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Loginはこちら【1328】[1609]結構身近かな問題提起をしてみます
最近、内容的にかなり重圧感のある投稿が多いようです。
そのような中、たまには、社会問題提起型も楽しめるかと思ったので投稿してみますのでよろしくお願いいたします。
タイトル:買い物難民問題について
平成26年5月22日
磯貝 太
【問題の定義】
少子高齢化、大型店の進出から日本で600万人の「買い物弱者」あるいは「買い物難民」と称する国民が発生している。
経済産業省商務情報政策局 商務流通保安グループ 流通政策課
電話:03-3501-1708(直通)
FAX:03-3501-6204
によると、
「引用開始」
高齢化や人口減少等を背景に日常の買い物に不便を感じている買い物弱者等が増加しており、こうした地域コニュニティのニーズに対応する、国や地方公共団体が行っている買い物弱者支援関連制度(25年度版)を取りまとめましたので、公表します。
「引用終わり」
発表されている一般的な解決策の情報では対処療法しかない。
根本的な問題を解き明かすことが解決につながるのではないか。
対処療法を続けていても、根本的な解決は無理だろう論を展開していき、根本的な解決法を探る。
【買い物弱者について】
2010/05/14 19:19 【共同通信】によると、
「引用開始」
見出し「高齢者層「買い物難民」6百万人 経産省が宅配への支援提言」
経済産業省は14日、近隣の商店街の衰退や交通手段の不足によって日常の買い物が不自由になっている高齢者層の「買い物難民」が全国で約600万人に上ると推計した報告書を発表した。
報告書は過疎地や高度成長期に建てられた大規模団地で、買い物に困る層が増えていると指摘。宅配や移動販売といった買い物の利便性を高める取り組みを、地方自治体が補助金などを用意して支援する必要があると訴えた。
高齢者らの買い物を支援する各地の取り組み例も紹介。スーパーがインターネットで注文を受け、食品や日用品を宅配する「ネットスーパー」や、トラックで山間部や福祉施設へ販売に出向く移動販売などのケースを挙げた。
報告書は支援に取り組む多くの事業者で採算が厳しく、事業の継続や発展が難しくなっているとも指摘した。車両購入などの費用に対する補助の実施や、販売拠点としての公民館の活用など、自治体と事業者の連携強化を求めている。
「買い物難民」の人数の推計は、全国の60歳以上の計3千人を対象にした内閣府の調査結果を基に実施。調査では地域の暮らしで不便に感じる点についての設問に「日常の買い物」との回答が16・6%を占めた」
「引用終わり」
【買い物弱者について】
1 問題が発生する条件
2 問題が発生している具体例(アメリカ、日本)
3 対処法など
4 極度に貧困が進んでいる地域(消費する物がもともとないので比較が難しい)を除き、アメリカ、日本の2国以外の国では全く発生していない。
少子高齢化が進むヨーロッパの田舎町でも、買い物弱者は発生していない。オーストラリアのでっかい農場の一軒家に住む農家の人も該当しない。
5 そこで、日米2国のみに特化した問題を解析する。
6 問題がない国との差異を問題提起し、解決案を提示する。
7 おそらく買い物弱者対策をこのような視点で問題提起し、解決案を提示するのはこれが、日本、もしくは世界でも初めてだろう。その世界初だろう論を展開する。
【言葉の定義】
買い物弱者、買い物難民(かいものなんみん)とは、「従来型の商店街や駅前スーパーなどの店舗が閉店することでその地域の住民が生活用品などの購入に困るという社会問題、またはその被害を受けた人々を指す言葉」(ウキによる)
従来型の商店街を定義づける文章がなかったが、米屋や酒屋、八百屋、魚やのたぐいを指すと思われる。
【発生する要件、条件、環境など】
*米国の事例
■ウォルマート進出による問題の発生
典型的事例は、ウォルマート現象と呼ばれるものと親和性がある。
ウキからウォルマートの「反対・批判」から引用する。
「1 アメリカにおいては、個人商店(小規模商店)や地元資本の小規模スーパーマーケットしか存在しないような小都市に進出し、安売り攻勢で地元の競合商店を次々倒産に追い込んだ挙句、不採算を理由に撤退するという形(いわゆる焼畑商業)で地元の経済を破壊する事例、いわゆる買い物難民の発生が相次いだため、進出計画を反対される案件が相次いでいる。
2 また、安価な輸入品(特に中華人民共和国製)を多く販売するため、アメリカの製造者団体等から「自国の雇用をないがしろにして自社の利益の向上のことしか考えていない」という批判を受け、積極的に自国製品(外国においてはその国の製品)を取り入れるという姿勢を取り始めている。
3 従業員の労働条件の悪さも有名であり、低賃金の非正規雇用従業員を多用して、正社員としての本採用に消極的な上に、労働組合がないうえ、組合結成の動きがあれば社員を即刻解雇するなどの不当労働行為が後を絶たない」
3つの問題の記載があるが、1番目にでてくる「焼畑商業」で地元経済を破壊する事例が端的に説明されている。
次に記載される、2販売商品、3労働条件については、必要に応じて考察する。
要するに、アメリカの事例は、郊外に大型店が出来る。近所のお店が壊滅する。
生き残るのはジャンクフード店だけ。
過剰カロリーとりすぎでスーパー肥満がうまれる。
医療費が急騰する。
ということだろう。
【推察】
1 アメリカ型の買い物弱者問題は大型店の薄利多売で地域経済を壊滅させたあと、その大型店の撤退が主因になる。
ただし、アメリカは国土も広く、日本と住環境が著しく異なり、自動車がないと生存出来ない住民も多い。
2 日本の場合は、従来あった米屋、魚や、肉や、八百屋などがスーパーの進出などから、廃店に追い込まれるケースもある。
しかし、小売店の廃店は、著しい売り上げの現象よりも、後継者がいないため廃店するケースも多い。
また、販売が免許制だった米、酒、塩販売に安泰していた小売店の廃店も相次いでいる。
3 しかし、一昔前のスーパーは午前10時頃開店午後7時頃には閉店しており、お正月の三が日は休業があたり前だった。ということで、当時の消費者は買えないもの買えないと諦めていた。ところが、今では営業時間の延長し8時開店夜12時閉店も珍しくなくなった。
24時間営業のコンビニの異常な発達などから、日本の消費者は、小売店に対する要求自体が高くなりすぎたことが主因ではないか。
4 政府が買い物難民を定義し、その表現を公然と使うようになっているが、定義によると600万人が該当する。
一方で、ネット販売、訪問販売業者にとっては、600万人の消費者が新たに発掘されたことから大きなビジネスチャンスととらえる向きも多い。
5 一方、ヨーロッパ、オーストラリア、アジア、中東、南米、米国を除く北米など世界各国では深刻な貧困地帯を除くと日本で定義された「買い物弱者」に該当する人が1人もいない。
6 各国との比較になるが、ヨーロッパの小売店は営業時間が極端に短い。午前10時開店し、正午から約2~3時間の休憩時間。そして、午後5時には閉店する。
カソリックが主流の国では日曜日は労働しないので店が開いていない。ちなみにフランスにはコンビニが一軒もない。(2013年01月16日付け東洋経済オンラインによる)以下も引用する。
「パリの中心部でもなければ店は9時には閉まり、週末は総じて営業していない。昼も3時間くらい一時閉店されることも多く、夏にでもなれば2カ月くらい夏休みをとっている店も多い。驚いたことに正社員は年間6週間くらいの有給休暇が法律で定められており、これだけ休んでいたら消費も上がるんと違うか、と思いきや、物を買いたくても店が休んでいて買えないのだ」
7 ドイツでは休日営業の禁止、営業時間も法律で厳しく決められている。(ドイツにおける「閉店法」の歴史と緩和の動き 日本貿易振興機構(ジェトロ)海外調査部欧州課闍塚一による。日付記載なし)
以下も引用。
「日本人にとって、24時間営業の店が身近にないことは、極めて利便性が悪いように感じる。しかし、長い間「閉店法」に合わせた生活をしてきたドイツでは、その生活スタイルが深く定着している」
8 以上を鑑みると、日本で定義される「買い物弱者」は日本国内の小売業態の激変からコンビニの出現前にはあたり前だった買いだめ、漬物など保存食を自分で作る、冷凍庫の有効活用、当時当たり前だったそば屋やラーメン屋の出前の消滅などの当時当たり前だった「生活スタイル」を根本から変えてしまった事から発生したものと結論づけられる。
9 以下、生活スタイルを見直し、個人で解決できるもの。
1 庭で野菜を作る。庭がなければプランターで作る。(新鮮な野菜は自分で調達する)
以下、参考資料を添付する。
贈答用のような仕上がりでなければほとんどすべての野菜が家庭で作ることが出来る。
室内でもレタス程度は簡単に出来る。室内は虫の被害がないので、逆に豆類など室内栽培に適した野菜も多い。
キッチン菜園もある程度の道具が揃えば、出来ない野菜を取り上げる方が難しくなるほど種類の野菜が栽培できる。
2 余った野菜は調理後冷凍するか、漬物など発酵食品にして保存する。
3 食肉、鮮魚、などは買いだめ出来るよう冷凍庫を設置する。2~3万円程度でマイナス20度程度のものが購入できるので、必要な量を取り出し調理していく。もちろん、調理した余り物も冷凍保存できる。
4 コメは玄米で保管し、家庭用精米機で精米し必要分だけ食べていく。
参考資料
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による。
主な野菜の栽培難易度
栽培が簡単な野菜
とうもろこし
ダイコン
さつまいも
かぶ
ほうれんそう
コマツナ
栽培がまあ簡単な野菜
きゅうり
ミニトマト
ナス
ピーマン
かぼちゃ
じゃがいも
にんじん
キャベツ
レタス
栽培がやや難しい野菜
イチゴ
スイカ
メロン
エダマメ
そらまめ
たまねぎ
ハクサイ
ブロッコリー
大玉トマト
白ネギ
【日本型買い物弱者の例外】
実体験として実家を例に上げる。
82歳の父、79歳の母親の2人暮らしだった。
買い物は父親が運転する軽自動車で行っていたが、4月末に脳梗塞で倒れ、自動車移動が出来なくなった母親が「買い物難民」に定義される状況になった。
早速、生協の配達の申し込みし利用している。急な来客などがあれば、勤め帰りに息子の私に買い物を頼み調達している。
とはいえ、徒歩10分、自転車で3分以内のところにコンビニ2軒、中規模のスーパーも2軒ある。
外食では同じエリア内にマクドナルド1軒、ラーメン屋4軒、そば屋1件、居酒屋5~6軒、すし屋1軒。
そこに生協の配達、一戸建ての家の庭では家庭菜園でトマト、きゅうり、なすレタスなども栽培している。
商店街構造の変化とは全く関係がない事例だが、このような形で当面の問題は解決させているのが現状だ。
【個人的な希望】
経済産業省が定義づけたとされる「買い物弱者」対策以前に、集落全体の住民が80歳を超えるような限界集落での耕作放棄地などを活用した若者の雇用創造、その若者に住居などを提供し、買い物依頼などの業務で収入も得られるようにする。
災害の多い日本では、相当以前から過度な人口集中が危機管理の面で問題となってきた。
大不況で仕事のない若者、労働条件が厳しい割に低賃金の若者の地方への分散化移住があれば頼もしい。
そうなると地域住民の期待も大きいので、豪雪時の除雪など生活環境改善策にも期待できる。
限界集落を含めた地域の活性化にもつながる施策も可能な事案になると思われる。
以上です。
皆様のご批判等ありましたら、ご遠慮なくお願いいたします。
【1327】[1604]今日のぼやき の 広報ページに たくさん書きました。
副島隆彦です。 私は、たった今、今日のぼやき の 広報ページ(だれでも読めるページ)に、たくさん書いたことを、載せました。
あまり書かなくて申し訳ない。
私は、決して悩んで書けなくなっているのではなくて、ただ、考えているのです。 会員ページに面白い文がたくさん載っていますから、会員は、そちらもお楽しみ下さい。 これからも会員ページに 重要な文をどんどん書いて載せます。
副島隆彦拝
【1326】[1598]勝海舟のパトロンは関西の豪商たちだった
「幕末の英傑」勝海舟はパトロンの論文を剽窃(ひょうせつ)して出世した
田中進二郎です。ひさしぶりの投稿です。よろしくお願いします。
二か月ほど前に、副島先生から幕末・明治の日本についての集中講義を受けました。その中で、幕臣の大久保一翁(いちおう 忠寛 ただひろ 1816~1887)が裏方(あるいはボス)として果した役割が非常に大きい、ということに気付かされました。副島先生が「幕末のミッシング・リングが解けた!」とおっしゃっていました。
そこで古川愛哲(ふるかわ あいてつ)著の『坂本龍馬を英雄にした男 大久保一翁』を読んだところ、大久保や勝海舟らにも影響を与え、陰で資金も出していた豪商たちがいたことが分かりました。
上記の本には、勝海舟のパトロンとして、函館の豪商、渋田利右衛門(しぶた りえもん)、伊勢松阪の竹川竹斎(たけかわ ちくさい 1809~1883)、紀州湯浅の浜口梧陵(はまぐち ごりょう)、摂津の灘の嘉納次郎作(かのう じろさく)の名があげられている。
浜口梧陵は安政の大地震(1854年)の際に、津波から村人たちを救ったという『いなむらの火』の話で有名だ。東日本大震災の後、小学校の教科書にこの話が復活した。(ただし、話と実態は少し違うそうなのだが。)
嘉納次郎作(じろさく)は「姿三四郎―講道館物語」の嘉納治五郎(じごろう)の父である。
彼らは勝海舟(麟太郎 りんたろう)に、自由に勉学するだけの資金を共同で出していた。この資金援助は、黒船来航(1853年)より十年ほども前から始まっていたという。
海舟20代前半の頃だ。
海舟は自伝の中で、高価なオランダ語の辞典である『ヅーフ・ハルマ』58巻を持っている蘭医のところに毎日通って、筆写したと得意げに語っている。いかにも苦学をしたように言っているが、それは事実ではなかったのだ。生活苦からこのころにはすでに解放されていたのだ。海舟には多いウソ・ハッタリの一つなのだ。
竹川竹斎や浜口梧陵ら、勝のパトロンになった豪商たちは、ただの学問好きであるだけでなく、諸外国の勢力が日本に伸びてくることを真剣に憂慮していた。竹川は日本は開国をして、貿易で利益をあげることを目指さなければならない、と考えていた。そして、その輸出品を作り出す産業育成を幕府に求める提言を行っていた。それが1851年に竹川が著した『護国論』である。江戸時代の在野の知識人たちの中に、幕藩体制の危機を意識し、具体的政策を論じた経世家(けいせいか)とよばれる人たちがいる。本多利明、佐藤信淵(のぶひろ 1769~1850)、林子平らである。竹川竹斎は佐藤信淵の門人であった。
勝海舟はパトロンの竹川から『護国論』を受取り、これをパクッて自分の『海防意見書』に組み込んで幕府に提出した。
通説では『海防意見書』は、日米和親条約締結後、老中阿部正弘が幕臣たちに意見を公募したのにこたえて、勝が提出したものとされている。それを幕府の老中たちが読んで、感心して勝の幕府登用がきまったことになっている。
しかし上記の古川愛哲氏の『坂本竜馬を英雄にした男-大久保一翁』には次のように述べられている。引用する。
(引用開始)
語られなかった勝海舟の幕府登用の真実
海舟の『海防意見書』の発想は、それほど独創的なものではない。「強力な海軍を作れ」とは、井伊直弼(いい なおすけ)も書いているが、それ以前から、師の佐久間象山の持論である。(中略)
また海舟の「西洋学問の学校を造れ」との主張は、一翁が自ら建白したことである。
(田中進二郎です。この西洋学問の学校を造れ、という建白は1856年に蕃書調所【ばんしょしらべしょ】の設立で実現している。大久保一翁は勝海舟をこの蕃書調所御用に登用したのだ。引用を続けます。)
さらに「積極的な貿易論」も、海舟独自のものではない。竹斎は嘉永四年(1851年)に『護国論』という一冊を書いて、それを海舟に献呈していた。『護国論』とは、貿易で国を富ませて護ることを説いた書である。
「人材登用」を主張する海舟の意見は、一翁との合作だろう。
海舟の「海防に関する意見書」は、一翁が海舟を幕府に登用するために、津田真道(まみち 真一郎 岡山の津山藩士 蘭学者)と三人で合作したと思われる。すべて老中・阿部が求めていたことばかりである。 (p64より)
(引用終わり)
田中進二郎です。
つまり老中の気に入る案を大久保は勝に書かせて、それを阿部正弘に回し、阿部は勝を抜擢することになっただけのことである。勝はこのあと下田取締掛手付 兼 蕃書調所御用という任務を幕府から命じられ、百俵五人扶持の俸禄を与えられている。
勝海舟は自分のパトロンや先生の業績を剽窃(ひょうせつ)したのだ。だからとても「幕末の英傑」と呼べる柄ではないのだ。
●幕末の憂国の豪商たちの活動は歴史から抹殺されている
ところで、勝海舟のパトロンの一人であった竹川竹斎とはどのような人物だったのだろうか?上野利三著『幕末維新期 伊勢商人の文化史的研究』という本は、竹斎の日記を十年がかりで解読して、彼の行動とネットワークを明らかにしている。
私はこの本を読んで、彼の邸宅と私設図書室がまだ保存されていることを知り、三重県松阪市の射和(いざわ)地区を訪ねた。そこで竹斎のご子孫の方に会って、お話を伺うことができた。
射和(いざわ)というのは、松阪市から10キロほど南西にいったところ(JR紀勢本線相可駅の近く)の集落である。松阪市の有名な史跡である、本居宣長の鈴屋(すずのや)や三井家発祥の地、三井高利(みつい たかとし)の屋敷跡などがある松阪城下ではない。
ではなぜ、町外れの射和という集落に富が集積することになったのか。それは丹生山(にぶやま)という水銀の採掘場が近くにあったためである。水銀といっても、無機水銀であり少量の人体への摂取は新陳代謝をよくするものとされてきた。(過度に摂取すると中毒死するという。)
だから、水銀の原鉱物(朱砂 しゅさ)を独特の製法で、白い粉(白子 しろこ、軽粉 かるこ)にし、女性の用いるおしろいや漢方薬にもなっている。
竹川竹斎の師であった経世家の佐藤信淵が射和の丹生山について、『経済要録』(文政十年 1827年刊行)という論文の中で次のように紹介している。引用する。
(引用開始)
不昧軒翁(ぶまいけんおう 佐藤信淵の祖父)いわく、土地赤色なるところには必ず水銀ありと。予(佐藤信淵)あまねく四海を遊歴して、翁の説を推究するに、奥州の朱沼山、羽州の鹿内(しかない)山、勢州(伊勢)の丹生山、阿州の丹生谷などの土地赤色なるところには、果たして水銀気を含有せり。
(中略)
続日本紀(しょくにほんぎ)の元明天皇の和銅六年(の項)に、伊勢国井沢(射和 いざわ)より初めて水銀粉を(朝廷に)献り(たてまつり)たる由を載す。いわゆる粉とは軽粉のことなり。これは勢州丹生山より掘り採れる水銀にて製したる軽粉なり。
丹生山には中古にはすこぶる水銀を多く出せしが、近来山崩れてついに廃山に及べり、惜しむべきことかな。そもそも水銀は薬物となり、白粉(ここではおしろいをさしているだろう 田中注)となり、朱を製し、鏡を明にするのみならず、その他鍍金(ときん メッキ)をなし、諸金を粉末にするなど、人生の要用きわめて多きものなり。然るに今の世に当たって、皇国の諸州に絶てこの物を出すの地なし。開物に従事する者は、心を細かにして此を探索するを専務とすべし。又もし国土を持つ者、よくその領内の地方を(調べ)尽くして、物産(会)を開くことあらば、この物(水銀)もまた出でまじきものにもあらざるなり。
(佐藤信淵著『経済要録』巻の四-開物上篇 岩波文庫p70より引用した)
(引用終わり)
田中進二郎です。このように佐藤信淵は、竹川竹斎の商家のある射和に足を運び、丹生山を探索していることがわかる。中世から江戸時代にかけて、射和には水銀加工場が80軒もたちならんでいた。そこでつくられた白子は伊勢湾から回船で各地に運ばれた。三重県の鈴鹿市には今も白子(しろこ)という海に面した町がある。きっとここから運ばれていったに違いない。ここは江戸時代は紀州藩の飛び地で、回船問屋を紀州藩が統制していた。
また大黒屋光太夫は、ここの回船問屋の家に生まれている。そして沖船頭として、白子-江戸間の千石船(せんごくぶね)に乗って航海中に嵐に遭って漂流し、一行はロシア人のいるアリューシャン列島に漂着した。(1782年)
竹川竹斎のご子孫から直接伺ったのだが、水銀を白い粉にした白子(しろこ)は梅毒の特効薬としても珍重されたという。梅毒の水銀治療というのは、オランダでも行われていたようだ。オランダから1775年に出島にやってきた、医師チュンベリーが梅毒の水銀療法を幕府の長崎通詞たちに教えた。(中西啓著『長崎のオランダ医たち』 岩波新書p82より)
長崎には、日本三大遊郭のひとつ、丸山遊郭というのがあって身売りした遊女たちがそこにたくさんいた。梅毒の患者もかなりいたのだろう。だから、きっと射和の白子は長崎でも用いられたはずだ。
こうしてみてくると、射和の商家群が、時代時代の封建領主に重税をとられながらも、新しい知識を導入して、水銀を改良しながら、財を築いていったことがおぼろげながらわかってくる。
そして、木綿問屋から出発し、江戸の伝馬町に本店を構えていった、伊勢松阪城下などの長谷川家や、三井家などに負けないほどの両替商に発展していったのだろう。
竹川家は勝海舟のパトロンであっただけではなく、幕府の為替御用商人として、幕府に金を出資していた。また大名貸しも行っていた。明治維新でこれらの投資はすべて新政府に没収されたため、三つもあった竹川家は没落して、今は分家の竹川竹斎の家がかろうじて残ったという。
勝海舟は自分のパトロンの竹川家が没落しても、それを内心苦にしていなかったようだ。義のために苦しむという人間ではなかっただろう。本当にひどいやつだと思う。
田中進二郎拝
●参考・引用文献
古川愛哲著『坂本竜馬を英雄にした男 大久保一翁』(講談社プラスアルファ新書 2009年刊)
上野利三著『幕末維新期 伊勢商人の文化史的研究』(多賀出版 2001年刊)
佐藤信淵『経済要録』(1827年刊 岩波文庫所収)
中西啓『長崎のオランダ医たち』(岩波新書 1975年刊)
【1325】[1597]西欧神秘主義とフリーメイソン
大川晴美です。今日は2014年4月27日です。
最近、吉村正和著「フリーメイソン 西欧神秘主義の変容」(講談社現代新書、1989年)を読んで、西欧神秘主義と呼ばれる思想に関心を持ちました。
以下、この本から引用しながら、考えたことを述べます。
著者の吉村氏は、フリーメイソンを論じる視点として、
「私のフリーメイソンへの関心も、古代から連綿と続く西欧神秘主義の文脈にフリーメイソンがどのように接続するかという問題意識からはじまっている。」(p.98)
といいます。そして、フリーメイソンとは何かについて、次のように述べます。
(引用開始)
注意しなければならないのは、フリーメイソンという組織が独自の思想・主張をもっていたわけではないということである。フリーメイソンは、さまざまな思想を包み込む「受皿」に似ていた。十八世紀のフリーメイソンにおいては、その受皿に盛られる内容が、啓蒙主義・理神論(引用者註、りしんろん)・科学主義という十八世紀を代表する思想であったということになるのである。(前掲書、p.54)
(引用終わり)
私・大川も、啓蒙主義・理神論・科学主義が十八世紀フリーメイソンの中心的な思想であったと考えます。そして、著者は続けて次のように述べます。
(引用開始)
十八世紀のフリーメイソンには、さらにもうひとつの傾向を認めることができる。十八世紀は、啓示宗教としてのキリスト教が退潮期にあり、その影響力が著しく後退していく時代であり、それまでキリスト教が満たしていた、人々の超自然世界への欲求を吸収するかたちで、さまざまな神秘主義・心霊主義が登場してくる。(中略)神秘主義的フリーメイソンも、啓蒙主義・理神論・科学主義を中心とするフリーメイソンと並んで、十八世紀を代表するフリーメイソンであることは間違いがない。(p. 55 – 56)
(引用終わり)
(引用開始)
一般的には、神秘主義は非合理的思考の代表的な例と考えられ、啓蒙主義は合理主義的思考を代表するものと考えられており、両者はともに相容れないとされている。ところが、フリーメイソンにおいては、この神秘主義が合理化されているのである。
すなわち、フリーメイソンの秘密を解く鍵は、一方において自由・平等・友愛を目標とする啓蒙主義運動があり、また一方において古代の密儀宗教に遡る(引用者註、さかのぼる)神秘主義運動があって、この両者の融合を見極めることにある。(p. 114 – 115)
(引用終わり)
大川です。フリーメイソンの神秘的な特徴は、メンバー同士の秘密の合言葉、秘密の参入儀礼、さまざまな起源説などに見られます。合理主義的なはずのフリーメイソンがなぜこのような特徴を持つのか、以前から疑問に思っていたので、この吉村氏の説明で少し納得できました。
けれども私が最も驚いたのは、吉村先生による西欧神秘主義の解説でした。
(引用開始)
西欧文明は周知のように、ギリシア=ローマ文明とユダヤ=キリスト教文明の二つの軸を中心として形成されている。西欧神秘主義は、その二つの焦点をひとつにつなぐような思考法であり、西欧文明のいわば地下水脈・地下茎(けい)として命脈を保ってきた。私にとって西欧神秘主義は、この西欧文明の秘密を解き明かしてくれる聖なる鍵(かぎ)のような存在に思われた。
西欧神秘主義の本流を形成する二つの流れがある。ひとつは、ギリシアの密儀宗教からピュタゴラス=プラトン=プロティノス=マルシリオ・フィチーノとつながる系譜であり、もうひとつはキリスト教神秘主義の系譜である。占星術・魔術・グノーシス主義・ヘルメス主義・カバラ・錬金術は、この二つの系譜の傍流として位置づけることができる。
(引用者註 原文ではここで改行していないが、このほうが理解しやすいので改行する。)
西欧神秘主義の根底に、神的世界への夢と憧れがあり、古代から中世、そして近代における宗教・思想・文学・芸術など、さまざまな分野で西欧的な花を咲かせてきた。神的世界への夢は、始原(アルケー)への夢といい換えてもよい。始原=根源=彼方=永遠の観念が、地下水脈・地下茎として数千年におよぶ西欧文化を支えてきたのである。
始原(アルケー)への夢とは、簡単にいうと、人間が神と一体化しようとする試みである。(中略)人間が、最終的に神と化して、この世(よ)的な世界から叡智的(引用者註、えいちてき)な世界へと立ち帰ることが目標となる。(p. 95 – 96)
(引用終わり)
大川です。「始原(アルケー)への夢とは、簡単にいうと、人間が神と一体化しようとする試みである。」・・・しばしの間、呆然・・・。しかし、気を取り直して続けます。
吉村氏による西欧神秘主義の説明が、世界の学界において多数派なのか少数派なのか、素人の私にはわかりません。この本は1989年に出版されたもので、最新の研究成果とは異なる可能性もあります。しかし、たとえばイタリア・ルネッサンスの時代に新プラトン主義が盛んに論じられたのはなぜか、とか、アイザック・ニュートンが万有引力の法則を発見するのと同時に、現代では非科学的といわれる錬金術(れんきんじゅつ、alchemy、アルケミー)も熱心に研究したのはなぜなのか、について、西欧神秘主義がヒントを与えてくれるような気がします。(ちなみに、私にはプラトンの思想や新プラトン主義がまったく理解できないのです。)
そして、この神秘主義は、今の時代にも通じる思想でもあると思います。最先端の軍事技術は秘密・秘儀として扱われ、科学技術の一種であるにも関わらず、近代科学の一般原則である公開性の原則は適用されません。この問題は、思想の面から取り組むべき重大な課題だと感じています。
それでは今日はここまでで失礼します。
大川晴美
【1324】[1596]何があった? 続きは会員専用掲示板で
楊航嘉さん。
朝早くからの投稿。6:25~7:08。
何があったのでしょうか?。(二日酔い?)
続きは会員専用掲示板で、どうですか?。
【1323】[1595]最新刊で副島先生も、金は短期では弱気に転換しているお。
損しても1600円の付き合いだお。文句を言うと、お金の苦労は、人を可笑しくすると冷笑されるお。
『金融市場を操られる 絶望国家・日本』
出版社:徳間書店
発行年:2014年4月
【1322】[1594]最新刊で副島先生も、金は短期では弱気に転換しているお。
金を高値で購入すると、霊感があると褒められるお。馬鹿らしいから、もう会員やめるお。
『金融市場を操られる 絶望国家・日本』
出版社:徳間書店
発行年:2014年4月
【1321】[1593]最新刊で副島先生も、金は短期では弱気に転換しているお。
『金融市場を操られる 絶望国家・日本』
出版社:徳間書店
発行年:2014年4月
【1320】[1591]磯貝さん
どのラジオ番組だったかはっきりしませんが、だれかが(これも思い出せませんが)「いままでだったら通訳を隠して写真を撮ったのに、カウンターの狭い店だから、通訳が間に入っていて、通訳なしでは話せないことがばれる、恥ずかしい写真になっている」と発言しているのを聞きました。真偽のほどはわかりません。
【1319】[1590]ひょとして
谷内正太郎(やちしょうたろう)国家安全保障局長ですか?
メガネのふちがやたら濃いような気もしますが??