重たい掲示板
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6月21日までの期間限定で、「チョムスキー9.11」というノーム・チョムスキーのインタビューや講演映像を中心としたドキュメンタリーがネット上で無料公開されています。
https://www.youtube.com/watch?v=D1oz9NBqMzQ
チョムスキーはショック・ドクトリンという言葉は使っていないものの、9.11の事件をアメリカ政府がいかに利用したか、帝国主義がどのようなことをしてきたかが判りやすく語られています。映画が取られた2002~3年頃より、この図式は現在、むしろ強化されているように思いました。恐ろしや。
全編観ても1時間15分程度ですが、忙しい方は51分頃からでもご覧ください。
(なお、冒頭に「沖縄うりずんの雨」のPRが流れます)。
【1466】[1795]中東のアラブ人たちの団結と独立を壊された歴史、そして今につながる。 それから 政治家・村上誠一郎の誠実な発言を載せる。
副島隆彦です。 今日は、2015年6月17日です。 私は、今は、ずっと、「中国 と アラブ(イスラム教世界)とヨーロッパが、世界の中心を(北アメリカから)ユーラシア(=ユーロ・アジア)に移す」(仮題 長すぎるなあ) という本を書こうとして、あれこれ苦しみながら、調べています。
私は、この重たい掲示板に前回、「アラビアのロレンス」の話を書きました。 トーマス・エドワード・ロレンス Thomas Edward Lawrence という 素晴らしい、かつ苦難の生き方をしたイギリス人(1888-1935,46歳で死去)の伝記(バイオグラフィー)類を6 冊読んでいます。
「アラビアのロレンス」トーマス・エドワード・ロレンス
ロレンス自身が書いた、「砂漠の反乱」を含めた自伝、戦争記録である「知恵の7つの柱」しか知らなかったのだが、私が、この4月に、中東・アラブの調査旅行に行く前から、本を集めて読み始めていた。
その中の一冊の、「アラブが見たアラビアのロレンス」(スレイマン・ムーサ 著 牟田口義郎(むたぐちよしろう)訳、リブロLibro 刊、1991年、原書は、1962年刊) を、ずっともう5日間も読んでいる。600ページの大著だ。
牟田口義郎 は、まだ生きていた中野好夫(なかのよしお、日本の英文学界の泰斗 )と話してこの本を、立派な日本文に訳している。 中野好夫 が、まだ戦前である 1940年に、早くもロレンスのことを日本に書いて伝えた。
この本は、ロレンスへの公平な評価と、悪意の評価もしている。こんな熱中読み込みをしている人生時間の余裕は、今の自分にはないはずなのに。書かなければいけない原稿が、次々と押し寄せている。
この本にも、冷酷に書かれた、アラブ人の側から見た、当時の中東、アラブ人の世界が、イギリス、フランスによって、無惨に狡猾(こうかつ)に分割されてゆく様子が、よく描かれている。ソビエト・ロシアも中央アジアを奪いとった。ドイツとオスマントルコは、敗戦国として裁かれる立場だった。それが、1919年1月からのパリ講和会議(=ベルサイユ会議)だ。
ロレンスは、本気で、アラブ人たちのために、彼らの団結と独立のために全力で闘った。自分自身でアラブ人たちと共に、砂漠での戦争に参加して、ラクダに乗って何日も砂漠を進み、原住民の服装で泥だらけで、寒さに震えながら2年間、原住民のベドウィンの部隊と共に戦った。同じ粗食を食べて、それから、トルコ軍の軍用列車を破壊する攻撃を、十数回も行っている。他のイギリス人の派遣将校たちには出来ないことだ。
ロレンスは、自分自身でで線路の爆破の技術も覚えて、実際に10数回、爆破している。破片が飛び散って自分も軽い怪我をしている。そしてファイサルの軍事顧問 謙、通訳 謙、カイロにいた英軍のアレンビー将軍の配下にあって、連絡将校としてもずっとう動いた。それらのことが、このアラブ人の側から詳細に研究された本によっても分かる。
しかし、戦争が終わってからの、アラブの立場は、微妙になってゆく。いくらアラブ人の団結と、まとまっての独立を、パリ会議で、希求してみ、簡単には受け入れられない。 ヨーロッパの強欲人間、帝国主義者(インペリアリスト)たち と、怒鳴り合い、争って、ロレンスは、深く傷ついてゆく。
著者のスレイマン・ムーサは、戦勝国として有頂天の英(ロイド・ジョージ首相)、仏(クレマンソー大統領)の背後から、真の勝利者として、アメリカが世界帝国となって、ヌーと顔を出し、真の勝利者であったことまでを見ていない。ヨーロッパ人たちも分かっていない。自分たちは、歴史(世界史)の舞台の中で、大きくは騙(だま)されたのだ、ということを。
ロイド・ジョージ(David Lloyd George, 1863-1945)
ジョルジュ・クレマンソー(Georges Clemenceau, 1841-1929)
世界中の歴史学者たちは、今もなお、この大きな歴史の真実に気づいていない。誰も書いていない。だから、私、副島隆彦が、この極東の果ての地で、2015年という年に書いて公表しなければいけない。
ベルサイユ条約(1919年)によって出来た世界体制の、その数年後の1924年に、突如、リヤドから攻め込んできて、聖地メッカ(マッカ)を奪い取ったのが、 アブドルアジズ・イブン・サウド(サウジアラビア初代国王になった)だ。
アブドルアジズ・イブン・サウド( Abdulaziz bin Abdulrahman bin Faisal Al Saud, 1880-1953)と会談するアメリカのフランクリン・D・ルーズヴェルト大統領(この写真のルーズヴェルトは偽物[影武者]。この写真が撮影されたとされる1945年2月のヤルタ会談から2カ月後の4月にはルーズヴェルトは死んでいる。こんなに血色がよく元気な様子はおかしい。イブン・サイドの悪人顔もじっくり見て下さい)
サウジアラビア初代国王 の アブドゥルアズィーズ・イブン・サウド の 人相の悪さ
この 極悪人の、アラブ世界の強奪者の背後に、アメリカがいた(軍事援助と資金援助、その見返りが、今も世界最大のガワール油田の利権)ことを、誰も書かない。誰一人として書いてない。メッカ太守であったハーシム(=ハシュマイト)家の、全アラブの統合者としての、全アラブ人の、団結と独立を、全アラブの部族長たちの承認のもとに成し遂げた、2年間半の激しい独立戦争を戦い抜いた、その挙句のことだ。
イラク国王ファイサル一世(左)とイブン・サウド(1922年撮影)
このサウド王家の アブドラ(アブドッラーが正しい表記)国王と、日本の安倍晋三首相が、一昨年、訪れた首都リヤドで、話し込んでいる報道写真がある。両者の、顔が歪んだ、口元が引きつった感じで、顎(あご)がしゃくれた表情が、この二人が、暴力団系のワルい人間だ、ということを、報道写真がはっきりと写している。
アブドラ国王と安倍晋三首相
「 日本の首相よ。お前のところの核兵器の保有は、どうなっている」
安倍「アメリカが持たせてくれない。秘密で保有するための製造を続けている。すぐにアメリカにバレて、困ってるよ 」 アブドラ「 あの アメリカ野郎め。これほどにオレたちが巨額の資金を毎年、毎年、貢いでいるのになあ。 核兵器ひとつもたせない。だが、もうすぐわが国はパキスタンから買うからな 」 ・・・・
こういう秘密の会話を、二人でやっていることが、報道写真の両者の表情から如実に見て取れる。両方とも暴力的政治家だ。サウド家は、全アラブの民衆から嫌われている、ワッハーブ派(ワハービヤ)という まさしく暴力団的な王家だ。
それに比べて、アラブ人全てを代表し、誠実で、真面目だった ハーシム家の国王たち(アミール=エミール、国王級)は顔つくからして立派だ。ハーシム家の王(エミール、シェイク)たちは、その人格の高さに置いて、愚劣なサウド家のヤクザ者たちとは、比べものにならない。
アラブ独立運動の 指導者にしてアラブ人の王、ハーシム家のフセイン・イブン・アリー(Hussein bin Ali, 1854-1931) の立派な顔立ち メッカを奪い取られた
ハーシム家のフセイン・イブン・アリーの三男ファイサル王子(後のイラク国王ファイサル一世)とロレンス(ファイサル王子の左肩の所に立っている)。1919年のパリ講和会議の時に撮影。
日本の安倍晋三も、その暴力団的な背景、奇矯な宗教団体を背景にしていることで、私たち日本国民からの尊敬はない。全くない。尊敬されない指導者は、指導者ではない。
世界は、今も、こういう恐ろしい暴力人間たちによって、支配、抑圧されている。その一番上に、アメリカによる支配がある。黒人のバラク・オバマ大統領 個人の 善意がいくら有っても、どうにもならないぐらい、世界は、こういう恐ろしい暴力人間たちによって、私たちの上から、彼らが覆(おお)い被(かぶ)さっている。
そこから生まれる重圧と抑圧の中で、私たちは生きている。毎日が暗く憂鬱な日々だ。 せめて、一人ひとりは、自分なりの気晴らしと健康法をと、実践しているのだろう。
私、副島隆彦も 毎日が憂鬱でならない。 日本国に迫りつつ有る、戦争の危機に、どのように対処し、先手、先手で、みんなに警告の予報を出そうか、ということで、毎日、苦しんでいる。日本の右翼がかった、「安倍ちゃんよー。もっと、チャンコロ、チョーセンジンを痛めつけてくれよ-」と、その生まれながらの卑(いや)しい風貌から発する、下品極まりない、唾棄すべき日本人たち (彼らは、ごく小規模の企業経営者層を中心に、500万人ぐらいいる)だ。
それに付和雷同(ふわらいどう)する、まともに働くことをしない(あるいは、失業、就活をしている)右翼、チンピ風の、人生経験の少ない若者たちがいる。彼らは、佐藤優(さとうまさる)氏が言うとおり、まじめに本を読む、ということをしない、「本なんか読んでも、なんの為にもならないぜ」
という、反知性(はんちせい)の人々だ。 彼ら右翼(本当の右翼・愛国者なら、アメリカによる日本支配の現状をこそ、批判しなければいけない) のことを、佐藤氏は、今度の私との対談本「崩れゆく世界 生き延びる知恵」(日本文芸社、2015年6月刊)で、
「安倍政権は、コンビニの前でウンコ座りをしている暴走族みたいな雰囲気ですよ」と言った(本書、P71)。
『崩れゆく世界 生き延びる知恵』
計画的に、着々と、どんどん、日本国民の真面目な戦争反対の意思が、奪い取られ、計画的に強引に謀略で実施された昨年末の選挙(12月16日)で、民主政治(デモクラシー)の制度そのものを打ち壊すような形で、本当に、ナチス・ドイツのやり方と、ほとんど同じで、日本は、どんどん戦争態勢に流れ込まされようとしている。
今の中東の、あの IS( アイ・エス、イスラム国)という、奇妙な集団の突如の出現(去年2014年6月10日に北イラクに出現)も、すべて極悪人どもによって計画されたものだ。こういう新たな戦争を、次々に謀略で作り出すことによって、同じアラブ人(アラビア人)どうしを、戦わせ、殺し合いをさせるのだ。
「アラブ人どうし戦わず。戦争だけはしてはいけない。アラブ人として団結しなければいけない」という、 大きな真実にハッと気付いて、大きな真実を、こうして公然と書いて、暴き立てるのは、私、副島隆彦だけではないか。この国に、他に誰がいるか。 この私よりも大きな枠組みに中の、世界基準の真実が言える者がいたら、私は、すぐにその人と話し合う。そして、どんどん団結してゆく。
私は、1915年の エーゲ海のダーダネルス海峡での、トルコのガリポリ戦争のことも不思議に思っている。 このあと、1年後に、トルコ軍は精鋭が、アラビア半島のメッカ、メジナの方に回ってきて、反乱を始めたアラブ人たちとの戦いに入ったのだ。
1915年のガリポリ戦争では、英と仏の両軍の 連合軍を相手に、トルコ軍の司令官だった、 ムスタファ・ケマルが、散々に打ち破って大勝した。そして、この軍人ムスタファ・ケマル・パシャ が、トルコ人の英雄として、のちにケマル・アタチュルクとなって世俗化(イスラム教を国家体制から捨てて)した新国家としてのトルコを作った。
ケマル・アタチュルク(Mustafa Kemal Atatürk , 1881?-1938)
この「青年トルコ党( Young Turks ヤング・タークス)」という名の秘密結社から出てきたケマル・アタチュルクの背後に何がいたのか。世界中の各国に作られた、「青年〇〇党」というのは、すべてアメリカが工作したものだ。今の「アラブの春」と全く同じだ。
青年トルコ党
1915年という オスマン・トルコ帝国がボロボロに崩れ去ろうとした時代に、どうして、どうして、イギリスとフランスの両大国の、大軍団の、大艦隊まで後ろに控えていたガリポリの戦いで、トルコ軍が勝ったのか。おかしいのだ。 だから、背後に、アメリカからの軍事物資と資金の援助があったのだ。 私は、今、その証拠を調べようとして歴史書を集めている。
FRB(米連邦準備制度理事会)が、米議会の大反対を押し切って謀略で作られた1912年の、その翌年の1913年から、世界の覇権(ヘジェモニー)は、イギリス帝国から、アメリカ帝国(ロックフェラー家。大統領たちも、この財閥が選ぶようになった)に移ったのだ。この理論は、私、副島隆彦が、20年前から唱え始めた「世界覇権の移転」の理論の、その証明作業の一環(いっかん)となる。
このケマル・アタチュルクは、1917年には、トルコ軍の第七軍の司令官として、パレスチナあたりで、アレンビー将軍(英国のアラブ派遣軍の総司令官)の英軍と対峙して、そして、1918年の10月1日の、アラブ軍のダマスカス(陥落)入城の前後に、急いで退却して、トルコ領内に撤収している。
トルコのケマル・アタチュルクの、脱イスラム教の世俗化(セキュラー)政策で、トルコは西欧化した国になったと、私たちは習った。しかし、私、副島隆彦は、鋭く注目して知っているが、今から、5年ぐらい前に、エルドアン首相(今は大統領)は、トルコ軍の将軍たち100名ぐらいを、捕まえて、裁判にかけて、「政府にクーデターをかけようとした」として投獄した。
だから、今も近代主義者で反イスラムのケマル・アタチュルク主義の、西側(ザ・ウエスト、G7体制)寄りのトルコ人たちは、今の エルドアンの公正発展党(AKP)と対立している。 私は、4年前に、イスタンブール(昔のコンスタンチノープル)のモスクにひとつで、本当に真面目で頭の良さそうな、立派な感じのトルコ人たちが、たくさん礼拝に来ている様子を見た。
レジェップ・タイイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdoğan, 1954-)
女の人たちは、誠実な感じで、きちんと黒いスカーフをつけていた。この人たちが、エルドアン政権を支えているのだな、と分かった。
どこの国にも、真面目で知的で、しっかりとした人たちがいる。その人たちの考えを自分で直接、聞いて回ることで、その国の真実が分かる。その国の国民が本当に望んでいることがなんなのか、が分かる。しかし、おそらく、どこの国でも、そういう人たちは、暴力団のような体質の愚劣な人間たちによって、押さえつけられているのだろう。
私、副島隆彦は、今日は、このあと以下に、一本の ネット記事を載せる。この記事は、自民党政治家で、愛媛県選出の、村上誠一郎(むらかみせいいちろう)という人の発言だ。
今の自民党政治家で、村上誠一郎ほどの誠実な人は、他にはいない。私は、彼の心底からの、自分の気持ちを絞りだすようにして、今の安倍政権を批判している真剣な姿に、頭がさがる。村上誠一郎を 日本の首相にすることが出来るような国だったら、私たち国民が、こんなに苦しい、貧しい思いをしなくて済むのだ。
村上誠一郎衆議院議員
私は、村上誠一郎と、15年ぐらい前に話している。彼は、私に向かって、「そうだよ。副島さんの発表のとおりだよ」と、私の肩を持ってくれた。それは、2000年ぐらいの、夏の自民党の派閥の研修会が、軽井沢のホテルであって、私が講師として呼ばれて、そこで講演した時のことだ。
村上誠一郎は、そこに居並ぶ同じ派閥の政治家(国会議員たち)に向かって、堂々と、こういう感じで言った。
「ほら、ここに 4人、大臣になっている人がいる。この人たちは(と、村上は、自分の派閥の幹部たちを、本当に自分の指で指さしながら、怖気づく感じもなく)もう、あとのことはどうでもいいんだよ。もう歳だから、このあとこの国がどんなに苦しいことになってゆくか、知ったことじゃないんだ。なあ、副島さん。俺たちは、これからが大変なんだよ。日本は本当に苦しいことになるよ」と、村上誠一郎は言ったのだ。
私は、「村上先生。本当に、そのとおりです」と答えた。
村上誠一郎は、昭和27年(1952年)生まれだから、私よりもひとつ上だ。東大の法学部を出ている秀才で、お父さんの後を継いで、30代の若くから政治家だ。もう当選12回ぐらいの重鎮だ。 それなのに、制度改革の大臣を、ちょろっと一回やった切りで、ほとんど内閣に入っていない。
これほどの度量と、力量があって、政治家としても地元愛媛の人気もあって、それでも、ずっと、自民党内で冷や飯を食い続けた。そしてもう63歳だ。 きっと生き方下手な人なのだ。泥臭い現実政治(リアル・ポリティックス)をずっと生きてきたのだから、もっと脂(あぶら)ぎった鬼の顔になるなり、恐ろしい悪人(あくにん)面(づら)の顔つきになるなりしたはずなのに、そういう感じがない。
太ってはいる。二階俊博(にかいとしひろ)も太ってトドのようだ。 こういう正直で、国民思いのすばらしい政治家を、私たちは持っているのだ。 私が、先週、講演会で言った神奈川県横須賀から出ていた、田川誠一(たがわせいいち)も素晴らしい保守政治家だった。このような人格者の政治家たちこそは、私たちの日本国の宝物(たからもの)だ。
二階俊博衆議院議員(1939年‐、76歳)
田川誠一元衆議院議員(1918‐2009年)
村上誠一郎は、登壇して行った自分の発言の中で 日本にファシズムが近づいている、今度の安保法制で、アメリカの言いなりで、自衛隊は、世界の裏側まで連れてゆかれる、とはっきり言っている。私、副島隆彦も同感である。
私は、死ぬまでの間には、一回は、村上誠一郎に会いに行く。そして思う存分、話をしたい。
(転載貼り付け始め)
●「 「あまりに傲慢(ごうまん)」 自民・村上議員が「安保法制反対集会」で自民党執行部を批判(全文)」
2015年6月10日 弁護士ドットコム
http://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_3220/
自民党の村上誠一郎(むらかみせいいちろう)衆院議員が6月10日、日弁連が主催した安保法制に反対する集会に出席し、自民党の執行部を「あまりに傲慢(ごうまん)」と批判した。
講演中の村上代議士
会場 には弁護士や野党議員ら190人が参加し、それぞれ安保法制に批判的な意見を述べていたが、集会の途中で、与党・自民党に所属する村上議員が姿を見せ、マイクを握ると大きなどよめきが起きた。
村上議員は6月9日の自民党総務会で、安保法制について「党議拘束を外(はず)すべきだ」と発言したところ、執行部の一人から「最高裁判決(砂川判決)を読ん だことがあるのか」と問われたという。そこで村上議員が「あなただけですよ、砂川判決が(集団的自衛権の)根拠だと言っているのは」と反論する と、「学者は、最高裁判決までおかしいというヤカラだから、話を聞く必要がない」と言われてしまったのだという。
村上議員はこうしたやり取りに激怒したとして、「学者がそろって違憲(いけん)だと言っているのに、自民党がそれを無視することは、あまりにも傲慢ではない か」と、強い口調で自らの所属する自民党を批判した。
「民主主義の危機にある」 集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更について、村上議員は「このことで突破口を開けば、たとえば主権在民や基本的人権に至るまで、時の政 府の恣意によって、実は憲法を曲げることができてしまう。たいへん民主主義の危機にあるということです」と警鐘を鳴らした。
そのうえで、「本当にこういうことを、党内でひとりで言うことは結構しんどいんです。ですから先生方、みなさん方も本当にこの問題の重要性にお気 づきであるわけですから、一人でも多くのみなさん方にその問題点を伝えていただきたい」と、集まった弁護士・国会議員、市民らに呼びかけていた。
● 村上誠一郎議員の発言全文は次の通り
ただいまご紹介にあずかりました村上誠一郎であります。
実は私は、そこにいらっしゃる山岸(良太・日弁連副会長)先生と、大学の同級生、同じクラスでした。
まさか、43年後に、こういう集会に出るとは、夢にも想像していませんでした。
正直申し上げます。私も自民党員です。本来ならば、こういう集会は、実はご遠慮申し上げようと思っていたんです。
だけど昨日の総務会で執行部とやりあって、これはもう困ったなあと。やはり本当のことを国民のみなさん方に知っていただくことが大事だと。
特に私は、柳澤先生(※集会で講演した元内閣官房副長官補の柳澤協二氏)に申し訳なく思っているんですが、昔の政治家は、柳澤さんのようなきちっとした議論をみんな聞く耳を持っていました。ところが昨今、やはりこれもマスコミの人に反省してほしいんですが、小選挙区になって、公認と比例 と、人事まで党幹部に握られてしまって、なかなか昔のように自分の考えていることが言いにくくなってしまいました。
もっと反省してほしいのは、特定秘密保護法のとき。28年前には(※1985年に国会提出されたいわゆる『スパイ防止法案』について)、大島(理 森 おおしま・ただもり)さんや谷垣 禎一(たにがき・さだかず)さんまでが「おかしい」と言って廃案にしたんです。ところが(2013年の特定秘密保護法については)、いちばん被害を受 けるというか、当事者であるマスコミの人たちが、最後の総務会で私が指摘するまで、誰も指摘しなくなった。
それからもう一つ、バッジを付けている先生方に反省してほしいのは、去年の公務員法の改正ですよ。私は最後まで反対した。なぜならば、600人の 人事を全部官邸に持っていった。こうなれば官僚諸君は、もう正論も本音も言わなくなるよ。私は最後まで総務会で抵抗したんですが、これも官邸の意 向ということで通ってしまった。案の定、それから、公務員は正論も本音も言わなくなりました。
もっと重要なのは、そのように外堀を埋められるために、今回の安保法制について、本来いちばんモノをいわなきゃいけない国会議員が、口を閉ざした ままになっている。
●6月9日の自民党総務会で
今回、まず昨日のことから申し上げますと、私が申し上げたのは、このような問題は、国会議員の政治的良心・使命に関わる問題であるから、党議拘束 を外すべきだと。
そしたらですね。ハッキリ言いますよ。あなたたちの先輩の、ある代議士が「お前は最高裁判決を読んだことがあるのか」と言ってきた。砂川判決を。
だから私は言った。「あなただけですよ、砂川判決が根拠だと言っているのは」。
そしたら何て言ったと思いますか?
「学者は、最高裁判決までおかしいというヤカラだから、話を聞く必要がない」と言ったんですよ。
それで、私は激怒したんです。3人のオーソリーな学者が違憲だと言っていることに対して、自民党がそれを無視するということは、あまりにも傲 慢ではないか。
●安保条約の時を思い出して
まさにこのような重要な問題を、本当に国民の皆さん方が、お一人お一人本当に理解なさっているのかと。
みなさん、思い出してください。
いまから55年前の、日米安保条約のときには、この国会の周りに十重二十重とみなさんが集まって、全国民、全マスコミ、全学者で喧々がくがくと議論しておりました。
いま、どうでしょうか。ハッキリ申し上げましょう。2年前に、私が「この問題は実は民主主義の根幹に関わる問題である」と。こんなことを天下の自 民党がやっていいのかと言ったときは、マスコミは無視したものでした。
私がどうしても、ここへ来てお話したくなったのは、今いちばん問題なのが「ダブル先生」ですよ。ダブル先生って分かりますか? 議員バッジと弁護士のバッジを付けている、その先生たちです。責任、大きいんですよ。
結論を言うと、議論して、つくづくおかしいと思うのは、弁護士の資格を持っているものですから、自分の言っていることが正しいんだと。他の学者さんや、他の普通の国会議員が言っていることは、とるに足らないんだ。そういうような、いまの状況であります。特に、執行部に、3人の先生がおります。言わないでも分かっていると思います。
結論は、もう簡単です。今日お集まりのみなさん方は、そうそうたるみなさんです。それぞれの国会議員や、多くのマスコミの方を知っていると思います。
我々が財政の危機を言っても、この憲法の危機を言っても、残念ながら門前の小僧でしかありません。説得力がありません。(弁護士の)先生方 が、お一人お一人の国会議員や、国民や、マスコミのみなさん方に説明していただきたい。
●「自民党は、いつからこんなに惻隠(そくいん)の情のない党になってしまったのか」
なぜ私が、あえてこのような場所に来たか。2つあるんですよ。
ひとつは、前から申し上げているように、もし憲法に書いていないことを、内閣の一部局である法制局が解釈で変えることができたら・・・。まあ、自 民党のある方(副島隆彦注記。麻生太郎のこと)が「ナチス憲法のマネをしろ」と言ったんですが、もちろんナチス憲法(というもの)はありません。戦前のドイツで、議会において、全権委任法を通して、民主的なワイマール憲法を葬り去ったという、一番悪しき例があるんです。
すなわち、このことで突破口を開けば、たとえば主権在民や基本的人権に至るまで、時の政府の恣意によって、実は憲法を曲げることができてしまう。 たいへん、民主主義の危機にあるということです。
それから、もう1点。来年から18歳の人たちが有権者になります。私は、次の世代が気の毒です。
このままでいけば、財政がおかしくなる、金融がおかしくなる、社会保障もおかしくなる。
そのうえ、地球の裏側まで(自衛隊が)行くことになる。
自民党は、いつからこんなに惻隠(そくいん)の情のない党になってしまったのか。
●「当たり前のことが、当たり前でなくなるときが一番あぶない」
実は私の父は、増原惠吉(ますはらけいきち、当時の防衛庁長官)さんと、吉田(茂、当時の首相)さんに頼まれて、警察予備隊(けいさつよびたい)を立ち上げた男です。一次防も二次防もやりました。
父が死ぬまで言っていたのは、防衛予算は少なくて済むなら少ないほうが良い。もう1点は、自衛隊の諸君の身の安全について、万全に期すべきだと 言って死にました。
私は、父の言ったことが自分の政治命題だと考えております。
この民主主義を守ることと、そしてまた、次の世代のために・・・。私は、みなさん方のお力を、なにとぞ、一人でも多くのみなさん方に、この問題が どこにあるのか(伝えていただきたい)。
特に、私は最後に、あえて言います。
私がいちばんいま危機を感じているのは、民主主義の危機、すなわちファシズムの危機であります。
私が大学のときに、ある先生が言っていました。「当たり前のことが、当たり前でなくなるときが一番あぶない」。
結論はどういうことかと言いますと、もしこういうことで突破されれば、次の世代は、アメリカの要求を断ることもできません。歯止めもありません。 そういう中で、こういうような非常に不完全な法制というものを、短期間で180度転換するようなことを、軽々としていいものだろうか。
最後に、もう本当にお願いします。弁護士の先生方。我々では説得する力がありません。自民党には、まともな大学で憲法を学んだ人が数います。そう いう人たちひとり一人に説得していただきたい。
そして、一番重要なのは、国民の皆さん方に、この法案ならびにいままでの手法が、どこに大きな間違いがあるかということを、やはり一人でも多くの みなさん方に伝えていただきたい。以上であります。
●「国民が絶対自分のこととして考えなければいけないこと」
不肖・村上誠一郎が、ただでさえやせ細った身体で(副島隆彦注記。ここは、村上の自虐のジョーク)、国会に来て必死にお願いをしたのは、(自分の大学の)後輩である(福島)瑞穂(ふくしまみずほ、社民党前党首)先生が、体重では負けないだろうからというんですが・・・。本当にこういうことを、党内でひとりで言うことは結構しんどいんです。
ですから、先生方、みなさん方も、本当にこの問題の重要性にお気づきであるわけですから、一人でも多くのみなさん方に、その問題点を伝えていただ いて、国民お一人お一人が、自分が現憲法とどのように立ち向かうのかということを、ご理解いただけることを、切に切にお願い申し上げまして、簡単 ではございますが・・・。今日は応援演説ではないんですよ。
言っておきますけど、これは絶対ね、国民が、自分のこととして考えなければいけないことです。そしてまた、自分自身のこととして判断すべきことで あって、一部の国会議員で決められることではないということです。よろしくお願いします。 (了)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1465】[1794]天武天皇の正統性について
天武天皇の正統性を否定している皇后(持統天皇)
『懐風藻』は、天平勝宝三年(西暦751)に上梓されている。これは東大寺大仏の開眼供養の前年です。天武天皇の直系の子孫が皇位にあった王朝で上梓されている。
その『懐風藻』葛野王伝は次のように記す。なお葛野王は、父が「壬申の乱」で滅ぼされた大友皇子(明治に追号された弘文天皇)、母は十市内親王で天武天皇と、万葉歌人で有名な額田王(ぬかたのおおきみ)の間に生まれています。葛野王こそが本来皇位を継ぐべきお方です。
『懐風藻』葛野王伝より(抄訳)
・・・持統十年七月、高市皇子(天武・持統朝の真の主宰者)が突然亡くなった。肝心な日嗣の事を何も決めていなかった。それで持統天皇は皇族並びに主な公卿を宮中に集め、日嗣に誰を立てるか諮問した。弓削皇子(天武の子)等が皇位に未練を示し、会議は紛糾した。そこで葛野王が進み出て、「我が国の法では、天位は、神代より子孫が相続すると決まっている。もし兄弟相続するようなことがあれば、そこから乱が生ずるのである。日嗣の人事は、天の心を聞けばおのずから決まっていよう。誰か異を唱える者があろう。」と述べた。
葛野王の一言で日嗣は、皇太子であった草壁皇子の遺児・軽皇子に決まった。持統天皇は、葛野王の言を大いに喜び、正四位の位を与え、式部卿に任命した。
守谷健二です。おかしいと思いませんか。天武天皇を『日本書紀』は、天智天皇の「同母の弟」と明記しています。
しかし葛野王は、乱は兄弟相続に起こる、と言い、持統天皇もその意見に同調している。天武天皇は、持統天皇の夫です。夫の正統性を否定しているのです。『懐風藻』は、天平勝宝三年に上梓されて、禁書にも焚書にもされることなく現代に伝えられてきた書です。天武天皇直系の王朝の中で上梓されたのです。
【1464】[1793]天武天皇の正統性について
『日本書紀』に保険を掛けた藤原不比等
『日本書紀』天智八年十月より(筆者、訳す)
十月十一日
天皇、藤原内大臣(中臣鎌足)の家に幸(いでま)して、自ら鎌足の病を問いたまうた。
鎌足、甚だかたじけなくありがたく思い、恐縮した。
天皇、曰(のたま)はく「そなたの朕(われ)を助ける功績は甚だ大きいものがある。その功績に報いてやりたい。望ものがあれば遠慮なく申すがよい。」
鎌足答えて云う「もうお役に立たない身になってしまいました。これ以上何を望みましょう。ただ葬式は、出来るだけ質素に行ってください。」
この言を聞いた時の賢者たちは、さすが内大臣である。後の人々は長く誉め伝えるであろう」と言った。
十五日
天皇、東宮大皇弟(大海人皇子、後の天武天皇)を藤原内大臣の家に遣わして
大織冠と大臣の位を授く。
依りて姓を賜いて、藤原氏とする。此れより以後、藤原内大臣と云う。
十六日
藤原内大臣薨(みう)せぬ。
守谷健二です。ここに藤原氏の由来が書かれています。正史『日本書紀』の中にです。しかし、私はこの記事は出鱈目だと信じています。藤原氏の正統性を創造した記事である、と。
中臣鎌足には二人の息子が知られています。長男は定恵と言い出家しています。出家とは世を捨てる事、生きながら死んでいることです。決して名誉なことではありませんでした。
次男が後右大臣まで出世する藤原不比等です。彼には幼時、難を避けるため、山科の田辺の大隅に養われていた、、との伝承があります。
また、「壬申の乱」では、極刑の斬首になったのは、右大臣の中臣金ただ一人でした。
不比等が『日本書紀』に登場するのは持統天皇の二年です。持統天皇は天武天皇の皇后ですが、天智天皇の娘です。「壬申の乱」の勝利を手放しで喜んではいませんでした。首謀者である高市皇子(天武の長男)に深い怨みを抱いていました。しかし高市皇子は軍を握る最高権力者でした。恐ろしい存在であったのです。
不比等が藤原氏を名のったのは、中臣鎌足の子であることを隠すためのカモフラージュだったのが真相だったのではないか。
『日本書紀』は、藤原不比等が右大臣で最高権力者の時編纂を終えています。藤原氏の正統性を創造するなど朝飯前でした。
また興味深いのは、中臣鎌足が、東宮大皇弟(天武天皇)にも大事にされていたように書いてあることです。『日本書紀』が上程されたのは養老四年(720)です。この年不比等も亡くなっています。この後右大臣に就き権力を握るのが高市皇子の子・長屋王(ながやのおおきみ)で、彼の母は、皇太子・草壁皇子の妃・阿部皇女(後即位して元明天皇)の実の姉・御名部皇女です。
また長屋王の妃は、草壁皇子の娘・吉備内親王(元正天皇の実の姉妹)でその間に男子が生まれていました。
不比等の時代は、まだまだ天武系の勢力と天智系の勢力が拮抗していました。東宮大皇弟にも気を使う必要があったのです。
6月五日書く。続く
【1463】[1792]先の日曜日(5月31日)の私たちの定例会は盛会で終わりました。次の仕事に向かいます。
副島隆彦です。 5月31日(日)の私たち学問道場の定例会(自力での講演会)は無事、終わりました。
正確な人数は分かりませんが、400人の会場が埋まっていました。座れない、という苦情もなくて良かった。
私は、合計5時間(午後7時15分まで)ずっと、ほとん喚(わめ)いていたので、さすがに、終わったあと、喉(のど)が枯れました。あまりないことだ。私は、立ったまま10時間でもずっと演説できる人間だ。生来の アギタトーレ(アジテーター)だから何ともない。 足腰がしっかりして、日頃の運動不足
を解消できて良かった。
私は、後半で、参加者の要望も会ったので、予定通り、アラビア人の男の服装(ディスダーシャ、にアガール )を着て演説をずっとやりました。 アラビア女性の黒一色の衣装であるアバーヤを、野田さんに着てもらって、披露しました。皆に、喜ばれました。 私は、このあと、アラビア人の勇壮な、軍人の踊りを、披露しようと思ったのですが、なんと、 刀(の代わりのアルミ製の物差し)が、床の舞台の隙間に落ちてしまって、踊れなくなりました。
初めからの演題であった、「副島隆彦が、思いっきり 現下の問題を洗いざらい話します」の通りにできた。気分は良い。危ないこともたくさん話しました。この講演録は、一ヶ月以内に、DVD2枚組に制作して販売しますから、お待ちください。
今のシリア・北イラクの 暴れ者集団の IS(アイエス、イスラム国)の仕組まれた突如の出現、と、丁度今から100年前の ” アラビアのロレンス ” の話しが、見事(みごと)に重なるのである。
イギリス人 トーマス・エドワード・ロレンス Thomas Edward Lawrence (1888-1935) が、1914年から22年まで、アラビア人(エジプトからイラクまですべてのアラブ人)の団結と独立のために彼らを助けて闘った。
イギリスの情報部将校(連絡将校、リエゾン・オフィサー)として、「砂漠の叛乱」を起こしたアラブ人の部族長(シャイク)たちの連合体である ハーシム家 を助けて、本気で戦った。 そして、最後は、イギリス政治の残酷さの犠牲になって、消されていった。私、副島隆彦は、アラビアのローレンスの 悲劇の人生に、自分の人生を重ねあわせる。
アラビア語を話す考古学者だった、弱冠26歳の若造であった、T.E.ロレンスは、第一次大戦の始まりで召集され、現地に派遣され中佐(カーネル)となって、ハーシム家の フセイン・イブン・アリー(ヒジャーズ王国、国王。メッカ太守)とその息子 ファイサル(シリア国王、イラク国王になった)、およびアブドッラー(現在のヨルダン国王は、その4世)たちを支援して、懸命に戦った。 そして、最後は、イギリス政府に裏切られて、用済みにされて捨てられていった。
ロレンス中佐は、ファイサル国王(シリア王、イラク王)の従者、通訳として、1919年1月からのベルサイユ会議(第一次大戦の 敗戦国ドイツを裁くための会議。オスマン・トルコはその同盟国として、解体された )に参加した。 英と 仏は、 ハーシム家と約束していた、「アラビア世界をひとつにまとまって独立させてやる」と約束していたのに、その約束を狡猾(こうかつ)に破った。 それで、両者の板挟みになった ロレンスは、行き場を失った。 あとは、本を書いて、後世(こうせい)に真実を書き残すしかない。 だから、1927,8年に、『知恵の七つの柱』(セブンピラーズ・オブ・ウイズダム)を書いた。その一部が、『砂漠の叛乱』として急いで出版された。大きな評判をとった。
だが、ロレンスは、自分の悲しい運命を、察知し、感づいていた。
パリ会議(ベルサイユ会議)あと、英と仏 のワルの帝国主義者たちは、いいようにアラブ人たちを騙して、自分たちのいいようにアラブ世界を分割した。シリアはフランスのものになった(1916年のサイクス=ピコ条約の英仏の密約どおり)。 このようにして今のアラブ世界がある。
それでも、まだアラブ人たちのハーシム家を中心にした団結があったのに、そこへ、今度は、1924年に、横っ腹の リヤドから 暴力団的な 部族である、現サウド家の、アブドルアジズ・イブン・サウド が、メッカ(マッカ)に突撃してきた。そして、立派なアラブ世界の王(シャイク、エミール、さらにはカリフになれた)であるハーシム家の フセイン・イブン・アリー(もともとメッカ太守である) のヒジャーズ王国を崩壊させ、サウド家が奪い取った。
サウド家の アブドルアジズ( この息子たちが今も、順番にサウジの国王である。今年1月からサルマン国王。80歳)の背後に、世界最大のガワール油田(ペルシャ湾岸)の利権を握った、アメリカからの資金援助と軍事援助があった。
これで 全アラブ人の希望であった(オスマン・トルコ帝国からの)独立と団結、の 願いは、叩き潰された。 愚か者の英と仏の アホたちの背後から、抜け目なくアメリカが成長していたのだ。
ロックフェラー財閥 の巨大石油資本であうアラムコ=テキサコ=ソーカル=カルテックス(これらが今のシェブロン)が、サウド家のアブドルアジズ(リヤド太守)に、今のサウジアラビア(サウド家のアラビア)を作らせて、それで、アラブ人たちは、大きく分断されて団結を阻まれて、今の惨めなアラビア世界となった。 お調子者の、英と 仏は、自分たちが見下していたアメリカの世界帝国(=世界覇権国)としての 登場と隆盛(りゅうせい)にこの時、まだ気づいていない。
英と仏 が、惨めにアラブ世界から、撤退していったのは、このあと30年後の、1956年のスエズ動乱のときだ。英仏軍は共同で、スエズ運河の利権を死守しようとして、落下傘部隊(空挺団、パラトルーパーズ )を投下して、スエズを軍事制圧した。その時のエジプトは、アメリカが背後にいて支援していた(表面は、ソビエトの支援)ナセル大統領(軍事評議会によるクーデター)によるナセル革命の最中だった。
英と仏は、泣く泣く、惨めにエジプトから撤退していった。スエズ運河はエジプトによって国有化された。この ときに、世界の覇権ははっきりとアメリカに移っていた。 以後、ヨーロッパ全体も名実ともに、アメリカの属国の地域(リージョン)にはいった。
今のIS(アイエス) は、奇妙なことに、 ヨルダンの アカバ港 (紅海=レッド・シー=に面している)から石油を密輸出している。このことは世界のジャーナリストたちの公知だ。そして、まさしく この アカバ港から、トヨタ製のあのものすごい数の白のピックアップ・トラック( テキサス州のサンアントニオ工場製 ) を 陸揚げして、密かに、シリアにまで運んでいること。 IS への 軍事物資 と資金の支援も、今のサウジアラビアと、イスラエルと アメリカの軍事凶暴派であるネオコンとヒラリー派、CIAの特殊軍(スペシャル・フォーシズ)が、行っていることが分かる。
そして、まさしく、このアカバ港こそは、あの映画「アラビアのロレンス」(1962年制作)のハイライトになった、アカバの要塞 への背後の ネジド砂漠からの ラクダ部隊の ベドウィン(砂漠の民、部族の勇者たち)の奇襲部隊による、T.E.ロレンスたちの舞台だ。
このような真実の アラビア世界、中東、イスラム教徒たちの世界基準の研究を、急いで私たちはやらなければいけない。
表面だけの IS 研究などで満足してはいけない。 私たち学問道場は、「アジア人どうし、戦わず(戦争だけはしてはいけない)、アジア人よ団結せよ 」 の旗頭(はたがしら)を掲げていることで、 同時に、「アラブ人(アラビア人)よ、団結せよ。真の独立のために闘え 」 と唱えないわけにはゆかない。
こうなると、当然の帰結として、今の北イラク での、 ISの集団というのは、同じアラブ人どうし(スンニー派であれシーア派であれ)を、分断して、互いに戦わせようとする、 恐ろしい 政治謀略 によって創作されたものだ、とはっきりと分かる。 アラブ人どうしを争わせ、殺し合いをさせることで、得をするのは、誰か? このことを、私たち日本人は、本気で自分の頭で考えなければいけない。
私は、この4月に、中東、イラン、アブダビ、ドバイに 調査旅行に行けて本当によかった。 そこから800キロメートル先の、サウジの首都リヤドにまでは、行けなかったのが残念(今は、旅行者は入国禁止)だった。だが、アブダビでも多くのサウジ人たちの姿は見たから、それで我慢する。私は、一(いち)を聞いたら十(じゅう)が分かり、(一(ひとつ)を見たら百(ひゃく)が分かる人間だ。 そして、こうして 現代のアラブ、中東世界についての、大きな理解を、急いで私は作ることが出来た。それらを、これからどんどん公表する。
私の講演の前に、まず石井利明(いしいとしあき)君が、『福澤諭吉 とフリーメイソン=ユニテリアン教会(という当時の欧米の優れた最高級知識人たち から学んだこと)』という講演をしました。
このままでは、日本は、イギリス(大英帝国)によって思うように従属国にされてしまう、と早くも1873年(明治6年)には、鋭く気付いた福澤諭吉(当時、38歳)は、1883年(明治16年)から、息子一太郎(いちたろう)の提言もあって、アメリカの東部ボストンのハーヴァード大学から、優秀な
4人の ユニテリアン派宣教師でありながらハーヴァード大学の神学者、化学者である学者たちを招聘(しょうへい)する計画を実行した。
「我が、慶應大学を、東洋のハーヴァード大学にせん(する)」という高い方針を実行した。アーサー・メイ・ナップ教授ら、当時のハーヴァード大学の気鋭の若手学者たちを招いた。そして、学生たちに、当時、世界最先端、最高級の授業をして、世界に追いつこうとした。
そして、福澤は、なんと腹の底から嫌っていた、当時の日本国の最高権力者であった 伊藤博文(いとうはくぶん、初代、内閣総理大臣)と 組んで、同感しあって、「このままでは日本はイギリスの思うように操られる。それを避けるには、隆盛する新興大国である アメリカこそは、自分たちの手本であり、彼らのユニテリアン(という 近代学問=サイエンス=を教えることを堂々とやった) キリスト教プロテスタントの一派ではありながら合理的精神に満ちた、すぐれた学者たちから、学ぼうとした。 さすがに大きなワルではあるが伊藤博文もタダの馬鹿ではない。
尊皇攘夷(そんのうじょうい)思想の後(あと)を継いで日本国の反体制運動の火柱となった 自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)の限界を始めの始めから、福澤諭吉は、はっきりと分かっていた。だからずっと冷ややかに見ていた。 だから、ここで当時の日本の最高の頭脳は、福澤と、伊藤博文( 1909年に、ロシアと協調しようとして、ハルビン駅頭で、山県有朋 の陸軍銃殺隊に狙撃され死亡 )だった。
ユニテリアン教会の建物は、全国どこでも、その裏部屋がフリーメイソンの
秘密の会合と儀式をする場所になっている。そのひとつが、長崎のグラバー邸に残っている。軽井沢や 日光中禅寺湖のほとりの外国人館の中にもあった。
1890年代まで、世界最高の優れた頭脳の欧米白人たちは、ユニテリアン=フリーメイソンの会員だった。ところが、20世紀(1900年代)に入って、勃興したアメリカ石油帝国の財界人達によって、このフリーメイソンは、内部から乗っ取られて、その頂点から、腐り果てていったようだ。
そして、今、囁(ささや)かれている 世界を背後から人事、人材、資金力、軍事力であやつる 巨大な非公式の 秘密組織になった。 これらの 大きな秘密を、ひとつひとつ、掘り当てながら、 石井利明くんと、私の他の弟子たちの頑張りが今も続いている。
たとえば、勝海舟( かつかいしゅう、江戸の小者、中間(ちゅうげん)階級の
出で、火消し衆=今の暴力団=の元締めの家柄。腰抜けの旗本たちは、刀が抜けなくなっていた )は、 幕府(とりわけ大久保一翁)が、 1830年代の 、優れた蘭学者(洋学者)たちの中に、潜り込ませて、スパイとして働くように用意周到に育てられた 策略の人間だった。 だから、渡辺崋山(わたなべかざん)、高野長英(たかのちょうえい)たち、優れた蘭学者たちが、1830年代に(1839年、蛮社の獄=ばんしゃのごく=)殺されていった。
江戸幕府が倒れたあと、没落した旧幕臣たちから、「勝(かつ)のやつめ。自分だけ良い思いをしやがって」と怨嗟(えんさ)と呪いの声が上がっていた。榎本威陽(えのもとたけあき)は、さらに勝海舟の子分であった。
幕府海軍の頭(かしら)、総裁(そうさい)として、8隻の当時、世界レベルの最新鋭の洋式軍艦を持っていたのに、 薩長(さっちょう)の討伐軍(=官軍)が、箱根山を越えて、東海道を進軍して来たときに、小田原あたりの海から、艦砲射撃をすれば、薩長軍など、崩壊させることが出来たのだ。 ところが榎本は一発も艦砲を発射していない。
このことも、石井くん他、私も入って、12人で書いた、『フリーメイソン=ユニテリアン教会 が明治日本を作った』(成甲書房、2014年4月刊) に書いた。 この本は、本当に大事で重要な本です。 みんなに真剣に読んで欲しい。 いろいろ 今からでも暴(えば)き立てるべき歴史の真実が この 本に 山ほど書かれています。
内容の紹介
福澤諭吉
新島襄
榎本武揚
板垣退助
森鴎外
新渡戸稲造
山尾庸三
西 周
尾崎行雄
後藤新平
津田梅子
これが偉人たちの真実の姿だ! 世界最大の秘密結社フリーメイソンは幕末・明治の日本にどれほど強い影響を与えたか幕末・維新の指導者、そして明治の元勲たちの中にフリーメイソンの思想がどのようにびっしりと入り込んだか
正確な歴史史料で解明する日本の真実
<目次>
[はじめに]‐副島隆彦
[第1章]福澤諭吉は日本の自立自尊のためにフリーメイソンリーと共に闘った‐石井利明
[第2章]新島襄‐ユニテリアン思想の日本への導入者‐副島隆彦
[第3章]オランダ軍人にあやつられた榎本武揚‐長井大輔
[第4章]日本人初のフリーメイソン・西周の隠された青春‐田中進二郎
[第5章]自由民権運動の父・板垣退助はフリーメイソンだった‐津谷侑太
[第6章]「憲政の神様」尾崎行雄のもう一つの顔‐古村治彦
[第7章]西周が従兄弟叔父である森鴎外‐六城雅敦
[第8章]ジャーディン=マセソン商会が育てた日本工学の父・山尾庸三‐下條竜夫
[第9章]日本初・国際“超”高級官僚としての新渡戸稲造‐吉田祐二
[第10章]後藤新平は「日本のセシル・ローズ」である‐中田安彦
[第11章]正しく評価されてこなかった津田梅子‐足助友子
[附章]「フリーメイソンリー」「ユニテリアン」「理神論」ブリタニカ大百科事典の項目翻訳‐鴨川光(翻訳)
[おわりに]‐副島隆彦
副島隆彦です。 私は、このあと、今週末の日曜日(6月7日)に、今も 戦争死んだ者たちの怨霊が、その海に漂っていると私は思った(先週行ったときに)、横須賀市で、「軍港 横須賀 150年の歴史の真実 」 を講演します。 今日のボヤキの方に、案内があります。
さて、以下に、さらに、載せるのは、私が、ネット上で今朝、拾った、自分自身がこの重たい掲示板に4年前に書いた 文章である。 私は、今も腹に据えかねる。怒っている。 この4年前の私、副島隆彦の文を読んで、すべての人が、よーく考えなさい。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
「 副島隆彦の学問道場 重たい掲示板 」 から 転載
重たい掲示板[754] 私の本たちのこと。小沢裁判のこと。
それから、高田純(たかだじゅん)氏の本から「福島では誰一人として甲状腺がん にはならないと予測できる」 を載せる。
投稿者:副島隆彦
投稿日:2011-10-19 10:47:16
副島隆彦です。 今日は、2011年10月18日です。
私は、9月末に 中国の内モンゴル(内蒙古)に調査旅行に行って、いろいろと収穫がありました。帰国して、講演会などの用事をこなして、それから、4冊の本に取り掛かりました。
数日まえに、ようやく 私たちの立派な指導者である小沢一郎への政治弾圧である 陸山会事件の裁判のことを書きあげました。これは、すぐに、今日のぼやきの 会員ページに載せます。お待ちください。
私が書いていた4冊のうちの一冊は、もうすぐ刊行されます。 私と弟子たちの 第6論文集 である 「放射能のタブー」(KKベストセラーズ刊)です。 来週にも発売になるでしょう。
この本は、8月に、福島第一原発から20キロの検問所の近くの都路町(みやこじまち) にある 学問道場の復興活動本部で合宿をやって、皆が発表したものをまとめたものです。私を含めて16人が執筆しました。今日のぼやきの広報でもすぐに宣伝するでしょう。乞うご期待。
あとの一冊の恒例の「副島隆彦の金融・経済本」 ( 祥伝社 刊) もようやく峠を越して、書き終わりそうです。これは何とか11月の中旬には刊行したい。
それから、私の「中国研究本の 4 」を出します。それから、「阿弥陀如来(あみだにょらい)・観音菩薩(かんのんぼさつ)・弥勒菩薩(みろくぼさつ)とは何者か。
この女たちは、一体どこから来たのか。仏陀(ブッダ。ゴータマ・シッダルダー。お釈迦さま)とは、別人だろう。この女たちの出自を調べる」 という 内容の「副島隆彦の歴史研究本 の 3」 をPHP研究所から出します。 何とか年内にこれだけは仕事をします。
都路(みやこじ)の活動本部を、弟子たちと現地の支援者たちだけに責(まか)せておくわけにはゆきません。 私が行って、あのあたりに、 宗教研究家の中矢伸一(なかやしんいち)氏らとも協力して、「健康ランド」とか、「低線量(ていせんりょう。微量の意味)の放射線は人体に良い影響を与える」ことの証明としての
「ホテル 放射能」 を建設しようかと、考え始めています。 また、私たちの 愚かな 「放射能コワイ、コワイ」派の敵どもが、私のこの 「ホテル 放射能」 ( 「ホテル・カリフォルニア」ではありません、「アトミック カフェ」でもありません)の話に飛びついて、ギャーギャー騒ぐでしょう。
本当に、この愚か者たちは、自分の脳に張り付いた 放射能恐怖症で、生来の臆病さ と、ものごとを冷静に考えて判断する能力がないから、救いようのない者たちだと、思います。
私たち学問道場が、3月の原発事故の直後から、これほど頑張って、現地に入って活動を続け、冷徹な客観報道をして、「これぐらいの超微量(ちょうびりょう)の放射線量は 人間の体に害を与えない」と 書き続けた。のに、 それでもまだ、説得されないで、今も、バカな恐怖症言論を撒(ま)き散らしている。
私が、5月3日に、郡山で対談して一冊の本 「原発事故、放射能、ケンカ対談」(幻冬舎、2011年6月末刊) の 対論相手の 武田邦彦(たけだくにひこ)という男は、本当に、どうしようもない男だ。 先日も、 東京・世田谷で、(愚かな騒ぎだった)、放射性物質が見つかった」のバカ騒ぎもひどかった。
真実は、 たったの 2.7 マイクロシーベルト毎時(パーアウア per hour )のラジウム入りの塗料か何かだった。それを 武田は、「2・7ミリシーベールの高濃度の」と、書き続け、 つい最近、こそこそと それを、「2・7マイクロシーベルト」に書き変えたそうだ。 証拠は挙(あ)がっている。
武田邦彦をは、これを同じことを、これまでに数回やっている。 こんな男が、科学者とか、原子力の専門家とかを名乗れるはずがないのだ。 そのうち、 彼は、各方面の専門家たちから厳しい批判を浴びて、消えていなくなるだろう。 私も、そろそろ、この男の 扇動言論と、確信犯としての犯罪者体質が、 腹(はら)に据(す)えかねるようになってきた。
武田も、私、副島隆彦に怒っていて、「副島さんは、(何回も原発のそばまで行ったから) 癌で死ぬんだから、ほっておけばいいんだよ」と 編集者たちに言っているそうだ。 武田も、それから、その追随者たちも、私が、問い詰めたら、「10万人ぐらいが福島で、放射能のせいで死ぬのだ」 と 堅く信じ込んでいる。
福島県の人口は丁度200万人だから、その5%ぐらいが死ぬのだと、思い込んでいる。かなかな口には出さないが、私が、きびしく問い詰めたら、そのように一様に、白状する。これには私が驚く。 10万人の福島県人が5年後、10年後に死ぬ、そして、おそらくそのうちの多くは、子供たちだと、この 馬鹿たちは、信じ込んでいる。 これは恐るべきことだと、私は、呆(あき)れかえる。 人間と言うのは、ここまで愚かになれるものか、と、その近年で、最大の 思想ドラマを見せてもらっている。
私は、この手の馬鹿たちと付き合わなければいけないので、不愉快きわまりないことが多い。私の一番の友人で、長年の親友である、「ちょっとインテリの、それなりの知識人」である者までが、この コワイコワイ派である。私が、いくら説得しても、私の言うことを聞かない。 「でも、やっぱり危ないんだよ。副島。分からないことが多いから」と言っている。
この者にして、この程度の思考力しかかなったか、馬鹿はほっておくしかない。と私は、がっかりして、相手の顔を見つめている。 これは、私が生きてきた間に起きた、もしかしたら、最大の笑劇(ファルス、人間喜劇)なのだろう。
私は、これまでもずっと書いたが、まだ何度でも書く。 福島では、誰も死なない。こん微量の放射能のせいで、発病して死ぬ者はひとりもいない。そのように断言します。
それは、福島の現地に行けば分かることだ。放射能コワイコワイの臆病者たちは、とにかく、自分のお金と時間をかけて、福島の現地に行きなさいそして、通りすがりの住民たちと話しなさい。そうすれば、考えが変わる。「なーんだ。何もないんだ。放射能は目に見えないからコワイなどと信じ込んでいた、自分がアホだったんだ」と気づくだろう。 意地でも現地の真実に気づきたくない者でも、どうせ、時間がたてば、気づく。
それでも、意地でも自分の思考転換、思想転向(コンヴァージョン、リキャンテイション、マチュア・アップ)をしたくなくて、強がりと、居直りと、愚かに扇動された自分に気づいても、恥ずかしいものだから、なんやかやと、言い訳をして、自分自身に向かってウソをついて、自分で自分をごまかす、ということをするのだろう。
私、副島隆彦は、この 思想転向 の専門の研究学者なのです。分かりますか。私の本当の専門(プロパー proper 固有)は、この思想転向の問題だ。 私の主著であるアメリカ現代政治思想研究 の本は、そういうことの集大成である。 私の本をこれまで、何冊も読んだ人には分かることだ。このことが分からないのから、副島隆彦の熱心な読者だったのに、とか、言うな。絶対に言うな。
原発の大事故を起こした東電の経営陣への厳しい責任追及と、爆発事故で漏れた(放出された)放射線の人体への影響の問題は、別である。 このふたつをきちんと薫別を付けなければならない。 福島県の幹部公務員たちは、かならず、この「東電の責任と、放射線の人体への被害問題は別です」と、毎回、毎回、必ず言う。
私は、福島県庁のこの態度が正しいと、判断している。私も、この立場だからだ。
東電の経営陣と政府の原子力委員、安全委員の歴代のトップたちは、存命であれば、絶対に、今からでも 逮捕されて刑事裁判にかけられて日本国民によって処罰されるべきだ。
一番、悪いのは、原子力委員会委員長を長年やった、この業界のドンで、今は、三菱総合研究所の理事長になっている 小宮山宏(こみやまひろし)だ。今も東電の監査役である。私、副島隆彦は、この男だけは絶対に、許さない、と堅く決めている。
この 小宮山宏の、事故後の居直りと、悪辣な態度と、新聞にまで、今も「エコと次世代エネルギーを推進」などと大きな顔をして出てくるのを見ていると、本当に、私は怒り心頭に発する。
武田邦彦が、「私は、9億円を東電からもらった」と、私との対談本で、はっきりとしゃべった。 武田程度の小物の、下っ端の 原子力委員・安全委員でも、9億円なのだから、小宮山とか鈴木篤之(すずきあつゆき)、斑目(まだらめ)らは、100億円ぐらいは 当然、貰(もら)っているだろう。どうして、誰もこのことを、糾弾しないのだ。腐り果ててるのか、お前たちの頭は。
武田は、原子力委員・安全委員の専門委員を10年間やった。と自分で私に話した。 そして、恐るべきことに、この6月からまた、安全委員会の専門委員に、武田は、復帰している。 だから、ここには政治謀略の臭いがある。 武田のような、「温厚で、柔らかい物腰の人間」を上手に裏から、上から、操(あやつ)っている人間たちがいる、ということを示している。おそらくそういうことだろう。
放射能(放射線量)の人体への影響の 専門家は、放射線医学者たちである。それと、放射線防護学を名乗る学者たちである。 それ以外の、原子力工学や、原子炉技術者や、核物理学の学者たちは、放射能の人体への影響の問題の専門家ではない。
専門家でもない、 1.武田邦彦 と 2.広瀬隆 3.小出裕章(こいでひろあき) と4.児玉龍彦 の 放射能コワイコワイの国民扇動者 4人組 を、私は、これからもずっと糾弾し続ける。 彼らの言論のおかしさと、愚劣さと、低劣さが、満天下に認められ、大きく敗北する時まで、ずっと、私の方も言論で闘いつづける。
だから、私の同志は、放射医学者たちである。その代表は、やはり、 山下俊一(やましたしゅんいち)長崎大学教授 (現在は、福島県立医大副学長も兼任している) である。
山下教授らに、バッシングの嵐を浴びせた者たちは、今から、2年後、5年後に、一体、自分たちがいかに愚か者で、思考力がない人間であるかを、分かるときが必ず来る。その時に、ずるい逃げ方をするな。口を拭(ぬぐ)って、「私は、そんなことは言わなかったよ」と言うな。 今のうちから、自分が、この4月から10月までに書いたものをしっかりと保存しておくように。 私もそうする。
彼ら 4人組の言論 (彼らの本は、ベストセラーの1位になった) に追随(ついずい)する者たち は、今のうちから、しっかりと、自分の内心、内面に向かって、自分の立場を何度でもはっきりさせて、それを文章に書いて残しておいてほしい。
すべてが明らかになるときが、数年後には来る。 その時まで、 自分の態度を変えずに、奇妙な変節をしないで、態度を一貫させてほしい。 コロコロ態度を変えるのは、人間としておかしいのだ、と自分にも言い聞かせて欲しい。
さて、以下に載せるのは、放射線医学者であり、就中(なかんずく)、放射線防護学(ほうしゃせんぼうごがく)の専攻学者である 高田純(たかだじゅん) 札幌医科大学教授の最近の 文である。 ネットから私が拾ってきたものだ。
高田純教授が最近、出版した 『福島 嘘と真実』 (高田純著、医療科学社)の中の一部の抜粋だと思います。 以下の文の中に、高田純は、はっきりと、「 今回の放射性ヨウ素量が原因で、福島では誰一人として甲状腺がんにはならないと予測できる」 と書いている。引用する。
(引用始め)
これらの値は、チェルノブイリ事故被災者の値の1万分の1から1000分の1である。かの地、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア3カ国の被災者700万人の最大甲状腺線量は50グレイ(=50シーベルト)。その後数年から、総数で当時の4800人の子供たちに甲状腺がんが発生した。
(副島隆彦注記。チェルノブイリ事故から) 20年後の世界保健機関の調査報告である。 このリスクが線量に比例すると考えれば、今回の放射性ヨウ素量が原因で、福島では誰一人として甲状腺がん にはならないと予測できる。
(引用終わり)
副島隆彦です。 このように、 福島で放射能にせいで癌になる ( 放射能による癌は甲状腺がんだけである) 人はひとりも出ない、という 専門医学者の 高田純の 表明を 私は尊重する。
専門家の言うことに、耳を傾けて、それに従うしかない。専門家でもなく、長年の研究もないくせに、放射能の人体への影響について、素人と同じくせに、偉そうに発言する者たちを、私たちは、厳しく排撃しなければならない。
放射線医学者たちのほとんど( 中に、数人、変なのかいるらしい) が、「これぐらいの微量の放射線量では発病しません」と口を揃(そろ)えて言っているのに、彼らのことを、 「御用学者だ」と、レッテル貼り ( labeling レイベリング)する 激しいバッシングの嵐が、この 4月、5月、6月、7月に あった。
この動きに少しでも加担した者たち、全員を、私は、見つけ出し次第、あるいは、私の目の前に現れ次第、言論の力で厳しく、問い糺(ただ)し、説得する。一般人だろうか誰だろうが容赦しない。 私が、「ケンカ対談」本で、武田邦彦にやったのと同じ、それの進化した形で、問い詰める。
このおかしな、放射能コワイコワイの 現状 はまだまだ続くのだろう。私は、我慢して愚か者のすべてを説得し続ける。
副島隆彦拝
(以下は、『福島 嘘と真実』(高田純著、医療科学社)からの 一部の 転載である) (以下、略)
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1462】[1791]今日(31日)お茶の水で 定例会。 そして来週、横須賀市で講演します。
副島隆彦です。 今日は、2015年5月31日です。
今日は、私たち学問道場の 会員の定例会(自力での講演会)があります。東京の御茶ノ水(聖橋=ひじりばし=側、林羅山が作った孔子廟がある )の近くの全電通(労組)会館です。 時間のある人は集まってください。詳細は下 ↓ の方とか見てください。
当日券もあります。 会員はご自分の友人もお連れください。
それから、来週の日曜日 6月7日に、私、副島隆彦は、神奈川県の横須賀市で、「軍港150年の真実を語る」 という講演をします。 ここの 今日のぼやき の方に案内を載せました。南関東の人で、軍港(米軍と、わきに自衛隊もいる)に行ってみるか、という人は来てください。
私は、この一週間、このふたつの講演会のために、物凄(ものすご)く勉強をしました。自分の頭が、鉢切れ(はちきれ)そうです。 あまりにも多くの知識を、それらをひとりの人間の脳の中に詰め込んで、総合しようとしています。人類5千年の歴史として、縦横(じゅうおう、各国、民族ごとに相互連関させる)体系化することで、大きな真実に迫ろうとしています。 私、副島隆彦の頭脳(あたま)を持ってして、どれほどのことが解明出来るか、の勝負どころです。 どこまで、それを、講演会で話せるか、です。 あまりにも話を世界中の、各時代の、あちこちの 王朝(政治権力)の話に広げすぎて、失敗するかもしれない。 まあ、やってみるしかない。
この1週間で、「円安・ドル高」の動きが出ています。 1ドル=124円になりました。
この動きは、アメリカの投資家たちが、現物(げんぶつ)で買ってきた分の日本株を、どんどん売って、ドルに換えて、資金をニューヨークに持ち帰っているからだ。 だから、麻生太郎・財務大臣が、「アメリカは、話がちがうじゃないか」と渋い顔をしている。
日本政府が、自ら相場操縦(そうばそうじゅう)の違法行為をして、GPIF(ジーピーアイエフ、年金資金)やらの「5頭のクジラ」で、毎日、毎日、ガブガブと日本の大企業の株式と 「JPX日経400」などのインデックス債を買っているから、日本株の平均株価は、20,500円にまでなった。 だから、「今のうちに、日本株を売って、益出(えきだ)し=利益確保 をしよう」としている 外国人投資家が、アメリカ政府の監視も聞かないで、どんどん売っている(円を売ってドルに換えて日本から持ち出す)からだ。
日本政府は、渋い顔をする。これは、ダダ漏れであって、日本株を必死で、日本国民の大事なカネ(年金の積立金)で、買っているのに、それを、足元から掘り崩し、石垣を壊す動きだから。 いくら、日本国民の年金やゆうちょの資金を投入しても、足元から漏れ出すようだと、この先が危ない。 今に見ていなさい、と副島隆彦は、余裕を持って言う。
以下の記事は、ついに、ゆうちょ銀行の資金に、ゴールドマンサックスが直接、手を突っ込む、という資金運用の重要な人事の決定だ。まだまだ、アメリカに資金が持ち出される(アメリカ株買いと、米国債買い)。 日本国民は、アメリカによる、資金の奪い取りによる、奴隷状態にどこまで我慢できるか、だ。 このロイターの記事に、後追いで慌(あわ)てて、日経新聞が、全く同じ記事を翌日(29日)に書いていた。
(転載貼り付け始め)
●「ゆうちょ銀の運用責任者、ゴールドマン前副会長の佐護氏に=関係筋」
2015年5月28日 ロイター
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPKBN0OD0BD20150528
日本郵政グループのゆうちょ銀行は28日、運用業務の最高責任者にゴールドマン・サックス証券の副会長を務めていた佐護勝紀氏を迎え入れる人事を固めた。複数の関係筋が明らかにした。ゆうちょ銀は運用の高度化を課題に掲げており、ゴールドマンで市場部門の経験が長い佐護氏を起用することで、外国債券や株式への投資を加速させる。
29日に公表する。副社長級のポストに充てる方向で検討しているが、6月の取締役会で正式に決める。
佐護氏は、1992年にゴールドマンに入社。債券や株式など有価証券運用の経験が長く、マネージングディレクター、取締役などを経て2011年に 副社長に就いた。今年2月に副会長職を退き、金融庁参与に就任していた。
運用資産残高200兆円を抱えるゆうちょ銀は、4月に発表した中期経営計画で、国債に依存していた運用を外債や株式などにも広げ、運用の高度化を 図る方針を示していた。
日本郵政の西室泰三社長は、公募により外部から専門人材を招く方針を表明しており、すでに30人程度が応募している。今後は佐護氏を中心に人材を 選定し、専門チームを立ち上げるとみられる。
日本郵政広報部は「当社としてコメントすることはない」としている。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 以下の載せるのは、アメリカのオバマ政権と、中国の習近平は、つながっていて、アメリカの狂暴なヒラリー派=ネオコンたちから、どんなに妨害されようとも、アメリカとしては、中東から、アジアにかけての 安定を求める.「大きな戦争」ラージ・ウォー large war は、しない、という方向を向いている。ただし、それもオバマの任期がある来年、2016年中までだ。そのあと、2017年から、世界は荒れるだろう。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
●「中国、ひそかに米に「助け舟」 隠密の仲介工作 編集委員 秋田浩之」
2015年5月29日 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO87342700X20C15A5000000/?dg=1
南シナ海の岩礁埋め立てをめぐり、米国と火花を散らす中国。ところが、オバマ政権の対外戦略にひそかな「助け舟」を出し、貸しをつくるという、 したたかさもうかがえる。
多くのウイグル族がすむ中国新疆ウイグル自治区。その最大都市であるウルムチで今月20~21日、ある秘密会議が開かれた。
出席者は、アフガニスタン政府と反政府武装勢力、タリバンの有力者ら。アフガン和平を促すため、中国政府が両者を仲介する会議を主催したのだ。 米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)が25日、独自情報として伝えた。
これだけではない。ロイター通信によると、5月3日、カタールでアフガン政府とタリバンの代表団との直接対話が開かれた。この席にも、米国と並 び、中国政府関係者の姿があったという。
従来なら想像もできなかった光景だ。中国はアフガン和平にはほとんど、関与しようとしなかったからだ。いたずらに和平交渉にかかわり、イスラム原 理主義勢力の反発を買えば、国境を接する新疆ウイグル自治区にテロが飛び火しかねないからだ。
■オバマ氏の訪中が転機
この姿勢に大きな変化がみられたのが、昨年秋だという。アフガンにかかわる国際機関関係者は明かす。
「中国は従来、アフガンへの投資には関心があっても、和平や復興には興味を示さなかった。ところが、オバマ大統領が訪中した昨年11月ごろか ら、中国のアフガンへの対応が目に見えて変わった。米政権の働きかけを受け、和平に積極的にかかわるようになった」
米国に「貸し」をつくる狙いが透けてみえる。オバマ政権は、アフガニスタンから米軍の大半を、2016年末までに撤収させると公約している。任 期が残り2年をきり、この実現に焦っている。
いまアフガン和平に協力すれば、オバマ政権は評価し、南シナ海や人権問題などで中国に圧力をかけづらくなる――。中国指導部はこう読んでいるの だろう。
米中関係筋によると、オバマ氏の昨年11月の訪中時に、中国はアフガン問題で協力する用意があると伝達。ホワイトハウスも、中国のそうした姿勢 を評価したという。
中国を動かすもうひとつの理由は、米軍が本当に撤収したら、アフガンがさらに混乱しかねないとの懸念だ。米軍が足抜けした後、同国に「力の空白」 が生じれば、再び内戦が激化し、テロ組織の温床になりかねない。
そうなれば、中国にも重大なテロの脅威が及んでしまう。アフガンがさらに混乱に陥るのを防ぐため、今のうちから米国と協力し、和平に取り組もう というわけだ。
■忠告にじます王外相の発言
日本や東南アジア諸国にとって気がかりなのは、アフガン問題をめぐる米中連携が、南シナ海問題などにどう影響するのかだ。
南シナ海での埋め立てをやめない中国に対し、オバマ政権は今のところ、強硬な姿勢に傾いている。だが、中国側は「米政権は本気で中国と対立するつ もりはない」と、米側の足元をみているかもしれない。
今月16日、ケリー米国務長官は北京を訪れ、王毅外相らと会談した。南シナ海問題で激しい応酬を交わしたもようだ。ところが、会談後、ケリー氏 と記者会見にのぞんだ王外相は、こう力説した。
「米中関係は最も重要な2国間関係のひとつだ。アフガニスタンの和平、北朝鮮核問題、エボラ出血熱などの国際問題で協議と協力を深めたい」
中国は、米国が重視するアフガンや北朝鮮問題などで、協力する用意がある。
これらの懸案を解決したければ、中国とはケンカしないほうが賢明だ。 王氏の発言は言外に、そう米側に訴えているように響いた。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1461】[1790]天武天皇の正統性に付いて
天武天皇の結婚と天智天皇の娘たち
『日本書紀』には、十人の天智天皇の娘が記されている。実に驚くことに、その中の四人をも天武は娶っているのである。
また高市皇子(天武の長男で、「壬申の乱」の真の首謀者で、天武朝・持統朝の主宰者)は、二人を娶っており、草壁皇子にも一人を配し、大津皇子にも一人配している。
天智天皇の十人の娘の八人までも天武天皇と、天武の皇子等が娶っているのである。
最初の結婚相手は、六六一年正月八日、斉明天皇の筑紫行幸に帯同し、船上で大伯皇女(おほくのひめみこ)を出産した大田皇女である。大田皇女は、大津皇子も儲けている。
次の結婚相手は、大田皇女の実の妹(両親が同じ)の鵜野皇女(天武天皇の皇后、後に即位して持統天皇)で、草壁皇子(皇太子)を設けている。
大田皇女の方が姉で、最初に結婚していたのだから天武天皇の皇后は、大田皇女に優先権があったと思えるが、早くに亡くなっていたのか、妹の鵜野皇女が皇后に就いている。
しかしここに問題があった、姉の子・大津皇子と、妹の子・草壁皇子との即位の優先権争いであった。
六八六年、天武天皇が薨去するや、皇后(持統天皇)は、即座に大津皇子に謀反の罪を着せ殺害している。草壁皇子が即位できなかったのは、この時の後ろめたさがあったせいではないか。世間の評判が最悪だったのだろう。
草壁皇子と結婚した天智の娘・阿陪皇女(後即位して元明天皇)は、一人の皇子(文武天皇)と二人の皇女(一人は即位して元正天皇)を儲けている。
阿陪皇女の実の姉・御名部皇女を高市皇子が娶っているのだ。その間に長屋王(藤原不比等の後、右大臣、後最高位の左大臣に就いたが、七二九年、藤原不比等の四人の息子の陰謀で謀反の罪を着せられ殺害)が生まれている。
『日本書紀』は、天智天皇と天武天皇を実の兄弟と記す。それならどうして天智の娘たちを独占する必要があったのだ。天武の結婚と、その皇子たちの結婚を見ると、それはまるで家畜の品種改良で、二つの異なる形質の個体から新たな形質を作り固定化させる時の交配過程を思わせるのだ。
【1460】[1789]私の近況。5月31日の定例会に集まってください。
副島隆彦です。 今日は、2015年5月19日です。
私は、この6月7日に、横須賀市で、前市議の 一柳洋氏のお招きで、講演会をします。「(横須賀)軍港150年の歴史(の真実)」を話してくれ、とのことで、今日から横須賀市に行って現地調査に行きます。学問道場の会員の皆さんも、この6月7日(日)の 会場や詳細(無料だと思います) は、すぐにお知らせします。
その前に、5月31日の、東京の湯島の 聖橋(ひじりばし)近くの全電通会館で開かれる私たちの学問道場の定例会(講演会)にお越しください。 詳細は、今日のボヤキの方に載っています。
私は、おもいっきり現状への怒りを語ろう(ぶつけよう)と当初は思っていたのですが、それだと、話が支離滅裂になって、大失敗しそうなので、まず絞り込んで、「中国と中東アラブ世界を つなぐ ヨーロッパ・アジア(=ユーラシア大陸)のこれからの動き、それを作ってきた歴史」の話を大きな柱にしようと思います。
それと、ロバート・ルーカス(合理的予測=はできる=派の経済学者)と、その日本の子分の伊藤隆敏 が、インフレ目標政策(イン・タゲ、リフレ派。これがアベノミクス) で、株価を国民の年金を使って、吊り上げていることの、その破綻、大失敗が、そろそろ見えてきたこと( ヨーロッパ国債、米国債などの 債券市場が崩れだした)も話さなければ。
・ロバート・ルーカス(『「熱狂なき株高」で踊らされる日本』p.209)
・伊藤隆敏(いとうたかとし、写真右、『「熱狂なき株高」で踊らされる日本』p.193)
それと、中国が主導するAIIB( アジア・インフラ投資銀行) で、1000兆円(8兆ドル)の途上国支援のインフラ整備の開発資金を準備することの、人類史にとっての、正当性(それが、10億人の若者たちの仕事と需要を生む)の背景を考えた。
どうも 君主同盟のような、大きな 動きが見える。 2013年12月の日本の天皇夫妻のインド訪問が重要だ。天皇は、安倍晋三の戦争路線に反対している。天皇は、世界中の、イギリス新国王や、君主同盟を組むことで、安倍晋三たちをあやつる、アメリカの滅びつつある 石油・金融資本(ロックフェラー帝国)が、ヒラリーを表面に立てて、凶暴な戦争(好戦、ジンゴウイスト)路線に出ることを強く危惧している。
日本の 愚劣な右翼たちの戦争勢力は、オバマ、ケリー、バイデン、チャック・ヘーゲルの4人の上院外交委員会で「大きな戦争を阻止すると決意した4人のハト派政治家と日本国天皇は、連携して、これに中国の習近平、ロシアのプーチン、韓国のパク・クネ、そして、南米のブラジルのジルマ・ルセフ、アルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス、当然、その他の南米諸国、インドのモディも組んで、大きな戦争(ラージウォー)阻止の 世界同盟を作りつつある。
ユーロアジア(ユーラシア)のど真ん中に、巨大な需要(デマンド)の巨大繁栄地(100万人都市を 1000個 、合計10億人)を作り出すことが、人類が生き延びる道だ。それが、中国の 「一帯一路(いったいいちろ)」 One belt One Road (本当は、Route ルートだろう)ワンベルト・ワンルート (日本のNHKの番組「シルクロード」で「絹の道」という造語が出来た。こんなものは、世界歴史学には無い。 )の戦略だ。
それが、中央アジアから、ロシアを経て、ベルリン(ドイツ)にまで繋(つな)がる。つまり、ドイツの女帝(ドイツ第四帝国、クアトロ・ライヒ。つまりヨーロッパ帝国の)は、プーチンと話し込んで、アメリカ帝国を包囲して、無力化する戦略で動いている。
そして、遂に、イギリスが、新国王ウイリアム(今は、ロイヤル・プリンス royal crown 王太子。父親のチャールズは、もうすぐ引退する) の決断で、祖母の悪人女のエリザベス二世(ウイリアム王太子にとっては、母親であるダイアナ妃殺しを決断した)から離れて、イギリス(没落した旧大英帝国。かつての巨悪。今は英連邦=コモンウエルス=)の生き延び方を考えている。
・ウィリアム王子とキャサリン妃
デイヴィッド・ロックフェラー(この6月で100歳)の死去を目前にして、世界が動いている。日本の安倍晋三たち、奇っ怪な宗教団体と勝共右翼たちは、自分たちが、先導されて、中国にぶつけさせられるように(戦争の開始)仕組まれている、のだ、ということを最後まで自覚しないだろう。
彼らは、自分たちの属する世界秘密結社の方が、日本国天皇たちの君主連合の結社(アソシエイション、ザ・ソサエティ)よりも強いと、信じている。さあ、そううまくゆくかな。
私、副島隆彦は、「アラビアのロレンス」(映画は、1962年)に嵌(はま)って、ずっと、ヒジャーズ王国(ハーシム家による アラブ人すべての団結。そしてオスマン・トルコ帝国からの独立。だが、英仏 による分割で敗北)の歴史を調べていた。 それと、湾岸のイラン、ドバイ、アブダビ、そこから1000キロが、サウジアラビア(サウド家のアラビア)の首都リアドだ。
私は、リヤドには、今回行けなかった。サウド家というのは暴力団のような王家だ。
1924年の アブドル・アジズ(=イブン・サウド。身長2メートル)による、メッカ(マッカ)攻撃、占領による ヒジャーズ王国の崩壊は、英と仏という愚か者のヨーロッパ帝国主義が、自分たちを凌駕する大きな帝国が、その背後から、自分たちを掘り崩して、ヨーロッパを火の海した元凶である、アメリカのロックフェラー帝国による 包囲網だと、気づいていなかった。
同じく 青年トルコ党(ヤング・ターク Young Turks )運動から出てきた、ケマル・アタチュルクこそは(この男もまた)、1922年の権力奪取で、アメリカが背後からあやつって武器援助してできた、脱イスラム教の近代国家構想だ。今の「アラブの春」(馬鹿。アラブに春があるかよ。「北国の春」じゃあるまいし)と全く同じだ。
私は、これらの大きな歴史の真実を、世界中のすべての歴史学者が、まだ、公然と書かない段階で、書く。日本国内の低能のアホ学者たちなど相手にしない。
以下の2つの記事は、オスプレイという欠陥ヘリが、やはり墜落炎上した。それと、橋下徹という ファシズム人間が、不敵な会見をして「自分は政界引退する」というウソをついた。 このことを書いている。
皆さん、5月31日の定例会に来てください。 副島隆彦拝
(定例会の詳細)
第34回「副島隆彦の学問道場」主催定例会
演題「副島隆彦が、今の重要な事を洗いざらい語ります」
講師:副島隆彦先生、石井利明(いしいとしあき)研究員
石井利明研究員 講演:「福沢諭吉とフリーメーソン」
副島隆彦先生 講演 (前半)「中東・イラン訪問記と映画『アラビアのロレンス』が描かなかった、中東での20世紀米英覇権争いの真実」(後半)中国の「新シルクロード(ワン・ベルト、ワン・ロード)」構想とユーラシア時代の本格化について」
※講演会の内容は現段階での予定です。ユーラシア地域の世界地図を豊富に使いながら副島先生があらいざらいの真実を語ります。
開催日 2015年5月31日(日曜日)
会場 「全電通労働会館 ホール」
アクセス
■JR 中央線 総武線「御茶の水駅」聖橋口出口 徒歩5分
■東京メトロ 千代田線「新御茶ノ水」駅 B3出口 徒歩3分
■都営地下鉄 新宿線 「小川町」駅 A7出口 徒歩4分
■東京メトロ 丸の内線 「淡路町」駅 A5出口 徒歩4分
会場住所 〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3丁目6
電話 03-3219-2211 FAX 03-3219-2219
※定例会の予定等についてのご質問は、囲む会(042-529-3573)へ、お問い合わせをお願い致します。
【当日の予定】
開場 12:15
開演 13:00
終了 17:30
※開場、開演時間以外は、あくまで予定です。終了時刻等が変更になる場合もございます。
※お席は全て「自由席」になります。お手荷物・貴重品等はお客様ご自身で管理をお願い致します。
お問い合わせ先:
「副島隆彦を囲む会」
Tel.042-529-3573 Fax.042-529-3746
メールアドレス:snsi@mwb.biglobe.ne.jp
・本定例会(5/31)へのお申し込みはコチラです!↓
http://soejima.to/cgi-bin/kouen/kouen.html
(新聞記事の転載貼り付け始め)
●「維新混迷、官邸誤算=野党再編が加速-「大阪都構想」反対多数」
2015年5月18日 時事通信
「大阪都」構想が17日の住民投票で否決され、構想実現に政治生命を懸けた橋下徹大阪市長(維新の党最高顧問)は政界引退を表明した。江田憲司 代表も辞任を表明、同党は一気に混迷状態に陥った。維新の協力を得て憲法改正を目指していた安倍晋三首相ら官邸サイドも戦略の見直しを迫られる。 一方、民主党との連携に否定的な橋下氏の影響が排除されることで、野党再編の流れが加速しそうだ。
橋下氏は今回の住民投票に際し、構想が否決されれば「政治家を辞める」と公言してきた。大勢判明後の記者会見でも「政治家は僕の人生から終了 だ」と明言。今後の復帰も完全否定した。
関係者によると、橋下氏は先の大型連休中、上京して公明党の支持母体である創価学会の幹部と接触したとされる。支援を要請したとみられるが、結果につなげられなかった。
橋下、江田両氏の「二枚看板」が相次ぎ一線から退く意向を示したことで、同党の混乱は当面収まりそうにない。維新の中堅議員は「これから一体ど うなるのか」と不安を口にした。
橋下氏を「側面支援」してきた官邸サイドも無傷ではいられない。菅義偉官房長官はこれまで、「改革に向けた大なたを振るう必要がある」と都構想 に共感を表明。反対に傾く自民党本部と溝が生じても、維新に肩入れしてきた。政権中枢は17日夜、「きょうはコメントは出さない」と言葉少なだった。官邸の判断に与党内から批判が上がる可能性もある。公明党の中堅議員は「グッバイ橋下氏だ。官邸は利用価値がなくなったと判断するのではない か」と冷ややかだ。
憲法改正に向けて官邸サイドは、(1)住民投票で勝利した維新が勢いを得て、来年の参院選で議席を拡大(2)自民党と合わせ、改憲発議に必要な 参院での3分の2以上の勢力を確保して発議環境を整える-との絵を描いていた。だが、維新の党勢が上向かなければ官邸サイドの戦略も白紙に戻さざるを得ない。
一方、自民党に対抗する野党勢力の結集を目指す民主党は、維新内の動きを注視している。今後、「民主党基軸の再編」(ベテラン)の動きが強まるとみられる。同党の若手は17日、「維新の勢いが弱まることはあっても、強まることはない」と指摘。「この機を逃さず、参院選の選挙区調整や、維新議員の引き抜き工作を始めないといけない」と語った。
◯「 オスプレイ、ハワイで着陸失敗 1人死亡21人搬送 」
朝日新聞 2015年5月18日
着陸に失敗して炎上するオスプレイ=地元ハワイのテレビ番組「ハワイ・ニュース・ナウ」提供c 朝日新聞 着陸に失敗して炎上するオスプレイ=地元ハワイのテレビ番組「ハ
ワイ・ニュース・ナウ」提供
米海兵隊の新型輸送機オスプレイMV22が17日、米ハワイ州・オアフ島で訓練中に着陸に失敗し、乗組員1人が死亡し、21人が病院に搬送された。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)にも24機配備されたものと同機種で、安全性などをめぐって議論が再燃するのは必至だ。
米海兵隊によると、MV22が現地時間17日午前11時40分(日本時間18日午前6時40分)ごろ、ハワイ・オアフ島にあるベローズ空軍基地でMV22オスプレイが着陸に失敗し、炎上した。MV22には計22人の海兵隊員が搭乗していたが、1人が死亡、残りが病院に運ばれ、手当てなどを受けているという。
着陸に失敗したMV22は、海兵隊第15遠征部隊(司令部・カリフォルニア州)所属で、5月10日に同州サンディエゴを出発し、米太平洋軍や中央軍に7カ月派遣される予定で、ハワイで訓練を実施していたという。
事故原因について、海兵隊では調査中としている。
海兵隊仕様のMV22は、すでに米軍普天間飛行場に24機配備されており、陸上自衛隊も同機種のオスプレイを2018年までに米側から計17機購入することを決め、佐賀空港への配備を検討している。このほか、米国防総省は今月11日、米空軍仕様で特殊部隊などの輸送に使用するオスプレイCV22を計10機、横田基地(東京都福生市など)に配備すると発表している。
オスプレイは垂直離着陸ができ、航続距離も長いことから、米軍では旧型の輸送機やヘリなどを順次オスプレイに交代させている。
ただ、オスプレイは当初から安全性を疑問視する声もあり、沖縄などで配備に根強い反対があった。今回の事故を受け、その安全性をめぐって改めて議論と検証が求められるのは避けられず、配備計画にも影響する可能性がある。(ワシントン=佐藤武嗣)
◇
〈オスプレイ〉 米軍の新型輸送機。海兵隊仕様のMV22と空軍仕様のCV22がある。プロペラの向きを変えることで、ヘリコプターのような垂直離着陸や、飛行機のような高速飛行ができる。離着陸のために長い滑走路が必要なく、高速飛行もできるというヘリと飛行機の利点を併せ持つ。航続距離は3900キロで、日本からフィリピンなど外国にも飛んでいける。
海兵隊仕様のMV22は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に24機配備されているほか、陸上自衛隊も導入を決めている。横田基地にも米空軍がCV22の配備を予定している。オスプレイは開発段階などで事故が相次ぎ、沖縄など地元では配備に反対する声が強い。
◯ 「 オスプレイ、ハワイで着陸失敗 1人死亡 」
2015/5/18 日経新聞
米ハワイ州オアフ島で17日、米海兵隊の新型輸送機MV22オスプレイが着陸に失敗して炎上した。AP通信や地元メディアなどによると隊員1人が死亡し、21人が病院に搬送された。
事故は同島ベローズ空軍基地で海兵隊の訓練中に発生。当時22人が乗っていたとみられる。
MV22オスプレイは海兵隊仕様の垂直離着陸輸送機。米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)にも配備されている。
日米両政府は墜落機とは別のタイプで空軍特殊部隊が使うCV22オスプレイを横田基地(東京都福生市など)に配備することで合意している。CV22は夜間や低空など厳しい状況での飛行を迫られることから、MV22より事故率が高いとされる。
(転載貼り付け終わり)
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副島隆彦拝
【1459】[1788]インフラ問題で重要な論点
海水淡水化とは | 水処理装置 | TORAY http://www.toray-watertreat.com/seawater/index.html …
超低圧高耐久性逆浸透(RO)膜を開発 http://cs2.toray.co.jp/news/toray/newsrrs01.nsf/0/125F177E4271669849257D0D0023E4E6 …
東レの逆浸透膜“ロメンブラ®”、アラブ首長国連邦の海水淡水化プラントで連続受注 | NEWS | TORAY http://cs2.toray.co.jp/news/toray/newsrrs01.nsf/0/A360A6A7FBBBB30049257D0E002A968C …
サウジアラビア王国・サルマン皇太子殿下、安倍首相ご臨席の下、 http://cs2.toray.co.jp/news/toray/newsrrs01.nsf/0/EFDBAE0255BF92F849257D0D002448D9 …
【1458】[1787]古代奈良湖の存在と大和王権(その2)
「古代奈良湖推定図」の添付ありがとうございます。
この[1778番の投稿文]地図中にある、黒い▲のマークは縄文時代の集落の遺跡の場所。白い▲のマークは弥生時代の集落。黄色のマークは各種の古墳です。銅鐸出土地は、銅鐸によく似た形です。
●カール・ウィットフォーゲルの「水力文明」
私が「古代奈良湖」に注目した理由は、単に古代史のロマンということではない。竹村公太郎氏の説を読んでいるうちに、ウィットフォーゲルの「水力文明(社会)」や「東洋的専制主義」を思い出したのである。「古代奈良湖」および大和川の大規模な灌漑事業が、古代大和王権を生み出すことになったのではないか?と。
ウィットフォーゲルという人物の名は、おそらくマルクス主義研究をやったことのある人ぐらいにしか知られていないであろう。
『小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)』より紹介する。
(引用開始)
・ウィットフォーゲル(1896~1990 Wittfogel, Karl August)
アメリカの中国社会経済史家ユダヤ系ドイツ人としてハノーバーに生まれる。ハイデルベルグ大学でマックス・ウェーバーに師事。ドイツ共産党員として活動する一方、1925年からフランクフルト社会研究所員として中国研究に専念。この時期の代表的著作『解体的過程にある中国の経済と社会』(1931)はマルクス主義の立場から、旧中国の専制的官僚制の基盤を大規模な国家的治水事業に求めて注目を集めた。1933年ナチスに追われてアメリカに亡命し、コロンビア大学、ワシントン大学教授を歴任。中国滞在(1935~1937)の成果である『東洋的社会の理論』(1938)は名高い。第二次世界大戦後、『東洋的専制主義』(Oriental
Despotism, 1957)ほかの著作で、ソ連、中国を全体主義国家とする立場を表明した。
その「水力社会の理論」は再評価されている。(文・望月清司)
(引用終わり)
田中進二郎です。上に付け加えると、ウィットフォーゲルの理論は、スターリンの「史的唯物論」と衝突した。また、スターリンの「自然改造計画」や毛沢東の大失敗に終わった「大躍進政策」を「東洋的専制」と批判したため、「反共主義者」としてアメリカの学会から追放されることになった。冷戦終了後に再評価が進み、日本でも湯浅赳夫(ゆあさ たけお)氏、石井知章氏らが研究している。
ウィットフォーゲルの「水力社会」では、巨大な灌漑事業が、農業管理的官僚を生み出し、支配的階級を生みだす。また、統括された集団的労働力は灌漑事業の現地指揮者、訓練者のほかに総体的な組織者(つまり王権)と計画者による指揮活動を必要とする。この典型として彼は中国とインドをあげた。
しかし、ここでウィットフォーゲルは日本を「水力社会」の例として強調しなかったようだ。
古代四大文明の成立の説明にはなっても、日本の大和王権もそうだ、とはっきり言いだす人がいなかった。それは日本の左翼的歴史学者がウィットフォーゲルを「反共主義者」と考え、
右翼的歴史学者が「唯物論」だととらえたせいでもあろうか。
しかし、拙論の第一回で挙げた『竹村公太郎の「地形で読み解く」日本史』を読み、古代日本にも「水力社会」があてはまる、と私田中は考えた。
この本では、養老孟司が竹村公太郎の歴史観を「唯物史観ですね。」と評していたが、ウィットフォーゲルの水力社会論だ、といった方がよりぴったりとする。さらに灌漑だけでなく、水運も、欠かすことができない視点である。そろそろ本題の古代大和王権論に移ります。
●古代奈良の灌漑の歴史は抹殺されている
この連休を利用して、奈良盆地を二日間で40キロほど歩いた。現在大和川とその支流である飛鳥川と曽我川が合流する地点に廣瀬大社という神社がある。(拙考その1の地図中央にある「島の山古墳」の左側)
前回の拙論で書いた、大塚山古墳群と同じ河合町にある。ここは古代には水足池(みずたるのいけ)という広大な沼地であった、という言い伝えがある。訪れて一瞬でわかるのだが、もともとここは川の堤防だということだ。鳥居をくぐって参道の東側がずっと土手になっている。かつては神社のわきに曽我川が流れていたのだろう。しかし、境内の案内板のどこにも治水工事のあとにできました、とは書かれていない。
この神社には奇祭として知られる「砂かけ祭」がある。
「廣瀬神社 奇祭水かけ祭り」面白いので見て下さい↓諏訪太鼓の後、すぐ始まります。
http://youtu.be/c7YOhkd8O8k
この祭りをみれば、ご先祖さまたちが治水工事をやったことを忘れるな!という祭りだということは明らかだ。しかし、「五穀豊穣を願うため」とか「御田植え祭」と神社の説明板にはあるだけで、治水に関する記述はない。この不正直さが問題だ。真実が押し殺されている。ここはおそらく蘇我氏が湖を干拓し、川を通し、堤防を作っていったのであろう。蘇我蝦夷・入鹿が中大兄皇子と中臣鎌足によって殺された後、蘇我氏の業績は消されていったのだろう。
しかし、腑(ふ)に落ちないことがある。この神社の縁起では、「崇神(すじん)天皇九年(紀元前89年-この年代はあてにならない)に異人(渡来系の人物か)が現れ、一夜のうちに沼地(水足池)が陸地に変わった。」とされている。
ところがまた、廣瀬大社の本来の祭神は長スネ彦(ナガスネヒコ)であるという。
ナガスネヒコは「古事記」の中で神武天皇東征のときに、抵抗して殺された土着の首領である。ちなみに古代史作家・関裕二氏の『天皇と鬼』(悟空出版 2014年刊)の中で、彼の名の「長スネ」とは身体的な特徴をさしていて、東国出身の蝦夷(えみし)である。また出雲から進出してきた饒速日(ニギハヤヒ-物部氏の祖)に服属していた、と述べられている。
表ではハツクニシラスノミコトと呼ばれる第十代・崇神天皇を祀り、裏ではナガスネヒコ
を祭神としている。
しかし、どちらも物部氏と関連深い人物だ。すると、ここに住んでいたのは、物部の部(べ)の民(たみ)かもしれない。しかし、製鉄(たたら)や祭祀に関係が深い物部氏がどうして
沼地や湖の近くまでやってきているのか?
蘇我氏の干拓、開墾事業を考える前に、物部氏の謎が私の前にたちふさがった。
●物部神道と古代奈良湖には深い関係があった!
物部氏については、歴史作家の関裕二氏の『消された王権―物部氏の謎』(PHP研究所刊)や、『天皇と鬼』(前掲)などを読んだ。また山の辺の道を歩いて、物部神道の祭祀跡と思われる「神籬」(ひもろぎ 後述)跡なども見た。だが、どうして奈良盆地の東端に拠点を置いたのか、決定的な理由については長考を要した。
以下、私の結論を一気に書く。
古代奈良湖の湖畔と考えられるところには、湖の岸を想像させる地名がかなり残っている。
「山の辺の道」南端にある海石榴市(つばいち)。
そこから、三輪山麓にある磯城(しき)。ここには崇神天皇が宮を置いた跡が残っている。
北上し、天理市にある石上(いそのかみ)神宮。もとは磯上だっただろう。
島の山古墳。これは前述した。
そして、蘇我氏の発祥地といわれる、真菅(ますが 橿原市曽我町 近鉄南大阪線「真菅駅」がある)
客野宮治(きゃくのみやじ)著『蘇我氏の研究』(文芸社 最新刊)には次のようにある。
以下引用する。
(引用開始)
ここは曽我川のほとりにあり、菅が自生していた。蘇我の名は、推古天皇の「真菅や蘇我の子らは」の歌からわかるように菅に由来しているらしい。菅は、汚濁を浄化するため神聖な植物とされ、様々な祭具に使用された。笠縫氏が大嘗祭(だいじょうさい おおにえのまつり)の菅御笠を作る材料にもなっている。蘇我の氏名(うじな)も菅にちなんでつけられたとする説が現在有力である。 (p40)
(引用終わり)
田中進二郎です。このことからも大王家や有力氏族は湖畔や沼沢地を囲むように拠点を置いていたことが分かる。
その中でも、物部氏と葛城氏(かつらぎ)はいちはやく奈良盆地に入って、土着の縄文人たちと融和していた、と考えられている。関裕二氏は、すでに尾張(愛知県西部)を中心に東国から縄文系の人々が初瀬川の流れにそった道から奈良に入っていた。物部氏はこの人々と共存していた、と述べている。だから記紀に登場するナガスネヒコと饒速日(ニギハヤヒ)は東国の首長と物部氏を指しているのだ、と。(前掲書『天皇と鬼』より)
物部氏は「出雲のたたら」で知られる製鉄集団だった。それが、葦や菅の生い茂る「山の辺の道」に拠点をおいたのは、鈴―錫(すず)の生産と密接につながっていた。
真弓常忠著『神と祭りの世界』(1985年 朱鷺書房刊)によると、神道の祭祀に用いられる「鈴」はもともと沼沢地に生息する葦や、薦(こも)茅(かや)の根に生成する褐鉄鉱の塊であった、という。
以下『神と祭りの世界』p234~244から抜粋引用する
(引用開始)
褐鉄鉱とは、若干の吸着力を持つ「水酸化鉄の集合体の総称で、沼沢・湖沼・湿原・浅海底などで、含鉄水が空中や水中の酸素により、またバクテリアの作用により酸化、中和し、水酸化鉄として鉱泉の流路に沿って、沈殿したものである。(中略)
褐鉄鉱の団塊とは、水中に含まれている鉄分が沈殿して、さらに鉄バクテリアが自己増殖して細胞分裂を行い、固い外殻を作ったものである。とくに水辺の植物、葦・茅・薦などの根を、地下水に溶解した鉄分が徐々に包んで、根は枯死する。が、周囲に水酸化鉄を主とした外殻ができる。内核は地下水に溶解し、外殻と分離する。
これを振ればチャラチャラと音を発するのである。
鳴石(なりわ、なりいわ)、鈴石ともいうが、太古は「スズ」と称していただろう。自然にできた鈴である。
(中略)
湿原の薦・葦・茅の根に密生する状態が「鈴なり」の原義である。
この「スズ」すなわち褐鉄鉱はそのまま製鉄の原料となった。これを破砕して、流水を利用するか、なにかの方法で夾雑物(きょうざつぶつ)を取り除き、露天たたらにいれて精錬することができた。砂鉄による磁鉄鉱に比べて、品位は低いが、初期製鉄の原料たりえたのだ。
(中略)
弥生時代の民は鉄を求めること切(せつ)であって、そのために「スズ」の生成を待ち望み、生成を促進するために呪術を行った。どうして、このようなものができるのか、古代人にとっては不思議な、しかしありがたい貴いシロモノであった。音の発するのも不思議であり、それは神霊の声と聴かれた。そこでこの模造品を作って、「スズ」のできそうな湖沼を見渡す山の中腹の傾斜地で、これを振り鳴らしては仲間の「スズ」の霊を呼び集め、あるいは地中に埋納して同類の繁殖を願った。一種の類感呪術である。それが鈴であり、鐸(さなぎ)であった。銅鐸、鉄鐸があるが、その原型は褐鉄鉱の団塊であったのである。
(引用終わり)
田中進二郎です。もはや、多弁は不要だろう。物部氏の呪術-物部神道はこのようにしてうまれたのである。ここから多くのことが導きだされるであろう。
最後にもう一度、「古代奈良湖推定図」を見ていただきたい。
地図中の銅鐸に似たマークを探してみてほしい。いずれも湖岸に近い、山の傾斜地につくられている。ここで物部氏らが「スズ」を鳴らす儀式をとり行っていたのだ。
(古代奈良湖の存在と大和王権-その2 おわり)
田中進二郎拝