重たい掲示板

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大川晴美 投稿日:2012/02/19 22:39

【783】[885]食品に含まれる放射性セシウムの新たな基準値

会員の大川です。食品に含まれる放射性セシウムについて、厚生労働省は、現在の暫定規制値をより厳しい基準値(低い数値)に変更し、今年4月から適用する方針を示しました(一部経過措置あり)。昨年12月に薬事・食品衛生審議会の担当部会で審議され、ここで出された案が放射線審議会で審議されています。これらと並行して、厚生労働省はパブリックコメントを募集しました。(2月4日募集締切)

私は2週間前に福島の農業関係者から、「政府はなぜ、規制値を500ベクレル/kgから100ベクレル/kgに変更するのか。農家は500ベクレル以下を目指して頑張ってきたのに、これではいつまでたっても福島の農産物は安全なものにならない。」という話を聞きました。何のことだろうと思って放射線審議会の議事録を調べてみると、委員から新基準値に対する反対意見や疑問が噴出していることがわかりました。

平成24年2月2日開催の放射線審議会の議事録
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/gijiroku/1316571.htm

パブリックコメント: 乳及び乳製品の成分規格等に関する省令の一部を改正する省令及び食品、添加物等の規格基準の一部を改正する件(食品中の放射性物質に係る基準値の設定)(案)等に関する御意見の募集について
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=495110333&Mode=1

放射性セシウムの新たな基準値(案)を要約すると、次のようになります。(左側は現在の暫定規制値)
飲料水(ミネラルウォーターなど) 200→10ベクレル/kg
牛乳 200→50ベクレル/kg
乳児用食品(*新たなカテゴリー) 50ベクレル/kg
一般食品(上記以外) 500→100ベクレル/kg

なぜこれほど低い数値になるかと言うと、食品から摂取する被ばく量上限を5mSv/年から1mSv/年に変更することと、基準値の計算において過度に安全側の仮定にたっていることが主な理由のようです。しかし、平常時であれば妥当かもしれませんが、放射能汚染がすでに起こってしまった現在では、消費者の安全を確保するだけでなく、生産者を支援して復興の展望が開けるような基準でなければなりません。福島の農林漁業者は放射能汚染の加害者でないことはもちろん、今も多くの人たちが避難生活を強いられ、雇用が激減し、復興の見通しもたたない厳しい状況に置かれています。現在の暫定規制値は消費者の安全を十分確保できる数値であり、生産者の努力によって規制値を超える農林水産物も少なくなっています。それなのに、なぜ今、これほど厳しい数値に変更しなければならないのでしょうか。今春の米の作付けにも大きな影響を与え、作付け制限が広がれば、農家の意欲低下と農地の荒廃につながることが心配です。

放射線審議会の議事録によれば、委員は次の点に懸念を示しています。
・生産者を含めた関係者との対話を十分に行っていない。
・厳しい基準に変更しても技術的に守れないことを危惧する。低い数値を検出できる検査機器は高価で数も少ない。検査体制もできていない。
・現状の暫定規制値はすでに乳幼児や子供にも十分配慮した数値であり、さらに配慮する意味がわからない。
・1mSv/年に異存はないが、数値の算出における汚染割合の仮定と子供への配慮は、過度に安全側に立っている。
・基準値を超えると出荷停止となり、違反すると罰則がある。単なる目標値ではないことに留意すべき。
・原発事故で被害を被っている福島の人々にとって厳しい数値であり、生活を脅かす基準となりかねない。
・基準値以下の食品であっても、消費者は限りなくゼロを求めるだろう。売れなければ意味がない。現実にこのようなことが起こっているので、そのための措置を考えるべきだ。
・数値は安全と危険との境ではない。数値が独り歩きして、安全、安全でないという議論になることが一番恐い。
・基準値の意味が誤解されないように、政府は適切にリスクコミュニケーションできるのか。
・結論が先にあって放射線審議会の意見が考慮されないなら、何のための審議会なのか。

パブリックコメントでは、残念ながら「基準を厳しく」という意見が圧倒的なようですが、新たな基準が本当は何を意味するものなのか、より多くの方々に考えていただければ幸いです。

大川晴美

川本 真都 投稿日:2012/02/19 11:37

【782】[884]週刊東洋経済編集長の人物破壊工作について。

こんにちは。今朝から話題になっています、週刊東洋経済誌の編集長の、痴漢容疑逮捕について。まるっきり植草さんのときの人物破壊工作とそっくりなので、これはパフォーマンスなのか?と思ってしまいました。

2月13日発売の、「週刊東洋経済2月18日号、東京電力偽りの延命」、
2月17日の、石川調書不採用、
直後の、週刊東洋経済編集長の逮捕。

いま検察に対する風圧が高まってるところで、こんな見え見えの工作を仕掛ける人は、
いったい誰なんでしょう。検察を解体して得する人?検察を解体して、そこにちゃっかり
もっと自由に操れる組織作りが、行われてしまうのでしょうか・・・。

(貼り付け始め)

 電車内で女性の体を触ったとして、警視庁大森署が「週刊東洋経済」編集長・三上直行容疑者(46)を東京都迷惑防止条例違反(痴漢)の疑いで現行犯逮捕していたことが分かった。

 同署幹部によると、三上容疑者は17日午後11時過ぎ、JR京浜東北線の品川駅―大森駅間を走行中の電車内で、20代と30代の女性会社員2人の尻を触った疑い。

 近くにいた男性会社員が取り押さえ、大森駅で同署員に引き渡した。三上容疑者は「酒に酔っていて覚えていない」と容疑を否認しているという。

(2012年2月19日02時06分 読売新聞)

(貼り付け終わり)

いずれにしても、これも次々繰り出される国民洗脳のひとつであることに、
嫌な感じを覚えないではいられません。

加地 龍太 投稿日:2012/02/17 01:45

【781】[883]反体制・反権力の人間=自分の脳で思考する人間

会員番号7416番
「副島隆彦の学問道場」学生会員、加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下、「~だ。~である。」調にて、自分の脳で物事を思考する人間について論じます。

リバータリアン派の頭目とされるロナルド・アーネスト・ロン・ポール氏の著作「THE REVOLUTION A MANIFESTO」の翻訳本である「他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ」(佐藤研一朗さん著作)の中の一節に「一度 物事が制度化されると、人々はそれを疑問に思う能力を失う。」という言葉がある。
私はまったくもってこの通りだと思う。どこの国のどこの国民も、大半は制度を制定する権限を持っている体制側=権力者側の決めた制度を無条件に正義(正しい道理)であると判断して生きている。
なぜならば、恐らくそっちの方が楽に生きられるからであろう。
自分の脳髄で思考して物事を考えなくても、体制側の決めたルールに従順に従って生きていれば普通に平穏な生活は営める、ということに今まではなっていた。
皆、自分が楽を出来ればそれが一番良いと思ってしまうのであろう。

だからこそ、自分の脳で物事を思考して生きてゆく聡明な人間たちはいつも酷い目にあって生きてきたのである。
約150年前のアンブローズ・ビアス氏や、現代の小室直樹先生や副島隆彦先生のような真実派言論人たちは体制側に「悪魔」と罵られるようである。
そして、自分の脳で物事を思考するということを知らない白痴(はくち)たちは、体制側=権力者側が「悪魔」だと決定した人物たち(真実は国家のために非常に有益な人間たち)のことを「悪人」だと決め付ける。

これは、現在の「日本国王・小沢一郎」についても同じことが言える。
アメリカ帝国の手先をしている大手マスコミ(体制側)の報道によって、「小沢一郎は日本国に取っての害悪だ」などと思い込まされて日々を生きている日本国民たちがあまりにも多すぎる。
この日本国民たちは、読売新聞社の主筆「渡邉恒雄氏」と元首相「中曽根康弘氏」がヘンリー・キッシンジャーに教育・使役されて日本国内に「ポピュリズム」という言葉の意味を歪めて浸透させた、という事実すら知らない。
いや、知ろうとすらしていない。
ただ、大学などの学び舎で日々繰り返されている「念仏授業」に出席して、ペーパーテストで「俺は何点だった。私は何点だった。アンタは何点だった。」などという念仏を延々と繰り返している。悪いが、小さな人たちだ、としか思えない。

私、加地龍太には何の権威も権限もない。ただ、日本国憲法第21条で保障されている「言論の自由」に基づき、人間一匹で吼えることくらいは出来る。
如何なる権威的団体に対しても、無礼も失礼もはっきり言って顧みる気などない。
権威というのは、専ら形而上的なものであり、形而下的にはただのハリボテに過ぎない。そして、私は形而下的世界=現実世界に身を置いている生者である。

加地龍太には、玉座=権威に対する礼はなく、実力の伴った真実派人間(体制側からは悪魔と罵られる運命にある人間)にのみ、ひれ伏す用意がある。

何かご意見がありましたら、私のアドレスにメールを送って下さい。宜しくお願いします。

加地 龍太 拝

松村享 投稿日:2012/02/16 16:33

【780】[882]広島・西様へ

会員番号5307番、松村享(まつむらきょう)です。

『女の扱い』という表現に対して。

これは、完全に私に非があります。

不注意でした。申し訳ありません。

私は、女性を尊重しています。
何故なら、どんな理論やどんな言葉をも超えて
女性の好悪は、人間世界の最終的な答えだと思っているからです。

今回女性の方々に、苦言を頂いたという事、不快な思いをさせたという事は、私の男性としての至らなさです。男性としてでも、人間としてでも。

おっしゃって頂いてありがとうございます。
ひとつ、学ぶことができました。
これからもよろしくお願いします。

松村享 拝

広島・西 投稿日:2012/02/16 00:49

【779】[880]松村享さま江

貴方の[878]内の文言について。
この学問道場が、前途有望な若者を育てるという目的があることから、あえて苦言を呈することにしました。正に重たい気持ちで。
小沢一郎評に関する文章の中での『女の扱い』という表現に大層いや~な気持ちを抱きました。ポリティカリー・コレクトかどうかとか、言葉狩りとかそういうものではなく、それ未満の不快さです。
この学問道場のHPは多い日で5万ヒットもあるのだとか。
その中で女性がどの程度含まれるかは知りませんが、相当数の女性が読んでいることは確かです。
念のためにこの2日間、周囲の20台から60台の婦女子数名に訊ねてみました。
この内の60台の人のみが「まぁ、良いじゃないの、そういうことを言いたい年代なのよ」と、入歯をカタカタ言わせながら笑った以外は、皆さん「なにっ!!(怒)○×△※・・・」というコメント。○×△※・・・の部分は4文字から100文字以上まで様々ですが、敢えて申しますまい、武士の情けじゃ。
このたかだか数名のリサーチが全女性読者がかくのように思うとうエビデンスとはならないものの、複数の女性が私と同様のいや~な気持ちを抱くのが「女の扱い」という表現です。
閉経した人しか許していません!閉経前でも貴女のカノジョターゲットから外れる人も含みますが、今後自分のDNAを残したいという考えがあるのなら、表現を適切にすることを提案します。

時折、副島隆彦先生も「女子供(おんなこども)」等とフェミニストが眉間にシワを寄せるようなことを平然と仰られますが、先生の場合は別格。(上野千鶴子さんは許さないかもしれませんが)。
ですから、似たようなことを発言しても笑って許される場合とそうでない場合があるということになり、文脈によっても発言者によっても受け止め方は変化します。
副島先生は単に博識であるとか非常に頭が良いとかいう特性を凌駕する、人間的魅力をまとっておられるのです。著書からもその気配を感じておりましたが、実際にお会いすると本当にチャーミングなおじ様です。
『女の扱い』なる表現をしても許される人となるにはどう生きるかというのも研究テーマとなり得そうです。

40代以上の男性諸氏の呼称は上から順にオジサマ、おじさん、おっさん、ジジイ、ク○爺等々、色々ありますが、松村さんが単に「頭が良くて博識ではあるがク○爺」と呼ばれないよう、それこそ修行に励んでください。

「気分」「快・不快」「気配」等、書き連ねましたが、このように言語表現に向かないことを感じるのが女という生物ですので、詳細説明は不可能です。が、しかし、賢い松村さんは察することがきっとできるでしょう。

以上、オバハンの意見は茄子の花ということで心にとめて頂ければ幸いです。ご参考まで。

衛藤康一 投稿日:2012/02/15 22:44

【778】[879]橋下徹大阪市長について

会員の衛藤です。副島先生の橋元市長評を読んで感じたことを書きます。
下級公務員に頭を下げさせるだけならくだらない、改革に値しない、ということですが(その点には同意します。)、それだけが目的だとは思えません。彼の著書「体制維新-大阪都」によると、政策をあれこれ出すよりも、明治時代から続く体制を変えなければ大阪は衰退するばかりだ、というのが根本的な考え方のようです。道州制、地方分権論者であるばかりでなく、大阪府の中でも特権を持つ
大阪市(役所)をも解体しようとしています。もっともこの本はライターがまとめたものでしょう。

この、感情の激しい市長が大阪府知事になった時私は大阪市内に住んでいて、
府職員や議員とのやり取りをローカル放送でよく見ていました。コントのような
面白さでした。少なくともこのころは何の後ろ盾もない人だったでしょう。だから基本的には橋下市長を支持しています(維新八策なんてネーミングにはわらってしまいますが)。ただ、思いついたら全部まな板の上にのせて結果を見ればよい、という思考回路の人なのでいろいろおかしなこともいいだしますが、間違いであればそれを認める人だと思います。

維新の会の国政進出については支持しません。大阪ローカルの改革でもっと結果をだして他地域でも役人主権から住民主権への流れができればよいと思います。

松村享 投稿日:2012/02/14 19:55

【777】[878]最近の重掲を読んで思った事を徒然に

皆様こんにちは。

会員番号5307番、松村享(まつむらきょう)です。
SPECTRUM.REVOという、現実を斜に眺める若者と数人連れ立って、
東京でイベントやってます。http://sperevo.blog69.fc2.com/

さて、私はつい最近まで、福岡の実家でフラフラしておりました。
40日間ほどはいたのではないかと思います。
地元の友人と会い、酒を飲み、たまに女の子にちょっかいかけていました。
そんな事してるあいだに40日間が経過し、誕生日を迎え26歳になり、慌てて東京に戻ってまいりました。

実家で懐かしい作品を読みました。
太宰の『女生徒』やら
三島の『海と夕焼け』やら
私は少年時代から詩や文学を愛好していました。

日本文学は短編がいいですね。
詩とか短編に、日本語はよく適している気がします。

私は日本語以外を使えないので、本質的には理解していないでしょうが
副島先生方がおっしゃる、日本語は学問にむかない、というのは何となくわかる気がします。

日本語は、どこかゆらりとしていて流動的です。
私自身、論文めいたものを書くときには、論理性に難渋します。
アフォリズムめいたものや例えを使うと記述が、はかどります。
まあこれは、日本語のせいなのか、私自身に論理性が欠如しているのか定かではありませんが。

重掲で話題になっている司馬遼太郎
実は、私も中学生の頃、激しく影響を受けました。

英雄、というものに自分の人生を投影しました。
学校教育に退屈さをおぼえていた事も重なり
家出してそのまま旅に出て、ホームレスのおっちゃんと一晩語り明かしたりしましたね。夜はすごく寒かった。けれど、胸のうちには竜馬や秋山兄弟がいました。自分の人生を照らしてくれるように思いました。

で、私は今もその延長上を生きてます。
その頃に芽生えた憧れとか志とかは、今も私の生きる意味です。

ただ、司馬遼太郎はもう卒業しています。
どういう事かというと
世間があまりにも、竜馬だなんだというので、私は嫌になってしまったんですね。
世間で司馬遼太郎の名前を聴けば聴くほど、私は司馬遼太郎から遠ざかっていきました。

いま私は、司馬遼太郎を神話作家だと思っています。
たとえばグレートゲームの視野も彼にはないですし。
リアルを書いていない、だから、学問や歴史の把握にはなりえない。

ただ、だからといって、司馬遼太郎を性悪の改竄作家だというふうにも思えません。
たぶん、純粋だったんじゃないかと思っています。

あれだけの量の創作は、純粋な情熱、創作欲に裏打ちされてないとやれるものじゃない
どのページか定かではありませんが
『世に棲む日日』にて
少年時の高杉を指して『たまに、精神や頭脳の働きが異常に活発な子供がいる』とか
『もう少し後の時代に生まれたならば、高杉は早稲田の文学部にでもいって創作していたことだろう』とかいう記述を読んだとき

私は、司馬遼太郎もまた、英雄というものに憧れ、己を投影してるんだな、いつまでも子供みたいな人だな、と感じた記憶があります。

司馬遼太郎は純粋なんですよ。
ただ、知性が追いつかずに、自分が何をやってるのかわからなかった人間なんじゃないか、と

これは小泉元首相とかも一緒で
おそらく本人は純粋な使命感をもって邁進したんじゃないかと思います。
ただ、知性が追いつかず自分が何をやってるかわからず
結局、副島先生方に指弾される存在にしかなりえなかったんだろうな、と。

厄介ですね。世界は善悪二元論ではない。
我々が闘わなければならない相手は、純粋なるものなのだと。
純粋なるものを利用する金持ち連中を、いずれ公衆の面前に引きずり出せればいいな、と思っております。

橋下徹さんなんかも、使命感に燃えているんでしょう。
純粋で正義感に燃えている人だと思います。
革命が必要なのはその通りです。
ただ、知性が追いついていないんでしょう。

加地龍太様。
私も、『21世紀に生きる君たちへ』を読み
自分にあてた手紙だと感じて、涙がとまらなかった記憶があります。
純粋性を糧に、ここ学問道場で知性を磨けばいいと思います。
私は、そのつもりです。

私が今回書きたかった内容は以上です。

あ、最後に革命ついでに
小沢一郎さんについて思っている事も付け足します。

次世代育てたり、国家間の取引にしろ、発言内容にしても、非常に正当性があって素晴らしいと思います。

が、フロントマンとしてはどうかと思っています。
ポスターにしてもなんにしろ、あんな笑顔はやめた方がいいと思います。

悪漢と思われているのなら、むしろ堂々と人間世界の汚さを主張して、いっそ悪漢として振舞えば一種の人気も出るんじゃないかと思っています。

小沢さんを見ていると、女の扱い下手そうだな、と感じます。
男は女を口説く中で修行するもんだ。
ということで
私は明日、好きな女の子に電話します。

松村享 拝

加地 龍太 投稿日:2012/02/12 21:45

【776】[877]何か意見や考えがある人を歓迎します。

会員番号7416番
「副島隆彦の学問道場」学生会員、加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下に副島先生からの返信メールに対する私の返信を転載させていただきます。
何か意見、考えがある御方は是非私のアドレスにメールを下さい。
一緒に語れる出来れば歳の近い人(私は20歳です)を募集しています。

(転載貼り付け始め)

副島隆彦先生、こんばんは。
返信ありがとうございます。加地 龍太(かじ りょうた)です。
今日は今までアルバイトで家を出ていました。返事が少し遅くなってしまって申し訳ありません。

つい先程、「重たい掲示板」に書き込まれていた副島先生の文章も拝見しました。
司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」という小説のモデルとなったマリウス・ジャンセン(エドウィン・ライシャワーの弟子)の著作「坂本龍馬と明治維新」
については、「今日のぼやき 「1246」 『日本再占領:消えた統治能力と第三の敗戦』(成甲書房)に載せきれなかった一章(2) 宇宙人・槙原稔と戦後日米関係 中田安彦記 2011.9.13」
を読んで覚えていましたが、司馬遼太郎が歴史的事実をとことん改竄した性悪の歴史小説家であったことは今回初めて知りました。

エドウィン・ライシャワーが、日本のマルキストたちに対して、マルクス主義的歴史観の解毒剤として、そして「近代化論」の布教・流布のために司馬遼太郎に「竜馬がゆく」を執筆させた、というアメリカ帝国側の政治的謀略があったことも上記の「今日のぼやき」を読んでいたので覚えていました。

しかし、エドウィン・ライシャワー及びその上部のアメリカ帝国の最高権力者たちの政治的謀略が「竜馬がゆく」執筆の理由の第一であっても、
司馬遼太郎が「竜馬がゆく」の「あとがき」で「事を成す人間の型を描きたかった」と主張していたことを信じて、その執筆の理由の第二を根拠に
司馬遼太郎は「ただアメリカ帝国の言い成りになっていた人間ではないのだ」と勝手に思い込んでいました。
しかし今、冷静になって考えれば、「竜馬がゆく」第六巻の薩長連合のシーンのときの演出では、「司馬竜馬」が西郷隆盛に対して
「長州が可哀想ではないか!」と言い放ったことによって西郷隆盛が心を動かして桂小五郎(木戸孝允)と薩長連合を締結させたということに
なっていました。
冷静になって考えれば、現実政治はこれでは動かないという単純なことに「政治」を知っている人間なら誰でも鋭く気付くのだと、副島先生のお返事を
読んで思いました。

現実政治を動かすのは「人情」ではなく、徹底的に「政略」なのだということを知りました。
これは、副島先生の著作「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」のP134に「どこの国でも政治権力をめぐる抗争は熾烈であって、それがかつて仲の良かった者たち同士の中から不可避に起きる。自分たちの個人的な好悪感情などを振り捨てて、権力をめぐる命がけのゲームが政治家たちを襲うのである。人を利用したり平然と裏切ったりすることが生来の性格としてできない人々は、政治家にはなれないし、また政治という悪魔の所業には近づいてはいけないのだろう。理想派の人々が、自分の理想主義で中途半端に政治の世界に近づくと、必ず大火傷をし、ひどい目に遭うことになっている。」
と記述されているこの世の真実でもあると思います。
実際、「人情」で現実政治が動かせるならば誰にでも現実政治を手掛けることが出来ることになってしまいます。

坂本龍馬も、政治の世界に足を突っ込まず商売人としてトーマス・グラバーの家来をし続けていれば長生き出来たのでしょう。
ですが、龍馬は大英帝国の武力倒幕路線に反発して運動しました。
この点、「世界帝国の世界戦略に沿った独自の国家戦略を方針として動く属国の国家経営者」としては、坂本龍馬は失格だったのでしょう。
私は、立派なポピュリストであった「田中角栄」が、オイル・ショックのときにアメリカ帝国の世界戦略を無視してごり押しで中東諸国との間に石油ルートを
確保したことによって、ネルソン・ロックフェラーに睨まれ、ネルソンの子飼いの子分であったヘンリー・キッシンジャーたちにロッキード事件で攻撃された姿が、
大英帝国の世界戦略に刃向かった「坂本龍馬」と重なって見える気がします。

日本の愛国者は、帝国側に取っては邪魔者なのだということをつくづく実感させられます。
これを考えると、ロックフェラー家の次期当主となる「ジョン・ダヴィッドソン・ジェイ・ロックフェラー4世」に、世界帝国と半分くらいは対等な駆け引きが出来る
日本の国家経営者(日本国王)として認められている「小沢一郎」の凄さが判る気がします。
副島隆彦先生に「その人物は西郷隆盛以上の男」、亀井静香氏に「その政治手腕は織田信長以上の男」と称えられる「小沢一郎」が、
デイヴィッド・ロックフェラー系列の下っ端さんたち(日本検察など)に攻撃されている現状を、私、加地 龍太は自分が知り得たことを大学で友人知人に説いています。大学以外でも、幼馴染みたちにも「世界権力者人物図鑑」などを参照しながら説いています。
その中で聡明な人物たちは理解を示します。白痴(はくち)は関心を示しません。

副島先生がお勧めして下さった吉村 昭の「シーボルトの娘、お稲」を購読するつもりです。
司馬遼太郎については、「21世紀に生きる君たちへ」という彼の遺言書を気に入っていたので、ただの性悪小説家であったならば残念です。
ですが、権力者・体制側に利用されて使い捨てにされるだけの人間にはなりたくはないので、より現実的で冷酷なこの世の真実を描いているとされる
吉村昭氏の歴史小説の方が、「眩しい英雄伝」を描く司馬遼太郎の小説よりも読む価値はあるのだろうと思います。

学問道場の方々にも意見を求めたいので、このメール文は「重たい掲示板」に転載させていただきます。

それでは、失礼します。

「副島隆彦の学問道場」学生会員 会員番号7416番 加地 龍太 拝

副島隆彦 投稿日:2012/02/12 06:26

【775】[876]加地龍太 君からのメールへの私の返信

副島隆彦です。 私たちの若い会員の加地龍太くんが、以下に日本史の英雄論を書いていて、私に今朝もメールが来ていましたので、以下の「874」番の彼の英雄論を読む前に、返信したメールを転載します。

加地くんと同じ、私の本の若い読者たちに向けて、私が気になったことを書きました。若者には、若者なりの 元気な野心がなければいけない。しかし、国家や権力者たちは、それを扇動するように 上手に利用して、策略で嵌(は)めて、若者たちを、戦争や動乱の中に駆り立てる(狩りたてる)ということをします。 十分に注意しなければいけません。

坂本龍馬が書いたとされる 「船中八策(せんちゅうはっさく)」を模して、大阪人の橋下徹(はしもととおる。橋の下=はしのした= )・大阪市長が、東京に攻め上る感じで、新しい清新な政策綱領(プラットフォーム platform)を発表しようとしているそうだ。一体、どういう連中が彼を背後からあやつっているのやら。連立政権にして、自民党を壊して、看板だけ付け変える。自由国民党か? これらのことは すぐに露見するだろう。

 官僚どもを叩きのめすための攻め上りではなくて、大阪市バスの労働組合の幹部たちを並ばぜて、頭を下げさせる革命だ。右翼革命だ。下級の公務員たちを、職務怠慢でいじめることよりも、もっと上の官僚支配そのものを、打ち壊すための 攻め上りでないのなら、それは、間違った改革だ。老害・石原慎太郎との「どっちが上か」の 愚劣なつばぜり合いの、くだらない政治劇だ。 

 私は、船中八策が、実は、坂本龍馬をあやつったイギリス戦略外交官のアーネスト・サトウの作そのものであることを、「属国・日本論」とかで15年の昔、暴き立てるように書いたはずだ。武器商人トーマス・グラバーの資金で、坂本龍馬は洋式船を動かしていた。 

以下は、さっき加地くんに送ったばかりのメールである。 副島隆彦拝

(転載貼り付け始め) 

加地 龍太 くんへ

副島隆彦から

メールをありがとう。
 私と  重要な中国人政治亡命者・石平(せきへい。シーピン)氏との 対談テープを 早速、注文して 聴いて感想を書く とのことでうれしく思います。 自分でもどれほどの出来なのか、分かりません。
編集でどれぐらい聞きやすくなるものかも、分かりません。

 君が重掲に書いた短文の英雄論 ですが、内容に一点だけ異論があります。司馬遼太郎(しばりょうたろう) というのは、深い裏のある(サントリー文化人という)極悪の 歴史小説家です。 彼はあまりにも多くの虚偽を大量に書き続けました。

 彼の「竜馬がゆく」のタネ本は、マリアス・ジャンセンの「坂本竜馬と明治維新」(日本語訳)という 日本研究の論文です。 この男は、米東部の名門コーネル大学の日本史学の教授です。 日本を管理し操るための歴史学をやってきた人間です。まだ存命か高齢で死去しているかのはずです。

それ以外に、高知新聞に勤めていた人が書いた、土佐勤王党(とさきんのうとう)の血風録 のような本があります。 それと、「新選組浪士隊始末記」という本があります。 これらが、司馬のタネ本です。 これらは優れた本です。
もうひとり アイヴァン・モリスというワルの 日本研究学者の本がある。

 マリアス・ジャンセンの研究論文には 大正、昭和はじめの日本人の坂本龍馬研究家たちの資料が使われています。 マリアス・ジャンセンのコーネル大学の日本研究学科の 教え子で、映画監督になった エドワード・ズーウイック が、映画「ラスト・サムライ」(2003年作。トム・クルーズと渡辺謙、小雪 が主演) です。 

 映画「ラスト・サムライ」は、2003年からのアメリカのイラク侵略戦争に、日本の若者たちまで扇動して、駆り立てようとして制作された、許しがたい 戦争・人殺し賛美映画です。 それを日本の武士道の 進んで死ぬことの美意識 を 扇動思想として 使った、アメリカ人の グローバリスト日本あやつり人間たちの 悪い意図が、満載された ひどい映画でした。

 16世紀の戦国時代と 19世紀の幕末・明治維新期を故意に ごちゃまぜにして映画て、鎧甲冑(よろい・かっちゅう) 姿の 西郷隆盛 のような「日本民族の英雄」のような人物を登場させて、ガトリング砲の一斉射撃に向かって、突撃して死んでしまう、という 愚か極まりない 日本史の偽造をやった映画です。

 同時代のアメリカ人の南北戦争の戦場の生き残り(インディアン虐殺のカスター将軍の部隊にいた)の軍人が、虚しい魂を引きずって日本に来て、近代軍隊の教練を指導するとか、三菱の岩崎弥太郎にそっくりの熊のだるま顔の 宰相が、(すり替えられたあとの)明治天皇の横にいて助言をしている様子とかは、なかなかの舞台設定で、アメリカの日本研究の成果を取り入れた史実を含んでいました。

 司馬遼太郎 は、史実をいくつも いくつも、改竄(かいざん)している、許しがたい作家です。 彼に影響を受けた、という 日本の商工会議所会員で、青年会議所あがりのような 右翼 経営者と其のバカ息子のような人間たちが、500万人ぐらいいます。もう皆、60歳ぐらい 加地くんも、そういう家庭的な雰囲気の中で育った青年だろう。

 坂本龍馬( 本名、さいたに うめたろう。 才谷屋の梅太郎。郷士層の商人の家) は本当に悲劇の政治活動家ですが、彼は、京都薩摩藩邸での 薩長連合の談判の場にもいない。英戦略外交官のアーネスト・サトウ やジョン万次郎や、グラバー商会のネットワークと資金で動いたイギリスとの二重スパイだったろう。昭和になるまで、明治時代には、坂本龍馬という人物なんて、だーれも知らなかったのだ。
 
 坂本龍馬は、早い時期に殺されているので、彼は明治時代をとおして、まったく知られていない。 本当の 政治活動家(=政治的人間)たちというのは、いつの時代も、返り見られることもなく、無残な死に方をしたまま忘れられる人間たちだ。 生きている時も苦しみばっかりだ。 私、副島隆彦はそういうことがよく分かります。 

 あとあとになって、馬鹿な脚色で小説作品になって、それで、派手な英雄伝説が出来上がる。 若者たちの功名心をくすぐる。しかし、どんな人も 時代の荒波のなかで、生活していきてゆくことだけで精一杯で、目先のことに追われて、住宅ローンの支払や子供の学資の心配をしながら、いつか、ただの庶民、生活者として、人生を終わってゆきます。 

 加地くんが、幕末期を描いた歴史小説を読むなら 、司馬遼太郎を激しく嫌った吉村昭(よしむらあきら)を読みなさい。 「シーボルトの娘、お稲」とかを読むといい。吉村昭は、ウソを書いていません。

 加地くんへ。ここまで君宛てのメールを書きましたが、上記の文は、君とおなじぐらいの若い、学問道場の会員たち向けに 念を押して教えておくべききとだと、考えましたので、このまま 重掲に 私が貼り付けます。
上記の事実は、私の主著の一冊である 「属国・日本論」の後ろの方の日本史についての部分とかに書いてあります。 読んでください。

副島隆彦拝

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

加地 龍太 投稿日:2012/02/11 20:40

【774】[875]私の英雄

会員番号7416番
「副島隆彦の学問道場」学生会員、加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下、「~だ。~である。」調にて私の英雄、坂本龍馬について、副島隆彦先生の著作「改訂版 属国・日本論」を読んで私が考えたことを記載させていただきます。

「改訂版 属国・日本論」の第3部「属国・日本の近代史」を参照にして、幕末の真相を知っていた坂本龍馬が英雄であるかどうかを論ずる。
上記の「改訂版 属国・日本論」に記載されていることだが、坂本龍馬は17歳のときにジョン万次郎(中浜万次郎)から当時の世界情勢の真実を教授されている。この世界情勢の真実は、そのまま「幕末の真相」である。
幕末の真相とは、「官軍(薩長土肥)と幕軍の対立は、その当時 世界覇権を争っていた大英帝国(手下は官軍)とロシア帝国(手下は幕軍)及びロシアの同盟国だったフランスの代理戦争である」というものである。
繰り返すが、坂本龍馬はこの「幕末の真相」を17歳のときにジョン万次郎から教授されている。岩崎弥太郎と後藤象二郎も、それぞれ岩崎18歳、後藤14歳のときにジョン万次郎から「幕末の真相=当時の世界情勢」を教わっている。坂本龍馬が幕臣 勝海舟と接触できたのは、龍馬が幕末の真相を知っているインナーサークル(秘密の仲間)の一員であったからだ。(副島先生の著作「属国・日本論」 参照)
龍馬をはじめとする反幕の志士たちは皆、大きな枠組みで捉えれば大英帝国の家来として使役されたのである。坂本龍馬以外では、高杉晋作、井上馨、伊藤博文、大村益次郎、五代友厚、岩倉具視などが本人が自覚して大英帝国の家来として動いた人間たちである。「維新の三傑」と称えられる西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎(木戸孝允)の3人も、本人が自覚していたかどうかは別として大英帝国の家来・手先として使役された人間たちである。
明治維新を主導して、ロシア・フランス系列の政権担当機関である幕府を叩き潰したのは、「イギリス政府とジャーディン・マセソン商会(大英帝国)」である。
坂本龍馬のハンドラー(指令を出す人)であったトーマス・グラバーのグラバー商会は、ジャーディン・マセソン商会の直系商会である。坂本龍馬の亀山社中(後の海援隊)は、グラバー商会を通してジャーディン・マセソン商会が取り扱っていた兵器などを貿易していた。坂本龍馬は大英帝国に取って利用価値のある仕事をしていたのである。
ちなみに、ジャーディン・マセソン商会は、イギリス・ロスチャイルド家の直系企業であり、現在も「ジャーディン・マセソン・ホールディングス」という名前で存在する。

ここまでを見ると坂本龍馬はただのイギリスの傀儡として動いて用済みになったから殺されたように見える。
しかし、龍馬が暗殺された理由は、反戦争の志を抱いて大英帝国(イギリス政府とジャーディン・マセソン商会)の武力倒幕路線に反発し、戦争を起こさずに平和的に開国をするべく奔走したからである。
国家vs国家の戦争ならば、帝国側の国内の景気が戦争刺激経済によって一時的に上がるという帝国側のメリットがある。だが、国内紛争はいたずらに国力を疲弊させるだけである。大英帝国の目的は、日本を自国の属国として使役してロシア帝国に対する尖兵とするというものであった筈だ。
それならば、国内紛争を引き起こして国力を疲弊させた日本を尖兵として使役するよりも、国内紛争を起こさずに国力を保持したままの日本を尖兵としてロシアにぶつけた方がイギリス側にもメリットがあるということを、龍馬は自分のハンドラーであるトーマス・グラバーやトーマス・グラバーの上司であるハリー・パークス(当時の駐日イギリス公使。イギリスの対日工作員たちの親玉)に説いたのだと私、加地龍太は思う。そう思えてならない。
尤も、「そう思う」という部分については専ら私の主観であり、客観的で確実な証拠はないのであるが、坂本龍馬が「反戦争」をずっと主張し続けていたということは誰もが認めていることである。
アーネスト・サトウがブルー・プリントを作った「船中八策」の第一条を「大政奉還」に進化させ、武力倒幕派だった同志の中岡慎太郎を説得し、14歳のときにジョン万次郎から世界情勢の真実を教授されていた後藤象二郎を協力者として得て、彼らと協力して大政奉還を敢行させ、それゆえにイギリスによって暗殺されたのである。
戦争が起こり、日本が戦火で焼き尽くされることを嫌悪した龍馬は、言論で大英帝国側に反戦争を説いた。外交において最も重要視される「相手側のメリット=イギリス側のメリット」も説いた。
しかし、大英帝国はそれを拒否した。大英帝国に取っては、敵対するロシア帝国とフランス系列の政権担当機関である幕府を完膚なきまでに叩き潰さねば後々の日本管理の観点から見て不安だったのであろう。
坂本龍馬が大英帝国の武力倒幕路線に反発したのは、龍馬が愛国者であったからだと思えてならない。
「属国の人間」であるという現実的制約の下で、日本のために大英帝国の権力者どもに対して人間一匹で吼えた坂本龍馬は一生涯、私の英雄だ。

何かご意見がありましたら是非とも私のアドレスにメールを下さい。

加地 龍太 拝