重たい掲示板

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副島隆彦 投稿日:2012/02/20 11:20

【785】[887]これから6月までの 私たち学問道場の 予定を書きます。

副島隆彦です。 寒い日が続きます。1月末から2月2日までが一番寒かった。 北日本だけでなく世界中が猛雪に見舞われたようです。

 それでも梅の花が咲き始めました。私は、三代将軍鎌倉右大臣 源実朝(みなもとのさねもと)の詠んだ金槐和歌集の中の「出(いで)いなば 主(あるじ)なき宿(やど)となりぬとも 軒端(のきば)の梅よ 春を忘るな」 の 和歌が好きです。私も一本だけ玄関の脇に3年前に植えた紅梅が咲き始めました。

 そう言えば、私は寒中の1月17日に鎌倉を歩いて来ました。寿福寺裏の実朝と北条政子の墓を参りたかった。20年ぶりの鎌倉散策でした。東京からなら十分に日帰りで回れます。京都に比べれば20分の1ぐらいしかありません。鎌倉幕府が置かれていた地と言ってもひっそりとしています。

 北鎌倉で降りて円覚寺、建長寺にゆき鶴ケ岡八幡宮にゆき、源氏山(壽福寺あたり)や喜多川映画記念館から、長谷の大仏を目指し、車で江ノ島の方面の稲村ケ崎 までゆき(私の青春の思い出の地です)、そこから日も落ちかかったので、慌てて由比ガ浜、材木座の方を回って鎌倉駅に着きました。

 収穫は、室町時代は足利(あしかが)の一門が栄えたわけですから、鎌倉市の東の浄明寺の町のあたり一体が足利の地だということが分かったことだ。それと海岸の方に日蓮宗(法華宗)や、踊(おど)り念仏の一遍上人の時宗(じしゅう、浄土宗の一派)の寺院があることが分かったことだ。私は、ずっと仏教の本当の姿のことを調べて書いているから、これらのことが気になった。

 今日のぼやきの広報ページに、「「1285」番 「小沢一郎・陸山会裁判」の急展開。小沢一郎側が勝利しそうである。・・・」を加筆の上、載せましたので読んでください。現在の日本の政治の重要問題です。

 テレビ新聞は、自分たちが、この権力犯罪の一方の雄で加担者だから、歯切れが悪いものだから、ほとんど報道しません。テレビに出て有名人になればそれで我が世の春だと思い込んでいる程度のキャスターや女子アナウンサーたちが、歪(ゆが)んだ表情でニューズ記事を棒読みするだけだ。

 メディアが腐敗し公平さを失ったら、それは国家としての病状となる。やがて彼らが一掃されて、もっと国民の信頼を勝ち得る立派な報道人たちに取って代わられるだろう。
 
 広島の西さん。お元気そうでなによりです。最近増えている私の若者読者たち(まだ学生ぐらいのヒヨコたち)が、私の悪い面からも学んで女性差別を含んだやや下品な文を書いています。私は身から出た錆ですから先生としてのおのれの不徳を恥じるばかりです。お赦し下さい。

 西さんが、昨年の6月4,5日の 福島復興活動本部の事務所開きに参加してくださって、「広島では被爆者たちが高齢でほとんど長生きしています」とご自分の体験を通して発言してくださったので私たちは、一体、何ごとがこの国で真実としては起きていたのか、を鋭く感じ取りました。ありがとうございます。

 私は、自分自身が広島、長崎の被曝から67年の今、封印されている大きな真実を検証しにそちらにゆくべきか否かを考えています。真実は歴史の中に埋もれさせてしまえばいいんだ、今さら騒ぎを起こしても何もならない、と広島、長崎の人たちが考えるならそれに従うしかありません。

 続いて大川晴美さんが、放射線量の食品への規制値を500ベクレルから100ベクレルに、今頃になって、役人根性丸出し(自分たちの将来にわたっての責任逃れ)で、厳しく改訂する、という動きに抗議しています。

 私たち学問道場は、昨年の3.11からの地震・大津波そして翌12日からの原発の大事故に身をもって対処しました。それで多くの真実を現場から拾い上げました。私たちは現場で目撃し体験したのだから誰も私たちを騙すことはできない。今も私たちは、現場に踏みとどまって活動を続けています。

 私が、不愉快なことは、どうやらや総額1兆2千億円もかけて、例の除染(じょせん)と仮称する、ただの水を圧力式の放射器でかけて回るだけのことに、国家予算を使ってしまうことだ。馬鹿じゃなかろか。これほど放射能の被害が、全く出ていない、誰も何の影響もない、という大きな真実が明らかになっているのに、放射能コワイコワイの馬鹿国民たちを、さらに扇動して、こういう無意味な国庫の支出をする。 

 除染など何の意味もないのだ。現地の人は皆知っている。馬鹿じゃないか。それでも、福島県としては、公共事業として、こういうふざけた予算が下りてくれば地元の業者が(下請けとなって)潤うから、除染はいいことだ、と田舎公務員の習い性で、「政府から金が貰えれば万々歳」と感じている。除染に何か意味があるのか、誰もまじめには考えない。

 放射能の恐怖、被害を、この一年間、さんざん主張した者たちは、「自分の人間としての自己信頼性と自己尊重のための居直り」を今後も続けるのだろう。私がどれだけ説得しても無駄だった。たった微量の 100ミリシーベルト毎時 ぐらいでは人間は全く元気だ。といくら言っても聞かなかった。

 自分の脳に入った恐怖心のままで突き進んでいる。人間というのはここまで愚かな生き物だったとは。ちょっとは批判精神と知性(=思考力)があると思っていた自分の知人、友人達に 「そんなに言うなら、私が福島の現地を案内するから、一緒に来なさい」と私は言った。そうしたら、「どうして私が福島になんか行く必要があるのだ。行かないよ」と内面の恐怖心を表情にチラチラ見せながら答えた。こういうの、ばっかりだった。私は呆(あき)れ返った。

 今、一番、重要なことは、仮設住宅や借り上げの住宅で暮らす、福島の原発避難者たちの現状を、同じ日本国民として見てまわることだ。そんな時間と金の余裕が自分にはない、生きてゆくのが精一杯だ、という人には無理強いはしない。 

 しかし、昨年の6月の事務所開きには、都合が悪くて来れなかったが、一度は福島に入ってみたい、という私たちの会員たち(会員限定です。変なのが入ってくると困るから)を、春になって暖かかくなったら、お誘いします。 2泊3日で、「福島難民キャンプ見学ツアー」(皮肉を込めてこう呼びます)を企画しますから、是非、参加してください。 期日は、すでに決めました。

 期日は4月28,29、30日の土日月とします。春の連休(ゴールデンウィーク)の初日からです。私、副島隆彦が付きっきりでバスガイドをやって、あちこちの避難所の跡地や仮設住宅や、原発周辺の、海まで含めてぐるりとご案内します。宿泊代と観光バスのチャーター代込みで3万円ぐらいで出来るでしょう。

 あまりお金のない若者は、10人ぐらいは活動本部に泊まれるので、寝袋持参で、2万円でいい。JR郡山の駅に28日の昼頃に集合ということしましょう。詳細は弟子たちと今から詰めますので、正式に募集をするまでしばらく待っていて下さい。

 私たちは、その前に3月24日(土)の定例会(自力の講演会)の準備に追われています。まずこっちを成功させないといけないのです。この準備が一段落したら発表します。

 それから、これも予定ですが、さらに次の会員向けの定例会として、6月2日(土)か3日(日)に、「政治思想・日本政治の歴史(1960年代からこっち)講演会」を企画しています。これは参加者を200人ぐらいに限定して、政治問題に興味のある会員だけに来てもらいたい。ここでは従って金融や経済の話は一切しません。

 私が自分の体験を通した60年代、70,80年代史としての、私が出会ったり仰ぎ見ていた知識人たちの思い出話をします。そうやって日本知識人の闘いの苦難の歴史を、さらに若い知識人たちに繋(つな)いで行かなければいけないのだ。

 私はやや焦ってこういう企画を立て始めました。私が、今のうちにたくさん、金子光晴(詩人)、荒畑寒村(あらはたかんそん)や鮎川信夫、久野収(くのおさむ)やら、それこそ数百人のことを話して置かなければ、もう日本知識人の系譜と系統が途絶えてしまう、と危機感を持ったからです。質問も大歓迎です。

 こういう「政治知識人の歴史の講演会」を私は、10回ぐらいやって、話し尽くしてそしてそれをDVDにして残して(遺して)置かなければと本気で考えるようになりました。乞うご期待。

 さて、今のこの時期に一番、重要なのはやはり以下の文章です。私が爆発事故を起こした福島の原発のそばまでとにかくすぐに行かねばと決意したとき以来、私を一番支えてくれて応援してくれたのは、福島在住の川原浩さんです。

 彼がいてくれなければ今の活動本部も開くことができなかった。川原さんには本当に世話になっています。その彼が、頭がおかしくなるほどに苦しんで書いたのが以下の文です。ここの重たい掲示板の1月31日に投稿されました。 あまり注目されなかったので再掲載します。非常に重要です。

 今の福島の原発避難者たちの悲惨な現状を、現場、現地から抉(えぐ)り出しています。そして川原さんは、ここは難民キャンプなのだ、原発事故からの難民収容キャンプなのだ、という発見をします。粗末な仮設住宅に入れられて、日本国民からは、捨てられて、テレビの画面に時々映るだけの棄民された人たちだ、と。

 避難者たちは、仮設住宅=まさしく難民収容キャンプ の 中でうずくまって生きています。自分で立ち上がる元気を無くした者たちがたくさんいる。 だから私たち学問道場は、どんなに世の顰蹙(ひんしゅく)を買おうが、これらはまさしく、世界中の紛争地帯にある、難民収容キャンプ と全く同じものなのであり、外見からも全く同じなのだと言い続けます。だから4月末に「福島難民収容キャンプ・ツアー」を開催します。

 福島にいて原発事故問題を真剣に自分のこととして本気で考えて行動してきた川原さんだからこそ、ここまでの真実が見えたのです。

(転載貼り付け始め)

重たい掲示板 [864] 福島県絆(きづな)作り応援事業と仮設住宅の正体

投稿者:川原 浩 投稿日:2012-01-31 01:38:29

 寒中見舞い申し上げます。 福島県在住 会員番号6619 川原です。
福島からの現地レポートです。

 福島県では絆(きづな)作り応援事業という洗脳事業を行っています。その目的は、原発難民に意味のない安心感を与えて去勢させ、相互に監視させることです。原発難民に、必ず家と土地について適正な損害賠償費用を受け取れるようにするという幻想を抱かせ続ける一方で、 現状に不満を抱く原発難民が組織化するのを未然に防止するのが目的です。

 東電と政府はアメリカの原発封じ込めタイムテーブルに従い、原発難民の最終処分への準備を始めたのだと私は考えます。核廃棄物最終処分場建設のための地上げ工作の段取りをつけたようです。 

 厳寒の仮設住宅で原発難民を心身ともに弱らせ、絆(きづな)事業なるものを始めて、意味のない安心感を避難民に与え、後は 監視体制を強化する。そして弱らせて去勢しきったタイミングを見て 原発難民の家と土地を安くで買いたたくつもりでしょう。政府が公然と行う“地上げ”はさすがです。まさに筋書きです。

 福島県が始めた絆(きづな)事業は全く意味のない事業です。が、震災失業者2000人を雇用し失業者対策となるとの理由からか、誰も公然と批判することはできません。除染についても同じです。しかし、こうした意味のない事業にこそ、実は重要な役割がある。

 環境省のポスターには「除染なくして福島の復興なし」と書かれ、その中央の下の部分に一番大きい文字で「環境省職員の募集」と絶妙なバランスで書かれています。明らかに環境省の予算と権限の拡大が狙いです。地元からの批判を逃れるために「職員募集」を全面に打ち出しています。雇用という餌を使う戦略です。

 私がこのポスターを見かけたのはヨークベニマル郡山富久山(ふくやま)町店内に設けられた「絆スペース」という場所です。この場所は、県の委託事業を受けた企業とNPOが運営しています。ここで働く緊急雇用対策で雇われた女性曰く、「この絆(きづな)スペースは仮設住宅でなく、県の借り上げ住宅にいる人に情報発信するのが目的」と説明してくれました。

 その真意は、仮設住宅の人たちにはすでに監視体制ができているが、ばらばらに点在している借り上げ住宅にいる人たちにも監視の目を向け、抗議や不満を言う者たちがいないかを確認するためでしょう。こういう絆(きづな)スペースという場所が県内に10か所ほどあります。

 絆(きづな)新聞というのも発行しています。(新聞の内容は「仮設住宅で体操して楽しく暮らしています」という難民を美化する内容です。)
この「絆(きづな)スペース」は、今後、家と土地を安値で買いたたかれるであろう原発近くからの難民(20キロ圏内で立入禁止になったのは72000人)を絆(きづな)という言葉で、何の根拠もない安心感を植え付け、元気をなくさせ洗脳する施設です。

「除染」と「絆(きづな)作り事業」は地元の雇用確保につながると言うが、こういうことに予算が使われることに腹が立ちます。もっと直接、難民にお金を渡す方がいい。彼らは事故からの10ヶ月間で、ひとり当たり140万円しか貰っていない。それ以外にひおり月に10万円ぐらいだ。全くの掴み金だ。

 米軍による日本占領風に言うと「ギブミー・チョコレート、ギブミー・キャンデー」が「ギブミー・除染のワーク」だ。どんなあほな仕事でもしまーす。日本占領の福島版です。こういう腐った仕事を与えても、人々は自立してゆきません。

 こういう失業対策のような雇用は、経済効果よりマイナス面が大きい。全く無意味だと誰もが分かっている除染をさせることは、アメリカの工程表にもあり、原発難民を飼い犬と化し、「おとなしくしていれば餌をやるぞ」というメッセ−ジだ。政府は除染予算がおりるという出金の手段で地域を意のままに動かせる(除染ができていないことを理由に帰還をさせないなど)。

 避難民が本当に怒り出して、真っ当な抗議を始め、まとまって自立し出すと、「ひとり1億の損害賠償金を寄こせ、家に戻らせろ」と言い出すだろう。原発周辺から住民に出て行って欲しいのが本心である政府としては、自分が地上げ屋をするわけだから、避難民の自立した抗議が一番困る。

 私は、先日、郡山市のビックパレット脇にある川内村役場の仮設住宅に寄りました。川内村は原発20キロ圏にひっかかっている村です。そこから50キロ先に役場ごと避難している。私がそこで目撃したのは、今までにはなかったなにやら立派な施設です。

 それはドイツ赤十字から川内村に寄贈されたものでした。コミュニテーセンターという豪華な建物です。建物の脇には高級外車のプジョー(赤十字のネーム入り)がありました。その瞬間、私は、ここは仮設住宅地ではなくて、まさしく「原発難民キャンプ」だと分かりました。 

 世界中にある紛争地の難民キャンプのひとつなのだ。私はこれまでも仮設住宅という呼び方に違和感を覚えました。こんな福島拘置所よりもひどい掘立小屋は、とても住宅と呼べるようなものではなく、まさしく難民収容キャンプだ。

 ドイツ赤十字寄贈のコミュニテーセンターには、川内村の教育委員会が入居していました。仮設住宅地にどうして教育委員会があるのか? 住民を監視しているのか。教育委員会の事務室の入り口の上には、案の定「管理」という文字がありました。

 原発避難民は、自分は難民だという自覚がありません。しかし、彼らの現実は原発事故で家屋を強制的に追い出され、ここにしか他に居場所がない哀れな難民です。津波で家を壊された人もいるだろうが大半は20キロ圏内に家がそのまま有る人たちだ。

 だからこの難民収容キャンプで政府と県の飼い殺しとなって、おとなしくしているしか他にありません。私が現実をこのように赤裸々に表現すると腹を立てる人がきっといると思う。しかし自分自身の内面は騙せません。自分は哀れな原発難民なのだと避難者たちが自己を認識できなければ福島の復興はありません。

 属国日本の難民キャンプは、今も世界からは一応注目されています。ですから沖縄と同じで政府が無碍には扱えません。ですから、私は、今後、福島県内にある仮設住宅をその実態と正体に即して「福島原発難民キャンプ」と呼びます。  川原浩

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。川原さんのこの発見はやはり重要だと思います。実は、福島県内各地にある仮設住宅のすべてが「原発難民キャンプ」なのだという川原さんの発見の前後に、私は彼とメールでやりとりしています。

 川原さんは、原発避難民たちへの支援で悩み苦しんで、自分で開いた白河市の仮設住宅の脇で開いた、自分の不動産業者としての支援活動としての避難者たち相手の住宅相談の仕事をやっていて、突如ひどい精神的な落ち込みを経験しました。彼を慰め励ますべく書いたのが、私の以下のメールです。

(転載貼り付け始め)

福島在住の川原浩 さまへ

2012年2月4日

副島隆彦から

 昨晩は、電話でお話できて嬉しく思います。 あのあと、川原さんの携帯の電池が切れたようですので、話が途中で終わってしまいました。

 川原さん。お気持ちをゆったりと持って少しのんびりしてください。あなたが、以下に書いて発見して見ぬいた 福島原発事故あと現状のことです。政府は 福島県民と原発避難民を計画的に「放射能コワイコワイ」で洗脳し続けて、そしてできるだけ福島から他(よそ)に流出させようとしています。

 避難所を出て自立してゆく人々とはちがう、残りの避難者 は、生活保護並の家畜の飼育並みの貧民状態にしたままの、まさしく仮設住宅=難民収容キャンプです。このことを はっきりと見抜いたのはずっと住民たちと話をして現場から報告を続けたまさしく川原さんの大きな業績です。

 それでも現状の悲惨さと惨めさをご自分が一身に引受けて、川原さんが、悩み苦しんだらやはり自分を追い詰めるだけの 被害妄想(パーセキュージョン・マニアック)に必ず陥ります。 川原さんは、社会運動家や政治活動家たちがどうしても陥ってしまう 被害妄想に今回なりました。そのあと私とお電話でお話しして、落ち着いていただいたようなので、私は安心しました。
 
 人よりも優れた感受性と思考力を持つ人間は、目の前の人々の苦しさを、誰に頼まれるわけでもなく、自分で勝手に引き受けてて、それで発狂しそうになる苦しみを背負ってしまうことがあります。 私は若い頃から政治思想の研究をずっとやってきて、私もこれまでに数度、そういう被害妄想に自分が陥り苦しんだことがあります。

 私たちには、福島の現状の厳しさと政治難民化している住民たちの姿を現場で知っています。日本国民からもほったらかしにされ、相手にされず、ただ「かわいそうに」の一言で、テレビの画面に時たまちらと現れさせられるだけで、この世の厳しい“悪意の無視の力”で押しつぶされています。それが、川原さんが 洞察した 「難民収容所キャンプ の 完成」です。

 私たちに出来ることは、それらの真実を、細々とでいいから、ネットを通して日本国民に伝えることです。これしかできません。私たちはそれ以上の発表し公表する手段(ツール)を持ちません。川原さんの「福島の仮設住宅は原発難民収容キャンプだ」という大発見に対して、私が舞い上がって「私も戦闘モードに入るぞ」と軽率に書いたのが、川原さんに誤解を生んだようです。申し訳ありません。

 私の戦闘モードというのは、たかがネット上で言論人として、あなたが発見した真実をできるだけ大声で皆に知らせるというだけです。それ以上の力は私たちにはありません。

 そして福島難民キャンプ見学ツアーを 5月の連休にするぞ、と 決めただけでのことです。バスで1台分の40人の参加者を集めるぐらいのものでしょう。私はすこし冷静になって見積もりを始めたらすぐにこのことに気づきました。

 川原さんがお書きになったとおり、「 この文章は 絆(きずな)ステーションの職員と喧嘩し、その晩、頭に来て眠れず、その腹いせに書いたものです。そのため、あまり読み手のことを考えず、怒りを文章にしてしまいました」のとおりでしょう。

 この間の疲労が川原さんの中に相当に積もっていたのだと、思います。今は、どうぞゆったりとして気持ちをしっかり持って、私たちは何も悪いことをしてないのだから、誰からも、政府からも攻撃されることは全くないのだ、と 安心して下さい。

 私たちが今の日本では、唯一、細々と先頭で戦っている 日本最強の言論集団です。私たちは何の勢力、団体の後押しもない全くの小集団です。ですが、私たちには大きな正義(ジャスティス justice ) があります。誰もこれを否定できない。私たちが握り締めている現場からの真実と、真実や事実以外の何ものも恐れない魂が今の私たちを支えています。

 川原さん。ゆったりとのんびりとやりましょう。運動を穏やかに続けることが大事です。絶対に、負けないで、コツコツといつまでも続けることが私たちの真価です。誰にも遠慮する必要はない。私たちが福島で立てている旗がこの国で最高の正義の言論の旗です。

私たちは、何の悪いこともしていない。 たいして住民のためにもならないが、吉見くんが活動本部にいて、現地の今を淡々と生活しながら報告してくれるから現地の様子が分かって多くの日本人が安心してくれます。ほんのわずかの何かに、人は時として、あれ? と 真実に気づいてくれます。そういう人が着実に増えてゆきます。それが私たちの活動です。

 川原さんが、「吉見くんの 強さは何ですか」と私に訪ねたので、「それは(ダメ息子と失望され、父親から殴られながら育った)彼の 忍耐力(のすごさ)です」と、私は答えました。 

 私は、一昨日、死んだ自分の飼猫になったどら猫(と言っても最後まで私になつかなかった。最後には家に帰ってきて血を吐いて死にました。享年3歳)の にゃん太 のことが不憫で2日間泣いて暮らしていました。葬式をして下の庭に埋葬しました。

 人間の悪意になど負けない、人間に対して決して卑屈になることのなかった 気高い、優れた猫でした。 この寒さのせいの肺炎で血を口からたくさん吐いてそれと、オスのどら猫としての自分の縄張りを守るための、最後の戦いを大きな白い猫とやって血だらけでした。

 今年のこの厳寒で死んだり、弱ったりする動物がたくさんいるでしょう。福島の原発避難民も、大津波の被災者も、すべてを無くして、もう生きる気力を無くしてしまって、力尽きて死んでゆく人が多いと思います。

 川原さん。私たちは悠然と生き延びましょう。私たちには何の力もないが、大きく真実を読み破ってそれを人々に伝える、という天(heaven 。神ではない。自然の摂理)から与えられた使命(ミッション、mission)があります。 

 ですから、 私たちはふてぶてしく、堂々と、ずーずーしく状況のど真ん中にどっしりと構えて居座って、「自分たちこそは、生起している事態の中心、真ん中である」という自信をもって今を生きましょう。

 川原さん。今は気持ちをゆったりと持ってのんびりと休養してください。誰も私たちを攻撃してきません。皆分かっています。そういう事態になったら私が真っ先に気づきますから、ご安心ください。 お願いします。 

 副島隆彦拝

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。以上のような次第です。私たちの学問道場の、これから6月までのスケジュールを、弟子たちとよく相談せずに私がこうして長々と書いてしまいました。皆さまのご賛同を期待します。  副島隆彦拝

篠原良一 投稿日:2012/02/20 00:37

【784】[886]「週刊東洋経済」編集長の事件について

会員№6291の篠原です。
[884]の川本様とダブルのですが、
「週刊東洋経済」編集長を逮捕=電車内で女性の下半身触るhttp://jp.wsj.com/Japan/node_395162を見て、「植草さんの冤罪事件」をすぐに思い出しました。痴漢は良くあることだけど、あの数年前の「植草一秀」さんが、大手新聞社とその裏にいる元大臣H・Tにやられたのと同じではないか?と証拠がないのに、思ってはいけないのですが、思いたくなる事件です。不謹慎な話ですが、飲み屋で酔っ払ってホステスに「つい・・」と違い、痴漢行為は「しらふ」でするものだと思っていますが、なぜかこのような方は「酔っ払って」いるのです。また、次の写真を見れば、こういった雑誌の編集長を見せしめに「やれば」手っ取り早く、他の雑誌も怖くなり、うかつに東電を批判できないことも想像できます。http://blog.goo.ne.jp/photo/148305?fm=entry
推認で物を言うと、小沢裁判で判決した〇〇裁判長みたいで嫌ですが、推認どおりであるならば、国家は、また婦人警察官を使ってハメたのか?、もう末期症状。大阪地検特捜部の塚部女性検事のような、勇気、正義のある検察が出てきて、バラさないとこのままズルズルといって国家権力の『無法国家』になってしまう気がしてなりません。

大川晴美 投稿日:2012/02/19 22:39

【783】[885]食品に含まれる放射性セシウムの新たな基準値

会員の大川です。食品に含まれる放射性セシウムについて、厚生労働省は、現在の暫定規制値をより厳しい基準値(低い数値)に変更し、今年4月から適用する方針を示しました(一部経過措置あり)。昨年12月に薬事・食品衛生審議会の担当部会で審議され、ここで出された案が放射線審議会で審議されています。これらと並行して、厚生労働省はパブリックコメントを募集しました。(2月4日募集締切)

私は2週間前に福島の農業関係者から、「政府はなぜ、規制値を500ベクレル/kgから100ベクレル/kgに変更するのか。農家は500ベクレル以下を目指して頑張ってきたのに、これではいつまでたっても福島の農産物は安全なものにならない。」という話を聞きました。何のことだろうと思って放射線審議会の議事録を調べてみると、委員から新基準値に対する反対意見や疑問が噴出していることがわかりました。

平成24年2月2日開催の放射線審議会の議事録
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/gijiroku/1316571.htm

パブリックコメント: 乳及び乳製品の成分規格等に関する省令の一部を改正する省令及び食品、添加物等の規格基準の一部を改正する件(食品中の放射性物質に係る基準値の設定)(案)等に関する御意見の募集について
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=495110333&Mode=1

放射性セシウムの新たな基準値(案)を要約すると、次のようになります。(左側は現在の暫定規制値)
飲料水(ミネラルウォーターなど) 200→10ベクレル/kg
牛乳 200→50ベクレル/kg
乳児用食品(*新たなカテゴリー) 50ベクレル/kg
一般食品(上記以外) 500→100ベクレル/kg

なぜこれほど低い数値になるかと言うと、食品から摂取する被ばく量上限を5mSv/年から1mSv/年に変更することと、基準値の計算において過度に安全側の仮定にたっていることが主な理由のようです。しかし、平常時であれば妥当かもしれませんが、放射能汚染がすでに起こってしまった現在では、消費者の安全を確保するだけでなく、生産者を支援して復興の展望が開けるような基準でなければなりません。福島の農林漁業者は放射能汚染の加害者でないことはもちろん、今も多くの人たちが避難生活を強いられ、雇用が激減し、復興の見通しもたたない厳しい状況に置かれています。現在の暫定規制値は消費者の安全を十分確保できる数値であり、生産者の努力によって規制値を超える農林水産物も少なくなっています。それなのに、なぜ今、これほど厳しい数値に変更しなければならないのでしょうか。今春の米の作付けにも大きな影響を与え、作付け制限が広がれば、農家の意欲低下と農地の荒廃につながることが心配です。

放射線審議会の議事録によれば、委員は次の点に懸念を示しています。
・生産者を含めた関係者との対話を十分に行っていない。
・厳しい基準に変更しても技術的に守れないことを危惧する。低い数値を検出できる検査機器は高価で数も少ない。検査体制もできていない。
・現状の暫定規制値はすでに乳幼児や子供にも十分配慮した数値であり、さらに配慮する意味がわからない。
・1mSv/年に異存はないが、数値の算出における汚染割合の仮定と子供への配慮は、過度に安全側に立っている。
・基準値を超えると出荷停止となり、違反すると罰則がある。単なる目標値ではないことに留意すべき。
・原発事故で被害を被っている福島の人々にとって厳しい数値であり、生活を脅かす基準となりかねない。
・基準値以下の食品であっても、消費者は限りなくゼロを求めるだろう。売れなければ意味がない。現実にこのようなことが起こっているので、そのための措置を考えるべきだ。
・数値は安全と危険との境ではない。数値が独り歩きして、安全、安全でないという議論になることが一番恐い。
・基準値の意味が誤解されないように、政府は適切にリスクコミュニケーションできるのか。
・結論が先にあって放射線審議会の意見が考慮されないなら、何のための審議会なのか。

パブリックコメントでは、残念ながら「基準を厳しく」という意見が圧倒的なようですが、新たな基準が本当は何を意味するものなのか、より多くの方々に考えていただければ幸いです。

大川晴美

川本 真都 投稿日:2012/02/19 11:37

【782】[884]週刊東洋経済編集長の人物破壊工作について。

こんにちは。今朝から話題になっています、週刊東洋経済誌の編集長の、痴漢容疑逮捕について。まるっきり植草さんのときの人物破壊工作とそっくりなので、これはパフォーマンスなのか?と思ってしまいました。

2月13日発売の、「週刊東洋経済2月18日号、東京電力偽りの延命」、
2月17日の、石川調書不採用、
直後の、週刊東洋経済編集長の逮捕。

いま検察に対する風圧が高まってるところで、こんな見え見えの工作を仕掛ける人は、
いったい誰なんでしょう。検察を解体して得する人?検察を解体して、そこにちゃっかり
もっと自由に操れる組織作りが、行われてしまうのでしょうか・・・。

(貼り付け始め)

 電車内で女性の体を触ったとして、警視庁大森署が「週刊東洋経済」編集長・三上直行容疑者(46)を東京都迷惑防止条例違反(痴漢)の疑いで現行犯逮捕していたことが分かった。

 同署幹部によると、三上容疑者は17日午後11時過ぎ、JR京浜東北線の品川駅―大森駅間を走行中の電車内で、20代と30代の女性会社員2人の尻を触った疑い。

 近くにいた男性会社員が取り押さえ、大森駅で同署員に引き渡した。三上容疑者は「酒に酔っていて覚えていない」と容疑を否認しているという。

(2012年2月19日02時06分 読売新聞)

(貼り付け終わり)

いずれにしても、これも次々繰り出される国民洗脳のひとつであることに、
嫌な感じを覚えないではいられません。

加地 龍太 投稿日:2012/02/17 01:45

【781】[883]反体制・反権力の人間=自分の脳で思考する人間

会員番号7416番
「副島隆彦の学問道場」学生会員、加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下、「~だ。~である。」調にて、自分の脳で物事を思考する人間について論じます。

リバータリアン派の頭目とされるロナルド・アーネスト・ロン・ポール氏の著作「THE REVOLUTION A MANIFESTO」の翻訳本である「他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ」(佐藤研一朗さん著作)の中の一節に「一度 物事が制度化されると、人々はそれを疑問に思う能力を失う。」という言葉がある。
私はまったくもってこの通りだと思う。どこの国のどこの国民も、大半は制度を制定する権限を持っている体制側=権力者側の決めた制度を無条件に正義(正しい道理)であると判断して生きている。
なぜならば、恐らくそっちの方が楽に生きられるからであろう。
自分の脳髄で思考して物事を考えなくても、体制側の決めたルールに従順に従って生きていれば普通に平穏な生活は営める、ということに今まではなっていた。
皆、自分が楽を出来ればそれが一番良いと思ってしまうのであろう。

だからこそ、自分の脳で物事を思考して生きてゆく聡明な人間たちはいつも酷い目にあって生きてきたのである。
約150年前のアンブローズ・ビアス氏や、現代の小室直樹先生や副島隆彦先生のような真実派言論人たちは体制側に「悪魔」と罵られるようである。
そして、自分の脳で物事を思考するということを知らない白痴(はくち)たちは、体制側=権力者側が「悪魔」だと決定した人物たち(真実は国家のために非常に有益な人間たち)のことを「悪人」だと決め付ける。

これは、現在の「日本国王・小沢一郎」についても同じことが言える。
アメリカ帝国の手先をしている大手マスコミ(体制側)の報道によって、「小沢一郎は日本国に取っての害悪だ」などと思い込まされて日々を生きている日本国民たちがあまりにも多すぎる。
この日本国民たちは、読売新聞社の主筆「渡邉恒雄氏」と元首相「中曽根康弘氏」がヘンリー・キッシンジャーに教育・使役されて日本国内に「ポピュリズム」という言葉の意味を歪めて浸透させた、という事実すら知らない。
いや、知ろうとすらしていない。
ただ、大学などの学び舎で日々繰り返されている「念仏授業」に出席して、ペーパーテストで「俺は何点だった。私は何点だった。アンタは何点だった。」などという念仏を延々と繰り返している。悪いが、小さな人たちだ、としか思えない。

私、加地龍太には何の権威も権限もない。ただ、日本国憲法第21条で保障されている「言論の自由」に基づき、人間一匹で吼えることくらいは出来る。
如何なる権威的団体に対しても、無礼も失礼もはっきり言って顧みる気などない。
権威というのは、専ら形而上的なものであり、形而下的にはただのハリボテに過ぎない。そして、私は形而下的世界=現実世界に身を置いている生者である。

加地龍太には、玉座=権威に対する礼はなく、実力の伴った真実派人間(体制側からは悪魔と罵られる運命にある人間)にのみ、ひれ伏す用意がある。

何かご意見がありましたら、私のアドレスにメールを送って下さい。宜しくお願いします。

加地 龍太 拝

松村享 投稿日:2012/02/16 16:33

【780】[882]広島・西様へ

会員番号5307番、松村享(まつむらきょう)です。

『女の扱い』という表現に対して。

これは、完全に私に非があります。

不注意でした。申し訳ありません。

私は、女性を尊重しています。
何故なら、どんな理論やどんな言葉をも超えて
女性の好悪は、人間世界の最終的な答えだと思っているからです。

今回女性の方々に、苦言を頂いたという事、不快な思いをさせたという事は、私の男性としての至らなさです。男性としてでも、人間としてでも。

おっしゃって頂いてありがとうございます。
ひとつ、学ぶことができました。
これからもよろしくお願いします。

松村享 拝

広島・西 投稿日:2012/02/16 00:49

【779】[880]松村享さま江

貴方の[878]内の文言について。
この学問道場が、前途有望な若者を育てるという目的があることから、あえて苦言を呈することにしました。正に重たい気持ちで。
小沢一郎評に関する文章の中での『女の扱い』という表現に大層いや~な気持ちを抱きました。ポリティカリー・コレクトかどうかとか、言葉狩りとかそういうものではなく、それ未満の不快さです。
この学問道場のHPは多い日で5万ヒットもあるのだとか。
その中で女性がどの程度含まれるかは知りませんが、相当数の女性が読んでいることは確かです。
念のためにこの2日間、周囲の20台から60台の婦女子数名に訊ねてみました。
この内の60台の人のみが「まぁ、良いじゃないの、そういうことを言いたい年代なのよ」と、入歯をカタカタ言わせながら笑った以外は、皆さん「なにっ!!(怒)○×△※・・・」というコメント。○×△※・・・の部分は4文字から100文字以上まで様々ですが、敢えて申しますまい、武士の情けじゃ。
このたかだか数名のリサーチが全女性読者がかくのように思うとうエビデンスとはならないものの、複数の女性が私と同様のいや~な気持ちを抱くのが「女の扱い」という表現です。
閉経した人しか許していません!閉経前でも貴女のカノジョターゲットから外れる人も含みますが、今後自分のDNAを残したいという考えがあるのなら、表現を適切にすることを提案します。

時折、副島隆彦先生も「女子供(おんなこども)」等とフェミニストが眉間にシワを寄せるようなことを平然と仰られますが、先生の場合は別格。(上野千鶴子さんは許さないかもしれませんが)。
ですから、似たようなことを発言しても笑って許される場合とそうでない場合があるということになり、文脈によっても発言者によっても受け止め方は変化します。
副島先生は単に博識であるとか非常に頭が良いとかいう特性を凌駕する、人間的魅力をまとっておられるのです。著書からもその気配を感じておりましたが、実際にお会いすると本当にチャーミングなおじ様です。
『女の扱い』なる表現をしても許される人となるにはどう生きるかというのも研究テーマとなり得そうです。

40代以上の男性諸氏の呼称は上から順にオジサマ、おじさん、おっさん、ジジイ、ク○爺等々、色々ありますが、松村さんが単に「頭が良くて博識ではあるがク○爺」と呼ばれないよう、それこそ修行に励んでください。

「気分」「快・不快」「気配」等、書き連ねましたが、このように言語表現に向かないことを感じるのが女という生物ですので、詳細説明は不可能です。が、しかし、賢い松村さんは察することがきっとできるでしょう。

以上、オバハンの意見は茄子の花ということで心にとめて頂ければ幸いです。ご参考まで。

衛藤康一 投稿日:2012/02/15 22:44

【778】[879]橋下徹大阪市長について

会員の衛藤です。副島先生の橋元市長評を読んで感じたことを書きます。
下級公務員に頭を下げさせるだけならくだらない、改革に値しない、ということですが(その点には同意します。)、それだけが目的だとは思えません。彼の著書「体制維新-大阪都」によると、政策をあれこれ出すよりも、明治時代から続く体制を変えなければ大阪は衰退するばかりだ、というのが根本的な考え方のようです。道州制、地方分権論者であるばかりでなく、大阪府の中でも特権を持つ
大阪市(役所)をも解体しようとしています。もっともこの本はライターがまとめたものでしょう。

この、感情の激しい市長が大阪府知事になった時私は大阪市内に住んでいて、
府職員や議員とのやり取りをローカル放送でよく見ていました。コントのような
面白さでした。少なくともこのころは何の後ろ盾もない人だったでしょう。だから基本的には橋下市長を支持しています(維新八策なんてネーミングにはわらってしまいますが)。ただ、思いついたら全部まな板の上にのせて結果を見ればよい、という思考回路の人なのでいろいろおかしなこともいいだしますが、間違いであればそれを認める人だと思います。

維新の会の国政進出については支持しません。大阪ローカルの改革でもっと結果をだして他地域でも役人主権から住民主権への流れができればよいと思います。

松村享 投稿日:2012/02/14 19:55

【777】[878]最近の重掲を読んで思った事を徒然に

皆様こんにちは。

会員番号5307番、松村享(まつむらきょう)です。
SPECTRUM.REVOという、現実を斜に眺める若者と数人連れ立って、
東京でイベントやってます。http://sperevo.blog69.fc2.com/

さて、私はつい最近まで、福岡の実家でフラフラしておりました。
40日間ほどはいたのではないかと思います。
地元の友人と会い、酒を飲み、たまに女の子にちょっかいかけていました。
そんな事してるあいだに40日間が経過し、誕生日を迎え26歳になり、慌てて東京に戻ってまいりました。

実家で懐かしい作品を読みました。
太宰の『女生徒』やら
三島の『海と夕焼け』やら
私は少年時代から詩や文学を愛好していました。

日本文学は短編がいいですね。
詩とか短編に、日本語はよく適している気がします。

私は日本語以外を使えないので、本質的には理解していないでしょうが
副島先生方がおっしゃる、日本語は学問にむかない、というのは何となくわかる気がします。

日本語は、どこかゆらりとしていて流動的です。
私自身、論文めいたものを書くときには、論理性に難渋します。
アフォリズムめいたものや例えを使うと記述が、はかどります。
まあこれは、日本語のせいなのか、私自身に論理性が欠如しているのか定かではありませんが。

重掲で話題になっている司馬遼太郎
実は、私も中学生の頃、激しく影響を受けました。

英雄、というものに自分の人生を投影しました。
学校教育に退屈さをおぼえていた事も重なり
家出してそのまま旅に出て、ホームレスのおっちゃんと一晩語り明かしたりしましたね。夜はすごく寒かった。けれど、胸のうちには竜馬や秋山兄弟がいました。自分の人生を照らしてくれるように思いました。

で、私は今もその延長上を生きてます。
その頃に芽生えた憧れとか志とかは、今も私の生きる意味です。

ただ、司馬遼太郎はもう卒業しています。
どういう事かというと
世間があまりにも、竜馬だなんだというので、私は嫌になってしまったんですね。
世間で司馬遼太郎の名前を聴けば聴くほど、私は司馬遼太郎から遠ざかっていきました。

いま私は、司馬遼太郎を神話作家だと思っています。
たとえばグレートゲームの視野も彼にはないですし。
リアルを書いていない、だから、学問や歴史の把握にはなりえない。

ただ、だからといって、司馬遼太郎を性悪の改竄作家だというふうにも思えません。
たぶん、純粋だったんじゃないかと思っています。

あれだけの量の創作は、純粋な情熱、創作欲に裏打ちされてないとやれるものじゃない
どのページか定かではありませんが
『世に棲む日日』にて
少年時の高杉を指して『たまに、精神や頭脳の働きが異常に活発な子供がいる』とか
『もう少し後の時代に生まれたならば、高杉は早稲田の文学部にでもいって創作していたことだろう』とかいう記述を読んだとき

私は、司馬遼太郎もまた、英雄というものに憧れ、己を投影してるんだな、いつまでも子供みたいな人だな、と感じた記憶があります。

司馬遼太郎は純粋なんですよ。
ただ、知性が追いつかずに、自分が何をやってるのかわからなかった人間なんじゃないか、と

これは小泉元首相とかも一緒で
おそらく本人は純粋な使命感をもって邁進したんじゃないかと思います。
ただ、知性が追いつかず自分が何をやってるかわからず
結局、副島先生方に指弾される存在にしかなりえなかったんだろうな、と。

厄介ですね。世界は善悪二元論ではない。
我々が闘わなければならない相手は、純粋なるものなのだと。
純粋なるものを利用する金持ち連中を、いずれ公衆の面前に引きずり出せればいいな、と思っております。

橋下徹さんなんかも、使命感に燃えているんでしょう。
純粋で正義感に燃えている人だと思います。
革命が必要なのはその通りです。
ただ、知性が追いついていないんでしょう。

加地龍太様。
私も、『21世紀に生きる君たちへ』を読み
自分にあてた手紙だと感じて、涙がとまらなかった記憶があります。
純粋性を糧に、ここ学問道場で知性を磨けばいいと思います。
私は、そのつもりです。

私が今回書きたかった内容は以上です。

あ、最後に革命ついでに
小沢一郎さんについて思っている事も付け足します。

次世代育てたり、国家間の取引にしろ、発言内容にしても、非常に正当性があって素晴らしいと思います。

が、フロントマンとしてはどうかと思っています。
ポスターにしてもなんにしろ、あんな笑顔はやめた方がいいと思います。

悪漢と思われているのなら、むしろ堂々と人間世界の汚さを主張して、いっそ悪漢として振舞えば一種の人気も出るんじゃないかと思っています。

小沢さんを見ていると、女の扱い下手そうだな、と感じます。
男は女を口説く中で修行するもんだ。
ということで
私は明日、好きな女の子に電話します。

松村享 拝

加地 龍太 投稿日:2012/02/12 21:45

【776】[877]何か意見や考えがある人を歓迎します。

会員番号7416番
「副島隆彦の学問道場」学生会員、加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下に副島先生からの返信メールに対する私の返信を転載させていただきます。
何か意見、考えがある御方は是非私のアドレスにメールを下さい。
一緒に語れる出来れば歳の近い人(私は20歳です)を募集しています。

(転載貼り付け始め)

副島隆彦先生、こんばんは。
返信ありがとうございます。加地 龍太(かじ りょうた)です。
今日は今までアルバイトで家を出ていました。返事が少し遅くなってしまって申し訳ありません。

つい先程、「重たい掲示板」に書き込まれていた副島先生の文章も拝見しました。
司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」という小説のモデルとなったマリウス・ジャンセン(エドウィン・ライシャワーの弟子)の著作「坂本龍馬と明治維新」
については、「今日のぼやき 「1246」 『日本再占領:消えた統治能力と第三の敗戦』(成甲書房)に載せきれなかった一章(2) 宇宙人・槙原稔と戦後日米関係 中田安彦記 2011.9.13」
を読んで覚えていましたが、司馬遼太郎が歴史的事実をとことん改竄した性悪の歴史小説家であったことは今回初めて知りました。

エドウィン・ライシャワーが、日本のマルキストたちに対して、マルクス主義的歴史観の解毒剤として、そして「近代化論」の布教・流布のために司馬遼太郎に「竜馬がゆく」を執筆させた、というアメリカ帝国側の政治的謀略があったことも上記の「今日のぼやき」を読んでいたので覚えていました。

しかし、エドウィン・ライシャワー及びその上部のアメリカ帝国の最高権力者たちの政治的謀略が「竜馬がゆく」執筆の理由の第一であっても、
司馬遼太郎が「竜馬がゆく」の「あとがき」で「事を成す人間の型を描きたかった」と主張していたことを信じて、その執筆の理由の第二を根拠に
司馬遼太郎は「ただアメリカ帝国の言い成りになっていた人間ではないのだ」と勝手に思い込んでいました。
しかし今、冷静になって考えれば、「竜馬がゆく」第六巻の薩長連合のシーンのときの演出では、「司馬竜馬」が西郷隆盛に対して
「長州が可哀想ではないか!」と言い放ったことによって西郷隆盛が心を動かして桂小五郎(木戸孝允)と薩長連合を締結させたということに
なっていました。
冷静になって考えれば、現実政治はこれでは動かないという単純なことに「政治」を知っている人間なら誰でも鋭く気付くのだと、副島先生のお返事を
読んで思いました。

現実政治を動かすのは「人情」ではなく、徹底的に「政略」なのだということを知りました。
これは、副島先生の著作「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」のP134に「どこの国でも政治権力をめぐる抗争は熾烈であって、それがかつて仲の良かった者たち同士の中から不可避に起きる。自分たちの個人的な好悪感情などを振り捨てて、権力をめぐる命がけのゲームが政治家たちを襲うのである。人を利用したり平然と裏切ったりすることが生来の性格としてできない人々は、政治家にはなれないし、また政治という悪魔の所業には近づいてはいけないのだろう。理想派の人々が、自分の理想主義で中途半端に政治の世界に近づくと、必ず大火傷をし、ひどい目に遭うことになっている。」
と記述されているこの世の真実でもあると思います。
実際、「人情」で現実政治が動かせるならば誰にでも現実政治を手掛けることが出来ることになってしまいます。

坂本龍馬も、政治の世界に足を突っ込まず商売人としてトーマス・グラバーの家来をし続けていれば長生き出来たのでしょう。
ですが、龍馬は大英帝国の武力倒幕路線に反発して運動しました。
この点、「世界帝国の世界戦略に沿った独自の国家戦略を方針として動く属国の国家経営者」としては、坂本龍馬は失格だったのでしょう。
私は、立派なポピュリストであった「田中角栄」が、オイル・ショックのときにアメリカ帝国の世界戦略を無視してごり押しで中東諸国との間に石油ルートを
確保したことによって、ネルソン・ロックフェラーに睨まれ、ネルソンの子飼いの子分であったヘンリー・キッシンジャーたちにロッキード事件で攻撃された姿が、
大英帝国の世界戦略に刃向かった「坂本龍馬」と重なって見える気がします。

日本の愛国者は、帝国側に取っては邪魔者なのだということをつくづく実感させられます。
これを考えると、ロックフェラー家の次期当主となる「ジョン・ダヴィッドソン・ジェイ・ロックフェラー4世」に、世界帝国と半分くらいは対等な駆け引きが出来る
日本の国家経営者(日本国王)として認められている「小沢一郎」の凄さが判る気がします。
副島隆彦先生に「その人物は西郷隆盛以上の男」、亀井静香氏に「その政治手腕は織田信長以上の男」と称えられる「小沢一郎」が、
デイヴィッド・ロックフェラー系列の下っ端さんたち(日本検察など)に攻撃されている現状を、私、加地 龍太は自分が知り得たことを大学で友人知人に説いています。大学以外でも、幼馴染みたちにも「世界権力者人物図鑑」などを参照しながら説いています。
その中で聡明な人物たちは理解を示します。白痴(はくち)は関心を示しません。

副島先生がお勧めして下さった吉村 昭の「シーボルトの娘、お稲」を購読するつもりです。
司馬遼太郎については、「21世紀に生きる君たちへ」という彼の遺言書を気に入っていたので、ただの性悪小説家であったならば残念です。
ですが、権力者・体制側に利用されて使い捨てにされるだけの人間にはなりたくはないので、より現実的で冷酷なこの世の真実を描いているとされる
吉村昭氏の歴史小説の方が、「眩しい英雄伝」を描く司馬遼太郎の小説よりも読む価値はあるのだろうと思います。

学問道場の方々にも意見を求めたいので、このメール文は「重たい掲示板」に転載させていただきます。

それでは、失礼します。

「副島隆彦の学問道場」学生会員 会員番号7416番 加地 龍太 拝