重たい掲示板
書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。
旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください
書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください
※ログイン後に投稿フォームが表示されます。
Loginはこちら【823】[932]思ったことを書いた
「だれの言うことを聞くかだな」と思った。
「お金をくれる人の言うことを聞けばいいのかな」と思った。
【822】[931]実業と政治の本質
「副島隆彦の学問道場」学生会員 会員番号7416番
加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下「~だ。~である。」調にて、実業と政治の本質について思考したことを記載します。
政治家は、国家を運営する国家経営者である。
実業家は、自分の商いを経営する経営者である。
政治は悪魔の所業と言われる。国家という人間集団を経営する以上、
公共の福祉の名の下にマイノリティー(少数派)を犠牲にして前進してゆくことが正しいことだとされる。
政治家に取って最も大切なことは経世済民(経済)である。
経世済民とは「世の中を治め、人民の苦しみを救うこと。」である。
即ち、「国民の経済活動を守ること=国民を飢えさせないこと」である。(小室直樹先生 著作「日本いまだ近代国家に非ず」 参照)
この政治家に取って最も大切な経世済民を実行するために、敵対する政治家を犠牲にし、その人物に扶養されて生きている人間たち(家族や秘書や秘書の家族など)を犠牲にすることになったとしても、公共の福祉の名の下に政治家として無慈悲に決断し行動することが正しいとされている。
その政策活動によってマイノリティー(少数派)が犠牲になったとしても、
マジョリティー(多数派)である国民大多数が得をすれば、その政策を実行した政治家は英雄である。
以上のように、現実政治を動かすのは「人情」ではなく、徹底的に「政略」である。
実業は諸々の経済活動のことである。現在の経済学が研究の対象にしているのは、専ら「近代資本主義=アメリカ資本主義」である。
近代資本主義を成立させている原理は「淘汰」である。諸々の経済活動をしてゆく過程で、社会で需要が認められない会社は倒産(破産)し、需要が認められない個人は失業する。
この倒産(破産)と失業こそが、近代資本主義を成り立たせている原理である。(小室直樹先生 著作「小室直樹の資本主義原論」 参照)
以下に、参考にした「小室直樹の資本主義原論」から文章を引用する。
引用始め
市場の最大の機能は淘汰にあり。すなわち、失業と破産にあり。
市場は企業を淘汰して破産させる。労働者を淘汰して失業者とする。
破産した企業は市場から退出する。失業した(元)労働者も市場から退出する。市場から消え去る。淘汰されなかった企業と労働者だけが市場に生き残る。
生き残った企業は、資本主義市場に相応しい企業である。
生き残った労働者は、資本主義市場に相応しい労働者である。
いま、「資本主義市場に相応しい」企業を単に「企業」、同じく「資本主義市場に相応しい」労働者を単に「労働者」と呼ぶことにすれば、つぎの命題(文章)が成立する。
- 市場は労働者を作る。 -
また、
- 市場は企業を作る。 -
では、如何にして。
- 淘汰によってである。 -
資本主義は、労働者と企業とから作られる。資本主義のメンバーは、労働者と企業である。労働者と企業とがなければ、資本主義は生成も存続もできない。その労働者と企業とは、市場における淘汰によって作られる。
市場淘汰こそ資本主義の生命である。
市場で淘汰された労働者は失業者となる。市場で淘汰された企業は破産する。
ゆえに、
- 失業(者)と破産こそ資本主義の生命である。 -
という命題(文章)が成立するのである。
引用終わり
加地龍太です。このことからも明らかなように、実業を動かすものも
「人情」ではなく「実益」であるということが判る。
以上の観点から、実業と政治の本質は「悪」である。
極道者の世界=暴力界では、しばしば「人情」がヤクザ者=暴力団員たちを動かす原動力になることがあるようである。
尤も、暴力団も1つの人間集団である以上、集団として存続して集団として機能するために経済活動をしなければならない。集団が集団として機能するための要件は「資金源の確保」である。
それゆえ、暴力団員が「人情」で動くといっても、それは身分が低い連中がやることであって身分の高い連中は「組の実益」を行動の目的に据える。
これは実業家が「会社の実益」を行動の目的に据えるのと同じことだ。
そして、政治家(民族指導者)が「国益」を行動の目的に据えるのと同じことである。
私は暴力団の存在を容認する気はないが、政界も実業界も暴力界も
「実益=金銭」で動いているという現実を見れば、やはりこの世では「金銭を動かす権力者」が一番強いことになっているのだろうと思う。
この原理に基づき、今の所 世界の頂点になっているのはウォール街だ。
だが、今後数十年が経過すればユーラシア大陸が世界経済の中心地になっているのだろうと思われる。(副島隆彦先生 著作「中国バブル経済はアメリカに勝つ」「中国は世界恐慌を乗り越える」 参照)
以上のように、実業と政治の世界では「人情」は二の次だ。
第一に優先されるのは「実益」だ。「人情」は冷酷に言い切ればツールにすぎない。
尤も、現実的に考えて「人情」を蔑ろにする人間は成功しないだろう。
しかし、「人情」が実力を持つのは「実益」が確保されていることが前提である。
実業と政治は綺麗事では済まないのだ、と考えた。
何かご意見がありましたら私のアドレスにメールを送って下さい。
宜しくお願いします。
加地 龍太 拝
【821】[930]資格と信用と誇り
「副島隆彦の学問道場」学生会員 会員番号7416番
加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下「~だ。~である。」調にて、「資格と信用と誇り」について思考したことを記載します。
資格は信用の証だ、という意見を唱える人々が私の周囲に多々いる。
その意見には概ね、同意だ。だが、信用は自分自身に帰属させることが一番良いと私は思っている。
資格は、私に取ってはただの浮世の飾りだ。
「一廉(ひとかど)の人物」と言われている人間は皆、自分の人格に信用を帰属させている。
私の知っている身近な偉人たちもそうだ。私の母方の祖父母が身近な偉人たちの中で、最も偉大な人物たちである。
私の祖父母は、山形県の田舎から上京し「加地組」という土木会社を設立して約40年間、土木系の仕事をした。その過程で周囲の人々から信用を得た。元神奈川県知事である松沢成文氏や国会議員の笠ひろふみ氏などと交流し、地元を基盤にしている地方議会の議員さん方、地元産業の経営者の方々が時たま家に来る。
「加地組」をやめた今でも尚、そういう関係が続いている。
これは、祖父母に何かの資格があるからそうなっているのではない。
約40年間、信用を守って生きてきた結果なのである。
40年間の結晶が祖父母の信用になり、それが人格と名前に帰属している。
これこそが、本物の信用なのである。
副島隆彦先生も、「副島隆彦」という名前に信用が帰属している。
「この人の書いた本なら読む。」という人間が多々いるということが、
副島隆彦先生の名前がブランド・ネームになっていることの証であろう。
無論、私は反カルト宗教団体の人間ゆえ、カルト団体の白痴が教祖を妄信するように、生きている人間を妄信したりはしない。
客観的学問的な根拠や証拠に基づき、不確実性(ブラック・スワン)が支配する現実世界を出来るだけ正確に予測し、事実を立証する本を書いておられるからこそ、私は副島隆彦先生は信用するに足る人物だと思っている。
以上のように、浮世の飾りに過ぎない諸々の資格(たとえば学位など)に誇りを持っている人間は、はっきり言って第二流の白痴だ。
以上のことは、先日私が知人に語ったことでもあります。
何かご意見(この野郎、何を言ってやがる的な批判でも)がありましたら
私のアドレスにメールを送って下さい。宜しくお願いします。
加地 龍太 拝
【820】[929]「副島隆彦は朝鮮人だ」 とネットに虚偽を書く者たちへ反撃しておきます。
副島隆彦です。 一昨日の3月24日の 私たち学問道場の定例会(会員限定の講演会)を無事終えることが出来ました。
私は、あの日は、天候不順で低気圧だったので、初めはどうも話す気力が湧きませんが、後半部で 元気が出てきて、自分の話したい、今の金融・経済情勢の奇妙な変化の裏側の大きな真実を、思いっきり暴き立てました。おそらく日本一番優れた世界分析でしょう。
最後はいつも通り、皆で盛り上がって、気分が良かったです。会場に来れなかった会員の皆さんは、急いでDVDにしますから楽しみにしていてください。古村研究員のアメリカ政治の最先端の研究報告も充実していました。
私たちは、次は4月28日からの 「福島原発難民キャンプ・ツアー」に向けて活動します。私たちの学問道場にもっともっと多くの人が結集しますように、お願いします。
私は、今日は、ちょっと自分が気になったことを書きます。それは、私の友人たちから、最近、言われるようになったことがあるからです。それは、「副島。お前、朝鮮人だ、とネットであちこちに書かれているぞ。ほったらかしにしないで、はっきりさせておいた方がいいぞ」という助言でした。
だから、ここではっきり書いておきます。
私、副島隆彦は、朝鮮人であはありません。いわゆる在日 ( ざいにち。 Korean Japanese 韓国系日本人 )ではありません。 韓国・朝鮮系からの帰化 naturalization ナチュララザイゼイション した日本人でもあません。 私の家系に朝鮮人はいません。
このように明記しておかないと、どうも、私の本のあまり熱心な読者ではない人たちまでが、何の根拠もなく、「副島隆彦は朝鮮系らしい」などど、勝手な噂(うわさ)を立てるようです。私は、そんなくだらない風評に負けるような弱い人間ではありませんから、これまでずっとほったらかしにしてきましたが、やはり はっきりと書いておかないといけないと思いました。それでこのように書きます。
これらの私への悪質な人格攻撃は、私、副島隆彦を付け狙っている 謀略人間たちによる、私へのネット上での中傷(ちゅうしょう)、評価・信用落としの攻撃となっている。 彼ら、腐り果てた人間たちの一部は、明らかに現職の汚れた警察官たちによるものだ。
彼らの組織的なネット上への書き込みが見られます。 彼らは、植草一秀氏らにチカン逮捕攻撃の違法行為を働いた警察官たちのグループでしょう。この者たちは処罰されるべきだ。摘発して公務員法・服務規律違反で裁判に掛けなければいけないと思います。
それから、自分自身が朝鮮、韓国系の血が流れているが故(ゆえ)にか、みじめな人生環境のせいもあって、ひねくれつくし、ゆがみつくした人格になって、それで、人のことをあいつはチョーセン人だ、隠れ在日だ、と書き散らして回る人間たちがいる。 こういう人間は、軽度の精神障碍(害)者たちであることが多い。
私、副島隆彦は、「アジア人どうし戦わず。仕組まれた戦争を再びさせられることがないように、アジア諸国は団結しなければいけない」という政治思想を築いてきた人間だ。だから、私には人種差別はない。
今は、橋下徹(はしもととおる)大阪市長が大変な人気で、彼の「維新の会」が国政にまで攻め上がってくる、という感じになっている。私は、これも深く、初めから小泉純一郎とアメリカが仕組んでいる動きだと、分かっているから、一切、評価しない。
なぜ、橋下(はしした)徹を、2003年の日テレ(大阪だけなら読売テレビ)の電波網で、育て上げ、2007年の大阪府知事選(彼は、その甘いマスクと正直な言動のために、183万票を取った)の時も、すべての 大阪のメディア(テレビ、新聞)が、彼を持ち上げた。すべて、仕組まれて作られつつある、日本国民への扇動の動きだ。
その橋下徹人気への逆流で、「橋下徹は、部落民である。部落出身者である」という悪口と中傷が、最近、日本国内で半ば公然と話されている。初めは大阪の中だけでの明るい笑い話だった。大阪・阪神地方はとりわけそういう長い複雑な伝統を持っている。 ウィキペディアの橋本徹の項(こう)でもこのことは公然と書かれている。
こういういやな雰囲気が今、日本に広がっているから、私、副島隆彦へのチョーセン人攻撃に対しても、今、明確に反撃、反論しておかなければいけない。もう以後、2度と、「副島隆彦は朝鮮人だ」と書くな。そういう明らかな虚偽(きょぎ。ウソ)を書くな。
私の戸籍謄本や私の家系の調査でも分かることだ。法務省は、明治時代からの戸籍の記録をすべて握っている。今は内部に隠して公簿として公開しないが、法務省の官僚たちは何でも把握している。もし私の家系に朝鮮人や 部落民(「新平民」しんへいみんと書いてある)の記録があれば、必ず露見する。 私を攻撃したい法務省の官僚たちが、それとなく、それらを漏らしてばら撒くだろう。小沢一郎に対しても、そういう朝鮮系だという謀略攻撃を、自民党のよごれた連中がやった。小沢一郎にもそういう事実はない。
私自身の戸籍抄本で、昔、私が見た、自分の祖父や父の抄本には、「士族(しぞく。さむらい階級)」と書いてあった。どこまで遡(さかのぼ)っても私には朝鮮人の血筋はない。 私の副島の家は、佐賀の戦国大名の竜造寺(りゅうぞうじ)の家臣団にの一族である。だから、二度と、「副島隆彦はチョーセン人だ」と書くな。そういう人間たちこそ、チョーセン人の血が混じっている自分に恐れ戦(おのの)いているのだ。 いい加減にしろ、と書いておきます。
副島隆彦記
【819】[928]原発事故後に精神科入院、被ばく恐怖「影響」24%
会員の平田裕子です。
「自分は、被ばくしているかもしれない」という恐怖感が原因と思われる精神疾患で入院した人の調査についての記事がありました。
以下に転載します。
●「 原発事故後に精神科入院、被ばく恐怖「影響」24% 福島県立医大、県内の患者調査 」
2012年3月26日 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120326ddm001040073000c.html
東京電力福島第1原発の事故後に福島県内の精神科に入院・再入院した患者のうち、放射線被ばくの恐怖が関連した可能性のある人は24・4%と全体の4分の1に達したことが福島県立医大の調査で分かった。外来も事故関連とみられる新患は3割を占めた。原発事故が精神疾患へ及ぼす影響を示す事故直後のデータは世界的にもなく、同大は大規模原発事故や長期の避難生活などが心にどんな負担となっているのか患者の追跡調査をしていく。【鈴木泰広】
入院調査は同大神経精神医学講座の和田明助教らが、30病院に3月12日からの2カ月間のアンケートをし、27病院から回答を得た。
事故による転院などを除いた入院・再入院患者610人(男49%、女51%)のうち、被ばくへの恐れが関連あると診断されたのは12・1%の74人、関連があるかもしれないとされた人は12・3%の75人だった。関連がある患者の割合は原発に近い相双・いわき地域が23~27%と高かった。
関連があるとされた74人中震災前に精神科の受診歴がない人は9人いた。74人は事故後1カ月以内の入院・再入院が大半。年齢別では40~50代がほぼ半数を占めた。自宅の被災や、避難所生活をしていた割合が全体傾向より高く、大勢が集まる避難所のストレスに被ばくの不安が重なったケースもみられた。
一方、外来調査は三浦至助教らが77病院・クリニックに3月12日からの3カ月間(各週1日を抽出)を聞き、57施設が回答した。うつ病や不安障害などの新患410人を調べたところ、事故関連と診断されたのは19%の78人、関連があるかもしれないと診断されたのは13・4%の55人だった。計133人のうち、うつ病が最多で47人、急性ストレス障害・心的外傷後ストレス障害、適応障害がそれぞれ38人。半数近くが避難生活のストレスを抱え、4割が放射線の自分への影響、3割が子供など家族への影響の恐怖を訴えた。
チェルノブイリ原発事故でも放射線が精神面に与える影響が報告されているが、10年程度たってからの調査だった。同大神経精神医学講座の丹羽真一教授は「事故の影響は大きいという印象だ。除染も他人より自分でしたほうが安心できる。住民参加で放射線被ばくの不安を軽減する取り組みも(精神的負担を減らすために)重要だ」と話している。
(転載終了)
「放射能コワイコワイ」と煽っている人は、その煽りが原因で、精神疾患を起こしてしまい入院した人がいることを知って、反省してほしい。
そしてもう、「放射能コワイ」と煽る言動を止めてほしい。
放射線の影響による発ガンよりも、やはり心的ストレスから発病してしまうことを懸念すべきです。
私たちは、ただ闇雲に放射能を怖がるのではなく、自分のアタマで考えて、知識と情報を得て行動すれば、「被ばくの恐怖」というストレスからは少なくとも解放されると、私は思います。
【818】[927]福島本部活動日誌です77
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年3月11日の日誌です。
10日午後9時から午前6時までネットカフェに居ました。
ほぼ満席でした。
近くに座った、外国から来ていた二人が・・・・・・・・・とてもうるさかったです。
NGOの人のようでした。今日、郡山市開成山野球場である「原発いらない!3・11福島県民大集会」に参加する人達なのでしょうか。
(なお、この時は、この集会に行って、脇で写真を撮る予定でいました。後で電車の時刻表を見たら、行かなくて良かったです。)
午前6時、ネットカフェに定額で居られる制限時間になってしまったので、ネットカフェを後にしました。
外に出ると、郡山駅前では「こおりやま元気発信フェスティバル」二日目の準備が進んでいました。
郡山の駅ビル入り口には、震災から一周年を祈る張り紙が貼られていました。
駅ビルのロッテリアで少し休もうと思ったのですが、まだ開いていませんでした。
(写真は開いた後の画像です)
なお、郡山駅前の歩道橋は、一部使用出来なくなっていました。
駅前のマクドナルドに3時間居ました。
私の先に、ネットカフェでうるさかった二人が店に入っていました。
私が入店してから50分後、別の外国籍と思われる二人が入店しました。
午前9時7分、郡山駅の構内で、目の不自由な人を、マスクをした人が助けていました。
午前9時10分、郡山駅前の「こおりやま元気発信フェスティバル」の準備はかなり進んでいました。
郡山陸上自衛隊のテントは、タイベックのようなスーツとマスクが新たに展示されていました。
9時20分の郡山駅前大通りは、かなり交通量が多かったです。
(写真だと、少ない印象があるかもしれませんが・・・)
大通りを少し中に入ると、そっち系のお店の広告がありました。
「フォトショップの力を借りた広告なのだから、この広告も、ある意味二次元?」と間抜けなことを考えました。
午前9時44分、「原発いらない!3・11福島県民大集会」に参加すると思われる人が、旗を持って郡山駅内に立っていました。
午前9時55分、「原発いらない地球のつどいプログラム」の二日目に行きました。
やはり、マスクをしている人が目立ちました。
午前10時15分から6箇所に分かれてのテーブルトークをしていました。
最初は、ドイツからやってきたFOEという団体の2人がいる所に行ってみましたが、話がよく聞き取れませんでした。
今日も別な外国人のカメラマンが来て、写真を撮っていました。
途中から隣でやっていた、「避難者」の人が話をしている所に移りました。
事故後に郡山市から川崎市へ移ったそうです。
「母から『変な宗教団体に入ったのか、煽るな』と言われたことがあるけれど」と言っていました。
途中から山下俊一氏への口撃になっていきました。
途中でSさんとIさんと、偶然会いました。(7/9と7/10に事務所に来た方です)
2人は、午後2時からイベントを開催すると伺いましたので、「原発いらない!3・11福島県民大集会」ではなく、そっちに出てみることにしました。
午後0時に反原発イベントが終わった後、大会議室外のフロアは、暫く人が溜まっていました。
午後1時に建物の警備員が「やっと原発の人は帰りました」と無線で連絡していました。
この後、参加者の多くは、午後1時から始まる「原発いらない!3・11福島県民大集会」に行ったようでした。
郡山駅前からのバスに、超満員のものが続いていました。
(←バス停に並んでいる人達です)
郡山駅に戻って磐越東線の時刻表を見てみると、加藤さん達と合流するには、午後3時10分郡山発の電車で帰らなければならないことが判りました。
結果的にですが、「原発いらない!3・11福島県民大集会」に行かなくてよかったです。
午後1時、「こおりやま元気発信フェスティバル」の会場を少しだけ歩きました。
船引町が出していたテントに行って、元祖と言われる、かりんとう饅頭を購入しました。
午後2時から、Sさんのやっていた復興チャリティイベントに出てみました。
最初に、「スズカゼ」というバンドのライブがありました。
福島市出身者と浪江町請戸出身者によるバンドでした。
http://www.youtube.com/watch?v=e4-cZADHo6Y&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=KQP9WIPRwHc
http://www.youtube.com/watch?v=f3n0Om1Kpxs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=4dgfESUstf8&feature=related
その後に、新知町の旅館の女将さんが、地震の際の体験談をしました。
もっと話を聞いていたかったのですが、電車の関係上、3時に帰らざるを得ませんでした。
率直に、いいチャリティイベントでした。500円だけのチャリティでは、少し申し訳なかったです。
窓の側に、祭壇のようなものが置いてありました。
午後3時10分の電車で船引駅に戻りました。
午後4時、船引公民館には、なぜか車が一杯停まっていました。
午後6時15分、ダイユーエイト船引店で、加藤健二郎さん達と合流しました。
前回も都路に来た、加藤さん、Yさん、Kさんと、新たにお会いしたHさんと一緒に、ダイユーエイトで明日の炊き出し用の買い物をしました。
ダイユーエイトには、除染対策コーナーができていました。
午後7時、閉店間際だった常葉町の肉屋に入りました。
Yさんが、馬刺しを購入していました。
私は、402円の牛タンを購入しました。
午後7時40分に事務所に帰りました。
午後8時半くらいには、疲労で寝てしまっていました。
(転載終わり)
日誌には書き忘れたことだったのですが、郡山駅前の満員のバスを、おそらくは地元の若者であろうグループが見て
「あぁ、今日が県民大会だっけかぁ」
と言っていました。
あの時の、揶揄なのか自嘲なのか私にはわからない、酷薄な口調が、どうしても印象に残ってしまっています。
【817】[926]福島本部活動日誌です76
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年3月10日の日誌です。
情報の取捨選択が出来ていませんが、ご容赦下さい。・・・これでも非常に削りました。
午前6時に起床し、外出する準備をしました。外に積もっているかなりの雪は、そのままにしておくしか有りませんでした。
午前7時、バスに乗って船引駅に行き、磐越東線で郡山駅に行きました。
午前8時、郡山駅に着きました。
駅には予備校の宣伝と、テレビの地上デジタル化についての広告がありました。福島も3月31日でアナログ放送が終了します。
なお、地デジカを見ると、ネット上のAAであるクマー(英語圏ではPedobear)を思い出してしまいます。
郡山駅前では、雪の5センチ積もったバスが走っていました。
午前8時半、郡山駅前では「郡山元気発信フェスティバル」というイベントの準備がされていました。
お笑い芸人やミュージシャンを呼んで行われるイベントのようでした。
ふくしまFM、生協、その他企業などのテントがありました。
その中でも、郡山の陸上自衛隊のテントが、開始前からがかなりの数の人が尋ねていました。
活動中の写真や作業服、それにマスクや手袋等が展示されていました。
最初のステージでの演奏が、郡山の陸上自衛隊による演奏が予定されていたこともあり、ステージ上で打ち合わせをしていました。
駅前から少し離れた通りでは、商工会議所のテント、飲食物を用意したテント、田村市船引町のテントなどが設営されていました。
午前9時半、「郡山元気発信フェスティバル」の開催式がありました。
市長など、代表して挨拶をした4人の中に、遠藤雄幸川内村村長がいました。
(写真の向かって一番右に写っている人です)
午前10時、郡山駅前のビッグアイでやっていた「原発いらない地球のつどい」という反原発のイベントに行きました。
(あらかじめ申し上げておきますが、私はこの集会に来た人の大部分とは、かなり考えが違います。念のため。
彼らの主張も聞いておきたかったので、行ってみました。
・・・ただ、こういうイベントに出るということは、反原発の人間だとみなされてしまうのでしょうか・・・。)
エレベータ付近の部屋では、食品の放射能測定が行われていました。
来ている人は、独特の雰囲気を持っている人が多かったです。(わかりにくい例えですが、経産省付近に行った時、道を歩いていたスーツ姿の人達と反対の雰囲気でした。)
3月11日もそうだったのですが、マスクをしている人が1割いました。
福島の空気は吸いたくない、という気持ちなのでしょうか・・・。
大会議室では、大型のシンポジウムが行われていました。
第一会議室では、原発関連の映画の上映会がおこなわれていました。
第三会議室では、「ふくしま集団疎開裁判」の会による記者会見があったそうです。
特別会議室では、健康相談をしていたそうです。
私は午前10時から午後0時20分まで、第二会議室で行われた「福島原発の現状は?」という説明会に行って、話を聞いていました。
これがとても良かったです。
講演者は、チェルノブイリの事故後に反原発運動をしてきたらしい「たんぽぽ舎」の、原田裕史氏でした。
原田氏は冷静に、東電のサイトの情報を使って話をしていました。(正直、原田氏の後も、こういう話を聞きたかったのですが・・・)
原田氏の話で覚えているものを書き出しますと
「現場には1.5mSv/h(1500μSv)という場所もあり、原発作業員が「去年までとは桁が違いすぎる」と言っていた。去年までは20mSvになるのは全国で十数人だったのだが、今年は作業員が片っぱしから20mSvになってしまっている」
「原発労働者は、一ヶ月どころか、数日で20mSv溜まってしまう。電力会社での仕事は1ヶ月ごとの契約なので、そうなるともう、被爆労働ができなくなってしまう」
「ICRPの勧告によると、一年当たり20mSvの被爆を50年間受け続けると、5%の人が癌になる」
「今働き盛りの人が、「20mSvになったから、貴方はもうここで働けない」と言われて、納得するかという問題になる。自分も、「65歳で癌に5%なるけど、仕事する」と言われれば、仕事をする方を選ぶと思う」
「3月から、作業員は250mSvまでOKという話があった。(←聞き間違い?)本当は、緊急事態でも100mSvまでなのだが・・・」
「原発労働者は、12月に終息宣言が出てから、危険手当が出ていない。東電も年度末なので予算をケチっていて、それで更に水漏れ等で被爆が増えている。これはネットに載った情報や、作業員に直接聞いた話」
「20mSv/yの基準だと、明らかに作業員が足りなくなるだろう。来年には足りなくなるだろう。人数自体を増やすか、20mSvという基準を緩和するか、になる。かといって、強制は出来ないので、原発での作業が、皆が仕事したくなる所にしなければならない」
「放射性物質の農作物からの検出は、思ったより低い」
「福島の人間が黙っているのに、東京の人間が郡山ででもやるな、と言われた。福島の人が声を挙げてもらえないと・・・」
「海に流れた放射性物質は、対策は無い。海の底に沈んでいくのを放置するしかない。水産資源についてだが、ひじきでは出ているけど、三陸のわかめでは出ていないなど、局所的な影響」
「(原発は米国の技術なのだから、指揮系統も米国に任せたらどうか、という意見に対して)米のメーカーの設計だけれど、それが米政府の責任かと言うとそうではない」
「(仏の核技術についての質問に対して)私は仏の核技術を信用していない。ぼられるだけ」
「原発作業員の日当は、¥12000らしい。三年前の放射性業務従事者は75988人で、殆どは1mSv以下。7人だけが20mSvをover。今年のデータがどうなるか怖い」
「放射線の害にはもちろん閾値が無いが、小さければ小さいほど問題ない。100mSvを下回るデータは、誤差が大きくなりすぎて、よくわからなくなる」
「放射線業務従事者は、20mSv/yが50年間続くと、5%の人が、その仕事を選んだという理由で死ぬが、大人がきちんとした説明を受けて、それでその仕事を選ぶか、という問題になる。もっと危険な職業は一杯ある。「これくらいの危険がありますが、貴方はこの給料で働きますか?」と言われて、NOと言う自由があるのなら、それでいいじゃないか、というのがICRPの考え方。リスクを引き受ける人と利益を受ける人が同一人物ならば、リスクと利益は見合っているか、という問題になる」
「実は医療で使われるレントゲンからの被爆は相当に大きく危険な作業。ある英の学者の計算では、日本の癌の3%はレントゲンによるものだとしている」
「(今後の見通しを訊かれて)少なくとも10年くらいは落ち着かないだろう。今にも倒れそうな建物中に、使用済み燃料があるのは、とても不安。2年以内に取り出し始めて欲しい。本当は、使用済み燃料を取り出しても、安心できないのだが。融け落ちた燃料を回収するのは、何十年とかかるだろう」
「自分はどうも安全寄りに見る癖があるようで・・・甘かったら申し訳ない・・・」
「(余震について訊かれて)今の福島第一原発の状況だと、大して強くない余震でも大事になりそうなので心配。今一番心配なのは4号機。東電はプールの下に鉄骨入れてコンクリートを流し込んだようだ」
「(はやぶさについて)はやぶさを喧伝することに疑問があるというのは、はやぶさの成功というのは、実は日本が、大陸間弾道弾の技術を完成させたということ、つまり、潜在的核抑止力を持ったということ。それを世界に示しているから」
「潜在的核抑止論の立場から見ても、2基の東海村にある型の原発があれば大丈夫。54基も軽水炉を持っておくのは、国防上疑問」
「(コンクリートを突き抜けているのではないかと訊かれて)私はそれは無いと思う。一年経って抜けていないのだから、これからも突き抜けることはないと思う」
「東電が放射性物質を撒き散らした事はとても許せないが、致命傷でないものにどれだけのコストと労力をかけて対応できるかは、非常に難しい。社会全体で余裕が有れば、その分だけ皆の被爆を減らしていける」
といったものでした。
質疑応答で
「郡山で新幹線を降りたら、放射能の影響か、空気が痛いと感じた」
「放射線の線量が高い所に行くと、喉がひりひりするとか、頭痛がするとか、そういう体験が私にはある」
という質問者がいました。
「それは、標高が少し高いからか、あるいは排ガスのせいじゃないのか、あるいは、偽薬効果ではないのか」と突っ込まれたらどうするんだろう・・・とは思いましたが、自重しました。
是非、国道399号線の北半分を通って、体がどの地点でどのように反応したか、記録していただければ幸いです。(冗談でなく、ちゃんとした記録になると思うのですが・・・。)
(・・・ところで「放射能は知覚出来ないから怖い」のではなかったのでしょうか?)
原田氏の講演が終わった後、第一会議室で上映されていた映画の一つを作った日本人と、アイルランド人の反核活動家(?)の人が、飛び入りで挨拶をしました。
前者の日本人は
「例えば、事故の後に鼻血が出た子供たちが多く出たというのは事実であり、それは放射能とは関係無いという知ったかぶりをしている学者はたくさんいるが、そういう人の話は聞く必要はない。僕ら自分自身が感じていることを大事にして欲しい」
と言っていて、かなり退きました。
(話を聞いて反論するべきだと思うのですが。それは思考停止では・・・。)
外国人のカメラマンと思われる人もいました。
終わった後に原田氏は、講演を聞いていた人と話していて
「原子力とは太陽信仰。1950年代に科学者は『太陽のエネルギーを自分たちも使えるようになった』と思った」
「もちろん東電が放射性物質を拡散させたことは大変腹が立つし、責任を追及しなければならないが、放射性物質による人体への害はどうも無さそうだ」
と言っていました。
午後0時半、大会議室を覗いてみました。
経産省前の反原発テントで見かけたバッジが売っていました。
緑の党のチラシが配布されていました。
私が気になったのは、とあるチラシに書いてあることでした。(写真を撮っておけなかったのが失敗でした・・・)
そのチラシの団体は、自分達の活動の一つとして、風力発電に反対しているようでした。
私自身も風力発電には反対ですし、堂々としていて立派だと思いました。
それでも、今後のこの団体は脱原発の中で肩身が狭くなってしまわないか、少し心配しました。
午後0時50分、郡山駅前を通りがかった際、郡山駅前の寄せ書きはカラフルになっていました。
(下の画像は、それから2時間弱経ってからの画像です。女性を撮影しているカメラマンの人がいました。)
午後1時から午後2時まで、「郡山元気発信フェスティバル」の食品を売っているテントを覗いてみました。
出ているテントが多すぎたので、迷ってしまって、結局食べないでしまいました。
相馬双葉漁協か南三陸町が出していたテントで食べてあげればよかったです・・・。
あるテントでは、どういうわけかレトルトの水戸納豆カレーが置いてありました。
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/50919414.html
学校が集まって出している箇所では、車への寄せ書きがされていました。
大通りを挟んで反対側200メートルほどの所には「放射能防護食と言われる葉酸米を使用」という表示のあるテントがありました。
午後2時、疲れたので、うすい百貨店で少し休みました。
うすい百貨店は、銀座や新宿にある百貨店と同じような店が入っていました。
amazon等の影響は少ないのか、都内にある百貨店よりも賑わっていました。
9階には、大変立派なジュンク堂が入っていました。
これだけ立派な本屋があれば、東京より立派な文化的生活が出来ると思いますし、お勉強にも困らないはずです。
ライトノベル系の品揃えも早く、ちょうど発売日だったものが既に本棚に並んでいました。
(下の画像は、一応学習参考書ですが、外観はライトノベル風でした・・・。)
10階では、北海道の物産展が開かれていて、200人くらいの客で混み合っていました。
ROYCEという洋菓子店には40人弱の列が出来ていました。
(←写真では列が続いているのが確認し辛いです)
・・・休みに入ったはずが、疲れて百貨店を後にしました。しかも何も買いませんでした。
午後2時45分にビッグアイに戻りました。
ずっと続いていた大型シンポジウムの声明が発表されているようでした。
大会議室の入り口では、「西日本中心の減農薬野菜」が無料配布されていました。
カメラマン達が最前列に出て、写真を撮っていました。海外からのカメラマンもいました。
郡山駅で少し休みました。
郡山駅に入っている本屋の原発コーナーで本を物色しました。
レジ近くに置いてあった『東日本大震災原発事故ふくしま1年の記録』(福島民報社)を購入しました。
午後3時半から午後5時半まで、鎌田慧氏の講演会を聞きました。
会場は超満員で300人以上は居た筈です。
鎌田氏は、1982年以来の強固な反原発の人です。
(http://www.amazon.co.jp/日本の原発地帯-1982年-鎌田-慧/dp/B000J7PYS2/ref=sr_1_5?s=books&ie=UTF8&qid=1332168436&sr=1-5)
ある質問者は「福島第一原発30km内にある自治体に葉書を1万通送って、原発の再稼動に賛成しないように働きかけている運動をしているが・・・」と発言していました。
私は唖然としましたが、この場にいる人たちにとっては、この行動は「正しい行い」のようで、異論は無さそうでした。
午後5時半、主催者の女性の一人が、とりあえずの区切りの挨拶をしました。
その際、
「福島県民の方は、差し支えなければ、手を挙げて貰いたいんです」
と言って、挙手してもらった後
「福島の状況を多くの方に見て頂きたいと思って、県外からおいで頂きたいのはあたりまえなのですが、福島県内でこういう会場に足を運んでくださる方は、実は、もうかなり少なくなっています。当初の頃は、本当に『どうなっているんだ!』ということで、来て下さる方たくさんいたんですけれど、そういう中で今日の講演会だったので、ちょっと心配していたんですけれど、今日は多いようで安心しました」
と言っていました。
午後5時57分、郡山駅前で「春蛍」という名前がつけられた、キャンドルライトの点灯式がありました。
(ただ、午後8時に雨が降り出した後、急いで片づけられていました。)
午後6時20分、郡山のアニメイトに行きました。
何かを買ったわけではなかったのですが、いるだけで心が落ち着きました。
午後6時40分、店仕舞い間際の、うすい百貨店で夕食を買いました。
半額以下になっているものを購入できて満足でした。
同じ食料品フロアで洋菓子を売っている店は、売り切れの商品が多かったです。
どうも、物資不足という感じではなく、人気があるから売り切れていたようです。
午後7時、再びビッグアイの反原発イベント会場に戻りました。
ヨガ、ダンス、(ジョン・レノンの歌った)imagineの演奏、などをしているようでした。
私には合わなかったので、外に居ました。
「思いやり予算を凍結し、被災地救援に充てることを求める要請」に署名をしている人は、東京都、静岡県、千葉県、と住所欄に書いてありました。
『「さようなら原発」一千万人署名市民の会』による署名の紙も置いてありました。
(「呼びかけ人 内橋克人 大江健三郎 落合恵子 鎌田慧 坂本龍一 澤地久枝 瀬戸内寂聴 辻井喬 鶴見俊輔 〒101-0062東京都千代田区神田駿河台3-2-11 総評会館1階 原水禁気付 」と書いてありました。)
午後8時5分、ネットカフェに向かいました。
途中で見たバスの絵柄は、1年前に流れていたACのCMを思い出させました。
http://www.youtube.com/watch?v=Bsk2ioK0Lrg
ネットカフェに行ってみると、料金が定額になるのは、午後9時からだったので、暫く待っていなければなりませんでした。
午後9時、ネットカフェに入りました。
とてもうるさかったのですが、その割には休めました。
ACのCMを思い出したことから、以下のような動画を見ていたので、心が落ち着いたのかもしれません。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13936200
その後、茫洋とパソコンをいじっていると、インドネシアであった、芸能人の流出性行為動画に辿り着きました。
http://jp.wsj.com/japanrealtime/blog/archives/4435/
ネットカフェで観るのは回りに迷惑かと思い、観ませんでした。
そこに映っているらしい芸能人の画像を見て
「恋愛は美男美女がするものであって、俺がしても3流のコントにもならんなぁ」
と再確認しました。
寝る間際になってから
「脱原発運動による獲得目標って、古い原発を新型の安全とされる原発に置き換える~せめて安全装置を新しくする、という、まずは次善の対応を求めるものにはならないかな・・・。それは脱原発を主張する人達にとっては、原発が確実に残るという事だろうから、やっぱりならないだろうな」
「50年前の原子力って、今の再生可能エネルギーみたいな期待を受けてたのかな。もしも、将来の再生可能エネルギーが、今の原子力発電のような鬼っ子になってしまったら、やっぱり袋叩きにあうのかな。そしてその場合、誰が責任を取るのかな。・・・それ以前に、今回の原発事故で、誰が責任を取るべきで、実際に責任を取ったんだろう」
「原子力の出す廃棄物とそれに伴う被爆と、石炭&石油の出す大気汚染、どちらの方が良くないのだろうか。それについてのデータはあるのだろうか」
「会場で聞いた「原子力発電を止めるべきであり、且つ、電力料金の値上げは許されない」という会話は、心情的には理解できないでもないけど、やはり弱いと思う。この前聞いたラジオ番組で「東電に金がなくなった事で、原発作業員の安全対策が弱くなってしまった」と言っていた。まず最初に、とある物事を主張した本人が、率先して身銭を切らなければ、説得力は生まれない」
「もしも、どうしようもなく電気が足りない、となったら、やはり原子力発電は再開されるのかな・・・」
「これから中国やベトナムは原発を作るって聞いてるけど、それについて事故を起こした日本が関与していくのは、説得力が有るのか無いのか、どっちなんだろう。多分ないだろうな・・・。それ以前に、他国に口出すのはNone of your business.とか言われてしまいそうだな。とりあえず、事故が起こったときの沈静化は日本の経験が役に立つだろうけど(汗)」
「日本の採るべき対応ってどんなのだろうか。日本国内では、事故が起きてしまったという事実が重たいので、原発推進は出来ないしすべきではないと思う。海外での日本が関連する原発事業は進めつつ、それ以外の他国がする原発の推進は今回の事故を喧伝して抑制する、という二重基準を振りかざす事くらいしか思いつけない」
「・・・そもそもこんなことを私がここで考えたって仕方ないよな。・・・そんなことよりオナニーだ!(http://dic.nicovideo.jp/a/そんなことよりオナニーだ!)・・・いやいや、ここでは、周りに迷惑だからしないけどさ。っつーか、生きててスイマセン」
と漠然と考えました。
やはりこういった物事は、半分寝たような足りない頭で考えるべきものではありませんでした。
よくもまあ、汚い文字でこんなメモをしていたものです。ローリンソンやシャンポリオンの気持ちを、少しだけ分かった気分になりました。
(転載終わり)
【816】[925]福島本部活動日誌です75
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年3月7日の日誌です。
3月10日と11日に郡山で「原発いらない地球のつどいプログラム」という脱原発の集会があるので、時間があったら行ってみます。
原発で働いていた人の記事を、しみじみ読みました。
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-54.html
こちらも、しみじみ聞いてしまいました。
http://www.youtube.com/watch?v=U0qs591EOfo
午後7時半、クローズアップ現代で「アニメを旅する若者たち“聖地巡礼”の舞台裏」を放送していました。
夕食は、ご飯、納豆、カレー、味噌汁、ほうれん草を炒めただけのもの、でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月8日の日誌です。
燃えるゴミを2袋出しました。
洗濯をしました。
珍しく、朝食を食べました。
ご飯、長井さんから頂いたフライドチキン、カレー、でした。
金が有ったら、これ買いたいです。特に今の時期は、このアニメの原作中に出てくる岩手県代表の学生達には、是非頑張ってほしい所です。
けど、牌は勿体無くて使えません。というか、そもそも私麻雀のルール分かりません・・・。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B005QUKOOQ/newakibacom00-22/
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月9日の日誌です。
ビンのゴミを、迷った末に出しませんでした。あと一月なら大丈夫そうです。
一日、雪が降り続いています。
(3月10日午前6時現在、さらに雪が降り積もっています。)
明日は郡山に行く用事があるので、心配です。
(転載終わり)
【815】[924]福島本部活動日誌です74
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年3月6日の日誌です。
4月末の「難民キャンプ見学ツアー」で、ビッグパレット以外で、郡山駅前で見られるところが無いか、探しに行きました。
なお、結論から言うと、4月に見るべき所はありませんでした。(←別に郡山駅前を馬鹿にして言っているわけではないです、念のため。4月に行くところが変わっているからです。多くの人を激しく惹き付ける観光地、というものが、そうそうこの世にあるわけはないです。秋葉原だって、本当の良さは1年通い詰めてみないとわからないです)
午前6時29分発のバスで船引駅に向かいました。
古道小学校前で一人、岩井沢小学校前で一人、高校生が乗車しました。
午前7時26分船引駅発の電車で郡山駅に向かいました。
磐越東線は、通勤通学の人がかなりいました。
郡山駅前では「安積高校運動部」と背中に書かれた服を着た高校生が、バスに乗り込むところでした。
この人達がTさんのような有為の人材になっていくのか・・・と思い、胸が熱くなりました。私もこういった、都道府県内でトップのエリートさんになってみたかったです。
郡山のコンビニで、電気代を振り込みました。40339円でした。
朝食を食べる所がなかなか見つからなかったのですが、630円のバイキングがあったので、そこで食べました。
美味しくはありませんでしたが、安くてよかったです。
(なお、ワシントンホテルの朝食は、非常事態ということで、宿泊者限定となっていました。)
郡山駅前にある複合施設のビッグアイでは、1階で、漫画家のサインの展示会が行われていました。
なぜか、頭の中に「電源交付金、倍プッシュだ」という言葉が「ざわざわ・・・」という効果音と共に浮かんできました・・・。
その言葉が出てきたのは「太陽のせい」と言いたかったのですが、生憎、今日の郡山は曇り空で時折雨が降っていました。きっと、寝不足のせいです。
ビッグアイには、高層部に、アストラゼネカや武田薬品工業、ソニー生命などが入っていました。
高校や、公共施設、レストラン、花屋、服屋、も入っていました。
郡山駅西口は、0.426μSv/hでした。
午前11時20分、船引に電車で戻りました。
船引パークに行きました。
船引パークのタクシー待合所には、60歳くらいの人達が座っていました。
「ずっと昔、原発で働くと一日8000円になった。それで満足して自分たちは何も考えなかったから、今度の事故が天罰として起きた」
と言っていました。
スーパーの待合所などで一日中時間を潰すのも、意外な情報収集になるのかもしれません。
船引駅から南に1kmほどのところにある仮設に行こうとしたのですが、迷って行けませんでした。
リオンドール近くに建築中のアパートは、既に満室御礼となっていました。
cctv(中国中央電視台。日本のnhkに相当。資金が豊富らしい)の取材陣が、リオンドールに来ていました。
店員にインタビューをしていました。「放射能の影響は無いと、このスーパーでは考えているのか?」と質問していました。
野菜の陳列所を重点的に撮影していました。
インタビュアーは、少し外の喫煙所でタバコを吸っていました。
その後、買い物客にインタビューしていました。
地元の生産者が作った野菜を置いてある場所が、取材陣の特に興味を引いたようでした。
駐車場から車で去る前に、店舗全体を撮影していました。
車は、足立ナンバーで車はハイエースでした。
東京のレンタカーでしょうか。
cctvの取材陣が帰っていった後、バスまでの時間が無かったので、急いで550円だけ買い物をしました。
バス停に向かうと、偶然、みや古旅館のご主人が349号線と288号線の交差点で私を見つけ、事務所まで乗せてくれました。
大変に助かりました。
車内でご主人と話したのですが、今年はかなりの雪だそうで、いつもはこんなには降らないそうです。
事務所に戻ってから、灯油を60リットル補給し、ボイラー用のタンクに補充しました。
灯油は2円値上がりして、1リットルあたり95円になりました。
陽当たりの悪いところにある雪を、30分かけて退かしました。
ホットハウスの駐車場に、ナンバーの無い車と、神戸ナンバーの電気工事車両が駐車してありました。
今日は常葉公民館で午後6時半から、健康に関する説明会があったのですが、バスの時間の関係上、私は行けませんでした。
外風呂の近くに、首が取れた鼠の死骸がありました。
(転載終わり)
【814】[923]福島本部活動日誌です73
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年3月2日の日誌です。
建物の外は、一日中雪が降り続き、かなりの積雪になりました。
吐き気は収まって、悪寒だけになりました。
午後5時、長井さんが来ました。
夕食として、酒類、ご飯、Kさんから頂いたちゃんこ鍋、をお出ししました。
ご飯を食べながら長井さんが「都路の辺りは人が住むのに適した場所じゃないなあ」と言っていたのが印象的でした。
長井さんに無理を言って、明日のお味噌汁を作ってもらいました。
長井さんは、なんと外風呂に入りました。雪見風呂とは・・・風流な方です。
長井さんにホワイトアルバム2というエロゲーをお貸ししました。PCにインストールして頂けるかどうかは、神のみぞ知るところです。
午後10時48分、大型トラックが事務所脇の288号線で、ハザードランプを点灯させながら停まっていました。
通りがかったパトカーと応答してすぐ、問題が解決したようで、288号線を帰っていきました。
3日午前1時、どうしても雪を退けておかなければならない所を、雪かきしました。
・・・風邪でもなんでも、やらなければなりませんでした。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月3日の日誌です。
朝起きて、ご飯と味噌汁だけで長井さんと朝食を頂きました。長井さんの味噌汁は美味しかったです。
朝食を食べた後、長井さんは南相馬に出発しました。
朝、Zさんからチャットで、円安はどれだけ続くのか訊かれました。
どう答えたらいいのかわかりませんでした・・・。
雪を適当に退けました。
やっぱり風邪引いてる最中は、余りやらない方がいいです。
夕食は、余り物を処分するためのカレーと味噌汁でした。自分で言うのもなんですが、マシなものができました。
カレーには、キャベツ、豚肉、ピーマン、砂肝、ハーブのオリーブオイル漬け、が入りました。
味噌汁には、豚肉、豆腐、納豆、雪菜、しめじ、チンゲン菜、ネギ、舞茸、が入りました。
・・・まあなんといいますか、全部、風邪を引いていた頃に食べられず、半分腐っていた食材ばかりでした。特に豆腐は、賞味期限が2週間切れていました。
たまにはこういった、豪勢なのか残飯なのか判断に苦しむ食事もいい、と思いたいです。
なお福島では、オリーブオイルが寒さで凍結してしまうので、オリーブもこみち(http://spon.me/archives/51740538.html)になるのは、なかなか難しいです。
ご飯を食べられるようになったので、風邪がこのまま治ってほしいです。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月4日の日誌です。
一日ぶっ倒れて休んでいました。ある程度は快復しました。
(休むなどと言っておきながら、空いている時間で溜まっていた日誌を、出来るだけ書きました。こんなんだからいつまでも風邪が治らないのかもしれません。)
夕食は、カレーライス、味噌汁、ヨーグルト、でした。
5日午前1時20分、長崎県警の人が事務所に来て、見回りに来たと言って、いくつか尋ねてきました。
いわきの方から見回りに来ているそうです。
長崎は雪が降らないので、ここは大変だと言っていました。
また、20km内外共に、人が少ないので、今でも空き巣の被害が多い、と言っていました。
警察官が帰ってから、雪が激しく降り出しました。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月5日の日誌です。
ガイガーカウンターの電池を替えました。
変えた時点で、6605時間経過し、γ線の累積が1.673mSvでした。
昨日から、検問所方面から帰ってくる車が目立っています。
喉はまだおかしいですが、快復した、と思いたいです。
過去の日誌を書き切りました。長かったです。
いつまた、大量に溜まってしまい、四苦八苦するのでしょうか・・・。
髪をバリカンで坊主にしました。
夕食は、カレー、味噌汁、長井さんから頂いたフライドチキンでした。
(転載終わり)