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副島隆彦 投稿日:2012/04/09 05:20

【827】[936]橋下徹氏が、政府(=野田政権)の増税(=消費税の値上げ)法案に対して重要なことを書いている。

副島隆彦 です。 今の日本政治で、電撃作戦(ブリッツクリーグ)的な勢いを持っている橋下徹(はしもととおる)大阪市長が、自分のツイッターで重要なことを書いている。 注目に値するので、その全文を以下に載せます。

 以下のツイッターの文で、橋下氏は、極めて重要なことを自分で書いている。一言で言うと、「国民は民主党に消費税増税する権限を与えていない」である。この主張は重要だ。 私たち民主党に投票した国民は、私、副島隆彦も含めて、2009年8月の民主党のマニフェスト(選挙公約、国民との約束)を支持して、投票した。

 それは、「民主党が政権を任されている間は、消費税を上げない。諸改革をやって国民の経費を作り出す」というものだった。それを、今の野田佳彦 や、 前の菅直人は、裏切った。

しかも、その裏切り=大きな約束違反を、総選挙(=衆議院選挙のこと)をやらずに、国民の判断を得ないで、なし崩しで行った。 

 「増税路線が規定路線(きていろせん)になったら、たとえ増税法案が可決しないでも」年内に衆議院の解散、総選挙を行う。そこで野田政権はお払い箱だ。増税は、野田たちのせいということにして、選挙を行い民主党を不人気で負けさせ、その増税を既定(きてい)の前提にして、次は、1.自民党と2.公明党、3.みんなの党、そして 4.大阪維新の会 (まさしく橋下徹の個性だけで率いる党)の連立政権にやらせる」 というのが、アメリカが描いている 日本あやつりの 次の構想だろう。副島隆彦はそのように考える。 

 橋下徹を、うまく皆でだまして、あやつれると判断したら、彼を副総理にするだろう。さあ、そううまくゆくか。

 だから、我らが小沢一郎は、最後の最後まで、民主党を割らない(自分たちから出てゆく、ということは最後の最後まですべきではない)と、じっくりと考えている。 明らかに、今の野田首相たちは、アメリアの意向(それは、IMF の声明の形で、日本に対して「消費税を上げよ」と明らかに命令している)に従って、言いなりになって動いている( 岡田副首相などは、いかにも 自分はアメリカに脅迫されています、逆らえないのです、というどす黒い顔になってきた)。

 私は、どうせ 橋下徹は、大きな力にあやつられて、今から少しずつ態度を変えてゆくだろう(と今もその最中だ)、と冷酷に予測している。だが、それでも以下に書いている彼自身の文は、日本国民の態度決定において極めて重要だ。 民主政治(デモクラシー)の手続き=国民に問え=国民生活にとっての重要なことは選挙の結果で決定せよ、 というのは、大事な主張だ。 

 増税は日本人の誰にとっても(官僚たちは除く)いやなことだ。国民が嫌がる、そのイヤな事を推進するからオレ様たちはエライのだ、というのが権力者なるものの感覚なのだろう。 

 5%の消費税の値上げ(1%で2.6兆円の税収。5%で一年で14兆円の税収が増える)は、本当は、日本国がアメリカに貸しつけてある、最低でも公表されている250兆円(日本政府の分だけの米国債の保有残高)、本当は、650兆円(これも日本政府の関係。これが高橋洋一氏が暴いた「650兆円の隠し財源がある。それを国民のために使え」論の根拠)も、あるのだ。 だから、これらのお金の「一部だけでも返してくれ。日本も大変なんだ」とアメリカに言うべきなのだ。

 それを、日本の政治家は誰も言わない。小沢一郎だけは、自分たちがきちんと国民の付託(ふたく、トラスト。信じて任せること)を受けた政権を作ったら、対等に、アメリカとこの件も交渉しようとしている。

アメリカにとっては、このことは、瞬間的にカッとなるぐらい怒り出すことだ。「そろそろ借金を返してくれ」と友人関係で言い、かつ言われるぐらい、イヤなことはあまりない。アメリカは返せない。それぐらいアメリカの衰退、と弱体化は進んでいる。 BRICS(ブリックス5カ国。インド、中国、ブラジル、ロシア、南アフリカ)は、このことをよく知っている。だから、この間も会合を開いた。

 「カネを返してくれ」と、属国にひとつの民族指導者(=国民政治家)から、言われそうになったら、アメリカ帝国は、その民族指導者を殺すか、すぐにスキャンダル攻撃で、追い落として失脚させる。それが、今のアメリカの政界中へのやり口だ。本当にアメリカは穢(きたな)い国になった。

 アメリカこそは、民主政治(デモクラシー)の元祖で、それを史上始めて達成した国なのだ。それなのに、今は、こんなに情けない、汚れた政治手法を使う国に成り果てた。 だから、世界は、どうせアメリカの世界覇権から離れて、徐々に次の世界体制に移行しつつあるのだ。この大きな動きを止めることはできない。それは、人類史(=世界史)の動きだからだ。

 私たち日本国民の今の苦しみの、この世界史の大きな動きの一部である。私、副島隆彦は、いつもこのように考えている。

ちなみに、私は、以下の橋下徹氏の、政治家としてのコトバ遣(つか)いでも、いくつか異論があって、私は、× 民主主義 と言うコトバは、学問的に不正確だから、極力つかなわない。デモクラシー(デモス=民衆のこと、今はピープル +(プラス) クラテア で、民衆・代議制=選挙で指導者を選ぶこと・政治体制だ) は、「主義=イズム」ではないので、民主政あるいは、民主政治 と訳して、そのように使う。

以下の 橋下徹氏の即座に書いたと思われるツイッター文でも、一箇所は、正しく民主政と書いている。おそらく法律家としての無意識の正確さのなせる技だ。政治学者たちも たいていは民主政治(東大の政治学科は全員そうしている)と使う。だから、新聞記者たちを含めて、今後は、民主政治(体制)と使うべきである。

 それから、橋下徹氏は、「(法的な)手続きを踏むこと」を大事にしている。法の適正(てきせい)手続きを踏むべきことを、 due process of law デユー・プロセス・アブ・ラー と言う。  橋下は、以下の文の中で、「手続きを踏まなくて良いというなら、憲法破棄もありだろ」と書いている。

自分が、ナベツネ(読売の84歳、老害・独裁者 渡邉恒雄)から、「橋下は、政治は、白紙委任などと、ヒトラーのようだ」と書かれて、それに対して橋下が反論しているところが、今の日本の政治言論の中心になっている。

それでは、以下に橋下徹の文のまず重要な3つの文だけを引用する。それから、全文を転載する。

 それから、おしまいの方に、朝日新聞の論説委員の恵村順一郎(えむらじゅんいちろう)からの反論の記事があり、それへの橋下徹からの再反論の短い文を載せる。 朝日の恵村の文は、支離滅裂で、文になっていない。読んでも理解できないような文だ。アメリカの力(船橋洋一=ふなばしよういち=主幹、今もそうか? が編集の最高責任者である)による朝日新聞の大きな変質は、やがて、読売新聞( 日本CIA言論として戦後は始まった)との経営統合を進めてゆくだろう。なぜなら、内容が同じ事を言っているからだ。

副島隆彦拝

(橋下徹の文の 引用はじめ)

 前回の政権交代選挙の流れからすると、国民は民主党に消費税増税する権限を与えていない。 ここをしっかりと押さえなければならない

 日本の政治を機能させるためには、国民が民主主義を大切にすること、選挙を大切にすること、この積み重ねしかない。

 国民の誰が民主党の増税路線を承認したと言うのだ。僕は民主党に一票入れた。それは地方分権を進めることと、増税なくして行革をやると言い切ったからだ。

(引用終わり)

副島隆彦です。 以下に橋下徹のツイッターの全文を転載します。

(転載貼り付け始め)

「 もう朝日新聞も読売新聞もフラフラだ    橋下徹twiiter から」

2012年04月06日  橋下徹 大阪市長 の 

http://twitter.com/#!/t_ishin から  

 もう朝日新聞も読売新聞もフラフラだ。政治は国民の鏡。国民の生の声を統合する役割がメディア。今の政治がおかしくなっているのは朝日新聞と読売新聞のせいだ。朝日と読売にしっかりしてもらわないと日本の政治はボロボロになる。

 今の朝日と読売は、自分たちが正しいと思っていることをとにかく政治にやれと要求する。日本最大の圧力団体だ。政治もそれに屈する。朝日と読売の考えは国民の考えを代弁していない。そして国民の生の声を政治が汲もうとすると朝日と読売はポピュリズム!と批判する。

 朝日、読売は自分たちの声こそが絶対に正しいという思い上がりも甚だしい。選挙を通じた民主政を選択している以上、たとえ不合理であっても国民の生の声を軸にするのは当然だ。それをポピュリズムと呼ぶなら、北朝鮮のような専制体制を選べばよい。日本の学者は民主政を軽視する人が多くなった。

 国民の誰が民主党の増税路線を承認したと言うのだ。僕は民主党に一票入れた。それは地方分権を進めることと、増税なくして行革をやると言い切ったからだ。16・8兆円。財源は行革でひねり出せると言い切った。マニフェストに書いてあること全て実現できるものではない。それは分かっている。

 しかしマニフェストの根幹部分を変えるのに、国民による選挙を踏まえず、党の代表選挙で変えることができるのか。もう民主主義もへったくれもあったもんじゃない。朝日も読売も、増税という立場なのであろう。それは良い。しかし民主主義の要はプロセスをきちんと踏むことだ。

 選挙で裏付けられたマニフェストの根幹部分を変えるのに、内部(だけの)手続きで良いわけない。こんな民主主義のイの一番のところを天下の朝日や読売でさえ理解していない。そりゃ日本の政治が成熟しませんよ。手続きを踏まなくて良いというなら、憲法破棄もありだろ。朝日はどう答えるのか!

 大阪維新の会は「消費税の地方税化、地方交付税廃止、消費税を上げるかどうかは地方判断。」この方向性を選挙で訴えるべきとの考えだ。民主党の考えとは全く異なる。朝日社説は増税と言うことで一緒だろと言う。とんでもない!朝日も読売も毎日も産経も、もっと選挙・民主主義を大切にすべだ。

 僕は消費税増税に完全反対ではない。ただ今の国税として、社会保障目的税としての増税には反対だ。地方に移譲し地方が増税するならそれで良い。しかし地方は増税を嫌ってサービスを削るかもしれない。増税の可能性を認めているからと言って、今の増税案と同じだと主張する朝日新聞は本質論を誤っている。

 僕は憲法改正には、憲法96条の改正手続きは踏まなければならないと思っている。そりゃ憲法破棄を言う方が簡単だが、やはり手続きこそが民主主義の要。絶対的に正しい価値などない。だからどの価値を選ぶのかのプロセスを重視しようと言うのが民主主義だ。ところが今の朝日と読売はどうだ?

 自分たちの価値を絶対的な正義と位置付け、そのためならプロセスなんぞ一顧だにしない。これこそ非民主主義の体制そのものだ。民主党のマニフェストの根幹を変えるプロセスは、党の代表選ではない。やはり面倒でも総選挙を踏まえなければしょうがない。そうでなければ国民は政治を全く信用しなくなる。

 そして読売新聞の渡辺( 転載者 註 渡邉恒雄 通称ナベツネ ) 主筆 (引用者 註。会長でありながら、自分が今も84歳にもなって、編集権を握る、ということの表明のために、「主筆」だと公言する。アメリカの意思で動く日本の独裁者のひとりである。) は、「政治と言うのはある種の白紙委任」 という僕 の主張に猛反発され、僕をヒトラーになぞらえる。 今回、 民主党が増税路線に舵を切ることこそ白紙委任の最たるものじゃないか! 選挙の時には民主党ははっきりと消費税増税を否定した。 そして選挙後、増税???

 これを白紙委任と言わずして何と言う。僕は政治に裁量が必要だと言う意味で ある種の白紙委任と表現した。マニフェストに細かなことを書いて政治の裁量性を奪うやり方は日本のためにならない、と。だからマニフェストは方向性を示すべきだ、と。 ところがそれに読売の渡辺主筆は猛反発。

 僕の「ある種の白紙委任論」 は、それでも 選挙の際に大きな方向性は国民と約束しそれに政党・政治家が拘束されることが大前提だ。しかし、今回の民主党はどうだ? 選挙の時に消費税は上げないと言ったことは、まさに国民との大きな方向性の約束だ。

 朝日や読売は選挙の度に何と言っている? 維新の会にも何と言っている? 政策選択選挙にしろ! 公約をしっかり示せ! 国民に説明しろ! と いつも言っているではないか! もしこんな簡単に民主党が増税路線に舵を切れるなら、選挙前の公約発表も政策討論会も何も要らない。完全な白紙委任となる。

 前回の政権交代選挙の流れからすると、国民は民主党に消費税増税する権限を与えていない。 ここをしっかりと押さえなければならない。こういうことを大切にする政治慣行を確立 (転載者 註  しなければいけない。そう) しないと、日本の民主主義は成熟しない。 相も変わらず議会では 野党は反対するだけ。 もう国民はほとほと嫌気がさしている。

 日本の政治を機能させるためには、国民が民主主義を大切にすること、選挙を大切にすること、この積み重ねしかない。 選挙が全てでないと言い切る国では 民主主義が発展するわけがない。 国民が選挙結果を大切にする。そうすると議員も選挙結果を大切にする。

  自分の考えとは違うが選挙結果に従う、多数決に従うという国民風土を作り上げるしかない。 選挙結果を変えるのは大変な作業が必要なんだ という国民風土が残念ながら日本には確立されていない。その典型例が、朝日新聞、読売新聞だ。 その他の大メディアも。前回の選挙で示された民意は何か。

  民意をバカにする役立たず学者はいくらでもいる。 こういう輩は口ばっかりで小難しい事を言うが、役所に来て組織に指示の一つもできない輩だ。 選挙での民意を大切にする。それが民主政の原点だ。民意は危うい。移ろいやすい。 不合理な判断もする。しかしそれでも選挙での民意を大切にするのが民主政だ。

 (転載者 註 私、橋下徹の政治手法を ) 衆愚政治だ、ポピュリズムだと言う輩は、よほど自分に自信があるんでしょうね。 一般大衆よりも自分は上だと言う。 気持ち悪い。 前回の政権交代選挙での民意は民主党が消費税を上げないということを信じての一票だ。 民主党内の代表選 で覆せるわけがない。朝日も読売も目を覚ませ!

 何らかの増税が必要なのは当然だ。 じゃあどういう増税をするのか。そこを決めて、選挙だろ。一定の方向性を示して国民の信を得る。細かなことは専門家に制度設計させれば良い。

 大阪維新の会は「消費税の地方税化、地方交付税廃止、消費税を上げるかどうかは地方判断。」 この方向性を選挙で訴えるべきとの考えだ。 民主党の考えとは全く異なる。 朝日社説は増税と言うことで一緒だろと言う。とんでもない! 朝日も読売も毎日も産経も、もっと選挙・民主主義を大切にすべだ。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。このあと、朝日新聞の論説委員から、橋下への反論の記事があった。それに対して、橋下がさらに応酬している。しかし、どうせ、朝日新聞は、「我が社は増税派だ」と書けないから、歯切れが悪いに決まっている。この論争は、朝日の負けで、橋下の勝ちだ。私の判定だ。

(転載貼り付け始め)

「橋下大阪市長ウォッチ に  朝日新聞論説委員が夕刊で反論」

「橋下市長「天下の朝日から返信頂けるとはびっくりだ」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120406-00000007-jct-soci

ヤフーニューズ 2012年4月6日

橋下徹市長が、朝日新聞の社説を批判したところ、朝日新聞の夕刊で論説委員が橋下氏に「逆襲」した。

 橋下市長は早速、ツイッターで「天下の朝日新聞の論説委員から直接返信を頂けるとはびっくりだ」と反応し、論説委員の名前を挙げ、「恵村(えむら)さん、間違っています」と再批判を展開した。

■「橋下さん、これでも朝日は狂っていますか」

 朝日新聞は 2012年4月4日付朝刊の 社説「小沢流 民主主義が泣いている」で、消費税増税をめぐり反対する、民主党の小沢一郎元代表グループを批判した。

 一方、橋下市長は4日深夜からのツイッターで、小沢氏を擁護し、朝日新聞を「狂っている」と批判した。J-CASTニュースも5日配信の「橋下大阪市長ウォッチ」で取り上げた。

 これに対し、朝日新聞の4月6日付夕刊のコラム「窓 論説委員室から」で、恵村順一(えむらじゅんいちろう)氏が、「橋下さんへの返信」で反論した。

 民主党が、消費税増税をマニフェストに書かず、税率を上げないと言っていたのは、橋下氏の主張の通りだが、「そのことと、小沢氏らの言動は別の話だ」として、

 「民主党でも大阪維新の会でも、党員なら政党として手順を踏んで決めた結論には従う。それが党内民主主義だ」

と指摘した。さらに、「その結論」を市民や野党、報道機関がチェックするのも「当たり前の民主主義」だとして、「橋下さん、これでも朝日は狂っていますか」と問いかけた。

■橋下市長「まさにご都合主義そのもの」

 橋下市長のツイッターは4月6日昼ごろ、やはり消費税増税問題を中心に、「今の朝日と読売は、自分たちが正しいと思っていることをとにかく政治にやれと要求する。日本最大の圧力団体だ」などとつぶやいていた。

 18時ごろからは、朝日新聞の夕刊への反応が始まった。

  「4月6日朝日新聞夕刊。僕のこのストレス発散のツイッターに、天下の朝日新聞の論説委員から直接返信を頂けるとはびっくりだ。恵村さん、間違っています。民主党内の手順を踏んだ決定が、そもそも有効か無効かを考えなければならない。その規範は、国民との約束であるマニフェストだ」

と朝日論説委員からの「返信」に驚きつつも、即座に再反論を展開した。党内民主主義より次元の高い問題があり、それは民主党による「マニフェスト違反」という指摘だ。

 以降、(橋下市長は)2時間程度の間に35ツイート以上の連続投稿を小刻みに続けた。一部を紹介すると、

  (6ツイート略) 「恵村さんは民主党の代表選の選挙結果を重視して、小沢先生に従うべきだと言う。では政権交代選挙の結果についてはどう考えているのですか?恵村さんは増税という結論先にありきなので、論理が破綻する。民主党の代表選を重視しながら、政権交代選挙は軽視する。まさにご都合主義そのもの」(以降、27ツイート以上略)

といった調子だ。「選挙で裏付けられたマニフェストの根幹部分を、民主党の内部手続きで全て変更できるという朝日新聞はやっぱり狂っている」とも書いた。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

加地 龍太 投稿日:2012/04/07 17:44

【826】[935]産業の寿命

「副島隆彦の学問道場」学生会員 会員番号7416番
加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下「~だ。~である。」調にて、産業の寿命について思考したことを記載します。

ピーター・F・ドラッカーがその著作である「マネジメント」や「プロフェッショナルの条件」などの中で主張している通り、1つの産業が爆発的に隆盛するのは約30年間が限度だ。
物事がずっと同じように続いてゆくと必ず陳腐になる。
それゆえ、事業をずっと続けてゆくには少しずつ新しいものを取り入れていくのが秘訣だ。これを蔑ろにすると歯車が狂うのである。

現在の日本の官僚機構の連中が「伝統主義=前例踏襲主義」を妄信している現状を見れば、それは明らかである。(小室直樹先生 著作「これでも国家と呼べるのか」「日本国民に告ぐ」 参照)

1つの産業が隆盛するのは約30年が限度だ、ということは現在の日本の斜陽産業を見ても明らかだと思われる。
自動車産業、電子機器メーカー産業、金融産業、輸出産業などが経営難に陥っているではないか。

だが、今までのものを急激に新しいものに変えるのは良くない。
周囲の人間たちがついてこないからである。周囲の人間たちがついてこないなら、時期を待つべきである。
この世に生存している大多数の人間と自分の考えが合致するまで準備しつつ雌伏して「待つ」能力と、雄飛の時を見極める眼力を備えていなければならない。このことは、徳川家康の人生から学べる。

スティーブ・ジョブズの言う通り、「人間は生まれたときから自分が何になるべきかを知っている」のだと私は信じている。
私はそれを実証するために、自分の心の思うがままに生きてゆく。
その過程で死ぬならば、それが天命だと割り切って死ぬべきだと考えている。

何かご意見がありましたら私のアドレスにメールを送って下さい。
宜しくお願いします。

加地 龍太 拝

渡辺隆史 投稿日:2012/04/07 14:32

【825】[934]<追想録> 舘龍一郎さん

会員の渡邊隆史です。

4月6日付けの日経新聞夕刊に舘龍一郎さんという東京大学名誉教授の追悼記事が載っていたのですが、典型的な「帝国に育てられた優秀な現地人」の経歴に思えたので転載します。

(転載はじめ)

● <追想録> 舘龍一郎さん(東大名誉教授) 経済学者の政策関与へ道

「役に立たない経済学は意味がない」。
積極的な政策提言で、高度成長期の経済政策を支えた。

東京帝国大学経済学部に在学中に学徒動員で陸軍に。
戦後、東大に戻り、ロックフェラー財団の奨学金で米エール大学などに学んだ。
帰国後、東大ではマルクス経済学にのっとって教える教授ばかりのなかで、批判的な視線を浴びながらも近代経済学を教え続けた。
今に至る東大近代経済学の基盤を築いたといえる。

政策提言では、独占禁止政策の観点から八幡製鉄と富士製鉄の合併に反対意見を表明するなど行動派の学者として頭角を現した。
1970年代には佐藤栄作、大平正芳の両首相の経済アドバイザーとしても活躍した。

最大の功績は金融自由化の道筋をつけたことだ。
80年代初め金融制度調査会で自由化を進める必要性を説く一方、銀行経営が厳しくなることを見越し安全網の確立を訴えた。
90年代初めには銀行と証券の子会社方式による相互乗り入れを唱導した。

合理的な考えと、温厚な性格で、経済学者が政策に関与する道を開いた。
自らは役所の案に何度も手を入れ直すこだわりを持っていたが、のちに役所の言いなりになる御用学者が出てきたことにはじくじたる思いを抱いていた。

=2月11日没、90歳

(転載終わり)

竹中平蔵氏の先達みたいな人のようですね。

平田裕子 投稿日:2012/04/02 20:09

【824】[933]「橋下氏はキングメーカーなり得る」米日本専門家が論評

会員の平田裕子です。

「929」で、副島先生が

今は、橋下徹(はしもととおる)大阪市長が大変な人気で、彼の「維新の会」が国政にまで攻め上がってくる、という感じになっている。私は、これも深く、初めから小泉純一郎とアメリカが仕組んでいる動きだと、分かっているから、一切、評価しない。

と、お書きになっていることがよく表れている記事を貼り付けます。
やっぱり、日本あやつり班のマイケル・グリーン氏が関与しています。

●「 「橋下氏はキングメーカーなり得る」米日本専門家が論評 」
2012年3月21日 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120321/waf12032118410018-n1.htm

【ワシントン=古森義久】いま日本の政治を揺さぶる大阪市長の橋下徹氏と市長率いる「大阪維新の会」について、米国政府の元国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長、マイケル・グリーン氏が20日、「橋下氏は異色のリーダーシップ技量を備え、国政舞台では首相の任命を左右するキングメーカーとなりうる」などと論評した。

マイケル・グリーン氏

戦略国際問題研究所(CSIS)日本部長やジョージタウン大学教授を務めるグリーン氏は、アジアの新リーダーについてのセミナーで、「橋下氏への人気は日本の政治での異色な重要現象で、同氏はポピュリスト(大衆に訴える政治家)として明確な技量を備えている」と述べた。

グリーン氏は、日本では県や市などの地方自治体の長やそのグループが国政にすぐに進出することは構造的に容易ではないと指摘する一方、橋下氏がこの枠を破って国政の場で活躍する可能性もあるとの見解を示した。その場合、「首相あるいは首相の任命を左右できるキングメーカーになることも考えられる。小泉純一郎首相のような国民の信託を得るリーダーになるかもしれない」という。

日米関係への影響についてはグリーン氏は「橋下氏がたとえ首相になっても日米同盟支持、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)支持の立場を考えると、米国との安保関係も経済関係も円滑にいくだろう」と語った。ただし、橋下氏の反原発の姿勢には「日本の経済を考えれば、夢想しているに等しい」と批判した。

(記事の転載終了)

大内なんでかな 投稿日:2012/04/02 00:12

【823】[932]思ったことを書いた

「だれの言うことを聞くかだな」と思った。
「お金をくれる人の言うことを聞けばいいのかな」と思った。

加地 龍太 投稿日:2012/03/31 14:23

【822】[931]実業と政治の本質

「副島隆彦の学問道場」学生会員 会員番号7416番
加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下「~だ。~である。」調にて、実業と政治の本質について思考したことを記載します。

政治家は、国家を運営する国家経営者である。
実業家は、自分の商いを経営する経営者である。

政治は悪魔の所業と言われる。国家という人間集団を経営する以上、
公共の福祉の名の下にマイノリティー(少数派)を犠牲にして前進してゆくことが正しいことだとされる。
政治家に取って最も大切なことは経世済民(経済)である。
経世済民とは「世の中を治め、人民の苦しみを救うこと。」である。
即ち、「国民の経済活動を守ること=国民を飢えさせないこと」である。(小室直樹先生 著作「日本いまだ近代国家に非ず」 参照)

この政治家に取って最も大切な経世済民を実行するために、敵対する政治家を犠牲にし、その人物に扶養されて生きている人間たち(家族や秘書や秘書の家族など)を犠牲にすることになったとしても、公共の福祉の名の下に政治家として無慈悲に決断し行動することが正しいとされている。

その政策活動によってマイノリティー(少数派)が犠牲になったとしても、
マジョリティー(多数派)である国民大多数が得をすれば、その政策を実行した政治家は英雄である。
以上のように、現実政治を動かすのは「人情」ではなく、徹底的に「政略」である。

実業は諸々の経済活動のことである。現在の経済学が研究の対象にしているのは、専ら「近代資本主義=アメリカ資本主義」である。
近代資本主義を成立させている原理は「淘汰」である。諸々の経済活動をしてゆく過程で、社会で需要が認められない会社は倒産(破産)し、需要が認められない個人は失業する。
この倒産(破産)と失業こそが、近代資本主義を成り立たせている原理である。(小室直樹先生 著作「小室直樹の資本主義原論」 参照)
以下に、参考にした「小室直樹の資本主義原論」から文章を引用する。

引用始め

市場の最大の機能は淘汰にあり。すなわち、失業と破産にあり。
市場は企業を淘汰して破産させる。労働者を淘汰して失業者とする。
破産した企業は市場から退出する。失業した(元)労働者も市場から退出する。市場から消え去る。淘汰されなかった企業と労働者だけが市場に生き残る。
生き残った企業は、資本主義市場に相応しい企業である。
生き残った労働者は、資本主義市場に相応しい労働者である。
いま、「資本主義市場に相応しい」企業を単に「企業」、同じく「資本主義市場に相応しい」労働者を単に「労働者」と呼ぶことにすれば、つぎの命題(文章)が成立する。

- 市場は労働者を作る。 -
また、
- 市場は企業を作る。 -
では、如何にして。
- 淘汰によってである。 -

資本主義は、労働者と企業とから作られる。資本主義のメンバーは、労働者と企業である。労働者と企業とがなければ、資本主義は生成も存続もできない。その労働者と企業とは、市場における淘汰によって作られる。
市場淘汰こそ資本主義の生命である。
市場で淘汰された労働者は失業者となる。市場で淘汰された企業は破産する。
ゆえに、
- 失業(者)と破産こそ資本主義の生命である。 -
という命題(文章)が成立するのである。

引用終わり

加地龍太です。このことからも明らかなように、実業を動かすものも
「人情」ではなく「実益」であるということが判る。
以上の観点から、実業と政治の本質は「悪」である。

極道者の世界=暴力界では、しばしば「人情」がヤクザ者=暴力団員たちを動かす原動力になることがあるようである。
尤も、暴力団も1つの人間集団である以上、集団として存続して集団として機能するために経済活動をしなければならない。集団が集団として機能するための要件は「資金源の確保」である。

それゆえ、暴力団員が「人情」で動くといっても、それは身分が低い連中がやることであって身分の高い連中は「組の実益」を行動の目的に据える。
これは実業家が「会社の実益」を行動の目的に据えるのと同じことだ。
そして、政治家(民族指導者)が「国益」を行動の目的に据えるのと同じことである。
私は暴力団の存在を容認する気はないが、政界も実業界も暴力界も
「実益=金銭」で動いているという現実を見れば、やはりこの世では「金銭を動かす権力者」が一番強いことになっているのだろうと思う。

この原理に基づき、今の所 世界の頂点になっているのはウォール街だ。
だが、今後数十年が経過すればユーラシア大陸が世界経済の中心地になっているのだろうと思われる。(副島隆彦先生 著作「中国バブル経済はアメリカに勝つ」「中国は世界恐慌を乗り越える」 参照)

以上のように、実業と政治の世界では「人情」は二の次だ。
第一に優先されるのは「実益」だ。「人情」は冷酷に言い切ればツールにすぎない。
尤も、現実的に考えて「人情」を蔑ろにする人間は成功しないだろう。
しかし、「人情」が実力を持つのは「実益」が確保されていることが前提である。
実業と政治は綺麗事では済まないのだ、と考えた。

何かご意見がありましたら私のアドレスにメールを送って下さい。
宜しくお願いします。

加地 龍太 拝

加地 龍太 投稿日:2012/03/29 23:44

【821】[930]資格と信用と誇り

「副島隆彦の学問道場」学生会員 会員番号7416番
加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下「~だ。~である。」調にて、「資格と信用と誇り」について思考したことを記載します。

資格は信用の証だ、という意見を唱える人々が私の周囲に多々いる。
その意見には概ね、同意だ。だが、信用は自分自身に帰属させることが一番良いと私は思っている。
資格は、私に取ってはただの浮世の飾りだ。
「一廉(ひとかど)の人物」と言われている人間は皆、自分の人格に信用を帰属させている。
私の知っている身近な偉人たちもそうだ。私の母方の祖父母が身近な偉人たちの中で、最も偉大な人物たちである。

私の祖父母は、山形県の田舎から上京し「加地組」という土木会社を設立して約40年間、土木系の仕事をした。その過程で周囲の人々から信用を得た。元神奈川県知事である松沢成文氏や国会議員の笠ひろふみ氏などと交流し、地元を基盤にしている地方議会の議員さん方、地元産業の経営者の方々が時たま家に来る。
「加地組」をやめた今でも尚、そういう関係が続いている。

これは、祖父母に何かの資格があるからそうなっているのではない。
約40年間、信用を守って生きてきた結果なのである。
40年間の結晶が祖父母の信用になり、それが人格と名前に帰属している。
これこそが、本物の信用なのである。

副島隆彦先生も、「副島隆彦」という名前に信用が帰属している。
「この人の書いた本なら読む。」という人間が多々いるということが、
副島隆彦先生の名前がブランド・ネームになっていることの証であろう。
無論、私は反カルト宗教団体の人間ゆえ、カルト団体の白痴が教祖を妄信するように、生きている人間を妄信したりはしない。
客観的学問的な根拠や証拠に基づき、不確実性(ブラック・スワン)が支配する現実世界を出来るだけ正確に予測し、事実を立証する本を書いておられるからこそ、私は副島隆彦先生は信用するに足る人物だと思っている。

以上のように、浮世の飾りに過ぎない諸々の資格(たとえば学位など)に誇りを持っている人間は、はっきり言って第二流の白痴だ。

以上のことは、先日私が知人に語ったことでもあります。
何かご意見(この野郎、何を言ってやがる的な批判でも)がありましたら
私のアドレスにメールを送って下さい。宜しくお願いします。

加地 龍太 拝

副島隆彦 投稿日:2012/03/27 07:46

【820】[929]「副島隆彦は朝鮮人だ」 とネットに虚偽を書く者たちへ反撃しておきます。

副島隆彦です。 一昨日の3月24日の 私たち学問道場の定例会(会員限定の講演会)を無事終えることが出来ました。

 私は、あの日は、天候不順で低気圧だったので、初めはどうも話す気力が湧きませんが、後半部で 元気が出てきて、自分の話したい、今の金融・経済情勢の奇妙な変化の裏側の大きな真実を、思いっきり暴き立てました。おそらく日本一番優れた世界分析でしょう。

 最後はいつも通り、皆で盛り上がって、気分が良かったです。会場に来れなかった会員の皆さんは、急いでDVDにしますから楽しみにしていてください。古村研究員のアメリカ政治の最先端の研究報告も充実していました。

 私たちは、次は4月28日からの 「福島原発難民キャンプ・ツアー」に向けて活動します。私たちの学問道場にもっともっと多くの人が結集しますように、お願いします。

 私は、今日は、ちょっと自分が気になったことを書きます。それは、私の友人たちから、最近、言われるようになったことがあるからです。それは、「副島。お前、朝鮮人だ、とネットであちこちに書かれているぞ。ほったらかしにしないで、はっきりさせておいた方がいいぞ」という助言でした。 

だから、ここではっきり書いておきます。

私、副島隆彦は、朝鮮人であはありません。いわゆる在日 ( ざいにち。 Korean Japanese  韓国系日本人 )ではありません。 韓国・朝鮮系からの帰化 naturalization ナチュララザイゼイション した日本人でもあません。 私の家系に朝鮮人はいません。

このように明記しておかないと、どうも、私の本のあまり熱心な読者ではない人たちまでが、何の根拠もなく、「副島隆彦は朝鮮系らしい」などど、勝手な噂(うわさ)を立てるようです。私は、そんなくだらない風評に負けるような弱い人間ではありませんから、これまでずっとほったらかしにしてきましたが、やはり はっきりと書いておかないといけないと思いました。それでこのように書きます。

 これらの私への悪質な人格攻撃は、私、副島隆彦を付け狙っている 謀略人間たちによる、私へのネット上での中傷(ちゅうしょう)、評価・信用落としの攻撃となっている。 彼ら、腐り果てた人間たちの一部は、明らかに現職の汚れた警察官たちによるものだ。 

 彼らの組織的なネット上への書き込みが見られます。 彼らは、植草一秀氏らにチカン逮捕攻撃の違法行為を働いた警察官たちのグループでしょう。この者たちは処罰されるべきだ。摘発して公務員法・服務規律違反で裁判に掛けなければいけないと思います。

 それから、自分自身が朝鮮、韓国系の血が流れているが故(ゆえ)にか、みじめな人生環境のせいもあって、ひねくれつくし、ゆがみつくした人格になって、それで、人のことをあいつはチョーセン人だ、隠れ在日だ、と書き散らして回る人間たちがいる。 こういう人間は、軽度の精神障碍(害)者たちであることが多い。

 私、副島隆彦は、「アジア人どうし戦わず。仕組まれた戦争を再びさせられることがないように、アジア諸国は団結しなければいけない」という政治思想を築いてきた人間だ。だから、私には人種差別はない。

 今は、橋下徹(はしもととおる)大阪市長が大変な人気で、彼の「維新の会」が国政にまで攻め上がってくる、という感じになっている。私は、これも深く、初めから小泉純一郎とアメリカが仕組んでいる動きだと、分かっているから、一切、評価しない。

 なぜ、橋下(はしした)徹を、2003年の日テレ(大阪だけなら読売テレビ)の電波網で、育て上げ、2007年の大阪府知事選(彼は、その甘いマスクと正直な言動のために、183万票を取った)の時も、すべての 大阪のメディア(テレビ、新聞)が、彼を持ち上げた。すべて、仕組まれて作られつつある、日本国民への扇動の動きだ。

 その橋下徹人気への逆流で、「橋下徹は、部落民である。部落出身者である」という悪口と中傷が、最近、日本国内で半ば公然と話されている。初めは大阪の中だけでの明るい笑い話だった。大阪・阪神地方はとりわけそういう長い複雑な伝統を持っている。 ウィキペディアの橋本徹の項(こう)でもこのことは公然と書かれている。

 こういういやな雰囲気が今、日本に広がっているから、私、副島隆彦へのチョーセン人攻撃に対しても、今、明確に反撃、反論しておかなければいけない。もう以後、2度と、「副島隆彦は朝鮮人だ」と書くな。そういう明らかな虚偽(きょぎ。ウソ)を書くな。

 私の戸籍謄本や私の家系の調査でも分かることだ。法務省は、明治時代からの戸籍の記録をすべて握っている。今は内部に隠して公簿として公開しないが、法務省の官僚たちは何でも把握している。もし私の家系に朝鮮人や 部落民(「新平民」しんへいみんと書いてある)の記録があれば、必ず露見する。 私を攻撃したい法務省の官僚たちが、それとなく、それらを漏らしてばら撒くだろう。小沢一郎に対しても、そういう朝鮮系だという謀略攻撃を、自民党のよごれた連中がやった。小沢一郎にもそういう事実はない。

 私自身の戸籍抄本で、昔、私が見た、自分の祖父や父の抄本には、「士族(しぞく。さむらい階級)」と書いてあった。どこまで遡(さかのぼ)っても私には朝鮮人の血筋はない。 私の副島の家は、佐賀の戦国大名の竜造寺(りゅうぞうじ)の家臣団にの一族である。だから、二度と、「副島隆彦はチョーセン人だ」と書くな。そういう人間たちこそ、チョーセン人の血が混じっている自分に恐れ戦(おのの)いているのだ。 いい加減にしろ、と書いておきます。 

 副島隆彦記

平田裕子 投稿日:2012/03/27 00:44

【819】[928]原発事故後に精神科入院、被ばく恐怖「影響」24%

会員の平田裕子です。

「自分は、被ばくしているかもしれない」という恐怖感が原因と思われる精神疾患で入院した人の調査についての記事がありました。
以下に転載します。

●「 原発事故後に精神科入院、被ばく恐怖「影響」24% 福島県立医大、県内の患者調査 」
2012年3月26日 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120326ddm001040073000c.html

東京電力福島第1原発の事故後に福島県内の精神科に入院・再入院した患者のうち、放射線被ばくの恐怖が関連した可能性のある人は24・4%と全体の4分の1に達したことが福島県立医大の調査で分かった。外来も事故関連とみられる新患は3割を占めた。原発事故が精神疾患へ及ぼす影響を示す事故直後のデータは世界的にもなく、同大は大規模原発事故や長期の避難生活などが心にどんな負担となっているのか患者の追跡調査をしていく。【鈴木泰広】

 入院調査は同大神経精神医学講座の和田明助教らが、30病院に3月12日からの2カ月間のアンケートをし、27病院から回答を得た。

 事故による転院などを除いた入院・再入院患者610人(男49%、女51%)のうち、被ばくへの恐れが関連あると診断されたのは12・1%の74人、関連があるかもしれないとされた人は12・3%の75人だった。関連がある患者の割合は原発に近い相双・いわき地域が23~27%と高かった。

 関連があるとされた74人中震災前に精神科の受診歴がない人は9人いた。74人は事故後1カ月以内の入院・再入院が大半。年齢別では40~50代がほぼ半数を占めた。自宅の被災や、避難所生活をしていた割合が全体傾向より高く、大勢が集まる避難所のストレスに被ばくの不安が重なったケースもみられた。

 一方、外来調査は三浦至助教らが77病院・クリニックに3月12日からの3カ月間(各週1日を抽出)を聞き、57施設が回答した。うつ病や不安障害などの新患410人を調べたところ、事故関連と診断されたのは19%の78人、関連があるかもしれないと診断されたのは13・4%の55人だった。計133人のうち、うつ病が最多で47人、急性ストレス障害・心的外傷後ストレス障害、適応障害がそれぞれ38人。半数近くが避難生活のストレスを抱え、4割が放射線の自分への影響、3割が子供など家族への影響の恐怖を訴えた。

 チェルノブイリ原発事故でも放射線が精神面に与える影響が報告されているが、10年程度たってからの調査だった。同大神経精神医学講座の丹羽真一教授は「事故の影響は大きいという印象だ。除染も他人より自分でしたほうが安心できる。住民参加で放射線被ばくの不安を軽減する取り組みも(精神的負担を減らすために)重要だ」と話している。

(転載終了)

「放射能コワイコワイ」と煽っている人は、その煽りが原因で、精神疾患を起こしてしまい入院した人がいることを知って、反省してほしい。
そしてもう、「放射能コワイ」と煽る言動を止めてほしい。

 放射線の影響による発ガンよりも、やはり心的ストレスから発病してしまうことを懸念すべきです。
 私たちは、ただ闇雲に放射能を怖がるのではなく、自分のアタマで考えて、知識と情報を得て行動すれば、「被ばくの恐怖」というストレスからは少なくとも解放されると、私は思います。

吉見 おさむ 投稿日:2012/03/24 00:03

【818】[927]福島本部活動日誌です77

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年3月11日の日誌です。

10日午後9時から午前6時までネットカフェに居ました。
ほぼ満席でした。

近くに座った、外国から来ていた二人が・・・・・・・・・とてもうるさかったです。

NGOの人のようでした。今日、郡山市開成山野球場である「原発いらない!3・11福島県民大集会」に参加する人達なのでしょうか。

(なお、この時は、この集会に行って、脇で写真を撮る予定でいました。後で電車の時刻表を見たら、行かなくて良かったです。)

午前6時、ネットカフェに定額で居られる制限時間になってしまったので、ネットカフェを後にしました。
外に出ると、郡山駅前では「こおりやま元気発信フェスティバル」二日目の準備が進んでいました。

郡山の駅ビル入り口には、震災から一周年を祈る張り紙が貼られていました。

駅ビルのロッテリアで少し休もうと思ったのですが、まだ開いていませんでした。
(写真は開いた後の画像です)
なお、郡山駅前の歩道橋は、一部使用出来なくなっていました。

駅前のマクドナルドに3時間居ました。
私の先に、ネットカフェでうるさかった二人が店に入っていました。
私が入店してから50分後、別の外国籍と思われる二人が入店しました。

午前9時7分、郡山駅の構内で、目の不自由な人を、マスクをした人が助けていました。

午前9時10分、郡山駅前の「こおりやま元気発信フェスティバル」の準備はかなり進んでいました。

郡山陸上自衛隊のテントは、タイベックのようなスーツとマスクが新たに展示されていました。

9時20分の郡山駅前大通りは、かなり交通量が多かったです。
(写真だと、少ない印象があるかもしれませんが・・・)
大通りを少し中に入ると、そっち系のお店の広告がありました。
「フォトショップの力を借りた広告なのだから、この広告も、ある意味二次元?」と間抜けなことを考えました。

午前9時44分、「原発いらない!3・11福島県民大集会」に参加すると思われる人が、旗を持って郡山駅内に立っていました。

午前9時55分、「原発いらない地球のつどいプログラム」の二日目に行きました。
やはり、マスクをしている人が目立ちました。

午前10時15分から6箇所に分かれてのテーブルトークをしていました。

最初は、ドイツからやってきたFOEという団体の2人がいる所に行ってみましたが、話がよく聞き取れませんでした。

今日も別な外国人のカメラマンが来て、写真を撮っていました。

途中から隣でやっていた、「避難者」の人が話をしている所に移りました。

事故後に郡山市から川崎市へ移ったそうです。
「母から『変な宗教団体に入ったのか、煽るな』と言われたことがあるけれど」と言っていました。
途中から山下俊一氏への口撃になっていきました。
途中でSさんとIさんと、偶然会いました。(7/9と7/10に事務所に来た方です)
2人は、午後2時からイベントを開催すると伺いましたので、「原発いらない!3・11福島県民大集会」ではなく、そっちに出てみることにしました。

午後0時に反原発イベントが終わった後、大会議室外のフロアは、暫く人が溜まっていました。

午後1時に建物の警備員が「やっと原発の人は帰りました」と無線で連絡していました。
この後、参加者の多くは、午後1時から始まる「原発いらない!3・11福島県民大集会」に行ったようでした。
郡山駅前からのバスに、超満員のものが続いていました。

(←バス停に並んでいる人達です)
郡山駅に戻って磐越東線の時刻表を見てみると、加藤さん達と合流するには、午後3時10分郡山発の電車で帰らなければならないことが判りました。
結果的にですが、「原発いらない!3・11福島県民大集会」に行かなくてよかったです。

午後1時、「こおりやま元気発信フェスティバル」の会場を少しだけ歩きました。
船引町が出していたテントに行って、元祖と言われる、かりんとう饅頭を購入しました。

午後2時から、Sさんのやっていた復興チャリティイベントに出てみました。
最初に、「スズカゼ」というバンドのライブがありました。
福島市出身者と浪江町請戸出身者によるバンドでした。

http://www.youtube.com/watch?v=e4-cZADHo6Y&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=KQP9WIPRwHc
http://www.youtube.com/watch?v=f3n0Om1Kpxs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=4dgfESUstf8&feature=related
その後に、新知町の旅館の女将さんが、地震の際の体験談をしました。

もっと話を聞いていたかったのですが、電車の関係上、3時に帰らざるを得ませんでした。
率直に、いいチャリティイベントでした。500円だけのチャリティでは、少し申し訳なかったです。

窓の側に、祭壇のようなものが置いてありました。

午後3時10分の電車で船引駅に戻りました。
午後4時、船引公民館には、なぜか車が一杯停まっていました。

午後6時15分、ダイユーエイト船引店で、加藤健二郎さん達と合流しました。
前回も都路に来た、加藤さん、Yさん、Kさんと、新たにお会いしたHさんと一緒に、ダイユーエイトで明日の炊き出し用の買い物をしました。
ダイユーエイトには、除染対策コーナーができていました。

午後7時、閉店間際だった常葉町の肉屋に入りました。
Yさんが、馬刺しを購入していました。

私は、402円の牛タンを購入しました。

午後7時40分に事務所に帰りました。
午後8時半くらいには、疲労で寝てしまっていました。

(転載終わり)

日誌には書き忘れたことだったのですが、郡山駅前の満員のバスを、おそらくは地元の若者であろうグループが見て
「あぁ、今日が県民大会だっけかぁ」
と言っていました。
あの時の、揶揄なのか自嘲なのか私にはわからない、酷薄な口調が、どうしても印象に残ってしまっています。