重たい掲示板

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松村享(まつむらきょう) 投稿日:2011/12/24 19:35

【734】[822]石井裕之様へ

松村享(まつむらきょう)です。

石井裕之様。ご返信ありがとうございます。

ちょっと細かいですが
私の名前は『亨』ではなく『享』です。

『是非そういう環境をつくってみる事をおすすめしますね』
というお言葉頂きました。

実は、現在そういう環境をつくっているところです。
SPECTRUM.REVOと名づけたチームで、一応、私が代表をさせて頂いております。
SPECTRUMとは、ニュアンス的には、グラデーションという意味。
我々ひとりひとりの創造性が、個々の色彩を放ちながらも、緩やかにつながってゆく、そういう意味をこめて名づけました。

ホームページを貼っておきます。
http://sperevo.blog69.fc2.com/

主にイベントを開催しております。

まず毎週、代々木公園でUSTREAMを使って、カメラ設置して、生のラジオ放送をやっております。『テレビがくだらねえから、俺たちで番組やっちまおうぜ!』が趣旨になります。

また、少々変わったデモを、二、三ヶ月に一度、渋谷のど真ん中で警察の人に見守られながら開催しております。
国とか何が、とかではなく、日々の主張を叫ぶ場です。
中には『彼女募集中』とか叫んでいる者もいます。

多分、若気の至りと思われても仕方ない事を、半ば意識的に行なっております。そっちの方が、若い人が面白がってくれますので。

三月には女性メンバー発案の『ファッションは世界を変える?』というイベントを開催、またもうひとつ、環境問題に即したイベントも議論しているところです。一方的な講演形式ではなく、参加者全員対話の形式を目指したいと思っています。

一年後には、お金が発生できるように持って行きたい、というのが、代表である私の考えです。しかし、ビジネスにする事の難しさも感じています。

やりたい事とお金をからませるのは、とても難しい。
コーヒーショップというのは、素晴らしいと思います。

最後に『人は生きる為に必ずその社会に対して貢献しなければなりません』
とのお言葉に寄せます。

おそらく、それは今の若者もわかってるんだと思います。
わかっているからこそ、好きな仕事でなくとも就職し、親を安心さる、中には少しずつ病んでいく者が現れ、最悪な形として自殺を選ぶ、というケースもあるのではないかと。

甘えちゃいけない、貢献しなければならない、という倫理観に押しつぶされているのも、ひとつの側面として、現状だと思うのですね。
もう少し、奥底まで見てやって頂ければと。

私はもとより就職した事もする気もありませんし
『苦しい』などと言うのは日本男児にもとると感じ嫌悪感が湧くのですが
自分を信じられず、『貢献』の軛のために行動起こせず苦しんでいる若いのは、確かにいます。どうぞ見てやってください。

必ずしも自殺が悪いことだとは思っていません。
死ぬも生きるも、その者の自由だと思っています。
ただしそれは、自由意志に基づいた場合であり
追い詰められて自殺するのとはちがうと思っています。

もっと、創造性、自由意志の実現できる世の中になればいいと願ってやみません。私たちは、行動するのみです。

松村享 拝

石井裕之 投稿日:2011/12/24 05:25

【733】[820]フフホト通信(中国内蒙古自治区から)

中国内蒙古の石井です。
前回の投稿から、また随分と時間が経ってしまいました。
実はこの夏に、とても感動的なほど旨いコーヒー豆と出会いまして、その豆の存在を何とか広く知らしめたい、とコーヒーショップを始めることになってしまいました。
その準備で追われておりまして、随分と忙しい毎日を送っております。

さて、「818番の松村亨さま。投稿を拝見致しました。
残念ながら私は50歳でも60歳でもありませんが、「労働」に対するあなたの考えに少々戸惑いを感じざるを得ません。

計画経済であれ、資本主義経済であれ、人は生きる為に必ずその所属する社会に対して「貢献」しなければなりません。貢献の仕方は、その人の置かれている立場や環境によってまちまちでしょうが、何の貢献もなくのうのうと生きてやろうなどと虫が良すぎると言うものです。
また、貢献してやるから優しくしろ、というのもどうでしょう。
今の世の中に、それは恐らく求めても得られるものではないと思います。あなたの家庭以外で、あなたに優しくしなければならない根拠がないですから。
であれば、是非そういう「環境」を創ってみられることをお勧めしますね。

社会にネダる前に、自分たちで創ってみて下さい。
もし面白いモデルが出来て、それがビジネスとして成立するのであれば、それに対して投資する人間はいくらでも出てくると思います。
押し付けられる「労働」が嫌と言うなら、是非自発的にチャレンジしてみて下さい。
今の中国は、そんな若者で溢れ返っていますよ。

副島隆彦 投稿日:2011/12/23 10:21

【732】[819]野村証券が潰れる。 破綻処理して日銀特融(にちぎんとくゆう)を受ける緊急事態になっているようです。

副島隆彦です。 数日前から、日本最大の証券会社である野村証券が、破綻しそうだ、という噂(うわさ)が金融業界で飛び回っていました。

以下の時事通信の記事が決定的です。 おそらく野村証券は、すぐにも つぶれるでしょう。ついに ヨーロッパとアメリカの金融危機は、いち早く日本に飛び火しました。

(転載貼り付け始め)

● 「 野村も事前再建・処理計画=国際金融安定へ準備要請―3メガ銀と同等・金融庁」

2011年12月22日(木) 9時32分配信  時事通信

 金融庁は12月21日、金融危機の連鎖を防ぐために 国際的な 巨大金融機関(G―SIFIs)が 策定を義務付けられている「再建・破綻処理計画」(RRPs)について、証券最大手の 野村ホールディングス<8604>にも求める方向で調整に入った。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 この事態は日本の金融秩序にとって、相当に深刻な事態を引き起こすでしょう。

 私は、今も全国の書店に並んでいる 自分の最新刊「 金・ドル体制の終わり もうすぐ大恐慌」(祥伝社刊、10月26日に原稿が私の手元を離れて、11月20日に発売された)  で、「 野村証券は、ギリシャ国債などを目標とするCDS(シー・ディー・エス)をヨーロッパの大銀行にたくさん売っているので、もう助からない。潰れるだろう」 と書いた。

 そして野村は、緊急で、日本政府による 強制的な資本注入(しほんちゅうにゅう)=公的資金投入 を 、おそらく 2から3兆円受け入れるだろう。 それを日銀の緊急の救済策である「日銀特融(にちぎんとくゆう)の形で行うだろう。 そして、即座に、M&A(エム・アンド・エイ、吸収合併)の形で、野村証券を 三菱UFJ銀行の傘下に置くだろう、と書いた。

 
このあと、この 重たい掲示板に、松尾君が、12月19日に、以下の情報文を載せてくれた。それを再掲載します。 FACTA(ファクタ)誌という定評のある金融・財界雑誌 の最新号に乗った 記事です。 きわめて重要ですので、よく読んでください。

私、副島隆彦は、野村の倒産(=破綻)は、正月明けの10日ぐらいまで伸ばして、ゆっくり準備してやるだろう、と思っていた。ところが、初めの方に乗せた 時事通信の 昨日12月22日(木)の記事で、 しかもこれは、ヤフー・ファイナンスの 最新ニュースのところに載っていた。

今日、金曜日(23日)から連休であるから、来週月曜日の26日から大騒ぎになることは必定である。 日本の最大証券会社の 野村証券の破たんは、金融業界だけでなく 日本の金融制度(=信用秩序)にとって大変な事態である。

 年明けを待って、などと悠長なことを言っていられない事態になったのだろう。 冒頭の時事通信の 記事の 「金融庁は、・・・ 国際的な 巨大金融機関(G―SIFIs)が 策定を義務付けられている「再建・破綻処理計画」に、・・・野村証券も入れた」 という決定は、
以下の評論記事の 中の 「 英FSA の強い懸念を受けた日本の金融庁は、・・・」とぴったりと符合(ふごう)する。

イギリスの経済警察(エコノミック・ポリス)であるFSAは、旧大英帝国の植民地であった島々のまま小さな国家である ケイマン諸島やバーミューダ諸島に対して、歴史的に強い監督、調査権を今も持つ。 急に11月から明るみに出て騒がれオリンパスの1000億円の損失隠しの「飛ばし」をここで行われていたことが判明した。

 この「飛ばし」(会計帳簿の外、簿外での資金の操作 )事件は、野村証券の大幹部のOBがケイマン諸島で、オリンパスの社外重役の資格でやっていたものであることが、 オリンパス社の社長をしていて解任されらイギリス人の・・・氏によって、英高級経済紙のFT(エフ・ティー、フィナンシャル・タイムズ)紙に載ってしまった。

これでいよいよ 野村証券は、逃げられなくなった。私が、拙著「金(きん)ドル体制の終わり」の中でも、名指しで書いた、野村証券の氏家純一(うじいえじゅんいち)会長 (社内では、彼はどこか上の方から降りてきた”宇宙人”と呼ばれていた) は、12月に入って、行方不明である、という噂が業界に流れていた。 FSAと日本の金融庁の合同での事情聴取を受けてどこかに逃げ出したのだろう。

こうやって、必死で食い止めてきた 金融(=信用秩序)のダムの決壊(けっかい)が日本でも始まった。 私、副島隆彦は、この事態の緊急性と重要性を冷酷に測定し、判断する。いよいよ 私が、ずっと2003年から書いてきたことが始まった。  以下の評論記事を、何度も、しっかりと読んでください。

副島隆彦拝

(転載貼り付け、再掲載)

重掲 [812] 野村に資本注入計画

投稿者:松尾 雄治 投稿日:2011-12-19 11:08:36

松尾雄治です。
Facta Online 2012年1月版 から 転載します。

(貼り付け始め)

野村救済に「資本注入」計画

 1月に格下げなら土俵際。三菱UFJか三井住友との資本提携を模索。銀行免許をもらう奥の手も。

Facta Online 2012年1月号

「野村證券は日銀に取引口座がある証券会社です。資金繰りに困るわけないでしょう」――野村證券の持ち株会社、野村ホールディングス(HD)執行役員(リスク担当)、柏木茂介は、必死で欧州の金融当局や格付け会社に説明を続けてきた。

 野村が資金繰りに窮しているとの噂はこの夏、欧州のインサイダーたちの間で燎原の火のごとく広がった。火元は英国の金融監督当局である金融サービス機構(FSA)。

 3年前のリーマン・ショック以降、金融機関の資金繰り破綻にことのほか神経質で、主だった日系金融機関の現地法人や支店に対しても資金繰り状況を定期的に報告させていた。11年に入ってから、資金の市場依存度が高い野村に警戒感を強め、日本の金融当局に指導を打診するほどだった。

 英FSAの動きに気づいた欧米格付け会社は、野村にヒアリングを開始した。現在の野村の格付けは米格付け会社ムーディーズ・インべスターズ・サービスでBaa2。

 取引相手の信用リスクに神経を尖らせている欧州資金市場では、格付けが1段階下がっただけでデリバティブ(金融派生商品)取引はかなり困難になり、2段階下げだと投資銀行業務がほぼ麻痺し、国際取引から完全撤退を余儀なくされる。

日銀は特融に慎重姿勢

 焦った野村は「日銀口座」まで持ち出して格付け会社に説明した。確かに銀行でも破綻した日本振興銀行に日銀は口座を開かせなかったから、それは日銀が野村を「信用」しているお墨付きだし、いざというときの資金供給のチャネルでもある。

 だが、これが仇となる。柏木の説明を受けた格付けアナリストが内々に日銀関係者に問い合わせると、「担保の範囲内でならいくらでも」と答えたものの、無担保でも貸し出す日銀特別融資(特融)は「簡単に発動できるわけがない」と繰り返した。

 ムーディーズが野村の格付けを11月9日に格下げ方向で見直すと発表したのも、同月1日発表の7~9月期連結決算が460億円の赤字に転落しながら、日銀を含む当局が「万一の時は救済する」とのサインを出し切れなかったからでもある。

 野村の窮状は株価に端的に表れている。9月6日に大和証券グループ本社を下回り、低迷の一途で時価総額は1兆円を割り込んだまま。野村が主幹事のオリンパスの不正会計が表面化した11月上旬には、つられてストップ安。

 慌てて野村證券副社長兼COO(最高執行責任者)の柴田拓美が、兜クラブのキャップ級記者を個別に呼んで「風評被害だ」とばかりに説明に努めた。

 実は英FSAの強い懸念を受けた日本の金融庁は、11年夏から強力な野村監視体制を組んでいる。事実上の「金融庁管理会社」とのボヤキが野村社内からも漏れる。「とにかく手元資金を厚くしろ」との指示のもと、野村は傘下の野村プリンシパル・ファイナンスを通じて投資していた外食大手すかいらーく株を米ファンドに売却、2600億円の現金を確保した。

 野村不動産や野村総合研究所の売却先探しも躍起で、香港のファンド関係者の間では「買い叩ける」との見方も広がった。手元を厚くして市場の信認を得たい、格下げを回避したい、との必死の工作だ。

 野村は当局の指導もあって、メーンバンクづくりにも動いた。すかいらーく売却前の11年夏にはグループCEO(最高経営責任者)の渡部賢一が、三菱東京UFJ銀行頭取の永易克典を訪ね、資金繰り支援を要請。クレジット・ライン(資金貸出枠)の設定で合意したもようだ。

 三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)では、傘下の三菱証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)が巨額赤字を繰り返し計上してきただけに、野村の国内部門は垂涎の的で、できればこの機に買収したいとの思惑。野村にとっても三菱UFJはいざというときの駆け込み寺。両社の企画部門は頻繁に会合を設け、相手の腹を探りあっている。

 ただ、MUFGは米投資銀行モルガン・スタンレーを11年春に連結対象にしたこともあって「旧リーマン部門は不要。海外を売却してから」と三菱・野村の資本提携に高いハードルを課している。 

 そこへ、MUFGの動きを察知した三井住友FG(SMFG)がちょっかいを出した。野村へクレジット・ライン契約を打診し、出資を含む交渉に入った。三井住友にしてみると、日興証券は買収してみたものの、海外拠点網はお寒いかぎり。

 野村、大和と違って証券部門は黒字を維持しているが、収益源にまで育てるには海外網も持つ野村は手に入れたい代物だ。そのうえ「万一、三菱にとられたら、二度と差は埋められない」と危機感を募らせている。

 野村サイドにもMUFGとの交渉を有利にしたいとの思惑があり、三菱側に三井住友からのアプローチを隠さず、両てんびんにかけている。

 内部の立て直しでそれどころではないみずほFGを除いた2メガバンクの野村争奪戦は、しかし意外に盛り上がりに乏しい。2メガとも、欧州危機が一段と深刻化した10月以降、野村の欧州での資産は劣化したとみており、不良債権の山ではないかと警戒し始めているからだ。

 日本の金融当局は英FSAの野村への検査をベースに「悪化を織り込んでも債務超過にはならない」と伝えている模様だが、両メガとも「もう少し欧州情勢が落ち着くまでは」と慎重になり、いざという時に間に合わなくなる恐れが出ている。

劣後債「特約」にドッキリ

 実は、英FSAが指摘した懸念は野村の資金繰りだけではない。日本政府に野村のきちんとした救済手法がないことを問題視、米リーマン・ブラザーズの破綻が世界的な金融システム不安につながった例を引きながら「巨大証券が万一破綻したら大変」と制度対応を求めている。

 米国ではリーマン危機直後、大手投資銀行ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーとも銀行持ち株会社に移行しており、いざとなれば「銀行」として救済が可能。日本では野村と大和が証券会社のままで、“伝家の宝刀”である預金保険法102条に基づく公的資金注入で救済することができない。

 欧州危機の深刻化に金融当局も「野村が万一の時は」と野村HDに銀行免許を出すことを検討したが、不動産会社やプリンシパルを抱えたままでは「難しい」と諦めたという。そこで野村は、銀行免許もとれるよう野村不動産の売却に動き、プリンシパルも全て投資株を売却して事実上機能停止した。いざというとき銀行免許を取得できる道筋はできつつある。

 さらに、新しい自己資本比率規制(バーゼル3)下でも自己資本に算入できる劣後債1700億円を主に個人向けに売り出し、12月12日から募集に入った。金融庁が破綻認定し公的資金が注入されたら元利の支払いをやめる特約付き。「そこまでやるか」と市場は目をむいた。

 欧州危機で野村には多くの安全ネットが張られた。1月末ごろにはムーディーズの格下げ判断の時期が来る。後手に回らぬ戦略は打ち出せるだろうか。(敬称略)

(再掲載、貼り付け終わり)

副島隆彦拝

松村享(まつむらきょう) 投稿日:2011/12/23 03:13

【731】[818]はじめまして。

はじめまして。
会員番号5307番、松村享(まつむらきょう)と申します。

25歳でフリーターです。
大学には行っておりません。
高校からして、だいぶサボりがちでした。

さぼって何をしていたかというと
神社の木陰なんかで三島由紀夫やらヘーゲルやら読んでいました。
あとは、ふらり旅に出てホームレスのおっちゃんと一晩語り明かしたり
あるいは、誰かを殴って警察に連れていかれたり、典型的に反抗的なティーンネイジャーでした。

様々な事を考えていました。
生きるということについて、
人間世界について、そうなると歴史について
次は現代の世界情勢について
そんな思考の途中で、小室直樹先生や副島隆彦先生と出会いました。

少年期の私の人格形成は、先生方にかなり深い影響を受けたと思います。

とかく、考え事をしている人間で、世界観は膨大になっています。
もちろん自分個人の歴史ですし、これまでの自分にプライドを持っております。

が、これまで自分は自分以外の存在を認めていなかったことも事実だと思います。
また、大きく育った世界観からのみ物をいう、次第に現実に立脚せず、あちら側の世界の住人と化してしまいがちな面もありました。これは、副島先生に指摘された事です。

なので、これからこの重たい掲示板において
大きく普遍的な人間世界を語るのではなく
自分の現実に立脚した、日々徒然の考え、思考の破片を
少しずつ書いてゆこうかと思っております。
よろしくお願いします。

最近思った事、
自分は、お金がない!!
だいぶ社会不適合なところがあって、普通に労働できないんですよね。

で、類が友を呼んでいるのかわかりませんが
自分の周りには、就活に反対している者もいますし
そこまで表面に出してはいずとも
『仕事ってまさしく時間泥棒だよな』とぼやいている者もいます。
労働は神聖なり、の倫理は私たち、あんまり持ってないと思います。

時代的なものは大いにあると思いますが、
50歳、60歳の方々は、私たちの世代のこういう態度
労働にあんまり興味を持っていない生き方をどう思われるのかは気になります。最近の若者はーと言われちゃうんでしょうか。

労働を価値の生産と定義付けるならば
たぶん、大概の事に価値を見いだせなくなっている状態が、今の私たちなんですよね。

今たぶん周りを見る限り、なんでもない普通の、ほんのり暖かい人間関係を求めてる人間がものすごく多いと感じます。
本人は言わずとも、私はそう感じます。

若干、逆説めいてきますが
ほんのり暖かい人間関係が築ければ
今の若者も、労働に身を入れる事ができるんじゃないかと感じます。
(私個人はどうしても労働できないのですが)

だんだん、小室先生の話に近づいてきている感じがしますが
『共になにかをやる事』が日本における共同体の生成法ならば
労働問題、経済問題は、ほんのり暖かい人間関係までも考えてあげねばならないと思っています。

経済問題は、経済の事だけを考えても永久に解決しない!
と思いました。

さて今日はこの辺でやめておきます。
それではまた、ぽつぽつと投稿してゆきたいと思います。

松村享 拝

吉見 おさむ 投稿日:2011/12/21 18:34

【730】[817]福島本部活動日誌です49

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年12月11日の日誌です。

LEDライトの光がまだ慣れず、寝るのに一苦労しました。

洗濯をしました。外に置くしかない洗濯機が冬季も普通に動いてくれるか、今から心配です。

午後7時、Iさんが来ました。
Iさんは、夜のうちから屋根を作る作業に取り掛かっていました。

レシートの整理をしました。
明日、ダイユーエイトで過去のポイントをつけてもらう関係上、一度金庫の金を使って11月にかかった費用を清算しました。
未明までかかる作業になってしまいました。

遅めの夕食として、ご飯、漬物、もずく、納豆、麻婆豆腐、を用意しました。
もっと書くことがあったはずなのですが、思い出せません。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年12月12日の日誌です。

燃えるごみを出しました。

午前8時38分、機動隊の車両が2台通りました。一台は川内村方面に行き、もう一台は都路の検問所方面に行きました。
月曜日が検問所の見張りを交代するタイミングだと聞きましたので、その車両だったのかもしれません。

船引と常葉町にIさんの軽トラックで行って、屋根の材料を調達しました。
行く時に「鳩を原ノ町まで飛ばす」と言っている人たちが、都路大橋を下りた所に居ました。
行きの道の途中ですれ違うトラックは、「災害復興支援」と書かれた張り紙をフロントガラスに貼っていました。
ダイユーエイトとコメリで鉄パイプなどを購入しました。洗濯機の延長排水ホースや夕食用の食材なども購入しました。
途中でケーズデンキとコンビニに寄らせてもらいました。LEDスタンドとエネループ、それから、事故から1ヶ月の間をまとめた河北新報のムックを購入しました。

午後2時から歯医者に行きました。1時間20分かかりました。

遅めの昼食は、焼そばでした。

Iさんは屋根を作る作業をしていました。

午後8時から、Iさんが設置した看板上の照明の設置を簡単に手伝いました。

夕食は、蕎麦、酒、漬物、もずく、半額の海栗、半額の生牡蠣を酢醤油で味付けしたもの、でした。
主な調理はIさんがされたので、美味しかったです。
なお、メキシコ産の199円の海栗は、一寸変な味がしました・・・。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年12月13日の日誌です。

検問所の警官は2週間で交代するのだと聞きました。
また、ガソリンスタンドで雑談をしていた人達が
「事故の後な~んであいつら原発の方行くんだってやつらがいたけど、あいつら今思えば窃盗団だったんだなぁ。ATMとかコンビニとか、6億やられたらしい。」
と言っていました。

灯油を60リットル、ガソリンスタンドで補給しました。

2階と奥の部屋に掃除機をかけました。
布団とソファーを干しました。
洗濯をしました。

昼食は、ご飯にかれいの煮付けもどきを載せて、一気に食べました。

Iさんの作業を簡単なものだけ手伝いました。
とは言っても、余り役に立ってはいませんでした。

今日NTTの工事があって、光回線へ切り替わりました。
ADSLよりもずっと速くて驚いています。
但し、無線LANが上手く設定できていない状態です。

ガラスの壁に断熱材を貼りました。まだ半分ほど貼る箇所が残っています。

常葉町のコメリに屋根の部品を買いに行きました。
行く時に古道体育館の明かりがついていました。

夕食は、ご飯と鍋もどきを作って、後は昨日と同じものをお出ししました。
私は腹の調子がおかしかったので食べませんでした。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年12月14日の日誌です。

無線LANの設定が出来ました。
現在問題無く使用可能です。2階でも使えます。
なお、2階のPCのメンテナンスを少しだけしました。

久々に石井魚店に行きました。
帰りに通りがかったパトカーは、警官が厚い防護服を着ていました。

昼食は炒飯をIさんが作りました。

午後3時10分、古道体育館に行ってみましたが、入り口、裏口ともに人がいて、ちゃんとした写真が撮れませんでした。
脇の入り口には車が停めてありました。

公民館の駐車場には宮城ナンバーの車が2台、いわきナンバーと福島ナンバーの車が3,4台置いてありました。

古道小学校の崖崩れ現場では、隣の木々も切られていました。

ショベルカーが崖の上から入れられていました。

大家さんのところに自転車で行って、屋根を作る許可を貰ってきました。

M商会でパイプを5本購入しました。
Iさんによると「意外と品揃えは良い」とのことです。

夕食は、余り物で作ったカレー、セロリと長芋のサラダ、白菜の漬物、でした。

六城さんが関心を持っていた、たくきよしみつ氏の裏日記はこちらです。
http://gabasaku.asablo.jp/blog/

(転載終わり)

(転載始め)

2011年12月15日~20日の日誌(・簡略版)です。
一寸大量に溜めてしまったので、時系列のおかしい簡略版ですが、ご容赦下さい。

17日に雪が降りました。

20日現在で融けていますが、また降り出しています。晴れているのに雪が降っています。
なんとか自転車を走らせることは出来ましたが、今後はわかりません。
道路は凍結しそうですので、ご注意下さい。

17日の検問所前の立て看板には、雪に注意を促す看板が追加されていました。

奥では3人の警官が外に立っていました。

丁度、原発に向かう作業員が検問所を抜けていくところでした。

公民館前の駐車場では、防護服を着た人が車に乗るところでした。

体育館内には防護服を着た人達が集まっていました。

Yさんが15日の午後3時半に来ました。
取材の途中で通りがかったそうです。
3分だけ居て、事務所の写真を撮っていました。
「ここだったのか・・・」と言っていました。

大家さんの奥さんが来ました。
干し柿を頂きました。

288号線と399号線を小型クレーンのついたトラックが頻繁に行き交っています。
以前に比べて、警察車両の頻度が減り、資材を積んだトラックが増えています。


19日の午前8時30分に、検問所方面から家畜運搬車が走ってきて驚きました。

警察車両のなかに、のどかな音楽をかけながら防犯を呼びかけるものが出てきました。

歯医者に行きました。

16日、17日は食事を摂らずに、お茶だけ飲んでいました。
残っているラーメンや鍋の残りなどがなかなか減りません。

K先生から衣類を頂いてしまいました。大変恐縮です・・・。

東京書籍の「new horizonでもう一度英語をやってみる」が届きました。
内容がエロゲやラノベ、そのまんまでした。
過去の教科書に載っていたキャラ達がこんな風に成長するのは、大変感慨深いです。

この本で一番盛り上がるのは、この絵を見て、どちらが攻めでどちらが受けなのかを考える事なのだと思います。

流石は、教科書を作っていたにも拘らず、トンキンハウスという名前で名作ギャルゲーを作っていた、東京書籍という・・・・・・・・・優れた出版社の著作物は物凄いと感服しました。
(ただ、エロ小説のフランス書院は筑摩書房がやっている(らしい)ことを考えると、余りおかしい話ではないのかもしれません。
少なくとも光栄の様に、世界初のエロゲーを作ったのに、社史からその過去を抹消するような行為とは比べようもありません。)

(転載終わり)

東京書籍というと、東大受験生必携と言われる(らしい)世界史Bの教科書&数学の問題集であるニューアクションシリーズが人口に膾炙していると思うのですが、私には断っ然「Lの季節」です。もう少し私の能力が高ければ、ギャルゲー史上最高傑作との意見もある「Missing Blue」を出来たのでしょうが、挫折しました・・・。

吉見 おさむ 投稿日:2011/12/21 17:56

【729】[816]福島本部活動日誌です48

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年12月7日の日誌です。

痛み止めを飲んだ影響か、起きられたのは午後2時でした。
やっぱり治療箇所の神経は、ずっと痛かったです。

Iさんは一旦実家に帰りました。明日からまたお世話になります。
なおIさんがいつの間にか、昨日の鍋もどきを煮物(風?)にして下さっていました。

今日も午後6時まで体育館の電気が点いていたので、作業をしていたのだと思います。

午後6時から駄目になりそうな食材を加熱処理しました。
しめじを出汁で煮てから日本酒、砂糖、醤油、チーズを入れて誤魔化しました。

夕食は、4日前のご飯、納豆、もずく、でした。

夜は痛み止めを飲んで、溜まっていた日誌を投稿しました。
不完全な所がたくさんあって、頭が痛いですが、送信ボタンを3日分押してしまいました。
画像の整理に手間取ってしまい、その分だけ内容が薄くなってしまっています。

12月8日午前3時半、パトカーが検問所方面に走っていきました。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年12月8日の日誌です。

午後2時、Kさんが来ました。
川内村の(井出茂村議会議員のやっている)旅館兼蕎麦屋に行ってみたのですが、誰も居ませんでした。
入り口の所にお酒とKさんの持ってきた花を置いて帰りました。
入り口の横には先生の書いた紙が貼ってありました。

Iさんが午後3時15分に来ました。
KさんがLEDライトを持ってきたので、1時間かけて、新聞ポストのある柱に飾りました。

(↑は夜撮った画像です)

3人で船引に行きました。
Iさんの屋根の部品調達にダイユーエイトに行きました。これでほぼ材料は揃ったそうです。
また、窓に貼る断熱材、はさみ、電源延長コード、半額の食料品なども購入しました。
船引の中華料理屋で夕食にしました。
食後にKさんと、都路に戻ってからIさんと別れました。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年12月9日の日誌です。

午前1時に288号線を通りがかったパトカーが、LEDライトの所で減速していました。

体育館に行ってみました。
暗くてよく分かりませんでした。
また、体育館のガラスが反射するので、適切な写真が取れませんでした。
明日また行ってみます。

12月10日午前6時50分、「浪江??」と書かれた中型クレーン車が、288号線を帰っていきました。
その後も検問所方面から帰ってくる車が多かったです。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年12月10日の日誌です。

昨日、今日と、余り掃除などが出来ず、ストレスが溜まります。

灯油を30リットルガソリンスタンドで補給しました。

古道体育館で作業をしていたので、終わりに行ってみました。
入り口に車が一台置いてありました。

体育館内部は、ストーブの周りにパイプ椅子が並べられていました。



(この写真に「着装場」の文字があります)
入り口に一人作業員がいて、帰り支度をしているところでした。

この写真を撮ってから5分後に体育館の電灯が消えました。

今日の都路の放射線量は0.35μSvでした。

「冬コミックイベント直行バス」というものが最近はあるのか、と、遠い目を一日中していました。
http://travel.willer.co.jp/event/comicevent/index.html?mid=440
また、そこからのリンクに貼ってあった「KKRホテル」というのは、「コールバーグ・クラヴィス・ロバーツのやってるホテル」なのか?と早合点してしまいました。
国家公務員共済組合連合会のホテル、でした・・・。

(転載終わり)

電灯やLEDライトをつけずに節電した方が良いと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、丁度このあたりは電灯が無くて少し危ないので、夜に明かりをつける意味があるところです。

吉見 おさむ 投稿日:2011/12/21 17:27

【728】[815]福島本部活動日誌です47

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年12月3日の日誌です。

雨が降っていました。
そのせいなのか、ずっと続いていた体育館の作業が今日は無かったようです。

レシートの整理をしました。
その他にも些事を処理していたら時間が過ぎていました。
・・・別にサボっていたわけでもないのですが、何をしていたのか思い出せません。
若年性健忘症でしょうか。
(思い返してみると、写真の縮小とアップと整理、ごみの整理、の二つでした。)

光回線への切り替え手続きをしていました。12月13日から切り替わる予定です。
1月当たり2000円余計な出費になりますが、ライフラインの一種なので倹約しないことにしました。
併せて古いプロバイダの解約手続きを行いました。こちらは少し時間がかかります。

夕食は、賞味期限5日切れのラーメンを食べました。
同時に10日前の鍋を食べました。もう少しです。

明日来るIさんとHさん用に簡単な料理の下準備をしました。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年12月4日の日誌です。
今日も写真が漫然と大いです。

午前中は、駄目になりそうな食材を加熱しました。
風が強すぎて、布団を干せませんでした。干せたのはソファーだけでした。
また、ポリバケツの蓋がいつの間にか飛ばされていて、粉々になっていました。
おそらく288号線上にあったところを車に潰されたのだと思います。悔しいです・・・。
ポリバケツの本体は崖の下に落ちていたので、明日取ろうとしてみます。

昼食として、11日前の鍋を食べました。もう少しで完食です。

IさんとHさんが来ました。
まずは検問所を案内しました。

帰る時に、検問所を撮影しに来た人がいました。

昼食は、船引の中華料理屋に連れて行って貰いました。
私の頼んだ「中華風エビチリドリア」は、・・・・・・合いませんでした。

昼食後に船引の仮設住宅と春山小学校を案内しました。
仮設住宅の通路はかなりアスファルト舗装がなされていました。


仮設住宅のごみ置き場内に、シクラメンが寒さを避けるために入れられていました。

春山小学校に向かう途中、東電の賠償相談窓口は開いていませんでした。

休日だからやっていなかったのか、それともここから引き払ったのかはわかりません。
春山小学校の内部は、10月30日とは違い、よくある小学校の風景になっていました。

船引の駅前は普通の町の光景でした。

船引公民館には車が一杯停まっていました。北島ファミリーの演歌公演があったようです。

途中でフジテレビの車が船引の288号線と349号線の交差点を通って、おそらく三春か郡山に帰っていきました。

ダイユーエイトに寄らせてもらって、半額の食料品とポリバケツの蓋を買いました。
また、船引と常葉町の酒屋でウイスキーとリキュールを補充しました。
といいますか、補充しすぎました。

都路に戻ってから、体育館と小学校を案内しました。
体育館は今日も電気がついていて、入り口に人がいました。作業が終わったところだと思います。
外から見えないような補修がなされていました。

奥には防護服と一緒に
「スクリーニングエリア 〔入域時〕○マスク、綿手、シェズカバー着用 (作業時)?????○タイベックスーツ着用 〔退域時〕○念のためサーベイ(??)励行○装備品は各自のハンガー等へ○廃棄物は区分はしコンダクト 『スクリーニングエリア』ビニール袋に収納』」
という張り紙のある場所がありました。

また、「物品スクリーニングエリア」という張り紙のある場所がありました。

事務所に戻った後、IさんとHさんは午後5時40分に帰りました。大変お世話になりました。

夕食として、鍋の最後の残りを食べ切りました。
ついでにお客様用の麻婆豆腐を作りました。

12月5日午前3時、パイプ椅子を業務用冷蔵庫の裏に置き直しました。
退かしたところは非常に汚れていたので、掃除機をかけました。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年12月5日の日誌です。

午後1時半から歯医者に行きました。
麻酔を使っての治療で、午後4時までかかりました。説明された通り、麻酔が切れてからとても痛いです。

ガソリンスタンドで両替をしてあげました。3万円分両替しました。

夕食は、やばくなっているパンなどをできるだけ処理しました。

12月6日午前0時10分、Iさんが来ました。
看板と屋根の作成でしばらく事務所に滞在されます。宜しくお願いします。
Iさんは東北泉という日本酒を飲んでいました。私もお付き合いしたかったのですが、麻酔の影響で飲めず、牛乳を飲んでいました。
K先生から頂いたホタテのひもを肴にして、暫く話していました。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年12月6日の日誌です。

今日はずっと治療中の歯が痛かったです。

プラスチックごみを捨ててきました。1日早かったですが、猫などに荒らされるようなものはなかったので、出しても大丈夫だと判断しました。

検問所は、防護服を着ていない警官が立っていました。側には警察車両がありました。

県警によってどの程度の放射性物質対策をするのか、かなりの差があります。

行政局手前では、電線の補修が行われていました。

体育館に行って見ました。
体育館の脇には車の停止線?や電源の延長コード、ライト、カラーコーンが置いてありました。

屋根からの水が落ちてくるところには覆いがしてありました。

脇の入り口から中を覗くと、館内には防護服を着た人が一人休んでいました。

別の入り口には、中に別の作業員が一人いました。その人は防護服を着ていませんでした。

灯油をガソリンスタンドで30リットル補給しました。ついでに、3万円ほど細かく両替してあげました。

洗濯をしました。布団とソファーを干しました。
曇っていたので、余り効果は無かったかもしれません。

大広間に掃除機をかけました。奥の部屋と2階はかけられていません。
・・・それでも久々に自分で掃除機をかけられました。凄く嬉しいです。

Iさんは看板の反対側を完成させました。
また、外風呂の上に作る屋根の材料を揃えていました。

昼食として市販のラーメンを作りました。
出汁はとってあったので、そこに炒めてあった野菜類を入れました。
Iさんが食べて下さったので安心しました。

Iさんが、白菜の漬物をつくって下さいました。一冬の間保つらしいので、大変ありがたいです。

残っている野菜で鍋とお吸い物の間の何か?を作りました。
大根、白菜、人参、大蒜、生姜、鶏肉、を煮た・・・というよりは出汁をとっただけで、全く味をつけない状態で措きました。

午後5時半、体育館の電気はまだ点いていました。午後6時まで作業をしているものと思われます。

Iさんに船引に連れて行って貰いました。
中華料理屋で夕食を食べました。先日IさんとHさんとで行った時と同様に、この料理屋では今日も忘年会をしていました。
コメリとダイユーエイトで、Iさんが作る屋根の部品を調達しました。また、同時に2メートルの脚立も購入しました。
その他、乾電池、軍手、半額の食料品なども買いました。
実は、最近は半額の食料品を船引に買いにいける機会が集中してしまっているので、買い過ぎてしまいます。
ダイユーエイトにあった風除けの小型ビニールハウスは、古道体育館内に置いてあるものと同じものかもしれません。

船引の仮設住宅を邪魔にならないように回って、夜の写真を撮りました。
(←この3枚目は1枚目とは反対側から撮影しています)
帰り道の都路大橋付近で猫が車に撥ねられていたので、それを見たIさんが、帰った後に猫の遺体を埋めに行きました。

事務所に戻ってから、酒を軽く飲みました。

(転載終わり)

Hさま、あの後、支援物資をお送り下さいまして有難う御座いました。大切に「使用」させて頂きます。

吉見 おさむ 投稿日:2011/12/21 16:59

【727】[814]福島本部活動日誌です46

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年11月29日の日誌です。

歯の詰め物がまた取れてしまったので、歯医者に行きました。
次は麻酔を使うそうで、またしばらく通うことになりました。

午前11時、古道体育館に行きました。
東電の職員が2人警備をしていて、中になかなか入れませんでした。

一旦諦めて川の方に行ってみたら、大家さんと奥さんにお会いして、少しだけお話しました。

もう一度体育館に行ってみました。
古道こども園の入り口や窓が全開になっていました。

体育館の脇の入り口には職員が10人弱ほど集まっていました。
もう少し近づいて撮影したかったのですが、アイミーブが通路に置いてあり、通れませんでした。

古道小学校では崖崩れの箇所で撤去作業が行われていました。

灯油を30リットル補給しました。

電気代のお知らせが来て、47.071円でした。
以前より2万円安くなったとはいえ、先月より12500円も上がってしまい、かなり嫌でした。

東北電力の「原発が近くにあって御免なさい」金を、郵便局で換金してきました。
35,700円でした。小型金庫に入れてあります。

Kさんから食料品が届きました。
K先生から石油ファンヒータが届きました。
大変有難く頂戴します。

午後1時から午後4時まで、台所と建物裏と脇のコンクリート部分にブラシをかけました。
寒くなっているので、掃除していて大変冷たいです。
体が冷え切ったので、終わった後に急いでシャワーを浴びました。
それでも、2ヶ月ぶりに普通の事務所清掃サイクルに戻れてホッとしました。

昼食は、Nさんから頂いたどら焼を一個ほど食べました。
食べながら掃除をしたので、余り行儀の良いものではありませんでした(汗)。

午後6時、シャワーで体を温めてから、作業員の帰った後の古道体育館に行ってみました。
体育館の裏側には、いつの間にか倉庫のようなプレハブが建っていました。

体育館脇には、「関係者以外ハここからの入域ヲ禁ズ」と書かれた張り紙が貼ってありました。

体育館の脇の入り口は、画用紙のような、あるいは新聞紙のような、水分を多く含んだ紙のようなものが、濡れて置いてありました。
消毒液の匂いがしました。

夕食は、ご飯、ラーメン、パン、鮭の残り、牛肉の残り、麻婆豆腐の残り、鍋の残り、でした。
体に悪そうな炭水化物系を自棄食いして大量に食べたはずなのに、一向に減らなくておかしいです。
そもそも私は余り食べませんので、私の自棄食いなんて言ってもたかが知れています。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年11月30日の日誌です。

今日は体育館に作業員が来ていなかったです。

Hさんからお電話を頂きました。Iさんとお越しになるようです。

一日飲んだくれていて、ルジェ・カシスを空にしました。

夕食は、駄目になった麻婆豆腐の残りにラーメンとお湯を入れたもの、でした。
夕食を作る際に、K先生から頂いた石油コンロを使ってみたのですが、慣れないことはするものではありませんでした。
火をつけるだけで1時間かかりました。その他、色々とわやくちゃになってしまいました。
商品としては、灯油と乾電池だけで使えるので災害に強く、火加減も沸騰したままで止まるなど、優れたものだと思います。
なお、麻婆豆腐とラーメンは相性がかなり悪かったです。

今日は書くことがなくて困りました。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年12月1日の日誌です。

燃えるごみを出しました。やっと出せました。

ガスコンロの網を発見しました。流しの下にありました。

部屋の中は暖房をかけているのに、・・・9度です。とても寒いです。
以前にPさん一家がいらした時は、20度までならば灯油ストーブをつけることで上げられたのですが、一人では難しいです。
それでもこたつに入れば暖かく寝られるので、大変改善されました。

2階に掃除機を半分だけかけました。
実は寒すぎたので、途中で断念しました。
ほんの少し掃除をするだけでこの有様でしたので、みっともない格好をすることを承知の上で、服装などを抜本的に考え直し中です。

二週間賞味期限切れの納豆などは、食べに食べて減らしているはずなのですが、一向に減りません。
ラーメンに納豆をかけて食べるなど、自分でも下手物食いが極まったと思うのですが、食べてしまえば一緒だと思うことにしています。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年12月2日の日誌です。

缶とペットボトルのごみを捨てました。

朝に古道体育館の駐車場に車が停まっていました。
行ってみると、放射線量を調査するためと思われるラジコンヘリが出されていました。(注:なお、12月下旬も、作業員の格好は、この様に青っぽい作業服が多いです。それか、白い防護服を着て、原発に向かうかです。)


古道体育館の裏に、仮設トイレが移っていました。

体育館内には防護服を着た人がいました。
(←この写真では見辛くてわからないかもしれません)

古道小学校の崖崩れ現場では、崖の上に残っていた木が切られて無くなっていました。

下の校庭では切られた木が処理されて整理されていました。

電気代47071円を振り込みに行きました。

布団やソファーを干そうかと思ったのですが、この気温では干しても余り意味がないと思い、止めておきました。
布団乾燥機を使ってみます。

午後0時半、竹原信一前阿久根市長と西山千嘉子前川内村議会議員が来ました。
羊羹とお茶をお出ししました。

午後2時に288号線を、朝に見たラジコンヘリを積んだバンが帰っていきました。
ラジコンヘリを積んだバンは品川ナンバーで、他にも袖ヶ浦ナンバーや足立ナンバーのバンが5台ほど連なっていました。

灯油を30リットル補給しました。
ガソリンスタンドのおばさんに、林檎を2個差し上げました。ついでに小銭の両替もしてあげました。

夕食は9日前の鍋を減らしました。ですが、まだ残っています。

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2011/12/21 16:33

【726】[813]福島本部活動日誌です45

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2011年11月26日の日誌です。
なんか今日は先生の言っていたことが少しだけ分かった気になりました。本当に分かってるかは微妙です。

古道体育館に行きました。内部の写真を撮影しました。

洗濯をしました。ソファーを干しました。

午後4時、Pさんご夫妻が、お子さんを二人連れてきました。
お風呂に入って頂きました。
夕食として、ご飯、鍋、南瓜のスープ、鮭の刺身、をNさんが用意してくださいました。

Pさんに船引に買出しに連れて行って貰いました。
TSUTAYAで本を二冊、ダイユーエイトで半額の牛肉などを購入しました。

お二人で、事務所の地図の上に、昨日Bさんから頂いた寄せ書きを飾って頂きました。
大変有難うございました。

夕食後、P夫妻と飲んだくれていました。
お子さん2人の世話をしながらだったので、滅茶苦茶偉いなぁ・・・と思いました。
Pさんは、
「自分の国は左、右、中道に力が無く、中道左派、中道右派に力がある。」
「日本とは、右と左の定義がかなり違うかもしれない。自分の国では70年代までファシズムの時代だったので、「共産主義者」というのはむしろヒーローのイメージがあった。今の若い人間たちはまた違うが。」
と言っていました。
また、日本の政治について、
「党の代表選がそのまま総理大臣を選ぶのと同じになるのはおかしくないか?また、日本人はおかしいと思うことはないのか?自分は高卒だけど、自分たちの代表を自分達で選んだからといってそれで全ての問題が解決する訳ではないが、自分達の一番上の代表を選ぶ時には直接選ぶべきじゃないのか?」
「ヨーロッパ人から見るとアメリカ人は『ああ、洗脳されていて可哀想な人たち』というイメージで、逆に可哀想というか、自分としては、そこまで言わなくても、と同情してしまう」
「NHKの放送は、最初に見たとき、穏やかな口調の北朝鮮の放送だと直感で言ってしまったら、周りに怒られた」
「日本人には良い所が一杯なのに勿体無い。ヨーロッパのように厳しくストライキやデモをするのは合わないとは思うが、それでももう一寸主張するべきじゃないだろうか。自分の頭を使って自分の考えを持つべきだ。・・・というのは、変なガイジンなのだろうか。」
とも言っていました。

都路ではディスカッションバーやディスカッションカフェをやったらどうだろうか、とも言われました。
何はともあれ議論をするのを売りにするところのようです。
・・・出来たにしても、私は話を聞いてばかりになってしまいそうなので、あまり役に立ちそうにありません。
もしやるなら、誰か応援を頼むことになりそうです。

なかなか日誌が書けなかったので、深夜に外風呂に入りました。
風呂の中は暖かいのですが、風呂の縁は凍りかけていました。
流石にお湯が冷めるのが早かったです。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年11月27日の日誌です。

11月26日の朝に古道体育館に行っていましたが、写真を転載するのを忘れていましたので、ここで書いておきます。
体育館の玄関付近には、倉庫用のプレハブが2つ建っていました。

体育館前の駐車場には、数字の書かれたガムテープ片が、一定間隔で貼られていました。

内部は、夏に使われていた扇風機などは、脇にどかされていました。

体育館の脇の出入り口は、一時帰宅の出入り口でもあるので、やや厳し目にビニールがかけられ、ガムテープで固定されていました。(ただし、ここからの一時帰宅はもうないのかもしれませんが。)

体育館の一部は、「森の水」の入っていたダンボールで敷居がされていました。

また、Bさんの寄せ書きは福島の地図の上に展示してあります。

昨日、Pさんは他にも
「自分の国では1988年にカラーテレビになって感動した」
「PIIGSは、いつか金融崩れがくる、だって余り国全体で働いていなかったし、という国民全体での共通合意のようなものがあった」
「「いつ』崩れるのかが興味があった。それに、農村の自給自足をしている農家には、結局関係無い事だった」
と言っていました。

朝食は、残っているものを中心にNさんが用意してくださいました。
ご飯、鍋、鶏肉の照り焼き、鮭の焼き魚にイクラを添えたもの、・・・だったと思いますが、昨日の酒が残っていて良く覚えていません。

午前11時、Tさんが来ました。

Pさん一家が大広間を掃除して下さいました。布団も干してくださいました。

正午にPさん一家は帰りました。
大変お世話になりました。

Tさんに、お茶、ノンアルコールビール、鍋、南瓜のスープの残り、をお出ししました。
外風呂も用意しました。
Tさんは2時半に帰りました。

午後2時、大家さんと奥さんが汚水の排水管で外れているところを修理に来ました。
本当は来るはずだった、大家さんの知り合いの東電関係の配管工の人がいつまでも来ないから、自分達でやってしまおう、と思ったそうです。
応急補修の形ではありましたが、汚水の漏れはほとんど無くなりました。
もう少ししたら、ちゃんと補修すると言っていました。

amazonから大量の荷物が届きました。
長いLANケーブル、布団乾燥機、毛布3枚、電気こたつ、でした。
特に電気こたつは、これを使いながら、冬を越す準備を抜本的に考え直します。
またamazonでロシュフォール10を、お客様用、あるいは贈答用に注文しました。
減らないワインを買う位なら、減るビールを買う方が良いと判断しました。
・・・このビールだけは飲めるので、自分で飲んでしまわないように気をつけます。
・・・・・・・・・まあ、高いので、飲むことは貧乏性の私には無いとは思います。

LANケーブルを直接繋いで使ってから、殆ど問題は起きていません。
ただし、時折短時間ですが、モデムのADSLのランプが点滅していて、繋がっていないことがありました。

Rさんが気にしていた「かわうちの湯」についての写真は、内部を撮った

しか見つかりませんでした。

(転載終わり)

(転載始め)

2011年11月28日の日誌です。

朝・・・というよりは昼に起きて、昨日Tさんに自動車のバッテリーが上がらないようにする処置を教えて貰った事を思い出しました。
一週間に一度、自動車のエンジンをかけて10分そのままにしておく、というものでした。
本当は走った方がいいらしいのですが、流石に止めておきます。
また、燃えるごみを出すのを忘れました。最近のごみ出しは失敗ばかりです。

新聞が集金に来ました。2905円でした。

午後3時半、以前事務所にいらしたKさんからお電話があり、食料品の差し入れをされると言って下さいました。
大変恐縮です。

夕食は、ご飯、鮭を焼いたものの残り、牛肉を焼いてからYさんから頂いた焼き鳥のタレを投げ込んだもの、麻婆豆腐の残り、でした。
鍋が減りませんし、麻婆豆腐はまだまだ残っています・・・。

午後4時40分、体育館に行ってみました。
体育館の玄関付近には作業員が6、7人いて、写真を撮りづらかったです。

公民館脇のプレハブは、中が覗けるようになっていました。中の物資はかなり少なくなっていました。

体育館の裏側に回って中を撮影しました。
中は、灯油ストーブ、ビニールで覆われたパイプ椅子、事務用の机と事務用品、ビニールハウスの様なもの、が新たに置いてありました。

午後6時には体育館の電灯が消えていました。

コタツで寝るようになって、やっと普通に寝られるようになりました。
これまでは朝起きると体が氷の様で、辛かったです。
これでやっと、体力が回復させられそうです。
更に、寝るときに部屋を暗くしてから
「ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れないCD」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0011FM33A
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00186BHPC
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B003GF6R80
のシリーズをかけると快眠出来ます。

ロシュフォール10の注文は、クレジットカードの少ない月内使用額の限度を超えてしまい、一旦キャンセルになってしまいました。
灯油ストーブなど出費がかさみ続けたことが重なって、こうなってしまいました・・・。

ネットを有線にしてから、回線が速いような気がします。

外風呂に入りました。
出る時寒くて、なかなか出られません。

(転載終わり)

Pさま、これが先生の言うところのworld valuesかぁ・・・と感心しながらお話を伺っておりました。
Kさま、頂戴しましたたくさんの食料は、少しずつ大切に頂きます。

松尾 雄治 投稿日:2011/12/19 11:08

【725】[812]野村に資本注入計画

松尾雄治です。

Facta Online 2012年1月版より転載します。

(貼り付け始め)

野村救済に「資本注入」計画

1月に格下げなら土俵際。三菱UFJか三井住友との資本提携を模索。銀行免許をもらう奥の手も。

Facta Online 2012年1月号

「野村證券は日銀に取引口座がある証券会社です。資金繰りに困るわけないでしょう」――野村證券の持ち株会社、野村ホールディングス(HD)執行役員(リスク担当)、柏木茂介は、必死で欧州の金融当局や格付け会社に説明を続けてきた。

野村が資金繰りに窮しているとの噂はこの夏、欧州のインサイダーたちの間で燎原の火のごとく広がった。火元は英国の金融監督当局である金融サービス機構(FSA)。3年前のリーマン・ショック以降、金融機関の資金繰り破綻にことのほか神経質で、主だった日系金融機関の現地法人や支店に対しても資金繰り状況を定期的に報告させていた。11年に入ってから、資金の市場依存度が高い野村に警戒感を強め、日本の金融当局に指導を打診するほどだった。

英FSAの動きに気づいた欧米格付け会社は、野村にヒアリングを開始した。現在の野村の格付けは米格付け会社ムーディーズ・インべスターズ・サービスでBaa2。取引相手の信用リスクに神経を尖らせている欧州資金市場では、格付けが1段階下がっただけでデリバティブ(金融派生商品)取引はかなり困難になり、2段階下げだと投資銀行業務がほぼ麻痺し、国際取引から完全撤退を余儀なくされる。

日銀は特融に慎重姿勢

焦った野村は「日銀口座」まで持ち出して格付け会社に説明した。確かに銀行でも破綻した日本振興銀行に日銀は口座を開かせなかったから、それは日銀が野村を「信用」しているお墨付きだし、いざというときの資金供給のチャネルでもある。

だが、これが仇となる。柏木の説明を受けた格付けアナリストが内々に日銀関係者に問い合わせると、「担保の範囲内でならいくらでも」と答えたものの、無担保でも貸し出す日銀特別融資(特融)は「簡単に発動できるわけがない」と繰り返した。

ムーディーズが野村の格付けを11月9日に格下げ方向で見直すと発表したのも、同月1日発表の7~9月期連結決算が460億円の赤字に転落しながら、日銀を含む当局が「万一の時は救済する」とのサインを出し切れなかったからでもある。

野村の窮状は株価に端的に表れている。9月6日に大和証券グループ本社を下回り、低迷の一途で時価総額は1兆円を割り込んだまま。野村が主幹事のオリンパスの不正会計が表面化した11月上旬には、つられてストップ安。慌てて野村證券副社長兼COO(最高執行責任者)の柴田拓美が、兜クラブのキャップ級記者を個別に呼んで「風評被害だ」とばかりに説明に努めた。

実は英FSAの強い懸念を受けた日本の金融庁は、11年夏から強力な野村監視体制を組んでいる。事実上の「金融庁管理会社」とのボヤキが野村社内からも漏れる。「とにかく手元資金を厚くしろ」との指示のもと、野村は傘下の野村プリンシパル・ファイナンスを通じて投資していた外食大手すかいらーく株を米ファンドに売却、2600億円の現金を確保した。野村不動産や野村総合研究所の売却先探しも躍起で、香港のファンド関係者の間では「買い叩ける」との見方も広がった。手元を厚くして市場の信認を得たい、格下げを回避したい、との必死の工作だ。

野村は当局の指導もあって、メーンバンクづくりにも動いた。すかいらーく売却前の11年夏にはグループCEO(最高経営責任者)の渡部賢一が、三菱東京UFJ銀行頭取の永易克典を訪ね、資金繰り支援を要請。クレジット・ライン(資金貸出枠)の設定で合意したもようだ。

三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)では、傘下の三菱証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)が巨額赤字を繰り返し計上してきただけに、野村の国内部門は垂涎の的で、できればこの機に買収したいとの思惑。野村にとっても三菱UFJはいざというときの駆け込み寺。両社の企画部門は頻繁に会合を設け、相手の腹を探りあっている。

ただ、MUFGは米投資銀行モルガン・スタンレーを11年春に連結対象にしたこともあって「旧リーマン部門は不要。海外を売却してから」と三菱・野村の資本提携に高いハードルを課している。 

そこへ、MUFGの動きを察知した三井住友FG(SMFG)がちょっかいを出した。野村へクレジット・ライン契約を打診し、出資を含む交渉に入った。三井住友にしてみると、日興証券は買収してみたものの、海外拠点網はお寒いかぎり。野村、大和と違って証券部門は黒字を維持しているが、収益源にまで育てるには海外網も持つ野村は手に入れたい代物だ。そのうえ「万一、三菱にとられたら、二度と差は埋められない」と危機感を募らせている。

野村サイドにもMUFGとの交渉を有利にしたいとの思惑があり、三菱側に三井住友からのアプローチを隠さず、両てんびんにかけている。

内部の立て直しでそれどころではないみずほFGを除いた2メガバンクの野村争奪戦は、しかし意外に盛り上がりに乏しい。2メガとも、欧州危機が一段と深刻化した10月以降、野村の欧州での資産は劣化したとみており、不良債権の山ではないかと警戒し始めているからだ。日本の金融当局は英FSAの野村への検査をベースに「悪化を織り込んでも債務超過にはならない」と伝えている模様だが、両メガとも「もう少し欧州情勢が落ち着くまでは」と慎重になり、いざという時に間に合わなくなる恐れが出ている。

劣後債「特約」にドッキリ

実は、英FSAが指摘した懸念は野村の資金繰りだけではない。日本政府に野村のきちんとした救済手法がないことを問題視、米リーマン・ブラザーズの破綻が世界的な金融システム不安につながった例を引きながら「巨大証券が万一破綻したら大変」と制度対応を求めている。

米国ではリーマン危機直後、大手投資銀行ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーとも銀行持ち株会社に移行しており、いざとなれば「銀行」として救済が可能。日本では野村と大和が証券会社のままで、“伝家の宝刀”である預金保険法102条に基づく公的資金注入で救済することができない。

欧州危機の深刻化に金融当局も「野村が万一の時は」と野村HDに銀行免許を出すことを検討したが、不動産会社やプリンシパルを抱えたままでは「難しい」と諦めたという。そこで野村は、銀行免許もとれるよう野村不動産の売却に動き、プリンシパルも全て投資株を売却して事実上機能停止した。いざというとき銀行免許を取得できる道筋はできつつある。さらに、新しい自己資本比率規制(バーゼル3)下でも自己資本に算入できる劣後債1700億円を主に個人向けに売り出し、12月12日から募集に入った。金融庁が破綻認定し公的資金が注入されたら元利の支払いをやめる特約付き。「そこまでやるか」と市場は目をむいた。

欧州危機で野村には多くの安全ネットが張られた。1月末ごろにはムーディーズの格下げ判断の時期が来る。後手に回らぬ戦略は打ち出せるだろうか。(敬称略)

(貼り付け終わり)

松尾 雄治 拝