重たい掲示板
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会員番号4513様、丁寧な考察どうもありがとうございます。
広軌については六城さんからも同じ指摘を受けました。ヨーロッパの方が幅は広いのは知っていましたが、1.6倍も違うのは知りませんでした。ご指摘のとおりです。
ただ、お書きのように遠心力は速さの二乗できくので、速さのちがい(120キロと190キロ)がそれを補っていると思います。
あと、「ある条件のもとでは、電車や列車は転倒しない」とのご指摘ですが、「電車や列車は転倒しない」でいいと思います。私は理系ですから会員番号4513さんのおっしゃるとおり、「ある条件のもとでは」とつけるのが正確で好きです。というより、大学時代からそう教えられてきました。
しかし、「そういう理系特有の言い方はやめろ!」と副島先生から教えられました。結局、「ある条件のもとでは」とつけると、何も言っていないし他人には理解してもらえないからです。
「電車や列車は本来、転倒しない」というところから出発しないと福知山線脱線事故の原因は見えてきません。この事実を鉄道関係者の人たちは避けているように私には見えます。
下條竜夫拝
【1183】[1357]ちょっとコーヒーブレイク
須藤元気率いるWORLD ORDERの ” IMPERIALISM” という曲です。
2013年6月19日にリリースされました。
アメリカでロケしながら
「It’s the End of Imperial history, Now(今、帝国の歴史の終わり)」と歌ってます。
【1182】[1355][1353] 「スペインでの列車事故が明らかにした福知山線脱線事故の真実」について
私は鉄道の専門家ではありませんが、鉄道に関心はあります。下條様のご意見「電
車や列車は転倒しない」というのは正確でなく、「ある条件のもとでは、電車や列車
は転倒しない」というべきではないでしょうか。
つまり福知山の事故と、スペインの事故を同じ俎板の上で料理するのは無理がある
と存じます。それは、両者の基礎となる条件に大差があるからです。
動画で見てもわかるように、スペインの場合は軌間が新幹線よりも広く感じます。
ウィキペディア(以下WIKIと略記します。)によると、スペイン国鉄の軌間は
1,668mmとのことです。
これに対しJR在来線は1,067mmであり、わずか64%にしかすぎません。従って、
いわゆる「踏ん張り」が効きにくいスタイルです。在来線電車を真正面から見れば、
車体の幅は軌間の約3倍あります。
脱線させようとする外力は、この場合遠心力ですから速さの2乗に比例しカーブの
半径に反比例します。福知山線の場合曲線半径は300mとのことであり、スペインの場
合はデータを確認できませんでしたが、300mよりははるかに大きいように見られます。
一般にカーブでは外側のレールを(遠心力を相殺するために)高く(カント)して
あります。極端に云えば一定速度で走行することが確実ならば、それに見合うカント
を付ければどんな速度でも遠心力を打ち消すことが出来ます。しかし低速、もしくは
停止時に、カーブの内側に倒れ込んでは困るので自ずから限度があります。
更に重心の高さも重要です。軌間と重心の作る三角形が潰れている(重心が低い)
ほど脱線転覆に対する抵抗力は強いと考えて良いでしょう。
以上の諸条件を加味した上で比較すれば、特に福知山線のケースが特異ということ
はないように思います。
先輩のご発言に対し、失礼の点がありましたらご寛恕ください。
また2005/12/25にJR羽越線で突風による列車の脱線転覆事故がありました。この
場合は直線コースでしたから遠心力ではありませんが、横からの外力という点では同
様です。
私の結論ですが、上記の2つのJRの事故は、もしもJR在来線の軌間が標準軌化
(1,435mm)されていたら「避けられた」のではないかと思います。つまり約35%の
「踏ん張り」寸法アップになるからです。
旧国鉄の狭軌(1,067mm)から標準軌(1,435mm)への改軌論争は、既に1887年に始
まっていたそうです。(WIKIによる) 残念ながら政争により、1911年に広軌化
(標準軌化)計画は中止されました。当時の鉄道の枕木は結構長かったので、敷設済
みのレールの外側に標準軌用のレールを増設することは容易でした。せめて幹線だけ
でも標準軌化して置けば良かったのにと、残念に思います。
政争に明け暮れ、国家百年の大計に思いを致さなかった政治家たち。これは現代でも
同様に思えてなりません。
さて話題を変えます。旧国鉄が成し遂げた快挙。それは「自連一斉交換」でしょう。
鉄道開業当時の連結器は簡単に言うと鉤(フック)に輪っぱ(リンク)を掛ける方式
で、牽引する事しかできません。
そのため押す事が出来るように車両の両端、左右に茸状の緩衝器(バッファ)が取
り付けてありました。(ヨーロッパでは、今でもこの方式がほとんどです。というよ
り路線が各国に跨っているので実際上変更が困難。)
以下WIKIより引用(連結器 5 日本の自動連結器化)
これらの弊害を克服するため、日本の鉄道院は1919年(大正8年)から全国の機関車
・客貨車の自動連結器化を計画した。5年に渡って綿密な準備作業や交換練習が重ねら
れ、作業チーム1組が毎時2両分の連結器交換をできるまでになった。また車両の台枠
端部には定期的な修繕の機会を利用して強化改造が施され、全国を常に移動する貨車
については、前後2個分の自動連結器を台枠下に取り付けた木枠にぶら下げて、全国
どこにいても連結器交換が可能な態勢を整えた。この「腰弁当」方式は島安次郎の考
案と言われている。
統計上、年間で最も輸送需要が少ない時期が交換日に選ばれた。1925年(大正14年)
7月初旬から予備車・固定編成車両を中心に交換が始まったが、大多数の車両は特定の
一日を一斉交換日とした。本州が主に7月17日、九州が7月20日である。交換日当日、
連結器未交換の機関車・客車はその日の終着駅で交換工事を施した。両数が膨大な貨
車については、交換日当日に貨物列車を24時間全面運休させるという異例の特別措置
が採られた。総動員された鉄道関係者らの手で、夜明けから日没までの間に突貫作業
が進められ、ねじ式連結器は一斉に自動連結器に交換された。
この時連結器交換を受けた車両は、機関車が約3,200両、客車が約9,000両、貨車に
至っては約46,000両に上る。これらの車両が装備する、計10万個以上の連結器を、半
月ほどの間に全交換することに成功したのであった。
アメリカの技術指導で開業したため、当初より自動連結器を標準採用してきた北海
道の国鉄線に関しては、取付高さの本州並み調整のみ1924年に済ませており、本州の
連結器交換によって青函連絡船での車両航送による貨車直通が実現した。これに対し、
四国の国鉄線については当時は孤立路線のため、1926年(大正15年) – 1927年(昭
和2年)まで交換が繰り延べられた[17]。
WIKIより引用終り
これは日本人の、とことんまで拘る性格が大成功をおさめた例でしょう。パソコン
などはなく通信網も粗末なこの時代に、これだけのことがどうしてできたのか、現代
に暮らす私には、驚嘆の他はありません。
ちなみに昭和30年代でも旧型車両には、端部両端にバッファ取付用の穴が開いて
いるのを見かけました。 また、電車には「密着連結器」が多く使われています。
以上
【1181】[1354]「中国人の本性」を読んで 朱舜水が日本にもたらしたもの
水戸藩の尊王攘夷思想について 「中国人の本性」を読んで 田中進二郎
皆様、猛暑お見舞い申し上げます。今年の正月にオーストラリアが猛暑で50度近くになったということを知ってから、日本も今年は暑くなるのかなあ、と思っていたら想像以上ですね。クーラーがなくて、大都市の中心に住んでいて、お年寄りの方が毎日のように熱中症で亡くなっていますね。みなさまのご健康をお祈り申し上げます。
さて、アルル中田さんが「今日のぼやき」(広報・1396)で、副島先生の新刊『歴史・思想・宗教で読み解く 中国人の本性 副島隆彦vs 石平』(徳間書店)を紹介しています。私も拝読いたしました。
昨年の『隠されたヨーロッパの血の歴史』では、ビザンツ帝国からやってきたゲミストス・プレトンとヨハンネス・ベッサリオンがフィレンチェにやってきて、コジモ・ディ・メディチにプラトンの思想を伝えた。(1439年プレトンのプラトン講義)そしてイタリア・ルネサンスがここから始まっていく、と、副島先生は書かれています。
このプレトンとちょうど対応するのが、『中国人の本性』では朱舜水(しゅ しゅんすい・1600~1682)という中国から日本への亡命知識人であることがわかります。
p49には、肖像画つきで、「幕末維新を動かした生みの親は朱舜水である」と大書されています。
p47~p51より引用します。
(『中国人の本性』より引用開始)
石平: 水戸光圀は朱舜水からそれほどの影響を受けたのですか?
副島: 影響などというものではありません。水戸光圀は朱舜水から、司馬遷の『史記』の書き方を教わったわけです。隠元禅師は江戸時代、1654年の63歳のとき、弟子たち20人を引き連れて日本へ渡ってきました。その5年後に朱舜水も日本に永住を求め、日本国学の思想も吹き込んだ。
石平: その国学が水戸学につながって、幕末維新を動かしていったわけですね。
副島: つながったどころか、この国粋思想(排外主義 ショービズム)しかなかったと思います。日本の「尊王攘夷」は中国知識人から教えられたものです。それなのに、「中国から最高級の亡命知識人たちが日本に来た」という真実を、日本の右翼言論人たちは隠そうとしている。日本の各宗派の僧侶たちもこの真実を隠して、地力で高度の仏教思想を築きあげた振りをしています。
(中略)
副島:朱舜水は楠木正成の息子である正行(まさつら)との「桜井の訣別」とか足利尊氏に敗れて自害した「湊川の決戦」の故事を初めて日本の正史として高く評価した人です。
二・二六事件の青年将校たちも、水戸学が築いた「日本の国体」なるものに心酔しました。
(中略)
だから戦争中に狂ったように崇拝して、今でもあちこちに楠木正成の碑と銅像があるのです。
石平:神戸市にある湊川神社には楠木正成の墓碑がありますね。
副島:その墓碑の裏面には、朱舜水のつくった賛文が書かれています。今は誰も読めません。この湊川の墓碑の建立(1692年 元禄五年)によって、楠木正成の威徳が極端にまで宣揚されるようになりました。後の幕末勤皇思想の発展につながり、明治体制の精神的指導力にまでなりました。さらに、神がかりといえるほど軍国主義の本尊に祭り上げられました。そして敗戦でアメリカに打ち倒されました。
(引用終わり)
田中進二郎です。この本には残念なことに朱舜水の碑文の原文が載っていませんでした。
よって、探してみたところありました。↓をごらんください。
朱舜水「楠公碑陰記」
http://www.geocities.jp/sybrma/208syusyunsui.nankouhiinki.htm
最初にどんと漢文が出ていますが、下のほうに書き下し文を作ってくださっているので、ありがたい(涙)。
江戸時代には、今の湊川神社には、この碑文だけがあって、社殿などはなったことが名所図会(めいしょづえ)に描かれています。つまり、水田や松林などの中にこの碑文だけが屋根で囲われてあった。頼山陽(らいさんよう)がここを訪れて、漢詩を読んだ。
これが「七たび生まれ変わって、朝敵を討つ」の「七生報国」(しちしょうほうこく)となった。
また太平洋戦争末期に、アメリカから「きちがい兵器」とよばれた人間魚雷「回天」は「天を回(めぐ)らし、戦局を逆転する」という意味がこめられている。これも楠木正成神話からきている。アメリカがヨーロッパの亡命科学者を狩り出して、原爆を製造を完成させつつあった時期に、日本は人間魚雷を開発した。これは「神がかり」以外のなにものでもない。
だから、GHQのニューディーラーたちは、楠木正成を教科書から削除するように命令した。
(ちなみに人間魚雷「回天」は今でも靖国神社の遊就館(ゆうしゅうかん)に展示されている。)
話を朱舜水に戻します。
山本七平(しちへい)著『現人神(あらひとがみ)の創作者たち』(文芸春秋 山本七平ライブラリー12 1997年刊)にも朱舜水について考察した章があります。
山本七平(1921~1991年)は次のように書いています。
『現人神の創作者たち』p48より引用します。
(引用開始)
楠公を発見し、これに賛を書いたのが中国人だなどということは、戦前の日本人にありえざることだったのだろう。
(中略)
楠公碑は、講談にも副読本にも歴史教科書にもでてきて、私たちの世代の人間はいやおうなく覚え込まされたが、その表面の「嗚呼忠臣楠子之墓」が光圀の自筆であることは語られても、裏面の文章は朱舜水であることはこれまたまったく語られなかった。と同時に、そのすべては戦後に消されてしまった。
(引用終わり)
田中進二郎です。戦前のこうした状況が幕末の尊王攘夷運動とどのように、つながっているのであろうか。それと水戸学イデオロギーを奉じた水戸の天狗党の乱(1864年)の結末にも関心がある。
というのも、吉村昭著の「天狗争乱」(新潮文庫)では、尊王攘夷を唱えた天狗党のリーダーたち、すなわち藤田小四郎(こしろう 1842~1865 藤田東湖の子)や武田耕雲斎(こううんさい 1803~1864 水戸藩家老)が、雪中行軍の末に敦賀(つるが 福井県)で幕府や諸大名の包囲網の前に屈し、360名が処刑されるところで小説が終わるからだ。
その先はむごたらしい水戸藩内での激しい内ゲバが起こったのが、史実だ。吉村昭でも触れえなかった悲惨な結末は、水戸人をして「藤田東湖さえ生きていれば、こんなことにはならなかった。」と嘆かせたという。
水戸藩は天狗党の乱からの内乱で5000名の死者を出したとされる。
これを戊辰戦争(鳥羽・伏見の戦い~函館五稜郭 1868年1月~69年6月まで)の戦死者とくらべると、旧幕府軍が約8600名(うち会津藩が2400名でもっとも多い。)、新政府軍が約3600名(薩摩が約500名、長州が約400名)とされている。(靖国神社で招魂されている戦死者の数である。)
この数をみただけでも想像ができようが、殺し合いがあんまりひどいので、みんなが真相を語りたがらなかった、という。純粋・過激な政治イデオロギーの先頭を突っ走った水戸藩は、新政府にだれも高官につかなかった。みんな死んでしまったからである。最後に起こったことは集団的アノミー(規律喪失)だったのかもしれない。
このことについて、私も本当に知っているわけではないので、そろそろ筆をおかなければならない。
田中進二郎拝
【1180】[1353]スペインでの列車事故が明らかにした福知山線脱線事故の真実
下に貼り付けた画像は、7月24日に起きたスペインでの列車事故の録画映像です。
新聞記事を下に引用します。
<引用開始>
スペイン脱線事故、制限速度2倍の190キロで走行
(日経新聞2013/7/26)
【サンティアゴ・デ・コンポステラ=共同】スペイン北西部ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステラで24日午後8時40分(日本時間25日午前3時40分)ごろ、マドリード発フェロル行きの高速鉄道が脱線し、多くの車両が横転して大破し、一部で火災も発生した。スペインメディアによると、80人が死亡、約130人が負傷した。
同国捜査当局は、事故は運転士による速度違反が原因との見方を強めているもようで、ロイター通信によると、25日、運転士の取り調べを始めた。同国メディアは捜査関係者の話として、運転士の1人が、制限速度である時速80キロの2倍以上の約190キロで走行していたことを認めたと伝えた。
スペイン国鉄は「事故車両は当日の朝に点検を受けたばかりで異常はなかった」として、技術的な問題の可能性を否定。捜査当局は、列車の運行状況などを記録したブラックボックスを既に回収し、事故原因の解析を急いでいる。
マドリードの日本大使館には邦人が被害に遭ったとの情報は入っていない。
列車は客車8両と動力車2両の編成で約220人が乗っていた。全ての車両が脱線、列車は途中の連結が外れ前後2つに分かれた。パイス紙は、列車が壁面に激突、横転する様子を写した監視カメラの映像をウェブサイトで公開した。
事故はサンティアゴ・デ・コンポステラの駅の約4キロ手前の急な左カーブで発生した。列車は「アルビア」と呼ばれる高速鉄道で最高速度は250キロ。事故時には、スペイン最高速の新幹線AVEと同じ軌道を走っていた。旧市街が世界遺産に登録されたサンティアゴ・デ・コンポステラは聖ヤコブが埋葬され、エルサレム、バチカンと並ぶキリスト教の巡礼地として知られる。25日は「聖ヤコブの日」と呼ばれる祝日で多くの観光客が訪れるとみられていた。
<引用終了>
制限速度80キロのところを「190キロ」で走行していたのが上のyoutube画像です。
さて、この画像をみて私が気がついたのは、列車が転倒する前に脱線していることです。つまり、遠心力に耐えられなくて2両目の列車がレール外側にはみだし、そこからそのまま壁に激突しながら転倒しています。テレビの解説では、2両目が、ディーゼル電池をつむ車両に変更されていて、重心が高くなって脱線したのだろうという、事故原因を語っていました。
さて、これを見て、2005年に神戸で起きた福知山線の「列車転倒事故」を思い出された方も多いと思います。福知山線の事故は、2005年4月25日にJR西日本福知山線、塚口~尼崎駅間で発生した列車事故です。前部2両が転倒して、マンションに衝突、107名の方が亡くなりました。この事故は制限速度80キロのところを「120キロ」で走行しておきたことがわかっています。
スペインの事故と福知山線の事故は車両構造がちがいます。しかし、それを考慮しても、比較して2つの点で不思議なところがあります。まず、2つの事故は制限速度が同じ場所でおきています。それなのに、福知山線の事故では、わずか40キロオーバーで転倒、スペインの事故では100キロ以上オーバーしても転倒せず、勢い余って脱線してからの転倒です。
次に、スペインの列車事故の解説では重心の高い車両にも問題があったように述べているのに対して、福知山線の事故原因には、車両が原因とする指摘はほとんど出ず、すべて運転手のスピード超過とされている点です。福知山線の事故の方がはるかに速度が低かった(120キロ)にもかかわらずです。
私は、実は、福知山線の事故のあとに、他の脱線事故をいろいろ調べました。その結果わかったことは、「電車や列車は転倒しない」ということです。基本的に下部の方にモーターや台車など重い部品が偏って存在するので、重心が低く、倒れません。調べてみても、先頭機関車が倒れた、あるいは突風にあおられて倒れたというケースはありましたが、カーブの速度超過で倒れた「電車」は見つけることができませんでした。
世界中の鉄道事故を調べるのは困難ですが、たぶん、福知山線脱線事故というのは、「速度超過によりカーブで転倒した歴史上はじめての電車」だと思います。電車というのは倒れないし、倒れるようには、もともとできていません。
では、なぜ、福知山線脱線事故ではわずか40キロオーバーで転倒していまったのか?簡単に書くと、これは車両の軽量化、特にボルスタレスという軽量車両による欠陥によるものです。
以前、ぼやきに書いていますので、興味がある方は,
ぼやき「900」あなたの乗っている列車は大丈夫か?事件が風化する前に2年半前の「尼崎JR脱線事故の原因とは何だったのか」について考える。2007.11.27
を参考にしてください。
下條竜夫拝
【1179】[1352]私のフェイスブックより
以下泉浩樹個人のフェイスブックより転載します。(転載はじめ)
泉 浩樹さんがどうする福島!さんの写真をシェアしました。
40分前 ・
だから何なんだ。
どうしろと言うんだ。
言ってみろ。
なにが”いいね!”なんだ。
ふざけて、他人事で い・う・な。
私はあなた方を総じて「愚か者」だと言ってやる。
ここで事実を教えてやる。
福島いわき周辺で殺人を含めて レイプ事件が震災以降頻発している。
捕まった犯人は復興に名を借りた他方から来た「復興業者」。
犯人曰く「福島県民は放射能を浴び往く往く死ぬ身であるから罪にはならないだろう」という 言いぐさだった様である。
福島県警の人間なら知っている事である。
5年後、10年後に10万、20万の人間がガンを発病すると言った人間が居る。
いま現在放射能(線)が原因で発病した人間は居ない。(証明不可能)。
奇形を有した新生児もいない。
地元の人間なら知っている事だ。
今なを「被曝」と称して『福島』を差別している人間たちだ。
そうした人間は自分の発言のケツを拭けるのか。
私達 福島県民 はこの仕打をけっして忘れない。
放射線が人体に直接影響を与えるのは 1Sv/毎時 以上である。
放射線は「熱量」と同等の性質を持つ。
1999年末の東海村での臨界事故で 日本政府は「被曝人体データ」を収集している。
だから震災事故後の政府発表はそのとおりなのだ。
放射線専を専門に扱う「医療従事者」のほとんども同じ見解のままである。
しかしながら、今の状況を変えることは不可能である。
「怖い怖い」を刷り込んだ「脳みそ」は そうは変えられないのである。
いま「大変ですね、逃げて下さい」のリアクションがあったが。
有り難いが、あなたの見解はあてはまらない。
「福島県民」は「健康に生きている」。
【1178】[1351]田中宇氏のURLです
田中宇氏の「田中宇の国際ニュース解説」のURLは次の通りです。
http://tanakanews.com/index.html
私は田中宇氏の国際情勢解説にかなり以前から注目しており、副島先生の解説とともに自分の判断力向上に大いに参考にさせていただいています。
今回、副島先生が田中宇氏と協働されるとの情報を大変うれしく思います。
【1177】[1350]田中宇( たなか・さかい)氏の 以下の「金塊を取り戻すドイツ」文はたいへん優れています。
副島隆彦です。 評論家の田中宇(たなかさかい)氏の ネット上で弛(たゆ)まず精力的に発表され続けている 評論文は、大変すばらしいものです。
どうぞ皆さんも、彼のサイトに行ってお読みください。
とりわけ 以下の 「金塊を取り戻すドイツ」は、昨年の11月に書かれたものですが、今、読み返してもズシリと来ます。 私、副島隆彦は、田中宇氏 ( 宇宙の 宇 「う」から、「うーたん」とネット上では若い人たちから呼ばれています)とは、10年前に、写真週刊誌(まだ有るのか) 「週間 スパ」の対談で一度だけお会いしたことがある。
当時は、どんな人か分からなかった。私よりも若い人だ。 彼も本を出版するようになり、それも一段落して、今はネット上の 自分のサイト
・「田中宇の国際ニュース解説」
http://tanakanews.com/index.html
で、実に精力的に書き続けている。その精悍さと、内容の正確さは眼を見張るものが有る。 私は、田中氏と全く同じ政治分析や金融分析をやってきたので、内容が重なる部分が多くて、競争相手のようになったまま今日まで来た。
私は、10年かけて、時々、田中氏の文章を読む機会があった。内容はきわめて正確である。 真実が書いてある。欧米の一流紙の メディア言論を、しっかりと渉猟(しょうりょう)して、その正しい理解の上に、彼自身の判断を行い、自分の言論の立場として、常に明確に思想表明もしている。 私、副島隆彦が築き上げてきた言論から、田中氏が学んだこともあるだろう。
私は、今後は、田中宇氏と連帯して、日本の言論界を引っ張ってゆくことを考えなければいけない。今のように 腐れ果てたメディアばっかりで、アメリカの手先になりきって、自分の脳が溶けている ロボット評論家か、明らかに低能の新聞記者しかいなくなってしまった。
アメリカの日本支配と闘う、とまで言わなくていいから、せめて、日本国内の権力者や、支配勢力と闘って、真実を国民に伝えるという、若い言論人やジャーナリストが育って欲しい。 反権力、反体制であることこそは、知識、言論、思想の持つ 一番大切な命(いのち)だ。
この 反権力の魂(たましい)が無い人間に私は用はない。
愚劣なる権力側に媚(こ)び諂(へつら)って、彼らの犬(いぬ)となって、「現実は、厳しいですからねー。上(うえ)に逆らってばかりいたら生きて行けませんよー」と、へらへらと周囲に言って回っているようなマスコミ人間たちだけになってしまっている。
それに加えて、ネット上に、謀略言論にもならない、下劣きわまりない、ネット撹乱(かくらん)、言論妨害人間たちが、自民党や、政治警察や、右翼経営者組織によって、安価で雇われてはびこっている。インターネットの世界を穢(きたな)らしい、軽度の精神障害者たちの群れが書き込む、下品極まりない、世界に変えてしまっている。彼らの狙いのとおりなのだろう。
だから、私は、今後は、田中宇氏と連絡をとって、彼と話して、これからの日本におけるネット言論の 隆盛と 生き残りのための真剣な話し合いをしたいと思う。 精神の曲がっていない、しっかりした優れた若い言論人、知識人たちを
育てて行かなければいけない。 この深い決意において私は人後(じんご)に落ちない。
田中宇さん、近くお会いしましょう。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
「 金塊を取り返すドイツ 」
2012年11月6日 田中 宇
ドイツ政府は、米国政府に次いで世界で2番目に多くの金地金を保有している。独政府は3400トンの金を持ち、金融資産の72%が金だ。(米政府は約8100トンの金地金を持ち、政府資産の75%を占める。日本政府は765トンの金地金を持ち、世界第9位だが、政府資産に占める金の比率は3%しかない。欧州の主要国の多くは、金地金の比率が7割以上だ) (World Official Gold Holdings as of August2012)
ドイツは膨大な金を保有するが、その大半は外国に置かれている。第二次大戦の敗北以来、戦勝国の米英仏の中央銀行が、ドイツ政府の金地金で預かっている。この預託は冷戦期に「ソ連軍がドイツに侵攻して金塊を奪うかもしれないので、米英などが預かっている」という名目で続けられた。独政府(中央銀行である独連銀)が所有する金地金のうち、66%を米連銀(FRB)、21%をイングランド銀行、8%をフランス銀行が預かってきた。独本国には5%しかないことになる。 (Bundesbank slashed London Gold holdings in mystery move)
(別の記事では米に45%、英に13%、仏に11%、独本国に31%となっている) (Bundesbank’s Official Statment On Where It’s Gold Is (And Isn’t))
米当局は、ニューヨーク連銀の地下金庫と、ケンタッキー州フォートノックスにある財務省管理の金地金保管所で、ドイツだけでなく世界各国の金塊を預かっている。だが米当局は、金相場を操作する目的で、預かっている金塊を民間銀行に貸し出して売却しているという見方が、以前から根強く流布している。 (操作される金相場) (James Turk – The Entire German Gold Hoard Is Gone)
ニューヨークやフォートノックスには、本物の金地金の代わりに、金と比重がほとんど同じであるため穴を開けないと真贋を判定できないタングステンを真ん中に詰めた地金が置かれているという推測もある。 (Fake Gold Bars in Fort Knox!)
米連銀は毎年、独連銀に対し、預かっている金地金が本当に存在していることを示す報告書を送っている。だが戦後65年間、独政府の関係者で米NY連銀の地下金庫にあるドイツの金塊を実際に見せてもらった人はいない。毎年、米国から「証書」は送られてくるものの、金塊が実際に存在することを物理的に確かめた人は独側にいない。ドイツの議員が独連銀に対し、訪米してNY連銀にドイツの金塊を見せろと要請するので支持してくれと頼んだが、断られた。 (Germany Parliament denied access to Germany’s gold to confirm it is there)
米当局はドイツだけでなく、あらゆる国からの物理的な金の存在確認の要請を断り続けている。米議会ですら、共和党のロン・ポール議員らがずっと前から「NY連銀やフォートノックスに本当に金地金が存在するかどうか確かめる必要がある」と米当局に要請して断られ続け、昨年ようやく議会で米連銀を査察する法律が通り、連銀査察委員会が作られて作業を開始している。 (What’s in your vault? Uncle Sam audits its stash of gold at the New York Fed) (ロン・ポールが連銀をつぶす日)
金融界の「専門家」たちはこぞって「金地金が本当に当局の金庫内にあるかどうかは全く重要でない。金地金が財務諸表に計上されていれば、それで十分だ」と「権威ある」主張を展開し続けている。金融界は「紙切れ」に価値がある、資産は金地金でなく債券や株で持った方が良いと人々に信じ込ませて儲け続ける業界だから、金融界の人々が「金地金の物理的存在より、紙面上の存在の方がずっと重要だ」と言うのは当然だ(日本でも戦後の高度成長を体験した年寄りほど、株や債券を崇拝し、金地金を蔑視する)。 (Actual Existence of Gold Reserves is Irrelevant, It’s the Bookkeeping That Matters!)
米当局の金庫は金塊が棚の番号で管理され、どの棚にある金塊が誰の所有であるかは、ごく一部の当局者しか知らない。米当局は、ドイツの代表が来たら棚を見せて「これがドイツの金塊です」と言い、イタリアの代表が来ても同じ棚を見せて「これがイタリアの金塊です」と言うことができる。ドイツ側が金塊について真の安心を得るには、金塊を米国から引き揚げて自国に戻すしかない。 (The Germans Are Coming for Their Gold)
根強い憶測の流布を受け、ドイツの議会では昨年から、米国に預けている金塊を取り戻すべきだとか、在米の金塊がタングステン入りでなく本物であるかどうか調べるべきだという主張が強まっている。議会の声を受けて昨年、ドイツの会計検査院(Bundesrechnungshof)が、独連銀に対し、米国に預けてある金塊の存在や真贋性を定期的に確認するよう求めた。だが独連銀は「世界の中央銀行の業界では、そのような慣行が存在しない」という理由で拒否した。 (Checking the Vaults Germans Fret about Their Foreign Gold Reserves)
ユーロ危機でドイツは資産保全の必要性が高まっている。今秋には、連銀がドル増刷による債券買い支え政策(QE3)を事実上無期限で続けることを決めた。ドルが「紙切れ」になる危険が増し、米当局が紙切れを防衛するために金地金の価値を意図的に引き下げ続ける疑いも増している。米国でさえ、共和党が金本位制への復活を検討する委員会を作った。ドイツが金塊を米国に預けたまま確認もしない現状に対する懸念が、ドイツの政界や言論界で強まっている。 (◆金地金の復権) (West in a `Colossal Mess’ in Five to 10 Years: Marc Faber)
このような情勢下、独会計検査院は10月下旬、独連銀に対し、米国に預けた金塊を定期的に検査するよう求める報告書を再び出した。こんどは、今後3年間に150トンの金塊を米当局から返してもらい、それがタングステン入りでなく本物であることを確かめる作業をすることも独連銀に求めている。報告書では、独連銀が2000~01年に、英国の中央銀行に預けてあった金塊のうち3分の2にあたる940トンを独本国に返還させていたことも暴露され、独連銀自身が金塊の国内保有を好んでいることが明らかにされた。 (Why Did The Bundesbank Secretly Withdraw Two-Thirds Of Its London Gold?)
独連銀は、会計検査院と見解が違うと表明し、要求を断る姿勢を改めて示した。独連銀は在米金塊を査察しないかもしれないが、少なくともドイツが米国に金塊を預けたままだと危険だということが、広く知られることとなった。 (Bundesbank Disagrees With Audit Court’s View on Gold Reserves)
ドルの基軸通貨性が崩れていることを受け、世界各地の政府が、外国に預けてある金塊を取り戻す動きをしている。ベネズエラは英国中銀から金塊を回収したし、ルーマニアは戦後の共産化とともにソ連に預けさせられた金塊をロシア政府から取り戻そうとしている。スイスやオランダでも、米国などに預けた金塊を回収すべきだという政治家が出てきている。 (The Emperor Has No Gold)
こうした流れは、いずれ世界的な「金の取り付け騒ぎ」を引き起こすかもしれない。民間の投資家も、独政府と同様、金地金を買って保有したつもりでも、実際に現物の金地金を手にすることはなく、証書だけ受け取る場合が多い。ETFなどの債券だけでなく、金の現物を商社から買った人も、ほとんどが商社の金庫に預けたままだ。米当局が、地金相場を引き下げるために預かった金地金を空売りしてきたのなら、全世界の政府や人々が保有している金地金の総量よりも、実際に世界に存在する金地金の総量がはるかに少ないかもしれない。あとから現物を引き出す人々は現物を受け取れず、紙切れの世界から離脱できなくなる。 (操作される金相場(2)) (Celente – It’s Not Just Germany’s Gold That’s Missing)
ドイツで金塊の回収が取り沙汰されているのと対照的に、同じ敗戦国の日本では、日銀などが保有する自国の金塊の保全について全く話題にならない。日本政府の金地金保有はドイツの5分の1の765トンしかないが、その全量が日銀の金庫にあるとは限らない。そもそも日本政府の金融資産のうち金地金は3%にすぎず、今後もしドルや米国債が大幅減価した場合の資産保全ができていない。
今のところ米国債は、米連銀のQE3によって高止まりしているが、これは裏でドルを増刷しているからであり、危険なバブルの拡大である。官僚機構に蚕食された日本の民主党政権は、米連銀の自滅的なドル増刷に合わせて、日銀に圧力をかけて円増刷の量的緩和を加速させている。次の首相を狙う自民党の安部晋三は、日銀の量的緩和を加速させると宣言しており、これまた官僚機構にしっぽを振る対米従属派だ。 (BoJ independence called into question)
中国政府は米国債を買い控えているが、その分を埋めるように、日本政府は米国債を買い増している。日銀の量的緩和で円安を維持できれば日本企業が助かるから良いと言われてきたが、恩恵を受けるはずの日本企業はどんどん業績が悪化し、消えていきかねない。シャープが5年以内に倒産する確率が95%だ(CDSの値なので恣意的な部分があるが)。 (Japan closes on China in US bond holdings)
つるべ落としの日本と対照的に、中国経済は不況を脱しつつあると米英紙が報じている。中国は今年、米国を抜き、世界から最も多額の投資を集める国になっている。中国政府は2015年までに、国際的なブランド商品を百種類、国内的なブランドを千種類にするとの目標を掲げている。これが達成できるとは限らないが、日本の製造業が魅力的な新製品を出せなくなるのと対照的に、中国の製造業が急速に力をつけているのは確かだ。 (China Edges Out U.S. as Top Foreign-Investment Draw Amid World Decline) (’Brand US’ key to pivot in Asia)
中国が嫌いな日本人ほど「中国なんか大したことない」と豪語するが、そうした態度は間抜けだ。米英日のマスコミには、中国が政治経済社会のいずれかの面で崩壊するとの予測がしばしば載るが、これは「ユーロはもうおしまいだ」という論調と同様に、米英の危機を意図的に見ず、米英に対抗しそうな中国やEU(独仏)のマイナス面を誇張して報じている米英覇権の維持策であり、鵜呑みにすべきでない。中国が嫌いな日本人ほど、経済や国際政治の面で中国が力をつけていることを直視し、それに負けない日本を作るにはどうしたらいいかを考えねばならない。 (China’s manufacturers return to growth)
中国は、人民元による貿易決済を拡大し、元をドルに代わる東アジアの基軸通貨にしようとしている。最近まで中国はこの戦略について沈黙し「元がドルに取って代わる」という見方はもっぱら欧米の分析者の発信だった。だが最近では中国政府系のマスコミが「ドルを放棄して代わりに人民元を使う動きがアジアで広がり、元圏ができている」と報じている。中国政府は、経済面で国際的な影響力を拡大する官庁(Department of International Economic Affairs)を新設することも決めた。中国が東アジアの地域覇権を顕在化するとともに、日本の力が急落している。最近の日本では、国連安保理の常任理事国になろうという意志もすっかり薄れている。 (Asian economies turn to yuan) (China’s economic power mightier than the sword)
(中国政府の金保有は1054トンで日本より上の世界第6位だが、政府の金融資産に占める金地金の比率は日本よりさらに低い1・6%だ。中国政府は金地金を買いあさっているが、保有はなかなか増えない。中国が金本位型の国際通貨を発行する構想があると報じられたが、それが現実である可能性は低い。ただし中国は、民間の金保有量が多い) (China Is Quietly Becoming Gold Superpower) (China Launching Gold Backed Global Currency)
中国の経済台頭と対照的に、日本だけでなく米国の経済的な衰退も激しくなっている。米国では、この10年間に約100万人の雇用が増えたが、その大半は財政赤字を増やして公的機関が雇用したもので、民間の雇用は43万人しかない。しかもその多くは、飲食業の給仕や福祉要員など、比較的付加価値の低い業種だ。付加価値が高い建築家と技術者は、合計で10年間に5万人弱しか増えていない。給仕が120万人、福祉要員が309万人増えたのと対照的だ。このままだと米国は20年後に発展途上国になる。(職業に貴賎はなく、先進国と途上国の間にも貴賎はないというリベラルな価値観に立てば、これで良いのかもしれないが) (America R.I.P.)
米国では貧困層の人口が増え、国民の3分の1が生活保護(フードスタンプ)など何らかの公的補助に頼っている。4年前は、この比率が5分の1だった。米国は今年末に「財政の断崖」を控え、米国債の格下げが「あるかどうか」でなく「いつ起きるか」という話になっているとも指摘されている。そもそも、米英の経済覇権維持機能の一つだった3大格付け機関の間で仲間割れがひどくなっている。半面、米英覇権構造から外されている米国のイーガンジョーンズ、中国の大公、ロシアのルスレーティングという米中露の格付け機関が連携を強めることにしたとの報道もある。 (Barack Obama and America’s decline) (War of words erupts among rating agencies) (New Sino-Russian agency to challenge Moody’s, Fitch, and S&P)
このように米英の経済覇権が揺らぐ中で、ドイツが米英から金地金を引き出す試みが展開されている。同時に、日本は対米従属に固執しているがゆえに、政治経済の両面で行き詰まっている。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1176】[1349]副島隆彦先生の経歴と業績
会員番号3747 です。
私は、『人類の月面着陸はなかったろう論』で副島先生のことを知って、それから、他の著作も読むようになりました。
英語研究や、アメリカ政治思想研究、歴史ものや、映画評論、中国研究や、金融本と、副島先生の言論(出版物)のジャンルは実は幅広いです。
副島隆彦先生の経歴と業績を私なりにまとめました。
0.『道具としての英語』(1982年 29歳ごろ、1984年にも)
1.『欠陥英和辞典の研究』(1989年)
2.『英文法の謎を解く』(ちくま新書、3巻、1996年)
3.『現代アメリカ政治思想の大研究―「世界覇権国」を動かす政治家と知識人たち』(筑摩書房 1995年)これがのちに講談社文庫『覇権アメ』になる。そのあと、政治映画(評論)本
4.もう一冊の主著『属国・日本論』(1996年)
大学に勤める(1997年から)、「ぼやき漫才」を「副島隆彦の学問道場」としてサイトを開いた(1999年)
5.『人類の月面着陸はなかったろう論』(徳間書店 2004年)
6.「預金封鎖」本(2003年)、「実物経済の復活」(2003年)=初の金を買いなさい本
7.国税庁、税務署との闘い(2004年)『恐ろしい日本の未来 私は税務署と闘う』
8.SNSI副島国家戦略研究所の第1論文集『金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ』(2005年)を出す
9.中国研究本を毎年1冊出しはじめる(2007年)
10.金融崩れ、世界金融危機(1998年に「日本の危機の本質」)『ドル覇権の崩壊』(2007年)、『恐慌前夜』(2008年)
11.対談本(船井幸雄氏、森田実氏、佐藤優氏、植草一秀氏、石平氏、橋爪大三郎氏らと)
12.福島第一原発事故、微量の放射能は人体に無害(2冊)『原発事故、放射能、ケンカ対談』(2011年6月)、『放射のタブー』(SNSI第6論文集 2011年10月)
13.歴史ものの本『隠された歴史 そもそも仏教とは何か』、『隠されたヨーロッパの血の歴史』(2012年)『日本の秘密』(1999年)
14.2013年 現在に至る
【1175】[1348]you tube ユーチューブ の「シリア内戦 最新の映像」 を 見てください。
副島隆彦です。 以下のURL の you tube の 「シリア内戦 最新の映像」 を 開いて見てください。
http://www.youtube.com/watch?v=ZGzcvzSIF1A&feature=player_embedded
もの凄(すご)いです。シリア政府軍の 戦車 (T-72 というロシア製か) が、戦車砲を ぶっ放します。 反政府勢力であろ FSA(エフ・エス・エイ 自由シリア軍) の 兵士たち(服装が普段着のまま) も反撃して、
ここの 20枚ぐらいの you tube の 真迫の 映像では、対戦車砲(バズーカ)や、対戦車地雷で 戦車を吹き飛ばす 映像もあります。
去年(2012年)12月ごろから今年の4月ぐらいの映像です。
本物の本当の戦争というのは、こういう恐ろしいものであることが、私たちに伝わります。 兵士たちは、市街の掃討戦、スナイパー(狙撃兵)狩りをやったりうもします。 アメリカの戦争映画の 作られたウソの映像とは、違います。
人間(民衆) は、こういう極限状況でも、淡々と、だらだらと生きている、というのがよく分かります。 反政府軍による、捕虜になった政府軍の兵士10人ぐらいを、慣れているという感じで、撃ち殺す映像もありました。
アメリカ(オバマ政権)が、シリアの反政府勢力(寄せ集まり)に、重火器( 対戦車ロケット砲 や 対ヘリ用のミサイル)を供与しなかったので、それで、今年の6月ぐらいから、反政府軍が負け始めています。
ダマスカスでも 第2の都市アレッポでも、政府軍に追い詰められています。
政府軍は、制空権がある(戦闘爆撃機による空からの空幕)と、戦車部隊が投入されるので、やはり強い。
シリア政府軍の戦車数台が、廃墟とかした市街を鈍重に動いてゆき、目標を定めて戦車砲を放つ様子は、熱燗(あつかん)ではなかった厚感です。
反対に、戦車に砲弾が貫通して、戦車の砲塔の口から真っ直ぐに火柱が上がる様子は、 息を呑みます。 「アッラー・アクバル(アラーは偉大なり)」の掛け声が不気味に映像の中で続きます。
本当の戦争といには、このようにぞっとするほど恐ろしいものです。シリアは内戦(同じ国民どうしが国内で戦う)だから、こういう すさまじい映像が、テレビで流れて、あるいは反政府軍が国外に持ち出して(トルコ領内に有る 反政府軍の司令部に)、you tube に アップロードするので、私たちもこうして見る事ができる。報道統制(メディア・コントロール)が出来ない。
オバマは、2期目に入って、どんどんリベラル政策を推し進めている。中東・ラブ諸国 の それぞれの 動乱状況、国内騒乱には、なるべく関わらない、という決断をしている。
重要なことは、アルカイーダ というのは、居ないのだ、存在しないのだ。
と、オーストラリアのテレビ討論会 と フランスの 識者インタビューで、優れた知性の人々が、口々に語っていることだ。
「アルカイーダ」というのは、アメリカが作った、創作の、空想の軍事集団であって、それは、本体(ほんたい)は、本性(ほんしょう)、サウジアラビアのワッハーブ派の 宗教原理主義( サウド王家が、直接資金源である)であり、イスラム教の ジハーディスト( ジハード=聖戦 を主眼とする) であり、本当は、アメリカCAIとイスラエルが背後から操(あやつ)っている 集団の別名だ。
それを、セラフィスト( サラフィー)とも言う。この狂暴な集団が、アラブ各国の清新な青年運動、反政府運動の振りをして、国民運動の中に潜り込んできて、そして市場(いちば)での爆弾破裂など、の狂暴な軍事行動をする。
サウジのワッハーブ派(ワハビー)が資金と武器を供給している、セラフイスト(サラフィー)たちは、アラブ各国の 穏(おだ)やかなイスラム教の国民運動であるイスラム同胞団(ムスリムブラザーフッド)の中にまで、潜り込んでくる。これで複雑な様相を呈する。
ヒラリーが、ゲロを吐いて、昨年12月に脳震盪(脳出血)で倒れたのも、自分の直属の部下の、リビア大使だった凶悪な男(米国務省の高官、外交官)が、リビアのベンガジの米公使館で、作年8月に、このサラフィーの青年たちに襲撃されて殺されて、死体を引き釣り回された(これが映像で世界に流れた)を見て、それで、卒倒したのだ。
この背後には、このセラフィーの青年たちを、自分たちアメリカの軍事狂暴派(アメリカのためには戦争も辞さず)が、上手にあやつっていたのに、突如、自分たちに牙を向いて襲い掛かって来たからだ。
今年になってから朝日新聞のおかしな現地取材の記事があった。現地を調査した朝日の記者が、「リビアの サラフィーの若者たちは、立派な青年たちで、米大使たちを助けようとして、米公使館の中にはいったら、煙にまかれて大使たちが死んでいたので、青年たちは急いで病院に運んだ」 と、 それでは、一体誰が、米大使たちを殺したのかが、宙に浮いて、分からなくなってしまう(笑)、おかしな記事だった。
アルカイーダ ( アラブ語で「基地」 、「出撃拠点」という意味) は、第2時アフガン戦争(1980年)の時に、アフガニスタンに進駐したロシア軍に対して、ララブ義勇軍の 国際義勇軍( インターナショナル・ボランティーア・アーミー)として始まった運動だ。背後から支援したのはアメリカであり、ズビグニュー・ブレジンスキーの発案だ。この義勇軍の隊長のひとりが、オサマ・ビンラディンだ(彼は、イエメン人だがサウジで育った、大手建設会社の息子)。 だからアルカイーダは、ブレジンスキーの 妄想の産物だ。
アルカイーダに、ロシアと戦わせるために、アメリカは対戦闘へリのスティンガー・ミサイルをたくさん与えたものだから、それらが、アラブ世界に散らばった。
この アラブ世界が、ボラタイル(激動、大変動)になった原因を、アメリカ自身が作ってしまったものだから、アメリカの民主党支持のリベラル派の国民( 進歩派の知識人たち)は、頭を抱えて考えこんでしまった。
それで、リビアのカダフィ殺し を、ヒラリーたちがやってしまった頃に、アメリカのリベラル派の総体は、大きく考えを変えた。 「もう、アメリカ(人)は、中東、アラブ世界には関わりたくない。
どんなにアメリカが善意で、中東アラブ世界に、デモクラシーと人権思想を教えよう(植え付けよう)としても、何かやると、さらにその下から、得体のしれない お化けが出てくる。コワイ、コワイ、 もう イスラム世界に関わるのはやめよう」 と、アメリカ国民の空気(ニューマ)が、大きく変化したのだ。
このような大きな空気の変化が、読めないようでは、アメリカ政治分析 など出来ない。 それぞれの国の政治問題を論じる能力に欠陥がある、能力が足りない、ということだ。
これらの ユーチューブの 本物の戦争の、本当の戦闘シーンの 馬鹿らしいまでの、そこらの電気工事や、建設現場での作業のような (ただし、爆弾による破壊工事) 奇妙な感じを、しっかりと学んでください。
軍事オタクたちが大好きな映像なのだろう。日本は敗戦後から70年になろうおする。もう一度、本当の戦争が日本にも押し寄せて、私たちも、こういう 戦車戦の市街戦を経験することがある、いや 有り得る、と考えることが、自分の人生に正面から真剣に立ち向かう、対処する、ということである。 ダラダラした甘えた生き方は、もう出来ないのだ。
http://www.youtube.com/watch?v=ZGzcvzSIF1A&feature=player_embedded
you tube 「シリアの内戦 最近の映像」 から
副島隆彦拝