重たい掲示板

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田中進二郎 投稿日:2012/12/24 02:16

【1028】[1170]ボッティチェリ「プリマヴェーラ(春)」に表現された新プラトン主義

ルネサンス絵画の中に隠された新プラトン主義(ネオ・プラトニカ)思想について
田中進二郎です。こんにちは。12月15日に重たい掲示板に投稿された、小沢博幸さんと副島先生のメールで、ボッティチェリの「春(プリマヴェーラ)」が出てきていました。
ルネサンス絵画の傑作といわれているものでも、作品の中に隠されたメッセージが解読されていないものが多いということを、私も『隠されたヨーロッパの歴史』を読んで知るにいたりました。
『隠されたヨーロッパの歴史』の中で、副島先生はミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチなど「芸術家」と一般に言われている人物たちが極秘裡に行っていたこととして、人体解剖があることを指摘しておられます。ローマ・カトリック教会は人体解剖を厳しく禁止していたため、ダ・ヴィンチもミケランジェロも危険を賭して、解剖を行ったようです。そうして得られた研究成果は、実はルネサンス絵画の中に『だまし絵』として描きこまれているのである。

『ミケランジェロの暗号』(副題:システィーナ礼拝堂に隠された禁断のメッセージ
早川書房 ベンジャミン・ブレック、ロイ・ドリナー著、飯泉恵美子訳)ではボッティチェリ、ミケランジェロが極めてたくみに人体構造を絵画の中に描きこんだために、ほとんど500年間も誰も気づかなかったと、書かれている。以下に3つの例を引用します。

(『ミケランジェロの暗号』p71より引用開始)
・ボッティチェリ『春』の最大の秘密

「これまで、作品中央にある奇妙な形をした枝の隙間について誰も論じてこなかった。だが、これがまさにボッティチェリが絵画に仕組んだ最大の秘密であり、作品全体を理解するヒントとなるのである。愛の女神(ヴィーナス)の背後の二つの空間の形、角度、並びを注意してみてほしい。非常にはっきりとした人体構造のイメージが浮かび上がってくる。-肺だ。ルネサンス時代に戻って、秘密の研究所で違法な解剖をしている場面に立ち会っているようではないか。」
「春」の絵を閲覧できるサイトを書き込んでおきます。↓絵をご確認ください。
http://www.project-primavera.net/
(引用続き)
「結婚の贈り物だったこの作品は、生命のサイクルをたたえている。ユダヤ教やカバラの言い伝えによると、生命はそもそも「聖なる風」とか、「聖なる息」から創造された。この作品を額縁から取り出して、二つの端をあわせて筒状にしたところを想像してほしい。メリクリウス(ヘルメス:左端)が払った雲が、右側で春風のファオゥ二ウスとなり、聖なる風すなわち命の息が途切れることなく繰り返される。ちょうど中央では、ヴィーナスが心臓を象徴するかのような赤いペンダントを胸元につけ、人間の左右の肺がその背景をかたどっていることから、ここでも愛と命のつながりが表現されている。つまりこの名作は依頼主だったメディチ家のもと、自由を謳歌した当時のフィレンチェで形成されつつあった新プラトン主義らしい神秘的な比喩的表現を利用された初期の作品例といえるのだ。」
 
・ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画に大脳の断面図や、心臓や腎臓の形状が
描きこまれている。
(以下引用続き p249より。 一部改めました。)
「ミケランジェロがトーラーを題材にした天井中央部の部分、創造の場面をみてみよう。
ミケランジェロが尊敬するピコ・デラ・ミランドラが天地創造の物語を研究していたことから、ユダヤ神秘主義から創造を理解していたことは確かだろう。(中略)
神が実際にその手で、天を分離しているのがわかる。ヘブライ語聖書によると、神は世界を分離と区別の手法で創造した。この神聖な手法にならい、トーラーの後半ではユダヤの民にも同様に、安息日と労働日、清浄な食べ物と不浄な食べ物、善なる行いと不道徳な行いなどを分離、区別することを命じる。(田中注 ユダヤの二元論である。)

『天体の創造』は神が昼には太陽を、夜には月を創造する場面である。(中略)ところで太陽を創造する神は後ろを向き、紫の衣は見事にめくれあがっている。神が教皇ユリウス二世に向かって、20メートルの上空から尻を見せているようではないか。ここまで下品なメッセージをどんなに言葉のオブラートで包もうとしても無理だ。

『大地と水の分離』では、海水から硬い大地を分離する場面が描かれる。主題は神が水を操っている姿であるからして、自然の要素に対する神の力であることは明らかだ。ここでミケランジェロはガレノスに賛辞を送っている。すなわち、腎臓が体内で液体(つまり尿だ)から固形の老廃物を分離するというガレノスの学説をミケランジェロは知っていて、
この場面で神を包んでいる紫のケープに注目してみると、人間の腎臓の明確な形状と特徴が見て取れるのではないだろうか。

次の『アダムの創造』はシスティーナ礼拝堂の天井画の中で一番有名な作品だろう。ダ・ヴィンチの『モナリザ』、『最後の晩餐』と並び最も有名な作品だろう。
最初の人間、アダムが力なく横たわっているわけは、まだ決定的な「命の息」である」聖なる命の力を吹き込まれていないからだ。アダムは最初の人間であるだけではない。新プラトン主義とカバラ思想のコンセプトによれば、原初の人間アダム・カドモンであり、すべての人間生命の原型、全世界の小宇宙的モデルなのである。

(田中注:ピコ・デラ・ミランドラの影響がここにも見られるのだ。11月の定例会で、副島先生はこの絵の中のアダムに生命を吹き込もうとしている神はデウス=大日如来(だいにちにょらい)だと解説しておられた。確かに人格神というか、おやじっぽく描かれている。ついでにミケランジェロの『最後の審判』の渦巻きの構図はそっくりそのままチベット仏教の曼荼羅(まんだら)絵にとりいれられたのだ、と断言されたのには度肝を抜かれた。19世紀以降のチベットの曼荼羅絵には確かに構図がそっくりなのが多いようだ。イエズス会士がチベットまで伝えたのであろうか。中国各地を転々として、布教をつづけたマテオ・リッチ(1552-1610)がミケランジェロの絵を使ったという可能性はないだろうか??これは私田中の憶測に過ぎませんが。それとももっと大仕掛けなのか?たとえば大英帝国がチベットという僻地の神権国家を操っていたとか・・?)

(『ミケランジェロの暗号』引用続きp256)
「ミケランジェロはいったいなぜ『アダムの創造』を必要以上に多い人数、ケープ、たなびく布地など入り組んだ構図にしたのか。
1975年ユダヤ人の外科医フランク・メッシュバーガーは、『アダムの創造』の色彩と人物像を消した状態を想像してみた。そしてそれが大脳、小脳、後頭葉、皮質、脳幹であること、また右脳の断面図であることがわかった。(中略)
カバラの神秘主義的な観点からすると、脳は知恵(コクマー)に関連した臓器である。またこの知恵をつかさどるのは右半分だけであるという大きな真理もミケランジェロはつかんでいたと考えられるのである。」

(田中注:確か私の記憶では18世紀にウィーンの科学者が脳の機能の局在説を唱えて始めたのではなかったか。16世紀といえばまだナポリの骨相学=頭の形で人格や脳の不出来を判断する分類学さえも始まったかどうかというところだろう。ミケランジェロの医学的知
見というのがどれぐらい先駆的かということが伺えよう。また脳の中に人間が住んでいるという考え方は20世紀からなのではないのか?)

(引用続き)
「専門家の中には、神をとりまくように雑多に配置された人物たちは、脳の中心部と神経節(神経系の高速道路のようなものだ)だと考えるものもいる。
だが神秘主義的に考えると、ミケランジェロがカバラの「隠された脳」のコンセプトを把握していたことは確かだ。ユダヤ教徒には「神の御業(みわざ)は人間には計り知れぬもの(mysterious=ヘブライ語のnistarに由来)である」という、人間の理解を超えたカムフラージュされた神の計画への信仰というものがある。この「隠された脳(隠された知恵ともいう)」は人間の中に創造の意志を吹き込む(インスパイヤーする)。創造主を真似て世界に意味と目的を与えたいという人の思いを駆り立てる源である。カバラによると、命の木から流出する二つの感情の組み合わせによってそれは人間に注入されるそうだ。

ひとつは崇高で卓越し、自己制御的な「上位の感情」で「年長のイスラエル」(イスラエル・サバ)と呼ばれる。
対して、物質的で、利己的、衝動的な「下位の感情」は「小イスラエル」(イスラエル・ズタ)と呼ばれる。ミケランジェロのような、絶え間のない創造の意志に駆り立てられるような、きわめて情熱的な天才の中では、こうした上位と下位の二つの感情が常に働いていたに違いない。」
(引用終わり)

田中です。『ミケランジェロの暗号』の著者は最後に「アダムの創造」のアダムは創造する人間ミケランジェロの魂の自画像であると結論付けています。
なお『アダムの創造』をググると、「脳が描かれている」という記事は山ほどでてくるのですが、自分として書きたい気持ちが強かったのであえて『暗号』をまとめてみました。

あとミケランジェロが尊敬していたピコは『最後の審判』の天国上部キリスト(?)の右上に描かれているそうだ。(「え、これが本当にピコか?」といいたくなるけれども。)

田中」進二郎拝

吉見 おさむ 投稿日:2012/12/19 16:39

【1027】[1169]福島本部活動日誌です109

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年12月7日の日誌です。

まあまあの大きさの地震があり、磐越東線が止まりました。
これを受けて、灯油の備えを、もう少し余裕があるように増やしました。
外のボイラー用のタンクも含めると、100リットルはいざという時に使えます。
なお、日本全国で大騒ぎだったようですが、去年に2回は今日より大きな余震があったので、なんだか慣れてしまいました。

レシートの整理をずっとやっていました。
ホチキスの芯を大量消費できました。

寒冷地の災害時には、乾電池かチャッカマンで点けられる(つまり電気を一切使わない)灯油ストーブは必要だと思います。
・・・だから、災害直後の記憶が強かった昨年に買った灯油ストーブは、定価より高かったのだと思います。
毛布だけでは足りないです。(多分、外に毛布だけで寝ると、死ねます。)

(転載終わり)

(転載始め)

2012年12月9日の日誌です。

一日のほとんど、軽めの雪が降り続いていました。
一部積もっていまして、少しだけ雪かきをしました。が、あまり意味はありませんでした。

午後11時40分、多数のパトカーが警戒区域に走って行っています。
あすから、大熊町の警戒区域の見直しが行われるので、その際の見回りだと思います。
http://www.47news.jp/CN/201212/CN2012120901001605.html
http://www.minpo.jp/news/detail/201212095370
また、普通の車も多数走っていったので、それらはマスコミ関係者の車だと思います。
ほぼ人の住んでいない山の方の地区は、昼間は立ち入りが出来るようになる筈です。
ただ、新聞記事には「バリケードが設置される」とありましたので、本当のところはわかりません。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年12月13日の日誌です。

12月10日から大熊町の警戒区域が再編されましたので、行ってみました。
なお10日と11日は、台風並みの防風で道路の雪が巻き上げられ、吹雪のようになっていたので、遅くなってしまいました。

国で除染中の都路の汚染土置き場は、青い土嚢がかなりの量になっていました。
(・・・なんだか、野焼きの匂いがしたのですが、・・・枯葉や除去した枝は燃やしてはいけないはずなのですが、・・・・・・気のせいだったのかもしれません。)

288号線沿いに、選挙の立て看板がありました。
道路脇の田畑は、荒地のまま放置されているところは、ほぼありませんでした。
これが除染によるものなのか、トラクターを持ってきて耕したのかはわかりませんでした。
(おそらく前者だと思います。)
288号線の隣にある木は、枝を豪快に除去されているか、切り倒されていました。

家屋を除染するためのタンクローリーが10台近く停まっていました。

一部の側溝は、完全に土が除去されていました。

道路を洗浄するための車両?が置いてありました。

写真のものより大型のものが、加藤商店の反対側に停まっていました。

以前汚染検査場になっていた所は、プレハブが撤去されているところでした。

ここに大熊の見回りの人がいて、どこに行くのか尋ねられました。

汚染検査上だったところの300m先が以前の検問だったのですが、何もなくなっていました。

大熊と都路の境は、陽当りが悪く、道路が凍結していました。
(ここをやっと見られて、一寸感動しました。)


大熊の峠を超えた先は、大変急な坂になっていました。
大熊に400mほど?入った所にバリケードがあり、見張りの人がいました。
ですので、地図上では避難指示解除準備区域になっている地区でも、大熊の人以外は入れませんでした・・・。
http://www.minpo.jp/news/detail/201212115374
http://www.youtube.com/watch?v=SRYH5RWWRJc


(町境にあった看板の「広場」の所がバリケードの設置場所と思われます。

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2012/12/19 16:35

【1026】[1168]福島本部活動日誌です108

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年10月28日~11月22日の日誌です。
(大雑把になっていますが、ご容赦下さい。)

平日は大体、除染が行われています。
給水車とバキュームカー?が旧警戒区域に入っています。

10月28日、HさんとUさんが来ました。
鍋を作ってくださいました。有難うございます・・・。

29日に帰る時、私も東京まで同行させてもらいました。所用を済ませました。
30日に都庁に行った際、石原慎太郎都知事が通ったのですが、知事を辞職することについて、野次の一つでも飛ばせば良かったかと後悔しました。


ストレスを感じたので、再び、ラーメン大の大久保店で食べました。美味かったです。

http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130404/13085897/

11月11日に原発デモを見に行きました。
去年の夏頃にあった熱気と呼ぶべき何かは、失われてしまっているようでした。参加者が5分の1くらいになっているような感覚を覚えました。
以前は下の写真の所まで人が行き交っていました。

私とは意見を異にしますが、表立って意見を表明していることについては(たとえガス抜きの集会であるにせよ)どこか尊敬していたので、なんだか残念です。

参加者の年齢層が高くなっていました。

経産省前のテント近くは、結構人が集まっていました。
また、労働組合の旗と、原発と関係無い主張が目立っていました。以前は手書きのダンボールやタブレットでした。
やはり普通の人は離れていったようです。


11月22日に除染の様子をビデオに撮ってきました。
http://www.youtube.com/watch?v=D899EaLPiKI
除染の掲示板が新しく立っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=73FmM5i8uBc
作業員の人達は、普段通りに「フツーに(まったり)」仕事をしていました。
http://www.youtube.com/watch?v=8GdL-DcCQCA
http://www.youtube.com/watch?v=TRMMBno2XLY

(転載終わり)

(転載始め)

2012年11月24日~27日の日誌です。

李源朝が政治局常務委員を外れて、何故か私がショックを受けました。
http://jp.reuters.com/article/jpchina/idJPTYE8AK03O20121121?pageNumber=2&virtualBrandChannel=0

24日午前9時50分に都路を出て、秋葉原に午後4時に着きました。
なお、船引から郡山まで試しにバスで行ってみたのですが、600円高い上に時間的な長所もなかったです。

郡山駅前はこれから、イルミネーション装飾をするそうです。

夜の秋葉原は、電灯による飾り付けがされていました。


夕食を買ったスーパーでは、放射線残留規制値検査済みの牛肉が売られていました。

24日の夜は、ネットカフェに泊まりました。

25日午後2時、銀座の公園出発の反原発デモに行きました。
ですが、余り良い写真と映像は撮れませんでした。

集まっていたのは二十人ほどでした。

残念ながら、11/11のデモもそうでしたが、一年前の反原発デモには良くも悪くもあった妙な魅力は、ほとんどなくなってしまっている様に感じられました。
デモの主催者の人には悪いのですが、これでは、現在除染中の旧警戒区域内を見に行った方が面白い、です。

・・・もっと言えば、都内と郡山駅前の反原発の集まりに写真を撮りに行くのも、飽きてしまいました。
もう一寸、回りにいる見物客を飽きさせない工夫をして欲しかったです。
不謹慎な言い方かもしれませんが、同じ内容の言葉を繰り返すのは、面白くないですし、意見の押し付けだと取られて(私のような変な人間から)反感を買いかねないです。
人前で声を挙げる勇気は認めますが、同じ言葉を念仏の様に繰り返す事の危険性は、頭の隅に入れておくべきなのですが・・・。

銀座の外れの方は、郡山と比べても、服装が大変にお洒落でした。

郡山ですと着飾る以前に防寒が重要なのですが、それを考えても、都心の洒脱さは凄いです。
まして都路と比べてはいけないと思います。

がっかりしたまま、東京駅近くにある、福島県と茨城県のアンテナショップに行き、2000円も食料品を買い込んでしまいました。

福島県のアンテナショップの地図には、川内村を流れる木戸川から更に下流にある「木戸ダム」が載っていました。一寸だけ感動しました。

東京駅は、秋葉原よりも多くのイルミネーションがなされていました。

・・・去年の節電なんていうのは、一時的な流行か自己満足か気の迷いか何かだった、ということなのだと思います。
船引駅はまだ節電中なのですが、あと二年もすれば忘れて元に戻るのでしょう。

更に、秋葉原に戻りました。
これ以上秋葉原にいると危険だと思い、急ぎ東京駅のバス乗り場に行きました。

25日午後11時59分東京駅八重洲南口発の深夜バスを使って、26日午前4時50分に郡山駅に着きました。
なお、深夜バスは満員でした。
その後、5:30の電車と7:00のバスを使って、午前8時に事務所に戻りました。
帰る途中、午前6時30分の船引駅のロータリーは、高校生を送迎する車で混雑していました。

26日、27日は、残っているカレーと鍋に火を通して、食べました。
どちらも焦がして不味くなりました。

平日の午後5時の288号線は、郡山方面に帰る除染の車が列になっています。
けっこう壮観です。
大久保小学校に除染JVの事務所があるらしいので、朝に行ってみようかと思います。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年12月1日の日誌です。

初雪が降りました。
最高気温は2度と、大変寒い一日でした。

暖房設備を、電気から石油に切り替え中です。
かかってしまう費用は、少しだけ石油の方が高くなりそうですが、火力の強い石油の方でしばらく試してみます。
なお、今流行りの「エコ」的には、どちらの方が推奨されるのかわからないです・・・。

『徹底予測中国ビジネス2013』の遠藤誉博士の論によると、「胡錦濤は負けていない」そうです。
私、自分の国がこれから選挙なのに、なぜか中国の政治の方が気になってしまっています。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121126/240074/

(転載終わり)

(転載始め)

2012年12月2日、3日の日誌です。

両日とも雪が降りました。

3日は、除染をしている旧警戒区域内を見に行ったのですが、入口付近に
「除染中により立ち入りはご遠慮下さい」
という看板があり、警備員もいたので、気が引けて帰ってしまいました。
それにカメラも出しにくいです。
(何度か除染を見ているのですが、・・・ぶっちゃけますと、やっぱり何の意味もないと思います。)
旧警戒区域内の除染は進んでいるのですが、20~30kmの除染は、田村市ではほとんど進んでいないと聞いています。

twitter繋がりで、正月にスイスから来る人と秋葉原で会うことになりました。
自分でも、なんでこうなったのか、よくわかりませんが、なんとかなると思いたいです。
http://rayun.jp/2012/11/29/japan-trip-2/#comments

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2012/12/19 16:26

【1025】[1167]福島本部活動日誌です107

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年10月26日の日誌です。

除染中の旧警戒区域内に行ってみました。

普通のゴミ収集車に見える車が動いていました。何をどのように集めているかは、はっきりしませんでした。

除染のために足組みがされた建物は、これから水をかけるのだと思われます。

作業員の人たちは、落ち葉を集めて、黒い土嚢に入れていました。

空き缶などの投棄されたゴミが集められていました。除染の際についでに出てきたものだと思われます。
これらの処置について、普通のゴミにはできないのでしょうが、除染したものとして黒い土嚢に入れることになるのでしょうか。、それとも、ここに置いたままになるのでしょうか。

木々の枝は、目に付くところは、ほぼ完全に除去されていました。




あくまで作業員の人から短く聞いた話ですが、こんなことでも線量が少しは違うそうです。

給水車が路肩で点検してありました。

もう少し先の広場では、作業員の車が停まっていました。

脇の田畑では、草を巻き取り、塊にしていました。


汚水の濾過プラントと思われる施設が建設されていました。(それとも、浄水製造のための施設でしょうか?)

ここで、帰る際に、千代田化工の車とすれ違いました。

民家の除染は、流石に田畑や森林の除染とは違い、やや丁寧に行われていました。

事業をやっているのは、鹿島建設、三井住友建設、日立プラントテクノロジーJVということになっています。

が、八戸ナンバーや大宮ナンバーなど、結局何次かわからない下請けがやっています。

構造は原発と同じです。
都会の人からしても、予算を大手が取ることで除染費用を余り地方に落とさずに回収できるのだから、気に病むことはないのでしょう。
(地元の人夫出しも、限られた人が仕切っているようで、結局地元の殆どの人は、恩恵は余りないです。)

(転載終わり)

(転載始め)

2012年10月27日の日誌です。

Nさんに、楢葉町に連れて行って貰いました。

途中の川内村では、作業員宿舎?の反対側が、とても思い切り「除染」されていました。
どうやら除染というのは、「建物に水をかけて、土を剥いで、木と枝を切って、ゴミを集めて、廃棄物をどこかに保管しておく」ことの様ですが、間違っているでしょうか?
(↑ごく普通の人もそう思っているんじゃないかな、と思います・・・。)

川内村の仮設住宅は、入居が進んだようで、駐車場がかなり埋まっていました。

いわき市に到着後、Nさんのリクエスト通り、サイゼリヤで昼食をとりました。(もっといいものでも良かったと思うんですが・・・)

いわき市の海岸沿いは、かなり片付きました。ガレキの分別が、かなり進んでいるようでした。

四倉海岸の道の駅が復旧していました。津波の被害は各所に残っていますが、観光地らしい道の駅で、とても羨ましいです。
便利な海の家といった雰囲気です。

この道の駅だったら、関東圏の人でも「行ってみても悪くない」と思うのではないでしょうか。
何か傑出した特別なモノがある訳ではないのですが、土産物を買い、少し休憩し、海を眺める、という観光地らしいことが出来ます。



(といいますか、太平洋側の大都市圏や北海道や沖縄のような、「観光地」にはやはり特別な観るものがあります。
そこまではいかなくても、普通の観光地として、トイレ等の設備があるのは好感が持てます。)

Jビレッジ内は、作業員や関係者がまったりしていました。
ニューズ番組等で見た光景とほぼ同じです。ただ、↓の画像よりは、かなりの軽装でした。当たり前ですが、ずっとタイベックを着ている訳でもないです。
http://img.47news.jp/47topics/images/rokadekamin.JPG
タンクローリーが多数停まっていました。

楢葉の道の駅は、臨時の警察署になっていました。


入口に、地震によると思われる段差があり、修理はなされていませんでした。

もう少し先では、ガソリンスタンドが営業していました。

道の脇は、田んぼにほぼ一面のセイタカアワダチソウでした。
黄色一色で、こう言っては土地の持ち主の方々に申し訳ないのですが・・・、大変に綺麗でした。

富岡町との境に検問があり、そこでUターンさせられました。
その付近の車内の空間線量が0.57μSv/hでした。その地点から約2km手前で0.42μSv/hでした。

おそらく車外に出ると、1~2μSv/hあったのだと思います。
(ただ、警察車両が通っているのと、6号線から脇に行く道が立ち入り禁止になっていることが多いので、停められませんでした。
今思うと、Nさんに無理言ってみたらとも思うのですが・・・、まあ、たらればの話です。)
また、この付近に木戸ダムへの標識がありました。

楢葉町の脇道で、自転車を漕いでいる人がいました。

また、一部住宅は、除染の作業中でした。

作業員がいわきに帰る時に通ると思われる脇道には、日本共産党による看板が多数立っていました。
国道6号線沿いには、この看板はありませんでした。

午後7時に都路に戻りました。
おそらくNさんが南相馬に戻るのは午後9時前だったかと思います。
一日中、大変お世話になりました。

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2012/12/19 16:19

【1024】[1166]福島本部活動日誌です106

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年8月25日の日誌です。

午前6時にネットカフェを出て、午前7時からいつもの630円の朝食を食べました。
途中に変な店の看板がありました。

午前8時1分の磐越東線と午前8時50分のバスで事務所に帰りました。
途中の288号線は、ずっと工事中のところがあり、旧街道に迂回しなければなりません。
何度盛り土をしても、下から崩れてきてしまうそうです。

事務所に戻って、休もうとしたのですが、運送会社の人が立て続けに来て、休めませんでした。
6回ほど、寝ようとしては、起こされる事の繰り返しでした。

午後2時頃、Tさんが来ました。
神奈川から来たそうで、ここに来る前に南相馬の方を見てきたそうです。
なんとかお茶だけお出ししました。

引き続き、ビデオの整理をしました。
7/6の官邸前デモが、終了した直後の映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=4h9wfwucznY&feature=plcp

夜に、重たい掲示板に過去の日誌を転載しました。
色々訂正や画像の挿入が必要で、どこかに見落としがありそうです。

(転載終わり)

(転載始め)

ザ・フナイの高岡編集長が来ました。
車でいらしたので、都路の旧警戒区域内、大熊町境の検問、船引の仮設住宅、を案内しました。

旧警戒区域は、8月からの除染が始まっていました。
各所に作業員の車が停まっていました。とはいえ、本格的な作業は始まっていないようでした。

大きなスペースにクレーン車等が集まっていました。

船引の仮設住宅は孤独死があった影響で、屋内に人がいるかの確認の為に、玄関先に黄色い旗が立っていました。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/08/post_4837.html

高岡編集長が、船引町新館の横堀さんの所に取材に行ったので、同行させてもらいました。
その後、私は郡山で用事があったので、郡山駅まで送っていただいて、そこで別れました。

なお高岡編集長は、時間の関係もあってか、短い取材でした。
時間があれば、浪江町津島の線量の高い箇所も案内出来たのですが・・・。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年9月の日誌です。
(とても大雑把になりますが、ご容赦下さい。)

9月の前半にかけて、凄く疲れました。
やっぱり、Kさんに対して気を使いました。
Kさんがどうこうと言うより、他人と暮らせばどの人にもある気苦労なのだと思います・・・。
結婚した経験のある人は、すべからく凄いです。尊敬します。私には無理です。

都路中学校に、除染作業員用と思われる宿舎が建設中です。

月末にほぼ完成したようです。

9月17日前後にMさんが来て、色んな所にKさんと二人で行って、それで結婚することになったそうです。
何か訊くのは無粋だと思い、何も言いませんでした。

9月19日、東京に行って、原発デモを見てきました。
警備は厳重だったのですが、相当に規模が小さくなっていました。

http://www.youtube.com/watch?v=ca5VNxo7MDQ&feature=youtu.be
福島みずほ社会党党首が演説と記念撮影をしていました。
「昼休みだから出てこられた」と言っていました。・・・国会議員といっても、こんな感じと言えばこんな感じですよね。
http://www.youtube.com/watch?v=y_TuX50_MZ8&feature=youtu.be

9月22日、Kさんたちが相馬でボランティアを行いましたので、それに同行しました。
途中の葛尾村近辺では、除染が進んでいました。

手伝いが終わったあと、南相馬小高の旧干拓地に行きました。
http://www.youtube.com/watch?v=EFXeSuQZLOM&feature=youtu.be
一夏がすぎた影響で、湖のようになっていた所はほとんど干上がっていました。


小高は、下の写真のように、4月に比べれば片付けが進んでいました。

海岸部も、がれきが各所に残っているとは言え、随分と片付きました。



警戒区域外で行けるギリギリまでいってみたのですが、中に入った人がいるのか、自転車が乗り捨てられていました。

9月29日、近くの交通標識で写真を撮っている人がいました。原発観光でしょうか。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年10月3日~25日の日誌です。
(とても大雑把になりますがご容赦下さい。)

3日、288号線に飛び出し気味の木と枝を、作業員が除去していました。


一人に訊いてみたら、天皇陛下の川内村訪問に備えて、急いで288号線全体を綺麗にしているとのことでした。
なお、地元の人は、「陛下にはそのまんまを見てもらったほうがいいんじゃない?」と言っていました。
後で聞いた話では、ずっと直らなかった288号線の崖崩れの箇所も、急遽突貫工事が行われて、完全に修理されたそうです。

(↑の写真は、陛下が帰り道で通った直後の崖崩れの場所です。)

6日、都路の旧ホットハウスが、道の駅のような施設としてオープンしました。

(除染作業員の昼食を作る所として機能しています。)
川内村に向かう399号線では、やはり道路脇の木を作業員が「除染」していました。

13日、天皇陛下が川内村にお越しになられました。
前日から警備が厳しく、陛下の川内村への道中の際は、建物の中に引き籠っていました。

野田首相の時とは警備の厳しさが全く違いました。群馬県警の人たちが、私服で警備にあたっていました。

陛下の車の後ろには、バス4台など、大名行列のようでした。

午後3時、洗濯物などを干してから、郡山に向かったのですが、ちょうどバスの時間と陛下の帰り道の時間が重なり、結果として、事務所脇ではなくバス停近くで陛下を見送ることになりました。

沿道の人が多い所は、車の速度を落として、陛下と皇后が手を振りながら、車が走っていきました。

その後ろから、佐藤雄平知事や警察の偉い人たちを載せたバスが通り過ぎていきました。
沿道に、こんなに都路に人がいただろうかと思えるほどの数の人が出て、陛下を見送りしていました。


交通規制が解除になってすぐ、バスが来たのですが、前の座席に警官が二人警備のために座っていました。
旧街道の出口である芹沢で二人は降りたのですが、その後にバスの進路を塞ぐ形で警察車両が停車し、二人の警官を回収していきました。
バスの運転手さんが相当に怒っていました。なんとなく、陳光誠経済圏という言葉を思い出しました。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0503&f=national_0503_152.shtml
この近辺の警備の人数は1500人だったそうです。(ふねひきパークに注文された弁当の数が1500食だったから、そう思われるそうです。)

陛下は常葉町で一時休憩を取られていたようで、バスは陛下を追い越す形で船引に着きました。
途中の沿道には、更に多くの見送りの人がいました。

電車まで時間があったので、船引でもう一度陛下の見送りをしました。

陛下も皇后陛下も、ずっと手を振ってて、大変だと思います・・・。

郡山に電車が着いた時、既に陛下は新幹線乗り場に向かわれた後のようでした。
ロータリーに陛下の車、警備車両、バスが停まっていました。


駅は、マスコミ関係者で一杯でした。pcで、撮った写真の画像を転送しているようでした。

新幹線乗り場近くで、佐藤雄平知事がマスコミの囲み取材に答えていました。

郡山のガイガーカウンターの展示場は、さらに見栄えが良くなっていました。

午後9時、ネットカフェに入りました。

14日、Zさんに宇都宮の映画に連れて行って貰いました。そのため、前日は郡山のネカフェに泊まり、宇都宮駅で待ち合わせしました。。
映画は、まどか☆マギカの劇場版(声優さんの舞台挨拶付き)でした。

16日前後にHさんが来て、レシートの整理等をしました。お世話になりました。
(・・・もうちょっとここら辺何かあったのですが、記録が残っていません。)
(この時期に誰かから
「いわきの仮設には、新興宗教のミニスカートを穿いた若いお姉さんが来て、入信するなら一泊していってくれるそうだ。それで、女性が大変不安を感じているそうだ」
と聞きました。)
Hさんが帰る時、バスが出た後に、除染の車が中学校から旧警戒区域に100台弱ほど走っていきました。

この時期、除染の作業を脇から見ていて、掃除をしているのを、除染の前段階だと勘違いしていました。
掃除が、除染そのものだったようです。

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2012/12/19 16:11

【1023】[1165]福島本部活動日誌です105

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年8月21日の日誌です。

疲れを取るため、できるだけ横になりました。
「・・・なんで福島は夏祭りがこんな集中してるんだよ」と、変な寝言を言っていた覚えがあります・・・。

トイレを二箇所掃除しました。
大広間に掃除機をかけました。・・・一寸、掃除機はいい加減にかけ過ぎました。

ガソリンスタンドに両替をしてあげに行った時、普通の乗用車に乗った警官の人たちが給油に来ていました。
(おそらく覆面パトカーといったものではありませんでした。)

なんとかyoutubeに動画を上げられるようになりました。
ただ、更にこれから動画の管理もあるのだと思うと、気が滅入りそうです。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年8月22日の日誌です。

午後2時、Tさんが来ました。
北海道の方で、お土産として、石鹸、ハッカ、塩、を頂きました。
お茶とゼリーをお出ししました。
都路近辺を歩いて案内しました。
Tさんは午後4時に帰りました。
タクシーで行き返りをした方は初めてだったので、妙に印象的でした。

裏庭の草刈りをしました。
暑い状態では、草刈り機のモータに気を払いながらやらざるを得ないので、はかどりません。
草刈り機の刃元の奥に細かい草がまとわりついていて、相当に機体の負担になっていました。

自分の布団、ソファー、座布団、を干しました。
洗濯をしました。

午後3時10分、産業廃棄物収集車が原発方面から郡山方面に走っていきました。
8/19に5台の産業廃棄物収集車が連続して、船引から郡山方面に走っていったのを思い出しました。

軽く虻に刺されました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年8月23日の日誌です。

プラスチックゴミと燃えるゴミを出しました。
燃えるゴミは、本当は明日なのですが、用事が入りそうだったので、今日出さざるを得ませんでした。

コンクリートの通路と台所にブラシがけをしました。
当たり前ですが、2人でやると早いです。2時間強で終わりました。
一通りの掃除が出来て安心しました。

虻に刺された所が、痛痒いです。
軽く刺された、というものではありませんでした・・・。

過去のビデオをアップしました。慣れないので、凄い時間がかかりました・・・。
7/6の官邸前デモの様子です。
デモというよりは、経産省前でのマイクパフォーマンスの方が長いです。
他のビデオも順次上げていこうかと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=_MWawK3q770&feature=youtu.be
http://www.youtube.com/watch?v=dLcybqYd9Yg&feature=youtu.be
http://youtu.be/MoCRPWUiH-U

(転載終わり)

(転載始め)

2012年8月24日の日誌です。

10日暮らしてみて、ひとまずですが、Kさんとは互いのプライバシーに気を使って、折り合ってやっていけそうです。・・・といいつつ、先のことはわからないのが本当なのですが。

午前1時から4時にかけて、レシートの整理をし、過去の日誌を書いていました。

船井メディアの『ザ・フナイ』高岡編集長から電話があり、8/29に取材をしに来ることになりました。

午後3時46分のバスと磐越東線で郡山駅に行きました。
途中のバスの中で、運転手と都路の住民と話しました。
「まさか、自分たちが避難生活をすることになるとは思わなかった。土砂崩れで住民が避難してる映像は、テレビの中のことだと思っていた」
「川の河口に、何万ベクレルで放射性物質が溜まっている。鮭の放流される(?)請戸のあたりとか」
「71歳の人が、昨日船引の仮設で孤独死してるのが見つかった(http://www.minpo.jp/news/detail/201208233240)」
「原発の影響はまだまだ続きそうだ」
「船引のあたりに、田などを持ってた人は、今ウハウハだ」
「この前川内まで乗って行ったスーツケースを持った人は、役場の人で、家族は大阪に避難しているそうだ。役場の仕事に加えて補償金も貰えて、羨ましい」
「今年の3月から8月の分で、60万貰った。今度、9月から2月の分を申請する」
と言っていました。

午後5時30分、うすい百貨店近くのファミリーマートで、初音ミクとのコラボ商品を3つ購入し、夕食にしました。
http://www.family.co.jp/goods/recommend/miku_loves/index.html
味は兎も角、なぜか満足しました。

午後5時50分、駅前で毎週金曜日に行われている反原発の集まり(http://onna100nin.seesaa.net/)を、ビデオ撮影に行きました。今回郡山に来た目的でした。
http://youtu.be/zHmprD0nypo
http://youtu.be/nhvJsloCtvA
http://youtu.be/eunog6I3TMc
http://youtu.be/lbvbOEqVS2o
(映像で撮ってしまうと、文章でもう一度書くのは、くどくなってしまうでしょうか?)
駅前の噴水前の広場で行われていて、後から加わった人も含めて、参加している人数は30人弱でした。
「関東の人が抗議しているのに、福島の人が何もしないというのはどういうことなのだ」
という発言を聞いて、浜通りの人がこの言葉を聞いたら怒る人が多いんじゃないかと、少し冷や冷やしました。

午後9時1分、ネットカフェに泊まりました。

(転載終わり)

吉見 おさむ 投稿日:2012/12/19 16:03

【1022】[1164]福島本部活動日誌です104

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年8月15日、16日の日誌です。

15日は、常葉町でやっている祭りに行きました。
午後1時4分のバスで常葉町に向かいました。
運転手さんと話したとき
「佐藤前知事は、弟さんの件で捕まっちゃってねぇ・・・。プルサーマルに反対したから。」
と言っていました。
福島の人は「原発に反対したから捕まった」とは言わず、「プルサーマルに反対したから捕まった」と言っています。
少なくとも、私と話した3人は、そうでした。

会場についてから、綿飴を買いました。せっかくなので、絵柄はスマイル・プリキュアにしました。

買ってから「スマイル・プリキュアの『薄い本』は何冊出てるのかな・・・」と少しだけ気になりました。そして落ち込みました。
会場近くのマンホールには、地震の影響が残っていました。

簡単な歌謡ショーをしていました。

常葉町の商店街は、新しく休憩所を作るようです。

常葉町の公民館に、飼い主不明のペットを探す為の、写真付き冊子が載っていました。
ずっとこればかり読んでいたら、いつの間にか時間が過ぎていました。(スミマセン・・・)

公民館の一角に、「放射性物質検査室」ができていました。

人出は少なかったです。これから夜の盆踊りと花火の時にはもっと人が多くなるのかもしれません。
ただ、その前に午後6時36分のバスで帰らなければなりませんでした。
帰り道の途中、崖崩れで工事中箇所は、まだ直っていませんでした。
運転手さんによると、何度直しても崩れてきてしまっている、そうです。

16日は、三春町でやっている盆踊りに行きました。
より正しく言うと、盆踊りと同時開催の「ニコニコ町会議」(http://live.nicovideo.jp/watch/lv102544232)に興味があったので、見に行きました。



http://www.youtube.com/watch?v=5my9qyc7UqU&feature=youtu.be
http://www.youtube.com/watch?v=-3S675f_8mc&feature=plcp
http://www.youtube.com/watch?v=VfMloNz1h1U&feature=plcp

無駄使いしないように、地元のスーパーで事前に食品を買っておきました。
三春町のヨークベニマル(という、ヨーカドー系列?のスーパー)は、首都圏のスーパーと値段も品物も変わりませんでした。
http://www.youtube.com/watch?v=DJuPBIonMWQ&feature=plcp

残念ながら、日本最先端のひとつであるニコニコ動画を、保守的な三春の祭りが、十分には受容できていないように見受けられました。
ニコ動で放送したものだと、仲良く開催出来た様に感じられるかもしれませんが、実態は、二つがほぼ別個に行われたように思います。


アスキーのカメラマンさんも、ニコニコ町会議の写真ばかり撮っていました。

ニコニコ町会議の終了時間まで居たかったのですが、午後9時の終電で帰るしかありませんでした。同様に郡山に終電で帰っている人は、40人ほど居ました。
郡山に行って、ネットカフェに泊まりました。

(転載終わり)

(転載始め)

2012年8月17日、18日、19日の日誌です。

17日、午前中のうちに都路に帰りました。
郡山駅前に、ガイガーカウンターのお店ができていました。

郡山駅の自衛隊の募集広告は、いつ見ても脱力します。

↓のような「国の偉い人に怒られ」そうな宣伝よりはいいのかな、とも思います。
http://www.mod.go.jp/pco/okayama/comic/jieinop01.html

帰ってから、5時間くらい、慣れない動画の整理をしていました。
(ただ、画質等にはこだわらないで、ツイキャス等をした方がいいのかもしれませんが・・・)

18日は、須賀川の花火大会に行って来ました。

無駄使いをしないよう、駅前のパン屋でパンを購入しました。490円でした。
30万人の人出があるらしい会場は、人で一杯でした。
放射性物質等も余り関係なく人出があることだけ確認して、あまり感慨等もなく、郡山に帰ってしまいました。

郡山に行き、ホテルハマツを見物に行きました。『知事抹殺』と『それでも私は無実だ!!』に出てくるホテルです。
郡山駅で新幹線から降りた時、一番目に付く所に広告があるホテルで、


佐藤栄佐久前知事が、報道陣を逃れて出てきた裏口も見られました。

郡山駅前のネットカフェに泊まりました。

19日は、船引の灯篭流しに行きました。

郡山駅前では、商店街の人達がゴミ拾いをしていました。

うすい百貨店の本屋に行って、空いた時間を埋めました。
行く途中、ルイ・ヴィトンの広告を見て、触手を思い出しました。

うすい百貨店の10階では、週間少年ジャンプのイベントが開催されていました。

中経出版の表紙は文倉十、岸田メル、島田フミカネ、の各先生方と、・・・この表紙を企画した方、生きていて幸せだったろうなと思わずにはいられないものでした。



なお、中経出版の名誉のために付言しますと、中経出版の学習参考書は優れているものが多く、且つ、内容がコンパクトにまとまっているので、お勧めです。
でも、それでも何より表紙が良いです。断言します。

郡山駅前の横断歩道に歪んでいる所があり、転倒しそうになりました。少し前まではここには歪みはなかったと思うのですが・・・。

郡山駅西口は0.269μSv/h、郡山駅東口は0.510μSv/hでした。

午後4時に船引駅に行きました。

既に祭りは始まっているようでした。


船引駅前で、UDCTという、東京大学による田村市の活性化計画が店を出していました。

資料をもらったのですが、よくわかりませんでした。
変わった服装の、記者さんともまた違う人が居ました。
高性能のカメラを構えていたのですが、どのような人なのか、よくわかりませんでした。

ここら辺恒例の、演歌の演奏がありました。

川の上流にはこれから流す灯篭が置いてありました。

船引中学校美術部が、初音ミクと始音カイトで燈篭(なのでしょうかこれは?)を作っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=dOJXyKz3bAA&feature=youtu.be

ボーカロイドは、若い女の人たちこそ好きな人が多いと、最近聞いて驚いていたのですが、まさか保守的な福島の地方都市まで、ここまで影響があるとは思いませんでした。
大きな燈篭の中では、一番最初に流されましたが、途中で上部の重さに耐えられず、転覆していました。
http://www.youtube.com/watch?v=4_qiyFQun2I&feature=youtu.be
http://www.youtube.com/watch?v=Hm_eCnUjvos&feature=youtu.be
(その後座礁し、そこに衝突した他の燈篭を沈没させていました。
http://www.youtube.com/watch?v=VJ_Yg72QwVE&feature=youtu.be
今時の言葉で言えば、ただでさえ天使のミクさんェ、とでも言えばいいのでしょうか・・・。
それとも、ひょっとしたらミクダヨーさんだったのでしょうか。

船引のネットカフェに行ってみたのですが、営業時間が変わっており、宿泊は出来ませんでした。
やむを得ず、郡山に電車で行き、駅前のネットカフェに入りました。

この数日感、連続して開催される福島の祭りや花火などを回ったのですが、表面だけを見るような回り方で、全く楽しくありませんでした。
写真や映像を撮り、周りを観察する、という気持ちで行くと、楽しくなることはまずないです。疲労だけが溜まり、気が重くなります。
地方都市の、良くないちょっとした所などが目についてしまいます。祭りの実行委員のお偉いさんの話が長い、などです。
・・・そんな中で、船引中学校美術部の皆様には、素晴らしいものを見せて頂きました。
彼ら彼女らが未来を創っていくのであれば、面白い何かが出来ていきます。老兵は消え去るのみです。

(転載終わり)

大城義和 投稿日:2012/12/19 07:03

【1021】[1163]日本国家戦略シミュレーション

日本国家戦略シミュレーション

大城義和です。
日本国家戦略シミュレーションという論文を書きます。

日本と中国の戦争だけが、真実の情報ではないです。日本は、韓国とも、戦争するかもしれません。このままでは、日本国は、確実に破滅します。韓国と北朝鮮は、コリアですから、両二カ国の行動は、ほぼ同一です。ですから、日本は、完全に包囲網をかけられています。タワーレコードに、輸入盤がほとんどが入ってこなくなったとか、スーパーマーケットの食料の種類、品数が減ったとか、家電量販店の日本製のテレビ売り場がガラガラだとか、日本は世界から処分されつつあると、推測します。最近の情報通信革命網環境の不便利さや、パーソナル・コンピューター機器の不具合とか、やはり、何かがおかしい。もしかしたら、日本という国は、この世界から、なくなってしまうかもしれません。日本人は優秀な民族です。私は、今年(2012年)の7月に、韓国に行きましたが、例えば、日本人が韓国に行っても、日本人は、韓国や韓国人の悪口ばかり言います。韓国人の怒りを通り越した殺気が、肌でわかりました。ひとの国に行って、ひとの国の悪口を言うのは、絶対にいけないです。中国や韓国の芸術や文化、技術に対しても、日本人は、もっと正直に認めるべきです。韓国の化粧品も、日本製より、人間の身体に安全で優れているはずです。やはり、日本は、従軍慰安婦問題や南京大虐殺を認めて、心から謝罪すべきです。そうしなければ、日本は、世界から尊敬されません。副島隆彦先生の予言で、2015年に世界覇権がアメリカから中国に移るまでは、日本はアメリカと本気で交渉して、日本の国益・利益を優先すべきです。日本の素晴らしい未来は、日本人が日本人自身で、創り上げる事です。私たち日本人は、戦争を阻止し、独立国家日本として、世界に冠たる誇りを持ち、堂々と自信を持って、生きるべきです。日本国を大切にして、日本を平和的に復活させましょう。

大城義和拝

会員番号6171番のいそがい 投稿日:2012/12/17 23:56

【1020】[1162]ムサシ??とかいう会社??

不正選挙かな?

http://www.musashinet.co.jp/department/election/

電通近くにあると言われるムサシとかいう会社が作ったコンピューターの投票用紙を判別をする某ソフトが想定以上の結果をだしてしまう状況になったそうです。

それで、びっくりこいた安部さんやら石破さんは投票日のテレビ開票速報で候補者当選の赤い花付けで真っ青になっていたという話もあるようです。

今日はその言い訳特集をNHKでやっていました。

お役所勤務の皆様は、お住まい各地の選管担当者ご友人、知人の方々からの本当のお話しを期待したいです。

当方の選挙区は自民と維新の候補者を当選させてしまいました。とても残念です。

掲示板投稿入力がもの凄く重くて時間がかかります。嫌な感じがしますし、身の危険を感じるのであまり関わりたくないのですが、自分で伝えたいことは、このようなところでがっちりと主張していきたいと思います。

失礼しました。

今後ともよろしくお願いいたします。

副島隆彦 投稿日:2012/12/17 11:09

【1019】[1161] 総選挙の結果(自民党の大勝、民主党の大敗)を受けて。私たちはこのあともしぶとく持久戦(じきゅうせん)です。 

副島隆彦です。 今日は、2012年12月17日(月)です。

 昨日の衆議院議員選挙の投票結果が、今朝5時には確定した。結果は以下の通りだ。

(転載貼り付け始め)

〇 「 衆院選:全議席が確定 自公で325議席 民主は57議席 」
毎日新聞 2012年12月17日 05時22分 

 第46回衆院選は17日未明、各党の獲得議席数が確定した。自民党は小選挙区237、比例代表57の計294議席を獲得。民主党は小選挙区27、比例30の計57議席、日本維新の会は小選挙区14、比例40の計54議席、公明党が小選挙区9、比例22の計31議席、みんなの党が小選挙区4、比例14の計18議席、日本未来の党が小選挙区2、比例7の計9議席となった。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。このように 日本全国で自民党の勝利だった。294議席ということは、前回の 2009年8月末の 民主党躍進、大勝利の時民主党が307議席も取っているから、それが完全に逆転したことを示している。野田佳彦は、敗北を受けて、ただちに代表を辞任した。 

 というよりも、自分がアメリカの指図と命令で、急に解散・総選挙に踏み切ったことで、自分が、アメリカの操(あやつ)られ人間であることを自認している。予定通りとはいえ、こんな惨(みじ)めな役回りまでさせられることを、野田佳彦は、やれやれ終わったよ、という顔で全身で表していた。

 民主党は57議席にまで転落した。あとは、小沢一郎が育てたけれども、小沢一郎から離れた、岡田克也と細野剛志たちが、大幅に減ってしまった民主党として生き残りの仕事をして行かなければ済まない。 ここには、前原誠司や長島昭久(ながしまあきひさ)という、アメリカの軍事凶暴派のネオコンに育てられた者たちが残っているので、党内で、この50代の若手たちが、議論と抗争を繰り返すだろう。 

 全くもって古臭い顔をした 安倍晋三の政権が出来る。2007年9月に、官僚「オール霞が関」に苛(いじ)められて、首相命令に彼らがサボタージュで叛(そむ)いたので、大腸カタル(下痢)で政権を放り投げた安倍晋三が、また、やるのだという。

 大きな力が外国から掛かっているから、こういうことになるのだ。 それと、韓国発祥のおかしな宗教団体の力が、自民党の中にまでジワジワと再浸透していて、その流れの軍事凶暴路線に乗っている。これは日本を危険な、戦争の道に引きづりこむ動きだ。

 日本の政治は、全く変わることなく、「昔ながらの自民党政治」に戻ってしまった。

 これでは、公明党という宗教政党が31議席取って、合わせて324議席で、480議席の総数の3分の2を越すから、どんな法律でも(参議院の反対があっても)通すことが出来る、となったとしても、公明党自身が、党是である「憲法改正反対」の立場を維持する限り、連立政権はごたつく。

 その分を、54議席取った維新の会が、入れ替わって、補完することになる。ここでのゴタゴタが次の日本の政治の中心だ。 維新の会は、「統治機構(とうちきこう)の改革」というオブラートに包んでいるが、これは憲法改正のために自分たちは存在する、ということの表明だ。 

 私たちが、初めは支持した(鳩山由紀夫政権の8か月だけ)民主党政権の、その後の、党内での、アメリカと官僚たち「オール霞ヶ関」の言うことを聞くか、聞かないで、政治体制の改革(官僚主導政治の廃止)をするかで、揉め続けて、それでこの 3年3か月が過ぎた。 

 日本全国の 経営者、資産家、生活者、職業人たちは、この民主党のゴタゴタの分裂劇に、嫌気(いやけ)して、それで、自民党294議席という、旧態依然の政治に戻してしまった。 これも、国民(有権者)の投票総数の30%で、60%の自民党議員が当選する、という仕組みで出来ている数字だ。私たちの学問道場は、知識人、読者人の集団であって、国民政治に責任を持つ集団ではない。だから、私たちは、自分たちの主張を貫いて、今後もこの国の先を先を読んで、「日本国民よ、気を付けなさい。用心しなさい。私たちは危険な方向に連れて行かれようとしているのだ」 と、書き続ける。

 小沢一郎という優れた国民政治家が、亀井静香と共に、当選して何とか生き残った。小沢一郎を、4年前から、刑事犯罪者に仕立てようとして、警察・検察・法務省・最高裁判所の「法の番人」たち、公務員たちが自ら犯罪者集団となって、小沢一郎に卑劣な攻撃を仕掛けた。これは明らかにアメリカの指図、命令に基づくものだった。それで、私たち国民が待望した2009年からの“小沢革命”は、手ひどい打撃を、毎回、毎回、何度も、何度も、謀略裁判という形で受けた。

 あれほどの激しい政治弾圧を受けると、さすがの国民政治家・小沢一郎でも、身動きが取れなくなった。先生の田中角栄(たなかかくえい)が味わったのと、まったく同じ十字砲火の、非道な圧力だった。 それでも小沢一郎は、我慢に我慢を続けて、三権分立(さんけんぶんりゅう)の憲法体制に反する発言をしなかった。私は、終始一貫した小沢一郎の国民指導者としての生き方の、すばらしさを称賛してきた。今もこの考えに変わりはない。

 若い人を育てる、若い人に次の時代を託す、という生き方こそは、ある程度の年齢になった人間が、優れた人物ならしなければいけないことだ。小沢一郎は、多くの若い政治家を育てた。彼らの多くは、やがて小沢一郎を裏切って、「小沢と一緒に動くと、ロクなことはないぞ。こっちに来い、こっちに来い」と誘われて、そして離れて行った。小沢一郎は、彼らひとりひとりの行動と決断を許している。

私は、亀井静香(かめいしずか)の選挙中の以下の演説に、鋭く注目する。
以下の記事の 終わりの 亀井静香の 発言が、極めて重要だ。

(転載貼り付け始め)

副島隆彦注記始め)
 

亀井氏との確執を振り返り感無量の佐藤公治氏(2012.12.13高橋清隆撮影)

2012年 12月 14日  高橋清隆 の文

 日本未来の党の亀井静香元金融相を、かつてライバルだった佐藤公治(さとうこうじ)参院議員が応援している。13日夜、広島県尾道市内で開かれた決起集会に登場し、「同志として戦えることを光栄、誇りに思う」と約2000人の参加者に支持を呼びかけた。(略)

 (亀井静香の演説での発言)

  さらに、公約破りの民主党や小泉改革で国を疲弊させた自公政権に触れ、「 わたしは(亀井静香は、警視庁時代に)捜査2課長を務めたが、こんな大がかりな詐欺を見たことない。年金や福祉に回すお金がないから消費増税と言うが、アメリカに200兆円もくれて国民のために使ってない。ブッシュとの約束だけ守っている」と3党の属国ぶりを批判した。」 
 
(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 この 亀井静香の発言が、やはりものすごく重要だ。しかし、ほとんどの日本人は、この事実 「年金や福祉に回すお金がないから消費増税と言うが、アメリカに200兆円もくれて国民のために使ってない」 を知らないし、知っている人々は、無視する。 アメリカによる 日本を守ってくれている用心棒代だよ、払わないと済まないんだよ、と 誰か、正直に 言ってみてくれ。石原慎太郎でもいいから。 石原と亀井は、10年昔は、互いに「慎ちゃん、カメちゃん」と呼び合う同志だった。

小沢一郎は、石原慎太郎と互いに同格で、嫌いあっているが、それでも大物政治家どうしだから、日本国民のためと、それから共通の信念である「官僚、役人たちが、思うように政治の実権を持って動かしているのをどうにかする」で、「第三極」の 政党を作ろうと、交渉をしていた。その間に入って、小林興起(こばやしこうき)議員が、苦労した。名古屋の王様である 河村たかし市長も何とかまとめようと努力した。しかし、この話はまとまらず、それで、 自民党の圧勝、ということになった。

 自民党が大勝したと言っても、安倍晋三は、半年もしないで、また大腸カタルで病状が出て退陣するだろう。そのあとは、石破茂(いしばしける)だ。石破は、1993年という、今から20年前に、小沢一郎が、新生党(やがて新進党)を作って、「自民党大分裂」を実行して、細川護煕(ほそかわもりひろ)政権を作った時に、すこし遅れて自民党を脱党して小沢一郎と合流している。その後、再び、反改革の嵐が吹き荒れたときに、すごすごと自民党に戻った。

 復活した栃木県の“政治家失楽園”の船田元(ふなだはじめ。私は彼に似ているそうだ)も、小沢一郎と共に動いた政治家だ。私は、古い政治を壊して、官僚主導政治を辞めさせて、アメリカとも堂々と対等に交渉しようとして、新しい政治を作ろうとする政治家を、ずっと応援してきた。 

 地元の利権と、業界団体と、商工業者への補助金の投げ渡しばっかりをやって、裏のお金ばっかりで、政治をやっている。今もやっている。それが日本の政治だ。 最後の最後は、自民党も維新の会も、公明党(創価学会)の、各選挙区にある 2から3万票の票を、自分に回してもらうための工作に走る。 そういう ブローカー選挙、バーター選挙を、平気でやった。

 それが、生臭い本当の政治だ。 数億円のお金も必ず動く。 公明党は、自分たちの力で、その自民党政治家を受からせた、という暗黙の実績を誇示するから、以後、その政治家は、びくびくするようになり、その公明党の3万票に対して卑屈な人間になる。 この 宗教政党の存在のワルさを、私たちは、何とかしなければいけない。 自民党自身が、そのことを死ぬほどよくわかっている。

 ところが、今は、この古い宗教政党(公明党)ではなく、もっと新しい、奇妙な宗教政党 と 宗教団体 の勢力が、どんどん伸びていて、官僚や、外交官や、裁判官たちまでが、どんどん 「古い方から 新しい、より凶暴な方に」信者となって、乗り移っている。 私は、日本の言論人として、このことを一番、心配している。勉強秀才に過ぎなかった官僚(上級公務員)たちは、いとも簡単に、こういう宗教団体に、先輩の誘いに乗って入信してゆく。

 民主党の若手の議員の秘書になって、多くが潜り込んできていたので、私は、この事実に対してずっと強い警戒心を抱いてきた。私でも、この件については、あまり多くは書けない。

 警察は、「ビラを配った罪」「個人の家に選挙ビラを勝手に投函した罪」というものまで選挙違反として、摘発する、という、官僚政治の末端の岡っ引きたちとして、政治家(議員)の全てを痛めつけて、脅す。しかし、もっと大きなところでの票の売り買いのところには、警察は顔を出さない。 

 そして6大テレビ・5大新聞(そして、その背後の 電通)はすべて、アメリカの意向を受けて、日本国民を情報で洗脳し続ける。私、副島隆彦は、この事態を、「日本国民は、目を潰(つぶ)された羊の群れだ」と表現している。 国民の指導者たちである政治家を、石原慎太郎のように、アメリカの言いなりになるように動かされるから、日本は、いよいよ危険な方向に連れられ行きつつある、と考えている。「その先には、危険な崖が待ち受けている」と  私は冷静に考えている。

 選挙の話題が終わったら、このあとは、すぐに、今の大不景気のままで、次に、またしても、中国との軍事衝突の危険を扇動(せんどう)するメディアの報道が続くだろう。 これが、これからも数年間ずっと続く。① 地震(自然災害)の恐怖で脅されて、その次に② 金融恐慌がやってきて大不況が続き、そして③ 戦争に危険が迫る。 私は、この80周年の周期で必ず、襲い掛かってくる歴史の法則を示して、すべてを冷酷に見ている。このことを、私の近著の『ぶり返す世界恐慌と 軍事衝突 』(祥伝社、2012年11月初刊)と、『個人備蓄の時代』( 光文社刊、2012年10月)の2冊で書いた。

 維新の会の石原慎太郎と橋下徹は、54議席を取ったが、自民党の大勝の前に、苦虫を噛み潰している。石原は、自分が悲願として掲げる「憲法改正」の動きが自民党に規制されることがいやなのだ。息子二人は自民党だが、安倍政権では反主流だ。小泉純一郎の息子も党内で大事にされない。自民党の派閥政治の争いがすぐに復活するだろう。

 原子力発電所(原発)は、停止してあるものをある程度、動かすしかなのだ。今の電力を、自然(再生)エネルギーで賄うことはできない。最新鋭の新式の火力発電所( 輸入する天然ガス、原油、そして石炭が燃料)をどんどん作るとしても、今の原発も新しい物は、使うしかない。 原発から出る核廃棄物の処理が大変だ、危険極まりない、と皆、考えている。

 しかし、私、副島隆彦は弟子たちと、2011年3月12日の原発事故の直後から福島の現地に行って、自分の体であれこれ調査し、自分の頭で考えて、大きな真実を知ってしまった。 それらを、私たちは誠実にずっとこの 学問道場で、報告した。

 私たち学問道場は、「原発の危険をあまりに言い過ぎてはいけない。福島で漏れた放射能は、全部でもほんの微量であった。だから、作業員も、地元に子供たちも、誰も、放射能のせいで発病した者はいない。これから先も誰も発病しない」 と真実を、書き続けた。

 それなのに、40万人ぐらいのここの私たちのサイトを見に来てくれた人たち以外には、私たち学問道場の主張は、聞いてもらえなかった。それで、「放射能コワイ、コワイの大合唱になった」 それが、「脱・原発」の国民的な大合唱になってしまった。 彼らは、福島の現地に行くこともせず、福島の原発近くで全員、元気で生きている事実も自分で確認することもなく、コワイ、コワイを今も言っている。 同じ日本国民なのに、どうして、皆で、大きな事実を確認しあうということをしないのか。

 私、副島隆彦の判断では、セシウムが今も大量に漏れ出ている、というのは虚偽だ。本当の専門家である 日本全国の放射線医学者(代表、長瀧重信=ながたきしげのぶ= 山下俊一=やましたしゅんいち=)、放射線物理学研究者たちの圧倒的な多数が、『この微量放射能では人体に被害は出ない』という専門家たちの声に、少しは耳を傾けてください。

 それから、福島の現地の 住民たちと共に生きてください。現地に行って、現地を見て、現地の人たちと話をしてください、と私たちは、訴えた。 私、副島隆彦は、何かあったら、現地に行って現実を自分の目で見る。たとえ 大砲や銃弾が飛び交う現場であっても、私は、行ける限り現場に行く。本物の知識人ならそうすべきだ。そしてそこで死ぬなら死んでいい。何を恐れることがあろうか。 

 私の熱心な読者のひとりは、日立製作所(日立が、東芝や三菱重工よりも 3倍大きな本当の重電会社だ)の原発製造技術者だ。彼から、ずっと教えてもらって、「日立が、これからも、責任を持って世界中に原発を作って売って回るんですよ」と憮然として語っていた。

 核廃棄物の処理は危険で出来ない、「トイレのないマンションだ」と多くの、深い知恵のない人たちが言うが、放射能自体が、それほど人体に危険なものではない、と私は、分かったので、「4シーベルト以上の放射能を一瞬で浴びた人は230日後に全身が焼けただれて死ぬ。しかし、1シーベルトぐらいなら何も起きない。元気のままだ。いや、もっと元気になる(ホルミシス効果)」と いう大きな真実を私は知ってしまった。

 このことを、私たちの学問道場で、ずっと詳細に報告した。このあと弟子たち12人と書いた『放射能のタブー』(KKベストセラーズ刊、2011年11月)で、さらに正確に丁寧に、大きな事実をたくさん書いた。それなのに、私たちの学問道場の会員の外側には、この 私たちの主張は、少しも届かなかった。そのことが、残念でならない。

 原子力エネルギーとか放射能の危険と恐怖を、過度に、ことさらに言うことは、それが業界・業者たちと政治・行政にとってお金になるからだ。原発を管理することと、廃棄物処理に必要以上に、多くの費用を掛けるように仕向けるように、この方向に向かって、すべてが動いてしまった。あの優秀なはずのドイツ国民でさえ、このような、扇動と洗脳に乗ってしまっている。 

 私、副島隆彦は、今も進行している事態が、残念でならない。すべてが大きく仕組まれているのだ。政治は洗脳であり、報道・メディアも洗脳であり、国民教育も洗脳であり、ナチュラル・サイエンスの成果でさえが洗脳の手段として捻じ曲げられてしまう。
 
 だから、女性に特に多かった、「原発をすぐに止めて」のヒステリー症状に、日本全国が引き連られた。これで未来の党(嘉田由紀子代表、滋賀県知事)は、女性の反原発の感情的な恐怖感に乗りかかって、この「反(脱、卒)原発」を今度の選挙の焦点にしたことは間違いであった。 小沢一郎までが、女性と社会的な弱者たちに向かう政治家を目指してしまったので、この反原発の政策に(本心は別としても)安易に乗ってしまったことが、私は残念だ。 

(転載貼り付け始め)

「 衆院選:未来の党、小沢一郎氏 生き残り戦略は誤算に 」

毎日新聞 2012年12月17日 

 「日本未来の党」に合流して生き残りを図った小沢一郎元民主党代表の戦略は誤算に終わった。未来で小選挙区を勝ち残ったのは、強固な選挙基盤を誇る小沢氏(岩手4区)と亀井静香氏(広島6区)の2人のみ。嘉田由紀子代表(滋賀県知事)の清新なイメージで「小沢チルドレン」らの生き残りを図った戦略は「小沢隠し」とみなされ、完全に裏目に出る結果となった。

 「小沢王国」とされた岩手県内4選挙区でも、小沢氏とたもとをわかち民主党に残留した階猛氏(岩手1区)、黄川田徹氏(岩手3区)は逆風の中で勝ち残った。小沢氏は最終盤に岩手県に入り、異例のてこ入れをしたものの、未来候補は落選し、地元でも小沢氏離れを印象づけた。【中島和哉】

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 私は、小沢一郎が、世界政治の大きなうねりの中で、これからも命ある限り、何度でも捲土重来を期して、そして、若い人間たちをさらに育てながら、持久戦(じきゅうせん)を続けてほしい。しぶとく闘い続ける持久戦の戦略こそは、日本国民を決定的な危険と敗北から救出する道だ。

 原発推進であるはずの、あの石原慎太郎でさえ、「原発を止(や)められるならやめたがいい」と言った。私は、この男は、以下のように正直に言うのかと思っていた。「原発をどんどん動かせばいいんだよ。そこで出来るプルトニウム(イエロー・ケイキ)で、日本の独自の技術で核兵器をさっさと作って持ってしまえばいいんだ。日本が、中国みたいな、あんな国に馬鹿にされたままではいけない」と 正直に言うべきなのだ。
 
 それなのに、石原慎太郎は、小沢一郎が満身創痍(まんしんそうい)になって闘い続けた「官僚主導政治を打ち倒す」を、今の時期になって、石原慎太郎が、「中央の官僚たちが政治の実権を握っている。彼らの力はものすごく大きいものだ。これを政治家たちが取り戻さなければいけない」と、今度の選挙の間に言い続けた。 自分が、アメリカの忠実な手先に成り下がっているのに、官僚たちに対してだけは闘いを挑んで、そして勝てる、という戦略だ。

 私、副島隆彦は、日本国にとっての大物政治家である 石原慎太郎や 橋下徹 たちと対等に、議論をさせてもらえる立場もチャンスも与えられない。しかし知識人、言論人としての土俵(どひょう)で彼らと言論戦をする機会があるなら、やってみたい。日本国のこれから向かう方向について、彼らと 何(なに)臆(おく)することなく干戈(かんか)を交えてみたい。「アジア人どうし戦わず。戦争だけはしてはいけない」という、私が作った“大手”をかけるコトバを彼らに投げつけてみたい。

 このようにして私たちが支持し、期待した 小沢一郎の政治勢力(今回は200万人だった。私は、2000年の自由党の時に小沢一郎ひとりで 600万票を集めたあの時の小沢一郎を支持する勢力を今も日本国民の中の私たちの味方勢力だと思っている)の大きな退潮という結果に私たちは、今度の選挙で直面した。

 このあと政治の話題は、急激に消えて、私たちひとりひとりは、この大不況をどのように生き延びるかの苦労と苦難が待っている。私のコトバでは、「目を潰(つぶ)された哀れな羊の群れ」である日本(人)が、このあと連れて行かれる危険な崖から落とされることなく、迫り来る軍事衝突、軍事国家化、そして戦争という 大きな危険からぎりぎりのところで脱出できる方策を、私は自分の知能の限りを盡(つく)して、この先も必死で考え続けます。 副島隆彦拝