重たい掲示板
書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。
旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください
書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください
※ログイン後に投稿フォームが表示されます。
Loginはこちら【1158】[1328]私の中国調査旅行
副島隆彦です。
私は、6月29日の定例会が終わって、翌日から1週間、中国への調査旅行に行っていました。今日帰りました。
今回は、日本人にとっては、旧満州(きゅうまんしゅう)である、東北三省(トンペイサンジョウ)である、黒竜江省(こくりゅうこうしょう)と、吉林省に行ってきました。
見渡す限りの どこまでも トウモロコシか、稲作(田んぼ)が、整然と、果てしなく続いていました。 哈爾浜(ハルビン)から、700キロ東まで車を飛ばして、 松花江(しょうかこう)沿いに、アムール河(黒竜江)のロシアとの国境近くまで行きました。 南に下れば ウスリー河ですが、 さすがに、中露戦争の 珍宝島(ダマンスキー島)までは行けなかった。
それこそ果てしなく穀倉地帯が続いていた。 おそらくアムール河の北辺まで、ずっと畑が続いている。品種改良された 稲(米)が、おそらく、日本のコシヒカリに近いものまでが、ものすごい勢いで生産されている。
土砂降りの雨が降った。ということは、5月に田植えをして9月に収穫するから、これだけの夏の暑さがあれば十分だ。 7、8月は、日本の夏と変わらない暑さだ。 ハエや蚊は、全くいなかった。100年前からの漢民族の入植者である、貧しい農民たちの 村が、10キロ置きぐらいに、数百戸(2千人ぐらい)ずつまとまって点在していた。
農民ひとり 1 ヘクタール(10000平方メートル)ずつ国からもらえる。
貧しい農民たちなのだが、農繁期が終わったのか、のんびりしていた。農業税(のうぎょうぜい)が、2003年に廃止になって( 胡錦濤=こきんとう=が政権を握って実施、断行した偉大な政策だ) 農民は豊かになったそうだ。 漢(かん)の時代からの過酷な農民税が、廃止されたのだ、という。
若い子供たちは、いなかった。彼らは、おそらく都会の工場や料理屋とかに働きに行くのだろう。旧正月(2月)には帰ってくる。 最低労働の賃金で、月給1500元( 日本円で2万円)にはなる。 だから、コツコツ貯めたら、それなりのお金になる。
冬は、零下30度( 記録的な寒さは、零下39度だそうだ)になるから、今の日本人は、冬の旧満州には、近づけない。だから、夏の今の時期にようやく私はこの極寒の地に行けた。 それなのに夏はこんなに暑い。 黒土(くろつち)の立派な土壌だ。 これなら東北三省で、中国全土の穀物を十分に供給できるだろう。
中国人は、食事にお金をかける。友人たちと毎夜のように外食して、300元(5千円)ぐらいを、誰かが出す。 日本人は、夕食の定食を、駅前のレストランで、ひとり800円の定食とか、食べる国民になった。私は、新潟空港から、2時間半で、ハルビンに飛んだのだが、新潟に帰り着いて、日本人の貧しさに、暗澹(あんたん)とした。
中国でも最下層の人や、若者は、一食5元(80円)ぐらいで食べて、それで十分に生きている。中国の消費者物価は下がっている。 贅沢をいえば、すれば、きりがない。 今の日本の貧困層は、コンビニ弁当一日、200円を一個で済ませているという人たちが存在している。私は、今の日本の衰退国家、落ちぶれ続ける様子に、本当に、絶望的になる。
中国の地方都市は、まだまだ穢(きたな)い。きたない建物が、そこらじゅうに建っている。だから、中国に行きたがらない人が多い。だが、上海では、日本の銀座通りよりも綺麗(きれい)な、そのうえ豪華に輝いている、ショッピング・ストリートが、20ぐらいある。高層ビルの建築のすごさは、今もちっとも衰えていない。
地方都市でも、郊外の開発区には、数百本の、40階建てぐらいのタワー・レジデンスが、そこらじゅうで建設中だ。 地方では、そういう新築の高層アパートが、床面積100平方メートルで 丁度100万元(1600万円)ぐらいだ。中国の不動産バブルは、終わっている。もう3年前までのことだ。狂乱地価は中国にもう起きないだろう。 中国政府は、地方や農村で、一戸10万元(160万円)で買える、質素だがそれなりにきちんとした住宅を、数億戸、作ろうとしている。すべて 40階建てぐらいの高層アパートだ。
中国の富裕層と共産党の幹部たちの、裏側での蓄財と腐敗(ふはい)の問題は、私の 次の6冊目の中国研究本で、徹底的に書く。 中国の 政府を、徹底敵に批判し続けている、知識層や 若者たちは、統一用語として、「権貴経済(けんきけいざい)」という言葉を、インターネット上で使う。この「権貴(けんき)」とは、権力者と貴族官僚たちで中国の支配者たちによる経済という意味だ。
今は、インターネットでの告発が、ものすごい勢いで起きているので、中国の、公務員(ものすごい数でいる。若者は公務員になりたがる。収入が安定しているから。日本と同じだ。このこと自体が、実は、人間の腐敗だ) たちや、警察や、役人たちの不正や、庶民いじめが、そんなには簡単に出来なくなっている。 記者(きしゃ、ジャーナリスト)が、記事として、新聞やテレビで、取り上げたら、即座に、腐敗して裏金を受け取っている公務員たち数百人が、一瞬で職を失う。どうかすると、投獄される。 中国の、この 官僚政治批判の、民衆の力のすごさと、不満の表明を、 日本の 反中国主義者(中国キライ人間たち)は、自分の目で、その「中国は崩壊する」を確認しに行けばいい。
中国の成長は、まだまだ続く。それは、アメリカを鼻で嗤(わら)って、見下すほどのものになっている。それでも、中国社会の厳しさと、16億人もいて、彼らが、それぞれが必死に豊かになろうとしている様子に、外側からの目でしかない、私は、じっと考え込む。 すでに 個人資産で、日本円で、100億円ぐらい蓄財している富裕層の中国人が、500万人ぐらいいるだろう。 これが、まさしく 「権貴(けんき)経済」で、権力者化した共産党官僚たちとそれと深く結びついている私企業(民間企業)の一挙に成り上がった経営者たちの姿だ。
だが、習近平(しゅうきんぺい、シー・チンピン)国家主席の号令一下で、公務員たちが、私企業に集(たか)って飲み食いすることは、出来なくなっている。 それでも、長い歴史を持つ(共産主義の、1921年からの90年の歴史など短いものだ)奥深い中国的な 社会の病巣と懊悩(おうのう)も続くのだろう。
日本もひどいものだ。日本の官僚たちは、小沢一郎革命を、自分たち、「法の番人たち」が自ら、法律を刃物に変えて、犯罪者となって、非合法で、勝利して、今も安倍晋三(あべしんぞう)のような、頭の軽い政治家( ボンボンの三代目)たちを、あやつって、自分たちの栄華を極めている。その罪の深さを、彼らは、そのうち思い知るべきだ。 私の 彼らへの憎しみは深い。
中国は、どの国も持つ、腐敗の形を抱えたまま、今、「和諧(わかい)社会」なるコトバで、貧富の差の少ない平等社会を、目指している。それを、庶民たちが、笑いながら支持している。 貧富の差は、なくならない。どの国でもなくならない。なくそう、と安易に言う者は、知恵の足りない人間だ。貧富の差とは、その、真実は、就職差別の時に、現れるのだ。私たち、ひとりひとりの日本人も、学校を出て、就職しようとした時に、おそろしい就職の機会の無さと、裏口入学ならぬ、裏口入社(コネ入社) を味わった。 公務員試験に、堂々と受かったと言うようなものたちでも、本当は、コネ採用の公務員たちだ。
それは、どこの国にでもある、格差社会(貧富の差がある社会)の真実の姿だ。中国にも、これがあって当たり前だ。
私は、今の日本で「格差社会を無くそう」というスローガンを、故意に、ばらまいているのは、財務省=国税庁=税務署であると、深く知っている。それは、格差の是正のことを言う振りをしながら、日本の資産家、金持ちたちから資産を税金で取り上げようとしている 悪どい 政治策略だと 分かっている。金持ち層を殺したら、その国に、文化と教養と芸術が育たない。余裕のある人間たちの穏やかな物腰、人間の優雅さ、というものが、死に絶える。だから、私は、「格差社会 は有って当たり前だ」という本も今、書いている。私の、日本の官僚(上級公務員)たちの実質支配のコンスピラシー(権力者共同謀議) への怒りは、深い。
中国の、旧満州が、ここまで豊かな穀倉地帯だったとは、行って見るまで分からなかった。 人間は、やはり現地に言って、現場を自分の目で見て、それから何かを言うべきだ。 毛沢東(あの残忍だった。しかし中国人の多くは複雑に彼の存在を国家の建設者として認めている) が、 「調査なければ判断なし。情報なければ判断なし」と言ったことを、日本人の知識層でも、軽く見ている。
中国人の深い知恵を、甘く見ている・
ロシアとの西の国境の満州里(まんしゅうり、マンジューリ)が今、栄えているそうだ。そこから、ハルビンまで一直線に鉄道をロシアは引いて、それをさらに、ウラジオストクまで通した。 1898年から1902年ぐらいのことだ。
現在、この一週間、ロシアの極東艦隊と中国の海軍が、ウラジオストクあたりで、合同の軍事演習をやっている。この報道は日本ではわずかにしかしないだろう。
中国とロシアは、私が思っていたよりも、仲よくしている。ロシア人のビジネスマンたちが、ハルビンにも大連にもたくさん来ている。国境の町で、物々交換のような貿易を盛んにやっている。もう米ドルなしで、ルーブルと人民元での通貨決済が行われ始めたようだ。
中国の銀行員の女性事務員で、月給7000元(10万円)になっている。この金額は、熟練工の大工場の労働者たちと同じだ。公務員の幹部たちは、12000元(18万円)ぐらいになっている。公務員の方が、かならず民間企業(私企業)の従業員たちよりも月給が高くなるように、中国は、なぜか出来ている。
しかし、私企業では、ボーナス(特別収入)が、個人差もあるようだが、給料の一年分とか平気で出る。 本当だ。 だから、お金に関しては、中国人は、今の私たち日本人のようにしみったれていない。 おそらく、もう逆転したのではないか。 前述した、定食代の、食事代の逆転でも表れている。
今の日本は、中国よりもみじめだ。企業にしがみついて、働かないと、首になったらどうしょう、と若い人は、皆、悩んでいる。中国では、一番下の、お店の従業員たちで、おそらくこき使われている人たちがいるだろうが、しかし、彼らは、そんなお店は、すぐに辞めてしまう。 だから、経営者の方が、気を遣って、労働者を引き留めようとする。 二交代制で働くようだ。朝の8時から働いている者は、昼にそばの自分の部屋に戻って、昼寝をするようだ。それから、また出てくる。夜勤の12時までの従業員も同じく昼寝時間があるようだ。ということは、日本人の、昼寝なしの12時間勤務のような、きつさは中国にはない、ということだ。
中国の大都市は、どこでも、今は、レインジ・ローバーのようなSUV(スポーツカーのアウトドア用の車)が大量に走っている。日本円で400万円ぐらいする高級車だ。 交通事故の 接触事故も、すべて自動車保険で解決している。
中国ほど、高級車が走り回っている国はもうない。
この5月に私が行った、オランダやベルギーでも、庶民はほとんどが、日本の軽自動車を少し大きくした程度の1000CCぐらいの小型車だ。そうしないとあの中世以来の石畳(いしだたみ)の道をガタガタしながら走れない。黒塗りのレクサスような大型車は、いかにもお金持ち、経営者たちしか乗っていない。車で階級が分かるのが今の、貧乏垂れた、ヨーロッパだ。日本は、まだまだ大型車が走っている。しかし地方や田舎にゆけば、ほとんどが軽自動車だ。通勤用に使うと燃費の問題がすべてに優先する。
中国人はほとんどがスマホを持っている。私は、弟子たちが、「どうせ無理だから、先生は使わないほうがいいですよ」と言うので、今も携帯電話しか持っていない。実質的にスマートフォンは、すべて中国で作っている。高層ビルも自動車も中国がもう一番だ。 多少、粗悪そうに見えるが、そんなことは、あと10年すれば、もう解決しているだろう。
私は、満州里(まんしゅうり)の南の、ハルハ 川のあたりで1939年に起きたノモンハン戦争の戦績にも行きたかった。 もう30年昔に、ノモンハンて、どんな遠方の僻地(へきち)だ、と思っていたのが、もう遠くない。新潟から、2時間半で、そこから電車で、5時間も行けば、ノモンハンの地だ。
それから、長春(ちょうしゅん、旧「満州帝国」という世界の笑いものの旧新京) にも行って、731部隊(石井四郎中将の 細菌・化学兵器開発、実験、の舞台)にも行った。それなりに 証拠が集まっていた。戦争の時代の医師の軍人たちの狂気の状態での、国家作戦と命令であるとはいえ、本当に、人間が、国家と共に狂うと、ここまで残虐なことをするものだと、反省した。 生体実験で3千人ぐらいを殺している。 産経新聞右翼の、ザ・カルトオブ靖国(ヤスクニ)の、維新の会万歳の、「日本は中国で何も悪いことはしてない。すべては共産赤匪(せきひ)のやったことだ」の連中も、こういう戦蹟 めぐりをするべきだ。森村誠一の「悪魔の飽食」が出て騒がれたのが、1981年だから、もう32年になる。
私は、高句麗(高句理)と渤海(ぼっかい)国の歴史、それから、契丹(きったん)・遼(りょう) のことと、金(女真=じょしん=族)のことも、知りたかった。朝鮮半島の歴史と、満州のあたりの歴史が、実感で分からなかった。それが、こんどの旅で分かった。ようやく東アジア史のすべてが、これで、私の頭の中で完成した。
副島隆彦拝
【1157】[1327]人類の新時代
人類の新時代
大城義和です。
人類の新時代=ネクスト・ヴィジョンを提示します。
人類、人間は、モダン・サイエンスにより、合理/ラチオと理性/リーズンで、意志決定の最適化を、OR/オペレーションズ・リサーチ=多変数解析してゆく。
そして、世界政治金融経済圏という、世界を政治/ポリティックスと金融/フィナンシャルと経済/エコノミーにより、構造/ストラクチュアを、有機的にシステム化する、知のジオポリティックスがある。
つまり、世界は、今後、BRICS新世界体制になり、世界覇権国・中国/ユーラシア大陸時代へと移行する。
人類、人間は、世界像が変容する瞬間について、大きな枠組みの真実から、思考を最適化する重要性があり、実際に行動の最適化も行うプロセスが、大切であると、認識すべきである。
そのプロセスを再検証する際、我々、人類、人間は、頭脳を何者かにコントロールされている事実に気付く、その、コントロールというプログラム・コードの謎を解読し、何者にもコントロールされない頭脳で、物事を判断しなくてはならない。
人類、人間は、最終的に、モダン・サイエンスにより、合理/ラチオと理性/リーズンで、意志決定の最適化を、OR/オペレーションズ・リサーチ=多変数解析してゆき、世界の偽善や欺瞞という、共同幻想コントロール・プログラミング=アルゴリズム データ構造の暗号を解く。
その時、人類、人間の新しいルネサンス/ネオ・プラトニズム、素晴しい新時代が到来するであろう。
大城義和拝
【1156】[1325]日本の経済大国への復帰について
日本の経済大国への復帰について
大城義和です。
日本は技術立国、ハイテク国家日本といいたいところですが、日本に技術などひとつもないのではないか。デバイスがあるといっても、時間の問題、いずれ、日本製のテクノロジーは、存在しなくなるだろう。日本の技術の現状を、考えてみれば、このことは、非常に恐ろしいことだと思います。日本は、この先、どうやって、経済をつくりだして、生き延びるのか、本当は、絶望的であると、指摘致します。
今、日本は軍事衝突の危機、戦争の一歩手前、しかし、戦争にはならないだろう、だが、最も困難な状況が、来つつあると思うのです。どう考えても、独立国家、民族独立の可能性など、どこにもない、不可能になりつつあると、悲観的にならざるを得ません。
日本国民は、今、目の前にある大きな事実を、よく確認し、検証すべきです、なぜなら、日本の自前の経済源である、技術が全く存在しないのですから。
この先、日本の未来は、明るいはずがない、国民が餓死するほど、貧しくなるのではないか、今はその光景を想像すら、出来ないけれども。
日本は技術立国として、経済をつくりだすべき、また、特別な技術を持っている、才能ある人間が、集結しています、ですから、テクノロジー戦略を、再度構築し実行すべきだと、断言致します。
私、大城義和は、純粋にいつも思うのですが、ソニーとかパナソニック(松下)、ホンダのような、創業者が一代で築き上げ企業が、もうかれこれ、50年くらい、出現していない、これが、技術における最大の弱点だと思います。つまり、組織に所属することが目的であるなら、生産性というものは、絶対に向上しないからです。
これから、日本に新しい素晴しい時代が到来するのなら、日本国民、ひとりひとりが、生産性を重視し、努力と創意工夫によって、経済をつくりだすべきです。
人間には、ひとりひとり、それぞれ、必ず天職と適性を持っているはずであるから、自分に合ったものを、自分の頭で考えて、選択する必要性が、大いにあると思います。
現代の平和で豊かな時代を生きてきた、我々、日本人は、現在の<自分>を、再考しなくはならない、特に生産性という概念を、もっと戦略的に思慮深く、認識すべきです。
日本国民は、輝かしい日本の新時代、独立国家、民族独立、経済大国への復帰へと、前進する目標を、野心を持って、共有すべきです。
大城義和拝
【1155】[1324]要するにこういうことです。これが今の日本の縮図です。
【1154】[1323]世界政治金融経済圏アルゴリズム データ構造
世界政治金融経済圏アルゴリズム データ構造
大城義和です。
まず、私は、構造<ストラクチュア>は、人間の主観や願望では変化しない、と宣言し、文章を書き記す、それは、徴=記号=Signでもある。
そして、Sign=記号=徴を、人間の頭脳=CPU/Central Processing Unitに置き換える。
さて、ここで、パーソナル・コンピューターのプログラミング的方法論により、
世界を、モダン・サイエンスで、解読する。
プログラミング・データ、もしくは、アルゴリズム データ構造///////世界が存在する。その世界という論理ゲームにおける、像=イメージ、そこに投影される<私>と、その<私>を、主体=Subjectと客体=Objectで、構造的に機能分析してゆく、思考の建築的なアーキテクチャが、動いている、と仮定してゆく、知のジオポリティックス。私=主体/Subjectが見ているような感覚と感性、すなわち、<私のイメージ|Subject-Object|私のイメージ>、による、世界圏、それを、世界政治金融経済圏、つまり、世界を、ポリティックスとフィナンシャルとエコノミーで、論理構築する有機体の思考、世界が存在する、という、世界という論理ゲームに置換する、イメージとイメージの、方法論的解体学///////
さて、世界政治金融経済圏のプログラム・コードは、実はイメージのメタ化、あるいは、ハイ・イメージと呼ばれる類いに、気付く事が出来るであろう、なぜならば、世界、あるいは、政治/ポリティックス-金融/フィナンシャル~経済/エコノミーによる、世界政治金融経済圏の構造/ストラクチュアは、人間の主観や願望では、変化しない、つまり、感覚的または感性的な像/イメージ、が、変化してゆく、ダイナミックかつスタティックに、だから、モダン・サイエンスの法則性、そして、神の予定調和=市場=疎外という、構造/ストラクチュア=Sign=徴=記号、が導かれるのである、故に、我々人間がSubject/主体とかObject/客体とか、認識しているもの、そのもの自体は、実は疑わしい、すると、人類の世界<主体/Subject-Object/客体>は、全てイメージ/像であると、解読可能になる。
今まで上記で述べた論理処理系による、プログラムの思考製品、そのSign=記号=徴、つまり、アルゴリズム データ構造の答えは、構造<ストラクチュア>は、人間の主観や願望では変化しない、となる。
ここで、アルゴリズム データ構造から、もう一つの知性的記号が導かれてゆく。それは、世界は、BRICSを中心に動いてゆくのだ、そこに、我々、モダン・サイエンティストは、BRICSのさらに次の時代まで、ネクスト・ヴィジョン的思考をすべきである、というプロセスである。そして、モダン・サイエンティストは、サイエンスにより、近未来予測をする重要性を、常々認識すべきなのだ。
人類は、人類自体、驚異的といえるほど、危機に直面している、だからこそ、人間は、知性により、サイエンスによって、明確かつ確実な真実の情報を、技術として活用する必要性がある。
大城義和拝
【1153】[1322]精神異常者からのご挨拶
私は精神異常者かもしれません。
私の表現は精神異常だと、とらえられる可能性があるでしょう。
“表現”は読み手にとって理解しにくいということを反省し、
今後は個人的ブログで表現することにします。
~坂(さか)の本(もと)の空(くう)~
私の文章に気分を害するかたは読まない方が良いでしょう。
危険ですので絶対に見ないでください。
論文教室「0009」 論文 和解(わげ)ということ 鴨川光(かもがわひろし)筆 2009年3月17日
を読んで、そのなかにある、
「あれはヴァーズだな」
といわれた言語表現がどのようなものであったのか、
読んでみたいなあと思いました。
日本語は“説明”よりも“表現”に、
適している言語なのかもしれないと思いました。
いままでどうもお騒がせしました。
【1152】[1321]モダン・サイエンス
モダン・サイエンス
大城義和です。
私、大城義和は、全人類は、精神異常者である、という問題を提起する。まずは、どこまでが、正常で、どこまでが、異常であるか、モダン・サイエンス的な根拠など、あるはずがない、と断定する。人間にとって、クレイジーな問題は、存在する、それは、異常であると、確定出来るであろう。しかし、病気とか病とか精神異常とかは、メタファーであり、人間の建築、つまりは、論理的な設計図である、だから、思想であるのであって、それらを、病気というタイプの枠組みでとらえるから、皆、おかしくなってしまう。今や何でも病気にされてしまい、人間たちは、自身が怯えている毎日である。近代資本主義において、人類は、契約という素晴しい概念を創造したが、病という契約は、人間自体が、首を絞めてしまう、絶大なる恐怖である、そして、世界という思想そのものが、病気に変換可能になる、だから、宇宙全体は、病んでいる、と仮定しても、そんなに的外れでもないであろう。人間は、概念を定着させる、それは、合理と理性から、必然的に構築し、制度として、活用するが、物を考える際に、規定のルールを採用すると、生産的にはならない、けれども、オーソドックスなマニュアル的決まり、は大切であり、それを、基礎とか基盤とかいう。冒頭に戻るが、全人類は、精神異常者である、という問題提起を、再考するにあたり、厳密なる検証の名の下の、狂っている、という現象は、どうも暗喩とか隠喩とかに違いない、であるから、人間という生物は、常に正常な状態にはいない、それだからこそ、生き物である、つまり、人間は、誰しも精神異常者の、一面を持っている、故に、全人類は、精神異常者である、と定義出来るのだ。そして、学問的に、あなたは、精神異常ですね、とか、狂っている、とかいう議論は、幼稚園レベルであり、人間の正常な状態というコトバを、もっと疑うべきである。世界は、プロビデンスに満ちている、モダン・サイエンティストは、真実を暴く使命がある。
大城義和拝
【1151】[1320]権力者トランプのアイデア
前の小林倫和氏の「日本版図鑑」のアイデアは良いと思います。
どういうコンセプトで作成するかを考えましょう。
今度の講演会でもお話しますが、マイケル・グリーンのお仲間とか、中曽根系の政治家・知識人とかのリストアップは有りだと思います。
外務省官僚の分類とかも。企業財界人も。
私はジャパン・ハンドラーズトランプというのを考えていました。
アメリカのネオコントランプのアイデアのそのままパクリですが。
書籍よりももはや今の時代、どうもトレーディングカードとかでゲーム感覚で学んでもらったほうがいいんじゃないか。
でもトランプってお金がかかるんですよね。今の学問道場の会員さんがもう少し増えてくれればその余力も出てくるんですけど・・・。
とりあえず、そんな感じです。
【1150】[1319]「日本裏権力者 人物図鑑」作成
日々思いますが、真正面から「日本の自主」をいくら訴えて続け、たくさんの賢人や人々が努力しても
結果いつも何かに情報操作され貴重な人材を次々と葬られて
しまうだけの歴史なのだなと感じています。
(過去の多々の暗殺、人格崩壊含め)
そして戦後ますますそれが完成、自己成長すらしている。
過去の賢人の中に「自主を守る為に自分がつぶされても
それを他の誰かが続けることが大切と言った政治家がいた」と孫崎先生がおっしゃっていました。
ただ、それだけでは大切な賢人を多数失い結果、
恐怖と絶望あるいは洗脳教育から徐々に士気も下がりただ騙される事を選択する
国民を育成してしまう結果になっています。
(余談ですが、一人づつ銃殺されても歩き続けるチベットの人の行列を思い出します。)
アメリカだけ批判をする事は、ただナショナリズムを煽るだけの思想にまぎれ誤解されます。
(目をそらすため日本批判を誘う中国のナショナリズムのように)
まずは日本人自体の中の、自主化を阻む仕組みを壊す「具体的な運動」を第一段に
強力に集結しなければならないと思います。
「具体的にとは」
最近は副島先生方の努力のおかげで、ジャパンハンドラーの名前も具体的に多くの人に知られてきましたが、次の段階として
政治家や官僚に着眼し過ぎず、強力に以下の人名を明らかにし続ける。
イメージとしては副島先生の「世界権力者 人物図鑑」の日本人版データベースの共有
「経済界、マスコミ界(記者クラブ、通信社、電通等)、検察他、勝手な利権の為に現在裏工作、暗役している、”具体的主要民間日本人名リスト作成と流布”」これらの人間達にに対し隠れ
場所を作らないでもっと広く知り渡らせ、「暗役するお前をたくさんの国民の目が見ている」という状況を作っていき、マスコミ界、財界の力等を本当の表現の自由、活動の場に近づける
。
「日本裏権力者 人物図鑑」作成とでもいいましょうか。こういった動きもまず重要な第一歩だと思います。
そういった流布活動が現在いる本当に国民の利益追求のために活動されている「大切な本当の愛国賢人の先生方の身を守る」ためにも
少しでも気づいている人達が広め、できる使命のような気がします。
そのリストを作りたくても具体的知識と力がまだ足りない自分自身が残念ですが、ここに集まる皆さんには知識もっている方々が沢山いるでしょう。
まずは小石を投げる事しか自分には現在できませんが、こういう活動どうでしょうか?。
【1149】[1318]バッグ届きました。有難うございます。
副島先生へ
ただ今「福島復興活動本部」に忘れてきたバッグが届きました。有難うございます。
22日(土)「復興活動本部」にたどり着いた時は、常磐自動車道を飛ばし、そのあと細く険しい曲がりくねった山道をカーナビ頼りにやっとの思いで着きました。
明るい内に「本部、」だけは確認しておこうと駐車場に乗り入れた時、思いがけず先生が出迎えて来てくれたのでびっくりし頭が混乱して碌な挨拶も出来ませんでした。失礼をお詫びいたします。
思い起こせば2011年の3,11の日より早2年と3カ月が過ぎました。
あの地震から津波、それに次ぐ“原発”の大爆発。日本中が大パニックの中、ただ、先生だけの素早い対応だけが力強い頼りでした。恐ろしい放射能に怖気づき
何人も原発へ近づけない時期に単身“原発”のゲート前から放射線量を測り写真をブログにアップしてきた時は正直涙が出てきました。
「福島復興本部」もあっという間に立ち上げものすごい行動力でした。
嘘もお世辞もなく、1億2000万人も住むわが国で原発爆発の大惨事の最中、単身現地入りしたのは2,3の弟子を引き連れた先生だけでした。老人部隊のボランティア「決死隊」を募る話を読んだ時は身につまされました。(私は62歳です。)
これから先“原発”の収束はどう落ち着くのか、国の政策はどこへ向かうのか、世界の金融じゃぶじゃぶの付けは何時どのようなかたちで現れるのか、日々緊張感の中で暮らしていると月日の経つのはあっという間です。
「復興本部」へは訪れる事も出来ませんでしたが、撤退式だけは会員の端くれとして是非現地に行かなければいけないと思っていました。先生や弟子の方たちと気軽に歓談出来なかった事は悔まれますが、どう言う訳かきっかけが作れませんでした。
吉見君もあの小さな山里の寒村でよく頑張ってくれました。一言声をかける事ができてよかったです。
最後に一言、手短に自己紹介をいたします。
1951年沖縄県宜野湾市普天間の生まれです。中学校は「普天間基地」のフェンス脇にありました。(校舎の窓から米軍のパラシュート訓練が毎日見えました。)高校2年(17歳)の時、基地撤去運動からベトナム反戦運動に加わり、琉球大学の学生たちのいわゆる学生運動に合流しました。
1970年、当時の佐藤総理が安保自動延長のため羽田から飛び立った時私の学生運動は終わりました。
会社とか組織に加わった事はありません。人前で話すのは苦手です。(訛コンプレックス?)
23年前から妻と小さな婦人衣料品店を経営して現在に至ります。
子供は無く、かわいい2匹の猫(ボニーとフランキー)と一緒に暮らしています。
2008年の初旬頃、何気なく本屋で見つけた森田実氏との対談本を読んで先生の存在に気付きました。
リーマンショック後会員になり、世の中で起こることの裏側、隠された真実など、経済、政治、歴史、文学などあらゆるジャンルで目から鱗が落ちるように勉強になりました。 以上、ちょっと長くなりました。
どうぞ先生もお体に気を付けてご活躍ください。
琉球の風拝