重たい掲示板
書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。
旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください
書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください
※ログイン後に投稿フォームが表示されます。
Loginはこちら【833】[942]日刊ゲンダイに 「 鳩山のイラン訪問 そんなに間違ったことか 」という記事が載った。
副島隆彦です。 今日は、2012年4月14日です。
4月11日の日刊ゲンダイに、 「 鳩山のイラン訪問 そんなに間違ったことか 」という記事が載った。 以下に転載する。 私もこの記事と同感だ。
この時期に 日本政府を代表して、イランまで行って、イランの指導者たちと会談(4月8日)して来た鳩山由紀夫は偉いと思う。 それを アメリカの手先の 日本の テレビ、新聞はいつもの通り、例によって袋叩きにしたようだ。
鳩山由紀夫は、今の政権与党の「外交担当の最高顧問」としてイランを訪問したという。 駐日アメリカ大使(ジョン・ルース) が、「行くな、行くな」 と牽制し、愚か者の野田佳彦首相も、電話で「行かないでほしい」と鳩山に再三、要請したという。
鳩山は、首相になった(2009年8月末の民主党の大勝利により)瞬間から、あれだけアメリカに足をひっぱられ、いじめられ、痛めつけられたのだから、内心の激しい怒りを私は視察できる。 最後は、日本のオール霞が関の官僚どもの、クーデータがあって、アメリカからの脅迫があって、たったの8か月で、首相を辞任させられた。無念であったろう。
だから、こういう緊張した時にこそ、世界基準(ワールド・ヴァリューズ world values )で行動してみせて、衰退するアメリカアメリカ帝国に向かって昂然(こうぜん)と振る舞い、日本国の平和国家としての信念を世界に向かって示すことは大事なことだ。
以下の日刊ゲンダイの記者の文にもあるごとく、卑屈極まりない、アメリカのポチ公の 犬にしかなれないような、人間たちは、すべて奴隷根性の持ち主だ。 福沢諭吉先生 が説いた独立自尊(どくりつじそん)ということが分からない人間どもだ。
今の私たちの国には、そういう卑屈な人間たちがたくさんいる。敗戦以来、アメリカに屈従することしか知らず、歪(ゆが)んだ人格のまま、いい歳になった者たちだ。
そのくせ、「日本は核武装するぞ。憲法を改正するぞ」だけは、勇ましく叫ぶようになってきた。 おまえたちは、アメリカ様(さま)の許可はもらったのか(笑)。
私は、もっとはっきりと書く。 イランの核施設を、おそらくこの10月には、攻撃するだろう イスラエル空軍、 とそれを空中給油機で支援するとか、帰り道の確保をしてあげる役割を分担するアメリカ空軍の動きに ついてである。
私は、3日前に、ようやく 私の次の金融・経済本である 「 欧米日 やらせの景気回復」 を書き上げた。この本は4月27日には全国の書店に並ぶだろう。乞うご期待。
この本の中に、ちょっと書いた。 それは、アメリカとヨーロッパ諸国の政府は、イランの核開発ばかりを非難する。 世界のお役人さまである、米・英・仏・露・中の 五大大国は、国連の常任理事国(じょうにんりじこく パーマネント・メンバー permanent members )である。 この5大国以外には、核兵器を持たせない、というのが、現在の世界体制(ワールド・オーダー)である。 それでも インドとパキスタンは、勝手に持ってしまった。今も認められていない。
ところが、この他に、イスラエルが秘密で持っている。いや、半ば公然と持っている。イスラエルは、核弾頭(ニュークレア・ウォーヘッド)を200発持っている、と世界の政治研究者や軍事研究者の間では常識である。本当は、さらに50発多くて250発持っている。 それでだ。 どうして イスラエルは核を、国際社会に無許可で持ってよくて、イランは持ったらいけないのだ。 答えることのできる者がいたら、答えてみろ。
このイスラエルに金玉(きんたま)を握られた、哀れな帝国であるアメリカの、さらに哀れな属国(ぞっこく)である日本は、ひたすらアメリカに屈従する、洗脳された国民の国だ。独裁国家の北朝鮮と全く同じじゃないか。
在日アメリカ軍は、日本のテレビに、盛んに 戦争指揮室(ウォー・ルーム)まで公開して、北朝鮮のミサイル(ロケットと言っても同じだ)実験の脅威を煽(あお)りながら、米軍が居るから日本は安全なんだ、と いつもの 恩着せがましい、日本国民への脅迫プロパガンダをやっている。
だから日本は、アメリカにカネを出せ、貢(みつ)ぎ続けろ、という 日本国民への洗脳を続ける。リチャード・サミュエルズという日本(とイタリア・ファッシズム)研究の極悪(ごくあく)学者が敷いた対(たい)日本戦略である。
北朝鮮のロケット実験は、昨日(13日、午前7時40分ごろ)失敗したそうだ。よかった、赤っ恥、ざまあ見ろ、と思った保守派の日本人が多いだろう。だが、本当の日本民衆の深い深いところでの、北朝鮮に対する感情は、そうそう単純なものではないだろう。
北朝鮮と創価学会と日教組が、とにかく大嫌い、という 日本の保守本流の経営者、小金持ちたこそは、複雑な心理をしたひとたちだ。民衆、大衆は常に、政治問題から、顔をそむけて、自分の政治意見など言わない。それが、難なく生きて行くための賢い生き方だ。
北朝鮮は、すでに 4発の核弾頭を持っている。ただし、これがちきんと飛ぶかどうか分からない。だから、危険なんだよー、と 日本人の多くは無意識の部分で感じているのだろう。
オバマ大統領が、北朝鮮の人工衛星ロケット(これを、弾道ミサイル と言ってもおなじことだ) の実験の発表があったら、忙しいスケジュールを縫(ぬ)って、4月の頭?に、韓国の北との停戦ラインの板門店(はんもんてん)まで来て、「打ち上げ実験をするな」と北朝鮮に警告した。 あの様子を見ると、アメリカの国家安全保障(こっかあんぜんほしょう)の最高段階判断(プライマリー・アジェンダ)に、他国による核兵器の打ち上げの危険、というのがあることが分かる。
おそらく沖縄の嘉手納(かでな)の巨大な米空軍基地に住む一万人ぐらいの軍人とその家族のことを、米大統領は、自国民の安全問題として最優先的に心配しなければいけない立場なのだろう。だから、板門店にまで急に行った。
北朝鮮がオンボロの弾道ロケットの実験をする、と言うだけで大騒ぎする。どこの国にも、ロケット実験をする権利はある。どうして、こんなに日本国民を、脅かすために、こういう「北の脅威」を煽ることばかりするのだ。 東アジアの各国の指導者たちで、北朝鮮を入れて、 アメリカ抜きで! 話し合いをすれば済むことだ。
「 アジア人どうし戦わず。アジア人どうして、再びの仕組まれた戦争だけはしてはいけない」というのが、私、副島隆彦の政治思想だ。
以下の日刊ゲンダイの記事では、鳩山由紀夫が、「 IAEA(アイ・エイ・イー・エイ 国際原子力委員会)は、二重基準(ダブルスタンダード)の(おかしな)判断をして(イランばかりを非難している)」と イランでアフマディネジャド大統領に言った、と報じている。
この「二重基準」について、記事の中に、優れた外交官で、日本で唯一と言っていいぐらい世界基準の外交理論を持っている 元外務省国際情報局長の孫崎享(まごさき うける)氏の解説を、載せている。曰(いわ)く、「 IAEAは(加盟国の)核開発をやめさせることだけではなく、核保有国(すなわち 五大国他)に対しても武器を他国への“脅し”の手段にしてはいけないと求める役割がある」 と説明している。 ホントだよ。
IAEAの今の事務局長は、天野(あまの)で、アメリカに尻尾を振ることしかしない、愚劣な男だ。「私は、何があってもアメリカの言うことを聞きます」と、IAEAの事務局長(=専務理事、マネージング・ダイレクター)の選挙の前に極秘で発言したことを、ジュリアン・アサンジのウイキリースクスが、アメリカの国務省の外交文書の漏えい文として、2年前に載せた。
私、副島隆彦は、もっと書く。本当は、沖縄の 普天間基地 と 辺野古崎(へのこざき)の両方に、アメリカの70年代の古い核兵器( 「メースB」 という)、その小型飛行場=対戦車ヘリコプター用 の 滑走路の下の頑丈なサイロの中に格納されているのだ。 沖縄の人たちは知っている。本土のヤマトンチューたちは、この事実に知らん顔をする。
もう一言、書く。弱小国家で、チビコロ国家が、ピストルを持つと、途端に、ジャイアン・アメリカは、脅えだす。どんなに小さくても、核兵器さえ持てば、アメリカは自分を対等に扱ってくれる。アメリカは、脅えて、自分の国と対等に交渉する。経済援助でもなんでも要求通り、卑屈になって、やってくれる。
図体だけ大きいくせに、アメリカ(人)というのは、臆病者なのだ。 「それなら、私も核を持つか。今は、ずいぶん安く出来るらしい」 と、小国の国王や、大統領たちが思うにきまっている。それが本当の国際社会だ。生(なま)の外交交渉だ。
「 なぜ北朝鮮が核実験をしたらいけないの。 核をもっていいのは、5大国だけだなんて、どうして決めたのよ」とはっきり書くのは、日本では 優れた女性である デヴィ夫人と、副島隆彦ぐらいのものだろう。あとは、腰抜けばかりだから、世界基準の真実を知っていても書かない。それぐらい怖いことなのだろう。
私は黙らない。私、副島隆彦が黙ったら、日本はおしまいだ、と思っている。私は、世界基準の大きな真実を、書いて、書いて、死ぬまで書き続けてやる。 「副島さん、そろそろ 柔らかくなったらどうですか」と、私を柔らかく脅す、へんな連中が寄ってくるが、今度、私の目の前に現れたら、蹴り倒してやる。
デヴィ夫人は、インドネシアのスカルノ大統領の正式の第四夫人だった人だ。イスラム教では四人まで奥さんを持てる。デビィ夫人は、伊藤忠が仕切っていた(今も)インドネシアの国有石油会社のプルタミナの政治的な重要性のために、日本とインドネシアとの懸け橋になるために差し出された公女(こうじょ)である。確か千葉の木更津の漁民の娘である。
デヴィ夫人は、パリの社交界の正式のメンバーである。大統領夫人ということは、プリンセス(宮さま)の称号を持っている、ということだ。
パリの社交界にも二つあって、表の立派な国王やヨーロッパ貴族たちや、大統領たちが作っている表の社交界だ。それに対して、やや下品とされる裏の社交界がある。そして、歴史的に、本物のヨーロッパ社交界は、この裏の社交界の方である。そうに決まっている。
ここに集まるヨーロッパ旧貴族たちこそは、世界の諸真実を、堂々と話す人たちだ。デヴイ夫人は、ここの正式のメンバーである。だから、世界基準の真実を知っている。私たち日本の庶民とは、初めから情報に質とレベルが全然違うのである。
デヴィ夫人は、本当のことを、時々、書き、発言する。それで、ビックリされて、ゲテモノ扱いされる。それでも彼女は、ひるまない。 自分の家の周りを、拡声器でうろついた バカ右翼の街宣車に、「うるさい」 と、 二階から、花壇の花を花瓶ごと投げつけた。そして、自分から出て行って、右翼と掴(つか)み合いまでした。私は、本当にこの女性は偉いなあ、と尊敬する。堂々とした立派な日本女性だ。
それに比べて、台湾人の華僑ムスメの 桜井よしこ のほうは、いよいよ見苦しい。お前ごときが、大和撫子(やまとなでしこ)のふりをして、日本女性のものである、和服なんか着るな。
もう、これぐらいにしておきます。私の怒りが止まらない。私のことを、「副島隆彦って、陰謀論だろ」と言って、この一言で、私を片づけた気になっている、卑屈な人間どもが、最近、どんどん増えている。この対抗発言しか、私に向かって言えないのだ。愚か者どもめ。
それと、橋下徹(はしもととおる)の 日本型ファッシズムの 新たな台頭がある。このあとは、この研究を急いで始める。 副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
「 鳩山のイラン訪問 そんなに間違ったことか 」
2012年4月11日 日刊ゲンダイ
イランを“電撃” 訪問した鳩山由紀夫元首相が新聞テレビから袋叩きされている。アフマディネジャド大統領との会談で、国際原子力機関(IAEA)の対応を「二重基準」と鳩山が批判した――とイラン大統領府が8日に公表したことを受け、「国益を害した」「『利用される』懸念的中」などと非難囂(ごう)々(ごう)だ。だが、この報道には違和感を覚えるのだ。
鳩山は民主党の「外交担当」最高顧問としてイランを訪問したのだが、訪問予定が判明した時から批判的な意見ばかり報じられていた。ルース駐日米大使が野田首相周辺に訪問自制を求めたことや、野田自身が電話で訪問中止を再三要請したことばかり取り上げられ、「訪問=悪」みたいな雰囲気が出来ていた。
だがイランは日本にとって最重要な国だ。 イランが経済制裁に抗議してホルムズ海峡を封鎖すれば、どうなるか。輸入原油の8割以上がこの海峡を通る日本は大きなダメージだ。日本経済はパニックである。鳩山が最悪の事態を避けるためにイラン訪問を思い立ったのは別に悪いことではない。
それなのに新聞テレビは帰国後も「日本外交にマイナス」「イランに誤ったメッセージを送る」と大騒ぎだからワケが分からない。なぜ外交チャンネルをつくることがいけないのか。鳩山の言動はそんなに国益を損ねたのか。
元外務省国際情報局長の孫崎享( まごさきうける)氏がこう言った。
「まずホルムズ海峡が封鎖されれば最も被害を受けるのは日本です。だからイランとの協議は日本として当然やるべきです。米国は訪問自制を求めていたようだが、彼らは英仏独中ロと一緒にイランと協議している。行くなというなら、日本もこの協議に参加させるべきで、参加させてもらえないのだから、日本が独自協議するのは当たり前です」
まったくだ。新聞テレビは、イラン訪問の「本質」を一切伝えないばかりか、鳩山個人の“宇宙人”的な資質問題を歪曲化して報じている。しかも、その批判も的外れが多い。
「鳩山氏がIAEAの『二重基準』を批判したかどうかが問題になっているようですが、発言の有無はともかく、指摘自体は間違っていません。IAEAは核開発をやめさせることだけではなく、核保有国に対しても武器を他国への“脅し”の手段にしてはいけないと求める役割がある。しかし、米国は04~05年にイランへの核攻撃を計画し、イスラエルも核攻撃をにおわせている。日本の外務省は60年代、核保有国が武器を“脅し”の手段にしないよう求めていて、鳩山氏の指摘は当然なのです」(前出の孫崎氏)
鳩山を首相辞任に追い込んだ09年の普天間基地移設問題の報道といい、今回のイラン訪問の報道といい、日本の新聞テレビは、米国がちょっと文句を言うと、たちまち思考停止して、米国ベッタリになる。日本の外務省ともども、米国のポチだ。
いっそのことワシントンに引っ越した方がいいんじゃないのか。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【832】[941]福島本部活動日誌です82
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年3月22日の日誌です。
午前11時40分、大型トレーラーが399号線を右折して、検問所に向かっていきました。
昨日飲んだソルティドッグの影響で、二日酔いでした。
起きたのは正午前でした。やっちまいました・・・。
3/12&3/13の日誌を書いていましたが、やはり終わりませんでした。
(どうにも進まないので、午後10時からカンパリオレンジを大量に飲んで、今泥酔しています。
良くない状態です。なんとか、気分転換になる行為を、無理にでもしようと思います。
今更ですが、3/10の日誌は、かなり堪えました。)
夕食は、蕎麦、蕎麦湯、カレー、煮干、でした。
酔いに任せて蕎麦を大量に食べました。
下の映像の11分8秒や12分25秒の場所が線量が高かったはずです。(勘違いだったかもしれませんが)
http://www.youtube.com/watch?v=ZgpIk3Jnv8g&feature=related
先日の上杉隆氏の記事は、なんだかなぁ・・・としか声が出ない顛末になっているようです。
http://togetter.com/li/276770
http://togetter.com/li/273289
http://netouyonews.net/archives/6866094.html
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月23日の日誌です。
午前1時、酔いに任せて、通し道歌(というアニメに出てきた歌)を一人で熱唱していました。(http://www.nicovideo.jp/watch/sm16488439)
それから、遠藤誉氏の日経BPでの連載を音読しました。(http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120229/229284/)
スガオカ・ケイ氏の顔を拝みに、動画を見ました。(http://datsugen.com/?p=731)
止まらなくなって、別な動画も観てしまいました。(http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=IwBELPtVUCA#!)
・・・本当、私は何をやっているのでしょうか(汗)。
早く12日と13日の日誌を書かねばならないのですが。
夕食は、スパゲッティとマカロニにトマトソースをかけたもの、ヨーグルト、もずく、煮干、でした。
レシートの整理をしました。2時間くらい同じ作業をし続けました。
ここで一冬越してみての感想は、
「自分1人だけの体(特に足元と手元)を暖かくするのは可能。ただ2月はそれでも寒い」
「燃料費を問わなければ、2月でも室内を20度にすることは可能」
「カイロは、安価だが局部のみ温めるので、体に悪い。ネットカフェに泊まるなどの長く外出する際には、逆に必須」
「風が強い日は、本当に寒い。都路は風が強いことで有名らしいが、その中でもこの立地は風が直接当たるので、気温以上に寒く感じることが多い。室内にいれば問題ない」
「12月までは、まだまし。1月と2月は、マイナス15度まで下がる。そうなると、ほぼ何も出来ない。何かしようとすると体を壊す」
「雪が降ると、非常に厳しい。ただ、今年は特別に雪が多かったようだ(常葉町の人は、北海道の厳しさに比べれば、まだ良いとは言っていました)」
「雪かきの優先順位は、『裏口に人が一人通れる道を作る』、『自動車のフロントガラス(スコップを使えないので大変)』、『自動車の運転席ドア付近』、『水道の元栓付近』、『玄関付近から洗濯機まで通れる道を作る』、『裏の階段付近』、『裏口で日光が当たらない所』の順」
「それ以外の雪かきは、やらなくても大丈夫。日光で融けるから。建物の日陰にある雪は、融けないので諦めること」
「5cmほどの雪ならば、陽が当たれば融ける」
「しばらく外出していた時に雪が降った場合、・・・諦めよう」
「冬で外の草は一旦枯れる。10月になったら、外の草刈りはやらなくていい」
「対策をしていても、水道管が凍結し、水が出なくなることがある。2月は昼に風呂に入らざるを得ない」
「水道管の凍結を防ぐため、一定の暖房はつけ続けておく必要がある」
というものです。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月24日の日誌です。
12日、13日の日誌を少しだけ書けました。亀の歩みのようです・・・。
加藤さんから頂いた本を、一部読みながら書かなければならないので、なかなか時間がかかります。
重たい掲示板に過去の日誌を転載しました。
誤字と言う意味でも、外部に出していい物事なのか判断するにも、チェックが行き届かなくなってしまっています。
4月3日くらいになったら、3日間ほど関東圏に出て行ってみようかと思っています。
夕食は、ご飯、カレー、トマト、納豆、でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月25日の日誌です。
amazonから届いた『チャイナナイン』を貪るように読んでしまい、何もしませんでした。(http://www.amazon.co.jp/チャイナ・ナイン-中国を動かす9人の男たち-遠藤-誉/dp/402331031X)
最後に
「現在中国は、月にあるヘリウム3を採取し、プラズマ核融合発電を計画している」
と書いてあって、かなり驚きました。
女の人は政治家の顔がハンサムかどうかというのを見るんだ、と、発見しました。
王岐山とバイデンはハンサムだそうです。
夕食は、もずくを1カップだけ食べました。あとは、オレンジジュースを飲んで誤魔化しました。
(転載終わり)
【831】[940]福島本部活動日誌です81
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年3月18日の日誌です。
過去の日誌が進んだのですが、3/10の分でさえ終わりません・・・。
情報量が多くなりすぎると、何を捨てていいのかわからなくなります。(非常に情報を削ってなお、写真が大量です。)
8時間パソコンの前に座っていても、こんなものです・・・。
昼食は、茹でたスパゲッティに豚の焼肉とニラとほうれん草をのせてドレッシングをかけたもの、でした。
午後2時、いわき市のSさんが来ました。
缶のコーヒーとお茶を頂きました。
いわきは今、原発の近くにあった自治体から人が移動してきているので、(微妙な感じではあるが)とても賑わっている、と言っていました。
夕食は、豚汁もどき、ヨーグルト、煮干、でした。
夕食後に、MOCO’Sキッチンを、やや真面目に観てみました。
http://www.ntv.co.jp/zip/movie/mokomichi/index.html
速水もこみちさんは、ネタでもなんでもなく、料理が上手いと思います。
いつかは私も、追いオリーブオイルや、フライパンの上1mからの調味料投入などをしてみたいです。
「今手元に、腐った玉葱と賞味期限1年切れのいりこと駄目になりかけのキャベツがあるのですが、これらでできる料理をお願いします!」
と投稿してみたら、採用される確率は0%くらいでしょうか。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月19日の日誌です。
3月10日の日誌を書いていました。録音したものを、何度か聞き直すなど、大変時間がかかっています。
布団を6枚干しました。
凄い強風で、頻繁に布団が飛ばされていました。
うち一つは、崖の下に行ってしまい、取るのに苦労しました。
洗濯ばさみを追加で購入します。
カレーを大量に作りました。あと5日は料理しなくて済みそうです。
余っている食材を処分出来ました。
しめじ、ひじき、玉葱、キャベツ、トマト、とろろ昆布、冷凍してあった牛肉、が無くなって気持ちが軽くなりました。
夕食は、ご飯、カレー、筋子、納豆、でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月20日の日誌です。
遂に3月10日の日誌が完成しました。難産でした・・・。
次は3月11日~13日の日誌が待ち構えています・・・・・・・・・・。
今日は、明治大学であった佐藤栄佐久氏の出席したシンポジウムに出席したかったのですが、日誌が終わらなかったので行けませんでした。
布団を7枚干しました。
もしも明日が晴れならば、布団は全て一回は干せたことになります。
2階の半分に掃除機をかけました。
Yさんの奥さんが様子を見に来ました。
おはぎとおにぎりを頂きました。お酒をお返ししました。
午後9時半、大型トレーラーが399号線を右折して検問所方面に走っていきました。後ろにはパトカーがついていました。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月21日の日誌です。
今日は正午から夜にかけて、凄い暴風でした。比喩でなく、屋根が飛びそうでした。
3/11の日誌も書き上げましたが、抜け落ちた箇所が、多量にあります。とても心残りです・・・。
布団を6枚干しました。これで、一通り全ての布団が干せました。
車を20分エンジンをかけました。
午後7時から酒を飲んで、酔いました。
酔いに任せて、なぜかLinkedinに登録しました。この行為に何の意味があるのか、自分でも訳わかりません。
夕食は、カレー、Nさんから頂いたマカロニ、海苔、納豆、でした。
(転載終わり)
【830】[939]福島本部活動日誌です80
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年3月14日の日誌です。
大広間の80%と玄関と二階の半分に掃除機をかけました。部屋の空気を綺麗に出来ました。
晴れていると、掃除が出来ます。嬉しいです。
この2ヶ月、雪の影響と各所に行ったせいで、全く掃除機をかけられませんでした。
かなり体に堪えていたので、一安心しました。
プラスチックのゴミを出しました。
雪かきを3時間しました。
建物裏口の雪が、ほぼ融けずに残っていました。陽のある所に退けなければ、あと10日は残ったままだと思います。
洗濯を2回しました。
布団を4枚干しました。
ソファーを干しました。
昼食は、ご飯、磐城太田駅近くの肉屋で買ってきたフライ、でした。
一昨日食べた恐ろしい食べ物とは、比較にならない美味しさでした。
レシートを整理しました。1時間かかりました。
115枚の写真を整理しました。
あと450枚整理しなければなりません。
写真の海に溺れて、頭がおかしくなりそうです。(そして、その分だけ日誌が遅くなってしまいます・・・。)
午後3時40分、西山千佳子前川内村村議が車で来ました。
「西山さんとは合わないですので」と言って、帰ってもらいました。
来た車には「北海道の子供(以下不明)」という表示がありました。
午後4時20分、Yさんの奥さんが、やきとり天国の様子を見に来ました。
ここにお茶菓子の類のものは、原則、用意しないようにしますが、どうかご了承下さい。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月15日の日誌です。
洗濯をしました。強風によって、洗濯竿が何回か倒れました。
布団を4枚干しました。
ソファーと座布団、それに枕を干しました。
午後2時くらいに、快晴のまま雪が降ってきたので、取り込まなければなりませんでした。
それでも、かなり暖かくなりました。
夕食は、劣化してきた食材を使って、豚汁もどきにしました。
なめこ、ひじき、豚肉、チンゲン菜、わかめ、長芋、大豆による肉の代用品、白菜、とろろ昆布、鰹節、小海老、を無理矢理使いました。
出来上がったのは、どう見ても豚汁ではありませんでした。不味くはなかったので良しとします。
夜から3月16日未明にかけて、450枚の写真を整理しました。雑な整理になってしまいました。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月16日の日誌です。
布団と枕を干しました。
寝袋11個を整理しました。
午後4時15分、仮設トイレを積んだトラックが、399号線から288号線に左折して郡山方面に走っていきました。
古道体育館に行ってみると、外に設置してあった仮設トイレは、既に撤去されていました。
また、体育館脇の入り口に貼ってあった張り紙類もなくなっていました。
正面入り口には、日本原子力研究開発機構の張り紙が残っていました。
正面入り口の廊下には「HOT入り口」「サーベイエリア」「COLD出口」という表示がされていました。
「COLD」という表示のあった側の入り口の取っ手は、ピンクのビニールで覆われていました。
体育館内は、殆ど片づけられていました。正面入り口近くのみ、机や物資が置いてありました。
雨水の排水管に補修がされていました。
幼稚園の校庭に、モニタリングポストが設置されていました。0.264μS/hでした。
工事中だったプール脇は、既にアスファルトで舗装されていました。
夕食は、ミートソースのスパゲッティ、昨日の豚汁もどき、ヨーグルト、煮干、でした。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年3月17日の日誌です。
一日ずっと雨でした。
1週間前の日誌を書いていたのですが、スランプなのか、進みませんでした。
パソコンの前に座っているだけで、いつの間にか時間が無為に過ぎてしまいました。
夕食は、スパゲッティ、豚肉とほうれん草とニラを炒めたもの、でした。
ドレッシングをかけて食べました。
豚汁もどきを食べるのを忘れました。
(転載終わり)
【829】[938]福島本部活動日誌です79
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年3月13日の日誌です。
(一月近く前のことなので、細かなことを忘れてしまっています。悔しいです。)
午前6時40分に起きました。
午前8時半にチェックアウトすると聞かされていたので、一応準備はしていたのですが、なんだかもっと遅くまでいても大丈夫のようでした。
朝、加藤さん、安田さん、Hさん、と適当に話しました。
「陸軍とか、空気で突っ走っちゃったけど、エリートの教育というのは、空気に飲まれないためにある」
「人との広いつながりが出来るのは、左翼のほう。右翼はネットワークが広がっていかない」
「よくわからないといわれた研究が、それからの次世代を支える研究になる」
といった内容でした。私は知識が足りず、ほとんどついていけてませんでした。
午前9時、ビジネスホテルを出発し、浜通りの北部を見に行きました。
途中の国道6号線では、脇の田畑で除塩作業のようなことをしているようでした。
また、国道6号線の脇に、今でもモニュメントのように一隻だけ、漁船が置いてあります。
大体国道6号線まで津波が来た地域が多いらしいです。
やはり国道6号線は、今でもトラックや作業者の往来が多いです。
午前9時45分、新地駅付近に到着しました。
新地駅のあったところよりもやや内陸には、代行バスの待合所として、プレハブが置いてありました。
その近くには、営業しているスーパー、電気のついている土木(?)事務所、がありました。
もう少し新地駅に近づくと、砂利道と壊れた家がありました。多分他にも壊れた家はあったのでしょうが、既に撤去されているようでした。
ここから新地駅までの道の脇には、まだ水の引いていない所がありました。また、瓦礫の分別集積所が至る所にありました。
瓦礫の集積所のショベルカーが動いていました。
午前9時50分、カーナビに新地駅があったと表示されている所に着きました。
(鉄道ヲタ的には、こういう光景は、血が滾って堪らないのでしょうか。それとも悲しくて見ていられないのでしょうか。)
金網、コンクリート、木材、線路の土台、などの駅の瓦礫が分別して置いてありました。
一部の鉄線等が危険な状態でした。
駅舎だったと思われるところは、コンクリートの土台だけになっていました。
トイレだったと思われるところは、比較的建物が残っていました。
線路のレールは、流されてなくなっている所がありました。レールが残っている所や土で埋まっている所もありました。
駅のホームだった所には、駅の鉄柱だったものなどが集積してありました。
新地駅から見える海側の方は、ほぼ湿地のようになっていました。さらに海寄りにある立派な建物は何だったのかわかりませんでした。
新地駅の映像としては、次のようなものがあります。
http://www.youtube.com/watch?v=CH3u3yeWOnE
http://www.youtube.com/watch?v=Tffpo1SVQZw&feature=related
新地駅から国道6号線に戻る途中、かなり奥まで観光バスが入ってきていました。
丁度、JRの代行バスが来た所でした。
もう少し北上し、山下駅まで行きました。
途中には被害を受けたアパート群が、津波後のまま放置されていました。
瓦礫の集積所がいたるところにあり、ショベルカーが動いていました。
ところどころ水の引いていない水田がありました。
土台だけになった家が多かったですが、立派な造りで原型が残っている家もありました。
(←内部は生活の跡がそのまま残っていました)
橋に備え付けられていたガードレールは、倒れていて用を成さなくなっていました。
(←写真で見るより傾いています)
山下駅に到着しました。
駅前の商店には、郵便局が一緒に入っていました。
駅前は津波の影響か、水が引ききっていませんでした。
駅前の建物の2階まで水が来たと聞きました。
山下駅前の自転車置場は、取り壊すようでした。
山下駅の構内は立ち入り禁止となっていました・・・。
駅のホームを脇から撮るのが精一杯でした。
50メートルほど行った踏み切りから撮った写真から見ると、復旧はまだまだ先になりそうです。
更に離れた所にある踏み切りは、レールが見当たりませんでした。
駅前には、応援メッセージや一寸変わった看板等が置いてありました。
NPOの車が一台置いてありました。
加藤さんによると、山元町のこの辺りの風景は、被害を受けた一年前とほぼ同じだったそうです。
いくつかの建物は、津波にも耐え、かなりの原型を保っていました。
とりあえずの補修として、青いビニールシートがかかっている家が多かったです。
道路の側溝の上にあったコンクリートブロックは、少しだけ残っていました。
道路の標識が傾いていました。奥のアパートは、1年間手つかずのようでした。
新しいビニールハウスがありました。
写真は取れませんでしたが、除塩作業中とかかれた看板がありました。
そこの近くでは、美容院が電光掲示板をつけて営業中でした。魚屋もやっていました。
近くには水の引いていない水田がありました。
国道6号線に戻る交差点では、電気工事車両3台が前にいました。
相馬港に行きました。
途中のゴミ集積場は凄い量のゴミになっていました。
以前にNさんに案内して頂いた時とは別の埠頭に行ったのですが、やはり同様の被害を受けているようでした。
太平洋セメントの施設が動いていました。加藤さんによると、ここは震災後すぐに再開できたそうです。
いくつか小型の輸送船も停泊していました。
日本サルヴェージの船がありました。
埠頭の端は陥没していました。
相馬港と松川浦の中間地点は、今でも被害が色濃く残っています。
木々の何本かは役目を果たし、折れたり曲がっています。
建物は土台だけになっています。歩道も所々破損しています。
海水浴場になっていた海岸側は、木、金属、マンホール、コンクリート、パイプ等が散乱しています。
一部の地面が大きく削れていたり、水溜りになっていました。
一箇所大きな水溜りになっていました。
トイレとシャワールームの建物は、前衛芸術の建物のようになっていました。
なお、内部は綺麗になっていました。
マンホールが盛り上がって地中から出てしまっているところがありました。
松川浦のドッグでは、漁船が修理中のようでした。
松川浦では、最初から建て直している途中の家がありました。
南相馬に戻る国道6号線から見える景色は、やはり海側は水が引いていない所がしばしばありました。
午後1時、昼食を食べに南相馬の道の駅に寄りました。
メンチカツ定食とタン麺を食べました。美味しかったです。
お腹が一杯になり、少し吐き気がしました。
タン麺を食べながら、・・・理由は良くわからないのですが、空飛ぶスパゲッティモンスター教を思い出しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/冗談宗教
(なお、上のwikipediaで、井上喜久子さんを教祖?とする17歳教も冗談宗教に分類されることを知りました。)
午後2時、原町で凍み天というお菓子を売っている店に行きました。
私は一個だけ購入しました。110円でした。
事務所に戻った午後9時前後に食べたのですが、温かいうちの方が美味しいと思われます。
磐城太田駅付近の踏み切りは、遮断機の棒が折れていました。
ここまで津波が来ていたそうなので、その影響かもしれません。
磐城太田駅が、新地駅と同じくらいの大きさだったのではないでしょうか。
磐城太田駅から少し陸寄りに入った所に、道の駅で食べたメンチカツを作っている肉屋の直売所がありました。とても安かったです。
かなりの量を、明日の食事のために買ってしまいました。
http://www.higashi-nagasaki.com/anti/minami.html
午後3時にビジネスホテルに戻ると、Kさんのお知り合いの人が居ました。
午後3時50分、Kさんのお知り合いの人と、その人がガイドしていた(ウクライナの)テレビ局の人が来ました。
これから警戒区域に入って、原発付近まで行って、線量を測定するそうです。
安田さんとKさんはタイベックスーツに着替え、警戒区域内に同行しました。
Kさん達を見送った後、横浜から来て除染をしているという会社の人から声をかけられました。
どうやったら警戒区域内に入れるのかを訊かれました。
除染の効果を、警戒区域内で試してみたいそうです。
加藤さん、Hさん、私で、馬事公苑に行きました。北側からの一時帰宅の拠点になっている所です。
馬事公苑入り口付近の道路は、壊れたままでした。
馬房がそばにある広い駐車場には、中型バスが30台ほど停めてありました。
2月中旬から一時帰宅(3巡目)が行われているようなので、それに使われているバスのはずです。
http://www.town.namie.fukushima.jp/?p=10684
「巡廻一号車」や「日常点検表」といった文字を久々に見られて、少し懐かしくなりました。
バス内は、座席等がピンクのビニールシートで覆われていました。
以前に古道体育館で見たバスよりは、覆われている箇所が雑になっていました。
根雪がまだ残っていました。
体育館と思われる建物には、簡易トイレが2箇所設置されていました。
入り口は少しだけピンク色のビニールテープが貼ってありました。
一時立入の注意点、という看板が置いてありました。
馬事公苑から警戒区域に向かう県道34号線の検問所には、プレハブが二つ建っていました。
国道6号線方面に行く道路も封鎖されていました。
ビジネスホテルに帰る途中、「NO TPP」という表示がありました。
また、原発から約22kmのところで床屋が営業していました。
原発から約23kmのところにはボートが置いてありました。津波によるものなのかはわかりません。
午後4時40分、馬事公苑から帰った後のビジネスホテルの玄関では、横浜の除染会社が玄関の除染をしていました。
2.4μSv/hを示していた筈です。
午後5時40分、南相馬から原発方面に向かう自動車の交通量がかなりありました。
午後6時5分、警戒区域内に行った人たちが戻ってきました。
ウクライナのカメラマンは、壊れた建物や放射線の数字よりも、海に感動していたそうです。
「こんな綺麗な光景を、人が全くいない悲しい状況で見ることになるとは思わなかった」と言っていました。
午後7時20分、炊き出しの際に間違って持ってきてしまったお玉を返しに、川俣町農林広場前仮設住宅に寄りました。
帰るときに見たモニタリングポストは、表示されていませんでした。
午後8時40分に事務所に帰りました。
加藤さん達は、その後すぐに高速道路で東京に帰りました。
(転載終わり)
【828】[937]福島本部活動日誌です78
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年3月12日の日誌です。
午前3時に起きて、皿を洗い、机の上を片づけ、朝食の用意として、ご飯だけセットしました。
加藤さんから著書を5冊いただきました。
私個人には、『イラク戦争最前線』(アリアドネ企画)の174ページにある
(引用開始)
「戦争だからといって、眉間にシワ寄せて暗い表情でいたり、悲しみの涙を出しているだけが全てではない」
日本で平和活動に参加していた人たちもすでにそのことはわかっていた。だけど、そういうことがわかったことによって、心の中は複雑になってしまったかもしれない。
現地のことを知らずに「戦争反対」とだけ叫んでいれば正しいと思っていた頃の方が人生は簡単だったのかもしれない。戦闘現場から数十メートルのところに住んでいたイラク人からでさえ「米軍を歓迎する」という声があるのだから、単純ではない。
(引用終わり)
の箇所が大変心に残りました。
これ、戦争を反原発と言い換えても、かなり通じてしまうような気がします。
なお、加藤さんや安田さんのイラクでの活動は、東長崎機関のページに載っています。(http://www.higashi-nagasaki.com/g_a/G53-46.html)
午前8時、ご飯、レトルトのカレー、レトルトパックのちゃんこ鍋、昨日買ってきた牛タンを焼いたもの、大蒜の芽と豚のハツを炒めただけのもの、をお出ししました。
午前8時40分、川俣町の仮設住宅に向けて出発しました。ついでに燃えるゴミを捨てに行かせて貰いました。
ゴミを捨てる時に、警官が看板の所まで見に来ました。
午前9時45分、川俣町農林広場前仮設住宅に到着しました。
コンビニ脇の集会場で、炊き出しの前準備をすることになりました。
途中で、Kさんという方と合流して作業をすることになりました。
集会場には音楽CD、映画のDVD、古い雑誌などが置いてありました。
サッカー雑誌の日付は、震災直前のものになっていました。(下の画像の雑誌は、3/17と表示されていますが、発売日は3/3です)
壁には、川俣地区労働福祉協議会の寄せ書きがありました。
その中に、ネット上のAAである「人生オワタ」があったのですが、・・・これを書いた人に他意はなかったと信じたいです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/人生オワタ
私はよくわからなかったのですが、作ったのはキルギスの煮込みうどんのような料理だったようです。
本来はもっと素朴な料理らしいのですが、Kさんが、栄養のバランスを考えて野菜類を加えていました。
午前11時、会場近くの集会場に移動しました。
会場付近に仮設の簡易椅子が並べられました。旗も設置されました。
既に待っているお年を召された方々がいらっしゃいました。
入り口付近には、鹿児島産の飲料水が置いてありました。
建物脇には、三菱商事と川俣町のロゴが入ったアイムーヴが置いてありました。
ここの集会場も、窓が二重になっていました。
集会場の壁に、過去のボランティアの写真や応援の手紙などが貼ってありました。
午前11時50分くらいに大体の準備が出来ました。
午前11時40分、加藤さんとHさんは、演奏をやりだしました。
加藤さんがバグパイプ、Hさんがドラム?でした。
30人ほどのお年を召された方々が、会場の椅子に座っていました
午後0時前後から料理を配り始めました。
私は、麺を更に盛る作業を続けていました。
仮設の職員の方々?が配るのを手伝って下さいました。
午後1時、炊き出しとバグパイプ&ドラム?の演奏イベントは終了しました。
なんだか私はあまり役に立っていない様な感じでした・・・。
イベント後、お世話になった自治会長さんの厚意で、軍鶏を飼育している場所に連れて行って貰いました。
途中で中学生?が下校していました。
かなり山の上で、距離がありました。
小屋の中には、軍鶏が100匹以上いました。
小屋は、原発の事故を受けて、新しい覆いを設置したそうです。
川俣を発って、飯館経由で南相馬に行きました。
途中の飯館村のガソリンスタンドは営業していました。
ここら辺りは、関東の感覚ですと、山越えになってしまいます。
南相馬の役所近くにあったテントでは、震災から1年を祈念する灯火がついていました。
(画像では見にくいかもしれません)
午後3時45分、南相馬の道の駅に入りました。
駐車場は車で一杯でした。
ここにある食堂で食べに来たのですが、既に営業は終了していました。
私は、よつわりという名物らしいパンを購入しました。120円でした。
南相馬の検問所近くのビジネスホテルに泊まりました。
近くにセブンイレブンがあったので、そこのATMでお金を引き落としました。
セブンイレブンの駐車場には、2台の機動隊車両が停まっていました。三重ナンバーでした。
検問所近くの歩道に、陥没している所がありました。
8月8日に10人くらいで食べた食堂は、夜も営業するようになっていました。
検問所には簡易的なプレハブが置いてありました。
明日にかけて検問所を抜けていく自動車を見ていたのですが、原発関連の交通量は、都路の国道288号線とは比較にならないほど多かったです。
午後7時、Nさんと合流して、原町の居酒屋で夕食になりました。
店内には野馬追いのポスターが貼ってありました。
フライデーの名刺や東京都区議会議員の名刺も貼ってありました。
午後9時、南相馬検問所近くのビジネスホテルに戻り、就寝しました。
なんだか私はもう歳なのか、一番早く寝てしまいました。
(転載終わり)
【827】[936]橋下徹氏が、政府(=野田政権)の増税(=消費税の値上げ)法案に対して重要なことを書いている。
副島隆彦 です。 今の日本政治で、電撃作戦(ブリッツクリーグ)的な勢いを持っている橋下徹(はしもととおる)大阪市長が、自分のツイッターで重要なことを書いている。 注目に値するので、その全文を以下に載せます。
以下のツイッターの文で、橋下氏は、極めて重要なことを自分で書いている。一言で言うと、「国民は民主党に消費税増税する権限を与えていない」である。この主張は重要だ。 私たち民主党に投票した国民は、私、副島隆彦も含めて、2009年8月の民主党のマニフェスト(選挙公約、国民との約束)を支持して、投票した。
それは、「民主党が政権を任されている間は、消費税を上げない。諸改革をやって国民の経費を作り出す」というものだった。それを、今の野田佳彦 や、 前の菅直人は、裏切った。
しかも、その裏切り=大きな約束違反を、総選挙(=衆議院選挙のこと)をやらずに、国民の判断を得ないで、なし崩しで行った。
「増税路線が規定路線(きていろせん)になったら、たとえ増税法案が可決しないでも」年内に衆議院の解散、総選挙を行う。そこで野田政権はお払い箱だ。増税は、野田たちのせいということにして、選挙を行い民主党を不人気で負けさせ、その増税を既定(きてい)の前提にして、次は、1.自民党と2.公明党、3.みんなの党、そして 4.大阪維新の会 (まさしく橋下徹の個性だけで率いる党)の連立政権にやらせる」 というのが、アメリカが描いている 日本あやつりの 次の構想だろう。副島隆彦はそのように考える。
橋下徹を、うまく皆でだまして、あやつれると判断したら、彼を副総理にするだろう。さあ、そううまくゆくか。
だから、我らが小沢一郎は、最後の最後まで、民主党を割らない(自分たちから出てゆく、ということは最後の最後まですべきではない)と、じっくりと考えている。 明らかに、今の野田首相たちは、アメリアの意向(それは、IMF の声明の形で、日本に対して「消費税を上げよ」と明らかに命令している)に従って、言いなりになって動いている( 岡田副首相などは、いかにも 自分はアメリカに脅迫されています、逆らえないのです、というどす黒い顔になってきた)。
私は、どうせ 橋下徹は、大きな力にあやつられて、今から少しずつ態度を変えてゆくだろう(と今もその最中だ)、と冷酷に予測している。だが、それでも以下に書いている彼自身の文は、日本国民の態度決定において極めて重要だ。 民主政治(デモクラシー)の手続き=国民に問え=国民生活にとっての重要なことは選挙の結果で決定せよ、 というのは、大事な主張だ。
増税は日本人の誰にとっても(官僚たちは除く)いやなことだ。国民が嫌がる、そのイヤな事を推進するからオレ様たちはエライのだ、というのが権力者なるものの感覚なのだろう。
5%の消費税の値上げ(1%で2.6兆円の税収。5%で一年で14兆円の税収が増える)は、本当は、日本国がアメリカに貸しつけてある、最低でも公表されている250兆円(日本政府の分だけの米国債の保有残高)、本当は、650兆円(これも日本政府の関係。これが高橋洋一氏が暴いた「650兆円の隠し財源がある。それを国民のために使え」論の根拠)も、あるのだ。 だから、これらのお金の「一部だけでも返してくれ。日本も大変なんだ」とアメリカに言うべきなのだ。
それを、日本の政治家は誰も言わない。小沢一郎だけは、自分たちがきちんと国民の付託(ふたく、トラスト。信じて任せること)を受けた政権を作ったら、対等に、アメリカとこの件も交渉しようとしている。
アメリカにとっては、このことは、瞬間的にカッとなるぐらい怒り出すことだ。「そろそろ借金を返してくれ」と友人関係で言い、かつ言われるぐらい、イヤなことはあまりない。アメリカは返せない。それぐらいアメリカの衰退、と弱体化は進んでいる。 BRICS(ブリックス5カ国。インド、中国、ブラジル、ロシア、南アフリカ)は、このことをよく知っている。だから、この間も会合を開いた。
「カネを返してくれ」と、属国にひとつの民族指導者(=国民政治家)から、言われそうになったら、アメリカ帝国は、その民族指導者を殺すか、すぐにスキャンダル攻撃で、追い落として失脚させる。それが、今のアメリカの政界中へのやり口だ。本当にアメリカは穢(きたな)い国になった。
アメリカこそは、民主政治(デモクラシー)の元祖で、それを史上始めて達成した国なのだ。それなのに、今は、こんなに情けない、汚れた政治手法を使う国に成り果てた。 だから、世界は、どうせアメリカの世界覇権から離れて、徐々に次の世界体制に移行しつつあるのだ。この大きな動きを止めることはできない。それは、人類史(=世界史)の動きだからだ。
私たち日本国民の今の苦しみの、この世界史の大きな動きの一部である。私、副島隆彦は、いつもこのように考えている。
ちなみに、私は、以下の橋下徹氏の、政治家としてのコトバ遣(つか)いでも、いくつか異論があって、私は、× 民主主義 と言うコトバは、学問的に不正確だから、極力つかなわない。デモクラシー(デモス=民衆のこと、今はピープル +(プラス) クラテア で、民衆・代議制=選挙で指導者を選ぶこと・政治体制だ) は、「主義=イズム」ではないので、民主政あるいは、民主政治 と訳して、そのように使う。
以下の 橋下徹氏の即座に書いたと思われるツイッター文でも、一箇所は、正しく民主政と書いている。おそらく法律家としての無意識の正確さのなせる技だ。政治学者たちも たいていは民主政治(東大の政治学科は全員そうしている)と使う。だから、新聞記者たちを含めて、今後は、民主政治(体制)と使うべきである。
それから、橋下徹氏は、「(法的な)手続きを踏むこと」を大事にしている。法の適正(てきせい)手続きを踏むべきことを、 due process of law デユー・プロセス・アブ・ラー と言う。 橋下は、以下の文の中で、「手続きを踏まなくて良いというなら、憲法破棄もありだろ」と書いている。
自分が、ナベツネ(読売の84歳、老害・独裁者 渡邉恒雄)から、「橋下は、政治は、白紙委任などと、ヒトラーのようだ」と書かれて、それに対して橋下が反論しているところが、今の日本の政治言論の中心になっている。
それでは、以下に橋下徹の文のまず重要な3つの文だけを引用する。それから、全文を転載する。
それから、おしまいの方に、朝日新聞の論説委員の恵村順一郎(えむらじゅんいちろう)からの反論の記事があり、それへの橋下徹からの再反論の短い文を載せる。 朝日の恵村の文は、支離滅裂で、文になっていない。読んでも理解できないような文だ。アメリカの力(船橋洋一=ふなばしよういち=主幹、今もそうか? が編集の最高責任者である)による朝日新聞の大きな変質は、やがて、読売新聞( 日本CIA言論として戦後は始まった)との経営統合を進めてゆくだろう。なぜなら、内容が同じ事を言っているからだ。
副島隆彦拝
(橋下徹の文の 引用はじめ)
前回の政権交代選挙の流れからすると、国民は民主党に消費税増税する権限を与えていない。 ここをしっかりと押さえなければならない
日本の政治を機能させるためには、国民が民主主義を大切にすること、選挙を大切にすること、この積み重ねしかない。
国民の誰が民主党の増税路線を承認したと言うのだ。僕は民主党に一票入れた。それは地方分権を進めることと、増税なくして行革をやると言い切ったからだ。
(引用終わり)
副島隆彦です。 以下に橋下徹のツイッターの全文を転載します。
(転載貼り付け始め)
「 もう朝日新聞も読売新聞もフラフラだ 橋下徹twiiter から」
2012年04月06日 橋下徹 大阪市長 の
http://twitter.com/#!/t_ishin から
もう朝日新聞も読売新聞もフラフラだ。政治は国民の鏡。国民の生の声を統合する役割がメディア。今の政治がおかしくなっているのは朝日新聞と読売新聞のせいだ。朝日と読売にしっかりしてもらわないと日本の政治はボロボロになる。
今の朝日と読売は、自分たちが正しいと思っていることをとにかく政治にやれと要求する。日本最大の圧力団体だ。政治もそれに屈する。朝日と読売の考えは国民の考えを代弁していない。そして国民の生の声を政治が汲もうとすると朝日と読売はポピュリズム!と批判する。
朝日、読売は自分たちの声こそが絶対に正しいという思い上がりも甚だしい。選挙を通じた民主政を選択している以上、たとえ不合理であっても国民の生の声を軸にするのは当然だ。それをポピュリズムと呼ぶなら、北朝鮮のような専制体制を選べばよい。日本の学者は民主政を軽視する人が多くなった。
国民の誰が民主党の増税路線を承認したと言うのだ。僕は民主党に一票入れた。それは地方分権を進めることと、増税なくして行革をやると言い切ったからだ。16・8兆円。財源は行革でひねり出せると言い切った。マニフェストに書いてあること全て実現できるものではない。それは分かっている。
しかしマニフェストの根幹部分を変えるのに、国民による選挙を踏まえず、党の代表選挙で変えることができるのか。もう民主主義もへったくれもあったもんじゃない。朝日も読売も、増税という立場なのであろう。それは良い。しかし民主主義の要はプロセスをきちんと踏むことだ。
選挙で裏付けられたマニフェストの根幹部分を変えるのに、内部(だけの)手続きで良いわけない。こんな民主主義のイの一番のところを天下の朝日や読売でさえ理解していない。そりゃ日本の政治が成熟しませんよ。手続きを踏まなくて良いというなら、憲法破棄もありだろ。朝日はどう答えるのか!
大阪維新の会は「消費税の地方税化、地方交付税廃止、消費税を上げるかどうかは地方判断。」この方向性を選挙で訴えるべきとの考えだ。民主党の考えとは全く異なる。朝日社説は増税と言うことで一緒だろと言う。とんでもない!朝日も読売も毎日も産経も、もっと選挙・民主主義を大切にすべだ。
僕は消費税増税に完全反対ではない。ただ今の国税として、社会保障目的税としての増税には反対だ。地方に移譲し地方が増税するならそれで良い。しかし地方は増税を嫌ってサービスを削るかもしれない。増税の可能性を認めているからと言って、今の増税案と同じだと主張する朝日新聞は本質論を誤っている。
僕は憲法改正には、憲法96条の改正手続きは踏まなければならないと思っている。そりゃ憲法破棄を言う方が簡単だが、やはり手続きこそが民主主義の要。絶対的に正しい価値などない。だからどの価値を選ぶのかのプロセスを重視しようと言うのが民主主義だ。ところが今の朝日と読売はどうだ?
自分たちの価値を絶対的な正義と位置付け、そのためならプロセスなんぞ一顧だにしない。これこそ非民主主義の体制そのものだ。民主党のマニフェストの根幹を変えるプロセスは、党の代表選ではない。やはり面倒でも総選挙を踏まえなければしょうがない。そうでなければ国民は政治を全く信用しなくなる。
そして読売新聞の渡辺( 転載者 註 渡邉恒雄 通称ナベツネ ) 主筆 (引用者 註。会長でありながら、自分が今も84歳にもなって、編集権を握る、ということの表明のために、「主筆」だと公言する。アメリカの意思で動く日本の独裁者のひとりである。) は、「政治と言うのはある種の白紙委任」 という僕 の主張に猛反発され、僕をヒトラーになぞらえる。 今回、 民主党が増税路線に舵を切ることこそ白紙委任の最たるものじゃないか! 選挙の時には民主党ははっきりと消費税増税を否定した。 そして選挙後、増税???
これを白紙委任と言わずして何と言う。僕は政治に裁量が必要だと言う意味で ある種の白紙委任と表現した。マニフェストに細かなことを書いて政治の裁量性を奪うやり方は日本のためにならない、と。だからマニフェストは方向性を示すべきだ、と。 ところがそれに読売の渡辺主筆は猛反発。
僕の「ある種の白紙委任論」 は、それでも 選挙の際に大きな方向性は国民と約束しそれに政党・政治家が拘束されることが大前提だ。しかし、今回の民主党はどうだ? 選挙の時に消費税は上げないと言ったことは、まさに国民との大きな方向性の約束だ。
朝日や読売は選挙の度に何と言っている? 維新の会にも何と言っている? 政策選択選挙にしろ! 公約をしっかり示せ! 国民に説明しろ! と いつも言っているではないか! もしこんな簡単に民主党が増税路線に舵を切れるなら、選挙前の公約発表も政策討論会も何も要らない。完全な白紙委任となる。
前回の政権交代選挙の流れからすると、国民は民主党に消費税増税する権限を与えていない。 ここをしっかりと押さえなければならない。こういうことを大切にする政治慣行を確立 (転載者 註 しなければいけない。そう) しないと、日本の民主主義は成熟しない。 相も変わらず議会では 野党は反対するだけ。 もう国民はほとほと嫌気がさしている。
日本の政治を機能させるためには、国民が民主主義を大切にすること、選挙を大切にすること、この積み重ねしかない。 選挙が全てでないと言い切る国では 民主主義が発展するわけがない。 国民が選挙結果を大切にする。そうすると議員も選挙結果を大切にする。
自分の考えとは違うが選挙結果に従う、多数決に従うという国民風土を作り上げるしかない。 選挙結果を変えるのは大変な作業が必要なんだ という国民風土が残念ながら日本には確立されていない。その典型例が、朝日新聞、読売新聞だ。 その他の大メディアも。前回の選挙で示された民意は何か。
民意をバカにする役立たず学者はいくらでもいる。 こういう輩は口ばっかりで小難しい事を言うが、役所に来て組織に指示の一つもできない輩だ。 選挙での民意を大切にする。それが民主政の原点だ。民意は危うい。移ろいやすい。 不合理な判断もする。しかしそれでも選挙での民意を大切にするのが民主政だ。
(転載者 註 私、橋下徹の政治手法を ) 衆愚政治だ、ポピュリズムだと言う輩は、よほど自分に自信があるんでしょうね。 一般大衆よりも自分は上だと言う。 気持ち悪い。 前回の政権交代選挙での民意は民主党が消費税を上げないということを信じての一票だ。 民主党内の代表選 で覆せるわけがない。朝日も読売も目を覚ませ!
何らかの増税が必要なのは当然だ。 じゃあどういう増税をするのか。そこを決めて、選挙だろ。一定の方向性を示して国民の信を得る。細かなことは専門家に制度設計させれば良い。
大阪維新の会は「消費税の地方税化、地方交付税廃止、消費税を上げるかどうかは地方判断。」 この方向性を選挙で訴えるべきとの考えだ。 民主党の考えとは全く異なる。 朝日社説は増税と言うことで一緒だろと言う。とんでもない! 朝日も読売も毎日も産経も、もっと選挙・民主主義を大切にすべだ。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。このあと、朝日新聞の論説委員から、橋下への反論の記事があった。それに対して、橋下がさらに応酬している。しかし、どうせ、朝日新聞は、「我が社は増税派だ」と書けないから、歯切れが悪いに決まっている。この論争は、朝日の負けで、橋下の勝ちだ。私の判定だ。
(転載貼り付け始め)
「橋下大阪市長ウォッチ に 朝日新聞論説委員が夕刊で反論」
「橋下市長「天下の朝日から返信頂けるとはびっくりだ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120406-00000007-jct-soci
ヤフーニューズ 2012年4月6日
橋下徹市長が、朝日新聞の社説を批判したところ、朝日新聞の夕刊で論説委員が橋下氏に「逆襲」した。
橋下市長は早速、ツイッターで「天下の朝日新聞の論説委員から直接返信を頂けるとはびっくりだ」と反応し、論説委員の名前を挙げ、「恵村(えむら)さん、間違っています」と再批判を展開した。
■「橋下さん、これでも朝日は狂っていますか」
朝日新聞は 2012年4月4日付朝刊の 社説「小沢流 民主主義が泣いている」で、消費税増税をめぐり反対する、民主党の小沢一郎元代表グループを批判した。
一方、橋下市長は4日深夜からのツイッターで、小沢氏を擁護し、朝日新聞を「狂っている」と批判した。J-CASTニュースも5日配信の「橋下大阪市長ウォッチ」で取り上げた。
これに対し、朝日新聞の4月6日付夕刊のコラム「窓 論説委員室から」で、恵村順一(えむらじゅんいちろう)氏が、「橋下さんへの返信」で反論した。
民主党が、消費税増税をマニフェストに書かず、税率を上げないと言っていたのは、橋下氏の主張の通りだが、「そのことと、小沢氏らの言動は別の話だ」として、
「民主党でも大阪維新の会でも、党員なら政党として手順を踏んで決めた結論には従う。それが党内民主主義だ」
と指摘した。さらに、「その結論」を市民や野党、報道機関がチェックするのも「当たり前の民主主義」だとして、「橋下さん、これでも朝日は狂っていますか」と問いかけた。
■橋下市長「まさにご都合主義そのもの」
橋下市長のツイッターは4月6日昼ごろ、やはり消費税増税問題を中心に、「今の朝日と読売は、自分たちが正しいと思っていることをとにかく政治にやれと要求する。日本最大の圧力団体だ」などとつぶやいていた。
18時ごろからは、朝日新聞の夕刊への反応が始まった。
「4月6日朝日新聞夕刊。僕のこのストレス発散のツイッターに、天下の朝日新聞の論説委員から直接返信を頂けるとはびっくりだ。恵村さん、間違っています。民主党内の手順を踏んだ決定が、そもそも有効か無効かを考えなければならない。その規範は、国民との約束であるマニフェストだ」
と朝日論説委員からの「返信」に驚きつつも、即座に再反論を展開した。党内民主主義より次元の高い問題があり、それは民主党による「マニフェスト違反」という指摘だ。
以降、(橋下市長は)2時間程度の間に35ツイート以上の連続投稿を小刻みに続けた。一部を紹介すると、
(6ツイート略) 「恵村さんは民主党の代表選の選挙結果を重視して、小沢先生に従うべきだと言う。では政権交代選挙の結果についてはどう考えているのですか?恵村さんは増税という結論先にありきなので、論理が破綻する。民主党の代表選を重視しながら、政権交代選挙は軽視する。まさにご都合主義そのもの」(以降、27ツイート以上略)
といった調子だ。「選挙で裏付けられたマニフェストの根幹部分を、民主党の内部手続きで全て変更できるという朝日新聞はやっぱり狂っている」とも書いた。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【826】[935]産業の寿命
「副島隆彦の学問道場」学生会員 会員番号7416番
加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下「~だ。~である。」調にて、産業の寿命について思考したことを記載します。
ピーター・F・ドラッカーがその著作である「マネジメント」や「プロフェッショナルの条件」などの中で主張している通り、1つの産業が爆発的に隆盛するのは約30年間が限度だ。
物事がずっと同じように続いてゆくと必ず陳腐になる。
それゆえ、事業をずっと続けてゆくには少しずつ新しいものを取り入れていくのが秘訣だ。これを蔑ろにすると歯車が狂うのである。
現在の日本の官僚機構の連中が「伝統主義=前例踏襲主義」を妄信している現状を見れば、それは明らかである。(小室直樹先生 著作「これでも国家と呼べるのか」「日本国民に告ぐ」 参照)
1つの産業が隆盛するのは約30年が限度だ、ということは現在の日本の斜陽産業を見ても明らかだと思われる。
自動車産業、電子機器メーカー産業、金融産業、輸出産業などが経営難に陥っているではないか。
だが、今までのものを急激に新しいものに変えるのは良くない。
周囲の人間たちがついてこないからである。周囲の人間たちがついてこないなら、時期を待つべきである。
この世に生存している大多数の人間と自分の考えが合致するまで準備しつつ雌伏して「待つ」能力と、雄飛の時を見極める眼力を備えていなければならない。このことは、徳川家康の人生から学べる。
スティーブ・ジョブズの言う通り、「人間は生まれたときから自分が何になるべきかを知っている」のだと私は信じている。
私はそれを実証するために、自分の心の思うがままに生きてゆく。
その過程で死ぬならば、それが天命だと割り切って死ぬべきだと考えている。
何かご意見がありましたら私のアドレスにメールを送って下さい。
宜しくお願いします。
加地 龍太 拝
【825】[934]<追想録> 舘龍一郎さん
会員の渡邊隆史です。
4月6日付けの日経新聞夕刊に舘龍一郎さんという東京大学名誉教授の追悼記事が載っていたのですが、典型的な「帝国に育てられた優秀な現地人」の経歴に思えたので転載します。
(転載はじめ)
● <追想録> 舘龍一郎さん(東大名誉教授) 経済学者の政策関与へ道
「役に立たない経済学は意味がない」。
積極的な政策提言で、高度成長期の経済政策を支えた。
東京帝国大学経済学部に在学中に学徒動員で陸軍に。
戦後、東大に戻り、ロックフェラー財団の奨学金で米エール大学などに学んだ。
帰国後、東大ではマルクス経済学にのっとって教える教授ばかりのなかで、批判的な視線を浴びながらも近代経済学を教え続けた。
今に至る東大近代経済学の基盤を築いたといえる。
政策提言では、独占禁止政策の観点から八幡製鉄と富士製鉄の合併に反対意見を表明するなど行動派の学者として頭角を現した。
1970年代には佐藤栄作、大平正芳の両首相の経済アドバイザーとしても活躍した。
最大の功績は金融自由化の道筋をつけたことだ。
80年代初め金融制度調査会で自由化を進める必要性を説く一方、銀行経営が厳しくなることを見越し安全網の確立を訴えた。
90年代初めには銀行と証券の子会社方式による相互乗り入れを唱導した。
合理的な考えと、温厚な性格で、経済学者が政策に関与する道を開いた。
自らは役所の案に何度も手を入れ直すこだわりを持っていたが、のちに役所の言いなりになる御用学者が出てきたことにはじくじたる思いを抱いていた。
=2月11日没、90歳
(転載終わり)
竹中平蔵氏の先達みたいな人のようですね。
【824】[933]「橋下氏はキングメーカーなり得る」米日本専門家が論評
会員の平田裕子です。
「929」で、副島先生が
今は、橋下徹(はしもととおる)大阪市長が大変な人気で、彼の「維新の会」が国政にまで攻め上がってくる、という感じになっている。私は、これも深く、初めから小泉純一郎とアメリカが仕組んでいる動きだと、分かっているから、一切、評価しない。
と、お書きになっていることがよく表れている記事を貼り付けます。
やっぱり、日本あやつり班のマイケル・グリーン氏が関与しています。
●「 「橋下氏はキングメーカーなり得る」米日本専門家が論評 」
2012年3月21日 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120321/waf12032118410018-n1.htm
【ワシントン=古森義久】いま日本の政治を揺さぶる大阪市長の橋下徹氏と市長率いる「大阪維新の会」について、米国政府の元国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長、マイケル・グリーン氏が20日、「橋下氏は異色のリーダーシップ技量を備え、国政舞台では首相の任命を左右するキングメーカーとなりうる」などと論評した。
マイケル・グリーン氏
戦略国際問題研究所(CSIS)日本部長やジョージタウン大学教授を務めるグリーン氏は、アジアの新リーダーについてのセミナーで、「橋下氏への人気は日本の政治での異色な重要現象で、同氏はポピュリスト(大衆に訴える政治家)として明確な技量を備えている」と述べた。
グリーン氏は、日本では県や市などの地方自治体の長やそのグループが国政にすぐに進出することは構造的に容易ではないと指摘する一方、橋下氏がこの枠を破って国政の場で活躍する可能性もあるとの見解を示した。その場合、「首相あるいは首相の任命を左右できるキングメーカーになることも考えられる。小泉純一郎首相のような国民の信託を得るリーダーになるかもしれない」という。
日米関係への影響についてはグリーン氏は「橋下氏がたとえ首相になっても日米同盟支持、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)支持の立場を考えると、米国との安保関係も経済関係も円滑にいくだろう」と語った。ただし、橋下氏の反原発の姿勢には「日本の経済を考えれば、夢想しているに等しい」と批判した。
(記事の転載終了)