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守谷健二 投稿日:2013/12/16 13:53

【1267】[1481]柿本人麻呂の正体を暴くⅥ

   覚悟の出奔を遂げた人麻呂の妻

 うつせみと 思ひし時に 取り持ちて わが二人見し 走り出の 堤に立てる
 槻の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きが如く 思へりし 妹にはあれど
 たのめりし 児らにはあれど 世の中を 背きし得ねば かぎろひの 燃ゆる
 荒野に 白たへの 天領巾(あまひれ)隠り 鳥じもの 朝立ちいまして
 入日なす 隠りにしかば 吾妹子(わぎもこ)が 形見に置ける みどり児の
 乞ひ泣くごとに 取り与ふる 物し無ければ 男じもの 腋はさみ持ち
 吾妹子と 二人わが寝し 枕づく 嬬屋の内に 昼はも うらさび暮らし
 夜はも 息づき明し 嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふ由を無み
 大鳥の 羽易(はがひ)の山に わが恋ふる 妹は居ますと 人の言へば
 岩根さくみて なづみ来し 良けくもそなき うつせみと 思ひし妹が
 玉かぎる ほのかにだにも 見えぬ思へば (210)

これまでの全ての注釈書は、題詞の「柿本朝臣人麻呂、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」に呪縛されて「人麻呂の妻は、死んでしまっているのだ」との解釈一辺倒である。その為非常に可笑しな解釈を下している。例えば「世の中を 背きし得ねば」を「人が死ぬという摂理には、逆らえないので」と解釈している。
 しかし(207)の歌で、人麻呂は世間の目を畏れて妻に逢いに行くことが出来なくなっていた状況を述べていた。愛が冷めたのではない、ほとぼりが冷めたらまた逢える日が来るから、私を信じて待ってほしい、と歌っていたではないか。何か重大な事件に巻き込まれて妻の実家は、村八分のような窮地に立たされていたのではないか。人麻呂の妻は、実家でひっそりと暮らすのも世間の冷酷な目の中にあったのではないか。「世のなかを背きし得ねば」は「世間を欺けないから」の意味で十分だ。
 大鳥の羽易の山で「あなたの奥さんを見かけた」と伝え聞くと、岩を踏み分け難渋して捜しに行ったが、良いことなど何もなかった、生きていると信じている妻を、ほんの僅かも見出すことが出合いなかったのだもの。
 人麻呂は妻の死を受け入れることが出来なかった。妻を見かけた、とのうわさを聞けば、険しい山道を踏み分け捜しに行ったのです。しかし、生きている妻にも、亡骸をも探し出すことが出来なかったのです。
 この後に「或る本の歌に曰く」としてもう一首の長歌(213)が配置されています。内容は(210)の歌とほぼ同じですが、最後だけ大きく異なっています。

 大鳥の 羽易の山に 汝が恋ふる 妹は居ますと 人のいへば 岩根さくみて
 なづみ来し 良けくもぞ無き うつそみと 思ひし妹が 灰にてませば

 難渋して捜しに行ったら、「この灰が、あなたの妻のなれの果てだ」と言うのだ。
 人麻呂は、失踪した妻を必死に捜索したのでした。しかし見つけ出すことが出来なかった。妻が苦しい状況に堕ちていたことは分かっていた。手を差し伸べて援けてやる事も出来なかった。人麻呂の家と妻の実家の間に深刻な争いが生じていたのだろう。人麻呂本人は、変わらずに愛していると歌っているが、妻の苦悶を知っていた。それなのにほとぼりが冷めれば、また逢えるようになるさ。と放って置いたのです。あるいは、妻の失踪、自死を畏れていたのかもしれない。しかし、取り返しの付かない事実が目の前に突き付けられた。後悔先に立たずであった。狼狽せざるをえなかった。吾を責めざるを得なかった。
 人麻呂と言う詩人は、妻を見殺しにした。「妻殺し」と言う原罪を背負って出発した詩人ではないか。

守谷健二 投稿日:2013/12/12 17:02

【1266】[1480]柿本人麻呂の正体を暴くV

   人麻呂の妻はなぜ死んだのか(1478)の続きです

 妻が窮地に堕ちていたことを人麻呂は知っていた。しかし、世間の目を恐れて逢いに行くことが出来なかった。手を差し伸べ救うことが出来ずにいた。ほとぼりが冷めるまで自分を信じて待っていてくださいと祈るばかりであった。そんな中、妻の里から使いが来て「妻が、紅葉に 過ぎて去(い)にき」と伝えて来た。私が目にしたすべての注釈書はこれを、妻が死んだ、と訳している。それならばどうして人麻呂は妻の死体が横たわる妻の里に走って行かなかったのだろう。もしかしたらと微かな希望を胸に、妻のお気に入りの場所であった「軽の市」に行って妻を捜しているのだろう。人麻呂の妻は失踪したのだ、と解釈せねば話は通じない。これまでの注釈者は、題詞の「妻死(みまか)りし後」に呪縛されているのである。しかし、歌が主で、題詞は従の関係である。歌と題詞の間に矛盾のあるときは、歌の内容の方が優先され。人麻呂は、妻の死を受け入れてはいない、だから妻のお気に入りの軽の市に捜しに行ったのだ。

  秋山の黄葉(もみち)を茂み迷ひぬる妹を求めむ山路しらずも(208)

  黄葉の散りゆくなべに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ(209)

 妻が失踪したと云う事は、次の(210)の歌を検討すると、より明快になる。

守谷健二 投稿日:2013/12/10 18:23

【1265】[1478]柿本朝臣人麻呂の正体を暴くⅣ

  人麻呂の妻はなぜ死んだのか?

   柿本朝臣人麻呂、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌二首
  天飛(あまと)ぶや 軽の路は 吾妹子(わぎもこ)が 里にしあれば
  ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み 数多く行かば
  人知りぬべし 狭根葛(さねかづら) 後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて
  玉かぎる 磐垣淵の 隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の
  暮れ行くが如 照る月の 雲隠るが如 沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉の
  過ぎて去(い)にきと 玉梓の 使の言へば 梓弓 音に聞きて 言はむ術  為むすべ知らに 音のみを 聞きてあり得ねば わが恋ふる 千重の一重も  慰むる 情(こころ)もありやと 吾妹子が 止まず出で見し 軽の市に
  わが立ち聞けば 玉襷 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾の
  道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて
  袖そ振りつる(207)

 (解説)
「人麻呂の妻は、何故、どのようにして死んだのか」このようなアプローチは、まだ誰もしていないと思う。(207)の歌で、まず目に付くのは題詞の「泣血哀慟」の仰々しさである。『万葉集』にはこの熟語はあと一か所にしかない。巻一六の、「一人の乙女に二人の男が求愛し、どちらも譲らず、命を懸けた争いに発展した。乙女は、それを見て悲嘆し、林の中へ入って首を吊って死んでしまった。それを聞いた二人の男は泣血哀慟して歌を作った。」と。尋常でない死に対してこの熟語を用いている。人麻呂の妻の死も尋常ではなかったことを暗示しているのではないか。
 歌の内容を見る。
人麻呂は、妻のもとに行きしっとりと逢いたいのだけれど、人目があり、人に知られるのが怖くて行くことが出来ない。さねかずらのように蔓別れしても蔓の先がまた絡み合うように、また逢える日が来るから大船に乗っているように安心して待っていてください。私の心は少しも変わらずに愛し続けているのですから。 そんな中で、妻の里から使いが「あなたの妻が『黄葉(もみちは)の 過ぎて去(い)にきと』と伝えて来た。私が目にした注釈書すべては、これを妻が死んだと解釈している。それが妥当か否か、保留し先に進む。人麻呂は、使者の報告を聞き愕然としている、何をしてよいか、何を言ってよいかわからず、と。それで「千重の一重も 慰もる 心もありやと」これを「もしかしたら慰められることもあろうかと」と、妻のお気に入りの軽の市に行き、妻を偲んで慰めにしよう、と解釈しているが、使者の伝言を聞き愕然とした人麻呂が、妻の亡骸が横たわる妻の実家に走って行かなかったのだろう。
 「千重の一重も 慰もる 心もありやと」は、「万が一、かすかな希望を抱き」という意味ではないか。「黄葉の 過ぎて去にき」は、妻が失踪した、と云う事ではなかったのか。(つづく)  

6555 田中 栄 投稿日:2013/12/09 08:53

【1264】[1477]「対談」ができないものか!?

私が最近(~5年)認識した現在考えられる最高の著名人である。
 ・副島隆彦先生(評論家)
 ・植草一秀先生(評論家)
 ・孫崎 享先生(評論家)
 ・山崎行太郎先生(文藝評論家)
 ・岩田 温先生(政治哲学者・大学専任講師)
 ・佐藤 優先生(作家・元外務省主任分析官)

「対談」ができないものか!?

守谷健二 投稿日:2013/12/08 12:58

【1263】[1476]柿本朝臣人麻呂の正体を暴くⅢ

 人麻呂の終焉の土地の考察を続けます。この問題は、日本史を考えるうえで避けて通れない問題と信じているからです。

   柿本朝臣人麻呂、石見国に在りて死に臨みし時、自ら傷見て作る歌(223)
  鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ」

   柿本朝臣人麻呂の死に時、妻依羅(よさみ)の娘子の作る歌二首(224,225)
  今日今日と わが待つ君は 石川の 貝に(一に云う、谷に)交りて ありといはずやも

  直(ただ)の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲ばむ

   丹比真人、柿本朝臣人麻呂の意(こころ)に擬して報(こた)ふる歌
  荒波に 寄り来る玉を 枕に置きて われここにありと 誰か告げなむ

   或る本のうた
  天離(あまざか)る 夷(ひな)の荒野に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし

 終焉地考察には、現在二つの流れがあります。伝承を継承する、海岸部で亡くなった、とするものと、茂吉が提唱した、山間部で亡くなった、とするものです。
 茂吉の提唱した説の強みは、妻の歌(224)に「貝に(一に云う、谷に)」とあることから、「貝(かひ)」を「峡(かひ)」と同音特定することが出来ることです。「峡」と「谷」は同義ですから。
 しかし、茂吉の説が正しいとすると、(226)と(227)の歌の配置が全く説明できないのです。そのため、茂吉は、(226)と(227)の歌は、『万葉集』の編者が誤って挿入したのだと決め付けるしかなかった。
 その点海岸部で亡くなった、とする説は、(223)から(226)までの歌で、「人麻呂は、石見国の鴨嶋で亡くなり、石川の河口付近に運ばれ、荼毘にふされ、河口で散骨された。」という物語を作り、(226)の歌まで取り込むことに成功している。(226)を取り込むことが出来るのが、海岸部で亡くなった、とする説の強みと言える。
 しかし、海岸部説でも(227)が配置されている説明はつかないのである。両説から、(227)の歌は、邪魔者扱いにされてきた。何かの間違いで挿入されたのだろう、と。
 しかし、私は、これを『万葉集』の編者の間違いとは考えず、編者の意図的な指示である、と考えたのです。何故なら、『万葉集』を最初から順番に読んでゆけば誰で気付くことですが、(226)の歌「荒波に 寄りくる玉を 枕に置き われここにありと 誰か告げなむ」は、(223)「鴨山の 岩根し 枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ」の直前に置かれている「讃岐の狭峯(さみね)の島に、石の中に死にし人を見て、柿本人麻呂の作る歌(220~222)の反歌の一つとするとピッタリするのである。
 また、(227)の歌「天離(あまざか)る 夷(ひな)の荒野に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし」は、「柿本朝臣人麻呂、妻死にし時、泣血哀慟して作れる歌二首(207)~(216)」の反歌と見ると、ぴったりするのです。  
 ここから、私は、茂吉が邪魔者扱いにした(226)と(227)の歌は、本来は積極的な存在理由を持ち、人麻呂の生と死を(227)から(227)までの歌の中で考えよ、と指示しているのだと考えた、『万葉集』の編者は(207)から(227)までを、一つのシリーズとして読むことを示唆している、その中で人麻呂の生と死を考えることを強要していると考えた。そこで(227)の歌から丁寧に読むことにしたのです。次回から(207)の歌から検討します。

 
 

会員番号3217番 投稿日:2013/12/06 15:17

【1262】[1475]人類の救済は本当はなかったんじゃないですか・・・

「こら!!なにやってんだ!」という発声を聞くとみなさん!シュンー・・・ってなりますよね???あるいは、「うっふん・・・あ・な・た・・・」という発声を聞くと、もやもや、っていう気持ちになるでしょう???発声って不思議ですよね???地鎮祭???(本当かな???この、文字、いつ、誰が、造語したんですか・・・みたいな)辞書引くと「土木・建築工事にとりかかる前に土地の神???を祭って工事の安全や無事を祈る???式典」と載っているんですけどね・・・・
 地鎮祭???の時、やってきた神主さん???は、普段着から束帯に変身し、いそいそと、神???棚の準備をしていましたよ・・・四方に笹をたてて、縄を張って白い紙をヒラヒラさせて・・・それから、住宅メーカーの営業マン(シメシメ・・・鬼として、一応、ノルマをこなせそうだ!!!!)と工事現場監督(=1級建築士????・・・大変だ!!!設計からはずされたら、売れっこない2千万円・3千万円の家を騙す仕事になっちゃう・・・僕には・・・妻と子供が・・・)出席して始まりました。
 神主さん???が神様????に向かって発声を始めました・・・しかし、聞いていると、中国語の四声のように、音調に変調はなく、「あっ!な~るほど!!!この人・・・丸暗記しているんだ!!!何だかわからないことを!!!!」ただ、それだけなんです!!!!ほら、高校の時、暗唱したでしょう???「ユク、カワノ、ナガレハ、タエズシテ・・・」と、同じなんです!!!同じ!!!
 神主さん????の暗唱が、終わると、現場監督の人が、鍬を持ち、地面に向かって「エイッ!」「エイッ!」「エイッ!」と3回振っていましたよ!!!!1回、、鍬を振るごとに、「1000万円!!!!よこせ!!!」「1000万円!!!自分の生活費のため・・・」「1000万円!!!!・・・妻・・・子供のため・・・」としか聞こえませんでしたけどね・・・・
 地鎮祭????(誰がそう決めたんですか????)が終わると、神主さん????が「5万円ください!!!」っていうんですよ!!!5万円ですよ!!!5万円!!!!福沢諭吉さん5枚!!!この、恐慌の時に!!!恐慌!!!儲かりますよね!!!神主さん???丸暗記した文章を読んでいる振りをしていれば、5万円なんです!!!10件やって、50万円ですよ!!!この、恐慌のときに!!恐慌の時に!!!
 ちらっと、聞いた話では、インドやネパール、タイ、チベット、モンゴルでは、「オン・マニ・パドメ・フーム」とひたすら発声するんですって!!!!「On-ma-ni-padme-hum)というお経を、僧たちが、ずっと、発声するんですって!!!!日本語に訳すと「蓮華の宝珠よ、幸いあれ」という読経がずっと、発声されるそうですよ!!!中国(15億人も人が住んでいるんですよ!!!!)語でも、母音と子音と四声を組み合わせて「オン・マニ・パドメ・フーム」と発声されているんじゃないですか・・・・世界基準ではそういうことになっているそうなんです・・・・こんな小さな島国でやっている現象なんて・・・一体なんなんでしょうか????と疑ってみてはいかがですか????世の中、全て、騙しですよ!!!・・・だまし!!!!・・・・
 では、日本のくされ坊主たちの「ナムアムダブツ・・・」(浄土宗)と「ナムミョウホウレンゲキョウ・・・」(天台法華宗)の発声は、一体なんなんでしょうか?????
 なんでもないんです!!!くされ坊主は、この、文字を丸暗記して、50万円!!!100万円!!!のお金を檀家からふんだくって、自分たちは、豪勢なお寺????自宅????「コラ!!!!くされ坊主!!!!自宅まで建てるな!!!!くされ坊主!!!!この、恐慌の時に!!!!恐慌の時に!!!!5億円くらい賭けているんじゃないの・・・お寺と自宅に・・・」少しは、反省しなさいよ!!!!!騙し続けられませんよ・・・いつまでも・・・恐慌ですから!!!!恐慌!!!!!誤ったらどうですか????「じつは・・・あの~・・・・みなさん・・・ありたがって・・・きいていただけるので・・・つい・・つい・・」とか言って・・・・
 みなさん!!!許せませんよね!!!ニヤニヤ笑いながら優雅に生きているくされ坊主!!!くされ坊主なんかに、1銭も払う必要なんかないんです!!!意味のない丸暗記した作文聞かされて・・・50万円!!!100万円!!!じゃあね!!!
 なんで、くされ坊主の生活費・・・出してあげなくちゃならないのですか????遊興費まで????
 もういいんです!!!団地・アパートで、孤独死・・・遺体は、市役所の職員(税金で食べているんですから!!!!)片付けさせれば!!!!
 神様???仏様????といっても、結局、人類の救済はなかったんですから!!!!救済はなかったんですよ!!!!!だから、みなさん、苦しいですよね!!!生活!!!生活!!!!・・・税金で食べている1000万人の公務員とその家族たち2000万人を除いては・・・・

守谷健二 投稿日:2013/12/06 14:50

【1261】[1474]柿本人麻呂の正体を暴く Ⅱ

創られた人麻呂像
現在人麻呂像と信じられている最大公約数を上げれば、1、奈良遷都以前に亡くなった。2、六位以下の下級官吏であった。3、石見国の鴨山で亡くなった。4、石見国と大和の京に妻がいた。(石見の妻との別れの歌、大和の妻に捧げた挽歌がある)5、旅の歌が『万葉集』に多く残されていることから、人麻呂は地方の業務に就くことが多かったと考えられている。
柿本人麻呂の記事は、正史『日本書紀』『続日本紀』に一切なく『万葉集』の歌と題詞から推定するしかなく、概ね以上のような点が、人麻呂像として信じられている外観である。
上にあげた1~3は、以下に掲げる『万葉集』巻二の歌群から推定されるものである。

    柿本朝臣人麻呂、石見国に在りて死に臨む時、自ら傷みて作る歌
 鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ(223)

    柿本朝臣人麻呂の死(みまか)りし時、妻依羅(よさみ)娘子が作る歌二首
 今日今日と わが待つ君は 石川の 貝に(一に云う、谷に)交りて ありといわずやも(224)
 直(ただ)の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ(225)
    丹比真人、柿本朝臣人麻呂の意(こころ)に擬して報(こた)ふる歌
 荒波に 寄りくる玉を 枕に置き われここにありと 誰か告げなむ(226)

    或る本の歌に曰く
 天離(あまざか)る 夷(ひな)の荒野に 君を置きて 思いつつあれば 生けるともなし(227)

 寧楽宮(ならのみや)
    和銅四年、河辺宮人、姫島の松原に娘子の屍を見て悲しび歎きて作る歌二首(228,229)
 
カッコ内の数字は、『万葉集』の歌の通し番号である。奈良宮の歌(和銅四年)の前に人麻呂の挽歌が置かれていることから人麻呂は奈良遷都以前に亡くなっていたと推定され、妻の歌の題詞に「死」の文字が使われていることから六位以下の下級官吏だとされた、三位以上だった「薨」を用い、四位、五位だったら「崩」を用いたはずだ、という理屈だ。
また「鴨山の 岩根し枕ける・・・」(223)の歌から「荒波に 寄りくる玉を 枕に置き・・・」(226)までの歌で、「人麻呂は、石見の鴨山で亡くなり、石川の河辺に運ばれ、荼毘にふされ、川に散骨された、という物語が作られた。石見国(島根県西部)の海岸部には、人麻呂終焉伝説を持つ地が数ヵ所ある。その代表的なものは、益田市(島根県の西端)の伝承だ。当市には二か所に柿本人麻呂神社がある。戸田と言う処と、高津川河口である。戸田の方は、人麻呂の出生地の伝承を持ち、高津の方は終焉地の伝承を持つ。高津川河口沖合には昔鴨嶋と呼ばれていた島があり、人麻呂はその島で亡くなったのだが、万寿年間(1024~1028)の地震と津波でその鴨嶋は水没したと伝えられている。他の人麻呂終焉地伝承を持つ土地の鴨山も、成長した砂丘に飲み込まれたり、洪水などの地形の変化で現存しているものは一つもない。しかし、人麻呂は、石見国の海岸部で亡くなったのだろうと長く信じられてきた。この説に異を唱えたのが斎藤茂吉であった。茂吉は、歌人としての感性で、「鴨山の 岩根し枕ける・・・」の語感が、地震や津波で融けて無くなる様な弱弱しい山であることに承服しかねたのです。妻の歌に「今日今日と わが待つ君は 石川の 貝に(一に云う、谷に)交りて・・・」とあることから、「貝」は、「峡(かひ」に違いない(峡と谷は同義)と決め付けた。茂吉は、石見国の山間部に目を付けたのでした。そして発見したのが江の川の上流、邑智郡美郷町湯抱にある鴨山でした。これが茂吉の有名な鴨山考です。しかし、この茂吉の鴨山には決定的に不都合なことがあります。(226)と(227)の歌が置かれている意味が説明できません。それで茂吉は、『万葉集』の編者が間違って挿入したのだと、(226)と(227)の歌を否定削除した。これに咬みついたのが昭和四十年代、洛陽の紙価を高からしめた梅原猛氏の『水底の歌』でした。茂吉に『万葉集』の編者を裁く資格があるのか、と猛然と食って掛かり、益田市の高津川沖合なあったという鴨嶋伝説を復活させたのでした。どこかのテレビ局と連携して海底調査を遣ったようです。しかし、(226)の歌を復活させて高津沖合の鴨嶋が人麻呂終焉の土地だとしても、(227)の歌が置かれている説明は尽きません。次回は(226)の歌と(227)の歌が置かれている意味を考えます。

    

小林 投稿日:2013/11/30 22:26

【1260】[1470]ゆうちょ銀行でも金融統制が始まった

会員の小林です。
表向きは「振り込め詐欺対策」と言いながら、
金融統制が強くなってきているのを日々感じています。

以下貼り付けです。

2013年11月28日ゆうちょダイレクトの1日の送金限度額の一律引き下げについて
 平素は、ゆうちょダイレクトをご利用いただき、誠にありがとうございます。

 ゆうちょ銀行では、2013年12月16日(月)午前0時時点でゆうちょダイレクトにおける1日の送金限度額を1,000万円に設定しているお客さまに関し、一律で50万円への引き下げを行いますので、お知らせいたします。
 ※1日の送金限度額は、ゆうちょダイレクトの「ご登録内容確認・変更」でご確認いただけます。

 また、お客さまご自身で送金限度額を変更(引き下げ)する場合には、インターネット上で引き下げることができます。

 送金限度額は一度引き下げても、再度引き上げすることが出来ます。
 引き上げの場合は、ゆうちょ銀行・郵便局貯金窓口で配布している「ゆうちょダイレクト利用申込書兼変更・廃止届書」にご記入のうえ、ポストに投函いただくか、ゆうちょ銀行または郵便局の貯金窓口にご提出ください。
 以下のページから、「ゆうちょダイレクト利用申込書兼変更・廃止届書」を作成・印刷していただくこともできます。

 万が一、不正送金の被害にあった場合の被害を最小限にするためにも、送金限度額の設定は普段ご利用される範囲の金額に設定していただきますようお願いいたします。

会員番号3217番 投稿日:2013/11/30 12:39

【1259】[1469]そんなに、いっぱい覚えられっこないでしょ!

 もう、12月ですね。受験生の皆さんは、焦りだしているんじゃないですか?でも、最終的な結果は、もう、分かっているんですよ!見る人が見れば!数学・・・どう公式を覚えても、問題が解けない。物理・・・どうがんばっても公式がただの記号と数字の羅列にしか見えない人、残念ながら、あなたは、理科系の頭をもっていませんね!あきらめてください。
 結局、私立文系しかないわけですね。誰がお金=学費をだすのでしょうか?英語・国語・社会。でも、いまどき、早稲田・慶應卒業しても就職先なんかないですよ。なにしろ、Panasonicが、本社正社員7000人から数百人ですから・・・あるわけないんです!でも、エントリーするときに、最終学歴が?の高校卒ではね・・・
 とりあえず、大学名を人に言ってすぐ「あっ!・・・大学ね」と言う大学には、入ってください!
 まず、英語の勉強の仕方から。みなさん本屋に並んでいる教師向けとしか思えないようなくだらない参考書を買って貴重な勉強時間を無駄にしていませんか?
あるいは、福武書店のチャレンジを購読してやっていませんか?郵便受けにも入らないようなあんな分厚いもの覚えられますか?
 ざっと、書店を見まわしたところ①「英文法講義の実況中継」(山口俊治、語学春秋社)、もう、書店には、並んでいないかもしれませんが、②「試験に出る単語」「試験に出る英熟語」(森一郎、青春出版社)と③自分が受けたい大学の赤本(教学社)だけを、④LIGTHOUSE(研究社)でmakeとかhaveのような重要な語を調べ語法に赤線を引き、理解し、最後は、頭から丸暗記しさえすれば、たいていの大学には受かりますよ!特に、「出る単」、「出る熟」は、夢にまで、でてくるまで、しつこく、しつこく、声に出して、紙に書いて覚えてください!この4つのアイテムがあれば、他は、何もいりません!いくらなんですか?塾代?通信教育費?月、5000円ですか?月10000円ですか?これだけをきちんと覚えきったらたいしたものです!赤本はね。解答の日本文を読んでみるんです。読んで、何を言ってるのか、分からなかったら、レベルを落としなさい。自分が、分かるところまで!赤本だって2000円位するんです!無駄な買物をしないでください!
 次、社会、これは、山川出版社の「詳細日本史」「詳細世界史」の教科書をしつこく、しつこく、読んでください。教科書が手垢で、ぼろぼろになるまで!あとは、赤本(教学社)の過去問題をじっくり、研究してください!どの時代、どの分野を出題してくるか分かります!社会やりなさい!社会やりなさい!社会ができなかったら受かりませんよ!大学に!いいんですか?学歴がないのは悲しいことです!
 次、国語、現代文、できる人は、教わらなくてもなぜかできます!できない人はあきらめてください!やっても分からないものは分かりません!高校受験用頻出漢字問題集でもやっていてください!古文、本屋に並んでいますかね?「土屋の古文単語222」(土屋博映、代々木ライブラリー)これも、ボロボロになるまで何度も声に出して読んで、紙に書いてください!
 これだけでも、できたら、たいしたものです。まあ、ほとんどの受験生ができないでしょうね?今は、恐慌なのですから、できるだけお金を使わないように、騙されないように学歴をつけてください!もう一度いいます。あなた、あるいは、あなたのお子様の部屋の本棚に並んでいる参考書をよく、見てください!そんなに、いっぱい覚えられませんよね!

前田和寿 投稿日:2013/11/26 20:23

【1258】[1461]ダン・ブラウンの最新作は「フィレンツェ」が舞台だ。

前田和寿です。

副島先生が『隠されたヨーロッパの血の歴史』で鮮やかに解明したルネサンスとキリスト教の関係。そして、副島先生はダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』についても見事に真実を抉り出して、解説して下さいました。

そのダン・ブラウンの最新小説『インフェルノ』(角川書店)が発売されます。ダンテの『神曲』をベースにした内容です。

楽しみですね。

『インフェルノ』ダン・ブラウン著(角川書店):
http://amzn.to/1ibkj9c

前田和寿