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吉見 おさむ 投稿日:2011/10/24 21:29

【681】[760]福島本部活動日誌です33

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年10月9日の日誌です。
ちょっと今日は冗長気味です。

10時からの放射線に関する説明会は、事務所裏の鍵が閉められず、30分遅れて聞くことになってしまいました。
来ていたのは50人弱といったところでした。
質疑応答で覚えているものを箇条書きで簡単にまとめますと、
「政治家に科学者が一丸となって提言すればいいのでは?→菅総理に意見をまとめたものを出したけれど、政治家は読んでくれなかった。住民が声を出せば効果があるかもしれない。」
「今は放射性物質は出ているのか?→一番出たのは水素爆発の時。その後冷却水が100度以上で蒸気が出ていたけど、それはかなり少ない。今は100度以下になったので、さらに少なくなってほとんど無いと言っていいほど少ない」
「自分の家は引き水を飲用水にしているが、地下水を飲用水にしている訳ではないので心配だ→市役所で測って、大丈夫だと言われたなら、それを信じるしかない。市役所も疑うとなると、きりがないし、私は市役所は皆さんを騙さないと思う。自分で500万円の機械を買うのはなかなか難しい。それから心配すると免疫力が落ちるというのは、大事なこと。なぜなら放射線で問題になるのはガンと遺伝子のはずなのに、心労で関係の無いはずの高血圧や糖尿病の問題が出てきてしまう。」
「原発のシステムはいつまで続くのか?→ウランだけなら80年でなくなる。プルトニウムを抽出して再利用するともっと長期間できる。しかし、再処理は六ヶ所ももんじゅも動いてないし、続けるかどうかは今国が検討中。ただ、再生エネルギーは風力発電にも問題あるし、太陽光発電も・・・畑のところに作るんだったら、野菜作った方がいい。再生エネルギーで日本経済を支えていくのは心配。暫くは原子力発電もやっていくのではないか。ただ、もっと原子力の割合を増やすということにはならないだろう。」
「母乳が心配→大雑把に言えば、お母さんが食べてるのが摂取制限以下なら、母乳に凝縮することはないと思う。」
「田の上に30センチくらい盛り土をすればコメ作れるか?→セシウムの無い綺麗な土を持ってくれば可能。ただ、田は長年かけて栽培に適した土にしてるので、数年できないことを覚悟しなければならない。それに、落ち葉を堆肥にしてしまうとセシウムが入ってしまう。」
「放射能を中和する薬とかはないのか?→難しい。ゼオライトで吸着するのは可能だが、その後でそのゼオライトを廃棄物として処理しなければならない。」
「除染時に水をかけて飛び散るのが心配→泥が入らなければ大丈夫。セシウムは土につく。水では流れ出さない。」
「セシウムが水で流れ出すのが心配→実験の結果では、土についたセシウムは水では流れ出てこない。ただ、耕せば土の下に行く。」
「稲を植えたいがどう除去したら良いか?→作付けの制限については、icrpの基準を受けた国の基準を聞いてからでないとなんとも言えない。15センチの土の中の濃度の基準が出て、基準以下なら作付けできる。」
「間近になってからその基準を発表されても困る。早く知りたい→農水省もデータを取ってるので、来年はもっと早く基準が発表されるんじゃないかと思う。」
「子や孫を都路に一回連れてきて大丈夫か?→大丈夫。一週間いてもどうということは無い。示したデータは、50年いてどうなるか、というデータ。」
「マスクに効果があるか?→測って数値が高いところなら、するのは効果があるかもしれない。もともとが汚れていないところなら、吸い込んだとしても大した影響は無い」
です。
なお、私自身が素人ですし、かつ、会話での流れを誤解して聞いてしまい、主旨を逸脱してやや誇張気味に書いてしまっているものがあるかもしれません。

大体質問が出尽くしたところで、午後0時30分に終わりました。
「他に質問がある人は、この後滝根などで同様の説明会があるので、そこで訊いてほしい」と役場の職員が最後に言って終わりました。
この後に、1時間後にはすぐ別の所で講演会をしなければならないそうです。終わってすぐに講演した柴田氏は、車で次の会場へ移動していました。
聞いてみての感想としては、安全と断言して言ってしまいたいけれど、科学者として絶対ということは言えないので、安全だというデータを示すしかないのが難しいところかな・・・、と思いました。

事務所に午後1時に戻ってすぐ、会員のTさんと奥さまが来ました。お茶とチョコレートをお出ししました。
お土産をかなりの量、頂いてしまいました。
検問所、体育館、小学校、中学校、事務所内、の順に案内しました。
公民館前のプレハブでは、サージカルマスクの入ったダンボールがなくなっていました。
小学校に居る時に、地元のお婆さんが声をかけてきて、しばらく話しました。
小学校裏の崖は、地震によって既に大きく崩れていたそうです。
それが今度の台風で、崩れてきていた木や土砂がさらに校庭に入り込んだそうです。
事務所に戻ってから、お二人と結構長い時間お話させて頂きました。本当に楽しかったです。有難うございました。
Tさんは午後4時40分に帰りました。

(Tさんは関西の出身で、ご夫妻で3時間くらいお話を聞かせて頂きました。
阪神大震災後にセブンイレブンが一気に関西に進出したそうで、関西の人間としてはあの時にもしも他地域であったら本当に嬉しかった支援は、関西が地元であるローソンやダイエーで買い物をしてくれること、だと仰っていました。)
奥様は、福井県のご出身で、原発を誘致した地方自治体は、財政的にやはり潤っていて、原発の安全性を主張する展示館があるそうです。
関西は関東よりもずっと原発への依存度が高く、[注:http://eurofactory.dtiblog.com/blog-entry-733.htmlhttp://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-22025120110704]明日はわが身か・・・と仰っていました。

夕食は、玉葱2個を炒めて入れた焼そば、ブロッコリーを茹でただけのもの、なすと長芋入りの味噌汁、でした。
Tさんのお昼ごはん用に作っておいたものでしたが、既に食べてこられたと仰っていたので、私の夕食になりました。

明日も船引公民館で2時から柴田氏の講演があるので、行けたら行ってみようかと思います。
ただ、内容はかなり重複するかもしれません。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年10月10日の日誌です。

燃えるごみは昨日のうちに出していました。

朝食は、昨日の焼そば、昨日の味噌汁もどき、でした。
朝食は滅多に食べないので、今日は体の調子が変でした。

午前10時のバスで船引に行きました。ケーズデンキの前のバス停(中の内)までで、1040円かかりました。
行く途中の民家は、以前より自動車が置いてある家が増えていました。
まずは冷やかし目的のみで、ケーズデンキに行きました。先日購入したシャープの空気清浄機兼暖房機が売り切れになっていました。
ダイユーエイトで、半額の見切り食料品を1300円分も買い込みました。幸せです。
まったく、半額見切り品は最高です。半額のシールが輝いています。
この後かなりの距離を公民館まで歩かなければならなかったにもかかわらず、買いすぎました。

午後2時に船引公民館で行われた、昨日に都路行政局であったものと同様の、放射線に関する講演会に行きました。
前列に座ってICレコーダで内容を録音してあります。
前日の都路での方が、具体的で突っ込んだ質問が多かったです。おそらくですが、都路は稲を植えられなかったからです。
街の雰囲気もそうですが、船引や常葉はほとんど普通の状態に戻っています。

講演会終了後に携帯にあった着信に返信すると、事務所の近くまで行ったので立ち寄った会員の方でした。
(名前を失念しました。・・・多分、Hさんだったはずです。)既に帰って常磐道に乗ったと仰っていました。お会いできず残念でした。
さらに、玄関にG社の名刺が二枚あったことを教えてもらいました。
今日は休日なので来客は予想していたのですが、船引公民館に行かなければならなかったので、・・・止むを得なかったです。
電話が終わった時、目の前を警視庁の変わった車が通っていきました。工作用の小型クレーン車でしょうか。

船引体育館には、ポリタンクとケルヒャーの器具が置いてありました。除染の時に高圧の水をかけるのに使ったのだと思います。

船引小学校の校庭では除染された土が、都路中学校と同様に杭で隔離されて置いてありました。
表面に樹脂を吹き付けてあるので、飛散はしないそうです。

午後4時半に講演会が終わった後、船引の酒店とリオン・ドールで、リキュール類を購入しました。
リオン・ドール前の駐車場は車で一杯でした。地元の大型ショッピングモールより一杯人がいるようです。

マリブ、スカイウォッカ、ルジェブルーベリー、カルーア、を購入しました。
午後6時25分の古道行き最終バスで帰りました。

午後7時半に帰ってきたら、やはりG社の名刺が2枚置いてありました。

疲れていたので、午後8時には寝てしまいました。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年10月11日の日誌です。

毎度のことですが朝6時~8時には、バンが検問所方面に突っ走っていきます。

草刈りをしました。草刈り機は、補助で取り付けたローラーが意外と役に立っているようです。
掃除機をかけました。
洗濯をしました。やっぱり洗濯竿が倒れてしまい、
布団を干しました。同時にソファーも干しました。

明日はシャワーの工事のはずです。すぐに、使って様子を見てみるという名目で、入りまくります。

今日も風が強かったです。
丘の上で風を遮るものもないので、周りよりも風が強いようです。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年10月12日の日誌です。

朝になったら、プラスチックごみを捨てました。

今日はシャワーの工事のはずだったので、何もしないで待ち構えていたのですが、来ませんでした・・・。
天気が明日以降崩れるらしいので、掃除などをしておきたかったです。

午後3時にMさんが来ました。Mさんは4回目の事務所訪問です。
おなかの調子がおかしいので何も出さないでほしい、と言われました。
一時間ほどお話して、Mさんは帰りました。
先生と一度会って話してみたい、と言っていました。

Mさんが、大広間の暖房効率の悪さについて話していました。
私個人のPC付近は大丈夫だとは思うのですが、部屋全体となると厳しいかとは思います。

夕食は、パンにブロッコリーと肉とチーズを挟んで食べました。味付けは焼肉のたれでした。
後はお茶を飲んで誤魔化しました。

(転載終わり)

Tさま、大変楽しいお時間を頂きまして、有難う御座いました。奥様にも宜しくお伝えください。
Hさま、留守にしておりまして申し訳御座いません。携帯へのメールでご連絡も次の日に頂いていたのですが、メカオンチでして返信の仕方がわかりませんでした。重ねて申し訳御座いません。
Mさま、いただいていた椎茸は大変美味しく頂きました。

吉見 おさむ 投稿日:2011/10/24 21:07

【680】[759]福島本部活動日誌です32

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年10月5日の日誌です。

午前11時に草を刈ろうと思っていたのに、外に用具を持ち出し始めたら、雨が降ってきました。
今日は何もできませんでした・・・。明日も雨模様のようで、もどかしいです。
そのせいか、食事に無駄に凝ってしまいました。

髪を丸坊主にしました。自分でやると、どうしても1時間半ほどかかってしまいます。

夕食は、豚汁もどきの残りに豆腐と醤油を加えてから、やや煮詰めて水分を飛ばした後、茹でた蕎麦を投入しました。
これだけでは物足りなかったので、もう少し蕎麦を茹でた後に、山芋の摩り下ろし、オクラを湯掻いたもの、醤油、を入れて混ぜてから食べました。
同時に飲んだお茶が、宵越しのお茶を超えて、一日前のお茶でした。なんだか体に悪そうでしたが、面倒臭かったので飲みました。

台拭きをしていないわけではないのですが、置いてあるものがある所は全然拭けていません。
意識的に動かして拭かなければならなそうです。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年10月6日の日誌です。

燃えるごみを出すのを忘れました。生ごみがかなりあったので、少しやばい状態です。

午後2時から午後5時まで、草刈りをしました。時間をかけた割には、余り刈れませんでした。
途中で電気草刈り機が動かなくなってしまいました。
もう一つのリチウムイオン充電池式草刈り機を使ってみたところ、斜面になっている所はこちらの方が効率的に刈れました。
この充電池式草刈り機は大きな雑草は刈れませんので、これでマメに草刈りをするのが良いと思います。

使ってみての感想ですが、電気草刈り機は、振動が大きい分だけ小枝も時間をかければ切れますが、草には余り効率がよくありません。
充電式草刈り機は、安全で草は粉々になりますが、太くて組織のしっかりした雑草を切ろうとすると、プラスチックの刃が簡単に壊れます。

夕食は、ご飯、悪くなった豚汁、長芋のおろしとオクラと納豆とネギを混ぜたもの、でした。

正面玄関の入り口から入って右側のところに、水が溜まってしまっていました。
大した量ではないのですが、長期間溜まっていたようで、外用の椅子の下の部分が錆びてしまっていました。
雨が降ったときにガラス窓の下から入ってきているのかもしれません。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年10月7日の日誌です。

適当に草刈りをしました。充電池が30分しか動かないので、あまりはかどりません。

布団とソファーを干しました。

洗濯をしました。洗濯後の物干し竿は、どこに置くか迷っています。
平らな地面が少ないので、倒れてしまうことが多いです。

壊れた草刈り機について電話したところ、着払いで送ってもらえれば修理可能と言われました。
電動の草刈り機自体、あまり耐久性のあるものではないと言われてしまいました。かと言って、灯油の草刈り機はメンテナンスが大変そうです。
かなり細長いので、送るための適切な箱が無く、このまま粗大ごみになってしまいかねないです。

夕食は、出汁を昆布と椎茸で取ってから、カップ麺に注いで食べました。小エビ、広島のNさんから頂いた高菜、ネギ、も載せました。
カップ麺の賞味期限は一年近く過ぎていましたが、大丈夫だと思いたいです。
ついでに長芋のおろし、オクラ、納豆を混ぜて食べました。やっぱりカップ麺とは、味も栄養も比較してはいけないです。

なぜか不調気味なので、明日は暴飲暴食をします。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年10月8日の日誌です。

かりんとう、レンジで加熱した豚肉200グラム、ヨーグルト450グラム、チョコレート、お茶1リットル、煮干し、を暴飲暴食しました。

20~30キロの緊急時避難準備区域が解除されてから、パトカーの通る数が明確に減りました。

スカイプでIさんから、Nさんと副島先生の写真は立川の事務所に送ったことを教えてもらいました。
あわせて34枚の、6月4日の写真を見せてもらいました。

2箇所のトイレを掃除しました。
Oさんのチョイスだと思うのですが、トイレ用洗剤のトイレマジックリンが大変役に立っています。
有難うございます。

トイレ掃除はどうしても足などが汚れますので、終わった後風呂に入りました。
また、Kさんが用意した青色のサンダルを履いて掃除しています。

午後7時に町の放送がありました。
明日午前10時から都路行政局で、柴田徳思氏の(おそらく放射線は問題ないという内容の)講演会が行われます。
ICレコーダを持っていきます。
下のサイトに柴田氏が出てきます。
http://sankei.jp.msn.com/science/news/110701/scn11070122360003-n1.htm
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/671.html

夕食は、カップ麺に出汁を注いでからブロッコリーを茹でたものと長いもを焼いたものとナスを炒めたものを乗せて頂きました。
同時に明日のお客様様の下ごしらえをしました。

今日は早く寝ますので、日誌を早めに送信します。

(転載終わり)

柴田氏の講演は録音してありますので、雑音はかなり入ってしまっていますが、興味のある方は聞いてみてください。
・・・ただ、今ならお風呂に入る方が楽しいだろうし体にいいだろうなぁ・・・とは思いますが。

川端優美子 投稿日:2011/10/23 16:32

【679】[758]ダライ・ラマ14世来日! 11月6日に福島県郡山市で講演

群馬のゆみこ(川端優美子)です。

ダライ・ラマ14世が来日します。大阪と高野山に10月30日~11月3日、仙台と石巻に11月5日、6日、そして福島県郡山市に11月6日、おいでになります。学問道場のスピリチュアル系会員にとって、見逃せない講演です。副島先生の聖地・福島に、チベット仏教の法王が来るんですよ!まだチケットがあるか知りませんが、この機会に福島に行ってみませんか。チケットがなくても大丈夫。あなたがスピリチュアル系なら、近くまで行けば派動で受信できるはず(それなら自宅でもできるかも)。

ダライ・ラマ法王 来日のご案内:http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/2011japan/index.html

その頃、わたしはスピリチュアル系アメリカ人の友人が遊びに来るので、福島には行けないのですが、そのこが大阪の公演に行くので、話しを聞かせてもらいます。彼女は、ご両親がインドのアシュラムで出会って結婚した、という筋金入りのスピリチュアルです。妹さんも一緒に来日しますが、妹さんは日本が大好きで、日本で働きたいと相談がありました。「災害救助でもなんでもする」とか言うので、わたしのほうが、放射能とかいいの?と心配になります。やっぱりスピリチュアル系はすごいです。彼女にはALT(Assistant Language Teacher, 小中学校にいるガイジンの先生)の斡旋業者を紹介しておきました。喜んで申し込んでいました。

きのうは群馬交響楽団(略して群響、ぐんきょう)のコンサートに行ったら、白人さんの指揮者(ガエタノ・デスピノーサ)とチェロのソリスト(ルイジ・ピオノヴァ)が出ていました。今時期、日本に来てくれるなんて、嬉しいです。チェロのルイジ・ピオノヴァさんは、自分の故郷でも二年前に大きな地震があったので、日本のことは他人事ではない、と日本語でスピーチをしてくれて、被災者のためにと言って、アンコールで「赤とんぼ」を演奏してくれました。ものすごくきれいでした。 おわり

石井裕之 投稿日:2011/10/23 02:58

【678】[757]フフホト通信(中国内蒙古自治区より)

中国は内蒙古の石井です。
ヨーロッパでは、ギリシャの破綻がいよいよ現実味を帯びてまいりました。これが呼び水となって、世界がまたもや金融恐慌へと突入してしまうのか、片時も気の抜けない状況になってきております。
中国でも最近では不動産バブルの崩壊が市民の間で語られるようになってきました。温州や福建の不動産ディベロッパーの倒産が発生してきている、というのです。
私は個人的には、後2年くらいは中国の不動産バブルの崩壊まで猶予があるのではないか、と勝手に思い込み、先日も100平米程度のマンションを買い増ししたところですが、現実にはXデーが早まりそうな気配です。
そこでこの不動産バブルの崩壊が、中国経済全体に与える影響を図ってみようと思います。
去年の1月18日付けのチャイナネットによると、2009年の中国全国の平均不動産販売価格は4600元/平米だそうです。
日本の経済産業省のHPから、2009年の中国の新築不動産販売量を8.5億平米と拾うことが出来ます。
上記二つの条件から、不動産業の2009年実績は約4兆元であると求められます。
2009年の中国のGDP総額が34兆元ですから、不動産部門が占める割合は、実に12%に上ります。
仮に、不動産バブルが弾けて、マンションの単価が1/2や1/3に落ちてしまった場合、大多数の不動産業者が倒産してしまうことは、日本の過去の歴史からも明らかです。
ただ、日本の場合と大きく違う点は、土地は国家の財産である、という点でしょう。これは見方を変えると、中国政府が「1単位の土地」にレバレッジを掛けて100倍にも、1000倍にも付加価値を創造していたようにも取れるのです。
中国では、住宅を購入する場合に、2つ目以降は住宅ローンが使えません。投機目的で購入するには、勢い現金で買うしかないのです。
毎日額に汗しながら懸命に働いているサラリーマンには、決して2つ目、3つ目のマンションなど買えっこないのです。
では、誰がマンション転がしをやっているかというと、地方政府の役人やそれに群がる輩どもです。そして、商売で成功した人たちが、他に投資先がないから、という理由で不動産購入に走っています。
仮に経済の活性化の条件を、お金の循環という観点から観てみると、今の中国のように、高いところに溜まり掛けているカネを、不動産バブルの崩壊という手段を用いることにより、一気に再分配することが出来るというものです。
しかも、日本のときもそうでしたが、不動産バブルが崩壊したからと言って、実は一般庶民の生活には何の不具合も生じないでしょう。逆に、マンション価格が下がることにより、今まで購入出来なかった層の人たちも、マンション購入予備軍に入れることが出来るようになるのです。
1990年に躓いた日本経済と違い、中国は非常に旺盛な内需を持っています。不動産バブルが弾けて、中国全体のGDPの値は一時的に伸び悩みを見せることもあるかもしれませんが、上記のような理由により、中国経済全体にはほとんど悪影響を及ぼさないと思われるのです。

6886 K.Yaginuma 投稿日:2011/10/22 21:14

【677】[756]真実はどこにある? あの山の向こうにある?

http://www.ustream.tv/recorded/17862990
こういうのもありました。

今まで色々見たり聞いたり調べたりしてきたことが、
と言うか、自分がこれは正しそうだとか、本当っぽいと思ってきたことの裏づけにもなる動画です。

コワイコワイ・キケンキケンの風潮を喜んでいるのは、たぶん医療の業界でしょうな。
もっとも、そうは言っても、一般の末端の洗脳されてる医師には、そんな自覚は無いでしょうがね。

まぁ彼らもある意味犠牲者です。 と、思います。

コワイを煽りたい医療関係の一番の利権は、
べらぼうな価格の抗癌剤でしょうか!?

そんな風に思えてならないわたしです。

K.Yaginuma 投稿日:2011/10/21 10:11

【676】[755]武田信者のみなさんへ

本当に「武田なんたら」という男は信用できないです。
もう笑っちゃうくらい、震災前と後で言説がコロコロ変わってるようです。

貼り付け始め—-

■平成21年5月 http://news.livedoor.com/article/detail/5493439/?p=2

放射線の害を一言で言えば,「放射線で障害を受けることは,少ない。
なかなか障害を受けることはできない」と言える。

そして,その理由を一言で言えば,「太陽が原子炉だから.宇宙は原子力ばかりだから」というのが正しいだろう。

さらに,注意することといえば,「普通の生活をする事」と言うことに尽きる。

日本の原子炉はまだ自身で倒壊する可能性があるのでやや危ないが,
そのほかで放射線の被害を受けることはまずない。

どうしてこんなに放射線が安全かというと,もともとは危険なので,
防御機構が発達するからであり,なぜ防御機構が発達しているかというと太陽が原子炉で,
そこから有害な放射線が降ってきた時代に,生物は頑丈な防御を作ったからである。

原始的な生物の一つ,大腸菌ですら放射線に対して5段階の防御を持っていて、容易にはやられない。
まして高等動物中の高等動物である人間は,ものすごく精密な防御システムを持っている.

だから,容易なことでは放射線で障害を受けない.むしろ,あまりに複雑なので,長く使わないとリストラされる。むしろ,免疫と同じだから,少しは放射線を浴びておいた方が「異物を取り除く体の中の自衛隊」を育てておくことができる。

放射線と人体の関係を研究している人の多くが「放射線を少し浴びた方が発癌性が低い」と考えている。

でも,決して口に出さない。口に出すと袋だたきにあうからだが,民主主義だから専門家はおそれずに「本当の事」を言うべきだ。

■平成23年3月13日 http://news.livedoor.com/article/detail/5493439/?p=2

原子力発電所から漏れている放射性は協会でだいたい1ミリシーベルトから0.1ミリぐらいとされています。

放射線としてはわずかな量なので、このくらいの変化が生じても別段、問題はありません。

記者会見では変化が問題になっていますが、それは放射線と健康の関係を知らないからです。

人間が放射線によって障害を受ける最低の放射線は200ミリシーベルト付近ですから。

現在の200倍ぐらいに相当しますので、人間に直接的に影響が及ぶということはありません。

さらに放射線で死ぬということを考えますと、1シーベルとぐらいですから、その点ではまだ1000倍程度の余裕があります。

ちなみに、4シーベルトぐらいになると半分ぐらいの人が放射線で死にます。

現在の状態では、原子力発電所の横に1時間ぐらいいても大丈夫でしょう。

■平成19年4月 http://news.livedoor.com/article/detail/5493439/?p=2

その後、ヒトでは13万人の15~50年にわたるダイオキシン高濃度曝露群(一般人の10倍から10,000倍)の追跡調査が行なわれ、
急性毒性、慢性毒性、発ガン性、生殖毒性、神経発達毒性について詳細なデータが出てきた。

2002年時点で、これらのデータを全体を見渡すと、モルモットの急性毒性では青酸塩の6万倍の毒性を示すが、
ヒトでは高濃度長期間曝露者で塩素座そう以外の急性毒性は認められていない。

また発ガン性に関するヒト疫学では100~1000倍の曝露20年以上で一日煙草1本程度(リスク1.4倍)が見られる。

一日煙草一本という毒性は「毒性がない」と表現しても間違いではないほどの弱い毒性である。

それと社会が認識した毒性の間にこれほどの大きな差があるのは何故だろう。

第一に、データが不確かなのにそれを確定的なもののように解説する学者やマスコミ、
第二にデータをよく確かめずに意見を述べる技術者や医師、
そして第三にダイオキシンの毒性について確かめずに装置や分析にはお金になると判断する技術者や企業、の存在である。

そこに関係している技術者一人一人には言い訳が用意されているが、
全体としては「ダイオキシンは猛毒で、高いお金を払っても排出を阻止しなければならない」という魔女狩り状態になったのである。

貼り付け終わり—–

とまぁこんな感じです。

除染なんてもういいから、そんなお金があるんなら、もっと別に、有効に使って欲しいね。
納税者として本当にそう思う。くだらなさ過ぎです。

除染なんかしたって、どうせ高濃度になって、どっかに集められ保管されるだけで、
そうなったら、それこそ、そこには近づけなくなる。

カーボンニュートラルと一緒で、どうせ総量は変わらないんだから、低線量被曝で健康体でいいじゃない?

と、自分は思ってんだけどなぁ~

福島県郡山市在住より。

副島隆彦 投稿日:2011/10/19 10:47

【675】[754]私の本たちのこと。小沢裁判のこと。それから、高田純氏の本から「福島では誰一人として甲状腺がん にはならないと予測できる」 を載せる。

 副島隆彦です。 今日は、2011年10月18日です。

 私は、9月末に 中国の内モンゴル(内蒙古)に調査旅行に行って、いろいろと収穫がありました。帰国して、講演会などの用事をこなして、それから、4冊の本に取り掛かりました。 

 数日まえに、ようやく 私たちの立派な指導者である小沢一郎への政治弾圧である 陸山会事件の裁判のことを書きあげました。これは、すぐに、今日のぼやきの 会員ページに載せます。お待ちください。

 私が書いていた4冊のうちの一冊は、もうすぐ刊行されます。 私と弟子たちの 第6論文集 である 「放射能のタブー」(KKベストセラーズ刊)です。 来週にも発売になるでしょう。
 
 この本は、8月に、福島第一原発から20キロの検問所の近くの都路町(みやこじまち) にある 学問道場の復興活動本部で合宿をやって、皆が発表したものをまとめたものです。私を含めて16人が執筆しました。今日のぼやきの広報でもすぐに宣伝するでしょう。乞うご期待。

あとの一冊の恒例の「副島隆彦の金融・経済本」 ( 祥伝社 刊) もようやく峠を越して、書き終わりそうです。これは何とか11月の中旬には刊行したい。 
それから、私の「中国研究本の 4 」を出します。それから、「阿弥陀如来(あみだにょらい)・観音菩薩(かんのんぼさつ)・弥勒菩薩(みろくぼさつ)とは何者か。

 この女たちは、一体どこから来たのか。仏陀(ブッダ。ゴータマ・シッダルダー。お釈迦さま)とは、別人だろう。この女たちの出自を調べる」 という 内容の「副島隆彦の歴史研究本 の 3」 をPHP研究所から出します。 何とか年内にこれだけは仕事をします。

都路の活動本部を、弟子たちと現地の支援者たちだけに責(まか)せておくわけにはゆきません。 私が行って、あのあたりに、  宗教研究家の中矢伸一(なかやしんいち)氏らとも協力して、「健康ランド」とか、「低線量(ていせんりょう。微量の意味)の放射線は人体に良い影響を与える」ことの証明としての 

「ホテル 放射能」 を建設しようかと、考え始めています。 また、私たちの 愚かな 「放射能コワイ、コワイ」派の敵どもが、私のこの 「ホテル 放射能」 ( 「ホテル・カリフォルニア」ではありません、「アトミック カフェ」でもありません)
の話に飛びついて、ギャーギャー騒ぐでしょう。

 本当に、この愚か者たちは、自分の脳に張り付いた 放射能恐怖症で、生来の臆病さ と、ものごとを冷静に考えて判断する能力がないから、救いようのない者たちだと、思います。

私たち学問道場が、3月の原発事故の直後から、これほど頑張って、現地に入って活動を続け、冷徹な客観報道をして、「これぐらいの超微量(ちょうびりょう)の放射線量は 人間の体に害を与えない」と 書き続けた。のに、 それでもまだ、説得されないで、今も、バカな恐怖症言論を撒(ま)き散らしている。

私が、5月3日に、郡山で対談して一冊の本 「原発事故、放射能、ケンカ対談」(幻冬舎、2011年6月末刊) の 対論相手の 武田邦彦(たけだくにひこ)という男は、本当に、どうしようもない男だ。 先日も、 東京・世田谷で、(愚かな騒ぎだった)、放射性物質が見つかった」のバカ騒ぎもひどかった。

 真実は、 たったの 2.7 マイクロシーベルト毎時(パーアウア per hour )のラジウム入りの塗料か何かだった。それを 武田は、「2・7ミリシーベールの高濃度の」と、書き続け、 つい最近、こそこそと それを、「2・7マイクロシーベルト」に書き変えたそうだ。2・7ミリシーベルトというのは、= 2700マイクロシーベルト のことである。武田の 文章改ざんの 証拠は挙(あ)がっている。 

 武田邦彦をは、これを同じことを、これまでに数回やっている。 こんな男が、科学者とか、原子力の専門家とかを名乗れるはずがないのだ。 そのうち、 彼は、各方面の専門家たちから厳しい指弾を浴びて、消えていなくなるだろう。  私も、そろそろ、この男の 扇動言論と、確信犯としての犯罪者体質が、 腹(はら)に据(す)えかねるようになってきた。

 武田も、私、副島隆彦に怒っていて、「副島さんは、(何回も原発のそばまで行ったから) 癌で死ぬんだから、ほっておけばいいんだよ」と 編集者たちに言っているそうだ。 武田も、それから、その追随者たちも、私が、問い詰めたら、「10万人ぐらいが福島で、放射能のせいで死ぬのだ」 と 堅く信じ込んでいる。

 福島県の人口は丁度200万人だから、その5%ぐらいが死ぬのだと、思い込んでいる。なかなか口には出さないが、私が、きびしく問い詰めたら、そのように一様に、白状する。これには私が驚く。 10万人の福島県人が5年後、10年後に死ぬ、そして、おそらくそのうちの多くは、子供たちだと、この 馬鹿たちは、信じ込んでいる。 これは恐るべきことだと、私は、呆(あき)れかえる。 人間と言うのは、ここまで愚かになれるものか、と、近年で、最大の 思想ドラマを見せてもらっている。 

 私は、この手の馬鹿たちと付き合わなければいけないので、不愉快きわまりないことが多い。私の一番の友人で、長年の親友である、「ちょっとインテリの、それなりの知識人」である者までが、この コワイコワイ派である。私が、いくら説得しても、私の言うことを少しも聞かない。 「でも、やっぱり危ないんだよ。副島。分からないことが多いから」と言っている。 

 この者にして、この程度の思考力しかなったか、馬鹿はほっておくしかない。と私は、がっかりして、相手の顔を見つめている。 これは、私が生きてきた間に起きた、もしかしたら、最大の笑劇(ファルス、人間喜劇)なのだろう。
私は、これまでもずっと書いたが、まだ何度でも書く。 福島では、誰も死なない。こんな微量の放射能のせいで、発病して死ぬ者はひとりもいない。そのように断言します。

それは、福島の現地に行けば分かることだ。放射能コワイコワイの臆病者たちは、とにかく、自分のお金と時間をかけて、福島の現地に行きなさいそして、通りすがりの住民たちと話しなさい。そうすれば、考えが変わる。「なーんだ。何もないんだ。放射能は目に見えないからコワイなどと信じ込んでいた、自分がアホだったんだ」と気づくだろう。 意地でも現地の真実に気づきたくない者でも、どうせ、時間がたてば、気づく。

それでも、意地でもなんでも自分の思考変更、思想転向(コンヴァージョン、リキャンテイション、マチュア・アップ)をしたくなくて、強がりと、居直りと、愚かに扇動された自分に気づいても、今更(いまさら)恥ずかしいものだから、なんやかやと、言い訳をして、自分自身に向かってウソをついて、自分で自分をごまかす、ということをするのだろう。最近は、彼らは、「福島で放射能による癌患者が出ないことを祈る」と「祈る」と書くようになった。少し弱気になっているのがわかる。

私、副島隆彦は、この 思想転向 の専門の研究学者なのです。分かりますか。私の本当の専門(プロパー proper 固有)は、この思想転向の問題だ。 私の主著であるアメリカ現代政治思想研究 の本は、そういうことの集大成である。 私の本をこれまで、何冊も読んだ人には分かることだ。このことが分からないのなら、私は副島隆彦の熱心な読者だったのに、とか、言うな。絶対に言うな。

原発の大事故を起こした東電の経営陣への厳しい責任追及と、爆発事故で漏れた(放出された)放射線の人体への影響の問題は、別である。 このふたつをきちんと区別を付けなければならない。 福島県の幹部公務員たちは、かならず、この「東電の責任と、放射線の人体への被害問題は別です」と、毎回、毎回、必ず言う。 

私は、福島県庁のこの態度が正しいと、判断している。私も、この立場だからだ。

東電の経営陣と政府の原子力委員、安全委員の歴代のトップたちは、存命であれば、絶対に、今からでも 逮捕されて刑事裁判にかけられて日本国民によって処罰されるべきだ。 

  一番悪いのは、原子力委員会委員長を長年やった、この業界のドンで、今は、三菱総合研究所の理事長になっている 小宮山宏(こみやまひろし)だ。今も東電の監査役である。私、副島隆彦は、この男だけは絶対に、許さない、と堅く決めている。 

この 小宮山宏の、事故後の居直りと、悪辣な態度と、新聞にまで、今も「エコと次世代エネルギーを推進」などと大きな顔をして出てくるのを見ていると、本当に、私は怒り心頭に発する。

 武田邦彦が、「私は、9億円を東電からもらった」と、私との対談本で、はっきりとしゃべった。 武田程度の小物の、下っ端の 原子力委員・安全委員でも、9億円なのだから、小宮山とか鈴木篤之(すずきあつゆき)、斑目(まだらめ)らは、100億円ぐらいは 当然、貰(もら)っているだろう。どうして、誰もこのことを、糾弾しないのだ。腐り果ててるのか、お前たちの頭は。

 武田は、原子力委員・安全委員の専門委員を10年間やった。と自分で私に話した。 そして、恐(おそ)るべきことに、この6月からまた安全委員会の専門委員に、武田は、復帰している。 だから、ここには政治謀略の臭いがある。 武田のような、「温厚で、柔らかい物腰の人間」を上手に裏から、上から、操(あやつ)っている人間たちがいる、ということを示している。おそらくそういうことだろう。

  放射能(放射線量)の人体への影響の 専門家は、放射線医学者たちである。それと、放射線防護学を名乗る学者たちである。 それ以外の、原子力工学や、原子炉技術者や、核物理学の学者たちは、放射能の人体への影響の問題の専門家ではない。 

 専門家でもない、 1.武田邦彦 と 2.広瀬隆 3.小出裕章(こいでひろあき) と4.児玉龍彦 の 放射能コワイコワイの国民扇動者 4人組 を、私は、これからもずっと糾弾し続ける。 彼らの言論のおかしさと、愚劣さと、低劣さが、満天下に認められ、大きく敗北する時まで、ずっと、私の方も言論で闘いつづける。

 だから、私の同志は、放射医学者たちである。その代表は、やはり、 山下俊一(やましたしゅんいち)長崎大学教授 (現在は、福島県立医大副学長も兼任している) である。 

 山下教授らに、バッシングの嵐を浴びせた者たちは、今から、2年後、5年後に、一体、自分たちがいかに愚か者で、思考力がない人間であるかを、分かるときが必ず来る。その時に、ずるい逃げ方をするな。口を拭(ぬぐ)って、「私は、そんなことは言わなかったよ」と言うな。 今のうちから、各自、この4月から10月までに書いたものをしっかりと保存しておくように。 私もそうする。

 彼ら 4人組の言論 (彼らの本は、ベストセラーの1位になった) に追随(ついずい)する者たち は、今のうちから、しっかりと、自分の内心、内面に向かって、自分の立場を何度でもはっきりさせて、それを文章に書いて残しておいてほしい。 

 すべてが明らかになるときが、数年後には来る。 その時まで、 自分の態度を変えずに、奇妙な変節をしないで、態度を一貫させてほしい。 コロコロ態度を変えるのは、人間として信頼されない、と自分にも言い聞かせて欲しい。

 さて、以下に載せるのは、放射線学者であり、就中(なかんずく)、放射線防護学(ほうしゃせんぼうごがく)の専攻学者である 高田純(たかだじゅん) 札幌医科大学教授の最近の 文である。 ネットから私が拾ってきたものだ。 

 高田純教授が最近、出版した 『福島 嘘と真実』 (高田純著、医療科学社、2011年7月刊)の中の一部の抜粋だと思います。 以下の文の中に、高田純は、はっきりと、「 今回の放射性ヨウ素量が原因で、福島では誰一人として甲状腺がんにはならないと予測できる」 と書いている。引用する。

(引用始め)

   これらの値は、チェルノブイリ事故被災者の値の1万分の1から1000分の1である。かの地、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア3カ国の被災者700万人の最大甲状腺線量は50グレイ(=50シーベルト)。その後数年から、総数で当時の4800人の子供たちに甲状腺がんが発生した。  (副島隆彦注記。チェルノブイリ事故から)  20年後の世界保健機関の調査報告である。 このリスクが線量に比例すると考えれば、今回の放射性ヨウ素量が原因で、福島では誰一人として甲状腺がん にはならないと予測できる。

(引用終わり)

 副島隆彦です。 このように、 福島で放射能にせいで癌になる ( 放射能による癌は甲状腺がんだけである) 人はひとりも出ない、という 専門医学者の 高田純の 表明を 私は尊重する。 

 専門家の言うことに、耳を傾けて、それに従うしかない。専門家でもなく、長年の研究もないくせに、放射能の人体への影響について、素人と同じくせに、偉そうに発言する者たちを、私たちは、厳しく排撃しなければならない。 

 放射線医学者たちのほとんど( 中に、数人、変なのがいるらしい) が、「これぐらいの微量の放射線量では発病しません」と口を揃(そろ)えて言っているのに、彼らのことを、 「御用学者だ」と、レッテル貼り ( labeling レイベリング)する 激しいバッシングの嵐が、この 4月、5月、6月、7月に あった。

 この動きに少しでも加担した者たち、全員を、私は、見つけ出し次第、あるいは、私の目の前に現れ次第、言論の力で厳しく、問い糺(ただ)し、説得する。一般人だろうか誰だろうが容赦しない。 私が、「ケンカ対談」本で、武田邦彦にやったのと同じ、それの進化した形で、問い詰める。   

 このおかしな、放射能コワイコワイの 現状 はまだまだ続くのだろう。私は、我慢して愚か者のすべてを説得し続ける。

副島隆彦拝

(以下は、『福島 嘘と真実』(高田純著、医療科学社)からの 一部の 転載である)

・・・・(2011年3月11日の) 宮城県沖地震の発生した当日、私は都内文京区にいた。文部科学省科研費研究「放射性ストロンチウムによる内部被曝線量その場評価法の検討」の一環として、楼蘭(ろうらん)周辺での核爆発からの黄砂に含まれていた放射性ストロンチウムによる日本人の内部被曝研究報告のためである。

 日本シルクロード科学倶楽部主催で、3月12日から、文京区シビックセンターの展示ホールにおける「シルクロード今昔 展示と講和の会」で研究成果を報告することになっていた。免震機能を有したシビックセンターはまったく無事であったが、施設の点検のため、会の開始がまる1日の遅れとなった。

 東京滞在の3月16日まで、展示会の内外で、放射線防護学の専門家として、新聞やテレビの要請に応えながら、チェルノブイリと福島との違いなどについての情報を発信し続けた。

 その後、帰宅するも、福島現地への調査には出発できなかった。それは、前年から計画していたモンゴル・ウランバートルでの第1回核放射線防護と衛生学の科学会議が、3月後半に予定されていたからである。

 そして、ひとり3月21日に出国した。 モンゴル核エネルギー庁との間で開催された科学会議において、楼蘭周辺での総威力22メガトン (1メガトン威力は、TNT火薬100万トンに相当する爆発エネルギー)の核爆発から噴き出した核の砂の降下によるモンゴル国の環境と人体への影響について討議された。 こ

れは2009年3月の憲政記念会館でのシンポジウム 「中国の核実験災害と日本の役割」に次ぐ、核災害の歴史上大きな意味ある科学会議となった。

 その間、3.11の巨大地震と津波による災害と福島第一原発影響の科学について、モンゴル国立大学で講演した。これらは、専門家のみならず、モンゴルの一般国民の大きな関心となり、新聞とテレビで報じられた。

  そして、3月28日に帰国するやいなや、モンゴル報告をする間もなく福島調査の方法を検討開始した。鉄道および高速道路の不通の問題があったが、東日本の広範囲な放射線衛生の状況を調査するべきと考え、陸路の調査旅行を計画した。 

この科学調査旅行に週刊誌の元気な記者が自身の車をもって、福島調査の同行取材を申し入れてきた。 ありがたい話だ。当然、まじめな報道姿勢を受け入れ、福島以後の機動的な調査となった。多くの国民へ素早く科学情報を拡散するばかりか、第三者の同行による科学調査の目撃証言にもなるからである。

  科学調査を4月6日から10日にかけて実施した。 さらに、12日までの東京滞在中に、都内の環境調査も追加した。調査は、福島第一原発20キロメートル圏内を含む札幌から東京まで、陸上の環境放射線と甲状腺線量を中心とした現地の人々の健康影響である。

 さらに6月18日、19日には南相馬市などで体内のセシウムを検査した。

 測定では線量の絶対値を評価することになる。ただし、これだけではわかりにくいのが核放射線災害である。そこで、過去に起こった核放射線災害事例と比較することで、この福島核災害の健康リスクを併せて浮き彫りにする。

 私はソ連崩壊後の1995年以来、カザフスタンのセミパラチンスク核実験場周辺影響とシルクロード楼蘭遺跡周辺のウイグルで行われた中国による楼蘭核爆発災害、チェルノブイリ周辺3カ国、南ウラルのプルトニウム工場周辺汚染、シベリアの地下核爆発、ビキニ核爆発災害といった世界各地の核放射線災害地を訪れ、核ハザードの環境と人体への影響(放射線防護学)を調査、研究してきた。

 そのなかで、現地の環境および人体への核放射線影響をその場で評価する方法と、トラベルケースに納まる各種の計測装置と線量評価ソフトを開発した。

ガンマ線外部被曝、地表および体内の放射性セシウムの定量、およびストロンチウムの内部被曝評価、地表面のプルトニウム汚染計測のためのアルファ線計測器、地球座標の確認のためのGPSおよび測量機器、ノートPCなどである。これが持ち運べる実験室・ポータブルラボである。

①ガンマ線スペクトロメータ Model 702 米国Ludlum社
②アルファ・ベータカウンタ TSC-362 日本アロカ社
③ポケットサーベイメータ PDR-111 日本アロカ社
④個人線量計 RAD-60 S フィンランドRADOS Tec.
⑤GPSナビゲータ 米国Magellan

 これまで、チェルノブイリの限界管理区域に暮らす住民の体内セシウムや、ビキニ被災となったロンゲラップ島民たちの前歯のベータ線計測からのストロンチウム量評価、彼らが摂取する食品の放射能、環境放射線などを測定してきた。

  今回の福島現地調査では、核緊急時であるために、致死線量まで計測できるフィンランド製の個人線量計に加え、前年12月に購入したばかりの国産車の価格ほどする米国製核テロ対策用に開発された 最新小型スペクトロメータ も持参した。急遽、実験室で、セシウム137やアメリシウム241の人工線源で試験するとともに、地表面の調査も行った。

 機材としては、粉じん吸い込み防止用のマスク数枚と、簡易使い捨て防護衣1人分を初めて携行した。過去の調査事例ではないことだ。

  さらに、10年前に開発した甲状腺に蓄積している放射性ヨウ素131の放射能を測る方法を、今回はじめて実践使用することとなった。小型のガンマ線線量計を、放射線医学総合研究所が保有するヨウ素131人体型線源を用いて校正した。

  それはヨウ素131の半減期が8日と短いため、核災害直後でしか測れないからである。今回の福島調査は震災後30日以内なので、十分測れるのであった。

  震災3カ月前に入手した携帯型のガンマ線スペクトロメータは、ロシア放射線医学センター所有のブロックプラスチックファントム(人体模型)でセシウム137放射能計測用に校正した前機種で二次校正したので、全身の体内セシウムの放射能が計測できるようになった。

これが、今回の福島事象でのポータブルホールボディカウンタである。なお前機種は、小型ながら国際比較で10%以内の差で一致を示している優れものである。

 さらに同機種は、環境中の放射性セシウムやヨウ素の地表での汚染密度をその場で計測できるように、同様に二次校正した。

 大災害は机上理論では通用しない。専門家は緊急時に現場へ入り、状況を評価し、正しい社会的意思決定に導かなくてはならない。医療班の他に放射線防護の専門家たちが現地入りし、被災者への対応や相談を受け付ける意味は大きいのだ。
 2011年4月8日・9日に 福島では、20キロメートル圏内からの避難者を中心に希望者68人に対し、甲状腺に含まれている放射性ヨウ素の放射能量の検査を行った。

 最初に、浪江町(なみえまち) からの避難者40人の希望者に対して検査した。彼らは、災害対策本部からの甲状腺検査もなければ避難時に安定ヨウ素剤も配布されていなかったと、私の質問に答えた。従来から原子力緊急被曝医療として、ヨウ素剤配布用の備蓄があったにもかかわらず、災害対策本部は何も手を打たなかったのは、大きな驚きである。絵に描いていただけの‘餅’だったのだ。

 その他は、二本松市立第一中学校区の保護者24人の希望者、飯館村の2人、東京からの福島調査に同行した2人の検査である。

 最初に、毎日検査して甲状腺に放射性ヨウ素が沈着していないと考えられる調査員自身の喉元(甲状腺付近)の測定値を、測定場所の背景値(バックグラウンド)とする。その後、被検者の甲状腺を測定して、その値から背景値を引き算した値が、被検者の甲状腺に沈着した放射性ヨウ素による線量率となる。 この甲状腺ヨウ素線量率に測定器の放射能換算計数を掛け算して、甲状腺内に沈着している放射能量値が求まる。

 この放射能の値は検査日のヨウ素131の放射能量である。半減期8日で日ごとに少なくなっているということは、以前にはさらに多くの放射能が甲状腺の中にあったはずである。 

 この推定はやや複雑な方法となるが、単純化して、3月12日に全量が甲状腺に蓄積したとして、最初の量を、国際放射線防護委員会勧告(ICRP Pub.78)の方式により推定した。その値に線量換算計数(ICRP Pub.71)を掛け算して、甲状腺線量が求まる。

 浪江町からの避難者40人の結果は、二本松市民に比べて全体的に甲状腺に蓄積していた放射性ヨウ素の放射能量は多かった。平均で2.4キロベクレル、最大で3.6キロベクレル。 他方、二本松市民は平均で0.1キロベクレル、最大で0.5キロベクレル。飯館村の2人は、平均で1.8キロベクレル。放射能の減衰を補正して推定された甲状腺線量の平均値(ミリグレイ)は、浪江町5.1 飯館村3.9 二本松市0.3であった。レベルで示すと、D,D,Eである。

 線量6段階区分

危険:A~Cの単位(シーベルト):ウイグル、広島・長崎、チェルノブイリ
A:4以上・B:1~3・C:0.1~0.9
安全:D~Fの単位(ミリシーベルト):福島、東海村、スリーマイル島
D:2~10・E:0.02~1・F:0.01以下

   これらの値は、チェルノブイリ事故被災者の値の1万分の1から1000分の1である。かの地、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア3カ国の被災者700万人の最大甲状腺線量は50グレイ(=50シーベルト)。その後数年から、総数で当時の4800人の子供たちに甲状腺がんが発生した。 

(副島隆彦注記。チェルノブイリ事故から) 20年後の世界保健機関の調査報告である。 このリスクが線量に比例すると考えれば、今回の放射性ヨウ素量が原因で、福島では誰一人として甲状腺がんにはならないと予測できる。

 この理由は、1)人々の暮らす陸地へ降った放射能の総量がチェルノブイリに比べ福島では圧倒的に少なかった、2)汚染牛乳を直後に出荷停止とした、3)日本人は日頃から安定ヨウ素剤を含む昆布などの海藻類などの食品を採っているので、甲状腺に放射性ヨウ素が入る割合が低ヨウ素地帯の大陸の人たちに比べて少ないことによる。

 なお、6月後半の南相馬など3市での甲状腺検査では、ヨウ素が検出されなかった。これは環境中の調査と一致し、半減期8日からヨウ素量が1000分の1に減衰した理由による。

 2011年4月9日、10日と2日間にわたり20キロメートル圏内に突入し、放射線環境を調査しながら、徐々に福島第一原発敷地境界に接近していった。

 最初は、西側の八本松市から東に向かう行程である。葛尾村から浪江町に入り、その家畜や牧草地を調査し、双葉町から福島第一原発に接近する。

 避難圏内の浪江町のある地点に到着するも、その値は毎時0.017ミリシーベルト(=17マイクロシーベルト)、仮に24時間屋外に立ち続けたとしても、0.4ミリシーベルト(=400マイクロシーベルト)に過ぎない値であった。続く双葉町、大熊町での測定値も浪江町と大差はなかった(一般的な目安として100ミリシーベルトを超えると、健康に影響が出る危険性が高まるとされている)。

 そして核緊急事態が続いている福島第一原発の敷地境界の調査を開始した。福島第一原発の西門や、他のゲートやフェンスに沿って測定したところ、放射線の強さは避難区域の浪江町や双葉町の2倍程度であり、最大でも毎時0.059ミリシーベルト(=59マイクロシーベルト)であった。この値は、チェルノブイリの緊急事態時の値の1000分の1以下である。

 敷地内にプルトニウムが検出されたとの報道があったので、念入りに境界付近数か所の地表面でアルファ線計測を実施した。結果は最大で毎分7カウントしかなかった。空中ではアルファ線は検出されなかった。すなわちプルトニウム微粒子が空中を漂ってはいないのだ。アルファ粒子はプルトニウムが放射するが、空気中を5センチメートルしか飛ばないのだ。少しだけ、敷地境界近くの地表面にプルトニウムがあるかもしれないと考えられる。

  私の  セミパラチンスク ( (副島隆彦註。 旧ソ連、今はカザフスタンの東の都市。ここにユーラシア大陸の中心の標識がある) の核実験場内 の地表核爆発地点の調査では、毎分200カウントもの値だった。しかも、空中でも10カウントも計測されたのであった。その地表は、顕著にプルトニウムで汚染しており、プルトニウムの微粒子が舞い上がっているのだ。

 これと比較しても、福島第一原発での調査時に、プルトニウム微粒子の吸い込みのリスクは無視できる。したがってマスクは不要だったのだ。プルトニウムの吸い込みは、肺がんリスクを高めるが、この心配はいらなかった。

 私は オンサイト近傍(副島隆彦註。 原発の施設のそば、という意味) で最大10ミリシーベルトの被曝を覚悟していたが、実際は100分の1と低く、拍子抜けするものだった。さらにマスクと簡易防護衣を用意はしていたが無用だった。

 放射性物質は風向きなどによって数値が変わってくるため、ある一定時間測り、たとえその時、値が低くても決して安全とはいえないのではないかと疑問に思われるかもしれない。 ところが、今回の調査では5日間にわたって常に放射線量を測定している。

 福島20キロメートル圏内を出入りした3日間の積算線量は0.10ミリシーベルト(=100マイクロシーベルト) であった。 すなわち、今後の放射性ヨウ素の減衰を予測すれば、現地に1カ月滞在しても 1ミリシーベルト (=1000マイクロシーベルト) にも満たないのである。

 さらに、毎日、自分自身の喉元の計測もしたが、甲状腺線量は検出下限以下の範囲であった。

 結論からいえば、少なくとも原発の外や20キロメートル圏内のほとんどは、将来立ち入り禁止を解除できるし、今でも放置されている家畜の世話に一時的に圏内へ立ち入ることにリスクはない。

  もちろん、核緊急事態にある福島第一原発の敷地内が高線量であるのは別である。それは病院放射線科のがん治療用装置が致死線量を発するのと似た意味である。

『福島 嘘と真実』(高田純著、医療科学社)から 

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

平田裕子 投稿日:2011/10/15 16:01

【674】[751]偏見にさらされても正しいことを言い続ける。それは誰かが引き受けなければいけない。

会員の平田裕子です。
 長崎大学の広報誌『CHOCHO』(Vol.36 夏季号:2011年7月発行)から、山下俊一先生のインタビュー記事を見つけました。
http://www.nagasaki-u.ac.jp/ja/about/info/publicity/036.html

▼総力特集 東日本大震災で長崎大学が果たした役割
http://www.nagasaki-u.ac.jp/ja/about/info/publicity/file/c036-03.pdf

 多くの方に読んでいただきたいと思い、ここに転載いたします。
(転載はじめ)
<偏見にさらされても正しいことを言い続ける。それは誰かが引き受けなければいけない>

 震災以降、ずっと福島~東京を行き来しているという山下俊一教授。忙しい合間を縫って、長崎に戻られたところでインタビューできました。いただいた名剌には福島のマークも! もうすっかり福島の人のような……。

「はい、もうこうなったらしょうがない。今も福島は異常事態なのですから。多分、あちらにしばらく住むことになるでしょう。引き受けたものの、掃除とか洗濯とかはどうしようかと。でもうちに帰ったら、家内は単身赴任用に荷造りをすっかり済ませていました(笑)」

――先生は、そもそも最初は自分の出番ではないと思われていたとか。

「そう、我々の出番はもっと後だろうと思っていました。実際原発事故で蒸気を調整する弁を触ると言っていたので環境汚染は間違いなかった。ところが三月十五日に状況は一変しました。原発から六十キロ離れた福島市の雪に放射線測定器がガーガー反応した。これはまずいなと。実際、現地の大学の医療職もパニックになっていたし、国をはじめかなり混乱していました。それで要請を受けて自衛隊のへリで現地入りしたのです。放射線に関しては、ずっと研究してきた長崎や広島が出て行かないと収まらない。状況は刻々と変わっているし、平時のマニュアルは通用しない。長崎大学の意思決定も早かったので助かりました。『私は闘うよ』と言うと、学長が『じやあ全面的に支えよう』と言ってくれました」

――放射線についての知識を理解してもらいたい、と福島県内での講演を重ねています。

「だいたい一回あたり五百人ほどで三十回以上、それでも一万人。微々たるものです。だからメディアが大切だった。特に現地のメディアはラジオも新聞も冷静に私の話を伝えてくれましたから、助かりました。それでもね、こういう状況では火中の栗を拾うようなもの。バッシングも最初から覚悟していたことです」

――え、最初から分かっていた……!?

「無責任に煽(あおる)るだけならば誰でもできる。でも科学的根拠でもってリスクについての正しい知識を伝えるのは誰かがやらなければいけない。ただ、ちょっと反省してるのは、私ばかりがやりすぎた。何しろゆとりがなかったからね。非常事態のときは、『シングルボイス・ワンボイス』といって、ブレないほうがいい。しかしこれも一人の力ではだめ、仲間が必要なのです。だから大学教育に意味がある。正しいことを伝える後継者を育てなければならないと思っています。福島の人たちは、私がぼろくそにバッシングされたりしているのを聞いて、『心が折れそうだ』と言っている。それが可哀想でね。それにしてもとにかく事故が収束しないことには……もう、こればっかりは折るような気持ち」

――講演の質疑応答でも福島の人たちに本当に真摯に向き合っていますね。

「うん、それは患者さんとの対話と一緒です。これだけネガティブファクターがある中で、誰かが前面に出て引き受けないと。まあ本当は国や県がやるべきだけどね。この前も、お母さんたちが不安がってね。市民大清掃の日が来る、ドブさらいとか心配だと。だから私は『男は大丈夫なんだから、男にさせなさい!』。そしたら会場のお母さんたちは大拍手(笑)。しかしこの二か月……自分の人生では一番したくないことをやっていますね。罵倒されたり。本当にすごいよ。たまにこうして長崎に帰ってくるとほっとします。人生にはいろんな岐路があって、ラクな方と険しい方、右か左か選ばなければいけない。険しい方を選ぶのも、人生かな」

――なぜ、そちらを選ぶのでしょう。

「永井隆(ながいたかし)博士(平田注釈:永井博士は、1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、長崎市に落とされた原子爆弾に多くの市民とともに被爆し、白血病と闘いながら被爆者への救護活動を続け、原爆に関する医学的な研究と多くの著作を残した)はずっとそうだったからです。彼も自分が苦労する方を取った。常に死と向き合っていた彼は死に向かって努力をし、苦労する方が天国への貯金になると思っていた。僕もクリスチャン、迫害を受けてきた浦上(うらかみ)の子孫ですよ。だから人生観の中にそれがあるんでしょうね。まあとにかく、居合わせた人がベストをつくす。粘り強く、ギブアップしないで。今回の勝負はそこです」

 JR福島駅では、毎日夕方十八時になると、永井博士ゆかりの「長崎の鐘」のメロディが流れるそうです。作曲した古関裕而(こせきゆうじ)氏は福島県の出身なのだとか。二十年前、福島を最初に訪れた山下先生は、そのメロディを聞きながら、運命的な「縁」を感じたそうです。

「福島には、原発の収束が未だ見えず塗炭(とたん)の苦しみにある避難民、そして放射能の土壌汚染、環境汚染の中で生活を余儀なくされている方々が多くおられます。そのうえ風評被害や精神的影響も重くのしかかっている。私はその苦しみを分かち合いたい。長崎の人間はみんな、無念のうちに亡くなられた原爆被害者の『思い』を受け止めて生きてきました。今、放射線に翻弄(ほんろう)されている福島の応援団として先頭に立つのは当然のことだと思いますよ。大丈夫、日本人がすべからく福島の重荷を背負っていけば、ちゃんとやっていけます。要は人の心の問題だから」

 山下先生はそう言って、静かにうなずきました。

やましたしゅんいち
1952年長崎生まれ。長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長。1990年より原発事故後のチェルノブイリを100回以上訪れ、国際医療協力に尽くす。2005年~07年、WHO(世界保健機構)ジュネーブ本部で放射線プログラム専門科学官を務める。2011年福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに任命される。

●世界で唯一被爆した大学としての使命
 今回、福島で活躍している山下俊一教授や高村昇教授をはじめとする先生方は、国のグローバルCOEプログラムに平成19年度に採択された「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」という重点研究課題に取り組んでいます。なかでも国際放射線保健医療研究は、チェルノブイリやセミパラチンスクをはじめとする汚染地域の研究機関や放射線医療科学の世界トップレベルの拠点など、18拠点と国際的なネットワークを結び、放射線が人体におよぼすリスク(危険性)を明らかにし、制御していくものです。被爆から66年。これまで長年積み上げてきた放射線に関する高度な知識を応用し、放射線健康リスクコミュニケーションの人材育成に力を注いでいます。

(長崎大学広報誌 CHOCHO Vol.36 夏季号:2011年7月発行)
(転載おわり)

 私はこの記事を読んで、山下先生がどのような気持ちで福島で活動されているのかがわかりました。とても強い意志を感じ、そして感動しました。「ラクな方ではなく、あえて険しい方を選ぶ」という山下先生に賛同します。私は、人には優しく自分には厳しくありたいと思います。

川原 浩 投稿日:2011/10/14 10:23

【673】[750]放射能怖い怖い派への逆襲が始まる

会員番号6619 福島にいる川原浩です。

福島復興祭りのお知らせです。
 
東日本大震災支援 福島復興祭
10月22日(土)から23日(日)10時から16時
東京都台東区浅草2-3-1 浅草寺境内
「福島県産品を販売します。また、風評被害で困っているので、安全を知っていただくための記事 資料の展示を行っております。」
主催 福島県石川町 猪苗代観光協会 北塩原村
                           

追伸
福島県で放射能安全宣言を出している高校生の団体があります。それは学法石川高校 考古学研究部 の部員達です。
石川町産業祭りの一角で今回の福島第一原発の事故での放射能は、微量で全く人体に影響がない旨の資料を展示していました。戦時中石川町ではウランの掘削が行われていたが、当時、劣悪な環境で掘削作業していた人も今現在も元気であることを例に取り上げ、微量の放射能は全く人体に影響がないと呼び掛けています。当時、中学生は上半身裸に藁草履姿で朝から夕方まで作業を行い、一般の作業員には妊婦もいたそうです。

泉浩樹 投稿日:2011/10/14 10:16

【672】[749]長田果樹園

会員の泉浩樹です。
福島県石川町の「長田果樹園」よりの報告がありました。

「和なし”豊水”」の収穫出荷が終了致しました。
沢山の みなさまから お問い合わせとご注文を戴きました。
本日を持ちまして 「和なし」の 出荷の終了を ご報告致します。
福島県の状況を ご理解頂いた上での ご注文、改めてふかく感謝を申し上げます。
ほんとうに ありがとうございました。

長田和男

*小松果樹園さんの 「ぶどう」も収穫が終わりを向かえており、次に「柿」の収穫が始まります。

*有我果樹園さんでは 「洋なし」の出荷がはじまります。

*上記、三つの果樹園とも「りんご=フジ」をメインに栽培して居ります。
 秋に入りまして 寒暖の差が大きくなり りんごは極めて良好な生育をみせて居る様です。
 ひきつづき 福島の味覚をお楽しみ下さい。
 「りんご」は11月に入ってから 改めてご案内差し上げます。

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*梨(和なし)・りんご 生産者:長田(おさだ)果樹園 長田和男
Fax: (0247) 26-2799.
Tel : (0247) 26-7571 (収穫時には出れません)

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さくらんぼ・もも・洋なし・りんご 生産者:有我果樹園 有我 和雄、喜代子、和晃
Fax(0248)76-7384
Tel:090-5848-6259
962-0812 福島県須賀川市大字浜尾字猫沼58

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ぶどう・りんご 生産者:小松果樹園 小松秀幸
Fax: (0248) 76-3523
Tel: (0248) 76-3516 / 090-8787-3455

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「味、糖度」の乗った一番良い品質状態での収穫出荷になります。
 到着日指定の無い場合は 順次出荷となります。
*FAX記入事項:(送り主/受け取り主)とも・①郵便番号、②住所、③氏名、④自宅電話/携帯電話番号、⑤希望の到着日、時間帯、⑥希望箱数 をご明記下さい。     
*尚、FAXの送信前に 各 記入事項を お確かめ願います。 *(間違いがあった場合 2度手間、3度手間となります)
*また、「ご贈答」等でお使いの場合は「送料が加算」の上の一括ご請求となります。
 「ご請求先を別に明記」願います。 郵送にて「ご請求書」を送付いたします。
*「学問道場」の紹介で と一筆お書きいただきたく お願い申し上げます。