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守谷健二 投稿日:2015/05/22 12:43

【1461】[1790]天武天皇の正統性に付いて

  天武天皇の結婚と天智天皇の娘たち

『日本書紀』には、十人の天智天皇の娘が記されている。実に驚くことに、その中の四人をも天武は娶っているのである。
 また高市皇子(天武の長男で、「壬申の乱」の真の首謀者で、天武朝・持統朝の主宰者)は、二人を娶っており、草壁皇子にも一人を配し、大津皇子にも一人配している。
 天智天皇の十人の娘の八人までも天武天皇と、天武の皇子等が娶っているのである。

 最初の結婚相手は、六六一年正月八日、斉明天皇の筑紫行幸に帯同し、船上で大伯皇女(おほくのひめみこ)を出産した大田皇女である。大田皇女は、大津皇子も儲けている。

 次の結婚相手は、大田皇女の実の妹(両親が同じ)の鵜野皇女(天武天皇の皇后、後に即位して持統天皇)で、草壁皇子(皇太子)を設けている。

 大田皇女の方が姉で、最初に結婚していたのだから天武天皇の皇后は、大田皇女に優先権があったと思えるが、早くに亡くなっていたのか、妹の鵜野皇女が皇后に就いている。
 しかしここに問題があった、姉の子・大津皇子と、妹の子・草壁皇子との即位の優先権争いであった。
 六八六年、天武天皇が薨去するや、皇后(持統天皇)は、即座に大津皇子に謀反の罪を着せ殺害している。草壁皇子が即位できなかったのは、この時の後ろめたさがあったせいではないか。世間の評判が最悪だったのだろう。

 草壁皇子と結婚した天智の娘・阿陪皇女(後即位して元明天皇)は、一人の皇子(文武天皇)と二人の皇女(一人は即位して元正天皇)を儲けている。

 阿陪皇女の実の姉・御名部皇女を高市皇子が娶っているのだ。その間に長屋王(藤原不比等の後、右大臣、後最高位の左大臣に就いたが、七二九年、藤原不比等の四人の息子の陰謀で謀反の罪を着せられ殺害)が生まれている。

 『日本書紀』は、天智天皇と天武天皇を実の兄弟と記す。それならどうして天智の娘たちを独占する必要があったのだ。天武の結婚と、その皇子たちの結婚を見ると、それはまるで家畜の品種改良で、二つの異なる形質の個体から新たな形質を作り固定化させる時の交配過程を思わせるのだ。

 

副島隆彦 投稿日:2015/05/19 07:35

【1460】[1789]私の近況。5月31日の定例会に集まってください。

副島隆彦です。  今日は、2015年5月19日です。

私は、この6月7日に、横須賀市で、前市議の 一柳洋氏のお招きで、講演会をします。「(横須賀)軍港150年の歴史(の真実)」を話してくれ、とのことで、今日から横須賀市に行って現地調査に行きます。学問道場の会員の皆さんも、この6月7日(日)の 会場や詳細(無料だと思います) は、すぐにお知らせします。

その前に、5月31日の、東京の湯島の 聖橋(ひじりばし)近くの全電通会館で開かれる私たちの学問道場の定例会(講演会)にお越しください。 詳細は、今日のボヤキの方に載っています。

私は、おもいっきり現状への怒りを語ろう(ぶつけよう)と当初は思っていたのですが、それだと、話が支離滅裂になって、大失敗しそうなので、まず絞り込んで、「中国と中東アラブ世界を つなぐ ヨーロッパ・アジア(=ユーラシア大陸)のこれからの動き、それを作ってきた歴史」の話を大きな柱にしようと思います。

それと、ロバート・ルーカス(合理的予測=はできる=派の経済学者)と、その日本の子分の伊藤隆敏 が、インフレ目標政策(イン・タゲ、リフレ派。これがアベノミクス) で、株価を国民の年金を使って、吊り上げていることの、その破綻、大失敗が、そろそろ見えてきたこと( ヨーロッパ国債、米国債などの 債券市場が崩れだした)も話さなければ。

・ロバート・ルーカス(『「熱狂なき株高」で踊らされる日本』p.209)

・伊藤隆敏(いとうたかとし、写真右、『「熱狂なき株高」で踊らされる日本』p.193)

それと、中国が主導するAIIB( アジア・インフラ投資銀行) で、1000兆円(8兆ドル)の途上国支援のインフラ整備の開発資金を準備することの、人類史にとっての、正当性(それが、10億人の若者たちの仕事と需要を生む)の背景を考えた。

どうも 君主同盟のような、大きな 動きが見える。 2013年12月の日本の天皇夫妻のインド訪問が重要だ。天皇は、安倍晋三の戦争路線に反対している。天皇は、世界中の、イギリス新国王や、君主同盟を組むことで、安倍晋三たちをあやつる、アメリカの滅びつつある 石油・金融資本(ロックフェラー帝国)が、ヒラリーを表面に立てて、凶暴な戦争(好戦、ジンゴウイスト)路線に出ることを強く危惧している。

日本の 愚劣な右翼たちの戦争勢力は、オバマ、ケリー、バイデン、チャック・ヘーゲルの4人の上院外交委員会で「大きな戦争を阻止すると決意した4人のハト派政治家と日本国天皇は、連携して、これに中国の習近平、ロシアのプーチン、韓国のパク・クネ、そして、南米のブラジルのジルマ・ルセフ、アルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス、当然、その他の南米諸国、インドのモディも組んで、大きな戦争(ラージウォー)阻止の 世界同盟を作りつつある。

ユーロアジア(ユーラシア)のど真ん中に、巨大な需要(デマンド)の巨大繁栄地(100万人都市を 1000個 、合計10億人)を作り出すことが、人類が生き延びる道だ。それが、中国の 「一帯一路(いったいいちろ)」 One belt One Road (本当は、Route ルートだろう)ワンベルト・ワンルート (日本のNHKの番組「シルクロード」で「絹の道」という造語が出来た。こんなものは、世界歴史学には無い。 )の戦略だ。

それが、中央アジアから、ロシアを経て、ベルリン(ドイツ)にまで繋(つな)がる。つまり、ドイツの女帝(ドイツ第四帝国、クアトロ・ライヒ。つまりヨーロッパ帝国の)は、プーチンと話し込んで、アメリカ帝国を包囲して、無力化する戦略で動いている。

そして、遂に、イギリスが、新国王ウイリアム(今は、ロイヤル・プリンス royal crown 王太子。父親のチャールズは、もうすぐ引退する) の決断で、祖母の悪人女のエリザベス二世(ウイリアム王太子にとっては、母親であるダイアナ妃殺しを決断した)から離れて、イギリス(没落した旧大英帝国。かつての巨悪。今は英連邦=コモンウエルス=)の生き延び方を考えている。

・ウィリアム王子とキャサリン妃

デイヴィッド・ロックフェラー(この6月で100歳)の死去を目前にして、世界が動いている。日本の安倍晋三たち、奇っ怪な宗教団体と勝共右翼たちは、自分たちが、先導されて、中国にぶつけさせられるように(戦争の開始)仕組まれている、のだ、ということを最後まで自覚しないだろう。

彼らは、自分たちの属する世界秘密結社の方が、日本国天皇たちの君主連合の結社(アソシエイション、ザ・ソサエティ)よりも強いと、信じている。さあ、そううまくゆくかな。

私、副島隆彦は、「アラビアのロレンス」(映画は、1962年)に嵌(はま)って、ずっと、ヒジャーズ王国(ハーシム家による アラブ人すべての団結。そしてオスマン・トルコ帝国からの独立。だが、英仏 による分割で敗北)の歴史を調べていた。 それと、湾岸のイラン、ドバイ、アブダビ、そこから1000キロが、サウジアラビア(サウド家のアラビア)の首都リアドだ。
私は、リヤドには、今回行けなかった。サウド家というのは暴力団のような王家だ。

アラビアのロレンス3

1924年の アブドル・アジズ(=イブン・サウド。身長2メートル)による、メッカ(マッカ)攻撃、占領による ヒジャーズ王国の崩壊は、英と仏という愚か者のヨーロッパ帝国主義が、自分たちを凌駕する大きな帝国が、その背後から、自分たちを掘り崩して、ヨーロッパを火の海した元凶である、アメリカのロックフェラー帝国による 包囲網だと、気づいていなかった。

同じく 青年トルコ党(ヤング・ターク Young Turks )運動から出てきた、ケマル・アタチュルクこそは(この男もまた)、1922年の権力奪取で、アメリカが背後からあやつって武器援助してできた、脱イスラム教の近代国家構想だ。今の「アラブの春」(馬鹿。アラブに春があるかよ。「北国の春」じゃあるまいし)と全く同じだ。

私は、これらの大きな歴史の真実を、世界中のすべての歴史学者が、まだ、公然と書かない段階で、書く。日本国内の低能のアホ学者たちなど相手にしない。

以下の2つの記事は、オスプレイという欠陥ヘリが、やはり墜落炎上した。それと、橋下徹という ファシズム人間が、不敵な会見をして「自分は政界引退する」というウソをついた。 このことを書いている。

皆さん、5月31日の定例会に来てください。  副島隆彦拝

(定例会の詳細)

第34回「副島隆彦の学問道場」主催定例会

演題「副島隆彦が、今の重要な事を洗いざらい語ります」

講師:副島隆彦先生、石井利明(いしいとしあき)研究員

石井利明研究員 講演:「福沢諭吉とフリーメーソン」

副島隆彦先生 講演 (前半)「中東・イラン訪問記と映画『アラビアのロレンス』が描かなかった、中東での20世紀米英覇権争いの真実」(後半)中国の「新シルクロード(ワン・ベルト、ワン・ロード)」構想とユーラシア時代の本格化について」

※講演会の内容は現段階での予定です。ユーラシア地域の世界地図を豊富に使いながら副島先生があらいざらいの真実を語ります。

開催日 2015年5月31日(日曜日)

会場 「全電通労働会館 ホール」

アクセス
■JR 中央線 総武線「御茶の水駅」聖橋口出口 徒歩5分
■東京メトロ 千代田線「新御茶ノ水」駅 B3出口 徒歩3分
■都営地下鉄 新宿線 「小川町」駅 A7出口 徒歩4分
■東京メトロ 丸の内線 「淡路町」駅 A5出口 徒歩4分

会場住所 〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3丁目6

電話 03-3219-2211  FAX 03-3219-2219

※定例会の予定等についてのご質問は、囲む会(042-529-3573)へ、お問い合わせをお願い致します。

【当日の予定】
開場  12:15
開演  13:00
終了  17:30

※開場、開演時間以外は、あくまで予定です。終了時刻等が変更になる場合もございます。
※お席は全て「自由席」になります。お手荷物・貴重品等はお客様ご自身で管理をお願い致します。

お問い合わせ先:
「副島隆彦を囲む会」
Tel.042-529-3573 Fax.042-529-3746
メールアドレス:snsi@mwb.biglobe.ne.jp

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(新聞記事の転載貼り付け始め)

●「維新混迷、官邸誤算=野党再編が加速-「大阪都構想」反対多数」

2015年5月18日 時事通信

「大阪都」構想が17日の住民投票で否決され、構想実現に政治生命を懸けた橋下徹大阪市長(維新の党最高顧問)は政界引退を表明した。江田憲司 代表も辞任を表明、同党は一気に混迷状態に陥った。維新の協力を得て憲法改正を目指していた安倍晋三首相ら官邸サイドも戦略の見直しを迫られる。 一方、民主党との連携に否定的な橋下氏の影響が排除されることで、野党再編の流れが加速しそうだ。

橋下氏は今回の住民投票に際し、構想が否決されれば「政治家を辞める」と公言してきた。大勢判明後の記者会見でも「政治家は僕の人生から終了 だ」と明言。今後の復帰も完全否定した。
関係者によると、橋下氏は先の大型連休中、上京して公明党の支持母体である創価学会の幹部と接触したとされる。支援を要請したとみられるが、結果につなげられなかった。
橋下、江田両氏の「二枚看板」が相次ぎ一線から退く意向を示したことで、同党の混乱は当面収まりそうにない。維新の中堅議員は「これから一体ど うなるのか」と不安を口にした。

橋下氏を「側面支援」してきた官邸サイドも無傷ではいられない。菅義偉官房長官はこれまで、「改革に向けた大なたを振るう必要がある」と都構想 に共感を表明。反対に傾く自民党本部と溝が生じても、維新に肩入れしてきた。政権中枢は17日夜、「きょうはコメントは出さない」と言葉少なだった。官邸の判断に与党内から批判が上がる可能性もある。公明党の中堅議員は「グッバイ橋下氏だ。官邸は利用価値がなくなったと判断するのではない か」と冷ややかだ。

憲法改正に向けて官邸サイドは、(1)住民投票で勝利した維新が勢いを得て、来年の参院選で議席を拡大(2)自民党と合わせ、改憲発議に必要な 参院での3分の2以上の勢力を確保して発議環境を整える-との絵を描いていた。だが、維新の党勢が上向かなければ官邸サイドの戦略も白紙に戻さざるを得ない。

一方、自民党に対抗する野党勢力の結集を目指す民主党は、維新内の動きを注視している。今後、「民主党基軸の再編」(ベテラン)の動きが強まるとみられる。同党の若手は17日、「維新の勢いが弱まることはあっても、強まることはない」と指摘。「この機を逃さず、参院選の選挙区調整や、維新議員の引き抜き工作を始めないといけない」と語った。

◯「 オスプレイ、ハワイで着陸失敗 1人死亡21人搬送  」

朝日新聞   2015年5月18日

着陸に失敗して炎上するオスプレイ=地元ハワイのテレビ番組「ハワイ・ニュース・ナウ」提供c 朝日新聞 着陸に失敗して炎上するオスプレイ=地元ハワイのテレビ番組「ハ
ワイ・ニュース・ナウ」提供

米海兵隊の新型輸送機オスプレイMV22が17日、米ハワイ州・オアフ島で訓練中に着陸に失敗し、乗組員1人が死亡し、21人が病院に搬送された。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)にも24機配備されたものと同機種で、安全性などをめぐって議論が再燃するのは必至だ。

米海兵隊によると、MV22が現地時間17日午前11時40分(日本時間18日午前6時40分)ごろ、ハワイ・オアフ島にあるベローズ空軍基地でMV22オスプレイが着陸に失敗し、炎上した。MV22には計22人の海兵隊員が搭乗していたが、1人が死亡、残りが病院に運ばれ、手当てなどを受けているという。

着陸に失敗したMV22は、海兵隊第15遠征部隊(司令部・カリフォルニア州)所属で、5月10日に同州サンディエゴを出発し、米太平洋軍や中央軍に7カ月派遣される予定で、ハワイで訓練を実施していたという。

事故原因について、海兵隊では調査中としている。

海兵隊仕様のMV22は、すでに米軍普天間飛行場に24機配備されており、陸上自衛隊も同機種のオスプレイを2018年までに米側から計17機購入することを決め、佐賀空港への配備を検討している。このほか、米国防総省は今月11日、米空軍仕様で特殊部隊などの輸送に使用するオスプレイCV22を計10機、横田基地(東京都福生市など)に配備すると発表している。

オスプレイは垂直離着陸ができ、航続距離も長いことから、米軍では旧型の輸送機やヘリなどを順次オスプレイに交代させている。

ただ、オスプレイは当初から安全性を疑問視する声もあり、沖縄などで配備に根強い反対があった。今回の事故を受け、その安全性をめぐって改めて議論と検証が求められるのは避けられず、配備計画にも影響する可能性がある。(ワシントン=佐藤武嗣)

〈オスプレイ〉 米軍の新型輸送機。海兵隊仕様のMV22と空軍仕様のCV22がある。プロペラの向きを変えることで、ヘリコプターのような垂直離着陸や、飛行機のような高速飛行ができる。離着陸のために長い滑走路が必要なく、高速飛行もできるというヘリと飛行機の利点を併せ持つ。航続距離は3900キロで、日本からフィリピンなど外国にも飛んでいける。

海兵隊仕様のMV22は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に24機配備されているほか、陸上自衛隊も導入を決めている。横田基地にも米空軍がCV22の配備を予定している。オスプレイは開発段階などで事故が相次ぎ、沖縄など地元では配備に反対する声が強い。

◯ 「 オスプレイ、ハワイで着陸失敗 1人死亡 」

2015/5/18 日経新聞

米ハワイ州オアフ島で17日、米海兵隊の新型輸送機MV22オスプレイが着陸に失敗して炎上した。AP通信や地元メディアなどによると隊員1人が死亡し、21人が病院に搬送された。

事故は同島ベローズ空軍基地で海兵隊の訓練中に発生。当時22人が乗っていたとみられる。

MV22オスプレイは海兵隊仕様の垂直離着陸輸送機。米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)にも配備されている。

日米両政府は墜落機とは別のタイプで空軍特殊部隊が使うCV22オスプレイを横田基地(東京都福生市など)に配備することで合意している。CV22は夜間や低空など厳しい状況での飛行を迫られることから、MV22より事故率が高いとされる。

(転載貼り付け終わり)

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副島隆彦拝

中田安彦 投稿日:2015/05/17 10:46

【1459】[1788]インフラ問題で重要な論点

海水淡水化とは | 水処理装置 | TORAY http://www.toray-watertreat.com/seawater/index.html

超低圧高耐久性逆浸透(RO)膜を開発 http://cs2.toray.co.jp/news/toray/newsrrs01.nsf/0/125F177E4271669849257D0D0023E4E6

東レの逆浸透膜“ロメンブラ®”、アラブ首長国連邦の海水淡水化プラントで連続受注 | NEWS | TORAY http://cs2.toray.co.jp/news/toray/newsrrs01.nsf/0/A360A6A7FBBBB30049257D0E002A968C

サウジアラビア王国・サルマン皇太子殿下、安倍首相ご臨席の下、 http://cs2.toray.co.jp/news/toray/newsrrs01.nsf/0/EFDBAE0255BF92F849257D0D002448D9

田中進二郎 投稿日:2015/05/12 09:28

【1458】[1787]古代奈良湖の存在と大和王権(その2)

「古代奈良湖推定図」の添付ありがとうございます。

この[1778番の投稿文]地図中にある、黒い▲のマークは縄文時代の集落の遺跡の場所。白い▲のマークは弥生時代の集落。黄色のマークは各種の古墳です。銅鐸出土地は、銅鐸によく似た形です。

●カール・ウィットフォーゲルの「水力文明」

私が「古代奈良湖」に注目した理由は、単に古代史のロマンということではない。竹村公太郎氏の説を読んでいるうちに、ウィットフォーゲルの「水力文明(社会)」や「東洋的専制主義」を思い出したのである。「古代奈良湖」および大和川の大規模な灌漑事業が、古代大和王権を生み出すことになったのではないか?と。

ウィットフォーゲルという人物の名は、おそらくマルクス主義研究をやったことのある人ぐらいにしか知られていないであろう。
『小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)』より紹介する。

(引用開始)

・ウィットフォーゲル(1896~1990 Wittfogel, Karl August)
アメリカの中国社会経済史家ユダヤ系ドイツ人としてハノーバーに生まれる。ハイデルベルグ大学でマックス・ウェーバーに師事。ドイツ共産党員として活動する一方、1925年からフランクフルト社会研究所員として中国研究に専念。この時期の代表的著作『解体的過程にある中国の経済と社会』(1931)はマルクス主義の立場から、旧中国の専制的官僚制の基盤を大規模な国家的治水事業に求めて注目を集めた。1933年ナチスに追われてアメリカに亡命し、コロンビア大学、ワシントン大学教授を歴任。中国滞在(1935~1937)の成果である『東洋的社会の理論』(1938)は名高い。第二次世界大戦後、『東洋的専制主義』(Oriental
 Despotism, 1957)ほかの著作で、ソ連、中国を全体主義国家とする立場を表明した。
その「水力社会の理論」は再評価されている。(文・望月清司)

(引用終わり)

田中進二郎です。上に付け加えると、ウィットフォーゲルの理論は、スターリンの「史的唯物論」と衝突した。また、スターリンの「自然改造計画」や毛沢東の大失敗に終わった「大躍進政策」を「東洋的専制」と批判したため、「反共主義者」としてアメリカの学会から追放されることになった。冷戦終了後に再評価が進み、日本でも湯浅赳夫(ゆあさ たけお)氏、石井知章氏らが研究している。

ウィットフォーゲルの「水力社会」では、巨大な灌漑事業が、農業管理的官僚を生み出し、支配的階級を生みだす。また、統括された集団的労働力は灌漑事業の現地指揮者、訓練者のほかに総体的な組織者(つまり王権)と計画者による指揮活動を必要とする。この典型として彼は中国とインドをあげた。

しかし、ここでウィットフォーゲルは日本を「水力社会」の例として強調しなかったようだ。
古代四大文明の成立の説明にはなっても、日本の大和王権もそうだ、とはっきり言いだす人がいなかった。それは日本の左翼的歴史学者がウィットフォーゲルを「反共主義者」と考え、
右翼的歴史学者が「唯物論」だととらえたせいでもあろうか。

しかし、拙論の第一回で挙げた『竹村公太郎の「地形で読み解く」日本史』を読み、古代日本にも「水力社会」があてはまる、と私田中は考えた。
この本では、養老孟司が竹村公太郎の歴史観を「唯物史観ですね。」と評していたが、ウィットフォーゲルの水力社会論だ、といった方がよりぴったりとする。さらに灌漑だけでなく、水運も、欠かすことができない視点である。そろそろ本題の古代大和王権論に移ります。

●古代奈良の灌漑の歴史は抹殺されている

この連休を利用して、奈良盆地を二日間で40キロほど歩いた。現在大和川とその支流である飛鳥川と曽我川が合流する地点に廣瀬大社という神社がある。(拙考その1の地図中央にある「島の山古墳」の左側)
前回の拙論で書いた、大塚山古墳群と同じ河合町にある。ここは古代には水足池(みずたるのいけ)という広大な沼地であった、という言い伝えがある。訪れて一瞬でわかるのだが、もともとここは川の堤防だということだ。鳥居をくぐって参道の東側がずっと土手になっている。かつては神社のわきに曽我川が流れていたのだろう。しかし、境内の案内板のどこにも治水工事のあとにできました、とは書かれていない。
この神社には奇祭として知られる「砂かけ祭」がある。

「廣瀬神社 奇祭水かけ祭り」面白いので見て下さい↓諏訪太鼓の後、すぐ始まります。
http://youtu.be/c7YOhkd8O8k

この祭りをみれば、ご先祖さまたちが治水工事をやったことを忘れるな!という祭りだということは明らかだ。しかし、「五穀豊穣を願うため」とか「御田植え祭」と神社の説明板にはあるだけで、治水に関する記述はない。この不正直さが問題だ。真実が押し殺されている。ここはおそらく蘇我氏が湖を干拓し、川を通し、堤防を作っていったのであろう。蘇我蝦夷・入鹿が中大兄皇子と中臣鎌足によって殺された後、蘇我氏の業績は消されていったのだろう。

しかし、腑(ふ)に落ちないことがある。この神社の縁起では、「崇神(すじん)天皇九年(紀元前89年-この年代はあてにならない)に異人(渡来系の人物か)が現れ、一夜のうちに沼地(水足池)が陸地に変わった。」とされている。
ところがまた、廣瀬大社の本来の祭神は長スネ彦(ナガスネヒコ)であるという。
ナガスネヒコは「古事記」の中で神武天皇東征のときに、抵抗して殺された土着の首領である。ちなみに古代史作家・関裕二氏の『天皇と鬼』(悟空出版 2014年刊)の中で、彼の名の「長スネ」とは身体的な特徴をさしていて、東国出身の蝦夷(えみし)である。また出雲から進出してきた饒速日(ニギハヤヒ-物部氏の祖)に服属していた、と述べられている。

表ではハツクニシラスノミコトと呼ばれる第十代・崇神天皇を祀り、裏ではナガスネヒコ
を祭神としている。
しかし、どちらも物部氏と関連深い人物だ。すると、ここに住んでいたのは、物部の部(べ)の民(たみ)かもしれない。しかし、製鉄(たたら)や祭祀に関係が深い物部氏がどうして
沼地や湖の近くまでやってきているのか?
蘇我氏の干拓、開墾事業を考える前に、物部氏の謎が私の前にたちふさがった。

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●物部神道と古代奈良湖には深い関係があった!

物部氏については、歴史作家の関裕二氏の『消された王権―物部氏の謎』(PHP研究所刊)や、『天皇と鬼』(前掲)などを読んだ。また山の辺の道を歩いて、物部神道の祭祀跡と思われる「神籬」(ひもろぎ 後述)跡なども見た。だが、どうして奈良盆地の東端に拠点を置いたのか、決定的な理由については長考を要した。

以下、私の結論を一気に書く。

古代奈良湖の湖畔と考えられるところには、湖の岸を想像させる地名がかなり残っている。
「山の辺の道」南端にある海石榴市(つばいち)。
そこから、三輪山麓にある磯城(しき)。ここには崇神天皇が宮を置いた跡が残っている。
北上し、天理市にある石上(いそのかみ)神宮。もとは磯上だっただろう。
島の山古墳。これは前述した。
そして、蘇我氏の発祥地といわれる、真菅(ますが 橿原市曽我町 近鉄南大阪線「真菅駅」がある)

客野宮治(きゃくのみやじ)著『蘇我氏の研究』(文芸社 最新刊)には次のようにある。
以下引用する。
(引用開始)
ここは曽我川のほとりにあり、菅が自生していた。蘇我の名は、推古天皇の「真菅や蘇我の子らは」の歌からわかるように菅に由来しているらしい。菅は、汚濁を浄化するため神聖な植物とされ、様々な祭具に使用された。笠縫氏が大嘗祭(だいじょうさい おおにえのまつり)の菅御笠を作る材料にもなっている。蘇我の氏名(うじな)も菅にちなんでつけられたとする説が現在有力である。  (p40)

(引用終わり)

田中進二郎です。このことからも大王家や有力氏族は湖畔や沼沢地を囲むように拠点を置いていたことが分かる。

その中でも、物部氏と葛城氏(かつらぎ)はいちはやく奈良盆地に入って、土着の縄文人たちと融和していた、と考えられている。関裕二氏は、すでに尾張(愛知県西部)を中心に東国から縄文系の人々が初瀬川の流れにそった道から奈良に入っていた。物部氏はこの人々と共存していた、と述べている。だから記紀に登場するナガスネヒコと饒速日(ニギハヤヒ)は東国の首長と物部氏を指しているのだ、と。(前掲書『天皇と鬼』より)

物部氏は「出雲のたたら」で知られる製鉄集団だった。それが、葦や菅の生い茂る「山の辺の道」に拠点をおいたのは、鈴―錫(すず)の生産と密接につながっていた。

真弓常忠著『神と祭りの世界』(1985年 朱鷺書房刊)によると、神道の祭祀に用いられる「鈴」はもともと沼沢地に生息する葦や、薦(こも)茅(かや)の根に生成する褐鉄鉱の塊であった、という。
以下『神と祭りの世界』p234~244から抜粋引用する

(引用開始)

褐鉄鉱とは、若干の吸着力を持つ「水酸化鉄の集合体の総称で、沼沢・湖沼・湿原・浅海底などで、含鉄水が空中や水中の酸素により、またバクテリアの作用により酸化、中和し、水酸化鉄として鉱泉の流路に沿って、沈殿したものである。(中略)
褐鉄鉱の団塊とは、水中に含まれている鉄分が沈殿して、さらに鉄バクテリアが自己増殖して細胞分裂を行い、固い外殻を作ったものである。とくに水辺の植物、葦・茅・薦などの根を、地下水に溶解した鉄分が徐々に包んで、根は枯死する。が、周囲に水酸化鉄を主とした外殻ができる。内核は地下水に溶解し、外殻と分離する。
これを振ればチャラチャラと音を発するのである。
鳴石(なりわ、なりいわ)、鈴石ともいうが、太古は「スズ」と称していただろう。自然にできた鈴である。
(中略)
湿原の薦・葦・茅の根に密生する状態が「鈴なり」の原義である。
この「スズ」すなわち褐鉄鉱はそのまま製鉄の原料となった。これを破砕して、流水を利用するか、なにかの方法で夾雑物(きょうざつぶつ)を取り除き、露天たたらにいれて精錬することができた。砂鉄による磁鉄鉱に比べて、品位は低いが、初期製鉄の原料たりえたのだ。
(中略)
弥生時代の民は鉄を求めること切(せつ)であって、そのために「スズ」の生成を待ち望み、生成を促進するために呪術を行った。どうして、このようなものができるのか、古代人にとっては不思議な、しかしありがたい貴いシロモノであった。音の発するのも不思議であり、それは神霊の声と聴かれた。そこでこの模造品を作って、「スズ」のできそうな湖沼を見渡す山の中腹の傾斜地で、これを振り鳴らしては仲間の「スズ」の霊を呼び集め、あるいは地中に埋納して同類の繁殖を願った。一種の類感呪術である。それが鈴であり、鐸(さなぎ)であった。銅鐸、鉄鐸があるが、その原型は褐鉄鉱の団塊であったのである。

(引用終わり)

田中進二郎です。もはや、多弁は不要だろう。物部氏の呪術-物部神道はこのようにしてうまれたのである。ここから多くのことが導きだされるであろう。
最後にもう一度、「古代奈良湖推定図」を見ていただきたい。
地図中の銅鐸に似たマークを探してみてほしい。いずれも湖岸に近い、山の傾斜地につくられている。ここで物部氏らが「スズ」を鳴らす儀式をとり行っていたのだ。

(古代奈良湖の存在と大和王権-その2 おわり)
田中進二郎拝

副島隆彦 投稿日:2015/05/06 23:07

【1457】[1785]5月31日の 私たちの定例会に集まってください。

副島隆彦です。  今日は、2015年5月6日です。

私は、中東アラブ諸国の調査旅行に行ってきました。 いくら何でもシリアとイラクには行けません。 それで、イラン国のテヘランと、ペルシャ湾岸のアブダビ、ドバイ (アラブ首長国連邦) に 行ってきました。

そこから、西に1000余キロメートル行ったところにある、サウジアラビアの首都リヤド には、どうしても行きたと画策しましたが、2014年から一般の旅行者は入れなくなっていました。 サウジ が一番厳しい宗教国家です。ワッハーブ派という強硬な原理主義を国教にしているサウド家の支配がキツい国です。


イランでは今もビルにホメイニ師とアメリカを批判するスローガンが描かれている


発展するアラブ首長国連邦のドバイ


ドバイとイランの位置関係

私は、これらの写真のとおり、急きょイスラム教、アラブ人 the Arabs、中東問題にかぶれましてしまって、アラビア問題の研究に、今は、打ち込んでいます。

ですから、 今度の 5月31日の 定例会(学問道場の講演会)は、前半では、思いっきり中東(ミドル・イースト)アラブ世界の最新の話 (および歴史の話) をします。 抉(えぐ)り出すように大きな真実をお話しするでしょう。

私の講演の第一部は、この アラブ人の 民族衣装でやります。アラブ人の正式国民の普通の人たちもこの格好です。男物は、ディスダーシャ disdasha と言います。 黒色の輪っかは、アガール agal 。スカーフは、gutra グートラ と言う。

女性のワンピースは、アバーヤ abaya という。イランでは、チャードルと言っていました。 黒色のスカーフは、sheyla シェイラ で、必ず髪を隠します。 それぞれの国で、微妙に女性の顔の隠し方が、違います。 個人差もあります。 ほとんど両目しか見せないのが、一番きびしいサウジの女性たちだ。 それでもゆったりと上品に買い物に来ています。 イランの女性は チャドルを着ているが、その黒一色の衣装に、華やかな赤や緑の筋を入れているファションも有る。 普通の洋服を着ているのは、外国人労働者や 店の経営者たちだ。それでも熱心にモスクに礼拝にゆく。

私は、定例会で、いろんなことを話すつもりです。ですから、どうぞ この定例会に参加(出席)してください。 私が、大声で徹底的に今の世界情勢と、その一部としての日本の現在の問題を、隠されているウラ側の真実も含めて 洗いざらい話します。  乞うご期待です。

今度の講演会 ( 演題 「副島隆彦が今の重要なことを洗いざらい語ります」) の詳細は、以下のとおりです。 年に2度ぐらいしか、もう私たちの定例会は開かれなくなりました。 この機会に会員の皆さんが集まることを強く希望します。

それでは、5月31日に定例会の会場で、皆さん、元気でお会いしましょう。

副島隆彦拝

(定例会の詳細)

第34回「副島隆彦の学問道場」主催定例会

演題「副島隆彦が、今の重要な事を洗いざらい語ります」

講師:副島隆彦先生、石井利明(いしいとしあき)研究員

石井利明研究員 講演:「福沢諭吉とフリーメーソン」

副島隆彦先生 講演 (前半)「中東・イラン訪問記と映画『アラビアのロレンス』が描かなかった、中東での20世紀米英覇権争いの真実」(後半)中国の「新シルクロード(ワン・ベルト、ワン・ロード)」構想とユーラシア時代の本格化について」

※講演会の内容は現段階での予定です。ユーラシア地域の世界地図を豊富に使いながら副島先生があらいざらいの真実を語ります。

開催日 2015年5月31日(日曜日)

会場 「全電通労働会館 ホール」

アクセス
■JR 中央線 総武線「御茶の水駅」聖橋口出口 徒歩5分
■東京メトロ 千代田線「新御茶ノ水」駅 B3出口 徒歩3分
■都営地下鉄 新宿線 「小川町」駅 A7出口 徒歩4分
■東京メトロ 丸の内線 「淡路町」駅 A5出口 徒歩4分

会場住所 〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3丁目6

電話 03-3219-2211  FAX 03-3219-2219

※定例会の予定等についてのご質問は、囲む会(042-529-3573)へ、お問い合わせをお願い致します。

【当日の予定】

開場  12:15
開演  13:00
終了  17:30

※開場、開演時間以外は、あくまで予定です。終了時刻等が変更になる場合もございます。

※お席は全て「自由席」になります。お手荷物・貴重品等はお客様ご自身で管理をお願い致します。

お問い合わせ先:
「副島隆彦を囲む会」
Tel.042-529-3573 Fax.042-529-3746
メールアドレス:snsi@mwb.biglobe.ne.jp

・本定例会(5/31)へのお申し込みはコチラです!↓
http://soejima.to/cgi-bin/kouen/kouen.html

田中進二郎 投稿日:2015/04/29 23:34

【1456】[1778]「古代奈良湖」の存在と大和王権

古代奈良湖の存在と大和王権の成立(1)
田中進二郎
地図画像をとりこもうとして、失敗したようです。↓の記事を削除して下さい。
申し訳ありません。再度投稿します。

久々に投稿します。最近古代日本史に関する書籍を読んでいて、盲点になっているところをいくつか発見したので、そのことについて書かせていただきます。

古代(弥生時代から古墳時代、飛鳥時代にかけて)奈良に誕生する大和王権について、調べてみるきっかけになったのは、『竹村公太郎の「地形から読み解く」日本史』(別冊宝島 最新刊)で古代には奈良盆地は巨大な湖だった、ということを知ってからだった。
(竹村公太郎氏は1945年生まれで、建設省でダム・河川事業を担当。国土交通省退官後、日本水フォーラム代表理事を務めている。竹村氏の著書はPHP研究所からも出版されている。)

竹村氏は上記の本の中で、紀元前1500年頃(縄文時代晩期)に奈良盆地に巨大な堰止湖(せきとめこ)が出現した、と指摘している。この湖が誕生したメカニズムとは、奈良県側から大阪府に向けて西に流れる大和川(やまとがわ)が、ちょうど県境の「亀の瀬(かめのせ)」
というところで発生した大きな地すべりによって、大和川の流れが遮断された。そして上流の水が滞り、奈良盆地が水没したということである。

http://tatsuo-k.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html?m=1
・奈良湖推定図

(↑のブログ記事に古代奈良湖の推定図と解説があります。竹村氏の説とほぼ同じであるので、抜粋引用させていただく)
(引用開始)
(1) 奈良盆地に見られる縄文遺跡は例外なく標高45m以上の微高地に検出されている。それ以下には見つかっていない。やがて稲作農耕を主体とする弥生時代に入ると、弥生遺跡は標高40mでも見つかるようになる。すなわち、縄文後期から弥生時代にかけて徐々に奈良湖の水位が下がり、湖畔の湿地帯は肥沃な地味で稲作に適していたことから弥生人が定住し始めた証拠だと言う。湖畔に豊葦原瑞穂国の風景が生まれた。

(2) また、古代の山辺の道(やまのべのみち)がほぼ標高60mの高さで山麓を南北に通っているのは、かつての湖や通行に支障のある湿地帯をさけて形成された証拠だと言う。当初は人々の頻繁な自然往来で踏み分けられた道であったのだろうが、その重要性から権力者により官道として整備されていったのだろう。その後平地に造られた上津道、中津道、下津道(かみつみち なかつみち しもつみち)より時代をさかのぼる最古の官道と言われるゆえんだ、と。

(3) 万葉集巻の一の第二歌に舒明天皇(じょめい 在位628~641年)御製の歌がある。
「大和には群山(むらやま)あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は煙立ち立つ 海原は鴎(かまめ)立ち立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は」
この「海原」はかつて香具山の北にあった埴安(はにやす)の池のことを指している、と唱える万葉集の研究者もいるが、この池も埋め立てられて、今香具山に登っても海や湖はおろか,池も見えない。6世紀当時ははるか北に奈良湖の姿があったのであろうか。だとすると山と湖と水田で満たされた盆地はさぞ美しい風景だったことだろう。

(田中進二郎 注 ここで「埴安の池」のことを舒明天皇が「海原」と詠んだ、と最初に言い出したのは江戸時代の神道家の本居宣長である。宣長は天の香久山を訪れた際に、ふもとにあった古池が「海原」だろう、とおかしな解釈をした。以来万葉研究家たちはこのしょぼい解釈を踏襲し続けている。岩波文庫の「万葉集」も、「池」のことだと注釈をいれている。くだらん。
このことに疑義を呈したのは、歴史家の樋口清之(1909~1997)である。1989年に『大和の海原』(千曲秀版社刊)で、古代大和に湖(大和盆地湖)が存在したことの証言として、舒明天皇の国見の歌を解釈した。1989年に『大和の海原』(千曲秀版社刊)で、古代大和に湖(大和盆地湖)が存在したことの証言として、舒明天皇の国見の歌を解釈した。さらに、故・吉本隆明氏も『ハイ・イメージ論Ⅰ』(筑摩書房1989年刊)の中で、樋口清之氏の説を援護した。ランドサット撮影の写真から、一万年前からの奈良盆地の地形の変遷を論じ、縄文時代の遺跡は標高70メートル以上の高地に位置し、弥生時代の遺跡はいずれも標高50メートル以上の高地にある、と論じた。現在、縄文時代の遺跡は標高45メートル、弥生時代の集落跡は標高40mの地点でも見つかっているので、吉本氏や樋口氏の説がそのまま最新の考古学の事実ではない。だが、古代奈良湖の存在を最初に指摘した点で先駆者であった。なお奈良盆地一帯の標高は25mである。
田中注終わり。引用続けます。)
(4) 斑鳩(いかるが)の法隆寺の南大門の前に鯛石という1×2メートルの踏み石が表面を露出させて埋まっている。地元ではこの鯛石まで水が来ても大丈夫と言い伝えられている。今見るとどこに水があるのか、という法隆寺界隈だが、創建当時は消滅寸前の奈良湖はこの斑鳩辺りに存在していて、創建時の斑鳩宮、法隆寺は近いところに建っていたのかもしれない。そうなると聖徳太子は飛鳥京へ毎日太子道を馬で通っていたとされるが、実は斑鳩からは船で飛鳥へ渡っていたのではないか。ちなみにこの鯛石のある地点の標高は50mで大和川の水位40mよりは高い位置にある。

たしかに地形的に見ても、歴史的に見ても、「古代奈良湖存在説」はあまり荒唐無稽な感じではない。現在の奈良盆地の150余の中小河川の大和川一局集中の地形を見ても、かつての大きな水源の存在の痕跡を感じることが出来よう。(中略)
(引用を続けます。田中)

(奈良湖推定図。↑のブログ記事にあります。)
(奈良湖から亀の瀬を通って河内平野に流出する大和川の構造を示した図。これも↑の記事中にあります。)
高低差がある分だけ、亀の瀬地区は古代より大和川の流水による地盤崩壊などの災害の多いところであったようだ。奈良湖は最後は斑鳩の辺りに小規模に残り、やがては消滅していったのだろう。
(引用おわり)

田中進二郎です。長大な引用になり申し訳ありません。以上のブログ記事と、先に挙げた竹村公太郎氏の説はほとんど同じです。上の地図は『地形から読み解く日本史』にも載っています。

竹村氏は、「亀の瀬」という地峡で生じた地すべりは、昨年(2014年)8月に広島市北部で起こった集中豪雨、それによる土砂災害のときのように大きなものだっただろう、と述べています。

そこで私田中は、大和川が堰き止められた「亀の瀬」と奈良盆地に点在する古墳群
に見学に行った。南北に生駒(いこま)山地と金剛山地が走るそのはざまに、わずかに山の切れ目がある。そこを緩やかにカーブしながら、大和川が西に流れている。この奈良盆地からの大和川の出口が「亀の瀬」である。
ここは20世紀だけでも、4度も地すべりを起こしている土地で「亀の瀬地すべり資料館」という施設もあった。排水のための隧道が何本も掘られていた。さらに土壌に深く、鋼管を埋め込むことで、もろい土壌が崩れるのを防いでいる。こうした工事により1967年以降は地すべりが起きていない。
過去に生じた土砂崩れでできた崖の上に立って、大和川を眼下に見ると、ここでかつて川をせき止めるほど土砂が流出したことも納得がいく。そして、このせき止められた奈良湖の水を、古代大和の王族、氏族が開削工事によって排水したのだろう、ということも。

またここは龍田(たつた)地峡とも呼ばれ、龍田道(たつたみち)という陸路も川に併走していた。飛鳥時代(6~7世紀)には難波(なにわ―現在の大阪市)に着いた船は陸路でも、水運でも大和に入ることができたという。龍田道は法隆寺のある斑鳩を経由して、そこから斜行する「筋違い道」で都が置かれた飛鳥まで続いていた。
このころには既に、排水によって「古代奈良湖」はかなり縮小して、陸地となった地帯には
官道や田畑が作られていたのであろう。
だが、斑鳩の南あたりは最後まで湖が残っていたようだ。馬と船を併用して飛鳥まで移動したのだろう。

↑の地図の二枚目にある、法隆寺の南に位置している、大塚山古墳群(5世紀後半の築造とされる)から、馬見(うまみ)古墳群に含まれるナガレ山古墳、新木山(にきやま)古墳(5世紀はじめの築造とされる)も南北に歩いて縦断してみた。

大塚山古墳は被葬者不明だが、有力豪族の墓だとされている。馬見山古墳群と島の山古墳の違いは、大塚山古墳が平地のところから周濠をめぐらし、段丘を人工的に形成していることだ(三段築成)。
古墳の頂きに上ると、明治天皇の野立て所の碑が立っていた。1908年(明治41年)にここで陸軍の大演習が行われた。そのときに、明治天皇がここで演習の指揮を執った、という。
だからこのあたりは今から百年前は、かなり広い平地だった、と想像できる。ついでながら、1907年に陸軍は19師団に増強されている。そのため、この演習が必要とされたのだろう。

この大塚山古墳を見て分かることは、5世紀に奈良湖が急速に縮小していること。湖に代わり大和川が東西を結ぶ大動脈として、姿を現してきていることである。川の水利と水運を取り仕切っていた豪族が、この古墳を築かせたのであろう。

大塚山古墳とは異なり、馬見山古墳群は現在丘陵地帯になっている。ナガレ山古墳、乙女
山古墳などが高地を利用したように築かれている。ここは南北に細長い半島のようになっていたと考えられている。大阪平野にある上町台地が、古代には難波潟と河内湖(どちらも海)に突き出た半島になっていたのとそっくりだ。島の山古墳はその名の通り、湖に浮かぶ島だった(標高49メートル)。きっとランドマークになっていただろう。

古代奈良湖が消滅していった理由とは、上でも述べたが、龍田地峡の人工的な開削で湖水を、「亀の瀬」から排水したためだ、と考えられる。
航空写真で大和川を見ると、「亀の瀬」あたりの緩やかなカーブがうまく出来過ぎていて、自然に作られたものだとは思えない。
(航空写真http://enkieden.exblog.jp/19132670/「播磨国と大和国の製鉄」より)

地すべりによって、埋まってしまった河道を大規模な開削工事によって、水が流れるようにしたのだろう。このような土木工事には、渡来系の土木技術者のみならず、強い指導者、多数の労働者が必要だったに違いない。この工事は弥生時代には始まっていた可能性がある。そして、湖の水をこの「亀の瀬」で調節しながら、稲作に必要な水は確保して、干上がらせた土地は新たに開墾していった。こうして「大和は国のまほろば」といわれるような豊かな稲作地帯ができていった。簡単にいうと、奈良盆地は計画的に作られていった土地なのだ。
これが古代奈良湖説を唱える人達に共通する古代奈良の歴史観になっている。

大塚山古墳の被葬者も、この工事の指導者であったかもしれない。またこの水利工事には、渡来系の蘇我氏や、物部氏また秦氏(はたうじ)などが関わっていたことは確実だろう。
しかし、彼らの業績の多くは、乙巳の変(いっしのへん 蘇我入鹿暗殺事件をはじめとする一連の政変645年)と大化の改新(646年)後の、藤原氏の台頭とともに正史から消されていったのである。
蘇我氏をはじめとする有力氏族たちの評価は改められなければならないだろう。

田中進二郎拝

中田安彦 投稿日:2015/04/28 12:41

【1455】[1775]呆れ果てる、安倍晋三のジャパン・ハンドラーズ育成資金供与

アルルの男・ヒロシです。

安倍晋三がアメリカを訪問していますが、産経新聞に安倍がハーヴァード大学で次のような発言をしたと書いてある。

(貼り付け開始)


2015.4.28 05:00
首相、知日派育成へ研究支援表明へ 米3大学に各500万ドル拠出

【ボストン=峯匡孝】訪米中の安倍晋三首相は27日午前(日本時間同日深夜)、米東部マサチューセッツ州ケンブリッジのマサチューセッツ工科大(MIT)を訪れ、日本の現代政治や外交に関する研究を支援するためMITとコロンビア大、ジョージタウン大にそれぞれ500万ドルを拠出すると表明した。

外務省によると、平成27年度予算で対応するMITとジョージタウン大は、円換算で各5億5千万円。コロンビア大は換算レートが異なる26年度補正予算で措置したため4億8500万円となった。

首相はMITの前にハーバード大も訪問し、学生からの質疑に応じた。アジア太平洋地域で強圧的な海洋進出を図る中国を念頭に「力による現状変更は決して許してはならない。アジアの海を平和、繁栄の海にしていくためにアジアの国々が協力するのも重要だ」と述べ、中国と韓国との関係改善に努力する考えを示した。

これに先立ち首相は、2013年のボストンマラソンで起きた爆弾テロ事件の現場で献花し、黙(もく)●(=示へんに寿の旧字体)(とう)をささげた。イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」など地球規模で拡散する国際テロに屈せず、米国とともに戦い続ける姿勢を示す狙いがある。

首相はボストンに26日午後(同27日朝)に到着。ケネディ元大統領に関する資料が保存されている「ケネディ・ライブラリー」を視察後、岸田文雄外相とともにケリー米国務長官の私邸で会食した。

首相は28日午前(同日深夜)、首都ワシントンのホワイトハウスでオバマ大統領との首脳会談に臨む。安全保障分野では「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の再改定を踏まえ、日米同盟強化により世界の平和と繁栄に貢献する方針を確認したい考えだ。

(貼り付け終わり)

産経新聞の紙面には、他の新聞には出ていなかったが、安倍がじろりと後ろで睨みつけるジョゼフ・ナイの前の演台で「知日派育成の資金提供」をしていくと宣言した様子が映し出されている。

何処の国も自分たちをスパイする人材を育てるために資金を提供することなどしない。しかし、安倍晋三はここまで貢ぐ。

呆れ果てる。

MIT(リチャード・サミュエルズ)、コロンビア大学(ジェリー・カーティス)、ジョージタウン大学(マイケル・グリーン)に安倍晋三が「掴み金」を与えると世間した。それをハーヴァード大学で表明するという。ハーヴァードには、孫の留学資金非課税ですでに留学人材を送り込む余地ができていた。

日本のアメリカ追従主義者は「アメリカで日本が研究されていないこと」に恐ろしい不安を抱くのだろう。私には全く理解できない。冷戦時に日本が研究されてきたのはそれなりの理由がある。今はないというのに、それを無理にカネも払って「研究していただく」というのは頭おかしい。キチガイとしかいいようがない。

アメリカの有名手先育成大学である、ジョージタウン、コロンビア、MITの3大学の日本研究所の「ジャンパンハンドラー」に対して、日本から送り込むマスコミとか官僚の留学生と現地の日本研究家の交流の場を提供していくということだ。ハンドラーに対する利益供与だ。

そうやって日本人をアメリカの大学の日本研究所に送り込んで「クルクルパー」にして帰国させてアメリカの手先として活動させる。こういう手段で長島などもアメリカ主義者になって帰ってきた。本人が気づいていないのがものすごく怖いが、要するにそういうことだ。ローマ帝国からの伝統。

日本ではこの受け皿になっているのが笹川平和財団であり、笹川には米国支部もある。そういう狭いところだけで日本研究マネーがグルグルと回っているわけだ。

コロンビア大学の日本研究所には、ジェラルド・カーティスやジョージ・パッカードのようなよく知られたアメリカのジャパン・ハンドラーズだけではなく、なんとあの、合理的期待形成学派でリフレ派の親玉の伊藤隆敏とか、三菱商事槇原稔の娘の槙原久美子までいる。

安倍晋三が出す500万ドルを日本人のアメリカ以外の大学への留学支援金として日本国内で予算化したほうがどれだけ世界的視野をもった日本人を生み出せることだろうか。出す場所を間違っている。敵に塩を送ってどうする。

本当に情けない話だ。

松村享 投稿日:2015/04/23 08:06

【1454】[1774]時計から見るイスラーム思想史⑦バグダードのウォール街化

 松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/04/23です。

 前回は10世紀バグダードの衰退、そのきっかけは、シルクロード中央に位置するサーマン朝(874~999)が、銀を独占したことに起因する、という話でした。

 今回7回目は、衰退期バグダードで幅を利かせはじめるユダヤ人の話です。

○バグダードのウォール街化

 さて10世紀の、衰退期バグダードである。 

 『イスラム世界の人々ー4海上民』(家島彦一・渡辺金一編 東洋経済新報社 1984年)に掲載されている、湯川武氏の『ユダヤ商人と海ーゲニザ文書からー』という論考がある。こちらの論考で、当時の貴重な文献である『諸道と諸王国の書』という地理書が紹介されている。

 この地理書は、ペルシア生まれのイブン・フルダーズビフという人物によるものらしい。911年頃に没したとされるので、おそらく9世紀~10世紀に著されたものだろう。こちらの地理書には、ユーラシア全域で活動するユダヤ人の様子が活写されている。

 当時のユダヤ商人はラーザニーヤ商人と呼ばれ、アラビア語、ペルシア語、ギリシア語、フランク語、スペイン語、スラブ語など話せたという。おしもおされぬ国際人だ。インド・中国にまで出むき、中国の広東には、ユダヤ商人の居留地まであったというから驚きだ。

 さて、このような状況下で、サーマン朝による銀の独占が行われたのだ。ネットワーク内で銀が不足する。ここでバグダードを中心としたユーラシア交易は危機に瀕し、否応なく金融技術を駆使することとなるのだ。

引用開始ーーーーー『イスラム・ネットワーク』p109 宮崎正勝著 講談社選書メチエ 1994年

金、銀の産出量は帝国経済の規模には追いつけず、
都市部における金融業が、一層発達することになった。

バグダードには多くの銀行が設けられて、
そこで振り出された小切手は遠くモロッコで現金化できたとされるし、

バスラでは商人たちがことごとく銀行に口座を設け、
スークでの取引には全て小切手が用いられたといわれる。

ーーーーー引用終わり

 松村享です。

 上記のとおり、10世紀バグダードに銀行街ができあがる。バグダードのみならず、バスラにも銀行があった。バスラとは、交易ネットワークの中心バグダードから伸びる4つの主要交易ルートのうち、最も重要なルートに位置する街である。ルートの名称もずばり、バスラ道だ。

 なぜ重要かといえば、バスラの目と鼻の先が、ペルシャ湾である。ペルシャ湾から、インドや中国にまで交易船が出航する。大ユーラシア交易の大動脈が、ペルシャ湾であった。

 バスラが金融街化したとはつまり、ペルシャ湾から始まる大ユーラシア交易のネットワークそのものに、金融技術が張り巡らされたのだと考えてよい。そしてこのネットワーク上で多彩な商業活動を行っていたのが、ユダヤ人である。

 ダニエル・パイプスという人が『アラブの地のユダヤ人ー歴史と原点資料集』と題して、ネット上で記事を公開している。そちらの記事によれば、バグダードの加護を受けた9世紀、10世紀がユダヤ人のブルジョワ革命期であり、10世紀から13世紀までが、ユダヤ人の『最高の年』であったという。

 10世紀、恐慌にあわせて金融技術が幅をきかせるようになった。だからユダヤ商人が活動するユーラシア・ネットワークがそのまま、金融の時代に突入した。この時代の流れはバグダードのカリフの宮廷にまで押し寄せる。

引用開始ーーーーー『ユダヤ人の歴史』ポール・ジョンソン著 p296~297 徳間書店 1999年

10世紀以降(※引用者より。銀不足の恐慌以降、ということ)、
特にバグダードにおいてユダヤ人はイスラムの宮廷のための銀行家となった。

これらの銀行家たちはユダヤ人の商人から預金を受領し(※引用者より。ユダヤ民族資本の集中が起こった)、カリフに多額の金を貸し付けた。

ーーーーー引用終わり

 松村享です。

 このようにユダヤ資本は、世界の中心バグダードに入りこんだ。上記引用文の最後に、『カリフに金を貸し付けた』とある。著者のポール・ジョンソン氏は、重要な一文を書き忘れている。私は、新たに文章を書き足さねばならない。

 銀行が権力者に金を貸し付ける利点は、ただひとつ、徴税権の取得にある。宮廷が、お金を返済できないことなど、本当は初めからわかりきっている。

 だから徴税の権利を担保にする。徴税権さえあれば、帝国中から税金を集めることができる。そのうちの一部は、宮廷ユダヤ人のものだ。徴税権を握る者こそ、本当の権力者である。つまり、10世紀から13世紀までの『ユダヤ人の最高の年』は、バグダードの最高権力を手にしたことに起因する。

 そして、ユダヤ人たちがユーラシアの四方八方に散らばりながらも、一民族として統一されるのもまた、まさしくこの10世紀なのだ。サアディア・ベン・ヨーゼフ(882~942)が、ユダヤ人を統一するのである。(続)

松村享拝

アルルの男・ヒロシ 投稿日:2015/04/20 09:09

【1453】[1773]4月交流会のお知らせ

アルルの男・ヒロシです。

2月から月に一回やっている「交流会」を4月は25日(土)の夜に開催します。

これまで2回開催しました。最初は、「持ち寄った本の紹介」2回めは「映画鑑賞会」とその後のおしゃべりをしました。これまで参加してくださった皆さん、ありがとうございます。

今までは、事前に人数を把握するために申し込みをお願いしていましたが、2回やってみて、事前申込みを募っても大体、会場として借りた会議室人数いっぱいにならないことがわかりましたので、4月の回からは事前の申込はナシでやってみたいとおもいます。

そして、交流会の内容についてもあえて事前に何をやるのか決める、というのではなく、当日に気軽に立ち寄って、自由にお喋りをするという形でやっていきたいと思います。私は当日に会場に一人で向かいますから、私と情報交換をしたい人はそれでも構いませんし、他の仲間が出来てその人とおしゃべりをしたい、というのであれば、それはそれで構いません。

もちろん、「ぜひ俺はこういうことがみんなの前で話したい」という会員のかたがいれば、それは事前にお申し出いただければ、「ホワイトボード」などを用意します。

ただ、基本はコーヒーなどを飲みながら、共通の話題を持った同士が、自由にお喋りをするという場所にしていきたい、と思います。(すぐに話したいことがない人はドリンクを飲みながらずっと本を読みながら周りの話を聞いているだけでも構いません。)

4月は25日の土曜日に以下の会場(4号室)を18:00から、「SNSI」の名前で予約しています。ですから18:15から始めたいと思います。会場費だけは当日に参加していただく方の頭割りで折半でご負担いただくことになると思います。その点だけはご了承ください。

https://www.ginza-renoir.co.jp/myspace/booking/shops/view/MS&BB_池袋西武横店

松村享 投稿日:2015/04/12 04:20

【1452】[1772]時計から見るイスラーム思想史⑥『バグダード、終わりの始まり 』

 松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/04/12です。

 前回まで『新プラトン主義Neo platonism』について、記述しました。カトリックにおいては、新プラトン主義は、無智迷蒙を促進する支配思想だった。一方、イスラームにおいては、人間世界を発展させる起爆剤だった。簡単に一文で表すと、そうなります。

 イスラームにおいて『新プラトン主義Neo platonism』が、神学と科学(近代学問)の統一を果たし、人間世界の発展に大いなる寄与を果たした。我々現代人もまた、この時代、10世紀のバグダードを源流として生きています。

 化学にしろ、光学にしろ、天文学にしろ、ありとあらゆるものがバグダードを源流とするのですが、『時計』という人類史上の大発明もまた、バグダードに端を発するというのは、今論考で述べているとおりです。今回6回目は、そのバグダードの衰退の話です。

 ○『バグダード、終わりの始まり 』
 
 10世紀、長期の銀不足が起きている。当時の銀の供給地は、イランのホラーサン地方と西トルキスタンである。サマルカンドとかのあたりだ。いわゆる、シルクロードの中心点である。

 何故か。ここを制圧した王朝があるのだ。サーマン朝(874~999)である。

引用開始ーーーーー『イスラム・ネットワーク』p109 宮崎正勝著 講談社選書メチエ 1994年

十世紀になると西アジアに深刻な『銀飢饉』が起こり、
バグダードに流入する銀の量が急速に減少した。

※中略

家島彦一氏は、銀資源と木材資源の枯渇を指摘しながらも、
八七五年にマー・ワラー・アンナフル(※引用者より。西トルキスタンの事)
の支配圏を掌握し、
豊富な銀を掌握したサーマン朝(八七四~九九九)が、

『ペルシャ湾経由でインド洋周縁部と結びつく独自の交易システムを樹立し、
バグダードの経済圏とは別に自己の経済支配を確立しようと目指した』ことにより

サマーン朝領内で鋳造された銀貨、
銀地金のバグダードへの流入量が激減したことを重視している。

ーーーーー引用終わり

 松村享です。

 これは驚くべき記述だ。ペルシャ湾というのは、当時の世界交易ネットワークの中心地、大動脈である。ここを制圧したからこそ、バグダードを拠点とするアッバース朝(750~1258)は、世界覇権国となった。そのアッバース朝に対抗して、サーマン朝が台頭した。銀を独占し、大動脈・ペルシャ湾を乗っ取ろうとした、というのである。

 サーマン朝の銀の独占が、周辺王朝に恐慌をもたらした。私は、この記述に行きあたって、14世紀半ばの、ヨーロッパ経済の凋落を思い出したのである。

 14世紀半ば、エジプトーイタリアは、トルコ・オスマン朝の銀の独占により、大恐慌に突入した。直後に、黒死病(ペスト)の猛威にさらされ、壊滅的状況を迎えることとなる。黒死病(ペスト)の猛威は、学校の教科書などにも載っているので、みなさんご存知かと思う。

 だが実は、ペストの直前に大恐慌が起こっていたことは、あまり知られていない。この時代、イタリアはエジプトの属国であり、高度成長期を通過したところである。

 紅海、というエジプトの真横の海がある。この海が、ユーラシアの東西を繋ぐ回路として覇を唱えていた。エジプトの紅海を支配していたのが、イスラーム・マムルーク朝(1250~1517)である。イタリアは、エジプトに従属しながら、インドや中国にまでまたがるユーラシア大陸の大交易に参加していた。

 この事がイタリアの高度成長をもたらしたのだが、トルコの勃興により、エジプトーイタリアの好景気は頓挫する。トルコのオスマン朝が、銀を独占したのである。オスマン朝は、鉱物資源に大変恵まれたアナトリア地方を出自とするのだ。想像を絶する規模の独占だっただろう。

 何故なら、この時にトルコで設計されたアクチェ銀貨は、以後300年使われ続ける銀貨だからだ。アナトリア出身の地の利を生かして、最初から供給源、供給量をふくめ、綿密に設計されていたのだ。となれば、周辺国は通貨発行権が弱体化し、銀を独占する国家の、この場合はオスマン朝の、優秀な基軸通貨に従属するしかなくなる。

 基軸通貨以外の通貨は、信用がおけないのだから、誰も欲しがらない。基軸通貨を使わなければ、商品流動が滞る。値段さえ、きちんと付けられない。しかし基軸通貨が手に入らないとなると、もうどうしようもない。社会が壊れる。生活はめちゃくちゃだ。盗賊にでもなろうか、という気にもなる。

 この辺の事は、現代日本人には、なかなか実感としてわからない事なのではないか。多分、外国と直接、交易するような職業でもないと、わからないはずだ。かくいう私も、昨日まで使えていたお金が、今日コンビニで使えませんでした、という経験はない。

 ある意味で、日本国家の巧妙さが、我々の貨幣に対する実感を遠ざけている。貨幣というものは、本来、非常に不安定なものである。現代日本人は、円の優秀さに守られている。その事が見えないから、他国で起きる暴動も、自分たちとは全く関係のないものだと見えてしまう。我々は本当は、守られてぬくぬくとしているだけなのだ。それだって、いつまで続くか知れたものではない。

 トルコの銀の独占が、エジプトーイタリアの好景気を一気に墜落させた。貨幣となる鉱物(金や銀)の不足が、交易を衰退化させ、交易をになう国家の衰退さえもたらすという現象、これは現代でも同様である。

 世界覇権国アメリカの衰退は、金とドルの兌換を放棄した1971年のニクソン・ショックに如実に現れている。その後、アメリカは金融業(=幻想)を発展させ、そして墜落した。

 現代アメリカと、14世紀エジプトの違う点は、アメリカは、中央銀行という紙幣バラマキの、いわば幻想構築装置を持っていることであり、この幻想構築装置が、死に体のアメリカに延命処置を施している。14世紀に、中央銀行はない。14世紀、エジプト及びヨーロッパは、銀不足の影響をモロに受け、即座に恐慌に陥った。

 この恐慌が原因で、100年間が荒れに荒れる。さらにペスト(黒死病)の追い討ちがある。俗に、中世暗黒時代と呼ばれる時代だ。

 私は、この時代の空気感をつかまえたい。それはあたかも、第二次世界大戦後の日本みたいなものだったのではないか。原爆を落とされた後の日本と、同じ状況だったのではないか。夢にさえ見たことのない地獄絵図である。昨日笑っていた母親が、鉛色の肉塊になって、そこらに転がっている。

 そして、機械時計の導入は、ちょうどこの時期なのだ。『中世の産業革命』によると、イタリアの機械時計導入時期は、パドヴァで1344年、ジェノヴァで1353年、フィレンツェで1355年、ボローニャで1356年、フェラーラで1362年、である。

 最高権威であるローマ・カトリック教会も、この地獄絵図の状況下、為す術も見当たらないまま混乱の最中、ついに壊れた民衆によって、機械時計は導入され始めたのではないか。

 機械時計とは、イコール利子のことである。1時間経過、また1時間経過と、明確に区切るのだ。この地獄の最中、ヨーロッパ人は行動様式の激しい変更を迫られた。そうしないと生きられないからだ。ムリヤリにでも、幻想に身を委ねる必要があったのだ。

 機械時計導入は、銀(優秀な銀貨)が手に入らない大恐慌時代の、追い詰められた人類の窮余の策なのだ。身ごと投げだす切迫の祈りである。

 『中世の産業革命 』(岩波書店 1978年)のジャン・ギャンペル氏はp189で『西ヨーロッパではローマ教会がこの技術革新(※引用者より。機械時計のこと)を簡単に受け入れたのであるが、中世の産業革命の根幹は新思想に容易に順応するこの傾向によって説明がつく。』などと呑気なことをいっている。

 そんな話ではない。そうしないと、生存そのものが解体する恐れがあったのだ。機械時計の導入は、『輝かしい近代の幕開け』などでは決してなく、銀が手に入らない時代、追い詰められた人類の、壊れそうな脳が生み出した窮余の策である。

 これと全く同じことが、バグダードで起こっていたのである。銀の独占がサーマン朝によって行われ、10世紀バグダードで、深刻な通貨危機が起きていたのだ。(続)

松村享拝