重たい掲示板

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泉浩樹 投稿日:2012/08/17 00:36

【947】[1074]福島のもも『あかつき』報告#4、以降の収穫情報

福島のもも『あかつき』報告#4、以降の収穫情報

副島隆彦 学問道場 会員 福島県出身、泉浩樹です。

「重掲」読者の皆様。いつも福島を応援頂きありがとうございます。
昨年は、福島をふくめた被災地への状況を ご理解、お力 を頂き 
あらためて厚く感謝を申しあげます。

⁂ 福島のもも『あかつき』の収穫が8/20ころ迄の見通しです。⁂

桃『あかつき』収穫が8/20日頃に終了になると 須賀川市浜尾地区
の有我果樹園より連絡が入りました。
 今年も好天に恵まれて品質の高い桃が収穫されております。
皆様からのご注文、ありがとうございました。

 昨年の災害以降 ふくしまの農家は 極々低レベルの放射線によ
るいわれの無い風評を受け 多くの農家が規模を縮小、若しくは「離農」を致しました。
そして、手塩にかけ愛情を注いだ田畑、果樹、動物たちを処分いた
しました。
 帰れる「家」があってもその環境を奪った「国」が居ます。
人々が帰っては「そこに不都合」があるからでしょう。
 この「ふくしま」の地は原発事故より一年半を過ぎようとして居
りますが、赤子を含め誰一人としてこの超低レベル放射能が原因で
病気、入院をしている者は一人もおりません。
人はおろか「植物、小動物」にも遺伝子レベルの異常は無いでしょう。
「そんなことは無い」と言われる方が居るのなら、名前を出し「事
実・証拠」を提示するべきです。

尚、「原発事故の国と東電の責任」と「放射能の問題」につて、私
達学問道場は震災事故当初より「この事は別物であり、分けて考え
る事が大事である」と表明しています。

 風評を乗り切り、皆様に高品質の「もも」をお届けできること
を 嬉しく思います。
福島の「天味」、真夏の旬の”味覚”をご堪能ください。

写真をご覧下さい。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908309507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908374507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908054507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908174507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908234507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

※訂正:一箱に入る桃は「4kg」になります。
   1箱/約10~15個入り、送料別 3,500でおねがい致します。

外気温の低い早朝から収穫した桃を 同日発送です。
遠方発送以外は”常温”での発送です。(果実は急な温度変化が苦
手です)

※ご注文はFAX 0248-76-7384 にて おねがい致します。
 Faxは自動受信です。そのまま発信してください。「学問道場」
の紹介と一言お書きください。

※FAX記入事項:
(送り主/受け取り主)とも:郵便番号、住所、氏名、電話/携帯
番号、受け取り希望時間帯、をご記入下さい。
 ※ご注文順に発送致します。(注:収穫の様子で発送が変わります。)
※収穫状況により希望の到着日/時間帯に添えない場合が御座いま
す。ご容赦頂きたくお願い申し上げます。

 くろねこヤマト宅急便発送。
 発注者さまに振込用紙が同梱、若しくは郵送されます。
 尚、合計金額等は事前に お確かめ願います。
※ 4kg1箱/約10~15個入り、送料別 3,500。※

生産者連絡先
******************************

もも生産者:有我果樹園 
Fax : 0248-76-7384       
962-0812 福島県須賀川市大字浜尾字猫沼58
収穫予想:「あかつき」は8月中旬ころ迄の収穫
     9月初旬「ゆうぞら」という品種(訂正:この品種は昨
年で終了いたしました)
 
※ 4kg1箱/約10~15個入り、送料別 3,500。※

******************************

福島県人は皆 元気にしております。
皆様。おいしい福島の桃を食べ 酷暑を乗り切り下さい。
もも”アカツキ”はあと数日で出荷が終わります。

*以後の収穫*
 小松果樹園:ぶどう収穫始まりました。
 有我果樹園:9月中旬リンゴ収穫”ジョナゴールド”。
 長田果樹園:9月中旬リンゴ収穫”つがる(早生フジ)”。
       9月中旬より和なし収穫。

泉浩樹 拝

田中進二郎 投稿日:2012/08/15 03:58

【946】[1072]長井大輔君へ

長井大輔君へ
前回は江戸幕府の公武合体策の終焉と会津戦争について所感を述べさせていただきました。
「今日こそは源頼朝の公武合体策と宗教政策について書こう」と思っていました。思っていましたが、『副島隆彦の論文教室』に長井大輔君の「日本権力闘争史~その5源頼朝編」(194論文)が発表されておりましたので、拝読しておりました。

私田中進二郎にはあそこまで、精緻な組み立てはできません。「はあ~」とため息をついてしまいました。あえて言えば、広瀬隆氏の異様に正確なロスチャイルド家につながる人脈とその歴史である『赤い楯』に似ているといったら、腹を立てられるでしょうか?
源頼朝の肖像として木像の写真を掲載しておられましたが、あれもあなたの高い見識のなせる業です。私はあの木像を奈良国立博物館の『頼朝と重源』展で見ましたが、あの木像が頼朝の実際の姿をかたどったものである、と書かれていました。有名な肖像画の方は似せ絵(肖像画)の傑作であるけれども、源頼朝の実像であるとは考えられていない。
あの木像の方は中が空洞で目もないので、どことなく暗い。すこし暴力団の幹部っぽい感じだった。権力者は自分をよく見せるために潤色を施すのが常であるが、あの木像には嘘が感じられなかった。
「石橋山で死ぬはずだった頼朝」のところで頼朝編(その1)を終えられているので、これから幕府の成立と頼朝の京都上洛へと進んでいくわけでしょう。

ただ一点あなたの頼朝編(その1)を読んでいて不審に思ったのは、頼朝の関東支配権確立の流れのなかに北条時政(ほうじょう ときまさ)が登場していないことです。「あれっ」と思いました。時政は頼朝が挙兵する際に北条一族の命運を頼朝に賭けたのです。石橋山の戦いの敗戦(1180年8月20日)ののち、頼朝一行は土肥郷(小田原市)より海路安房国(千葉県南部)に上陸します。(長井君の作成した関東勢力地図もご覧ください。)北条時政は安房から甲斐に向かい、河内源氏の血を引く武田太郎信義のもとをおとずれ、頼朝軍に合流することを要請します。時政にこたえて、10月14日甲斐源氏は富士山の西麓に出て平家方を破ります。これが富士川の戦いの前哨戦となります。10月18日頼朝が関東武士団を率いて黄瀬川(駿河国)に到着。
ここで甲斐源氏の軍勢が時政の先導でやってきて合流を果たします。(二万余の軍とされている。)そして10月20日早朝、富士川の戦いとなるのです。
富士川の戦勝後、時政の軍功は頼朝に高く評価されます。のちに北条時政は頼朝から「北条殿」と呼ばれ、御家人の中でも別格扱いであったのも、このときの功労が大きかったのでしょう。

以上のことは小野 真一著『裏方将軍 北条時政』(ぎょう文社)に書かれていました。
(小野氏は静岡県の郷土史家です。)頼朝の死後、執権となり、次々と天下草創の功臣や頼家ら源氏を消していった北条時政ですが、頼朝はとても頼りにしていたようです。鎌倉幕府の草創は時政の存在なくしてはなしえなかったかもしれない、と思いましたので、頼朝
編につづきがあるのは承知で補足させていただきました。

あともうひとつ、全然話題が変わってしまいますが、長井君が「重たい掲示板」1062(「保守派」の対義語は「進歩派」である)で疑問を出していた点について、ヒントになりそうなものがありましたので、この場で指摘したいと思います。
(以下長井君の疑問の箇所の引用)
進歩主義(progressives)とは20世紀初頭にアメリカで台頭した政治潮流であり、この流れの中から、セオドア・ロウズヴェルト、トマス・ウッドロウ・ウィルソン、フランクリン・D・ロウズヴェルトといった大統領が生まれ、保守的な南部民主党(サザン・デモクラット)の政治家たちを押し退(の)けて、現在の民主党の主流派となった。だから、そのまま、民主党の政治家や党員たちが、自分たちのことを進歩派と呼び続けていれば、なんの問題もなかった。進歩派がいつ頃から、自分たちのことを「リベラル派」と呼ぶようになったのかは、調べてみたが、分からなかった。
(引用終わり)
ここの部分についてですがロン・ポール先生が語ってくれているのを聞いてみましょうか?
(以下 新刊『ロン・ポールの連邦準備銀行を廃止せよ』佐藤研一朗訳 副島隆彦監訳・解説p35 第二章 連銀の「出生の秘密」より引用)
連銀は銀行カルテルである
では連銀はどんな時代に生まれたのだろうか。連銀が生まれたのは、今からちょうど100年前の進歩時代(Progressive Era)と呼ばれる時期である。この1913年に、同じくアメリカに初の所得税が導入され、そのための政府機関が数多く生まれた。産業界には、自社の利益だけを守り損失を社会に押し付ける風潮が蔓延し、カルテル(企業談合)を作ることがもてはやされた。
もちろん大手銀行も例外ではなかった。「最後の貸し手(ラスト・リゾート)」としての中央銀行がアメリカにはまだなかった。金融危機の際に救済してもらえないことを大手銀行の連中は不満に思っていた。救済システムがないので、破綻をするにしても自力で再建するとしても、銀行は自ら金融危機に対応しなくてはならなかった。(筆者注:「ううん、もっと進歩が必要だなあ」)
その前の南北戦争(1861年~65年)後には金本位制が導入され、しっかりと堅持されていた。金本位制はそれ自体の規制が働いて過剰な貸付を抑制する。そのため大手銀行は、信用(クレジット:銀行がローンを貸し付けること)を自由きままに拡大することはできなかった。(筆者注:「ううん、もっと進歩が必要だなあ」)
金本位制の下では、銀行は一般の企業と同じように自らのリスクを背負って商売をしなくてはならない。銀行はある程度まで自分の信用を拡大して、リスクの高い融資案件に貸出をすることはできた。だが、その投資先の経営破綻の際に、その損失を社会全体に押し付けることはできなかった。(「ううん、もっと進歩が必要だ。」)
(引用おわり)
もう、おわかりでしょう。Progressives(進歩派)とは何に向かって進歩するのか。
「社会全体の利益のため」というのはお題目にすぎない。「お金と銀行を中央集権化すること」が政府と大手銀行にとって進歩なのである。銀行が信用不安になっても、政府にツケを回せること、政府は国民にその負担をかぶせられるような制度をつくること、これが進歩なのである。銀行が望むように通貨量を膨張させておいて、生まれた損失を補填してもらうのである。これが進歩である。これを実現させるためには、自国民をいくらだましたってかまいやしない。「通貨に弾力性を持たせる」ことが農民にとって利益になることだと洗脳すること。「信用創造」money multiplyerは素晴らしいパラダイスだと、ゴールド・ラッシュ時代の再来だと西部民に信じさせること。これはアメリカのマニフェスト・デスティニー(明白な運命)だと宣伝しまくる。これで一時的な好景気(バブル)が到来する。そしてその15年後、世界大恐慌は起こっていく。

言葉というのはこのように使われているのです。ですから単純にprogressivesが社会の改善をめざす人たちなんていうふうに考えたらだめよ。言葉は分類よりもまず使用されるためにある。また使われた言葉にも意図的な捻じ曲げが働きだすのが啓蒙時代以後の世界だと私は思っている。長井君、がんばろう。応援している。
田中進二郎拝

田中進二郎 投稿日:2012/08/13 06:45

【945】[1071]孝明天皇暗殺と会津の悲運について

明治維新の闇 公武合体策の終焉について思うこと
半年ほど前に、加地龍太君と明治維新の隠された歴史について、メールで意見を交換した。
加地君は副島先生の著書「時代を見通す力」を参考に、イギリスのグレート・ゲーム(18世紀から第1次世界大戦まで続く世界統治)の中の幕末・明治維新についてインナー・サークルの存在について教えてくれました。
孝明天皇と14代将軍徳川家茂(いえもち 孝明天皇の妹和宮が江戸に降嫁して家茂の正室となった)の間で進められていた公武合体策は、インナーサークルの一員であった岩倉具視と西郷隆盛らによって押しつぶされたのだろう。
副島先生は、孝明天皇も徳川家茂も彼らによって暗殺されたのだと述べられている。1866年7月20日に徳川家茂は大阪城にて病没した(ことになっている)。幕府による第二次長州征伐は総大将の死で終わりを告げた。また同年12月25日に孝明天皇は疱瘡(ほうそう・天然痘)にかかって病没した(ことになっている)。

西郷隆盛は天皇のことを「玉」(たま・ぎょく)と二通りに使い分け、時に応じて崇め、恭順の態度をもっていたが、裏では「たま」と呼んで新政権樹立の障壁となる孝明天皇を闇に葬り去った。家茂の死の真相はまだ調べていないが、孝明天皇の死については歴史作家の中村彰彦氏(あきひこ)の『幕末会津藩』(歴史春秋社)で以下のように述べられている。

(以下 『幕末会津藩』の「孝明天皇は暗殺されたか」より引用・要約)
孝明天皇は疱瘡にかかって死んだというのが定説だが、天皇の主治医の日記によると、疱瘡は快癒に向かっており、12月25日の朝は表に出てもいいくらいの体調であったという。ところが午後4時に突然苦しみ出し、血便を流し続けた後、6時間後に崩御した。煎じ薬の中に、砒素(石見銀山のものとされる)を混入したとみられ、犯人として、女官で岩倉具視の姪の堀川局(ほりかわのつぼね)が有力である。もし、孝明天皇陵を発掘し、亡骸から砒素が発見されれば幕末維新史は大幅な書き換えが必要になるだろう。
 公武合体派の孝明天皇を暗殺したグループが、幼帝明治天皇を立てて薩長両藩に倒幕の密勅(これも偽勅である)を与え、暴走したというのが明治維新の実態である。
(引用終わり)
中村彰彦氏の指摘は大事であるが、「薩長対幕府(あるいは会津藩など)」という構図からしか結論を出していないところが不備である。もっとも中村氏は会津戦争の研究家であり、どうしても松平容保(まつだいら かたもり 会津藩主)の肩を持ちたくなる心情はよく理解できる。容保は京都守護職につき、孝明天皇の信任が最も厚かった。が、孝明天皇の死後、会津藩の命運は暗転。新撰組による尊王攘夷派の暗殺、蛤御門の変での長州藩軍の撃退、と活躍した藩主松平容保は今度は討幕軍の復讐のターゲットとなった。もともと松平容保は幕府の中で孤立していたようだ。京都守護職という役も他の譜代大名はいやがっていて、無理やり押し付けられたらしい。しかし孝明天皇は閲兵式などをご覧になり、つねに心強く思われていた。これは院政期に上皇たちが北面の武士(源氏と平氏)をおいて僧兵たちの強訴に備えていたのと同じ心境であったのかもしれない。孝明天皇も自分の身に危険が迫っていることを察知していたのかも知れない。だがやはり、孝明天皇は殺され、会津藩は新政府軍にめった打ちにされる。ここから会津のひとびとは塗炭(とたん)の苦しみを強いられる。

 ちなみに福島(特に会津人)の古老の方々にとって、太平洋戦争は「敗戦」ではないそうだ。彼らにとって、敗戦とはあくまでも会津戦争での敗戦であり、太平洋戦争は「官軍」と称した野蛮人たちが「自滅」していった戦争という位置づけなのである。だから「ざまあみろ」ということなのであるが、どうも「官軍か賊軍か」という思考に呪縛されているように私には感じられる。会津の人々は「お上」を嫌いつつ、お上のつくった歴史観に修正をもとめている。(中村氏の「明治維新史の大幅な書き換えが必要」という主張にはそういうものが読み取れる。)しかし、歴史というのは「会津藩が正しかった」式の答えでどうにもなるものではないだろう。それをつきつめると「皇国史観」になるだけのことだろう。
属国日本の皇国史観か。土民国家らしいな。

だが歴史的にもっとさかのぼっていって、律令国家にまつろわぬ民、とされた東北の「蝦夷」たちがアテルイを首領に戦ったが、桓武天皇が送った征夷大将軍 坂上田村麻呂によって鎮圧された。(西暦800年ごろ)だが東北人は今も坂上田村麻呂が好きである。青森のねぷた祭りでは、坂上田村麻呂が英雄として登場する。「彼は鬼のように強いが、子供にはやさしかった」、とか「アテルイを処刑しないでくれという嘆願を桓武帝に行った。」(アテルイは結局京都に送られて首をはねられた。)とかそんなエピソード、侵略者側の(体制側の)つくりあげた美談に1000年以上も信じつづけていては救われないだろう。いっそのこと、ねぷた祭りなんかやめてしまえ。(今頃元気にやっているんだろうけど・・・)

こういう「抑圧された者の保守性」のことをさしてであろうか、副島先生が今年四月の「福島難民キャンプツアー」で「会津若松というのは時間が止まってしまったような町である」という風に表現されていたが、本当の支配を打ち破るには「自分」の中にある負け犬根性からたたきなおさなければ始まらないのであろう。日本国全体がうなだれているような空気の中で、どのような人間としての誇りを保つべきであろうか?すくなくともそれは「郷土愛」のようなものだけではだめなのだろう。そのようなものも大部分は「創られた伝統」
(歴史学者ホブズボーム)なのであるから。むろん私は東北の人々の人間性を批判しているのではない。だが騙され痛い目にあわせられ続けることがいやなら、共同体の中に埋め込まれた支配にもっと敏感であるほうがいいだろう。その意味で3月ごろに「重たい掲示板」に川原浩さんが書かれた、福島に今も残る「五人組制度」についての論は刺激的だったな、と思う。

鎌倉幕府の公武合体策について書こうと思っていましたが、その前に江戸幕府の公武合体について以前から考えていたことを書きました。この一週間は仕事がないのでできるだけ、書いてみます。
田中進二郎拝

泉浩樹 投稿日:2012/08/12 13:17

【944】[1070]福島のもも『あかつき』報告#3

副島隆彦 学問道場 会員 福島県出身、泉浩樹です。

「重掲』読者の皆様。いつも「福島」を応援頂きありがとうございます。
昨年は、福島をふくめた被災地への状況を ご理解、お力 を頂き あらためて厚く感謝を申しあげます。

⁂ 福島のもも『あかつき』の収穫 ⁂ 収穫中です。

桃『あかつき』収穫が最盛期に入ると 有我果樹園より連絡が入りました。
 今年も好天に恵まれて品質の高い桃が収穫されております。

 昨年の災害以降 ふくしまの農家は いわれの無い風評を受け 多くの農家が規模を縮小、若しくは「離農」を致しました。
手塩にかけ愛情を注いだ 田畑、果樹、動物たちを処分いたしました。
この「ふくしま」の地は原発事故より一年半を過ぎようとして居りますが、赤子を含め誰一人として放射能が原因で病気、
入院をしている者はおりません。
人はおろか「植物、小動物」にも遺伝子レベルの異常は無いでしょう。
「そんなことは無い」と言われる方が居るのなら、名前を出し「事実・証拠」を提示するべきです。

 風評を乗り切り、皆様に高品質の「もも」をお届けできることを 嬉しく思います。

福島の「天味」、真夏の旬の”味覚”をご堪能ください。

写真をご覧下さい。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908309507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

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※訂正:一箱に入る桃は「4kg」になります。
   1箱/約10~15個入り、送料別 3,500でおねがい致します。

外気温の低い早朝から収穫した桃を 同日発送です。
遠方発送以外は”常温”での発送です。(果実は急な温度変化が苦手です)

※ご注文はFAX 0248-76-7384 にて おねがい致します。
 Faxは自動受信です。そのまま発信してください。「学問道場」の紹介と一言お書きください。

※FAX記入事項:
(送り主/受け取り主)とも:郵便番号、住所、氏名、電話/携帯番号、受け取り希望時間帯、をご記入下さい。
 ご注文順に発送致します。(注:収穫の様子で発送が変わります。)

※収穫状況により希望の到着日/時間帯に添えない場合が御座います。ご容赦頂きたくお願い申し上げます。

 くろねこヤマト宅急便発送。
 発注者さまに振込用紙が同梱、若しくは郵送されます。
 尚、合計金額等は事前に お確かめ願います。
※ 4kg1箱/約10~15個入り、送料別 3,500。※

生産者連絡先
******************************

もも生産者:有我果樹園 
Fax : 0248-76-7384       
962-0812 福島県須賀川市大字浜尾字猫沼58
収穫予想:「あかつき」は8月中旬ころ迄の収穫
     9月初旬「ゆうぞら」という品種(訂正:この品種は昨年で終了いたしました)
 
※ 4kg1箱/約10~15個入り、送料別 3,500。※

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福島県人は皆 元気にしております。

皆様。おいしい福島の桃を食べ 酷暑を 乗り切り下さい。

泉浩樹 拝

長井大輔 投稿日:2012/08/11 19:59

【943】[1069]イギリスとブルターニュ

 長井大輔(ながいだいすけ)です。今日は8月11日です。
今日は、イギリスの国名の由来について、書いてみたいと思います。

 現在、ロンドン・オリンピックが開催中である。開催国のイギリスは「大ブリテン(Great Britain)」という名前で出場している。しかし、ここで一つの疑問が湧(わ)く。なぜ、ブリテンに「大」がつくのか?「大日本」や「大韓」のように自国を誇って「大ブリテン」と名乗っているのか?実は、そうではない。

 まず、「大ブリテン」とは、何のことかというと、イギリス本島のことである。だから、「大ブリテン」とは「ブリテン島」のことである。ブリテン島に最初に住みついたのは、ケルト人であった。のちに、ローマ人がブリテン島に住むケルト人を「ブリトン人」と呼び、ブリテン島を「ブリタニア」と名づけた。ブリテン島の名前は、このローマ人が命名した「ブリタニア」に由来する。

 ローマ人の支配が終わったあと、ブリテン島はゲルマン諸部族のアングル族・ザクセン族・ユート族など(彼らは「アングロ・サクソン人」と総称される)の侵入を受ける。ブリテン島南部はアングロ・サクソン人によって制圧され、「アングル人の土地」を意味する「イングランド」という名前で呼ばれるようになる。アングロ・サクソン人によって、西に押し出されたブリトン人は、海を渡って、ガッリア(フランス)に辿(たど)り着いた。そして、ブリトン人(ブルトン人)のフランスでの定住地が「ブルターニュ」と呼ばれるようになる。

 しかし、フランス語の「ブルターニュ」とはもともとは、「ブリタニア」、つまり「ブリテン島」を指す言葉であった。いつから、「ブリトン人の土地」を「ブルターニュ」と呼ぶようになったのか?

(引用開始)

 ブリタニアからブリトン人が移住して来たから(引用者註:ブルターニュ半島のことを)「小さいブリタニア」と言っていたのが、何百年かして「小さい」が取れ、逆にイングランドのある島の方を「大きいブリタニア」と言うようになった。それで今でも英国を指すフランス語は「グランド・ブルターニュ」だし、英語では「グレイト・ブリテン」だ。
(篠沢秀夫『愛国心の探究』52ページ)

(引用終了)

 これで、なぜ「ブリテン」に「大」がつくのかが分かった。「小ブリテン」と呼ばれていたブルターニュ半島の対比で、ブリテン島は「大ブリテン」と呼ばれるようになったのである。だから、「Great Britain」の正しい訳は、「大ブリテン」ではなく「ブリテン島」だと私は考える。

 ちなみに、「大ブリテン」が国名として、正式に採用されたのは、イングランドとスコットランドが合同した1707年である。さらに、1801年、フランス革命の影響が及ぶことを防ぐため、アイルランドをも合同し、国名は「ブリテン島とアイルランドの連合王国」となった。1921年にアイルランド26州が独立したあとは、「ブリテン島と北アイルランドの連合王国」となり、現在に至る。

長井大輔 拝

ハル(会員番号2505) 投稿日:2012/08/11 17:30

【942】[1068]国民皆保険の危機

最近中国本土へ行って一番辛いのはツイッターやフェースブックに接続できない事です。
日本のテレビや新聞は昨年3月以降一切見ないことにしたのでツイッターは必須!

今週香港に戻って毎日情報収集ができるようになってホッとしたのはいいけど、消費税法案可決とか原発再稼働、TPP問題、領土問題(竹島)等気になる問題が一杯。 いっそ中国でこれらの情報が見られない方が幸せかもと思う。

TPPで国民皆保険が無くなるとかの話はよく見かけたけど、どうもTPPだけじゃなく 今回の消費税法案とセットで採決なんて記事が DIAMOND ONLINE に出てる。
http://diamond.jp/articles/-/22839?page=4
(引用開始)
消費税増税法案とセットで採決される社会保障制度改革推進法案が、国民の健康 や命を左右する可能性のあるものだということを、どのくらいの国民が知っているの だろうか。
(引用終わり)
私がこの改革内容について書くつもりはないけど、体験を通して感じた事だけ書きます。

この制度改革が実行されれば本当に低所得者には厳しい時代が来ると思います。 消費税もそうだけど。(日本の消費税は弱者にきついしね)

私がアメリカに居た時911前(2001年)までは家族4人で月700ドル(シアトル)くらいだったかな。しかしテロ後は1300ドル(ロサンゼルス)以上に跳ね上がったので会社で掛けるのはやめて個人でそれも 自己負担が大きい物に変えた。それでやっと月350ドル(シアトル)くらいだった。(この金額は条件が一様ではないので例としては不適切かもしれませんが書きます)

この記事を読んで感じたのはアメリカの現在の制度にかなり似て来ているなって事です。もし実現すれば本当に低所得者は不安を抱えることになりますね。今までの国民保険は高いとか言う人が居ますが私の経験で言えば米国や中国に比べれば素晴らしい制度だったと思います(未だ終わっては無いけど)。個人負担が3割とか言っても一ヶ月当たりの支払には上限もあるし高度の医療が受けられ多くの方は支払可能なはずです。

今中国の現実を詳しくは知りませんが、どうもニュースやドラマ等を見ても、アメリカ的ですね。病院で苦しむ主人公は不治の病で死ぬと言う話ではなく治療費が高額で支払えないから治療を受けられないと言うような悲しいドラマが多いですね。日本もこの方向へ行くのかな。

実は香港は日本以上に医療保障がいい。お金の無い人は公立病院へ行けばいい。 公立病院は待ち時間が長いので、お金があり早く診療を受けられる方がいい人はプライベート病院へ行く。先日日本の女性の平均寿命が世界一から世界二位になったようですが、世界一位は香港です。香港の保険制度はよく知らないけど私は保険料を払ってないが香港IDがあるので公立病院だと、1日100ドル(約日本円で1000 円)で全ての治療、薬、入院費までカバーされます。貧乏人もお金持ちも同じです。

日本:昔は良かったね! なんて言うようなことにはしたくないですね。

石井裕之 投稿日:2012/08/09 02:27

【941】[1066]フフホト通信(山東省青島市から)

中国山東省の青島市から、石井裕之がフフホト通信をお送りします。

さて、今日は環境問題について取り上げてみましょう。

皆さんは下水道がどのように処理されているか御存知でしょうか。
日本では非常に便利な法律が出来ていまして、どんなに過疎地域であっても非常に高い工事費を計上して下水道管を埋設します。
私がこうかくと、過疎地域は衛生的な生活をする権利はないのか、というお叱りの声が聞こえてきそうですが、違うのです。もっと効率的なやり方がありそうなものだ、ということです。
その高価な下水道管を通って集められた下水道は、全国にある下水道終末処理施設へと流れ着き、そこでろ過され環境基準に適合するようにしてから「水」は放水されます。

中国では下水道管の埋設工事は整いつつあるようですが、肝心要の終末処理場がまだきちんと出来上がっていません。厳しい法律は公布されていますが、その法律を完璧に運用しようとすると、インフラが整っていませんから全てがストップしてしまいます。
大きな工場の脇を流れる用水路は、ちょっと信じがたいくらいに汚れています。これでは環境破壊も止む無しですし、人間も壊れていきます。
日本では1980年代以降、水俣病やイタイイタイ病の患者の例を繰り返し出して徹底的に学校で「環境破壊が如何に非道であるか」を教え込みます(これを洗脳教育と呼ぶのでしょう)。お陰で今の日本人は環境保護が大好きです。
ところが、その環境保護の美名の下で一体何が行われているかは全く知らされていません。地域によって多少の差はあれ、我々はどうしてあれほど高い下水道処理代を強制的に支払わされているのでしょう。疑問に思ったことはないでしょうか。

実は、下水道を綺麗にした後にゴミが残ります。「汚泥」と呼びますが、この汚泥が問題なのです。何と実に多くの重金属類を含んでおります。役所は分析結果を公表しませんが、どこも似たり寄ったりなのです。
そしてこの非常に有害な汚泥を「証拠隠滅」する為に、焼却処分してやる必要が出てくるのです。この設備が非常に高価で、しかも運用もバカ高いときます。
そうですね。もうお気付きのことでしょう。
ここに利権が発生します。
下水道汚泥は問題が多く、日本人の健康状態を守るためにも一番望ましい方法で処理する必要があり、それは役所の許認可によって方法が決められます。
要するに、お役所の認める方法でしか処理出来ないようになっているのです。一切の例外は認められません。それを認めたら天下り先が無くなってしまいます。
するってーと何かい?焼却処分以外に方法があるとでも言いなさるのかい?!
以下、御想像にお任せします。

さて、中国です。
経済成長の著しい国ですから、色々なところで辻褄が合わなくなってきているのは事実です。下水道処理問題も例外ではありません。
ところが、こちらは非常に柔軟は発想でこの問題を解決しようとしています。
例えば、とある地方都市の下水道の処理基準値と処理費用(単価)を決めます。そしてそれをクリア出来る技術を海外から広く募ります。安くて凄い技術を募集するのですね。
我こそはと思う企業はこのコンペに参加します。そして晴れてこの地方都市と相思相愛の関係になれたなら、技術を持った企業は自己資本でプラントを作り下水道の処理を商売として行うことが出来るようになれるのです。勿論期限つきですが、十分儲かる計算です。中国側も先進技術を吸収出来ます。

何が言いたいか。
我々日本は、GDPで世界2位という座に長年着いていました。国民一人当たりのGDPもそれほど悪い数字ではありません。
ところが、庶民がその豊かさを享受出来ているのか、ということなのです。
収入が如何に多くとも、支出がそれを超えて出て行ってしまっては元も子もない話です。日本の現状がそうだ、と言いたいのです。
そして規制でガンジガラメになっている役所に、安い方法を提案しても無駄です。法改正をしてからでないと、絶対に覆せないように作りこまれていますから。
もはやここまでくると、この行政システムは民草のためのものでは絶対にありません。役人の保全の為です。

例えば、動力機構を持たない(動かしようがない)船を海上に浮かべて、そこをレストランに見立てて営業許可を取りたいとします。非常に魅力的なプランが色々と浮かんでくるような、実に夢のあるレストランが想像出来ますね。
ところがわが国では一体どこの役所の許可で営業出来るようになるのでしょう。
興味のある人は調べてみて下さい。恐らく現在の法律や条令では、日本全国どこでも開業出来ません。
同様に、下水道汚泥の画期的な処理方法を思いついても、それが日本で採用されることは金輪際有り得ません。
生ゴミの革命的な再生利用方法を思いついても、世界の常識が変わるほどの発電方法を思いついても、非常に合理的な幼児教育システムを思いついても、それらは日の目を見ることはないのです。

我々は耳障りの良い統計数字だけを教え込まれて、世界でも有数の豊かさを誇っている、と勘違いさせられているのですね。
それに比べれば、行政システムにも資本主義の考え方を上手に織り込もうとしている中国のやり方に、私は惚れ惚れしてしまうのです。

ハル(会員番号2505) 投稿日:2012/08/08 16:42

【940】[1065]「お金」と「性」、なら中国!

川端さんの[1054]で「ハル社長、すてき!」って言って頂くとホント嬉しいです!

7月14日から昨日まで中国の成都、南宁、桂林と旅してきました。

元々は中国嫌いでしたが副島先生の影響で見方が変わり今では中国大好き人間になりました。先生の影響でそれまで米国へ10年余り居住しましたが2008年中国・香港・シンガポールを見て廻り香港に移住しました。

先生が中国へ行く(ビジネス等)なら先ず中国人の友達を作れと言われたので女友達(男にだまされたら一生後悔するので)を作り彼女が成都出身なので成都へは昨年から何度か行きました。今回南宁、桂林へは観光で一週間程の旅でしたが中国は観光地としても充分魅力のある国ですね。

歴史には疎いので自分で感じた事だけを述べますが、「お金」と「性」の事なら中国がいいな。前に書いたトルコもですが「性」に関して凄く大人って感じを受けましたね。「性」に関しては歴史ある大国へ行き、「お金」に関しては今お金のあるところへ行くのがいいですね。そういう点で今は中国がとてもいいです。

今回は自分の体験を通して「お金」に関して少し述べます。私は零細企業(現在従業員8人)の経営をして31年です。お金儲けは誰にでもできるけど(チャンスや運もあるので)、使うのは大変に難しい事だと思います。 私が副島先生の「預金封鎖」に出会い、今でも忘れられないのは、巻末に「お金を貧しい若者に与えよ」と書かれていたと思います。ああ素晴らしい本に出会ったと思いました。

前回私は社員に「お客様は悪魔だと思え」と教育すると書きましたが、決してお客様を敵にするのではなく真剣に接すると、こういう心構えがないと儲らないと思うだけです。「お客様は神様」等と社員に教育する様な経営者を私は信用しない。松下幸之助が言うなら当たり前で、彼自身経営の神様と言われたのだから、そのお客様も神様じゃなきゃ平等じゃない。

その点アメリカ人も中国人もお金は大好きです。だから素直に物が言える。お金を欲しがる事を恥じたりしません。

それから日本でビジネスをする場合、税務署の問題がある。日本の税務署は異常です。私は米国で1 3年会社経営をし、今香港で4年会社を経営してみましたが日本と全く異なります。特に地方の税務署は酷い。(東京は未だいい方です)。 副島先生は物書きだから税務署と闘うけれど、私は小さなビジネスマンだから税務署とは闘えないし闘わない。 しかし日本の税務署がアメリカや香港並みなら零細企業でももっと元気になるだろうな。

「お金」と「性」、と関係なくなったかもしれないけど、中国は製造拠点としての魅力は薄れて来たかも しれないけどその他ビジネス、人との触れ合い、観光のどれもとっても日本人には魅力的な国では無いでしょうか。

副島先生から時代の先きを学び、孫崎享氏から領土問題や戦後史を学び、少し情報武装して中国にて「お金」と「性」の魅力を残りの人生で満喫したいな!

川端優美子 投稿日:2012/08/05 14:46

【939】[1063]お坊さんとの夏

群馬のゆみこ(川端優美子)です。

セミが鳴いている。 奴らも、あちぃんだいのう・・・。

ある夏の日に、突然祖母が死に、我が家は突然お葬式をあげることになりました。何も信心(しんじん)していないので、葬式やさんに頼んで、宗派に拘(かかわ)りなくどんな人にでもお経を上げてくれるお坊さんに来てもらいました。はげていて、白いあごひげをたくわえた、立派な感じのお坊さんでした。

無事にお葬式が終わって、マイクロバスに乗って親戚と焼き場へ行きました。お棺を炉に入れて、焼きあがるまでお昼ご飯を食べて待っている部屋へ、皆で連れ立って行きました。その頃わたしは足を痛めていて、歩くのがとても遅く、皆からひとり遅れてついて行きました。たいした距離ではなかったのに、わたしはそのとき、ひとりで歩く寂しさを覚えました。すると、祖母にお経を上げてくれた、金の腕時計をした、白いあごひげのお坊さんが、わたしから少し離れて歩調を合わせて歩いてくれました。

このとき、お坊さんはきっと、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます(マタイ28章20節)」という、イエスの言葉を思い出したのでしょう。

その頃、わたしはまだ若くて、気恥ずかしさもあり、お坊さんと世間話をしながら歩く余裕はありませんでした。でも、この掲示板で、石井裕之さんとお坊さんの話をするうちに、この出来事を思い出し、このように何年も経ってから、あのときのお坊さんの優しさを心(しん)から受け入れることができました。

War das – das Leben? Wohlan! Noch einmal! (『ツァラトゥストラ』 ニーチェ著)
これが・・・人生なの? いいわ!もう一度! (ゆみこ訳)

お坊さんは、ベンツに乗って帰ってゆきました。

長井大輔 投稿日:2012/08/04 18:49

【938】[1062]「保守派」の対義語は「進歩派」である

 長井大輔(ながいだいすけ)です。今日は2012年8月4日です。
今日は「保守」という言葉について、考えてみたいと思います。

 「保守(conservatives、カンサヴァティヴズ)」の対義語は、何だろうか?リベラル?いやいや、そうじゃない。革新?それも違う。正解は、「進歩(progressives、プログレッシヴズ)」だ。そのように、私は駒澤大学の政治学の講義で習った。さらに、欧米諸国では、保守派のことを「右翼」と呼び、進歩派のことを「左翼」と呼ぶとも。私は、この学問上の分類を大事にしながら、政治について考えてきた。保守派の反対は、進歩派なのだと。

 ところが、日本では、保守派の反対はリベラル派、革新派ということになっている。政治用語の誤用は、日本だけかと思いきや、アメリカ(USA)でさえ、保守派の反対はリベラル派だ。ところが、である。回り回って、やっぱりアメリカでは、保守派の反対をリベラル派ではなく、進歩派と呼ぶ傾向が復活しているという。

(転載貼りつけ始め)

 進歩主義 国家や社会が抱える矛盾を自由や民主主義、人権の尊重などを通じて改善し、理想的な体制への前進を求める思想。進歩主義者は英語で「プログレッシブ」。米民主党の政治家や支持者は近年、自由主義者を指す「リベラル」が草の根保守主義の台頭で否定的なイメージが高まったこともあり、「プログレッシブ」をリベラルの代わりに使う人も多い。
(読売新聞9面「進歩主義 危うい傾斜」2012年7月25日から一部引用)

(転載貼りつけ終わり)

 ということで、やっぱり政治の先進国であるアメリカでは、政治用語の誤用が正されて、保守派の反対は進歩派になりつつあるようだ。そもそも、進歩主義とは20世紀初頭にアメリカで台頭した政治潮流であり、この流れの中から、セオドア・ロウズヴェルト、トマス・ウドロウ・ウィルスン、フランクリン・D・ロウズヴェルトといった大統領が生まれ、保守的な南部民主党(サザン・デモクラット)の政治家たちを押し退(の)けて、現在の民主党の主流派となった。だから、そのまま、民主党の政治家や党員たちが、自分たちのことを進歩派と呼び続けていれば、なんの問題もなかった。進歩派がいつ頃から、自分たちのことを「リベラル派」と呼ぶようになったのかは、調べてみたが、分からなかった。

 そこへ行くと、韓国はすばらしい。韓国では、きちんと進歩を保守の対義語として使っている。たとえば、次のような使い方をする。

(引用開始)

 左右の対決はメディア界で鮮明だ。活字媒体の大手の朝鮮日報、東亜日報、中央日報は保守派を代弁する。進歩系メディアの代表は、ハンギョレ新聞。(中略)進歩系市民団体は、保守系メディア攻撃の先頭に立ち、反朝鮮日報を叫んで不買運動を展開している。
(SAPIO2004年5月12日号、池東旭『革命世代 政権のみならず官・財にも広がる親北左翼勢力の実権奪取』)

(引用終了)

 私は、政治現象を正しく研究するためには、まず政治用語の正しい使い方が不可欠だと考える。日本でも、韓国に倣(なら)って、保守派の対義語はリベラル派や革新派ではなく、進歩派だという認識が広がることを望む。

長井大輔 拝