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昨日のヤフーニュースでも「真の近現代史観」放射線論文が最優秀賞
産経新聞1月15日(日)13時16分
で、副島先生の事も「付言するなら高田教授と同様に、信念にもとずいて原発の門前まで調査に訪れた評論家・副島隆彦氏の行動もまた、高く評価されるべきだろう。と称されてました。」
http://sankei.jp.msn.com/science/news/120115/scn12011512010000-n1.htm
(貼り付け始め)あの田母神氏、渡部氏も激賞 「真の近現代史観」放射線論文が最優秀賞 「福島県民は誰も甲状腺がんにならない」
2012.1.15 12:00
出版記念パーティーで熱弁をふるう高田純教授=昨年12月8日、東京・元赤坂の明治記念館
元航空幕僚長の田母神俊雄氏が第1回の最優秀賞に選ばれて騒然となった「真の近現代史観」懸賞論文。第4回の選考では札幌医科大の高田純教授(57)による論文「福島は広島にもチェルノブイリにもならなかった~東日本現地調査から見えた真実と福島復興の道筋」が最優秀賞(賞金300万円)となった。理系論文での異例の受賞で、現地調査を積み重ねた上での大胆な結論は世間に衝撃を与えそうだ。田母神氏も激賞する論文の中身とは…。(溝上健良)
昨年12月8日、日米開戦70年の日に開かれた表彰式では、主催したアパグループの元谷外志雄代表が「今回の論文はすばらしいが、近現代史という観点から(受賞は)どうか、という話もあった。ただ戦後の歴史は核をめぐるせめぎ合いの歴史であり、核を抜きにして歴史を論じることはできないのではないか、ということで審査員が全員一致で最優秀賞に選出した」と選考経緯を明かした。選考にあたっては氏名、経歴などは伏した上で論文の中身だけで判断したという。核をめぐる現代史の裏面を描いた論文も見事だが、審査委員の見識が光った選考結果だったともいえる。受賞論文はアパグループのホームページで全文を読むことができる。
この論文をはじめ、受賞作13編を収録した論文集「誇れる国、日本Ⅳ」の出版発表会が続いて行われ、審査委員長の渡部昇一・上智大名誉教授は「原発事故後、高田先生が福島第1原発の門の前まで普通の服装で行った写真が雑誌(「週刊新潮」「WiLL」)に掲載されているのを見たが、『ある程度までの放射線はぜんぜん危なくないんだ』というよほどの自信がなければできないこと。その方に賞を差し上げることになったことを、大変よろこんでいます」と、高田教授の取り組みを評価した。付言するなら高田教授と同様に、信念にもとづいて原発の門前まで調査に訪れた評論家・副島隆彦氏の行動もまた、高く評価されるべきだろう。
今回から審査委員に加わった田母神氏は「日本政府が先頭に立って『福島は危ないんだ』と証明しようとしているが、こんなバカなことはない。先日、東京・世田谷区の民家床下から1時間あたり660マイクロシーベルトの放射線を出しているラジウムが見つかったが、その家にずっと住んでいた90歳過ぎのおばあちゃんはピンピンしている。その程度のことが、マスコミによってあおられている。あおればテレビの視聴率が上がる、新聞や雑誌が売れる、薬も売れるということになり、ビジネスに徹底的に利用されている」と放射線をめぐる現状批判を展開。さらに「エネルギー供給量とGDPは比例する。(原発停止で)エネルギー供給量が減ればGDPはさらに縮小し、デフレは続き、日本の会社は米国や中国にどんどん買収されることにもなりかねない。放射能についての認識は“第2の歴史認識”で、これを克服していく上で、この高田先生の論文をぜひ多くの国民に読んでいただきたい」と熱弁をふるい、受賞作を激賞した。
◇
約800人が詰めかけた出版記念パーティーで、高田教授は「今回の受賞の意味は2つあると思う。ひとつは、福島県民は今回の原発事故による低線量の放射線によっては1人として健康被害を受けないという真実を国内外に広く知らしめることになるということ。第2点は、原発の20キロ圏内が(警戒区域に指定されていて)人が戻れない状態になっているが、この圏内の復興に大きく結びつくことになる」と切り出した。なにしろ今回の事故では過酷な環境におかれた原発の作業員ですら、放射線で死亡したり入院している人はいない。そうした中でわずかな放射線を必要以上にこわがることは、福島の復興をさまたげることに直結する。事実を冷静に見たい。
高田教授は警戒区域の復興策として、原発20キロ圏内の表土を10センチ削り取って除染し、それを海岸に埋めた上で表面を厚さ1メートルのきれいな土で覆い(これで放射線はほぼ防げる)「防波堤公園」をつくることを提言している。関東大震災の際には、がれきを埋め立てて横浜の山下公園がつくられた先例もある。陸上で汚染土の中間貯蔵施設の設置が難航している中、埋め立て案は現実的な提言といえそうだ。
広島大で研究生活を送った経験のある高田教授は、広島の原爆投下後に降った「黒い雨」による被害状況について「池の魚が、雨に含まれていた強烈な放射能によって多数死んだ。また黒い雨にぬれた牧草を食べた牛が下痢をし、雨にぬれた子供たちの頭ははげた」と紹介。いずれも一度に大量の放射線を浴びたことによる障害だが、福島ではどうだったのか。高田教授は原発周辺に取り残されていた動物に着目し「4月上旬に現地調査で第1原発の門まで行ったが、周辺でも魚が死んでいるわけでもなく、渇きで死んだ牛はいたが、多くの牛は元気で生きていた。牛の状態を見ると、はげた牛はいない。見た瞬間に、広島の黒い雨と、福島の放射線はぜんぜん(レベルが)違うものだとわかった」と解説した。一方で、「チェルノブイリでは1万6千頭の牛や豚をトラックに乗せて避難させたが、菅直人さんは20キロ圏内の牛を避難させず放置した」と菅前首相の不作為を非難した。
今回の原発事故で原子力安全・保安院は、放出されたセシウムの量が広島原爆の168倍とする試算を公表し大きく報じられたが、高田教授は「まったく意味のない数字だ」とバッサリ。「広島でセシウムによって死んだ人はいない。広島の死者は熱線、爆風、そして半減期の短い強力な放射能によるもの。セシウムの放射線はそれほど強いものではなく、今の日本で起きているのは集団ヒステリー状態だといえる」と説明した。
ちなみに高田教授はチェルノブイリ原発事故の現地調査の際、自身でセシウムの入ったきのこを食べる「人体実験」を行っている。その結果、セシウム137(半減期30年)は人体に入った場合、体外に半分が排出される生物半減期は100日であることを実証した。かつて胃潰瘍の原因のひとつとされるヘリコバクター・ピロリ菌を実際に摂取して実証した教授が2005年にノーベル医学・生理学賞を受賞したことがあったが、こうした体を張った研究は高く評価される傾向にあるようだ。
高田教授は大震災後の昨年4月以降、福島県内で住民の甲状腺検査をボランティアで実施。その結果、検査した66人の甲状腺被曝(ひばく)量は最大でも8ミリシーベルトと、チェルノブイリの事例(最大50シーベルト)と比べて千分の1以下だった。その線量から計算すると「福島県民が甲状腺がんになるリスクは年間で1千万人あたり1人以下。といっても福島県の人口は約200万人。つまり、誰も甲状腺がんにはなりません」と結論づけた。
日本は唯一の核被爆国といわれるが、高田教授はそうではないと指摘する。「世界最大の核災害があったのは中国内陸部のシルクロード、楼蘭のあたり。住民の避難をさせずに核実験が行われ、数十万人が亡くなっている」と明かした。その影響は当然、日本にまでも及ぶことになった。
中国の地上核実験で放出された放射能の量は、チェルノブイリ原発事故の実に800万倍に及ぶという。「東京五輪の年(昭和39年)に中国の核実験は始まったがそれ以来、黄砂と一緒に放射能も日本全国に降っていた。ただそれはほとんど報じられることはなかった。ストロンチウムについては今回の福島事故の1万倍の量が降ってきた」。セシウムの生物半減期が100日なのに対し、ストロンチウムの生物半減期は15年だ。その結果「“中国産”ストロンチウムによる日本人の体内被曝量は1~7ミリシーベルトに及ぶが、それでどんな影響があったか。団塊の世代の方々がいちばん影響を受けているはずだが、みなお元気。おそらく天寿をまっとうされるはず」と、低い線量では健康に影響がないことは「日本人が実験台となって実証された」と解説した。
そうした、日本全国を汚染した中国由来の放射能については、今でもほとんど問題とされていない。そうしたことも含め、高田教授は「日本の反核・平和運動はウソだ」と断言。「核・放射線への正しい認識を持って、今後の日本の発展を考えていかねばならない」と講演を締めくくった。
過去の原発事故や核実験によって、放射線については意外と多くのデータの蓄積がある。そうした事例をわかりやすく提示している点で、この論文は復興の指針となるものだろう。多くの人に読まれることを願いたい。(貼り付け終わり)
【746】[834]毎日新聞「記者の目」への意見
大川です。毎日新聞朝刊に「記者の目」というコラムがあり、1月11日は久野華代記者の「専門家は社会を見ているか 低線量被ばくの健康影響評価」という記事でした。
手元に紙のコピーしかないのですが、その趣旨は、「年20ミリシーベルト程度の被ばくによる健康影響は低い」という、昨年12月に政府のワーキンググループが公表した結論について、「避難や帰宅にかかわる重要な数値が専門家の間だけで決まり、住民との対話がなかった」ことを、久野記者が強く批判しているものです。記事の最後に「ご意見をお寄せください」と書いてありましたので、以下のメールを送りました。ここに転載します。
なお、以下のメールで私が「放射線医学・生物学の専門家ではない」と述べた方々について、他意はなく、それぞれのご専門の業績について言及したり否定したりするものではないことを、念のため申し添えます。
(1月16日発信メール 転載はじめ)
毎日新聞社 「記者の目」係
久野華代 様
おはようございます。昨日、下記の意見をお送りしました、大川晴美です。
下記メールの中で、肥田舜太郎氏は放射線医学・生物学の専門家ではない、という趣旨の記載をしましたが、確認したところ、被爆者医療において低線量被ばく、内部被ばくなどを研究されていることがわかりましたので、この点訂正いたします。
どうぞよろしくお願い致します。
大川晴美
(転載終わり)
(1月15日発信メール 転載はじめ)
From: **********
Subject: 1月11日「記者の目」への意見
To: ***********
Date: Sun, 15 Jan 2012
毎日新聞社 「記者の目」係
久野華代 様
はじめまして。***の大川晴美と申します。
1月11日貴紙朝刊「記者の目」 「専門家は社会を見ているか 低線量被ばくの健康影響評価」について、意見を申し上げます。
放射線の専門家は住民との対話をほとんど行っていない、というご指摘について、大筋ではそのとおりだと思います。しかしながら、久野様にとって専門家とは、誰のことを指しているのでしょうか。
「低線量被ばくの健康影響評価」というテーマですので、まさに「低線量被ばくの健康影響」の専門家、という意味だと思います。そうであれば、ここでいう専門家とは、放射線医学あるいは放射線生物学を専門とする専門家でなければなりません。素人ながら私が9カ月にわたって自分で調べて勉強した限りでは、放射線医学・生物学の専門家は、「年間100mSv以下なら健康リスクは極めて低い」という結論で概ね一致しています。たとえば、山下俊一氏、中川恵一氏、高田純氏、近藤宗平氏、松本義久氏は、この分野の「本当の専門家」です。
一方、小佐古敏荘氏、武田邦彦氏、小出裕章氏、肥田舜太郎氏(引用者注:上記1月16日付転載メール参照)、児玉龍彦氏などは、この分野の専門家ではありません。これらの方々は、原子力工学や、放射線「以外」の医学が専門であり、放射線医学・生物学の専門家ではありません。これらの方々を「放射線の健康影響の専門家」であると誤解していることが、メディアや政府が混乱する一番の原因なのです。このことを、いつまでたってもメディアと政府が理解できないのです。これらの方々の著書をよく読めば、放射線医学・生物学の専門家でないことは、私のような素人でもわかります。略歴を見るだけで当然わかりますし、「○○mSvでも危険」という時の根拠が、放射線医学・生物学の最新の研究成果ではなく、ICRPの基準値そのものであったり、現在の日本の法律や規制値そのものであったりすれば、法律・基準値・規制値のほうに詳しいことがわかります。(引用者注:上記の方々の中でも、法律・基準値・規制値に言及されない方もいます。)
まさにここに、問題の根本があります。
すなわち、現行の国際的な基準値や日本の法律による基準値は、何十年も前から変わらずに放置されている一方で、放射線医学・生物学の研究成果は日進月歩で進んでいます。(医学や生物学は、法律に合わせてくれませんからね!)その最新の研究成果と、旧態依然たる基準値・規制値とが、年々大きく乖離しているという現実こそが問題なのです。このことこそが、放射線防護政策全体の矛盾となって、住民を混乱させ、苦しめているのです。
2つの学問分野をつなぐ役割を、誰も果たすことができていない・・・この問題に切り込まない限り、たとえどちら側の専門家が住民と対話しようと、矛盾は矛盾として存在し続けます。
毎日新聞は他紙に比べて、放射線の健康影響についてよく理解されていると聞きました。次の段階として、ぜひこの「根本的な問題」に鋭く切り込んでいただきますよう、切にお願い申し上げます。
最後に、福島の人々と一生懸命対話を続けている専門家(その多くは放射線医学・生物学)を、私は何人も知っています。本当に一生懸命、誠心誠意、対話を続けています。久野様には、専門家の中にもこのような方々がいらっしゃることを知っていただき、ぜひ応援していただきたいと思います。
大川晴美
【745】[833]鷲田小彌太(わしだこやた)氏の書評文 と 吉本隆明(よしもとりゅうめい)の態度表明の文 を 載せます。
副島隆彦です。 私たちが書いて出版した「放射能のタブー」(KKベストセラーズ、昨年11月刊)への好意的な書評を書いてくれた 評論家の鷲田小彌太(わしだこやた)氏の 日刊ゲンダイ2011年11月29日 の書評文をここに転載します。
今、メールで連絡を取って、鷲田氏からさきほど転載の許可をいただきました。
それから、私が長年、尊敬する思想家の 吉本隆明(よしもとりょうめい)の 原子力の研究、開発の継続を続けるべきだという言論の 片鱗の文を載せます。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
鷲田小彌太の読書日日
2011年12月2日 タブーに挑戦する『放射能のタブー』
いよいよ12月である。年の瀬だ。ようやく白一面になったが、今日も日差しが強い。仕事場の暖房は止めてある。 11/29発売の「日刊ゲンダイ」に載せたコラムを再録する。
《コラム、一刀両断》 放射能は怖い、見えないから怖い、と連呼するみなさんに読ませたい本がある 1986年のチェルノブイリ原発爆発事故で、当時の発電所所員134人は1000~8000シーベルトの線量を浴びた。直後に28人が、さらに事故後25年間に約20人、計48人が死亡した。
エッと思うかもしれない。福島原発で被爆して死亡した数は、0、今後とも被爆が原因で死ぬ人が出る可能性はない。こう言い切るのは副島隆彦である。最近著、副島編著『放射能のタブー』(KKベストセラーズ)においてだ。
△原爆死者数?
長崎・広島の原爆投下で直接死んだのは7万人と16万人である。膨大な数だ。(ちなみに誇大視される南京大虐殺の数に匹敵する。)これは多くの人が知っている。
だが60年間、放射能のせいで800人がガンで亡くなった(にすぎない)という事実を何人が知っているだろうか。これにもエッと驚かされるだろう。それに被爆者(手帳保持者)の平均寿命は短くない。
△CTスキャン全廃?
原発や放射能は危険でない、といいたいのではない。「原発安全」は神話だ。しかし原発は「危険」である、人間に統御不能である、だから「全廃」せよと主張し、その実行を率先して(ドイツ政府のように)迫るのは、理論的にも実践的にも間違っている。総じて自然であろうが技術であろうが、危険のないものは少ない。問題は「危険度」である。
放射能は危険である。しかし1ミリシーベルトでも浴びれば身体に危険だというのは、科学(=事実)ではない。CTスキャンを行うと瞬時に10ミリシーベルトの線量を浴びる。1ミリで危険なら、CTスキャンの全廃を主張しなければならない。
△5シーベルト
副島は恐ろしいことをいう。「5シーベルト以上を一瞬のうちに浴びたものだけが死亡する。それ以下は死なない」(1シーベルト=1000ミリシーベルト)。だがこれは副島の独断ではない。東海村で99年9月30日に起きた事故のデータから引き出された結論だ。
被爆し、16シーベルト浴びたOは83日、6シーベルト浴びたSは211日で亡くなったが、1~2シーベルトしか浴びなかったYは、回復して退院した。
△原発跡地利用?
原子力安全委員会と安全・保安院は、4月12日の共同会見で、36万テラベクレル(テラ=兆)~56万テラベクレルの放射性物質(チェルノブイリの10分の1)が放出、と発表した。副島は、1000テラベクレルにすぎない、過小発表が政府の常道だ。被爆20キロ圏内に廃棄物最終処理所構想があるからだ、という。奇々怪々か?
(ここまでで、新聞掲載の評論文の転載貼り付けは終わり)
Sent: Monday, January 16, 2012 4:47 PM
Subject: [fukushima:00821] 鷲田小彌太さまへ 副島隆彦から
札幌大学教授
鷲田小彌太 (わしだこやた)さまへ
副島隆彦(そえじまたかひこ)から
お久しぶりでございます。 最後にお会いしてからさえ 20年ぐらいがたったのではないか、と思います。
私は、その後、静岡市内にある 私大に 就職して 大学教授生活を12年間 送りました。鷲田さんが昔、お書きになって評判となった「大学教授になる方法」が 大きくは役にたったのだと思います。
3年前に 自分の原稿書き と 本つくりが きわめて忙しくなりまして、大学を辞めました。今は、筆一本で生活しています。 熱海に仕事家(しごといえ) を構えて、そこと東京を往復しています。
このたびは、私が弟子たちと15人で書きました 「放射能のタブー」(KKベストセラーズ刊) を書評していただき、それも大変好意的 積極的に、「奇奇怪怪か?」 と 評価していただき、ありがとうございます。
現在もなお、「福島第一原発から漏れた、これぐらいの微量の放射能では日本人の人体には害はない。ひとりの病人も出ていない。これからも誰も死なない」と主張することは、今でも、ごく少数の言論になっています。
私は、現在のごくごく微量の放射能の危険を声高(こわだか)に喧伝し、自分の脳に入ってしまった恐怖感情に凝り固まって、コワイコワイを連呼する船頭人間たちとの言論戦を弟子たちと続けるしかありません。
鷲田さんの書評文が載った 貴サイトの 「 鷲田小彌太の読書日日」 の文を 担当の編集者が 送ってくれましたので知りました。 ありがとうございます。
私は、今も、昔とまったく変わらない生き方をしていまして、ずっと、ずーっと、 ずーーっと、 日本国内だけでなく世界の 「大きな枠組みの中の諸真実」を 一切の遠慮をしないで 暴き立てるように書くことを続けています。 自分の弟子たちにも、「公共の利害(=国民の利益)に関わることなら、恐れることなく真実をどんどん書いて公表しなさい」 と 教えながら、 副島隆彦の学問道場 という サイトを もう12年間続けています。
お願いですが、鷲田さんの 私と弟子たちの本 へのこの書評文を、 学問道場の 総合掲示板である 重掲(おもけい) に このまま転載させてください。
今日は、それだけを お伝えします。 あ、ところが、鷲田さんのお書きの書評文の中の、一点だけ、 「 チェルノブイリ・・・発
電所所員134人は1000~8000シーベルトの線量を浴びた。」 の 箇所の記述は、 これは 誤記です。
この点は、今度の原発事故、放射能漏れ 問題で、ものすごく重要な 事実および、数字(=数値) に関する 知識です。 ですから、私の 指摘を、どうか、しっかりと、 再度、鷲田さんご自身が、 調べて検証してください。
私は、おっとり刀で、昨年3月の 福島第一原発の事故の直後すぐに現場( 正面玄関前 ) まで駆けつけて、放射線量を、自分の技術能力の及ぶ限りで、弟子たちと測定しました。 それ以来の10か月で、 それまで放射能のことなど何も知らなかったのに、我ながらずいぶんと勉強しまして、今では 半分専門家のようになりました。 私なりに知識 と情報 を 集積し、思考を積み上げました。
×「チェルノブイリ・・・発電所所員134人は1000~8000シーベルトの線量を浴びた。」 は、
これは、 〇「チェルノブイリ・・・発電所所員134人は1~8シーベルトを浴びた」 と ご確認の上、訂正をお願いします。
私たちの本で、 ロシア科学アカデミーの ラファエル・アルチュニアン氏 ( ロシア政府の 正式のチェルノブイリ問題の最高の責任者。この25年間ずっとずっと現場で 研究している。日本で言えば、原子力保安院の副院長の立場の人 ) への 私、副島隆彦の インタビュー の中での、 アルチュニアン氏の 発言が、
「チェルノブイリ・・・発電所所員134人は1000、3000、8000ミリシーベルトの線量を浴びた」 となっていましたので、 それで鷲田さんが、この点を 理解していながら、 うっかり この 「ミリ」 を抜かして、 日刊ゲンダイの 書評文 を書いたのだと思います。
この 「ミリ」 がつくか、つかないか 問題は、実は重要です。 現在も日本の各所で繰り広げられている 「一体、どれぐらいの 放射線量が、どれほど 人体に危険か、影響を与えるか。微量なら与えないのではないか」 の 議論の 中心に横たわっています。
ですから、アルチュニアン発言は、鷲田さんの文では、 〇 「チェルノブイリ・・・発電所所員134人は1~8シーベルトの線量を浴びた」 と、
引用されるべきだったのです。
たしかに、5シーベルト、8シーベルト 浴びた チェルノブイリ原発の職員たちは、28人が 爆発事故から3か月以内に死にました。
この シーベルト、 「ミリ」 シーベルト 、「 マイクロ」 シーベルト の区別の 問題は重要です。さらには、 「 per hour (パー・アウア 。1時間あたり)」と は、すなわち 「 瞬間 」(に放射線を 浴びた量) ということである。
それに対して、放射線量の 積算の計測器に表れる 「 per year ( パー・イヤー。 1年間 あたり) 」が、すなわち こっちが正確な積算量(せきさんりょう) として、表れる 放射線量なのです。がん患者の積算量や、原発作業員たちの積算量です。 このことを、しっかり分かることが、 放射能の人体への危険・影響問題の核心点であります。
鷲田さん。 何かの機会に、東京でお会いして旧交を温めることができますことを楽しみにしています。 すでにいつの間にか私たちの世代も人生の
坂を越してしまいました。 若い人たちに席を譲るべきときが来ています。
このたびの拙本への書評をありがとうございます。重ねてお礼を申し上げます。
副島隆彦拝
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 追加で書きます。 上に転載した、鷲田こやた氏の書評文の最後の2行 について、私、副島隆彦が、読み手たちにとって加筆して誤解のない文にします。
前掲の 「 副島は、1000テラベクレルにすぎない、過小発表が政府の常道だ。被爆20キロ圏内に廃棄物最終処理所構想があるからだ、という。奇々怪々か?」
は、「 副島は、1000テラベクレルにすぎない、( 副島隆彦注記。私が、尊敬する西村肇=にしむらはじめ=東大工学部名誉教授の、原発事故後の、すぐの専門誌「現代化学」誌の2011年5月号への論文発表と、同じく記者会見で、「福島第一原発から放出された放射性物質は、チェルノブイリ事故の10万分の1」と算出したと発表したことを、副島隆彦が高く評価しての記述である。)
過小発表が政府の常道(であるべきなのに、そうしなかったのはなぜ)だ。(副島隆彦加筆。こにには日本政府の策略がある。なぜ、日本政府は、このような過大な数値の発表をして、日本国民を恐怖に陥れることにしたのか。それは、) 被爆20キロ圏内に(密かな)廃棄物最終処理所構想があるからだ、(そのために、住民をなるべく原発の近くに近寄らせたくなく、出来れば、福島県外に自主的に流出することを狙っているからだ。福島の住民と日本国民を恐怖心で、脅迫して、自分たちの管理下に置きたいからなのだ。副島隆彦加筆、終わり)という。奇々怪々か?」
となります。
副島隆彦です。さらに続けて転載するのは、私が、青春期からずっと尊敬している言論人、文学者(詩人)、思想家の吉本隆明(よしもとたかあき、存命。87歳で存命)の 原発・放射能問題への、果敢なる発言です。
(転載貼り付け始め)
(副島隆彦注記。以下は、J-CAST ニュース に 載ったらしい)
2012年01月11日
http://www.j-cast.com/tv/2012/01/05118120.html?p=5
【原発事故】 思想家・吉本隆明氏 「人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか!」
「週刊新潮」 は大御所・吉本隆明2時間インタビュー。
日本の思想界を常にリードしてきた本物の「知の巨人」が、 日本に漂う反原発に異を唱えるというのだから読まざるをえまい。巨人は以前から原発容認だったらしい。
今回の福島第一原発事故以来、原発を中止せよという声が高まっているが、それは乱暴な素人の論理だと断じる。
「今回、改めて根底から問われなくてはいけないのは、人類が積み上げてきた科学の成果を
一度の事故で放棄していいのか、ということなんです」
と宣い、徒に恐怖感から文明が生み出した原子力という文明を水泡に帰してしまうのは、
「人間が猿から別れて発達し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです」と熱く説く。
われわれが今すべきことは原発を止めてしまうことではなく、完璧に近いほどの放射線に対する防御策を改めて講じることで、 新型の原子炉を開発するのと同じぐらいの金をかけて、放射線を防ぐ技術
を開発するしかないとおっしゃる。
かのアインシュタイン先生まで持ちだし、彼ほどの科学者でさえ原爆を開発することに賛成しながら、 被害の大きさにショックを受け態度を翻したように、結果をとことんまで想定できてい
たのか疑わしい。
だから常に人間は新技術を開発する過程で危険極まりないものをつくってしまうという大矛盾を抱えているのだ。
「しかし、それでも科学技術や知識というものはいったん手に入れたら元に押し戻すことはできない。
どんなに危なく退廃的であっても否定することはできないのです。それ以上のものを作ったり考え出すしか道はない」(吉本氏)
(転載貼り付け終わり)
(副島隆彦です。さらに私と弟子たちへの文を載せます。)
内部連絡網へ
2012年1月17日
副島隆彦から
以上の ように 私が、自分の先生としてずっと尊敬し続けた 思想家 吉本隆明(よしもとりゅうめい)が、原発事故について、すぐれた発言を、昨年 発表しています。
小室直樹(こむろなおき)先生 も、生きていたら、きっと、このように 「人類の 科学の進歩を止めることはできない。原子力の 研究、開発を、さらに押し進めよ」 と言ったと思う。 私は、このふたりの思想家の 弟子であったことを、本当に自分の運命であり、誇り高く思っています。 ドイツであれば、ショーペンハウエル、ニーチエ の 道だ。
だが、世の中は、放射能コワイコワイ派のバカたちが、今も猖獗(しょうけつ)を極めている。 私たち学問道場は、少数派の言論として追い詰められている。 「今度の放射能漏れは、たいしたことはなかったのだ、よかっや、と考えている国民は、一割もいない。おそらく 5%だろう。
あとは、放射能コワイ派ですよ」 と、先日、1月11日に対談した 宗教家の中矢伸一(なかやしんいち) 氏 に、私が言ったら、「 (たったの)5%ですか」と、緊張した表情になられた。
誰か、昨年の 5月末の毎日新聞 と それから、6月?の 日経新聞 にも載った、 吉本隆明 へのインタビュー記事 を、デジタル文にしたものを探し出して、重掲に載せてくれませんか。 見つからないなら、私が、自分でファイル保存してある 新聞記事から、探し出します。
私たちは、このように 孤立しながらも、真実の光を求めて、このまま突き進むしかない。 副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
副島隆彦拝
【744】[832]2012年1月13日の環境放射線量について
東京の、台場のフジテレビに近い場所で勤務している家族の
報告です。
いつも個人線量系を身につけて積算被曝線量を計測していますが、
普段は24時間ごとに2マイクロシーベルトで推移してきましたが、
昨日2012年1月13日、午前8時から午後2時までの6時間の間に、
突然、10マイクロシーベルトの上昇があり、不審に思いました。
生活上は特に普段通り変わったことはなかったので、
環境放射線が一時的に上昇した可能性があると思います。
定点観測されている方で同様の上昇を見た方はいませんか?
計測している器具は、日立アロカメディカル社の、
電子ポケット線量系PDM122です。
【743】[831]福島本部活動日誌です53
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年12月31日の日誌です。
情報が一気に入ってきて処理できず、書き漏らしたもの、不十分な整理のまま書かなければならないこと、が多いです・・・。
今日は、大変、Aさんにお世話になりました。大変、大変、有難う御座いました。
一日中、車を運転していただき、更には積極的に人に声をかけて、話をされていました。
私では絶対に聞けない様な話が聞けました。
30日の日誌で書き忘れたのですが、検問所に設置してある積算の線量計が、2011年10月からのものになっていたかもしれません。
昨日の段階で、0.33mSvと表示されていました様な気がします。
・・・こんなあやふやにしか書けないのは、気軽には線量計の前に行けないからです。後日、機会を見て確認します。
朝起きて、昨日の片付けをしました。
それからガソリンスタンドで、灯油30リットルの補給をしました。
結露が激しいので、対策を考え中です。
10時31分に事務所を出て、Aさんに中学校、体育館、小学校、を案内しました。
それから更に遠出をして、船引の仮設住宅、春山小学校、郡山のビッグパレット、郡山の仮設住宅、を案内しました。
中学校の少し下の空き地では、ヘリポートが建設中でした。
中学校の排水路は、青いビニールシートがなくなっていました。
中学校の電灯柱は、改めて見ると、かなり傾いていました。
中学校入り口の崖崩れは、補修工事がされていました。
公民館前の駐車場には、一台も車が停まっていませんでした。
古道プールは凍っていました。
体育館の正面入り口には
「独立行政法人 日本原子力研究開発機構 西側スクリーニング拠点」
と書いてある紙が貼ってありました。
体育館脇の入り口には、
「作業車輌長時間駐車禁止 作業車輌の運転手の方は車両サーベ終了後速やかに車輌の移動をお願い致します。」
「お願い 駐車場混雑のため、運転手さんはスクリーニング終了後、直ちに公民館側駐車場に車両を移動して下さい。車両に乗降する人が多い場合も同様にお願いします。」
「測定要因専用出入り口 作業者の方の出入りは緊急時を除きご遠慮下さい。」
と書かれた紙が貼ってありました。
入り口近くの、雨水を通す排水管は、凍って氷柱が出来ていました。
体育館内部は、
「物品置場」
と書かれた紙が貼られた机
「物品スクリーニングエリア」
と書かれた紙が貼られた机
「スクリーニングエリア」「廃棄物」「タイベックスーツ」「ゴム手袋入れ」
と書かれた紙が貼られた戸棚
が置いてありました。
また、体育館の正面からの出入り口は、閉じられているように見えました。(見間違えかもしれません・・・)
小学校の校庭は、ある程度鉄板が敷かれていました。また、木々が整理して置かれていました
小学校について、Aさんが
「まるで私立の小学校の様な大変立派な建物だ」
と言っていました。
船引の仮設住宅に行く前に、コンビニで『フライデー 東日本大震災全記録』を購入しました。780円でした。
コンビニの品揃えは、福島と関東ではかなり違うことにやっと気づきました。車用品などが多く置いてありました。
船引の仮設住宅に入ると、子供達3人がいました。
アスファルトの通路には雪が融けずに残っていました。
仮設住宅の窓から布団を出して、日光にあてている家がありました。
シクラメンは、ゴミ捨て場用のプレハブ内で、寒さ避けをされていました。(既出でしたでしょうか?)
簡単な木製の椅子が、おそらく20個ほど、新たに置かれていました。
掲示板には
「暖房の注意点!」、「(原子力損害賠償機構による)無料訪問相談会のご案内」
という紙が貼ってありました
集会場前の掲示板には催し物の予定表が貼ってありました。
ベンチに座って世間話をしていた人達に、Aさんが声をかけて話を訊きました。
電気代やガス代は入居者の負担だそうです。入居時には、洗剤などの日用品がセットとして用意されるそうですが、その後は住民が購入して用意するそうです。
また、県の借り上げ住宅に入っている人の方が多いそうです。
仮設と借り上げ住宅、どちらに入る方がいいかは、人によるそうです。
例えば、ある痴呆症の老人は、仮設住宅に入ってプライバシーがほとんど無くなったことで、逆に痴呆症が治ったそうです。
春山小学校のプールも凍っていました。
都路中学校の仮校舎があるからか、「○都 3年」という文字のあるプラスチック容器がありました。
郡山のビッグパレットでは、駐車場に「川内村 東日本大震災復興支援車両」と書かれた車が置いてありました。
ビッグパレット自体は当分の間休館となるようです。
実際、ビッグパレットの入り口は閉まっており、夏ごろは自転車置場に洗濯機と乾燥機が置いてあったのですが、なくなっていました。
川内村の災害対策本部が置いてありました。なお、年末なので、戸籍業務を除いて休みでした。
富岡町と川内村の人が入居している郡山の仮設住宅は、船引の仮設住宅よりも、造りが立派でした。
ここも夏とは違い、通路がアスファルトで舗装されていました。
車椅子で上がれる様な住居もありました。
コンビニのような店、床屋、食堂が併設されていました。
一戸空いていましたが、他は埋まっていました。
掲示板には、休日もやっている病院と隔日で運行されているバスのお知らせが貼ってありました。
富岡町の人が入居している仮設住宅の線量を計った結果も載っていました。
赤十字の車と日本財団の車が駐車してありました。
ある住宅に、Aさんがアポ無し訪問をして、話を訊きました。)
その人の話したことを箇条書きでまとめますと、
「ここら辺の仮設は特に老人が多い」
「仮設住宅の耐用年数は2年だけれど、原発と同じで、延長して3年、4年と使うのではないか」
「セキスイハウスとセキスイハイムは建物の造りが結構違う」
「個人的には、もう40年は戻れないと思っている。これは、原発以外の産業が無いことも考慮して、これくらいの年数戻れないと思っている」
「これまで、大熊・双葉・浪江・富岡は原発で食べてきた。これは否定できない事実」
「どうして中通りに近くなっても小学校などが立派なのかというと、建立碑などに『電源交付金』といった文字が入ってるから、注意して見てみて欲しい」
「どうして訴えないのか、と言われると、訴えろという弁護士は、本当に被災者の見方なのか?商売でやってるんじゃないか?と疑ってしまうから」
「親類が東電で仕事をしているなどで、強く出られない人が多い。強く主張できる人に、内心では、もっとやれもっとやれと思っている」
「やっぱり、放射能は「わからない」ので、怖い」
「以前に東電の住民説明会があった時、住民を代表して、「震度7が来ても大丈夫なのか」と訊いたら、鼻で笑われた」
「マスコミがやって来て、マイクを向けると、仮設の人は逃げてしまう」
「やっぱり郡山にいる人間としては、川内から一時帰宅させてくれ、いわきまで一旦行くのは厳しい、という人が多い」
です。
また、別の人から話を聞くことが出来ました。
その方の話を箇条書きにしますと、
「川内は、大熊や双葉とは大きく立場が違う。いずれ戻らざるを得ない」
「川内の人間は、このままだと仮設に入ってると、金取られそうだ」
「川内は線量が低いし、いずれ戻らざるをえない」
「このままでは、大熊や双葉は本当に無くなってしまう」
「双葉は、姉妹都市だからと言って、(埼玉県の)県外に役所機能を移転した。馬鹿だ」
「今の状況は、ピンチでなく挑戦だと思っている」
「私は、あと7年くらいで、富岡の福島第二原発は動かすと思う。あそこは、再稼動させようと思えばすぐ。少なくとも、私が富岡町の村長ならそう考える」
(「原発を動かすのは、世論を操作すれば、可能だろう。いざとなれば、東電が電力不足を理由に首都圏を脅迫すれば可能だろう」)
「困っている被災者の為に14億貸し出したけれど、3億しか戻ってきていない。やくざが金を借りてどこかに行ったようだ。当時は緊急でもあったし、身元確認などは不十分にならざるを得なかった」
「町や村の議員は、議題を承認するか否かの判断が仕事であって、実際に町や村をどうするかは、町長と村長の判断。だから、村議会議員選挙で「公約」がどうこうってのはおかしい」
「本当に知りたいのならば、大熊と双葉の人から話を聞くべき。彼らは会津の仮設に行っている」
です。
お話を伺った方は、「これは個人的意見」と枕言葉を置いてから、話すことが多かったです。
帰り道で船引のリオンドールに寄り、6割引の寿司、野菜、中田先生用の菓子、を買いました。
事前に電話で連絡があったとおり、中田先生が来て、2階にいました。
夕食は、鍋、6割引の寿司、でした。
鍋はAさんが用意して下さいました。
2012年1月1日午前0時にかけて、ホワイトアルバム2という18禁ゲームをやりながら、年を越しました。
やはり、Aさんや中田先生には「・・・どこが良いのか全く分からない」そうです。
2012年1月1日午前2時、古道のお寺に行ってみましたが、何もやっていませんでした。
帰り道で、通っていたパトカーに誰何されたら、・・・どうしよう、と思いました。
帰り道のついでに、古道の街を見てみると、車で一時的に帰ってきている民家が多かったです。
2012年1月1日午前3時18分、検問所方面から郡山方面へ、タクシーが288号線で帰っていきました。
(転載終わり)
【742】[830]福島本部活動日誌です52
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年12月29日の日誌です。
今日は画像がとても大量になりました。
また、ガイガーカウンターを使用する際、移動しながらなので、じっくり時間をかけて正確に測れなかったことを最初にお断りしておきます。
正午にKさんが来ました。今日は一日中Kさんにお世話になりました。
昼食として、カレーライスをお出ししました。
川内村に行って、かわうちの湯に行きました。
Rさんが、かわうちの湯の画像があるかを以前MLで尋ねていましたので、改めて撮影しました。
受付の人に訊いたところ、かわうちの湯は1月5日~8日まで休館です。
また、年度内に予定していた大規模な改修工事も3月以降になったそうです。
かわうちの湯の近くにあるコンビニが営業していました。
建物脇の駐車場には20cm陥没しているところがあります。
コンビニの品揃えは、やや増えていました。
雑誌類は全くありませんが、お弁当類や食材が増えていました。
但し、空いている棚も((下の画像の反対側にも)ありました。
お弁当の製造者の住所はさいたま市になっていました。
店員さんとKさんの会話によると、川内村の名産品は、売り切れた後は製造されておらず、今は全く在庫がないそうです。
かわうちの湯の隣にある、富岡消防署川内出張所には、消防車や消防関係車両、それに災害支援車両と書かれたタンクローリーが駐車してありました。
川内村の蕎麦屋に行きましたが、丁度不在でした。
息子さんが帰省したので迎えに行ったそうです。
一旦事務所に戻って洗濯をした後、Kさんに同行して、国道399号線を北上して飯舘村に行きました。
途中の国道399号線は、日当たりの悪い所が凍結していました。
山道であり、まだスタッドレスタイヤに代わっていないので、危険でした。
失敗でした。
また、通行できない所はなかったのですが、夏から補修工事がされずにそのままになっている所がほとんどでした。
葛尾村の住民によるパトロールをしているプレハブも、夏からそのままでした。
国道399号線で北上する途中、浪江町の所に動物保護団体が来ていました。
一人の女性は写真の通り、防護服を着ていました。
他の二人は普通の格好でした。その内一人は外国出身と思われる人でした。
399号線を北上する途中で、大体浪江町のあたりで線量の高そうな所を計ってみました。
(googleの地図で「37.581249,140.759912」と検索すると出てくるあたりです。)
車内の線量が4.19μSvだった地点の側溝は、57.77μSvでした。
その側溝の脇の地面は18.97μSvでした。
もう少し進んだ別の場所では、車内の線量が5.40μSv、そこの側溝は62.97μSvでした。
浪江町は国道114号線の通っているところに沿って北西に延びています。
丁度そこを、つまり道路の通っている低地を通って、飯舘村に放射性物質が飛んでいったのだと実感しました。
飯館村に入る所で、石碑の文字が見えるようになっていました。冬になって、草が枯れたからだと思います。
飯館村の十文字(注:県道62号線と国道399号線が交差する箇所だと後で飯館村の住民の方に教えて貰いました)で計ってみました。
普通の地面は12.13μSvでした。
完全に凍っている側溝の上は4.57μSvでした。しっかり計るのを忘れましたが(汗)、空間線量とほぼ同じです。
夏にも二度計った草の上は7.61μSvでした。なお、夏に計ったときは50μSv近くでした。
雪の影響で線量が上手く計れなかったのかもしれません。
十文字では、国の累積線量測定器が置いてありました。その脇には「文科省(左上の矢印)33」と書かれたガムテープが地面に貼ってありました。
また、『注意 熊出没』という看板が立っていました。
十文字を少しだけ行った所に、風呂用の煙突から煙を上げている民家がありました。
そこのお宅で少しだけ話を聞けました。
奥さんは
「仮設では、風呂の追い焚きが出来ないので、4人で入る頃にはお湯が冷めてしまう」
「だから、今日は自宅に戻ってきて、温かいお湯に入れる」
「自宅で餅つきをしてから仮設に帰る」
「今日は自宅に泊まる」
「ここら辺だと、十文字の線量が高い」
「『注意 熊出没』の看板だけど、本当に熊が出た。あと、猪や猿がここら辺に出た。特に猿は群れで近所の柿の木を食い荒らしていった」
と言っていました。
この民家の庭の空間線量は、7.42μSvでした。
飯樋小学校に行きました。
飯樋小学校の地面は3.63μSvでした。
飯樋小学校から飯館村役場に向かう途中にあった、渡辺自動車は、営業していました。
役場は通り過ぎるだけでした。役場の電光掲示板は1.35μSvを表示していました。
その時の車内の線量は0.94μSvでした。
飯館村で、国が除染のモデル事業をやっているらしい所に言ってみました。
(二枚目の画像は、一枚目と砂利道を隔てた反対側にあります。)
そこで計った車内の空間線量は1.56μSv、地面の線量は7.31μSvでした。
帰り道の途中、川俣では、車内の線量が0.28μSvでした。
帰る途中で、船引の食堂に寄って、夕食にしました。
Kさんが店お勧めの海鮮丼とかけ蕎麦のセット、私がミックスフライ定食でした。
その後、リオンドールで正月用の買い込みをしました。普段は買えない半額の肉類などを買ってしまい、後悔しました・・・。
事務所に戻ってコーヒーを飲んだ後、Kさんは帰りました。大変お世話になりました。
29日の夜から30日の朝9時まで日誌を書いていたのですが、深夜から未明にかけて、時々288号線から来て399線に右折する車がありました。
深夜に原発方面に向かっていく車は、警察車両を除きありませんでした。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年12月30日の日誌です。
会員のAさんが来ました。
これから暫く滞在されます。宜しくお願いします。
Aさんを、検問所だけご案内しました。
その際に、二人で職務質問をされました。
検問所にいた愛知県警の警察官は
「20km圏内の様子が酷い。空き巣が窓ガラスを破っているところが多い」
「暗くなってしまうと、わからないので、泥棒は入り放題」
「正直、20km圏内がこんなに酷いことになっているとは思わなかった。だから済まないが、こうして声をかけている」
「防護服で完全ガードしているけれど、正直怖い。福島の人には、気を悪くさせてしまっていると思うし、済まない」
と言っていました。
夕食は、Aさんに、すき焼き、ぶりのしゃぶしゃぶ、人参と紫キャベツのサラダ、ぶり大根、を作っていただきました。
半額の肉でしたが、Aさんの料理が上手かったのか、大変美味しかったです。
ビールも用意しました。私の方が飲みすぎて醜態を晒しました。
この後、10年前のビラ配り等について、しばらく話していました。
福島で「10年ぶりの再会」を出来たのは、三人目になりました。
(転載終わり)
【741】[829]福島本部活動日誌です51
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年12月25日の日誌です。
午後6時に体育館に行ってみました。
車で来ていた人が帰った後でした。
以前と同じような写真しか撮れませんでした。
外風呂に入ってみました。
今日の最高気温はマイナス1度だったので、入っているどころではありませんでした。
急いで中に入って、シャワーで体を温め直しました。
夕食は、ご飯、余り物をほぼ全て入れたカレー、雪菜と余った肉を炒めたもの、でした。
カレーは林檎と唐辛子を入れすぎたので、だだ甘いのに辛くなりました。唐辛子を抜いて、ケーキの代用品にすれば良かったです。
もしもケーキが作れれば、
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52514177.html
みたいのを作ってみたかったです。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年12月26日の日誌です。
電話料金を支払いました。
工事料金6900円が込みで、12689円でした。
危険物をごみにしました。
大広間の半分に掃除機をかけました。
公民館前に行きました。
「向井9025は、通勤で早出3名以上の乗車に限り許可されています。」と書かれた表示のある春日部ナンバーの車が置いてありました。
体育館裏には、夏に自衛隊の車両が繋いでいたと思われる黒いホースが置いてありました。
体育館の電気の装置が置いてあると思われる所には、人の足跡が残っていました。
体育館正面には、プレハブの中に見張りが一人いました。車も一台停まっていました。
夕食は、ご飯、カレー、肉と雪菜の炒め、でした。昨日と同じです。
あとは麦茶を飲んで誤魔化しました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年12月27日、28日の日誌です。
正直言って、27日、28日は、本当に書けることがありませんでした。
普通に風が強くて寒い一日でした。
新聞の集金が来ました。その時同時に、福島民報縮尺版(3/11~4/30)を購入しました。
第二版でした。
何も暖房をつけずにいたら、室温が5度に下がっていました。
簡単に部屋を掃除しました。
(転載終わり)
【740】[828]福島本部活動日誌です50
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年12月21日の日誌です。
プラスチックごみを出しました。
午前中に、食事を一気に4日分作りました。駄目になりかけている食品の再加熱、と言った方が正確です。
悪くなっている魚などは、食べられるように再び誤魔化しました。
歯医者に行きました。ひとまず治療は終わりました。
町の車は、衣類が積まれているものが多かったです。
仮設住宅から一時的に戻って、布団や衣類を取りに来たのだと思います。
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行政局の前に「復興支援車両」が停まっていました。
行政局の中には、水とマスクが大量に運び込まれていました。
崖崩れの現場では、ショベルカーが下に土を落としていました。
近くの橋の工事現場では、橋げたが運び込まれ、設置作業が続いています。
公民館前の駐車場には、おそらく東電の関係者がいました。
最近は青い上着を着ていることが多いです。
重たい掲示板に過去の日誌を上げました。
4時間かかりました。
夕食は、ご飯、カレーの残り、魚の残りを焼き魚に転用したもの、レタス、でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年12月22日の日誌です。
夜のチャットで、ZさんがPSPvita(という新しい携帯ゲーム機)を既に購入したことを伝えられました。
購入をためらってしまう私とは違う、新世代の人のスタイルを思い知らされました。
燃えるごみを出しました。
車のエンジンを10分かけておきました。
Tさんという、岩手で発動機などを作っている人が来ました。
お茶だけですが、お出ししました。
先生に資料を渡すように頼まれました。
「除染は必要無いし、除染するなら竹酸の力で可能だ」という主張でした。
Mさんが弁護士になられて、とても嬉しいのです、が、なんだかいつの間にか遠い世界に行ってしまわれたような気がします・・・。
1年と9ヶ月待ったエロゲの続編が午後3時に届きました。
気持ち悪い顔をガラスに反射させ、グヒヒゲヒヒヒデヒヒヒ、といいながらクリックしました。
途中からアルコールが入って、奇行に走りました。明日大丈夫でしょうか。
ゲームの登場人物がゲーム中で飲んでいるものを順に飲んでいったら、泥酔しました。
カシスソーダ、ビール、赤ワイン、缶コーヒー、激辛カレー、お茶、味噌汁、おかゆ、が登場していました。
ので、カシスソーダ、ビール、白ワイン、カルーア、カレーの残りにパプリカを入れて辛そうには見えるもの、ルジェカシスをお茶で割ったもの、お茶漬け、の順で胃に流し込みました。
流石に全部同じに揃えるのはここでは無理でした。
味噌汁も作って飲もうと思ったのですが、ありあわせの使えそうな野菜が雪菜しかなく、しかもゲーム中で可哀想な立場にあるヒロインの名前がたまたま同じ名前だったので、どうしても今日の私には味噌汁は作れませんでした。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年12月23日の日誌です。
風が非常に強かったです。
ポリバケツが再び飛ばされたので、中に入れました。
トイレを二箇所掃除しました。
シャワーで体をすぐに暖められる状態にしておけば、冬季も掃除が出来そうです。
夕食は、ご飯、カレーの残り、肉豆腐(といってしまっていいのかわからない期限切れの胡麻などを使った代物)、でした。
夜に外風呂に入ってみました。お湯の温度が下がるのが非常に早いです。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年12月24日の日誌です。
23日の夜から25日の午前5時まで、Zさんと、一緒のエロゲをしながら断続的にチャットをしていました。
演劇を基にしたシナリオについて話している時に
「うわ、夕鶴出てきてめっちゃ嬉しい」
と言われたのですが、日本人のはずの私が
「団イクマ(←当然のように変換できない)のオペラか何か?」
と、頓珍漢な返事をしていました。
午後5時40分、Tさんがクリスマスイブのお祝いに来ました。
Tさんから、ドーナツ二個、マクドナルドのフライドチキンを頂きました。
ノンアルコールビール、焼そば、南瓜の煮物、をお出ししました。
Tさんは午後9時40分に帰りました。
(転載終わり)
Tさま、頂いた資料は、確かに先生にお渡しします。
【739】[827]Yahooニュースに野村証券の件が載っています。
yahooニュースに載りました:
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/stock_companies/?1324855999
<転載開始>
野村證券、ネットの「危機説」に反論 「根拠のない憶測、法的対応を検討」
J-CASTニュース 12月25日(日)16時52分配信
拡大写真
野村證券のツイート。
日本を代表する大手証券の野村證券が2011年12月25日、ネット上で飛び交っている「破綻説」を否定し、法的措置をとる構えであることを発表した。休日だが「風評」の拡大を抑えたいという思いがあったようだ。
野村證券を巡っては、情報誌「ザ・ファクタ」が20日発売号(2012年1月号)に「野村救済に『資本注入』計画」という記事を掲載。「1月に格下げなら土俵際。三菱UFJか三井住友との資本提携を模索」などと報じていた。
■時事通信が「野村も事前の再建・処理計画」流す
「ファクタ」といえば、「オリンパス粉飾決算」をいち早く指摘したことで名を挙げた媒体だ。影響力もかなり大きい。記事では今夏以降、野村について欧州の金融当局や格付け会社が厳しい見方をしており、これに野村や日本の金融当局が対処する様子などを詳しく書いている。
さらに22日には、時事通信が、金融危機の連鎖を防ぐため巨大金融機関(G―SIFIs)が策定を義務づけられている「再建・破綻処理計画」を金融庁が野村証券にも求める方向で調整に入ったと報道した。
そのため、23日夜頃から2ちゃんねるやツイッターに野村證券が「破綻寸前」といった書き込みが寄せられていた。
■「副島隆彦です。おそらく野村証券は、すぐにもつぶれるでしょう」
こうした動きに対し、野村證券は2011年12月25日昼、公式ツイッターに、「グループ広報部長の池田です。評論家と名乗る人物が、ネット上にて断定的に当社の破綻について語っているようですが、根拠のない憶測であり、現在、法的な対応を検討しております。お騒がせいたしました」と投稿した。
「評論家と名乗る人物」というのは、評論家で経済関係の著作も多い副島隆彦氏のことではないかと見られている。23日、副島氏の公式サイトの掲示板に「副島隆彦です。(中略)おそらく野村証券は、すぐにも つぶれるでしょう。ついにヨーロッパとアメリカの金融危機は、いち早く日本に飛び火しました」という投稿が寄せられ、これがツイッターなどで話題になっていた。
経済評論家の池田信夫氏は副島氏のものと見られる書き込みについてツイッターで「真に受ける人がいると困るが、これはデマですよ」とコメントしている。
<転載終了>
【738】[826][825]副島先生の投稿に関連しまして
会員会員の篠原良一です。
私の「[824]BROGOSというサイトにこんな投稿」 を掲載してしまい、副島先生には煩わしさをあたえ、すいませんでした。先生の本、学問道場サイトは読んでいますので、野村證券のことはよく理解していましたが、たまたまBLOGOS(ブロゴス)の記事に「やまもといちろう」氏の記事に
「マズいと思ったのか、副島隆彦が問題の発言を削除、遁走するという騒ぎになっております。」と書いてありましたので、腹が立って我慢できなく投稿しました。よく見ると彼のブログには
「訂正」(その部分を見え消しで)してありましたが、でも現在もBLOGOS http://blogos.com/article/27740/?axis=g:0
投稿は以前のままの記事でしたので、訂正するか、削除すべきではないかと、彼のブログにコメントしました。BLOGOS見た方は
(学問道場会員はそうではないと思いますが)勘違いや間違った情報が流れるのが心配です。