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Loginはこちら【674】[751]偏見にさらされても正しいことを言い続ける。それは誰かが引き受けなければいけない。
会員の平田裕子です。
長崎大学の広報誌『CHOCHO』(Vol.36 夏季号:2011年7月発行)から、山下俊一先生のインタビュー記事を見つけました。
http://www.nagasaki-u.ac.jp/ja/about/info/publicity/036.html
▼総力特集 東日本大震災で長崎大学が果たした役割
http://www.nagasaki-u.ac.jp/ja/about/info/publicity/file/c036-03.pdf
多くの方に読んでいただきたいと思い、ここに転載いたします。
(転載はじめ)
<偏見にさらされても正しいことを言い続ける。それは誰かが引き受けなければいけない>
震災以降、ずっと福島~東京を行き来しているという山下俊一教授。忙しい合間を縫って、長崎に戻られたところでインタビューできました。いただいた名剌には福島のマークも! もうすっかり福島の人のような……。
「はい、もうこうなったらしょうがない。今も福島は異常事態なのですから。多分、あちらにしばらく住むことになるでしょう。引き受けたものの、掃除とか洗濯とかはどうしようかと。でもうちに帰ったら、家内は単身赴任用に荷造りをすっかり済ませていました(笑)」
――先生は、そもそも最初は自分の出番ではないと思われていたとか。
「そう、我々の出番はもっと後だろうと思っていました。実際原発事故で蒸気を調整する弁を触ると言っていたので環境汚染は間違いなかった。ところが三月十五日に状況は一変しました。原発から六十キロ離れた福島市の雪に放射線測定器がガーガー反応した。これはまずいなと。実際、現地の大学の医療職もパニックになっていたし、国をはじめかなり混乱していました。それで要請を受けて自衛隊のへリで現地入りしたのです。放射線に関しては、ずっと研究してきた長崎や広島が出て行かないと収まらない。状況は刻々と変わっているし、平時のマニュアルは通用しない。長崎大学の意思決定も早かったので助かりました。『私は闘うよ』と言うと、学長が『じやあ全面的に支えよう』と言ってくれました」
――放射線についての知識を理解してもらいたい、と福島県内での講演を重ねています。
「だいたい一回あたり五百人ほどで三十回以上、それでも一万人。微々たるものです。だからメディアが大切だった。特に現地のメディアはラジオも新聞も冷静に私の話を伝えてくれましたから、助かりました。それでもね、こういう状況では火中の栗を拾うようなもの。バッシングも最初から覚悟していたことです」
――え、最初から分かっていた……!?
「無責任に煽(あおる)るだけならば誰でもできる。でも科学的根拠でもってリスクについての正しい知識を伝えるのは誰かがやらなければいけない。ただ、ちょっと反省してるのは、私ばかりがやりすぎた。何しろゆとりがなかったからね。非常事態のときは、『シングルボイス・ワンボイス』といって、ブレないほうがいい。しかしこれも一人の力ではだめ、仲間が必要なのです。だから大学教育に意味がある。正しいことを伝える後継者を育てなければならないと思っています。福島の人たちは、私がぼろくそにバッシングされたりしているのを聞いて、『心が折れそうだ』と言っている。それが可哀想でね。それにしてもとにかく事故が収束しないことには……もう、こればっかりは折るような気持ち」
――講演の質疑応答でも福島の人たちに本当に真摯に向き合っていますね。
「うん、それは患者さんとの対話と一緒です。これだけネガティブファクターがある中で、誰かが前面に出て引き受けないと。まあ本当は国や県がやるべきだけどね。この前も、お母さんたちが不安がってね。市民大清掃の日が来る、ドブさらいとか心配だと。だから私は『男は大丈夫なんだから、男にさせなさい!』。そしたら会場のお母さんたちは大拍手(笑)。しかしこの二か月……自分の人生では一番したくないことをやっていますね。罵倒されたり。本当にすごいよ。たまにこうして長崎に帰ってくるとほっとします。人生にはいろんな岐路があって、ラクな方と険しい方、右か左か選ばなければいけない。険しい方を選ぶのも、人生かな」
――なぜ、そちらを選ぶのでしょう。
「永井隆(ながいたかし)博士(平田注釈:永井博士は、1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、長崎市に落とされた原子爆弾に多くの市民とともに被爆し、白血病と闘いながら被爆者への救護活動を続け、原爆に関する医学的な研究と多くの著作を残した)はずっとそうだったからです。彼も自分が苦労する方を取った。常に死と向き合っていた彼は死に向かって努力をし、苦労する方が天国への貯金になると思っていた。僕もクリスチャン、迫害を受けてきた浦上(うらかみ)の子孫ですよ。だから人生観の中にそれがあるんでしょうね。まあとにかく、居合わせた人がベストをつくす。粘り強く、ギブアップしないで。今回の勝負はそこです」
JR福島駅では、毎日夕方十八時になると、永井博士ゆかりの「長崎の鐘」のメロディが流れるそうです。作曲した古関裕而(こせきゆうじ)氏は福島県の出身なのだとか。二十年前、福島を最初に訪れた山下先生は、そのメロディを聞きながら、運命的な「縁」を感じたそうです。
「福島には、原発の収束が未だ見えず塗炭(とたん)の苦しみにある避難民、そして放射能の土壌汚染、環境汚染の中で生活を余儀なくされている方々が多くおられます。そのうえ風評被害や精神的影響も重くのしかかっている。私はその苦しみを分かち合いたい。長崎の人間はみんな、無念のうちに亡くなられた原爆被害者の『思い』を受け止めて生きてきました。今、放射線に翻弄(ほんろう)されている福島の応援団として先頭に立つのは当然のことだと思いますよ。大丈夫、日本人がすべからく福島の重荷を背負っていけば、ちゃんとやっていけます。要は人の心の問題だから」
山下先生はそう言って、静かにうなずきました。
やましたしゅんいち
1952年長崎生まれ。長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長。1990年より原発事故後のチェルノブイリを100回以上訪れ、国際医療協力に尽くす。2005年~07年、WHO(世界保健機構)ジュネーブ本部で放射線プログラム専門科学官を務める。2011年福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに任命される。
●世界で唯一被爆した大学としての使命
今回、福島で活躍している山下俊一教授や高村昇教授をはじめとする先生方は、国のグローバルCOEプログラムに平成19年度に採択された「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」という重点研究課題に取り組んでいます。なかでも国際放射線保健医療研究は、チェルノブイリやセミパラチンスクをはじめとする汚染地域の研究機関や放射線医療科学の世界トップレベルの拠点など、18拠点と国際的なネットワークを結び、放射線が人体におよぼすリスク(危険性)を明らかにし、制御していくものです。被爆から66年。これまで長年積み上げてきた放射線に関する高度な知識を応用し、放射線健康リスクコミュニケーションの人材育成に力を注いでいます。
(長崎大学広報誌 CHOCHO Vol.36 夏季号:2011年7月発行)
(転載おわり)
私はこの記事を読んで、山下先生がどのような気持ちで福島で活動されているのかがわかりました。とても強い意志を感じ、そして感動しました。「ラクな方ではなく、あえて険しい方を選ぶ」という山下先生に賛同します。私は、人には優しく自分には厳しくありたいと思います。
【673】[750]放射能怖い怖い派への逆襲が始まる
会員番号6619 福島にいる川原浩です。
福島復興祭りのお知らせです。
東日本大震災支援 福島復興祭
10月22日(土)から23日(日)10時から16時
東京都台東区浅草2-3-1 浅草寺境内
「福島県産品を販売します。また、風評被害で困っているので、安全を知っていただくための記事 資料の展示を行っております。」
主催 福島県石川町 猪苗代観光協会 北塩原村
追伸
福島県で放射能安全宣言を出している高校生の団体があります。それは学法石川高校 考古学研究部 の部員達です。
石川町産業祭りの一角で今回の福島第一原発の事故での放射能は、微量で全く人体に影響がない旨の資料を展示していました。戦時中石川町ではウランの掘削が行われていたが、当時、劣悪な環境で掘削作業していた人も今現在も元気であることを例に取り上げ、微量の放射能は全く人体に影響がないと呼び掛けています。当時、中学生は上半身裸に藁草履姿で朝から夕方まで作業を行い、一般の作業員には妊婦もいたそうです。
【672】[749]長田果樹園
会員の泉浩樹です。
福島県石川町の「長田果樹園」よりの報告がありました。
「和なし”豊水”」の収穫出荷が終了致しました。
沢山の みなさまから お問い合わせとご注文を戴きました。
本日を持ちまして 「和なし」の 出荷の終了を ご報告致します。
福島県の状況を ご理解頂いた上での ご注文、改めてふかく感謝を申し上げます。
ほんとうに ありがとうございました。
長田和男
*小松果樹園さんの 「ぶどう」も収穫が終わりを向かえており、次に「柿」の収穫が始まります。
*有我果樹園さんでは 「洋なし」の出荷がはじまります。
*上記、三つの果樹園とも「りんご=フジ」をメインに栽培して居ります。
秋に入りまして 寒暖の差が大きくなり りんごは極めて良好な生育をみせて居る様です。
ひきつづき 福島の味覚をお楽しみ下さい。
「りんご」は11月に入ってから 改めてご案内差し上げます。
******************************
*梨(和なし)・りんご 生産者:長田(おさだ)果樹園 長田和男
Fax: (0247) 26-2799.
Tel : (0247) 26-7571 (収穫時には出れません)
******************************
さくらんぼ・もも・洋なし・りんご 生産者:有我果樹園 有我 和雄、喜代子、和晃
Fax(0248)76-7384
Tel:090-5848-6259
962-0812 福島県須賀川市大字浜尾字猫沼58
******************************
ぶどう・りんご 生産者:小松果樹園 小松秀幸
Fax: (0248) 76-3523
Tel: (0248) 76-3516 / 090-8787-3455
******************************
「味、糖度」の乗った一番良い品質状態での収穫出荷になります。
到着日指定の無い場合は 順次出荷となります。
*FAX記入事項:(送り主/受け取り主)とも・①郵便番号、②住所、③氏名、④自宅電話/携帯電話番号、⑤希望の到着日、時間帯、⑥希望箱数 をご明記下さい。
*尚、FAXの送信前に 各 記入事項を お確かめ願います。 *(間違いがあった場合 2度手間、3度手間となります)
*また、「ご贈答」等でお使いの場合は「送料が加算」の上の一括ご請求となります。
「ご請求先を別に明記」願います。 郵送にて「ご請求書」を送付いたします。
*「学問道場」の紹介で と一筆お書きいただきたく お願い申し上げます。
【671】[748]野口英世へ、母親からの手紙・・・リアルです。
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
福島県の友人から聞いた野口英世博士記念館の話がおもしろかったので、みなさんにもご紹介します。友人からもらったメールを、個人的な話を削ったりタイトルをつけたりしただけです。
********
【野口英世博士記念館】
偉人の生家は、一般的に全く別人の金持ちの家か何かにすり替えるそうですが、こちらは貧乏百姓のそのままの家です。野口博士の偉業が記念館に展示されています。フラスコや顕微鏡で細菌を真剣にみている写真。動物実験でウサギに細菌を注射しているイラストなどがたくさんあります。
野口博士への母親からの有名な手紙もありました。私もよく読んでいなかったので、びっくりしましたが、読み込んだら落語のような話です。
勉強はもういい加減にやめろ。借金取りがうるさいから早く帰ってこい。近所の人は北海道の開拓に行ったので(寂しいのかな)早く帰ってこい。(野口博士から)お金はもらったがばれると、近所の人がゆすりたかりで酒を飲みにくると大変なので黙っている。本当に大変だから早く帰ってこい。祈祷師にもお願いしている。
そんな内容です。これがおもしろかったので、自宅で家族に話したら、父、母、女房から娘らからも烈火のごとく非難囂々(ひなんごうごう)でした。
「野口博士の母は、字もろく書けないのに息子の身を案じてやっとの思いでかいたもの。中身はどうあれ馬鹿にするな」
など罵倒されました。野口博士は大変な偉人です。日本銀行から1000円札相当の人物に選ばれた人です。まさか借金に悩まされる様な事は全くなかったことでしょう。こういうのが山本七平的な空気の圧力なのでしょうか。日常生活では体制派に入ったふりをしないといけません。そのあたりは、ある意味おもしろかったです。
【有栖川宮威仁が造った別荘 「天鏡閣」】
野口記念館の近くにある有栖川宮威仁が造った別荘でもある「天鏡閣」に行きました。もの凄い田舎に、突如として華麗な洋館があるので皆さんびっくりするようです。天鏡閣の中は200円を支払えば見学が出来ます。各部屋は超豪華、その他、ゴルフセットやらビリヤードもあり、これが明治時代に出来たとはとても思えません。とにかく凄いです。
廊下の壁に有栖川家の意向による天皇の系図もありました。これがおかしなものです。明治天皇のすり替えがはっきりわかる証拠品ですね。こういうものが自然にあるので、意外におもしろいスポットかもしれません。
【会津のおそば】
そこから、また、おそば屋さんに行きました。会津でもまずいところは論外ですが、良心的なおそば屋さんのそばは麺に透明感があって、微妙な歯ごたえがあり、大変美味しいと評価されています。そば処と言われるところのそばは、ほとんど透明感がなく、噛むと粉みたいに崩れていくので、個人的は会津のおそば(店によりますが)の美味しさは誇ってよいと個人的には考えています。
【日本で一番古い会津図書館】
公営図書館では日本で一番古い会津図書館。100年以上の歴史があるので、郷土史などが豊富です。会津の鶴ヶ城明け渡しに関する血判状のような大変貴重な資料もある図書館です。
********
なんだかおもしろそうな土地ですねぇ。みなさん、どうぞ会津へ遊びに行って下さい。
【670】[747]紀伊國屋ホールでの『新興大国権力者図鑑』講演会
会員の平田裕子です。
<今日のぼやきNo1249>で紹介されていた『新興大国権力者図鑑』副島隆彦先生(責任編集)、SNSI研究員・中田安彦さん(著)という本が出版されています。
この本の発刊記念講演会が、10月12日(水)に新宿の紀伊國屋ホールで開催されます。副島先生と中田さんの講演が行われるようです。
日 時|2011年10月12日(水)19:00開演(18:30開場)
会 場|新宿・紀伊國屋ホール(紀伊國屋書店新宿本店4階)
電話予約|紀伊國屋ホール 03-3354-0141(受付時間10:00~18:30)
主 催|紀伊國屋書店
協 力|日本文芸社
http://www.kinokuniya.co.jp/label/20110914174246.html
私は、この『新興大国権力者図鑑』(日本文芸社刊)を買いました。
この本には、中東、アジア、南米の最重要人物がわかりやすく解説されています。私は、BRICS(ブリックス、ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ共和国)の国々がどこにあるかは、わかります。しかし、その各国の有力企業や、その経営者たちのことは、ほとんど知りません。
この1冊を見れば(読めば)、新興大国の大枠がつかめます。何より、これらの権力者たちの人相(顔つき)をじっくり見ることができます。人相占いがあるほど、人相には、その人の性格・運命・吉凶が現れます。権力者たちの人相を診て、その人たちの今後を勝手に占って、その後、どうなったかを確かめるのも、この本のおもしろい読み方でしょう。
私は、この講演会にも行ってみようと思います。
皆さんも、いかがですか?
【669】[746]ジョージ・ソロスが提言する!ユーロ危機の解決策
SNSI研究員の根尾知史です。
アメリカ国籍で、ロックフェラー金融資本が支配する
ウォール街に仕えるふりをしながら、その根っこは
欧州ロスチャイル家に育てられた、ジョージ・ソロス
(1930- )が、ヨーロッパの現在の債務危機への対応策
についての提言を、英フィナンシャル・タイムズ紙
(Financial Times)へ寄稿していました。
以下に、私の速攻の日本語訳と一緒に転載します。
ソロスの提言に対して、ゴールドマン・サックス出身の
ギャヴィン・デイヴィス(Gavyn Davies)という
経済評論家が、返答として投稿した文章もあわせて
掲載されています。
ギャヴィン・デイヴィスは、ソロスの提案するユーロ
債務危機の解決案を、ラディカル(急進的)過ぎると
評してます。
ソロスのプラン通り実行すると、ヨーロッパが、
経済政策で完全に統一化され、ユーロ圏諸国が、
アメリカのようにひとつの「国民国家(nation state)」
になってしまう、と、批判しているとも、賛同して
いるともとれる、評論を書いています。
しかし、ロスチャイルドとロックフェラーを二股かけて、
独自の立ち位置で、ヘッジファンド界のドンとして
この40年以上君臨し、世界の経済政策への提言も
続けてきたジョージ・ソロスの発言は、やはり、
今後の欧米の権力者たちの、ギリシャ危機処理の
大きな方向性を言い表しているのでしょう。
ソロスは、この提言の中で、ヨーロッパの主要銀行を
部分的または全面的に国有化して、ヨーロッパ統一の
金融規制機関の管理下に置くべきだと、かなり具体的
な政策提言となっています。
こうして、この「ソロスの解決プラン」に沿って、
独メルケル首相(1954- )や仏サルコジ大統領(1955- )ら、
欧州の権力者たちの、今後の欧州危機への対応策が
進められていくのでしょう。
実際、昨日、倒産が発表された、ベルギーの大手金融
機関、デクシア(Dexia)は、さっそくベルギー政府と
フランス政府に分割管理され、国営化されることが
決まりました。
<参照>
●「デクシア解体、ベルギー部門は国有化-ルクセンブルク部門は売却交渉」
ブルームバーグ 2011年10月10日
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90900001&sid=aGGQ_jaR9ADo
ソロスのシナリオ通りの処理方法です。
こうした意味でも、必読の記事だと思います。
ちなみに、ソロス自身は、1997年のタイバーツ暴落や、
1992年に英ポンド売り崩しを仕掛けたことでも有名な
「ソロス・ファンド(クォンタム・ファンド)」を、今年
いっぱいで身内のファミリー資金以外は、すべて償還して
運用を止めることを決定したと、この7月に発表しています。
(※運用資金総額255億ドル(約2兆円)のうち、
外部の預かり運用資金は約10億ドル(760億円))
ヨーロッパばかりでなく、世界中の金融機関やファンドが、
いまじわじわと、政府や国際機関の強烈な管理・監視下に
置かれて、これから起こる第二の世界恐慌を乗り越える
ための舵取りが行われるのです。
まさに、政府による「統制経済」が、世界規模で進行
しているのです。
そのために、いま欧米の権力者や学者たちが、必死になって
中国で30年以上の「コントロールされた経済成長」という
実績を納めてきた中国の「国家(管理型)資本主義
(state capitalizm、”赤い資本主意義”)」を見習え、
と言って研究を続けています。
この中国型経済政策は、アメリカ型の自由市場主義経済
政策である「ワシントン・コンセンサス」に対して
「北京(ベイジン)コンセンサス)」と呼ばれています。
この「ベイジン(北京)・コンセンサス」が、これからの、
新しい世界経済統治の世界基準になるのです。
その兆候が、このソロスによって書かれた、ユーロ危機
を管理(コントロール)経済政策でして乗り切れ、
という提言にも、はっきりと見い出せるのです。
(転載張り付け始め)
●”How to stop a second Great Depression Permalink” By George Soros
「第二の大恐慌Permalinkをどうやって食い止めるか」(by ジョージ・ソロス)
Financial Times (フィナンシャル・タイムズ) 2011年9月29日
http://blogs.ft.com/the-a-list/2011/09/29/how-to-stop-a-second-great-depression/
Financial markets are driving the world towards another
Great Depression with incalculable political consequences.
The authorities, particularly in Europe, have lost control of
the situation. They need to regain control and they need to do so now.
金融市場は、測定できないほどの政治的な結果を伴いながら、
もうひとつの大恐慌へと世界を牽引している。
権力者たちは、とくにヨーロッパでは、この状況をコントロール
できなくなっている。彼らは、コントロールを取り戻す必要があるし、
それはいますぐ必要だ。
Three bold steps are needed. First, the governments of the eurozone
must agree in principle on a new treaty creating a common treasury
for the eurozone.
三つの大胆なステップが必要である。
一つ目は、ユーロ圏に共通の財政(treasury)を創造するための
新たな条約に、in principleで合意しなければならない。
In the meantime, the major banks must be put under European
Central Bank direction in return for a temporary guarantee and
permanent recapitalisation. The ECB would direct the banks
to maintain their credit lines and outstanding loans,
while closely monitoring risks taken for their own accounts.
いっぽう(二つ目に)、大手銀行は、一定期間の破綻からの保証や、
永続的な資金修正(増強)の見返りとして、欧州中央銀行の
指揮下におかれるべきである。
欧州中央銀行は、銀行への貸出(信用)限度額の維持と
未払いローンの買い取りを続けるする一方で、自分たちの
保有資産口座内のリスクを監視するべきだ。
Third, the ECB would enable countries such as Italy and Spain
to temporarily refinance their debt at a very low cost.
三つ目に、欧州中央銀行はイタリアやスペインのような国々が、
低いコスト(金利)で、債務の借り換えができるように
するのがいい。
These steps would calm the markets and give Europe time to
develop a growth strategy, without which the debt problem
cannot be solved.
これらのステップが、市場を落ち着かせ、ヨーロッパに
成長戦略を開発させる時間をあたえてくれるだろう。
それなしには、債務問題は解決されえない。
This is how it would work. Since a eurozone treaty establishing
a common treasury would take a long time to conclude, in the interim
the member states have to appeal to the ECB to fill the vacuum.
これが、コントロールが機能するということだ。
ユーロ圏の共通財政を設立するための新しい条約は、
結論が出るまでに長い時間を要するだろうから、
その間、ユーロ加盟国は、欧州中央銀行に真空状態を
埋めてくれるよう頼まなければならない。
The European Financial Stabilisation Fund is still being formed
but in its present form the new common treasury is only a source
of funds and how the funds are spent is left to the member states.
欧州金融安定基金(EFSF)は、現在構築されつつある。
しかし、現在の形態では、新たなユーロ圏共通の条約だけが
資金源なのであり、その資金がどのように出資されるかは、
ユーロ加盟国に委ねられている。
It would require a newly created intergovernmental agency to
enable the EFSF to cooperate with Europe’s central bank.
This would have to be authorised by Germany’s Bundestag
and perhaps by the legislatures of other states as well.
欧州金融安定基金(EFSF)がヨーロッパの中央銀行と協働
できるようにするためには、新たに設立される政府間の
調停をする国際機関が必要になる。
これはドイツ連邦議会と、おそらく他のユーロ加盟国の
各国議会からの認証も必要だろう。
The immediate task is to erect the necessary safeguards
against contagion from a possible Greek default.
There are two vulnerable groups - the banks and the government
bonds of countries such as Italy and Spain - that need to
be protected. These two tasks could beaccomplished as follows.
早急に実施されるべきタスクは、高い可能性で起こりうる
ギリシャのデフォルト(債務不履行)によって引き起こされる、
金融不安・危機の伝染への、安全策を設立しておくことだ。
ユーロ圏には脆弱なグループが二つある。一つは銀行で、
もうひとつはイタリアやスペインのような国の国債だ。
これらは、しっかりと保護されなければならない。
これらふたつのタスクは、以下のよ方法で達成されるだろう。
The EFSF would be used primarily to guarantee and recapitalise banks.
The systemically important banks would have to sign an undertaking
with the EFSF that they would abide by the instructions of the ECB
as long as the guarantees were in force.
欧州金融安定基金(EFSF)は、主に銀行の経営を保証して、
資本の修正をするために使う。
(欧州の経済全体にとって)構造的に重要な銀行は、
経営を保証してもらう限りは、欧州中央銀行(ECB)
の指示によって条約を守るという約束を、銀行と
欧州金融安定基金(EFSF)との間で合意する
署名をしなければならない。
Banks that refused to sign would not be guaranteed.
Europe’s central bank would then instruct the banks
to maintain their credit lines and loan portfolios while
closely monitoring the risks they run for their own account.
これに合意するサインを拒んだ銀行は、保証を受けられないのだ。
それから、ヨーロッパの中央銀行は、各銀行に対して、
貸出(信用)限度額の維持とローンの構成をしっかり
監視するよう指示する。
同時に、銀行が自己資金口座で運用するリスクも、
しっかりと間近で監視することにする。
These arrangements would stop the concentrated deleveraging
that is one of the main causes of thecrisis. Completing
the recapitalisation would remove the incentive to deleverage.
The blanket guarantee could then be withdrawn.
これらのアレンジが、債務危機の主な原因のひとつである、
集中的な「ディレバレッジ(deleverage、レバレッジ(借入れ資金)
を解消(返済)してバランスシートの負債を減らすこと)」を
食い止めるだろう。
資本修正が完了すれば、ディレバレッジ(レバレッジ解消)を
しようとする動機は取り除かれ、ユーロ圏いっせいの保障も
ちゃんと出資されるようになる。
To relieve the pressure on the government bonds of countries
such as Italy, the ECB would lower its discount rate.
It would then encourage the countries concerned to finance
themselves entirely by issuing treasury bills and encourage
the banks to buy the bills.
イタリアなどの政府債券に対する不安のプレッシャーを緩める
ためには、欧州中央銀行(ECB)は手形割引率(公定歩合)
を低下させることだ。これで、政府の短期証券を発行し銀行に
購入を勧めて、融資を受けられるかどうか不安な国々を
しっかりと助成することができる。
The banks could rediscount the bills with the ECB but
they would not do so as long as they earned more on
the bills than on the cash. This would allow Italy and
the other countries to refinance themselves for about
1 per cent a year during this emergency period.
銀行も、欧州中央銀行(ECB)に対してさらに政府発行債の割引を
することができるが、現金よりも政府債券でより稼げるのなら、
それをすることはないだろう。
この方法でイタリアなどの国々が、この危機的な時期でも、
一年間でおよそ1%の融資を受けられるようになるだろう。
Yet the countries concerned would be subject to strict
discipline because if they went beyond agreed limits
the facility would be withdrawn. Neither the ECB nor
the EFSF would buy any more bonds in the market,
allowing the market to set risk premiums.
しかしなお、そうした国々は厳しい規律の対象となる。
なぜならもし彼らが同意した上限を越えたら、
融資は引き上げられてしまうからだ。
欧州中央銀行(ECB)も欧州金融安定基金(EFSF)も、
それ以上は国債を買い取ってくれなくなるので、市場は
リスク金利(リスクプレミアム)を上乗せする結果になる。
If and when the premiums returned to more normal levels
the countries concerned would start issuing longer-duration debt.
もしこのリスクプレミアムが通常レベルに戻ったときには、
不安に思われていた国々も、より長期の債券を発行し始めるだろう。
These measures would allow Greece to default without causing
a global meltdown. That does not mean that Greece would be
forced into default. If Greece met its targets, the EFSF could
underwrite a “voluntary” restructuring at, say 50 cents on the euro.
これらの方策で、世界的な金融崩壊を引き起こすことなく
ギリシャをデフォルトさせることになるだろう。
これは、ギリシャを強制的にデフォルトさせるという意味
ではない。もしギリシャが財政再建目標を達成できたなら、
欧州金融安定基金(EFSF)は、1ユーロあたり、たとえば
50セントずつの「自発的な」再建の再構築(借り換え)を
引き受けることもできるのだ。
The EFSF would have enough money left to guarantee and
recapitalise the European banks and it would be left to the
International Monetary Fund to recapitalise the Greek banks.
How Greece fared under those circumstances would be up to the Greeks.
欧州金融安定基金(EFSF)には、ヨーロッパの銀行を
保証し、再増資のに十分な資金がある。それから、ギリシャに
出資するための資金は、国際通貨基金(IMF)にある。
そうした環境のもとで、ギリシャがどうやって乗り切るかは、
ギリシャ次第なのだ。
I believe these steps would bring the acute phase of
the euro crisis to an end by staunching its two main sources
and reassuring the markets that a longer-term solution was in sight.
私は、これらのステップが、二つの主要な原因を抑え込む
ことで、ユーロ危機の深刻な局面を終わりにさせることに
なると信じている。
市場にも、より長期的な解決策が視野にあることを
再認識させるだろう。
The longer-term solution would be more complicated because the
regime imposed by the ECB would leave no room for fiscal stimulus
and the debt problem could not be resolved without growth.
長期的な解決策はより複雑になるだろう。なぜなら欧州中央銀行
(ECB)によって強行されるこの管理体制(レジーム)には、
財政刺激策を行う余地は残されていないからだ。つまり、
経済成長がなければ、債務問題は解決されえないのである。
How to create viable fiscal rules for the euro would be
left to the treaty negotiations. There are many other
proposals under discussion behind closed doors.
ユーロに対する実行可能な財政ルールをどのように作るかは、
条約の交渉に委ねられている。秘密裏には、他にもたくさんの
提案が議論されている。
Most of these proposals seek to leverage the EFSF by
turning it into a bank or an insurance company or
by using a special purpose vehicle. While practically
any proposal is liable to bring temporary relief,
disappointment could push financial markets over the brink.
それらの提案の大部分は、欧州金融安定基金(EFSF)を
銀行か保険会社にするか、あるいは、特別目的金融法人(SPV)
を使って、その機能を倍増させようとしている。
Markets are likely to see through inadequate proposals,
especially if they violate Article 123 of the Lisbon treaty,
which is scrupulously respected by my proposal. That said,
some form of leverage could be useful in recapitalising the banks.
市場は、不適切な提案をとおして事態を見がちだ。
とくに、「リスボン条約」の123条(欧州中央銀行(ECB)や
EU(欧州連合)加盟国の中央銀行が、EU加盟国の財政赤字を
補填するためにその国の国債を直接購入する事を禁止する)に
違反しているときにそうである。
この条項は、私の提案のなかでは綿密に尊重されている。
つまり、銀行を資本修正する際には、いくつかの形式での
レバレッジ(借入れ資金)は役に立つというものだ。
The course of action outlined here does not require leveraging
or increasing the size of the EFSF but it is more radical
because it puts the banks under European control.
That is liable to arouse the opposition of both the banks
and the national authorities. Only public pressure can
make it happen.
私がここで描いた、対応策の実施行程では、欧州金融安定基金
(EFSF)にレバレッジをかけたりその規模を増大させたり、
させることは要求していない。
しかし、銀行をヨーロッパ統一のコントロール下に置く
という提案なので、より急激(過激)な政策なのである。
だから、銀行からも、国家の指導者からも
反対を引き起こすことは免れないものである。
The writer is chairman of Soros Fund Management and founder
of the Open Society Foundations
筆者は、ソロス・ファンド・マネジメントの会長で、
オープン・ソサエティー・ファンデーションの創設者。
Response by Gavyn Davies
ギャヴィン・デイヴィスからの返答
A radical plan that would take Europe all the way to economic union
「ヨーロッパを経済連合へと徹底して導く急激なプラン」
George Soros has certainly recognised the seriousness of
the eurozone crisis, and hassuggested a really radical plan of action.
But it faces enormous obstacles.
ジョージ・ソロスは、ユーロ圏危機の深刻さを確かに、
しっかりと認識しており、本当に急激な行動プランを
提案している。しかし、これは膨大な障害に直面するだろう。
Under these proposals the eurozone would become a genuine nation state,
at least from an economic viewpoint. Fiscal policy would eventually
be set by the zone as a whole. The banks would be forcibly recapitalised,
using common funds from the EFSF.
それらのソロスの提案のもとでは、ユーロ圏は、真の国民国家に
なってしまうだろう。少なくとも、経済的視点から見てそうなる。
財政政策は、次第にユーロ圏全体に対して制定されるようになるだろう。
ヨーロッパ銀行は、欧州金融安定基金(EFSF)の共有資金を用いて、
強制的に再増資が行われるだろう。
These banks would then be required to make loans as directed
by the ECB, which would take on the role of a super regulator
of the entire eurozone banking system.
その後それらの銀行は、欧州中央銀行(ECB)から直接の
借り入れをすることを要求されるだろう。欧州中央銀行(ECB)は、
ユーロ圏の銀行システムを超越的に規制する監督機関としての
役割を引き受けることになる。
Finally, the ECB would provide liquidity to the banks,
enabling them to fund Italian and Spanish budget deficits
by buying those countries’ treasury bills.
最後に欧州中央銀行(ECB)は、銀行に流動資金を供給して、
イタリアやスペインの予算の赤字に対し、その国の債券を
買うことで資金を融資することかのうにするだろう。
It also seems that the commercial banks would be heavily
“encouraged” to finance budget deficits in the weakest economies.
それは、民間の商業銀行がもっとも弱った経済状況で、
歳出超過に融資するよう奨励されるようなものだ。
The eurozone would therefore have a common fiscal policy;
part or wholly-nationalised banks; a single financial regulator;
and a central bank which would indirectly monetise the budget
deficits of several member states.
したがって、ユーロ圏は共通の財政政策を持つことになる。
つまり、部分的、または、完全に国営化された銀行と
統一の金融規制機関、そして、いくつかの加盟国の
歳出超過に間接的に貨幣供給するひとつの中央銀行である。
If Europe were a genuine nation state already it might have
already implemented parts of this plan, somewhat like the US
actually did in the dark hours of 2008.
もしヨーロッパが、すでにひとつの完全な国民国家
であったら、このプランのいくつかの部分は、すでに
実行していたかもしれない。
それは、アメリカが2008年のあの暗黒の時期に
実際に実施したものと似ている。
But the Soros proposal would require Germany and France
to accept the principle of making some very large fiscal
and monetary transfers to the periphery.
しかし、ソロスの提案は、ドイツとフランスが財政政策と、
金融政策の大きなウエイトを外部へと委譲する
という原則を受け入れることが必要になる。
They would also need to accept the monetisation of
budget deficits, and (to say the very least) a dirigiste
approach to commercial bank ownership and regulation.
かれらは、歳出超過への貨幣供給と、控えめにいっても、
民間の商業銀行の所有に対する統制政策のアプローチと
規制を受け入れる必要がある。
If they were ready to do any of this, the crisis would
already have been solved. And even in the eurozone,
surely none of this could be done without reference to
the electorate. After all, it would take the zone’s economic
policy all the way to that of a full political union.
もし彼らがこれらのどれかを実施する準備ができているなら、
ユーロ危機はすでに解決されていただろう。
ユーロ圏であっても、有権者の議論を経ずにこれらのどの政策も
実行されえないだろう。
結局、この提案は、ユーロ圏の経済政策を、完全な政治連合に
することになるのだから。
The writer is a macroeconomist, co-founder of Prisma Capital
Partners and former head of the global economics team at Goldman Sachs
筆者は、マクロ経済評論家、プリズマ・キャピタル・パートナーズの
共同設立者、ゴールドマン・サックスの国際経済チームの元主席。
(転載貼り付け終わり)
根尾知史拝
【668】[745]米アップル創業者で元CEOのスティーブ・ジョブズ氏の死去で見えてきたもの
こんばんは、山口@福岡です
10月05日に死去したアップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏とマイクロ
ソフトの創業者ビル・ゲイツ氏との関係が西和彦氏の発言(ニコニコ動画配
信)により明確なったので、投稿する。
以前、学問道場で、副島先生が、ビル・ゲイツ氏とスティーブ・ジョブズ氏の
ことを書いた投稿文章を読んでいたときに、どこか腑に落ちないような感覚が
頭の片隅に残っていたからである。
ところで、コンピュータエンジニアの中ではジョブスでも、アップの創業時、
基礎となるパソコンの開発の中心人物だったスティーブ・ウォズニアック氏の
ファンが多い、また、スティーブ氏より伝記が米国で書籍になり、日本語に
翻訳もされている。現在、この伝記は、Amazonで見る限りでは出品者から
しか購入できないの絶版の可能性もある。
最後に、日本のインターネット黎明期から、基礎地盤構築をみてきたコンピ
ュータエンジニア兼文筆家の中村正三郎氏のブログからの転載を載せておく、
こちらは、ウォズニアック氏に関する記述があるからである。
(転載開始)
元マイクロソフト副社長の西和彦氏、ジョブズは「人と対等な関係は得意じゃな
かった」
2011.10.07 22:00:24 by ニコニコニュース category : デジタル Tags : ニコ
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21
米アップル創業者で元CEOのスティーブ・ジョブズ氏が2011年10月5日(米
現地時間)に死去したというニュースは、瞬く間に世界中に伝わり、多くのアッ
プルファンが悲しみに暮れた。6日のニコニコ生放送・緊急特番「追悼スティー
ブ・ジョブズ」では、アスキー(ASCII)創始者でマイクロソフト元副社長の西
和彦氏らが登場。ジョブズ氏や彼が生んだアップル製品への思いについて語り
合った。また番組では、西氏と脳科学者の茂木健一郎氏が口論する一幕もあっ
た。
ジョブズ氏と同世代の西氏は、エンジニアとして、またライバル会社の人間
として黎明期のコンピュータ業界を生きた人物だ。西氏によると、マイクロソ
フト時代やアスキーの取材などで、生前のジョブズ氏と何度か会ったことがあ
るという。
喪服を着て番組に出演した西氏は、ジョブズ氏のキャラクターについて「や
っぱりキツい人。それから、人と対等の関係はあまり得意じゃなかった」とし
みじみと話す。
「彼と対等でしゃべれた人が何人いたか。僕も違います。(でも)ビル・ゲイ
ツはそうだったと思う。(ジョブズにとって)ビル・ゲイツは敵だった。絶対
許せない敵だった。ところがスティーブ・ジョブズが(ビル・ゲイツに)頭を
下げて、『金出してくれ』と、150億円。それで(ビル・ゲイツ)が出してう
まくいって、iMacが大ヒットして、株価も高くなって、MacOfficeでしこたま
儲けて。そうすると、『アップルの成功も後ろに俺もいる』とビルは思った。
そこから(2人は)仲良くなったと思う」
また西氏は、「(ジョブズは)自分がアップルを追われる時に、自分の部下
が、部下と思っていたけど部下じゃなかった。裏切った人もいた。それか
らNeXT(アップルから追われた後にジョブズが立ち上げた会社)に行く時に
『付いて来てほしい』と言ったのに、ついて来なかった人がいた。あそこで彼
は人間関係の地獄をいっぺん見ているんじゃないかと思う」とし、さらに
「だからNeXTから、彼は人を非常に大切にするようになったと思う。(ジョ
ブズは)『この人は自分にとって非常に近い人だ』と思ったら、徹底的に人間
関係を大切にする。やっぱりトップは孤独だからね・・・」
と感慨深く話した。
■追悼番組のはずが・・・
一方、西氏は茂木氏と口論する一幕もあった。司会を務めたジャーナリスト
の井上トシユキ氏が、アップル製品をほとんど買っているという茂木氏に話を
振ると、茂木氏は「(マイクロソフトの)MS-DOSもWindowsは大嫌い」とし
た上で、
「アルゴリズムの優劣がコンピューティングじゃなくて、人間の脳からすると
エクスペリエンス(体験)全体がコンピューティングなわけ。例えばiPhoneの
作り込み、これがコンピューティング。それがアップル以外の会社にはあまり
理解されていないんだと思う。だからWindowsは、とにかく、使っている時
間に比例して嫌になっちゃうんですよ」
この発言はおそらく、茂木氏のアップルへの愛によるものからだったが、黙
ってはいられない人物がいた。茂木氏の隣に座っていた西氏が「さっきからい
い加減なことを言うなよ。気分悪いこと言うなあ。自分で作ったことないのに
言うなよ」と激怒したのだ。茂木氏が「僕は自分の考えを言っただけ」と反論
すると、西氏の怒りは収まらず、場の空気に緊張が走った。井上氏のフォロー
やひろゆき氏のコメントで、その場はいったん収まった。
ところが、ジョブズ氏の功績についての話題になると、茂木、西両氏の口論
が再び発生する。「スティーブ・ジョブズのここが凄かった」とコーナーで、
西氏が「(iPodなどで)SONYとPhilipsのCDとCD-Rを殺したこと!」とフリ
ップに書いた。これに対して、茂木氏は「ジョブズの功績が”何かを殺した”とい
う言い方で表現するのは違和感がある」とした上で
「ジョブズがやったことはポジティブなことなんだから」
と反撃。追悼番組のはずが、またもや険悪なムードになりかけた。しかし、ひ
ろゆき氏とジャーナリストのモーリー・ロバートソン氏が絶妙に話を引き取り
なら、この流れを断ち切った。視聴者からは「ナイスフォローだ」などのコメ
ントがあり、次第に場の雰囲気は良くなっていった。番組の最後には、西氏が
「ケンカするんじゃなかった」と話し、一方の茂木氏も「どうもすいませんで
した」と西氏に謝罪していた。
◇関連サイト
・[ニコニコ生放送] 西氏によるジョブズ氏の回想から視聴 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv66352334?po=news&ref=news#50:56
・[ニコニコ生放送] 西氏と茂木氏の口論から視聴 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv66352334?po=news&ref=news#13:53
(山下真史)
(転載終了)
参照先:http://getnews.jp/archives/145122
スティーブ・ウォズニアックwik参照先:
ihttp://ja.wikipedia.org/wiki/スティーブ・ウォズニアック
アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝
スティーブ・ウォズニアック(著),井口 耕二(翻訳)
単行本: 453ページ
出版社: ダイヤモンド社 (2008/11/29)
ISBN-10: 447800479X
ISBN-13: 978-4478004791
発売日: 2008/11/29
商品の説明
内容紹介
スティー・ジョブズとともにアップルを創業した著者。そのプログラマーとし
ての才能はジョブズも崇拝する一方、経営者となることにまったく興味をしめ
さない生粋のエンジニア。名誉も地位もお金も求めず、人を喜ばせることしか
考えていない規格外の男が、いまはじめて創業の秘話を語る。
内容(「BOOK」データベースより)
スティーブ・ジョブズが崇拝した破天荒の天才プログラマー、創業の秘話を初公開。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ウォズニアック,スティーブ
アップルを創設したもう一人のスティーブ。通称ウォズ。パソコンの世界では
伝説的なエンジニアで、アップル1、アップル2をほぼ独力で開発した。発明家
の殿堂、National Inventors Hall of Fame入りを果たしているほか、アメリカ
国家技術賞をはじめとするさまざまな賞を授与されている。温厚な人柄で知られ、
「ウォズの魔法使い」と慕う人も多い。1950年生まれ、米国カリフォルニア州在
住
Amazonより転載
(転載開始)
さよなら&ありがとう、スティーブ・ジョブズ
ASAHIネット(http://asahi-net.jp )のjouwa/salonからホットコーナー(http:
//www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
—
Apple(アップル)のスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)が亡くなりましたね。
毀誉褒貶が激しい人物でしたが、そして、ぼくは何度も書くけど、ジョブズ
は嫌いで、ウォズニアックが好きなのですが、ジョブズが偉大なヴィジョナリ
ーであり経営者であり、彼がいなければAppleもその革新的な製品もなかった
のも、また事実。
同時代を生きた業界のスーパースターが亡くなると、やっぱり、寂しいし、
こたえますね。
御冥福をお祈りします。
九大(九州大学)の荒木先生からもメールが来ていました。
— ここから —
正三郎たちとApple II で遊んだこと、
Lisa の展示会に行ってビットマップディスプレイ上でファイルがゴミ箱に吸
い取られるのを見て思わず歓声を上げたこと
などなど今もはっきり覚えています。
我々に夢と刺激と感激を与えてくれたことに感謝しつつ、
御冥福をお祈りします。
— ここまで —
ぼくの返事。
— ここから —
Lisaは、見に行きましたっけ?
記憶がない。^^;
Xerox Starを西鉄グランドホテルで見たのは、覚えてます。
それと荒木先生が東京にいらっしゃったとき、本郷のイーエスディーラボで、
Macintoshをみたことは覚えてます。黒坂も一緒だった気がする。
そのあと、喫茶店で話したときに、ちょうどロス疑惑のころで、あれは、筒井
康隆の「おれに関する噂」だと盛り上がったことは覚えてます。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-23507320111006
米アップルのジョブズ氏死去:各界からのコメント
http://japan.cnet.com/news/business/35008643/
アップル社員にあてたT・クックCEOのメール–ジョブズ氏死去で
ジョブズが唯一全面協力し、後任したという評伝が世界同時発売になります。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062171260/showshotcorne-22/
スティーブ・ジョブズ I [ハードカバー]
ウォルター・アイザクソン (著), 井口 耕二 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062171279/showshotcorne-22/
スティーブ・ジョブズ II [単行本]
ウォルター・アイザクソン (著), 井口 耕二 (翻訳)
原書は、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1451648537/showshotcorne-22/
Steve Jobs [ハードカバー]
Walter Isaacson (著)
こういうのも出てました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4863913141/showshotcorne-22/
The History of Jobs & Apple 1976~20XX【ジョブズとアップル奇蹟の軌跡】
(100%ムックシリーズ) [ムック]
しかし、ビジネスの世界は、ジョブズの死などお構いなしです。
http://wirelesswire.jp/Watching_World/201110061503.html
サムスン、アップルへの反攻開始へ – 仏、伊で「iPhone 4S」発売停止を求め
る訴え
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920010&sid=
afJp5Irnq2F4
米アップル法務担当役員のシュアル氏、ジョブズ構想の守護神
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-23469420111004
米アップル、豪での特許訴訟でサムスン電子の和解提案退ける
中村(show)
— ここまで —
Xerox Starは、Macintosh(マック)のインスピレーションの元になったマシ
ンです(より正確にいえば、Xerox Starとして製品化される前のマシンのはず)。
管理工学研究所に入社したとき、同期入社の村石君が、Starを見たことがな
いというので、わざわざ赤坂だったかな。富士ゼロックスのショールームがあ
って、そこにStarがあるというので、連れて行った。村石君、驚愕してました。
懐かしい。村石君も元気にしているといいね。
ぼくは、iMac, iPodやiPhoneには、さして感動も思い入れもないけど、
Apple IIとMacintoshは衝撃でした。
Apple IIは、ローマ数字で文字化けするのでIIとしてます。Apple 2でもい
いかな。
ここでも、Apple IIのことを何度か書いてます。
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/07/22/3642451
アレゲすぎるDIY雑誌「Make」
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/02/22/2651283
John Alderman(著), Mark Richards(写真), 鴨澤 眞夫(翻訳)「Core Memory―
ヴィンテージコンピュータの美」
ウォズニアックとApple IIのことは、
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/12/25/4026151
アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝
http://iiyu.asablo.jp/blog/2009/02/27/4141049
アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝その2
http://iiyu.asablo.jp/blog/2009/02/28/4144547
Re: アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝その2
あたり。
ほんと、CPUを切り離せるのはびっくり。自分の脳を切り離して、別の脳を
使えるようにしてるわけ。ほんと、これぞ草の根民主主義、アメリカの底力と
思いました。
この仕掛けを使って、後に、Microsoft(マイクロソフト)が、8bit CPUのZ80
カードを売り出して、CP/Mが、Apple IIで動いたんだもんね。
それとやはり、フロッピーディスクドライブのDisk IIね。
九大で買ったときに、蓋を開けたら、コントローラ基板には回路らしい回路
がない。それこそ、荒木先生が、「何、これ?」とおっしゃったような。
ほとんどソフトでやってるんですよ。ウォズは天才だと思いました。
Macintosh(マック)が売り出されたころのことは、
http://iiyu.asablo.jp/blog/2010/05/26/5113823
はやぶさ迎え酒、はやぶさのCG映画、ついにDVD、BDに\(^O^)/
で、書いてますね。
管理工学研究所のみんなと、東大のそば、本郷にあったイーエスディーラボ
まで行って、感激して帰ってきた。
その後、荒木先生が東京にいらっしゃったときに、案内したんだ、たぶん。
で、当時、管理工学研究所にいた柳谷さん(後にロータス(Lotus)の日本法人
で活躍)が、代理店になるといって、販促グッズやらいっぱい送られて来たの
は、そこに書いた通り。
ビル・ゲイツが写っているパネルは、3人、当時の業界の有名人が写ってい
たと思うんだが、一人は、dBASE IIのアシュトン・テイトだと思う。もう一人
が思い出せない。
ぼくの中で、Apple IIといえば、慶応大学教授で、日本の著名Lispハッカー
だった中西正和(故人)を抜きにして語れません。
http://iiyu.asablo.jp/blog/2007/11/25/2456807
Lispで学ぶ心理学
http://iiyu.asablo.jp/blog/2007/11/26/2459999
中西先生のこと
http://iiyu.asablo.jp/blog/2009/12/27/4780427
計算力学のハンドブック各種
あたりをどうぞ。
あ、上記、
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/12/25/4026151
アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝
にもあるね。
上記、「中西先生のこと」によると、
— ここから —
慶応大学の中西正和先生([4])が、2000年11月4日に逝去されました。
享 年57歳という若さです。
— ここまで —
なので、中西先生が亡くなってから、もう10年以上も経つのね。
いやだなあ。早いわ。この10年、おれ、何をしてきたんだろう。
毎日、楽しく暮らしてました。\(^O^)/
「中西先生のこと」で紹介している
http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/linux-japan/linux33.pdf
Linux Japan 2001年3月号、連載「Bravo! Linux」の第33回
を読むと、平原君(平原正樹さん)と飲んだ話が出てくる。
平原君が亡くなって、もう3年以上経つのか。
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/08/03/3670571
追悼:平原正樹さん
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/08/05/3674188
Re: 追悼:平原正樹さん
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/08/07/3676783
Re: 追悼:平原正樹さん、その2
いやだなあ。時が経つのが早すぎる。おれ、何をしてきたんだろう。
毎日、楽しく暮らしてました。\(^O^)/
それは、
http://iiyu.asablo.jp/blog/2011/10/07/6136769
バーナンキ、FRB議長の歌
を、みるだけでわかるわ。
関連:
http://iiyu.asablo.jp/blog/2011/10/01/6120652
スティーブ・ジョブズのイノベーションの嘘。クーリエ・ジャポン更新せず。
http://iiyu.asablo.jp/blog/2011/03/19/5749034
マイクロソフト元社長の成毛が相変わらず軽いので、ツイッターで話題になって
いました。
(転載終了)
参照先:http://iiyu.asablo.jp/blog/2011/10/07/6136772
【667】[740]福島本部活動日誌です31
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年10月1日の日誌です。
午前10時に会員のMさんが来ました。
お茶をお出しした後、二階を案内しました。
徒歩で検問所を案内しました。
それからMさんの運転で、体育館、小学校、中学校、ひまわり畑、を案内しました。
事務所に戻ってきて、昼食をお出ししました。
ご飯、肉、ほうれん草を炒めただけのもの、油揚げを炙ってネギを載せただけのもの、トマトとチーズにドレッシングをかけただけのもの、麻婆豆腐、でした。
それから暫くMさんと話していました。楽しい時間を有難うございました。
Mさんは午後1時40分に帰りました。
水道代は2ヶ月で4670円でした。
会員のYさんがきました。
お茶だけお出ししました。
お茶菓子類は糖尿病なので出さないで欲しい、と言われました。30分くらい話をしてYさんは帰りました。
帰るときに、ペットボトルのお茶を差し上げました。
私個人はペットボトルのお茶は好きではないのですが、車で来る人が多いので、帰りに差し上げるものとしては一番手軽で喜ばれそうです。
午後4時に、雑草を少しだけ刈りました。
秋の草なので刈らなくてもいいかもしれませんが、やはり気になります。
夕食は、昼食時に余ったものを食べました。ご飯、ほうれん草、麻婆豆腐、肉でした。
やっぱり余りものが一番美味しいです。
お客さまの接待で、全く掃除等に気を回せない一日でした。
布団干しや洗濯をしたかったです。
意外と忙しい一日でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年10月2日の日誌です。
S先生へのメールの返信中に、下にある深夜発のJRバスならば、余り待ち時間無く東京駅や横浜駅から郡山駅に行けるのだと発見しました。
http://www.jrbustohoku.co.jp/express/detail/?PID=6&RID=27
さらに朝7時の古道車庫へのバスに乗れるので、思ったより便利です。
決して体にいいとは言えない交通手段ですが、私には重宝しそうです。
深夜に2階に上がったのですが、とても寒かったです。夜になると、東京の11月下旬のように寒いです。
電気コードに引っ掛かったので、コードの配線を少しだけ工夫しました。
ところが、外見はさらに整理できていない様に見えてしまっています。
2階にあった電気ケトルは、1階で使うことにしました。
来客時に出来るだけ早くお湯を沸かす必要がある場合には便利でした。
実は、保温ポットはいざという時に冷めていることが多かったです。
一番最初のお客さまで、6月26日にいわきから車でいらしたNさんに、ぬるいお茶をお出ししてしまったことを、今でも思い出してしまいます。
午後0時半、会員のTさんが来ました。国道399号線からいらしたそうです。
玄米や味噌などの食料品を頂きました。
ご飯、豚汁(但し味付けは醤油)、油揚げを炙ってネギを載せただけのもの、トマトとチーズにドレッシングをかけたもの、を昼食としてお出ししました。
Tさんが、持ってきて下さった糠漬けを切って下さいました。非常に美味しかったです。
昼食後にTさんを、事務所1階、事務所2階、検問所、体育館、小学校、中学校、向日葵畑、行政局、の順に案内しました。
Tさんは午後3時に帰りました。楽しい時間を有難うございました。
検問所では立ち入り禁止の立て札の側に
「この先道路損壊の為通行できません川内より小野富岡線をご利用下さい」
という看板が立っていました。
体育館では、マスコミ関係者へのインフォメーションボードに
「〇田村市 車両:110台(公用車3台含) 世帯数:112世帯 人数:260名 (※二世帯はマイカーあいのり)」
「〇葛尾村 車両:40台(公用車2台含) 世帯数:40世帯 人数:91名」
と書いてありました。
9月20日の一時帰宅の際に更新されたものだと思います。
都路でも2箇所だけ、稲が実っているところがありました。
自家消費用に作った人がいるのかもしれません。
石井魚店では茄子が、1週間前の3倍以上の価格で置いてありました。
5本で378円はちょっと勘弁して欲しいです。
諦めて豆腐だけ買いました。
夕食は、Tさんから頂いたパン2個を頂きました。
レシートの整理をしました。
今更ですが、一階奥の部屋にカーテンを取り付けました。
配電盤があって音がするので、布団を奥の部屋から移して以来、取り付けるのを忘れていました。
防寒という意味でも、ましな格好をするという意味でも、先日買った酷いスーツを普段から着ていようかと思っています。
ユニクロで服を買うのと比べても、余り値段が変わらないです。
小さな除湿機を使って、大広間の色々な所にかけています。
本当に適切な行為なのかはわかりませんが、25wの電力使用量なので、まあいいかなとも思っています。
今日も寝る前に、あまり表に出すのは良くない欲望を処理するDVDを使用します。
こういった欲望や劣情といった感情は、残念ながら萌えることでは消えてくれないのが大変残念です。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年10月3日の日誌です。
今日は実験的に窓を閉め切ってみました。
トイレ脇の小さな窓以外は閉めて、換気をせずに一日過ごしてみました。
シャープの空気清浄機兼暖房機のお陰か、一日ならば大きな問題は起きていません。
午後8時に、写真の整理を終わらせました。昨日から続けてきた作業で、長かったです。
但し、朝9時から午後3時まで寝落ちしてしまい、大反省中です。
この後、その中から大事と思われる画像を選びました。午後11時丁度に終わりました。
ただ、選んだはずだったのに400枚以上、2.5GBあります。せめて200枚くらいに減らした方がいいのかもしれません。
夕食は、冷たいご飯に昨日の豚汁もどきを掛けて食べました。
やっぱり豚汁は何を入れても食べられるので、とても良い食べ物です。
今日は長芋を炒めて加えたのですが、後で豆腐や玉葱でも加えながら少しずつ食べようかと思っています。
日誌を書くためパソコンをずっとつけていなければならないのですが、そのためか最近パソコンの起動が不安定になってきたようです。
撮った写真を取り込む際に時間がかかってしまっているので、そろそろ新しいパソコンを購入しなければならないかもしれません。
本当は変なサイトを見ているから、あるいは排熱が不十分なので、おかしくなったのだと思います。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年10月4日の日誌です。
電気代55000円を郵便局で振り込みました。
また、ガスが切れたので、ガソリンスタンドに電話してボンベを交換してもらいました。7930円でした。
暖房器具と除湿機の空気取り入れ口を、小さな掃除機で掃除しました。結構ごみが溜まっていました。
大広間、二階、奥の部屋に掃除機をかけました。
終わった後に掃除機自体を洗いました。
3つある洗面器を掃除しました。ただ、本当に効果があるのかはわかりません。
掃除の仕方がよくわからないので、布で拭いただけなのですが、クレンザーで削ってしまってもいいのでしょうか。(注:後で、Kさんから正しいやり方を教えて頂きました。)
台拭きをしました。机の上に置いてあるものが多いので、余り上手く拭けていません。
2階も拭ける所は拭いたのですが、余り2階には上がっていないので、埃が1階より溜まっていました。
夕食は、ご飯、豚汁に大量の長芋を加えたもの、豚肉をレンジで加熱しただけのもの、糠漬け、もずく、でした。
豚汁と豚肉で、豚がダブってしまいました。その中で、糠漬けが爽やかな味わいでした。
別に「孤独のグルメ」というギャグ漫画の第一話を再現しようとした訳ではないのですが、気付いてみたら近いことをしてしまいました。
午後11時半、迷ったドライバーが表玄関から道を尋ねに来ました。
相馬への道を訊かれたので、
「戻って国道399号線を行くしかないけど、この時間だと山道なので大変です」
と答えました。
なんとか明日は草刈りをしたいです。
(転載終わり)
・・・今日、パソコンの誤作動がほんとにありまして、一瞬Cドライブが綺麗さっぱり初期化されたかの様になってしまいました。
本当に、新しいパソコン、買ったほうがいいんだと思います。
でも、何処で買ったらいいのでしょうか・・・。
【666】[739]福島の原発事故の発電所内に残り続けた職員たちの重要な証言がです。
副島隆彦です。 今日は、2011年10月4日です。
私は、中国の調査旅行に行っていまして、先日帰りました。
最新かつ最先端の中国 を目撃してきました。
中国は、さらに 恐ろしいまでの発展を遂げていました。たった一年で、驚くほどの成長です。 日本車も ドイツ車(フォルクスワーゲン)ももう 性能で追い抜かれました。 中国の国産車が 排ガス規制のヨーロッパ第4基準を超えたことを知り、これで汚(きたな)い空気の上海も北京も解決します。あとは水の問題です。
コンピュータ(ふたつのスマートフォンの製造会社)も、高速鉄道も、太陽光発電(ソーラーパネル)も、中国が世界一になりつつある。
中国の 激しい不動産投資バブル、異様なまでの投資も、おそらく世界恐慌突入でも、大した打撃は受けない。現地を見て回って私にはよく分かりました。株価はすでに計画的に十分に落としている。
ヨーロッパのEU 財政危機(ソブリン・リスク)はアメリカにも大きな打撃を与えずにはおかない。いよいよ ヨーロッパとアメリカが追い詰められる。 日本が生き延びる道を、私は懸命に考えて、急いで4冊の本を同時並行で書き始めています。
金(きん)の価格の9月23日からの 暴落は、私が書いて予想してきたとおりです。 時期を見て、今こそ金を買うべきです。 一グラム4000円割れというのは、待ちに待った価格です。
さて、以下は、福島の原発事故(3月12日、14、15日に爆発があってその後、収まった)についての 現場に残って復旧作業を続けた、日立と東芝の原発所長たちの、きわめて貴重で重要な証言です。
いやあ、これはすごい。 以下の文は、3月12日の原発爆発から 7ヶ月目にしての 原発現場にいた責任者たちの本当の生(なま)の証言です。
誰か、以下の 日立と 東芝の 原発所長たちの 顔写真を 再生貼付けしてくれませんか。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
●「 顔なでた爆風、必死に逃げた フクシマ50作業員語る 」
2011年10月4日03時00分 朝日新聞
朝礼であいさつする日立GEニュークリア・エナジーの河合秀郎所長。最後は「ご安全に!」で締めくくった=9月、福島県広野町、日吉健吾撮影
インタビューに応じる日立GEニュークリア・エナジーの河合秀郎所長=福島県広野町、日吉健吾撮影
インタビューに応じる日立プラントテクノロジーの冨岡郁三工事長=福島県広野町、日吉健吾撮影
爆発時の避難ルート
東京電力福島第一原発の事故当初から原発にとどまり、原子炉メーカーとして継続して復旧作業の中心を担ってきた日立製作所グループの現場責任者2人が朝日新聞の取材に応じ、作業の現状や、爆発に遭遇した時の様子を語った。放射線量が高い原子炉建屋内での作業は被曝(ひばく)対策が最大の課題になっているという。
証言したのは日立GEニュークリア・エナジーの河合秀郎所長(57)と、日立プラントテクノロジーの冨岡郁三工事長(51)。復旧作業にあたる現場責任者の証言は異例だ。
河合所長らによると、作業は現在、水素爆発を起こした1号機の原子炉建屋から放射性物質を含むガスを抜き取る装置の設置準備に入っている。
日立グループは第一原発の作業での放射線量の基準を年間累積で30ミリシーベルトと定め、国の同50ミリシーベルトより厳しくしている。基準を超えた作業員は仕事を続けられない。高線量の建屋内で作業をした班にはしばらく低線量の屋外で作業をさせるなど、やり繰りしている。
原子炉建屋内には、毎時1シーベルト(1千ミリシーベルト)を超える場所もある。対策なしでは急性放射線障害を発症するとされる水準。こうした場所は原発内の「ホットスポット」と呼ばれ、線量を厳密に調査した上で作業に入っており、約5分しかいられない所もある。銅などでつくった「遮蔽(しゃへい)体」を置くなど工夫しているという。
日立グループは原発から二十数キロの福島県広野町の旅館に拠点を置く。旅館の敷地には、下請け企業のプレハブの詰め所が並ぶ。毎朝、600人ほどの作業員がラジオ体操をし、朝礼で注意点などを確認。「ご安全に」と声をかけあい、バスで原発に向かう。
河合所長は「メーカーとして、我々も精いっぱいやる責任がある」と話す。
爆発が相次ぐ中、原発にとどまって復旧にあたった東電などの作業員は、海外メディアから「フクシマ50(フィフティー)」と称賛された。
■爆発の瞬間、その時現場は
東京電力福島第一原発の復旧作業にあたる日立製作所グループの現場責任者2人は、3月に爆発が相次いだ当時も現場にいた。命の危険をも感じたという。
地震と津波が襲った3月11日、第一原発には東電社員や関係企業の社員ら約6400人がいた。うち日立グループ全体で約1800人。4号機の定期検査のため普段より多く動員され、約1300人は原子炉建屋などの現場にいたという。
激しい揺れに、日立GEニュークリア・エナジーの河合秀郎所長(57)はほぼすべての作業員に避難を命じた。しかし構内は車が大渋滞。夕方、構内にいた河合所長に東電から電話が入った。「重大な状況になっている。協力してほしい」
作業員30人ほどが残っていた。やらなければならないのは1、2号機の電源復旧だ。電源車とタービン建屋の電源盤をケーブルで結ぶ。電源を取り戻すためには欠かせない。作業は12日午前まで続き、その時点で10人ほどが帰宅した。
12日午後3時半すぎ、1号機の原子炉建屋で水素爆発が起きた。河合所長らはバッテリーを取りに約20キロ離れた東電の作業拠点「Jヴィレッジ」にいた。爆発音がはっきり聞こえた。
原発に戻ると、ようやくつないだケーブルがぼろぼろになっていた。部下の一人一人に意思を確認すると、多くが帰宅を選んだ。
14日、日立グループの作業員はわずか4人になった。河合所長と日立プラントテクノロジーの冨岡郁三工事長(51)らは2号機の電源復旧に取り組んだ。
激しい爆発音と振動。直後、コンクリートのがれきが次々に落下してくる音が聞こえた。午前11時1分、3号機の爆発の瞬間だ。
つい30分ほど前まで、3号機のすぐわきの道で作業していた。一段落し、50メートルほど離れた2号機のタービン建屋内でケーブルをひく作業に移ったところだった。ケーブルを通すための貫通部から爆風が吹き込み、すぐそばにいた冨岡工事長の顔をなでた。
建屋が崩れる音がやむのを待って外に出た。乗ってきていた車の屋根全体にがれきが降り積もり、ぐしゃっとつぶれていた。辺りに東電社員ら十数人がいた。風は海へ向かっている。東電の放射線管理員が線量を測ると山側を指し、「こっちに逃げましょう」と叫んだ。
「ああ終わりだ」。河合所長はそう思いながら、防護服に全面マスクをつけ、冨岡工事長らと一緒に、がれきが積もった坂道を走った。辺りに放射性物質を含む煙が立ち込めている。思うように呼吸できず、すぐに走れなくなった。負傷した自衛隊員が足を引きずって逃げている。20~30分かけて1キロほど走り、免震重要棟の中に飛び込んだ。
14、15両日に起きた3回の爆発のあと、原発から作業員らが一斉に退避。東電などの約70人になった。河合所長らも会社の指示で、15日にいったん茨城県日立市の工場に引き揚げた。
しかし、すぐまた原発に戻るように言われた。東電本店で菅直人首相(当時)が「撤退はあり得ない」と叫んでいたころだ。
「誰を現場に出すか」。日立グループ内で激論があったという。労働組合の了解を得ている時間はない。集められたのは、非組合員の課長級以上の社員ら約30人。普段は原発の現場で作業することのない技術者や、下請け会社の高齢の社長の顔もあった。翌16日、再び原発に向かった。
「もし死者が出ていたらと思うと……。仕事を続けた自分の判断は正しかったのか」。河合所長は今も時折考える。
原発内の事情を知る責任ある立場の人はこれまでほとんど証言してこなかった。朝日新聞は9月、河合所長らを取材し、その後も関係の取材を続けてきた。東電は政府の事故調査・検証委員会で調査対象になっていることなどを理由に、第一原発の吉田昌郎所長らへの取材要請に応じていない。
(小島寛明、大月規義)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝