重たい掲示板
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Loginはこちら【903】[1019]露天風呂の社交
群馬のゆみこ(川端優美子)です。
今日はあんまり寒いんで、近所の温泉に行ってきたんよー。
露天風呂は声がよく通るんで、いっつも年寄りが集まって、話してるんさ。年寄りっつっても、今の年寄りは、まーず元気さねー。ずーっとくっちゃべってるよ。近所に店ができるとか、あそこに五軒、家が建つとかいう、身近な話から、いじめで自殺した中学生の話や、果ては国会中継の話まで、話題は豊富だいね。
あたしなんか、まだわけぇから、ときどき静かにうなずくだけで、隅のほうでおとなしくしてるんよー。でも、子宮頸がんワクチンの話が出たときに、思わず、「あれ、絶対おかしいですよ。製薬会社を儲けさせるためですよ。」って言ったんさ。そしたら、ばーちゃんたち、白けちゃってさあ。あれー、あたし、またやっちゃったんねー。
【902】[1018]フフホト通信(山東省青島市から)
山東省青島市から石井裕之がフフホト通信をお送りします。
本日は、「阿修羅」というインターネット投稿サイトに面白い投稿がありましたので、皆さんに御紹介させて頂きたいと思います。
フフホトの情報でも他の地方都市の情報でもございませんが、御付き合い下さいませ。
http://www.asyura2.com/12/hasan76/msg/904.html
↑この記事と、記事に対する色々な方々からの投稿を御覧頂きたいのです。
記事の申すところは、中国人はコツコツ働くよりも投資や投機によって一気に成り上がりたいと思っている、ということです。
実は、中国にもこれらの思想には二つのスタンダードが存在します。
と言いますのも、40歳代後半以上の年齢の人は毛沢東時代の思想を徹底的に刷り込まれておりますから、労働というものに対する意欲すら持ち合わせていないように思われます。この傾向は、実は漢民族ではなく、少数民族に顕著に観られるかもしれません。彼らは如何に毎日酒を飲んで美味い料理を食べるか、このことだけが興味の対象となっているようです。その源泉は「労働」による対価でなくとも良く、言ってみれば「たかり」の類でも一向に構わないのです。
これが30代前後の若者世代になってくると、状況は一変します。
彼らの功名心は非常に強いものがあります。兎に角何でも一番でないと気が済みません。他の人のことは余り気にしません。自分本位と言って良いでしょう。
実は私はこのことを余りネガティブに考えておりません。我々日本人が他人の目を意識し過ぎる余り、逆に萎縮してしまってどのような行動にも出れない状況を観るよりも、実は清々しいとさえ思ってしまうのです。
彼らの興味は只一つ、財を為すことです。
これは間違っても「コツコツ働いて貯金に貯金を重ねて」財を為す訳ではありません。
今の中国には、アメリカンドリームならぬチャイニーズドリームというものが存在します。数年前まで田舎の農民だったのに、石炭の炭鉱を掘り当てた途端に億万長者の仲間入り、等と言うのが一番の例でしょうか。
そのような例が本当に沢山存在するのです。そして、若者は皆「明日は吾身(非常にポジティブな意味での)」として、アンテナを張り巡らせるのです。
さて日本です。
1970年代に象徴される高度経済成長期に、日本は国全体が「工場」と化していました。資源の無い国が付加価値(利益)を得る方法は、加工貿易によって外貨を稼ぐ以外になく、全ての国民がその製品を生産することに「加担」していった時代です。為替相場も日本に有利だったことも手伝って、日本の製品は面白いように海外(主にアメリカ)で消費されていきます。それによって輸出企業は巨万の富を得、そこに働く労働者の所得も倍々ゲームで増えていったのは記憶に新しいところです。
要するに、政策(国歌戦略とでも言いますか)として、日本は国全体が工場になる必要があり、国民は須らく「機械の一部」として働かなくてはならない時代が存在したのです。
と、言いますか、「機械の一部」となることがどれほど素晴らしいかを、教育の分野で我々は洗脳されていたようです。日本に企業家が少ないのは、その弊害と思って間違いないでしょう。
中国の世代間の「労働」に対するギャップ。日本の「労働」に対する思想形成を思うと、全てはそのとき時の国家の思惑によって、我々の思想は絶えず「教育」されているのだと感じざるを得ません。
すると、今の日本に若者を嘆くことも、中国人に「一発逆転型」の思考法を持つ人が多いこをを揶揄することも実は無意味なことですね。
今の世界は、「資本主義」「民主主義」を共通のルールとしてゲームが進められております。今後もこのルールの統一化の方向にどんどん進んでいくのでしょう。
もし私が(あなたが?)ルールを決定出来る権者だとしたら良いのですが、概ねそうではありません。従って、どうあれこのルールの中で、個人としての「最大幸福」を見出さざるをえないのです。
では、その「最大幸福」を得る方法とは?!
これは私にもその答えは判りません。しかし、「大人」の「言われるがママに」、コツコツと真面目に単純作業を繰り返していくことでないことくらいは、判るつもりでおります。
はてさて、皆さんはどうお考えでしょう。
【901】[1017]労働者は、労働者?
加地龍太 様
ありがとうございます。私の拙い質問に答えてくださいまして。
ただ、死因は、不明でしょうか。まず、私は、副島隆彦の学問道場に新人賞があるのなら、貴方を推挙いたします。なぜなら、既存のルールに該当しないからです。それだけ、斬新さがあると私は思います。
私は、不動産業としてここ15年、地元で営業をしてきました。パートの社員も雇いました。両親の介護が必要になり、専業することができなくなり廃業し、今に至っています。 介護保険のお世話にはなっておりません。
こちらの暴力団は、住吉会系がメインで、まさか山口組がでてくるとは思っておりませんでした。ところが、山口組が進出してきたのです。8年位前、こちらの市議の従姉妹(水道業)が、闇金融から事業資金を借りましたが、市議に連帯保証人を要求し、融資しました。
原発の労働者(派遣労働者)を調べてくださいませ。暴力団関係の派遣があるでしょうね。(推測ですが) とにかく、加地龍太氏の勉学を応援します。
本多俊一
【900】[1016]ご質問感謝致します。
本多俊一 様
ご無沙汰しております。私が、「副島隆彦の論文教室」に文章を投稿させていただいた際には、その文をお読みいただきご質問をして下さったことを記憶しております。
文章を書くようになって感じることですが、自分が書いた文章に対してリアクションをして下さる人物の存在はとてもありがたいことだと思っております。
今回も、ご質問をしていただき、ありがとうございます。
ご質問の内容
>はてさて、どのような組織(山口組?)に、田中角栄氏が暗殺されたと思った経緯は、いかほどでしょうか?。
に対する返答をさせていただきます。
まず、私は2011年の6月に西日本のとある県に住む、とある人物と川崎でお会いしました。
その人物の職業は理科系の科学者で、その業界では有名な人だということです。
その人物と川崎でお会いしてお話をし、ありがたいことにそのお方が私にもう一度会ってみたいと仰って下さり、2011年の7月に私の実家で再びお会いしました。
そして、2度目にお会いしたときにその科学者さんから、「世間で陰謀論と言われている都市伝説があるが、あれは事実を曖昧にするためのカモフラージュだ。権力者側に金銭で買収されている都市伝説作り屋、いわゆる陰謀論者と言われる人間たちがいる。たとえば、ベンジャミン・フルフォードというのがそれだ。」
という話を直接お聞きしました。
私は、ベンジャミン・フルフォード氏の著作を何冊か拝読したことがありますが、その中に「私(ベンジャミン・フルフォード氏)は在日暴力団の組長さんたちにインタビューして聞いたのだが、ヤクザは大物政治家を暗殺するときに毒針付きの指輪を使うようだ。その指輪を指に嵌めて殺しの対象と握手をして毒針を刺す。その毒針を刺された人間は10日後くらいに脳梗塞やら心筋梗塞やらで死ぬのだそうだ。田中角栄などはそうやって殺されたという。」というような内容の文章が書かれてあったことを記憶しております。
フルフォード氏の著作は今は手許に無いのでどの本に書かれていたかは覚えていませんが、誰かとの対談形式で書かれた文章だったと思います。
私は、上記の科学者さんから「フルフォード氏は実は権力者側の人だ。」
という話を聞いて、いかにも正義の味方を気取るどうにも胡散臭さが消えないと感じていたフルフォード氏の存在が、実は権力者側の「隠れエージェント=都市伝説作り屋」なのだと考えるとしっくりくると考えました。
世界権力者の具体的な名前を挙げず、「闇の権力者」という曖昧な言い方で真実をカモフラージュする仕事をしているのではないかと私には思えてならなくなり、現在に至っております。
尤も、「フルフォード氏が隠れエージェントであるという客観的物的証拠を出せ」と言われましたら、ありませんとしか言えません。
田中角栄氏が暗殺されたと思った経緯は何か、ということですが、上記の
「事実を曖昧にするためのカモフラージュが都市伝説=陰謀論だ」という理解に則り思考しますと、「在日暴力団が大物政治家・田中角栄を暗殺した」という事実をカモフラージュするため「権力者側の隠れエージェント(とされる)フルフォード氏が、いかにも胡散臭そうな暗殺器具(毒針付きの指輪)で田中角栄を暗殺した」という都市伝説=陰謀論を創作し、世間に流したのではないか、と私は考えた次第です。
それともう一つ、私の知人に山口組の枝の組(きっと第三次団体くらいです)に関係を持っていた者がいるのですが、その者から「暴力団がやった社会の表に出してはならない事柄は、わざと都市伝説にして世間に流す。都市伝説にすれば、世間の人は胡散臭がって信じなくなるから。」という話を聞きました。
しかし、その男は「山口組と兄弟盃を交わしたのは俺が関係を持っている組だけだ。」などと言っていました。
山口組の組長と兄弟盃を交わした第二次団体の直参組長は日本全国に多々いるのだという事実を知らずに「俺んとこの組は凄いんだぞ。」的な態度で威張って私に話してきました。
しかも、その男が関係していた組の名前を調べましたが、山口組の直参に名を連ねていませんでした。
その程度の男が言っていたことゆえ、2つ目の理由は少々信憑性が弱いかもしれません。
しかし、1つ目の理由の根拠になっている話をして下さった科学者さんは、
その業界においては世界的に知人がいて有名な人であり、言っていることも(私としては)筋が通っていて辻褄が合っていると感じることが出来ました。
以上、私が田中角栄氏が在日暴力団によって暗殺されたのではないかと思うに至った経緯です。
説明に必要であると判断したため暴力団の話を多くしましたが、もしそれによって気分を悪くされましたら大変申し訳ありません。
私は、暴力団(副島先生いわく、社会の問題児を拾う福祉団体)の存在を肯定する気はありませんし、ヤクザがやっている黒いこと(暴力を伴う債権強制回収など)を肯定する気は断じてありません。
これらは、リバータリアニズム違反ゆえ。
上記の組に少し関係していた者との関係も完全に断ち切りました。
しかし、この世に人種差別と愛情の欠如というヤクザ・マフィアを生む基盤が存在する以上、必然的にその人々を受け入れる場所=暴力団が必要になってくるのだろうと客観的に判断しています。
この世に差別がある以上、きっと暴力団はなくならないのだと思います。
以上です。長くなりまして申し訳ございません。
尚、今回はメールではなく重たい掲示板にて質問を受けましたので、重たい掲示板に投稿する形で返答させていただきました。
それでは、失礼します。
加地龍太 拝
【899】[1015]病死?、事件死?
加地龍太様は言いました。
>故・田中角栄氏は病死したと報道されたが、実際は在日暴力団によって暗殺されたようである。
加地龍太様、私の疑問は、この一点です。その当時は、日本全国、病死と認識しました。それ以前に、たしか脳梗塞をおこされ、その後、すべての活動を停止していったと記憶しております。
はてさて、どのような組織(山口組?)に、田中角栄氏が暗殺されたと思った経緯は、いかほどでしょうか?。
本多俊一
【898】[1014]偉大なポピュリスト
こんばんは、加地 龍太(かじ りょうた)です。
以下に思考したことを記述します。
先週、大学で政治学の授業を受けていたときに教授がポピュリズムの話をした。その教授は、他の例に漏れずポピュリズムを「大衆迎合主義」と訳していた。私の知人が受講している他の政治学の授業で配布されたプリントを見せてもらったが、そのプリントにもポピュリズムは大衆迎合主義と訳されていた。
私が受講している政治学の授業を担当している人間の経歴を直接本人に尋ねたら、元・読売新聞の政治部記者であり、若い頃に渡邊恒雄(ナベツネ)氏の直接の部下として働いた経験を持っていた。
田中角栄は、ポピュリストである。ポピュリズムという用語は、上記のように日本では「大衆迎合主義」と訳されている。
その意味の概略は、「国民の支持を得て選挙で票を獲得するために国民に媚び諂うやり方で政治をする思想をポピュリズムと言い、それを主義とする政治家をポピュリストという」という理解になっている。
ポピュリストに対するこのような理解を広めたのは、グローバリストである。
ポピュリズムの真の意味は、「その国・地域に住む人間たちの政治的意思の集合体」のことである。
そのポピュリズムを代弁して政治をする政治家をポピュリストというのである。
これに対してグローバリストが主義としているグローバリズムという思想は、「各国の市場に自国のコングロマリット(複合企業)を参入させ、他国の各市場を牛耳ることによって実質的にその国家を乗っ取ることを肯定する地球支配主義の思想」である。
このグローバリストの思想は、マイケル・サンデル ハーバード大学教授が代表するコミュニタリアンが主張する「強大な権限を握る一部の集団が社会=世界を管理する方が世の中は良くなるのだ」という考えとイコールだと私は思う。
上記のグローバリスト(地球支配主義者)に取って、国民の政治的意思の集合体を代弁するポピュリストは邪魔者である。
それゆえ、グローバリストの代表の1人であるアメリカの高級外交官ヘンリー・キッシンジャーが、敵対するポピュリストに対して「大衆迎合主義者」というレッテルを貼る言論攻撃を掛けたのである。
そして、キッシンジャーの家来として日本におけるポピュリストに対する言論攻撃を主導したのが渡邊恒雄氏(読売新聞主筆)と中曽根康弘氏(元・首相)である。
田中角栄は日本のポピュリストとして、第二次オイル・ショックの際に世界覇権国アメリカの世界戦略を無視し、中東の石油産出国との間に独自の石油売買ルートを確保したことにより、ネルソン・ロックフェラーに睨まれ、彼の弟子として育てられていたヘンリー・キッシンジャーとその他によってロッキード事件で政治スキャンダル攻撃を仕掛けられ失脚させられたのである。
ちなみに、故・田中角栄氏は病死したと報道されたが、実際は在日暴力団によって暗殺されたようである。これは、故・中川昭一氏についても同様に言われている。
日本国民の実生活を守るため、命を懸けてポピュリストとして行動した田中角栄は偉大であったと私は思う。
以上、大学の政治学の講義でポピュリズムの話を聞いて私が考えたことです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
何かご意見・批判等がありましたら私のアドレスにメールをお送りいただけると幸いです。
加地龍太 拝
【897】[1013]フフホト通信(山東省青島市から)
石井裕之が青島からフフホト通信をお送りします。
いい加減「チンタオ通信」にしたらどうだ、というお叱りのメールを頂いておりますが、自分自身「フフホト通信」に愛着を感じております。
真に勝手ながら、暫くこのままのタイトルで続けさせて頂きます。
さて、今回は青島及び煙台(山東省)、大連のレストラン事情についてです。
現在、青島では「青島ビール祭」が開催されています。
市の東側に位置する国際展示場の西隣の巨大ショッピングモールの屋上スペースを利用してのものです。さながらビアガーデンの超巨大版といった風情でしょうか。敷地内に様々なバーベキューの出店が立ち並び、ステージの上では野外コンサートが開かれております。
また、青島ビールの生ビールは最高に美味いですね。
スッキリしているのに、妙にコクがあったりもします。
これは本当にヤミツキになってしまいます。
もうすぐ世界各国のビールもお目見えするとのこと。
中国の大連方面に出張予定の人は、是非とも青島まで足を伸ばしてみて下さい。一見の価値ありです。
また、青島の市内には様々な日本料理が堪能出来ます。
居酒屋は豊富な種類を誇っておりますし、結構美味いラーメン屋もあったりします。焼き鳥、鉄板焼き、蟹料理・・・なんだ日本に帰らなくても良いじゃん。
日本に比べると安いとは言え、こちらの物価を考えると結構な値段です。
大体一人当たり5000円程度でしょうか。
それでも夜は予約を入れていないと中々ゆっくり食事が出来ないほどの人気です。
煙台では、実に美味いマグロ料理が堪能出来ます。
聞くところによると、マグロの集積基地が煙台にあるのだとか。
日本の食品加工工場もここ煙台に集中しているそうです。
贅沢な話ではありますが、トロを大皿にコンモリと並べられても、そう沢山食べられるものではないですね。
これはにぎって欲しかった。
大連は日本人が非常に多い街ということでも有名です。
二百三高地で有名な「旅順」が、観光地として去年から一般公開されているそうです。
今後は観光開発されていくそうですので、一度行ってみては如何でしょう。
野木将軍の墓もあるのだとか。
大連の街中にも、日本食レストランは沢山あります。
この間行った焼き鳥屋さんは、日本人が炭火で焼いてくれていたので、非常に美味しい焼き鳥を堪能出来ました。
私は焼き鳥が大好物なのですが、なかなか中国では美味い焼き鳥がありません。以前上海や北京で食べた焼き鳥が最低だったので、今回の大連の焼き鳥はホームランです。
大連の「勝利広場」の周りにはこういった美味い日本食レストランが豊富に存在します。
そしてそれぞれの店に共通して言えることは、どこも客が一杯ということです。
青島や大連には、店舗改装専門の日系企業が多数存在しますが、どこも仕事を山ほど抱えているようです。
今、中国の外食産業は正に「花盛り」状態なのですね。
先日、大阪の知り合いの寿司屋の大将が青島を訪ねてくれました。
この大将のにぎる寿司はちょっと他所では観られないほど見事な「業」で、私も大好きな味なのですが、最近の日本ではやはり寂しいそうです。
売上や利益も去ることながら、料理人としてお客さんの「美味い!」という声ほど嬉しいものは他にないそうですが、今の日本では外食を楽しむ習慣が減ってきているため、件の寿司屋も本当に寂しい状態が続いているそうで、どうにも仕事に張り合いがない、と語っておられました。
「どうですか、青島でもう一勝負してみませんか?」と声を掛けたら、是非にもということで、今出店準備を急いでいるところです。
こうしてまた一人、日本の財産の海外逃避の手伝いをしてしまっている今日この頃です。
【896】[1012]福島本部活動日誌です90
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2012年5月23日の日誌です。
未明の3時20分、パトカーが事務所の脇で一般車両に職務質問していました。
パトカーに起こされてしまったので、腹立ち紛れにスパゲッティを茹でて、炒めていた茄子とミートソースに絡めて食べました。
草刈りをしました。1時間で結構進みました。その後、すぐに風呂に入りました。
電話・ネット回線代を振り込みました。7159円でした。うち5460円がネット回線代分です。
洗濯をしました。
ガソリンスタンドに今年冬の灯油のお礼としてレトルト食品を持っていったら、店主のWさんに地元の人2人と暫く話すことになりました。
「原発でここら辺で働いている人は、地元の人夫出しの人のとこに話し持ってっている。私は誰なのかわからない」
「ある町の町長は、3億寄付した、という噂をどこかで聞いた」
「288号線を直進するのは原発に向かう車で、399号線を通るのは大体が除染の車」
「安積高校の先生はエリートさん。その人がいるだけで、信用が全く違う」
「ら・ら・ミュウは、以前は安かったんだけれど、今は他県産だから高い」
と言っていました。
夕食は、卵と豚バラとピーマンと人参を入れた炒飯、納豆、ヨーグルト、でした。
炒飯がますます下手になってきています。単純に作ったほうが美味しいです。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年5月24日の日誌です。
草刈りを1時間しました。崖側は一通り出来ました。
一時的に草刈り機が動かなくなったのですが、充電の失敗だったようです。
レシートの整理をしました。
蚊を駆除しました。
蚊取り線香(←嫌いなのですが・・・)で、正面玄関に群がっていた100匹ほどを駆除しました。
夕食は、余っていたミートソースのスパゲッティ、余っていた炒飯、お茶、でした。
明日、秋葉原に行くことが急遽決まりました。無理にでも楽しみます。
(転載終わり)
【895】[1011]福島本部活動日誌です89
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
現在、画像が表示できない状態ですが、文字データだけでも転載します。
(転載始め)
2012年5月19日の日誌です。
洗濯をしました。
ソファーと布団を干しました。
なお、ソファーを中に入れるのを忘れ、一晩中外に置いたままにしてしまいました。
最近は虫が大量に出てきたので、外に干すのも考え物です。
とは言っても、建物の中に既に毛虫が5匹入ってきているのですが・・・。
夕食は、大蒜と葱と卵を入れた炒飯、昨日の残りのスープ、でした。
前者はジャンクフードの一歩手前ですが、栄養バランスを余り考えないこの様な単純な食事が、一番失敗がないです。
作る時に卵を一個落としてしまい、大ショックでした。
(夜中に以前にtwitterで話す中国の人から教えて貰った事を思い出して、なかなか寝付けませんでした。
李克強の英語での意見発表について、
「こういうのは李源朝が添削してたりするのかな」
と書いたら、
「こういう中共政府高官のは、個人がどうこうするものではなくて、中共全体の意見発表なんだ」
と教えて貰いました。
普段はZさん以上にエロゲの話題しかしていなかった人ので、突然の真面目なツイートに驚いてしまいました。)
(転載終わり)
(転載始め)
2012年5月20日の日誌です。
昨日と全く同じ炒飯を作りました。今日は失敗気味でした。
夕食は、その炒飯、カレーの余り、一昨日のスープの余り、焼そばの余り、をそれぞれ少しずつ食べました。
大広間に掃除機をかけました。また、掃除機自体を洗いました。
モップをかけました。7ヶ月ぶりのモップがけになるかと思います。
シーツを3枚、洗濯して干しました。
今日は忘れずにソファーを取り込みました。その際に蚊が部屋に入ってきてしまいます。
下の写真のように、蚊が建物に(おそらくですが200匹ほど)とまっている状態です。刺さないとは言え、寝ている時に起こされそうです。
11時43分、外国の人を乗せたバスが国道288号線を帰っていきました。
このバスは古道体育館前の駐車場に停まっていたり、検問所方面に走っていく等、取材に来た様な動きをしていました。
12時に、気になって古道体育館に行ってみたのですが、写真の通り撤収されていて、何も変化ありませんでした。
公民館前の駐車場にトラック2台と2人の人が居るだけでした。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年5月21日の日誌です。
288号線、399号線共に、コカコーラのロゴが入ったトラック等、普通の車が通ることが多くなりました。
それでもやはりクレーン付の輸送トラックが多いです。
昨日は掃除をしたままの体で寝てしまいました。
朝起きて、すぐに汚れていた足だけはシャワーで洗いました。
燃えるゴミを捨てました。カメムシの遺体が40ヶ入っているゴミだったので、もう少し早めに捨てればよかったかもしれません。
生ゴミを入れているゴミ箱を洗いました。
水道代1620円をJAに払いに行きました。
ストーブに入っていた灯油を、全て使い切りました。
不良灯油になる可能性があるのは、風呂用ボイラーのタンクに入っている灯油だけです。
13時、唐突に常葉町にケーキ屋が新しく出来ていたことを思い出しました。
とはいえ、嗜好品を往復1780円のバス代をかけて買いに行くのも馬鹿馬鹿しいので、(というよりもケーキ自体が余り好きではないので)、南瓜をレンジで加熱した後、オリーブオイルで炒めてケーキの代わりにしました。
14時、点検も兼ねて、久し振りに外風呂に入りました。問題なく入れて安心しました。
但し、入浴中は、ミツバチが周りを飛んでいます。
ミツバチから逃げるように風呂を出、建物の中に入ると、大型の蜂の遺体がありました。いっそ外で風呂に入っているほうが安全かもしれません。
夕食は、南瓜の残り、炒飯もどき、でした。
炒飯もどきは、卵、豚バラ、葱、玉葱、大蒜、人参で炒飯を作ろうとしたのですが、玉葱の水分が出てしまい、炊き込みご飯に近いものになりました。
食べられるものが出来たので良かったです。
1週間前は、料理を作る以前に、食べる気力が湧かなかったので、やや改善したのだと思いたいです。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年5月22日の日誌です。
6時29分古道車庫発のバスで船引駅に行き、磐越東線で郡山駅に行きました。
ネットカフェの様な宿泊施設がやっている630円のモーニングメニューを食べました。
1時間の制限時間内で、野菜が大量に摂れて満足でした。
郡山駅前近辺を徘徊してみたのですが、以前と同様に何も見るべきものを発見出来ませんでした。
駅前の道路が一部、陥没していた跡があるくらいでした。
郡山は人口が30万人居て、いわき程ではないですが面積も広いので、駅前だけに偏って見るのは間違っているのだと思います。
(郡山に詳しい方、原発関連で見るべき場所を教えて下さい・・・。最近こればかりですが・・・。)
(なお、
「事故時の住民の避難区域の設定について、距離をどの程度にするのが適当だったのか」
という議論があるらしいのですが、60km弱の郡山や40km強のいわきまで含むとなると、相当に難しいものになったと思います。)
(地震後の道路が壊れた状態では、浜通りの人達は国道114号線を3時間かけて川俣方面に避難した、と福島民報にあります。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/05/post_3842.html
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/05/post_4002.html)
駅前にある、うすい百貨店に行き、9Fのジュンク堂でずっと本を読んでいました。
開店前の9時40分、店の前で放射線の調査をしていると思われる2人がいました。
エレベータ内には、安全性を強調する張り紙がありました。
久々の本屋で、気持ちが安らぎました。
10Fでは福島県産品の物産展をしていました。
客層は東京の百貨店と同様に、お年を召された方ばかりでした。
駅前のモニタリングポストは0.284μSv/hでした。
駅前のバス停には、ビッグパレット再開の広告が貼ってありました。
アニメイトでは女学生2人が同人誌を見ていました。将来有望です。くれぐれも、「少年センター補導員」のような人達に目を付けられないで欲しいです。
郡山駅15時10分発の電車で船引駅に戻ってから、直接、古道車庫にバスで帰りました。
大体のものは揃っているので、ダイユーエイトには寄りませんでした。
なお、ダイユーエイト近くの、中の内というバス停から2人バスに乗ってきました。
バス路線で買出しに出ている人が居るようです。
(夜に、下の映像の34分からを見ていて大笑いしていました。
http://twitcasting.tv/asat8/movie/4810516)
(この日誌を書いていて、読点の使い方がいつも心配です・・・。
日本語にも「読点を出来る限り打つ」や「英語のように単語の間はスペースを空ける」といった、明白な決まりがあったら、と思ってしまいます。)
(転載終わり)
【894】[1010]福島本部活動日誌です88
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
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(転載始め)
2012年5月3日の日誌です。
雨が降っていたので、あまり片付けが進みませんでした。
カメムシを5匹駆除できたのには安心しました。今年は既に、40匹は駆除しています。
午前10時42分、街宣車など5台の車が288号線を走って、大熊町境の検問所方面に向かっていきました。
午前11時1分、先ほどの5台の車は、288号線を郡山方面に帰っていきました。検問所で追い返されたのだと思います。
ゴミ捨て場を見たところ、既に金曜に出すべきもので一杯だったので、缶とペットボトルのゴミを急いで捨ててきました。
食器洗いは量が多すぎで、半分で断念しました。
夕食は、饂飩、味噌汁、アスパラガスとオクラを茹でただけのもの、麦茶、でした。
饂飩に少しカビのようなものが生えていました。早く食べ切ってしまわなければなりません。
大川さんから頂いたカレーは、まだ食べられなさそうです・・・。
先日の日程表を見返してみたのですが、各場所への滞在時間見通しが長過ぎでした。特に三日目は、3時間早く予定が終わってしまい、冷や汗ものでした。
ビール代と部屋割りで結構失敗がありました。
やはり被災地であり、トイレ休憩が上手くいかないなど、わからない中で進めるしかない事が多かったです。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年5月4日~9日の日誌です。
4日、5日、6日は、ツアー後のメール返信や過去の日誌等で時間が過ぎていってしまいました。
なかなか動けなくて焦れったかったです。
7日、自転車で浪江町手七郎集落付近に行きました。
出発する前に郵便局で電気代を振り込みました。32336円でした。
途中の国道399号線沿いの数少ない家は、車が置いてありました。
(←ここはまだ田村市都路町岩井沢です)
葛尾村の役場付近には、タクシーが駐車してありました。また、双葉砕石のダンプカーが行き交っていました。
葛尾村役場は、車で一杯でした。駐車場に、住民による自警団が建てたと思われるプレハブがありました。
ここは0.388μSv/hでした。
役場隣の学校は、校庭表面土の除去をしているようでした。
(←見難いですが、ブルドーザーが動いています)
津島の辺り(googleの地図で「37.553877,140.736706」の辺り)には、長泥のものと同じ、「積算線量測定中」と書かれた木箱が置いてありました。
もう少し進むと「警戒区域に立ち入られる皆様へ」という看板があります。
(下の写真に見える信号を直進して国道114号線を1km進むと検問所があり、立入りが出来ません。そこから更に3km進むと、赤宇土地区という線量が高いらしい地区があるようです。)
国道399号線と国道114号線の分かれ道の所は、3.62μSv/hでした。
なお、4/29にバスで通った際は、バスの車中は1μSv/hほどでした。
更に1kmほど国道399号線を進むと、線量がすぐに6.83μSv/hに上がりました。
ここに犬の死骸があり、カラスに啄ばまれていたので、どうにかしてあげたかったのですが、どうしようもありませんでした・・・。
津島の赤宇土付近への脇道は、立入り禁止になっていました。
以前はもっと障害物が少なかったのですが、少なくとも自動車は入れないようになっていました。
自転車ならば入っていけるのですが、後日警察官にそれとなく聞いてみたところ、「間違って迷って立ち入り禁止区域内に入った場合でも大事になってしまう」と言っていました。
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この付近で399号線沿いにある民家は3軒だけでした。
国道399号線には見通しのいい場所が2箇所あるのですが、その奥にある所から、赤と白の縞模様の鉄塔が見えました。
399号線から海と原発が見えるところがある、と聞いていたので、一瞬5号機と6号機の側にある鉄塔かと思いました。
ただ、事務所に戻ってから見直してみると、送電の為のただの鉄塔なのではないか、と思い直しました。
但し、ここからは114号線がある谷間、つまり放射性物質が北西に流れていった谷間が明確に見えます。この事の方が貴重かもしれません。
ここは16.37μSv/hでした。
ここから更に200mほど進んだ所が、最も線量が高く、18.09μSv/hでした。原発性門前の二倍です。
更に進むと手七郎集落の看板があります。
国道399号線沿いには、3箇所に木箱が括り付けられた木がありました。日付から見るに、設置されたばかりだと思われます。
帰り道の途中、松本農園まで1kmの所で、警察に呼び止められました。
疲れていたので、唯々諾々と笑顔で応じてしまいました・・・。
(そういえば警察は、国道399号線の線量の高い所は見回りをしていませんでした。やはり恐怖心があるのかもしれません。)
8日、昨日ともう一度同じ所に行って、最も空間線量が高い所の土(正しくは、土の上の枯れ葉など)を取って来ました。
カメラを置いてきたので記録が残っていませんが、その場では30μSv/h前後ありました。
事務所に戻ってきて、ガイガーカウンタを近づけたのですが、5μSv/hだけでした。
(5/18現在、2.5μSv/hまで下がっています。)
国道399号線沿いで一番空間線量が高い所は、アスファルトの上が約12μSv/h、その脇の土の上が約30μSv/h、崖側の上が約50μSv/hです。
9日は雨が振ってしまったので、事務所で大人しくしていました。
同時に、7日と8日にお茶以外何も食べていなかったので、饂飩、味噌汁、サンマの塩焼き、レタス、冷蔵庫に残っていた悪くなってた漬物のようなもの、を食べました。
余っている食材を消費する為にカレーも作りました。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年5月10日~17日の日誌です。
この頃は心身共に不調な時期で、ややダウン気味でした。
食事は、ご飯、サンマの塩焼き、カレー、味噌汁、などなどを適当に食べていましたが、美味しくはありませんでした。
朝の気温が5度くらいまで下がり、昼は20度を超えるので、体に良くないです。
5月10日は変わった車の往来が多かったです。
早朝の2時15分、直径4mほどの歯車のような部品を載せたトラックが、検問所方面から郡山方面に走っていきました。スカイツリー建造中に国道6号線で見た、建材の3分の1くらいの大きさでした。
午前3時、さっきのトラックが郡山方面から来て、川内方面に走っていきました。
午前5時22分、大きな鉄パイプの太いものを積んだクレーン付トラックが、国道288号線を郡山方面に帰っていきました。
午後4時42分、テレビ局の車が288号線を帰っていきました。
午後5時45分、警察が都路大橋の前でネズミ捕りをしていました。すぐに開放されたので、車の形から言っても、原発からの作業員を乗せた車だったのだと思います。
5月12日午後2時50分、Sさんが来ました。
検問所を案内しました。来た時点でSさんに余り時間の余裕が無かったので、急ぎ足での案内になってしまいました。
大阪県警の人で、写真だけ撮りに来たことを伝えると、
「ここはそういう場所ではないので」
と返ってきました。
ではどういう場所なのか聞いてみたかったのですが、時間が余り無かったので
「前は良くて今駄目なのは何故か?個人用の写真を撮るだけだが」
と言うと、撮影は大丈夫だと返ってきました。
事務所を急いで案内した後、16時35分のバスに一緒に乗りました。
船引の仮設住宅までバスと徒歩で一緒に行って、案内しました。
船引の途中の道では、新しいアパートと住宅の展示場が出来ていました。
駐車場のアスファルト上に新しく、「A8-4」といった番号が書いてありました。
その後、船引駅まで歩き、郡山駅まで電車で同行しました。
電車の中でSさんが
「バスの中で地元の人が『畑は、もう一年放置しておくと、本当にダメになってしまう』」と言っていた」
と言っていました。
郡山駅前では民主党の人が演説をしていました。
郡山駅でSさんを見送ってから、駅前を歩いて時間を潰しました。
郡山駅の食品スーパーは耐震工事をするので、暫く別フロアで営業するそうです。商品は順調に売れていました。
21時、ネットカフェに入りました。
13日の朝、郡山駅前のモニタリングポストはついていませんでした。
テロ対策特別警戒実施中、という張り紙を見て、懐かしくなりました。郡山はそんなことは全く無いですし、288号線沿いは、原発災害関連特別警戒実施中、という方が正確な状態です。
郡山駅の待合室は、一夜を過したと思われる人達が7人ほど眠っていました。
午前8時1分の電車と午前8時50分のバスで事務所に戻りました。
船引駅には、田村市の犯罪発生状況が掲示されていました。
都路は0件となっていました。
つまり、以前警官にいわれた「今でも警戒区域で空き巣が起きている」というのは、嘘だったということになります。
バスから見えた船引小学校では、サッカー関連の集まりで、小学生が一杯いました。
17日午前6時に検問所方面に行ってみました。
288号線脇の電灯がついていました。(「通行と一時的な帰宅は自由だけれど宿泊は禁止されている地域」であっても、電気は夜も通っているようです。)
民家に自動車が停めてありました。
4月初旬とは違い、カーテンが開いている民家が多かったです。
ゴミ捨て場には、食器類、炊飯器、電子レンジ、などが捨ててありました。集積場にはとても入りきらない量で、脇においてありました。
道路の脇に、「046-0063-0000」と書かれたガムテープが数個貼ってありました。
帰り道の途中、クレーン付トラックが、検問所方面に走っていきました。
(転載終わり)
(転載始め)
2012年5月18日の日誌です。
朝、ダンボールゴミを捨てました。
今日は珍しく朝食を食べました。
椎茸で出汁を取った後、4/27にHさんから頂いた冷凍餃子、もやし、ラー油、K先生から頂いたコンソメスープの素、を入れて少しだけ加熱しました。
摩訶不思議なワンタンスープになりました。結構美味しかったです(ホントです)。
朝食を食べた分、夕食はお茶だけでした。
13時ごろにKさんが来ました。
葛尾村や飯舘村に行って少し土を取って来るようでしたので、同行させてもらいました。
葛尾村広谷地の通行止めになっている所に行きました。(おそらくgoogleの地図で「37.522014,140.779016」の地点です。)
ここの線量が4.09μSv/hでした。地面が14.1μSv/hでした。
空間線量はあるのですが、地面の土からはあまり高い値が出ませんでした。
帰るときに立ち入り禁止の場所から、車が三台連続して出てきました。最後の車は「環境省」と書かれていました。
立入禁止区域での調査からの帰りだったのかもしれません。
環境省の車は葛尾村役場の駐車場に入っていきました。
浪江町津島手七郎の畑に行きました。
ここも空間線量は4.44μSv/hあるのですが、畑の表面はあまり高い数値は出ませんでした。
飯舘村長泥十文字(4/29に行った所、googleの地図で「37.612651,140.749164」)に行きました。
ここの雨樋の下の泥水が数値が高かったので、少し持ち帰りました。
もう少し県道62号線を東に進んで、飯舘村蕨平の通行止めになっている所まで行きました。
東に行くと線量が段々と下がっていき、通行止めの所は、1.5μSv/hほどでした。
事務所に戻って、Kさんは帰りました。
5/20現在、長泥の十文字で採って来た泥水は、20μSv/h出ました。
飯舘村の畑近くの家から採って来た土は、2μSv/hです。
(転載終わり)