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Loginはこちら【1404】[1715]『フィレンツェ・ルネサンスは、イスラームの覇者バイバルスから見なければならない(その3 これで最後)』
(副島隆彦が、以下の松村享くんの文に、整序と加筆をしました。 )
松村享(まつむらきょう)です。 今日は2014年11月11日です。
私は現在、ルネサンス関連の論文を書いています。
論文は『隠されたヨーロッパの血の歴史~ミケランジェロとメディチ家の裏側~』(2012年、副島隆彦著 、kkベストセラーズ刊)に触発されたものです。
進行中の論文の中から一部を抜粋、加筆して、こちらに掲載しています。今回が3回目で、最後です。
前回は、1340年代からマムルーク朝(エジプトが中心の 軍人奴隷=マムルーク=が王になった王朝 )が急激に勢力が落下したところまでを記述しました。
この事がなにを示すのか。いまのところ資料を探(さぐ)っても、パッとしない情報ばかりです。
ペスト病 をきっかけとして、マムルーク朝の力が下落した、と受け取れるような記述が多い。たしかにペストが席巻していたのは事実だが、よくよく調べると、ペストの蔓延以前に、マムルーク朝の属国都市であったと観察できるイタリアの商業都市 フィレンツェにおいて、バルディ商会、ペルッチ銀行、といった、当時の大銀行が倒産している。 (1345年バルディ商会、1347年ペルッチ銀行 の 倒産 )
ペストがフィレンツェのトスカーナ地方に上陸したのは、1347年~1348年 だ。
それよりももう少し時間をさかのぼる必要がある。その10年前の1340年前後になにがあったのか。ある著作、それを私はちょっと図書館で拾い読みしただけだったので、著作名は失念した。それらの著作には、「フィレンツェの銀行の、イギリス国王への債権が焦げ付いた」 という記述があった。そのときは、私にはなんだかピンと来なかった。
『中世の産業革命 』( ジャン・ギャンペル著、 ・・年刊)には、ヨーロッパにおける銀不足、いわゆる通貨危機の発生がフィレンツェの二大銀行を一気に墜落させた、との記述がある。ただ、これでも私にはまだピンと来ない。 銀不足とは、なにを指すのか。銀不足とは、オスマン朝の勃興の事ではないか、と私ははっと考えた。
オスマン朝(13世紀から始まる)は、トルコのアナトリアを出自とする。アナトリア地方は、今の首都アンカラを含むトルコの中心地帯であり、クルッカレやカッパドキアの遺跡がある。鉄器とともに興隆した古代のヒッタイト(ヒッティー)王国(紀元前1700年から1300年ごろ)の中心都市もあった。このアナトリア地方は古来、莫大な量の銀の産地だ。
『世界の歴史15 成熟のイスラーム社会』( p49~p50 永田雄三/羽田正著 中央公論社、初版・・・年)から引用する。
(引用開始)
オスマン朝が基礎を固め、国家らしい体裁を整えるうえで大きな契機となったのは、1326年にビザンツの要都ブルサを獲得したことである。 (中略)
やがてここはオスマン朝の最初の首都として大きく発展し、アナトリアにおける一大商品集産地となった。(中略)
オスマン朝はさらに、ニカエア(1331年)とニコメディア(現イズミド、イズミール、1337年)を征服した。オルハンはブルサ征服の直後にはじめて銀貨(引用者の割り込み加筆。このことが重要。)を鋳造し・・・
(引用終わり)
松村亨です。このようにオスマン朝が銀貨を鋳造している。この銀貨は、アクチェ銀貨と呼ばれ、17世紀まで広く中東世界で基軸通貨(キー・カレンシー)として使われたという。このオスマン・トルコ帝国のアクチェ銀貨が、以後300年以上に渡って、使われ続けたという事だ。 このことが、私たちが注目すべき重要な事実だ。
どんどん大きくなっていく帝国の、莫大な交易量を賄(まかな)うだけの銀を、オスマン朝は確保していた事にななる。しかもおそらく、その初期から。 同じ通貨が300年以上も使われたという事実は、普通の国家の歴史では見られない。最初から綿密に設計されて作られた強力な通貨だったのだろう。ウルトラ級の優良貨幣だ。
中央銀行もなしに、14世紀から17世紀まで300年も使用できた、交易の決済手段となった良質な銀貨が、中東と地中海世界に当時すでにあったという事実を、我々は記憶にとどめる必要がある。
なので、帝国であったマムルーク朝とその属国のイタリアの大商業都市が、1340年前後に、恐慌に陥った原因は、オスマン朝の勃興にある。私はこのように言いきる。
オスマン朝によって通貨の発行権が独占され、それ以外の国々は、それに従うしかなくなり、自国の独自の通貨の発行権が弱体化してしまった。 それが、オスマン家によって1299年から除々に築かれたトルコの国家は、帝国になっていった。だから時代が下って、17世紀からは、ヴェネツィアの「ドゥカート(ダッカート)金貨」が、ヨーロッパの基軸通貨になっていった。黄金の国ジパングは、いまだ発見されていない。通貨の発行権とその信用を守るためには、なみなみならぬ努力を要した事だろう。
1300年代の中期・後期は、恐慌の時代だ。ヨーロッパでは、教会大分裂(シスマ)、イギリスとフランスの百年戦争、フィレンツェの八聖人戦争と、それに連なるチオンピ(職人階級の下層民)の乱、などなど、なにひとついい事ありません。それでも、中東世界につながる東方ルートだけが長く持続した。
南方ルートの終焉、つまりマムルーク朝(エジプト)とイタリアの、帝国ー属国関係の終焉は、ずば抜けて優勝なルネサンス人であり、フイレンツエ最大の銀行家となった コジモ・デ・メディチ(”老コジモ”、1389~1464 )の時代に入る。
フィレンツエの最大の実力者になった老コジモ(コジモ・イル・ベッキオ)は、「ヴェネツィアは侵略者である」などと、当時、伝統的に同盟を組んでいた ヴェネツィアを敵にまわす発言をしている。それで同じフィレンツェの商人仲間たちと民衆から猛烈にブーイングを食らっている。『メディチ家ーその勃興と没落』( p98~p99 クリストファー・ヒッバード著) にその記述がある。
まさしく当時のヴェネツィアこそは、マムルーク朝(1250-1517年)とほとんど表裏一体と化している国家だった。
だが、当時、ビザンチン帝国(=東ローマ帝国、 帝都コンスタンチノープル)の隆盛が始まっており、ヴェネツィアはビザンチン に取り入り、ビザンチンの地中海の支配領域で上手に立ちまわって貿易利益を独占し始めた。
だからフィレンツェの覇者コジモ・デ・メディチの 14〇〇年の発言は、世界覇権国が、マムルーク朝(エジプト)からオスマン朝(トルコ)へと移り変わる時代の、過渡期の情勢の正確な認識から発せられたものだといえる。
つまりルネサンス運動とは、帝国の属国であったイタリアの商業都市での、過渡期の現象だったのだ。
1347年、恐慌によって潰れたフィレンツェのペルッチ銀行(名門家族ベルッチ家が経営)は、その100年後のメディチ銀行(その後の名門一族、メディチ家が経営)よりもずっと大きな銀行だった。フィレンツェは結局、100年前の、当時ヨーロッパ最大の金融の実力を回復できなかった。 (前掲、『中世の産業革命』ジャン・ギャンペル著p252 、 岩波書店 刊 から)
マムルーク朝の絶頂が、そのままフィレンツェの絶頂だったのだ。だからその100年後に爆発したルネサンス運動は、経済成長の終わった国家の現象だったのだ。ルネサンスとは、1436年から1531年にフィッレンツェを中心に起きた、ミケランジェロを14歳の時から育てた”偉大なるロレンツオ”、ロレンツォ・デ・メディチの時代とその死後30数年である。自由都市フレンツェの陥落まで。
そんな時代に、ローマ・カトリック教会への、とくにその「原罪(げんざい)」のドグマ(教義)への激しい反逆を始めた、コジモ・デ・メディチの アッカデミア・プラトニカ(プラトン学院運動。新プラトン主義の称揚 )に重大な意味がある。
( ここで、副島隆彦が割り込みで書き込みます。 ルネサンス=新プラトン主義の運動とは、その中心思想は、「人間は、皆、罪人(つみbと、ざいにん)である、罪を背負ってこの世に生まれた。だからカトリック教会の僧侶たちにひたすら膝まづき、生きている限り屈従せよ。死後もずっと永遠に屈服せよ 」という残虐な洗脳思想との闘いだ。私たち人間は、何も罪など背負っていない。罪人ではない。罪人として生まれたわけではない。
カトリック教会が今も人類に押し付けているこの奴隷化の思想に気付いて、だからこそ、激しいカトリック批判の根源的な思想闘争を始めたのが、人類史上の偉大なる思想家 フリードリヒ・ニーチェ(1900年死去)である。 その前に、ゲーテがいる。その前に、同じことに気付いた、偉大なるモーツアルトがいる。そして、その前に、
ルネサンス時代に、この大きな真実を少年時代に、偉大なるロレンツオたちルネサンス( Renaissance,
イタリア語なら リナシメント ) の戦闘的な先鋭な知識人たちから教えられて、88歳の生涯を芸術家として、闘い続けた偉大なるミケランジェロ である。
私、副島隆彦は前掲自著を、フィレンツェの都市を調べて回って、書いて、この巨大な真実に、60歳になってようやく気付いた。日本人として初めて、ようやく到達した。その先人、先駆者は、羽仁五郎(はにごろう)であった。 他のヨーロッパ文化史の専門家の日本人学者、文芸家たちの多くは、密かにカトリック信者であるか、バチカン=ローマン・カトリックに育てられた走狗(そうく)、手先( paw, ポー)たちである。
このことに、私、副島隆彦は気付いた。 副島隆彦注記終わり)
松村亨です。だから、このポイントこそは、私が書いている論文『日本人とルネサンス人』の出発点だ。
1498年、ヴァスコ・ダ・ガマの喜望峡(きぼうほう)ルートの航海成功が、後のヨーロッパ覇権の原点となったた。このことは日本の中学校の社会科(歴史)の教科書でも書いている。陸の時代から、海の時代への「大航海(ザ・グレイト・ナビゲイション)の時代」の到来だ。 この時、それまでの古代の ユーラシア・ネットワークをひっくり返した。
その11年後の 1509年には、ポルトガルは、マムルーク朝と戦争し、勝利した。
1517年、オスマン朝は、マムルーク朝を滅ぼした。
イスラームの覇者、マムルーク朝の創設者、バイバルスは、遠い過去の人間になった。と同時に、アッバース朝(正統のイスラームの帝国。1258年、モンゴルによってバグダッド陥落で滅亡 )以来の、イスラームが営々とつくりあげたユーラシア・ネットワークは、完全に過去のものとなった。
これがネットワークの地殻変動だった。このネットワークの、再度の地殻変動が、500年の時を越えて現代21世紀前期、ついに起こったようです。
こうなってきますと、来たる 11/16(日)学問道場定例会の主題である 『2015年、世界は平和か、戦争かの帰路に立っている』とも結びついてきます。
ネットワークの地殻変動、という視点から、定例会にご出席なさってもいいと思います。
あ、そうだ。それと、定例会の会場である、上野の東京国立博物館『平成館』のすぐそばに、東京都美術館があって、そこに今なんと『ウフィツィ美術館』が、やってきているそうです。
ウフィツィ美術館は、ルネサンス期の美術を展示します。悲壮の芸術家・ボッティチェリの作品を生で見れるチャンスです。
皆さん、定例会は13:00 からで、ウフィツィ美術館は、どうやら午前の9:30から開場しているそうなので、
午前はルネサンス、昼から世界動向、というフルコースを体験できますよ。私もスタッフとして、会場でうろちょろしております。 それでは。 (終)
松村享 拝
参考文献
○ 板垣雄三監修『世界に広がるイスラーム(イブン・バットゥータの世界)』 悠思社
○ 岡田英弘著『世界史の誕生』筑摩書房
○ クリストファー・ヒッバード著『メディチ家ーその勃興と没落』 リブロポート
○ 小室直樹著『日本人のためのイスラム原論』集英社インターナショナル
○ 佐藤次高著『世界の歴史8 イスラーム世界の興隆』 中央公論社
○ ジャネット・L・アブー・ルゴド著『ヨーロッパ覇権以前ーもうひとつの世界システム』 岩波書店
○ ジャン・ギャンペル著『中世の産業革命』岩波書店
○ ジョナサン・ウィリアムズ著『図説・お金の歴史全書』 東洋書林
○ 副島隆彦著『あと5年で中国が世界を制覇する』 ビジネス社
○ 永田雄三/羽田正著『世界の歴史15 成熟のイスラーム社会』 中央公論社
○ パラグ・カンナ著『3つの帝国の時代ーアメリカ・EU・中国のどこが世界を制覇するか』講談社
○ 前嶋信次『イスラムの時代 マホメットから世界帝国へ』講談社学術文庫
○ マキャヴェリ著『フィレンツェ史』 岩波文庫
○ 宮崎正勝著『イスラム・ネットワーク』 講談社選書メチエ18
○ 宮崎正勝著『世界史の誕生とイスラーム』 原書房
○ 牟田口義郎著『中東の歴史 オリエント五000年の光芒』 中公新書
○ ウェブサイト『副島隆彦の論文教室』
鳥生守著
125・126『論文 ヨーロッパ文明は争闘と戦乱の『無法と実力』の文明である⑤⑥』
【1403】[1710]来週末、16日の私たちの定例会に集まって下さい。
副島隆彦です。 今日は、2014年11月7日です。
私が、学問道場の会員たちに、急いで書いて知らせたいことは、この重掲(おもけい)に4日前に書いた。
重たい掲示板 [1706]番 「 黒田・ハロウィーン金融緩和 」のサル芝居のサープライズには、もう驚かない。私の予測どおりだ。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2014-11-03 06:07:18
副島隆彦です。今日は、2014年11月3日(月)です。
私が書いて明日から全国発売 の、『 官製相場(かんせいそうば)の暴落が始まる 相場操縦(そうばそうじゅう、マーケット・マニピュレーション)しか脳がない 米、欧、日経済 』(祥伝社 刊)のとおりの事態になりつつある。 この本の紹介文は、ここの「今日のぼやき」ページに 10月26日に、いち早く載せました。御覧ください。
(以下、略)
副島隆彦です。 この本を買って読んでください。この本を私は10月10日に書き上げた。発売は早いところで11月2日からだった。 だから、9月31日からの 「黒田・追加緩和 の サープライズの、不意打ちの、株価急騰」は、私が冷酷に近未来予測したものであって、何か特別な裏情報を日本の政界やアメリカから仕入れたものではない。私の現状分析力の力と、近未来への洞察力 によるものだ。
今日は、急いで、私たち学問道場の定例会の講演会のお知らせを、私からもしておきます。本当の演題は、以下の早くに公表されていたものとは違って、本当は、
「2015年、世界は平和か、戦争かへの岐路に立っている」
です。私は、この講演会で、自分の思いの丈(たけ)を徹底的にガンガン話します。私が、この数カ月で、ハッと気付いて、構築した大きな世界のこれからの動きの構造図を、グサリ、グサリと話します。
それから、10月31日の「黒田・追加緩和」からの金融市場の急激な動きのことも、どうしても話さない訳(わけ)にはゆかなくなりました。ですから金融の話もします。
この学問道場は、日本の優れた見識を持つ読書人階級(生来のインテリ層。学歴は関係ない)の人々のための結集軸ですから、あまり、自己資産の保全や、金儲けにしか興味ない人々向けの講演はやらない、もっと、むづかしい政治思想の話とかをする場所であり、そのための自力での講演会である、と、私は、この数年で、ふたつに分けるようにして来ました。 なかなか、うまく行きません。
「金融の話をしてくれ」という会員からも要望が今も続いてあります。 金融・経済の話は、私は、次回は、2015年(来年)3月1日に、東京で行います。このお知らせは、今度の新刊『官製相場の暴落が始まる』本の中に挟まっている、ハガキ大の広告文でしています。こちらから申し込んでください。
それでも、政府主導のインチキのヤラセの金融変動が急に起きましたので、来週末、16日(日)の定例会でも 金融の話も少しはします。是非、ご参加ください。
以下が、定例会の申し込みの概要です。当日、会員であることをはっきりと言って、参加してください。(当日は6000円です) ご友人をお連れください。どうぞ、いらしてください。
(ここからが概要)
定例会(講演会)開催のお知らせ
『日本のこれからの政治の動向について』
講師:副島隆彦/六城雅敦研究員
開催日:2014年11月16日(日)
会場:東京国立博物館 『平成館』
開場 12:15
開演 13:00
終了 16:30
主催:副島隆彦を囲む会
・第33回「副島隆彦を囲む会」定例会へのお申し込みはコチラ↓
http://soejima.to/cgi-bin/kouen/kouen.html
(ここまで)
副島隆彦です。来年2015年は、日本の敗戦後70年( 世界史では、
第二次大戦の終結から70年) である。どうやら、来年から世界は、激動の時代に入りそうだ。それを、今のうちから、私は、鋭く、予測し、予言しておかなければいけない。
私の体力、気力が充実し、生来の予言者(プレディクター)としての洞察力、予知能力が、漲(みなぎ)ってきました。 それでは、来週末の日曜日に、上野の国立博物館の脇にあるらしいホールでお会いしましょう。
私たち、学問道場は、あらゆる時代の迷曚(めいもう)を打ち破って、その先の広びろとした大平原に、誰よりも早く到達します。
副島隆彦拝
【1402】[1709]『フィレンツェ・ルネサンスは、イスラームの覇者バイバルスから見なければならない(その2)』
松村享(まつむらきょう)です。
私は現在、ルネサンス関連の論文を書いています。
論文は『隠されたヨーロッパの血の歴史~ミケランジェロとメディチ家の裏側~副島隆彦著 kkベストセラーズ』に触発されたものです。
進行中の論文の中から、
一部を抜粋、加筆して、こちらに掲載させて頂いております。
前回は、ネットワーク帝国・アッバース朝から
モンゴル帝国へと継承されたユーラシア交易圏が、
徐々に3つのルートとして収斂し、やがて縮小した、という部分まで掲載しました。
最も早く没落していったのは、中央ルートでした。
イスラームにとっては伝統の、シンドバードの海です。
しかし、バグダードなどは、モンゴルのフラグが壊滅させた地域です。
のんきに通れるような場所ではありません。
そのバグダードは、滅ぼされたのち、イル・ハーン国の地方都市に転落してしまいます。
そして1335年、フラグのイル・ハーン国もまた、早々に滅んでしまいます。
本当は中央ルートこそ、イスラーム世界にとって命脈とでもいえるルートでした。
ペルシャ湾から船を出せば、陸地に近い海を安全に航海できるからでした。
ネットワーク帝国・アッバース朝の大動脈でした。
北方の陸路も終焉します。
モンゴル帝国末期のごたごたと、ペストの流行、
オスマン帝国の拡張、ティムール帝国の拡張、というように、
いわゆるシルクロードはあまりに目まぐるしい。
中央ルートと北方ルートが終わっていく中で、
長く繁栄を極めたのが、南方ルートでした。
南方ルートは、紅海から、陸伝い不可能の大海原に飛び出します。
中央ルートに比べれば、安全性に劣る点から、第二候補であった南方ルートですが、
ここが次なる時代の最重要ルートとして繁栄するのです。
何故、繁栄が可能だったか。
ここにエジプト・マムルーク朝の王、ルクヌッディーン・バイバルス(即位1260~1277)が登場します。
南方ルートの発展、持続を基礎づけたのが、
イスラーム世界エジプト・マムルーク朝の王、バイバルスなのです。
名実ともに世界最強のモンゴル軍を、バイバルスは、現在のパレスチナで蹴散らします。
なんとモンゴル軍戦術を会得して勝利をたぐり寄せたらしい。
古今東西、名将はいつも、最強の敵から学んで勝利します。
たしか、ハンニバルを打ち破ったローマのスキピオ・アフリカヌスも、
ハンニバルを軍事学の師匠と仰いでいたはずです。
マムルーク朝は、エジプト・シリアが拠点です。
紅海と地中海に面しています。
つまり、アブー・ルゴド氏のいう、南方ルートの支配者です。
まるで『紅海さえあれば、あとは何もいらない』とでも言いたげな版図が、
マムルーク朝の支配地域です。
南方ルートは、地中海国家と深くつながっている。
中でも、イタリアのヴェネツィアが、マムルーク朝と蜜月の関係を築きます。
有名な、水の都ヴェネツィアの背後には、巨大なマムルーク朝が存在するのです。
つまりここは、副島隆彦氏の『帝国=属国理論』の出番です。
イタリアは、帝国マムルーク朝の属国であったと、暫定的に私は判断しています。
だから、このあたりのヨーロッパ史の云々は、
常にマムルーク朝からの視点で語られなければならないのであって、
とくにイタリアにおいて、それは著しい。
そしてイタリアは、多国籍企業集団のような趣きをかもしている。
いや趣きどころか実際、完全に多国籍企業です。
フランスのブルージュなどは、イタリア多国籍企業が撤退した瞬間に、没落しました。
イタリアは、ヴェネツィアのような海洋国家が貿易を、
内陸国家が金融と工業を、
というふうに分業体制を確立していました。
金融と工業の内陸国家こそ、イタリアのフィレンツェです。
フィレンツェこそ、ルネサンスの舞台です。
しかしルネサンスはまだ、先の話だ。
バイバルスの話をしましょう。
バイバルスは、モンゴル軍と十字軍を徹底的に打倒します。
無敵の強さといっていい。
バイバルスが、世界大戦の勝者です。
不安定だったユーラシアの版図を確定させます。
現代イスラーム諸国においてバイバルスは、有名なサラディンと並ぶか、
あるいは、それ以上の英雄待遇を受けているそうです。
我々は、そろそろイスラーム史に眼を転じなければなりません。
ヨーロッパ人の良書は、たくさんあります。
しかし、何故か常にイスラームを蚊帳の外に置いている。
だから、ヨーロッパ人、アメリカ人の歴史書は本当は、
『宗教 religion』(※再編集の事。鴨川光氏によれば人定法positive law)と考えなければなりません。
疑わないといけない。
頭上さえ覆う宗教の可能性がある。
疑ってもないあの蒼い空を、
トンカチで叩き割ってみたならば、
本当は、赤い空が広がっているのかもしれません。
世の中が『正しい』といって押しつけてくる事柄が、
私は退屈でなりませんし、嫌いです。
いくつか資料を読みこんで、わかった事が一つあります。
二流の秀才ヨーロッパ人は、バイバルスが嫌いです。
マムルーク朝も嫌いです。
できる事なら触れずに済ませたい、とでも思っているかのようです。
軍人王朝だとか、専制国家だとか、ほのかに難癖をつけているようにも読めます。
しかし私には、政治体制の良し悪しは、判断できません。
神政政体が良いのか、民主政体が良いのか、という事なども判断しかねます。
なので純粋に『果たした役割』だけに着目します。
着目した結果、
マムルーク朝のバイバルスこそ、
イスラーム史のみならず、
世界史における超重要人物である、との見立てを、ここに提示します。
引用開始ーーーーー『世界に広がるイスラーム(イブン・バットゥータの世界)』p221家島彦一著 板垣雄三監修 悠思社
当時のイスラーム世界はシリア・エジプトを領有したマムルーク朝政権を主軸として、
一つの大きな政治的統合をなしていたのである。
そして、この軍事・政治・外交上の秩序は、カイロをネットワーク・センターとして
地中海からインド洋に連なる東西間の国際交通ネットワークの広がりとも一致していた。
※中略
とくに、一二八八年、スルタン=マンスール・カラーウーンは、
国際交易の振興に努力し、
東は中国の元朝、デリー・サルタナの諸王朝、スィンド、イエメンなどの支配者・有力者たちに宛てて新書を送り、
通行と滞在、商売の安全を保障した証書(スーラ・アマーン)を発布することで、
マムルーク朝を中軸とした国際交易システムの確立を目指した。
ーーーーー引用終わり
上述のスルタン・マンスール・カラーウーンの次のスルタン(王)が、
ナースィル(在位1293~94/1299~1309/1310~41)です。
このナースィルの50年間が、マムルーク朝の絶頂です。
カイロには、数多くのモスク、学院、病院、商取引所、神秘主義(スーフィズム)の道場などが建てられたといいます。
そして絶頂期のナースィルの死の直後、
1340年代から急激に景気は落下します。
(続)
松村享 拝
【1401】[1708]『フィレンツェ・ルネサンスは、イスラームの覇者バイバルスから見なければならない』sono
松村享(まつむらきょう)と申します。
私は現在、ルネサンス関連の論文を書いています。
論文は『隠されたヨーロッパの血の歴史~ミケランジェロとメディチ家の裏側~副島隆彦著 kkベストセラーズ』に触発されたものです。
それで今回から、この論文を部分的に抜き出し、若干手をくわえ、何度かに分けて、投稿させて頂きたいと思います。
今回の抜き出し部は
『フィレンツェ・ルネサンスは、イスラームの覇者バイバルスから見なければならない』というものです。
イスラーム世界の軍人王朝、マムルーク朝のバイバルスは、
当時の世界大戦の最終的な勝利者です。
世界大戦とはなにか。
イスラーム、モンゴル、カトリック十字軍の三軸を中心に繰り広げられた戦争です。
私の見立てでは、チンギス・ハーンの孫であるフラグが、
イスラーム・アッバース朝のバグダードを滅ぼした1258年が、
世界大戦の勃発した年です。
さて、滅ぼされたイスラームのアッバース朝(750~1258)は、
長年にわたって、巨大なユーラシア交易を実現していました。
この事を『世界史の誕生』として主張するのは、宮崎正勝氏です。
宮崎正勝氏は、アッバース朝をユーラシアのネットワーク帝国だと主張します。
『世界史の誕生』といえば岡田英弘氏です。
岡田英弘氏は、
モンゴル帝国から世界史が始まると主張しました。
そうではない、と宮崎正勝氏はいいます。
モンゴル帝国は、第二陣である。
アッバース朝こそ、第一陣のネットワークであり、
アッバース朝の中心バグダードこそ、世界の中心だった。
引用開始ーーーーー『イスラム・ネットワーク』p24宮崎正勝著 講談社選書メチエ
アッバース朝の交易ネットワークは、地中海周辺、サハラ砂漠以南の西スーダン、
北欧、東アフリカ、内陸アジア、インド、東南アジア、中国に及び、
日本、新羅までもが『ワクワク(倭国)』『シーラ』として、
アッバース朝の知識人の視野のなかにふくまれていた。
こうした動きのなかで、トルコ人など内陸アジアの遊牧諸民族は、
イスラム世界と深い結びつきを持つようになった。
また、インド洋交易路の構造化が進んで、
『第一次大航海時代』ともいうべき海上交易の活性化現象が見られ、
河川ネットワークを通じて北欧・ロシアにも貨幣経済が波及した。
東アジアにおいても、ムスリム商人が海上ルートを用いて東南アジア、
インド洋周縁地域からもたらした香料、香木が海上交易の活性化を助けた。
アッバース朝の『ネットワーク帝国』としての特徴は、
広域におよぶ商業ネットワークに安定した構造を与えたことにある。
アッバース朝は、『帝国』部分とそれに付随するアフロユーラシアに広がる大交易ネットワークから成り立つ、商業的性格の強い『ネットワーク帝国』であったといえる。
ーーーーー引用終わり
バグダードから広がるネットワークこそ、まさしく『世界史の誕生』であったと。
もともと、バグダードは交通の要所でした。
ティグリス川・ユーフラテス川の接近地帯です。
このバグダードが、766年、巨大な円城として生まれ変わります。
三重の城壁によって囲まれた人工都市であり、外壁の長さは8,3kmに及んだといいます。
バグダードは軍事都市であり、経済都市であり、
なによりユーラシア交易の管理センターでした。
このあたりの事は『副島隆彦の論文教室』にて、
鳥生守氏が、
125・126『論文 ヨーロッパ文明は争闘と戦乱の『無法と実力』の文明である⑤⑥』と題して素描されてもいます。
併せて読まれるのもいいかもしれない。
バグダードから4つの道、大動脈が走っていたのです。
このうち私が着目するのが、バスラ道といわれるルートです。
バスラは、ペルシャ湾の眼と鼻の先の街であり、
ペルシャ湾からインド洋にむけて船が出ます。
インド洋からさらに北上して、中国の湾岸都市にまで至ります。
交易は、なんといっても海が大事です。
陸上とは比較にならない物量です。
そしてこのルートこそ、シンドバードの舞台となる海なのです。
シンドバードという名称は、インド系のものです。
後年、アッバース朝の衰退にともない、
交易ネットワークも散発的になっていきますが、
それでもこの海の道は、世界大戦勃発まで、
長く活用される事になります。
このシンドバードの交易海路を、
『ヨーロッパ覇権以前』の著者アブー・ルゴド氏は『中央ルート』と名づけます。
中央ルートと名づけるからには、まだいくつかルートがある、という事です。
大きく見ると、ネットワーク第二陣のモンゴル帝国時代には、
中央ルートを含めて3つのルートが機能していました。
引用開始ーーーーー『ヨーロッパ覇権以前 ・上』p173ジャネット・L.アブー=ルゴド著
3つのルートとは、
コンスタンティノープルから中央アジアへの陸路を横切る北方ルート、
地中海とインド洋をバグダード、バスラ、ペルシャ湾を経由して結びつける中央ルート、
そして、アレクサンドリア~カイロ~紅海とアラビア海そしてインド洋とを結びつける南方のルートである。
12~13世紀には、戦争と平和とが、遠方の交易相手を互いに接触させるという
皮肉な協力関係によって、
これらのルートはさらに網目状のものに広がった。
そして13世紀後半までに、3つのルートがすべて機能するようになっていた。
ーーーーー引用終わり
私はいま、Googleマップを開きながら記述しています。
ユーラシア大陸が、まさしく渾然一体となっている有様を目撃しています。
驚愕の規模です。
我々は、高校などの歴史の教科書で『暗黒の中世』なる概念を叩き込まれていますが、
どうやら実際には、そのようなものはありません。
3つのルートが、
地中海の西ヨーロッパから、東シナ海に面した中国の杭州までをつなぎます。
杭州といえば、すぐそこは上海です。
こちら極東貿易では、マレーシアのマラッカも重要な交易地でした。
のちに日本人も、この極東交易に参加しています。
これら3つのルートは、世界大戦や諸々の事情により、やがて縮小していきます。
(続)
松村享 拝
【1400】[1707]新刊本購入しました。
はじめて投稿いたします。会員番号6431の田中と申します。
私が住んでる地方、岐阜県では、昨日書店を覗きますと、副島先生の新刊本が
もう発売になっておりさっそく買い求め、現在読み進めている最中です。31日の株価暴騰など、ここ最近の変化の激しさもプラスされライブ感に溢れている新刊本です。
また、さきほど読んだ副島先生の今日の投稿文も新刊本を読むうえで参考になります。ただ、投稿文の真ん中あたりの「物価上昇が健全に起きる経済成長の下での、コストプッシュインフレ・・・・・」の文章で、コストプッシュインフレとデマンドプルインフレの位置が逆に成っている気がするのですが。すいません気になったものですから。
【1399】[1706] 「 黒田・ハロウィーン金融緩和 」のサル芝居のサープライズには、もう驚かない。私の予測どおりだ。
副島隆彦です。今日は、2014年11月3日(月)です。
私が書いて明日から全国発売 の、『 官製相場(かんせいそうば)の暴落が始まる 相場操縦(そうばそうじゅう、マーケット・マニピュレーション)しか脳がない 米、欧、日経済 』(祥伝社 刊)のとおり の事態に、なりつつある。 この本の紹介文は、ここの「今日のぼやき」ページに 10月26日に、いち早く載せました。御覧ください。
この10月31日の、「サープライズ」の「不意打ち」の 「みんなで驚き」の「黒田・ハローウィーン金融緩和」は、始めから仕組んだ猿芝居(さるしばい)だ。私はすこしも驚かない。私が本に書いたとおりだ。
これで計画とおり、755円日本の株価が急騰し、円安112円に急落だ、と、このインチキ、やらせ集団は、自画自賛している。こういうことは、すべて、私の今度の本に書いている。その裏側の動きも書いた。
私は、この5日間で3つ続けて起きた アメリカと日本の政府の連携(れんけい)、即ち グル (グル とは、group グループ 、ドイツ語なら gruppe グルッペ。徒党 という意味だ) での、金融政策(マネタリー・ポリシー)の動きをずっと見ていた。それでも自分の生活と、出版社との打ち合わせとかあるから、情報が入るのはどうしても後手(ごて)後手に回る。
まず、1. 10月29日に、アメリカのFRBが、イエレン議長の発表で、「米、量的緩和(りょうてきかんわ)終了を宣言」とやった。「6年間に及ぶ異例(引用者注。「異常」 という意味)の金融緩和の正常化に向けて、FRBは、大きく舵をきった」となった。この時の「FOMCの声明」では金融市場は何も動かなかった。
イエレンたち は、「緩和をやめ」のあとNYの株式が崩れるのが怖くて、怖くてならなかった。 だから、日本を人身御供(ひとみごくう)にして、乗り切る策を考えた。日本国民の大切な資金が、今もどんどんアメリカに流れ出している。
このあと、 2. 日本の日銀の黒田総裁が、政策決定会合のあとの記者会見ということで、1時30分に、「資金供給量を年間10兆~20兆円増やし、80兆円規模へ増額」という発表があった。 それで、1時45分から、申し合わせたように、日本株(東証の平均株価)が、急騰を始めた。前日比875円高まであった。午後3時の取引の終わりで755円高となった。
政府の意向を事前に受けて、暗黙の阿吽(あうん)の了解事項として、日本の大手生保、銀行、証券(機関投資家=インスティチューショナル・インベスターズと言う) の資金運用 のファンドマネージャーとディーラーたちは、主に、「JPX日経インデックス400」という この日のために新たに作っておいた、先物のインデックス(指標)債 を、ものすごい勢いで、それこそ100兆円ぐらい買い込んだ。これに、日銀ETF と GPIFも、一斉の買いに参加した。
日本の金融当局、手下機関 の総掛かりの相場操縦(そうばそうじゅう)である。
すべての動きは仕組まれている。今では、このことを金融市場の人間たちは皆、知っている。
今年の7月に竹中平蔵が、自分の通訳のロバート・フェルドマン(東京常駐)と、アメリカの財務省、グレン・ハバード、IIEフレッド・バーグステンと話し込んで決めたことだ。 ヤラセのインチキの、まさしく 相場操縦だ。相場操縦罪で、この者たちを日本の警察は、逮捕、犯罪捜査すべきなのだ。
「10月29日、31日と 米、日、連携してやりましょう。それからヨーロッパにやらせましょう 」と決めたのだ。それで、FRBが金融緩和の中止、停止を発表しても、即座に、日本(東京)が、緩和マネーとGPIFで、株価を釣り上げるので、それで、NYの株価が、急落するのを阻止しよう、と決めたのだ。
こういう クサイ田舎芝居を、世界の権力者どもがよくやるものだ。よっぽど余裕が無いのだな。いつ崩れるかわからない自分たちの足元のことで、冷や冷やものでこういう相場操縦(そうばそうじゅう)をやっている。傍(はた)で見ているだけで無惨だ。
日銀の黒田は、わざとらしく記者会見で、「期待形成(きたいけいせい)のモメンタムを維持する」と発言した。何のことだ? これは、竹中平蔵が、合理的期待形成派(ごうりてききたいけいせいは)という、反ケインズの、ロバート・ルーカスの理論を学んだことになっているので、竹中への、ひたすらお追従(ついしょう)の恭順(きょうじゅん)の意を表したものだ。
合理的期待形成派 の 経済学 は、供給重視派(サプライ・サイダー)の一種であり、ケインズ思想(ケインズ学派)が、需要(デマンド、国民の購買意欲)の喚起重視派のデマンド・サイド重視であるのに対して、「無理やりでもサプライを作る方の改革をすることで、デマンドを強引に無理やりでも生み出す」という人為的、強制的な理論である。 その真実は、市場(マーケット)は必要とあれば、どれだけでも統制してもよい、とする違法の理論である。
黒田は、「私の首を斬らないでください」と哀願した。 黒田は、これでは、いよいよ、「半年間は暴れてみせます」と啖呵(たんか)を切った山本五十六(やまもといそろく)連合艦隊司令長官と同じく、ブーゲンビル島への視察を兼ねた自殺、死出の旅 をするしか他に無くなった。
日本財務省自身は、竹中やアメリカが押し付けてくる、インタゲ理論(ニュー・ニュー・エコノミックス)や、「物価上昇目標2%の達成」などは、全く信じていない。彼ら日本の勘定奉行は、ただひたすら、金利(とりわけ長期金利。すなわち国債の値段)が上がらないで欲しいの一点張りだ。それと増税だ。
(転載貼り付け始め)
◯「日銀が追加緩和 国債購入30兆円増、物価上昇の鈍化懸念 」
2014年11月1日 日経新聞
日銀は10月31日の金融政策決定会合で追加の金融緩和を決めた。足元の物価上昇が鈍化していることを受けて、資金供給量(マネタリーベース)を年10兆~20兆円増やし、年80兆円に拡大する。
長期国債の買い入れ量も30兆円増やして80兆円にする。上場投資信託(ETF)と不動産投資信託(REIT)の購入量は3倍に増やす。記者会見した黒田東彦総裁は「デフレ脱却へ揺るぎない決意だ」と強調した。
日銀は2015年度にかけ物価上昇率を2%に高める目標を掲げている。31日に総務省が発表した9月の全国消費者物価指数(生鮮食品・消費増税の影響除く)は前年同月比1.0%と、今年5月以降は伸び率が縮小している。物価上昇が鈍れば「デフレマインドからの転換が遅れる懸念があった」(黒田総裁)。
この懸念を払拭するため、昨年4月に導入した「量的・質的金融緩和」を量・質の両面で拡充する。金融政策の目標としている資金供給量を、これまでの年60兆~70兆円から年80兆円へと増やす。資金供給量は来年末には355兆円と国内総生産(GDP)の7割強にまで増える見通しだ。
長期国債の買い入れ額も年50兆円から80兆円へと拡充するとともに、買い入れる国債の償還までの期間(平均残存期間)を「7年程度」から「7~10年程度」へと延ばす。長い期間の金利の低下を促すことで、設備投資や住宅購入を支援する。日本株と連動するETFやREITの購入もこれまでの3倍に増やす。
日銀は雇用の改善などで景気は「緩やかに改善している」との判断を維持している。だが黒田総裁は「長年デフレが続いた日本は米国のように予想物価上昇率が2%程度に固定されているわけではない」と指摘し、デフレ脱却への「正念場」(黒田総裁)と判断した。
黒田総裁は今回の策で「物価目標の早期達成をより確実にする」と強調する。日銀は同日の決定会合で中長期の経済見通しを示す「展望リポート」を発表したが、政策委員9人の物価見通しの中央値は15年度で1.7%と、2%の物価上昇を達成するというシナリオをかろうじて維持した。
だが、追加緩和を巡っては日銀内でも意見が分かれた。政策委員9人のうち賛成が5人、反対が4人となり、僅差での政策決定は極めて異例だ。一部の委員には追加緩和が景気や物価上昇に与える影響が読みづらいとの指摘がかねてあり、慎重な意見も少なくなかった。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。これで3年目に入った異次元緩和(いじげんかんわ)だ、と。 馬鹿ども。お前たちがやっていることは、「財政破綻(=財務省が国家予算を組めなくなること)を回避するために、じゃぶじゃぶマネーのお札を日銀が刷って、財務省に渡すだけのこと」だ。それが、今度の金融緩和 の継続だ。
自分たちがやっていることが、アメリカに脅されて、「異次元(いじげん)に突入」とか、「前例のない ( un-precedent アンプレシーデント) 」とか、「前人未到(ぜんじんみとう)」とか、「非伝統的」、「非正規的 (ひせいきてき、 illegitimate イレジティメット、すなわち、私生児的、父(てて)無し子的、=非嫡出子(ひちゃくしゅつし)的)手法 だ、とじゅうじゅう知りながら、それが、financial suppression ファイナンシャル・サプレッション、金融抑圧(きんゆうよくあつ)、すなわち、統制経済、金融市場の価格操作、そのものだと、知りながらやっている。
これは、経済および経済学の死 そのものだ。国家=政府が、市場を乗っ取り、「市場を牢屋に入れた」のだ。 あのバカ・ジジイ(爺)の浜田宏一が、『アメリカは日本の復活を信じている』という本を書いているが、何を、言っているのだ。この者たちは。
日本国の 国富(こくふ、ナショナル・ウエルス)を、どんどん、さらにアメリカに貢いで、流れ出させておいて、何が、日本の復活だ。これは、日本の自損行為であり、自傷(じしょう)行為だ。日本国は、大きな悲劇に向かって突き進んでいる。
本当は、金融崩壊のあとに、日本に襲いかかってくるのは、計画的に作られて、やらされる戦争の危機だ、戦争が迫っているのだ。
本来、株価の上昇というのは、経済成長があって、その反映として、景気の加熱(インフレ傾向)と共に、起きるものだ。それを、「成長がないのなら、むりやり、株価の方を上げて、無理やり価格を管理して、それで、成長ということにしてしまえ」という、天(てん、heaven )をも怖れぬことをやっている。それが、邪道の、インフレターゲティング=リフレ理論だ。
あの極悪(ごくあく)経済学者( ケインズ思想 の裏切り者)の ポール・クルーグマンまでが、31日の黒田「ハローウイン緩和」発表の時に合わせて、こそこそ日本に来て、主要な親分衆のグルたちが皆で揃って、黒田発表とGPIF発表を貴賓席の観客席から見ていたようだ。
「物価上昇率の2%上げの目標( あるいは、マクロならば、名目GDPの2%の上昇)が、達成できていない。どころか、消費税の上げで、モノが売れずに、物価が下がって、1%もない( コアコアCPIに至っては、0・5%の上昇しかない)」ということで、それで、無理やりの「デフレマインドの転換が遅延するリスクに対処するもの」というヘンなコトバを黒田は、記者会見で使った。
このことは、「自分たちが、人工=人為的にやろうとしている、デフレマインドをインフレマインド(景気回復に伴う物価上昇を無理やり作り出そうとしている )に、どれだけやっても、なかなか転換しないものだから、このままでは景気の腰折れ が起きそうだから、危険なので、この転換(流れの変更)を促進するために、新たなサープライズの、ジャブジャブ緩和マネー を続ける」 と 言っているのだろう。
物価上昇が健全に起きる、成長経済の下での、コストプッシュ・インフレではなくて、需要(国民の消費)が減退してもアパートの家賃が値上がりするようなデマンドプル・インフレという 不健全な、病気のインフレでも、何でもいいから、破れかぶれで、「期待インフレ率を 2%にするのだ」 と、黒田は、喚(わめ)いている。すでに一種の精神の錯乱(さくらん)状態だ。
このことは、ヨーロッパで始まった、「 ECB(ヨーロッパ中央銀行)に、民間銀行は資金を預けるな。全部、投資=融資に回せ」と命令している 「中央銀行に資金を預けたら、金利を取る」というマイナス金利の錯乱状態と似ている。景気が全く冷え込んで、資金の需要が民間部門に全くないのに、無理やり資金を銀行にだけ出し続ける、ということを、米、欧、日の 3つの政府はやっている。 まさしく錯乱状態だ。願望と現実の区別がつかなくっている 経済政策(エコノミック・ポリシー)だ。やがてこういう、前人未到を売り物にしている、危険な政策は、破綻し崩壊する。
物価上昇 (インフレ)を 政府、権力者が 無理やり作り出せると考え、 それを強行することで、それが景気回復=成長経済 になる、と 信じ込める、そのアタマが、問題なのだ。この前人未到の 異次元人間たちは、私たち日本国民を、地獄に連れてゆこうとしている。
思い出せば、2012年2月14日の 白川方明(しらかわまさあき)前総裁が、無理やり脅されてやった「10兆円の市場への供出」が、あれが、「日本版QE1(ワン)」だった。それから、昨年(2013年)4月に突如、登場して、黒田東彦(くろだはるひこ)が、「130兆円の日銀の(ボロクズ資産での)資産総額を 270兆円にする。それを、2014年の年末までに行う」と、異次元緩和を発表したのが、日本版QE2(ツー)だ。
そして、31日の「黒田ハローウィーン緩和」が、QE3(スリー) だ。アメリカは、イエレンが、緩和をやめる、と29日に宣言したのに、日本と、欧州には、緩和を続けろ、だ。おかしいだろう。 このあと、今週中に、残りのグルである、ヨーロッパが、ECB(ヨーロッパ中央銀行)のドラギ総裁の発表で、ヨーロッパ版の金融緩和を言い出すだろう。
脆弱(ぜいじゃく)な、欧州の28カ国の 大銀行たちに、さらにじゃぶじゃぶマネーをつぎ込む発表をするだろう。 それらを矢継ぎ早に米、欧、日の連携プレーで行うことが事前に取り決めてある。統制経済(とうせいけいざい、コントロールド・エコノミー、金融市場の価格操作 )を 自分たち通貨・金融当局自身がやっている、ということだ。
「サープライズ」とか、「不意打ち」だとか、「寝耳に水の、驚き」の政策発表だ、とか、いい加減にしろ。お前たちは、何をいい気になって、そういう違法なことをやり続けるのか。極めて愚か者の為政者たちだ。 それで、自分たちが真に賢い人間たちだと、思っている。 サープライズも不意打ちも、政策実行者であり、かつ、市場の管理者である者たちがやっていいことではないだろう。 馬鹿共めが。
もうみんな飽きたよ。自分たちだけで、お仲間で、サープライズ効果で、やった、やった、株価が急騰した、計画通りだ、と有頂天になって興奮して騒いでいろ。 こういう猿芝居(さるしばい)を、日本国民の中のまともな頭をした者たちが、気付かないはずがない。
それから、 3. 31日の午後5時から、厚労省(塩崎恭久=しおざきやすひさ= 大臣)によるGPIFの見直し、というのを発表した。これで、日本のサラリーマン3000万人の 大切な 厚生年金 128兆円の うち、32兆円 を、危険な株式投資に、さらに 大量にブチ込む、というのを決めた。 外国の株式も大幅に買う、と決めた。それから、米国債もガブガブ買うと決めた。
米国債は、これから3年後には、紙クズになっていることがほぼ確実だろうに。 シティバンクの株式が、リーマン・ショックの直後、1ドルを割って97セントになったように。 日本国民への危機と悲劇が迫りつつ有る。
(転載貼り付け始め)
◯「 GPIF、午後5時から記者会見 中期計画の変更について 」
2014/10/31 15:40 日経新聞
厚生労働省は31日、午後5時から年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が都内で記者会見すると発表した。基本ポートフォリオの見直しなど、中期計画の変更について説明する。
◯「 GPIF 国内株割合25%に引き上げへ」
2014年10月31日 17時10分 NHK
120兆円を超える公的年金の積立金を運用している独立行政法人は、収益性をより高めるため、国債など国内債券の運用比率を引き下げる一方、国内株式と外国株式の割合を現在の「12%」から「25%」に引き上げるなどとした、新たな運用方針を決めました。(以下は、後掲)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 おそらく2年後には、このGPIFで、大損を出して、65歳のサラリーマン(大卒、勤続34年。「年金一年生」だ )が貰える厚生年金は、今の月額18万円が、半分の10万円になるだろう。 この厳しい現実を日本国民は、覚悟せよ。
あまりにバカな、売国奴の政治指導者たちばかりを、自分たちの頭(あたま)に戴(いただ)かさせられて、屠殺場(とさつば)に向かう牛、ブタ、馬のようだ。 衰退を続ける、アメリカ帝国によって、計画的に自分たちの指導者をこんなにもヒドイ者たちだらけにさせられると、それは、もうすぐ自分たち自身の悲劇と苦境となって表れる。私たちは、もっともっと貧乏になることを覚悟すべきだ。
一体、いつ、日本人は、本気で怒って、立ち上がるだろうか。私はじっと待っている。ひたすら堪(た)える。 私の今度の本『官製相場の暴落が始まる』を買ってじっくり読んでください。
副島隆彦拝
(以下は、資料として、この5日間の新聞記事を集めたものです )
◯ 「 東証大引け、大幅に3日続伸 1万6413円、日銀追加緩和で7年ぶり高値 」
2014/10/31 15:40 日経新聞
31日の東京株式市場で日経平均株価 は3日続伸した。終値は前日比755円56銭(4.83%)高い1万6413円76銭だった。9月25日に付けた年初来高値を更新し、2007年11月2日以来、7年ぶりの高値を付けた。
前日の米株高や年金積立金管理運用独立行政法人 (GPIF)を巡る報道などから買いが優勢だった。後場に入り、日銀が追加の金融緩和を決定すると買いが急増した。1日の上げ幅は2008年10月30日(817円86銭)以来、6年ぶりの大きさになった。
朝方から高く始まったが、前場中ごろからは利益確定売りなども出て伸び悩んだ。後場入り後には一時、上げ幅を180円程度まで縮小する場面もあった。13時40分過ぎに日銀の追加金融緩和が決まると急騰。14時48分には前日に比べ875円71銭高の1万6533円91銭まで上昇する場面もあった。
市場では「売りが出尽くした絶妙なタイミングで日銀の追加緩和が決定し、大幅上昇につながった」(東海東京調査センターの隅谷俊夫投資調査部長)との見方があった。
JPX日経インデックス400は3日続伸。前日比528.29ポイント(4.54%)高の1万2172.62だった。東証株価指数 (TOPIX)も3日続伸。前日比54.74ポイント(4.28%)高の
1333.64だった。
東証1部の売買代金は概算で4兆1982億円と13年5月24日以来、約1年5カ月ぶりの水準まで拡大した。売買高は40億1278万株と2月4日(42億3327万株)以来、9カ月ぶりの水準だった。
東証1部の値上がり銘柄数は全体の92%にあたる1694、値下がり銘柄数は120、変わらずは19だった。業種別TOPIXは全33業種中、空運業を除く32業種で上昇した。
ソフトバンク 、ファストリ やファナック が上昇。トヨタ や三井不 、菱地所 が買われた。三井住友FG や三菱UFJ やみずほFG といった銀行株も上げた。半面、富士通
やカシオ 、特殊陶 が下げた。
東証2部株価指数は大幅に反発した。Oak 、田淵電 やJトラスト が上げた。半面、JFLA 、神鋼環境 やマナック が下げた。
◯「 円急落、一時111円台 相場師「黒田総裁」本領発揮 」
2014/10/31 14:58 日経新聞
10月31日の東京外国為替市場で円相場は急落した。一時1ドル=111円02銭近辺と、2008年1月2日以来、約6年10カ月ぶりの円安・ドル高水準を付けた。日銀が31日の金融政策決定会合で追加の金融緩和に踏み切ったことを受け、虚を突かれた市場参加者は慌てて円売り・ドル買いに動き、次々と損失覚悟の円売りを巻き込んだ。
日銀の黒田東彦総裁はかつて、為替介入の責任者である財務官を務めた人物。介入効果を上げるために重要視される「サプライズ」(驚き)をもたらした今回の緩和決定に、市場では「黒田総裁らしい」と感嘆の声があがった。
日銀が31日に決めた追加緩和のメニューはマネタリーベース(資金供給量)の増加と長期国債の保有額拡大、買い入れの平均残存期間を最大で3年程度延長することなど。13年4月に実施したマネタリーベースを2倍に増やす「バズーカ砲」に比べると小粒かもしれないが、「市場参加者はこのタイミングで追加緩和が決まるとは、私を含めてほとんど予想していなかった」(三菱UFJモルガン・スタンレー証券の植野大作・チーフ為替ストラテジスト)というから、13年のバズーカ砲に遜色ない効果をあげられたと受け取れる。
驚いたのはもちろん、為替関係者だけではない。株式市場で日経平均株価の上げ幅は一時800円を超え、今年一番の伸びになった。これが低リスク通貨の円を売る動きを誘っている。
◯「 GPIF 国内株割合25%に引き上げへ」
2014年10月31日 17時10分 NHK
120兆円を超える公的年金の積立金を運用している独立行政法人は、収益性をより高めるため、国債など国内債券の運用比率を引き下げる一方、国内株式と外国株式の割合を現在の「12%」から「25%」に引き上げるなどとした、新たな運用方針を決めました。
公的年金の運用の在り方などを検討する政府の有識者会議は去年11月、収益性をより高めるため資金の多くを国債に投資する今の運用方針を見直してリスクのある金融商品にも投資することなどを求める報告書をまとめました。
これを受けて、GPIF=年金積立金管理運用独立行政法人は31日、新たな運用方針を決め、塩崎厚生労働大臣がこれを認可しました。それによりますと、国債などの国内債券の割合を「60%」から「35%」に引き下げる一方、国内株式を「12%」から「25%」に、外国債券を「11%」から「15%」、外国株式を「12%」から「25%」に、それぞれ引き上げるとしています。
一方で、GPIFは、株式への投資の割合を増やす運用方針の見直しにあわせ、リスクを適切に管理する体制が必要だとして、運用委員会の下に、投資先を選ぶ基準や職員の行動規範の策定などにあたる「ガバナンス会議」を設置するほか、専門知識を持つ人材を確保するため、経済動向の分析や市場の予測に当たるコンサルタントを新たに採用するなどの対策を取るとしています。
世界最大級の機関投資家
GPIFは、国民年金と厚生年金の積立金の運用を行っている独立行政法人です。運用資産の総額は、ことし3月末でおよそ126兆6000億円に上る、世界最大級の機関投資家です。
年金積立金は、将来の年金給付の貴重な財源だけに、法律で、運用は「長期的な観点から、安全かつ効率的に行う」ことが求められています。年金の積立金をどの金融商品に、どの程度の割合で投資するかという運用方針は、金融や経済の専門家で作る運用委員会の審議を経たうえで決定され、厚生労働大臣の認可を得ることになっています。
現在の割合は、基本的に、国債などの「国内債券」が中心で、「60%」となっているほか、「国内株式」と「外国株式」がそれぞれ「12%」、「外国債券」が「11%」などとなっていて、資産の大半は、民間の信託銀行や投資顧問会社に運用を委託しています。
独立行政法人として、自主運用を開始した平成13年度以降の運用実績は、平成20年度は、いわゆるリーマンショックの影響を受けて、およそ9兆3000億円の損失が出た一方、昨年度・平成25年度は、株価が堅調に推移したことなどから、およそ10兆2000億円の収益が出ています。
平成13年度以降の収益の累積は、およそ35兆4000億円となっています。GPIFは現在、70人余りの職員が業務に当たっていて、塩崎厚生労働大臣は、運用方針の見直しを踏まえて、運用リスクを適切に管理するため、体制強化に向けた法案を準備する考えを示しています。
塩崎厚労相「ガバナンス強化を」
塩崎厚生労働大臣はNHKなどの取材に対し、「GPIFに対し、リスクを最小化し、将来、国民が約束どおりの年金額を確実に受け取れるような運用を行うことを確認したうえで運用方針を認可した。見直しによって日本経済のプラスになればいいが、いちばん大事なことは、国民が将来、年金を約束どおりもらって、負担も約束以上に重くならないことであり、その実現に向けてしっかり対応したい」と述べました。そのうえで塩崎大臣は、「ずいぶん大きな分散投資の変化なので、ガバナンスを強化しなければならない。GPIFにも、今できる最大限のガバナンス強化策を示してもらった」と述べました。
◯ 「 年金 積極運用に転換 GPIF、株で5割に 」
2014年11月1日 日経新聞
約130兆円の公的年金資金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は31日、株式運用の割合を5割に高めることを柱とする新しい資産構成の目安を発表した。年金制度を維持するために積極運用に転じる。ただ少子高齢化できしむ年金制度を運用頼みで維持するのは限界がある。年金額の抑制して制度そのものの持続性を高める改革も急務だ。
新しい運用比率の特徴は、株式と債券を半分ずつにし、国内資産は6割、海外資産は4割にしたことだ。今までは6割を占めていた国内債券の割合は35%まで下げる。
実際の資産構成が目安から離れることを許容する範囲は今よりも広げる。国内債券は上下10ポイント、国内株式は上下9ポイント離れてもよいことにした。
GPIFは今後、新たな目安に沿った資産構成にするため、市場への影響に配慮しながら資産の売り買いを進める。移行完了までの期間は「決めていない」(三谷隆博理事長)としている。
インフラや未公開株、不動産といったオルタナティブ(代替)投資の資産区分を設けることは見送った。これらは投資内容に応じて国内外の債券や株式に分類し、総額が資産全体の5%を超えないようにする。
「虎の子」の年金積立金の運用先を株式や海外に移すのは、現金制度を維持できるだけの運用益を確保するためだ。今の制度に必要な利回りは1.7%。低金利の国債で運用しても目標を達成できない。GPIFの試算では、現在の運用比率を続けた場合、年金制度が求める積立金の予定額には届かなかったという。
31日記者会見した三谷理事長は「全額国債運用なら、1%金利が上昇すれば、(債券価格が下落するので)10兆円の評価損が出る。国債は安全で、株式は危ないという考えがあるが、そうではない」と説明した。
日銀が大規模な金融緩和で国債を大量購入していることもGPIFが国債運用を減らす判断を後押しした。国債を売りやすい環境にあるとみてためだ。ただ日銀が決めた追加緩和とGPIFの運用比率見直しのタイミングが重なったことについて、三谷理事長は「同じ日になったのは全くの偶然だ」と述べた。
海外の公的な年金基金は株式運用の比率が高い。カナダは債券が28%、海外株が40%、国内株が9%となっている。カリフォルニア州の公務員の年金基金(カルパース)は債券が17%で、株式は63%だ。中長期的には債券運用よりも株式運用の方が、リターンが高いとみているからだ。
GPIFは海外株比率の目安を12%から25%に上げる。先進国の株式だけでなく、成長著しい新興国の株式にも積極的に投資する方針だ。
今後は運用体制の見直しを急ぐ。GPIFの職員はわずか80人。カルパースの2600人やカナダ基金の900人よりはるかに少ない。今後は金融のプロを採用するほか、組織体制の改革にも着手する。
ただ年金制度を維持するには運用改革だけでは力不足だ。現行の年金制度は1.7%の運用目標を達成するだけでなく、女性の就労が今より大幅に増えることが前提だ。
これらはかなり高い目標なので、前提が崩れれば運用益頼みの構図が一段と強まり、より大きな運用リスクを抱え込むことになりかねない。少子高齢化の進展に合わせて年金額を抑える「マクロ経済スライド」の厳格適用など年金制度の持続性を高める改革を急ぐことが不可欠だ。
◯ 「 細野豪志 衆議院議員 リスクにさらされる年金 」
2014年10月31日 時事通信社
株価が上昇している。GPIFによる年金運用について、国内株式比率を増やすとの新聞情報が影響しているようだ。国民の年金が、株価対策に使われる流れが加速している。
国民の財産である国民年金・厚生年金の積立金は、現在127兆円あり、独法であるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が運用している。この運用は、国民の財産を守るために、長期的な観点から安全かつ効率的に運用することが大前提であるのは当然のことであり、安全資産とされている国債中心に運用がされている。これまでの運用実績もまさに安全な運用とは何かを示している。
現在、安倍内閣はこの運用を大いなるリスクに晒そうとしている。
すなわち、国債で運用していた資産を、目先の株価対策のためとすら考えられるような形で、株式に大量投入しようとしているのである。127兆円の年金は、例えば2%でも株式に投入されるだけでも2.6兆円の株価対策になる。これは東証の一日の取引額に等しい。
安倍内閣は、これを現行の12%から25%以上に引き上げる、すなわち15兆円を超える国民財産をリスクマネーに投入して、株価の下支えをしようとしている。
しかしながら、リスクに晒される年金に関して、国民に対しての説明がなされていない。どの程度のリスクか。先に示した図を見れば一目瞭然だが、更に言えば、今後リーマンショック並の事象が生じた場合には、25兆円を超える損失を出す可能性すらある。
25兆円の損失は1年間の保険料収入に匹敵する。国民が一年間納付した保険料が、一瞬にして消え去るのである。このような事態が起こった場合、保険料を上げるか、給付を下げるという選択肢をとらざるを得ず、いずれにせよ国民にしわ寄せが生ずる。
塩崎厚生労働大臣は、このような重大なリスクに対する説明責任を一切果たしていないどころか、大臣着任前に約束していた「リスクをとるだけの責任体制を構築することが大前提」との約束すら反故にしようとしている。私は、昨日の予算委員会で、塩崎大臣にそのことを問うた結果、責任体制の構築と運用改革は一体のものであるとの回答があったが、現実には、年金をリスクに晒す動きの方が先行しているようだ。
年金受給者がリスクを負って、株式保有者が得をするような形をとることは、年金運用の目的をはき違えており本末転倒である。国民の財産である年金に対して、かつて自民党政権は、グリーンピア・サンピア問題や「消えた年金問題」と立て続けに引き起こすなど、重大な失政を繰り返してきた。
今回の問題は「第3の消えた年金問題」となりうる重大な問題であり、ただちに止めなければ、未来への世代に対して重大なリスクを残すことにほかならない。私たち民主党は、年金を守るために、戦いぬく。
ちなみに、塩崎大臣は自ら時価総額6千万円を超える株式を保有している。賢明な塩崎大臣が、疑惑の目で見られるようなことにならないよう切に望みたい。
◯ 「 GPIF、運用見直しを決定 国内株25%に引き上げ 」
2014/10/31 17:21 日経新聞
約130兆円の公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は31日、運用の基本ポートフォリオ(資産構成割合)を見直し、国内株式を現行の12%から25%に引き上げると発表した。許容範囲とする上下の変動率は6%から9%に拡大する。国内債券に偏った運用を改め、年金給付の原資を増やす。
同日、塩崎恭久厚生労働相から認可を受け、施行した。国内株のほか、外国債券は現行の11%から15%に、外国株式は12%から25%に引き上げた。一方、国内債券は60%から35%に大幅に引き下げた。
上下の変動率は外国株式が5%から8%に拡大。国内債券は現行の8%からに10%に広げた。一方、外国債券は5%から4%に縮小した。これまでの基本ポートフォリオでは短期資産を5%として構成してきたが、今後は短期資産を設けず、4資産で100%になるように設定する。
◎GPIFの資産構成割合
今回発表した割合 6月末時点の比率 これまでの割合
国内債券 35% 51.91% 60%
国内株式 25% 16.79% 12%
外国株式 25% 15.54% 12%
外国債券 15% 10.76% 11%
※上下変動率は国内債券が8%から10%、国内株式6%から9%、外国債券5%から4%、外国株式5%から8%に変更された。6月末とこれまでの構成割合には短期資産の5%保有が設定されていた。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1398】[1705]ゆるキャラブーム
ここ半年は仕事に追われ、まったく読んでいなかった日経新聞。
捨てるためにまとめて拾い読みをしたせいで、自分の中では三週間前にやっとサッカーワールドカップで日本代表が敗退、新監督が決まったところです。
日経新聞はいつも家を出る時にビニール袋に入ったまま(今度引っ越した宇都宮はゲリラ豪雨が多いので、毎日薄いビニールに入ってくる!)持ち出すのですが、今日は珍しく帰りの牛丼屋で開いてしまいました。
番組欄と将棋王座戦の棋譜を見ようとしたのですが、そこで見掛けたものを皆様にご紹介しましょう。
↓マイナちゃん↓です。
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/bangoseido/logo/pdf/maina.pdf
ちょっと驚いたのは、このゆるキャラの名称が
↓「公募で決まった」↓ものであるということ。
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/bangoseido/logo/aisyou.html
私もチラッと目をやっただけですが、「セキュリティ対策も万全」とか、色々書いてありましたので、日経を購読している皆様はどうぞ本日10/29朝刊の広告をじっくりとご覧ください。
私は以下の内閣官房HPにある「よくある質問(FAQ)」を少しくらい読んでみようかと思います。
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/bangoseido/faq/index.html
【1397】[1704]私事を申し上げ恐縮ですが
10/26(日)にTOEIC受験が終わりましたので、時間のある時には重たい掲示板に参加させていただきますので、よろしくお願い致します。
偉そうなことを言っていたらすみません。
受験するたびに思うのですが、日本の島国根性の考えが国際標準についていけずに
外交下手だとつくづく感じています。
会員番号7791
【1396】[1703] 仲井眞(なかいま)沖縄県知事をはじめ、歴代の知事は、久米三十六姓(くめさんじゅうろくせい)の末裔。
副島隆彦です。 今日は、2014年10月28日です。
私が、先月の9月22日に、この 重たい掲示板に書きました 次の沖縄知事選挙 (11月16日)についての 分析と予測 の文の中で、「沖縄在住の私たちの会員に教えてほしい」と書いたことで、私にメールで教えてくれた会員がいます。 貴重な情報と知識を送ってくれました。
「 重掲 「4193」番 2014-09-22 次の沖縄の知事選挙は、出来(でき)レースで八百長で、もう終わっている。 副島隆彦 筆 」
その人に、ご自分でそのメール文を、この重たい掲示板(通称、重掲=おもけい=)にそのまま載せてください、皆で共有したいので、と私からお願いしたのですが、、そのままになりました。きっと億劫(おっくう)だったのでしょう。
それで、その会員の名前は伏せ字にして、私の判断でここに載せます。Iくん。ご理解ください。どうもありがとう。 副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
From: *********
Sent: Friday, October 17, 2014 9:47 PM
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp
Subject: 沖縄県知事選挙その他について
会員番号****番 ****と申します。
学生時代に、アホな名前のメールのアカウント(アドレス)を作ってしまったせいで、それを今でも引きずっています。
数年前、副島先生に2~3回メールを差し上げた事があります。
あの時は、SSRI(向精神薬)の薬害や、人類の月面着陸問題の事でメールさせて頂きました。
現在、私は南大東島(みなみだいとうじま)と言う所におります。
ここは、最初は無人島からの開拓(八丈島からの移民)、次に製糖会社(大日本製糖)の支配、そして現在と、大きく3つの年代に分ける事ができる島です。
ヤマトと琉球の混在する島ですので、御弟子さんと遊びにいらして下さい。
美味しい深海魚(バラムツ、インガンダルマ)もあります。下痢しますが。
さて、副島先生の重たい掲示板の書き込みについて、
>> [1668]次の沖縄の知事選挙は、出来(でき)レースで八百長でもう終わっている。
現在沖縄移住者である私が感じた事を書きます。
地元民ではないので、不正確な所もあると思います。書くかどうか迷いました。
ウチナーンチュの人からの意見を優先されて下さい。
以下、コソコソ話されている事をまとめてみました。
島社会は人間関係が狭いので、大っぴらにすると非常に暮らしづらくなります。
仲井眞(なかいま)知事をはじめ、歴代の知事は、久米三十六姓(くめさんじゅうろくせい)の末裔と言われています。地元の先輩からの伝聞です。
久米三十六姓について
明(みん)の時代に琉球王国へ中国人の学者や技術者が来て、那覇の久米村(くめそん)と言う海沿い地域に住んでいたそうです。「三十六」とは数が多い、つまり、AKB48の「48」みたいな意味でしょう。
その頃の中国姓を久米三十六姓の末裔の皆さんが持っているかは、確かめていませんが、恐らくあるのでしょう。しかし、ウチナーンチュ全員が中国姓を持っているわけではないです。
琉球王朝時代の士族は苗字ではなく地名を名乗っていたそうですし、琉球処分後の明治頃からも、やはり地名を名乗ったそうです。
戦後に創氏改名(そうしかいめい)と言って、苗字を本土みたいにしたり、色々いじった人はいるのですが、地名由来の苗字が多数を占めています。
下地幹郎(しもじみきお)氏の(兄・米蔵氏の)会社は「大米(だいよね)建設」です。創業者である幹郎氏の父(昨年逝去)の名前が「米一(よねいち)」で、会社の名前もそこから来ています。なお下地(しもじ)と言う苗字は宮古島に多いです。
下地米一(しもじよねいち)の生涯を読むと、田中角栄と神内良一(じんあいりょういち)を足した人だったようです。
http://www.miyakomainichi.com/c/shimoji_yoneichi/
宮古島には商売で成功する人が多く、例えば沖縄を代表するスーパー「サンエー」の社長も宮古島出身です。自営業者も多く、沖縄版リバータリアンの多い島です。ただし、独立論は聞いた事がありません。どこへでも働きに行って、そこに住んで頑張る人たちなので、そういう事に拘っていないように感じます。
来月の県知事選は、宮古島では保守系を中心に、下地氏を応援しているようです。ただし、下地氏は公明党と沖縄1区(那覇周辺)の国政選挙でやりあった事があり、公明党からは蛇蝎のように嫌われています。
社民党系の大田昌秀元(おおたまさひで)知事や東門美津子(とうもんみつこ?)元沖縄市長は、那覇市長選挙で翁長(おなが)氏と軋轢(あつれき)があり、下地氏の応援に回ったらしい、と言われています。今度のインチキ選挙の構造を咄嗟に見抜いていたのだと思います。
もう一つ。「日米地位協定」本の前泊博盛(まえどまりひろもり)先生(沖国大)も、宮古島出身です。西辺(にしべ)と言う、独特の場所ですが、長くなるのでやめます。
以上です。雑然とした文章になってしまいましたが、学問道場のますますの発展を祈念しております。
****拝
From: 副島隆彦
Sent: Sunday, October 19, 2014 9:18 AM
Subject: [ml:00576] Re: 沖縄県知事選挙その他について
****さまへ
副島隆彦から
メールをありがとうございます。お久しぶりです。
**くんは、今は、南大東島(みなみだいとうじま)にいるのですか。
私は、今、地図で場所を確認しました。 沖縄本島から、東へ 400キロメートルの 絶海の諸島ですね。 そこから 沖ノ鳥島(おきのとりしま) までは、さらに 南東へ800キロですね。 その 真東 のほうに、 北マリアナ諸島がありました。
**くんは、ここから メールを送って来たのですね。 「お弟子さんと遊びにいらして下さい 」との ことですので、今すぐにでも私は行きたい。しかし、どうせ行けません。 弟子たちも自分の生活を抱えて、動けません。 よっぽどの 冒険野郎で、 放浪人間 でないと、南大東島 までは、思いつきでは行けません。
私は、自分なりに達観して、もう世捨て人だと、思ったら、そちらに 行きます。おそらく那覇から、飛行機が出ているのでしょう。 定期航路の船なら10時間ぐらいでしょうか。
**くんは、若くして きっと それなりの達観のある人でしょう。 そのことを私は尊敬します。
それで沖縄人、琉球人の 血筋と中国系の家系、家名の件ですが、これで、私なりによく分かりました。 どうも貴重な知識をありがとう ございます。
「仲井眞(なかいま)知事をはじめ、歴代の知事は、久米三十六姓(くめさんじゅうろくせい)の末裔」とのことで、沖縄人の名家、貴族階級 の人々は、そういう長い歴史を持っていることが、私に分かりました。
併(あわ)せて、沖縄本島からさらに離れた、宮古島 の人たちが、独特の 立場を築いてきたことが、なんとなく分かりました。
鹿児島県の南の離島群のなかで、奄美大島(あまみおおしま)からさえ、さらに差別のような ものを受けながら特異な這い上がりの根性を持っている 徳之島(とくのしま)の人たちと同じ感じでしょう。 徳洲会(とくしゅうかい)病院グループの 徳田虎雄(とくだとらお)が徳之島の人です。
私は、同じ先島(さきしま)、あるは、南西(なんせい)諸島の 石垣島(いしがきじま)には7年ぐらい前に行きました。 一週間いました。 すぐ先の 西表島(いりおもてじま、ヤンバルクイナで有名)には行けませんでした。 さらに 与那国(よなぐに)島まで行けば、台湾 まで100キロですから、島影が見えると聞きました。
**くん。 どうか、この文を、このまま 君が自分の力で、重たい掲示板に 載せて(アップロードして) ください。 私の文も おしまいにくっつけてください。
私たち 学問道場には一切のウソと秘密がありません。 私たちは、自分の名前で、堂々と自分自身の生きている姿 と 自分の考え を披露して、他の人たちと 団結しようと思います。 私たちの会員は、私と似て、所謂(いわゆる)生き方上手ではないので、きっと恵まれた人生ではない、貧しいままの生き方をする人が多いでしょう。しかし、そういうことは、ものともせず、私たちはこの世の真実の知識と言論、学問を求めて 、生きてゆきましょう。
東大東島からのご連絡をどうもありがとう。 暮らしぶりもそのうち、教えてください。 副島隆彦拝
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1395】[1702]思想対立が引き起こした福島原発事故(第6回)
みなさんこんにちは、相田です。
しつこいですが、前回[1694]に続いて投稿します。
今回は、武谷哲学の暗黒面(ダークサイド)の話です。
本論考の最初に、「左翼思想と自然科学の関係を纏めた論考はない」と書きました。しかし、実はそれは正確ではなく、今回触れる伊藤康彦(いとうやすひこ)氏、泊次郎(とまりじろう)氏により、それぞれ、生物学、地学における左翼思想の影響についての、詳細な研究をおこなった本が出版されています。私の話は、御二方に続く「原子力技術」の観点からの論考になるはずです。
ただし、伊藤、泊の著作は共に、御本人達の半生を通じての深い思いと経験を纏めたものであり、ここでの私の話とは緻密さとスケールの大きさは比較にならないレベルにあります。それでも、私の方も、インパクトの大きさは御二方に負けない内容を目指して、書いているつもりです。
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思想対立が引き起こした福島原発事故
第1章 素粒子論グループの栄光とその影
1.7ルイセンコ論争と武谷
戦後から70年代にかけて文壇のスターの一人として、膨大な著作やエッセイを発表した武谷三男(たけたにみつお)であるが、今では都内の大きな書店に行っても武谷の本を見かけることはほとんどない。知識人として今や完全に忘れ去られつつある武谷であるが、この理由として先に触れた、広重徹(ひろしげてつ)により武谷三段階論が否定されたことが、表向きにはある。しかし実はもう一つの理由が存在しており、それは武谷が「ルイセンコ学説」の積極的な支持者であったことである。
ルイセンコ学説とは、スターリン時代のソビエトにおいて広く流布されていた生物学説で、その趣旨は「生物が後天的に獲得された性質(獲得形質、かくとくけいしつ)が遺伝される」というものである。よく言われる例えとして、「鍛冶屋(かじや)は仕事を続ける内に腕力を鍛えて筋肉質になるので、その息子も父親と同じく腕力が強くなる」とか、「一生懸命勉強した学者の息子は、勉強しなくても生まれつき頭が良い」というもので、当時研究が進んでいた遺伝子(いでんし)の作用を真っ向から否定する学説である。ルイセンコ学説はスターリン政権下において「弁証法的唯物論(べんしょうほうてきゆいぶつろん)の証明」であるとされ、それに異を唱える学者達は逮捕され収容所に送られたという。
ルイセンコ学説は日本においても戦前から左翼系自然学者達により少しずつ紹介されていた。武谷は戦後の文壇デビューした当初からルイセンコ学説に注目しており、論文「哲学は如何にして有効さを取り戻しうるか」の中で、ルイセンコの学説について「これは唯物弁証法の方法に立ち、この方法を武器としてこの仕事を完成し、またこの成果によって唯物弁証法を豊富にしたのである。」と述べている。
武谷のルイセンコ学説への傾倒に関しては、中部大学生命健康科学学部長で医師でもある伊藤康彦(いとうやすひこ)氏の著作「武谷三男の生物学思想」(風媒社、2013年)の中で、余すことなく論じられているので、ご参照されたい。以下の内容は伊藤氏の本からの引用である。
武谷の一連のルイセンコ支持の論説に対して、有名なオパーリンの「生命の起源」の翻訳者で哲学者でもある、山田坂仁(やまださかひと)からの反論が行われた。山田は当時の遺伝学の成果に基づきルイセンコの業績を考察して、その結果は遺伝学には関係がないこと、獲得形質の遺伝については生物学的に証明されていないこと等を、現在の視点から見ても非常に正しく指摘した。山田と武谷の間では激しい論争が幾度も行われたが、生物学的な根拠を特に示すことなく哲学(弁証法)的な観点からの抽象的な批判に終始した武谷に対して、山田の説明は生物学の正確な理解に基づいた具体的な内容であったことから、武谷の劣勢は明らかであった。
しかしながら学術的立場とは異なる方向から、この論争への介入が行われた。1950年に日本共産党の機関紙「前衛」に突如として「ルイセンコ学説の勝利」という論文が掲載される。筆者は中井哲三という人物であるが架空名であるらしい。その論文の中では、メンデル・モルガンの遺伝学説に対するルイセンコ学説の優位性、ソビエトにおけるルイセンコ論争の経緯とその成果がソ連の農業生産の増大に大きく貢献したこと(これは事実ではなかったのだが)等が、詳細に論じられており、最後に武谷と山田の論争について言及している。
山田はその論文の中で、ルイセンコを批判する山田の姿勢はマルクス・レーニン主義とは縁もゆかりもないもので、山田が幹部となっている民主主義科学者協会(みんしゅしゅぎかがくしゃきょうかい、戦後に組織された左翼思想を啓蒙・普及させるための科学者の団体のこと、略称:民科〔みんか〕)の哲学部会では、なぜ山田の誤りを問題にしないのか、と厳しく糾弾(きゅうだん)された。終戦直後からしばらくの間は、共産主義は進歩的な文化人や科学者の間で広く支持されており、共産党は強い影響力を持っていた。この共産党の論争への介入以来、山田のルイセンコ批判は徐々に後退して行き、武谷を支持する学者が数多く現れるようになった。
その後もルイセンコへの支持表明を度々繰り返す武谷であったが、1960年代になるとルイセンコ学説が真実ではないことが生物学者の間で共通認識となり、一方で、ソビエト農業でも何の貢献も無かった事実が明らかにされた。そのような状況でも武谷は、自らのルイセンコへの支持についての反省、批判を一切行うことが無いままで押し通し、結局はその生涯を終えることとなる。単なる疑似科学に過ぎなかったルイセンコ学説への過剰なこだわりと、対立者への容赦ない批判、そして自らの発言への反省の無さが、武谷三男の科学者、思想家としての位置付けを危うくさせ、後世の研究者からの真面目な評価を敬遠される一因であることは、明らかである。
この論考を書きながら知ったことであるが、地学の分野でも同様な左翼学者グループによる活動が、戦後に広く行われて来たらしい。東大理学部で地球物理学を学んだ後に朝日新聞の記者となった泊次郎(とまりじろう)という方が、2006年に「プレートテクトニクスの拒絶と受容」(東京大学出版会)という著書を出版されている。私はこの本をまだ読んでいないが、本論考に関係する大変興味深い内容のようである。
1960年代のアメリカでプレートテクトニクス(以下PT)という、地球内部の活動を描写する革新的な学説が発表され世界中に広まっていった。地球の表面は固い岩盤(プレート)で構成されており、このプレートが対流するマントルに乗って互いに動いて山脈が形成されたり地震が起こるという学説である。
我々の世代は小松左京(こまつさきょう)の小説を題材とした映画「日本沈没」の中で、小林桂樹(こばやしけいじゅ)が扮する、京大地球物理学教室の田所教授(たどころきょうじゅ)による、PTについての丁寧な説明を聞いた記憶がある。おかげで我々は、PTは70年代から日本で広く認知されていた学説であると思っていたが、実はそうではなかったらしい。
戦後すぐに地学研究者の中でも左翼系の学者が集まって、地学団体研究会(ちがくだんたいけんきゅうかい、略称:地団研)という集まりを結成した。地団研(ちだんけん)は今でも健在している組織である。初期の地団研のリーダーを務めた井尻正二(いじりしょうじ)は、素粒子論グループの武谷、坂田に匹敵する影響力を持っていた「自然科学系左翼」の巨人である。井尻は強固なスターリン主義者であった。
泊氏の本によるとPT学説が発表されて以来、地団研はPT学説を一貫して否定し続けており、PT支持派の研究者との間で長年の論争が続いているとのことである。地団研の立場では、旧ソビエトの学者が主張する「地向斜造山論(ちこうしゃぞうざんろん)」という学説が真実であり、アメリカ生まれの学説など信用できない、と云う事らしい。地団研の介入により日本の地学界では、PT学説についての学術的な妥当性を議論する前に、政治思想的な信条を重要視する非生産的な議論が繰り返されているようなのである。
最近、停止中の原発が再稼働するか否かの問題がマスコミで扱われる際に、「活断層(かつだんそう)」の危険性について盛んに報道されるようになっている。しかし、そもそも原発付近の「活断層」の存在について地道なフィールド調査を行って、「あっちは何万年、こっちは何十万年・・・」といった結果をまとめて公表しているのは、専ら地団研の方々であるらしい。
彼等「地団研」の活断層調査に関する情熱は、学術目的だけではなく、左翼思想集団としての反原発活動の一環であることは明らかである。電力会社側も彼等共産主義者たちの反論に対しては、一歩も引かない覚悟のようである。「活断層」の危険性については、電力会社と田中俊一氏が率いる原子力規制委員会との間で、かみ合わない議論が延々と続いている。しかしながらその裏で、地団研のような、左翼思想に強く影響された団体の活動が存在することは、マスコミでは全く話題にされない事実である。
以上の内容からわかるのは、社会科学のフィールドではいざしらず、自然科学でもどういう訳か「左翼的な学説」なるものが存在することである。物理学では武谷三段階論、生物学ではルイセンコ学説、地学では反PTと地向斜造山論、がこれに該当する。ついでに「原発直下の活断層の危険性」も、おそらくは含まれるのであろう。自然科学者(と呼ばれる人物達)が主張する話の中にも、政治思想的なバイアスがかかった、相当にいかがわしい内容もあることが、段々見えてくるであろう。
最近の話題の中では、低線量放射線(ていせんりょうほうしゃせん)の人体への影響に関する「LNT(直線しきい値なし)仮説」が、自然科学系左翼学説の最たる物だと思われる。LNT仮説にこだわる方々は、左翼系の科学者、工学者、マスコミ人、弁護士、音楽家、… 等などが多い。具体的にここでは誰とは言わないが…。一方で本格的に放射線医学を学んだ研究者からの、LNT仮説への全面的な支持は、ほとんど見られないようである。
低線量放射線の問題について私は、ルイ・パストゥール研究センター所属で免疫学の専門家である宇野賀津子(うのかつこ)氏の書かれた本の、「低線量放射線を超えて」(小学館101新書、2013年)の内容を全面的に支持している。宇野氏のこの本を熟読すればよくわかるように、年間100mSv未満の放射線の人体への影響については、「ほとんど存在しない」ということで、学術的な決着は付いているのである。それを信じるか、信じないかの判断基準は、自然科学ではなく政治思想の問題のように私には思える。
あからさまに書くと言葉は悪いが、「自然科学よりも自分の政治思想を優先するのかどうか?」ということが、放射線問題の本質であるのではないのだろうか。要するに「私は左翼思想を信じているので、放射線が怖いのです」ということである。「何をふざけたことを言うのか」と思う方は、自分の頭の中にある考えをよく見つめなおしてみるべきだと思う。
宇野氏の本によると、放射線生物学におけるDNA障害や修復に関する研究は、2000年以降に急速に進歩しており86%の論文が2000年以降に発表されているという。その中では、放射線で傷ついた細胞の修復機構、ガン化のメカニズムと免疫(めんえき)機構、ストレスによる免疫機能の低下、等についての膨大な知見が報告されているそうである。これらの近年の研究内容を把握することなく、低線量放射線の危険性を強調する研究者や医師達に対して、宇野氏は「(彼らの)知識は、せいぜいビキニの灰事件(1954年)頃のままではないのか」と、看過(かんか)されている。
ちなみに武谷には1954年のビキニ事件の直後に、関係者へのインタビューなどを纏めて出版した「死の灰」(岩波文庫)という有名な著作がある。この中では、被曝(ひばく)により亡くなった第5福竜丸船員の久保山愛吉(くぼやまあいきち)さんの症状と死に至るまでの変化が、担当した三好医師のコメントとして克明に記録してある。現在の医学知識でこの記述を見直すと、久保山さんの症状は放射線の影響ではなく、輸血による肝炎ウイルスの感染によるそうである。放射線の影響により体力が一時的に低下した際にウイルスが体内に入ることで、急速に肝炎が進行して久保山さんは亡くなったらしい。
第5福竜丸の乗組員の多くは肝炎、肝臓癌を発症しているが、いずれも放射線の影響ではなく輸血後肝炎によると見られている。輸血などせずにそのまま体力の回復を待てば、彼らは普通に完治したとみられている。この事実をどのように解釈すればよいのであろうか?言葉は悪いが「核実験による被曝を大々的にイベント化することで、過剰な医療(大量の輸血)処置を行った結果」が、思わぬ悲劇を招いたのではないのだろうか。左翼主義者達はこの「科学的事実」から逃げることなく、しっかりと受け止めるべきだと、私は思う。
(もう少し続きます)
相田英男 拝