除染しろと言っている基準は何ミリシーベルトなのでしょうか。実は児玉氏は、何ミリシーベルトを基準にするかという議論には乗っていません。児玉氏は国会議員の質疑に対して、こう答えています。
《何ミリシーベルトだったら安全ですかっていう議論は、わたくし現実味がないと思う》
《線量議論の問題を言うよりも、元来自然界にないセシウム137というのが膨大にまかれてガンマーカウンターで簡単にわかるような量に散らばっている。しかもそれが広島原爆の20倍の量、撒かれている事態に対して国土を守る立場から是非積極的な対応をお願いしたいというのが基本的なお願いです。》
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65754196.html
このように児玉氏は、基準を議論することには意味がないと述べています。
たしかに、ホットスポットと呼ばれる局所的に線量の高いところの数値をもってして、その土地の線量だとすれば、高い数値の地域ばかりになります。これをやっているのが「週刊現代」などの週刊誌です。特集で各地のホットスポット探しをやり、それを大々的に書いてきました。しかし、たいていのところではホットスポットのような高い線量は出ません。福島第一原発から60キロメートル離れている飯舘村(いいたてむら)で、空気中の放射線の3月の原発事故の最高値は44マイクロシーベルト(毎時)です。8月に私が行ったときには、ガイガーカウンターを地面に置いて測定しても4マイクロシーベルトと、10分の1以下に下がっていました。それでも他の飯舘村に行った人の報告によると、置く場所によっては高い数値が出るようです。
ですから、児玉氏の言うとおり、どの線量を除染や避難の基準にするかということに意味はないという主張はわかります。どの数値をその地域の測定値とするかでもめて、議論の前提にはならないからです(ちなみに、ホットスポットの数値で議論をするのが武田邦彦(たけだくにひこ)氏)。
児玉氏は「しかもそれが広島原爆の20倍の量、撒かれている」と述べていますが、原子力発電所の事故と原子爆弾を比較することはナンセンスです。必ずこの後に、「ヒロシマでは14万人が亡くなった。だからフクシマでも何万人も死ぬんだ」と話が続きますが、そうではありません。過去にこの掲示板で下條氏が指摘しているとおり、計算の仕方が間違っています。広島の原子爆弾では8月6日に14万人、長崎では8月9日に7万人以上が亡くなりました。衝撃波(音速より速い爆風)によって、人間の体が溶けてしまったからです。地面に人間の形が残ってしまうくらいの強い熱と、衝撃波によって大勢の人々が即死しました。しかし、放射線が原因で死亡した人が何万人もいるという話は聞いたことがありません。原子爆弾の恐怖と、放射線の影響が混ざって理解されてしまっているのでしょう。人間は熱や圧力には弱いですが、放射線には弱いとはいえません。児玉氏の言う「広島原爆の20倍の量」とはいかにもミスリード(誤った結論に導く)です。
それでもここまでは、まだ何とかわかる話です。
私が問題だと思ったのは、次の発言です。
《第三番目、国策として土壌汚染を除染する技術を、民間の力を結集して下さい。これは例えば東レとかクリタだとかさまざまな化学メーカー。千代田テクノルとかアトックスというような放射線除去メーカー、それから竹中工務店などさまざまなところは、放射線の除染に対してさまざまなノウハウを持っています。こういうものを結集して、ただちに現地に除染研究センターを作って、実際に何十兆円という国費をかかるのを、今のままだと利権がらみの公共事業になりかねない危惧を私はすごくもっております。》
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65754131.html
《この数値が安全この数値がどうということではなしに、行政の仕組みが一生懸命測定をしてその測定に最新鋭の機械を投じて、除染に最新鋭の技術をもってそのために全力でやってる自治体が、一番戻るのに安心だと思います。》
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65754196.html
《それでですからわたくしが申し上げたいのは、放射線総量の全体量をいかに減らすか。これは要するに数十兆円かかるものであり、世界最新鋭の測定技術と最新鋭の除染技術を直ちに始めないと、国の政策として全くおかしなことになるんです。》
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65754196.html
児玉氏はなんと、放射線の測定と除染のために、国に数十兆のお金を出せと要求しているのです。国家予算並みの規模の額を除染活動のために要求しています。児玉氏のこの主張には呆(あき)れました。国に自分たちの活動の必要性を認めさせられれば、お金がいくらでも取れると思っているのです。
「シーベルトを0にせよ」と言い放った小出裕章氏と同じ、科学者の一番良くないところが出たなと感じました。すなわち、言っていることの現実性のなさです。たしかに、老人(社会保障:年金50兆円、医療30兆円、介護・福祉20兆円)に100兆円、アメリカ(米国債、駐留軍等)に30~50兆円、公務員(国家8兆円、地方22兆円)に30兆円のお金を毎年使っていることを考えれば、数十兆円という額は非現実的とはいえないかもしれません。リーダーシップを発揮するという意味では、全体の額を示すのは必要なことです。しかし、一人の科学者が言うことではないと思います。理科系の予算の配分権を持っている文部科学省の役人に、こうした話をずっとしてきたのでしょう。それが通ってきたから、児玉氏は国会でも堂々と述べることができたのだと思います。
そもそも、気になるところに水をまいて線量を下げる除染をすることに意味があるのかどうかさえわかりません。NHKのドキュメントによると、ボランティアで福島に行き、放射線を少なくするために丸一日かけて雨どいを洗ったりしている人がいるそうです。水を流したり植物を刈り取ったりして、「放射能が半分になった」と喜んでいました。
その人には申し訳ないですが、半分になったからといって、何がどう変わるというのでしょうか。放射線量を半分にしなくても、元々健康被害はないでしょう。作業をしても、刈り取った草は放射性物質を含んでいるので、燃やすに燃やせません。結局、庭の隅に行き場のなくなった何十ものゴミ袋が並ぶことになります。捨てられないゴミ袋が庭に大量に並んでいるのは気分の悪いものです。自己満足でやっていると批判されても仕方がないでしょう。
チェルノブイリの原発事故後のデータでは、大人のガンが増えたというきちんとした証拠はありません。子供についても、甲状腺ガン以外は、増えたというきちんとしたデータはありません。
『チェルノブイリ診療記』(新潮文庫)という本を出している、長野県松本市長の菅谷昭(すげのやあきら)氏という医師がいます。(すげのや昭 公式ホームページ: http://www.sugenoya.com/ )菅谷氏はチェルノブイリの事故後にベラルーシに行って甲状腺ガンの治療を行いました。WHO(世界保健機関)、IAEA(国際原子力機関)、EU(欧州連合)の三者が共同声明を出しており、「チェルノブイリの事故と因果関係がある疾患は、小児性甲状腺ガンのみである」と公式に発表しているそうです。ウクライナやベラルーシでは1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故のあと、現在までの25年間で甲状腺肥大を起こした小児性甲状腺ガン患者が6,000人、そのうち甲状腺ガンでは15人しか亡くなっていません。死亡率0.25%です。
『チェルノブイリ診療記』を読めば、チェルノブイリの事故によって何千人、何万人もの子共たちが亡くなっているわけではないことがわかります。小児性甲状腺ガンだと診断された6,000人には、元々ガンだった人が含まれているかもしれません。特別に放射線をあびなくても、人間はガンになります。それにこの数字は病院に診察に来る人が増えた状況で計られたものです。普段であれば別の原因で死んだことにされる人が、原発事故が原因で死んだことにされている可能性があります。他の国と比べてガンの発生率が高くなったとは言えないのです。
それにもかかわらず、「とにかく測定と除染をせよ」「シーベルトを0にせよ」などという極端な主張をする者がインターネット上で人気が出てしまいます。週刊誌もその後を追って、扇動的な記事を書き散らします。たしかに児玉氏の「洗い落とせば問題は解決する」という主張は非常にわかりやすいです。「南無阿弥陀佛と唱えれば極楽浄土に行ける」という浄土宗の念仏信仰と似た単純明快さを感じます。わかりやすい主張のほうが、熱烈な支持者が生まれやすいです。しかし宗教はともかく児玉氏や小出氏の主張に関しては、チェルノブイリのデータが出ている以上、過去の事実から目をそむけていると言わざるをえません。
児玉龍彦氏は東大のアイソトープセンターで働いており、治療・診断行為として日常的に人間に対して放射性物質を打ち込んでいる人です。普段自分が扱っている放射性物質の量を基準にして、福島第一原発からまき散らされた量を考えているのでしょう。意図的に人体に打ち込んでいる放射性物質の量は、体内のどこにいるのかがわかればいいだけなので、本当に微量のはずです。児玉氏は自分の日々の経験から、今回の原発事故では「多くの地域が高濃度で汚染されてしまった」「ただちに除染しなければならない」と勝手に信じこんでしまったのだと推測します。専門家が自分の専門分野にとらわれてしまい、現実性のない判断をしてしまいました。
私は理科系の人間です。私も児玉龍彦氏と同じように、理科系の人間がおちってしまう間違った判断をしてしまうことがあります。児玉氏を反面教師として、このたび学びを得ました。愚かな判断をしてしまいがちな私に対して、いつも正しい判断を示してくれる副島隆彦先生に感謝しています。
児玉氏が「数十兆円出せ」と言っていることは、小出裕章氏の「シーベルトを0にせよ」というヒステリーに近い非科学的な主張でない分だけはまともです。しかしそんなお金が出るわけがなく、非現実的な主張をしているという意味で大差はないと判断します。
今回、児玉龍彦氏に対する私の考えを書いていて思ったことは、「過剰な潔癖症を他人に強いているオジサン」だということです。それを女性がまともに受け止めてしまって、「放射線で汚染されてしまった私は結婚できないのではないか」「何かのときに、福島県出身だということがわかったら断られるのではないか」と不安になっています。除染を強く主張したことによる反動です。この点は児玉龍彦氏が責められるべきことです。(了)