重たい掲示板
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鎌倉仏教の謎を解く 第三回 (重たい掲示板990,999の続き)
重たい掲示板1000回に到達です。記念すべき第1000回を書かせていただき光栄です。
「ふじむら掲示板」に藤村甲子園さんが吉本隆明「最後の親鸞」を読んで、という記事を書かれているのを、私は今日拝読しました。
実は巻末の最晩年の親鸞のところが難解で、一回読んだだけでは吉本氏の結論がつかめなかったので、藤村さんの記事は大変参考になりました。感謝します。吉本氏はやはりマルキストなので、親鸞の思想は宗教の存在意義の否定だということが書かれていて、難しく考えすぎていた私にとって示唆に富んでいました。確かに吉本氏の「真贋」(しんがん)という本にも、「浄土真宗は実体としての浄土がないということをはっきりいっている点で、宗教を否定するところに成立した宗教である。」ときちんと書いてありました。
あの本の最後の章は言葉こそ「即自的」、とか「対自的」という言葉は使われていないけれど、ヘーゲルの弁証法を駆使していると思います。ヘーゲルの論理学を読んでいるようで、これは抜け出られなくなるぞ、投げ捨てないと、と私は思いました。ヘーゲル左派のフォイエルバッハが「ヘーゲル批判」の中で「論理学は一回読んだら捨てろ、でないと堂々めぐりでヘーゲル学者になって一生終わるぞ」と書いているのを読んだ記憶を思い出しました。「最後の親鸞」もそういう構造になっていると。
ところで実際に吉本隆明のいうように、「実体としての浄土はない」と浄土真宗では教えているか、というと答えは否であろう。800年も昔から浄土真宗のお坊さんは「南無阿弥陀仏を唱えれば阿弥陀仏に救いとられる」と教えてきただろう。一方、吉本氏も「浄土真宗が無神論である」ということを述べているのではない。
ここからは私の考えであるけれども、法然と親鸞の悪人正機説(あくにんしょうきせつ)には質的な違いがある。法然の悪人正機説は、いかなる衆生の罪悪も阿弥陀佛の慈悲によって救われるという「許し」を前提として、専修念仏によって往生を遂げるという教えである。これはわかりやすいと思われる。だから法然の念仏と、穢れたものとされた女人の念仏とに一切の区別はない、みな同じと、法然は力説した。法然の念仏は晩年になるにつれて激しい行となっていった。けれども、門人には誰であれ自分ができるだけの念仏でよい(易行道)をといていた。法然は仏教の厳格な戒律も決して破らなかった。だから聖人カリスマである。慈円も法然に近いタイプだったろう。
一方の親鸞は歎異抄で「いづれの行も及び難き身なれば、地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」と言った。自分のことを凡夫といい、また愚禿親鸞と名乗った。1204年後鳥羽院のもとで出された、法然一門の念仏停止(ちょうじ)と京都追放令(承元の法難)で親鸞は越後国に流される。が、これを機として、あるいは奇貨としてというべきか、自ら非僧非俗であるといい始める。自分は悪を背負う人間である、と。
親鸞の悪人正機の場合は、親鸞自身の悪の自覚によって、往生を遂げることが可能となる。
「自分が一番ワルである。自分が一番弱い。だが阿弥陀如来は救ってくださる。よって心配ない、あなたがた皆も救われる。」
というわけである。だから親鸞の存在と、その神話化が浄土真宗にとっては決定的に重要になっていくのです。私は義経伝説との類縁性まで感じます。義経は弱い、というだけですが、親鸞は悪人でしかも弱いカリスマなのです。
また越後配流後の親鸞はイエスと似ている、と吉本氏も言っています。けれどももちろん罪悪といっても文化的な働きが全然違います。これだけを言ってもあまりピンとこないですよね?
これは日本文化の独特の形式と関連していると思いますので
2つほど面白い例をあげたいと思います。が今日はこの辺でいったん終わりにさせていただきます。
田中進二郎拝
【883】[999]鎌倉仏教の謎を解く 第二回
「 鎌倉仏教の謎を解く」(前回990の続き)
関連する主な出来事年表
1192年 1月 源 実朝生まれる。 3月後白河法皇死去。 7月源 頼朝征夷大将軍に任命される。慈円延暦寺座主(ざす)となり、宗教界のトップにつく。前年に九条兼実は関白に就任。
(源頼朝 45歳 北条時政 54歳 北条政子 35歳 後鳥羽上皇12歳 法然59歳
九条兼実(くじょう かねざね)44歳 慈円37歳 親鸞19歳 源頼家10歳)
1195年 6月 奈良の東大寺の再建供養式が頼朝、後鳥羽上皇らの参列のもとでおこなわれる。
頼朝3ヶ月在京する。
1198年 法然「選択本願念仏集」(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)著す。
1199年 1月 頼朝死去。頼家が後を継ぐ。 4月 頼家の親政が制限され、北条時政が13人の御家人による合議制を定める。
1201年 親鸞、慈円の下を去り、法然の弟子となる。
1203年 9月幕府有力御家人で頼家の義父、比企能員(ひき よしかず)討たれる。北条時政・
政子親子、頼家を伊豆の修善寺に幽閉。
1204年 実朝、坊門信清(ぼうもん のぶきよ)息女と結婚。
1205年 3月「新古今和歌集」なる。幕府有力御家人 畠山重忠(はたけやま しげただ)討たれる。
1206年 (モンゴルでチンギス・ハンの即位)
1207年 法然 土佐に、親鸞 越後に配流される。
1213年 和田合戦、和田義盛(わだ よしもり)敗死。北条義時(よしとき)が執権と侍所を兼任
実朝、藤原定家(さだいえ)より、相伝の万葉集が贈られる。このころ金槐和歌集(きんかい わかしゅう)がなったとされる(金は鎌倉、槐とは槐門(だいじん)の意味で、鎌倉右大臣実朝の歌集の意味だそうだ。)
1218年 12月、実朝右大臣になる。
1219年 1月実朝、鎌倉の鶴岡八幡宮にて暗殺される。 6月京から九条 頼経(よりつね)が鎌倉に迎えられる。(九条兼実の孫)
1220年ごろ 慈円「愚管抄(ぐかんしょう)」を著す。
1221年 承久の乱。後鳥羽上皇軍、北条氏率いる幕府軍に敗れる。
1225年 慈円死去。
(日本の歴史「武者の世に」 集英社を主に参考にしました。)
(これよりその1の本文)
慈円(1155年~1225年)という人物について、日本史研究家はあまり注目してこなかったらしい。というのは、摂関藤原家の血をひくエリートであったせいで、判官びいきの日本人に受けが悪かったからだ。源義経の生没年を調べると、1159年~1189年で義経の生きた時代と前半生は一致している。それゆえに義経伝説の裏に隠れて不人気であった時代が長く続いた。たとえば慈円の和歌は百人一首の中に入っている。
「おほけなく 憂き世の民に おほふかな わがたつそまに 墨染めの袖」
(身の程知らずの私であるが、この世の民をおおってやることにしよう。
私の立つ比叡山の墨染めの衣でもって)
この一句には慈円の為政者=宗教界の支配者としての意気込みが歌われているのであるが、多くのひとびとはカチンときてしまうらしい。「なんて傲慢なやつなんだ。」と。
だがそれは権力者、上流階級、栄達をきわめた人間=悪という図式でしかものをみることのできない間違った歴史認識である。そのくせ判官びいきの人間には、「弱いけど本当は血筋の良い人(貴種)」に対する憧憬(しょうけい)がいつもある。素朴で・頑固で・単純な人間の特質である。
一方、和歌が好きな人間で、源実朝の金槐和歌集の素晴らしさにケチをつけたりする人はいないでしょう。「あの暗殺された悲劇の将軍ね」それだけでかなり色眼鏡がついているでしょう。けれども、慈円の和歌が果たして実朝に劣るとはいいきれないのではないか。慈円の歌には、実朝に強烈な影響を与えていたであろう、と思える歌がいくつもあるし、現代でも、くちずさむように歌われていいと思えるようなものがある。
みな人の知りがほにして知らぬかな
かならず死ぬるならひありとは
(新古今和歌集832 無常)これは「メメント・モリ」(死を忘れるな)だ。
明けばまず木の葉に袖をくらぶべし
夜半(よわ)の時雨(しぐれ)よ
夜半の涙よ
(拾玉集)
これなんかは意味はどうでもいいが、明らかに民謡の歌詞だ。イタリアのカンツォーネだと思えばいいんじゃないか?この句の「~よ、~よ」という呼び方は今でも生きている。「浜辺の歌」の原型か、もしかすると?「愚管抄」の中には大和言葉の特徴を論じた箇所もあり、いきいきとした日本語を用いることの重要性を800年も前に指摘している。これは後ほど引用する。
慈円は日本のマキャベリだと思ってかきはじめたこの原稿であるが、芸術の世界をもリードしていっている、慈円の姿をみつけてしまった。
貴族階級の人間は余計なことで神経をすりへらしたり、ニーチェのいうようなルサンチマンに苦しめられることがないから、ダイレクトに言葉を伝えることができる。それを享受する庶民は「自分と同程度の人間だ」という思い込みから、「傲慢な人間だ、いけすかないなあ。」等と言って自分も偉いつもりになってみたりする。それがニーチェのいう小人である。
慈円の「心」を歌ったものには宋学の影響がみられる。(と思う。)宋学は日本ではもう少し時代が下ってから、後醍醐天皇のころに朱子学として本格的に日本に輸入されてくるのであるが、北宋時代の思想家、周敦頤(しゅう とんい1017年-1073年)の道徳的価値の「誠」を唱えた「通書」などを慈円が知らなかったとは想像しにくい。平清盛が行った日宋貿易により輸入された書物を、慈円は経典のみならず、歴史書や道家(どうか)も読んだことだろう。比叡山の想像しがたい冬の寒さの中でも、若き慈円の厳しい修行は続けられていった。
世の中を心高くもいとふ(厭う)かな
富士のけぶりを身のおもひにて (新古今和歌集1614)
厭世を歌っているのですが、志は高いのだといっているのです。次の歌と変わらないですね。
わが胸のもゆる思いにくらぶれば
煙はうすし桜島山(坂本竜馬)
次はごぞんじの方も多いだろう。Go my way! だ。
わが心奥までわれがしるべせよ
わが行く道はわれのみが知る (拾玉集)
山里にひとりながめて思ふかな
世にすむ人の心強さを (新古今1661)
最後の「心強さを」がストレートに響いてきませんか?
新古今和歌集には92首も採られており、西行法師に次いで多いそうだ。そんなこととは
私も知らなかったのですが。今回は和歌の巨匠慈円について書いてみました。 田中進二郎拝
【882】[998]『サクランボ』予約販売終了 ご報告6
『サクランボ』完売 ご報告6
学問道場 会員 福島県出身の泉浩樹です。
『サクランボ』完売 ご報告6 申し上げます。
※『紅秀峰 サクランボ』ご予約ありがとうございまいた※
「有我果樹園」より お客様にお知らせです。『サクランボ』紅秀峰がご予約にて予定数完売です。
>次回は『もも (アカツキ)』を7月後半に ご案内致します。
『副島隆彦「学問道場」』をご覧の皆様からは ご理解とご愛顧をいただき 厚く感謝を もうしあげます。
一部のお客さまに 手違いにより ご迷惑をお掛けしました。
ここで お詫びを 申し上げます。
有我果樹園のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ariga0729
FAXにての ご連絡を お願い申し上げます。FAX:0248-76-7384
福島県須賀川市浜尾 「有我果樹園」
みなさま、ご注文を ありがとうございました。
⁂次回の「桃」のご案内も ご期待いただきます様 お願い申し上げます。
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福島県人は皆元気にしております。風評には負けません。
ご理解を頂き ありがとうございました。
泉浩樹 拝
【881】[997]私の金融の講演会がこの日曜日にあります。
副島隆彦です。今日は、2012年6月27日です。
私は今週末の7月1日に「副島隆彦の“予言者”金融セミナー 第4回」を行います。
この金融講演会は、電話かメールかFAXで申し込んでください。
問い合わせ:ブレイントラスト企画(成甲書房内)
電話:03-3292-8401(平日:午前10時から午後6時まで)
FAX:050-3156-3040
email: seminar@seikoshobo.co.jp
開催日:2012年7月1日(日)
開演:午前11時(開場・受付:午前10時)
終了:午後5時30分(予定)
受講料:15,000円(税込)/全自由席
会場:東商ホール(東京商工会議所ビル4階)
アクセス:JR有楽町駅・・・5分、地下鉄千代田線二重橋駅前・・・2分、
都営三田線日比谷駅・・・2分
あとすこし席があるそうです。上記に申し込んでください。
副島隆彦拝
【880】[996]カザフスタンについて
会員番号5533です。福島では,私は二本松の温泉にもつかり,数日間,硫黄のにおいが肌に残り本当に鉱泉という感じがしました。旧ソ連では,ロシアとカザフスタン国境近くのアルタイや,タジキスタンのパミール高原の温泉が有名です。万病が治ると言われ,いずれも山岳地です。アルタイは,「ウラル・アルタイ語族」と言われるように,日本人の祖先の地と言われます(マンモスを追って,魚好きは極東に行き日本人となり,肉好きはカザフに残ったと,カザフ人は言います)。
さて,前回ベラルーシを紹介して,「学問道場的に(吉見さんいわく)」もう少し書きたいことはあるのですが,とりあえず,もう1つの関連の国,カザフスタンについて書きます。カザフのセミパラチンスクでは,ソ連時代に地下を含め核実験が450回以上行われ,人体への後遺症も含めて,データは全てモスクワに送られた,と言われます。
私は,かつてカザフスタンの首都アスタナにいました。アスタナは,フルシチョフ時代に小麦栽培地として開拓され,「Целиноград(ツェリノグラド,ロシア語で処女都市)」と呼ばれました。停滞の象徴のように言われたブレジネフ書記長もカザフのアルマティにいたことがあり,地方開発(「自然大改造計画」)には意を尽くしたようです。
アスタナは,冬はマイナス30度にもなりますが,空気も清潔で,きちんと着こめば大丈夫です。カザフは,旧ソ連時代,「カザフスタン及び中央アジア」と呼ばれ,自分たちは,ロシアに次いで,少し別格なのだと言う意識があります。一時は,ロシア系住民が5割を超え,今も,他の中央アジア諸国と比べて多いので,小ロシアの感があります。ナザルバエフ大統領は,首都アスタナに近い,炭鉱都市カラガンダの製鉄所の労組議長からのしていき(現在はインドのミッテル社が所有),ソ連解体を阻止しようと努めました。ゴルバチョフの後は,ソ連の大統領になるはずだった,と言う人までいます。91年12月,独立国家共同体(CIS)会合も,カザフのアルマティで開催されました。カザフは,ソ連は解体してほしくなかった国の1つです(ちなみに,副島先生の著書で,カザフの写真の説明には違っているところがあります)。
カザフ人の顔つきは日本人に近く,赤ん坊のお尻には蒙古班も出ます。ロシア人の血も混じっているのか,なかなか美男美女です。ロシアにならって(?),技術革新に力を入れようとしていますが,ものづくりの力は強くないと思います。でも,石油,ウラン,レアメタルが豊富にあり,「実物資産」の時代を知っているのか,結構いばりがちです。東芝他,日本企業(銀行含む)は2006年以降進出を加速しましたが,カザフ人にとっては,「おー,よく来たな」と言う感じです。
というのも,2000年代前半から石油価格の高騰に支えられ,外貨を貯める一方,金融面では世界銀行から顧問を招き,基金を設立し,その運用に努めてきました。自分たちは,中進国で特別なのだ,というプライドも極めて強く,日本に対して勤勉さや技術力ではかなわないと思う一方,独特の「選民思想」から,非資源国を下に見る傾向もあると思います。
ロシアを恐れる意識はやや弱まる一方,中国への恐れ(単なる資源供給地となることへの反発)も強いです。ロシア,ベラルーシとともに関税同盟を構成しているので,ロシアを支える意識ももちろんあります。
アメリカとの関係は,独立当初,ナザルバエフ大統領にアメリカからの資金が渡ったという「カザフゲート」事件が,昔からささやかれていて,そこが,アキレス腱とも言われます。
数年前に,首都アスタナに,その名も「ナザルバエフ大学」が設立されましたが,学長には日本人で,前・世銀副総裁(勝茂夫氏)を呼びましたが,いつも勤務しているのかどうかわかりません。また,アスタナには,「ユーラシア思想」を唱えたグミリョフにちなんで,グミリョフ名称ユーラシア大学があり,ユーラシア大陸の中心を自負しています(ただし,経済・学術は南の旧首都アルマティの方が進んでいます)。
カザフは,かねてから国連に,援助機関設立の支援を求めています。2006年にはユーラシア開発銀行(れっきとした国際機関です)をロシアと設立し,旧ソ連を中心とした加盟国に対する財政支援やインフラ整備などの融資を始めています。本行はアルマティにあります。ただし,貸付金の回収を重視し技術的実施可能性をあまり重視しない点は,欧州復興開発銀行(EBRD)に近く,世界銀行やアジア開発銀行とは異なると言われます。
カザフ人の友人から,世界のトップクラスが,秘密裏にカザフに金融センターの設立を決めたと,という話を聞きました。 なるほど,副島先生の言われることは,いろいろ補強材料が多いかなと感じています。
【879】[995]「増税談合勢力」 の 野合(やごう)の増税に反対する。
副島隆彦です。
私は、イタリアに行っていました。現地で金融・経済の調査を兼ねて、ミケランジェロやメディチ家 が 闘いとった、新プラトン主義(アッカデミア・プラトニカ)とルネサンス(イタリア語なら Rinascimento リナシメント)の本当の意味を探る調査旅行をしました。 足が腫(は)れたりして、今はやや疲れ気味です。
来週には、3冊、新しい私の本が書店に次々と並びます。それらは金融・経済の本ではありません。 そして、昨日、私は、私の渾身(こんしん)の 2年間かけて死に物狂いで書いた 「隠(かく)された歴史」(PHP刊、7月末)を書き上げました。
これは、阿弥陀如来(あみだにょらい)、観音さま、弥勒(ミロク)菩薩の三人の女神は一体どこからやってきたのだ。ゴータマ・ブッダ(お釈迦さま)とは別人だろう。という 日本の仏教1500年間のすべてと、そして 仏教16宗派すべてに対する、私、副島隆彦からの 本気での 解明作業であり、日本思想史の 全領域、全体像 への 私からの挑(いど)み懸(かか)りです。私は、思想家としての全重力を掛けて、この仕事をしました。 希(こ)うご期待。この本のことは、これから何度でも紹介します。
さて、国会(国民議会)での、消費税増税をめぐる緊迫した闘いが続いています。 野田政権は、恥知らずにも 自民党と公明党との「3党合意」(6月15日深夜) という超党派(ちょうとうは)での 消費税増税の衆議院議院での法案可決を2日後の、26日(火)を目指しています。
これはハレンチ(破廉恥)漢のする野合(やごう)だ。まともな国民国家における政党政治のやることではない。
消費税増税(年間13.5兆円になる)など国民は誰も望まない。この増税は、アメリカにさらに貢ぐための資金づくりだ。日本の財務省(勝栄二郎 と 武藤敏郎がドン)がアメリカの言いなりになって、今でさえ総額1000兆円(政府系銀行の、米国債の秘密での購入の、貢ぎ額の総額だけなら250兆円ぐらい)もアメリカに奪い取られているのに、さらに衰亡するアメリカ帝国は、残酷に日本から、「IMFを通じたヨーロッパ救済のための資金」として毟(むし)り取る。
アメリカ自身は、G20(ジー・トエンティ)の場で、赤っ恥もので、IMFへの冥加金(みょうがきん)、奉加帳(ほうがちょう)に1ドルも出せない。世界中の 乞食(こじき)のようだ。日本は5兆円(600億ドル)出させられた。
今度の増税のお金も、こういう処に、今後も、どんどん使われてゆくのだ。
国民の福祉のためのお金ではない。野田たち民主党内の裏切り者、売国奴どもと、自民党のワル(石原のぶてるのチンピラはもうすぐ首だ)、公明党(ただの宗教団体に戻れ。国民政治をするな) の 野合集団だ。 以下の新聞記事にあるとおりの、 「増税談合(だんごう)集団」だ。
「国民の生活が一番(大事)」の逆の、この「国民生活など最後でいい。まず、アメリカさまへの忠誠、貢ぎ物が一番だ」の 増税法案への賛成など、許しがたいことだ。
私は、小沢一郎という優れた国民指導者と共に最後まで増税法案に抵抗し反対する。日本国民で増税に積極的に賛成の者などいない。2009年の8月のあのマニフェスト(国民との約束)の総選挙の結果を、踏みにじるすべての狡猾な勢力と、私たちは、闘い続けるべきです。 増税反対と言い続けるべきだ。それが日本人としての正義だ。
(転載貼り付け始め)
●「 民主60人超、造反の意向…棄権・欠席が拡大 」
読売新聞 2012年6月24日(日) 午前3時2分
消費税率引き上げを柱とする社会保障・税一体改革関連法案の衆院採決で、造反の意向を固めている民主党所属議員が60人を超すことが23日、読売新聞の調べで分かった。
約50人が反対票を投じる意向で、13人が棄権か欠席など賛成以外の対応を検討している。自民、公明両党が賛成する見通しのため、26日の採決で法案の可決は揺らがないものの、造反の広がりに党執行部は危機感を強め、巻き返しに躍起になっている。
民主党所属議員は289人。採決は記名投票で行われる見通しだ。反対票を投じる意向を明らかにしているのは、小沢一郎元代表のグループの衆院約80人のうち45人と、鳩山元首相グループの松野頼久(まつのよりひさ)、初鹿明博(はつしかひろあき)両衆院議員。さらにグループに所属しない議員1人が反対するとしている。
棄権か欠席の方針を明らかにした議員は7人で、「賛成はできない」として棄権・欠席か反対を検討している議員も6人いる。賛否を決めていない議員も10人弱おり、造反はさらに増える可能性もある。
衆院議長と欠員を除くと、衆院過半数は240となる。与党勢力は国民新党の3議席を含めて292。仮に、民主党の離党者が54人以上になると、与党は半数に届かず、単独では内閣不信任決議案を否決できなくなる。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。以上が現在進行しつつある事態だ。この増税反対に衆議院議員の70人から80人、もしかしたら自民党からも 棄権者、欠席者とかが出て、26日には、100人近くが増税反対の意思を表明するだろう。私たちは、この国民思いの真面目な政治家たちと共に歩めばいい。
以下の新聞記事のなるような、「増税談合(だんごう)勢力」との国民的な闘いを続ければいい。
(転載貼り付け始め)
●「 不信任案提出されたら どうする首相、そして自公 」
2012年6月22日 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120622/stt12062221120007-n1.htm
消費税増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法案に反対する民主党の小沢
一郎元代表らが集団離党に動き出したことにより、26日の一体改革法 案の衆
院採決後、小沢氏らが衆院に内閣不信任決議案を提出する可能性が出てきた。早
期解散を掲げてきた自民、公明両党にとっては好都合のようにみ えるが、一体
改革法案で修正合意しているだけに参院での可決、成立前に不信任案を提出され
れば、厳しい対応を迫られることになる。
21日午後、東京・赤坂のホテルに小沢氏ら49人が集まったことは与野党に
衝撃を与えた。54人以上が離党すれば与党は過半数割れとなり、51人以上が集団離党し、新会派を結成すれば単独で不信任案提出が可能となるからだ。新 党きづな、みんなの党、社民党などとの共同提出を視野に入れればハードルはさらに低くなる。
自民党の町村信孝元官房長官は22日のBS朝日の番組で、小沢氏らによる内
閣不信任案提出について「それはそれで結構なことだ」とのんき に語ったが、
事態はそう簡単ではない。
不信任案は慣例であらゆる議案に優先して採決される。一体改革法案の成立前
であっても自民、公明両党が野党としての筋を通して賛成すれ ば、不信任案は
可決され、野田佳彦首相は憲法69条の規定により10日以内の衆院解散か、内
閣総辞職(退陣)を迫られる。
首相が衆院解散に踏み切れば、自公両党は「消費税増税賛成の首相よりも増税反対の小沢氏を選んだ」とみなされ、消費税増税への対応を有権者 に説明するのは至難の業となる。しかも自公両党は一体改革法案に関する民主党との3党協議の場で民主党に「小沢切り」を迫ってきた。小沢氏らは選挙で民自公3党に「増税 談合勢力」のレッテルを貼り、徹底攻撃を仕掛けるに違いない。
首相が退陣し、新内閣が発足すれば、一体改革法案の3党合意は「無効」とみ
なされ、一からやり直しとなる。民自公の信頼関係は崩れてお り、協調路線に
戻るのは困難となるはずだ。
では、3党合意を重んじ「一体改革法成立までは小沢氏らにはくみしない」と
して不信任案に反対すればどうなるか。これは野田内閣を信任したことと同じとなり、反対勢力からは、やはり「増税談合勢力」との批判を浴びるに違いない。加えて国会には「同一案件を同一国会で取り上げない」という「一事不再議の原則」がある。
これにより9月8日の会期末まで自公両党は不信 任案というカードは封じられる。そうなると、もはや「事実上の連立与党」として内閣の延命に手を貸すしかなくなる。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 このあとも小沢一郎と同志の議員たちは粘り強く闘うだろうが、どうしても新党結成に向かわなければ済まないのであれば、それなら内閣不信任案を出して、自民党、公明党のワルたち(卑屈な現実主義者たち)が、それに同調しないなら、野田佳彦たちを支持するますます野合(やごう)政権となって、おかしなことになって、アメリカに尻尾を振り続けることだげが本意・主眼の大日本翼賛(よくさん)政治体制となる。
私たちは、増税反対の旗印を立てて、苦しい議員(=国民の代表)人生を続ける政治家たちを応援して、これからもずっと共に闘い続けましょう。
アメリカ帝国の衰亡まであと2年半だ。私がずっともう10年以上、数十冊の本で書いてきた通り、2015年には、アメリカ合衆国は世界覇権国(ヘジェモニック・スイテト)の地位から滑り落ちます。そうしたら私たちは没落してゆく帝国の支配、頸木(くびき)からかなり自由になれます。それまで私たちは頑張り続けなければいけない。
副島隆彦拝
【878】[994]「学問道場」で使用しているサーバーの障害につきまして
「学問道場」参加者の皆様
「副島隆彦の学問道場」管理者の一員・須藤と申します。
先週6月20日(水)の夕方から、「学問道場」の一部で使用しているサーバーに障害が発生しました。
この障害が起きたサーバー「ファーストサーバ」には、「学問道場」で使用している画像データの多くを預けておりました。
そのため現在、「今日のぼやき」や「重たい掲示板」などに掲載していた画像のほとんどが、現在表示されなくなっています。
「ファーストサーバ」社からの連絡メールを以下に掲載します。
誠にご不便をお掛けしており、恐れ入ります。
今後、急いでサーバーの復旧に努めてまいります。
以上のことを取り急ぎ、ご報告申し上げます。
須藤よしなお拝
(貼り付け開始)
————————————————–
From: “ファーストサーバ サポートセンター” <****>
Sent: Thursday, June 21, 2012 3:25 PM
To: <****>
Subject: 【重要】6月20日に発生のサーバー障害についてのご報告
ファーストサーバ株式会社
サポートセンター
support@fsv.jp
【重要】6月20日に発生のサーバー障害についてのご報告
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
この度はご利用いただいているサーバーに、障害が発生し長時間に渡りご利用
いただけない状況となり、誠に申し訳ございません。
また、本件についてのご報告が大変遅くなり重ねてお詫び申し上げます。
本障害では弊社メンテナンス作業において用いる特定の管理プログラムにバグ
があり、お客様データが消失したことが判明いたしました。
消失したデータの復旧作業を進めておりましたが、データの復旧にはなお時間
を要することを確認いたしました。
早期にサービスを復旧させるため、サーバーを初期状態に戻し、現時点で可能
な範囲での復旧作業を実施しサービスを再開することといたしました。
お客様には大変ご迷惑をおかけすることとなり、心苦しく存じますが、何卒
ご了承いただきますようお願い申し上げます。
なお、データの復旧作業は総力をあげ継続しております。
誠に恐縮ではございますが、弊社でのデータ復旧作業とは別にお客様にて以下
に記載のサーバー初期設定方法をご確認いただき、メール送受信ならびに WEB
コンテンツの公開作業をお願いいたします。
■発生日時 2012年6月20日 17時ごろより
■発生原因 運用管理ツールの不具合
■事 象 サーバー上のデータの消失
◆サーバー初期設定方法のご案内
サーバー管理画面(コンフィグレータ)へのログイン情報は下記会員WEBに記載
しております。
会員WEBログインURL *******
コンフィグレータについて
*******
(1)ログイン後、該当する契約の契約管理WEB[開く]ボタンをクリックしてくだ
さい。
(2)契約管理WEBが開きますので[契約内容の確認]をクリックしてください。
(3)現在の契約内容の、【基本サービス】内コンフィグレータURLよりアクセス
してください。
(4)コンフィグレータへアクセスいただけましたらメールアカウント登録やWEB
コンテンツアップロードのためのFTPアカウント登録などのご準備をお願い
いたします。
ご不明な点などがございましたら、以下の弊社窓口までお問合せください。
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ファーストサーバ 株式会社
E-mail:support@fsv.jp FAX:06-6261-0501
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(貼り付け終了)
【877】[993]負の発電設備投資は?
日本では脱原発を求めて自然エネルギーに投資をしている。しかし脱原発をより早く実現する為には必ずしも新しい発電設備の増設ばかりではなく省エネ設備への切換えもある。その為LED電球に切換えをする家庭も多い。
私は95年から08年までアメリカで生活をして色々と面白い体験をした。それは日本に居るとなかなか思いつかない事だった。その1つが省エネ設備投資です。それなら日本でもと言われるでしょうが、違うのは個人が投資してLED電球を買うのではなく、電力会社が個人に積極的にお金を出して切換えを勧めるわけです。電気の請求書に割引券を同封してきます。90年代後半は未だ60Wクラスの電球型蛍光灯で2−3ドルはしたかな?(日本では千円以上だった)電力会社は年に何回か割引券をくれる。大手のホームセンターや地元の家電店で購入すると割引券で買えば1個1ドル程度になったと思う。(個数の上限はあったけど)当時不思議だった。何で電気を売る会社が電気を売れないようになる事にお金を出すのか?しかしその後カリフォルニアで計画停電等が起こり始めて気づいた。新たな発電設備に大きな投資をするより家庭に投資して今の設備の間までも消費に対する発電力を増強できるわけですね。
これだと、電力会社も少ないお金で大きな投資効果(多分)それに個人だって目先省エネで電気料金が下がるので喜んで投資する。おまけに半額以下の投資で済むとなればスピードが上がる。
アメリカのすごいなと思う事はこういう発送の転換のような事が日常生活で多く見られる事でした。アメリカ人の経営とは利益を上げる為にはあらゆる事を考える点です。
<ちょっと中国に対して感じる事も書いてみます>
09年から香港へ単身移住して今は香港と中国をベースに生活しておりますが中国人にもとても興味があります。日本に居ると体験できない様な発想の違いは中国人にもよく感じます。またアメリカと中国はとても豊かな国だという点でも個性でもよく似ているなと感じます。一言で言えば派手好きかな。だから大げさでもあり何事も楽しい。細かい事にまで注意を行き渡らせる日本人は素晴らしいけどあのおおらかな生き方は人生を豊かにする秘訣の様な気がする。日本人の感覚からすれば嘘つきって感じたりするかもしれないけどね。
【876】[991]『サクランボ』収穫ご報告5
学問道場 会員 福島県出身の泉浩樹です。
『サクランボ』収穫ご報告5です。
※『紅秀峰 サクランボ』収穫 急ぎ ご報告申しあげます。※
「有我果樹園」より お客様にお知らせです。『サクランボ』収穫 最終のご報告となります。
*最後の品種 『紅秀峰』(「佐藤錦」×「天香錦」交配種)が 予想より早く 収穫可能となりました。
ご希望の皆様に ご対応いたします。
収穫時期は 7月上旬予定でしたが、予定より早く収穫が始まりました。どうかご容赦願います。
発送可能予定数は 先着のお客様からの発送となり、約50箱とみております。
予定数に達した場合は 申し訳ございません、ご希望に添えない事も御座います。
次回は『もも (アカツキ)』を7月後半に ご案内致します。
『副島隆彦「学問道場」』をご覧の皆様からは ご理解とご愛顧をいただき 厚く感謝を もうしあげます。
⁂紅秀峰
日持ちが良く、大玉で、糖度は20度位。酸味は少なめ。「佐藤錦」に劣らない品種です。
誠意をこめまして 対応いたします。
(こちらが参考写真です)
https://encrypted-tbn1.google.com/images?q=tbn:ANd9GcR2SJtn4Z_JcvjaQTycqXP-r34N8asMJtA6ZqyGVXyJRzHwgyXX
https://encrypted-tbn0.google.com/images?q=tbn:ANd9GcRwlkaPzToUejQtaITjNTEsmbBGM57y8kex_CEY3AdYGMETc81M
有我果樹園のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ariga0729
FAXにての ご注文を お願い申し上げます。FAX:0248-76-7384
福島県須賀川市浜尾 「有我果樹園」
『サクランボ』は、日持ちがしにくい為「ご予約」という形をとらせていただいております。
FAXにてお客様の 『お名前、ご住所、郵便番号、電話番号』をご記載の上、ご希望をご注文ください。
なお、「贈答用の場合は送り先と送り主さまの記載」を忘れずにお願い申し上げます。
ご注文の先着様順に 朝に収穫したものを即日発送いたします。
サクランボの特性上、配達日指定はなるべくお断りしております。どうしてもというお客様はその旨ご相談願います。
到着時間帯の ご希望/ご指定は承って居ります。
*1kg/バラ詰め3500円 プラス送料、(クロネコヤマト)で承ります。
1kg化粧詰め(ご贈答用)は 1kg/5000円 プラス送料となります。
なお、代金は昨年と同様に「請求書と郵便振込用紙を同封さしあげます」。
お手数をおかけしますが、到着後のお振込を お願い申し上げます。
(贈答用の場合、送り主様に請求書を 送らせていただきます)。
みなさま、福島の初夏の味覚をお楽しみください。
ご注文を ありがとうございました。
⁂次回の「桃」のご案内も ご期待いただきます様 お願い申し上げます。
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福島県人は皆元気にしております。風評には負けません。
ご理解を頂き ありがとうございました。
泉浩樹 拝
【875】[990]鎌倉仏教の謎を解く
「 鎌倉仏教の謎を解く」(序) 田中進二郎
今年の春吉本隆明氏が逝去されました。副島先生がお通夜にいかれたが、親族のみによる私葬であったため、吉本氏の死に顔を副島先生は見ることができなかった、と書かれてあるのを拝読しました。(重たい掲示板917 3/17日付)
吉本隆明の発言や著書に影響を受けた全共闘世代(今の60代、70代)の人は多い。そういえば尾崎豊も吉本氏の著書に影響を受けていたということをどこかで聞いたことがある。
尾崎豊と同じ護国寺での葬儀がふさわしかったのではないか、とか勝手に思いました。
副島先生の追悼文の後半に「吉本隆明は、他力本願(たりきほんがん)の浄土門の親鸞上人(しんらんしょうにん)の、民衆救済の思想を生きた思想家だ。」とあるのを読み、
「最後の親鸞」「源実朝」などから読み始めました。
今、親鸞の野辺送りを描いた絵(本願寺聖人伝絵)を見ると、多くの僧侶がわんわんと泣いているなかに、数人笑っているような者もおり、面白い。
(絵が送れず残念です。)
親鸞ははじめ9歳のとき、京の青蓮院(しょうれんいん)で出家するのであるが、そのとき得度(とくど)した僧がのちに比叡山の延暦寺の座主(ざす)となる慈円(じえん)であった。慈円は源頼朝が生きている間には頼朝の機嫌をとり、死ぬと後鳥羽上皇の護持僧(ごじそう)になったり、承久の乱の折は上皇の挙兵を何度もいさめようとしたり、政治的に生きた僧である。慈円の父は37年間摂政・関白をつとめた藤原忠通で、兄は九条家の祖となる兼実(かねざね)で摂政、太政大臣の地位にのぼりつめる。
この九条兼実と慈円の兄弟は源氏と結びつきが強かった。源平合戦で平氏が勢いがあるころには二人とも、重用されないが、頼朝が鎌倉に幕府を開くころから、朝廷と比叡山のトップの地位をしめるようになる。またこの二人は文化人として、兼実は「玉葉」(ぎょくよう)という40年にわたる日記を、慈円は「愚管抄」(ぐかんしょう)という書物を残した。
浄土真宗ではあまりこの二人と親鸞の関係に着目しないようである。着目すると政治権力と宗教界の汚いつながりが信徒たちに知られて聖人色が薄れ、具合がよくないからであろう。
具体的にいえば、五木寛之氏(いつき ひろゆき)の近著の「親鸞」も親鸞上人の前半生を描いているが、なぜ比叡山を去って法然(ほうねん)のもとに行ったのかについて、《盗賊に襲われたりしたあと、夕日を見て「あれが極楽浄土だ」と感動し「法然のもとへ行こう」と思い立った。》
こんなところで、この小説は終わるのである。私はばかばかしくって立ち読みで済ませましたが、現在の浄土真宗のトップの人間が五木氏にこの本を書かせたとすれば、なんとなく納得がいく。
これと異なり、「仏教入門 親鸞の迷い」(梅原猛 釈徹宗 しゃく・てっしゅう著 新潮社とんぼの本。親鸞の野辺送りの絵も所収されている。)こちらの本では、親鸞の前半生の謎を梅原猛氏が大胆に解いている。「親鸞は源頼朝の甥」という西山深草氏の論考が十分根拠があるとし、源義朝(頼朝の父)の娘と近江の小豪族日野有範(ひの ありのり)の間に生まれた、と述べています。日野氏は源氏との婚姻関係をたびたび結んでおり、源氏の血を引いている足利将軍家も、その正妻は必ず日野家という慣習があった。(8代将軍足利義政の妻の日野富子が有名ですね。)
ただ近江源氏は日野氏にしても、佐々木氏にしても状況次第で寝返る一族であり、鎌倉北条氏は足利高氏(尊氏)に六波羅探題を攻め落とされたのち、鎌倉に逃げかえろうとしたが、佐々木氏などの豪族の待ち伏せなどにあい、近江国で集団自害していく。 権力交代の際に、東国に落ち延びようとする旧勢力が、古来ここ近江で命を落としていったという歴史もある。(陳舜臣著 「山河太平記」ちくま文庫)
慈円が、のちに親鸞となる8歳の子を自分で得度したのは、源氏の血をひく人間を手元に置いておき、必要なときには政治的駆け引きの駒として使おうと考えたから。という梅原氏の説に私はなるほどそうか、と思うのですが、みなさんはどうでしょう。
ちなみに親鸞が出家したこの年は1181年とされており、源平の戦いでは富士川(ふじかわ)の戦いの翌年にあたる。源頼朝が鎌倉を地盤に本格的に武家政権をつくり始めたころである。
翌年慈円は比叡山延暦寺に上るのであるが、その際親鸞もつれていった。親鸞はその後20年間、法華経などを中心に仏の教えをさまざまに学んだとされる。いったいなぜ親鸞が比叡山を降りることを決意したかということは、一義的にはいえないが、法然の評判は比叡山でもいやというほど耳にしただろうということはいえる。
今回書いてみようと思うことは、吉本隆明の「源実朝」「最後の親鸞」から立ち上がってくる
鎌倉初期の世界像であるが、いかに鎌倉武士団が、律令官人層の盲目的ではあるがまた強烈でもある、精神的、文化的支配を受けていたかということについても書いてみたい。タイトルは愛読書である、副島先生の著書「英文法の謎を解く」をまねることにしました。
田中進二郎拝