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副島隆彦 投稿日:2015/01/16 11:36

【1421】[1740]告発の書 「 絶望の裁判所 」 の著者への インタヴュー記事です。 重要です。 

副島隆彦です。 以下に転載する 講談社の 「現代ビジネス」というサイト の インタヴュー記事は、『絶望の裁判所』(2014年2月刊、講談社新書 ) を書いた、瀬木比呂志(せぎひろし)氏 の 発言です。

私は、昨年の春に、この『絶望の裁判所』 を読んで、この本は、大変な本だ、と分かりました。 日本の裁判制度と、最高裁 の 人事行政が、裁判官たちへの 監視と牢獄(ろうごく)状態になっていることを、瀬木氏は、満身の怒りを込めて(しかし淡々と穏やかに)書いています。

瀬木比呂志氏は、東大の法学部を出て若くして裁判官(25歳で)になった本当の法曹(ほうそう)エリートだ。 現在60歳(1954年生まれ)だ。

瀬木比呂志は、裁判所(および法務省)内のエリート・コースを歩み続けた人だ。この人は、2012年に、明治大学法学部教授になって、追い出された、というか、裁判所という 牢獄の「裁判官という囚人」( 自分でそのように書いている)の身分から脱出して、この本を書いた。

講談社現代新書 から出した。講談社という出版社は、すばらしい見識を持っていて、マンガと婦人雑誌で食べているように見せているが、本当は、日本国の国益を十分に考えて、控え目にして鈍重(どんじゅう)で慎重な動きだが、ときどき本当によい本を出す。 この本は、日本国民にとって最大級に優れた本だ。

私は、昨年から、ずっとこの本の重要性 「良心的な裁判官たち自身が、収容所で厳しく監視される 囚人になっているのだ」という告発の内容をどうやって、皆に知らせようかと、考えてきた。 私なりの書評をして、絶賛し援護射撃をすればいいのだ、と考えてきたのだが、自分の仕事に追われて、それも出来なかった。 ずるずると今日まで来てしまった。

この本は、この国の 法曹関係者と呼ばれる、裁判や法律関係でゴハンを食べている人たちの間でだけ、評判となり、ザワザワと、「最高裁のやっている、裁判官たちへの人事面からの締め付けはすごいよなあ。ヒドい世界だ。実際にそうなんだよ」 と、 裁判所職員とか、弁護士たちや、司法書士や、税理士たちでも、噂(うわさ)しあって、「お前、あの本を読んだか」と、酒の肴にして来たものだ。 こういう事情で一年が過ぎた。

今からでも、私たち日本国民は、この『絶望の裁判所』という本を皆で、振りかざしてでも、騒がなければいけない。私たちの国の、裁判制度の 残酷なおかしさと、人衆抑圧に、本当の怒りの声を上げなければいけない。

絶望の裁判所

私は、以下に一枚の写真(画像)を貼り付けるが、この竹崎博允(たけざきひろのぶ)という男に、激しい怒りを感じている。この 愚劣極まりない、男が、最高裁判所長官として(昨年の2014年3月に退官して逃げた)、日本の司法(権力)のトップにいて、小沢一郎を、 検察審査会での強制起訴やら、検察審査会(最高裁の職員たち。だからゴロツキの竹崎の 手下たちだ)やらで、「法律という刃物」で、小沢一郎の 政治生命に致命傷を負わせ、私たち日本国民の 政治改革の大きな希望であった、鳩山・小沢政権を瓦解(がかい)させ、政治謀略で叩き潰した、その公然たる表舞台の 最高責任者だ。

竹崎と江田

竹崎博允・最高裁判所前長官(左) と 江田五月(右)

小沢殺しを狙った裏組織の、恐ろしい人殺し部隊まである「三宝会(さんぽうかい。1998年結成)」の話ではない。公然たる表舞台の 三権の長(さんけんのちょう)である最高裁長官が、たくさんの違法行為を重ねて、小沢一郎たちを葬り去ったのだ。 私、副島隆彦の、アメリカの日本あやつり対策班(ジャパン・ハンドラーズ。アーミテージ、M.グリーン、ジョゼフ・ナイら )ゴロツキどもの手先となって蠢(うごめ)いた 竹崎博允(たけざきひろのぶ)への怒りは、今も怒張(どちょう)天(てん)を衝(つ)くほど深い。

この男は、時代が変わって、少しでもよい時代になったら、絶対に あの2009年、10年、11年の、体制法律家(法律権力を握る者たち)の 悪事=犯罪=違法行為を、告発し起訴して裁判に掛けなければいけない。

竹崎の犯罪は、あの時の警察庁長官や、最高検検事総長 のような下っ端の罪や、法務省の”赤レンガ組” どものの罪よりも、国家体制上の格が上だからそれだけ重い。こいつを縛り首にしなければいけない。

この 一枚のパーティ会場での写真に竹崎と一緒に写っている 江田五月(えださつき)も許しがたい日本国民の敵だ、ということは、こいつが参議院議長(民主党の議員だった)の頃から、どんどん馬脚を顕(あらわ)していた。
江田五月の父親は、江田三郎(えださぶろう)で、社会党右派を率いた大物政治家だった。社会党の左派の政治家たちと、何十年もいがみ合っていた。

やはり、親子2代でアメリカの手先を忠実にやった男だ。江田五月は、1960年安保の時には、安保ブンドの下っ端として国会議事堂を取り囲む運動とかに、東大生の時は参加していた男だ。そのあとすんなりと裁判官になって、そのあとリベラル派の政治家になったと思ったら、やっぱり土壇場で、鳩山由紀夫と小沢一郎を裏切った。やっぱり江田五月は長年かけてアメリカに育てられた男のひとりだった。 彼の人生の最終段階でそのことが大きく露呈した。 だから、この写真の通り、竹崎博允と若い裁判官時代の同期生なのだろう、談笑している。本当にワルいやつらだ。

そして瀬木比呂志(今、60歳)は、この竹崎博允(1944年生、今、70歳)が、最高裁の事務総長(2002年から2006年。同時に、この事務総長のまま最高裁判事の末席にいる )が、このようにすべての裁判官の人事権を一手に握っていたときの 上司だ。 彼ら東大法科エリートは、地方の田舎の裁判所の”ドサ回り”はしない。

瀬木比呂志は、この竹崎博允(たち)から酷(ひど)い目にあったのだ。だから、明治大学に58歳で逃げて、その時に、自由にものが言える言論の自由を、生まれて初めて手に入れたのだ。 裁判官たちは、裁判官室に居ることは、背後の席にいる部長という上司たちに、ずっと背後から監視されている。裁判の判決の内容まで、チェックされる。 そして、「裁判官としての(優れた知能と)良心に基づいて裁判」をしようとすると、圧力がかかる。

上(うえ)にヘイコラして言いなりの裁判をする裁判官たちのことを、ヒラメ という。ヒラメという魚は、砂地にべったり隠れて上の方ばかり見ている。だから、何百万年の間に、反対側の目玉までが、表面に出てきた。

瀬木比呂志は、裁判官時代に、民事訴訟法の大変すぐれた 実務から生まれた論文集を書いたそうだ。法曹界では、瀬木のその民訴の論文と実践的な理論は高く評価され尊敬されている。弁護士たちがそのように言っている。瀬木比呂志は生来の頭脳明晰な人なのだ。

瀬木比呂志は、裁判所の裁判官たちの世界で長年ひどいイジメにあったのだ。体制、権力者側の言うことを聞かないで、自分の良心で裁判をしようとすると、嫌われて爪弾(つまはじ)きにされる。

瀬木比呂志に悪口をいう人たちがいて、「瀬木は、自分が、最高裁の判事になれなかったものだから、ヒガミ根性で、あんな本を書いたのだ」と 言う。生来の体制派の人間たちというのは、こういう言い方をする。 自分はいつでも、勝ち組である。組織、団体の中で 左遷(させん)され冷や飯を食うことだけはしないように、抜け目なく動く。

いつも力(ちから)のある者のそばに、スリスリと擦り寄って、お追従(ついしょう)を言ってヘイコラして、背骨が曲がったまま、卑屈に振る舞って、生き延びる。 人間は、大きく分ければ、この体制追従型(たいせいついじゅうがた)か、そうでなければ、自分の頭で考えて自力で生きる型の 2種類に分けられる。副島隆彦の本を読んでくれる人は、ほとんどが後者の方だろう。

だから、瀬木比呂志が、裁判所から離れて私立大学に移って、初めて自由になって、この『絶望の裁判所』を書いて大きな真実を表(おもて)に出すことができた。以下に『絶望の裁判所』(2014年2月刊、講談社新書 )
の裏表紙 の 文章を載せる。 ものすごく重要だ。

ここには、かつて1970年代に 「青年法律家協会」(略称、青法協=せいほうきょう=)に集まった、優れた優秀な若い裁判官たちを、体制側が、政治弾圧したことの、証拠(証言)が書かれている。歴史の星霜(せいそう)を経て表に出た 驚くべき事実だ。 これが日本の裁判所なのだ。 ”悪の巣窟(あくのそうくつ)”そのものだ。

裁判所裏

『絶望の裁判所』 の 裏表紙 の 文

一人の学者裁判官が目撃した司法荒廃、崩壊の黙示録

最高裁判事と調査官の合同昼食会の席上、ある最高裁判事が、突然大声を上げた。
「実は、俺の家の押入にはブルーパージ(大規模な左派裁判官排除、思想統制工作。
最高裁の歴史における恥部の一つ)関係の資料が山とあるんだ。一つの押入いっぱいさ。
どうやって処分しようかなあ?」
すると、「俺も」、「俺もだ」とほかの二人の最高裁判事からも声が上がり、昼食会の
会場は静まりかえった。こうした半ば公の席上で、六人の裁判官出身判事のうち三人も
が、恥ずかしげもなく、むしろ自慢気に前記のような発言を行ったことに、他のメンバー
はショックを受けていた。 (本書より。内容は一部要約)

副島隆彦です。これは、真に絶句すべき文だ。 この本の 扉を開いた「はしがき」の冒頭にも、

「この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ」   ダンテ『神曲』(副島隆彦注記。本当は、『神聖を装った、ローマカトリック教会という喜劇の組織』という意味だ ) の 「地獄編第三歌 」

とある。 瀬木比呂志にとっては、自分が33年間 務めた 最高裁判所というところは、「裁判所という地獄への門」だったのだ、と 分かったのだ。

瀬木比呂志は、若い裁判官の時から、最高裁の調査官(ちょうさかん)という、超エリートたちだけがなれる 裁判官になっている。これは、最高裁判事(15人いる)たちの下働きをする 若手のエリートたちで、実質的に、彼ら若手が、最高裁にまで上がってくる 事件の多くの、大量の ”ゴミ扱いの事件”の 判決文とかを書く。 そして、その年の 重要だった判決文を調査して、集めて、 「民集」 と 「刑集」という分厚い本にする。それは、民事裁判、刑事裁判の判決文 とその経緯の判断文とかを 集めたもので、これが、「判例(はんれい)」 =先例拘束(せんれいこうそく) というものになる。

瀬木比呂志は、だからずっと最高裁内(および法務省)のエリート・コースを歩んでいるので、地方の”ドサ回り”をしていない。だから、人事と能力判定がまっとうであれば、自分が当然に最高裁の判事(=裁判官)になる、なれる、と信じて疑わなかっただろう。 だが、裁判所も、他の公務員たちの役所と同じく、汚れているから、そうはならない。

だから、瀬木比呂志がこの、組織の内部からの暴露本、告発の書を書いたことを指して、「瀬木は自分が出世できなかったことの妬(ねた)み、ヒガミで、こういうとんでもない本を書いたのだ」と 腐(くさ)して、攻撃する者たちが、当然出てくる。  それは現世のおける、大勢順応(たいせいじゅんのう)、体制追随(たいせいついずい)の歪(ゆが)んだ生き方をする者たちと、 冷や飯食いを覚悟して、それでも清新な立派な人間としての生き方を貫く者たち との 闘い だから、甘んじて引き受けるしかない。

私、副島隆彦は、当然、この 瀬木比呂志の生き方と、彼が書いた本を全面的に支持し、賞賛し、応援する。これは、裁判所をめぐく 日本国民の闘いの場なのだ。 だから、瀬木比呂志の『絶望の裁判所」は、ものすごく重要だ。

皆、買って読むべし。そして、ザワザワと日本国内に、「裁判所の内側はひどいそうだよ。特に人事面で腐敗しきっているらしい」と うわさ話を広げなければいけない。

前掲した、この本の裏(うら)表紙の一文を読んで、目くじらを立てないようでは、とても知識人、読書人とは言えない。

副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)

「 日本の裁判は本当に中世並み 『ニッポンの裁判』著者・瀬木比呂志氏インタビュー 」

『絶望の裁判所』 は序章にすぎなかった

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41659

講談社の現代ビジネス という サイト から

2015年01月07日(水) 瀬木比呂志インタヴュー

瀬木比呂志氏は、最高裁判所中枢を知る元エリート裁判官であるのみならず、民事保全法や民事訴訟法のエキスパートとして法曹界で高い評価を得ている。このような信頼できる専門家による、横断的な判例解説は過去に例がない

2015年1月16日、講談社現代新書から、日本の裁判のリアルな実態を描いた『ニッポンの裁判』が刊行される。著者の瀬木比呂志氏は、明治大学法科大学院専任教授で元裁判官。 裁判官たちの精神の荒廃と堕落を描いた、前作『絶望の裁判所』は法曹界を騒然とさせたのみならず、司法をテーマとした一般書籍としては異例のベストセラーとなった。

「『絶望の裁判所』は序章に過ぎなかった・・・・・・」と帯のコピーにあるとおり、『ニッポンの裁判』の衝撃度は前作をはるかに上回る。冤罪連発の刑事訴訟、人権無視の国策捜査、政治家や権力におもねる名誉毀損訴訟、すべては予定調和の原発訴訟、住民や国民の権利など一顧だにしない住民訴訟、裁判の「表裏」を知り抜いた元エリート裁判官の瀬木氏をも驚愕させた「ニッポンの裁判」は、もはや中世の暗黒裁判並みの「超」絶望的なものだった。

Q: 『絶望の裁判所』刊行から約1年が経過しましたが、あらためて司法批判の第2弾、しかも私のみるところより強力、衝撃的で、分量も大きい書物を刊行されたのは、なぜでしょうか?

瀬木:『ニッポンの裁判』は、『絶望の裁判所』の姉妹書です。『絶望』が司法制度の構造的批判の書物であったのに対し、『ニッポン』は日本の裁判の総体としての分析、批判を内容としています。

ですから、内容は関連していますが、相互に独立した書物です。もっとも、双方の書物を読むことでより立体的な理解が可能になることは間違いありません。その意味では、車の両輪のような関係ともいえます。

裁判所、裁判官が国民、市民と接する場面はまずは各種の訴訟ですよね。そして、その結果は、判決、決定等の裁判、あるいは和解として、人々を、つまりあなたを拘束します。

つまり、裁判や和解の内容こそ国民、市民にとって最も重要なのであり、制度や裁判官のあり方は、その背景として意味をもつにすぎないともいえるのです。その意味で、『ニッポンの裁判』は、どうしても書いておかなければならない書物だと思っていました。

裁判というものは、日本人の多数が思っているよりもずっと重要なものです。各種の法規は、個々の裁判、判例によって初めて具体化されるものだからです。

また、裁判の結論というものは、個々の裁判官の思想、人間性、能力等によっていくらでも変わりうるものであって、その裁量の幅も非常に大きいのですよ。

Q:なるほど。それでは、なぜ、『絶望の裁判所』のほうを『ニッポンの裁判』に先行させることを決められたのしょうか?

『ニッポンの裁判』執筆に当たって、瀬木氏は様々な判例を詳細に分析し、凄まじいまでに劣化した「ニッポンの裁判」の実態に絶句したという

瀬木:それは、裁判の内容を正確に理解するのが、それほどやさしいことではないからです。法学部や法科大学院の学生たちにとってさえ、最初のうちはそうです。

僕が、裁判の分析に先行して、まずは、誰にとってもその形がみえやすくその意味が理解しやすい制度の分析を行ったのは、そのほうが裁判の内容の理解も容易になるからということが大きかったのです。でも、逆に、『ニッポンの裁判』を先に読んでから『絶望の裁判所』を読むという順序でも、裁判と制度の絡み合いはよくわかると思います。ああいう裁判所、裁判官だから、ああいう判決が出るのだ、ということですね。

『ニッポンの裁判』では、僕のこれまでの裁判官、学者、そしてライターとしての経験とキャリアを総動員して、日本の裁判のあり方とその問題点、その核心を、具体的な例を挙げながら、詳しく、かつ、できる限り興味深く、わかりやすく、論じることに努めました。

これまで語られることのなかった最高裁暗部を告発し、ジャーナリストの魚住昭氏から「最高裁に投じられた爆弾! 10年に1度の衝撃作」と絶賛された『絶望の裁判所』

Q:確かに、興味深いだけでなく、非常にわかりやすい書物ですね。『絶望の裁判所』の大きな書評(斎藤環氏。2014年5月11日朝日新聞読書欄)にあった、『複雑明快』という言葉が、この本にもぴったり当てはまるような気がします。

320頁というヴォリュームですが、その内容はそれこそ500頁ほども「濃密」なのではないか。しかも、面白く、また、すごくリアリティーがあって、一気に読ませられてしまいます。

瀬木:ありがとうございます。

僕は、先ほど述べたような3つの仕事で、興味深く、わかりやすく、正確に「伝える」のがいかに難しいかということは肌身にしみて感じてきました。『ニッポンの裁判』では、正確さや的確さは保ちつつ、よくある無味乾燥な法律的記述は絶対に避けるように努力しています。その成果が実ったとすれば、うれしいですね。

Q:『絶望の裁判所』も衝撃的な作品でしたが、『ニッポンの裁判』の衝撃度はそれをはるかに上回ると感じました。日本の司法は、「絶望」という言葉ですら控えめに思えるほどの「超」絶望状況にある。驚きました。

2012年まで裁判官だった瀬木さんでさえ、あきれ果てられているようですが・・・・・・。

瀬木:そうですね。この本を書くために、日本の裁判の全分野についてかなり掘り下げたリサーチを行ったのですが、それが進むにつれて、自分でも驚いてしまったというのが事実です。「ここまでひどいのか、ひどくなっているのか!」ということですね。

僕は、子どものころから一度として左派や急進派の思想に傾倒したことはなく、基本的には、芸術と科学を愛する一自由主義者、一介のボヘミアン学者にすぎないのです。

『絶望』と『ニッポン』では、表現やレトリックについてはかなり鋭利なものを用いていますが、僕の思想や考え方自体は、基本的には、欧米一般標準の自由主義にすぎず、特に先鋭なものではないと思います。

たとえば、僕の筆名の書物や専門書のタイトルや内容をみていただいても、そのことは明らかだと思います。

しかし、そんな僕でも、あらためて日本の判例群を、虚心に、また、分析的に読み直すと、大きな違和感を感じざるをえませんでした。それらの判例群から僕が得た率直な印象は、残念ながら、「未だ社会にも政治にも裁判にも前近代的な残滓(ざんし)を色濃く残す国のそれ」というものだったのです。この事実は、僕自身が、この書物を書くために、素材になる裁判、判例を選択してゆく過程で、少しずつ気付き、やがて確信するに至った、大変苦い真実といえます。

Q:とにかく全編次から次へと驚きの連続ですが、特にショッキングだったのが、第3章で詳しく分析、批判されている刑事裁判の腐敗です。袴田裁判の冤罪、そして恵庭OL殺人事件の「超絶望的」な再審請求棄却決定には震撼させられました。ひとたび刑事事件で訴えられたらもはや逃れる手はない、という印象を持ちました。

袴田(はかまだ)事件、恵庭OL殺人事件などは、日本の冤罪裁判の「氷山の一角」にすぎないと、瀬木氏は分析する

瀬木:袴田事件再審開始決定は、最重要証拠であったところの、袴田巌さんのものであるとされた、血液の付着した五点の衣類について、捏造(ねつぞう)の疑いがきわめて強いと明言していること、そして、死刑の執行停止のみならず、裁量により、拘置の執行まで停止して袴田さんを釈放したことなど、刑事系にも良識派裁判官は存在することを示した決定でした。

しかし、一方、刑事に詳しい弁護士たちが、「現在は『再審冬の時代』であり、袴田事件のように新たなDNA型鑑定結果が出た、あるいは、真犯人が判明したなどの『誰が考えても無実』という事件以外では再審は開始されなくなっており、次々と棄却決定が出ている」との意見を述べていることにも注意すべきです。

たとえば、先の恵庭(えにわ)OL殺人事件再審請求棄却決定です。全体として、この裁判の証拠評価は本当にほしいままで、本当に呆然とせざるをえません。

簡単にまとめれば、こういう事実認定なのです。

「片手でどんぶりも持てない小柄で非力な女性が、被害者に怪しまれることなく車の運転席から後部座席にいつの間にか移動し、自分より体格、体力のまさった被害者を、後方から、タオル用のものを用いて、ヘッドレスト等に妨げられることもなく、やすやすと、また、一切の痕跡(被害者の指紋、毛髪、失禁の跡等)を残さず絞殺し、自分より重い死体を間髪を容れずに抱えて車両外に下ろし、ごく短時間のうちに、そしてわずか10リットルの灯油で、内臓が炭化するまで焼き尽くし、さらに街路灯もない凍結した夜道を時速100kmで走ってアリバイ作りをした」

そして、細かな部分をみてゆくと、さらにおかしな点が多々あります。そういう点を数え上げてゆくと、きりがないのです。たとえばアメリカの陪審制でも、この証拠関係で有罪はありえないだろうと思います。あるとすれば、黒人に対する偏見が根強く、その人権がほとんど認められていなかった時代の南部における、黒人被告人に対する裁判くらいではないでしょうか。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が踏みにじられていて、本当にこわいです。

国策捜査の標的とされた者の立場から書かれた『国家の罠』(佐藤優、新潮文庫)の中にある「『あがり』は全(すべ)て地獄の双六(すごろく)」という言葉は、日本の刑事裁判においては、決して誇張ではありません。「明日(あした)はあなたも殺人犯」であり、「高裁でも、最高裁でも、再審でさえも救済されない」のです。また、地裁で無罪なのに高裁で有罪とされた冤罪事件(東電OL殺人事件)もあります。実際、日本の裁判では、民事でも刑事でも、地裁が一番よく、高裁や最高裁がおかしいということが多々ありますね。

昔の映画になりますが、冤罪を扱った『真昼の暗黒』という作品があります。左派良心派として知られた今井正監督によるものです。その映画の中に出てくる「まだ最高裁があるんだ!」というセリフが有名になりました。でも、実際には、「まだ高裁・最高裁があるんだ!」は、日本では、権力側の言葉ですね。

Q:刑事系裁判官はなぜかくも有罪にこだわるのでしょうか? 誰の目からみても無理が大きいことが明らかな判決を重ねて追認するような司法判断が続くことは、素人にはおよそ理解できません。

瀬木:正直にいって、僕にも、全く理解できません。僕には、33年間裁判官を務めてもなお、総体としての裁判官たちの姿勢や考え方に、理解しにくい部分が数多く残っていました。まあ、だからこそ、筆名の本を書き、研究に打ち込み、大学人に転身することにもなったのですが。

でも、民事系の裁判官の場合には、よくない判決でも、まだ理由がわかることが多いのですね。たとえば、「裁判所当局がこわかったのだろうな」とか、「子どもが難しい時期に遠方に左遷されたりしたら困っただろうから」とか、「ともかく出世しかない人だから」とか、あまり立派な理由ではないかもしれませんが、まあ、想像はつく(笑)。

また、ある意味、人間的な理由という面もないではないですね。ただ判例の大勢、無難で保守的な先例に事大主義的に従っているだけという場合が一番多いですが、それはそれでわかりやすい。

ところが、刑事のかたよった裁判、たとえば恵庭OL殺人事件再審請求棄却決定などだと、もう、全然理解できない。その裁判長自体はちゃんとした裁判官にみえたのに、という声は弁護士からも出ていて、いよいよわけがわからない。1人の人間の人生が、その裁判の結果にかかっているわけですからね。

それにもかかわらず、有罪推定どころか、可能性に可能性を重ね、無理に無理を重ね、何としてでも「有罪」という結論に到達しようと、なりふり構わず突き進んでいる印象を受けるのです。

袴田事件の証拠の脆弱性は明らかであり、無罪にしても検察、警察がそれを非難できるわけがない。

恵庭OL殺人事件についても、再審請求における検察の主張立証は、事実上白旗を掲げているに等しいようなものであったといわれます。だからこそ、よもやの請求棄却決定に、弁護団にも、報道に携わっていた記者やジャーナリスト、関心を抱いていた学者の間にも、戦慄が走りました。

なお、今の質問については、第5章の、「刑事・行政・憲法訴訟等における裁判官たちの過剰反応の根拠は?」という項目で、僕に推測できる限りのことはまとめています。

Q:刑事訴訟も悲惨ですが、第5章の行政訴訟も本当にひどいですね。官僚にひたすら甘く、住民にひたすら厳しい。「地方議会の住民訴訟債権放棄議決是認判決」には驚きました。怒りを通り越して、これはブラックジョークですね。

瀬木:住民訴訟で大変な苦労をして住民と弁護士が勝っても、そうして成立した地方自治体の首長等に対する債権を、首長等と結託した地方議会がその議決で放棄してしまう。地方自治法96条1項10号(議会に権利放棄の議決を認めている)に基づく議決なのですが、この条文が放棄を予定しているのは、誰が考えても放棄が相当といった、たとえば形骸化した債権等であって、債権管理の効率化のための規定のはずです。

先のような議決は、明らかに法の悪用です。それは、首長等の行った違法行為を議会が許すことを意味しますが、議会にそのような権限があるかは、誰が考えても疑問でしょう。

実際、住民訴訟を規定する地方自治法を所管する総務省の一部局に近いとさえいわれる地方制度調査会(内閣府の審議会等の一つ)でさえも、さすがに、2009年6月の答申で、「このような債権放棄議決は住民訴訟制度の趣旨をそこなうことになりかねないからこれを制限するような措置を講ずるべきである」と述べていました。

ところが、最高裁は、2012年に、このような議決について原則有効という判断をしてしまいました。「住民が勝っても首長の債務は帳消し。原則それでOKよ」ということです。「唖然、呆然の『債権放棄議決原則有効判決』」であり、弁護士や行政法学者からも猛反発がありました。

住民訴訟で勝訴しても、地方議会が首長の債務を帳消し。これだけでもあきれ果てるのに、最高裁がこの決定にお墨付きを与える。日本の住民訴訟はもはやブラックジョークの極みに達したと、苦笑する瀬木氏

ホント、ブラックジョークですよね。『黒イせぇるすまん』(藤子不二雄A)というブラックジョークの漫画がありましたが、あのセールスマンが漫画の「オチ」で下しそうな判決です。「住民が勝っても首長の債務は帳消し! ホーッホッホッホッ・・・・」と、彼の高笑いが聞こえてきそうですね。

しかも、千葉勝美裁判長(裁判官出身)は、その補足意見で、債権放棄議決について、「住民訴訟がもたらす状況を踏まえた議会なりの対処の仕方なのであろう」と、「深い」理解を示しています。

さらに、判決の判断枠組みには同調しつつも、「さすがにこの事案では下級審の結論(議決は違法)が支持されるのではないか」と述べた須藤正彦裁判官(弁護士出身)の意見に対し、これを執拗に批判しつつ、須藤意見は「裁判所が議会の裁量権行使に直接介入していると見られるおそれ」があるものだ、と論じているのです。

すごいですね。ここまでくると、「黒いセールスマン」も恐れ入って退散してしまうのではないでしょうか。「さすがの私も、最高裁判事には負けました。もはやアートの域に達したブラックです」って。

Q:第4章では、政治家の圧力により名誉毀損損害賠償請求訴訟の認容額が一気に高額化したことが明らかにされています。しかもその後の判決はメディアにひたすら厳しい。最近は、質の高い調査報道でさえ訴えられれば名誉毀損訴訟で勝つことは至難といわれています。裁判官の権力追随判決で、私たちジャーナリストも随分と仕事がやりづらくなっています。

瀬木:これも、事実関係を調べているうちに呆然としてしまいました。裁判所当局が、政治家の突き上げに応えて2001年に司法研修所で御用研究会を開催し、御用論文の特集が法律雑誌に掲載され、その後、一気に認容額が跳ね上がっているのです。

さらに問題なのは審理、裁判のあり方です。

たとえばアメリカでは、この種の訴訟については、表現の自由との関係から原告にきわめて高いレヴェルの立証が要求されており、2000年以前の日本の判例にも、同様の考慮はありました。

ところが、近年の日本の判例は、被告の、記事の真実性、あるいは真実であると信じるに足りる相当性(たとえ真実ではないとしてもそう信じるに足りる相当な理由があれば免責されるということ)の抗弁を、容易なことでは認めなくなってしまいました。その結果、メディアの敗訴率は非常に高くなり、「訴えられればおおむね敗訴」というに近い状況となっています。

それが、「最近は、質の高い調査報道でさえ訴えられれば名誉毀損訴訟で勝つことは至難」という状況なのです。これは、認容額の一律高額化以上に大きな問題です。いわば、「知る権利」の基盤が裁判所によって掘り崩されているわけです。

「日本の裁判所は『憲法・法の番人』ではなく『権力の番人』である」という傾向は昔からあったのですが、それでも、ここまで露骨なことはさすがにかつてはなかったような気がします。

また、こうした訴訟は、たとえ被告が勝つ場合であっても、莫大な金額の損害賠償請求を起こすことだけで、ライターや出版社を意気阻喪、萎縮させる効果があります。

第5章で触れているスラップ訴訟、つまり、国や地方公共団体、あるいは大企業等の大きな権力をもった者が、個人の反対運動や告発等に対抗し、それを抑え込むことを目的として提起する民事訴訟、ということですが、弁護士から聞いたところによれば、その疑いのある名誉毀損訴訟もかなりあるということです。

Q:超絶望の判決群に本当にゲンナリしますが、大飯(おおい)原発訴訟など思い切った判決も出ています。特に、原発訴訟は大きく舵を切ったように見えますが?

大飯(おおい)原発訴訟は、司法が原発訴訟に対するスタンスを大きく変えたかのように報じられているが、瀬木氏は、最高裁による司法統制はそう簡単には変わらないと分析する(写真は白煙を上げる福島第一原発3号機)

瀬木:大飯原発訴訟の第一審差止め判決自体は、この裁判長の従来の判決が「大きな正義」を貫く方向のものであったことを考えるなら、一貫しており、基本的には評価すべきであると僕も思います。

ただ、原発訴訟一般についていえば、僕は、やがて原発運転差止めの判決が出ること自体は、ある程度予想していました。

それは、第一に、福島原発事故後のこの時点では日本の原発がすべて運転停止中であって(もっとも、その中で、大飯原発だけは2012年7月から2013年9月までは稼働していましたが)、その意味では差止め(実質は運転再開禁止)がむしろ世論の動向に沿った判断だったからです。

第二に、福島原発事故後の2012年1月にやはり司法研修所で全国の地裁裁判官を集めて行われた研究会で、裁判所当局が、原発訴訟について方針転換を行っているからです。

こうした研究会を裁判官たちが自主的に行うことは120%ありえず、この研究会が、名誉毀損損訴訟に関するそれの場合と同様に、裁判所当局が表に出ない形で裁判官たちをコントロールするために開催されたものであることは、間違いないでしょう。

最高裁事務総局は、1976年と1988年に最高裁で行った裁判官協議会では露骨に原発訴訟の方向を却下、棄却方向に統制しているのですが、原発訴訟に限らずそうしたやり方が批判されたことから、近年では、司法研修所の研究会で、よりみえにくい形で、同様のことをやっているわけです。

僕がこの研究会について集めた情報から判断して、この研究会は、裁判所当局、最高裁事務総局が、原発事故を防げなかった裁判所やもんじゅ訴訟最高裁判決等に対して強い批判があったことから、裁判官たちの手綱を多少ゆるめるために開いたものとみてよいと思っています。

「おまえたち、世論がうるさいから、原発については、とりあえず踏み込んだ判断をしてもいいかもよ」というサインを出したということですね。

もっとも、この研究会の開催意図やそこで示された裁判所当局の意向(研究会の中核発言者である一部裁判官を通じて示唆されたと思われるそれ)は、名誉毀損訴訟の場合のように明確なものではありません。政治と世論の雲行きを見ながら、原発容認の空気が強くなればまた路線を元に戻す可能性は十分にあると思います。

ただ、もう一度確認すれば、大飯原発訴訟第一審判決自体は、判断の枠組み等には書物でも一定の留保は付けましたが、基本的には評価すべきものと思っています。

Q:そうですか。そうだったんですね・・・・。いや、真相をうかがうと本当に驚くしかありません。原発訴訟についてさえ、「ガス抜き」という権力側の要請が裏面で働いているのですね。最高裁事務総局による裁判官の裁判・思想統制の見事さは、さっきのお言葉にもありましたが、もはや芸術の域に達していますね。

瀬木:権力というのは、本当に強力で、したたかなものですよ。それは、正直にいって、権力の動き方を近くでみたことのある人間にしかわからないかもしれません

半沢直樹シリーズ(池井戸潤)という皆さん御存知の人気小説があって、僕も1冊だけ読んでみましたが、ああいうふうに、権力のほうから、「これからやっつけるよ」と言ってくれれば、反撃もできるでしょう。でも、たとえば裁判所当局は、そんなわかりやすいことはまずしません。

都合の悪い判決や論文を書いた裁判官に対する報復や締め上げは、時間が経ってから、じわじわと、真綿で首を締め付けるように行われます。

また、「こんなひどいことをしている」と指摘したところで、半沢シリーズの銀行みたいに簡単に非を認めたりはしません。『絶望の裁判所』に詳しく記し、『ニッポンの裁判』でも第7章、第8章で触れたとおりです。知らぬ存ぜぬで「静寂の嵐」のような沈黙を押し通すだけです。これでは、たとえ半沢氏が裁判官だったとしても、リベンジなどおよそ無理ですね。

小説の悪口を言うつもりは全くありませんが、半沢直樹の「倍返し」は、とってもわかりやすいが現実にはありえないファンタジーだということです。権力というのは、そんな甘いものではありません。それは、基本的には、どこの国でも、ことに大国ではいえることでしょう。ただ、司法やジャーナリズム、あるいは学者等の知識人がそれを厳しくチェックしている国と、日本のようにそうでない国とはあると思います。

「あとがき」にも書きましたが、現在の世界でシステムに対する有効、先鋭な批判を行っている人々のかなりの部分が一度はシステムの中枢に近い部分にいた人々であることには、理由があると思います。権力というものが、もはや、古典的な一枚岩の単純な存在ではなくなっているのです。的確な批判は、相当の情報をもっていないと、また、客観的な視点や構造的な理解を対象に対してもっていないと、できにくくなってきている。

「55年体制」を未だに引きずっているような古い現状認識では、現代の権力の問題を解き明かすことはできません。それは、僕の知っているすぐれた学者、法律家、ジャーナリスト等の一致した見解です。日本における左翼の著しい退潮には、そういう背景があると思います。特に政治、行政や司法に関心のない人々でも、無意識のうちに、そういうことはわかっているのだと思いますよ。

Q:竹崎(崎は立つの崎)前最高裁長官等が敷いたといわれる思想統制と近年の司法の劣化はどの程度リンクしているとお考えですか?

瀬木:これは、『絶望の裁判所』に詳しく書き、『ニッポンの裁判』第7章でも裁判との関連からさらに掘り下げて分析したことですが、竹崎(崎は立つの崎)前長官を含む刑事系トップの裁判官たち(もちろん、これに追随した民事系の人たちも相当いました)が行った思想統制や情実人事の傷跡は深いですね。

民事系の裁判官だと、たとえば権力志向、官僚的支配で有名な矢口洪一長官のような人でさえ、ある限度はわきまえるということがありました。たとえば、情実人事はまあまあの規模にとどめ、若手については従来どおりの能力主義を変えない、といったことです。

日本の裁判所は閉じられた絶対主義的ヒエラルキーの、世界に珍しい裁判所組織ですから、そうした部分まで汚してしまうと、あっという間に腐敗してしまいます。ある意味、戦後長い間、裁判所が、保守の砦とはなっても決定的な腐敗まではしなかったということには、評価すべき点もあるのです。また、矢口長官も、彼なりのヴィジョンと実際の行動の乖離という人間的な問題を抱えていたという側面はあるでしょう。

しかし、2000年代の刑事系トップの人たち、そして、これに追随した民事系の人たちには、もはやそうしたものすらなくて、先のような方針を下まで貫徹してしまった。これは致命的です。僕が、2000年代の半ばすぎには、「もう転身するほかない。現在の状況は全体主義国家からの亡命待ちの知識人と変わらない」と決意したのは、そういう背景があってのことでした。

Q:『ニッポンの裁判』では、判例とともに裁判長の名前が挙げられていますね。判例雑誌ならいざ知らず、一般書ではこれまで例がないことでは? 裁判官たちは戦々恐々の状態になるのではないでしょうか?

『ニッポンの裁判』は、難解な判例を、法律の基礎知識のない一般読者でも理解できるように『複雑明快』に書いた力作。2015年を代表する新書の一冊となるだろう

瀬木:僕が、『ニッポンの裁判』で、具体的な検討を行った裁判および重要と思われる裁判については裁判長の氏名を記すことにしたのは、第3章以下の裁判分野別総合分析に先立って、第1章、第2章で論じたように、「価値」に関わる訴訟の裁判には、裁判官の総合的な人格が深く関係しているのを考慮してのことです。

それに、裁判官がその良心と憲法を含む法律に従って下すべきものとされ(日本国憲法76条3項)、「公文書中の公文書」ともいわれる裁判については、それらを分析、批判する場合に、その判断につき国民、市民に対して責任を負う者の氏名が記されることが、本来、適切でもあり、必要でもあると思います。

また、僕は、よい裁判はよいと分析し、まずまずの裁判はまずまずであると分析していて、客観的な評価に努めていますし、論理一貫性や法律の趣旨をも重視しています。また、僕が消極的な評価を行った判決についても、わずかではあるが、良識派として知られる裁判官(元学者を含む)が裁判長となっている例があることも事実です。僕自身、あらためて裁判の難しさを痛感させられました。

瀬木 比呂志(せぎ・ひろし)  一九五四年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。一九七九年以降裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。二〇一二年明治大学法科大学院専任教授に転身。民事訴訟法等の講義と関連の演習を担当。

著書に、『絶望の裁判所』(講談社現代新書)、『リベラルアーツの学び方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、近刊)、『民事訴訟の本質と諸相』、『民事保全法〔新訂版〕』、『民事訴訟実務・制度要論』(以上、日本評論社、最後のものは近刊)等多数の一般書・専門書のほか、関根牧彦の筆名による『内的転向論』(思想の科学社)、『心を求めて』、『映画館の妖精』(ともに騒人社)、『対話としての読書』(判例タイムズ社)があり、文学、音楽(ロック、クラシック、ジャズ等)、映画、漫画については、専門分野に準じて詳しい。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

7721 中西 投稿日:2015/01/12 11:56

【1420】[1739]ジョン・ル・カレ最新作

以前1636という書き込みで、ジョン・ル・カレを紹介させていただきましたが、最新作「繊細な真実」
を読み終わり、老いてますます傑作を出し続ける力に大いに感服したところです。
この作品は、民間軍事会社(ハリバートンの子会社のKBRがモデルか?)の暗躍を描いたものです。
またまた傑作ですので、興味がある方は、是非。

守谷健二 投稿日:2015/01/05 20:41

【1419】[1738]天武天皇の正統性について

  『日本書紀』の中の倭国

 『日本書紀』は、倭国の存在を隠しているわけではない。後世の日本人が天武の創り上げた「神の子孫である万世一系の皇統、日本に君臨したのは、大和王朝以外になかった」と言う大和王朝一元史観に酔ってしまい『日本書紀』の二重性を認識することが出来なくなったのだ。
 次に掲げる記事は、明らかに倭王朝の出来事である。

 天智三年(西暦664)二月九日、天皇、大皇弟に命(みことのり)して、冠位の階名を増し換ふること、及び氏上・民部(かきべ)・家部(やかべ)等の事を宣(のたま)ふ。・・・・・・・
・・・・その大氏の氏上には大刀を賜ふ。小氏の氏上には小刀を賜ふ。その伴造(とものみやつこ)等には干楯(たて)・弓矢を賜ふ。亦其の民部・家部を定む。

 天智三年二月は、前年八月「白村江の戦」で壊滅的惨敗を喫した時から僅か半年後である。
 この記事は、古くから問題にされてきた。何故なら、大和王朝にはこの時、天皇は不在であったからである。斉明天皇が崩御されたのは、西暦661年七月、天智天皇の即位は668年正月である。この間、皇太子であった中大兄皇子が、皇太子のまま政治を見た称制と言われる時代である。
 故に、この記事は『日本書紀』の編者の勘違いで天智三年に書かれたとされてきた。「天智紀の重出記事」と言われている問題である。
 しかし、この記事が天智三年(664)に置かれているのは、本当に誤りなのだろうか。
 記事の内容は、冠位を大幅に増やし、民部・家部を認め、氏上に大刀、小刀、楯、弓矢を与えた、と言う事だ。
 民部、家部は、私有地、氏の私的な奴隷と言われている。つまり、この記事は、公地公民の律令中央集権体制の大幅な後退を示しているのだ。
 官位の大幅な増加も、戦死、殉死に対する二階級特進などと同じ考えから行った事ではないのか。
 倭国は、三万もの兵士を壊滅させたのである。奈良時代初期の日本列島の総人口は六百万人ぐらいと言われている。倭国の受けた打撃は、第二次世界大戦の敗北で蒙った打撃に匹敵するものがあったはずだ。
 倭王朝は、国民を繋ぎ止めることに必死であった。この記事は、そのことを伝えているのではないか。天智三年二月にあってこそ、この記事に臨場感があるのではないか。

 この年の五月十七日、唐の武将・劉仁願と官吏・郭務宋が軍勢を率いて筑紫に来た。当然、唐朝に歯向かった責任を問うためである。敗戦国処分である。
 帝国の流儀として、敗者である倭国王は、唐の京・長安に連行された。

 『冊府元亀』が記すには、唐の高宗は、麟徳三年(666)正月、泰山で封禅の儀を挙げることにした。麟徳二年十月、高宗は洛陽を出発する。この時従駕した諸蕃酋長の中に、東西アジア諸国王と共に倭国王の名もあるのである。

 奈良時代、平安時代初期の人々は、天智天皇と天武天皇が別の家系の人物であることを自覚していた。奈良時代末期、天武の血は、強制的に皇位から排除され、天武の血の混じらない天智天皇の後胤が擁立され平安時代は始まっている。

桑原義明 投稿日:2015/01/03 03:09

【1418】[1737]水圧破砕法

水圧破砕法について、悪魔の用語辞典3【放射能のタブー】2011年11月刊に、僅か(文量の制約により)ではあったが、195ページで触れている。

そこでは、『何かと問題もあるようだが・・・』という表現にしておいたのであるが、この水圧破砕法については、硫酸をはじめとする、五百数十種類もの化学物質を使用するようなので、地下水の汚染や、地震を引き起こす問題などが多くあり、それらは開発当初から指摘されていたことなのだ。

が、米国もそれを承知で行って(採掘して)いることから、私が考えるに、地下水を汚しておいて、次の段階(2~30年後には)では、その化学物質で汚染された水を今度はキレイにする(東レや旭化成などの技術を使って)ビジネスで儲けることをするのではないだろうか、ということをも推測していた。

ところがここにきて、FCV(燃料電池自動車)の販売(トヨタのミライ、723万円)の動きがあり、その水素潰しの為か?(ロシアイジメと同時進行か?)原油価格を下げてきている。その原油価格が下がった(採算が合わない)ということを大義名分に、水圧破砕法を一時中止(場所によって)する動きにも見える。私が考えるに、WTIで1バーレル40ドル位にするのではなかろうか(ドル高にすることによってペイする)。

どうやら、それらの事象が、何か色々と絡み合っているように思える、今日この頃です。

それでは、以下に参考サイトを貼り付けておきます。

http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/1398995.html

http://blogos.com/article/39461/

加藤(1722) 投稿日:2014/12/24 22:53

【1417】[1736]NY州、シェールガス採掘を禁止

日経以外のメディアでも取り上げられているのでご存知の方も多いでしょうし、いずれ副島先生の新刊でも触れられそうな内容ですが・・・一応貼り付けておきます。

【以下、2014年12月18日の日経新聞(紙媒体では夕刊)を転載】
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFK18H2L_Y4A211C1000000/
NY州、シェールガス採掘を禁止 健康への影響懸念

2014/12/18 10:03日本経済新聞 電子版

 【ニューヨーク=杉本貴司】米ニューヨーク州は17日、州内で新型エネルギーの「シェールガス」の採掘を事実上、禁止する方針を固めた。水圧破砕法と呼ぶシェールの採掘手段が、人体に悪影響を及ぼす危険性を排除できないためだ。代表的なガス田を州内の一部に抱えるニューヨーク州の判断に、シェール開発を見直す動きが広がる可能性もある。

 ニューヨーク州の健康局が同日、水圧破砕法に関する報告書を公開した。水圧破砕法の環境や健康への影響は「完全には解明されていない」としつつも「環境に影響を及ぼし、潜在的に健康にも有害であることは明らか」とし「ニューヨーク州では継続すべきではない」と結論づけた。

 これを受け、州の環境保護局と健康局の両局長が水圧破砕法の利用を禁止するよう指示した。ロイター通信によると、マーテンス環境保護局長は17日の州閣議で、2015年初めに正式に禁止を命じると述べた。

 米国内でシェールの採掘を禁じるのは、北東部バーモント州に続いて2例目。ニューヨーク州は州西部に代表的なシェールガス田である「マーセラス」を抱える。同州内での開発地は限られ、すでに採掘を一時的に凍結しているため、今回の採掘禁止が米国のシェール産出に与える影響は小さい。だが、ガス田を抱える州が採掘禁止を表明したことで、同様の動きが広がる可能性もある。

 シェールガス・オイルは、けつ岩層と呼ばれる硬い岩盤に含まれる。ここに高圧で水を注入して割れ目を生じさせる水圧破砕法で採掘する。1つの井戸を掘るのに通常、1500万~3000万リットルもの大量の水を使うため、これまでも地下水の汚染や不適切な排水処理による土壌汚染が懸念され、開発反対を訴える動きが強まっている。

 海外ではフランスで11年に水圧破砕法を禁止する法律が成立。ドイツも今年、7年間、開発を認めないことを決めた。直近では原油価格の下落を受けてシェール開発の米コンチネンタルリソースが投資額を減らすなど、シェール革命に逆風が吹いている。

【新聞転載はここまで】

【(ご参考)某金融機関で販売している投資信託】
※やっているのはここだけではありません。どこの金融機関も、「バンクローン」だとか「シェール革命」をテーマにしたファンドを企画したり、売ったりしています。

『米国エネルギーMLPオープン(毎月決算型)為替ヘッジあり/為替ヘッジなし(愛称:エネルギー・ラッシュ)』
http://www.bk.mufg.jp/tameru/toushin/fund/01122920.html

上記サイトを画面下の方にスクロールすると、「為替ヘッジあり/為替ヘッジなし」両方の運用実績(チャート)が出ています。

「為替ヘッジなし」の方は、円安ドル高の影響で、値動きは荒いものの「人によっては、『押し目買い』によって」利益が出ている状況です。
しかし、「シェールガスってそんなに凄いの? でも為替リスクは怖いから・・・」と考えて「為替ヘッジあり」を選んだ人は、青い線の動きの通り、ほとんどの人が損をしています。(ファンドの残高でもわかるように、販売している金融機関の人間にドル高信者が多いので、「ヘッジあり」を選ぶ人は少数派)

「ヘッジあり」「ヘッジなし」に共通することですが、ファンドの価格推移(青い線)とファンドの残高(ピンクの塗り潰し)を交互に眺めてみれば、価格が安い時に購入して利益が出ている人はほとんどいないという感じがします。

一方で、学問道場掲示板「金融情報メモ」の595、598に貼り付けてあるようなファンドは、そちらに貼り付けてあるリンク先の通り堅調に推移しているようです。
これらのファンドは、販売額限定で売り切ってしまうタイプのものが多いです。運用レポートのpdfファイルを見ればわかる通り、(低金利で)価格がこれ以上伸びていく余地も少ないため、適当な所で「乗り換え」を勧めていくのかなあと思っています。

金融機関にお勤めの方には何ということはないでしょうが、そうでない方には「何となく」でも金融機関の営業現場の雰囲気を掴んで頂く手助けになれば幸いです。

副島隆彦 投稿日:2014/12/22 11:55

【1416】[1735]何があっても 私たちは 元気に生き抜く。 年末年始の生き方の指針。

副島隆彦です。  今日は、2014年12月22日(月)です。

 年末の寒くなった日が続きます。 私は、今年の分の、自分が食べるだけのじゃがいも と玉ねぎ と ピーマンと トマトの収穫を終えて、やれやれです。
不愉快な日が続きますが、このまま生き延びなければ。

 私の新しい本が、この25日には出て全国の書店に並びます。映画評論の本です。
以下のアマゾンのページ  を見てください。  

『 副島隆彦の政治映画評論  ヨーロッパ映画編 』  単行本(ソフトカバー)
発売2014/12/25  副島 隆彦 (著)  ビジネス社 刊

という本です。 今日のぼやきでも 近いうちに内容を 宣伝します。 私にとって死ぬまで手放すことのできない、「 世界中の名作の 政治映画 を解説、評論する本」です。今度は、「ヨーロッパ映画の 近年の名作たち」を論じました。 私のこれまでの政治映画評論の本は、私が死んだ後も読まれ続ける本だと、言われています。私の本を読んでから、過去の名作、大作たちをDVDで借りたり買ったり(今は、かなり安くなりました)して見ると、内容がグッと詰まって分かる、と言われています。「ああ、この映画が描いた真実はそういうことだったのか」と納得するでしょう。

それから、もう一冊、
『「反原発」異論 』 単行本 - 2014/12/25  吉本 隆明(よしもとたかあき、りゅうめい) (著)   論創社(ろんそうしゃ) 刊 

という本も、25日に出ます。 この『「反原発(はんげんぱつ)」異論(いろん)』という本は、私が尊敬して19歳の時から読み続けた吉本隆明(よしもとたかあき、2012年3月16日、87歳で死去)が、「人類が手に入れた原子力の研究をつづけ、原発をより安全なものに開発を続けなければいけない」という主張の本です。

 この “日本の悲劇の革命家” 吉本隆明(よしもとりゅうめい)の遺作(いさく)となった “吉本隆明の最期の闘いの本” の 序文を 20ページぐらい私、副島隆彦が書きました。興味のある人は、書店で見つけてください。 そのうち今日のぼやきでも紹介します。

 今朝(22日)起きたら、ニューヨークで新たに今度は、パトロール中のパトカーの黒人警官2人が、黒人の男に射殺されて、男も自殺、というニューズをやっていました。
私は、最近は、毎朝、NHKの BSチャンネルで、「世界のニューズ」を見ます。これしか見ない。これで十分だ。

 オバマも大変だなあー、次々と事件が起きて、と思いますが、オバマは、なんと19日(金)の夕方には、さっさと家族で、ハワイに休暇に行ってしまった。1月5日(月)まで、たっぷり3週間帰ってこないだろう。

たいしたものだ。オバマのこの余裕は、たいしたものだ。 ヒラリーよ、私の邪魔をして、大事件を起こして、私をハワイから無理やりホワイトハウスに引き戻すことが出来るものなら、やってみろ、 という感じです。
 
下の方に、この数日に次々と起きた事件の記事は載せておきます。

ミズーリ州ファーガソン(州都セントルイスの広域都市の一部)の事件以来の黒人たちの抗議行動では、アル・シャープトンという 名うての老練な黒人の活動家が重要な働きをしている。シャープトンが、オバマの“特使”のような形で、不満分子の黒人たちとの間に立っている。シャープトンは、NYの 黒人地区で、今も尊敬されている黒人の政治家であり、黒人の女(おばさん)たちに人気がある。彼が、福祉のカネや公共住宅の便宜も図る。日本の共産党や公明党の市会議員たちが、全国でやっている仕事と同じだ。

 アル・シャープトンが、地域(コミューニティ=ハーレム、ゲットーともいう)で人気がある、ということは、黒人女たちの息子たちである、どうしようもない暴れ不良たちを抑(おさ)える力がある、ということだ。 これ以上は書きません。私は、今、アメリカ政治ものの 本を書き始めている。 それにたくさん今の現状を書く。

 オバマは、中間選挙(11月4日)に負けて、もうレイム・ダック(びっこのアヒルちゃん)だと、悪口を言われているが、そんなことはない。 オバマは、あと丸2年の任期中を、全力で疾走する気だ。そのことが、私、副島隆彦によく分かった。ヒスパニックの違法滞在者(イリーガル・アライブ)と ビザ切れ滞在者(オーヴァー・ステイヤー)たち500万人へ滞在許可、永住権(グリーンカード)、市民権(シチズンシップ)付与を、この19日に、決断した。これで、オバマは、ヒスパニック系の4千万人の票を民主党支持に固めた。これは米民主党の中のリベラル勢力( 反 ヒラリー派)の大きな財産となった。

 そして、ソニー・ピクチャー・エンターテインメントが制作した、「ザ・インタヴュー」という北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)体制を痛烈に批判するコメディ映画を公開中止にしたことを、オバマが批判した。と、いうことだが、ソニー・ピクチャーの幹部の嬉しそうな、今にも、涎(よだれ)が出そうな苦しそうな顔でテレビに出ていた。「この映画は、これで大ヒットだ」と。 世の中、そんなものよ。 逆に見なければ。

 19日に オバマはこの件の記者会見、質問受け付けをやったあと、そそくさと大統領専用機(エアフォース・ワン)でハワイに行ってしまった。 「イスラム国(ISL,アイスル)への爆撃命令 はちゃんと出来ているからね。ヒラリーよ、私の邪魔をするならしてごらん」という感じだ。

 オバマは、北朝鮮と交渉を開始している。北朝鮮を取り込む気だ。 そのまえに、イランの核兵器(開発取り止め)交渉だ。その前が、20日に発表のあった 「キューバとの国交回復」のニューズだ。 オバマは、やる気だ。

あ、それよりも、私たち日本人に もっと 重要なのは、実は、 この13日に公表された、「 沖縄の海兵隊 を グアムに 移す 米議会の予算が通った」という記事が重要だ。これで 普天間基地(海兵隊のヘリコプター部隊の大隊)の辺野古崎(へのこざき)への移転問題は、おかしなことになる。沖縄人も、日本政府もポカーンである。 

あ、それよりも、もっと皆さん、今日のぼやきに、私が、「オーストラリアの政治を 大きく分かろう」という文を書いて載せています。 読んで御覧なさい。おもしろくて為(ため)になりますから。

副島隆彦拝

( 資料の新聞記事たち の 転載貼り付け始め)

〇「 警官2人撃たれ死亡=容疑者自殺、警察に偏見-米NY 」
ニューヨーク、 時事通信 2014年12月20日

20日、米ニューヨーク市東部ブルックリンの銃撃現場付近で警戒に当たる警官(EPA=時事)

米ニューヨーク市で20日午後、男がパトカーに乗っていた警官2人に対して発砲、2人は病院に運ばれたが死亡が確認された。容疑者は近くの地下鉄の駅に逃走し、自殺した。

 男はイズマイル・ブリンスリー容疑者(28)。記者会見したニューヨーク市警のブラットン本部長によると、ブリンスリー容疑者は東部ボルティモア市で同日朝、以前のガールフレンドを撃った後、ニューヨークに逃走してきていたという。ブラットン本部長は、ブリンスリー容疑者のネット上の投稿などを踏まえた上で、「容疑者は警察に対して極めて強い偏見を持っている」と指摘。一方、事件はテロと関係はないとの見方を示した。

 オバマ大統領は20日、「警官2人の射殺を無条件で非難する」とする声明を発表。暴力や暴言を拒否し、犠牲になった警官の遺族や友人に悲しみの気持ちを伝える言葉を考えてほしいと呼び掛けた。

 事件はニューヨーク市東部のブルックリンで発生。容疑者は駐車中だったパトカーに歩いて近づき、助手席側の窓から至近距離で2人に複数回発砲した。警察によると、容疑者は待ち伏せをしていて、予告なしに撃ったという。

〇 「 NY警官射殺で支援約束=米大統領 」
時事通信  ワシントン  2014年12月22日(月)

休暇でハワイ滞在中のオバマ米大統領は21日、ニューヨーク市で警官2人が射殺された事件を受け、市警のブラットン本部長に電話し、哀悼の意を伝えるとともに、事件への対処で全面的に支援すると約束した。ホワイトハウスが発表した。

〇 「 キューバ・米 経済改革へ現実路線 ラウル政権、「反米」転換に布石 」

朝日新聞 2014年12月20日(土)

 半世紀ぶりに進む米国とキューバの国交正常化。キューバ側には米国との関係改善で経済改革が進み、体制維持につながるという思惑がある。2008年に国家評議会議長に就任したラウル・カストロ氏は「反米色」を次第に弱め、そのための布石を打っていた。

 国交正常化が発表された17日、スパイ容疑で逮捕され、長年米国の刑務所に収監されていた3人のキューバ人が釈放された。彼らの帰国は、その夜のニュースでひっそりと報道された。キューバ側は彼らを「英雄」と呼び、彼らの釈放を呼びかけてきた。それだけに今回の突然の帰国の伝え方がつつましやかだったことが、みなを驚かせた。……

〇「 米国との国交正常化支持=キューバ国会が満場一致で 」

時事通信 2014年12月20日(土) 

キューバの国会に相当する人民権力全国会議は19日、米国との国交正常化に向けたラウル・カストロ国家評議会議長の決断を満場一致で支持した。キューバの国営通信社が報じた。
 会議には、米国が釈放した情報機関員3人も出席。キューバの長年の懸案だった情報機関員の帰国が実現したことに対し、執行部から感謝の意を表明する文書も読み上げられた。 

(転載貼り付け始め)

◯ 「 米、国防権限法案成立へ 海兵隊グアム移転予算執行可に 」

時事通信  2014年12月13日

 米国防権限法案は 12月12日、上院で可決され、連邦議会を通過した。日米両政府の懸案だった在沖縄海兵隊のグアム移転予算の執行凍結が全面的に解除され、両政府は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設の進展につながることを期待している。オバマ大統領の署名を経て、近く成立する見通しだ。

 法案は2015会計年度(14年10月~15年9月)の国防予算の大枠を定めたもの。イラクとシリアで勢力を広げる過激組織「イスラム国」掃討作戦の経費約50億ドルも含まれている。米政府は法案成立を待って、「イスラム国」と戦うイラク政府軍やシリア反体制派の訓練に本格着手し、戦局打開につなげたい考えだ。

 法案はまた、中国の台頭を含む広範な外交・安全保障上の課題を網羅している。このうち中国については、東・南シナ海での中国の活動を報告書にまとめ、議会に提出するよう要求。中国が進める「接近阻止・領域拒否」戦略についても、国防総省の対抗能力などを評価し、議会に知らせるよう求めた。

 日米同盟に関しては、米韓同盟とともに「(アジア・太平洋)地域の平和と安全の礎石」と位置付け、集団的自衛権の行使を容認する日本政府の決定を「歓迎する」と明記した。

 一方で法案は、キューバ・グアンタナモ米軍基地のテロ容疑者収容施設の収容者について、米国移送を禁じる条項を維持。オバマ大統領の公約である施設閉鎖のハードルになりそうだ。 (時事)

〇「 米移民法改革、ビザ失効後の外国人滞在者の特定が問題 」

2013 年 2 月 19 日 ワシントン 時事通信

 米移民政策における長年の課題、すなわちビザ(査証)が失効しても帰国しない外国人の特定が、上院議員とオバマ大統領 が目指す包括的な移民法改正で重要な問題として浮上してきた。

 米上院は、不法滞在者の追跡を政府に求める移民改革法案を議論している。ただ問題は、米国は現在、これを行うための信頼に足るシステムを持ち合わせていないということだ。

 民主・共和両党の議員で構成される超党派の上院議員グループは、従来より優れたビザの追跡システムの導入と、国境警備の強化を訴えている。またそれは、提案されている新しい移民法のもとで市民権取得の申請が可能になる前に行われるべきだとしている。ただオバマ大統領はそういった前提条件は望んでいない。現在、米国には1100万人の不法滞在者がいると推測されている。

 不法移民を巡る議論はしばしば、メキシコから国境を超えて米国に入り込むイメージを伴うが、現在、不法に滞在している外国人のうち、有効なビザで入国した人の割合は40%を超えるとみられている。

 連邦議会は2001年9月11日の同時多発テロ攻撃以降、システム強化に向けて動いた。外国人は今、入国の際に指紋を採取される。同じようなバイオメトリック(生体測定)を使ったシステムを出国時にも導入することが決められた。しかし、多額の費用がかかる上、システムの構築も困難で、設置には至っていない。加えて、空港内にはそういったチェックを実施するための場所がない。

 上院が移民法の大幅改正に取り組む中、ビザの失効後の滞在の問題はあらたな注目を集めている。超党派グループの一員であるマルコ・ルビオ上院議員(共和、フロリダ州)はラッシュ・リンボー氏のトークショーで「われわれは出国時の記録はとっていない。入国の際に記録しているだけだ」としたうえで、「実施に向けたメカニズムが導入されない限り」移民改革法案を支持しないと述べた。

 上院グループは3月までに法案を提出する方針で、今春には審議を始めたい意向だ。オバマ大統領は進展がなければ独自に法案を提示するとしている。ただ、ホワイトハウス関係者らは今のところ、進ちょく具合に満足しているという。

 移民改革法案に詳しい関係者によると、大統領があたためている法案には、犯罪歴審査で問題がなく、指紋などのバイオメトリック情報を提出し、申請料を支払った不法滞在者は直ちに「Lawful Prospective Immigrant(LPI)」と呼ば
れるビザの申請ができる資格を与えられるルールが盛り込まれるとみられている。

 さらに大統領案ではLPIを取得してから8年後、英語と米国の歴史を学び、税金を遡って収めれば、グリーンカード(永住権)の申請資格が得られることになる。グリーンカードの取得からさらに5年を経ると、市民権取得の申請が可能になる。

 合法的に永住権を申請している人々の事務処理を政府が迅速に進めれば、不法滞在者の永住権の申請が8年より前に可能になるかもしれない。この大統領案の詳細は米有力紙USAトゥデーによって先に報道されたものだ。

 ビザの失効後も米国に残留している外国人の人数は誰も把握していない。最も一般的に言われている数字は400万から500万だ。これは2006年のピュー・ヒスパニック・センターによる調査に基づいているが、同センターは1990年のデータを使用した計算方法を採用している。

 米国土安全保障省によると、2011年には1億5900万人の非移民が米国を訪問した。そのうちの4分の3以上は旅行が目的だが、数百万人は仕事を兼ねた旅行者であり、一時的な就労者であり、学生だ。移民問題を研究する非党派のシンクタンク、マイグレーション・ポリシー・インスティテュートによると、ビザ失効後の滞在を管理するシステムを構築している国はオーストラリアや日本など一握りほどしかない。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

副島隆彦 投稿日:2014/12/16 11:33

【1415】[1734]あの「舌足らず」の 僕ちゃんの、安倍晋三の暴走が続く。

副島隆彦です。 今日は、2014年12月16日です。

 総選挙が終わって、その日のうちに結果はだいたい決まった。
 私は、15日の朝の3時に起きて、テレビを見たら、最後の「475人目が、比例での私の当選でした」 という 菅直人(かんなおと)の 武蔵野市の事務所からの会見だった。 

 ハゲがひどくなって、うつろな顔になって見るのも見苦しい顔になっていた。自分の仲間たちを裏切って、アメリカ(ジェラルド・カーティス)の言いなりになって、日本国民を地獄の苦しみに追い込んだ、報(むく)いが表情の全面に出ている。元々は悪人顔ではないのだ。慣れない悪(ダーク・サイドだ)の側に身を落としてしまうとこうも惨めな顔になるものか。

 選挙の結果は、何も変わらなかった。何のための選挙だ。一体、誰がこんなヤラセのインチキ選挙を仕組んだんだ。民主党の海江田万里(かいえだばんり)代表(党首)が、東京1区(千代田区と新宿区の東半分か?)で落選して、 それが、日本のリベラル派の勢力にとっての痛手だった。

 それ以外は、何の変化もなかった。投票率は、戦後最低の 52.67%だったそうだ( 記事を後掲する)。 一体、こんな無駄で、馬鹿げた選挙を誰がやらせたのだ。安倍晋三たちが決めてやったとは、今の今も信じられない。アメリカのどこかがやらせたのだ。
日本国民まで出汁(だし)で使われて、国民なんか、何の力もない羊の群れにされた。

なんでもかんでも、「官邸(かんてい)主導」で、大統領制の国にアメリカの計画で改造されている。各省の官僚たちも、「内閣府人事局(ないかくふじんじきょく)」というのを作られて、「官邸に逆らう者は、天下り先=再雇用をしない」と、シバキ揚げられて、脅されて、屠殺場送りのブタの群れのように、ブーブーと、パソナ南部(親分は、竹中平蔵と孫正義)が作った、再雇用先の斡旋・紹介所に並んでいる。 この内閣府人事局の、刑務所長は、泣く子も黙る、あの“大姐御”の稲田朋美(いなだともみ)政調会長だ。

 日本国民は本当に迷惑だ。自分たちの代表が政治をやっていない。この人物なら、皆で尊敬できて世界に出してもおかしくない、という人間が、日本の国の代表になっていない。ヒドイ国だ。

 日経新聞でさえ、「自民党、投票率48%で議席の76%」(15日、夕刊)と書いていた。 比例代表並列性(ひれいだいひょうへいりつせい)という制度で、200人の小選挙区での当選(これが、上級市民)以外に、275議席が比例区とか、惜敗率(せきはいりつ)での当選となっている。 

 ドント式(ドントという名のイタリア人の選挙学者が作った計算法か?)とかいう奇妙な得票割りで、沖縄の候補者は、選挙区で落ちた自民党の連中までそれこそ全員、当選している。一体、沖縄だけで何人の国会議員がいることになるのだ。選挙制度まで、始めからいじっておかしくなっている。

 誰が、何のために行った、総選挙であったのかが、誰も分からないでキョトンとしている。安倍晋三の長期政権の布陣のためだ、と安倍晋三の回りも思っているのだろう。だが、それはちがう。アメリカの大きな計画の一環だ。日本を中国にぶつけるための、軍事物資、兵器、軍艦とかをどんどん買わせるための、安保マフィアどもによる、日本国の、上からのいいように、日本をあやつる 計画の一部だったのだろう。私は、いまから、その背景を探る。 

 屠殺場に送られるブタの子のように、日本人を取り扱いやがって。アイツラは許せん。

(転載貼り付け始め)

「 衆院選 投票率は戦後最低に 推定52.67% 」

毎日新聞  2014年12月15日 (月) 

 毎日新聞の調べでは、第47回衆院選の投票率(小選挙区)は52.67%で、戦後最低だった2012年の前回選挙(59.32%)を下回る見通しだ。

報道各社の情勢調査で選挙戦序盤から自民党の優勢が続いたうえ、同党が争点に掲げた安倍政権の経済政策「アベノミクス」などを巡る与野党の論戦も盛り上がらず、有権者の関心が高まらなかったとみられる。日本海側で大雪になるなど天候に恵まれなかったことも影響したとみられる。当日有権者数は1億389万4498人だった。

 毎日新聞が5~7日に実施した特別世論調査では、投票に「必ず行く」との回答が65%と前回選挙時(69%)を下回り、投票率のさらなる低下が懸念されていた。

 一方、総務省が14日に発表した期日前投票(小選挙区)の最終投票者数は1315万1966人(速報値)で、前回選挙から9.23%増加した。宮崎県(32.71%増)、岐阜県(22.49%増)、新潟県(22.08%増)など42都道府県で前回より投票者数が増えた。

 12月の衆院選は過去に5回あり、1969年が68.51%、72年が71.76%、76年が73.45%、83年が67.94%、12年が59.32%だった。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

副島隆彦 投稿日:2014/12/13 19:33

【1414】[1733]明日の投票が気がかりだ。安倍晋三たちは不正選挙(投票数のコンピュータでの変更操作)をするのではないか。

副島隆彦です。

私は、明日の総選挙( 衆議院選挙のこと。憲法7条3項「天皇の国事行為」を悪用した 違憲 の突然選挙だ)の結果が気がかりだ。

 安倍晋三たちは、「自民党単独で300議席の大台載せ」をあんなに燥(はしゃ)いで、手先のメディア(テレビ、新聞)を使って総動員で宣伝している。どうして、こういう違法な公選法(こうせんほう)違反の 国民洗脳に等しい、扇動を行うのか。

 私が一番、危惧(きぐ)するのは、安倍晋三たちは、ムサシとか、かつて富士ソフトとか呼ばれた、選挙投票の数字のコンピュータの数字を改竄(かいざん)、変更する 犯罪の 不正選挙を行うのではないか、だ。

 こういう事態になったら、日本は、ただちに 統制国家の、おそろしいファシズム国家になってしまう。「中国や、韓国なんか、もうちょっと痛めつけてやれば、いいんだよ、安倍ちゃん頑張ってくれよ」というゴロツキに近い、右翼的な人間たちが、徘徊して、日本は、急激に、おかしな国になっている。

 ただでさえ、統一教会=日本会議=幸福実現党の 危険な人間たちが、大臣の椅子の18のうちの15を占めている国だ。 一体、いつの間に、こんなに絶望的な国になったのか。

 選挙で不正が行われて、それを、警察庁もグルで見逃すというか、内部がその片割れだったら、いよいよ ナチス・ドイツがやった、ドイツ国会焼き討ち事件のようなことになる。民主派の人間たちは、どんどん牢屋に放り込まれてしまう。私、副島隆彦のような人間が一番先に、狙われるだろう。 私は腹を決めて覚悟しているから構わない。

 国際社会にお願いして、日本に諸外国から選挙監視団を派遣してもらう必要がある。

 2010年の9月14日の、民主党の代表選挙では、富士ソフトという、投票数をコンピュータで改変する不正装置を使って、不正選挙をやった。それで、菅直人が、小沢一郎に勝った( 206 対 200)という謀略をやった。あの時は、警察は捜査に動かなかった。

 民主党という私的な団体の内部の自治の問題で、公職選挙法の適用がないからだ(アハハ)、とされた。おかしな話だ。 今回、ムサシという ソフトが使われて、大規模な得票数の違法、いや、犯罪的な操作が、行われて、自民党が300議席以上の圧勝という、奇妙な結果が出たら、日本人の富裕層で、将来を悲観する人たちは、この国からどんどん脱出するだろう。 自分の資産が、ファシズム政権に狙われると体で感じて、嫌(いや)というほど分かるからだ。

 いくら他に、国がヒドイと言っても、タイやエジプトの 軍事クーデターのあとでも、多くの国民の不服従の闘いは続いている。日本は、「自民党以外に入れる政党がないんだよ」と、エヘラ、エヘラと、奇妙な下品な笑い声をあげながら、人格をどんどん卑しくした者たちが、「自分は、いつも勝ち組だ。負け組の冷や飯食いにはならないよ」と、 穢(きたな)らしい表情で、今を生きている。

 自分たちにも、やがて悲惨な運命が押し寄せて来る、ということに自覚がない。 
年収一千万円ぐらいの 大企業エリートサラリーマン層が、一番、恩恵を受けていない、と言われている。アベノミクスで、一体、日本人の誰がいい思いをしているか。

 アベノミクスが争点といいながら、安倍たちを裁(さば)こうとしない。これほどの政治の大失敗で、日本人は、どんどん貧乏になっている。若者たちに職がない。アメリカに多くの日本の資金を奪いと取られて(年金も、ゆうちょ・かんぽも、米国債買いで、貢がされて)どうしようもない国になっている。 赤貧(せきひん)洗うが如しの国になっている。

 それなのに、安倍晋三たち 責任者の首をすげ代える、ということが出来ない。安倍晋三たちが、自分で決めて、こんな意味のない、総選挙をやらかしたはずがない。全部、アメリカの命令だ。  

 消費税の10%への値上げを、「やめろ」と、日本を叱りつけてやめさせたのは、ジェイコブ・ルー米財務長官だ。 9月21日のG20の時に、ルーが言い出した。そして、10月中に根回しして、日本に厳命した。 「これ以上、日本が、マイナス2%(7-9月)、その前の四半期(4-6月)が、マイナス8.6% で、大きく崩れると世界経済に悪影響を与える」とルーが判断した。

 7-9月のGDPの成長率(下落率)の速報値が、11月17日まで出ない、というのはマンガだ。漫才だ。どうしてこういう おかしなことを、やり続けるのか。 

 少しでも頭のいい人は、「安倍首相たちは、国会議員の3分の2を取って、憲法改正をしようとしている」(ただし、参議院までは、あと2年掛かる)と考えている。 私もそうだろう、と考える。アーミテージやマイケル・グリーンの安保マフィアの、ジャパン・ハンドラーズ(日本あやつり対策班)が、そのように、日本の軍国主義化を画策している。

 私は、今、アメリカ政治の中身を調べている が、アメリカのオバマ政権の中の、国務省の高官たちが、どんどん凶暴なヒラリー派によって置き換えられている。 それに対して、オバマ大統領=バイデン副大統領=ジョン・ケリー国務長官 たち、穏健派で、「大きな戦争 large war は、アメリカはしない」という勢力が、どんどん追い詰められている。  

オバマは、自分の大統領としてのこれまでの6年間のレガシー(legacy  遺産、業績)を守ろうとして、凶暴な好戦派の軍産複合体(ぐんさんふくごうたい)のヒラリーたちのいいようには、させない、と しぶとく冷静に行動している。

 だから、2年後の、2016年11月のアメリカ大統領選挙までは、オバマが、必死で世界戦争(大きな戦争)を、食い止める。だが、2017年になって、ヒラリーあるいは、それ以外の凶暴な女が大統領になったら、人道と人権を奇っ怪な旗頭(はたがしら)にして、それで中東(ちゅうとう、アラブ、ミドル・イースト)だけでなく、その他に、アジア地域(リージョン)でも、戦争を起こそうとする。 次の米大統領は、女と、決まっているようだ。

 ヒラリーたちのことを、人道主義的介入(かいにゅう)主義者(ヒューマニタリアン・インターヴェンショニスト)と言う。彼女らは、実際に、すでに、ネオコン派、軍産複合体と合体している。

 アメリカは次は、女の大統領になる、と決まっているようだ。ということは、日本の今の女の大臣たちが、あんなに、目の据わった気持ちの悪い、奇妙な政治宗教に狂った、極右(きょくう、ファー・ファー・ライト)の女たちになっていることを見てみれば分かることだ。

 私たちは、いよいよ 各自が、腹を決めて、これからの自分の人生を防禦(ぼうぎょ)しなければいけない時代に、突入したのだ。甘い考えを捨てて、対処しなければいけない。 あいつらは悪魔(あくま)だから、なんでもする。すでに、ワル、とか悪党というレベルを越えたのだ。 

私は、目下の事態を、相当深刻に 憂慮している。皆さんも各自、気をつけてください。

副島隆彦記
  

広島・西 投稿日:2014/12/11 08:58

【1413】[1732]コート・ダジュール

副島先生が会員版ページにグレース・ケリーについて書かれていたちょうどその頃、コートダジュールを旅していました。
主な滞在先はエクサンプロバンス(Aix-en-Provence)、マントン(Menton)、ニース(Nice)の3箇所。この内のマントンとニースが地中海沿いで、いわゆるコート・ダジュールということになります。マントンはニースをふた回り位小ぶりにした位のイタリアとの国境に隣接する街で、かつてジャン・コクトーが住んだ街です。

マントン、ニースとも11月中下旬でも日中気温が18度程度はあり、さらに日差しが強く感じられ、日中はコート無しでも十分過ごせました。緯度が高いのになぜ日差しを強く感じるのか不思議ですが、地中海の反射ということもあるのでしょうか?その点私には不明でしたが、人々のサングラス着用率はかなり高かったです。夏は国中からバカンスを過ごすために人で溢れかえるでしょうが、11月はシーズンオフでホテルのいくつかは長期休暇という所もありますし、また町のあちこちでインフラの工事をやってました。でもシーズンオフだからこそホテル料金は格安です。副島先生が「1泊5万円はする」と書いておられましたが、マントンの駅から徒歩10分以内で海沿い、三星のホテルでオーシャンビューの部屋が2人部屋一室1泊98ユーロ(1€=148円として14504円)でした。部屋は広くはありませんが、バスタブ付きのバスルーム込みで大体30m²、それに加えて椅子とテーブルの置かれたベランダがついています。11月ですのであまり混み合ってはいませんでしたが、ホテル内で聞こえてくる言語はフランス語の他、ドイツ語、イタリア語で、オフシーズンでも避寒の為にそこそこ観光客はいるようです。もちろんハイシーズンの6月~9月は客室料金は2倍、3倍になるでしょうし、冬場は使っていない海が見えない側の部屋も満室になることでしょう。

マントンの街は年寄り、犬、美容院、不動産屋、薬局が多いというのが印象で、恐らく小金持ちの年寄りが引退後に引っ越してきたのではないかと、彼らの身なりや振る舞いから勝手に想像しました。年寄りと犬に関しては、フランスもかなりの長寿国ですし犬好きの国民性を考えると、マントンだけの特徴とは言えないかもしれません。外出できるお年寄りの皆さんで、日本の老女に人気の手押し車を押している人は皆無、恐らく彼女らの審美眼からは外れるということでしょうか。
不動産屋の広告をじっくり見てこなかったことを後悔しましたが、ニースから電車で東に約20分のアンティーブという街の不動産屋のウインドウを見たところ、庭付きの別荘風のものは130万€位(1億9240万円!)、広さが明記されていない2DKの集合住宅の一部屋でも35万€(5180万円)という、驚きの価格設定でした。
コートダジュールの不動産価格は高値安定しているのではないかと思われます。
アンティーブには広いヨットハーバーもあって、遠洋航海ができるようなレーダーを備えた大きなヨットやクルーザーがズラリと停泊してました。

物価は全般に高く、ホテルの人もマントンはレストランが高いと言ってました。が、それにも増してのこの円安、、、。アベノミクスではなくアヒェ~ノミクスという感じで、レストランの看板を見てはアヘェ~、洋服屋に入ってはアヘェ~と、ため息と驚きが混じりあった声をあげざるを得ませんでした。ランチでは一番安いセットメニューでも大体15€程度(2220円)、夕食では25€(3700円)が平均。ホテルで紹介された中華料理屋で25€支払って頼んだセットメニューで出されたアスパラガスのスープがインスタントの味で、しかも蟹ではなくカニカマが載っていた時には怒りで震えがくるほどでした。そもそもこの店は表に「寿司」と書かれた提灯がぶら下げられており、アジア料理(風)なら何でもあるような店、その店構えを見て嫌な予感がしたのに撤退しなかったことを悔やみました。
 円安で大企業が儲かって良きことのように言われていますが、海外に出てみるとよく判るのが自国通貨の価値が落ちていること。買い物の度に寂しさとも惨め(みじめ)さともつかない嫌な感じがします。このことが身銭を切って判ったのはひとつの収穫だったかもしれませんが、切り傷は痛かった、、、。「取り戻す」という標語は、一体何を「取り戻したい」と思っておられるのか?ひょっとして庶民が海外旅行などとてもできなかった、1ドル360円だった頃だったりして!?

実際にお金を使ってみての印象としては、1€が100€105円だと妥当という感覚です。観光地・別荘地として若干物価が高いとして、それくらいなら「まあ仕方がない」という程度でしょう。全般的に高めなのが既に述べた不動産、レストランでの外食の他、衣料品、スパ等のサービス産業。一方で割安感があるのがフランス国鉄、ローカルバス、美術館などの入館料、ワイン。市場やスーパーで売られている野菜等の食材は、ほぼ日本と同等という感じでした。

 別荘の規模を知る絶好スポットはマントンの東側の隣町、ロクブリュヌ・キャップ・マルタン(Roquebrune-Cap-Martin)の、マルタン岬の遊歩道をぐるりと一周するのがお奨めです。どこからどこまでが敷地かが分からないような豪邸が立ち並んでいます。もっとも敷地が広すぎるため、家が見えないという難点はありますが。岬の周辺だけでなく、海岸方面から山の中腹にある中世の村に向かう坂道にもかなりの豪邸が並んでいます。また岬からはモナコの景色を眺めることができ、狭い所にギッシリと高層ビルが立っているのが見えます。

 実際にモナコをしかとこの目で見たのが、マントンからニースにバスで移動した時でした(フランス国鉄がストライキ中で間引き運転をしていた為、バスで移動しました)。モナコだけ南仏でも異質な感じで、空気中にお金の臭いがプンプン漂う感じです。ビルもピカピカした金属的な光沢を放ち、建築基準が明らかにフランスとは違うのではないかと思います。この辺りのホテルは、それこそ一部屋5万円、10万円というものではないかと想像します。私は見るだけでお腹いっぱいになりましたので、通り過ぎるだけで十分でした。

 この円安のせいもあってか、全般的に日本人観光客(と思われる人達)は少なかったです(パリにはそれなりにいるでしょう)。そもそもマントンは人気のエリアではない為に少ないということはありますが、エクス、ニースでも同様です。逆に増えたのが中国人観光客でアンティーブでもその団体に遭遇しましたし、ニースのホテルでも若い中国人の団体が来てました。話しかけたら上海から来た学生さんで、服装や物腰も大変洗練され、英語もとても上手でした。日本では若い人達の「内向きさ」が話題になっている中、上海の学生さんから発せられる弾けるような躍動感から「こういう中国の若い人達が、これから世界に羽ばたくのだろうな」という印象を受けました。

 以上、思いつくままに書いてみました。
ともかく始終『日本は経済大国???』ということを強く感じた旅でした。

相田 (Wired) 投稿日:2014/12/10 22:14

【1412】[1731]思想対立が起こした福島事故[第1章終わりの②]

みなさんこんにちは。相田です。

 今回で素粒子論グループ編を終わり、こちらへの投稿も一段落とさせてください。

 これまで物理に関する話を続けてきましたが、私は本格的に物理を勉強したことなどなく、自己流で参考書をつまみ食いしたレベルです。私の話を物理の専門家が見ると「こいつわかってないな」と、たちどころにバレると思います。

 本論考の狙いは物理の薀蓄(うんちく)をつづるのではなく、福島原発事故の起こった背景を明らかにすることなのですが、第1章では主な登場人物紹介の段階で終わってしまいました。島村武久(しまむらたけひさ)氏や中島篤之助(なかじまとくのすけ)氏などの未登場の重要人物もいますが、第2、3章で触れる予定です。

 第1章では武谷三男を中心に説明しましたが、第2章の内容は伏見康治を軸に話を進めます。本論考の核心となる第3章もある著名な物理学者が主役となります。この人物の晩年の提言をまじめに取り上げなかったことが、福島事故につながったと私は思っており、ここを書き終えるまでは続けるつもりです。

 ここでの話に興味を持って読んで頂いた方々に感謝します。

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題目「思想対立が引き起こした福島原発事故」

第1章 素粒子論グループの光と影
1.10 そしてユダ- 福田信之(続き)

 筑波大学開学時の初代学長には三輪知雄(1973-76)が就任し、宮島龍興(1976-80)が後を継いだ。建学の最大功労者である福田は強烈な個性が災いして、当初は学長就任を控えていたが、実質的な「影の学長」として学内を掌握したようである。筑波へのキャンパス移転の成果を認められた福田は、当時の自民党幹事長の中曽根の政策ブレーンの一人に抜擢されて、政治的な活動も強めていった。

 筑波大開学当初の福田の様子については、ソフトウェア研究者の今野浩(こんのひろし)氏の著作「工学部ヒラノ助教授の敗戦」(青土社、2013年)の記載中で垣間見える。本著作は「世界最大規模のソフトウェア中心の計算機科学科を作る」という触れ込みで、新生筑波大学に助教授として招かれたヒラノ氏(=今野氏)が、その構想の仕掛け人である福田に最初に挨拶に出向く場面から始まる。約束時間から30分以上遅れて現れた福田は、その場でおもむろに電話を掛けて「中曽根君」と呼びかけながら幹事長と話し込んだという。電話を掛ける前に福田は、ヒラノ氏と彼の新たな同僚に辞令を無造作に渡しながら、「何があっても赤旗だけはふらないでくれよ」と釘をさしたそうである。その後に展開されるドラマについては、今野氏の著作をご参照されたい。

 1980-86年には福田自らが筑波大の学長を務め、筑波大発足から合わせて13年に亘って権力を振るうこととなる。その間の筑波大では、左翼活動を行う学生は即刻退学させられる一方で、統一教会系のカルトサークルが公認されて、活発に活動していたという。1984年に筑波大学で開催された「科学技術と精神世界」と題する日仏協力国際シンポジウムは、統一協会の庇護を受けたイベントであり、多数のオカルト系の発表講演が国立大学内の会場を借りて堂々と行われるという、信じ難い状況が繰り広げられたらしい。さすがに当時の反省から、近年の筑波大学では福田色を一掃するような対応が取られているそうである。

 ここまでの話では原子力について全く触れていないのだが、実は福田は日本の原子力開発にも大きな影響を与えている節がある。1974年4月に原子力委員会の常勤委員として、東京教育大学長を勤め上げたばかりの宮島龍興が就任した。原子力委員会とは、日本の原子力政策の基本方針を決めるための(名目上の)最高機関とされている組織である。原子力委員会設立の詳細については、本論考の第2章で説明する予定である。宮島を原子力委員に推薦したのは、当時の科学技術庁長官で原子力委員長を兼任する衆議院議員の森山欣司(もりやまきんじ)である。(当時の原子力委員長は科学技術庁長官が兼任していた)

 科学技術長官時代の森山は、それまでの長官が青森県民の猛反対を受けて結論を先送りしていた、「原子力船むつ」の試験航海を強行した張本人であり、その途中で「むつ」に放射線漏れのトラブルが起きたことから、大きな非難を浴びることとなった。さて、森山が科技庁長官に就く前の原子力委員会においては、委員の任命・交代の場合には、事前に他の委員全員の了解を得た上で発表する不文律があった。しかし森山はこの慣習を破り、宮島の委員就任を独断で決定し、このことが波紋を呼ぶことになる。

 この森山による宮島の原子力委員就任の決定に対して、原子力委員(非常勤)の一人で立教大学の物理学の教授である田島英三(たじまえいぞう)が異議を唱えた。田島はかねてより、原子力委員会に安全研究の専門家が不在であることに懸念を表明しており、次回の委員交代の際には安全担当の専門家を招くべきと主張していた。しかし森山は田島の要望を排し、原子力推進派とみなされていた宮島を独断で新たな委員に任命した。結局、田島は森山に抗議して原子力委員を辞任するが、この問題は当時のマスコミに大きく取り上げられた。

 その後に「むつ」の放射線漏れ事件が起こった際には、その田島本人が青森まで招聘されて「むつ」に乗り込み、事態の収拾を行うことになる。このあたりの経緯の詳細は、田島の自叙伝の「ある物理学者の生涯」(新人物往来社刊、1995年)に描かれているので御参照されたい。余談になるが田島は、立教大に移る前は理研の仁科グループに在籍しており、長岡半太郎の実子で後の日本原子力研究所副理事長に就任する嵯峨根遼吉(さがねりょうきち)の指導の下で、サイクロトロンによる原子核実験を担当していた。

 田島は、終戦後の米軍によるサイクロトロン破壊にも直接立ち会っており、田島の自叙伝にはその際の詳細な状況が記されている。戦後になって田島が理研から立教大学に移る際には、武谷三男も理論物理学の教授として立教大に招かれている。武谷にとってこれが、最初で最後の大学へのパーマネントな「就職」であった。

 話を福田に戻すと、教育大移転闘争の経緯を考えると、森山に宮島の原子力委員就任を推薦したのは、おそらく福田であろうと私は考える。宮島自身は非常に線の細い性格であったとされており、このようなトラブルの中に率先して飛び込めるような人物とは私には思えない。原子力委員時代の宮島にはさらに面白いエピソードがある。宮島は1974年にロンドンで開かれた「科学の統一に関する国際会議」というイベントに、原子力委員の肩書きで参加したが、この会議の主催者は統一教会であり、文鮮明による挨拶も行われたという。

 1978年6月5日の国会の科学技術振興対策特別委員会において、森山の次に科学技術庁長官を務めた熊谷大三郎(くまがやだいざぶろう)が、共産党の市川正一(いちかわしょういち)議員から、原子力委員としての宮島の行いに関して厳しく追及された。私はこの話を、SNSIの中田安彦氏がジャパンハンドラーズのブログの中で取り上げた記事を読むことで、初めて知った。宮島を統一教会のイベントに参加させるために、ロンドンまで連れ出した黒幕は、どう考えても福田であるとしか思えない。

 同じ国会の議論において市川議員は、当時の日本原子力研究所理事長であった宗像英二(むなかたえいじ)が、統一教会の下部組織である世界平和教授アカデミーの機関紙「季刊アカデミー」に寄稿した事実についても追及した。福田はこの世界平和教授アカデミーの有力メンバーの一人でもあった。

 このような一連の話から70年代以降に、原子力委員会や原研幹部等の原子力関係者の間に、反共を掲げる統一教会系の人物達が集まりつつあり、その裏で糸を引いていたのが福田ではないかと、私は疑っている。森山欣司、宗像英二の二人については、本論考の重要人物でもあり、後半に再び取り上げる。

 勝共連合や原理研究会(CARP)のサイトを眺めてみるとわかるが、彼らのサイトのほとんどには、原子力についての肯定的なコメント(軽水炉再稼働の即時実施、核燃料サイクルの堅持、etc)が書かれている。その内容には、相当に専門的な処まで理解していなければ、書けないような記述も多い。彼等の意見ははっきり言って、私が本論考で述べる考えにかなり近く、彼等のコメントを読む限りでは大変結構なことだと思える。しかしながら私は、「あんた達はその話を一体誰に聞いたのだ?」と、思わず突っ込みたくなる。どうせ福田から聞いたのだろう。

 右翼評論家として名高い渡部昇一(わたなべしょういち)は、統一教会とも関係が深い人物といわれているが、以前に福田信之から「渡部君、この高速増殖炉(もんじゅのこと)という技術が完成したら日本は、500年-1000年という単位でエネルギー問題から開放されるんだよ」という話を聞いたそうである。最近の渡部は、あちこちのセミナー等に出かけて行って、原発の早期の再稼働と核燃料サイクルの継続推進を訴えているようである。はっきり言って、大変大きなお世話である。

 左翼研究者達の問答無用の原発反対も困ったものであるが、右翼連中が訴えるバラ色の原発推進論も、同じ位に傍迷惑な話である。どれだけまともな内容を訴えた処で、その出発点が政治的に歪んだ理想の実現を目指したものであるならば、彼等の主張は技術を危険な方向に導くものでしかない。原子力は大変危険な技術ではあるが、それを用いることで得られる恩恵もまた大きい。原子力に向き合う際には、政治思想の思惑を排した冷静な技術判断が必須であると私は思う。

 しかし本論考で述べるように、日本の原子力開発は何故か最初から、左翼と右翼の壮絶なぶつかり合いで始まってしまうのである。その後に「技術的にまっとうな方向」に修正する努力が幾度も行われたにも係らず、それらの「まっとうな努力」に対しては、左翼と右翼の両方が反対し、寄ってたかって全て潰してしまったのである。その結果引き起こされたのが、3.11福島事故である。原子力関係者連中の間にあった政治思想の対立が、福島事故の本質的原因と私は考えており、本論考で最も訴えたいのはそこである。

 話を福田自身に戻す。筑波大学発足後にも強大な権力を振るい続けた福田は、宮島の後釜としての原子力委員への就任も視野に入れていた可能性があると、私は思っている。しかし「幸いにも」というべきか、そのような事態を迎えることはないまま、福田の晩年は意外な悲劇で幕を閉じることとなる。以下は今野浩氏の「工学部ヒラノ助教授の敗戦」から引用する。

―引用はじめ―
 ミスター筑波大と呼ばれた福田信之教授は、6年にわたって副学長を務めたあと、学長として6年間筑波に君臨し、1980年代半ばに東京理科大の教授に迎えられた。しかしこの頃を境に、バッタリその名前を耳にすることはなくなった。反共で連帯を組んだ中曽根康弘氏が総理の座にあった80年代半ばには、もっと活躍してもおかしくなかったはずだが、何故かこの頃はすっかり過去の人になっていた。そして90年代に入ると、筑波大学を建設した功労者としてよりは”筑波の独裁者”、”文鮮明の協力者”という名前が残ったのである。

 1994年の秋、ヒラノ教授は福田元学長の訃報に接した。そして週刊新潮の「墓碑銘」欄に載った記事を読んで、同氏が筑波を去ったあと間もなく、自らの意思で世間との繋がりを断ったことを知った。筑波時代の苦労が原因で、夫人が認知症になったことに責任を感じ、東京理科大の教授ポストを捨てて、老妻が住む老人ホームに住み込んで自ら介護に当たったが、75歳の誕生日を迎える直前に、心臓発作のため亡くなられたのだという。
―引用終わり―

 相田です。私が本論考を纏めるに当たり、「福田信之」という人物の発見は最もインパクトを受けた「事件」であった。私は学生時代には朝永のファンであった。失礼な言い方になるが、中間子論以降にはまともな物理学の成果を発表できていない「一発屋」の湯川よりも(これは私の大きな誤解であったのだが)、最先端の数理モデルを自在に駆使して自然の本質に迫る朝永の方が、物理学者としての理想に近いように私には思えたのである。岩波新書にある朝永の著作の「物理学とは何だろうか」、「科学と人間」等は、学生時代に何回も読み返した記憶がある。

 しかしながら福田信之の存在を知って以来、私の中では朝永の人物像を大きく見直さざるを得なくなってしまった。朝永がノーベル賞を受賞した1965年からの数年の間、東京教育大学では移転問題が泥沼化する一方であった。はたして朝永は、愛弟子である福田の極悪非道ともいえる一連の行いを、一体どのように考えていたのであろうか。物理学者としての業績と人間性は、分けて考えてもよいという事なのであろうか。

 一方で福田自身は、自分の家族に起こった出来事を見つめ直すことで、流石に自らの行いの過ちの大きさに気づかされたのであろうか。晩年の福田は第一線から身を引いて、家族に付き添いながら静かにその生涯を終えたようである。

 物理学者としての業績の頂点を極めたともいえる南部陽一郎と、物理から離れて政治の分野に執念を燃やした福田信之。若かりし時に二人は共に武谷と朝永からの薫陶を受けたにも係らず、その後の生き様は、あたかもキリストとユダのように、あまりにもかけ離れてしまっている。素粒子物理学を志す研究者の中には、このような激烈な人生に駆り立てる「何か」があるのであろうか。

(第1章おわり)

相田英男 拝