重たい掲示板

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石井裕之 投稿日:2012/08/09 02:27

【941】[1066]フフホト通信(山東省青島市から)

中国山東省の青島市から、石井裕之がフフホト通信をお送りします。

さて、今日は環境問題について取り上げてみましょう。

皆さんは下水道がどのように処理されているか御存知でしょうか。
日本では非常に便利な法律が出来ていまして、どんなに過疎地域であっても非常に高い工事費を計上して下水道管を埋設します。
私がこうかくと、過疎地域は衛生的な生活をする権利はないのか、というお叱りの声が聞こえてきそうですが、違うのです。もっと効率的なやり方がありそうなものだ、ということです。
その高価な下水道管を通って集められた下水道は、全国にある下水道終末処理施設へと流れ着き、そこでろ過され環境基準に適合するようにしてから「水」は放水されます。

中国では下水道管の埋設工事は整いつつあるようですが、肝心要の終末処理場がまだきちんと出来上がっていません。厳しい法律は公布されていますが、その法律を完璧に運用しようとすると、インフラが整っていませんから全てがストップしてしまいます。
大きな工場の脇を流れる用水路は、ちょっと信じがたいくらいに汚れています。これでは環境破壊も止む無しですし、人間も壊れていきます。
日本では1980年代以降、水俣病やイタイイタイ病の患者の例を繰り返し出して徹底的に学校で「環境破壊が如何に非道であるか」を教え込みます(これを洗脳教育と呼ぶのでしょう)。お陰で今の日本人は環境保護が大好きです。
ところが、その環境保護の美名の下で一体何が行われているかは全く知らされていません。地域によって多少の差はあれ、我々はどうしてあれほど高い下水道処理代を強制的に支払わされているのでしょう。疑問に思ったことはないでしょうか。

実は、下水道を綺麗にした後にゴミが残ります。「汚泥」と呼びますが、この汚泥が問題なのです。何と実に多くの重金属類を含んでおります。役所は分析結果を公表しませんが、どこも似たり寄ったりなのです。
そしてこの非常に有害な汚泥を「証拠隠滅」する為に、焼却処分してやる必要が出てくるのです。この設備が非常に高価で、しかも運用もバカ高いときます。
そうですね。もうお気付きのことでしょう。
ここに利権が発生します。
下水道汚泥は問題が多く、日本人の健康状態を守るためにも一番望ましい方法で処理する必要があり、それは役所の許認可によって方法が決められます。
要するに、お役所の認める方法でしか処理出来ないようになっているのです。一切の例外は認められません。それを認めたら天下り先が無くなってしまいます。
するってーと何かい?焼却処分以外に方法があるとでも言いなさるのかい?!
以下、御想像にお任せします。

さて、中国です。
経済成長の著しい国ですから、色々なところで辻褄が合わなくなってきているのは事実です。下水道処理問題も例外ではありません。
ところが、こちらは非常に柔軟は発想でこの問題を解決しようとしています。
例えば、とある地方都市の下水道の処理基準値と処理費用(単価)を決めます。そしてそれをクリア出来る技術を海外から広く募ります。安くて凄い技術を募集するのですね。
我こそはと思う企業はこのコンペに参加します。そして晴れてこの地方都市と相思相愛の関係になれたなら、技術を持った企業は自己資本でプラントを作り下水道の処理を商売として行うことが出来るようになれるのです。勿論期限つきですが、十分儲かる計算です。中国側も先進技術を吸収出来ます。

何が言いたいか。
我々日本は、GDPで世界2位という座に長年着いていました。国民一人当たりのGDPもそれほど悪い数字ではありません。
ところが、庶民がその豊かさを享受出来ているのか、ということなのです。
収入が如何に多くとも、支出がそれを超えて出て行ってしまっては元も子もない話です。日本の現状がそうだ、と言いたいのです。
そして規制でガンジガラメになっている役所に、安い方法を提案しても無駄です。法改正をしてからでないと、絶対に覆せないように作りこまれていますから。
もはやここまでくると、この行政システムは民草のためのものでは絶対にありません。役人の保全の為です。

例えば、動力機構を持たない(動かしようがない)船を海上に浮かべて、そこをレストランに見立てて営業許可を取りたいとします。非常に魅力的なプランが色々と浮かんでくるような、実に夢のあるレストランが想像出来ますね。
ところがわが国では一体どこの役所の許可で営業出来るようになるのでしょう。
興味のある人は調べてみて下さい。恐らく現在の法律や条令では、日本全国どこでも開業出来ません。
同様に、下水道汚泥の画期的な処理方法を思いついても、それが日本で採用されることは金輪際有り得ません。
生ゴミの革命的な再生利用方法を思いついても、世界の常識が変わるほどの発電方法を思いついても、非常に合理的な幼児教育システムを思いついても、それらは日の目を見ることはないのです。

我々は耳障りの良い統計数字だけを教え込まれて、世界でも有数の豊かさを誇っている、と勘違いさせられているのですね。
それに比べれば、行政システムにも資本主義の考え方を上手に織り込もうとしている中国のやり方に、私は惚れ惚れしてしまうのです。

ハル(会員番号2505) 投稿日:2012/08/08 16:42

【940】[1065]「お金」と「性」、なら中国!

川端さんの[1054]で「ハル社長、すてき!」って言って頂くとホント嬉しいです!

7月14日から昨日まで中国の成都、南宁、桂林と旅してきました。

元々は中国嫌いでしたが副島先生の影響で見方が変わり今では中国大好き人間になりました。先生の影響でそれまで米国へ10年余り居住しましたが2008年中国・香港・シンガポールを見て廻り香港に移住しました。

先生が中国へ行く(ビジネス等)なら先ず中国人の友達を作れと言われたので女友達(男にだまされたら一生後悔するので)を作り彼女が成都出身なので成都へは昨年から何度か行きました。今回南宁、桂林へは観光で一週間程の旅でしたが中国は観光地としても充分魅力のある国ですね。

歴史には疎いので自分で感じた事だけを述べますが、「お金」と「性」の事なら中国がいいな。前に書いたトルコもですが「性」に関して凄く大人って感じを受けましたね。「性」に関しては歴史ある大国へ行き、「お金」に関しては今お金のあるところへ行くのがいいですね。そういう点で今は中国がとてもいいです。

今回は自分の体験を通して「お金」に関して少し述べます。私は零細企業(現在従業員8人)の経営をして31年です。お金儲けは誰にでもできるけど(チャンスや運もあるので)、使うのは大変に難しい事だと思います。 私が副島先生の「預金封鎖」に出会い、今でも忘れられないのは、巻末に「お金を貧しい若者に与えよ」と書かれていたと思います。ああ素晴らしい本に出会ったと思いました。

前回私は社員に「お客様は悪魔だと思え」と教育すると書きましたが、決してお客様を敵にするのではなく真剣に接すると、こういう心構えがないと儲らないと思うだけです。「お客様は神様」等と社員に教育する様な経営者を私は信用しない。松下幸之助が言うなら当たり前で、彼自身経営の神様と言われたのだから、そのお客様も神様じゃなきゃ平等じゃない。

その点アメリカ人も中国人もお金は大好きです。だから素直に物が言える。お金を欲しがる事を恥じたりしません。

それから日本でビジネスをする場合、税務署の問題がある。日本の税務署は異常です。私は米国で1 3年会社経営をし、今香港で4年会社を経営してみましたが日本と全く異なります。特に地方の税務署は酷い。(東京は未だいい方です)。 副島先生は物書きだから税務署と闘うけれど、私は小さなビジネスマンだから税務署とは闘えないし闘わない。 しかし日本の税務署がアメリカや香港並みなら零細企業でももっと元気になるだろうな。

「お金」と「性」、と関係なくなったかもしれないけど、中国は製造拠点としての魅力は薄れて来たかも しれないけどその他ビジネス、人との触れ合い、観光のどれもとっても日本人には魅力的な国では無いでしょうか。

副島先生から時代の先きを学び、孫崎享氏から領土問題や戦後史を学び、少し情報武装して中国にて「お金」と「性」の魅力を残りの人生で満喫したいな!

川端優美子 投稿日:2012/08/05 14:46

【939】[1063]お坊さんとの夏

群馬のゆみこ(川端優美子)です。

セミが鳴いている。 奴らも、あちぃんだいのう・・・。

ある夏の日に、突然祖母が死に、我が家は突然お葬式をあげることになりました。何も信心(しんじん)していないので、葬式やさんに頼んで、宗派に拘(かかわ)りなくどんな人にでもお経を上げてくれるお坊さんに来てもらいました。はげていて、白いあごひげをたくわえた、立派な感じのお坊さんでした。

無事にお葬式が終わって、マイクロバスに乗って親戚と焼き場へ行きました。お棺を炉に入れて、焼きあがるまでお昼ご飯を食べて待っている部屋へ、皆で連れ立って行きました。その頃わたしは足を痛めていて、歩くのがとても遅く、皆からひとり遅れてついて行きました。たいした距離ではなかったのに、わたしはそのとき、ひとりで歩く寂しさを覚えました。すると、祖母にお経を上げてくれた、金の腕時計をした、白いあごひげのお坊さんが、わたしから少し離れて歩調を合わせて歩いてくれました。

このとき、お坊さんはきっと、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます(マタイ28章20節)」という、イエスの言葉を思い出したのでしょう。

その頃、わたしはまだ若くて、気恥ずかしさもあり、お坊さんと世間話をしながら歩く余裕はありませんでした。でも、この掲示板で、石井裕之さんとお坊さんの話をするうちに、この出来事を思い出し、このように何年も経ってから、あのときのお坊さんの優しさを心(しん)から受け入れることができました。

War das – das Leben? Wohlan! Noch einmal! (『ツァラトゥストラ』 ニーチェ著)
これが・・・人生なの? いいわ!もう一度! (ゆみこ訳)

お坊さんは、ベンツに乗って帰ってゆきました。

長井大輔 投稿日:2012/08/04 18:49

【938】[1062]「保守派」の対義語は「進歩派」である

 長井大輔(ながいだいすけ)です。今日は2012年8月4日です。
今日は「保守」という言葉について、考えてみたいと思います。

 「保守(conservatives、カンサヴァティヴズ)」の対義語は、何だろうか?リベラル?いやいや、そうじゃない。革新?それも違う。正解は、「進歩(progressives、プログレッシヴズ)」だ。そのように、私は駒澤大学の政治学の講義で習った。さらに、欧米諸国では、保守派のことを「右翼」と呼び、進歩派のことを「左翼」と呼ぶとも。私は、この学問上の分類を大事にしながら、政治について考えてきた。保守派の反対は、進歩派なのだと。

 ところが、日本では、保守派の反対はリベラル派、革新派ということになっている。政治用語の誤用は、日本だけかと思いきや、アメリカ(USA)でさえ、保守派の反対はリベラル派だ。ところが、である。回り回って、やっぱりアメリカでは、保守派の反対をリベラル派ではなく、進歩派と呼ぶ傾向が復活しているという。

(転載貼りつけ始め)

 進歩主義 国家や社会が抱える矛盾を自由や民主主義、人権の尊重などを通じて改善し、理想的な体制への前進を求める思想。進歩主義者は英語で「プログレッシブ」。米民主党の政治家や支持者は近年、自由主義者を指す「リベラル」が草の根保守主義の台頭で否定的なイメージが高まったこともあり、「プログレッシブ」をリベラルの代わりに使う人も多い。
(読売新聞9面「進歩主義 危うい傾斜」2012年7月25日から一部引用)

(転載貼りつけ終わり)

 ということで、やっぱり政治の先進国であるアメリカでは、政治用語の誤用が正されて、保守派の反対は進歩派になりつつあるようだ。そもそも、進歩主義とは20世紀初頭にアメリカで台頭した政治潮流であり、この流れの中から、セオドア・ロウズヴェルト、トマス・ウドロウ・ウィルスン、フランクリン・D・ロウズヴェルトといった大統領が生まれ、保守的な南部民主党(サザン・デモクラット)の政治家たちを押し退(の)けて、現在の民主党の主流派となった。だから、そのまま、民主党の政治家や党員たちが、自分たちのことを進歩派と呼び続けていれば、なんの問題もなかった。進歩派がいつ頃から、自分たちのことを「リベラル派」と呼ぶようになったのかは、調べてみたが、分からなかった。

 そこへ行くと、韓国はすばらしい。韓国では、きちんと進歩を保守の対義語として使っている。たとえば、次のような使い方をする。

(引用開始)

 左右の対決はメディア界で鮮明だ。活字媒体の大手の朝鮮日報、東亜日報、中央日報は保守派を代弁する。進歩系メディアの代表は、ハンギョレ新聞。(中略)進歩系市民団体は、保守系メディア攻撃の先頭に立ち、反朝鮮日報を叫んで不買運動を展開している。
(SAPIO2004年5月12日号、池東旭『革命世代 政権のみならず官・財にも広がる親北左翼勢力の実権奪取』)

(引用終了)

 私は、政治現象を正しく研究するためには、まず政治用語の正しい使い方が不可欠だと考える。日本でも、韓国に倣(なら)って、保守派の対義語はリベラル派や革新派ではなく、進歩派だという認識が広がることを望む。

長井大輔 拝

金井克己 投稿日:2012/08/03 23:06

【937】[1061]性とお金を語るなら

学問道場としての「重たい掲示板」を標榜するこのサイトに於いて、「性とお金」についての議論に於いて、どなたかフロイトのリビドー(Libido)をご提案なさるのをお待ちしていましたが、ないようなので議論の参考までに・・・。
http://bit.ly/MUDvJs

泉浩樹 投稿日:2012/08/03 20:02

【936】[1060]福島のもも『あかつき』収穫が始まりました。報告#2

副島隆彦 学問道場 会員 福島県出身、泉浩樹です。

いつも「福島」を応援頂きありがとうございます。
また、昨年は福島をふくめた被災地への状況を ご理解、お力 を頂き あらためて厚く感謝を申しあげます。

⁂ 福島のもも『あかつき』の収穫 ⁂   8月3日より 収穫がはじまりました。

桃『あかつき』が収穫に入ると 須賀川市浜尾の有我果樹園より連絡が入りました。
 今年も好天に恵まれており 品質の高い桃が お届けできそうです。
昨年の風評を乗り切り、皆様に「もも」をお届けできることを 嬉しく思います。

福島の真夏の”味覚”をご堪能ください。

写真をご覧下さい。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908309507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908374507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908054507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908174507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908234507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

※訂正:一箱に入る桃は「4kg」になります。
   1箱/約10~15個入り、送料別 3,500でおねがい致します。

外気温の低い早朝から収穫した桃を 同日発送です。
遠方発送以外は”常温”での発送です。(果実は急な温度変化が苦手です)

※ご注文はFAX 0248-76-7384 にて おねがい致します。
 Faxは自動受信です。そのまま発信してください。「学問道場」の紹介と一言お書きください。

※FAX記入事項:
(送り主/受け取り主)とも:郵便番号、住所、氏名、電話/携帯番号、受け取り希望時間帯、をご記入下さい。
 ご注文順に発送致します。(注:収穫の様子で発送が変わります。)

※収穫状況により希望の到着日/時間帯に添えない場合が御座います。ご容赦頂きたくお願い申し上げます。

 くろねこヤマト宅急便発送。
 発注者さまに振込用紙が同梱、若しくは郵送されます。
 尚、合計金額等は事前に お確かめ願います。
※ 4kg1箱/約10~15個入り、送料別 3,500。※

生産者連絡先
******************************

もも生産者:有我果樹園 
Fax : 0248-76-7384       
962-0812 福島県須賀川市大字浜尾字猫沼58
収穫予想:「あかつき」は8月中旬ころ迄の収穫
     9月初旬「ゆうぞら」という品種の収穫予定。
 
※ 4kg1箱/約10~15個入り、送料別 3,500。※

******************************

福島県人は元気にしております。

皆様。おいしい福島の桃を食べ 酷暑を 乗り切り下さい。

泉浩樹 拝

松尾 雄治 投稿日:2012/08/03 14:32

【935】[1057]野村に業務改善命令 金融庁、増資インサイダーで

松尾雄治です。

日経新聞電子版から転載します。

(貼り付け始め)

野村に業務改善命令 金融庁、増資インサイダーで
金融相「社内体制、根底から見直しを」
2012/8/3 12:57

 金融庁は3日、上場企業の公募増資をめぐるインサイダー取引問題で、情報管理や法令順守体制に不備があったとして、野村証券に金融商品取引法に基づく業務改善命令を出した。野村がすでに公表した改善案を含め、再発防止策の定期的な報告を求める。

 松下忠洋金融相は同日午後「野村証券の全社員が処分を重く受け止め、新経営陣が先頭に立って社内体制を根底から見直す覚悟を持って改革を推し進めてほしい」と述べた。金融相は処分内容について「自浄作用を慎重に見極めて判断した」とした。

 野村は処分に先立ち、親会社である野村ホールディングスの渡部賢一最高経営責任者(CEO)が辞任したほか、情報漏れがあった機関投資家営業部を再編するなどの改善策を出した。金融庁はこうした点も考慮し、より重い業務停止命令までは踏み込まなかった。

 増資インサイダー問題をめぐっては、野村の機関投資家営業部がみずほフィナンシャルグループなど3社の公募増資の情報を公表前に投資家に漏らしていた。証券取引等監視委員会は7月31日、未公表の増資情報が事前に漏れることが常態化するなど不正行為を防ぐための体制が不十分だったとして、野村の行政処分を勧告していた。業務改善命令は、中国人の元社員によるインサイダー取引に関して処分した2008年以来となる。

(貼り付け終わり)

松尾 雄治 拝

田中進二郎 投稿日:2012/08/03 08:02

【934】[1056][隠された歴史〕を読んで

副島先生の新刊「隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?」(PHP研究所)を読んで

この2ヶ月ぐらい、ずっと待っていた本が発売されました。副島先生の仏教論です。
私が鎌倉仏教について書いていたのも、じーっと待っているだけではだめで自分なりに研究しないと、副島先生の本を理解できないだろう、という思いがあったからです。
鎌倉仏教の歴史のさらにほんの20年~30年ぐらいの期間にも、私ごときはてこずってしまっていますが、1500年の仏教史をどのように副島先生が斬りまくっていくのか、興味がどんどん膨らんでいきました。

これまで、書店にならんでいる仏教本の多くは、仏教に外側から接近しようという人にむけて書かれたもの、高僧の伝記や思想の紹介、それからやたらと専門的なお経の解説書というようなものに満ち溢れています。けれどもそれらを読んでも、「何故に無宗教の現在があるのか?」とか、「日本国民と仏教徒の関係」みたいなことは実はわからないままではないか?
ところが現実に、宗教団体の内側にいる人は自分が属している宗派の優等性を盲目的に信じるよりほか、なにも残されていない。一般大衆にとっては「あほだら経」にすぎないお経を今日も唱え続けるよりほかはないだろう。まず16宗派=浄土宗・天台宗・浄土真宗・法相宗・真言宗・日蓮宗・臨済宗・曹洞宗・三論宗・成実宗・倶舎宗・華厳宗・律宗・黄檗宗ほか(区分の仕方はひとつではないようだ)とやたらに数が多い。「仏陀の教え」と称しているセクトの数の多さがかえって、ブッダの教えそのものから人々を遠ざけているようにも見える。この背景には、鎌倉時代以来の、沢山ある教義のなかから、どれかひとつを選んでいいよ、という選択(せんちゃく=choice)という考え方があることも一因ではあるだろう。それぞれのお経の本当の意味などわからなくてもどれかひとつを選んで一生懸命念仏すればそれで救われますという考え方は、法然が唱え始めたものだ。(選択本願念仏集)もっとも現代の日本人にとって、主体的にどれかひとつの宗派に自分から帰依しようなどということは、まず考えにくい状況だが。

 16もの宗派が残っている消極的な要因として、真っ先にあげるべきものは、江戸時代の初期に幕府がとった、宗門改め(しゅうもんあらため)・檀家制度による、民衆統制政策に寺社が利用されたことであろう。伝説になりはじめてもいる小室直樹博士記念シンポジウムにおいての副島先生の演説で、
「檀家制度の下で、江戸時代の農民は毎週寺で何時間も説教をきかされた。・・・今でも東大法卒の官僚がよくわからないやたらと難解な言葉を使って、民衆をだましつづけているが、『俺らはどうせ頭が悪いしなあ』とお上のいうことに従わされる。・・・そういう民衆たちの坊さんへの怒りが一回だけ爆発したのが、明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動だ」
とおっしゃっていましたね。
檀家制度、宗門改めはキリシタン摘発という口実で、民衆の思想統制を幕府が巧妙に進めていったので、これらはきっと、われわれ日本人の無意識の層に影響しているのである。
たとえば学校などで昔よく、いたずらをした子供は先生に正座をさせられたものであるが、正座が体罰になったのは、寺請制度で檀家にむりやりされた農民たちの肉体的苦痛、精神的苦痛が呼び覚まされるからだろう。少なくとも、「正座しなさい!」と命令する教師が、反省させて悟りを開かせようと思っているわけではない。そんな教師がいたら本当にこわい。
 島原の乱(1637年)以後、最初はキリシタン(邪宗門)の人間を密告した者に対して、300両(五人家族が4年生きていける金額だという)の褒賞を与えるという幕府のお触れがだされた。民衆にとっては半信半疑、宝くじ当たるよ、みたいなうれしいニュースだっただろう。絵踏みだって、マリア像を踏むだけでいいのだから楽勝である。(クリスチャンの人が読んでたらすみません)でも実際、踏み絵に町家の娘たちは年中行事みたいに着飾って行ったということである。
 しかし、気づいたときには全民衆が統制網にかけられていたのである。仏教寺院も末寺に位づけされたところではなにが起こっているのか、さっぱりわからなかったかもしれない。寺請け制度、宗門改め人別帳(にんべつちょう 所属する宗派が記録された戸籍台帳、)、などとともに五人組の相互監視体制もしかれていくことになる。

「坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い」という言葉は江戸期のこういう背景から生まれてきたのだ。ついでながら、これらの仏教を通した思想統制政策の元締めは、どうやら寺社奉行ではなく、大目付であったようだ。では寺社奉行は何をしていたのか。(寺社奉行というのは鎌倉時代からあったらしいが)これは、三重県の紀伊長島町にある、有久寺(ありくじ)という寺の住職からうかがったことであるが、寺社奉行は年に一度全国にある本山(ほんざん)の僧侶たちを集めて、各藩の内情を報告させたそうだ。だから僧侶は大名のスパイの役割も果たしていたのだ。「それは大目付の仕事ではないのか」、と思うかもしれないが、江戸幕府は二重、三重の監視体制を敷いていたのである。それは大名以外の監視対象についてもおなじことがいえる。

以上のような幕藩体制下の仏教の腐敗に対して、時代が下るにつれて、批判者が現れてきす。安藤昌益(あんどう しょうえき1703-1762 陸奥国八戸の医者)は自然真営道(じねんしんえいどう)の中で、法然や日蓮など聖人とされる高僧を口汚くののしっている。安藤昌益は封建制度の中で仏教が救いがたいほど腐っていることを訴えたのだ。私はこのような批判言説というのもアリなのだろう、と思っている。時として周辺から中央を批判する場合にはこのような言い方しかできない場合もあるのだ、と。私は農本主義というものをあえて敬遠していたので、詳しくはしりませんが、封建主義の批判者としてこれから少しは読もうと思っています。

さて前置きが長くなってしまったが、副島先生の『隠された歴史』では先生の他の著作と同様、外からの批判というのはしない。それはこの本のすべてに一貫している。つまり副島先生の毒にみちみちており、(ここでいう毒とは、たとえばワーグナーの音楽には毒があるというような意味です。)人生の中で出会われた人々への重たい思いが詰まっているのである。私がこんなことを書いているのは明らかに僭越なのであるが。

日本仏教16宗派の淵源や意味が、ブッダそのものの言葉と生き方から解明されていく。しかしまず、巻頭では中宮寺の如意輪観音像と広隆寺の弥勒菩薩の半跏思惟像(はんかしゅいぞう)は明らかに女性の像である、そしてそれらはマグダラのマリア像だ、といきなり読者はぶつけられる。このことについて少しだけ調べてみたのですが、仏像の名前にはいろいろあって、詳しいことはまったくわからないのですが、これは「女性だ(マリアだ)」と決定できるのはやはり「弥勒または観音菩薩立像」と「如意輪観音像」と名前がついている仏像で、「如来」と名前がついているのはだいたい男性像であるということです。(阿弥陀如来がすべて男性像だけとは断言できませんが。)「小金銅仏の魅力(中国・韓半島・日本)」村田靖子著という本を参考にしました。この本には10cmから30cmくらいのマスコット仏像(4世紀から13世紀)の写真が数多く収録されています。

ついでながら、小金銅仏には右手だけ頭上に高く上げた、上半身裸の男の子の像もあります。このポーズの像は誕生釈迦如来像(たんじょう しゃかにょらいぞう)というのですが、(「天上天下唯我独尊!」(てんじょうてんがゆいがどくそん)と叫んでいるところでしょう。)これは、なんだろう?と考えてみると、日本の太子信仰(聖徳太子信仰)とつながっているものなのかもしれない、と私は思います。「菩薩や観音はまだ仏になっていないのだ」という考えも中世日本にはあったそうで、太子もまだ天皇(または王)になっていないから同じという考え方が、東アジアに一般的に広まっていたそうなのですが、(小峰和明著 「中世日本の予言書」岩波新書p74)
それと、誕生釈迦如来がなんらかの関係がありそうだな、と勝手に考えています。

これまで観音菩薩や弥勒菩薩、如意輪観音が女性像(マリア)だということなどは一切いわれてこなかったのはなんでだろうか?いや隠されてきたのは何でだろうか。
みなさんも知のカーニヴァルのような『隠された歴史』をお読みになり、色々に考えてみられたらいかがだろうか?
田中進二郎拝

川端優美子 投稿日:2012/08/02 09:05

【933】[1054]「お金」と「性」、盛り上がってきました!

群馬のゆみこ(川端優美子)です。

きのう、『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝(さいとう たかし)先生が書いた『座右のニーチェ』を図書館で借りてきて読みました。とても共感できるので、「この、ニーチェって人とは、気が合いそうだよ」と言ったら、母があきれているようでした。

ハル(2505)さんの【 [1047]お金と性に!私の場合】は、とっても面白いです。外国では、性に対してもっとリラックスした感じなんですね。性的な話をすると、そのあとうまく行く、というのは、大学時代に言語学の授業で聞いたことがあります。その先生はアフリカのまだ記録されていない言語を調べて記録していて、一年の半分はアフリカでフィールドワークをしているということでした(だから半年間は、よそからきた先生が授業をしていた)。この先生の授業はすごく面白かったです。そのアフリカでの話で、現地の男性たちから言葉を教えてもらうのですが、そのときに、女性器はどう呼ぶのかと聞くと、喜んで教えてくれて、そこからはすごく仲良くなれるそうです(この話をするとき、先生は「ここには女性もいるから、こういう話をするのはあれなんだけど・・・」と気を遣ってくれたので、わたしは、この先生はまじめでいい人だ、と判定しました)。
やっぱり「性」は世界共通!全人類が共有する悦(よろこ)びなんだ、と思います。

あと、お客さんに本音で対する、というのは素晴らしいです!やっぱり、お互い人間なんだから、本音でやって、それで意見が合わなければ、また今度ね、というのがいいと思います。ハル社長、すてき!

中国人に同化している(!)石井裕之さんの【[1050] [1053]フフホト通信(山東省青島市から)】を読んで、書きます。
わたしも石井さんと同じく、中国のカラッとした取り締まりのほうがいいです!うちの近所の道でも、よくネズミ捕りをしています。やるほうのおまわりさんも、この暑いのに大変だねえ、と思いますが、やっぱり嫌な感じがします。おまわりさんも暇だねえ、と思う。

それで、坊さんのことなんですが、石井さんのおっしゃるように、現代の坊さんは本来の仕事を忘れてしまっています。でも、他人(ひと)を変えるということはできないので、こちらが坊さんに対する見方を変えるしかない、とわたしはスピリチュアル本から学びました。
坊さんは偉そうにお説教するけど、自分はどうなんだ、ということですよね。副島先生がおっしゃる「言ってることと、やってることが違うじゃないか!」ということです。それを聞いて、普段ぼーっとしているわたしなんかは、ハッと気づくわけです。「ああ、そうか、現代の坊さんはおかしいんだ」と。なんかおかしいな、とうすうす感じてはいたけど、先生みたいな「知識人」とか、あとはこの学問道場に集まるレベルの高い人たちに教えてもらって、やっぱりそうか、と自信を持てるわけです。・・・ということは、石井さんの坊さん批判はとても価値がある、ということか・・・(ゆみこ、自問自答)。

あ、わかりました。わたしは、坊さんがおかしい、ということをすでにはっきりと分かったから、次の段階に行ったんです。次の段階とは「許す」という段階です。坊さんたちは、見かけは立派だけど、本当(中身)はまだレベルの低いところでうろうろしているんだな、それも学びだ、という風です。「レベルが低い」と言うと、偉そうですが、ほかにどう表現していいか分からないので、そう書きました。べつに、「レベルが左のほう」でもいいんですけど、それじゃあ分かりにくいから。

祖母の家であった法事で、いつも来るお坊さんは、当時、一世を風靡(ふうび)していた細木和子を批判していました。嫉妬心 丸出しでした。そして750ccのバイクに乗って帰っていきました。兄はそのバイクを「煩悩(ぼんのう)マシン」と呼びました。でも、そのお坊さんの上げるお経の最初の二、三分は、素晴らしい声でした。さすがはプロです。あれを聞かせてもらっただけで、ありがたい、と思いました。(お経って、最初だけ声張って、ええ声でやって、あとはごにょごにょとやるんですね。)   おわり

石井裕之 投稿日:2012/08/01 13:57

【932】[1053]フフホト通信(山東省青島市から)

[1050]に続き、石井裕之がお伝えします。

香港のハルさまから、中国当局によるインターネットのアクセス規制の件をお伝え頂きました。非常にセンシティブと思しき「キーワード」をブロックしている可能性がある、というものです。

これは以前から感じていることですが、こちらに居ますと時期によって特定のサイトにアクセスしにくくなる傾向があります。
中国では、ユーチューブやツィッターにアクセス出来ないのは有名な話ですが、例えばヤフー日本語版に繋がりにくくなる時期もあるようです。

また、これも噂話に過ぎませんが、アジアビーチ大会がこちらで開かれていた大会期間中、周辺の携帯電話の通話を公安が傍受していたようです。
地元の中国人が口々に「気をつけろ」と私に耳打ちしてくれましたので、恐らく間違いないのでしょう。

これは国民性の違いとでも言いますか、非常に面白い傾向です。
日本だと同様のことを政府がやっていたとしても、役人が綺麗に隠蔽してしまい国民側からはそれと伺い知ることがありません。
少し違う話かもしれませんが、中国では交通取締りが日本ほど陰湿ではありません。道路の危険区域と思われる箇所には、一定距離毎に速度違反監視カメラが設置されており、ドライバーは否がおうでもそれを意識せざるを得ません。勢い、交通の流れ(自動車の速度の管理)を上手くコントロール出来ているように感じてしまいます。
これが日本だとどこで「ネズミ捕り」を仕掛けているのか判らず、結局メリハリのある運転が不可能になってしまいます。
本来、人の安全を管理するための役人が、自ら作ったツール(法律)を守らせるためだけに存在しているような始末です。本末転倒ですね。

何が言いたいか、と言いますと。
「ここは危ないよ」と声高にアナウンスしてくれるのが今の中国です。
逆に日本ではどこが危ないのか、役人に覆い隠されてしまっています。
双方に一長一短がありますが、私は何となく中国流が好きです。