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前田和寿 投稿日:2013/05/06 08:56

【1121】[1276]ゴールドマンサックス証券のキャシー・松井が提唱する「ウーマノミクス」

前田和寿です、

1275記事の成長戦略としての女性活用はゴールドマンサックス証券のキャシー・松井の「ウーマノミクス」からですね。

ウーマノミクス:
http://www.goldmansachs.com/japan/ideas/demographic-change/womenomics-2011/

黒葛原誠二 投稿日:2013/05/05 10:09

【1120】[1274]おばた健太郎氏 東京都議会に挑戦します!

初めて投稿します。学問道場会員の黒葛原です。

東京都議会議員選挙が6月14日告示日、6月23日投票日で行われます。

その選挙に副島先生のお弟子さんであり、小沢一郎政治塾出身であるおばた健太郎

(おばたけんたろう)氏が挑戦します。板橋選挙区、定数:5のところに9人立つ

予定で苦戦が予想されております。そこでお願いなのですが学問道場の会員の方

でお手伝いしていただける方いらっしゃいませでしょうか?有志を募っています。

既に活動ははじまっていまして、来週には事務所開設も予定しております。主にビラ

の手配りや、ポスティングをお願いしたいと考えております。ご興味あるかた下記

メールまでご連絡くださいませ。

info@obaken.com

おばた健太郎ホームページ
http://www.obaken.com/

田中進二郎 投稿日:2013/05/02 09:04

【1119】[1265]コントの社会学とアメリカ政治思想」

「コントの社会学とアメリカ政治思想」
前回は、コントが多大なる影響を受けたサン・シモンの「産業・平和」主義まで書きましたが、今回は、自然法と人定法について書きます。コントは少し後回しで、アリストテレスとキリスト教について書きます。

まず、副島先生の『現代アメリカ政治思想の大研究』(筑摩書房 1995年刊)
P116-「自然法」と「自然権」の対立-より引用します。

(引用開始)
アメリカの法思想・法哲学界は保守派内部が大きく、(A)ナチュラル・ラー natural law(自然法派)と、(B)ナチュラル・ライツ natural rights (自然権)派に分かれるとされている。この大きな事実を、日本の知識人で知っている人の文章を私はこれまでに見たことがない。
(中略)
(A)自然法というのは、ギリシャ古典哲学のアリストテレス(394-322B.C.)にまで遡る大思想であり、その内容は、「人間社会には、それを成立させて、社会を社会、人間を人間たらしめている自然のきまり、掟(おきて)があるはずである」というところから始まる。ただしそのナチュラル・ラーそのものが何であるかは、誰も見た人はいないのだから、この2500年間、少しもはっきりしない。ただそれでも、この「自然法(自然のおきて)」は必ずあるのだと、西洋政治思想史の中でずっと考えられてきた。

さらに中世になって、「この『自然のおきて』ナチュラル・ラーを定めるのは、やはり神(God)である」「自然法は神の意志だ」と説明しなおしたのが、トマス・アクィナス(1225?-74)という13世紀のイタリアの僧侶かつ大神学者である。
彼が書いた本が『神学大全』(スンマ・テオロジカ)である。

(引用終わり)
田中です。トマス・アクィナスの『君主の統治について』(訳 柴田平三郎 岩波文庫)という小著作には、12世紀以降にイスラム世界から、いくつかのルートを経て、ヨーロッパに流入し、受容されたアリストテレスの影響がみられる。トマスはアリストテレスから学ぶことによって、いったい何を主張しようとしているのか。それは、政治という営みが人間にとって「自然的」なことだという観念である。これは中世のアウグスティヌス以後のキリスト教の伝統的教説とは異なっている、と上書の訳者柴田氏は述べている。トマス以前には政治の営みや国家というのは自然なものではなく、政治は「人間による人間の支配」(奴隷制)であり、政治や国家は「必要悪」以外のものではなかった、と柴田氏は言う。
『君主の統治について』(P195~)の解説部分より引用します。

(引用開始)
人間の自然的本性を出発点として、政治や国家の自然性を説くトマスの論理展開は、本書の第一巻第一章に明快にみることができる。今その骨組みのみを単純化して図式で表わせば、次のようになろう。すなわち、

「人間は自然本性上、社会的・政治的動物である。 →他の動物との違いは人間だけが理性と言語をもつ。 →その理性と言語によって社会生活が可能 →しかし、その社会生活に統治は必要。その統治は社会(集団)の共通善に配慮する者によって保障される。→自由人と奴隷の違いは前者が自分自身のために存在し、後者は他者のために存在するところにある。正しい支配は集団の共通善を、不正な支配は支配者の私的善を目指す。
(以下略)」
(引用終わり)

田中です。柴田氏によれば、トマス・アクィナスはアリストテレスの『政治学』『二コマコス倫理学』の「政治的(ポリス的)動物」(politikon zoon)を知悉(ちしつ)したうえで、『神学大全』をはじめとする、自分の著述に「社会的及び政治的動物(animal sociale et politicum)」という言葉を用いたという。
これを、これ以上論究すると「神学(シオロジー)」にどうしてもなってしまうのでやめるがこのときに、キリスト教の中に「原始状態(原罪以前の無垢な状態)」というのがトマスによってインプットされたようである。これが自然法のひとつの流れになっているでしょう。

ところで、副島先生が昨年出された『隠されたヨーロッパの知の歴史―ミケランジェロとメディチ家の裏側』の第二章「押し潰されて消滅させられたプラトン・アカデミー」には
次のような記述がある。(p107)

(引用開始)
ゲミストス・プレトン―(1360~1452:コジモ・ディ・メディチがギリシャからフィレンチェに招いたビザンチンのプラトン学者 プラトンに心酔して自分の名もプレトンと変えた。田中注)は、プラトンの信奉者だから、アリストテレスのフィロソフィーを徹底的に嫌って激しく批判した。おそらく彼は、アリストテレスの中にある金儲け肯定の思想(エクイリブリム。平衡、均衡)と現実主義(リアリズム)を嫌ったはずだ。それとの戦いだった。「金儲け活動を認める」という思想がアリストテレスの思想の中にある。それに対して、「イデア idea」なる言葉であらわす理想主義(アイデアリズム)であるところの、プラトニズムを徹底的に主張した。彼らネオプラトン主義者たちの大半は、アリストテレス思想で作り直されたカトリック神学を強く疑った。このあたりを、もう少し後で解明する。
ここが非常に重要なところだ。
(引用終わり)
田中です。話を最初に戻すと、アリストテレスの「均衡」というのは、キリスト教会(カトリック)でも、アメリカの政治思想(永遠の相の下での保守思想)でも支配者の思想以外ではありえないだろう。「金儲け肯定+現状を守る(リアリズム)」だ。なんだか、日本の禅宗のお坊さんと共通してないだろうか?(『隠された歴史』そもそも仏教とは何ものか? 副島隆彦著 KKベストセラーズ)

ここでもう一度「現代アメリカ政治思想の大研究」に戻ろう。
p145~P148より引用します。

(引用開始)
現代保守思想最大の対決―「自然法」派(A)VS 「人定法」派(D)
(A)ナチュラル・ラー(永遠の相の下の保守思想)派は、「現在のわれわれに救えないものは、救えないものとして放っておくしかない。」「たすける余裕がない以上、たすけられないのだ。」というだろう。もし人類の一部が、環境激変などによって大量死しなければならないのであれば、「それをそのように、そのまま放っておく」ということである。それがナチュラル・ラー=自然の掟だ。これが保守思想の本態であると、私は理解している。

(D)のポジティブ・ラー「人定法」派(ベンサマイト=リバータリアン)は、中小企業の経営者(商売人)や独立自営農民(農園主)の思想であるから、やはり(A)のナチュラル・ロー派よりももっと強固に、「人間にどうしようもない現状は、やはりそのままほおっておくしかない。」「自分の生活を守るので精いっぱいであり、自分の生活が最優先する」(中略)という態度をとる。すなわち、彼らは自力救済を愛するのであり、自助努力の人である。はじめから社会や他人を当てにする人を嫌う。(中略)バーキアン(エドモント・バークの思想)と異なるのは、そのことをためらわずにはっきり言うことである。
(中略)

あれこれの人類博愛理論の本質を見抜いてその悪をよく知っている、という意味では(A)と(D)は共通している。しかし(D)のほうが、庶民の目として(A)よりもはっきりとすべての事態を見抜いているというべきだろう。

(引用終わり)
(A)のナチュラル・ラー派と(B)のナチュラル・ライツ(自然権)派と(c)のヒューマン・ライツ(人権)派ここまでが自然法の立場で、(D)が人定法の立場である、と副島先生は述べられている。

さて、オーギュスト・コントの人定法思想は(C)と(D)の両面をその性質上もっていると考えられる。後期のコントの思想は『実証政治学体系』に代表されているが、これはもう人定法の思想というよりも、人類愛の思想であるといわれている。上の副島先生のアメリカ政治思想図式でいうと、(D)の立場というよりも、(C)のヒューマン・ライツ(人権派)だ。ヨーロッパではドイツの思想家フォイエルバッハのような人類教だ。19世紀ヨーロッパにおける、コントの人定法思想(均衡、保守)と社会進化の思想が、大西洋を渡ったあと、北アメリカ大陸では大きく分かれていったと解釈するべきなのであろう。

山本晴義著『対話近代思想史』によると、1840年代にフーリエ主義が北部アメリカのボストンから始まるが、アメリカ経済の成長とともに、フーリエ社会主義は力を失う。
「アメリカ・フーリエ主義」の後からは南北戦争後までオーギュスト・コントが影響をもつ。『実証主義哲学講義』のいう神学段階、形而上学段階から、アメリカは実証主義の段階に入った、と山本氏は述べている。

そして南北戦争(1861年~65年)の危機が迫るにつれて、南北にコント思想受容に違いがでてくる。
以下『対話近代思想史』(三一書房)p76より引用(一部要約)します。

(引用開始)
奴隷制度を是認している南部ではジョージ・フィッツヒューの『南部の社会学』(1854年)にみられるようにコントの「秩序」の学、「社会静学」の面を強調して、それを正当化する。

北部の方では、コントの進歩の学、「社会動学」の側面を強調し、「社会科学へ」の時代を説く。コントの『実証哲学講義』のマルティノ女史による抄訳(しょうやく)が出たのは1853年。(中略)

南北戦争以前から、「アメリカ社会科学運動」(American Social Science movement)、社会改造運動が高まりが設立される。
そして南北戦争後のアメリカ資本主義のとてつもない繁栄の中で、今度はコントに代わって、ハーバード・スペンサーが時代の寵児(ちょうじ)となった。ハーバード・スペンサーはアメリカを訪米して帰国の際に、「アンドルー・カーネギーとユーマンズ(?)がアメリカの最高の親友だ。」と語ったという。
(引用終わり)

最後に。ついでにイタリア・ルネサンス関連。プレトンの肖像画が、『隠されたヨーロッパの歴史』のp103に掲載されています。その絵の中心にはコジモ・ディ・メディチが馬上にのっていますが、プレトンの周りにはユダヤ人たちも多く書かれているということです。ビザンツ帝国の崩壊を目前にしてフィレンチェにやってきたものもいるでしょうし、メディチ家の商売に関係している者かもしれません。しかし、その中にカバラの教え(ユダヤの秘教)を受け継ぐひとびとがいて、ピーコ・デラ・ミランドラはそれに影響をうけた。(『ミケランジェロの暗号』(ベンジャミン・ブレッグほか著 飯泉恵美子訳 早川書房)より。絵の名前は失念いたしました。

オカルト(occult)という言葉の語源はラテン語で「隠された」という意味だそうです。
だから『隠されたヨーロッパの歴史』『隠された歴史 そもそも仏教とは何者か』の両著作には、オカルト・パワーもたくさん入ってます。(読み過ぎにご注意ください・・・)
  
田中進二郎拝

大城義和 投稿日:2013/04/30 19:17

【1118】[1264]世界像/思考データ

世界像/思考データ

大城義和です。
世界像を、情報通信革命シミュレーションし、仮想世界像を、最構築最構成してみます。

<構造/ストラクチュアは変化しない>

例えば<私>という、記号がある、世界像という、インフォメーション=情報がある、とする際の、人間のCPU=頭脳、による、コード解釈/翻訳のプロセス、そして、記号という<私>である<私>のヴァーチャル化。情報という<私>が思考する、動学的な情報、と、ジオポリティックス、そして、音楽的で映像的な、感覚や感性の世界像。ここに、<私>というパーソナル・コンピューター的シミュレーションしてゆく、思考パターンデータがあるとする、それは、つまりは、イメージのプログラミングと類似性を持つ、そういう、知性情報の海とでもいうべき、イメージの建築的論理像が、組上げられる、思考パターンの膨大な数々。世界圏という、生産性の情報もある、その時、<私>と<仮想の私>と<世界像>を、思考パターンデータに、情報通信革命シミュレーションする、そうすると、インフォメーションは、有機的構造体として知覚することが出来る。実は、世界像は、変化している。

<構造/ストラクチュアは変化しない>

世界像は仮想化可能であるし、<私>も仮想化出来るし、<仮想の私>もさらに仮想化する事も出来るかもしれない、つまり、思考であるとか、イメージであるとか、論理はいくらでも構築可能であるし、最構築可能でもあるし、最構成可能でもあるし、論理を解体して、新しい論理を構築してもよい、しかし、だ。

<構造/ストラクチュアは変化しない>

情報通信革命を信じるか、信じないか。情報通信革命を活用するか、活用しないかが、問題ではない。とするなら、<私>は、仮想化するという、イメージや、感覚とか、感性の可能性を信じるか、信じないか、が、重要な記号ではないのか。論理像や世界像は変化すると思考しても、知性情報の海という、知のメタファーが変容しように視覚出来ても、それは、情報通信革命シミュレーションのようなものであるから、構造/ストラクチュアは変化しない。

<構造/ストラクチュアは変化しない>

世界は、情報通信革命で構築された、論理世界像に変換することを、思考することも、可能であり、それは、仮想世界像という、世界像の最構築最構成であり、まさに、情報通信革命は、論理の最構築と最構成である。それを、インフォメーションとかインフォメーション・テクノロジー=ITとかいうのであり、情報通信革命による世界圏は、有機的構造体システムでもある。

<構造/ストラクチュアは変化しない>

冒頭で申し上げた、世界像を、情報通信革命シミュレーションするということは、つまり、現在の我々、人類の、日常生活のことでもある。そして、パーソナル・コンピューターや、インターネットによる、世界生産圏とは、現実の私たち、人間の世界であり、仮想の世界でもあり、つまり、知性情報の海というべき知のインフォメーションは、人類・人間が論理や思考により、構造体を最構築最構成してゆく、という、パターンと近似してゆく。

<構造/ストラクチュアは変化しない>

我々、人類は、誰にもコントロールされない、ひとりひとりの人間として、生活をすべきである。

大城義和拝

田中進二郎 投稿日:2013/04/29 05:36

【1117】[1263]清水幾太郎著 『オーギュスト・コント』を読んで(1)

今日のぼやき」(1374)日本の「主権者」は一体誰なのか  を読んで
                         田中進二郎      
副島先生が「今日のぼやき」(1374 会員のみ)で『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』の第4章について加筆されています。一部だけ引用させていただきます。

(引用開始)
アメリカ政治思想の対立を、さらにその源流であるイギリスからもたらされたヨーロッパ全体の政治思想と法思想の体系図を含めて明瞭に描き出し、そして説明した。
(中略)

ポジティブ・ラー のもとになった人定法(じんていほう)という思想の原理であるところのポジティビズム(positivism)というものについても私は述べている。これは日本では実証主義という言葉で訳してきたが、これが大変な大間違いで、意味不明である。本当は人間たちが決めるという思想である。それに神(天)が決めるのではないという考え方である。 そして、このポジティビズムをつくったのは、フランスの1830~1840年代の思想家である オーギュスト・コント(1798~1857) という男である。コントが、cause and effect(原因と結果)という考え方に基づいてつくった。そして、このcause and effect(原因と結果)という思想でコーザリティとも言う。AゆえにB、BゆえにC、CゆえにDという論述の仕方を定めた。これが因果律(いんがりつ)と訳すとおかしくなるが、このコーザリティ、原因と結果という考え方で全てのサイエンスの論文を書くことをはっきりと定めた。 だから、このオーギュスト・コントこそは、この人定(法)思想の創始者であり、フランス革命から後40~50年でフランス社会に出現した、学歴は何にもないのだが、10巻本ぐらいのすばらしい大論文集を書いた人物である。このコントのポジティビズムから学んだイギリスやドイツの知識人たちが、社会学(ソシオロジー)とか経済学(エコノミックス)の論述の仕方等をつくっていったのである。だから、このポジティビズムという、神ではない人間が決めるのだという思想を中心に政治思想と国家体制論を考えなければいけないのである。

(引用終わり)

田中です。オーギュスト・コントの人定法思想(ポジティヴィズム 実証主義)が18世紀後半に隆盛した啓蒙主義の自然権(ナチュラル・ライツ)とどのような対立があるのかについて、副島先生が大きな流れを解説してくださっています。

また私が読んだ限りでは、「副島隆彦の論文教室」に鴨川光(かもがわひろし)氏の論文(『サイエンス=学問体系の全体像』の(28から31)(論文番号162から166)の内容がサン・シモンとオーギュスト・コントの社会理論や社会学とは何かについて、鋭く論じておられるので、非常に納得できました。

お二人の文章に匹敵するものなど書けるはずもありませんが、清水幾多郎(しみず いくたろう  1907-1988)の『オーギュスト・コント-社会学とは何か』(岩波新書 黄版)を読み直し、啓蒙主義からコントの社会学への流れについて書こうと、思います。(二回に分けます。)

清水幾太郎は大学2年のとき、(1929年)にオーギュスト・コントの研究を始めたという。
マルクス主義者であった、清水にとってマルクス主義の魅力とは、ブハーリン(1888-1938)に負うところが大きかったという。彼の「史的唯物論」(1921年刊)に影響を受けていた。ブハーリンは、史的唯物論をマルクス主義社会学と考え、マックス・ウェーバーやジンメルを批判した。しかし、1920年代終わりころには、「正統」とはみなされなくなっていた。後にスターリンの権力が増大していくにつれ、トロツキーに続き、ブハーリンも失脚し、1938年裁判によって、スパイと宣告され銃殺される。

清水は教条化していくマルクス主義に深い懐疑を抱き、そのときにマルクス主義そのものが、評判の悪いオーギュスト・コントの「総合社会学」の一種ではないのか、と考えはじめたという。
(この「総合」の意味について、鴨川さんの上記の論文『全体像』(31)をごらんください。)

オーギュスト・コントはフランス革命が破壊した、アンシャン・レジーム(旧体制)側の家系に生まれている。父は土地の徴税官であり、両親ともに熱心なカトリック信者であった上に王党派であった。オーギュスト・コントの本名には、あのスペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルからとられた、グザヴィエ(Xavier)がついている。
ロベスピエールが1794年にギロチン刑にかけられた4年後に彼は誕生した。

コントが17歳の青年になったときには、ナポレオンはセント・ヘレナ島に島流しにされ、フランスは王政復古(Restauration)した。25年ぶりにフランスに平和が訪れた。
ナポレオンの軍事的栄光.は消え、啓蒙思想家が説いた人権の思想・社会契約論は19世紀にあっては虚偽になっていた。「コントは若くして老いた」と清水は書いている。

絶対者の思想がこのとき廃棄された。代わって、相対の思想が登場した。コントは「一切は相対的である。それが唯一の絶対的原理である。」と『実証政治学体系』(1824年)で述べている。

19歳のときに、コントはサン・シモンのもとで彼の著述の助手を行うことになる。
サン・シモン(1760-1825)はアメリカ独立戦争の時には、フランスの援軍の砲兵隊長として、アメリカ独立軍とともにイギリス軍と戦い、独立戦争最後の戦い、ヨークタウンの戦いでも活躍した人物である。
フランス革命時には貴族の家柄であったことが災いして牢獄に入れられ、ギロチン刑にかけられるところであったが、ロベスピエールが先に断頭台に消えたために、死なずにすんだ。
彼は革命というものに心底から懲りた人間であった。40歳のサン・シモンがコントに「何があっても革命だけはいけない。」と教えたとき、コントの心の中に転向、あるいは回心が起こった。
時代もまた、革命から、産業発展へと移りかわっていた。啓蒙主義の「自由・平等・博愛」から「産業・平和・自由」へと世論の求めるものも、抽象的な理念から、現実的な利益になっていた。
(以上 同上書p62より)

サン・シモンはこの機を逃さず、1816年に『産業』(全4巻)を著した。この書物の中で
、王侯・貴族ではなく、実際に有益な労働に従事する産業者(les industriels)こそが社会の担い手である、と説いた。
清水幾太郎が指摘するのは、産業革命期に入り、industryの意味が変容したという点である。もとは『発明』を意味する言葉であったが、『機械の使用による物質の変形』へシフトした。のみならず、industrieは意味を大きく乗り越えて、『すべての平和的で有用な活動』をさすようになった、という。(p74)
確かに英語のindustrious にその意味がありますね。

サン・シモンのいう「産業者」は同時にこの二つを指している。すなわち、発明を行う「科学者」(理論)と、「直接的生産者」(実践)を同盟させたのである。

ところでルソーの『エミール』には「市民」と「芸術家」を上手にわけて教育しましょう、という理想教育が説かれている。が、ルソーのいう「市民」とはなんと抽象的な市民であるとか。これに比して、サン・シモンは現実的な人間関係の中から、役に立つ人間を摘出しようとする。その意味で、彼が『階級』の発見者であるといわれている。

『サン・シモン著作集』(森博 訳)の中の『組織者』(1819年)という論文には「サン・シモンの寓話」として知られる話がある。それには「王侯・貴族が何千人といなくなったとしても、世の中はきちんと動くことであろう。だが、フランス国内の数千の産業者がある日突然姿を消してしまったら、一体この国はどうなってしまうだろう。」
というようなことが書かれている。
これはアイン・ランドの『肩をすくめたアトラス』の小説と設定がよく似ているな、と思います。
つまり、サン・シモンの構想する産業社会は社会有用の人間、社会において重きをなす人間と、余剰でもある人間とに大別できるということでしょう。
コントの「人定法(実証主義)」については稿を改めて書きます。
田中進二郎拝

会員番号7646 投稿日:2013/04/26 08:51

【1116】[1262]タイ旅行

副島先生へ送ったメールの転載です。

副島隆彦から

メールをありがとうございます。
○さまが、奥さまと 今の中国人の 世界をすべて見てやろう、という
精神にのっとって タイ国に 旅行なさったとのとこで、 その 体験、目撃談を
ありがとうございます。  私も、なんとか バンコクに 20年ぶりに、そして
チェンマイへも 行かねばと思っています。 この20年で、アセアン諸国が
ものすごく発展しました。  成長国家というものの 凄さを忘れてしまっている
日本で、 私なりに 先進国の 次の生き方を 考えなければいけません。
答えが、みつかりません。  このことが今の私の大きな課題です。

>>>>>
ここ数日程タイへ旅行に行ってきました。

タイには数年前に初めて旅行に行ったきりだったのですが、その時は
中国人(大陸人)はほぼ見かけませんでしたが今回はいたるところで見かけました。
ほとんどはツアー旅行者ですが、中には個人旅行(バックパッカー)をするという
強者もいました。今、タイ旅行は中国ではブームのようですね。

バンコクには華僑、華人がいるせいか中国語を話せる人がそこそこいます。
20-30%位は体感でいるようです。
「タイ語も英語も話せないから、中国語話せる?」と聞くと
「少しなら…」と返って来る事が多々ありました。
東南アジアは華僑、華人が多いと言いますし、広く薄く話せる人がいる
中国語がこの地域の共通語なのかなと思いました。

バンコクにも中国同様日本で就職ができないので流れて来る若者が
かなり多い様でした。私が泊まったホテルの周辺にもコールセンターが
あるようで長期滞在の友人曰く
「大体月給10万円以下じゃないかな、12時間働いてるとかざららしいよ」
との事でした。とはいえ、彼らのお給料は外貨ですし円がさらに安くなったら
「日本国内で働いているより全然いいじゃない」ってなるんだろうなと思います。

求人について。日系の会社がかなり来ているので日本人の募集がかなりあるのは周知の事ですが、
新聞を見ていると中国語の求人もかなりある様でした。月収はそんなには高くない様です。
ハイレベルのもありましたが、さすがに泰中英語流暢等求められるものが高いです。

タイ人の生活(バンコクに住んでいるホワイトカラー&商売人)の生活水準はかなり上がっている様です。
街行く人は、サムスンやアップルのスマホを持って、新聞を見れば○万バーツの海外旅行の記事が
踊っています。タイの活気や暖かい気候を目の当たりにしてお恥ずかしい事に惚れ込んでしまいました。

米軍人が遊ぶ為に開発したと言われているパタヤビーチは、やはり白人が多かったです。
その中で目についたのは英語とロシア語の両併記の看板、張り紙がかなり多かったという事です。
極端な例では露店の果物売りでさえロシア語を表記しているという所でした。
ロシア人の観光客が多くて、白人達の中ではお金を沢山使ってくれるんでしょうね。
街中に溢れている昼間から飲んだくれているファラン(タイ語で(不良)白人)を見ていて、
欧米でも帰れない人、孤独な人多いんだろうな、あっちも大変なんだなと思わされました。

ホテルにある中国語の新聞を読んでいて円は今年対ドル○円位
までいくんじゃないかと書かれていて「まさか~」と思っていましたが
その2,3日後に先生の新刊をバンコクの紀伊国屋で見つけて同じ事が
書かれていてビックリしました。

不動産について。タイに長く住んでいる人によると今バンコク市内の
コンドミニアム(高層マンション)は大体平均○○万円/1平米との事でした。
ここ数年で一気に上がったようで、その人は盛んに「バブルだ!」と
言ってました。外国人が買うというのも多い様です。
タイ語が余程流暢かタイ人の知り合いがいないと騙されるとも言っていました。
不動産に関わる騙しも同じ、こういう所は世界共通なんですね。

金について。旅行終盤頃に金が暴落しました。それから数日後、中国語新聞を読んでいると
「バンコクのチャイナタウンにあるお店に人が殺到」という記事を見てビックリ。
そこのお店は先日チャイナタウンに行った際に偶然中に入って見てきたお店でした。
街角にあるジュエリーショップという感じのお店なのですが、そこに殺到をしたようで
店内おしくらまんじゅうという状態でした。

今回旅行をして、中国語は少しわかる人がいましたが、英語は外国人と
関わる仕事(ホテルの受付とか)をしている人以外はわからない人が多かったです。
もっと楽しみたいなら現地の言葉が出来ないとダメだなって思わされました。
良い機会なので私も少し勉強してみようかと思っています。

以上。

堀内 投稿日:2013/04/22 17:38

【1115】[1260]1年前に金を買った時の話

会員の堀内と申します。
皆様の参考になればと思い、私も1年ほど前に金を購入した時の体験を投稿します。

特に割安な時期でもありませんでしたが、
私はある日突然ふと思い立って、友人を誘い、金地金を買いに行くことに決めました。
本当は手数料がかからないように先物で1kg現物受で買いたかったのですが、
そんな軍資金も無かったので、街の貴金属店で買うことにしました。
家から近いお店2軒に電話。まず手数料を聞き出しました。
値段が安くて電話対応が丁寧だった方のお店で買うことにしました。
「明日そちらへ買いに行こうと思ってます。○gと◎g一つずつ欲しいのですが」と言うと、
「○gはありますが、◎gは現在切らしておりまして、△gしかありません。運が良ければご来店の際に入っているかもしれません」と言われました。
「では○g1つと入荷してれば◎g1つでお願いします。無ければ△gで構いません。」と言うと、
「かしこまりました。今日の価格にするか明日の価格にするか今決めて下さい。」と言われ、
「今日の価格でお願いします」と告げました。

翌日、店頭へ行きますと、「もうすぐ◎gが入荷しますのでしばらくお待ち下さい」と言われ、少しの間待つことに。
そして金が到着し、友人が○g、私は◎g購入しました。
私は領収書にサインを求められただけでしたが、友人は私より多く買ったので、身分証明書の提示も求められました。国家権力に見張られているようで、嫌な気分になりました。
私は身分証明書を求められなかったので、偽名を使えば良かったと後になって後悔しました。
その後家へ帰り、金地金を袋から取り出し、家の秤で計ってみたところ、2g足りませんでした。そういうものなのでしょうか(笑)
皆様も計ってみて下さい。

すっかりお金を使い果たした私は、数日後、中国銀行に行きました。
防衛するほどの資産もありませんが、物珍しさに口座開設しようと思ったのです。
定期預金をしようと考えていましたが、定期預金は10万円からしか受け付けていませんと言われました。
10万円も持っていなかった私は門前払いです。
せっかく来たので手ぶらで帰るのもなぁと思い、普通預金口座を開いて帰りました。
周囲のお客さんは中国人がほとんどと金持ちそうなおじさんでした。

戸田 真一 投稿日:2013/04/22 00:27

【1114】[1259]預金を下ろして、金を買ってみました

会員の戸田と申します。この掲示板に、もうすでに何人かの金の購入体験記が掲載されており、興味深く拝見いたしました。私も、初めて金地金を購入しましたので、せっかくなので投稿いたします。

(引用開始)
私の弟子たちや学問道場の会員になっている貧乏な若者たちも、出来るだけ、銀行で数十万円でもいいですから(有れば、の話ですが)現金を身近に持ちなさい。
(重たい掲示板[1240]今日、4月1日から 預金封鎖=金融統制体制 である。皆、甘い考えを捨てなさい。から)
(引用終了)

この投稿を読んで、私は銀行の貯蓄預金口座の預金を下ろそうと決めました。私は40歳ですから、もう若者ではありませんが、貧乏には違いないです。ただ、自家用車の買い替えのために、少ないですが預金はしています。
銀行口座は、自分の財布のようなものと考えていました。しかし、今となっては、それは副島様が看破するように、「甘い考え」でしょう。当方は考えを改めて、本当に預金封鎖がだれの目にもはっきり分かるようになってからでは遅いので、今のうちに預金を下ろすことにしました。
当方もそれなりに毎日やることがあり、すぐには実行できませんでしたが、4月16日に、銀行で41万円を下ろしました。朝9時に、仙台市内のある銀行へ行くと、まだ誰も窓口を利用していませんでした。銀行員がどういう反応をするのか興味はありました。払い出し用の用紙を窓口に出すと、10分後に、あっさりと、預金が払い出されました。銀行員は、当方に余計な事を話しかけはしませんでした。下ろしたお金は、副島様の助言のとおり、1年後か、2年後にしようと考えている、自家用車の買い替えまで、手元に置いておくことにしました。
ところが、翌日、4月17日の昼間に、職場でインターネットのニュースを見たら、金価格が暴落した、と目に入りました。これまで5千円を超えていたのが、4600円だか4700円台になった、とのことでした。大暴落、だそうです(15日から相場がおかしかったようですから、当方は2日遅れで知ったわけです)。
 この大暴落がなぜ起こったのか、の分析は、とてもできませんが、副島様の『今こそ金そして銀を買う』を買って読んでおりましたので、貴金属の購入には、興味を持っておりました。当方でも、ほんの少しの量なら、買えないこともありません。しかし、金も、1グラム5千円を超えている時に買うのは、なんとも高いな、5千円よりも下がってくれないかな、と思っていました。
 ともかく、せっかくお金を下ろして、50万円手元にあるのだし、金の値段がまた上がり出さないうちに、このさい100グラムの金地金を買うことにしました。金地金の値段と同じ数値を、銀行の通帳の上で見ていることからの、転換です。銀行の普通口座に預けていても、「宇宙刑事ギャバン」のような率の利息が付くだけです(笑)。
 ひょっとしたら、学問道場の重たい掲示板に、何か書いてあるのではないかと、見てみると、金価格が下落した、との書き込みがありました。
さて、地金をどこで買うか、を考えると、街中のキレイすぎて、入ったら落ち着かなさそうな、有名貴金属店に、私の身なりで出向いてゆくよりは、通信販売で買ってしまおうと思い、以前からインターネットで見つけていた、神戸市にある、どこかの国の諜報機関?と同じ略称の店に、注文することにしました。
 4月17日の夜に、その神戸の店に、ホームページ上のフォーマットに書き込んで、金地金100グラムを1枚注文しました。名前と住所、電話番号を書くくらいでした。翌日の午後12時から1時の間に、当方に電話で連絡してもらうことにしました。

 18日に職場で、重たい掲示板を見ると、
(引用開始)
だから金(きん)を今こそ今の安値で買いなさい。まだ買ったことがない人は、100グラム(47万円)でもいいから買いにゆきなさい。
(重たい掲示板[1252]金(きん)が少し下がった今だからこそ買い増すべきである。から)
(引用終了)
との副島様の投稿を見つけました。
12時5分に、昨日インターネットで、地金購入の申し込みをした、神戸の販売店から電話を受けました。
 電子メールで販売金額を書いて、当方に送ったが見てみたか、と尋ねられたので、今は職場にいるため、自宅のパソコンに届いたメールは見ていない、と店員に伝えました。
 今、電話で話している時点での、金地金の値段は、1グラム4,538円、手数料は、5,250円、送料が1,000円、100gの金が1枚だと、460,050円であることを伝えられました。
 ここで注文を確定するなら、その後は、「相場商品のため、注文の取り消しは受け付けません」と伝えられました(時価で取引するものを、注文の取り消しや返品に、客の都合でいちいち応じるわけにはいかない、というのは分かります)。
 その金額で地金を注文する、と店員に伝えました。代金は明日午後2時までに、向こうに届くように払い込むのでよいことを確かめて、注文を受け付けてもらいました。
帰宅して、店からのメールを受信すると、本日1日のうちに、最低1度は、小売価格が変更されていたことがわかりました。当方の金額は、朝一番の金額(4,604円)よりも少し安かったので、まあ良かったと思います。

翌日、口座を持っているのとは違う銀行に行って、送金をしました。銀行員からは、口座を持っていないのであれば、身分証明書を見せてもらう必要がある、と伝えられたので、その通りにしました。印紙を貼った振込申込書の控えを受け取って、送金の手続きは終わりました。これで終わりかと思ったら、行員は私に紙を差しだして、今回の送金の目的は何か、用紙にチェックしてほしい、と話しました。用紙の上には細かい字がたくさん並んでおり、「商品、サービスの対価」という欄にチェックを付けて、銀行を出ました。今回のような送金を、再度この銀行で行うことになれば、今回よりも詳しく、送金の目的を追求されるのかもしれません。
 金地金は、翌日4月20日に、ゆうパックの「セキュリティ便」で届きました。50万円までの実損を補償するものだそうです。兵庫県から宮城県へ、一晩で届いたのですから、速いものです。封を開けると、石福のマーク「文」が刻まれた、100gの金地金が出てきました。安っぽいビニール袋に入っていました。地金は思ったよりも重く感じられました。表面は窪みがいくつも付いており、何度も持ち主が変わったのではないかと思います。この地金にいつか助けられることになるのか、どうなるのか面白そうだなというのと、怖さと半分半分です。
おわり

篠原良一 投稿日:2013/04/21 21:27

【1113】[1258]中国「元」預金について

会員の篠原です。学問道場の会員とし積極的に投稿しなければならないのですが、久しぶりの投稿になりました。
難しい理論は出来ませんが、3月末に東京へ、たまたま出張がありまして、そこで、以前から「元預金」をしてみたい気持ちがありまして、池袋の「中国工商銀行」へ行き、人生初めて、外貨預金をしてみました。お金は近くの日本の銀行で、キャッシュカードで50万円おろし(今は50万円までしかおろせない。ICカードですと100万円らしい)中国工商銀行に行きました。お客さんは、沢山いまして、予約番号カードを貰い、待っていたところ、顔は日本人ですが、周りは中国人ばかりで、会話は聞こえるのですが、何喋っているのかサッパリ解らない。すべて中国語、特に若いカップルが多かったです。預金する人もおりました、送金する方もおりました。明るい会話がありました。日本の銀行ですと、窓口は、威圧、事務的な感じがしますが、その中国の銀行は、行員も明るく(若い女性)待っていても疲れることはありませんでした。かなり待って、自分の番が来ました、周囲は中国人ばかりでしたので、多分私も中国人と間違われるのではないかと、いらない心配があり、窓口で「日本人ですが」と言ってしまし、(私の顔は韓国系の顔です)その相手をした若い女性行員は中国人でしたが、恥ずかしながら私よりも日本語が上手で、安心しました。元預金の手続き、説明は親切丁寧で、また正直言いまして、また来たい気持ちになりました。説明のとき、「なぜ元預金なさいますか?」と当局の指導ルールに従い質問してきましたが、普通は「資産の運用・資産を守る」てな、ことが理由ですが、私は「記念に中国の元預金したいので」と失礼な言い方をしたら、「ありがとうございます」と笑顔で応えてくれたことは今でも忘れられません。元預金通帳を自宅に戻り、中学3年生の息子に見せたら、「ホント!すごい」と感動してくれましたが、女房は「何これ?これが何円になるの」と分けの解らないこと言って、話すの止めました。くだらない話ですが私の初外貨預金の感想です。
今、預金封鎖等の危険性を「重掲」で副島隆彦先生が会員の皆さんへ情報提供され、私も不安でしたので、副島先生にメールで問い合わせたところ、「中国工商銀行は自分の預金者を精一杯守ろうとするでしょう。 先進国のやることよりも中国のほうが今は、信用出来ます。 この変化は、おもしろいものです。」とご返事がありました。私も安心するとともに、そのとおりだと、見て、聞いて、感じた率直な感想を述べさせていただきました。

福田 博之 投稿日:2013/04/21 08:46

【1112】[1257]“縁起”“空(くう)”は政治思想にはなりえるのでしょうか

“縁起”“空(くう)”は政治思想にはなりえるのでしょうか

この投稿は、会員サイト「1374」を読んでから、書いたものなので、
タダ見のかたは会員になって、「1374」を読んでからでないと、
私の稚拙な文章との相乗効果で、文脈が分かりにくいかもしれません。
あらかじめ、ご了承ください。

【言いたいこと】

ポジティブラーとナチュラルラーのどちらにも属さず、
“縁起”や“空(くう)”の思想は、その上位概念としての政治思想にはなりえるのでしょうか。
仏教思想というだけの位置づけにしておくにはもったいない思想だと思います。

【1374を読んで考えたこと】

“支配権”“課税権”“徴兵権”“選挙権”
これらは、ポジティブラーとして、支配システムのピラミッド、序列構造のうちにおかれます。
代表者ではない庶民は、“主権者”ではなく、“投票権”をもつという意味での“有権者”となります。

“基本的人権”
「人間みんな、うんち袋」。 ナチュラルラーとして、人間も自然の一部であり、
平等な儚い生命としての“自然権”をもつ有権者となります。

“基本的人権”を憲法上の取り決めとする、
「人間たちが自分で決める」という契約やルールによる思想では、
時代によって異なる価値観、ものさし、社会環境によってできた序列により、
人間の金額に大小をつける思想につながっていきます。
現実の運用では人間の命に金額を設定する必要もありますが、
“基本的人権”は“自然権”としてとらえる思想のほうが、私は理解しやすいです。

政治を、ナチュラルラーではなくポジティブラーで考えなければならないというのは、
多くの自然権が支配権により踏みにじられているからだと思いますが、 
“弱肉強食という自然の掟”、これもナチュラルラーだと思います。 
自然界に属する人間界で、弱い強いを決める“力”とは、
資本主義では“お金”となるのは当然の事でしょう。

自己が、遺伝子と経験の組み合わせによる、不確実性的な結果で成り立つのなら、
コミュニタリアニズム的考えでもありますが、つながりに基づいた自己があり、
その境遇の恩恵や弊害による影響をうけて序列が位置づけられていきます。

相続された優位性や、人工的システムによって造られた序列の頂上に位置する巨大権力から、
他者の多くの自然権を守るためには、同じく人工的に憲法で所有権を設定し、
リバータリアニズム的に個人の自由と所有権を尊重する必要があります。

弱肉強食という自然法が、固定化と制度の弊害という、“人定的な弱肉強食”となったものを、
同じく人定的に調整をする。
お腹がいっぱいになったら満足をして寝るという動物と違い、
人間の際限のない欲に歯止めをかけるために、強者の自然法を憲法で人定的に制限する。
殺してはいけない。盗んではいけないなど。
ホッブズの「万人の万人に対する闘争」と表現される状態は、
自然の弱肉強食ではなく、“人定的な弱肉強食”である為、たちが悪いものだと思います。

社会で這い上がり、自由を獲得しようと努めることが重要という考え方があります。
這い上がりの精神が、権力者迎合の精神とならず、既得権益にとりこまれず、
自分以外の多くの人間を幸福にするという、崇高な政治的精神となるためには、
求道精神が必要だと思います。権力者には求道精神が求められます。
ただ、これはきれい事です。
権力者も自分の合理的選択をしているのでしょう。
権力は必ず腐敗するので、チェックや歯止めの機能が必要だと思います。

思想の自由は、他人の評価や権威のうちに存在しているのではなく、
求道の精神によって維持されているものだと思います。
“道”とはなにか。各々のパースペクティブによって道は異なるものだと思います。

政治とは一部の権力者、選民的市民の為のものなのでしょうか。
デモクラシーは、世論誘導により衆愚政治『民衆の反逆』になると言われます。
情報と説明責任、市民の情熱が不可欠だと言われます。

選挙権をもつ有権者の多くが、“市民”ではなく、市民とは呼べない“庶民”だとすると、

「お上(かみ)によって構成された、庶民もお上(かみ)を選べる、庶民もおこぼれにあやかれる政府」

「主権者による、民衆が選挙する、人間の為の政府」

これが、日本のデモクラシーが目指す姿なのでしょうか。

代表者は資本主義社会における、這い上がりの精神で既得権益に取り込まれ、
選挙によらない官僚によって支配され、
資本という力で、洗脳装置が有効に機能している。

デモクラシーが有害だと批判するかたもいます。
だからと言って、権力の暴走に歯止めをかける装置が、
デモクラシー以外に見当たりません。
国体維持と優秀な官僚がいる日本で、
選民市民による共和制への移行など、私には他の手段や革命の可能性は思いつきません。
発言力・発信力・影響力がない庶民、
されど人数は最も多い庶民、庶民の為の政治とは存在するのでしょうか。
また庶民は這い上がりの精神で、選民的市民を目指す以外にないのでしょうか。
庶民が幸福な庶民であり続けられる世の中となる為には、どのような思想が必要なのでしょうか。

二世議員が多く存在する現実の中、コネや教育環境の差の存在という現実があるなか、
どちらかというと庶民のなかでの這い上がり者は例外であり、例外であるから称賛されるのでしょう。
例外以外の多くの人間を軽視するような政治のあり方でよいのでしょうか。
そのような政治が庶民の活力を生みだせるのでしょうか、また生みだす必要はないのでしょうか。
資本主義的に評価されないような生き方を選んだ場合、
その人間には生存権はないのでしょうか。生存権はあっても選挙権は、はく奪されるべきなのでしょうか。

政治は大企業優遇を推進し、個人の経営者にはますます生き残りが厳しい政策が進められています。
情報の共有や、購買力強化で団結する経営者もいます。
一方、経営者ではない存在として、御用メディアと呼ばれる報道機関で働く、企業の社員がいます。
支配側の装置で働く労働者という存在により、支配システムが維持されています。
資本主義の論理では、資本の蓄積が力なので、今後も企業グループの大規模化、
統治システムの構築が進み、大企業グループのトップ層と従業員との賃金格差も拡大するのでしょう。
そうなると、今後、いわゆる“経営者”といわれる現在の選民的市民の数は減らされていくのでしょうか。
中小企業の経営者や、「社長!」と呼ばれている従業員をもたない経営者“独立の士”は
減らされていくのでしょうか。

大企業幹部、昇進して労働組合から抜けた中間管理職社員でも選民的市民だという事ならば、
企業の労働者は、出世を目指す生き方か、知識技能を得て退社して独立する生き方のみが肯定されます。
大企業の多くの従業員は、洗脳新聞の影響もあり、会社の利益=自分の利益と思いこみ、
情報が得られないために、洗脳装置が有効にはたらくので、
支配者層からは投票権をもつ有権者としては問題にならないのでしょう。
会社のトップ層が望むべき政策と、賃金労働者であり消費者としての望むべき政策では違うという事に
多くの人間が気が付けば、政治は数なので賃金労働者である庶民の投票権は無視できず、
政治的にも徐々に存在感が高まっていくのではないでしょうか。

現在も農業票という言葉がありますが、農業の組織化が進み、土地所有者が小作人、
農業労働者となった場合、その従業員の投票権は引き続き無視できないのではないでしょうか。

庶民から成り上がった政治家は、権力者だから暴走するのは当たり前。
政治を動かす力は金だから、政治家は金の出どころを優遇するのが当たり前。
政治参加意識が高い、投票権保有者を政治家が重視するのは当たり前。
その為、金がない庶民は、選挙権という唯一の力の行使のためには情報が必要で、
情報を得る仕組みが成長しないので既得権益が安泰でいられる。
権力にすり寄り、金持ちにすりより、そして利用される国家ができあがっている。
それが資本主義社会の姿に私には映ります。

労働者は団結しても、洗脳されれば、既得権益に投票するだけ。
労働者は団結しても、暴れれば、弾圧されるだけ。
まず、労働者に最低限必要なのは、“情報”と“不正ではない選挙”だと思います。
まずはここからではないでしょうか。

【まとめ】

・企業は労働者なしでは存在しない。
・国は庶民なしでは存在しない。
・世の中はお互いが関わり合いの中で存在している。
・人間は自然の一部である。
・弱肉強食はナチュラルラーである。
・人定的弱肉強食は人定的権力でしか調整できない。
・“法”も現実的には恣意的に解釈される“うつろうもの”で絶対的なものではない。

“自然”を、神が創ったものとして、キリスト教的権威と結びつけるのではなく、
人間の識別作用として目に見えるもの“色(しき)”として捉え、時代によって存在自体も
人間の決め事によって見方も変わる、うつろう“空(くう)”だとすれば、キリスト教的権威に
批判的なかたにも受け入れやすい、自然法も人定法も両方を取り込んだ思想に発展できないでしょうか。
“縁起”、“空(くう)”の思想は、自然法も人定法も、両方の関わりあいの存在を認め、
組織や国や自然が、あらゆる階級や強い弱いの差があるものたちで成り立っていることを前提として、
それぞれの存在を貴ぶ、平和的政治思想に発展できないものでしょうか。

【参考文献と抜粋】

『お釈迦さまの脳科学』苫米地英人
P71
「空」は、釈迦が説いた「縁起」の思想にも通じるだけでなく、
不確定性原理や量子力学にも合致しています。

『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
P138
グリムの定理を覆すことのできる哲学者や宗教学者はいません。なぜかといえば、
覆すためには、ゲーテルとチャイテンの定理が間違っていると証明しなくてはなり
ません。そのためには、数学が完全であると証明しなくてはならないことになり、そ
れは不可能なことです。

『はじめてのニーチェ』適菜収
P55
「民主主義もキリスト教も、畜群(低能動物の群れ)が権力をにぎる社会形態である。

P57
デモクラシーという言葉があります。
これは、デモス(民衆)とクラティア(支配)がくっついた言葉です。

民衆は世論やマスコミに動かされます。

P58
「すなはち民主主義的運動は、キリスト教の運動の継承にほかならないのだ」

民主主義とは偉大な人間を「神」の名において抑圧し、価値のない人間を持ちあげる
システムです。

「下層民」の支配形態

P62
人類は、民主主義により自由や権利を失ったのです。
本来、それらの諸価値は闘争により勝ちとるべきものだった。それを得ようと努力する過程
において価値をもったのです。

『清貧の思想』中野孝次(草思社)
P32
フィリップ・メイソン『英国の紳士』(金谷展雄訳 晶文社)という本を読んで、そこにジェントルマンの
特徴と記されているものが、この『本阿弥行状記』の記すところと共通しているのを発見して愉快を覚えた。

「ウィルにとって名誉とは、ただ世間の評判のことではなく、自尊心を
―従って高潔、無欠、自足を―意味した。

名誉とは自尊心のことであり、無形の人格にかかわることである

P54
求道一筋(ぐどうひとすじ)

良寛の「常に吾が道の孤なるを嘆ぜり」は、そういう自分の生き方の孤独を嘆ずる気持から出
た言葉だという気がする。そういう良寛には、出家しても寺というもう一つの世間の中で名利を
求めるような生き方は、端からする気もなかったし出来なかったろうと思うのだ。

P121
思想というものは、形あるもののように所有すれば持っているということ
になるものではない。それはそれを体験しているところにだけ生きているもので、体験しおえて
形にしてしまえば、それを創造した人間にとってさえ、それはもはや自分を離れた客観物になっ
てしまうのである。

P139
まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰が知り、誰が伝へん。
これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。
本(もと)より、賢愚・得失の境(さかい)にをらざればなり。
『徒然草』吉田兼好