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Loginはこちら【711】[796]自己紹介と意見
ゲップです。副島隆彦の学問道場の正会員です。
本来であれば、正しく自分の氏名を名乗らなければいけないのですが、もしそれを名乗ってしまうと、生活にいろいろ支障をきたしかねないため、それを避けています。そのことをご了解いただければ幸いです。
副島隆彦氏の著書については、その全体の80%くらいを読みました。
一番印象に残っているのは、”属国・日本論”です。同書により日本の無残な現状を知り、大いに驚きました。その次が、”次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた”という翻訳本です。この本は、私がマスコミの情報操作により抱かされていた、アメリカに対する幻想をすっかり打ち砕いてくれました。エコノ・グローバリストシリーズも読みましたが、同シリーズによりアメリカの金融戦略のスケールの大きさに目を見張りました。
次に、日頃より考えていたことについて、書きます。
1.一般に、欧州人は執念深いといわれているが・・・
欧米の政治や歴史の本を読んでいると、ときまたに欧州人は執念深いという意見が書いてあることがあります。しかし、私が確認した限りにおいて、どの著書にも、その著者がその理由について書いたのを読んだことがあったという記憶はなかったと思います。
そこで、筆者は欧州人の執念深さというのは、どういう起源があってのことなのかについて考察しました。その結果、これは先祖ゆずりの遺伝とか気質ではなく、次のような事情から、欧州人の間で定着していったのではないかと思うようになりました。
欧州では、昔から頻繁に戦争が起きていましたが、戦争起こすたびに戦争に勝つための戦略が立てられていた。そして、戦略を起案しそれを遂行する人は、戦略遂行にかかる資金を出資した人との人間関係から、何としてでも戦略計画を遂行してやるという執念に駆られていた。
戦略のどこに、欧州人の執念深さを引き起こしていたのかについて、以下に書く。
①戦略起案者が戦略を立てるとき、必ずその目的を立てている。
②戦略を遂行するとき、多くの場合資金がいるので、戦略遂行者は資金出資者に頼る。
③戦略を遂行する人は、戦略目的を遂行したら、その成果を資金出資者に報告する義務がある。
④もし、戦略遂行者が戦略目的を達成することに失敗すると、資金出資者から“さては、ペテ
ン師であったか”と疑われ罰せられるか、“そなたは無能者じゃ”と左遷させられていた。
だから、戦略起案者・遂行者は、戦略に従って任務を遂行していく過程において、もし戦略目的を遂行するのに邪魔な要因が現れた場合、最初に立てた戦略プランを見直すことで対処していこうと必死になる。これが戦略目的を達成するまで、しつこく繰り返される。そう、敵に殺され、戦略起案者・遂行者の命が尽きるまで、しつこく続く。
これが、欧州人の執念深さの源泉だったのではないかと思われる。
だから、物事を合理的に考える軍のトップは、多くの場合戦争で打ち負かした敵国兵士を生かしたまま放免することはせず、皆殺しにしていた。中国の歴史を調べると、同じような事例が出てきますね。また、欧州は慢性的な食糧不足にあったので、戦勝国はその事情を考慮し口減らしのために、戦争に勝ったことをこれ幸いとして、敗戦国の兵士を皆殺しにしていたのかもしれません。
戦略に関わる欧米人の姿勢について理解できる著書に、“ハゲタカが嗤った日”浜田和幸 著 というのがあります。長銀を乗っ取り、新生銀行に改変するという戦略を遂行したティモシー・コリンズ氏に対する、アメリカ政界上層部の人たちの応対姿勢に注意しながら読んでいくといいです。
2.自民党は、アメリカに見捨てられたそうだが、その理由について
副島さんの新著“「金・ドル体制」の終わり”を読みました。読んで、気になったところがありました。以下に、それを書き出します。
同書のP.248のところに、自民党が政権を握っていた時代、自民党は新首相になる人からのご祝儀は自分に賛成票を投じた議員一人当り1億円を配ることが決まっていた。だから首相の座を目指す者は、300億円の資金を作らないといけないと周囲からせき立てられていた。その資金源として東京電力などの電力会社や農協が必要だった。ところがその東電や農協がダメになった。ということは、自民党にはもう政権は戻らない、ということだ。アメリカも見捨てている、といったことが書いてありました。
気になったのは、アメリカも見捨てている、というところです。アメリカは、ホントは自民党を使って郵政改革を行わせ、郵便の簡保資金を略奪しようとして失敗したから、自民党を見捨てたんじゃないでしょうか。
どうしてそういえるのか、その理由を書きます。
①小泉政権時代以降、簡保資金がどうなったかのニュースは聞いたことがないように思う。
②自民党議員は、未だに郵政改革の見直しについて反対の声明を出している。(もし、簡保資金を略奪済みであれば、自民党からそういう声は、もう聞こえてこないはずだが・・・)
このことから、もしかするとアメリカの簡保資金の略奪作戦は失敗していたのではないかとい
う推測をしました。
3.フランス革命を起こした、当時の資本階級の人たちの視点
モンテスキュー著“法の精神 中巻” 岩波文庫 P.204のところに 第4章 種々の政体における商業について というくだりがあります。このところを読むと、フランス革命を起こした当時の資本階級の人たちの考えていたことがよく分かると思います。
4.第二次世界大戦時、米軍の空襲により日本本土が焦土化された理由
米軍が、日本本土を空襲した理由として、これまでに
①敵国だから
②人種差別があってのことか
③日中戦争時、日本の戦闘機が中国の重慶を無差別爆撃をしたから、その報復として
という理由が挙げられています。
筆者は、それ以外に、戦前の日本は満州国を建国し、そこに人口増加により食糧不足の事態を招いていた、日本本土の日本人に満州は王道楽土だと言いくるめ、移住させていたことも、日本本土空襲の遠因として挙げることができると考えています。
要するに、米軍が日本の食糧不足の事情を見て、”口減らしのために、余分な日本人を殺戮してやった”というわけです。
【710】[795]高線量地買い取りも 福島避難区域 首相が検討表明
会員の平田裕子です。
避難区域の土地の買い上げを検討、という動きが出てきました。
福島第一原発から20km圏内を、放射性廃棄物処理場にしてしまうことに、一歩ずつ近づいているのでしょうか。
●「高線量地買い取りも 福島避難区域 首相が検討表明」
東京新聞 2011年11月25日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2011112502000190.html
野田佳彦首相は二十五日午前の参院本会議で、東京電力福島第一原発事故の避難区域で放射線量が特に高い地域で、民有地の買い取りを検討する意向を明らかにした。
首相は「(避難区域の中には)長期間、帰還が困難な区域が生じてくる。土地の買い上げを含め、さまざまな観点から地元と相談し、中長期的な対策を検討する」と答弁した。
避難区域には、同原発から半径二十キロ圏内の「警戒区域」と、警戒区域外でも一年間の積算放射線量が二〇ミリシーベルトを超える恐れがある「計画的避難区域」がある。
政府は、事故収束の工程表で原子炉を冷温停止状態にするとした「ステップ2」を年内に達成した後、区域の指定解除を検討する方針。細野豪志原発事故担当相は、長期間帰宅が困難な住民には、住宅提供などの支援を行う意向を示している。
(記事の転載おわり)
【709】[794]私の新刊 「金(きん)・ドル体制の終わり もうすぐ大恐慌」の発売とその後の動き
副島隆彦です。 すっかり冬に成りました。 季節の変わり目で、体調を崩している人も多いことでしょう。 お気をつけください。
私も、先週、福島に行って活動本部で泊まって、寒い思いをしました。やはり福島は東北地方の一部です。 原発のある浜通り は、内陸部の会津ほどは寒くないと、地元で言われています。 会津の冬は大変のようです。
活動本部に出来ましたシャワーブースとそれから屋外に作りました、檜(ひのき)の露天風呂に入って来ました。満天の夜空の星を眺めながら風呂に入りましたが、出入りが寒い。 やっぱり風邪をひきました。吉見くんをはじめ福島の現地で活動している人たちは、十分冬の準備をしてください。
私の新刊書の 「金(きん)・ドル体制(=ブレトンウッズ体制)の終わり もうすぐ大恐慌」(祥伝社刊)が、18日の夜から発売になりました。もう全国すべての書店に並んでいるでしょう。
20日には、私たちの学問道場の秋の大会である 定例会での講演を、無事終えました。この日に間に合って、私の本を参加者の会員たちにいただいて良かった。
私が、この本を書き上げて、最後のゲラ(galley proof ガリー・プルーフ) の「手離れ」をしたのが、10月26日でした。その翌日27日に、ギリシャ国債のデフォルト(破綻)の回避、ギリシャ国救済のための 包括合意(コンプリヘンシブ・アグリーメント)がEU首脳会議で出来た。 日本のNHKでさえ、「(借金の)棒引き 50%で合意」と報じていた。
やれやれと思ったら、翌週の11月9日に、イタリア国債の暴落(利回りの急騰 7.46%へ)が始まった。これで 全ヨーロッパどころか、世界中が肝(きも)を冷やして、「いよいよヨーロッパはダメだ。世界恐慌は避けられない。次は、フランス国債の投売りだ」 という 空気になった。この雰囲気は、今も続いている。
世界中に危険な空気がただよっている。 私、副島隆彦は、ここに至る全てを20冊以上の自分の金融・経済本で、冷酷に予測して書いてきた。まさに私が書いてきたとおりのことが起きつつある。 学問道場の会員たちは、それ以外の人たちも書店で、私のこの本を買って読んでください。すぐにビジネス書でのベストセラーの一位になるでしょうから、書店で見つかりやすいです。
私が、「手離れ」してから、さらに多くの出来事が、バタバタと起きた。私自身の金融分析、情勢分析 の手が回らないぐらいに忙しい。私のこの本では、11月4日の金融統計の数値(株価、為替などの金額)を載せている。
それが18日にはもう書店に並んでいる。 まるで週刊誌並の手早さである。 この技は、他の金融評論家たちでは真似ができない。
私は、事態の急変と、これから襲い来る世界恐慌、世界規模の信用危機(ヨーロッパの大銀行の次々の破綻と緊急の国有化、そして、不足分の資金の供給を理由とする 緊急での 資本注入=公的資金の投入 )が、年末から起きるだろう。
そして、”金融核爆弾(きんゆうかくばくだん)”である、CDS(シーディーエス)という 恐ろしい 店頭デリバティブとも呼ばれる、奇っ怪な金融工学が作った「人(大銀行、国も)殺しの保険商品」が大破裂して、それをたくさん組み立てて売ってきた アメリカの大銀行までがバタバタと、連鎖倒産(=緊急の国有化宣言)を来年の2月にかけて、することになるでしょう。
この 恐怖のCDS の ことを、私の今度の本では、50ページ以上にわたって詳しく説明しました。私なりに苦心しました。 なんとか日本国民に、世界の現状で起きている悲劇の、大きな真実を伝えなければ、という気迫で書きました。
そのあとの、この一ヶ月の事態の恐ろしいまでの進展と変化に対応すべく、私は、すぐに次の金融・経済本の執筆に取り掛かりました。 その他に、「中国研究本 4」 と、「阿弥陀如来論」も書き続けています。
ヨーロッパとアメリカ発の巨大な金融危機と世界恐慌(=金融統制の体制へ)を阻止して、目くらましするために、ヨーロッパとアメリカの権力者たちは、やっぱり、戦争をする気だな。 war economy (ウォー・エコノミー、戦争刺激経済 )で、中東(ミドル・イースト)での戦争を実行することで、自分たちの大きな窮地からの脱出を図っている・・・。極悪人たちが考えることは、やっぱり人類史の定石(じょうせき)通りだ。
私は、さらに自分の脳と体をフル回転しないでは済まない。
副島隆彦拝
【708】[792]TPPと日本
会員の大川です。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)について、輸出大企業や総合商社に勤務する私の知人は、異口同音に「参加すべきだ」と言います。一方、農業関係者や日本医師会は反対や懸念を表明しています。TPPは、アセアン 3(日中韓)やアセアン 6(日中韓豪NZ印)に対抗してアメリカが推し進めている戦略ですが、これに日本が参加することによって私たちの生活は本当に良くなるのでしょうか。
関岡英之氏は「国家の存亡 『平成の開国』が日本を亡ぼす」(PHP新書、2011年)で、TPPの問題点をわかりやすく解説しています。同書によれば、TPPは日本の農業と医療に市場原理を導入することによって、穀物自給率のさらなる低下と食糧の海外依存を加速させ、混合診療の解禁によって医療費の高騰を招き、日本が誇る国民皆保険(公的保険)を崩壊させるといいます。
投資の分野では、日本政府の法律や規制のために外資系企業の営利活動が制約された場合、日本政府に損害賠償を請求できるというルールが導入されるようです。損害賠償請求の具体的な手段として、国際仲裁委員会と称する場が用意され、審理は一切非公開で不服申し立てもできない制度が検討されているといいます。つまり、外国資本が政府の主権より優位に立つことになるのです。
労働の分野では、正社員の解雇が容易になるなどの規制緩和が求められ、貧困層が増え、貧富の格差が一層拡大する可能性があります。
私たちは、このようなTPPの危険性を知らされていません。
TPPの背景には、ミルトン・フリードマンとシカゴ学派の経済学、すなわち新自由主義あるいは市場原理主義と呼ばれる思想があるようです。しかし、私たちの生活に直結する農業や医療や労働の分野に、これ以上市場原理を導入してよいものでしょうか。関岡氏は、日本の穀物自給率(カロリーベース)は先進国で最低であり、食糧安全保障の観点から危機的な状況にある、と警告しています。アメリカもフランスもイギリスも、食糧の中で穀物だけは戦略物資として補助金をつぎ込んで保護しているのです。
日本経済新聞は11月20日の一面で、「(日本にとって)最大の貿易相手、中国が参加するASEANプラス6のほうが(TPPより)経済効果が高い」と書いています。
国際政治経済は各国が生存を賭けてぶつかり合う情け容赦のない世界なので、アメリカが国益を追求するのは当然なのですが、世界経済が不透明さを増す今こそ、日本政府は国民の生活を最優先に考えて交渉してほしいものです。
【707】[791]原発事故で避難されている方々の民意です。
読売新聞から
東京電力福島第一原発があり、全域が警戒区域の大熊町の町長選は、町への「帰還」を訴える現職の渡辺利綱氏(64)(無所属)が、「町外移住」を掲げた前町議で新人の木幡仁氏(60)(同)を退け再選を果たした。
渡辺氏は木幡氏の票を1108票上回る3451票を獲得した。
渡辺氏は、町内の放射線量が比較的低い地域に、医療、福祉、商業圏を備えた復興拠点となる「ニュータウン」を造成する構想を示している。当選後、支援者らに「除染をして戻れる環境を作ることが最優先だ」と語った。会津若松市の仮設住宅で避難生活を送る吉田広さん(56)は、渡辺氏の事務所に駆けつけ「町を除染して、町民一丸となって大熊に帰りたい」と希望を託した。
一方、木幡氏は「いつまで避難生活を続けるのかと疑問を投げかけたが、力不足だった。そうした住民の声があると伝わればいい」と敗戦の弁を述べた。
(2011年11月20日22時55分 読売新聞)
【706】[790]福島本部活動日誌です41
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年11月10日と11日の日誌です。
混乱しているので、時系列的に間違っているところがありますが、ご容赦ください。
書き漏らしの無いようにしたところ、2日まとめて書かざるを得ませんでした。それでも書き忘れた事が大量です。
10日、11日、共に大変寒くなり、朝に霜が降りました。実際気温は0℃まで下がったそうです。
予想していた通り、ADSLが繋がらなくなりました。
ADSLと無線LANの設定を
「起動時に面倒ではあるけれど、接続には全く問題が無かった6月15日にNさんが設定したもの」
に戻そうとしたのですが、諦めました。
6月15日の後に、T先生、Nさん、の順で無線の設定に手が加わっているので、私が説明書を見てどうにかできるものではないと判断しました。
Hさんのアイディアで、NTTに電話をして、1階にある有線の電話線を回復させる工事を申し込みました。
無理を言って、11月25日に工事に入って貰うことになりました。
かなり無理を言ってしまいました。原発近くだとこれが限界だそうです。
さらにその後にモデムやスプリッタを揃えることを考えると、1階が有線でネットに繋げられるようになるのは、暫く後だと思います。
11月10日午前7時から午前11時まで、風呂の外側に、更に木材を打ち付けました。
水漏れについては、昨日の間にHさんが対処されていました。
11月10日午前10時に大家さんの奥さんが来ました。
冬季間の水道管の凍結防止方法を教えてもらいました。
外の水道の元栓(注:外のトイレや洗濯機の近くにあります)を締めた後、ボイラー脇のバルブ(注:二箇所ありますが、下にあるほうです)を開けて、水道管の水を排水するというものです。
水と清涼飲料水を頂きました。
お返しに、以前にIさんから頂いていたトイレットペーパーとティッシュペーパーとNさんから頂いていた蜜柑を差し上げました。
それでもまだトイレットペーパーとティッシュペーパーは残っています。
11月10日午前11時20分にKさんが来ました。
昼食として、やたらに美味しい肉料理、サンドイッチ、サラダ、コンソメスープ、を作って下さいました。
建物の裏の道路で、路肩に駐車してあった車に職質が行われていまました。
多摩ナンバーの警視庁の車には、かなり重めの防護服を着た警官が二人乗っていました。
最近の警視庁は、普通の格好で都路に来ているの分、新鮮でした。
11月10日の午後、KさんとHさんが樋を作りました。
やっぱりKさんの工作の手際は凄いです。
Kさんは11月10日午後5時20分に帰りました。今日も大変お世話になりました。
Kさんにお手伝いいただいた風呂の画像は下になります。
11月10日午後5時半にM商会の人が来て「工事代の集金は11月10日」と言いました。
先生が来たときに払うことになっているはずなので、そう言って帰ってもらわざるをえませんでした。
11月10日午後6時半にIさんが来ました。
かなりの量のおかず類を買ってきてくださったので、それで酒を飲みました。いつの間にか寝ていました。
Iさんからはかなりの量の野菜も頂いてしまい、恐縮しております。
11月11日は、起きてすぐにビンのごみを捨てました。
11月11日午前8時から風呂の中の調整をHさんが、外の板の打ち付けをIさんがなさいました。
風呂の排水用ホースも取り付けられました。
11月11日午前10時16分、自衛隊車両が5台連なって国道399号方面に走っていきました。
あの車体の大きさでは、いわき市までは399号線を使っては行けないと思いますので、川内に向かったのだと思います。
11月11日午前10時30分、今度は逆に「成人病巡回検診車」や「循環系巡廻検診車」が5台連なって288号線を帰っていきました。
399号線から来たのか、それとも立ち入り禁止区域から帰ってきたのかはわかりませんでした。
昼食は、Wさんから頂いた栗おこわ、鍋の残りをお吸い物に引地さんが転用したもの、昨日の残りのコロッケや魚のカマの部分など、でした。
11月11日午後から雨が強くなってしまい、風呂の中の手直しが出来ませんでした。
Iさんは11月11日午後3時50分に帰りました。今日もお世話になりました。
夕食は、Yさんから頂いた焼き鳥をHさんが昨日のデミグラスソースを使ってちゃんとした無国籍料理にしたもの、漬物、栗おこわ、鍋に野菜を入れてお吸い物に転用したもの、でした。
Iさんが「裏のドアの所に、バールでドアをこじ開けた跡がある。古い跡なのかもしれないが」と言っていました。
最近大量に食料を食べてしまっているので、食用豚のように太ってしまいました。
13日はなるべく食べないように努めます。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年11月12日の日誌です。
午後からは東京に行きましたので、番外に近いです。
午前7時半から正午まで、外風呂の仕上げを行いました。
殆どはHさんが作業をされていて、私は余り役に立っていない感じでした。
セメントのかき混ぜ、風呂脇への石積み、をして
のようになりました。後日に水漏れの最終チェックを行います。
また、後々になるとは思いますが、Rさんのラジウムも置こうかと思います。
午後1時から、Hさんに東京まで車で連れて行って頂きました。
途中でIさんのお宅にお邪魔しました。
なかなか素敵なお家でした。特に外の休憩所は、都路からすると天国みたいな場所でした。
泉さんの案内で、お世話になっている林檎農家の方(←お名前を失念しました・・・)にお会いしました。
午後7時半に秋葉原に到着後、大久保のラーメン大に行きました。
先日都路に来られた店長のNさんがラーメンを作っていました。
・・・実は、仕事中のNさんはとても格好良く、Nさんだとなかなかわかりませんでした。
普通のラーメンを頂きました。とても美味しい二郎、といった感じでした。
ご馳走様でした。美味しかったです。
ラーメン大の大久保店では震災復興応援メニューも出してありました。東京にいたら行き続けたと思います・・・。
秋葉原に戻りました。
とらのあなではバッファローベルの宣伝用ポスターが貼ってありました。
sofmapでは抱き枕が置いてあるスペースが出来ていました。
秋葉原は今日も平常営業中でした。
秋葉原のネットカフェに午後10時40分から13日午前7時35分までいました。
読んでいた漫画の表紙を見て、この店の店員さんは設定を良く理解しているなぁ・・・、と感服してしまいました。
残念なことに眠かったので、余り漫画の内容が頭に入ってきませんでした。実際、9時間のうち6時間は寝てしまっていました。
どれくらい眠かったかというと
「『なもり』先生じゃなくて、『こもりけい』先生がこの漫画描いたら、どんな惨状を呈したのだろう」
とメモしてあるくらい、でした。
(転載終わり)
秋葉原は本当に良い街です。
あと、小さなお子様がいらっしゃる方は、くれぐれも「こもりけい」氏でググらないで下さいませ。
私のようになってしまいます・・・。
【705】[789]福島本部活動日誌です40
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年11月6日の日誌です。
今日はADSLの接続が安定していました。切れてから色々と実験したかったのに、拍子抜けでした。
一日雨が降っていて、何も出来ない時に限って、ネットが繋がります・・・。
常葉町の体育館にお笑い芸人を招いた祭りがありましたが、バスの時間が合わずに断念しました。
レシートの整理をしました。
Excelで自分のために管理している出金記録が、大体月ごとの同じ日に同じ数字が並ぶようになってきました。
夕食は、ラーメンもどき、トマトとチーズ、煮干、キャベツの千切り、でした。
ラーメンもどきは、白菜やもやしを炒めてからタレ用の味噌を混ぜて漬け麺のようにしました。
Nさんから頂いた麺が太く、食べた後の消化が大変でした。
とはいえ全部食べ切れました。一日一食がやはり体が安定します。
13日の会場が秋葉原なのですが、ひょっとして5時に終わった後、とらのあなやK-booksを案内すべきなのでしょうか・・・。
深夜から、かなりの雨となりました。
好きなエロゲ会社のサイトを見てみたら、新作のキャッチコピーが「童貞捨てるつもりが、人間辞めてました。」となっていました。
なぜか堪えました。雨は憂鬱です。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年11月7日の日誌です。
今日もADSLの接続は安定しています。
朝、仮設トイレを7個積んだトラックが検問所方面に抜けていきました。
その後に燃えるごみを捨てに行きました。
ひどい状態で出してあるごみが既に出してあり、なぜか安心しました。
季節外れのクワガタがいました。
今日も3匹出たカメムシでなく、こっちが出て欲しいです。
都路行政局に県議会議員選挙のチラシがおいてありました。数枚取って、事務所においてあります。
夕食は、ラーメンもどき、焼売の残り、白米の残り、トマトとチーズ、キャベツの千切り、でした。
ラーメンもどきは、歴代最悪の失敗ラーメンとなってしまいました。
責任持って、明日食べます。
シャワールームは今のところ問題なく使用出来ています。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年11月8日の日誌です。
ADSLの接続に関して、無線のルータを横に倒してから繋がるようになった『様な気がします』。
本当にそうなのかはわかりません。以前横に倒していた時は、効果がありませんでした。
朝食は、大失敗した昨日のラーメンもどきを腹に流し込みました。頑張りました・・・。
Nさん、うまく料理できなくてすみません。
川内村の蕎麦屋に電話をかけてみましたが、20日、つまり村議会議員選挙の日までお休みだと言われました。
ご主人が当選するのか心配になってきました。
午後2時半、毛虫に刺されました。ここは普通に毛虫が出ます。
昼間のうちにプラスチックごみを出してきました。烏や猫などに荒らされるものはないと判断しました。
午後5時40分、Hさんが来ました。外の風呂の工事のため、12日まで滞在されます。宜しくお願いします。
夕食は、鍋、Nさんから頂いた炊き込みご飯、酒、でした。
私は鍋の材料を切るのに留まり、あとはHさんが料理して下さいました。
美味しかったので、食べ過ぎました。Kさんから頂いたつゆがとても美味しいです。
酒も飲み過ぎました。スクリュードライバーは飲み過ぎに気をつけた方がいいです。
Zさんと午後11時からチャットをしていたのですが、日本に来てから、ゲームなどをやる時間が減ったそうです。
自分の経験からいっても、やっぱりそうか、としみじみ納得してしまいました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年11月9日の日誌です。
朝、原発方面に向かう車のナンバーを見てみたのですが、いわきナンバーが多かったです。
スピードを出しているので、写真がぶれてしまい、文字は判別できません。加えて、今朝は3度だったので、立っていて辛かったです。
途中で、いつも通りにadslに接続できなくなったので、無線のルータに書いてある手順に従ってやり直してみました。
結果、繋がりました。
これでしばらく使ってみます。
(これでも駄目だったら、無線のルータに火薬を詰めて爆発させれば繋がるようになる・・・訳はないです。)
朝食は、炊き込みご飯、鍋を転用したお吸い物、でした。
午前9時から午後4時まで、都路行政局で東京電力の巡回相談会がある、という街の放送がありました。
午前11時に行ってみました。都路行政局の入り口に案内板が立っていました。
2階の会議室で、机4個を並べてやっていました。相談をしている住民は1人でした。
周りに3人見張りの人がいたので、写真撮影ができませんでした。
洗濯をしました。
ソファーを干しました。
途中で雨が降ってきて、慌てて取り込みました。
灯油を30リットル補給しました。
昼食は、鍋にうどんを入れて煮込んだもの、でした。
午後1時45分、生コン車が288号線を帰っていきました。
午後3時半、かわうちの湯に行きました。
帰り道でHさんが「川内村の民家に灯りが全然無い」と言っていました。
夕食は、ミートボールつくねをトマトソースで煮込んだもの、舞茸を卵でとじたもの、鍋をお吸い物にしたもの、玄米、酒、でした。
今日の食事は、全てHさんにお世話になりました・・・。
酒は、マリブとカルーアとオレンジジュースのちゃんぽんにバナナを投げ込んで飲みました。パイナップルの缶詰も投げ込めばよかったです。
頭の中だけは、常磐ハワイアンセンターに居る気分でした。
(転載終わり)
せめてハワイに居る気分って書きたかったです・・・。
今の私には、常磐ハワイアンセンターも雲の上の存在です。
【704】[788]福島本部活動日誌です39
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年11月2日の日誌です。
やはり、一瞬だけADSLが切れそうになっています。
とはいえ、安定して接続できていました。
(午後9時ごろ、私のfire foxが読み込まなくなりました。google chromeは繋がっていました。Hさんのpcも繋がっていました。
右下のインジケーターの箇所も、SSIDの文字と共に「インターネットアクセス」という文字が表示されており、繋がっていることを示していました。
その後、fire foxの画面の裏に出てきていた「ブロードバンド接続」の画面でキャンセルを押すと、fire foxも繋がりました。
どうも、私のPCの設定がおかしいのではないかと思うようになってきました。)
午前9時に自衛隊車両が2台連なって、399号線で川内・いわき方面に向かっていきました。
おそらく除染に使う車両です。
午後3時半に288号線を帰っていったので、川内村で一時帰宅など何らかの動きがあったのかもしれません。
電気代を郵便局に振込みに行きました。
ソファーと布団とシーツを干しました。
Hさんも服も一緒に洗濯をしました。
午前11時に船引の慶慶飯店という中華料理屋に行きました。いつも行く中華料理屋は定休日でした。
かなり人が入っていました。そのせいか出てくるのに時間がかかりました。
味はともかく、490円でご飯のお代わりが出来ましたので、教育機関の食堂並みに安い食事でした。
船引の仮設住宅に行きました。
Hさんは、避難民のプライバシーに気を使っていて、優しいなぁ、と感心しました。(私も気を使ってはいるはずなのですが、どうにもガサツな所が出てしまいます・・・。)
船引のTSUTAYAに行きました。
『放射能のタブー』は置いてありませんでしたが、先生の本は四冊置いてありました。
Hさんがリオン・ドールの写真も撮っていました。
船引に空き店舗を使って即席で出来ていた、東京電力の
「郡山補償相談センター 賠償相談窓口」
に行ってみました。
駐車場に係員が立っていたので、遠くからの撮影しか出来ませんでした。
夕食は、Hさんがすき焼きを作って下さいました。美味しかったです。
割り下から料理していたので、なんかもう、私は料理が本当に出来ないのを思い知らされます。
他には、玄米、ヨーグルト、プリン、納豆、焼売の残り、梅干し、でした。
Hさんがシャワールームを使いました。
使うのに問題なし、と言っていました。
身長がある人には少し不具合がでるかもしれない、とも言っていました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年11月3日の日誌です。
朝起きてみたら、今度はHさんのPCが繋がらなくなっていました。私のPCは繋がっていました。
夜は逆に私のPCが繋がらなくなりました。
シャワールームをHさんが朝に使った際、バスタブを使ってシャワーを浴びました。
その時シャワールームの下に水漏れが発生しました。
夜にHさんがバスタブ内だけでシャワーを浴びた際は、下へ水が漏れることはありませんでした。
有用なテストを有難う御座いました。
常葉町にHさんに連れて行ってもらいました。
コメリでカイロを買い込みました。一個あたり20円なので、カイロの方が電気代の節約になるかもしれません。
常葉行政局前でやっていた、そば祭りを見て回りました。中々の人出でした。
会場の中央には、都路と浪江町への寄せ書きが書けるようになっていました。
学校の駅伝大会も併せて行われたようです。小学生が一杯でした。
行政局の中は、やっぱり例のポスターが異色を放っていました。
行政局の大きいホールでは、かなり本格的なそば打ちが行われていました。
Hさんと一緒に、もりそばとかけそばを2杯づつ、肉屋が出している豚の串や猪の串を2本ずつ、無料配布の豚汁を一椀、食べました。
食べた物は皆美味しかったので、全部で3000円ほど支出してしまいました。
最後に浪江町の名物らしい焼きそばを買って帰ろうかと思っていたのですが、列の捌きが遅かったので途中で断念して帰りました。
途中で偶然に、Yさんと奥さんに会いました。買った直後の豚肉の串を差し上げました。
帰ってから二人で大広間の配置を少し変えました。新刊が正面玄関の近くに来るようにしました。
Nさんから蜜柑が届きました。明日にはお世話になっている方々にある程度配ります。
夕食は、ご飯、鮭のムニエル、キャベツの千切り、林檎、納豆、渡邊さんから頂いた味噌汁、プリン、ヨーグルト、でした。
鮭のムニエルなどの難しいものはHさんが作って下さいました。
(夕食時に、酒も入っていないのに、頭をゆすぐべき単語を乱発していたような気がします。
Hさん、すいません。)
外のトイレは、手を洗うときに最初は熱湯が出ます。
使用の際は充分に気をつけてください。
カメムシが多いです。特に2階の部屋の中に入ってきてしまっています。
かなり臭いがきついです。
Hさんがシャワールームを使った時、電灯に頭をぶつけました。
電灯は使っていないので、電球と共に撤去しました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年11月4日の日誌です。
今日はADSLの接続が不安定でした。HさんのPCも接続できませんでした。
返信すべきメールにも反応が滞りがちです。
11月5日午前4時46分、Kさんにメールで教えて頂いたものに近い方式で、無線のルータのリセットボタンを押してみました。
繋がるようになりました。ただ不具合の原因等が判明しておらず、またいつ繋がらなくなってしまうのか心配です。
(注:11月6日午前1時半現在、やはり繋がったり繋がらなかったり一番最初の方法でないと繋げられなかったりの、不安定な状態が続いています。
リセットボタンもこれまでに4回押しましたが、最初のときと2回目以外はあまり効果を発揮していません。
6月頃の安定して接続できた初期設定に戻したいです。)
Nさんから頂いた蜜柑を近所に配りました。
庭匠さん、坪井モーターズさん、大家さん、Yさん、最寄のガソリンスタンド、の順に配りました。
庭匠さんとYさんからは、かなり長い時間お話を伺いました。
庭匠さんのところは、メダカ養殖の設備が凄かったです。現在施設を増築中です。
Yさんは、お昼寝中のところにおじゃましてしまいました。
大家さんは留守だったので、玄関に「放射能のタブー」と蜜柑を置いて帰らざるをえませんでした。
ガソリンスタンドではガソリンも補充しました。Hさんのアイディアでした。有難う御座いました。
庭匠さんのところで伺ったお話を箇条書きでまとめますと
「ここら辺のほうが数値が低い。自分たちは避難していない。風をみて避難する必要がないと判断」
「当日は原町に居て、5メートル手前まで津波が来た。そのときは、なんでこの時期に田んぼに水を張っているのかわからないと思った。」
「その後に車などが流されてきて、陥没した道路を避けながら慌てて帰ってきた」
「補償はこれからだ。今は東電から一時金100万が払われて、とりあえず住民も抑えているが、この後に除染や補償の問題が本格化する」
「そろそろ東電の船引の賠償相談窓口に怒鳴り込もうかと思っている」
「行政局に怒鳴り込んだ。とりあえず従業員の休業補償はとった。だが、事業が継続できなくなった事とか東電はどうするんだ」
「5キロ圏内はこのまま最終処分場にするしかない。他にもっていくところがない」
「ここらへんで40人残った」
「19キロのところに畑をやっている偏屈な人が残っている」
「ホームページを50万出して作ってもらったが、ぼったくりだった」
です。
Yさんと奥さんは
「これからの季節は2階に上がるとき、階段が鉄板なので滑りやすく、大変危険だ」
「奥の部屋をつかったらどうだろうか」
と言っていました。
建物にいたカメムシを除去しました。死骸も含めると30匹弱いました。
ネットにあった「ガムテープにカメムシを貼りつけてゴミ箱に捨てる」という方法を採りました。
そのせいでゴミ箱に悪臭が移ってしまっています。
一匹は足で踏んでしまい、急いでシャワールームで足だけ洗うことになりました。
気の進む作業ではないですが、掃除機に悪臭がつくよりはずっといいです。
Hさんと掃除をしました。
掃除機、トイレ2箇所、草刈り、2階の片付けをしました。
かわうちの湯にいきました。
帰り道で浪江の警察に検問で停められました。
東京でやったら問題になりそうな、粗めの検問でした。
夕食は、Kさんに教えて頂いたペンネを見様見真似で作ったもの、酒、納豆、林檎、シーチキン、お茶漬け、Wさんから頂いたコーンスープ、梅干し、お茶漬け、でした。
ペンネは何か一味足りませんでした。
Hさんが明日帰らなければならないので、酒を一緒に飲んだのですが、飲みすぎました。
11月5日に悪影響を及ぼしてしまいました。
11月5日午前12時15分に、都路町古道山口地区で建物火災がありました。
午前1時10分に消火の放送がありましたので、大きな火災だったと思われます。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年11月5日の日誌です。
昨日の酒のせいで、ほぼ一日中ソファーで寝ていなければいけませんでした。
昼食は、ご飯、Wさんから頂いた味噌汁、納豆、キャベツ、焼売、もずく、トマトとチーズ、でした。
午後1時、男性が一人尋ねてきて
「ここで水の検査をやっていると訊いてやって来たのだが」
と言っていました。
後で考えると、大家さんやKさんが、仕事関係での井戸のボーリングのことをここで話し合ったことがあるので、その件が間違って広がったのかもしれません。
Hさんがシャワールームのテストを兼ねて、シャワーを使いました。
一度に大量の排水をしようとすると、排水口が不十分「かもしれない」、とのことです。
Hさんは午後2時42分のバスで帰りました。
大変お世話になりました。
カメムシを5匹駆除しました。
夕食は、残っていたラーメンに白菜、キャベツ、もやし、ネギ、牛肉、ホウレンソウを炒めて入れました。
駄目になりそうな食材を加熱処理できて安心しました。
(転載終わり)
これは、ある人とした話なのですが、私が
「都路の小中学生は、ひょっとしたら、コンビニが近くにあるような都会に避難できて良かったと内心で思ってたりするんじゃないか?」
と言ったところ、ある人が
「そんなことないんだ。都路の子たちが別の場所に行くと、他所から来た形になるから、ある意味あそこでみんなで苛められてるんだ。しかも、場所を借りてる立場だから言い返せないんだ。やっぱり地元が一番なんだ」
と言っていました。
それを受けて、同席していた別の人が
「・・・東京の子からしたら、福島のどこ出身でも、全部同じだけどなぁ・・・」
としみじみ言っていました。
【703】[786]福島本部活動日誌です38
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年10月29日の日誌です。
昨日とほぼ同じ時刻の午前1時25分に、パトカーがスピードを出して288号線を帰っていきました。
ソファーと枕と布団を干しました。
午前11時50分、Nさんが来ました。
昼食として、ご飯、豚汁、豚肉を焼いただけのもの、キャベツの千切り、麻婆豆腐、油揚げを焼いてネギを載せただけのもの、をお出ししました。
こう言っては何ですが、昨日の余りものでした。すみません・・・。
Nさんの事務所についての感想が「随分変わりましたね」というものでした。
おそらくは、壁回りに貼った資料や本のゲラによるものだと思います。
食事後に事務所内のネット接続環境を修正して頂きました。
NTTの問い合わせ受付と故障窓口にも、電話をして話を訊きました。
Nさんは午後4時に帰りました。大変お世話になりました。有難う御座いました。
現在のところは、ほとんど改善された状態です。もう3日ほど使って、様子を見てみます。
NTTの問い合わせ受付と故障窓口に電話して訊いてみたところ、
「光回線にすると、おそらく切れることはなくなる。都路でも光回線には出来る。ただし2000円ほど高い。また、国道の隣なので、万一だが光回線に出来ない可能性もある」
「無線LANによる不具合の可能性もある。調べてみないとわからない」
「明日の午前中にモデムとスプリッタのチェックに行ってみる」
と言っていました。
NTTのモデムをチェックする人が来た際は、Nさんのアドバイス通りに、電話線の経年劣化によるものではないか、と主張してみます。
午後6時に風呂に入りました。
現在のところ、臭いなども取れてきて、入るのに(私は)問題はなさそうです。
夕方の町の放送で、10月31日、11月3日、11月8日に保健所等の合同調査のために、健康診断に係員が各家庭を訪れる、とありました。
風呂に入っていたので聞き逃しそうでした。
明日と明後日が天気が悪そうなので、午後7時に洗濯機を回しました。
夕食は、トマトとチーズの残りにキャベツの千切りとペペロンチーノ味のドレッシングを投げ込んで食べました。
あとはお茶を飲んで誤魔化しました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年10月30日の日誌です。
今日は写真も分量も漫然と多くなってしまっています。
10月29日午後11時から10月30日午前0時35分まで、接続できませんでした。
その後も接続が断続的に不調になりました。
この日誌の投稿できた10月31日午後16時まで、時々繋がる程度で、かなりの時間は使えませんでした。
これは無線の問題ではなくて、ADSLの線の方に問題があると思われますので、火曜日にNTTの検査の係員が来たときに、強く主張します。
なお、原発20キロ圏内付近は行くのに時間がかかってしまうので、今日ではなく火曜日にしてくれ、という電話がNTTからかかってきました。
正直その方が都合が良かったので、そうしました。
Kさんが11時半に来ました。
今日は一日Kさんにお世話になりました。
大家さんの倉庫に行って、棚をしまいました。倉庫は自転車でもいける距離です。
大家さんの家に挨拶に行きました。トイレットペーパー、ティッシュペーパー、とろろ昆布を持っていきました。
大家さんの所では、犬が子供を二匹産んでいました。8月下旬に都路をうろついていた野良犬が親なのかもしれません。
ペンション経営の人が一人来ていて、しばらくその人の話を聞いていました。
船引の公民館や体育館でやっていた、市の文化祭を見に行きました。
途中の岩井沢児童館付近では、除染作業をしていました。
更に5キロほど進んで常葉町に近づくと、田んぼの稲が刈られていました。
まずは春山小学校に行きました。
今は避難所ではなく、都路中学校の仮校舎として使用されていました。
6月頃に自衛隊車両がお風呂を作っていたところは、完全に撤去されて何も無くなっていました。
船引の公民館と体育館に行きました。
かなりの人がいました。
子供が遊ぶための空気を使った大型トランポリンや、同様の滑り台がありました。
しかし、午後1時30分には、外では既に閉まっている出店もありました。
公民館入り口のところでやっていた臨時の食堂で昼食を食べました。
カレーライスと掛けそばを食べました。
公民館入り口の脇の方の柱には、見えにくいように下のポスターが貼られていました。
帰って調べてみたら、このキャラのようです。
http://mytown.asahi.com/areanews/fukushima/TKY201010160233.html
http://www.47news.jp/47topics/election/fukushima/134776.php
福島県ってすごいなぁ、という言葉しか出てきません。
スポーツの試合で「震災で頭おかしくなったのではないか」という冗談が不謹慎とされたことがありました。
しかし、そういえばこのキャラ、震災の前に登場してるキャラなんですよね・・・。
とりあえずこのポスター、http://udonya-18.com/img/c80shinsai-l.htmlに比べると完成度が劣るとはいえ、どこで手に入るのでしょうか。
手に入っても、貴重品なので展示しないで保管しておくことになりそうですが。
公民館2階では絵画などの展示に混ざって、被爆地との協力展示がありました。
その中で戦時国債について詳しく説明しているものがありました。
公民館地下の展示を見に行きました。
途中の通路に、人権擁護啓発事業として「友達のにがおえ展」がありました。
友達の似顔絵を描く事と人権の間に関係があるのかは、私にはわかりかねます。
地下では学生の展示がされていました。
その中に、小学生の「税に関する習字展」、というものがありました。
この中に『節税』『脱税』『適正手続』『due process』『暴力装置』という文字を書かせる先生がいたらどうなるだろう、などと意味のない妄想をしてしまいました。
表彰はされていませんでしたが、自分が一番好きだった書道の作品は
「玄葉あや」
さんによるものでした。
反対側では
「玄葉健一郎」
さんの防火標語が最優秀賞でした。
(写真が90度回転してしまっています)
ここらへんでは玄葉という名前は珍しくないのかもしれません。
公民館から出て体育館に向かうと、途中にラジウム岩盤浴の施設の車がありました。
今の時期ですと、人によっては不謹慎な車に感じるのでしょうか。
体育館内部では消防や無線などの展示があったのですが、堅い展示が多く、余り人はいませんでした。
ある展示によると、東京大学の研究室が商店街の再活性化を田村市で行っているそうです。
しかし、地元の地主が「バブル期の値段ならば貸してやる」などと言うそうなので、うまくいっていないそうです。
文化祭を出て、船引の仮設住宅に向かいました。途中にあったガストはかなり人が入っていました。
仮設住宅では、都路から避難してきているお年寄り3人と会いました。20キロ圏内に自宅があるそうです。
4人連れの子供たちも見かけました。
仮設住宅は交通の便がよく、駐車スペースも充分で、ゲートボール場やテニスコートもあり、プライバシーは別にして良い所に思えました。
これは私が旧スーパーの店舗に住んでいるからそう思うのかもしれません。
ただ、それでもこの仮設住宅は全棟入居しているようでした。
ダイユーエイトで買い物をしました。ほぼ全てを半額のシールがあるもので揃えました。
事務所への帰り道の途中、まだ岩井沢の辺りでは除染作業が続いていました。
事務所に帰ってきた後、Kさんがシャワールームを使いました。
問題なく使えるそうです。
シャワールームに竹酸液を撒いて虫の予防をして下さいました。
Kさんに、焼肉、豚汁、ノンアルコールビール、油揚げにネギを載せたもの、玄米、キャベツの千切り、をお出ししました。
Kさんは午後6時に帰りました。
午後7半時にIさんが友人と2人で来ました。
南相馬市での「ボランティア」活動から東京に帰る途中だったそうです。
食事をお出ししながら、しばらくお話しました。
食事は、Kさんにお出ししたものとほぼ同じでした。それから麻婆豆腐をなるべく早く作ってお出しした後、デザート用にプリンを冷蔵庫から取り出しました。
途中で警視庁の警官が2人尋ねてきました。
二人の車の停車位置が、一寸車の通行に危険な状況なので動かすように、とのことでした。
ボランティアの帰りだという話を聞くと、警官の表情が和らぎました。
大きな問題にはならなかった様で、よかったです。
Iさんとお友達は午後9時に帰りました。
お会いできて本当に良かったです。
夜中に日誌を書きながら、福島未来でググってみました。
ニコニコ動画のコメントで「もうやだこの県」というものがありました。
頭が保守的な方、・・・というよりは頭が正常な方には受け入れがたい事かもしれませんが、このコメントは最高の褒め言葉です。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年10月31日の日誌です。
ネットへのつながりが悪いので簡略版です。
午前中から午後5時まで、ほとんどネットに繋がらない状態が続きました。
ずっと昨日の日誌が書けず、かといって何時に再び接続されるかもわからなかったので、モニタの前を離れるわけにもいかず、嫌な思いをしました。
可能ならばですが、光回線への移行を真剣に考え中です。
午後2時40分にHさんが来ました。これから4、5日滞在の予定です。宜しくお願いします。
Hさんを徒歩で、まどか荘と診療所、ひまわり畑、都路中学校、体育館、古道小学校、の順に案内しました。
午後7時から夕食にしました。
玄米、油揚げとネギ、麻婆豆腐、チーズ、ヨーグルト、プリン、酒、焼き肉、アジの酢漬け、キャベツの千切り、納豆、でした。
アジの酢漬けはHさんが作って下さいました。美味しかったです。
酔いが回って危険だったので、今日はお風呂には入らないことになりました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年11月1日の日誌です。
まず、ADSLの接続についてですが、昨日からHさんのPCは接続できて、私のPCは接続できない状態が続いていました。
午後3時にNTTの人が来て、モデムの点検をしました。
モデムのランプの点灯具合、それから下でHさんが使えている事から考えて、断線や経年劣化等の繋がっていない状態とは考えられない、と言っていました。
この後、Hさんが「『現在の接続先』の画面で、SSIDが末尾に-1(ハイフンいち)がついていない方で接続してみたらどうだろう」とアドバイスしました。
それに従ってやってみたところ、私の新旧二台のパソコンとも接続できました。
ただ、とりあえず使える状態になったとはいえ、以前は-1のついていない方を使っていたのですが、接続できませんでした。
いつ再び使えなくなるのか心配ですが、このまま数日使ってみる他になさそうです。
NTTの人は
「建物の間に鉄筋などがあると、電波の届きが悪い」
「・・・どうもこれまでの経験では、無線LANのルータは建物の上へ電波を飛ばすのは向いているが、建物の下へ電波を飛ばすのは不向きのようだ」
「もしもルータを1階に持ってこられれば、解決するのかもしれない」
とも言っていました。
午後10時くらいに一瞬繋がらなくなりました。しかしすぐに復旧していました。
HさんのPCも同時に一瞬だけ繋がらなくなりました。
ソファーと布団を干しました。
Hさんが大広間に掃除機をかけて下さいました。
昼食は、Nさんから頂いた麺を使って、Hさんが味噌ラーメンを作って下さいました。大変美味しかったです。
二郎系の太麺で、かなりの食べ応えがありました。
午後4時に、かわうちの湯に行きました。
やっぱり臨時的に100円で入れてしまうのは、やや悪い気がしてしまう立派さです。
かわうちの湯の近くにあるコンビニがやっていました。
雑誌などは入荷していませんでしたが、少し感動しました。
夕食は、麦ご飯、渡邊さんから頂いた味噌汁、ヨーグルト、梅干し、納豆、焼売、、豆腐のステーキ風、でした。
最後のものはHさんが作って下さいました・・・。美味しかったです。
あとは、昼からお茶を二人で大量に飲んでいました。お酒でなくて良かったです。
(転載終わり)
Iさま、お若いのに立派だなぁ・・・、と遠い目をして羨ましく思ってしまいました。大変良い刺激を下さいましたこと、御礼申し上げます。今後とも日本を支えていって下さいませ。私のような老兵はただ消え去るのみです。
【702】[785]福島本部活動日誌です37
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年10月25日の日誌です。
今日は無線LANが繋がらなかった時間がもっとも長かったです。
10月25日午後7時から10月26日午前11時まで繋がっていませんでした。
お陰で投稿するのが遅くなってしまいました・・・。
西槙さんにお願いされていた接続のテストも、今まで出来ませんでした。これから行います。
朝食は市販の漬け麺に出汁を溶かして食べました。
朝から重いものを食べて胃の調子がおかしくなりました。
午後2時15分にKさんが来ました。その後にM商会が来ました。
シャワールームと排水管の様子を見た後、シャワールームで水を流してみました。
Kさんは「おそらく水を流して使っていれば臭いは大丈夫じゃないか」と言っていました。
またM商会も、被災者優先で工事していたので遅くなってしまったと言っていました。
明日に完成予定だと言っていました。
シャワールームは、来月半ばまで使ってみて様子を見ます。
M商会が帰った後、Kさんと、かわうちの湯に行きました。平日の午後1時~8時までの営業になっていました。
受付の人によると、露天風呂の修理が入るとしばらく休業になるそうです。
私たちも含めて8人入っていました。
帰り道で、蕎麦屋のご主人が外に居てこれからランニングをするところだったので、話を伺えました。
うろ覚えのところもありますが、箇条書きでまとめますと
「昼だけは店を再開していたが、また店を休業する」
「川内村も除染をする。ここは除染のモデルケース。やらなきゃいいのに。除染する手間でいろんなことが出来る」
「村長は除染賛成派だが、それは安心させなきゃいけないから」
「山の除染と言っても、どうせ2世代や3世代すれば線量の高い山も16分の1くらいに落ち着くのに。将来の数世代に渡ることを考えてやらなきゃいけないのに」
「あなたのところの先生の本も一気に読んでしまった」
「前に住民が言っていたのは『放射能が怖いから戻ってこられない』だったのだが、どうも大丈夫そうだとわかった現在は、後付で別な理由を作ってしまっている」
「例えば『学校が無い、スーパーが無い、コンビニが無い、etc・・・』」
「こう言っては何だが、心の病気。『ミニ郡山が出来たら川内村に戻ってくるのか』と皮肉を言ってしまった」
「行政機能も川内村でもある程度戻す。そうじゃないとここは川内村じゃなくなってしまう」
「テレビでも自分が映ったらしいが、NHKのは撮影したところの真ん中だけ放送して、肝心な最初と最後はカット」
「野田さんに『国のエネルギー政策の見直しがどうこうじゃなくて、ここまでやってきたんだから、とにかく最後まで責任を持ってやってくれ』と言った所は見事にカット」
「まもなく村議会議員の選挙。定数10人のところ15人が立候補。だいたい100票で当選だが、自分は今回危ない」
「選挙に強いのは仮設住宅で『コタツが貰える』と言っている候補者。こういう人とも一緒に議員をやらなければならない」
「だから、2週間ほど店を閉めて、挨拶回りをしなきゃならない」
「川内村に戻っているからといって有利になることは無い。むしろ不利。仮設住宅にいるほうが活動しやすい。」
と言っていました。
夕食は、残っていた焼きそば、余りものを処分するために味を濃い目にした味噌汁、焼き鳥を出汁で煮たもの、でした。
ことごとく微妙な味でした。
ここ3日間にかけて弱い揺れが続いています。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年10月26日の日誌です。
プラスチックごみを出すのを忘れました。
ごみ出しは失敗続きです。ポリバケツを買っておいて良かったです。
電話・ネット回線代を振り込みました。5178円でした。
洗濯と布団干しをしました。
午前11時にやっとネット接続が回復し、Nさんが提案していた簡単な実験を出来ました。
午後3時半にM商会の人たちが来て、工事を終了させました。
工事の最中に、70メートル離れたところにあるガソリンスタンドに灯油を40リットル買いに行きました。1リットルあたり93円でした。
M商会から、建物の脇からコンセントを引っ張ってきており、冬の間は凍結防止用のコンセントを抜いてはいけない、と言われました。
また、同様に凍結防止が理由で、冬の間はお湯の電源は切らないで、リモコンのスイッチがLoと表示される状態を維持しなければならない、と言われました。
M商会が帰った後、さらに灯油を買いに行きました。それを半分だけ灯油タンクに入れたところ、ほぼ満杯になりました。
足場や入れ口の関係上、一人で入れられるのか心配だったのですが、なんとか大丈夫でした。
午後5時半、シャワールームに無理やりに入ってみました。
建物の蛍光灯をつければ上から光が入るので、内部の明るさは大丈夫だと思います。
シャワールームに入る際と出る際、共に入り口の金具に足がぶつかりました。入り口は人に優しくは出来ていません。
まずは内部をシャワーで洗いました。シックハウスの臭いは、これでほぼなくなっているように感じました。
それから体を洗い、風呂の部分にお湯を溜めて入ってみました。
体を洗うのはやや狭目でしたが、その分風呂としては効率的でした。
以前はタライにお湯を張ってお風呂にしていたので、それに比べれば雲泥の差でした。
ただ、普通の生活をしている人から見れば、余り良くない入浴環境なのかもしれません。
何れにせよ、1週間風呂に入れなかった6月頃を経験してしまった私には、これがどの程度の入浴環境なのか分りかねます。
突っ込んで言いますと、私はともかく・・・普通の人がこれにしばらく入るのは厳しいのではないかと思っています。
夕食は、濃い味噌汁にそばを茹でてから投げ込んで食べました。安定した不味さでした。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年10月27日の日誌です。
布団とソファーを干しました。
掃除機をかけました。
トイレを二箇所掃除しました。
掃除が終わった後に足が濡れてしまったのですが、相当に体が寒くなりました。
新聞の集金が来ました。2905円でした。
電気代のお知らせが来ました。
「従量電灯B50アンペア」が1021kWh使用で25405円、「低圧電力15kW」が未使用(0kWh使用)で9056円でした。
従量電灯Bの方はこれ以上減らすのはなかなか難しい状態です。
それでも以前の半分近くの電気代になって嬉しいです。
水道管凍結防止のコンセントを差し込みました。見落としが無ければ、全部で12箇所あるはずです。
時期的にまだ入れなくても大丈夫かとは思うのですが、安全第一で早めに入れました。
今日も風呂に入りました。
暖房器具として優秀に感じました。
現在のところ、昨日以上の感想は出てきていません。
明日はエロゲーの集中発売日です。秋葉原に居たかったかも、と少しだけ思いました。
まあ、他の街は、例えば渋谷、新宿、代官山、あたりは、私には余り関係無いのです。
それでも、秋葉原と中野と有明と池袋の一部と浜松町などのイベントホールは、なくなったらモニタの前以外に居場所が無くなってしまいます。
なんばとか大須とか中関村とか一回行って見たいものです。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年10月28日の日誌です。
午前1時35分にパトカーが走っていました。かなりスピードが出ていたので、福島県警だと思います。
3日前から連続して、大型ポリタンクを満載したトラックが288号線を帰っていきました。
6月ごろはパトカーばかり目立っていて気づかなかったのですが、改めて通る車を見てみると工事車両が多かったです。
ソファーと枕とタオルケットを干しました。
午前中に、HさんのMLでのメールに従い、露天風呂に水を溜めてみました。
3割ほど溜めたところで、水が少しずつ漏れ出したので、溜めるのを中止し、写真を撮りました。
午後2時に、Nさんが来ました。
ラーメン大の大久保店店主さんです。東京に行った際は行ってみようと思います。
とろろ昆布と出汁の素を頂きました。
お昼として、ご飯、豚汁、麻婆豆腐、トマトとチーズにドレッシングをかけたもの、豚肉を焼いただけのもの、をお出ししました。
豚肉は石井魚店で買ったものだったのですが、Nさんが「この豚のばら肉は良い」と仰っていました。
ご飯の後に、事務所内、検問所、体育館、小学校、中学校、ひまわり畑、の順に案内しました。
午後3時45分にNさんは帰りました。399号線を使って川内経由でいわき市に行った後、東京に戻るそうです。
お世話になりました。
amazonで頼んだキーボードに不具合があり、返品せざるを得ませんでした。
夕食は、ご飯、豚汁、ネギを入れた納豆、でした。
午後11時35分、珍しいことに普通の車が検問所方面に走っていきました。
(転載終わり)
Nさま、先日突然お邪魔してしまい、失礼しました。お仕事中のNさまは大変格好良かったですし、ラーメン大 大久保店のラーメンはとても美味しかったです。また、復興応援メニューを作られているのは、素晴らしい事だと感心しきりでした。