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Loginはこちら【1209】[1395]覇権アメと中国人の本性の感想
会員番号7543の伊里友一朗(いざとゆういちろう)と申します。
簡単に自己紹介致します。
年齢は29歳です。専門は工学で、具体的には、燃焼学と安全工学です。
現在は、研究者となるべく勉強中です。
私は政治思想や社会学は素人ですが、
副島先生や学問道場の言論より勉強したいと思います。
副島先生を知ったのは、ニコニコ動画の対談番組で、
「この人は嘘をつかない人だ」と勝手に
確信し副島先生の本を読むようになりました。
ここ2,3年の著作のほとんど(80%程度)は拝読していると思います。
以下、副島先生の「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち(以下、覇権アメ)」
と「中国人の本性」を読んだ感想を投稿します。
私は会員の中では、比較的最近入会した方の(まだまだ経験の浅い)部類と思います。
まだまだ副島言論の理解が浅いと思いますが、
重たい気持ちで感想(と感謝)と、副島言論への向き合い方を書こうと思います。
・覇権アメの感想。―属国・日本モデルと自身の思想の形成について―
副島先生の主著というのが、よくわかりました。
今まで何となく使用していた保守やリベラルという言葉、
そしてアメリカ政治思想の流れが、よく理解、整理できました。
個々の政治家たちの名前の多くは忘れてしまいましたが(笑)。
ただ、思想の流れだけは、しっかりと理解しようと思っています。
今まで、副島先生の本は何冊か拝読させていただきましたが、
この本はもっと早くに読んでおくべきでした。(属国・日本論は1年ほど前に拝読したのですが。)
これは私の勝手な理解なのですが、
副島先生は、小室先生を代表に様々な先生から様々な学問を吸収し(引用元を明確にしつつ)、
辿り着いたのが、帝国-属国モデル、いわゆる「属国・日本論モデル」であって、
その後の著作は、属国日本論モデルを通して観た世界の諸現象に対する解析なのではないか、と愚考します。
物理学者がニュートン力学モデルを通して、観測できない力場や慣性系を観るように、
副島先生は属国日本論モデルを通して、政治力学上の力や流れを観て、予測しているのだと理解しました。
そうであるならば、
副島言論を理解するうえで、属国・日本論と覇権アメは初めに読み、
その理論の蘊奥を理解しておけば、その他の本を読むにあたり
より理解が深まったのではないか、と今さらながら後悔しております。
(学問道場HPには、まずこの2冊を、と丁寧に注がありました。)
話は少し変わりますが、
私は以前より、自分の思想はどのように形成されるのか、についてずっと疑問でした。
恥ずかしながら、私には政治的思想はありません。きっと今もありません。
右とか左とか、保守とかリベラルとか、言葉としては聞いておりましたが、
その切実さは、私にはわかりませんでした。
「自身の思想と信条を明確にせよ。」と言われると非常に困ります。
しかし、この覇権アメを読んでいて、ようやくその答えが少しわかりました。
それは、自分が勉強になると思った人は誰でも自分の先生にして、
何を誰から教えてもらったかを明示しつつ、知識を発信・紹介していくことで、
世界を解釈するモデルが形成され、自然と自分の立ち位置が定まるのだ、と。
そして、これは正しく副島先生のスタンスではないか、と思います。
そのことが覇権アメを読んでいる際に切実にわかりましたので、
感謝を込めて、こうして投稿することにしました。
引き続き、副島先生とSNSIの皆様の言論から多くを学びたいと思います。
・中国人の本性の感想。―諸外国との政治的・文化的ダイナミズム抜きに日本史は語れない―
小室直樹先生の中国原論と同時並行的に拝読致しました。
中国人の本性の感想の前に、
小室先生の書かれる「原論」という仕事の偉大さをまず知りました。
今回も中国という国家に対して、一般理論と申しますか、基本OSと申しますか、
思考の土台となるものを提供していただいたおかげで、
より良く「中国人の本性」を理解できたと思います。(まさに土台学なのですね。)
中国人の本性を読んで理解したことの一つは、
「なぜ日本の歴史教育が細切れになるのか」ということでした。
それは、外国との相互作用をほぼ(意図的に?) 無視しているからなのでしょう。
社会学科の教師は「歴史は流れが重要だ、闇雲に暗記しても駄目だ」と口を揃えますが、
本当の流れとは、諸外国との政治的、文化的な相互作用のダイナミズムだ、と理解しました。
私も大学生のときは、アルバイトで中学生相手に歴史の授業をしていましたが、
突然、鎌倉仏教が出現したり、鑑真が来日したりで、
流れも何もなく、これは暗記しろ、と言わざるを得ませんでした。
すべて国内の出来事で完結させようとすることに無理があるのでしょう。
副島先生は、新たに中国本を執筆されるということですが、
中国知識人が日本に与えてきた影響に関する総整理を行うのではないか、
と期待しております。本書はその前の謎解き前の基本知識編なのではないかと思います。
本編最終章で、石平氏とやや議論が噛みあわなく見えるのは、石平氏が
副島先生の属国日本論モデルに関して、中国-日本モデルは認めて対談を進めつつも、
現在のアメリカ-日本モデルに関しては理解できない、というよりは、明言を避けられたのかな、という印象でした。
以上です。
伊里友一朗拝
【1208】[1394]強欲な0.01%が引き起こす米議会の対立 (目くらましとしてリバータリアンを悪者に仕立てるメディア)
2013年10月5日
本日の朝日新聞クルーグマンの記事を掲載します。
記事を読むとウォール街の経営者達は普通の感覚では計り知れないほとの強欲(greed)であるかがわかるでしょう。リーマンショックを引き起こした張本人達であり、国民の税金が投入されて救済されたにもかかわらず、報酬に対する税金に反対しています。それどころかなぜ自分たち特権階級が犠牲にならなくてはならないのかという持論をあちらでは広言しています。
0.01%の富豪層が露骨な権利意識を表明している
ウォーレン・バフェット(Warren Edward Buffett)の投資会社バークシャー・ハサウェイ(Berkshire Hathaway)の副会長・チャーリー・マンガーことチャールズ・マンガー(Charles Thomas Munger)もウォール街への巨額救済策に対して、米国民は財政難下の米国で「ただがまんし、耐えるべきだ」と言い放っています。
(記事より抜粋)
「富裕層が迫害されている」という彼らの主張は、少数意見ではない。新聞にも出ているし、昨年の大統領選でもロムニー候補の選挙運動の中心テーマになっていた。
(中略)
全世界が服従してくれないという彼らの愚痴や怒りが、やがて現実的な政治の結果としてあらわれるかもしれない。
「0.01%の怒り」を怖れよ!
(NYタイムズ・9月27日付)
(抜粋終り)
人口0.01%の富豪達はアインランド著「肩をすくめるアトラス(Atlas Shrugged)」で描写される資本家達(政府の介入で競争力を失う企業)のようであるといぶかります。
ところが、アインランドが小説で示したリバータリアンと強欲な富豪達は似て非なるものです。
0.01%は「人民へ再配分される富も自分たちに環流させよ」と特別扱いを主張しているに過ぎないとクルーグマンは指摘しています。
これはアイン・ランドではなくアンシャン・レジーム(旧体制)である
ニューケイジアンのグルーグマンがアインランドを引き合いに出していることを意外に感じたので投稿しました。
【1207】[1393]日本書紀と天武の正統性の問題Ⅳ
1392の続き
日本列島に二つの王朝が並立していたことは、『日本書紀』にも見出すことが出来る。斉明五年(659)七月、大和王朝は遣唐使を派遣している。この使者が唐の都長安に着いた時、倭国の使者も同時に長安に居たという。二つの使者の間で争い事があった、と記されている。また、使者たちの帰国は許されなかった、と。何故なら、この年唐朝は戦略を変更し、これまでは陸路からの高句麗討伐を主としてきたが、この年に高句麗と同盟している百済をまず滅ぼすことに変えた。その為、唐の各港は大水軍建造で慌ただしさの中にあった。使者たちが帰国を許されたのは、百済王朝の滅亡が確認された660年の年末であった。
ここで七世紀の東アジア状勢を説明しておきたい。まず朝鮮半島を見ておく。この時代朝鮮半島は、三国鼎立時代などと呼ばれるが、それは名目だけで、北方の高句麗が常に強勢で、南部の百済、新羅は、高句麗の南下の圧力に悩まされていた。半島南部は、古くは三韓と呼ばれ、西から馬韓、弁韓、辰韓と呼ばれている。馬韓が百済に発展し、辰韓が新羅に発展したのである。その中間の弁韓には、古くから倭人が多く住み倭国の北辺を成していた。倭国と言うのは、朝鮮海峡玄界灘を跨ぐ海洋国家であった。時が過ぎ、百済、新羅の発展に伴い、弁韓の地は、両王朝の草刈り場となり、倭国の支配権は失われていった。しかし、倭国は弁韓の領有意識を強く持ち、後々まで毎年の年貢を納めることを要求していた。倭国の意識では、弁韓は、百済、新羅に貸し与えてる、というものであった。百済と新羅は、弁韓を巡り激しく争う間になっていた。
北方の高句麗である。これは紛れもなく東アジアの強国であった。北は満州をも深く領有し、国境は万里の長城に接し、国境を侵し、中国農村地帯を収奪することをたびたび行っていた。中国統一王朝にとり高句麗対策は、喫緊の課題であった。隋朝は、統一を成し遂げると高句麗討伐にとりかかったが、高句麗は頑強で成果を上げることが出来なかった。特に612年の高句麗討伐軍は、総勢二百万と号した大規模なものであったが、高句麗の健闘の前に敗退したのであった。隋朝がごく短命に終わった原因は、この高句麗討伐の失敗にあった、とされる。隋朝は、東アジアの盟主である。高句麗討伐に先立ち、百済、新羅に対し隋軍と共同し高句麗を攻めるよう命じた。百済はこれを無視したが、新羅は律儀にも、隋軍の侵攻を全力で防いでいる高句麗の背後を侵し、高句麗の都に迫ろうとする有様であった。隋の侵攻を防いだ高句麗は、百済と手を結び新羅侵略を開始したのです。
618年、隋朝から唐朝に代わりますが、隋の皇帝煬氏と唐の李氏は親戚でありこれは王朝内革命です。隋の遺産はそのまま唐に引き継がれました。高句麗討伐と言う課題も引き継がれたのです。高句麗、百済の圧迫に苦しんでいた新羅は、ついに唐に走り救いを求めたのです。その前に倭国にも救援を求めたが、どうしたわけか倭国は百済を優遇し、新羅に対し邪険に待遇した。650年以降の東アジア状勢は、唐・新羅同盟対高句麗・百済・倭国同盟が出来ていた。
660年、唐は大水軍を発進し、この年の八月新羅の陸軍と連動し、一気に百済を滅ぼしたのです。倭国の半島出兵の開始は、次の年の八月です。新羅討伐の決意は、十二年前の650年にしていた。それなのに、百済滅亡と言う条件が決定的に悪化する前に決行できなかった。しなかったのではない、出来なかったのだ。
【1206】[1392]日本書紀と天武の正統性の問題Ⅲ
1391の続きです。
「百済救国の役の失敗」(西暦661~663)を検討する上で、確認しておかねばならない事がある。唐王朝は、戦争の相手を、倭国である、と明確に認識していたことです。何をへんなことを言うのだと、思われるやも知れない。
一般の日本人は知らないことであるが、唐朝は、倭国と日本国は、別王朝と明確に区別していた。中国正史『旧唐書』は、倭国伝と日本国伝を別条に作っている。七世紀半ばまでを倭国伝で作り、八世紀初頭か日本国伝で作っている。唐朝は七世紀半ばまで倭国を日本列島の代表王朝と見、八世紀初頭には日本王朝(大和王朝)が倭王朝に代わって日本列島代表王朝に就いていた、と認識していたことを意味する。そのうえで朝鮮半島で戦ったのは、倭国である、明記する。この『旧唐書』の記事を、日本の学者たちは『旧唐書』の編者の不体裁な誤りと決め付け、一切無視している。日本史学の定説では、四世紀には大和王朝の日本統一はほぼ完了していた、と云う。故に学者たちは『旧唐書』を否定、無視し続けるしかない。
しかし、中国は歴史の国である。『旧唐書』は、その中国の正史だ。『旧唐書』の記事を簡単に否定することなど許されることではない。つまり大和王朝の日本統一は、七世紀の後半であったと云う事だ。ちょうど「壬申の乱」のあった時期である。
また朝鮮半島出兵の動機もハッキリしている。650年、新羅の使者が、勝手に唐制を採用して筑紫に来た(唐の完全な藩屏国になった)、この事が新羅討伐の大義名分であった。それは『日本書紀』にちゃんと書いてある。つまり、倭国は朝鮮半島南部の百済、新羅に対し宗主国的立場にあった。新羅は倭国の属国であった。『隋書』に、次の記事がある。
「新羅、百済、皆倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬仰し、恒に通使、往来し。」
中国統一王朝隋自らが、倭国を海東の大国、新羅、百済の宗主国と認めていた。その属国である新羅が、倭国を裏切り、唐の家来になった、新羅討伐が倭国の大義名分であった。
しかし、この時から実際の出兵開始まで十一年かかっている。次回は、その理由を検討する。
【1205】[1391]『日本書紀』と天武天皇の正統性の問題、Ⅱ
1388の続きです。
『懐風藻』は、秘密の書でも禁書でもありません、白日晴天の下で堂々と受け継がれてきたのです。それは、奈良時代の半ば『日本書紀』の正統性を全面否定することが許されていたことを意味します。反天武勢力(天智系勢力)が、天武系勢力を圧倒していた、と云うことです。事実、奈良時代末期天武の血は皇位から完全に排除され、天武の血が一滴も交じっていない天智の後胤(光仁天皇)が探し出されて擁立された。光仁天皇の子が、平安京を開いた桓武天皇です。
奈良時代の通奏低音は、天智系勢力と天武系勢力の深刻な対立抗争にあります。しかし、考えるとこれは可笑しな事と気付きます。何故なら『日本書紀』は、天智と天武は実の兄弟(両親を同じくする)と記す。天智と天武は同じ母体から出てきたと云う。それなら、天智系、天武系の違いなど発生するはずがない。
私は、はじめ天武の決起を「乱」と言い始めたのは、皇位から天武の血が一掃された平安の王朝になってからだろうと思っていた。『懐風藻』に天武の行為を「乱」と明記してあるのを見た時には、正直ショックを受けました。また『万葉集』にも「壬申の年の乱」の表記がある。それに、天智と天武が実の兄弟であったなら、壬申の乱は、叔父と甥の相続争いに過ぎないのです。それが日本を真っ二つにし一ヶ月にも及ぶ古代最大の内戦に発展している。その説明がつかないのです。七世紀日本の最大の事件は、この「壬申の乱」と、その十年前の「百済救国の役の失敗」(白村江の敗北)です。倭国は、三万二千もの大軍を朝鮮半島に送り、世界帝国である唐と真正面から戦って敗北したのです。三万もの兵が壊滅した。この影響が深刻でなかったはずがない。「壬申の乱」は、その僅か十年後の事件です。二つの事件が無関係であったはずがないのです。
次回は、二つの事件の関連を検討します。
【1204】[1390]福沢諭吉の経済戦略(三田藩との強いつながり)
福沢諭吉の経済戦略を九鬼家(三田藩)の歴史に探る 投稿者 田中進二郎
ちょうど一年前に出された副島先生の著書『個人備蓄の時代』(光文社 2012年10月刊)の中に、白洲次郎(しらす じろう 1902~1985年)のエピソードがとりあげられていることをご記憶の方も多いと思う。
白洲次郎は日米開戦が近づくと、日本の敗戦の運命を予見して、多摩の鶴川村(現東京都町田市)に引きこもって(疎開して)、農業にいそしんだ。やがて食糧難がやってくることを見越していた。
敗戦まじかになって、東京が空襲にあって米の配給もわずかしかなくなっていった頃、白洲次郎は自分が作った米を、友人宅の玄関前にドサッ、ドサッと投げ込んでいった話が載せられていて、副島先生は「私もこういう粋(いき)なことをやってみたいと思っている。」
と書かれていた。
また、『風の男 白洲次郎』(青柳 恵介著 新潮文庫 1997年刊)を開いて見ると、次のような逸話が載っていた。彼の鶴川村の邸宅(武相荘 ぶあいそう)を訪れたある評論家が、家に福沢諭吉の揮毫になる額がかけられているのを見て、
「あなたは福沢諭吉先生とも面識がおありだったのですか。」
と質問した。白洲次郎は、
「俺はそんな歳ではないよ。いまどきの評論家は本当になにも知らないんだな。」
と答えたという。
福沢諭吉(1835~1901年)と白洲一族の関係というのは、一時はかなり広く知られていた事実だったのだろう、と白洲次郎のその言葉から思った。
白洲一族と九鬼家(摂津三田藩主 さんだ)と福沢諭吉のつながりに興味を覚えて、私の家からも近いことから、この前の日曜日に兵庫県三田市を訪れてみた。
三田藩主の九鬼家というのは、戦国時代に織田信長の下で伊勢水軍として活躍した九鬼嘉隆(くきよしたか)の子孫だ。石山本願寺攻めのとき、毛利の村上水軍と戦って、鉄甲船
で破った話が有名だ。豊臣秀吉の朝鮮征伐の時にも、九鬼水軍の『日本丸』という龍の頭を船首につけた船が旗艦を務めた。
徳川三代将軍家光の時、九鬼家は二つに分割され、そのひとつが三田藩3万6千石に、転封となった。そして二百年をへて、明治維新を迎える。
現在は三田陣屋とよばれる藩主の城館跡の周りに史跡が点在している小・小京都といった趣である。
「三田ふるさと学習館」というところでは、大河ドラマ『八重の桜』にあわせて、新島襄
とつながりのある人物にかんする資料を作成し、展示していた。
「ふるさと学習館」の隣にプロテスタント教会があり、摂津三田教会(旧名は摂津第三基督公会)というのであるが、明治8年(1875年)新島襄がここで洗礼式をあげている。
ボランティアの解説役のおばさんがいうには、「同志社英学校の一期生は旧三田藩士です。
9月15日の大河ドラマ『八重の桜』で転入してきた熊本バンドに馬鹿にされてる学生たちがいましたよね。あれは旧三田藩士たちですよ。テレビで『三田出身だ』と言われなくてほっとしています。」とのことである。
そういえば副島先生が『熊本バンド』と熊本で起こった神風連の乱は根っこが同じだということを言っておられました。これは副島熱狂史観なんだろう。
年表を見ると、明治9年(1876年)1月30日に、「熊本バンド結成。リロイ・ランシング・ジェーンズ(1837~1909)の指導でキリスト教を信仰した熊本洋学校の生徒35人が、花岡山で「奉教趣意書」を朗読して署名した。
この年の3月に政府が「廃刀令」を出し、8月に秩禄処分(ちつろくしょぶん)を断行している。これに反発して、10月24日に「熊本神風連の乱」が起こり、熊本県士族太田黒伴雄(おおたぐろ ともお 1834~1876)らが熊本鎮台を襲撃した。その暗殺リストにジェーンズの名もあったが、熊本を去った後で無事だったという。太田黒伴雄は幕末にあっては肥後勤皇党だった。佐久間象山を京都で暗殺(1864年7月)した河上彦斎(かわかみ げんさい)もこの党派だった。横井小楠(よこい しょうなん1809~1869)の実学党と熊本勤皇党は対立していた。実学党のながれが熊本バンドに受け継がれ、勤皇党は神風連へとつながる。しかし、副島先生はこの二つを「同根だ」とさらっといってしまう。
(「文明開化の京都年表帖」ユニプラン刊 と ウィキペディアの「神風連の乱」を参考にした。)
話がそれてしまいました。申し訳ない。三田藩(さんだ)の出身で逸材として名が残っているのが川本幸民(かわもと こうみん1810~1871)という洋学者だ。塾長の緒方洪庵とは一歳だけ年下だった。
「神戸慶応倶楽部 社中の心」という記事を読むと、川本幸民と福沢諭吉との適塾での交友が最後の三田藩主の九鬼隆義や白洲次郎の祖父の白洲退蔵につながっていったことがわかる。
「神戸慶応倶楽部 社中の心」↓
http://www.kobekeio.org/club/kokoro/11.htm
川本は幕末に幕府に招かれて、蕃書調所(ばんしょしらべしょ のちに開成学校と変わる)の教授となったが、維新のあとは三田に帰って『英蘭塾』を開いた。
福沢諭吉は川本を通して藩主九鬼隆義や、白洲退蔵ともつながり、秩禄処分のあとの士族の授産について大掛かりな作戦を練っていく。(川本は71年に死去)
それは開港間もない神戸の土地が高騰することを読んで、土地を買収していくことだった。
九鬼隆義と白洲退蔵らに『志摩三商会』という貿易商社を作らせた。
志摩は九鬼家発祥の地であり、三は三田を意味する。九鬼家はここで先祖返りを果たしたともいえるが、福沢の合理的な投資術を伝授されたのである。
しかし、かなりあこぎな土地買収もやったらしい。
「三田ふるさと学習館」のパンフレットには次のように書かれている。
(要約・引用開始)
神戸の開港当時は、外人の来住を恐れた神戸の住民は行く末を案じて自分の所有地を手放すものが多かった。さらに地租改正で地主は高率な税金を徴収されるため、ますます売り急ぐ者が増えた。
そういった土地を買い占めたのが、志摩三商会であった。
明治中頃から土地の急騰が起こり、大正二年の地租納入番付によれば、1位に商会副社長の小寺謙吉(一万五千円)、2位に九鬼隆輝(一万二千円)がなっている。
(要約・引用終わり)
このようにして明治の大富豪(明治オリガーキー)が誕生した。明治の中ごろから次々と出てきているのだそうだ。白洲退蔵- 文平-次郎と続く一族の繁栄の基礎はここに築かれた。
三田藩主九鬼一族の菩提寺、心月院には九鬼隆一(三田藩家老 星崎貞幹の息子。九鬼姓をもらい、男爵になっている。「いきの構造」の著作で知られる九鬼周蔵の父。)による「景慕碑」というかなり大きな碑がたっている。
そこには
「木戸公尊霊 大久保公尊霊 岩倉公尊霊 フルベッキ先生尊霊 福沢先生尊霊 加藤弘之先生尊霊・・・・大正八年 九鬼隆一」 と刻まれていた。
あと白洲次郎、妻の正子の墓もあったが、「葬式も戒名も無用」と言って白洲次郎は死んだので、二人とも墓には名前すら彫られていなかった。
田中進二郎拝
【1203】[1388]日本書紀と天武天皇の正統性の問題
古い話で申し訳ありません。
『日本書紀』は、御存知のごとく日本国の最初の正史です。正史と言うのは、その国家の歴史(由来)を公的に述べた書です。『日本書紀』は、天皇家が日本の支配者になった正統性を高らかに歌い上げています。この『日本書紀』が、天武天皇の勅命で編纂が開始されたことは、『古事記』『日本書紀』が明らかにします。」
しかし、天武天皇(大海人皇子)は、平和な禅譲によって即位したのではありません。「壬申の乱」と呼ばれている日本を真っ二つにし、一ヶ月にも及ぶ大内戦によって、兄(天智天皇)の長男(大友皇子)を滅ぼして皇位に就いたのです。故に『日本書紀』は、天武の正統性を最優先に主張しています。大友皇子より天武のほうに即位の優先権があった、と言うのです。これが正史(日本国)の公式見解です。
しかし、それならどうして後世の日本人が天武の決起を「乱」と呼んできたのでしょう。「乱」と言うのは、秩序を破壊することです。臣下が主君に乱暴を働くことを言います。後世の日本人は、天武の行為を「乱」と呼んできた。東大寺大仏の開眼供養のあった前年に上梓された『懐風藻』は、天武の決起を「乱」と明記します。つまり、臣下が主君を討った、天武に正統性はなかったと。
『日本書紀』は、逆臣であった天武(大海人皇子)を、正統化する為に編まれた『書』です。
(今日は、ここまでにします)
【1202】[1385]アジアに対する差別意識
http://www.dailytelegraph.com.au/newslocal/the-hills/ryde-shocked-by-racist-graffiti-targeting-muslims-and-asians/story-fngr8i1f-1226730690212
この記事はここ最近の人種差別事件に対する一つです。この半年間このような記事を良く目にします。副嶋先生は日本人は中国人を嫌って差別するようにおっしゃるけど、豪州はもっとひどい。地域によっては身の危険すらあると聞きました。私の住むエリアはアジア系移民(オーストラリア人にとっては中国人のこと)がほとんどいないので私が歩いていても皆友好的ですし、なるべく夏は浴衣を着て歩いているのでこんにちわ~などと言って来ますが先日、車で通りかかった白人の若者にWhat the fuck?から始まってよく聞こえなかったですが侮辱する内容で罵倒されました。豪州に住んで15年、初めての経験です。これ以上一つの人種がど~っと入ってくるのを許し続ける限り人種差別はもっと激しくなるでしょう。
【1201】[1384]消費税の値上げは、オリンピックとの抱き合わせ増税だ。すべてアメリカの計画通り。
副島隆彦です。
あとの方に 新聞記事を載せる通り、今日の夕刻、閣議の後、安倍首相は、消費税率の8%への値上げを発表する。
これは、9月8日に、オリンピックを東京(2020年)で開催するという「オリンピック抱き合わせ、日本国民ダマシの増税」だ。 アメリカが、去年の5月から仕組んできた、「帝国の逆襲」戦略の、世界中での動きの一環だ。
私は、今、突貫工事で、その本を書いている。11月初めには、この「帝国の逆襲」は出るだろう。
その他に、3冊、私の本が、来週からどんどん書店に並びます。歴史の本と、
税金・税制の本と、それから、文章読本(ぶんしょうどくほん)=作文の仕方、技術 の本です。 私が、この7,8、9月に汗まみれになりながら、書いた本たちです。 乞うご期待。 あ、そうだ、「最新版 世界権力者 人物図鑑」(日本文芸社刊)が、今、書店に並んでいます。 パラパラめくって、苦笑あるいは、書店で笑い転げてください。
私は、最近もらった、私たちの学問道場の会員で、「退会する」と言ってきた人のメールを 以下に載せます。 「さらば SNSI]と書いてきたので、てっきり私と連絡を取り合って交信していた人かと、思ったら、2年間だけ、会員だった人だ。 私たちと考えが合わなくなった人だ。 それなら、それでいいです。
ただそれで、「さらば SNSI(エスエヌエスアイ)」と、書かれると、何のことですかと、私は驚いてしまった。 以下の通りのやり取りです。
(転載貼り付け始め)
From: *****
Sent: Thursday, September 26, 2013 6:21 AM
To: ‘SNSI・副島隆彦を囲む会’
Subject: さらばSNSI
前回の定例会には出席しました。特に徳間書店のフランドル地方の絵画の解説には目からウロコが何枚もポロポロ落ちる気がしました。
カトリック教団は偽善者の塊(かたまり)で、一刻も早く彼らが過去に神の名のもとにおこなった悪行の数々を世間の白日の下に引きずりだし、徹底的に糾弾し、今や何の正統性のない権威を完膚なきまでに失墜させなければならない。
ただ、締めくくりが良くなかった。デカルトを賞賛する発言をされていましたが、デカルトの思想は一歩間違えば人間を不幸に陥れる、また、そうなりやすい危険なものです。人間の理性(りせい)は万能であり、人間が考えた考え出した制度、方法、科学技術を全世界に行き渡らせれば人類は幸福になるという、一見もっともなようで共産主義へと繋がる悪の思想です。
フランス革命の蛮行、共産主義国の完全なる失敗や非人間性を見れば、人間の考えだしたものがいかに愚かであるかを何度も痛感させられます。
人為は大したことを到底為しえない。無数の祖先・先賢が残してくれた伝統・文化・慣習をできるだけ守り、どうしても時代に合わなくなった部分だけを熟慮のうえ少しずつ漸進的に変更するという慎重な態度を保持すれば、人類は善悪が共存しながら、そこそこ幸せな暮らしができる。この事実は有史以来の不変の真実であり、だれも否定できない事実です。
こちらの研究会の業績は真摯に真実を追究し、歯に衣着せぬ鋭い言説で世間に蔓延る先入観・偽善・欺瞞をえぐりだし、数々の剥き出しの真実を暴きだしました。その功績は大変大きく、どんな圧力、既得権益側の批判にも屈せず、精力的に出版・講演活動をなさって来られたことには最大限の敬意を表します。
しかし、最近の御研究会の主義主張にはきっぱりと反対し、ここに決別の意思を表明します。若い方を応援したいのは山々ですが、今年限りで会員を退会することをここに宣言します。
副島先生を始め、御団体はやたらに中国びいき過ぎます。わたしの冷静な目で見て、かの国を過大評価しているように思えてならないのです。NHKと朝日新聞という日本では権威を持つメディアがことある毎にまるで共産中国や韓国、北朝鮮の代弁者かのような報道を垂れ流している。全く獅子身中の虫とも言える内なる敵は即刻解散させるべきです。
あまりにも剥き出しの敵意、挑発、反日行動を繰り返し、あからさまに自国民に戦争を煽(あお)る国は世界中を見回しても上記3国以外ありません。中国のかなり信憑性に欠ける統計を鵜呑みにし、13億の巨大市場というありもしない幻想に日本だけでなく、欧米までひたり、中国の蛮行、非人道的な虐殺に目をつぶっていました。
しかし、中国の張りぼて経済が明らかに失速し、貧富の差の極端な開きが隠しようもなくなり、暴動・労働争議は中国全土で無数に毎日のように発生しています。いくら当局が検閲してもネット社会の力を止めることは不可能です。
いくら高層ビルが林立し、表面上まだまだ成長しているように見えてもほとんどがゴーストタウンで、銀行融資の焦げ付きで来年あたりには経済はクラッシュするとわたしは予想しています。 幸い中国元はローカル通貨だから世界的な恐慌に発展する可能性は低いでしょう。
まして、今回の定例会開催に際して絶対に許せないのが、あの売国汰で裏切り者の孫崎亨(まごさきうける)をゲストに呼ぶことです。媚中(びちゅう)、媚ロシアの外交官は纏(まと)めて即刻首にして国民の前で土下座をして謝罪させなければならない。
「戦後史の真実」はタイトルにこれほどふさわしくない本はないというほど逆のことばかり書いてあって、噴飯(ふんぱん)ものです。こんな超A級戦犯を持ち上げるなど、御研究会の正体見えたりです。
今後一切係わりを絶ち、あなたがたを反面教師として生きていきます。永遠にさようなら
****
**** さまへ
副島隆彦から
「さらばSNSI」 のメールをありがとうございます。
貴兄が、学問道場の会員を今後はやめるとの決意表明の メールを私はいま読みました。ご自分の判断であり、それをこのようにはっきり表明なさったのですから、今、私が申し上げるべきは、この文面のまま、ご自分で、 重たい掲示板の方に投稿してください、と お願いすることです。
それが何かの事情で出来ない、ということであれば、私、副島隆彦が、そのようにします。事情を書いて仮名にしてくれ、ということであれば、そのようにします。 そうでないならしばらくしまして、貴兄の実名のまま、私が載せます。
言論は実名で、堂々となさなければいけない。 このことを私、副島隆彦は、学問道場が始まって以来の 理念のひとつとしてやってきました。 今は**さまとメールでの議論、意見の交換はしません。 私からの反論も長くなります。
貴兄が、「媚中」(びちゅう、こびちゅう、媚びる中国へ。私、副島隆彦はこのコトバを10数年前に、創作、造語した文芸春秋の編集長をよく見知っています) という言葉をお使いになる、ということは、貴兄が、決めつけてしまうならば、産経新聞、文春一派の立場の人です。
きたない、気持ちの悪い、貧乏な、何をするかわからない中国への嫌悪感というものを ご自分の信念にまで高め、 文明論的な長さでの思想としての決断だと、言われるのなら、私が、石平(せきへい)氏と対談した最新の「中国人の本性」( 李白社刊) を、最後にお読みください。
人間が涵養(かんよう)すべき思想、学問、知識というものは、長い長い歴史を背景にすべきものだと、だけ副島隆彦は最後に申し上げます。
貴兄、****氏とは、私は、過去に何度かメールのやりとりをしたことがあるのではないか、と微(かす)かな記憶で申し上げます。 残念ですが、これで、お別れです。それぞれの道を 生きてゆきましょう。
その前に、以下のご自分の意見表明を、どうか重たい掲示板に自由にお載せください。 考えが合わなくなったらその意見表明をした上で静かに去る、というのも、学問道場の 設立、建学以来の理念のひとつです。
副島隆彦拝
From: ********
Sent: Friday, September 27, 2013 6:29 AM
To: ‘副島隆彦’
Subject: 早々にご返事ちょうだいいたしまして、大変恐縮しております
副島先生初めまして。
先生の精力的な執筆・講演活動は、名声や肩書はあっても実は臆病で、失礼ながら頭が悪い評論家や教授の貧相な文章や卑怯な行動に比べれば、日本で屹立(きつりつ)する立派な業績であります。広く深いご学識は到底わたしのおよぶところではなく、尊敬しております。
先生のお姿を拝見したのは、あとにも先にも前回の「ふざけるなマイケル・グリーン」のときだけです。きっちりと折り目正しく挨拶される立派な方だなあ
と感心いたしました。
ただ、やっぱりこの期に及んで、中国の肩を持つ姿勢には断固反対します。
わたしの貧弱な頭を振り絞って考えるにまもなく共産中国は崩壊します。近隣アジア諸国はもちろん遠くアフリカ諸国でも中国人は嫌われて排斥されています。
3000年近く皇帝と宦官(かんがん)や側近が人民を虐げる独裁王朝が交替し官吏は上から下まで腐敗し、不正蓄財に勤しむことしか頭にないのが中国の実態です。民衆も海外旅行先でマナーが悪く、傍若無人の振る舞いをして、行く先々で顰蹙を買っています。
一見、近代国家に生まれ変わったように見えても所詮は表面だけ。内実は太子党と共青団(きょうせいだん)が支配する独裁国家で、全く本質は変わっていません。
時間が尽きました。重たい掲示板に、わたしなりの知識を総動員し、拡大版の送別の辞を今週末に投稿することをお約束します。しばらくご猶予いただけますでしょうか。 ****
****さまへ
副島隆彦から
お返事のメールをありがとうございます。
それでは、**さまの 書きたいように書いて 重たい掲示板に意見表明してください。
その際は、題名を 大仰な 「さらば」などと、お書きにならないでください。 それほどの深いお付き合いを貴兄としたことはないと、私、副島隆彦に分かりましたので。貴兄の意見を自由に書く際に、私からのメールも載せてください。
最後に私が言いたいのは、貴兄が、現在の共産主義の体制の 中国を敵視し
警戒するのは分かりますので、お書きの「中国の肩を持つ姿勢には断固反対します」は、理解できるのですが、
私が、疑問を持つのは、それで、中国がこれから勝手に崩壊するとか、打ち倒されると、本気でお考えなのか、です。 私はアジア人とうしとして これからも共に平和に生きて行かなければいけないと考えます。
私が、一番、貴兄に反論したいのは、 どうして、そんなに中国人や朝鮮・韓国人を、見下だす精神構造を産経新聞や文春やWAC出版「Will」誌で書いている人たちはしているのか、です。
自分よりも劣った、貧しい者を作って、ひたすら見下げることで、溜飲(りゅういん)を下げているとしか私には思えません。 そのくせに欧米の白人文明に対しては、劣等感情がものすごいものだから、一言も何も言わない。
とくに 今の横暴極まりないアメリカに対して、**さまは、一言も批判しない。なぜなのか。 それほどに切実に アメリカさま にしがみついて、守ってもらわないと日本は生きていけない、とお考えなのか。 このことまで、書いてください。
泥臭い、汚(きたな)らしいまでの 現実の世の中を受け入れることから自分の人生を始めた、 日本の小さな経営者や自営業者たちは、自分も人にひどいことや騙(だま)しや、ズルいことや、残酷なことをすることでようやく生き延びているひとたちだから、特に、自分が雇ってこき使っている従業員たちとの
関係がものすごく厳しいものだから、それで、 そのはけ口を、 「中国、北朝鮮、日教組(にっきょうそ)たたき」に求めるのではないか、と、私、副島隆彦はずっと思っています。
自分が使っている従業員とは 絶対にケンカできませんから。 **さん、私からの この問い掛けにも 答えてみてください。それでは、最後に重たい掲示板への自由な意見表明をしてください。 私は弟子たちと学問道場をこのまま粘り強く続けて行きます。 遠くから見守ってください。
副島隆彦拝
From: ****
Sent: Saturday, September 28, 2013 7:27 PM
To: ‘副島隆彦’
Subject: 敵視しているのは日本の方ではなく、中国・韓国・北朝鮮です
先生、一体どうされてしまったのですか?
日本はいくら友好的に接しても、向こうが一方的に嫌うだけです。中国に好意的な日経ニュースでさえ、2014年中に地方政府がデフォルトする可能性が高いことを習近平自身が認めていると報道しました。
わたしもアメリカは憎いし、かならずしも日本に友好的でない国民が多数
いることは残念です。しかし、アメリカの支配の方が中共のそれよりはるかに
ましです。いくら牛耳られているとはいえ、一応普通選挙が実施されており、
民意は反映されています。
中国は一党独裁ではないですか。その方がいいと先生はおっしゃるのですか。チベットやウイグルのように日本民族が根絶やしにされ、伝統文化や文字がなくなるのは必至です。
先生の最近の予想はそんなに精度がよくないです。もう、完全に秋なのに
ユーロ圏の混乱はそれほど目立っていません。もう、議論はよしましょう。
メールももうたくさんです。道場への投稿もやりません。さようなら
****
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 このメールのやり取りにある通り、私たちは、10月26日(土)に 今、精力的に評論活動を続けておられる 孫崎享(まごさきうける)氏を お招きして、学問道場の会員向けの定例会(=講演会)を開きます。
きっと興味深い、この国で最先端のお話を聞けると思います。多くの会員が集まってくださるようお願い申しあげます。この集まりが、この秋の私たち学問道場の大きな集まりなのですから。
副島隆彦拝
・「副島隆彦の学問道場」第31回定例会
演題:「『戦後史の正体』と『属国・日本論』を語り尽くす」
講師:孫崎享、副島隆彦
開催日:2013年10月26日(土)
会場:東京・御茶ノ水「全電通労働会館ホール」
開場:12:15~
・上記定例会(10/26)へのお申し込みはコチラ↓
http://soejima.to/cgi-bin/kouen/kouen.html
(転載貼り付け始め)
〇「 首相、消費税8%表明へ…景気回復基調が鮮明に」
読売新聞 2013年10月1日(火) 12時6分配信
政府や日本銀行による経済指標が1日午前、相次いで発表された。
このうち、企業から見た景気動向を示す全国企業短期経済観測調査(短観)は、「大企業・製造業」の景況感がプラス12とリーマン・ショック以降最も高い数字を記録し、国内景気の回復基調が鮮明になった。安倍首相は経済の安定成長にメドが立ったとして、1日午後の政府・与党政策懇談会の場で、消費税率を2014年4月から8%に引き上げる方針を明らかにする。
消費税率の引き上げは1997年4月以来2回目で、上げ幅3%は前回を上回る。安倍首相は1日午前、自民党本部での党役員会に出席し「本日昼、消費税の取り扱いについて決定する」と語り、午後1時からの政府・与党政策懇談会で引き上げ方針を明らかにする考えを示した。石破幹事長は役員会後の記者会見で「政府・与党が一体でやっていかねばならない」と述べ、首相の判断を支持する考えを強調した。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1200】[1381]開発”ムラ”というシロアリ
会員の高橋郷です。
副島先生には、出会う度に怒られている未熟者です。
以下、掲載させていただきます。
「白アリ」。公費で生活をしている公務員を称して、そう形容される。
しかし、そう称されるべき業界は他に存在する。
それは、ほかならぬ”ODA” 政府開発援助業界だ。
財政縮小に伴い、国庫負担のODA額も減少しているが、それでもまだ6000億円近い予算が組まれている。そしてそこに、白アリのごとく群がる、開発“ムラ”業界が存在する。
彼らは、いわゆる“開発コンサル”として、インフラや設計関係を中心に活動を展開する。その数や種類は、数百に及ぶ。その多くは、JVとよばれる合同企業体の形態をとり、外務省から委託を受けたJICA(国際協力機構)によって管理されている開発案件に入札してくる。
合同企業体といえば、聞こえがいいが、要は同じ甘いみつを吸うための巨大な談合集団に他ならない。一度この”ムラ“社会への参入を許された会社は、仲間として認められ、共にODAの甘い蜜を吸いながら年月を過ごしていく。
だが、その内実は、NGOら非営利活動団体が少ない原資のなかで、必死に行う草の根の援助活動とは大きく異なる。
調査業務と称しては、国際線のビジネスクラスででかけ、現地では、途上国とはいえ、シェラトンなどの、高級ホテルでの生活が待っている。
これらは全て、途上国支援のための政府の国庫で賄われている。
そして、こういった業務を精査するJICAの積算室。ここの年配の職員も民間出身、いわば同じ“開発ムラ”の出身者によって占められ、同じ“ムラ”の仲間が、甘い蜜をすうのをサポートする。
知り合いのゼネコン関係者はいう。
「国内の入札業務で勝負するのはばかだ。同じ土建でも、国際分野ではずっと楽に、極上の待遇で公共入札を手にすることができる」と。
私もNGOとして、震災支援、アフリカ開発支援を行ってきているので、この現実にはあきれてものがいえない。いつも思う。「なぜ、ODAは、現地の視線にたった、本当の草の根の国際協力の私たちを応援してくれないのだろう」と。
JICAの現地職員はいう。「JICAは、日本政府を代表しています。NGOはNon Government、なのだから、勝手にやってください。」と。
そのシロアリがたかる“開発ムラ”で、近年、目覚ましい業績(利益)を上げている、山下設計(本社:日本橋)がある。最近では、スー・チー女史が春に来日したばかりだが、民主化の進展が著しいミャンマー案件を中心に入札を勝ち得ている。
この会社は、評判もよろしく、最近では今年(2013年)の7月に佐賀県で、贈収賄事件を引き起こしたばかり。「県、山下設計を指名停止処分 大町町贈収賄」
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2506120.article.html
その仕事のやり方は目を覆うばかりにひどい。国際業務部の木村孝明部長は、現地の状況をろくに調査もせずに、現地の大使館のせいにして、「(ミャンマー大使館)松尾参事官の意を踏まえ、ミャンマー側への懲罰的意味、自助努力の促進も含めた案です。」と関係者にメールを流し、現地の人々の思いを踏みにじった案を平気で押しつけてくる。しかも、他の開発関係者には罵詈雑言をあびせ、どうでも良い個所を何度も直させては(しかも一回ごとにコメント内容が矛盾している)、「時間が無駄になり、かっとしています。」などと、メールをよこし恫喝をしてくる。
これは、同じく国際事業部の部長、長岡嶺男氏が、自分の子飼いの横山元晴氏を使ってやってくる手口である。 このような、小人のやるような、暴力団まがいのことを行い、自分たちを権力者だと錯覚している、国際事業部の面々、が、国の基幹である外交をわが物顔に闊歩し、ODAという甘い蜜をすっている実態を許していいのだろうか。
業者の中には、公文書偽造まがいのことをして、開発案件を手にするところさえある。
おごれるものは久しからず。ODAに群がる開発“ムラ”の現実が暴かれる日がくることを願います。
高橋拝