重たい掲示板

書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。
旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください

書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください

川端優美子 投稿日:2012/08/24 21:04

【951】[1078]「分別(ふんべつ)」 とは 「残りかす」 のこと

群馬のゆみこ(川端優美子)です。

皆さんのいろいろな投稿を、すごいなあ、楽しいなあ、と思って読んでいます。長井大輔さんの投稿はなんだかすごいし、田中進二郎さんの投稿は、書くのが楽しい、という感じが伝わってきて、こちらも楽しくなります。これからも、みんなで学問道場を盛り上げていきましょう!福島の桃も最盛期でおめでとうございます!

それから、[1045]で「非難することは無意味」というのを書いてから、わたしはもやもやしています。他人が何かを非難する自由を制限するような発言だった、という気がして、もやもや・・・。それを解消させるヒントを、先日わたしの兄との会話から得たのですが、まだうまく書けないので、書けるようになったら書きます。

それから、副島先生の投稿[1077]の3.で、坊さんにも「理論坊主」と「生活坊主」とがいる、と知りました。本屋さんの奥のほう(わたしがいつも行かない場所)に行ったら、仏教の本がたくさんあって、ははあ、これが理論坊主か、とわかりました。先生が『欧米日 やらせの景気回復』でお書きになっていた、「銀行お金」と「生活お金」の区別みたいな感じですね。先生の表現はわかりやすくて、本当にありがたいです。

ということで、思うことはいろいろあるのですが、今日は、いま書きたい、「客観」なんて、本当は無いのではないか、ということを書きます。

先日、ある老紳士と小一時間お話した時のことです。初対面だったのですが、お互いに「難しい話ができそう」とピンと来た(と思う)ので、話し込みました。その方は、ギリシャ哲学とか仏教の話をされ、「空(くう)って、何だと思いますか」などとわたしを試すので、難しかったですが、「仏教なら、副島先生の『隠された歴史』で勉強したばっかりだ」と、がんばりました。

その老紳士は、ご自分の発見などをわたしにお話になり、わたしも自分の発見を、どう思われるか、聞いてみました。

わたしは、「“客観”って、言葉としては在るけれども、本当はそんなものは無いのじゃないか、と思うんです。それぞれの人の見方(=主観)しか、本当は存在しないんじゃないですかねぇ」 と言いました。すると、老紳士は、そのとおりだ、でも、たくさんの人の見方を集めて、そこから主観を除いた、共通の見方(理解)を 「分別(ふんべつ)」 とお釈迦さんは呼んだ、とおっしゃいました。そこで、わたしはピカッと来ました。

「ああ!分別(ふんべつ)って、“残りかす”のことですね!」

この日の 「ピカッ」 は、かなり良かったです。  おわり

副島隆彦 投稿日:2012/08/19 06:46

【950】[1077]夏の盛りの終わりに、書いておきたいこと

副島隆彦です。お盆休みも今日で終わりです。

 熱帯夜で寝苦しい夜が続きましたが、それもあと数日でしょう。 クーラー(冷房機)を付けたまま寝ると、クーラー病になって体に非常に悪い。おそらく扇風機が広く復活しているだろう。

 ロンドン・オリンピックの「民衆にはパンとサーカスを与えておけ」も終わって、もうテレビの材料もない。世の中は、死んだようになって、世界中、沈滞したまま続いてゆく。秋の経済変動のことを気にしている。

1. 8月10日に、消費税の増税法案が参議院でも可決して法律となった。税金の徴収すなわち貢納制度(こうのうせいど)こそは、国家の本質である。政治国家(幻想の共同体)と実社会(実在の世の中)を取り結ぶのは、唯一、税金だ。 

 そして無理やり集めた税金を権力者がどのように使うか、だけが、本当の政治実態だ。貢納と権力分配だけが国家の実在だ。それ以外は虚構である。カール・マルクスは確か25歳で「経哲(けいてつ)学草稿」でそのように書いた。  税金(の徴収)のことだけが国家なるものの実在なのだ。それ以外は虚妄だ。 

 だから、日本の経営者、資産家階級が、自民党支持だろうから、「それぐらいの増税なら受け入れる」と多数派として承認したというのなら、それは日本国家としての承認だ。 どうせ消費税増税分を実際に払うのは、商店主(スーパーが大きい)と企業だ。 国民から薄く広く「納めさせる(=取る)」と言っても現実に払うのは企業経営者たちだ。法人税は赤字決算にして払わないで済ませるが、消費税は、必ず、徴収される。その正体は、売り上げ税(sales tax セールス・タックス)だからだ。

 アメリカに一千兆円も貢(みつ)いでおきながら、「まだこれでも財政赤字は続く。消費税25%への更なる増税が必要だ」と言い出している。財務官僚どもの、アメリカへの忠犬ハチ公ぶりは目に余る。谷垣禎一(たにがきさだかず)は、アメリカに尻を蹴飛ばされて、「さっさと野田政権と、増税法案を可決しなさい」(ジェラルド・カーティスとケント・カルダー)に言われて動いた。これで谷垣は終わりだ。何にも悪いことができない立派ないいひとだ。 「いい人、いい人というのは、どうでもいい人のこと」を言う。

2. 私は、夏の暑さのせいもあるのか、仕事のし過ぎなのか、足に痛風(つうふう)が出て、それから前立腺肥大の老人病の初期の症状だ。びっこ(跛)を引きながら、棒につかまったりして片ちんば(差別用語か?)で動くしかなかった。

 それも治(おさ)まった。歳相応で老いてゆく。私は、人よりも10年は生き急いで来たから、実年齢よりも10年早く老いてゆくだろう。体の各部を万遍(まんべん)無く使い込んで、静かに老いて行ければそれでいい。 100歳どころか「120歳まで生きよう運動」をしているバカたちがいる。本当に穀潰(ごくつぶ)しの、若い人たちのことなど何も考えない、醜悪老人どもだ。

 私は、「生き方上手」などという本を書いたあの「100歳医者」が嫌いだ。生き方は、下手な方がいい。

3. 私が、書いて出した「隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?」(PHP刊)が、それなりに売れている。 理論坊主 (本山で修行して、自分は仏教理論をしっかり勉強したと思い込んでいる僧侶たち)が、私の本に怒っている。よくも裏の秘密を暴いたな、という感じだ。あと500人ぐらいの理論坊主を怒らせるだろう。

 自分の名前を出して、私に論争を挑むほどの仏僧が出てくるか、を私はじっと待っている。 他の大半の、生活坊主(せいかつぼうず)は、評論本など読まないから相手にしない。彼らは、「これは私の職業であり、これで食べていますから」と平然と言う。私はこの生活坊主たちの生活の邪魔をする気はない。習俗(カスタム)になりきっている仏教に、私が暴いた真実が影響を与えることはない。 この本への反響は、そのうちまとめてここに載せます。

4. 私は、次は、「怨霊、悪霊を含めた 霊の世界はあっていい。それが人間の頭(脳)の病気との闘いの切実な、長い長い歴史なのだから。救済は、加持祈祷(占いと呪=まじな=い)にしかなかっただろう。仕方のないことだった」という本も書く。真言(しんごん、マントラ)の意味も解明する。

5. 私は、先週、幻冬舎新書から出す「陰謀論者と呼ばれて」という本を書き上げた。9月の末には出版されるだろう。今は、次の、 フィレンツェ、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、メディチ家(偉大なるロレンツオ)、ルネサンス(たった60年間ぐらいで弾圧されて消滅している)とは、本当は何だったのか、を書いている。日本では誰も説明しないままに、50年が過ぎた。

 政治思想闘争の意味がカラきし分からない美術史家たちに任せていたら、日本国民を無知蒙昧(むちもうまい)のままにして、とんでもないことになっていた。 

 今こそ偉大なる先人の羽仁五郎(はにごろう)先生の『ミケルアンジェロ』(岩波新書、1939年、思想弾圧の時代)と『都市の論理』(勁草書房、1968年)に戻らなければ、そして復権させなければいけない。 ミケランジェロとダ・ヴィンチの“大ブランド”を、私が放ったらかしにするわけがない。

6. ここでアメリカの最新の情報をひとつ書いておく。以下のことは私以外の日本人は誰も知らない。だから、各新聞社の外信部の部長たちも襟を正して読みなさい。

 オバマ大統領は、すでに2回、倒れている。黒人男性に特徴的な呼吸器の病気だ。肺がんではないようだ。ということはどうせ倒れる、ということだ。 ということは、11月6日の本選挙には勝つだろう(共和党のロムニーとポール・ライアンは立派なアメリカ人だが、どうせ勝たせない)が、オバマは病床に伏せてやがて辞任ということになるだろう。そうすると次は誰がなるか。たまには自分の頭で考えてみなさい。誰だ?

 そしたら、ヒラリーもまだ、さらにその次を狙う。ヒラリーは、どんどん太って、ひっつめ髪にして今や老婆だ。あのマデレイン・オルブライトに似てきたから、ハーフブライト(半分賢い)と言われてる。この権力女(けんりょくおんな)は、アメリカ帝国を存続させるためなら、どんな狂暴なことでもする。今もネオコン派の総帥だ。古村治彦著の「アメリカ政治の秘密」(PHP刊)に、詳しく書いている。

7. 目下のシリアの内戦の凄(すご)さは、日本のニューズでも流している。私は、バシャル・アサド政権を支持する。アサド政権は何も悪いことをしていない。住民虐殺などウソだ。

 アラブ世界の各国の民衆は、皆、このことを知っている。しかし、アルジャジーラ放送局(カタールのドーハにある)が、予定通り、その本性を露わにして、下部のレポーター(記者)たちはアラブ世界の大義のために真面目なのだが、アルジャジーラが出来た時からの、後ろ暗い資本関係で、これもアメリカが操(あやつ)っている。アルジャジーラの偏向報道が始めから起きていた。

 シリアでの戦争の 真実は、3000人の アルカイーダの最精鋭部隊を、シリアに投入していることだ。アルカイーダ(アラブ世界の国際義勇兵たち)は、第一次アフガン戦争(1979年、80年ごろ)に、アメリカのCIAとイスラエルのモサドが作った。オサマ・ビン・ラディーンもその輝ける指導者のひとりだ。彼は、2001年の12月に、アフガニスタンのトラボラ渓谷で肺炎で死んでいる。

 アメリカとイスラエルは、(日本の山口組に対するのと同じで)自分たちが育てたアルカイーダに対して、「もう、こういう穢(きたな)い連中は、要らない。いつ自分たちに襲いかかってくるか分からない。処分せよ」ということで、シリアにまとめて投入して、シリア正規軍の戦車部隊と正面戦をやらせて、全部、始末する気である。 

 現実の政治とはこのように恐ろしいものだ。素人のアホたちが、聞いたようなモノ真似の政治評論などするものではない。「散々、利用しておいてから消す」が、政治の一番おそろしい場面だ。今、私が書いたことが分からないようなら、頭が悪いのだから、このことが分からないようなら学問道場に近寄るな。

アルカイーダを作ったのは、戦略家(ストラテジスト)のズビグニュー・ブレジンスキーである。オバマを育てて、デイヴッド・ロックフェラーに具申(ぐしん)して、「いいのがいますよ」で大統領にしたのも、ブレジンスキーだ。 私が、これまでに、いくら本に書いても、まだ、ほとんど読み手に理解力がない。

 政治思想(ポリティカル・ソート)の勉強こそは最高の学問なのだ。分からない人間にはどうせ分からない。分かりたくない人間も分からない。「卑屈であることだけが組織内で生き延びる道」か。

8. 尖閣諸島 や 竹島(あんなに韓国に近いのだから、韓国にくれてやればいいではないか。駄目か? そんなにけちん坊であることが、「オレは愛国者だ」か。バカどもめが。副島隆彦がこの問題でも黙ると思うな)の問題で、アメリカが、東アジア諸国を分断して、互いに反目、反発させる作戦に出ている。

 アーミテージたちが動き回っている。アーミテージは、フィリピン海軍の船に乗って、スカボロー岩礁で、「あの中国の船にぶつけろ、ぶつけろ」と指揮を取っていた。米海軍中佐あがりの 世界の麻薬の密売人の総元締め(CIAと米特殊軍の裏資金づくりの最高責任者)だから、荒っぽいことを自分でする。 

 それでも、フィリピンの今の大統領の ノイノイ・アキノは、CIAに殺されたベニグノ・アキノとコラソンの息子だから、中国と仲良くやろうと努力する。それでも日本と同じで、アメリカの手先勢力(親米派)が、たくさんいるから、彼らが中国との領海紛争を殊更(ことさら)にやろうとする。 

 魚釣島(うおつりじま)に情けなさそうに上陸して、待ち構えていた日本の警察に捕まった、あの香港の活動家たちというのは、香港のテレビ局の経営者の雇われ者たちで、その裏には、アメリカがいる。アメリカがけしかけているのだ。中国政府ではない。

 こんな騒ぎを起こさせて一体、誰が得をするのかを自分の頭で考えてみなさい。 私、副島隆彦のことを、こいつは中国の手先だと、言って切り捨てるこができるなら、やってごらんなさい。私と言論戦をやって勝てると思うか。

 以上のとおり、痛風で、足が腫れて、痛いな、と言いながらも、私は真夏にも元気です。私は、年内にあと、4冊、本を出す。「そんなに どんどん出されても、読む暇がないよー」という読者の皆さんの愚痴は、私もよく分かります。でも、私も、フーフー言いながら、一枚一枚、書いているのです。 私はまだ手抜きはしない。手抜きをしたら、読者(お客さま)にバレるのだと、肝に命じている。  

皆、それぞれ自分の息苦しい人生を自分なりに生き抜いてください。そうするしかないのだ。 知識、思想、学問なら私が教えます。

副島隆彦拝

田中進二郎 投稿日:2012/08/17 23:04

【949】[1076][

副島先生著「隠された歴史」を読んで(2)の続き
(以下 しばらくはグーグル検索で「日本の恩人フェノロサ」・「法隆寺と『ヨハネの黙示録』その2」を見ながらおつきあい願いたい。この二つを流れにそってまとめてみました。)
フェノロサは古寺社の宝物調査にも尽力した。有名なのは1884年岡倉天心らとともに法隆寺の夢殿の開扉を行ったときのことだ。内部には救世観音像(ぐぜかんのんぞう 等身大の聖徳太子とされているようだが・・・何かおかしい)があるものの、住職でさえ見ることのできない「絶対秘仏」とされた。寺の僧侶たちは調査団に激しく抵抗した。フェノロサの「東亜美術史綱」にはその時のことがこう記録されている。
「法隆寺の僧は伝説を語りて、いわくこの内には推古天皇の時、朝鮮より輸入したるものあり、(ここを覚えておいてください 筆者)然れども、二百年(ここも注意が必要 キリシタン弾圧後ということだろう 筆者)よりかつて一度も開扉したることなしと。かくのごとき稀世の宝物を見るに熱心なる余は、あらゆる議論を用いて開扉を破りたり。寺僧は、若しこれを開扉せばたちまち神罰あり、地震は全寺を毀つべし、とて長く抗論したり。」                                          

このあとついに調査団は僧侶を押しのけ、扉をひらく。すると、夢殿の中には木綿でぐるぐるまきにされた中から、救世観音が出てきた。フェノロサは陶酔感に包まれた。
残念なことにこのときの僧侶たちの泣き叫ぶ醜態が描かれていないのだが、私田中の想像では、調査団と僧侶の姿は好対照であっただろう。そして法隆寺の僧侶すべてにとって、「毛唐」のフェノロサは不倶戴天の、呪うべき人間と映ったことだろう。

しかし、このときフェノロサはあまりの達成感に少し理性がにぶったのかもしれない。
なぜ法隆寺の僧侶たちはそんな迷信を信じているのか、と。そして救世観音の名前の意味をもうすこし考えてくれていれば、これが救世主(メシア)のことであると気づくこともできたであろうに。そして僧侶たちのなきさけぶ様と迷信の構造が黙示録と同じであるということにも。以下この仏像の謎解きについては上記のサイト「法隆寺と『ヨハネの黙示録』その2」を熟読されたい。すでに6世紀7世紀にキリスト像が伝来していることが考証されている。でも、如意輪観音や弥勒菩薩がマグダラのマリアだという説は「隠された歴史」が本邦初なんでしょう。真実は爆発的に流行する・・(かな?)

さて、この「法隆寺夢殿開扉事件」については、開きかけた真実の扉は、のちに再び閉じられることになる。これを閉じたのは、ほかでもない「隠された十字架」法隆寺編(新潮文庫)を著わした梅原猛(うめはら たけし)である。この真実の扉の閉め方には古来の呪術的ともいえる目くらまし言論術が駆使されているので(北陸、関西に根強い、民間の「聖徳太子信仰」をもちいた隠ぺい工作である。)このレトリックについても論じてみたいものである。広瀬隆氏の反原発の言論的手法については、「架空ケンカ対談」で書かせていただきましたが、梅原猛氏の場合はハイデッガー的な手法であるとでもいっておこうか。関西にはこのような言論がうようよあって、ぼくもけっこう真面目に(みじめに)だまされてきたとおもいます。みなさんも新刊の五木寛之(ひろゆき)・梅原猛対談集「仏の発見」(平凡社)などにも目を通し、体制側の人間がどのように適度な真実もおりまぜながら、民衆を慰撫(いぶ)しているのか研究されてみてはいかが?ちなみに「仏の発見」ではキリスト教の異端のアリウス派が浄土信仰などに影響している可能性を指摘していますが、まあしぶしぶなんだろうな。どうせこのレベルです。はい。

二か月にわたる私の仏教研究の旅も取り合えずこれでおしまいです。親鸞の「増上慢」(ぞうじょうまん)は正しいという「教行信証」(きょうぎょうしんしょう)の教えに従って書きました。お盆が終わり、明日からまた社会の一兵卒にもどります。
最後に、お勧めの仏像画について、フェノロサが狩野芳崖(かのう ほうがい)に描かせた「悲母観音」(ひぼかんのん)という傑作もぜひごらんください。みなさんご静聴ありがとうございました。そして副島先生「隠された歴史」の完成おめでとうございます。万歳!
副島道場のみなさまに三拝九拝。田中進二郎

田中 進二郎 投稿日:2012/08/17 03:43

【948】[1075]隠された歴史を読み解く!

新刊「隠された歴史  そもそも仏教とはなにものか?」を読んで(その2)
副島先生の本格的仏教論の紹介が、今日のぼやきに掲載されていますが(アルルの男中田安彦さんによる)、この壮大な試みについて、若干の解説というか、この書が生まれるまでの伏線を考えてみようと思います。というのも、仏教文化・思想というものに遠ざかっているわれわれ「現代人」=「末人」(まつじん ハイデッガーのことば)がいきなりこの本を読むと、朦朧状態になるのではないですか。私はそうでした。

いきなり読者はカウンターパンチを浴びせられます。私も2か月間予習をして(「鎌倉仏教」の範囲に限るが)、立ち向かいましたが、予期していた通り、かなりの衝撃でした。
加地君にもからかわれたのですが、「北魏時代(472年)に浄土宗は正式には曇鸞のあと、道綽(どうしゃく)、善導などの浄土教の高僧を輩出した。・・・そして、この玄中寺で大きくなった浄土宗が法然、親鸞たちによって13世紀に大流行した。と言われてもなあ。フランチャイズ(支店網)じゃないか。」(p110)あそこはカクーンとずっこけそうになった。(笑)やはり、日本の中でみていたってだめなのだ。

まあ人生諦めが肝心だ。グチグチ鎌倉仏教をこれ以上私が言ったところで、仕方ないので、路線変更して第1章の最初の10ページが生まれるまでの経緯(? 正しい表現が見当たらない)について思いめぐらせたことを書かせていただきます。
表題は「中宮寺の如意輪観音像(奈良)と広隆寺の弥勒菩薩の半跏思惟像を日本民族がマグダラのマリア(女)と気付かされるまで」とでもさせてもらいます。

(以下本文)
日本人が如意輪観音や、半跏思惟像が女性像であることを知って拝んでいた時代がかって存在したかという疑問も当然わいてくるのであるが、それは後回しにすることにして、
日本人がそれに気づくべきタイミングが歴史的に一度だけあっただろう。この機会はあと少しのところで逸してしまった。それは明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動のさめやらぬころ、一人のアメリカ人によってなされていたかもしれなかった。その名はアーネスト・F・フェノロサ。ややフェノロサの解説が長くなるが、ご勘弁を。

日本仏教美術が廃仏毀釈のさなか、ほとんどゴミ、二束三文で売られたり、たたきこわされていたなかで、フェノロサがいち早く、日本美術の素晴らしさに気がつき、それを蒐集して破壊から守ったのであった。明治11年(1878年)に来日してから、約20年の間に2万点以上の美術品が買い集められたという。(このほかエドワード・モースが陶磁器5000点を、ビゲローも浮世絵を中心に数万点を蒐集して、これらはボストン美術館「東洋部」のコレクションとなった。)明治初期の廃仏毀釈は決して仏教寺院関係のものだけが捨てられたのではない、伝統的な価値全体そのものが打ち捨てられた時代なのであった。
モースも、フェノロサもボストンから25キロほどはなれたセーラム市(マサチューセッツ州)の出身でモースがフェノロサを誘ったという。フェノロサは東京大学でJ.
S.ミルやカント・ヘーゲルを講義して、明治の人材を多く育てた。セーラムという町は奇怪な歴史を持っており、アメリカで唯一魔女裁判があった町なのだ。『フェノロサと魔女の町』(久我なつみ著 河出書房)には、有名な「緋文字」(ひもじ)を書いたホーソーンの一族の邸宅も保存されているということであるが、キリスト教の因習が強く残る土地柄であることがご理解いただけるだろう。そしてこの町で父親(スペイン人)が自殺をしてしまったのである。このことでフェノロサは町の人々から冷たい目でみられることになった。彼がモースとともに来日することになったのは、キリスト教の世界から追いたてられるようにであったという。上記の本の著者は,今もってフェノロサがセーラムの町でなんの顕彰碑もないことを嘆いている。

この点は同じマサチューセッツ州(アッシュフィールド)からやってきたクラーク博士(札幌農学校の初代教頭となったあのクラークです)とは全く状況が反対である。彼の方は、日本にくる途中、(1876年)船中で黒田清隆(のちに2代総理大臣となる)と大激論を繰り返し、「邪宗門=キリスト教は絶対にだめだ、頼むからそれだけはやめてくれ!」という黒田をとうとう説得してしまった。(『日本の農業につくした人々』筑波常治著 絶版より)

言ってみれば、フェノロサはキリスト教(プロテスタント)の価値観の世界から捨てられたから、日本で捨てられていた仏教を拾うことができたのだろう。フェノロサもビゲローも浄土真宗に帰依し、のちにフェノロサは園城寺(おんじょうじ 滋賀県大津市 天台寺門宗)で受戒した。フェノロサは井上円了らとともに仏教界の再建をはかるグループも形成していった。近代浄土真宗復興運動のリーダーといわれる清沢満之(きよさわ みちゆき)もフェノロサからヘーゲル哲学を習っていただろう。

『フェノロサと魔女の町』にはフェノロサの息子カノー(画家の狩野 芳崖かのう ほうがいから名前をつけた。)の葬式のときに次のようにつぶやいたと書かれている。「私の息子は復活するだろう。輪廻転生(りんねてんしょう)なのだから。」と。

そのフェノロサは、中宮寺の如意輪観音像について次のように書いています。
(Epochs of Chinese and Japanese Art 「中国および日本美術の諸時代」フェノロサ晩年の大著より引用 拙訳)
The impression of this figure ,as one views it for the first time,is of intense holiness.
No serious,broad-minded Cristian could quite free himself from the impulse to bow down before its sweet powerful smile.  
-この像を人が初めて目にする時に受ける印象はものすごい神聖さである。まじめで、広い心をもっているキリスト教徒ならばだれでも、この甘美な微笑の前に頭を下げたくなる衝動から逃れることはできないであろう-
(後半につづく)
田中進二郎拝

泉浩樹 投稿日:2012/08/17 00:36

【947】[1074]福島のもも『あかつき』報告#4、以降の収穫情報

福島のもも『あかつき』報告#4、以降の収穫情報

副島隆彦 学問道場 会員 福島県出身、泉浩樹です。

「重掲」読者の皆様。いつも福島を応援頂きありがとうございます。
昨年は、福島をふくめた被災地への状況を ご理解、お力 を頂き 
あらためて厚く感謝を申しあげます。

⁂ 福島のもも『あかつき』の収穫が8/20ころ迄の見通しです。⁂

桃『あかつき』収穫が8/20日頃に終了になると 須賀川市浜尾地区
の有我果樹園より連絡が入りました。
 今年も好天に恵まれて品質の高い桃が収穫されております。
皆様からのご注文、ありがとうございました。

 昨年の災害以降 ふくしまの農家は 極々低レベルの放射線によ
るいわれの無い風評を受け 多くの農家が規模を縮小、若しくは「離農」を致しました。
そして、手塩にかけ愛情を注いだ田畑、果樹、動物たちを処分いた
しました。
 帰れる「家」があってもその環境を奪った「国」が居ます。
人々が帰っては「そこに不都合」があるからでしょう。
 この「ふくしま」の地は原発事故より一年半を過ぎようとして居
りますが、赤子を含め誰一人としてこの超低レベル放射能が原因で
病気、入院をしている者は一人もおりません。
人はおろか「植物、小動物」にも遺伝子レベルの異常は無いでしょう。
「そんなことは無い」と言われる方が居るのなら、名前を出し「事
実・証拠」を提示するべきです。

尚、「原発事故の国と東電の責任」と「放射能の問題」につて、私
達学問道場は震災事故当初より「この事は別物であり、分けて考え
る事が大事である」と表明しています。

 風評を乗り切り、皆様に高品質の「もも」をお届けできること
を 嬉しく思います。
福島の「天味」、真夏の旬の”味覚”をご堪能ください。

写真をご覧下さい。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908309507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908374507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908054507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908174507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908234507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

※訂正:一箱に入る桃は「4kg」になります。
   1箱/約10~15個入り、送料別 3,500でおねがい致します。

外気温の低い早朝から収穫した桃を 同日発送です。
遠方発送以外は”常温”での発送です。(果実は急な温度変化が苦
手です)

※ご注文はFAX 0248-76-7384 にて おねがい致します。
 Faxは自動受信です。そのまま発信してください。「学問道場」
の紹介と一言お書きください。

※FAX記入事項:
(送り主/受け取り主)とも:郵便番号、住所、氏名、電話/携帯
番号、受け取り希望時間帯、をご記入下さい。
 ※ご注文順に発送致します。(注:収穫の様子で発送が変わります。)
※収穫状況により希望の到着日/時間帯に添えない場合が御座いま
す。ご容赦頂きたくお願い申し上げます。

 くろねこヤマト宅急便発送。
 発注者さまに振込用紙が同梱、若しくは郵送されます。
 尚、合計金額等は事前に お確かめ願います。
※ 4kg1箱/約10~15個入り、送料別 3,500。※

生産者連絡先
******************************

もも生産者:有我果樹園 
Fax : 0248-76-7384       
962-0812 福島県須賀川市大字浜尾字猫沼58
収穫予想:「あかつき」は8月中旬ころ迄の収穫
     9月初旬「ゆうぞら」という品種(訂正:この品種は昨
年で終了いたしました)
 
※ 4kg1箱/約10~15個入り、送料別 3,500。※

******************************

福島県人は皆 元気にしております。
皆様。おいしい福島の桃を食べ 酷暑を乗り切り下さい。
もも”アカツキ”はあと数日で出荷が終わります。

*以後の収穫*
 小松果樹園:ぶどう収穫始まりました。
 有我果樹園:9月中旬リンゴ収穫”ジョナゴールド”。
 長田果樹園:9月中旬リンゴ収穫”つがる(早生フジ)”。
       9月中旬より和なし収穫。

泉浩樹 拝

田中進二郎 投稿日:2012/08/15 03:58

【946】[1072]長井大輔君へ

長井大輔君へ
前回は江戸幕府の公武合体策の終焉と会津戦争について所感を述べさせていただきました。
「今日こそは源頼朝の公武合体策と宗教政策について書こう」と思っていました。思っていましたが、『副島隆彦の論文教室』に長井大輔君の「日本権力闘争史~その5源頼朝編」(194論文)が発表されておりましたので、拝読しておりました。

私田中進二郎にはあそこまで、精緻な組み立てはできません。「はあ~」とため息をついてしまいました。あえて言えば、広瀬隆氏の異様に正確なロスチャイルド家につながる人脈とその歴史である『赤い楯』に似ているといったら、腹を立てられるでしょうか?
源頼朝の肖像として木像の写真を掲載しておられましたが、あれもあなたの高い見識のなせる業です。私はあの木像を奈良国立博物館の『頼朝と重源』展で見ましたが、あの木像が頼朝の実際の姿をかたどったものである、と書かれていました。有名な肖像画の方は似せ絵(肖像画)の傑作であるけれども、源頼朝の実像であるとは考えられていない。
あの木像の方は中が空洞で目もないので、どことなく暗い。すこし暴力団の幹部っぽい感じだった。権力者は自分をよく見せるために潤色を施すのが常であるが、あの木像には嘘が感じられなかった。
「石橋山で死ぬはずだった頼朝」のところで頼朝編(その1)を終えられているので、これから幕府の成立と頼朝の京都上洛へと進んでいくわけでしょう。

ただ一点あなたの頼朝編(その1)を読んでいて不審に思ったのは、頼朝の関東支配権確立の流れのなかに北条時政(ほうじょう ときまさ)が登場していないことです。「あれっ」と思いました。時政は頼朝が挙兵する際に北条一族の命運を頼朝に賭けたのです。石橋山の戦いの敗戦(1180年8月20日)ののち、頼朝一行は土肥郷(小田原市)より海路安房国(千葉県南部)に上陸します。(長井君の作成した関東勢力地図もご覧ください。)北条時政は安房から甲斐に向かい、河内源氏の血を引く武田太郎信義のもとをおとずれ、頼朝軍に合流することを要請します。時政にこたえて、10月14日甲斐源氏は富士山の西麓に出て平家方を破ります。これが富士川の戦いの前哨戦となります。10月18日頼朝が関東武士団を率いて黄瀬川(駿河国)に到着。
ここで甲斐源氏の軍勢が時政の先導でやってきて合流を果たします。(二万余の軍とされている。)そして10月20日早朝、富士川の戦いとなるのです。
富士川の戦勝後、時政の軍功は頼朝に高く評価されます。のちに北条時政は頼朝から「北条殿」と呼ばれ、御家人の中でも別格扱いであったのも、このときの功労が大きかったのでしょう。

以上のことは小野 真一著『裏方将軍 北条時政』(ぎょう文社)に書かれていました。
(小野氏は静岡県の郷土史家です。)頼朝の死後、執権となり、次々と天下草創の功臣や頼家ら源氏を消していった北条時政ですが、頼朝はとても頼りにしていたようです。鎌倉幕府の草創は時政の存在なくしてはなしえなかったかもしれない、と思いましたので、頼朝
編につづきがあるのは承知で補足させていただきました。

あともうひとつ、全然話題が変わってしまいますが、長井君が「重たい掲示板」1062(「保守派」の対義語は「進歩派」である)で疑問を出していた点について、ヒントになりそうなものがありましたので、この場で指摘したいと思います。
(以下長井君の疑問の箇所の引用)
進歩主義(progressives)とは20世紀初頭にアメリカで台頭した政治潮流であり、この流れの中から、セオドア・ロウズヴェルト、トマス・ウッドロウ・ウィルソン、フランクリン・D・ロウズヴェルトといった大統領が生まれ、保守的な南部民主党(サザン・デモクラット)の政治家たちを押し退(の)けて、現在の民主党の主流派となった。だから、そのまま、民主党の政治家や党員たちが、自分たちのことを進歩派と呼び続けていれば、なんの問題もなかった。進歩派がいつ頃から、自分たちのことを「リベラル派」と呼ぶようになったのかは、調べてみたが、分からなかった。
(引用終わり)
ここの部分についてですがロン・ポール先生が語ってくれているのを聞いてみましょうか?
(以下 新刊『ロン・ポールの連邦準備銀行を廃止せよ』佐藤研一朗訳 副島隆彦監訳・解説p35 第二章 連銀の「出生の秘密」より引用)
連銀は銀行カルテルである
では連銀はどんな時代に生まれたのだろうか。連銀が生まれたのは、今からちょうど100年前の進歩時代(Progressive Era)と呼ばれる時期である。この1913年に、同じくアメリカに初の所得税が導入され、そのための政府機関が数多く生まれた。産業界には、自社の利益だけを守り損失を社会に押し付ける風潮が蔓延し、カルテル(企業談合)を作ることがもてはやされた。
もちろん大手銀行も例外ではなかった。「最後の貸し手(ラスト・リゾート)」としての中央銀行がアメリカにはまだなかった。金融危機の際に救済してもらえないことを大手銀行の連中は不満に思っていた。救済システムがないので、破綻をするにしても自力で再建するとしても、銀行は自ら金融危機に対応しなくてはならなかった。(筆者注:「ううん、もっと進歩が必要だなあ」)
その前の南北戦争(1861年~65年)後には金本位制が導入され、しっかりと堅持されていた。金本位制はそれ自体の規制が働いて過剰な貸付を抑制する。そのため大手銀行は、信用(クレジット:銀行がローンを貸し付けること)を自由きままに拡大することはできなかった。(筆者注:「ううん、もっと進歩が必要だなあ」)
金本位制の下では、銀行は一般の企業と同じように自らのリスクを背負って商売をしなくてはならない。銀行はある程度まで自分の信用を拡大して、リスクの高い融資案件に貸出をすることはできた。だが、その投資先の経営破綻の際に、その損失を社会全体に押し付けることはできなかった。(「ううん、もっと進歩が必要だ。」)
(引用おわり)
もう、おわかりでしょう。Progressives(進歩派)とは何に向かって進歩するのか。
「社会全体の利益のため」というのはお題目にすぎない。「お金と銀行を中央集権化すること」が政府と大手銀行にとって進歩なのである。銀行が信用不安になっても、政府にツケを回せること、政府は国民にその負担をかぶせられるような制度をつくること、これが進歩なのである。銀行が望むように通貨量を膨張させておいて、生まれた損失を補填してもらうのである。これが進歩である。これを実現させるためには、自国民をいくらだましたってかまいやしない。「通貨に弾力性を持たせる」ことが農民にとって利益になることだと洗脳すること。「信用創造」money multiplyerは素晴らしいパラダイスだと、ゴールド・ラッシュ時代の再来だと西部民に信じさせること。これはアメリカのマニフェスト・デスティニー(明白な運命)だと宣伝しまくる。これで一時的な好景気(バブル)が到来する。そしてその15年後、世界大恐慌は起こっていく。

言葉というのはこのように使われているのです。ですから単純にprogressivesが社会の改善をめざす人たちなんていうふうに考えたらだめよ。言葉は分類よりもまず使用されるためにある。また使われた言葉にも意図的な捻じ曲げが働きだすのが啓蒙時代以後の世界だと私は思っている。長井君、がんばろう。応援している。
田中進二郎拝

田中進二郎 投稿日:2012/08/13 06:45

【945】[1071]孝明天皇暗殺と会津の悲運について

明治維新の闇 公武合体策の終焉について思うこと
半年ほど前に、加地龍太君と明治維新の隠された歴史について、メールで意見を交換した。
加地君は副島先生の著書「時代を見通す力」を参考に、イギリスのグレート・ゲーム(18世紀から第1次世界大戦まで続く世界統治)の中の幕末・明治維新についてインナー・サークルの存在について教えてくれました。
孝明天皇と14代将軍徳川家茂(いえもち 孝明天皇の妹和宮が江戸に降嫁して家茂の正室となった)の間で進められていた公武合体策は、インナーサークルの一員であった岩倉具視と西郷隆盛らによって押しつぶされたのだろう。
副島先生は、孝明天皇も徳川家茂も彼らによって暗殺されたのだと述べられている。1866年7月20日に徳川家茂は大阪城にて病没した(ことになっている)。幕府による第二次長州征伐は総大将の死で終わりを告げた。また同年12月25日に孝明天皇は疱瘡(ほうそう・天然痘)にかかって病没した(ことになっている)。

西郷隆盛は天皇のことを「玉」(たま・ぎょく)と二通りに使い分け、時に応じて崇め、恭順の態度をもっていたが、裏では「たま」と呼んで新政権樹立の障壁となる孝明天皇を闇に葬り去った。家茂の死の真相はまだ調べていないが、孝明天皇の死については歴史作家の中村彰彦氏(あきひこ)の『幕末会津藩』(歴史春秋社)で以下のように述べられている。

(以下 『幕末会津藩』の「孝明天皇は暗殺されたか」より引用・要約)
孝明天皇は疱瘡にかかって死んだというのが定説だが、天皇の主治医の日記によると、疱瘡は快癒に向かっており、12月25日の朝は表に出てもいいくらいの体調であったという。ところが午後4時に突然苦しみ出し、血便を流し続けた後、6時間後に崩御した。煎じ薬の中に、砒素(石見銀山のものとされる)を混入したとみられ、犯人として、女官で岩倉具視の姪の堀川局(ほりかわのつぼね)が有力である。もし、孝明天皇陵を発掘し、亡骸から砒素が発見されれば幕末維新史は大幅な書き換えが必要になるだろう。
 公武合体派の孝明天皇を暗殺したグループが、幼帝明治天皇を立てて薩長両藩に倒幕の密勅(これも偽勅である)を与え、暴走したというのが明治維新の実態である。
(引用終わり)
中村彰彦氏の指摘は大事であるが、「薩長対幕府(あるいは会津藩など)」という構図からしか結論を出していないところが不備である。もっとも中村氏は会津戦争の研究家であり、どうしても松平容保(まつだいら かたもり 会津藩主)の肩を持ちたくなる心情はよく理解できる。容保は京都守護職につき、孝明天皇の信任が最も厚かった。が、孝明天皇の死後、会津藩の命運は暗転。新撰組による尊王攘夷派の暗殺、蛤御門の変での長州藩軍の撃退、と活躍した藩主松平容保は今度は討幕軍の復讐のターゲットとなった。もともと松平容保は幕府の中で孤立していたようだ。京都守護職という役も他の譜代大名はいやがっていて、無理やり押し付けられたらしい。しかし孝明天皇は閲兵式などをご覧になり、つねに心強く思われていた。これは院政期に上皇たちが北面の武士(源氏と平氏)をおいて僧兵たちの強訴に備えていたのと同じ心境であったのかもしれない。孝明天皇も自分の身に危険が迫っていることを察知していたのかも知れない。だがやはり、孝明天皇は殺され、会津藩は新政府軍にめった打ちにされる。ここから会津のひとびとは塗炭(とたん)の苦しみを強いられる。

 ちなみに福島(特に会津人)の古老の方々にとって、太平洋戦争は「敗戦」ではないそうだ。彼らにとって、敗戦とはあくまでも会津戦争での敗戦であり、太平洋戦争は「官軍」と称した野蛮人たちが「自滅」していった戦争という位置づけなのである。だから「ざまあみろ」ということなのであるが、どうも「官軍か賊軍か」という思考に呪縛されているように私には感じられる。会津の人々は「お上」を嫌いつつ、お上のつくった歴史観に修正をもとめている。(中村氏の「明治維新史の大幅な書き換えが必要」という主張にはそういうものが読み取れる。)しかし、歴史というのは「会津藩が正しかった」式の答えでどうにもなるものではないだろう。それをつきつめると「皇国史観」になるだけのことだろう。
属国日本の皇国史観か。土民国家らしいな。

だが歴史的にもっとさかのぼっていって、律令国家にまつろわぬ民、とされた東北の「蝦夷」たちがアテルイを首領に戦ったが、桓武天皇が送った征夷大将軍 坂上田村麻呂によって鎮圧された。(西暦800年ごろ)だが東北人は今も坂上田村麻呂が好きである。青森のねぷた祭りでは、坂上田村麻呂が英雄として登場する。「彼は鬼のように強いが、子供にはやさしかった」、とか「アテルイを処刑しないでくれという嘆願を桓武帝に行った。」(アテルイは結局京都に送られて首をはねられた。)とかそんなエピソード、侵略者側の(体制側の)つくりあげた美談に1000年以上も信じつづけていては救われないだろう。いっそのこと、ねぷた祭りなんかやめてしまえ。(今頃元気にやっているんだろうけど・・・)

こういう「抑圧された者の保守性」のことをさしてであろうか、副島先生が今年四月の「福島難民キャンプツアー」で「会津若松というのは時間が止まってしまったような町である」という風に表現されていたが、本当の支配を打ち破るには「自分」の中にある負け犬根性からたたきなおさなければ始まらないのであろう。日本国全体がうなだれているような空気の中で、どのような人間としての誇りを保つべきであろうか?すくなくともそれは「郷土愛」のようなものだけではだめなのだろう。そのようなものも大部分は「創られた伝統」
(歴史学者ホブズボーム)なのであるから。むろん私は東北の人々の人間性を批判しているのではない。だが騙され痛い目にあわせられ続けることがいやなら、共同体の中に埋め込まれた支配にもっと敏感であるほうがいいだろう。その意味で3月ごろに「重たい掲示板」に川原浩さんが書かれた、福島に今も残る「五人組制度」についての論は刺激的だったな、と思う。

鎌倉幕府の公武合体策について書こうと思っていましたが、その前に江戸幕府の公武合体について以前から考えていたことを書きました。この一週間は仕事がないのでできるだけ、書いてみます。
田中進二郎拝

泉浩樹 投稿日:2012/08/12 13:17

【944】[1070]福島のもも『あかつき』報告#3

副島隆彦 学問道場 会員 福島県出身、泉浩樹です。

「重掲』読者の皆様。いつも「福島」を応援頂きありがとうございます。
昨年は、福島をふくめた被災地への状況を ご理解、お力 を頂き あらためて厚く感謝を申しあげます。

⁂ 福島のもも『あかつき』の収穫 ⁂ 収穫中です。

桃『あかつき』収穫が最盛期に入ると 有我果樹園より連絡が入りました。
 今年も好天に恵まれて品質の高い桃が収穫されております。

 昨年の災害以降 ふくしまの農家は いわれの無い風評を受け 多くの農家が規模を縮小、若しくは「離農」を致しました。
手塩にかけ愛情を注いだ 田畑、果樹、動物たちを処分いたしました。
この「ふくしま」の地は原発事故より一年半を過ぎようとして居りますが、赤子を含め誰一人として放射能が原因で病気、
入院をしている者はおりません。
人はおろか「植物、小動物」にも遺伝子レベルの異常は無いでしょう。
「そんなことは無い」と言われる方が居るのなら、名前を出し「事実・証拠」を提示するべきです。

 風評を乗り切り、皆様に高品質の「もも」をお届けできることを 嬉しく思います。

福島の「天味」、真夏の旬の”味覚”をご堪能ください。

写真をご覧下さい。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908309507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908374507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908054507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908174507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151068908234507&set=a.10151068908019507.449962.680884506&type=3

※訂正:一箱に入る桃は「4kg」になります。
   1箱/約10~15個入り、送料別 3,500でおねがい致します。

外気温の低い早朝から収穫した桃を 同日発送です。
遠方発送以外は”常温”での発送です。(果実は急な温度変化が苦手です)

※ご注文はFAX 0248-76-7384 にて おねがい致します。
 Faxは自動受信です。そのまま発信してください。「学問道場」の紹介と一言お書きください。

※FAX記入事項:
(送り主/受け取り主)とも:郵便番号、住所、氏名、電話/携帯番号、受け取り希望時間帯、をご記入下さい。
 ご注文順に発送致します。(注:収穫の様子で発送が変わります。)

※収穫状況により希望の到着日/時間帯に添えない場合が御座います。ご容赦頂きたくお願い申し上げます。

 くろねこヤマト宅急便発送。
 発注者さまに振込用紙が同梱、若しくは郵送されます。
 尚、合計金額等は事前に お確かめ願います。
※ 4kg1箱/約10~15個入り、送料別 3,500。※

生産者連絡先
******************************

もも生産者:有我果樹園 
Fax : 0248-76-7384       
962-0812 福島県須賀川市大字浜尾字猫沼58
収穫予想:「あかつき」は8月中旬ころ迄の収穫
     9月初旬「ゆうぞら」という品種(訂正:この品種は昨年で終了いたしました)
 
※ 4kg1箱/約10~15個入り、送料別 3,500。※

******************************

福島県人は皆 元気にしております。

皆様。おいしい福島の桃を食べ 酷暑を 乗り切り下さい。

泉浩樹 拝

長井大輔 投稿日:2012/08/11 19:59

【943】[1069]イギリスとブルターニュ

 長井大輔(ながいだいすけ)です。今日は8月11日です。
今日は、イギリスの国名の由来について、書いてみたいと思います。

 現在、ロンドン・オリンピックが開催中である。開催国のイギリスは「大ブリテン(Great Britain)」という名前で出場している。しかし、ここで一つの疑問が湧(わ)く。なぜ、ブリテンに「大」がつくのか?「大日本」や「大韓」のように自国を誇って「大ブリテン」と名乗っているのか?実は、そうではない。

 まず、「大ブリテン」とは、何のことかというと、イギリス本島のことである。だから、「大ブリテン」とは「ブリテン島」のことである。ブリテン島に最初に住みついたのは、ケルト人であった。のちに、ローマ人がブリテン島に住むケルト人を「ブリトン人」と呼び、ブリテン島を「ブリタニア」と名づけた。ブリテン島の名前は、このローマ人が命名した「ブリタニア」に由来する。

 ローマ人の支配が終わったあと、ブリテン島はゲルマン諸部族のアングル族・ザクセン族・ユート族など(彼らは「アングロ・サクソン人」と総称される)の侵入を受ける。ブリテン島南部はアングロ・サクソン人によって制圧され、「アングル人の土地」を意味する「イングランド」という名前で呼ばれるようになる。アングロ・サクソン人によって、西に押し出されたブリトン人は、海を渡って、ガッリア(フランス)に辿(たど)り着いた。そして、ブリトン人(ブルトン人)のフランスでの定住地が「ブルターニュ」と呼ばれるようになる。

 しかし、フランス語の「ブルターニュ」とはもともとは、「ブリタニア」、つまり「ブリテン島」を指す言葉であった。いつから、「ブリトン人の土地」を「ブルターニュ」と呼ぶようになったのか?

(引用開始)

 ブリタニアからブリトン人が移住して来たから(引用者註:ブルターニュ半島のことを)「小さいブリタニア」と言っていたのが、何百年かして「小さい」が取れ、逆にイングランドのある島の方を「大きいブリタニア」と言うようになった。それで今でも英国を指すフランス語は「グランド・ブルターニュ」だし、英語では「グレイト・ブリテン」だ。
(篠沢秀夫『愛国心の探究』52ページ)

(引用終了)

 これで、なぜ「ブリテン」に「大」がつくのかが分かった。「小ブリテン」と呼ばれていたブルターニュ半島の対比で、ブリテン島は「大ブリテン」と呼ばれるようになったのである。だから、「Great Britain」の正しい訳は、「大ブリテン」ではなく「ブリテン島」だと私は考える。

 ちなみに、「大ブリテン」が国名として、正式に採用されたのは、イングランドとスコットランドが合同した1707年である。さらに、1801年、フランス革命の影響が及ぶことを防ぐため、アイルランドをも合同し、国名は「ブリテン島とアイルランドの連合王国」となった。1921年にアイルランド26州が独立したあとは、「ブリテン島と北アイルランドの連合王国」となり、現在に至る。

長井大輔 拝

ハル(会員番号2505) 投稿日:2012/08/11 17:30

【942】[1068]国民皆保険の危機

最近中国本土へ行って一番辛いのはツイッターやフェースブックに接続できない事です。
日本のテレビや新聞は昨年3月以降一切見ないことにしたのでツイッターは必須!

今週香港に戻って毎日情報収集ができるようになってホッとしたのはいいけど、消費税法案可決とか原発再稼働、TPP問題、領土問題(竹島)等気になる問題が一杯。 いっそ中国でこれらの情報が見られない方が幸せかもと思う。

TPPで国民皆保険が無くなるとかの話はよく見かけたけど、どうもTPPだけじゃなく 今回の消費税法案とセットで採決なんて記事が DIAMOND ONLINE に出てる。
http://diamond.jp/articles/-/22839?page=4
(引用開始)
消費税増税法案とセットで採決される社会保障制度改革推進法案が、国民の健康 や命を左右する可能性のあるものだということを、どのくらいの国民が知っているの だろうか。
(引用終わり)
私がこの改革内容について書くつもりはないけど、体験を通して感じた事だけ書きます。

この制度改革が実行されれば本当に低所得者には厳しい時代が来ると思います。 消費税もそうだけど。(日本の消費税は弱者にきついしね)

私がアメリカに居た時911前(2001年)までは家族4人で月700ドル(シアトル)くらいだったかな。しかしテロ後は1300ドル(ロサンゼルス)以上に跳ね上がったので会社で掛けるのはやめて個人でそれも 自己負担が大きい物に変えた。それでやっと月350ドル(シアトル)くらいだった。(この金額は条件が一様ではないので例としては不適切かもしれませんが書きます)

この記事を読んで感じたのはアメリカの現在の制度にかなり似て来ているなって事です。もし実現すれば本当に低所得者は不安を抱えることになりますね。今までの国民保険は高いとか言う人が居ますが私の経験で言えば米国や中国に比べれば素晴らしい制度だったと思います(未だ終わっては無いけど)。個人負担が3割とか言っても一ヶ月当たりの支払には上限もあるし高度の医療が受けられ多くの方は支払可能なはずです。

今中国の現実を詳しくは知りませんが、どうもニュースやドラマ等を見ても、アメリカ的ですね。病院で苦しむ主人公は不治の病で死ぬと言う話ではなく治療費が高額で支払えないから治療を受けられないと言うような悲しいドラマが多いですね。日本もこの方向へ行くのかな。

実は香港は日本以上に医療保障がいい。お金の無い人は公立病院へ行けばいい。 公立病院は待ち時間が長いので、お金があり早く診療を受けられる方がいい人はプライベート病院へ行く。先日日本の女性の平均寿命が世界一から世界二位になったようですが、世界一位は香港です。香港の保険制度はよく知らないけど私は保険料を払ってないが香港IDがあるので公立病院だと、1日100ドル(約日本円で1000 円)で全ての治療、薬、入院費までカバーされます。貧乏人もお金持ちも同じです。

日本:昔は良かったね! なんて言うようなことにはしたくないですね。