重たい掲示板
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Loginはこちら【887】[1003]野村証券が機関投資家営業部を廃止
ウォール・ストリート・ジャーナル日本版から転載します。
(貼り付け始め)
機関投資家営業部を廃止=CEOは減俸6カ月、50%―インサイダー問題・野村HD
2012年 6月 29日 18:46 JST
野村ホールディングス(HD)は29日、子会社の野村証券社員がインサイダー取引につながる情報を漏らした問題を受けて、国内外の投資ファンドなどへの株式売買を担当していた「機関投資家営業部」を廃止し、業務を新設部署に移して管理を厳格化すると発表した。同部や法令順守を担当する役員2人を退任させるとともに、渡部賢一グループ最高経営責任者(CEO)の報酬を6カ月間、50%減らすなどの処分も行う。
野村HDはまた、社内調査委員会による調査報告を発表。報告書は、担当部署が収益至上主義に陥ったことや、社内の情報管理に関係する社員の自覚不足などがあったと指摘した。
[時事通信社]
(貼り付け終り)
松尾 雄治 拝
【886】[1002]鎌倉仏教の謎を解く4
鎌倉仏教の謎を解く 第4回 (重たい掲示板990,999,1000の続き)
悪人であることの象徴的、言語的意味について~1195年東大寺再建供養式
前回キリスト教における悪と親鸞の悪人正機説のちがいについて、具体例をあげる前におわってしまいました。日本の文化の型式において、悪であることをみとめるということ、簡単にいえば謝罪するということがどういうことなのか、多田道太郎(ただ みちたろう言語社会学者)が日本とフランスの違いで説明しています。
フランスから日本に来た留学生が日本のやくざ映画とフランスのやくざ映画を比較研究して面白いことに気付いた。やくざ組織を裏切った人間が、組織に捕まってピストルを頭につきつけられたときに、日本人とフランス人とではいうせりふがまったく違うというのである。どちらも結果的にはバン、バンと撃たれて殺されてしまうわけであるが、日本人の
やくざは「おれが悪かった。すまねえ。許してくれ。」と言って許しを乞う。
フランス人のやくざは「おれは悪くない。聞いてくれ。おれはただ・・・しただけだ。(・・・にはさまざまないいわけがくる。)だから撃たないでくれえ。」という言葉を吐く。
この文章を読んでいる人の中に「いや、そんなことはないよ、いろいろ屁理屈こねてから死んでいったやつもいるぜ。」なんて言う御人はまさかいないと思いますが、屁理屈をこねる場合でも、「悪かった、許してくれ。」という言葉が最初にくるでしょう。それが日本の文化の型であり、個人差はないでしょう。
ところがフランスのやくざが「おれが悪かった。」と謝ったらどうなるか、これは命乞いのせりふにはならないという。神の前で自分の非を認めること、自分が悪だと認めること。これは大変勇気のある行為となる。そのような勇気のあるやくざは尊敬されながら殺されるだろう、と。フランス人にとって、自分の罪を認めることは、罪の赦しを求めることとは異なるのだということです。
上のようなすさんだ世界の非現実的な例ではなくて、われわれまじめな労働者階級(読者にはこれにあてはまらない方もいると思いますが)が日々直面する、ただひたすら「すみません」をいわなければいけない場面で、仮に上司が「すみませんですむか!」と言ったりすると、「だから謝ってるじゃん。すみませんですまないならどうしろって言うんだよ。」と口には出さないまでも、憤懣と反抗心が沸き起こってきたりします。
(ここまで多田氏が言っていることをまとめました。)
また謝って気持ちが晴れ晴れとするという誰にでもきっとある経験、あれは一種の呪術的なものであるかもしれない。結局禊(みそぎ)やお祓いと同じことなのかもしれない。なぜそんなことをいうか?
樋口清之(ひぐち きよゆき)の「日本人はなぜ水に流したがるのか」(たしかPHP文庫)には「すみません」の語源は水を汚してしまうことで、それを水に流して元通りにすることを「すます」といい、漢字をあてると「済む」は「澄む、清む」であると書かれている。「これでやっと気が済んだ」というときと、「済みません」というときは根源的にはつながっているのであろう。
(ちなみに私はこの「日本人はなぜ水に流したがるのか」を福島第一原発の高濃度汚染水を海に捨てたというニュースを聞いたあと読んだのだが、複雑な気分でした。しまった、これは「架空対談」ではなかった。脱線してすいません。)
話を鎌倉時代に戻しますが、平重衡(しげひら)という人物について。重衡は清盛の五男で南都攻撃の際、東大寺や興福寺を兵火によって焼いてしまったときの平家方の総大将である。しかし源平の戦いの中で、平家が一時的に勢力を巻き返したのは、墨俣川(岐阜県)の戦いや、水島の戦い(岡山県)で勝利した後ぐらいであるが、その両方の戦いで平家を率いていたのは重衡である。しかし一の谷(兵庫県)の戦いで義経に敗れ、捕らえられた。
京都から鎌倉に護送され、首をはねられる運命を待っていた重衡は「自分は善行を何一つ
おこなわなかった。このまま処刑されたら地獄にいくことは必定である。」とすでに死人の顔をしていた。彼は戒師(死ぬ心構えをつける説教師)として法然を指名し面会を許された。法然は「罪深ければとて卑下し給うべからず。十悪五逆の者も廻心すれば往生を遂ぐ。」と言い、浄土の法門を説いた。
鎌倉に護送されてきた重衡を見た源頼朝は驚いた。生来の凛々しい表情と、その奥に確信に満ちた人生を歩む人間が放つ輝きがそこにあったからである。頼朝は重衡を殺すことはできなかった。といって鎌倉にいさせることもできないので、京都に送りかえした。重衡はそこで興福寺の僧侶たちにリンチされ殺された。(以上 寺内大吉著「法然讃歌」中公新書より。この本は法然の専修念仏の流行と鎌倉王権成立の関係を知るには非常に有益だ。おすすめする。)
1195年、東大寺再建に莫大な寄進を行った源頼朝は上洛を果たす。そこで大仏像修復に活躍した宋人の陳和卿(ちんなけい)に面会を求めた。(注:この陳和卿は、ちんちくりんのはったり屋の坊主である。彼だけはスケールが小さいと思う。)ところが陳は日本の当時最高権力者である頼朝の申し出を再三にわたって断り、しかも手紙で「国の敵を討つにあたり、貴公は多くの人間を殺した。その罪は非常に重い。そのような大罪人と私は会うことはできない。」と書いた。頼朝はこれを読んで感きわまって泣いたという。(『吾妻鏡 建久六年三月』 河合正治著「武士の生活と鎌倉仏教」より。これはグーグル検索で読めます。)
鎌倉初期において武士たちの罪悪感はみな強かったことをうかがうことができる。
このころ法然の活動もピークを迎えており、法然の門人たちが、次々と鎌倉に入った。
兼実は法然とつながりが強く、鎌倉の情報を法然の弟子たちから、キャッチしていた。また熊谷直実(くまがい なおざね)のように、法然に全面的に帰依した御家人もかなりいたことだろう。頼朝が三ヶ月の京都滞在を終え、帰郷してしばらくして熊谷直実(蓮生房と出家後は名乗っていた)が後を追うようにして、鎌倉にやってくる。そして将軍に面会を求め、念仏義を説いたという。(『吾妻鏡』)源頼朝は直実の講義を一生懸命聞いたと推察される。妻の北条政子もまた熱心な法然信徒で、夫亡き後、剃髪し尼将軍と呼ばれるようになるが、法然と手紙をやりとりしていた。
悪人正機説とは親鸞ではなく、法然がもともと最初に唱えた考えである。そして末法思想と悪人正機の二つがきわめて時代にかなっていたので、武士階級のみならずあらゆる階級の支持を得て、一大集団になっていった。この聖(ひじり)パワーに慈円は苦々しい心境でいた。もともと比叡山で学んだ超エリート僧の法然が、いまや戒律など無視してよいという教えを公然と説いている。そして将軍や、兄の兼実もが法然義に耳を傾けている。さらに後に(1201年)自分が育てた親鸞は慈円のもとを離れ、法然の弟子となった。こうした法然に対する怒りを『愚管抄』でぶちまけている。
今日はここまでです。
田中進二郎拝
【885】[1001]『サクランボ』追加受付。約30箱 出ました。
学問道場 会員 福島県出身の泉浩樹です。
福島県須賀川市「有我果樹園」より お客様にお知らせです。
・『サクランボ』追加受付。約30箱 出ました。 ご報告7。
※『紅秀峰 サクランボ』ご予約ありがとうございまいた※
『サクランボ』紅秀峰がご予約にて予定数完売でしたが、出荷の取り消しが出た模様です。(6/30朝 現在)
・従いまして、追加受付。約30箱が お受け可能です。
あと約一週間で収穫は終わります。
・有我より、『サクランボ』は良い品質で、ご贈答にも利用出来ますと 報告が有りました。
・一部のお客さまに 手違いにより ご迷惑をお掛けしました。
この場を借り お詫びを 申し上げます。
有我果樹園のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ariga0729
・FAXにての ご連絡を お願い申し上げます。FAX:0248-76-7384
福島県 須賀川市 浜尾 「有我果樹園」
『サクランボ』は、日持ちがしにくい為「ご予約」という形をとらせていただいております。
FAXにてお客様の 『お名前、ご住所、郵便番号、電話番号』をご記載の上、ご希望をご注文ください。
なお、「贈答用の場合は送り先と送り主さまの記載」を忘れずにお願い申し上げます。
ご注文の先着様順に 朝に収穫したものを即日発送いたします。
サクランボの特性上、配達日指定はなるべくお断りしております。どうしてもというお客様はその旨ご相談願います。
到着時間帯の ご希望/ご指定は承って居ります。
*1kg/バラ詰め3500円 プラス送料、(クロネコヤマト)で承ります。
1kg化粧詰め(ご贈答用)は 1kg/5000円 プラス送料となります。
なお、代金は昨年と同様に「請求書と郵便振込用紙を同封さしあげます」。
お手数をおかけしますが、到着後のお振込を お願い申し上げます。
(贈答用の場合、送り主様に請求書を 送らせていただきます)。
みなさま、福島の初夏の味覚をお楽しみください。
ご注文を ありがとうございました。
⁂次回の「桃」の案内も ご期待いただきます様 お願い申し上げます。
『もも (アカツキ)』を7月後半に ご案内致します。
————————————————————————————————–
『副島隆彦「学問道場」』をご覧の皆様からは ご理解とご愛顧をいただき 厚く感謝を もうしあげます。
福島県人は皆元気にしております。風評には負けません。
ご理解を頂き ありがとうございました。
泉浩樹 拝
【884】[1000]鎌倉仏教のなぞを解く その3
鎌倉仏教の謎を解く 第三回 (重たい掲示板990,999の続き)
重たい掲示板1000回に到達です。記念すべき第1000回を書かせていただき光栄です。
「ふじむら掲示板」に藤村甲子園さんが吉本隆明「最後の親鸞」を読んで、という記事を書かれているのを、私は今日拝読しました。
実は巻末の最晩年の親鸞のところが難解で、一回読んだだけでは吉本氏の結論がつかめなかったので、藤村さんの記事は大変参考になりました。感謝します。吉本氏はやはりマルキストなので、親鸞の思想は宗教の存在意義の否定だということが書かれていて、難しく考えすぎていた私にとって示唆に富んでいました。確かに吉本氏の「真贋」(しんがん)という本にも、「浄土真宗は実体としての浄土がないということをはっきりいっている点で、宗教を否定するところに成立した宗教である。」ときちんと書いてありました。
あの本の最後の章は言葉こそ「即自的」、とか「対自的」という言葉は使われていないけれど、ヘーゲルの弁証法を駆使していると思います。ヘーゲルの論理学を読んでいるようで、これは抜け出られなくなるぞ、投げ捨てないと、と私は思いました。ヘーゲル左派のフォイエルバッハが「ヘーゲル批判」の中で「論理学は一回読んだら捨てろ、でないと堂々めぐりでヘーゲル学者になって一生終わるぞ」と書いているのを読んだ記憶を思い出しました。「最後の親鸞」もそういう構造になっていると。
ところで実際に吉本隆明のいうように、「実体としての浄土はない」と浄土真宗では教えているか、というと答えは否であろう。800年も昔から浄土真宗のお坊さんは「南無阿弥陀仏を唱えれば阿弥陀仏に救いとられる」と教えてきただろう。一方、吉本氏も「浄土真宗が無神論である」ということを述べているのではない。
ここからは私の考えであるけれども、法然と親鸞の悪人正機説(あくにんしょうきせつ)には質的な違いがある。法然の悪人正機説は、いかなる衆生の罪悪も阿弥陀佛の慈悲によって救われるという「許し」を前提として、専修念仏によって往生を遂げるという教えである。これはわかりやすいと思われる。だから法然の念仏と、穢れたものとされた女人の念仏とに一切の区別はない、みな同じと、法然は力説した。法然の念仏は晩年になるにつれて激しい行となっていった。けれども、門人には誰であれ自分ができるだけの念仏でよい(易行道)をといていた。法然は仏教の厳格な戒律も決して破らなかった。だから聖人カリスマである。慈円も法然に近いタイプだったろう。
一方の親鸞は歎異抄で「いづれの行も及び難き身なれば、地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」と言った。自分のことを凡夫といい、また愚禿親鸞と名乗った。1204年後鳥羽院のもとで出された、法然一門の念仏停止(ちょうじ)と京都追放令(承元の法難)で親鸞は越後国に流される。が、これを機として、あるいは奇貨としてというべきか、自ら非僧非俗であるといい始める。自分は悪を背負う人間である、と。
親鸞の悪人正機の場合は、親鸞自身の悪の自覚によって、往生を遂げることが可能となる。
「自分が一番ワルである。自分が一番弱い。だが阿弥陀如来は救ってくださる。よって心配ない、あなたがた皆も救われる。」
というわけである。だから親鸞の存在と、その神話化が浄土真宗にとっては決定的に重要になっていくのです。私は義経伝説との類縁性まで感じます。義経は弱い、というだけですが、親鸞は悪人でしかも弱いカリスマなのです。
また越後配流後の親鸞はイエスと似ている、と吉本氏も言っています。けれどももちろん罪悪といっても文化的な働きが全然違います。これだけを言ってもあまりピンとこないですよね?
これは日本文化の独特の形式と関連していると思いますので
2つほど面白い例をあげたいと思います。が今日はこの辺でいったん終わりにさせていただきます。
田中進二郎拝
【883】[999]鎌倉仏教の謎を解く 第二回
「 鎌倉仏教の謎を解く」(前回990の続き)
関連する主な出来事年表
1192年 1月 源 実朝生まれる。 3月後白河法皇死去。 7月源 頼朝征夷大将軍に任命される。慈円延暦寺座主(ざす)となり、宗教界のトップにつく。前年に九条兼実は関白に就任。
(源頼朝 45歳 北条時政 54歳 北条政子 35歳 後鳥羽上皇12歳 法然59歳
九条兼実(くじょう かねざね)44歳 慈円37歳 親鸞19歳 源頼家10歳)
1195年 6月 奈良の東大寺の再建供養式が頼朝、後鳥羽上皇らの参列のもとでおこなわれる。
頼朝3ヶ月在京する。
1198年 法然「選択本願念仏集」(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)著す。
1199年 1月 頼朝死去。頼家が後を継ぐ。 4月 頼家の親政が制限され、北条時政が13人の御家人による合議制を定める。
1201年 親鸞、慈円の下を去り、法然の弟子となる。
1203年 9月幕府有力御家人で頼家の義父、比企能員(ひき よしかず)討たれる。北条時政・
政子親子、頼家を伊豆の修善寺に幽閉。
1204年 実朝、坊門信清(ぼうもん のぶきよ)息女と結婚。
1205年 3月「新古今和歌集」なる。幕府有力御家人 畠山重忠(はたけやま しげただ)討たれる。
1206年 (モンゴルでチンギス・ハンの即位)
1207年 法然 土佐に、親鸞 越後に配流される。
1213年 和田合戦、和田義盛(わだ よしもり)敗死。北条義時(よしとき)が執権と侍所を兼任
実朝、藤原定家(さだいえ)より、相伝の万葉集が贈られる。このころ金槐和歌集(きんかい わかしゅう)がなったとされる(金は鎌倉、槐とは槐門(だいじん)の意味で、鎌倉右大臣実朝の歌集の意味だそうだ。)
1218年 12月、実朝右大臣になる。
1219年 1月実朝、鎌倉の鶴岡八幡宮にて暗殺される。 6月京から九条 頼経(よりつね)が鎌倉に迎えられる。(九条兼実の孫)
1220年ごろ 慈円「愚管抄(ぐかんしょう)」を著す。
1221年 承久の乱。後鳥羽上皇軍、北条氏率いる幕府軍に敗れる。
1225年 慈円死去。
(日本の歴史「武者の世に」 集英社を主に参考にしました。)
(これよりその1の本文)
慈円(1155年~1225年)という人物について、日本史研究家はあまり注目してこなかったらしい。というのは、摂関藤原家の血をひくエリートであったせいで、判官びいきの日本人に受けが悪かったからだ。源義経の生没年を調べると、1159年~1189年で義経の生きた時代と前半生は一致している。それゆえに義経伝説の裏に隠れて不人気であった時代が長く続いた。たとえば慈円の和歌は百人一首の中に入っている。
「おほけなく 憂き世の民に おほふかな わがたつそまに 墨染めの袖」
(身の程知らずの私であるが、この世の民をおおってやることにしよう。
私の立つ比叡山の墨染めの衣でもって)
この一句には慈円の為政者=宗教界の支配者としての意気込みが歌われているのであるが、多くのひとびとはカチンときてしまうらしい。「なんて傲慢なやつなんだ。」と。
だがそれは権力者、上流階級、栄達をきわめた人間=悪という図式でしかものをみることのできない間違った歴史認識である。そのくせ判官びいきの人間には、「弱いけど本当は血筋の良い人(貴種)」に対する憧憬(しょうけい)がいつもある。素朴で・頑固で・単純な人間の特質である。
一方、和歌が好きな人間で、源実朝の金槐和歌集の素晴らしさにケチをつけたりする人はいないでしょう。「あの暗殺された悲劇の将軍ね」それだけでかなり色眼鏡がついているでしょう。けれども、慈円の和歌が果たして実朝に劣るとはいいきれないのではないか。慈円の歌には、実朝に強烈な影響を与えていたであろう、と思える歌がいくつもあるし、現代でも、くちずさむように歌われていいと思えるようなものがある。
みな人の知りがほにして知らぬかな
かならず死ぬるならひありとは
(新古今和歌集832 無常)これは「メメント・モリ」(死を忘れるな)だ。
明けばまず木の葉に袖をくらぶべし
夜半(よわ)の時雨(しぐれ)よ
夜半の涙よ
(拾玉集)
これなんかは意味はどうでもいいが、明らかに民謡の歌詞だ。イタリアのカンツォーネだと思えばいいんじゃないか?この句の「~よ、~よ」という呼び方は今でも生きている。「浜辺の歌」の原型か、もしかすると?「愚管抄」の中には大和言葉の特徴を論じた箇所もあり、いきいきとした日本語を用いることの重要性を800年も前に指摘している。これは後ほど引用する。
慈円は日本のマキャベリだと思ってかきはじめたこの原稿であるが、芸術の世界をもリードしていっている、慈円の姿をみつけてしまった。
貴族階級の人間は余計なことで神経をすりへらしたり、ニーチェのいうようなルサンチマンに苦しめられることがないから、ダイレクトに言葉を伝えることができる。それを享受する庶民は「自分と同程度の人間だ」という思い込みから、「傲慢な人間だ、いけすかないなあ。」等と言って自分も偉いつもりになってみたりする。それがニーチェのいう小人である。
慈円の「心」を歌ったものには宋学の影響がみられる。(と思う。)宋学は日本ではもう少し時代が下ってから、後醍醐天皇のころに朱子学として本格的に日本に輸入されてくるのであるが、北宋時代の思想家、周敦頤(しゅう とんい1017年-1073年)の道徳的価値の「誠」を唱えた「通書」などを慈円が知らなかったとは想像しにくい。平清盛が行った日宋貿易により輸入された書物を、慈円は経典のみならず、歴史書や道家(どうか)も読んだことだろう。比叡山の想像しがたい冬の寒さの中でも、若き慈円の厳しい修行は続けられていった。
世の中を心高くもいとふ(厭う)かな
富士のけぶりを身のおもひにて (新古今和歌集1614)
厭世を歌っているのですが、志は高いのだといっているのです。次の歌と変わらないですね。
わが胸のもゆる思いにくらぶれば
煙はうすし桜島山(坂本竜馬)
次はごぞんじの方も多いだろう。Go my way! だ。
わが心奥までわれがしるべせよ
わが行く道はわれのみが知る (拾玉集)
山里にひとりながめて思ふかな
世にすむ人の心強さを (新古今1661)
最後の「心強さを」がストレートに響いてきませんか?
新古今和歌集には92首も採られており、西行法師に次いで多いそうだ。そんなこととは
私も知らなかったのですが。今回は和歌の巨匠慈円について書いてみました。 田中進二郎拝
【882】[998]『サクランボ』予約販売終了 ご報告6
『サクランボ』完売 ご報告6
学問道場 会員 福島県出身の泉浩樹です。
『サクランボ』完売 ご報告6 申し上げます。
※『紅秀峰 サクランボ』ご予約ありがとうございまいた※
「有我果樹園」より お客様にお知らせです。『サクランボ』紅秀峰がご予約にて予定数完売です。
>次回は『もも (アカツキ)』を7月後半に ご案内致します。
『副島隆彦「学問道場」』をご覧の皆様からは ご理解とご愛顧をいただき 厚く感謝を もうしあげます。
一部のお客さまに 手違いにより ご迷惑をお掛けしました。
ここで お詫びを 申し上げます。
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FAXにての ご連絡を お願い申し上げます。FAX:0248-76-7384
福島県須賀川市浜尾 「有我果樹園」
みなさま、ご注文を ありがとうございました。
⁂次回の「桃」のご案内も ご期待いただきます様 お願い申し上げます。
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福島県人は皆元気にしております。風評には負けません。
ご理解を頂き ありがとうございました。
泉浩樹 拝
【881】[997]私の金融の講演会がこの日曜日にあります。
副島隆彦です。今日は、2012年6月27日です。
私は今週末の7月1日に「副島隆彦の“予言者”金融セミナー 第4回」を行います。
この金融講演会は、電話かメールかFAXで申し込んでください。
問い合わせ:ブレイントラスト企画(成甲書房内)
電話:03-3292-8401(平日:午前10時から午後6時まで)
FAX:050-3156-3040
email: seminar@seikoshobo.co.jp
開催日:2012年7月1日(日)
開演:午前11時(開場・受付:午前10時)
終了:午後5時30分(予定)
受講料:15,000円(税込)/全自由席
会場:東商ホール(東京商工会議所ビル4階)
アクセス:JR有楽町駅・・・5分、地下鉄千代田線二重橋駅前・・・2分、
都営三田線日比谷駅・・・2分
あとすこし席があるそうです。上記に申し込んでください。
副島隆彦拝
【880】[996]カザフスタンについて
会員番号5533です。福島では,私は二本松の温泉にもつかり,数日間,硫黄のにおいが肌に残り本当に鉱泉という感じがしました。旧ソ連では,ロシアとカザフスタン国境近くのアルタイや,タジキスタンのパミール高原の温泉が有名です。万病が治ると言われ,いずれも山岳地です。アルタイは,「ウラル・アルタイ語族」と言われるように,日本人の祖先の地と言われます(マンモスを追って,魚好きは極東に行き日本人となり,肉好きはカザフに残ったと,カザフ人は言います)。
さて,前回ベラルーシを紹介して,「学問道場的に(吉見さんいわく)」もう少し書きたいことはあるのですが,とりあえず,もう1つの関連の国,カザフスタンについて書きます。カザフのセミパラチンスクでは,ソ連時代に地下を含め核実験が450回以上行われ,人体への後遺症も含めて,データは全てモスクワに送られた,と言われます。
私は,かつてカザフスタンの首都アスタナにいました。アスタナは,フルシチョフ時代に小麦栽培地として開拓され,「Целиноград(ツェリノグラド,ロシア語で処女都市)」と呼ばれました。停滞の象徴のように言われたブレジネフ書記長もカザフのアルマティにいたことがあり,地方開発(「自然大改造計画」)には意を尽くしたようです。
アスタナは,冬はマイナス30度にもなりますが,空気も清潔で,きちんと着こめば大丈夫です。カザフは,旧ソ連時代,「カザフスタン及び中央アジア」と呼ばれ,自分たちは,ロシアに次いで,少し別格なのだと言う意識があります。一時は,ロシア系住民が5割を超え,今も,他の中央アジア諸国と比べて多いので,小ロシアの感があります。ナザルバエフ大統領は,首都アスタナに近い,炭鉱都市カラガンダの製鉄所の労組議長からのしていき(現在はインドのミッテル社が所有),ソ連解体を阻止しようと努めました。ゴルバチョフの後は,ソ連の大統領になるはずだった,と言う人までいます。91年12月,独立国家共同体(CIS)会合も,カザフのアルマティで開催されました。カザフは,ソ連は解体してほしくなかった国の1つです(ちなみに,副島先生の著書で,カザフの写真の説明には違っているところがあります)。
カザフ人の顔つきは日本人に近く,赤ん坊のお尻には蒙古班も出ます。ロシア人の血も混じっているのか,なかなか美男美女です。ロシアにならって(?),技術革新に力を入れようとしていますが,ものづくりの力は強くないと思います。でも,石油,ウラン,レアメタルが豊富にあり,「実物資産」の時代を知っているのか,結構いばりがちです。東芝他,日本企業(銀行含む)は2006年以降進出を加速しましたが,カザフ人にとっては,「おー,よく来たな」と言う感じです。
というのも,2000年代前半から石油価格の高騰に支えられ,外貨を貯める一方,金融面では世界銀行から顧問を招き,基金を設立し,その運用に努めてきました。自分たちは,中進国で特別なのだ,というプライドも極めて強く,日本に対して勤勉さや技術力ではかなわないと思う一方,独特の「選民思想」から,非資源国を下に見る傾向もあると思います。
ロシアを恐れる意識はやや弱まる一方,中国への恐れ(単なる資源供給地となることへの反発)も強いです。ロシア,ベラルーシとともに関税同盟を構成しているので,ロシアを支える意識ももちろんあります。
アメリカとの関係は,独立当初,ナザルバエフ大統領にアメリカからの資金が渡ったという「カザフゲート」事件が,昔からささやかれていて,そこが,アキレス腱とも言われます。
数年前に,首都アスタナに,その名も「ナザルバエフ大学」が設立されましたが,学長には日本人で,前・世銀副総裁(勝茂夫氏)を呼びましたが,いつも勤務しているのかどうかわかりません。また,アスタナには,「ユーラシア思想」を唱えたグミリョフにちなんで,グミリョフ名称ユーラシア大学があり,ユーラシア大陸の中心を自負しています(ただし,経済・学術は南の旧首都アルマティの方が進んでいます)。
カザフは,かねてから国連に,援助機関設立の支援を求めています。2006年にはユーラシア開発銀行(れっきとした国際機関です)をロシアと設立し,旧ソ連を中心とした加盟国に対する財政支援やインフラ整備などの融資を始めています。本行はアルマティにあります。ただし,貸付金の回収を重視し技術的実施可能性をあまり重視しない点は,欧州復興開発銀行(EBRD)に近く,世界銀行やアジア開発銀行とは異なると言われます。
カザフ人の友人から,世界のトップクラスが,秘密裏にカザフに金融センターの設立を決めたと,という話を聞きました。 なるほど,副島先生の言われることは,いろいろ補強材料が多いかなと感じています。
【879】[995]「増税談合勢力」 の 野合(やごう)の増税に反対する。
副島隆彦です。
私は、イタリアに行っていました。現地で金融・経済の調査を兼ねて、ミケランジェロやメディチ家 が 闘いとった、新プラトン主義(アッカデミア・プラトニカ)とルネサンス(イタリア語なら Rinascimento リナシメント)の本当の意味を探る調査旅行をしました。 足が腫(は)れたりして、今はやや疲れ気味です。
来週には、3冊、新しい私の本が書店に次々と並びます。それらは金融・経済の本ではありません。 そして、昨日、私は、私の渾身(こんしん)の 2年間かけて死に物狂いで書いた 「隠(かく)された歴史」(PHP刊、7月末)を書き上げました。
これは、阿弥陀如来(あみだにょらい)、観音さま、弥勒(ミロク)菩薩の三人の女神は一体どこからやってきたのだ。ゴータマ・ブッダ(お釈迦さま)とは別人だろう。という 日本の仏教1500年間のすべてと、そして 仏教16宗派すべてに対する、私、副島隆彦からの 本気での 解明作業であり、日本思想史の 全領域、全体像 への 私からの挑(いど)み懸(かか)りです。私は、思想家としての全重力を掛けて、この仕事をしました。 希(こ)うご期待。この本のことは、これから何度でも紹介します。
さて、国会(国民議会)での、消費税増税をめぐる緊迫した闘いが続いています。 野田政権は、恥知らずにも 自民党と公明党との「3党合意」(6月15日深夜) という超党派(ちょうとうは)での 消費税増税の衆議院議院での法案可決を2日後の、26日(火)を目指しています。
これはハレンチ(破廉恥)漢のする野合(やごう)だ。まともな国民国家における政党政治のやることではない。
消費税増税(年間13.5兆円になる)など国民は誰も望まない。この増税は、アメリカにさらに貢ぐための資金づくりだ。日本の財務省(勝栄二郎 と 武藤敏郎がドン)がアメリカの言いなりになって、今でさえ総額1000兆円(政府系銀行の、米国債の秘密での購入の、貢ぎ額の総額だけなら250兆円ぐらい)もアメリカに奪い取られているのに、さらに衰亡するアメリカ帝国は、残酷に日本から、「IMFを通じたヨーロッパ救済のための資金」として毟(むし)り取る。
アメリカ自身は、G20(ジー・トエンティ)の場で、赤っ恥もので、IMFへの冥加金(みょうがきん)、奉加帳(ほうがちょう)に1ドルも出せない。世界中の 乞食(こじき)のようだ。日本は5兆円(600億ドル)出させられた。
今度の増税のお金も、こういう処に、今後も、どんどん使われてゆくのだ。
国民の福祉のためのお金ではない。野田たち民主党内の裏切り者、売国奴どもと、自民党のワル(石原のぶてるのチンピラはもうすぐ首だ)、公明党(ただの宗教団体に戻れ。国民政治をするな) の 野合集団だ。 以下の新聞記事にあるとおりの、 「増税談合(だんごう)集団」だ。
「国民の生活が一番(大事)」の逆の、この「国民生活など最後でいい。まず、アメリカさまへの忠誠、貢ぎ物が一番だ」の 増税法案への賛成など、許しがたいことだ。
私は、小沢一郎という優れた国民指導者と共に最後まで増税法案に抵抗し反対する。日本国民で増税に積極的に賛成の者などいない。2009年の8月のあのマニフェスト(国民との約束)の総選挙の結果を、踏みにじるすべての狡猾な勢力と、私たちは、闘い続けるべきです。 増税反対と言い続けるべきだ。それが日本人としての正義だ。
(転載貼り付け始め)
●「 民主60人超、造反の意向…棄権・欠席が拡大 」
読売新聞 2012年6月24日(日) 午前3時2分
消費税率引き上げを柱とする社会保障・税一体改革関連法案の衆院採決で、造反の意向を固めている民主党所属議員が60人を超すことが23日、読売新聞の調べで分かった。
約50人が反対票を投じる意向で、13人が棄権か欠席など賛成以外の対応を検討している。自民、公明両党が賛成する見通しのため、26日の採決で法案の可決は揺らがないものの、造反の広がりに党執行部は危機感を強め、巻き返しに躍起になっている。
民主党所属議員は289人。採決は記名投票で行われる見通しだ。反対票を投じる意向を明らかにしているのは、小沢一郎元代表のグループの衆院約80人のうち45人と、鳩山元首相グループの松野頼久(まつのよりひさ)、初鹿明博(はつしかひろあき)両衆院議員。さらにグループに所属しない議員1人が反対するとしている。
棄権か欠席の方針を明らかにした議員は7人で、「賛成はできない」として棄権・欠席か反対を検討している議員も6人いる。賛否を決めていない議員も10人弱おり、造反はさらに増える可能性もある。
衆院議長と欠員を除くと、衆院過半数は240となる。与党勢力は国民新党の3議席を含めて292。仮に、民主党の離党者が54人以上になると、与党は半数に届かず、単独では内閣不信任決議案を否決できなくなる。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。以上が現在進行しつつある事態だ。この増税反対に衆議院議員の70人から80人、もしかしたら自民党からも 棄権者、欠席者とかが出て、26日には、100人近くが増税反対の意思を表明するだろう。私たちは、この国民思いの真面目な政治家たちと共に歩めばいい。
以下の新聞記事のなるような、「増税談合(だんごう)勢力」との国民的な闘いを続ければいい。
(転載貼り付け始め)
●「 不信任案提出されたら どうする首相、そして自公 」
2012年6月22日 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120622/stt12062221120007-n1.htm
消費税増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法案に反対する民主党の小沢
一郎元代表らが集団離党に動き出したことにより、26日の一体改革法 案の衆
院採決後、小沢氏らが衆院に内閣不信任決議案を提出する可能性が出てきた。早
期解散を掲げてきた自民、公明両党にとっては好都合のようにみ えるが、一体
改革法案で修正合意しているだけに参院での可決、成立前に不信任案を提出され
れば、厳しい対応を迫られることになる。
21日午後、東京・赤坂のホテルに小沢氏ら49人が集まったことは与野党に
衝撃を与えた。54人以上が離党すれば与党は過半数割れとなり、51人以上が集団離党し、新会派を結成すれば単独で不信任案提出が可能となるからだ。新 党きづな、みんなの党、社民党などとの共同提出を視野に入れればハードルはさらに低くなる。
自民党の町村信孝元官房長官は22日のBS朝日の番組で、小沢氏らによる内
閣不信任案提出について「それはそれで結構なことだ」とのんき に語ったが、
事態はそう簡単ではない。
不信任案は慣例であらゆる議案に優先して採決される。一体改革法案の成立前
であっても自民、公明両党が野党としての筋を通して賛成すれ ば、不信任案は
可決され、野田佳彦首相は憲法69条の規定により10日以内の衆院解散か、内
閣総辞職(退陣)を迫られる。
首相が衆院解散に踏み切れば、自公両党は「消費税増税賛成の首相よりも増税反対の小沢氏を選んだ」とみなされ、消費税増税への対応を有権者 に説明するのは至難の業となる。しかも自公両党は一体改革法案に関する民主党との3党協議の場で民主党に「小沢切り」を迫ってきた。小沢氏らは選挙で民自公3党に「増税 談合勢力」のレッテルを貼り、徹底攻撃を仕掛けるに違いない。
首相が退陣し、新内閣が発足すれば、一体改革法案の3党合意は「無効」とみ
なされ、一からやり直しとなる。民自公の信頼関係は崩れてお り、協調路線に
戻るのは困難となるはずだ。
では、3党合意を重んじ「一体改革法成立までは小沢氏らにはくみしない」と
して不信任案に反対すればどうなるか。これは野田内閣を信任したことと同じとなり、反対勢力からは、やはり「増税談合勢力」との批判を浴びるに違いない。加えて国会には「同一案件を同一国会で取り上げない」という「一事不再議の原則」がある。
これにより9月8日の会期末まで自公両党は不信 任案というカードは封じられる。そうなると、もはや「事実上の連立与党」として内閣の延命に手を貸すしかなくなる。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 このあとも小沢一郎と同志の議員たちは粘り強く闘うだろうが、どうしても新党結成に向かわなければ済まないのであれば、それなら内閣不信任案を出して、自民党、公明党のワルたち(卑屈な現実主義者たち)が、それに同調しないなら、野田佳彦たちを支持するますます野合(やごう)政権となって、おかしなことになって、アメリカに尻尾を振り続けることだげが本意・主眼の大日本翼賛(よくさん)政治体制となる。
私たちは、増税反対の旗印を立てて、苦しい議員(=国民の代表)人生を続ける政治家たちを応援して、これからもずっと共に闘い続けましょう。
アメリカ帝国の衰亡まであと2年半だ。私がずっともう10年以上、数十冊の本で書いてきた通り、2015年には、アメリカ合衆国は世界覇権国(ヘジェモニック・スイテト)の地位から滑り落ちます。そうしたら私たちは没落してゆく帝国の支配、頸木(くびき)からかなり自由になれます。それまで私たちは頑張り続けなければいけない。
副島隆彦拝
【878】[994]「学問道場」で使用しているサーバーの障害につきまして
「学問道場」参加者の皆様
「副島隆彦の学問道場」管理者の一員・須藤と申します。
先週6月20日(水)の夕方から、「学問道場」の一部で使用しているサーバーに障害が発生しました。
この障害が起きたサーバー「ファーストサーバ」には、「学問道場」で使用している画像データの多くを預けておりました。
そのため現在、「今日のぼやき」や「重たい掲示板」などに掲載していた画像のほとんどが、現在表示されなくなっています。
「ファーストサーバ」社からの連絡メールを以下に掲載します。
誠にご不便をお掛けしており、恐れ入ります。
今後、急いでサーバーの復旧に努めてまいります。
以上のことを取り急ぎ、ご報告申し上げます。
須藤よしなお拝
(貼り付け開始)
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From: “ファーストサーバ サポートセンター” <****>
Sent: Thursday, June 21, 2012 3:25 PM
To: <****>
Subject: 【重要】6月20日に発生のサーバー障害についてのご報告
ファーストサーバ株式会社
サポートセンター
support@fsv.jp
【重要】6月20日に発生のサーバー障害についてのご報告
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
この度はご利用いただいているサーバーに、障害が発生し長時間に渡りご利用
いただけない状況となり、誠に申し訳ございません。
また、本件についてのご報告が大変遅くなり重ねてお詫び申し上げます。
本障害では弊社メンテナンス作業において用いる特定の管理プログラムにバグ
があり、お客様データが消失したことが判明いたしました。
消失したデータの復旧作業を進めておりましたが、データの復旧にはなお時間
を要することを確認いたしました。
早期にサービスを復旧させるため、サーバーを初期状態に戻し、現時点で可能
な範囲での復旧作業を実施しサービスを再開することといたしました。
お客様には大変ご迷惑をおかけすることとなり、心苦しく存じますが、何卒
ご了承いただきますようお願い申し上げます。
なお、データの復旧作業は総力をあげ継続しております。
誠に恐縮ではございますが、弊社でのデータ復旧作業とは別にお客様にて以下
に記載のサーバー初期設定方法をご確認いただき、メール送受信ならびに WEB
コンテンツの公開作業をお願いいたします。
■発生日時 2012年6月20日 17時ごろより
■発生原因 運用管理ツールの不具合
■事 象 サーバー上のデータの消失
◆サーバー初期設定方法のご案内
サーバー管理画面(コンフィグレータ)へのログイン情報は下記会員WEBに記載
しております。
会員WEBログインURL *******
コンフィグレータについて
*******
(1)ログイン後、該当する契約の契約管理WEB[開く]ボタンをクリックしてくだ
さい。
(2)契約管理WEBが開きますので[契約内容の確認]をクリックしてください。
(3)現在の契約内容の、【基本サービス】内コンフィグレータURLよりアクセス
してください。
(4)コンフィグレータへアクセスいただけましたらメールアカウント登録やWEB
コンテンツアップロードのためのFTPアカウント登録などのご準備をお願い
いたします。
ご不明な点などがございましたら、以下の弊社窓口までお問合せください。
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ファーストサーバ 株式会社
E-mail:support@fsv.jp FAX:06-6261-0501
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(貼り付け終了)