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Loginはこちら【754】[842]平野貞夫氏を強く支持して、謀略、違法の裁判官たちを弾劾(だんがい)裁判に架けるべきである。
副島隆彦です。 元参議院議員で、法制、立法にものすごく詳しい(当然です。長く 衆議院に勤めていたから)平野貞夫(ひらのさだお)氏が、ついに意を決して、 私たちの優れた指導者(国民政治家)である小沢一郎への、悪逆非道(あくぎゃくひどう)の限りを尽くす 、謀略・違法攻撃を仕掛ける、今や自分たち自身が、犯罪者集団である法務省官僚 ”赤レンガ組”だけでなく、 同じく 共謀者となっている 裁判官たち に対しても、 「弾劾(だんがい)裁判にかけるべきだ」という 訴追請求を行いました。
私は、平野貞夫氏らの「日本一新の会」のの闘いを強く支持して、これに共感し共同歩調を取って、私たち学問道場も、小沢一郎と秘書たち、大久保隆規(おおくぼたかのり秘書、池田光智(いけだみつとも)秘書、石川知裕(ともひろ)現衆議院議員、そして小沢派の政治家たちを、逮捕し犯罪者として裁判に掛け、葬り去ろうとする、極悪人の 勢力との戦いを、今後も挫(くじけることなく意気盛んに続けてゆくことを深く誓いたいと思います。
私、副島隆彦 の 「犯罪者集団・法務省”赤レンガ組”に対する闘い」は、もう少ししてから、報告します。 今日は、平野貞夫さんの 果敢な闘いへの 連帯と共感を表して、 以下に、 平野氏たちの 訴追請求状と 声明文を 転載します。 副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
『平野貞夫氏の登石(といし)元裁判長(へ)の訴追請求状』 日本一新の会メルマガから
<メルマガ・日本一新第84号>
◎「日本一新運動」の原点―91
日本一新の会代表 平野 貞夫
(2012年)1月12日(木)に、東京地方裁判所の登石裁判官に対する、「訴追請求状」を裁判官訴追委員会(さいばんかんそついいいんかい)に郵送した後、自宅でサンデー毎日のインタビューを受けている最中に小沢さんから電話があった。「登石裁判官を告発したんだって!」と驚いていた。
丁度同じ日に「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」(代表・八木啓代氏)が、石川議員の調書を捏造した田代検事・他を「検察庁の一連の組織的犯行」として、最高検に告発し、それを誰かが誤って報告したのが原因らしい。
取材で、サンデー毎日の記者が私をしきりに攻めたてたのは、4月に予定されている小沢さんの判決が「有罪か、無罪か、その割合はどうか」という質問であった。「そんな質問に答える立場にない」と断って次のように話したが、その部分は記事にならなかった。しかし、大事なことなので「メルマガ・日本一新」ではしっかり説明しておきたい。
まず第1点は、「小沢問題」は麻生政権の「政治捜査(せいじそうさ)」で始まった事件であることだ。従って、東京地裁の判決は「政治判決(せいじさいばん)」となる可能性を排除できない。何故なら、憲法に基づいて「法と証拠」による判決を行えば、「政治捜査」であることが国民の前に明らかとなるからだ。
第2点は、現在の法務省・検察・裁判所の劣化は驚くべき実態である。「小沢裁判」でそれが露呈し始めた。裁判所の裏金づくりなどの話は、元高裁判事の 生田暉雄(いくたてるお)氏の 『裁判が日本を変える』(日本評論社)で、国民が知るようになった。
これから司法府の腐敗がさまざまな形で吹き出る可能性がある。従って「小沢裁判」で少し正常化させ、被害を最小限としておこういう心理が働く可能性もある、というのが私の見方だ。
登石(といし)裁判官の訴追請求を行った理由は、私自身の反省が第一である。私は 「検察審査会法(けんさつしんさいかい)の改悪」には関係していなかったが、裁判員制度・法科大学院制度、一連の米国化した商法改正、そして悪名高い「盗聴法(とうちょうほう)」等々の成立に協力してきた自分自身の『非行』を猛省してのことである。
西松建設事件から始まる一連の「小沢排除の捜査と裁判」は、自民党の麻生(あそう)政権から始まって、民主党・菅政権に司法官僚によって引き継がれたものといえる。ここに問題の本質がある。さらに巨大メディアがそれを煽動しているという実態が、野田政権でも営々と続いていると私は見ている。この底知れぬ流れの中に、現在わが国のあらゆる部分を劣化させた「悪性の癌」が潜んでいると思う。
私が叫びたいのは、日本を支配しているのは、必ずしも財務官僚だけではない。実は財務官僚 も恐れる集団 があるのだ。それは司法試験という最も難解な試験に合格した人たちでつくられたものである。勿論、その人たちの中には、人々のために自分を犠牲として生きている人たちが多くいることも承知している。しかし、財務官僚をも支配するというか、コラボレーションして、わが国を統治支配しようとする「検察官僚」の存在である。
法務省に、100人を超える検事をいれ、最高裁事務総局に約30%の迂回検事(うかいけんじ)がいて、内閣法制局を通じて、司法と行政を支配している実態を、国会議員はなんと考えるか。
それに加えて、最近各党の弁護士国会議員が増加している。それは決して悪いことではない。立派に職責を果たしている弁護士・政治家を何人か私は知っている。しかし、民主党政権となって、弁護士・政治家が高い権力の地位に就くようになってこの方、国政に多くの障害が出ていることも事実である。
私が参議院議員として約11年間、法務委員会に所属していたのは、国家社会の正義を担保するのは、司法界にあるという強い思いであった。そのため、司法に関わる人材の養成、人間としての常識と誠実を持つための改革を志したのだ。この部分の腐敗と劣化が、今日の悲劇であるという憤りが、訴追請求の真意である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
訴 追 請 求 状(写)
平成24年1月12日
裁判官訴追委員会御中
郵便番号 ***-****
住 所 千葉県柏市
********
氏 名 平野 貞夫
電 話 ***-****
下記の裁判官について弾劾による罷免の事由があると思われる
ので、罷免の訴追を求める。
記
1 罷免の訴追を求める裁判官
所属裁判所 東京地方裁判所
裁判官の氏名 登石郁朗(といしいくお)裁判官
2 訴追請求の事由
(総論)
上記 登石裁判官は、平成23年9月26日、自分が裁判長として担当した事件、『平成21年(特わ)第517及び平成22年(特わ)第195号、政治資金規正法違反被告事件』の判決において、法治国家たるわが国の憲法、刑事法規等の基本理念を否定するだけでなく、人類が営々として築き上げた基本的人権という条理を冒涜する、異常な心理状態で判示したものである。
多くの常識を持つ国民から、登石裁判官の精神状態は異常と危惧した意見が噴出し、これでは民主社会の正義も国民の安穏も維持できないと、「裁判官の暴走」に厳しい批判が続出した。
裁判官にとっての職務上の最大の義務は「憲法の遵守」である。登石裁判官は憲法に対する職務を著しく怠っただけでなく、憲法原理さえも冒涜したものである。このことは、裁判官としての威信を著しく失わせただけでなく、司法の権威と信頼を失脚させた。
これは裁判官としての非行に止まらず、、人間としての非行に値する。これを非行といわずに何を非行というのか。
登石裁判官は、この「裁判官の暴走」といわれる異常判決を代表する裁判長たる司法官である。その適格性や資質に重大な欠陥があり、弾劾裁判によって罷免すべきである。
(代表的問題点の指摘)
(1)前記政治資金規正法違反被告事件は、平成21年3月3日の大久保秘書逮捕の西松建設事件から始まる。これは民主党への政権交代を阻止するため当時の麻生政権が政治謀略として、小沢民主党代表を政界から排除しようとして仕組んだ事件である。
私自身、その傍証をもっている。大久保秘書逮捕の2日前の3月1日、当時の森英介(もりえいすけ)法務大臣 から直接、「小沢代表は、平成時代になってから日本の政治を崩壊させた悪い政治家である」等の暴言を聞かされ、何か事件的なものが起こりそうな予感があった。
その後、森法務大臣と親しく、私の友人でもある財界人から「森法務大臣が、大久保秘書逮捕は私が指示したと内輪の会合で聞いた」との情報を知らされた。また、政府高官が同じ政治資金規正法問題を抱えた数人の国会議員について「自民党には波及しない」と発言して問題となった。
故に、これらの事件は捏造された政治捜査である。これらの点を私はテレビや著書などで問題の提起を行ったが、裁判では一切採り上げなかった。これらは、議会民主政治の根幹を問う問題であり、登石裁判官は著しく職務を怠ったといえる。
(2)平成23年12月16日、小沢一郎氏の強制起訴に係る陸山会事件の東京地裁公判に証人として出廷した元検事・前田恒彦(まえだつねひこ)氏は、東京地検特捜部に応援入りしたときの状況について、次の趣旨の証言を行った。
「陸山会(りくざんがい)事件の捜査で検察のやり方は問題があった。・・・主任検事から『この件は特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢をあげられなければ特捜の負けだ・・・』といわれた。当時問題となっていた4億円について、(検察内部では)5千万円は水谷(みずたに)建設、1億円は○○建設などと筋を描いていた。
現場を追いかけている担当検事らは、裏金の話を聞き出せないと感じた。・・・4億円が企業からと妄想する人もいたが、正直ついて行けなかった。○○検事も『石川さんの5千万円の裏金の事実はないんじゃないか』と言っていた。
副部長検事も『おそらくない』という認識だった。・・・この事件で、捜査体勢が、途中でものすごく拡充された。『業者班』の捜査員を増やした。でも調書がないでしょう。裏金を渡しているという、検察の想定と違う取り調べ内容は証拠化せず、メモにしていた。」
この前田元検事の証言は、(1)で述べた私の主張を証明するものである。これらの捜査段階の空恐ろしい実態は、裁判の審理で究明されるべき問題であった。それがなされなかったことは、裁判の公正さを著しく毀損した。
昭和9年のいわゆる「帝国人絹(ていこくじんけん。ていじん)事件」は、当時の東京地方裁判所が公正な審理を行い、軍部と司法省首脳が内閣の倒壊を図るために仕組んだ検察ファッショであることを明らかにし、被告全員を無罪とする歴史に残る判決を行った。
ところが、今回の登石裁判官による判決は、前田元検事の証言が示唆するように、政治捜査であり、検察側の議会民主政治を抹殺する狂気の捜査を糾弾すべき立場にありながら、その問題の検察調書(けんさつちょうしょ)をも逸脱して、裁判官が憶測、さらには妄想と思われるものまで推認で断定した。
これらのことは、裁判官の暴走として多くの国民を不安のどん底に陥れた。司法の権威を陥れた責任は重大である。
(3) 判決の代表的問題点は2つある。第1は、西松建設(にしまつけんせつ)事件の背景事情として、東北地方の公共事業での受注決定の際、大久保秘書が業者を決める『天の声』を出す役割を担い、ゼネコンから多額の献金を受け入れる窓口だった、との部分である。
第2 は、陸山会事件の背景事情として、小沢氏の地元の「胆沢(いさわ)ダム建設工事」受注に絡み、水谷建設から04年10月に石川知裕(いしかわともひろ)被告に、翌05年4月には 大久保被告に、それぞれ5千万円が渡ったと推論した上で、
陸山会の土地購入の原資となった小沢氏からの借入金「4億円」について、原資が証拠上明らかであるにも拘わらず、原資不明と妄想し、4億円での土地取得が発覚すれば、裏献金や企業と癒着した資金集めの実態が明るみに出る可能性があるために隠蔽した、と推認した部分である。
両件とも証拠はなく、中には検察調書によらず、憶測、推論、妄想ともいえる心理状態で判決したものもある。これが裁判所の判決として通用するなら刑事裁判を行う意味はない。憲法で保障される裁判を受ける権利とは何か。 憲法に保障されている「推定無罪、罪罰法定主義、証拠中心主義」のすべてを冒涜(ぼうとく)して、
裁判官の恣意的(しいてき)価値観によって、特定のストーリーを予め描いた上の判決といえる。従って、登石(といし)裁判長の憲法に対する理解度が正気でないことは明らかであり、裁判官としても資質に著しく欠けるといえる。裁判官の「自由心証主義(じゆうしんしょうしゅぎ)」とは絶対的なものではない。
憲法の原理や規定の範囲で存在するものである。登石裁判官が、何故「裁判官の暴走」と言われることを行ったのか、この点の究明も必要である。精神状況の異常さによるものか否かの判定は、裁判官訴追委員会の責任において究明すべき問題である。そのための訴追請求でもある。
(結び)
個人的なことだが、私は平成3年7月から同16年7月まで、参議院議員であった。平成4年から約11年間、長期にわたって法務委員会に所属し、その間集中して行われた司法改革に全力を尽くしてきた。今日の検察と裁判所の暴走と劣化を見るに、慚愧(ざんき)に堪えない。司法制度の改革に関わった私が裁判官の訴追請求を行うことは、自己の反省を含め身を切る思いの決断であった。
本訴追請求 が訴追委員会において、仮に不問に付されるとすれば、登石裁判官は憲法上の的確な資質を公認されることになる。
となると、重大な問題が起きることについて是非とも触れておかねばならない。まず、「裁判官の暴走」といわれる異常な判決が特定の目的をもって行われたという疑惑である。
すなわち、平成23年10月6日から、東京地方裁判所で始まった小沢一郎氏が検察審査会(けんさつしんさかい)の強制起訴による裁判を、有罪に誘導するための政治判決となる。
そもそも、小沢一郎氏に関わる「西松建設事件および陸山会事件」を強制捜査したこと自体が、前述したとおり、議会民主政治を破壊する政治捜査であった。検察が総力を挙げて約1年半の時間と巨額な税金を使って起訴できなかった事件を、政治権力と司法権力が癒着して、検察審査会を利用しながら強制起訴(きょうせいきそ)とした疑惑が生じている。
「強制起訴」された小沢一郎氏の東京地方裁判所での公判で、証人として出頭した田代(たしろ)検事(石川知裕被告の取調担当)が、虚偽の捜査報告書(そうさほうこくしょ)を提出していたことである。
それが強制起訴に対し、大きな影響を与えたことが判明し、これが組織的に行われた可能性がある。私は「小沢問題」は国家権力が複合して捏造した「権力犯罪」だと推認している。
しかし、現在の衆参両院議員の多くは、与野党に渡ってそのような認識をしていない。もし、登石裁判官の判決が判例として定着するとなると、検察が起訴しなくても、裁判官が証拠もなく、推認で判断すれば、政治家を犯罪人に仕立てたり、政治生命を失わせることが可能となる。
いわゆる「小沢問題」は、国民主権に基づく議会民主政治が、わが国で維持できるか否かの瀬戸際といえる。
さらに、登石判決を正当として支持する法曹界の一部の人たちの主張によると、近年に世界の主流となった「法廷中心主義」の影響とのこと。裁判ですべてを決めていくという米国流の司法手続きがわが国でも主流になったとの論である。
確かに裁判員制度など、米国の司法制度を導入した部分もあるが、憲法や刑事法規が規定する「推定無罪・罪罰法定主義・証拠中心主義」などは遵守(じゅんしゅ)されなければならない。それが司法手続きの基本である。
若(も)し、米国流の法定中心主義に改めるとするなら、それは国会における立法によって改めことが議会民主政治であり、検察や裁判所の恣意で変更できることでは断じてない。
要するに、国会が本来の役割を果たしていないからこのような事態となったのである。国会議員の多くが、議会民主政治の本旨について無知、無感覚であることが原因である。現在のわが国の統治機構(とうちきこう)、特に司法府はきわめて危機状況である。
難しい司法試験に合格した代わりに、人間性や常識を失ってロボット化した人間たちが、立身出世で拝金という価値観にとりつかれ、精神や心理状況を著しく異常化させて、司法界という特殊な世界で人間性や常識を捨て蠢いているのである。私が参議院議員として担った司法改革は、司法界で活躍する人材に、人間性を回復させることであった。
登石裁判官の判決は司法改革に逆流した典型といえる。
記
裁判所名:東京地方裁判所刑事第17部
事件番号:平成21年(特わ)第517号及び
平成22年(特わ)第195号
当事者名:被告 石川知裕衆議院議員、
池田光智及び大久保隆規元秘書
代理人名:木下貴司、高橋司、吉田美穂子弁護士他
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
事務局雑話
サンデー毎日の「小沢裁判『推認有罪』の確率」は是非ともお手にとって読んで頂きたい。「司法の浄化は、国会でなければできません。小沢鋭仁(おざわさきひと)委員長に言いたい。訴追委員会に私を呼んで欲しい」と、後期高齢者 の平野代表が絶叫しているので、与野党を問わず、心ある国会議員に届くことを期待したい。
またぞろ「小沢氏の証人喚問を!」と、ミゾの切れたレコードの真似事を繰り返している「健全野党」という仮面をかぶった政党もある。が、「小沢問題」は、良心に照らして国家を担うすべての国会議員に共通する課題であることに一日も早く気づいて欲しい。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 平野先生、先頭で頑張ってください。私たちが後(あと)に続きます。
副島隆彦拝
【753】[841]福島本部活動日誌です57
(転載始め)
2012年1月13日の日誌です。
今日の最低気温はマイナス10度でした。
寒すぎて寝られませんでした。
朝は粉雪が舞っていました。
早朝に外風呂に入ってみました。
意外と入れました。出るときに寒いのは仕方が無いです。
昼食は、ジェノベーゼのスパゲッティを馬鹿の様に大量に食べました。
腹の中がパンパンでした。
洗濯をしました。
午前11時に大家さんの奥さんが来ました。
ここはいつまで借りることになりそうか、と何気なく訊かれました。
食べないカップ麺とドッグフードを差し上げました。
夕食は、味噌汁の残り、ご飯、納豆、南瓜のスープの残りにレトルトカレーを入れて煮立たせたもの、チンゲン菜を炒めただけのもの、でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月14日の日誌です。
なんだか変なので早めに報告します。
今日は、午後6時半にある街の放送で、各地の放射線量についての報告がありませんでした。
水道水についての報告はあったのですが、古道「だけについて安全」、つまり他の調査場所の報告が無い、水道水の安心を知らせる報告でした。
なお、福島県立医大が行っている健康調査についての放送もありました。
気になったので、外の放射線量を測ってみたのですが、ここ最近0.4μSv/h弱だったのが、0.55μSv/hに上がっていました。
6月頃がこれ位の値でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月15日の日誌です。
朝食として、ご飯、納豆、味噌汁、茄子を焼いてジェノベーゼのソースを乗せただけのもの、白菜と牛肉を乾煎りして塩胡椒したもの、を食べました。
朝食後に、余っている食材を食べる一歩手前にしました。
ほうれん草、牛肉、もやし、チンゲン菜を、個別に炒めただけのもの、を処理しました。
夕食は、ご飯、納豆、残っている味噌汁、ヨーグルト、でした。
味噌汁は10日以上前の、由緒正しい食べ物(汗)になってきました。
16日午前1時に外の空間線量を測って見ましたが、0.44μSv/hでした。
昨日がなぜ高かったのか、わかりません。
ここ10日はあまり買い物をしていないので、気分が良いです。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月16日の日誌です。
燃えるゴミを大量に出しました。
マイナス5度の中のゴミ出しは、結構堪えました。
午前中は、タンクローリー車が、検問所方面から来て288号線を帰っていくことが多かったです。
JAの倉庫に干草が搬入されていました。
昼食は、韮と人参入りの焼そばでした。
夕食は、余っている味噌汁に蕎麦を茹でて入れたもの、でした。
とても不味かったです。
広野へ電車で行ってみようと思っていたのですが、日帰りは相当に厳しいことがわかりました。
東京に東北本線を使って出るのと時間が変わりません。
いわきで安く泊まれるビジネスホテルを物色中ですが、5000円くらいはどうしてもするので、二の足を踏んでいます。
但し、南相馬は更に厳しそうです。(福島駅東口から原ノ町駅まで1500円のバスで行けるのですが・・・)
(転載終わり)
【752】[840]福島本部活動日誌です56
(転載始め)
2012年1月7日の日誌です。
午前8時に先生と起きて、布団を干しました。
朝食を用意しました。
ご飯、納豆、味噌汁、サラダ菜、でした。
金の決済など、雑務を済ませました。
写真と音声データを、外付けのハードディスクにバックアップしました。
夕食は、期限切れのラーメンに残った鍋の具を投げ込んで食べました。
安定して不味かったです。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月8日、9日、10日の日誌です。
3日続けて体育館に作業員と思われる人が来ていました。
警戒の人が動き回っていて、写真は上手く撮れませんでした。
髪を坊主にしました。
駄目になりかけの食材を食べられる手前の状態にしました。
麻婆豆腐、南瓜のスープ、油揚げを炙って豆苗をのせたもの、白菜と牛肉を煮込んで味は付けていないもの、チンゲン菜と大和芋を炒めただけのもの、ができました。
・・・でも、どれひとつとして食べていません。
出来ればもう一度、いわき市と広野のジェイビレッジに写真を撮りに行きたいなぁ・・・と、唐突に思いました。
後日、電車で行ってみようかと思います。広野までは電車が通っています。
南相馬市の海岸はどうなっているのかも、今は気になっています。
津波の被害を受けた海岸を写真で撮るだけで、ちゃんとした記録になることを、6月時点で気づいていなかったことが悔やまれます。
ようやく1月1日の日誌を書けました。でも、出来には不満足です。
9日の午前10時に、Yさんの奥さんが様子を見に来ました。
10日午後3時、大家さんの家に挨拶もかねてレトルトのカレーなどを持っていったのですが、留守でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月11日の日誌です。
朝、野村證券のニューズを条件反射的に見てしまいました。
そのせいでゴミ出しを忘れました・・・。
今日は一日眠くて、何もしないでしまいました。
最高気温が氷点下なので、上手く体が対応していません。
明日の気温の予報は、最低気温がマイナス8度です。結構怖いです・・・。
夕食は、ラーメンの残り、南瓜のスープ、味噌汁の残り、でした。
南瓜のスープが上手く出来たので、一寸だけ嬉しいです。
グーグル・アースを使って、ここから288号線を使って原発に向かう道を見てみました。
山を一つ越えて200メートル上がった後に、標高550メートル前後が暫く続いた後、玉ノ湯温泉付近で一気に400メートル下がる道でした。
やっぱり阿武隈高地は厳しいです。
トイレの水が凍っていました。
最近のアニメとゲームは、大学生を描いたものを観る機会があり、新鮮です。
ずっと高校生を描いたものが多かったので、なんだか変な気分です。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月12日の日誌です。
レシートの整理をしました。
邪魔な雪を少しですが退かしました。
建物の裏の方は日光が当たらないので、雪融けが非常に悪いです。
自動車のエンジンを10分動かしました。
体育館には今日も、作業員と思われる人が来ていました。
HISのサイトに『東北ボランティアツアー』というものがあって、こういう需要があることに驚きました。
http://bus.his-j.com/T8.php?jcd=11&dept_area_cd=KT&tour_cd=TK-FTB0223-3
午後9時から13日午前4時までしていたツイッターで、エロゲの理解でさえも、中国の人2人に負けてしまいました。
エロゲでさえ負けてしまうと、ちょっと、勝てるものが無くなってしまいます・・・。
(転載終わり)
いつかは中国産の面白いアニメを日本で見たいと思っている私でさえ、なにによって中国に負けないでいるべきなのか、段々分からなくなってきました・・・。
【751】[839]福島本部活動日誌です55
(転載始め)
2012年1月3日の日誌です。
昼食は、昨日のAさんが作った野菜炒めの残り、納豆、ご飯、鍋、でした。
中田先生は午後4時半に帰りました。
持ってきた本を読みきってしまったので、やることがなくなってしまったそうです。
午後7時、Kさんから電話が来ました。明日、都路の事務所に来て泊まるそうです。
更に大広間を整理しました。
取っておいた8月からの新聞は、破棄することになってしまいそうです。
同時に、PCの配置を大きく変えました。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月4日の日誌です。
布団を干しました。
Kさんが午前11時に来ました。
鳩サブレと餅を頂きました。
Kさんを、検問所、都路中学校、古道小学校、古道体育館、船引の仮設住宅、の順で案内しました。
体育館のなかには、人が一人いました。
仮設住宅は、生協の車が丁度帰るところでした。
なお、船引の仮設住宅にも、奥には車椅子で上がれる住宅がありました。訂正します。
帰り道で、ダイユーエイトとリオンドールで、食料品を買い込みました。
一度事務所に戻って、食料品をしまった後、かわうちの湯に行きました。
かわうちの湯は、先日にAさんが行った時に気づいたのですが、牛乳のパックが無くなっていました。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月5日の日誌です。
朝、ゴミを大量に捨てに行きました。
Kさんが、酒粕の味噌汁を作りました。
午前11時、Tさんが来ました。
庭匠さんのところに挨拶に行きました。
正午ごろ、副島先生とFLASH(光文社)のIさん、それとカメラマンの人が来ました。
事務所の正面と検問所で写真を撮影しました。
検問所前の積算線量計は、12月12日から1月4日まで計って、0.43mSvと書いてありました。
午後3時から、酒を飲みだしました。
午後4時にKさんが来ました。
午後6時、近くのガソリンスタンドのWさんが来ました。
先生と暫く話していました。
焼きそば等をお出ししました。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月6日の日誌です。
午前0時、外の風呂に入りました。非常に寒かったです。
午前2時、皆が酒を飲んだ後の片づけをして、皿を洗いました。
夏に比べれば、全然マシでした。
T先生は午前7時半くらいに帰ったようです。私は寝ていました。
朝食は、ご飯、納豆、昨日と同じ酒粕の味噌汁、卵焼き、でした。
私は食べませんでした。といいますか、寝ていました。私が起きたのは9時でした。
午前10時、都路に住んでいる人が三人、先生の話を聞きに来ました。
2時間ほど、話して帰っていきました。
午後4時、KさんとKさんは帰りました。
夕食は残っていたもので、ご飯、納豆、ブリ大根、味噌汁、鶏の手羽、サンチュ、でした。
先生は一階のソファーで、9時に寝ました。
(転載終わり)
【750】[838]福島本部活動日誌です54
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年1月1日の日誌です。
12月31日の日誌もそうですが、情報量が多すぎて、かなり書き忘れた、もしくは忘れてしまった情報が多いです。
Yさんの家に、Kさんから頂いた食品類を持って、挨拶に行きました。
庭匠さんの家に、矢吹さんの所と同様に挨拶に行きました。
その際、正月の午前中にタイヤの交換に来ると伝えられました。
大広間の片付けをしました。
午前11時40分、庭匠さんと息子さんが来たのですが、ホイールのサイズが合わず、明日の午後に交換することになりました。
午後1時、国道399号線を使って、いわきに向かって出発しました。
スタッドレスタイヤではなかったので、大変心配でしたが、運よく凍っている所はありませんでした。
まずは、Iさんのところに挨拶に行きました。
その際、Aさんが色々と質問しました。
私が「会津には、なんで『福島第一』ってつけたんだ、あんなに距離が離れてるのに、と言っている人がいる」といった所、Iさんは
「ここらの人は、その人たちに、何を言うか、と思っている。原発からの金の分配は、浜通りに30%で、中通りと会津に70%行ってるのに、今更何がいえるのか、と思っている」
と言っていました。
その他に
「最終処分場をもってくるのはナンセンス。そもそも『中間』として置いておく間は、『最終』より危ないって意味。更に、『中間』で置いといた後、どこに持ってくのか。どうせそのまま置いておくしかなくなる」
「原発を福島に誘致したのは、自民党の政治家だけでなく、地元の今の民主党の増子輝彦や渡部恒三が推進した」
「ピンチをチャンスに代える、というのは、確かにそう」
と言っていました。
いわき市に到着後、ガソリンが切れかけていたので、ガソリンスタンドを探すのに手間取りました。
いわき市では、海の側に神社があったので、話を訊いてみました。
やはり1階まで水が来て、玄関の壊れたガラスなどは取り替えざるを得なかったそうです。
国道6号線よりももう一つ海よりの道路は、脇に瓦礫が分別して積み上げられていました。
広野町に向かうと、やはり道路の途中で、火力発電所内にある2本の煙突が見えてきました。
Jビレッジに行きました。
より正確に言いますと、Jビレッジに迷い込みました。
そこは、フットサルのコートに暗渠パイプが埋められていたり、コートの上に仮設住宅よりやや立派なプレハブが建っていました。
正直、見るからに怪しく、すぐ帰ろうかと思っていたのですが、Aさんが事務室に行きました。私は勇気が出ずに、事務所の外で待っていました。
Aさんが、話を聞けるかを聞いてみたところ、
「一切何もお答えできません。東電の本店に直接訊いて下さい。」
と凄い顔で答えられました。
その後、追い出されるように駐車場を出たのですが、追いかけてきて、見張っていました。
Jビレッジの別の場所(もう少し奥にあるところ)は、大きな建物と大型タンクが大量にありました。車も多数駐車してありました。
Kさんから「Jビレッジで安くご飯が食べられる」と聞いていたのですが、どこで食べれば良いのかわかりませんでした。
正月でしたので、やっていなかったのかもしれません。
いわき方面は、まだまだ行って写真を撮るべき所だと思います。
・・・但し、私はもう、車に酔いに酔ってしまい、ダウン気味でした。
帰る途中で、かわうちの湯に寄りました。200円に値上がりしていましたが、それでも安いと思います。
『双葉F.D.H』と印刷されたシャツを着た人がいました。
Aさんが、受付の人と話していました。
帰る途中で、中田先生がリクエストしたコカコーラなども買って帰りました。
夕食は、Aさんがラーメンと鍋を作って下さいました。
10日前から余ってしまっているカレーも、・・・なんとか処理しましたが、まだ残っています。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年1月2日の日誌です。
灯油を30リットル補給しました。
灯油の値段が、1リットル当たり95円と、2円値上げされていました。
昼食は、野菜炒めをAさんが作って下さいました。
あとは、ご飯と鍋が残っていたので、それで頂きました。
正午ごろ、中田先生が
「福島未来でオナニーしたの?」
と訊いてきました。
選挙啓発のキャラでそういった行為をするという発想をする中田先生は、とても凄いです。私には真似できないです。
私はしたことありませんでした。ですので、今夜頑張ってみます。・・・とはいえ、出来ないんじゃないかとは思います・・・。
(注:1月3日午後2時現在、出来ませんでした。)
Aさんは、午後2時42分のバスで帰りました。中田先生と見送りに行きました。
これから更に、午後8時に郡山を出る夜行バスで帰るそうです。
Aさんには、長距離の車の運転をして頂き、調理も全てお願いしてしまいました。
大変お世話になりました。
午後4時、やばそうな食材を鍋にしました。
中田先生がトイレのブラシがけをしました。
ありがたいです。
午後5時、庭匠のご主人がやってきて、タイヤをスタッドレスに交換しました。
午後6時から、1月3日午前5時まで、写真を整理しながら、12月31日と1月1日分の日誌を書いていました。
それでも写真が多すぎで、全然終わらない内に、いつの間にか寝ていました。
1月5日の新年会で、すぐに用意できるレトルト食品を、念のため取り出して用意しておきました。
(転載終わり)
Aさま、たいっへんお世話になりました。
改めて、御礼申し上げます。
【749】[837]5月27日の毎日新聞の夕刊
見つけました。
http://www.fitweb.or.jp/~taka/ytbib11.htmlから無断で貼付けます。
(転載貼り付け始め)
標題 <この国はどこへ行こうとしているのか>科学技術に退歩はない:特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本
よ! 文芸評論家・吉本隆明さん
掲載誌(紙・書)名 毎日新聞(東京夕刊)
出版地 東京
掲載頁 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110527dde012040005000c.html
掲載年月日 2011.5.27
区分 取材談話
見出し・語録
雨がポツリポツリと降るなか、路地奥の行き止まりに自宅はあった。案内されて和室で座布団に座ると、
隣には白い猫が1匹。吉本さんは四つんばいで現れた。糖尿病や前立腺肥大、足腰の衰えなどで、体が不自
由な状態にある。日本の言論界を長年リードした「戦後最大の思想家」は、そのまま頭が床につくくらい丁
寧なお辞儀をした。白内障の目はこちらをまっすぐ見つめていた。
東日本大震災の取材で歩いた現場を「焼け野原にも似た光景でした」と伝えると、聞こえにくくなったと
いう耳に神経を集中させていた吉本さんは静かに語り出した。「おっしゃったような光景から東京大空襲を
思い出します。友達を捜すために焼け野原を歩きました。煙に目をやられた人々がトボトボ歩き、周囲には
遺体が転がっているだけでどうにもならない。逃げた方向によって全滅に近い地区もあったと思います」。
何かを訴えるように両手を動かす。
東京・月島生まれの詩人であり、文芸評論家。政治、経済、宗教、哲学、カルチャー……あらゆる分野に
わたり、出した本は300冊以上。1960~70年代には多くの若者の支持を集め、今も言論界で活躍す
る。「知の巨人」とも呼ばれる。
吉本さんは大震災について「僕は現場まで行くことができない。戦争では戦闘の近くまで出かけていき実
感しているけれど、今回は距離の隔たりがある。避難民がもっとごった返している場面を想像していたんだ
が、ポツンポツンとして静かな感じがする……」。
ふと、04年に出版された吉本さんの著書「人生とは何か」の一節を思い出した。
<(体は)ボロボロの状態です。「老いる」ことと「衰える」ことは意味が違いますが、こんな状況にな
ったときには、死にたくなっちゃうんですよ。年を取って、精神状態がある軌道に入ると、なかなか抜け出
せないのです。僕は死のうとか、自殺しようとまではいきませんでしたが、「これは生きている意味がない
んじゃないか」ということは、ものすごく考えましたね。(略)結局は、その状態を自分自身で承認するほ
かないのです……>
まずは現実を受け入れ、そこから始めるしかない。今の東北の被災者に似ている、と思った。
吉本さんは1982年、文学者らによる反核運動を批判する「『反核』異論」も出版している。その中で
核エネルギーについてこう記した。<その「本質」は自然の解明が、分子・原子(エネルギイ源についてい
えば石油・石炭)次元から一次元ちがったところへ進展したことを意味する。この「本質」は政治や倫理の
党派とも、体制・反体制とも無関係な自然の「本質」に属している。(略)自然科学的な「本質」からいえ
ば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得
したと同義である>
東京工業大出身の「知の巨人」には、科学技術に対する信頼が底流にあるようだ。「原子力は核分裂の時、
莫大(ばくだい)なエネルギーを放出する。原理は実に簡単で、問題点はいかに放射性物質を遮断するかに
尽きる。ただ今回は放射性物質を防ぐ装置が、私に言わせれば最小限しかなかった。防御装置は本来、原発
装置と同じくらい金をかけて、多様で完全なものにしないといけない。原子炉が緻密で高度になれば、同じ
レベルの防御装置が必要で、防御装置を発達させないといけない」
目線はぶれることなく、記者を向いている。こちらは専門的な内容を頭の中で必死に整理し、質問する。
「福島の土地に多くの放射性物質が降り注ぎました。2万人以上もの人々が住んでいた場所から避難して
いますが」と問うと、吉本さんは「ひどい事故で、もう核エネルギーはダメだという考えは広がるかもしれ
ない。専門ではない人が怒るのもごもっともだが……」と理解を示しつつも、ゆっくり続けた。「動物にな
い人間だけの特性は前へ前へと発達すること。技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退
歩することはあり得ない。原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。今のと
ころ、事故を防ぐ技術を発達させるしかないと思います」
吉本さんの考えは30年前と変わっていない。「『反核』異論」にはこんな記述がある。<知識や科学技
術っていうものは元に戻すっていうことはできませんからね。どんなに退廃的であろうが否定はできないん
ですよ。だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか超える道はないはずです>
話し始めて1時間半、卓上の緑茶をすすると、ぬるかった。家の人が熱いお茶をいれ直してくれた。吉本
さんは手ぶりがつい大きくなり、湯のみをひっくり返した。記者がティッシュで机をふいた。
「人間が自分の肉体よりもはるかに小さいもの(原子)を動力に使うことを余儀なくされてしまったとい
いましょうか。歴史はそう発達してしまった。時代には科学的な能力がある人、支配力がある人たちが考え
た結果が多く作用している。そういう時代になったことについて、私は倫理的な善悪の理屈はつけない。核
燃料が肉体には危険なことを承知で、少量でも大きなエネルギーを得られるようになった。一方、否定的な
人にとっては、人間の生存を第一に考えれば、肉体を通過し健康被害を与える核燃料を使うことが、すでに
人間性を逸脱しているということでしょう」
いつの間にかいなくなっていた白い猫が、再び部屋に入って座布団に寝転んだ。吉本さんは気づいていな
いかのように続けた。「人類の歴史上、人間が一つの誤りもなく何かをしてきたことはない。さきの戦争で
はたくさんの人が死んだ。人間がそんなに利口だと思っていないが、歴史を見る限り、愚かしさの限度を持
ち、その限度を防止できる方法を編み出している。今回も同じだと思う」
気づくと2時間半が過ぎていた。吉本さんは疲れるどころかますますさえている。自らの思想を「伝えた
い」という思いのみが衰えた体を突き動かしているのだと感じた。
「ただ」と続けた。「人間個々の固有体験もそれぞれ違っている。原発推進か反対か、最終的には多数決
になるかもしれない。僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、判断できない部分も残っています」
話を終えると吉本さんは玄関口まで送り出してくれた。言葉だけではなく「全身思想家」に思えた。
(転載貼り付け終わり)
これもどうぞ
【748】[836]日経本日の最終面に吉本隆明さんの記事
見つけました。
将門Webhttp://shomon.livedoor.biz/archives/51951156.htmlから無断で貼付けます。
(転載貼り付け始め)
日経本日の最終面に吉本隆明さんの記事
本日2011年8月5日の朝刊の最終面(40ページ文化面)に、吉本(吉本隆明)さんへの取材記事がありました。
(8・15からの眼差し 震災5カ月)(3)科学に後戻りはない 吉本隆明氏 原発 完璧な安全装置を
詩人で批評家の吉本隆明氏(86)は戦時中、軍国主義少年だった。その体験を自らに問い、戦後、独自の思想体系を築いた。戦後思想の巨人に、今回の震災体験を聞いた。
――3月11日は、どうしていたか。
「自宅のこの部屋で書き物をしていたと思う。足腰が不自由で、自宅周辺のことしか分からないが、地震の後は、不気味なほど、静かだった」
――戦中と比べると。
「あのころの東京は、人々も町中の印象も、どこか明るくて単純だった。戦争で気分が高揚していたせいもあったろうが、空襲で町がやられた後でも、皆が慌ただしく動き回っていた。
今度の震災の後は、何か暗くて、このまま沈没して無くなってしまうんではないか、という気がした。元気もないし、もう、やりようがないよ、という人が黙々と歩いている感じです。東北の沿岸の被害や原子力発電所の事故の影響も合わせれば、打撃から回復するのは、容易ではない」
――復興への道は。
「労働力、技術力をうまく組織化することが鍵を握る。規模の拡大だけを追求せず、小さな形で緻密に組織化された産業の復興をめざすべきだ。疲れずに能率よく働くシステムをどうつくっていくか、が問われるだろう。
それには、技術力のある中小企業を大企業がしっかり取り込む必要がある。外注して使い捨てるのではなく、組織内で生かす知恵が問われている。この震災を、発想転換のまたとない機会ととらえれば、希望はある」
――事故によって原発廃絶論がでているが。
「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。
だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です」
――明るさは戻るか。
「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。僕も自分なりに満足できるものを書くとか、飼い猫に好かれるといった小さな満足感で、押し寄せる絶望感をやり過ごしている。公の問題に押しつぶされず、それぞれが関わる身近なものを、一番大切に生きることだろう」
よしもと・たかあき 1924年東京生まれ。東京工大電気化学科卒。著書に「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」「最後の親鸞」「家族のゆくえ」、詩集「転位のための十篇」など。
(転載貼り付け終わり)
【747】[835]福島県民は誰も甲状腺がんにならない
昨日のヤフーニュースでも「真の近現代史観」放射線論文が最優秀賞
産経新聞1月15日(日)13時16分
で、副島先生の事も「付言するなら高田教授と同様に、信念にもとずいて原発の門前まで調査に訪れた評論家・副島隆彦氏の行動もまた、高く評価されるべきだろう。と称されてました。」
http://sankei.jp.msn.com/science/news/120115/scn12011512010000-n1.htm
(貼り付け始め)あの田母神氏、渡部氏も激賞 「真の近現代史観」放射線論文が最優秀賞 「福島県民は誰も甲状腺がんにならない」
2012.1.15 12:00
出版記念パーティーで熱弁をふるう高田純教授=昨年12月8日、東京・元赤坂の明治記念館
元航空幕僚長の田母神俊雄氏が第1回の最優秀賞に選ばれて騒然となった「真の近現代史観」懸賞論文。第4回の選考では札幌医科大の高田純教授(57)による論文「福島は広島にもチェルノブイリにもならなかった~東日本現地調査から見えた真実と福島復興の道筋」が最優秀賞(賞金300万円)となった。理系論文での異例の受賞で、現地調査を積み重ねた上での大胆な結論は世間に衝撃を与えそうだ。田母神氏も激賞する論文の中身とは…。(溝上健良)
昨年12月8日、日米開戦70年の日に開かれた表彰式では、主催したアパグループの元谷外志雄代表が「今回の論文はすばらしいが、近現代史という観点から(受賞は)どうか、という話もあった。ただ戦後の歴史は核をめぐるせめぎ合いの歴史であり、核を抜きにして歴史を論じることはできないのではないか、ということで審査員が全員一致で最優秀賞に選出した」と選考経緯を明かした。選考にあたっては氏名、経歴などは伏した上で論文の中身だけで判断したという。核をめぐる現代史の裏面を描いた論文も見事だが、審査委員の見識が光った選考結果だったともいえる。受賞論文はアパグループのホームページで全文を読むことができる。
この論文をはじめ、受賞作13編を収録した論文集「誇れる国、日本Ⅳ」の出版発表会が続いて行われ、審査委員長の渡部昇一・上智大名誉教授は「原発事故後、高田先生が福島第1原発の門の前まで普通の服装で行った写真が雑誌(「週刊新潮」「WiLL」)に掲載されているのを見たが、『ある程度までの放射線はぜんぜん危なくないんだ』というよほどの自信がなければできないこと。その方に賞を差し上げることになったことを、大変よろこんでいます」と、高田教授の取り組みを評価した。付言するなら高田教授と同様に、信念にもとづいて原発の門前まで調査に訪れた評論家・副島隆彦氏の行動もまた、高く評価されるべきだろう。
今回から審査委員に加わった田母神氏は「日本政府が先頭に立って『福島は危ないんだ』と証明しようとしているが、こんなバカなことはない。先日、東京・世田谷区の民家床下から1時間あたり660マイクロシーベルトの放射線を出しているラジウムが見つかったが、その家にずっと住んでいた90歳過ぎのおばあちゃんはピンピンしている。その程度のことが、マスコミによってあおられている。あおればテレビの視聴率が上がる、新聞や雑誌が売れる、薬も売れるということになり、ビジネスに徹底的に利用されている」と放射線をめぐる現状批判を展開。さらに「エネルギー供給量とGDPは比例する。(原発停止で)エネルギー供給量が減ればGDPはさらに縮小し、デフレは続き、日本の会社は米国や中国にどんどん買収されることにもなりかねない。放射能についての認識は“第2の歴史認識”で、これを克服していく上で、この高田先生の論文をぜひ多くの国民に読んでいただきたい」と熱弁をふるい、受賞作を激賞した。
◇
約800人が詰めかけた出版記念パーティーで、高田教授は「今回の受賞の意味は2つあると思う。ひとつは、福島県民は今回の原発事故による低線量の放射線によっては1人として健康被害を受けないという真実を国内外に広く知らしめることになるということ。第2点は、原発の20キロ圏内が(警戒区域に指定されていて)人が戻れない状態になっているが、この圏内の復興に大きく結びつくことになる」と切り出した。なにしろ今回の事故では過酷な環境におかれた原発の作業員ですら、放射線で死亡したり入院している人はいない。そうした中でわずかな放射線を必要以上にこわがることは、福島の復興をさまたげることに直結する。事実を冷静に見たい。
高田教授は警戒区域の復興策として、原発20キロ圏内の表土を10センチ削り取って除染し、それを海岸に埋めた上で表面を厚さ1メートルのきれいな土で覆い(これで放射線はほぼ防げる)「防波堤公園」をつくることを提言している。関東大震災の際には、がれきを埋め立てて横浜の山下公園がつくられた先例もある。陸上で汚染土の中間貯蔵施設の設置が難航している中、埋め立て案は現実的な提言といえそうだ。
広島大で研究生活を送った経験のある高田教授は、広島の原爆投下後に降った「黒い雨」による被害状況について「池の魚が、雨に含まれていた強烈な放射能によって多数死んだ。また黒い雨にぬれた牧草を食べた牛が下痢をし、雨にぬれた子供たちの頭ははげた」と紹介。いずれも一度に大量の放射線を浴びたことによる障害だが、福島ではどうだったのか。高田教授は原発周辺に取り残されていた動物に着目し「4月上旬に現地調査で第1原発の門まで行ったが、周辺でも魚が死んでいるわけでもなく、渇きで死んだ牛はいたが、多くの牛は元気で生きていた。牛の状態を見ると、はげた牛はいない。見た瞬間に、広島の黒い雨と、福島の放射線はぜんぜん(レベルが)違うものだとわかった」と解説した。一方で、「チェルノブイリでは1万6千頭の牛や豚をトラックに乗せて避難させたが、菅直人さんは20キロ圏内の牛を避難させず放置した」と菅前首相の不作為を非難した。
今回の原発事故で原子力安全・保安院は、放出されたセシウムの量が広島原爆の168倍とする試算を公表し大きく報じられたが、高田教授は「まったく意味のない数字だ」とバッサリ。「広島でセシウムによって死んだ人はいない。広島の死者は熱線、爆風、そして半減期の短い強力な放射能によるもの。セシウムの放射線はそれほど強いものではなく、今の日本で起きているのは集団ヒステリー状態だといえる」と説明した。
ちなみに高田教授はチェルノブイリ原発事故の現地調査の際、自身でセシウムの入ったきのこを食べる「人体実験」を行っている。その結果、セシウム137(半減期30年)は人体に入った場合、体外に半分が排出される生物半減期は100日であることを実証した。かつて胃潰瘍の原因のひとつとされるヘリコバクター・ピロリ菌を実際に摂取して実証した教授が2005年にノーベル医学・生理学賞を受賞したことがあったが、こうした体を張った研究は高く評価される傾向にあるようだ。
高田教授は大震災後の昨年4月以降、福島県内で住民の甲状腺検査をボランティアで実施。その結果、検査した66人の甲状腺被曝(ひばく)量は最大でも8ミリシーベルトと、チェルノブイリの事例(最大50シーベルト)と比べて千分の1以下だった。その線量から計算すると「福島県民が甲状腺がんになるリスクは年間で1千万人あたり1人以下。といっても福島県の人口は約200万人。つまり、誰も甲状腺がんにはなりません」と結論づけた。
日本は唯一の核被爆国といわれるが、高田教授はそうではないと指摘する。「世界最大の核災害があったのは中国内陸部のシルクロード、楼蘭のあたり。住民の避難をさせずに核実験が行われ、数十万人が亡くなっている」と明かした。その影響は当然、日本にまでも及ぶことになった。
中国の地上核実験で放出された放射能の量は、チェルノブイリ原発事故の実に800万倍に及ぶという。「東京五輪の年(昭和39年)に中国の核実験は始まったがそれ以来、黄砂と一緒に放射能も日本全国に降っていた。ただそれはほとんど報じられることはなかった。ストロンチウムについては今回の福島事故の1万倍の量が降ってきた」。セシウムの生物半減期が100日なのに対し、ストロンチウムの生物半減期は15年だ。その結果「“中国産”ストロンチウムによる日本人の体内被曝量は1~7ミリシーベルトに及ぶが、それでどんな影響があったか。団塊の世代の方々がいちばん影響を受けているはずだが、みなお元気。おそらく天寿をまっとうされるはず」と、低い線量では健康に影響がないことは「日本人が実験台となって実証された」と解説した。
そうした、日本全国を汚染した中国由来の放射能については、今でもほとんど問題とされていない。そうしたことも含め、高田教授は「日本の反核・平和運動はウソだ」と断言。「核・放射線への正しい認識を持って、今後の日本の発展を考えていかねばならない」と講演を締めくくった。
過去の原発事故や核実験によって、放射線については意外と多くのデータの蓄積がある。そうした事例をわかりやすく提示している点で、この論文は復興の指針となるものだろう。多くの人に読まれることを願いたい。(貼り付け終わり)
【746】[834]毎日新聞「記者の目」への意見
大川です。毎日新聞朝刊に「記者の目」というコラムがあり、1月11日は久野華代記者の「専門家は社会を見ているか 低線量被ばくの健康影響評価」という記事でした。
手元に紙のコピーしかないのですが、その趣旨は、「年20ミリシーベルト程度の被ばくによる健康影響は低い」という、昨年12月に政府のワーキンググループが公表した結論について、「避難や帰宅にかかわる重要な数値が専門家の間だけで決まり、住民との対話がなかった」ことを、久野記者が強く批判しているものです。記事の最後に「ご意見をお寄せください」と書いてありましたので、以下のメールを送りました。ここに転載します。
なお、以下のメールで私が「放射線医学・生物学の専門家ではない」と述べた方々について、他意はなく、それぞれのご専門の業績について言及したり否定したりするものではないことを、念のため申し添えます。
(1月16日発信メール 転載はじめ)
毎日新聞社 「記者の目」係
久野華代 様
おはようございます。昨日、下記の意見をお送りしました、大川晴美です。
下記メールの中で、肥田舜太郎氏は放射線医学・生物学の専門家ではない、という趣旨の記載をしましたが、確認したところ、被爆者医療において低線量被ばく、内部被ばくなどを研究されていることがわかりましたので、この点訂正いたします。
どうぞよろしくお願い致します。
大川晴美
(転載終わり)
(1月15日発信メール 転載はじめ)
From: **********
Subject: 1月11日「記者の目」への意見
To: ***********
Date: Sun, 15 Jan 2012
毎日新聞社 「記者の目」係
久野華代 様
はじめまして。***の大川晴美と申します。
1月11日貴紙朝刊「記者の目」 「専門家は社会を見ているか 低線量被ばくの健康影響評価」について、意見を申し上げます。
放射線の専門家は住民との対話をほとんど行っていない、というご指摘について、大筋ではそのとおりだと思います。しかしながら、久野様にとって専門家とは、誰のことを指しているのでしょうか。
「低線量被ばくの健康影響評価」というテーマですので、まさに「低線量被ばくの健康影響」の専門家、という意味だと思います。そうであれば、ここでいう専門家とは、放射線医学あるいは放射線生物学を専門とする専門家でなければなりません。素人ながら私が9カ月にわたって自分で調べて勉強した限りでは、放射線医学・生物学の専門家は、「年間100mSv以下なら健康リスクは極めて低い」という結論で概ね一致しています。たとえば、山下俊一氏、中川恵一氏、高田純氏、近藤宗平氏、松本義久氏は、この分野の「本当の専門家」です。
一方、小佐古敏荘氏、武田邦彦氏、小出裕章氏、肥田舜太郎氏(引用者注:上記1月16日付転載メール参照)、児玉龍彦氏などは、この分野の専門家ではありません。これらの方々は、原子力工学や、放射線「以外」の医学が専門であり、放射線医学・生物学の専門家ではありません。これらの方々を「放射線の健康影響の専門家」であると誤解していることが、メディアや政府が混乱する一番の原因なのです。このことを、いつまでたってもメディアと政府が理解できないのです。これらの方々の著書をよく読めば、放射線医学・生物学の専門家でないことは、私のような素人でもわかります。略歴を見るだけで当然わかりますし、「○○mSvでも危険」という時の根拠が、放射線医学・生物学の最新の研究成果ではなく、ICRPの基準値そのものであったり、現在の日本の法律や規制値そのものであったりすれば、法律・基準値・規制値のほうに詳しいことがわかります。(引用者注:上記の方々の中でも、法律・基準値・規制値に言及されない方もいます。)
まさにここに、問題の根本があります。
すなわち、現行の国際的な基準値や日本の法律による基準値は、何十年も前から変わらずに放置されている一方で、放射線医学・生物学の研究成果は日進月歩で進んでいます。(医学や生物学は、法律に合わせてくれませんからね!)その最新の研究成果と、旧態依然たる基準値・規制値とが、年々大きく乖離しているという現実こそが問題なのです。このことこそが、放射線防護政策全体の矛盾となって、住民を混乱させ、苦しめているのです。
2つの学問分野をつなぐ役割を、誰も果たすことができていない・・・この問題に切り込まない限り、たとえどちら側の専門家が住民と対話しようと、矛盾は矛盾として存在し続けます。
毎日新聞は他紙に比べて、放射線の健康影響についてよく理解されていると聞きました。次の段階として、ぜひこの「根本的な問題」に鋭く切り込んでいただきますよう、切にお願い申し上げます。
最後に、福島の人々と一生懸命対話を続けている専門家(その多くは放射線医学・生物学)を、私は何人も知っています。本当に一生懸命、誠心誠意、対話を続けています。久野様には、専門家の中にもこのような方々がいらっしゃることを知っていただき、ぜひ応援していただきたいと思います。
大川晴美
【745】[833]鷲田小彌太(わしだこやた)氏の書評文 と 吉本隆明(よしもとりゅうめい)の態度表明の文 を 載せます。
副島隆彦です。 私たちが書いて出版した「放射能のタブー」(KKベストセラーズ、昨年11月刊)への好意的な書評を書いてくれた 評論家の鷲田小彌太(わしだこやた)氏の 日刊ゲンダイ2011年11月29日 の書評文をここに転載します。
今、メールで連絡を取って、鷲田氏からさきほど転載の許可をいただきました。
それから、私が長年、尊敬する思想家の 吉本隆明(よしもとりょうめい)の 原子力の研究、開発の継続を続けるべきだという言論の 片鱗の文を載せます。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
鷲田小彌太の読書日日
2011年12月2日 タブーに挑戦する『放射能のタブー』
いよいよ12月である。年の瀬だ。ようやく白一面になったが、今日も日差しが強い。仕事場の暖房は止めてある。 11/29発売の「日刊ゲンダイ」に載せたコラムを再録する。
《コラム、一刀両断》 放射能は怖い、見えないから怖い、と連呼するみなさんに読ませたい本がある 1986年のチェルノブイリ原発爆発事故で、当時の発電所所員134人は1000~8000シーベルトの線量を浴びた。直後に28人が、さらに事故後25年間に約20人、計48人が死亡した。
エッと思うかもしれない。福島原発で被爆して死亡した数は、0、今後とも被爆が原因で死ぬ人が出る可能性はない。こう言い切るのは副島隆彦である。最近著、副島編著『放射能のタブー』(KKベストセラーズ)においてだ。
△原爆死者数?
長崎・広島の原爆投下で直接死んだのは7万人と16万人である。膨大な数だ。(ちなみに誇大視される南京大虐殺の数に匹敵する。)これは多くの人が知っている。
だが60年間、放射能のせいで800人がガンで亡くなった(にすぎない)という事実を何人が知っているだろうか。これにもエッと驚かされるだろう。それに被爆者(手帳保持者)の平均寿命は短くない。
△CTスキャン全廃?
原発や放射能は危険でない、といいたいのではない。「原発安全」は神話だ。しかし原発は「危険」である、人間に統御不能である、だから「全廃」せよと主張し、その実行を率先して(ドイツ政府のように)迫るのは、理論的にも実践的にも間違っている。総じて自然であろうが技術であろうが、危険のないものは少ない。問題は「危険度」である。
放射能は危険である。しかし1ミリシーベルトでも浴びれば身体に危険だというのは、科学(=事実)ではない。CTスキャンを行うと瞬時に10ミリシーベルトの線量を浴びる。1ミリで危険なら、CTスキャンの全廃を主張しなければならない。
△5シーベルト
副島は恐ろしいことをいう。「5シーベルト以上を一瞬のうちに浴びたものだけが死亡する。それ以下は死なない」(1シーベルト=1000ミリシーベルト)。だがこれは副島の独断ではない。東海村で99年9月30日に起きた事故のデータから引き出された結論だ。
被爆し、16シーベルト浴びたOは83日、6シーベルト浴びたSは211日で亡くなったが、1~2シーベルトしか浴びなかったYは、回復して退院した。
△原発跡地利用?
原子力安全委員会と安全・保安院は、4月12日の共同会見で、36万テラベクレル(テラ=兆)~56万テラベクレルの放射性物質(チェルノブイリの10分の1)が放出、と発表した。副島は、1000テラベクレルにすぎない、過小発表が政府の常道だ。被爆20キロ圏内に廃棄物最終処理所構想があるからだ、という。奇々怪々か?
(ここまでで、新聞掲載の評論文の転載貼り付けは終わり)
Sent: Monday, January 16, 2012 4:47 PM
Subject: [fukushima:00821] 鷲田小彌太さまへ 副島隆彦から
札幌大学教授
鷲田小彌太 (わしだこやた)さまへ
副島隆彦(そえじまたかひこ)から
お久しぶりでございます。 最後にお会いしてからさえ 20年ぐらいがたったのではないか、と思います。
私は、その後、静岡市内にある 私大に 就職して 大学教授生活を12年間 送りました。鷲田さんが昔、お書きになって評判となった「大学教授になる方法」が 大きくは役にたったのだと思います。
3年前に 自分の原稿書き と 本つくりが きわめて忙しくなりまして、大学を辞めました。今は、筆一本で生活しています。 熱海に仕事家(しごといえ) を構えて、そこと東京を往復しています。
このたびは、私が弟子たちと15人で書きました 「放射能のタブー」(KKベストセラーズ刊) を書評していただき、それも大変好意的 積極的に、「奇奇怪怪か?」 と 評価していただき、ありがとうございます。
現在もなお、「福島第一原発から漏れた、これぐらいの微量の放射能では日本人の人体には害はない。ひとりの病人も出ていない。これからも誰も死なない」と主張することは、今でも、ごく少数の言論になっています。
私は、現在のごくごく微量の放射能の危険を声高(こわだか)に喧伝し、自分の脳に入ってしまった恐怖感情に凝り固まって、コワイコワイを連呼する船頭人間たちとの言論戦を弟子たちと続けるしかありません。
鷲田さんの書評文が載った 貴サイトの 「 鷲田小彌太の読書日日」 の文を 担当の編集者が 送ってくれましたので知りました。 ありがとうございます。
私は、今も、昔とまったく変わらない生き方をしていまして、ずっと、ずーっと、 ずーーっと、 日本国内だけでなく世界の 「大きな枠組みの中の諸真実」を 一切の遠慮をしないで 暴き立てるように書くことを続けています。 自分の弟子たちにも、「公共の利害(=国民の利益)に関わることなら、恐れることなく真実をどんどん書いて公表しなさい」 と 教えながら、 副島隆彦の学問道場 という サイトを もう12年間続けています。
お願いですが、鷲田さんの 私と弟子たちの本 へのこの書評文を、 学問道場の 総合掲示板である 重掲(おもけい) に このまま転載させてください。
今日は、それだけを お伝えします。 あ、ところが、鷲田さんのお書きの書評文の中の、一点だけ、 「 チェルノブイリ・・・発
電所所員134人は1000~8000シーベルトの線量を浴びた。」 の 箇所の記述は、 これは 誤記です。
この点は、今度の原発事故、放射能漏れ 問題で、ものすごく重要な 事実および、数字(=数値) に関する 知識です。 ですから、私の 指摘を、どうか、しっかりと、 再度、鷲田さんご自身が、 調べて検証してください。
私は、おっとり刀で、昨年3月の 福島第一原発の事故の直後すぐに現場( 正面玄関前 ) まで駆けつけて、放射線量を、自分の技術能力の及ぶ限りで、弟子たちと測定しました。 それ以来の10か月で、 それまで放射能のことなど何も知らなかったのに、我ながらずいぶんと勉強しまして、今では 半分専門家のようになりました。 私なりに知識 と情報 を 集積し、思考を積み上げました。
×「チェルノブイリ・・・発電所所員134人は1000~8000シーベルトの線量を浴びた。」 は、
これは、 〇「チェルノブイリ・・・発電所所員134人は1~8シーベルトを浴びた」 と ご確認の上、訂正をお願いします。
私たちの本で、 ロシア科学アカデミーの ラファエル・アルチュニアン氏 ( ロシア政府の 正式のチェルノブイリ問題の最高の責任者。この25年間ずっとずっと現場で 研究している。日本で言えば、原子力保安院の副院長の立場の人 ) への 私、副島隆彦の インタビュー の中での、 アルチュニアン氏の 発言が、
「チェルノブイリ・・・発電所所員134人は1000、3000、8000ミリシーベルトの線量を浴びた」 となっていましたので、 それで鷲田さんが、この点を 理解していながら、 うっかり この 「ミリ」 を抜かして、 日刊ゲンダイの 書評文 を書いたのだと思います。
この 「ミリ」 がつくか、つかないか 問題は、実は重要です。 現在も日本の各所で繰り広げられている 「一体、どれぐらいの 放射線量が、どれほど 人体に危険か、影響を与えるか。微量なら与えないのではないか」 の 議論の 中心に横たわっています。
ですから、アルチュニアン発言は、鷲田さんの文では、 〇 「チェルノブイリ・・・発電所所員134人は1~8シーベルトの線量を浴びた」 と、
引用されるべきだったのです。
たしかに、5シーベルト、8シーベルト 浴びた チェルノブイリ原発の職員たちは、28人が 爆発事故から3か月以内に死にました。
この シーベルト、 「ミリ」 シーベルト 、「 マイクロ」 シーベルト の区別の 問題は重要です。さらには、 「 per hour (パー・アウア 。1時間あたり)」と は、すなわち 「 瞬間 」(に放射線を 浴びた量) ということである。
それに対して、放射線量の 積算の計測器に表れる 「 per year ( パー・イヤー。 1年間 あたり) 」が、すなわち こっちが正確な積算量(せきさんりょう) として、表れる 放射線量なのです。がん患者の積算量や、原発作業員たちの積算量です。 このことを、しっかり分かることが、 放射能の人体への危険・影響問題の核心点であります。
鷲田さん。 何かの機会に、東京でお会いして旧交を温めることができますことを楽しみにしています。 すでにいつの間にか私たちの世代も人生の
坂を越してしまいました。 若い人たちに席を譲るべきときが来ています。
このたびの拙本への書評をありがとうございます。重ねてお礼を申し上げます。
副島隆彦拝
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 追加で書きます。 上に転載した、鷲田こやた氏の書評文の最後の2行 について、私、副島隆彦が、読み手たちにとって加筆して誤解のない文にします。
前掲の 「 副島は、1000テラベクレルにすぎない、過小発表が政府の常道だ。被爆20キロ圏内に廃棄物最終処理所構想があるからだ、という。奇々怪々か?」
は、「 副島は、1000テラベクレルにすぎない、( 副島隆彦注記。私が、尊敬する西村肇=にしむらはじめ=東大工学部名誉教授の、原発事故後の、すぐの専門誌「現代化学」誌の2011年5月号への論文発表と、同じく記者会見で、「福島第一原発から放出された放射性物質は、チェルノブイリ事故の10万分の1」と算出したと発表したことを、副島隆彦が高く評価しての記述である。)
過小発表が政府の常道(であるべきなのに、そうしなかったのはなぜ)だ。(副島隆彦加筆。こにには日本政府の策略がある。なぜ、日本政府は、このような過大な数値の発表をして、日本国民を恐怖に陥れることにしたのか。それは、) 被爆20キロ圏内に(密かな)廃棄物最終処理所構想があるからだ、(そのために、住民をなるべく原発の近くに近寄らせたくなく、出来れば、福島県外に自主的に流出することを狙っているからだ。福島の住民と日本国民を恐怖心で、脅迫して、自分たちの管理下に置きたいからなのだ。副島隆彦加筆、終わり)という。奇々怪々か?」
となります。
副島隆彦です。さらに続けて転載するのは、私が、青春期からずっと尊敬している言論人、文学者(詩人)、思想家の吉本隆明(よしもとたかあき、存命。87歳で存命)の 原発・放射能問題への、果敢なる発言です。
(転載貼り付け始め)
(副島隆彦注記。以下は、J-CAST ニュース に 載ったらしい)
2012年01月11日
http://www.j-cast.com/tv/2012/01/05118120.html?p=5
【原発事故】 思想家・吉本隆明氏 「人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか!」
「週刊新潮」 は大御所・吉本隆明2時間インタビュー。
日本の思想界を常にリードしてきた本物の「知の巨人」が、 日本に漂う反原発に異を唱えるというのだから読まざるをえまい。巨人は以前から原発容認だったらしい。
今回の福島第一原発事故以来、原発を中止せよという声が高まっているが、それは乱暴な素人の論理だと断じる。
「今回、改めて根底から問われなくてはいけないのは、人類が積み上げてきた科学の成果を
一度の事故で放棄していいのか、ということなんです」
と宣い、徒に恐怖感から文明が生み出した原子力という文明を水泡に帰してしまうのは、
「人間が猿から別れて発達し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです」と熱く説く。
われわれが今すべきことは原発を止めてしまうことではなく、完璧に近いほどの放射線に対する防御策を改めて講じることで、 新型の原子炉を開発するのと同じぐらいの金をかけて、放射線を防ぐ技術
を開発するしかないとおっしゃる。
かのアインシュタイン先生まで持ちだし、彼ほどの科学者でさえ原爆を開発することに賛成しながら、 被害の大きさにショックを受け態度を翻したように、結果をとことんまで想定できてい
たのか疑わしい。
だから常に人間は新技術を開発する過程で危険極まりないものをつくってしまうという大矛盾を抱えているのだ。
「しかし、それでも科学技術や知識というものはいったん手に入れたら元に押し戻すことはできない。
どんなに危なく退廃的であっても否定することはできないのです。それ以上のものを作ったり考え出すしか道はない」(吉本氏)
(転載貼り付け終わり)
(副島隆彦です。さらに私と弟子たちへの文を載せます。)
内部連絡網へ
2012年1月17日
副島隆彦から
以上の ように 私が、自分の先生としてずっと尊敬し続けた 思想家 吉本隆明(よしもとりゅうめい)が、原発事故について、すぐれた発言を、昨年 発表しています。
小室直樹(こむろなおき)先生 も、生きていたら、きっと、このように 「人類の 科学の進歩を止めることはできない。原子力の 研究、開発を、さらに押し進めよ」 と言ったと思う。 私は、このふたりの思想家の 弟子であったことを、本当に自分の運命であり、誇り高く思っています。 ドイツであれば、ショーペンハウエル、ニーチエ の 道だ。
だが、世の中は、放射能コワイコワイ派のバカたちが、今も猖獗(しょうけつ)を極めている。 私たち学問道場は、少数派の言論として追い詰められている。 「今度の放射能漏れは、たいしたことはなかったのだ、よかっや、と考えている国民は、一割もいない。おそらく 5%だろう。
あとは、放射能コワイ派ですよ」 と、先日、1月11日に対談した 宗教家の中矢伸一(なかやしんいち) 氏 に、私が言ったら、「 (たったの)5%ですか」と、緊張した表情になられた。
誰か、昨年の 5月末の毎日新聞 と それから、6月?の 日経新聞 にも載った、 吉本隆明 へのインタビュー記事 を、デジタル文にしたものを探し出して、重掲に載せてくれませんか。 見つからないなら、私が、自分でファイル保存してある 新聞記事から、探し出します。
私たちは、このように 孤立しながらも、真実の光を求めて、このまま突き進むしかない。 副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
副島隆彦拝