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Loginはこちら【1453】[1773]4月交流会のお知らせ
アルルの男・ヒロシです。
2月から月に一回やっている「交流会」を4月は25日(土)の夜に開催します。
これまで2回開催しました。最初は、「持ち寄った本の紹介」2回めは「映画鑑賞会」とその後のおしゃべりをしました。これまで参加してくださった皆さん、ありがとうございます。
今までは、事前に人数を把握するために申し込みをお願いしていましたが、2回やってみて、事前申込みを募っても大体、会場として借りた会議室人数いっぱいにならないことがわかりましたので、4月の回からは事前の申込はナシでやってみたいとおもいます。
そして、交流会の内容についてもあえて事前に何をやるのか決める、というのではなく、当日に気軽に立ち寄って、自由にお喋りをするという形でやっていきたいと思います。私は当日に会場に一人で向かいますから、私と情報交換をしたい人はそれでも構いませんし、他の仲間が出来てその人とおしゃべりをしたい、というのであれば、それはそれで構いません。
もちろん、「ぜひ俺はこういうことがみんなの前で話したい」という会員のかたがいれば、それは事前にお申し出いただければ、「ホワイトボード」などを用意します。
ただ、基本はコーヒーなどを飲みながら、共通の話題を持った同士が、自由にお喋りをするという場所にしていきたい、と思います。(すぐに話したいことがない人はドリンクを飲みながらずっと本を読みながら周りの話を聞いているだけでも構いません。)
4月は25日の土曜日に以下の会場(4号室)を18:00から、「SNSI」の名前で予約しています。ですから18:15から始めたいと思います。会場費だけは当日に参加していただく方の頭割りで折半でご負担いただくことになると思います。その点だけはご了承ください。
https://www.ginza-renoir.co.jp/myspace/booking/shops/view/MS&BB_池袋西武横店
【1452】[1772]時計から見るイスラーム思想史⑥『バグダード、終わりの始まり 』
松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/04/12です。
前回まで『新プラトン主義Neo platonism』について、記述しました。カトリックにおいては、新プラトン主義は、無智迷蒙を促進する支配思想だった。一方、イスラームにおいては、人間世界を発展させる起爆剤だった。簡単に一文で表すと、そうなります。
イスラームにおいて『新プラトン主義Neo platonism』が、神学と科学(近代学問)の統一を果たし、人間世界の発展に大いなる寄与を果たした。我々現代人もまた、この時代、10世紀のバグダードを源流として生きています。
化学にしろ、光学にしろ、天文学にしろ、ありとあらゆるものがバグダードを源流とするのですが、『時計』という人類史上の大発明もまた、バグダードに端を発するというのは、今論考で述べているとおりです。今回6回目は、そのバグダードの衰退の話です。
○『バグダード、終わりの始まり 』
10世紀、長期の銀不足が起きている。当時の銀の供給地は、イランのホラーサン地方と西トルキスタンである。サマルカンドとかのあたりだ。いわゆる、シルクロードの中心点である。
何故か。ここを制圧した王朝があるのだ。サーマン朝(874~999)である。
引用開始ーーーーー『イスラム・ネットワーク』p109 宮崎正勝著 講談社選書メチエ 1994年
十世紀になると西アジアに深刻な『銀飢饉』が起こり、
バグダードに流入する銀の量が急速に減少した。
※中略
家島彦一氏は、銀資源と木材資源の枯渇を指摘しながらも、
八七五年にマー・ワラー・アンナフル(※引用者より。西トルキスタンの事)
の支配圏を掌握し、
豊富な銀を掌握したサーマン朝(八七四~九九九)が、
『ペルシャ湾経由でインド洋周縁部と結びつく独自の交易システムを樹立し、
バグダードの経済圏とは別に自己の経済支配を確立しようと目指した』ことにより
サマーン朝領内で鋳造された銀貨、
銀地金のバグダードへの流入量が激減したことを重視している。
ーーーーー引用終わり
松村享です。
これは驚くべき記述だ。ペルシャ湾というのは、当時の世界交易ネットワークの中心地、大動脈である。ここを制圧したからこそ、バグダードを拠点とするアッバース朝(750~1258)は、世界覇権国となった。そのアッバース朝に対抗して、サーマン朝が台頭した。銀を独占し、大動脈・ペルシャ湾を乗っ取ろうとした、というのである。
サーマン朝の銀の独占が、周辺王朝に恐慌をもたらした。私は、この記述に行きあたって、14世紀半ばの、ヨーロッパ経済の凋落を思い出したのである。
14世紀半ば、エジプトーイタリアは、トルコ・オスマン朝の銀の独占により、大恐慌に突入した。直後に、黒死病(ペスト)の猛威にさらされ、壊滅的状況を迎えることとなる。黒死病(ペスト)の猛威は、学校の教科書などにも載っているので、みなさんご存知かと思う。
だが実は、ペストの直前に大恐慌が起こっていたことは、あまり知られていない。この時代、イタリアはエジプトの属国であり、高度成長期を通過したところである。
紅海、というエジプトの真横の海がある。この海が、ユーラシアの東西を繋ぐ回路として覇を唱えていた。エジプトの紅海を支配していたのが、イスラーム・マムルーク朝(1250~1517)である。イタリアは、エジプトに従属しながら、インドや中国にまでまたがるユーラシア大陸の大交易に参加していた。
この事がイタリアの高度成長をもたらしたのだが、トルコの勃興により、エジプトーイタリアの好景気は頓挫する。トルコのオスマン朝が、銀を独占したのである。オスマン朝は、鉱物資源に大変恵まれたアナトリア地方を出自とするのだ。想像を絶する規模の独占だっただろう。
何故なら、この時にトルコで設計されたアクチェ銀貨は、以後300年使われ続ける銀貨だからだ。アナトリア出身の地の利を生かして、最初から供給源、供給量をふくめ、綿密に設計されていたのだ。となれば、周辺国は通貨発行権が弱体化し、銀を独占する国家の、この場合はオスマン朝の、優秀な基軸通貨に従属するしかなくなる。
基軸通貨以外の通貨は、信用がおけないのだから、誰も欲しがらない。基軸通貨を使わなければ、商品流動が滞る。値段さえ、きちんと付けられない。しかし基軸通貨が手に入らないとなると、もうどうしようもない。社会が壊れる。生活はめちゃくちゃだ。盗賊にでもなろうか、という気にもなる。
この辺の事は、現代日本人には、なかなか実感としてわからない事なのではないか。多分、外国と直接、交易するような職業でもないと、わからないはずだ。かくいう私も、昨日まで使えていたお金が、今日コンビニで使えませんでした、という経験はない。
ある意味で、日本国家の巧妙さが、我々の貨幣に対する実感を遠ざけている。貨幣というものは、本来、非常に不安定なものである。現代日本人は、円の優秀さに守られている。その事が見えないから、他国で起きる暴動も、自分たちとは全く関係のないものだと見えてしまう。我々は本当は、守られてぬくぬくとしているだけなのだ。それだって、いつまで続くか知れたものではない。
トルコの銀の独占が、エジプトーイタリアの好景気を一気に墜落させた。貨幣となる鉱物(金や銀)の不足が、交易を衰退化させ、交易をになう国家の衰退さえもたらすという現象、これは現代でも同様である。
世界覇権国アメリカの衰退は、金とドルの兌換を放棄した1971年のニクソン・ショックに如実に現れている。その後、アメリカは金融業(=幻想)を発展させ、そして墜落した。
現代アメリカと、14世紀エジプトの違う点は、アメリカは、中央銀行という紙幣バラマキの、いわば幻想構築装置を持っていることであり、この幻想構築装置が、死に体のアメリカに延命処置を施している。14世紀に、中央銀行はない。14世紀、エジプト及びヨーロッパは、銀不足の影響をモロに受け、即座に恐慌に陥った。
この恐慌が原因で、100年間が荒れに荒れる。さらにペスト(黒死病)の追い討ちがある。俗に、中世暗黒時代と呼ばれる時代だ。
私は、この時代の空気感をつかまえたい。それはあたかも、第二次世界大戦後の日本みたいなものだったのではないか。原爆を落とされた後の日本と、同じ状況だったのではないか。夢にさえ見たことのない地獄絵図である。昨日笑っていた母親が、鉛色の肉塊になって、そこらに転がっている。
そして、機械時計の導入は、ちょうどこの時期なのだ。『中世の産業革命』によると、イタリアの機械時計導入時期は、パドヴァで1344年、ジェノヴァで1353年、フィレンツェで1355年、ボローニャで1356年、フェラーラで1362年、である。
最高権威であるローマ・カトリック教会も、この地獄絵図の状況下、為す術も見当たらないまま混乱の最中、ついに壊れた民衆によって、機械時計は導入され始めたのではないか。
機械時計とは、イコール利子のことである。1時間経過、また1時間経過と、明確に区切るのだ。この地獄の最中、ヨーロッパ人は行動様式の激しい変更を迫られた。そうしないと生きられないからだ。ムリヤリにでも、幻想に身を委ねる必要があったのだ。
機械時計導入は、銀(優秀な銀貨)が手に入らない大恐慌時代の、追い詰められた人類の窮余の策なのだ。身ごと投げだす切迫の祈りである。
『中世の産業革命 』(岩波書店 1978年)のジャン・ギャンペル氏はp189で『西ヨーロッパではローマ教会がこの技術革新(※引用者より。機械時計のこと)を簡単に受け入れたのであるが、中世の産業革命の根幹は新思想に容易に順応するこの傾向によって説明がつく。』などと呑気なことをいっている。
そんな話ではない。そうしないと、生存そのものが解体する恐れがあったのだ。機械時計の導入は、『輝かしい近代の幕開け』などでは決してなく、銀が手に入らない時代、追い詰められた人類の、壊れそうな脳が生み出した窮余の策である。
これと全く同じことが、バグダードで起こっていたのである。銀の独占がサーマン朝によって行われ、10世紀バグダードで、深刻な通貨危機が起きていたのだ。(続)
松村享拝
【1451】[1771]時計から見るイスラーム思想史⑤『ヨーロッパ=カトリック圏における新プラトン主義Neo platonism』
松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/04/02です。
副島先生、資料を送って頂きました。どうもありがとうございます。活用します。
中田安彦氏が指摘した、AIIB(アジア投資インフラ銀行)という巨大な動きがあります。歴史を俯瞰していると、このような交易ネットワークの変動こそが、人類史の最重要の出来事なのだと気づかされます。
ネットワーク変動の視点に立てば、一見、収拾のつかない人類史が、すっきりまとまって見えます。と同時に、我々は、とんでもない時代の住人なのだと考え至ります。
私が現在、記述している『時計から見るイスラーム思想史』の主舞台はバグダードなのですが、最後はネットワーク変動とともにバグダードは衰退し、エジプトにネットワーク覇権が移っていきます。
バグダード衰退の反射として、私は思想史を追いかけています。それはそのまま、現代21世紀との比較研究でもあります。
前回は、イスラームにおける『新プラトン主義Neo platonism』を記述しました。5回目の今回は、ヨーロッパ=カトリック圏における新プラトン主義を記述します。それではじめに結論を言いますが、カトリック圏の新プラトン主義は、最悪の支配思想です。
snsi研究員・鴨川光氏によれば『新プラトン主義Neo platonism』のNeoは、英語圏では、ネガティブなニュアンスを含むそうです。ネオコンやネオナチなど、確かにイメージは悪い。
○ヨーロッパ=カトリック圏における『新プラトン主義Neo platonism』
ヨーロッパ=カトリック圏における『新プラトン主義Neo platonism』は、支配思想である。人間を隷属させる最悪の思想体系である。
だからフランス革命の先頭に立った、イルミナティの創始者にして、過激思想家であるアダム・ヴァイスハウプト(1748~1830)は、『新プラトン主義Neo platonism』に対して、激しい攻撃を仕掛けている。『秘密結社イルミナティ入会講座《初級篇》』(kkベストセラーズ 2013年)を読んでみてください。
それでは、カトリック圏における『新プラトン主義Neo platonism』とは、どのように最悪か。ここはカトリック神学者トマス・アクイナスの頭の中を覗いてみるのが一番である。
トマス・アクイナス(1225頃~1274)によると、新プラトン主義は
①永久法 eternal law
②自然法 natural law
③人定法 positive law
④神定法 divine law
以上、4つの領域を扱う事である。
引用はじめーーーーー『西洋思想大事典 第2巻 自然法と自然権』ポール・フォリエ/カイム・ペレルマン著 平凡社 1990年
アクイナスは宇宙を永久法によって支配されていると考えた。
人間は自然法に服しているが、その自然法は神の理性の反映に過ぎず、
結局、人定法は、ただ自然の諸戒律と諸原則を
社会生活の特殊な必要と状況に合わせて適用しているに過ぎない。
永久法即ち神法が自然法を統合するのであるが、神法は
自然法とは無関係な超自然的秩序の多くの真理を含んでいるという点で、
自然法と神法は別物である。
※中略
自然法は普遍的秩序の原理とすべての法の原型を成す。
自然法は、人間が彼の理性を通じて神法即ち永久法に与るのを許す。
最後に、人定法は自然法の投影である事によって自然法の中に統合されるのであるが、
それは、社会的必要を満たすという機能を持ってはじめて自然法の投影といえるのである。
ーーーーー引用終わり
①永久法
Godのみに適用される、人間には感知できない法。
②自然法
永久法のうち、人間にも感知できる法。
ただし、感知できるだけで動かし得ない。
③人定法
人間が改変可能な法。
人と人のあいだの取り決め。
人定法は自然法に従うべきであり、snsi研究員・中谷央介氏によれば不正な法は法ではない。
④神定法
聖書bibleの事。
うつろいやすい人定法の手助け。
この色彩グラデーションのような繋がり方こそ、まさしく新プラトン主義である。そして壮大な新プラトン主義の体系の中で『人間は罪人である』と、原罪を駆使して、税金を搾取し続けたのが、ローマ・カトリック教会である。
『原罪original sin』が、カトリック神学の最大の特徴である。ひとりひとりが激しい潔癖状態に置かれる。病人の状態である。以下のニーチェの文章を読んでください。
引用はじめーーーーー『現代語版アンチ・クリスト キリスト教は邪教です!』ニーチェ著 講談社+α新書 2005年
キリスト教信者の精神構造はこうなっています。
内側に引きこもって、神経質にものごとを考えていると、不安や恐怖に襲われる。
それが極端になると、現実的なものを憎み始めるようになる。
そして、とらえようもないもののほうへ逃げ出していくのです。
また、きちんとした決まりごと、時間、空間、風習、制度など、
現実に存在しているすべてのものに反抗し、
『内なる世界』『真の世界』『永遠の世界』などに引きこもるのです。
『聖書』にもこう書いてあります。
『神の国は、あなたの中にある』、と。
現実を恨むのは、苦悩や刺激にあまりにも敏感になってしまった結果でしょうね。
それで『誰にも触って欲しくない』となってしまう。
神経質になって悩み始めると、
なにかを嫌うこと、自分の敵を知ること、感情の限界を知ること、
そういう大切なものを失ってしまいます。
それは自分の本能が『抵抗するのに、もう耐えきれないよ』
とささやいていると感じるからでしょう。
彼らは最終的に、現実世界とは別の『愛』という場所に逃げ込みます。
それは、苦悩や刺激にあまりにも敏感になってしまった結果です。
実はこれがキリスト教のカラクリなのです。
ーーーーー引用終わり
松村享です。
この精神構造は、現代日本人も身につまされるものがあるのではないか。日本人はアメリカに叩きのめされた後、社会工学social engineeringの施しを受け、ちょうど『原罪original sin』と同じ、閉ざされた精神世界を生きるようになった。これは社会学用語で『急性(アキュート)アノミー』ともいう。だからあなたは、いつも不安なのだ。
『私の不安は、私だけの特別な問題』ではない。外を見よ。みんな同じだ。みなさん、人間という動物である。動物である自分を直視して初めて、社会工学social engineeringの対象となっている自分に気づくことができる。誰もが自分を特別だと思いたい。だが特別ではない。動物である。
その不安は幻想だ。自殺に追いこまれるまで働く必要などない。仕事をやめれば罪人か?『原罪original sin』が取り憑いている。現代日本人と中世ヨーロッパ人は、全く同型の精神構造を持つ。
だからルネサンスは、『原罪=急性アノミー』の根元たる新プラトン主義を攻撃した。フィレンツェ・ルネサンスの、新プラトン主義への執拗さに注目すべきだ。ルネサンスは、新プラトン主義を『破壊しようとした』のである。
ルネサンス人・マルシリオ・フィチーノ(1433~1499)が、プロティノスの『エネアデス』を、カトリック圏に初めて紹介した。プロティノス(205~270)こそ、新プラトン主義の創始者である。カトリック神学に換骨奪胎される前の、純粋な新プラトン主義である。
それまでカトリック圏には、プロティノスの『エネアデス』は存在しなかった。最重要の新プラトン主義文献が、存在しなかったのだ。ルネサンスは、1000年の秘密を暴露したのである。支配思想たるカトリック版新プラトン主義は、破壊された。
かのように見える。が、そんな事もない。実は『新プラトン主義Neo platonism』は、巨大な政治思想として、現代も君臨しているのである。ルネサンスは、カトリックに勝てなかった。圧殺されたのだ。(続)
松村享拝
【1450】[1770]私が書いた「余剰の時代」への感想文と、返事。
副島隆彦です。 私が書いて出しました 「余剰の時代」(ベスト新書、KKベストセラーズ社刊、2015年2月)に対して、20通ぐらいの 感想メールをいただいています。 私は、まじめに感想を寄せてくださった、すべての人に返事のメールを書きます。
以下のメールは、おそらく中年の医師からのメールです。それに対しての私の考えを書きました。 ここで、私が、ピケティの「21世紀の資本(論)」からの引用をした箇所は、ものすごく重要な事だ、と私は気付いていますので、皆さんにも、お裾分(すそわ)けします。 何か、ピン とくる人は来てください。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
From: ********
Sent: Friday, March 27, 2015
To: GZE03120@nifty.ne.jp
Subject: 余剰の時代を読んで
副島先生こんにちは。
大阪で開業医をしています。****と申します。副島先生の嫌いな職業かも知れませんが。
先生の今回の本「余剰の時代」を読んで、高校の文化祭を思い出しました。確かたクラスでこ焼き屋を出店したのですが、路上販売の店と変わらないか、それより貧弱な設備にクラスの40人は多すぎました。
たこ焼き作りをやる気の有る奴、売り場で目立ちたがりだけの奴ばっかりで、比較的まじめな私は、仕事を人に譲る形で、暇をもてあましていました。同級生に「なにしてんのー」と聞かれても答えようもなくまさに余剰の人員を味わいました。
世界中で効率だけが重視され、正社員一人あたりの仕事の負担は重く、それなのに人員は限界にまで削減されています。収益効率だけを重視する商品やサーヴィスがあふれ、それでも人が余ってあふれてしまう。
世界の限界というのは、食糧そのほかの資源の枯渇ではなくて、文明の発達 そのものが原因となるのでしょうか。
話は、変わりますが、アジアインフラ投資銀行へ韓国の参加が決まりました。
日本は、うだうだして結局最終的では、6月までに「限定的な参加を表明」などということになって、アメリカに従順になることで決着しそうですね。一体なにをしているのやら。
**** さまへ
2015年3月18日
副島隆彦から
メールをありがとうございます。
私が書きました「余剰の時代」をお読みくださり、感想をお送りくださいましてありがとうございます。
お書きのとおり、 「食糧そのほかの資源の枯渇ではなくて、文明の発達
そのものが (人間の余剰の)原因となる」 ということに、私も驚いています。
これほどまでテクノロジーが発達して、生産力が上がり、有り余るほどの製品が出来て、それですべての人間が 豊かに のんびりと 暮らせるではなくて、それとは反対に、ますます追い詰められて職を失いそうで、青ざめながら、恐ろしく 苦しい 状態に 多くの人間が向かっています。
偉大な経済学者のジョン・メイナード・ケインズが、新たに大きく気付き直して、20世紀初頭からの人間(人類)の、最大の苦しみ となったものが、「有効需要(ゆうこうじゅよう、消費的需要)の不足から起きる、人間の余剰 =失業、職が見つからない、就職できない」という問題でした。
人間、すなわち、あなた、が、余剰なのだ、という巨大な問題に、私たちは直面している。この「余剰の時代」を書いた著者である 私が、今も、自分でこの本に書いたことの ものすごさに驚いている、というのが実情です。
トマス・ピケティ が、大著「21世紀の資本(論)」で書いていましたが、もう地球上の 人口爆発は 終わってしまって、人口増加率は1パーセントと弱で減少に向かっているので、人口問題は大きくは終わった、と 人口学者たちは考えているようなのです。この記述に私、副島隆彦は大いに驚きました。
ピケティ本の 77ページ に次のように書かれています。
「・・・多くの人々(人口学者)は、人口増加は完全に止まってしまったと想定しているようだ。実際にはまだ増加は止まっていない。 その正反対なのだが、でもあらゆる兆候を見ると、人類はその方向に向かっているようだ。
たとえば2012-2014年で、世界経済成長率は、たぶん3パーセント超で、これは新興国の急成長に負うところが大きい。
だが、世界人口(副島隆彦注記。現在72億人で、一年間に7千万人ぐらいずつ増えている)はまだ、1パーセントに近い速度で増えており、従って世界的な一人当たりの産出(副島隆彦注記。アウトプット。出来高、生産高)の成長率は、実は2パーセントをわずかに上回るだけでしかない。 」
このようにピケティは書いています。
ということは、これほどに世界中の先進国の家庭、民衆を苦しめている、高齢者の近親者の介護と、大量の治療できない高齢者の存在と、重度の障害者たちの過剰な生存の問題も、大きくは終わりに向かっているということのようです。
ということは、〇〇さまたち医師や医療関係者が、職業人として苦しんでいるであろう、医療の現場での 治癒しない複雑な難病の病者たちの 問題も、解決はなくても、「過ぎ去って」ゆくでしょう。
私はこの大きな事実を、世界基準の大著(たいちょ)をしっかり読み込むことで、理解しました。
それよりは、若者たちの失業の方が、いよいよ人類の最大の課題としてせり上がって来ている、という ことになります。 私は、この本を私に書かせた編集長が、私に投げた 球の大きさを、あとになって気づいて 今も呆然(ぼうぜん)としています。
それでも著者の欲望としては、今のこの時期に、この本を書いて出しておいてよかった、ということになります。
貴兄は、生来、脳と体力に余力、過剰 がある人でしょうから、 どうぞ 私の他の本もお読みください。そして感想をお送りください。必ずお返事します。
副島隆彦拝
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1449】[1768] AIIB「アジアインフラ投資銀行」の設立をめぐるゴタゴタの真相を載せます。
副島隆彦です。 今日は、2015年3月26日です。
政治と 金融・経済の両方で、世界の流動化(リクイデイション)が続いています。
今は、一件、A I I B (エイ・アイ・アイ・ビー)の ことだけ書いておきます。
AIIBというのは、 中国が主導する「アジアインフラ投資銀行」(アジア・インフラストラクチュア・インベストメント・バンク)のことで、今年の年末には、発足する予定になっている。これに参加する加盟国を、中国は去年から募集というか勧誘していた。
騒ぎは、先々週の3月12日から始まった。英国が、このAIIBに入ると、と12日のFT(フィナンシャル・タイムズ)紙が報じた。 初めは、アメリカがこの英国の加入表明に、不快どころか、怒りを表明して、英国の意思を撤回させるように働きかけたようだ。日本は、みっともないぐらいにアメリカの子分(こぶん)だから、この20日までは、「日本は、西側主要国(G7,先進国ジーセブン)と共に、この中国主導の世界銀行の動きに強く反対する」という態度だった。
それが、20日には、麻生太郎財務大臣が、フニャフニャになって、態度が崩れて、今にも参加しそうだ。 20日までに、以下に並べる新聞記事のとおり、まるで雪崩を打つように続いた、多くの国の参加表明に、日本も追随して参加しなければいけないような、惨めな感じになっている。
このままだと、アメリカだけが孤立しそうな感じになった。今日26日に分かったことは、アメリカのジェイコブ・ルー財務長官が、急遽、北京に飛んで、中国と真剣に話すようだ。
このAIIB「アジアインフラ投資銀行」の重要性は、アジアの新興国や発展途上国が、開発、成長用の資金を欲しがっていて、その強い需要に、今の世界銀行(ワールド・バンク)や、アジア開発銀行が、機能不全に陥っていて、アジア諸国が強く必要としている、長期で安全な資金を供給出来ていない、という切実で、緊要な問題があるからだ。
だから、アジア地域(リージョン)の銀行なのに、なぜ、西側先進国が参加しなければいけないのかと言うと、西側先進国は、カネ余りで、ジャブジャブ状態の供給過剰の資金が、うなるほど余っているのだ。それを、中身のあるしっかりした生産性を持つ資金として、アジア諸国の旺盛な成長発展用の資金として、投資することは、世界の経済の発展にとって、ものすごく重要なことなのだ。 だから、国内で余剰になっている資金の出し手として、先進国が必要なのである。
中国を中心としたこのAIIBの素晴らしい動きは、もしかしたら、世界の覇権(はけん)が、遂に、アメリカから、中国に移りつつあることの重要な地殻変動(ちかくへんどう)、根底からの世界の大変動の 表面化である。
私、副島隆彦は、「中国赤い資本主義は平和な世界を目指す」(2007年刊)、「あと5年で中国が世界を制覇する」(2009年刊)、「それでも中国は巨大な成長を続ける」(2013年刊) などの 合計8冊に中国研究本の著者である。 この私こそは、ここに至る中国の巨大な成長を、この10年間、着実に研究した人間だ。 私が書いてきたとおりの動きになりつつある。
アルル君が、この件については、ここの重たい掲示板に、早くも3月14日には、
[1762]番として 「イギリスが中国を抱き込んだ 」
を書いて報告し分析している。そこに、「 中国主導のアジア投資銀に英参加 G7で初 、日本経済新聞 2015年3月13日 」の記事を載せている。
私は、ここで、これまで、多くの中国叩き本、中国けなし本、中国毛嫌い本、中国への憎しみ本を書いてきた著者たちに、問いかける。「あなた達は、今から、まだ、そのように中国を見下して、中国を悪(あ)しざまに書き続けるつもりか」 と。
総じて「中国崩壊(ほうかい)論」と呼ぶべき、「もうすぐ中国は暴動が全土に起きて、崩壊する」と書いた者たちの愚かさを、彼ら自身の、引きつった表情や、それに追随して、中国嫌いの自分の感情の共鳴、共同をして来た者たちは、今こそ、自分に向かって、正直でなければいけない。
今の中国の政治体制の欠点をあげつらい、今も極貧層を多く抱える中国の現実を、見下げ果てるように書いて来た者たちの自分の内心への恥の自覚となって、今回のAIIB設立の動きは、このあとも大きくなってゆくだろう。
物事(ものごと)を冷静にみつめることが出来ない者は、知識人とか言論人とか学者にはなれない。私は、これから、いよいよ 中国腐(くさ)し本を書いた多くの著者たちとひとりずつ、静かに対論して、説得する仕事をしようと思う。
以下の イギリスの高級紙フィナンシャル・タイムズ(FT)の主幹のマーティン・ウルフが、書いた署名記事が素晴らしい。この AIIB設立の問題 を、余すことなく、ものすごく優秀な筆致で書き尽くしている。さすがにイギリスの超一流のジャーナリストの書名原稿である。 マーティン・ウルフは、日本の安倍晋三のおかしさを、世界基準で痛烈に批判した文を書いて、日本の今の危険な状態を抉(えぐ)り出した記事を去年書いている。
マーティン・ウルフは、「中国主導のAIIBを拒絶する者たちは愚か者だ」と書いている。
続いて載せる米 WSJ(ウオールストリート・ジャーナル)紙の記事も、それなりに優れている。 それ以外の記事は、ここに至る 報道記事を並べた。日本と、アメリカの見苦しさが、証拠となって書き表されている。 オバマ政権(ホワイトハウス)自体は冷静に事態を受け止めていることまでが分かる。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
●「中国主導のインフラ銀行を拒絶する愚」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43312
2015年3月25日 FT(フィナンシャル・タイムズ)紙
By Martin Wolf (主幹、マーティン・ウルフ 筆)
英国は中国版世界銀行の一部になるとも指摘される金融機関の創設メンバーになることを選び、米国を苛立たせた。しかし、だからと言って、英国が 不適切な決断を下したことにはならない。確かにリスクがないわけではないが、これはむしろ賢明な決断だ。
アジアインフラ投資銀行(AIIB)は500億ドルの資本金でスタートし、その後 1000億ドルまで増資が行われる可能性がある。アジア大陸の 発展途上国での道路や鉄道といったインフラ整備に資金を融通するという。
中国が筆頭株主になる予定で、多くのアジア諸国が参加する。アジア以外の国々も参加できるが、その出資割合は25%に制限される。欧州では英国 のほかにドイツやイタリアなどが参加申請することを決めた。オーストラリア、日本、韓国はまだ決めかねている。
AIIBは貴重な貸し手になる可能性を秘めている。アジアの発展途上国は、このようなインフラ投資を切に必要としている。リスクがあって期間も 長いプロジェクトとなれば、そこに投じられる民間の資金は存在しないか金利が高いかのどちらかである場合が多い。
また、世界銀行とアジア開発銀行の資源は、途上国のそうしたニーズに比べればかなり不足している。
AIIBの創設は朗報
従って、中国が3兆8000億ドルに上る外貨準備高のごく一部をAIIBに投じたいと思っていることは良いニュースだ。しかもその投資を、中国 がどれほど強い発言力を持つとしても、多くの参加国の1つになる多国間機関で行いたいと言っていることは、なお良いニュースである。
AIIBはグローバルな運営スタッフを抱えることになり、その結果、中国が資金を全額拠出する場合よりも政治色の薄い金融機関になるだろう。
こうした理由から、AIIBには米国も参加すべきだ。ホワイトハウスはこれに対し、参加したいのはやまやまだが、現在の連邦議会から承認を得ら れる見込みはないという答えを返してくるかもしれない。確かに、そうかもしれない。しかし、それは、他国の参加に反対する根拠にはならない。
それでも、不可解なものだとはいえ、米国には主張がある。西側諸国は外側にいることでもっと大きな影響力を行使できるという。米国のある政府高官 は、「中国が拒否権を保有しないことに確信が持てない段階で参加する」よりは外側にいた方がいいと述べている。
しかし、外部の資金を必要としない金融機関に外部の者が影響力を及ぼすことはない。影響力を行使したいなら、内側に入り込むしかない。確かに、 参加の条件に欧州勢が事前に同意していればもっと良かっただろうが、今さらそれを言っても始まらない。
米国のジャック・ルー財務長官は、AIIBは組織の統治や融資に関する「最も厳しい国際標準」に従わないのではないかという米国の懸念を表明し ている。
かつて世界銀行のスタッフだった筆者としては、苦笑せざるを得ない。世銀が関与したぞっとする事例は少なくないが、例えばザイールのモブツ・セ セ・セコへの資金提供で世銀がどんな役割を果たしたか、一度調べてみることをルー長官にはお勧めしたい。
確かに、中国の主導する銀行が清廉潔白な金融機関であればそれに越したことはない。しかし、この世界はもう汚れてしまっている。少なくとも、多くの国々が参加する方が、そうでない場合よりもましだ。
米国は、既存の機関との競争が始まることに確かな根拠を掲げて反対することもできない。確かに、貸し付け基準の切り下げ競争になるリスクはあ る。しかし、面倒な上に不必要な手続きが一掃される可能性もある。
米国の真の懸念に対する4つの答え
世界経済に対する米国の影響力を弱める機関を中国が立ち上げるのではないかという懸念が、米国の本音だ。以下では、この懸念に4つの答えを提示しよう。
第1に、米国、欧州諸国、そして日本は、グローバルな金融機関に対する一定の影響力を大事にしているが、その影響力と、世界におけるこれらの 国々の地位とのギャップは次第に大きくなってきている。
さらに、これらの国は国際機関の運営において、やるべきことをきちんとやってこなかった。特に、リーダーを指名する権利にこだわってきたが、そうしたリーダーが常に素晴らしい実績を上げてきたとはとても言えない。
第2に、国際通貨基金(IMF)で一部の国々が過大な影響力を持っている状態を緩和するために出資割当の仕組みを改革することについて、20カ 国・地域(G20)が合意してから5年になる。世界はまだ、米国連邦議会がこの改革を批准するのを待っている。これは責任の放棄である。
第3に、途上国に長期資金が大量に流入すれば、世界経済は恩恵を享受するだろう。また、資本流入の「急停止」に見舞われた国々にIMFよりも大 きな保険を提供する機関ができることも、世界経済の利益になるだろう。
世界の外貨準備高は、21世紀に入った時には約2兆ドルだったが、今日では12兆ドル近くに達している。これに対し、IMFが利用できる資源は 1兆ドルに満たない。規模が小さすぎることは明らかだ。
中国の資金は、世界を正しい方向に向かわせる可能性を秘めている。実際にそうなれば、これは素晴らしいことだ。
最後に、米国は台頭する超大国たる中国への「絶え間ない配慮」について英国を批判している。だが、配慮に代わるものは対立だ。中国の経済発展は 有益であり、不可避だ。そのため、必要なのは賢明な配慮だ。
中国が中国自身と世界にとって理にかなうことを提案する場合、傍からケチをつけるよりも関与する方が賢明だ。昔の米国の政策立案者はある時、中国に「責任あるステークホルダー(利害関係者)」になるよう求めた。中国はAIIBの創設で、まさにそれをやっている。
英国の決断の効用
だから、英国と他の欧州同盟国のアプローチは称賛されるべきだ。さらに言えば、AIIBに参加するという英国の決断は、米国にとって有益な ショックになる可能性さえある。確かに、英国と米国など、似たような利益と価値観を持つ国々が一体となって発言、行動できたら望ましい。
また、確かに、英国は最も重要な国際的パートナーのそれと異なる方針を採用することでリスクを取っている。だが、支持というものは奴隷的になっ てはならない。それが誰の利益にもならないことは分かっている。
さらに、もし英国の選択が米国の政策立案者に、リーダーシップは権利ではなく、獲得しなければならないものだということを明確に示したとすれ ば、その決断が有益な結果をもたらす可能性が十分ある。第2次世界大戦後の数年間、ふと冷静さを取り戻した時に、米国は現代世界の制度機構を築い た。だが、世界は先へ進んだ。
世界は新しい機関を必要としている。新たな大国の台頭に適応しなければならない。ただ単に、米国がもう関与できないからと言って、世界は止まらない。
もし米国がその結果を気に入らないのだとすれば、米国は自分を責めるしかない。
●「中国、アジア投資銀に欧州国誘致のため「拒否権」辞退」
2015年3月24日 WSJ(ウオールストリート・ジャーナル)
http://jp.wsj.com/news/articles/SB12371367657780613424004580536951261196816
米国の懸念をよそに主要欧州諸国が中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加表明をした裏に、中国が同銀での諸決定で「拒否権」を 行使しないと申し出ていたことが明らかになった。
AIIB設立に関与する関係筋が明らかにしたもので、拒否権辞退の申し出は、米国との堅い盟友関係にある数カ国に対し過去2、3週間になされた という。
関係者らによると、この中国側の打診は、英国、フランス、ドイツ、イタリアが米国と袂(たもと)を分かち、AIIBの設立参加国に名を連ねる上 で重要な役割を果たした。
中国の提案は、新銀行での政策や運営ではいかなる国も単独での決定はしないという内容だ。これは国際通貨基金(IMF)の意志決定手続きでの古 くからの慣行から大きく離れている。米国のIMFでの議決権シェアは20%に満たないものの、一部の重大な決定事項については事実上の拒否権が行 使できる仕組みとなっており、他のIMF加盟国が長い間不満を募らせていた。
主要欧州国の新銀行への参加は、国際政治の舞台ではまれな中国の勝利、と同国内外の関係者は位置付けている。中国政府のこの周到な計画により、 AIIBは第2次世界大戦後の国際経済システムにおける米国支配に本格的に挑戦する存在にしつつあるという。
IMFでかつて中国担当高官を務め、現在は米コーネル大学教授のエスワー・プラサド氏は「中国はうまく時間をかけて事を運んでいる」とし、 「まったく急いでいない。諸外国がいずれついてくることがわかっているからだ」と述べた。
中国の拒否権辞退の約束による影響について、米財務省高官らはコメントを控えた。
中国はこのほか、AIIBの透明性やガバナンスに関する米国などからの懸念についても対処しようとしている。
中国政府から新銀行の暫定総責任者に任命されている金立群・氏は、ワシントン在住の世界銀行退職者を集め、AIIBのガバナンス問題についての 助言と、同銀に対する西側諸国の信頼構築の方策を求めている。その一人が、世銀の法律スタッフを務めた経験を持つナタリー・リヒテンシュタイン氏 だ。リヒテンシュタイン氏は新銀行での自身の役割に関するコメントを控えた。
新銀行の運営や役員の構成についてはまだ交渉段階だ。この議論に参加している関係者らは、同銀の主要な意思決定について中国政府は拒否権こそ持たないにしても主導権は握るだろうとみている。その場合、AIIBが最終的には中国の外交政策手段となるとの米国やインドなどの懸念をあおる可能 性が高い。
金氏は先週末、今月末までに新銀行の設立加盟国数が35を超えることになると語った。設立準備に関与する中国人政府担当者らによると、アジア・ 太平洋地域での米国の主要盟友国である韓国とオーストラリアも月末までに設立メンバーに加わる予定という。
中国と西側諸国政府の担当者によると、新銀行の資本は当初発表された中国出資分500億ドル(約6兆円)から、目標の1000億ドルに増える見通しだ。
● 「 日米、アジアの開発金融 中国主導に警戒感 英が参加、先進国の追随焦点」
2015/3/14 日本経済新聞
中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に英国が参加を表明したことを受け、日米両国は他の先進国が追随することに警戒感を強めている。日米主導のアジア開発銀行(ADB)は融資枠を拡大させてインフラ支援を強化するが、AIIBに参加する先進国がさらに増えれば、アジアの開発金融の主導権が移る端緒になる可能性もある。(1面参照)
「とんでもない」。日本の財務省幹部は13日、英国によるAIIBへの参加表明を受け、思わず声を荒らげた。主要7カ国(G7)でAIIBに参加するのは英国が初めてになる。
英財務省は声明で「組織運営の透明性向上に役割を発揮する」と表明した。日米はAIIBへの参加に慎重な姿勢を示す最大の理由として不透明な意思決定などを挙げていただけに、英国の声明に、はしごを外された格好だ。
英国からは事前に参加方針が伝えられたが、日米は翻意させることができなかった。資源やモノの貿易で中国への依存度が増す各国は日米の慰留を素通りする。
「案件審査で環境への影響を考慮できるのか」。麻生太郎財務相は昨年9月、インドのモディ首相との会談でAIIBが国際基準に沿った審査体制が不十分な点を指摘し、参加を思いとどまるように訴えた。ところがわずか2カ月後、インドはAIIB創設の覚書に署名した。財務相会談を通じて参加を思いとどまらせようとしてきたオーストラリアも「止めるのは難しい」と、日本の財務省幹部は警戒感を隠さない。カナダや韓国も参加を検討する。
AIIBの創設は日米が招いた結果でもある。中国はADBの出資比率を上げるように訴えてきたが、影響力の維持を狙う最大出資国の日米は増資に反対を貫いてきた。2017年から実施する自己資本の改革でも、増資は棚上げした。ADB総裁は1966年の創設以降、9代続けて日本の財務省と日銀の出身者。不満を募らせた中国は独自の銀行創設に動いた。
英国のような先進国が参加すれば、AIIBが発行する債券は高格付けを得やすくなり、資金調達コストを抑えられる。これまで日本の財務省幹部は「AIIBは新興国が中心で資金調達コストが高く、採算が合う案件は限られる」として、最上位の格付けを持つADBの優位性は揺るがないとみていた。
「AIIBがなぜ問題なのかは改めて言うまでもない」。麻生氏は13日の閣議後の記者会見で、参加に慎重な姿勢を改めて示した。
だが主要国がAIIBへの参加を検討する事態を目の当たりにすると、日米がアジアの開発金融の主導権を保つことが一段と難しくなっているように映る。
●「習氏、キッシンジャー氏と会談 9月訪米、関係発展に期待」
2015年3月17日 共同通信
http://www.sankei.com/world/news/150317/wor1503170059-n1.html
中国の習近平国家主席は17日、北京の人民大会堂でキッシンジャー元米国務長官と会談した。習氏は9月の訪米を念頭に、米中が「相互理解 を深め、意見の異なる問題は建設的にコントロールしなければならない」と述べ、米中関係の発展に期待を示した。新華社電が伝えた。
1970年代の米中国交正常化交渉に尽力したキッシンジャー氏は「米中関係は全世界の平和に関わる重要な2国間関係だ」と応じた。
●「仏、独、伊も参加へ=中国主導のアジア投資銀」
2015年3月17日 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150317-00000052-jij-eurp
17日付の英紙フィナンシャル・タイムズは、中国主導で年内発足を目指すアジアインフラ投資銀行(AIIB)に、フランス、ドイツ、イタリアも 参加すると報じた。英国に続き、欧州主要国が加盟で合意したことは、投資銀に距離を置くよう働き掛けてきたオバマ米政権の「打撃」になると分析し ている。
同紙によると、オーストラリアと韓国もこれまでの姿勢を改め、参加を検討しているという。アジアインフラ投資銀をめぐっては、英国が12日、日米欧の先進7カ国(G7)
で初めて参加を表明。中国が主導する国際機関を警戒する米国は、 英国に不快感を示した。
●「 中国主導のアジアインフラ投資銀行 に 仏独伊 も参加 」
2015年03/18 テレビ朝日
フランスとドイツ、イタリアの3カ国は、中国が提唱するAIIB(アジアインフラ投資銀行)に加盟する方針を発表しました。
フランスとドイツ、イタリアは17日に電話協議を行い、AIIBに参加することで合意しました。AIIBにはイギリスがすでに参加を表明していて、G7(主要7カ国)のうち、日本とアメリカ、カナダを除いた4カ国が加盟することになります。AIIBは中国が設立を提唱し、発展途上国のインフラ整備の支援などを目的としています。年内にも設立が予定されいて、中国は創設メンバーへの参加期限を今月末までとしています。一方、アメリカのルー財務長官は、AIIBが労働条件などの基準を守るか懸念を示し、「参加する国はまずこうした問題を提起すべきだ」と釘を刺しました。
●「スイスも参加申請=アジア投資銀-欧州6カ国目」
2015年3月20日 時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=201503200097
スイス政府は20日、中国主導で年内の発足を目指すアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加を申請したと発表した。これにより参加表明国は 33カ国、欧州では6カ国となった。創設メンバーとなるための申請期限を月末に控え、他の欧州主要国に追随した。
●「アジア投資銀、豪も参加へ=最大2800億円出資-地元メディア」
2015年3月20日 時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2015032000392
オーストラリア政府は、重要案件を協議する国家安全保障会議(NSC)を開き、中国主導で発足を目指すアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加を決めた。豪メディアが20日、報じた。
23日の閣議で承認後、中国側に参加の意向を伝える方針。最大30億豪ドル(約2800億円)の出資を検討しているという。
中国は豪州にとって最大の貿易相手国。実利を優先し、豪政府は当初からAIIB参加に関心を寄せてきた。同盟国・米国から参加見送りを求められているが、英国など先進各国が参加を表明したのを見て、追随する方針を固めたもようだ。
●「官房長官、中国主導のインフラ銀巡る麻生氏発言「従来の政府見解と同じ」 」
2015年3月20日 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL20HKQ_Q5A320C1000000/?n_cid=TPRN0006
菅義偉官房長官は20日午前の記者会見で、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)への日本政府の関与について「参加については慎重な立場」と従来の政府見解を繰り返し強調した。
AIIBへの日本政府の参加を巡り、麻 生太郎副総理・財務相は同日午前の閣議後の記者会見で、 AIIBについて 「誰が融資を決定するかなどは極めて重要だ」との認識を示した上で、「こうい うところが確保されれば、少なくともこの中に入って (参加に向けて)協議になる可能性はある」と発言。融資審査の透明性が確保されれば、AIIBへの参 加の可能性を示唆した。
この発言を巡り、菅氏はAIIBに関して「公正なガバナンスが確立できるのか。さらに債務の持続可能性を無視した貸し付けを行うことによって他 の債権者にも損害を与えることになるのではないか」との懸念をあらためて指摘。「麻生氏も同じ立場で、これらの問題が解消されない限りにおいては (日本政府が)参加することはあり得ないという趣旨で発言されたのではないか」との見方 を示した。
日本政府の立場と麻生氏の考え方に違いはないのかとの記者団の質問に対し
て、菅氏は「全く一緒だ」と答えた。
●「各国で相次ぐアジアインフラ投資銀参加、麻生財務相も含み」
2015年3月20日 ロイター
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0MG0GP20150320
麻生太郎財務相は20日、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)について、「(参加にむけ)協議になる可能性はある」と述べた。運営 の透明性や返済能力を無視した融資を行わないなどの条件付きだが、英国やドイツなど先進7カ国(G7)からも参加が相次ぎ、態度を軟化させた格好 といえそうだ。
麻生財務相は、同日午前の閣議後会見で、AIIBへの参加に関し、「外交・経済の意味から慎重に判断したい」としながらも、以前から日本が求めて いた運営の透明性や、返済能力を考慮した融資姿勢を担保できるなら「この中にはいって、どういうことになるか協議になる可能性はある」と言及。
日本は米国とともに慎重な立場をとってきたが、各国で参加が相次ぐなかで柔軟に対応する用意があることを示唆した。
一方、菅義偉官房長官は同日の会見で「公正なガバナンスの確立ができれば、さらに債務の持続可能性を無視した貸し付けを行うことで、他の債権者に 損害を与えることになるとの観点から慎重な検討が必要。参加については慎重な立場」と強調した。
その上で菅官房長官は「麻生財務相も同じ立場で、これらの問題が解消されない限り、参加することはありえないとの趣旨で発言されたのではないか」 と語った。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1448】[1767]時計から見るイスラーム思想史④神学・数学・科学(近代学問)をすべて抱えこむ『新プラトン主義Neo platonism』
○神学・数学・科学(近代学問)をすべて抱えこむ『新プラトン主義Neo platonism』
松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/03/25です。
『時計から見るイスラーム思想史』と題して投稿しています。今回は4回目の投稿です。
前回は、神学の中に数学をとりいれた人物、アル・フワーリズミーについて記述しました。続きを投稿します。
ーーーーー
数学は、神学の一部となった。数字と信仰が融合した。
数字と信仰の融合こそ、この時代の発展の原動力であり『ムータジラ派』によって推進された。
ムータジラ派は抽象思考能力の優位を強調する。つまり『はじめにロゴスあり』を旨とするエリート集団である。バグダード学問研究所の主催者であるカリフ・マームーン自身がイスラーム・ムータジラ派であった。
ムータジラ派は、数百年後にヨーロッパにも飛び火し、いわゆる『スコラ学派』という、異端の、ガチガチの論理思考を旨とする神学者集団を生み出すに至る。スコラは『school 学校』と同じ語源だ。
ムータジラ派においては一体状態の神学と科学(近代学問)は、やがて僻地ヨーロッパにおいて、分断されるが、その対立の最初にして最大の爆発が、スコラ学派で繰り広げられた『普遍論争Problem of universals』である。
普遍論争とは『神学と科学は別物か?否か?』という論争である。
それで一応、別物ではない、という事になった。カトリック神学者のトマス・アクイナス(1225頃~1274)がそう決めた。ローマ・カトリックは、科学(近代学問)=世俗secularに自立されると、存在基盤がおびやかされる。『原罪original sin』などと脅迫して、税金搾取にいそしむのが、カトリックの歴史だ。
だが1498年、ヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰(アフリカ大陸最南端)ルート制圧が、ヨーロッパ=キリスト教圏の世界ネットワーク覇権をもたらした。
ネットワーク覇権は、トマスの、ひいては体制派であるカトリックの、田舎染みた屁理屈など吹き飛ばし、発展の道具である科学(近代学問)の優位を確定させた。神学と科学の分離は、頑迷なカトリックに対するヨーロッパ人の怨念、激怒である。
だから、神学と科学(近代学問)の分離は、カトリックありきである。そしてイスラームにおいては、神学と科学の分離は必要とされなかった。なぜならばイスラームは、科学(近代学問)=世俗secularを、否定しないからだ。
平凡社の西洋思想大辞典(イスラームの知的概念 p93)によると、ヨーロッパとは対照的に、アリストテレス(科学)とプラトン(神学)が、完全に区別されていないのが、イスラーム神学の特徴である。
つまり、イスラームにおいては、神学と科学(近代学問)が、渾然一体となっていた。この渾然一体は『新プラトン主義Neo platonism』によって成し遂げられたのである。
『新プラトン主義Neo platonism』など、我々は何の馴染みもないうえに、ムダに難解そうな名称である。だから、皆さんが触れようとしない気持ちもわかる。
だが『新プラトン主義Neo platonism』こそが、人類史の主舞台、ユーラシアの政治思想を理解するうえで、最大級に重要である。だから、できるだけわかりやすく説明する。
『新プラトン主義Neo platonism』とは、虹のグラデーションの事である。赤~黄~緑~青と移り変わる虹の色彩だ。たとえば赤がGodの世界で、黄が精神の世界だ、とかそういう把握をする。非常にロマンティックな世界解釈である。
これらはグラデーションなので、不可避につながる色彩である。Godの階層から人間界までが、それぞれの段階を経てつながっている。このつながりは『流出論emanationism』と呼ばれる。
『中世思想史 』(クラウス・リーゼンフーバー著 平凡社 2003年)のp249には、
『(イスラームにおいては)新プラトン主義的な知性論のうちに、
アリストテレス的な『能動知性』の理論が組み込まれたが、
それは、たいていは人間の住まう月下界を照らし構成する
最も低次の知性体と考えられている』とある。
つまり、我々のよく知る、この現実の世界のことを扱う、という事だ。『神学』だとかいって深遠なことをいうけれど、ちゃんと人間の現実も扱います、という事だ。これは、そのまま『流出論emanationism』の帰結でもある。
以下の引用文は、近代学問の宣言そのものだ。イスラームにおいては、神学と科学(近代学問)が、分離していない。
引用はじめーーーーー『失われた歴史 イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった』p238 マイケル・ハミルトン・モーガン著 平凡社 2010年
ジャービル(※引用者より。生まれ722年頃。イスラーム・アッバース朝の宮廷化学者)はこういったとされるー
化学における第一要点は、汝ら実践的作業をなし、
実験を導くことなり。
実験を実施せぬものは、
熟達の最小段階にも到達しうるとは思われず。
しかして汝ら、おお、わが息子たるものよ、
実験せよ、さすれば知の獲得にいたらん。
科学者たるものの喜びは、
材料の豊富にあらずして、
その実験方法の優秀にのみあるなり。
ーーーーー引用終わり
松村享です。
つまり『科学の本質は研究方法にある』といっている。これは、社会科学者・小室直樹氏の言葉と同様である。その研究方法とは、仮説をたてて、事実によって証明することである。実践作業のことである。
実践作業とは『自分で確認するまで納得しない』という事だ。ここでは『God』ではなく『人間』が、主人公である。
『新プラトン主義Neo platonism』が、神学(Godが主役)と科学(人間が主役)の統一を果たしたのである。
現代イスラーム諸国は、このことをもっと誇っていい。何故ならば、ヨーロッパ=キリスト教圏における『新プラトン主義Neo platonism』は、最悪の支配思想でしかありえなかったからだ。(続)
松村享拝
【1447】[1766]ボッティチェリとロレンツォ・ディ・メディチをテーマにした展覧会をやっています
副島先生の『隠されたヨーロッパの血の歴史:ミケランジェロとメディチ家の裏側』(KKベストセラーズ刊)にも登場してきた、画家ボッティチェルリ(ボッティチェリ)の作品を一同に集めた展覧会が渋谷の東急文化村のミュージアムで開催されています。
この展覧会のプレス向けの内覧会に行くことが出来ました。この展覧会は知り合いの出版関係者から「まるで副島隆彦のミケランジェロとメディチ家の歴史そのままのテーマの美術展をやる」ということを教えてもらったものです。ただ、企画自体は前にイタリアで企画された「Money and Beuty. Botticelli and the Renaussance in Florence」(2011)を元に一部を日本向けに企画されたものだということですが、副島本で紹介されている、フィレンツェの「両替商と妻」の絵画(の同時代のフランドル作家による模写)やメディチ家に代わってフィレンツェを支配した修道士サヴォナローラの処刑の絵画も展示されていました。
パンフレットから(「両替商と妻」のレイメルスヴァーレという画家による模写)
この展覧会では交易を元に発展したフィレンツェのメディチ家を始めとする金融業者の栄華を象徴する、フィオリーノ金貨という金貨の展示や、当時富裕層の家に飾ることがブームになっていた「聖母子像」を工房で大量に描いていた(だから絵画だけではなく額が立派、写真参照)ボッティチェリの軌跡や、ロレンツォ・ディ・メディチと親友関係にあったボッティチェリの生涯と、そしてメディチ家批判を行ってフィレンツェに神権政治を敷いた、ジローラモ・サヴォナローラの登場など、『隠されたヨーロッパの血の歴史』を読んでいると、ああなるほどと非常にわかりやすい展示になっていました。この展示会は13世紀から16世紀の欧州金融史をヨーロッパの学芸員が理解している形で的確に描いていた、世界水準の理解で描いています。メディチ家のロレンツォが絵の中に描かれている作品もいくつかありました。
豪勢な額に入れて飾られた様々な「聖母子像」の絵
この展示会を見ると、当時のフィレンツェのパトロンであるメディチ家による栄華とともにボッティチェリを始めとするルネサンス芸術家が活動できたのだ、とか、大富豪の家に飾る「聖母子像」の絵画を生産する「工房」でボッティチェリが芸を磨いていったのだということが『隠されたヨーロッパの血の歴史』には更によく分かる形になっています。
開催内容は、詳しくはこちらで確認してください。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_botticelli/exhibition.html
【1446】[1765]時計から見るイスラーム思想史③『神学の下女・数学』を創始したと観察される人物
松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/03/20です。
『時計から見るイスラーム思想史』と題して、投稿させていただいております。前回は、キリスト教ヨハネ福音書の『はじめにロゴスあり』まで書きました。『はじめにロゴスあり』が、重要な思想伝統であり、これをイスラームが引き継いでゆく、というところから、今回3回目の投稿です。
○『神学の下女・数学』を創始したと観察される人物
数学は、イスラームにおいて発達した。イスラーム帝国・アッバース朝の第7代カリフ・マームーン(治世813~833)の時代から高められてゆく。
マームーンが、世界の中心たるバグダードに『叡智の館』を開設した。叡智の館は、ギリシャ学問の研究所である。
そして、この叡智の集合が、アラビア語を世界言語にまで押し上げることとなる。人類の最先端の知識を得たいならば、アラビア語を習得しなければならなかった。アラビア語が、現代で言うところの英語の立場だったのだ。
この叡智の館出身で、アル・フワーリズミー(780?~845?)という人物がいる。数学界で、数百年に渡り影響を及ぼし続けた人物だといわれている。『アルゴリズム』の語源になった人物でもある。
『失われた歴史 イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった』(マイケル・ハミルトン・モーガン著 平凡社 2010年)によると 、フワーリズミーは、数学を物質的なものから引き離し、純粋に抽象的なものへと移行させた。代数における業績が、彼の最大の業績として認識されているらしい。
引用はじめーーーーー『失われた歴史 イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった』p141~p142(マイケル・ハミルトン・モーガン著 平凡社 2010年)
後年彼は代数学の業績でもっともよく記憶されるようになるが、
代数(アルジェブラ)という語そのものが、
彼の『アル=ジャーブル・ワ・アル=ムクワバラ』
つまり『完備と均斉による計算法の概要書』と訳されている著書の題名からとられた概念に由来する。
※中略
アル=ジャーブルとは、方程式の他辺に減算した量を移す過程に対応する『回復する』を意味し、
アル=ムクワバラとは、方程式の両辺から同等の量を減ずるのに対応する『比較する』を意味する。
そして、ゼロや進んだ数体系の基礎ではなく、
これらの方法が彼の名に結び付けられているのはなぜか?
それは代数が、物質的なものから数学の源泉を切り離し、
純粋に抽象的なものへと移行させる最初にしてもっとも偉大な一歩だからである。
ーーーーー引用終わり
松村享です。
フワーリズミーは数学を物質から引き離し、抽象へと移行させた。
物質的なものとは、たとえば測量だ。幾何学は、土地という、目の前にある具体的な現実を測量するために発達した。
一方、抽象的なものとは、もともと地球にはなかったものを、人間の思考にしたがって作り出す、という事だ。
たとえば、携帯電話は、もともと地球には存在しない。時計もまた、存在しない。抽象的な数学がなければ、成り立たない。
時計で考えてみよう。陽のあたる目の前の現実(不定時法)ではなく、地球が一回転するあいだ(定時法)という、目に見えない事象を基準にするから『抽象的なもの』となる。
『科学の要諦は、常識、感覚では説明できない新事実を提示する点にある』とは、故・小室直樹氏の言葉である。
発展には、抽象性が必要なのだ。そして、この発展の土台を用意したのが、フワーリズミーである。フワーリズミーの中に、人類史の重要な鍵が隠されている。
数学を物質から抽象へと移行した、ということは、フワーリズミーこそ、数学を『実学』から『神学』に転化した張本人、という事ではないのか。
『新版 決然たる政治学への道』(副島隆彦著 PHP研究所 2010年)に、神学・学問の分類表が掲載されてある。その中に『数学は神学の下女である』と、きっちり整理されてある。
どういう事かというと、科学(近代学問)は、仮説を立てて、事実によって証明することが必須である。
一方、神学は、事実による証明は必要ない。仮説でおわり、だ。
『ほら、これがGodです』などとは、誰もいえない。同様に『ほら、これが1です』などと誰もいえない。『1』は、人間がつくった概念、言語であり、自然界のどこにも存在しない。数字は、事実ではない。現象ではない。仮象である。だから『数学は神学の下女』なのだ。
フワーリズミーは、インドからもたらされた『ゼロ』に衝撃を受け、以後、ゼロを起点に思考をめぐらす。そして『ゼロ』こそ、信仰で受け入れるべき概念だと言う。
引用はじめーーーーー『失われた歴史 イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった』p139 マイケル・ハミルトン・モーガン著 平凡社 2010年
アル=フワーリズミーの思考とヒンドゥー体系のなかでは、
すべてがこの無の微小点(※引用者より。『ゼロ』のこと)のまわりを回転している。
輝かしいプラフマグプタ(※引用者より。インドの数学者)は、ゼロを発見し、
書かれた方程式におけるその空無と神秘を表現しようと試みた。
彼はゼロを除法(※引用者より。割り算のこと)で使おうと意図した唯一の数学者であった。
彼はゼロのあるべき究極の真理について書いた。
すなわち、ゼロで割ったゼロはゼロである、と。
この計算は不可能であり、彼は誤っていたが、
新しい仕方で考える彼の意欲は無限に先見的であり、
天才の火花を順次ムスリムたちに浴びせ、
思想のかがり火に点火した。
その二百年後、バグダッドの屋根の上でアル=フワーリズミーは一人で笑う。
ゼロをゼロで割る方程式は不条理であり、何も証明しない。
※中略
ゼロは純粋な信仰で受け入れなくてはならない、と彼は悟る。
ゼロは証明できない。
そして彼が、庇護者アル=マムーンと分かちあおうと考えている
恐るべき皮肉とは、
神が量化されるものではなく
啓示されるものであるのと同じく、
合理主義者の数学の究極の価値は、
純粋な啓示に他ならないと見ることである。
ーーーーー引用終わり
ここに、数字と信仰の融合がある。数学はフワーリズミー以後、神学の一部となったのだ。(続)
松村享拝
【1445】[1764]3月29日に第二回交流会をします
アルルの男・ヒロシです。
3月の「交流会」のお知らせです。
前回は2月14日(土)にやりました。会員の皆さんとそれ以外の読書人の皆さんの間での情報交換会を兼ねた交流会を開催したいと思います。
今回は、「政治映画を見る会」という趣向でやります。3月29日(日)の18時集合で3時間やります。今回は、ハリウッド政治映画を見てその感想を述べるという会です。その後、各自割り勘で食事をするかもしれません。
流す予定の映画のタイトルをここで書いてしまうと色々と問題があるかもしれませんで書きませんが、映画を見ながらお喋りをするイベントです。映画はエネルギー問題についての映画ということだけ書いておきます。ドキュメンタリーではありません。
このイベントは、去年に開催した「ケンカ道場」とは別に(それもできるだけやりますが)もっと気楽に肩の力を抜いた形で参加できるものにしようと思います。つまり、この会に限っては、「学問道場・SNSI」の会員ではない人も参加できます。
お申し込みは以下の申し込みフォームに必要事項を書いてください。先着10人で締め切りです。締め切りの後申し込みいただくと、その旨、こちらでご連絡しますが、その旨を書く前に思い仕込みいただいた方には個別に「受付終了のメール」を送ります。会場費とプロジェクター使用料金など開催にかかった実費は頂戴します。(費用が確定しないのですが、一人あたり最大で1500円程度です)
※3月20日に募集は終了しました
土日に詳しい案内を送ります。お待ちください。
【1444】[1763]私の最新刊の 『余剰の時代』 への 書評文(ブックレビュー)を載せます。
副島隆彦です。 今日は、2015年3月16日です。
私は、今は、恒例の金融・経済本を書くことで手一杯です。弟子たちの論文を見てあげることも出来ないような苦しい状況です。 皆、人間は、自分のことばっかりで精一杯(せいいっぱい)です。 欲 の深い人間たちも、自分の事ばっかりでそれで、終わってゆく。他人のことなど構っていられない。情けないことだ。
5月31日(日)に、私たち学問道場の定例会(自力での会員向け講演会)を開きます。 私が、思いっきり容赦なく、気になっているすべての問題を、全力で喚(わめ)き立てるようにしゃべります。 詳細は、決まりましたら発表しますから、待っていてください。
日本株(東証平均株価)が、今日は、19300円台にまで上がっている。
もうすぐ2万円だ。この計画的な株のつり上げには、日本国民の最後の虎の子である、厚生年金、共済年金がごっそり使われている。それから今年の分として新たに3兆円の郵貯・かんぽの資金を、突っ込む。
日本国民の大切な、本当に生き残るための最後の資金を、こうやって、株というバクチ市場につぎ込んで、ひたすら一方方向で、「株を上げろ、上げろ、買い上げろ」 と、バカ丸出しで政府自らがやっている。狂気の沙汰だ。
博奕(ばくち)打ち というものは、どんな種類でも、双方向性(そうほうこうせい)でなければ成り立たない。 バクチ(ギャンブル)は売りと買いの 両方 でやるのだ。 それを、極悪人の安倍晋三たちは、この双方向性の 市場の原理を無視して、買い一点張りの単線鉄道だ。 行き着いた果ては、崖から落ちるしか無い。
「日本株を買い上げろ。買え、買え、全力で買え」とやっている。一体、そのあとどうするのだ。
「買って、買い上げて、それで、儲かるんだー」で、盲目(もうもく、めくら)になって暴走している。
それが、どれぐらい恐ろしいとか、こいつらは、もう脳が麻痺(まひ)しているから分からない。 そのうち回疲れて暴落がやって来たら、日本国民の 年金(4千万人の厚生年金と 他の共済年金2千万人)と、郵貯・かんぽが、本当に吹き飛ぶのだ。支給額が半分になるでは済まない。
最後は、自分たち権力者が敗れることになる。 どうして、こんなバカなことを続けられるのだ。 大きくはアメリカに脳をやられて、元々がスパイたち及び暴力団だから、自分たち自身が 騙(だま)されている、という自覚がない。「 俺たちは、日本の権力者だ。国民を 煮て食おうが、焼いて食おうが、オレたちの勝手だ」 という 考えで動いている。 歯止めになるものは、もう無い。
自分たちのことを、国家指導者であり、知能と人材を結集した権力者であると思い上がっている、この “大きな坊や” たちが日本を破滅に向かわせている。
「 5頭のクジラ( GPIF を始めとする共済年金基金)が、池の中でばたばたと 株式を呑み込んで、買い上げている」と NHK やテレビ朝日(報道ステーション)までが、放送したようだ。
まだあと27兆円「株式買い上げ用」の年金資金があるそうだから、その玉(ぎょく、弾、たま)が尽きた時が、日本の終わりだ。 「汝(なんじ)の時(とき)は数(かぞ)えられたり」 である。 そのとき、日本の国家経営、国家財政 は死期を迎える。 もうこれ以上の資金はない。アメリカに吸い上げられ尽くした。 私が、5年前に、 『日米、地獄へ道づれ経済』という本を書いたときの構図だ。 私だけは、じっと今の事態の背後の真実を目撃し続ける。
私は、先週、『余剰(よじょう)の時代』(ベスト新書)という本を出した。 その宣伝は、今、今日のぼやき の方でやっていますから、そちらをお読みください。「最後に余っている(余剰である)のは、人間だ。つまりあなただ」 と書いてある。
以下に載せるのは、さっき教えられて、目についた、この拙本『余剰の時代』へのネットにあった書評文(ブックレビュー)である。
この書評文を下に載せます。著者である私の書き加え(加筆)をして、割り込みの形で書き加えます。
私は、この世のことがらに、もっと達観していたい、のだが、ひとりの職人(しょくにん、アーチザン、クラフトマン)として目の前の自分の本書きの職業にのめり込むから、どうしても追い詰められる。
脱俗(だつぞく)と解脱(げだつ)なんか出来るものではない。 人だましの専門の職業だから、悟り済まして立派そうにしている坊主(僧侶)たちも、私が、『 隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか? 』(2012年8月刊、PHP研究所刊) で書いたとおりである。
私にとって、この「そもそも仏教とは何ものか? 」という本と、あと一冊、『 隠されたヨーロッパの血の歴史 ミケランジェロとメディチ家と真実』( KKベストセラーズ 2012年11月刊 ) は大事な本だ。 人類(人間)とは一体、何をして来た生き物か、を大きく知りたい人は、この2冊をそのうち必ず読んでください。そして私宛てのメールで感想や質問をください。 必ずお返事します。
それでは、拙本『余剰の時代』への、読み捨て御免 という 書評子(しょひょうし、ブックレビューアー)の文を載せます。 文中で、私が、補足説明として加筆します。
(転載貼り付け始め)
「 読み捨て御免 」という 書評子(しょひょうし)の文
http://blog.livedoor.jp/kenzaemon/archives/50455449.html
「 余剰の時代 」
副島 隆彦 著 ベスト新書 、KKベストセラーズ刊
世界標準から取り残された横並びの日本人インテリ階層と一線を画する、数少ない世界基準の知識人、副島隆彦氏の新作。
「余剰」という人類における深刻な問題をキーワードに近代ヨーロッパの思想史をわかり易く解説した本。 18世紀のヨーロッパの啓蒙思想はライプニッツ(数学者、物理学者)の主張した「この世の事象は全て合理的である。従って問題は全て解明される。現実にあるものは全て最善(さいぜん)である」というオプティミスム(楽天主義、最善説 )が 主導していた。
この18世紀の当時の全ヨーロッパを席巻していた思想の欺瞞を見抜き、オプティミスムを痛烈に批判したのが、ヴォルテールである。ヴォルテールのの懐疑主義(スケプティシズム)に連なり、ずば抜けた経済理論を構築したのが、のちに現れたケインズである。
ヴォルテールたちの思想の根底にあるものは、「この世はそんな甘くない」だ。
(ここから副島隆彦加筆。18世紀の当時の数学は、必ず解(かい、答え)がある。人類は最善の状態で存在している、というものだった ) それに対して、ヴォルテールは、「すべての問題が解かれるということはない」という疑いの思想である。そしして当時のヨーロッパの民衆は、支配者、権力者、僧侶、知識階級の人間たちとは異なって、この世の苦難を生きていた。
現在では、余剰(サープラス)の問題が起き、人類にとって余剰こそは解決不可能な最大の問題となった。
ケインズの提唱した「有効需要(ゆうこうじゅよう)の原理」は、自分の先生の経済学者たちが唱えた 「市場は放っておけば神の見えざる手により最善( 副島隆彦加筆。 optimum オプティマム)を実現する 」を否定した。 ケインズは、人々の消費(需要)が大事である、という考えだ。
カネを十分に供給しさえすれば景気は良くなるという、現在の主流派であるサプライサイダー(新古典派)とは、ケインズの考えは対極の思想である。 ケインズは剰余価値説を唱えるマルクスの経済学さえも否定した。
(副島隆彦注記。マルクス主義が唱えた、労働価値説から生まれた剰余価値=じょうよかち=の理論でさえ市場原理主義の一種だとケインズは喝破した。)
ヨーロッパの近代政治思想の巨大な対立軸として ① 自然法 と ② 自然権 の 考え方がある。
① 自然法(ナチュラル・ラー)は、天(てん)の掟(おきて)あるいは 自然の法則に従い、人間は、無理や無駄なことはせず穏やかに生きるべきだ という、思想であり、これは永遠の保守思想である。
( 副島隆彦注記。それに対して、ジョン・ロックが作った)② 自然権(ナチュラル・ライツ)の思想は、人間は誰でも自分の力で生きてゆく権利を持っている、とする。 ( 副島隆彦注記。 これを、inalienable rights インエイリアナブル・ライツ、誰も奪うことの出来ない生得=せいとく=の固有=こゆう=の権利 という。
これは、 安倍晋三たちが、「尖閣諸島は、日本の固有の領土だ 」の あの、「固有」の使い方とはちがう。、安倍たちは、欧米人の多くからは、ジョン・ロックのインエイリアナブル・ライツ を何も知らないのだ、ということで、ひどく嫌われる。人類の近代=モダーン=というものを何もわかっていない、知能の低い東アジア土人にしか見られない。副島隆彦注記おわり )
人間は、自力で生きることができる、というの自然権(ナチュラル・ライツ) 持つという思想である。
( 副島隆彦割り込み加筆。この ジョン・ロックの ② 自然権(ナチュラル・ライツ)から、のちに、③ヒューマンライツ(人権派、モダン・リベラル)派が派生した。 多くの人が、崇(あが)め奉(たてまつ)る人権(ヒューマン・ライツ)がここから生まれた。②の自然権と ③の 人権 は全く違う。この区別が、日本人には、なかなか分からない。欧米人と 本気で話したことがある人たちだけが、この区別に行き当たる。
② と③ の 区別を、日本の知識階級のほぼ全員がいまだに知らない。 そして、それ以前に、①の自然法 natural law ナチュラル・ラー派(バーキアン、エドマンド・バーク派) と ② 自然権 ナチュラル・ライツ(ロッキアン、ジョン・ロック主義 )の 巨大な対立も日本の知識層は知らない。
日本が誇る偉大な福沢諭吉先生は、②の自然権(ナチュラル・ライツ)の日本への唱導者だ、と考えることが出来る。
① ナチュラル・ラー派( 永遠の保守派、「永遠の相の下に sub-specie eternitates ズブスペキエ・エテルニタテス ‘under the sphere of eternity 」の上品だが、残酷な人々。威張り腐った貴族や、大僧正のような人たちの思想 )を、 1回微分して生まれたのが、 ② の ナチュラル・ライツ派(現実的な保守派、近代憲法体制の擁護者 )である。 そして、この ② ナチュラル・ライツ派(ロッキアン)を、さらに2回微分することで生まれた(派生した)のが、③の現代人権派(ヒューマンライツ派、 モダン・リベラル派、左翼、社会主義者たち)である。
そして、さらに、この ③ の人権派を 3回微分して生まれたのが、③ダッシュ である アニマル・ライツ派( animal rights , 反体制派、新左翼、過激派、環境保護派)である。
そして、この ①、②、③、③ダッシュ とも、、全く別の ④として、ポジティブ・ラー ( positive law 法人定主義=ほうじんていしゅぎ= 。 法律も正義もこの地上の人間たちが自分で決める。神や自然の摂理が作るのではない ) がある。
この ④ を大きくは 欧米世界の知識人の間では、ベンサマイトという。ここにも いろいろと議論がある。 日本の知識人層は、いまだに、この 「ヨーロッパ思想の全体像」を形作っている5大流派の思想の区別がつかない。 それらを理解し議論する段階に到達してない。
この5の ベンサマイトの中の一派 が、私、副島隆彦が、長いこと唱導(しょうどう)している リバータリアン libertarian である。
副島隆彦の本 の相当の読み手でも、私の弟子たちでも、いっかな、なかなかのことでは、このリバータリアニズム libertarianism の理解に、行き着けない。 私たちの仲間では、藤森かよこ先生が、この、リバータリアン思想の創業者、創作者のひとりである、真に勇気のある女性思想家の アイン・ランド Ayn Rand 女史 の日本への紹介者である。
私、副島隆彦は、これら ①、②、③、③ダッシュ、 ④ の 大きな思想見取り図を、 1995年に発表した。それを、『世界覇権国アメリカを動かす政治家と思想家たち』(講談社の文庫、2001年)に出した。今年中には、何とか、この 講談社からの この 私の主著を、上製本にして増補、改定版として 出そうと思っている。
これらの 5つ大きな思想流派を、分かることが、現在(現代)の 欧米の知識層の人々と、私たち日本の読書人階級が 話をする(できる)ときの、最低限度の基礎知識だ。 この大きな「ヨーロッパ政治思想(法思想でもある)の全体像」が、分からないのであれば、日本人の知識層は、東アジアの土人、原住民のままである。
そのように、私、副島隆彦は断言する。 もう20年間、そのように断言してきた。 あー、あー。あー、 もう疲れたよ。・・・・ それでも、私は、日本国民を自分が死ぬまで啓蒙(けいもう)し説得し続けるぞ。 私の加筆も、もう、これぐらいでいいか。)
② のナチュラル・ライツから派生して生まれた、即ち、2回目の微分をして生まれた、③であるヒューマン・ライツ(人権派) の思想で、貧困者も生き延びる当然の権利があるとされ、政府は国民の面倒を見る義務があるとする。
そのために 今の国家、政府は、あれこれの各種の福祉を行う。警察や軍事公務員(自衛隊員)までが、福祉国家の要員だ、という言い方までするようになった。 そして、そのためには税金が必要である、という考え方になる。そしてこの税金によって富の再配分を行うという思考に、公務員と官僚(上級公務員)たちがなっている。今は、「公共インフラの利用者として、あなたも税金を納めなさい」と 柔らかく言うようだ。
(副島隆彦加筆。 この税金による福祉という考えは、役人どもの考えである。 あの人間の絶対的な平等主義を
説いたジャン・ジャック・ルソーが、「人は生まれながらに普遍の意思(ボロンテ・ジェネラール)が備わっていて、だから、生まれた時にこの普遍意思によって、国家と契約を結んだのだから、だから、納税と兵役の義務を負うのである」とした。
このルソーの絶対平等主義が、福祉国家論 の生みの親だ。 この徹底した平等主義のために フランス革命という暴力革命も辞さかった。 この過激な人権思想は、フランス革命を主導したジャコバン党のロベスピエールたちの指導理念であった。
青年軍人だったナポレオンもこのジャコバン・クラブに出入りしていた。だから、ルソー主義者であったナポレオンも 本当は、過激派である。現在の ③ダッシュ = アニマル・ライツ 、過激派に近い人間だったのだろう )
イギリス思想からすこし離れて、ヨーロッパの思想界で、約100年間に渡って支配したと言ってよい(数学、物理学が全能で万能だった)のがライプニッツの 「全ての問題は解決する。すべてのことは最善(オプチマム)の状態として有る」 という 思想 からルソーへ、さらに全体主義(ファシズム)へと、過激になっていったのである。 著者(副島隆彦)は、ヨーロッパの全体主義、ファシズムの生みの親が、ルソーの過激なヒューマンライツ思想にあるとしている。
税金によって平等社会をつくるという狡猾な思想は、国家の寄生虫(パラサイト)として公務員たる官僚機構が強化されることになり、これこそはまさしく中間搾取(ちゅうかんさくしゅ、 intermediate exploitation インターミーディエット・イクスプロイテイション)以外の何ものでもない。
そして、このルソーの思想のおかしさを真っ先に見抜いた、ヴォルテール、そしてニーチェ、ケインズ が現代の私たち人類(人間)の生き苦しさを打開する指針を与えてくれる。
これらのヨーロッパ思想の全体像の中には、リバータリアンという思想がある。著者(副島隆彦)は自らこの思想に属し、著者の他の著書でも多く取り上げられており、本書でも第3章で解説がなされている。
( 副島隆彦加筆。 ④のリバータリアンは、だから、反(はん)税金、反(はん)過剰福祉、反(はん)国家、反(はん)官僚制、そして、反(はん)海外侵略 の思想である) この ④のリバータリアニズムは、国家や政府をあてにせず、自分の身は自分で守る、他者からの過剰な干渉を拒否する、独立独歩で生きていくという思想である。
(副島隆彦加筆。 だから、リバータリアンは、日雇い労働者=今の非正規雇用者 でいい、という思想だ。仕事があれば何でもする。どこにでも行く。組織や団体や、会社に屈従しない。奴隷にならない、という勇者の思想だ。
アメリカのリバータリアンたちの一部は、猟銃で自衛武装している。外国の核兵器攻撃に対しても、「攻めてくるなら、来い。このアメリカの大地で、私の猟銃で戦う」という思想だ。だから、アメリカが悪賢く、世界中を支配する、海外侵略の思想 = グローバリスト ( globalist 地球支配主義者、グローバリズム)に反対する。 このグローバリズムの簡潔で正しい理解も出来ないまま、洗脳され尽くしているのが、フヌケの日本人だ )
厳しい現実社会を、いかに生き延びるか、サバイバルの思想でもある。そこには、綺麗事も理想主義もない。
著者(副島隆彦)は語る 《いまは老人福祉のやり過ぎである。老人ばかり大事にし過ぎた。若者たちのほうがかわいそうだ。若者に職がない問題というのは非常に深刻で、これは 政治の失敗 とはっきり言い切れる。
世の中、すなわち社会体制そのものが ズルいのだ。コネで公務員、大企業、特殊法人に就職している人はものすごい数でいる。 ”就活”をやらないといけない人たちというのは、本当の意味で特権に恵まれない人たちだ。それと地方出身者はコネがない。》
《「注意しなさい、用心しなさい、警戒しなさい、疑いなさい」 何事に対しても用心、警戒、注意、疑い。これしかないのだ。》(P178~181)
著者の若者に対する切実なアドバイスである。世の中は甘くはない。騙し、詐欺、裏切り、困難の連続である。若者にとっては特にそうだ。
(副島隆彦加筆。 特に、地方出身者で、都会で、何とか何とか勤めて生きている若い人たちがそうだ。本当は、誰からも守られていないのだ。そういう貧しい地方出身者の若者のひとりだった、自分を振り返って、私、副島隆彦は、本当に彼らのことを心配に思う。 )
国家の与える教育(学校教育、公教育)も 洗脳なのである。 何事も自分の頭で考えなければならない。そして自分自身の考えさえも、「本当にこれで良いのか」と何度も何度も己(おのれ)に問いかけ反芻(はんすう)するという厳しい思考訓練が必要である。
「余剰」という問題を語ると、「人間の余剰」という問題に行き着く。人類は「人間の余剰」を 戦争経済(ウォー・エコノミー)で乗り越えてきたらしい。 人類は、大体80年周期で戦争をしている。 日本も敗戦後70年を迎えた。そろそろ何が起こっても不思議ではない。
ヨーロッパ思想史を学ぶためにも、この本は簡潔かつ深く書かれており絶好の教科書である。しかし、「余剰」というテーマとの格闘は予言者の域に達した著者をもってしても困難であったのであろう、著者の苦闘の痕跡が感じられる作品であった。
(副島隆彦加筆。当たり前だ。この本には、とても書けなかったが、あなたは、この世の余り物です、と言われたら、そのあと、その人はどうするのか。死ぬしかなくなるではないか。、というわけにはゆかない。だから、何があっても、生き延びろ、と書いた。)
著者の多くの作品群の中でも指折りの作品である。若者は本書を読み、思索を深めて、今の不条理な(副島隆彦注記。私は、不条理という フヌケなコトバは使わない。不合理=irrational イラッショナル でいい) 時代を生き抜く知恵を身につけてほしい。(了)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝