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Loginはこちら【1517】[1849]一柳洋会員の地元での果敢な活動を顕彰する
2015年12月5日、「横須賀市軍港政治史研究会」笠原氏の講演会を聞いて思う事
今年は、横須賀を軍港にするために江戸幕府が鍬入れをしてから150年になる節目の年です。そして横須賀軍港の建設から3年後、薩長等によるクーデターで幕府は瓦解しましたが、その裏にはアヘン戦争で得た教訓から自らが闘うのではなく現地人の間の内紛を拡大して内乱を起こさせ、自分のために利用しようと考えた英国がいたのです。英国の武器商人は幕府と薩長に武器を売り込み、武力討幕を実行させます。公武合体派の坂本龍馬は初期にこそ利用されていたものの、最終的には英国策の邪魔者として排除されました。
薩摩の五代友厚ら英国留学組や伊藤博文らの長州ファイブが英国の掌中で動いていた事は間違いのない所でしょう。五代や伊藤博文や井上馨らは実に英国に育てられた人物で、西郷隆盛は井上馨を(英国と繫がる)三井(財閥)の番頭さんと呼んだ程です。元幕臣の渋沢栄一も銀行制度について英国から学んでいます。また元幕府陸軍騎兵頭で井上馨の子分・三井物産初代社長の益田孝らの抜擢も忘れてはなりません。単純な薩長史観は間違っています。つまり英国と深く関わった幕臣は、明治維新後もしっかりと活躍している事は見落とすべきではないでしょう。勝海舟も忘れてはならない、その内の一人です。
当時の日本は、現在の日米同盟のように日英同盟の国、つまりは英国の属国でした。そして日露戦争とは英国の後ろ盾を得た上での対露代理戦争だったのです。その証拠として日本艦隊の旗艦・三笠やその他の主力艦は全て英国製であり、かつ優遇措置された上で日本に引き渡されたものでありました。そして遠距離航行のバルチック艦隊は、行く先々で石炭等の補給妨害にあい、又情報提供など数々の英国の日本支援工作がなされていた事は今では知られています。そして三笠の艦上にもアルゼンチンの観戦武官もいたのです。
この日本海軍が大正・昭和と経る事で、いかにして日英同盟を破棄し英国と距離を置きつつ米戦争に踏み切る事になったのか。この点の子細な解明が今に生きる私たちが今認識すべき大きな教訓であり、大切にしなければならない問題意識ではないでしょうか。
しかしこのような日本史的にも大事な歴史的な年であるにもかかわらず、現地・横須賀市にある数多の郷土史研究団体は、そのほとんどが歴史的な祝賀ムード一本槍で、こういった問題意識からこの問題に迫った研究発表や講演を行っているグループは、残念な事にほとんどありません。
その唯一の例外が、今ここに紹介する「横須賀市軍港政治史研究会」の講演会です。代表者は、一柳洋氏で横須賀市浦郷生まれ、環境問題などで全市型選挙を展開した市民派として、昨年まで6期市議会議員を務めていました(2期目途中まで社会党)。横須賀市議会は、場所柄か社民党や共産党の議員は勿論の事、市民派議員はたいへん少ないです。
ところでこの問題意識は、副島隆彦氏の歴史観とかなり共通するものがあります。それもその筈で、主催者の一柳洋氏は今年の6月に「軍港開設150年記念 副島隆彦さん講演会 横須賀軍港開設と敗戦までの裏面史」を実施しました。つまり彼は副島氏と連絡を取り合う「副島隆彦の『学問道場』」の会員なのです。現在、この講演会の要旨は会員ページにて全三回分の第一回目が公開中です。この文章もこれに刺激されたものです。
当日の講演会は50人に欠ける人数でしたが、「帝国海軍の真実 中国とアメリカ相手に何をしたか 横須賀は何を担ったか」という演題で行われました。講演者は『南京事件論争史』の著者である都留文科大学教授の笠原十九司氏です。講演中の発言の中で、教授は今迄は学生からよく「先生は政治的に偏向している」と指摘されていましたが、9月の安保法制の可決後は学生もそういう事を言わなくなったと学生ながらに現在の政治状況を把握しているのでは、との感想が明らかにされました。
この講演の内容は、今巷間よく聞く所の海軍善玉論とは米内光政や野村吉三郎たちが天皇制と海軍を残すため、陸軍に全ての戦争責任を押しつけ、天皇と海軍の免責を画策した事だとし、また海軍が犯した事が言い逃れできず否定できない事件については全て現地の指揮官がやった事だとし、米内や野村らの海軍エリートに傷が付かないように策動した事を暴露したものでした。また貴重で興味深い横須賀航空隊の映像も紹介されました。
この講演の内容その物は、今年の6月に平凡社から刊行された同氏の『海軍の日中戦争 アジア太平洋戦争への自滅のシナリオ』の簡単な要約でした。私も出版されていた事は全く知らなかったので、会場にて直ちに購入いたしました。この本は、笠原氏も講演中に発言したように海軍の戦争責任を明らかにした、今の所唯一ともいってよい本です。
この本の帯には、「日中戦争を対米英戦の実践演習ととらえ、南進と大規模な空爆を決行、さらなる泥沼化を進めたのは海軍だった。国の命運より組織的利益を優先させ、ついにはアジア太平洋戦争へ。東京裁判でつくり上げられた『海軍免責論』『海軍神話』に真っ向から挑む力作」とあります。実際に約480頁の大著です。
確かに当時昭和天皇も支持していた日本政府の日中戦争不拡大方針を反故にして戦争が拡大していったのは、1937年に起こった大山事件によるものですが、この事件自体が上海特別陸戦隊第一中隊長で26歳独身の大山勇夫中尉を「国のために死んでくれ。家族の面倒は見るから」と説得した上で鉄砲玉に使った海軍の一大謀略事件でした。この事実の暴露は、本書の白眉であるに間違いありません。その裏には米内光政がいたのですが、公演後にこの著作を読んでみると笠原氏はその謀略の経緯については詳細に書いているものの、米内の果たした役割については記述がないのがたいへん残念な事でした。
笠原氏の講演は全体的には良いものでしたが、この講演前に既に私は船井幸雄氏と副島隆彦氏の対話本『昭和史からの警告 戦争への道を阻め』(ビジネス社2006年刊行)を読んでいまして、特に第3章「日米開戦を仕組んだのは米内光政だ」の中の小見出し「○内側から鍵を開ける者たちは常にいる○断罪されるべき人物こそ生き残る」の約40頁に注目しており、目を開かれた印象を抱いていました。そのため、私には笠原氏が日本を戦争に引き入れた米内光政の実像を捉え切れていない、と思えて仕方がありませんでした。
8月15日早朝、ポツダム宣言の最終的な受諾返電の直前に陸相官邸で切腹し、同席した副官の介錯を拒んで絶命した阿南陸軍大臣は、その時、副官に「米内を斬れ」と叫んだ事の真の意味を教授は知らないのか、と私は問いかけたいと思いました。日本の対米宣戦布告を攻撃1時間後にアメリカに手渡した醜態を演じた野村吉三郎元海軍大将は、戦後も何のお咎めもなくノウノウと生き延び、その後もアメリカ海軍のための二軍として位置づく海上自衛隊健軍の父とさえ呼ばれています。護衛艦とはまさに実態ぴったりの名です。
戦前の日本海軍のロンドン海軍軍縮会議を巡る内部抗争を徹底的に解明する事こそ、日本が戦争に突入した秘密を解くものだ、と私は確信しています。
この正月、これら2冊の本を精読して、更にこの問題を考え続けていきます。
【1516】[1848]民間は融通がきく
有事のゴールドという言葉が自分の頭に焼き付いています。
しかし、マイナンバーになり、馴染みの取引店でも嫌いな国家権力には逆らえないようです。
今現在、弟と二人暮らしで、両親からは兄弟仲良くを実行しています。
買える範囲で買い増ししても、実の血を分けた兄弟でも生前贈与は1キログラムを半分ずつ分けても課税はされます。
一次売却し買い戻す形で、弟本人の自筆の委任状と本人確認のために健康保険証(運転免許がないので)を持参し店側はOKでかつ非課税とのこと。
計算書は500グラム2本でも、それぞれ名義は私本人と弟本人の所有権立証のため、計算書はそれぞれ1枚ずつ発行。
市役所から去年10月頃に簡易書留で送付されてきた、マイナンバー書類は紛失防止と個人情報漏えい保護のために、後日、店側から送付されてきた郵送書類にコピーした物を添付すればいいとのこと。
写真入りのICチップ入りのカードについては、国はいいことしか言わないので、私も弟もわざわざ作らず放っておくにしています。
融通のきかない役所が大嫌いでけんかしたので、自分の身は自分で守るかわりに
国や行政の干渉は受けたくありません。
【1515】[1847]北朝鮮の核実験 で 「(戦争の)軸足 pivot を アジアに移す」 の ヒラリーの勝利が決まった。
副島隆彦です。今日は、2016年1月7日です。
北朝鮮が、昨日の午前10時に水爆(ハイドロジェン・ボム)実験を行ったようだ。
北朝鮮による水爆実験を報じるCNNの画面
水素爆弾の実験というには規模はかなり小さいようだ。これに伴う人工地震の震度は、マグニチュード4.9と小さい。
今朝(5時)のロシアRTV(エル・ティー・ヴィー)の放送では、「 わずか6キロトンの破壊力だ。広島の原爆の2分の一だ。ロシアの水爆実験は400キロトンだった」と 報道していた。 それでも、水爆一歩手前の、小型の核兵器の製造になる。 これを弾頭(ウォーヘッド)に積んだ中距離ミサイルが出来ると、おそらく 素朴な広島、長崎型の50倍ぐらいの破壊力を持つだろう。
この北朝鮮の核実験が、これからの世界にどのような影響をもたらすかを、私は考える。
それは、これで 悪女(ワルおんな)のヒラリーが次のアメリカ大統領になることが、決まった、ということだ。
6日の朝、オバマ大統領が、「銃規制の強化」を求めて、ホワイトハウスから演説した。横には顰め面(しかめっつら)のバイデン副大統領が立っていた。そのときオバマは、演説の途中で急に泣き出した。 これは、銃社会の、銃の乱射事件の頻発で苦しむアメリカに対してオバマが警告を発し、「もっと厳しい銃規制(ガン・コトロール)を米議会は法律を通すべきだ」という内容だった。しかし、このオバマの涙は、銃規制問題だけのものではない。
会見を行うバラク・オバマ大統領とジョー・バイデン副大統領(右)
オバマは、北朝鮮の核実験を事前に報告を受けて知っていた。これで、オバマにとっては、大嫌いな、ヒラリー戦略の「軸足をアジアへ」(ピボット・トゥー・エイシア)が起きるから、そうしたら世界は、中東・ヨーロッパに継ぐ、戦争状態に突入する、と分かった。そうなると、オバマのこれまでの世界平和を続ける、という努力が壊される。
これで、世界はいよいよ 大きな戦争(ラージ・ウォー large war ) に向かう。私たちが生きている東アジアにもついに戦争の脅威が迫ってきた。
私は、年末に、アメリカの言論雑誌に、いつくも カリカチュア(風刺漫画)が、載っていて、それは、中東の過激派 IS(アイ・エス)と 北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)が手を結んで、つながっている漫画だった。 どうやら、この凶暴なふたつの勢力をつなげて、世界を動乱状態に持ち込もうとする動きがある。12月5日に、キムジョンウンは、今度の核実験のゴーサインを出していたようだ。
私、副島隆彦が、親しいアメリカのコンサーヴァティブ・アイソレーショニスト(保守で、国内問題優先主義)の中年男性たち(リバータリアン的である)は、「ヒラリーたちが、次の新しい戦争を始める準備に入った」と感じている。
ヒラリー・クリントン
北朝鮮の指導部の中に、アメリカのネオコン派や反共(はんきょう)主義米軍人たちの強い影響下にある勢力が形成されていて、彼らが、第三次世界戦争を起こすことを画策している。 この勢力がヒラリーを押し立てて、次の世界に動乱を持ち込むつもりだ。
今年一年(2016年)中は、まだオバマ政権である。だからオバマは、絶対に世界が戦争状態に入ることを阻止し続ける。オバマは、軍の最高司令官として、大規模な米軍の作戦の開始に絶対に署名しない。しかし、来年(2016年2月)からは、もうそうはならない。ヒラリーは、それをやるだろう。
それは、北朝鮮の核兵器 開発施設への、先制攻撃(クリエンプティブ・アタック)での爆撃という選択肢(オプション)を含む。そのときは、バンカーバスターという、地中奥深く100メートル以上掘られた施設にまで届いて、そこで破裂するミサイルだ。それは、戦術核(せんじゅつかく)兵器(タクティカル・ニュークレア・ウエポン)も含まれる。
ということは2017年からの凶悪なヒラリー政権で、東アジアでも戦争の脅威が、私たち日本国民の毎日の生活に脅威と恐怖感を与えるだろう。日本の安倍政権の長期化の兆(きざ)しは、それに対する十分に計算されつくした動きだ。
日本の安倍政権というのは、アメリカのネオコン勢力が作った、まじめな日本国民の意思を無視した、アメリカのいいように動かせる政権だ。安倍晋三のおじいさんの岸信介(きししんすけ)がアメリカのCIA(中央情報局)の意思に忠実に動くように作られた政権であることの 継続版 だ。日本国民の 真の独立への真剣な願いは、いつも、いつも壊されてきた。
安倍晋三
安倍晋三たちの 精神と思考の中心にあるものは、何なのだろうか、と私、副島隆彦はずっと考えてきた。そして分かったことは、彼らの信念に中心にあるのは、反共産(はんきょうさん)主義というものだ。そして、この反共という思想は、それ自体が、共産主義の否定、撲滅、破壊を求める、という アンチテーゼ( 命題への反措定)ということであって、自分たち自身のそれ以上の信念や思想はない。 私は、この問題を、今、真剣に考えて本を書いている。
ということは、同じく、安倍晋三たちに反対する、日本のリベラル派や左翼勢力の 恥部(ちぶ)である、
「共産主義とは何か。それに対して、自分は、どういう態度を取るのか、への 発言を避けること」に、私、副島隆彦は正面から、逃げないで答えなければいけない、ということだ。
去年の世界の動乱の中心だった 中東(ミドル・イースト) から、私たちが住む東アジア(極東、ファーイースト)に、軸足(じくあし、ピボット、pivot)が急速に移されたようだ。ここで、私たちが鋭く思い出すべきは、ヒラリー・クリントンが、2011年11月に、発表した、「軸足をアジアへ」 “Pivot t o A s i a ”(ピボット・トゥー・エイシア)論文である。
(「ピボット・トゥー・エイジア」論文の画面)
後(うしろ)の方に全文を載せる、古村治彦君が翻訳した、 2011年11月号の米外交専門誌「フォーリン・ポリシー」誌の ヒラリー 論文を、皆、丁寧に読んでください。ここにヒラリーは、はっきりと書いている。
(転載貼り付け始め)
・・・・アメリカの未来がアジア・太平洋地域の未来と密接にリンクしていることを実感した。アジア・太平洋地域へ軸足を移すというアメリカの戦略的大転換(strategic turn to the region)は、アメリカの世界的なリーダーシップをこれからも維持していく点からも論理的に正しいことである。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 このように、2011年11月に、オバマ一期目での国務長官の辞任の決意を固めたヒラリーが、オバマへの最後通牒のような威嚇力をもって、捨て台詞のように、「4年後を見ていなさい」という感じで、この論文を書いたことが、2016年の今となって、よく分かる。
オバマ政権に対して、これからの1年間に、強い圧力がかかる。
アメリカは、金融・経済 での世界指導力が大きく落ちている。金融・経済の迫り来る大きな崩壊の危機を、アメリカはどうやって乗り切るか。それは、最後に残されたアメリカの力(ちから)の誇示である、大きな軍事力の行使である。 もう アメリカには、軍事力しか、大きな力は残されていない。ヒラリーたちは、この残された持てる力(ちから)を使うだろう。
迫り来る世界恐慌を、アメリカの軍事力で吹き飛ばして、世界中を統制(コントロール)下に置いて、アメリカの世界覇権(ワールド・ヘジェモニー)の継続を、再度、画策する。
ところが、アメリカの軍人たちは、もう、外国での戦争をすることに尻込みしている。米軍の地上部隊は、もう外国に出てゆきたくない。それではそうするか。やはり、民間軍事会社 と 職を求める失業者たちからなる傭兵部隊(マーシナリー)に頼るだろう。それでも、十分に世界中を動乱状態にすることは出来る。
私たち日本人は、いよいよ この「ショック・ドクトリン」 shock doctrine (国民、民衆に不意のショックを与え、恐怖心を抱かせるて冷静な判断力を奪う)の政策の実行に対して、十分に警戒と注意をするべきだ。私、副島隆彦は、これからも、「次は、こうなる。その次はこうなる。そして、彼ら世界権力者、支配者たちは、このような手口で攻めてくる」と冷静に近未来(きんみらい)の予測、予言を行ってゆく。
副島隆彦拝
(以下は、資料として載せます。転載貼り付け始め)
副島隆彦の論文教室
http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/files/ronbun208.html
「199」 翻訳 ヒラリー・クリントン米国務長官による重要な政策論文である「アメリカの太平洋の世紀(America’s Pacific Century)」を皆様にご紹介します(1) 古村治彦(ふるむらはるひこ)訳 2012年10月12日
ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。今回は、ちょうど1年前に米外交専門誌に発表された論文を皆様にご紹介したいと思います。
1年前の論文ということで、そんなものをどうして今頃紹介するのかと思われる方もいらっしゃると思います。しかし、この論文はアメリカの世界戦略の転換を示すものであり、1年経った今でもその重要性は変わりません。
この、「アメリカの太平洋の世紀」というタイトルをつけられた論文は、アメリカが、「アジアへ回帰する」と宣言したもので、この戦略的転換は、欧米のマスコミでは、pivot to Asiaと呼ばれています。pivot(ピボット)と言えば、バスケットボールで使われるプレーが思い浮かびます。
ピボットとは、ドリブルができないとき、どちらかの足を軸にして回転するというものです。pivot to Asiaのピボットは、「軸足を定める」「転回する」という意味で使われています。
私は、アメリカのpivot to Asiaが、中国への関与を深めることを目的にしているのか、それとも中国を封じ込めることを目的にしているのか、今でも判断しかねていたのが正直なところです。
クリントン政権時代には、コンゲージメント(封じ込めを意味するcontainmentと関与を意味するengagementの合成造語)政策が採られましたが、これに近いものなのと思います。しかし、最近のヒラリー・クリントン国務長官の動きを見ていると、対立confrontation政策なのではないかと思うようになりました。
読者の皆様の判断材料として、今回から3回に分けて、重要論文をご紹介いたします。
※アメリカのアジアへの大転換の関する記事は、ブログ「古村治彦の酔生夢死日記」(こちらからどうぞ) でもご紹介しております。お読みいただければ幸いです。ブログの左にカテゴリーで「pivot to Asia」としてまとめてあります。
=====
「 アメリカの太平洋の世紀(America’s Pacific Century)
政治の将来が決まる場所は、アフガニスタンでもイラクでもない。
アジアである。 そして、アメリカは、政治の将来を決める動きの
中心となる 」
ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)筆
フォーリン・ポリシー(Foreign Policy)誌 2011年11月号
http://www.foreignpolicy.com/articles/2011/10/11/americas_pacific_century
ヒラリー・クリントン
イラクでの戦争が終わりに近づき、アメリカはアフガニスタンから米軍を撤退させ始めている。今まさにアメリカは大変重要な転換点(pivot point)を迎えている。この10年余りの間、アメリカはイラクとアフガニスタンという2つの戦地に莫大な資源を投入してきた。
これからの10年、私たちは、限られた時間とエネルギーを、賢く、体系的に使う必要がある。これからの10年、私たちアメリカは、指導的地位を確保、維持し、国益を確保し、私たちの持つ価値観を世界に拡散するために最も有利なポジションを取らねばならない。より具体的に言うと、次の10年のアメリカの国政にとって最も重要な目標の一つは、アジア・太平洋地域に対して、外交、経済、戦略などの面で投資を確実に増やす、ということになる。
アジア・太平洋地域
アジア・太平洋地域は、これまで、国際政治を動かす主要な地域だった。この地域は、インド亜大陸から南北アメリカ大陸の西海岸にまで広がっている。この地域は2つの大洋である、太平洋とインド洋があり、これらは海運と戦略でその結びつきが強まっている。この地域には、世界の総人口のほぼ半分が居住している。
また、世界経済のエンジンとなるいくつかの国も存在する。更には、温室効果ガスの排出国トップ10のうちのいくつかも存在する。アメリカにとっての重要な同盟諸国もあり、また中国、インド、インドネシアのような新興大国も存在する。
アジア・太平洋地域では、現在、安定と繁栄を促進するために、より成熟した安全保障と経済の枠組みを構築しつつある。まさにこの時期、アメリカのアジア・太平洋地域に対しての関与は必要不可欠なものだ。アメリカは枠組みの構築を支援することができる。そうすることで、この21世紀も続くアメリカの指導力を確保するという利益を得ることもできる。
アメリカは第二次世界大戦後、様々な機関や関係性を網羅した包括的で、永続的な環大西洋ネットワーク(transatlantic network)を構築した。このアメリカの関与は、その時の投資の何倍もの利益を現在に至るまでもたらし続けている。今、アメリカは、第二次世界大戦後にやったことを今度はアジア・太平洋地域でやっているのである。
アメリカは太平洋地域の大国として、第二次世界大戦後に大西洋地域(ヨーロッパ)に対して行ったような投資をアジア・太平洋地域に対しても行うべき時が来たのだ。これはバラク・オバマ大統領が政権発足当初から進めてきた戦略であり、すでに成果を上げている。
バラク・オバマ大統領
イラクとアフガニスタンについては移行期にあり、アメリカ国内の経済状況は厳しい状況が続いている。こうした状況下で、アメリカ軍の再配置でなく、本国への撤退を求める人たちがアメリカの政界の中にいる。彼らは、国内の諸問題解決を優先するために、アメリカの海外への関与のレベルを引き下げることを求めている。
そうした動きやその裏にある衝動は理解できる。しかし、彼らの主張は、的外れである。アメリカにはもはや世界に関与する余裕はないと言う人たちがいる。こういう人たちは時代に逆行した主張をしているのだ。
アメリカは海外への関与を何としても続けていかねばならないのだ(We cannot afford not to.)。アメリカの企業のために新しい市場の開放から、核拡散の抑制、通商と船舶の安全な航行のためのシーレーンの確保まで、アメリカの海外での活動はアメリカ国内の繁栄と安全保障のために必要不可欠なものなのである。
60年以上の間、アメリカは、「本国への帰還」論争が醸し出す魅力と、その中にあるゼロサム的な論理に抵抗してきた。私たちは、これまでと同じように、こうした誘惑に抵抗し、打ち勝たねばならない。
国外では、多くの人々がアメリカの意図について疑念を持っている。アメリカはこれからも世界に関与し、リードしていくつもりがあるのかと疑っている。アジア諸国の人々は、私たちアメリカに対し、アジアに留まってくれるのか、世界各国で様々な事件や出来事が起きるたびにそちらにかかりきりになるのか、経済的、戦略的関与をこれからも続けてくれるのか、必要なときにはきちんと行動してくれるのかといった疑問をぶつけてくる。私たちはいつも、「私たちは関与し続ける。その意思は変わらない」と答えている。
アジアの経済成長と活力を利用することは、アメリカの経済的、戦略的利益にとって重要であり、オバマ大統領の掲げる最優先事項の一つである。アジアの開かれた市場は、アメリカ企業にとって投資、貿易、最新技術の獲得といった点でこれまでにないほど大きなチャンスを提供してくれる。
アメリカ国内の景気回復は、輸出の拡大とアメリカ企業がアジアの成長する消費者層をつかめるかどうかにかかっている。戦略的な観点から言えば、アジア・太平洋地域の平和と安全を維持することは、世界の発展にとって重要だ。アジア・太平洋地域の平和と安全を守るには、南シナ海の船舶航行の自由を守り、北朝鮮の核開発に毅然とした態度で対峙し、地域の大国の軍事行動の透明性を確保することが重要だ。
東アジアサミットの様子
アメリカの未来にとってアジアが必要不可欠であるように、アジアの未来にとってアメリカの関与は必要不可欠である。アジア・太平洋地域は、私たちアメリカのリーダーシップとアメリカ企業の進出を熱望している。彼らの熱望ぶりは、この時期、これまでにないほど高まっている。アメリカは、アジア・太平洋地域において、強力な同盟諸国とのネットワークを構築している唯一の大国である。また、領土的野心を持っていない。
更には、これまで長い間、世界の公益に貢献してきた歴史がある。私たちは、地域の同盟諸国と共に、地域の安全を守ってきた。アジアのシーレーンをパトロールし、安定を維持してきた。こうしたことが経済成長のための基盤づくりにも役立った。アメリカは、経済的な生産性の向上の促進、国家ではなく、市民団体など社会全体の強化、人々の繋がりの拡大を通じて、地域に住む数十億の人々が世界経済に参加することを手助けしてきた。
アメリカは、アジア・太平洋諸国にとって主要な通商、投資のパートナーである。また、アメリカは、太平洋両岸の国々の労働者や企業に利益をもたらす技術革新の中心地である。更には、毎年35万人のアジアからの留学生を受け入れている。アメリカは、開かれた市場と、世界共通の価値観である人権を擁護する。
アメリカは太平洋において他国が果たせない役割を果たすため、オバマ大統領はアメリカ政府全体で多面的な、そして継続的な努力を続けるよう、先頭に立って導いてきた。こうした努力はこれまで表に出ることはあまりなかった。私たちの達成してきた成果がマスコミで大々的に報道されることもなかった。
それは、長期にわたる投資は、目の前にある危機よりも人々を興奮させるような性質のものではないからだ。また、世界中で様々な事件や出来事が起きており、マスコミの目はどうしてもそっちに向かってしまう。
中国を訪問するクリントン国務長官
アメリカの国務長官として、私は、これまでの長い慣習を破り、私の最初の外遊の目的地にアジアを選んだ。それ以降、私はアジアを7回訪問してきた。私はアジアを訪問するたびに、急速な変化が起きていることを直接目にする機会に恵まれた。そして、アメリカの未来がアジア・太平洋地域の未来と密接にリンクしていることを実感した。
アジア・太平洋地域へ軸足を移すというアメリカの戦略的大転換(strategic turn to the region)は、アメリカの世界的なリーダーシップをこれからも維持していく点からも論理的に正しいことである。この戦略的大転換を成功させるには、アジア・太平洋地域はアメリカの国益にとって重要なのだという、党派を超えた(bipartisan)コンセンサスを形成し、維持することが必要だ。
アメリカの歴代大統領と国務長官は、所属政党に関係なく、世界に関与してきた。私たちはこの力強い伝統をこれからも追求していく。また、戦略的大転換には、アメリカの選択が世界に与える影響を考慮に入れた一貫性のある地域戦略を堅実に実行する必要がある。
アメリカのアジア・太平洋地域に対する戦略とはどのようなものか?この戦略には、私が「前方展開(forward-deployed)」外交と呼ぶ継続的なアメリカの関与がまず必要となる。前方展開外交とは、私たちが持つ外交上の全ての手段や資源を投入し続けるということだ。
この中には、政府高官、開発についての専門知識を持つ人々、省庁を超えて編成されるチーム、アメリカが持つ様々な資源や資産を、アジア各国や各地域に送り込み続けるということも含まれる。アメリカの戦略は、アジア全域で起きている急速で、劇的な変化を考慮し、対応するものでなければならない。
このことを踏まえて、私たちは6つの方針に沿って行動することになる。その6つの方針とは以下のとおりである。①二国間の安全保障同盟の強化、②中国などの新興大国との関係の深化、③地域的な多国間機関への関与、④貿易と投資の拡大、⑤アメリカ軍のプレゼンスの拡大、⑥民主政治体制と人権の拡散。
アメリカは地理的に特殊な場所に位置している。アメリカは大西洋と太平洋の両方に接している大国である。アメリカはヨーロッパ諸国のパートナーであることに誇りを持っている。また、彼らに様々な利益を提供してきたことも私たちの誇りだ。
私たちがこれから取り組むのは、大西洋の場合と同様に、アメリカの国益と価値観に一致した、太平洋全域を網羅するパートナーシップと様々な機関のネットワークを構築することである。太平洋でのネットワーク試みは、その他の全ての地域における試金石となる。
私たちアメリカは日本、韓国、オーストラリア、フィリピン、タイと条約に基づいた同盟関係を結んでいる。これらの国々との同盟関係は、アメリカのアジア・太平洋地域に対しての戦略的大転換の支点となる。これらの国々との同盟関係は、半世紀以上にわたり、地域の平和と安全保障を実現してきた。
また、地域の著しい経済発展を促進する環境を作り上げてきた。同盟諸国は、アメリカのアジアにおけるプレゼンスを利用してきた。一方で、アメリカは。同盟を通じて、安全保障環境が複雑化していく状況下で、アジアにおけるリーダーシップを強化してきた。
アジア諸国との同盟関係は成功を収めている。しかし、私たちはそれらをこれからも維持するだけではいけない。私たちは変化する世界に対応するために、同盟関係を進化させねばならない。そのために、オバマ政権は3つの原則に沿って行動している。一つ目は、アメリカの同盟諸国が持っている重要な目標について政治的な合理を形成し、維持することである。
二つ目は、私たちの同盟関係が状況に素早く対応できるようにすることだ。それによって、私たちは、変化を把握し、新しいチャンスを捉えることができる。三つ目は、アメリカの同盟諸国の防衛能力と通信インフラが、国家や非国家アクターたちによる挑発を実践的に、また物量的に抑止できるだけのものとなることを、アメリカが保証することである。
アジア地域の平和と安定の要石(cornerstone)となるのは、日本との同盟関係である。アメリカと日本との同盟関係を見れば、オバマ政権が上に挙げた3つの原則をいかに守っているかは明らかだ。日米両国は、明確なルールに基づいた安定した地域内秩序、という価値観を共有している。その中には、船舶航行の自由や開かれた市場、公正な競争が含まれる。日米両国は、新たな取り組みを始めることにも合意している。
その中には、日本が50億ドル(約4000億円)以上の資金を新たに提供するということも含まれる。また、日米は、日本国内に引き続き米軍を駐留させることでも合意に達している。更には、地域の安全保障を脅かす脅威を抑止し、迅速に対応できるようにするために、情報交換、監視、偵察活動を合同して行うことや、サイバー攻撃に関しての情報共有を進めることも決定している。日米両国はオープンスカイ協定(航空協定)を締結した。
これにより、ビジネスへのアクセスや人と人とのつながりを増進されることになる。また、日米両国は、アジア・太平洋地域に関する戦略対話を開始した。更に、日米両国は、アフガニスタンに対する二大援助国として協力して行動している。
日本と同様、韓国との同盟もより強化され、作戦面での日韓の協力・統合も進んでいる。米韓両国は、北朝鮮からの挑発を抑止し、対応するための米韓共同での作戦遂行能力を、継続的に発展させている。米韓両国は、戦時作戦統制権(operational control during wartime)の円滑な移行を確実に進めるための計画の実行に関し合意に達している。
また、韓米自由貿易協定(Korea-U.S. Free Trade Agreement)の成立も間近に控えている。米韓同盟は活動の幅を世界規模にまで拡大している。G20、核安全保障サミット、ハイチやアフガニスタンでの協力といった幅広い活動に米韓両国で参加している。
アメリカとオーストラリアとの同盟関係も太平洋を対象とするパートナーシップという形から、インド洋と太平洋とを網羅する規模に拡大している。米豪同盟もまた世界規模にまで活動の範囲を拡大させることになる。サイバースペース上での安全保障、アフガニスタン問題、アラブの目覚め(アラブの春)、アジア・太平洋地域の枠組みの強化といった点で、オーストラリアの助言と関与は、何事にも代えがたいものであった。東南アジアにおいては、フィリピン、タイとの同盟関係を刷新し、強化している。
アメリカは、フィリピンに寄港する船の数を増やしたり、ミンダナオ島での共同作戦を通じてフィリピンの対テロ部隊のトレーニングを行ったりしている。タイは、私たちアメリカと、アジア地域において、最初に条約を締結し同盟関係を持った国である。米タイ両国は、協力して、アジア地域における人道支援や災害救助の拠点をタイ国内に構築しているところである。
私たちは、新しい事態に対応して、既存の同盟関係を刷新している。また、アメリカとアジア諸国が共に抱えている問題の解決の手助けとなる、新たなパートナーシップの構築も進めている。中国、インド、インドネシア、シンガポール、ニュージーランド、マレーシア、モンゴル、ベトナム、ブルネイ、太平洋の島嶼諸国に対して、アメリカはパートナーシップの構築を進めている。
この取り組みは、アジア・太平洋地域におけるアメリカの戦略と関与に関して、より包括的なアプローチをトルコができるようにするために行われている。これは、アジア・太平洋地域におけるアメリカの幅広い取り組みの一部である。アメリカは、新たなパートナー諸国に対し、ルールに基づいた地域秩序と世界秩序を構築すること、そして参加することを求めている。 (つづく)
http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/files/ronbun208.html
2013年12月06日
pivot(軸足移動)とrebalance(再配分)。 米国の対アジア政策、防空識別圏 きっかけに中国封じ込めに本腰。 米国のジョー・バイデン副大統領が今月2日から1週間かけて日中韓3国を訪問中だ。あらためてpivot(ピボット)とrebalance(リバランス)に注目が集まっている。
●「 北朝鮮「水爆実験」米国 政策見直し急務 」
毎日新聞 2016年 1月6日(水) 21時31分配信
米国の核専門家は、北朝鮮が4度目の核実験を実施したことで「米日韓の安全保障上の脅威が増す」と警戒しており、今回の実験を受け、オバマ政権が北朝鮮政策の見直しを迫られるのは必至だ。
北朝鮮が6日、「水爆実験」に初成功したと発表したことに関し、米国家安全保障会議(NSC)のプライス報道官は声明で事実関係の確認は避けつつ「いかなる国連安保理決議違反も非難する」と述べ、北朝鮮に対して非核化などの「国際的義務」を果たすよう改めて求めた。また、北朝鮮を核兵器保有国としては認めないとの立場を示しつつ、今後については「全ての挑発に適切に対応する」と述べるにとどめた。
しかし、米国の核不拡散専門家からは「従来の政策の繰り返しでは北朝鮮の脅威に対処できない」(キンボール米軍備管理協会事務局長)との批判が出ている。
オバマ政権は、「非核化に向けた具体的行動がない」(米政府高官)として、北朝鮮との直接交渉を避けてきた。しかし、北朝鮮が成功させたと主張する核実験はオバマ政権下で今回で3回目だ。実験を繰り返すことで核兵器の設計精度は上がり、弾道ミサイルに搭載できる小型核の取得にも道が開ける。北朝鮮は弾道ミサイルについても、射程の長距離化や、隠密性の高い移動型や潜水艦発射型の開発を進めるなど、事実上の野放し状態にあった。
北朝鮮の動向を注視しているジョンズ・ホプキンズ大学院のジョエル・ウィット上級研究員らの研究チームは「北朝鮮は2020年までに米国本土に到達するミサイルを開発する」と分析している。そうなれば、米国民自身も脅威にさらされることになる。小型核技術の向上につながる実験は、米国にとって「局面が変わる」時期が近づいたことを意味する。
また、米国の「核の傘」に守られている日本や韓国で、北朝鮮の脅威に対応できないという不信感が高まる恐れがある。それを防ぐため、米国は老朽化した核戦力の近代化などの手当てが必要となり、オバマ大統領が目指す「核なき世界」の実現はさらに遠のくことになる。
北朝鮮政策の見直しが急務となる一方で、これまで実施された制裁や交渉も、北朝鮮による核・ミサイル開発の抑え込みに成功しておらず、効果的選択肢に乏しいのも現状だ。【会川晴之、ワシントン和田浩明】
●「 北朝鮮「水爆実験」 中国、強い不満…事前に通告受けず 」
毎日新聞 2016年 1月6日(水) 21時25分配信
記者会見する中国外務省の華春瑩副報道局長=北京で2016年1月6日、AP
【北京・井出晋平】中国外務省の華春瑩副報道局長は6日の記者会見で「情勢を悪化させるいかなる行動も停止するよう求める」と北朝鮮に自制を求めた。また、在北京の北朝鮮大使を呼んで抗議する方針も明らかにし、強い不満を示した。だが、踏み込んだ制裁措置については明言せず、「(朝鮮半島の安定は)6カ国協議が唯一実現可能で有効な道筋だ」と従来の方針を繰り返した。
中朝関係は北朝鮮の3回目の核実験(2013年2月)で急速に悪化したものの、昨年10月の朝鮮労働党創建70周年には中国共産党の劉雲山政治局常務委員(序列5位)が訪朝。金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の初訪中に向けた調整が水面下で進むなど、関係改善の兆しが見えていた。習近平指導部は、弱まっていた北朝鮮への影響力を取り戻す思惑があったとみられるが、今回の核実験も中国側は事前に知らされておらず、メンツをつぶされた形だ。
中国は朝鮮半島の非核化に向けて、北朝鮮に6カ国協議への復帰を繰り返し呼びかけてきた。しかし、核実験と長距離弾道ミサイル発射を受けた13年の国連安保理の制裁強化決議に賛成するなど、核問題で米国とも連携する形で圧力を強めたことが北朝鮮の不信感を招いた。北朝鮮は次第に中国の呼びかけにも応じなくなっていた。
北京大学国際関係学院の牛軍教授は「核実験は、朝鮮半島非核化の努力に対する挑戦だ。最終的に中国も北朝鮮を抑えられなくなる」と指摘する。しかし、中国に北朝鮮を抑える有効な対策がないのも現実だ。
( 参考資料として )
●「 米国のアジア回帰は本当に続くのか 」
岡崎 久彦 2012.12.05 2012年11月24日 記 産経新聞社
日本にとって最大の関心事はオバマ政権のピボット政策、すなわちアジアへの軸足移動政策が続けられるかである。それについて私はまだ100%の自信を持っていない。
ご都合主義だった対中政策
ピボット政策は、ひとえにヒラリー・クリントン国務長官の努力のたまものと言って良い。
オバマ政権の初年、2009年の最初の10カ月は対中傾斜一辺倒と言って過言でなかった。オバマ就任後の初訪中は同年11月に予定され、その成功に障害となるような事案は全て先送りとなり、中国の気に入らないことは一切避けるのが方針だった。
台湾への武器供与はその年の夏には可能となっていたが、実施を見送った。また、ダライ・ラマは秋にワシントンに滞在したが、オバマは会おうとしなかった。ワシントンにまで赴いたダライ・ラマに米大統領が会わなかったのは初めてである。中国の人権問題に対する批判も一切差し控えた。
だが台湾向け武器供与もダライ・ラマとの面会もいつまでも引き延ばせる性質のものではなく、11月の訪中が終わると次々と実施された。
中国はこれに予想以上に激しく反発し、米中の軍事交流は停止され、米中関係は一挙に冷え込んだ。中国がこのような動きに出た理由はいまだに外部には不明であり、情勢分析の対象となっているが、一般的に言って2012年の中国共産党の指導部交代を前にすでに権力闘争が始まっており、強硬意見が通りやすい状況になっていたと判断される。確かにオバマ訪中までの米国の態度はいかにもご都合主義であり、米国くみしやすし、と強硬派の地位を固めさせた効果があったかもしれない。
クリントン国務長官による対中包囲網
ここで、それまで固く沈黙を守っていたクリントンが急に発言し始めた。
大統領就任後の1年間、オバマがアハマディネジャド・イラン大統領などの独裁者との直接対話を提案し、プラハでは核の全廃を訴え,カイロではアラブとの友好関係をうたい、対ロ関係の再構築を呼びかけても、それらが元来国務長官の所掌であるにもかかわらず、ヒラリー・クリントンは一切沈黙を守りコメントしなかった。
この間、私が覚えているヒラリー・クリントンの演説は国務省の機構改革と、国連の人権委員会での発言だけである。私は、クリントンという人は、外交演説などはしない人かと思ったくらいである。
ところが2010年1月のホノルルでの演説以降、ヒラリー・クリントンは決然と発言し始め、一貫してアジア復帰を唱えてきた。発言の内容は、「中国」と言う言葉を使うのは避けているが、その本質は中国包囲網形成政策と言って間違いない。麻生外相・首相の「自由と繁栄の弧」と同じ趣旨である。
その年の7月、ヒラリー・クリントンは東南アジア諸国連合(ASEAN)の会議で、中国の反発を顧みず、あえて南シナ海の領土問題を取り上げた。そして9月には、尖閣付近における中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突事件に際し、尖閣は日米安保条約の適用地域と明言した。
同年秋の横浜におけるアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議を前に、ヒラリー・クリントンはハワイ、グアム、オーストラリア、ニュージーランドなどを訪れ、オバマはインド、インドネシア、韓国、日本を歴訪するという対中包囲網を演出した。その間もクリントンは常にオバマの顔を立て、アジア重視はオバマ政権発足以来の基本方針と言いつつ、アメリカのアジア回帰を推し進めた。
オバマ大統領の心の揺れ
分らなかったのはオバマの真の意向だった。横浜でのAPEC首脳会議前のアジア歴訪に出発するにあたり、クリントンは再びホノルルで演説し、アジア復帰――実質は中国包囲網政策――を述べた。一方、オバマは新聞への寄稿で、インドネシアとインドが米国の有望な輸出市場であり、米国の雇用に寄与すると述べただけだった。このときは、大統領と国務長官の間に思想の齟齬(そご)があるのではと疑ったぐらいである。
この疑いを払拭したのは、2011年11月のオバマによるオーストラリア議会での演説である。クリントンが最初に声を上げてから、実に2年近くを要している。
この間、オバマに心理的抵抗があったことは想像に難くない。オバマが大統領選挙中から希求したのはブッシュ時代にグルジア情勢や東欧へのミサイル防衛(MD)配備などをめぐり悪化した対露関係のリセットであり、イラン、北朝鮮などの指導者との直接対話であり、核の全廃であり、中東諸国との信頼関係確立であり、すべてリベラル、理想主義路線であった。
アジア復帰は、基本的にはパワーポリティクスに基づく現実主義、保守主義路線であり、オバマのアジェンダにはもともと無いものだった。それがクリントン主導で2年かかって定着したのである。
現実路線が続く理由
クリントンは国務長官を一期での引退をすでに表明し、クリントンの下でアジア重視政策を遂行したカート・キャンベル国務次官補も引退が予想されている。彼らが去ったあと、オバマがアジア重視政策を推進するだろうか、と言うのが私の危惧である。希望的観測を許す種々の条件はある。一つは国際情勢の大勢である。
21世紀の国際情勢における最大の問題は中国の勃興であり、それに伴うパワーバランスの変化であることは誰の目にも明らかである。世紀の変わり目、2001年の海南島事件(※1)はその予兆であった。ところが同年9月11日の同時テロ事件以来、丸々10年間、米国の関心はアフガニスタンとイラクに向けられた。これは当然のことではあるが、9・11事件が米国民に与えた心理的ショックが異常に大きかったため国際情勢の大きな流れが見失われてしまった。
それがアフガニスタン、イラクからの米軍撤退と、瞠目(どうもく)すべき中国の経済・軍事力の成長により、中国が再び米国の外交の主たるアジェンダになった、という自然な流れがあるのでクリントン、キャンベルが去ったからといって政策が変わるような客観情勢ではない。
もう一つは第2期オバマ政権の新人事であり、まだ明らかではないがオバマの親友と言われるドニロン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は要職に就き、国防総省でアジア・太平洋地域を担当するリッパート次官補は留任が予想される。2人とも極めてシュルードな(鋭い、抜け目ない)政治意識はあるが、国際政治について特別なイデオロギーを持つ人ではないようである。
彼らは特に日本に友好的である保証は無いが、かつて満州事変から真珠湾まで極東を担当したホーンべック(※2)や、ブッシュ政権末期に親中政策を推進したゼーリック(※3)のような、イデオロギー的な親中派ではない。つまり、日本の外交次第で対処できる人々である。
問題は日本外交である。集団的自衛権の行使を可能にし、それに基づいて日米防衛協力のためのガイドラインを書きなおし、環太平洋パートナーシップ(TPP)に協力する形で日米関係を盤石にすることが、アメリカをアジアに、その前に日本に引き留める王道である。 ( 2012年11月24日 記 産経新聞社 )
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1514】[1846]今度は税務署とけんか?
昨年8月に父が亡くなり相続手続きは私一人と弟一人だけでは無理と判断しました。
現在、母が介護施設生活中なので。
これから先、母の介護費用が100歳まで生きたとして概算で2340万円かかるのと、世帯主が父から私になり、現在住んでいる土地建物の固定資産税、その他諸々の毎月の支払で計算してきました。
昨年中に相続を終えるまでに、地元の司法書士さんに代行してもらい正解でしたが一番、頭にきたのが年金事務所での遺族年金の手続きで相手方の言われた通りに行ったのはいいのですが、書類不備をいきなり言われ、再手続は絶対嫌なので、相手の非を主張し先制攻撃で手続きはしてもらえても、最後の最後まで謝るそぶりもなし。本当に役人の嫌なところです。
これから確定申告がありますが、先生の著書の私は断固、税務署と戦うの題名通りに行動したいです。
【1513】[1845]新年のご挨拶です。
副島隆彦です。 新年のご挨拶です。
今年も 学問道場は、優れた情報と知識と思想を、皆さんにお送りします。
ご期待ください。
さっき、アルル君から連絡がありまして、ワシントンDCから帰ってきました。
カルフォリニアからシカゴの方にも回って来たそうです。 彼から、すぐに
最新のアメリカの動きの報告があるでしょう。
古村君の翻訳による 「コーク一族」(講談社刊) と 「BIS(ビー・アイ・エス) 国際決済銀行」(成甲 書房 1月22日に発売) が出ました。 どちらも大部の本ですが、大変読み易い文になっています。
それと、これも 今日のぼやき お知らせしましたが、 下條竜夫くんの「物理学者が解き明かす重大事件の真相」(ビジネス社、 1月7日に発売)が、出ます。一流の物理学者である下條くんが、いろいろの問題の謎を解明してくれています。 「理科系の人間が、文科系の世界に進出、侵入、侵略してきた本」です。きっと日本で一番、頭のいい人たち( それは、私たちの学問道場に集まっている、会員の皆さんのことです)が、分かってくれるでしょう。
私は、年末に、私事(わたくしごと)で、悲しいことがあって、すこし 気落ちしています。まだ、そのことは書けません。しばらく経(た)ってから書いて公表します。 私に対する、権力者や、極悪人たちからの攻撃の一環なのではないか、と深く疑っています。
今年も「学問道場」を ご支援下さいますように、心からお願い申し上げます。
副島隆彦拝
【1512】[1844]天武天皇の正統性について
何故、柿本人麿は石見国で下級官吏として亡くなった、と信じられているのか。
上の設問に対する答えは、簡単である。『万葉集』自身が、人麿は奈良遷都以前に、岩見国の鴨山で亡くなった、と述べているのだ。
『万葉集』第二巻、〔223〕~〔227〕の五首の歌とその題詞から人麿の死亡伝説は創られている。それらの歌と題詞を次に掲げる。
柿本朝臣人麿、石見国にありて死に臨む時、自ら傷みて作る歌一首
鴨山の岩根し枕けるわれをかも 知らにと妹が待ちつつあらむ〔223〕
(大意)鴨山の岩根を枕にして横たわっている私を、そんなことも知らずに妻は、いつ帰ってくるかと待ち続けているのだろう。
柿本朝臣人麿の死(みまか)りし時、妻依羅娘子(よさみのをとめ)の作る歌二首
今日今日(けふけふ)とわが待つ君は 石川の貝に(一に云う、谷に)交りてありといはずやも〔224〕
(大意)今日か今日かと私がお待ちしている貴方は、石川の貝に(一に云う、谷に)交じっているというではありませんか。
直(ただ)の逢ひは逢ひかつましじ 石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ〔225〕
(大意)直接お逢いする事はもう叶わないのでしょう。石川のあたりに雲を立ち昇らせてください、それを見て貴方をお偲びしましょう。
丹比真人、柿本朝臣人麿の意(こころ)に擬して報(こた)ふる歌一首
荒波に寄りくる玉を枕に置き われここにありと誰か告げなむ〔226〕
(大意)荒波に打ち寄せられてくる玉を枕辺に置いて、私がここにいると、誰が家のものに伝えてくれるのだろう。
或る本の歌に曰く
天離(あまざか)る夷(ひな)の荒野に君を置きて 思ひつつあれば生けるともなし〔227〕
(大意)都を遠く離れた荒れ野にあなたを置いて、いつも思っていると生きた心地もしません。
この五首の歌と題詞から、人麻呂の死亡伝説は創られている。つまり、石見の鴨山で死んだ人麿は、石川の畔に運ばれ、荼毘にふされ、石川に散骨されたのだと。妻は、その荼毘の煙りを見て人麿を偲んだのだと。
しかし、この物語には都合が悪い点がある。〔226〕の丹比真人の歌と〔227〕の或る本の歌の存在である。
〔226〕は、〔223〕の人麿臨死の歌の直前に置かれている「讃岐の狭岑島(さみねのしま)に、石の中に死(にまか)れる人を視て、柿本朝臣人麿の作る歌一首並びに短歌〔220~222〕」の反歌とすると、ピッタリするのです。
また、〔227〕の或る本の歌も、〔207~216〕の「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」の反歌とするとピッタリする。
これは、『万葉集』の編者が、人麿の生と死は、〔207〕の人麿の妻が亡くなった時に、泣血哀慟して作った歌から、〔227〕の或る本の歌までの連続の中で考えるよう示唆しているのではないか、と私は受け取ったのです。それで、〔207〕の歌から丁寧に検討してみます。どのような人麻呂像が浮かび上がるか。
以下次回。
【1511】[1843]左翼とは現実社会を理想の形に変えて行くべきと信じる人達のことである。自分は左翼ではない
相田です。この話は今纏めている原子力の論考の中で書くつもりでしたが、訳あってここに載せます。あの論考で私はずっと、左翼に対して批判的な立場を取っています。しかし、「左翼」と呼ばれる人々とは一体どのような人物達なのか、彼らに対し私自身はどのような政治主張で向き合っているのか、ということを、きちんと述べなくてはいけない、と考えていました。
左翼とは一般には、共産党の主張に影響されている人達、憲法第9条を守りながら戦争に反対する人達、天皇家の役割を否定し全ての国民に平等な権利を与えよと主張する人達、等の特徴が挙げられるでしょう。しかし私が思い描く「左翼」は、これらの説明とは少し異なります。端的に述べると左翼とは、自らが「人間社会はこうでなくてはいけない」とう理想の形を頭に描いており、現実社会をその理想に一刻も早く変えて行くべきだ、という信念をもつ人々、ということです。
この「左翼」の説明は、私が副島先生の主著である「世界覇権国アメリカを動かす知識人達」(以下に「覇権アメ本」と略す)から学んだ重要な定義であり、世界基準での正確な理解であると、自信を持って言えます。
副島先生の「覇権アメ本」と、故片岡鉄哉の「日本永久占領」、ついでにフランシス・フクヤマの「歴史の終わり 上、下」の3冊(正確には4冊)は、日本の知識人を自認するからには、熟読すべき必読書と断言できます。これらの本を読んでいない知識人はモグリです。この3冊(4冊)はそれぞれが、アメリカ政治思想、日本の戦後史、そして社会科学という学問に関する、日本人に向けての最高度の入門書であるとも言えます。多分今でもそうです。
正直に言って私は、この4冊を読み終えた後では、頭の中が10年くらい先に一気にワープするような実感を覚えました。それまでわからなかった、世の中を動かしている真の法則の頑強な骨格が、頭の中にガッチリと築かれてゆくのがわかりました。「なんだ、そうだったのか、この野郎」という感じです。上記の3冊はSNSIのバイブルでもあります。SNSIの各メンバー達の主張は、これらの本は内容を踏まえたものである限り、極めて堅牢です。
左翼とはざっくりいうと、リベラル(人権派のこと、ここではアメリカでのリベラルを指す)という主張を過激にしたもの、といえます。「覇権アメ本」によると、リベラル派の思想の特徴は、1)社会科学(ソーシャルサイエンス)の成果を現実社会の改革に積極的に取り入れようとする、2)人間社会には求めるべき理想の形態が存在しており、理想社会を実現するために、現実の状況を一刻も早く改革するべきである、ということにあります。彼らは、世の中とは本来こうあるべきだという、理想のモデルを重視します。この考えの極限が、マルクス理論による社会の改革を実現した、ロシア革命とソビエト連邦の建設につながります。
これに対して保守派とは「覇権アメ本」によると、理想の社会モデル等という代物は、たとえあったとしても、現実の世には簡単に実現されるものではなく、性急に求めてはならないと主張します。現実の社会に過度の理想を持ち込もうとすると、そこでは予想もしない大きな悲劇がもたらされるため、過度に理想を追ってはいけない、と主張する人々です。私はこの保守派という思想の本来の定義について、副島先生の「覇権アメ」を読んで初めて知りました。
「覇権アメ」を読むまでの自分は、現実の社会に存在する様々な矛盾を一刻も早く無くして、人間らしい幸せな社会に変えてゆくことが、人間としての真実であると思っていました。要するに左翼のシンパです。しかし一方で自分は、人間社会が抱えている矛盾や不合理(例えば、どうしようもない貧富の差、国家間の対立、環境破壊、莫大な国家財政赤字の存在等のこと)は、非常に重い存在でもあり、それを取り除くことが果たして可能であるのか?とも、常日頃から考えていました。
社会の矛盾を一度に無くすような過激な改革を行うと、それにより人間らしさが少なからず失われてしまうのではないか?その後の社会は、果たして人々に幸せなものになるのか?という疑いが、私の頭の中から離れることはありませんでした。
「覇権アメ本」で書かれていた内容は、私のこのような疑問を全て払拭してしまうインパクトを持っていました。私は「覇権アメ本」を読むことで、自分の考えはリベラルではなくて、実は保守なのだということをはっきりと理解しました。以下には、私が「覇権アメ本」で最も重要と考える記載を引用します。
―引用始め―
ヒューマンライツ(人権)派のように、「人間の生存権は憲法にはっきりと定められているのだから、何が何でも全ての人の自由と平等を実現しろ」と主張し続けることが、果たしてこの世界の現実の中でできることなのかと問う時、「おそらくそれは無理であろう」と、はっきり公言することは控える。しかし内心ではそう思っているのが、保守主義なるものの核心だと思う。これが現時点での私の理解である。
人間(人類)はそもそも「実際には自由でも平等でもない」生き物である。二十五年間、住宅ローンを払い続けなければ自分の住居さえ手に入らない者と、生まれた時から資産のある者の生活上の差を、縮めることはできても、なくすことはできないだろう。あるいは、会社(企業)の従業員である人々と、企業の経営者である人々との対立を消し去ることはできない。そしてこの「貧富の差」や「社会階級」を一気に消滅させようとする理想主義の運動が、これまでに、この地上でどれほどの政治的惨劇と大量殺人を招いてきたことか。
―引用終わり―
相田です。上の引用からわかるとおり、本来の保守主義とは、日本で盛んに語られる「天皇陛下万歳」とか「中国、韓国人は日本から出て行け」等の思想とは、縁もゆかりも無いものなのです。あれはまともな思想などと呼べる代物ではなく、単なるカルトです。私に政治思想と呼ばれるものがあるならば、それは、上の保守主義に関する副島先生の記載そのものです。
あたりまえですが、現実の社会には様々な矛盾や不条理があふれています。しかし、それらの不条理は存在するに足る何らかの要因があり、まずはその要因をよく考えて受け入れなければならない、ということです。その上で、可能な範囲で社会の仕組みを少しずつ変えて行くことが、より良い社会を作る道である、と私は考えています。社会の仕組みを一気に、過激に変えてはいけないのだ、ということです。
原発に関してもここまで世の中に広まってしまったのは、それなりの理由があるのであり、それを一気に日本から無くしてしまうことはやってはいけない、という考えが、本論考を書く際の私の考えの核心となっています。
相田英男 拝
【1510】[1842]天武天皇の正統性について
柿本朝臣人麿と稗田阿礼の重なり合う役割
『古事記』は、稗田阿礼(ひえだのあれ)が語る事を太安万侶(おおのやすまろ)が筆録して和銅五年(西暦712年)正月に完成し献上された、と『古事記』序文は記します。
その序文によれば、稗田阿礼は天武天皇の即位の年(673)に歴史編纂の命を受けたと記されています。稗田阿礼は、極めて聡明で目にしたこと、耳に聞いたことは心に刻み込み忘れることが無かったと記される。
またその時稗田阿礼は、二十八歳であった、と。ですから、『古事記』が献上された和銅五年には六十六歳になっていたことになります。当時ではかなりの高齢で、老翁と呼ばれても良い年齢です。
『古事記』序文を読んだ限りでは、稗田阿礼の方が筆録者・太安万侶より格上の印象を受けます。稗田阿礼が、俺の言う事を書け!と指示しているような。
しかし、太安万侶と云う人物は民部卿(民部省の長官)にまで出世したエリートキャリア官僚です。そのエリート官僚を顎で使っている印象がある。
『古事記』編纂の方針は、「『諸家の齎(もた)る帝紀及び本辞、既に正実に違(たが)い、多く虚偽を加う』と、今の時に当たり其の失(あやまり)を改めずは、幾年も経ずして本当のことが失われてしまうだろう。
このことは、国家統治の根本である故、帝紀を撰録し、旧辞を検討して撰び、偽りを削り、実を定めて、後の世に伝えむと思う」この天武天皇の詔に表されている。
権力者・天武天皇に都合が悪いことが「偽り」であり、天武の正統性に適(かな)うものが「実」であると、自らが告白しているのである。過去の記録が、天武天皇の正統性に不都合だから、書き換える、と告白していたのだ。その作業を天武は、稗田阿礼に命じなさった。
稗田阿礼こそ歴史編纂事業(私は、これを天武天皇の正統性の創造と呼ぶ)の中心にいたのである。
以前に書いたように、柿本人麿は『万葉集』第一巻(29)「近江の荒れたる都を過ぎし時作れる歌」・第一巻(45)「軽皇子の安騎野に宿りましし時に作る歌」・第二巻(167)の「皇太子・草壁の皇子に奉げた挽歌」・第二巻(199)の「高市皇子に奉げた挽歌」また、
天皇、雷丘にいでましし時、柿本朝臣人麿の創れる歌
大君は 神にしませば 天雲の 雷(いかずち)の上に いほらせるかも
これらの歌は、歴史編纂事業(正統性の創造)に参加していなければ知り得ない内容を謳っている。人麿は、それまであった神話や歴史を謳っているのではない。人麿が歌った故に、それは神話になり歴史となったのである。
人麿と稗田阿礼は、同じ作業チームの中にいたのである。『万葉集』によれば、人麿は奈良遷都(和銅三年・西暦710年)以前に亡くなっていたことになる。つまり、『古事記』が選定された和銅五年には人麿は既に鬼籍に入っていた、信じられているが、ここに奇妙な証言がある。『古今和歌集』の仮名序である。
・・・いにしへよりかく伝はるうちにも、奈良の御時よりぞ広まりにける。かの御代や、歌の心を知ろしめしけむ。かの御時に、正三位柿本人麿なむ、歌の聖なりける。これは、君も人も身をあわせたりといふなるべし。・・・
奈良の御時に、人麿が生存していたという。『古今和歌集』は、延喜五年(西暦905)に紀貫之らによって選定された。仮名序は、紀貫之の筆とされている。平安時代の後期には、『万葉集』から、人麿は奈良遷都以前に石見国の地方官で亡くなった、という伝説が信じられるようになっていたらしく、『古今和歌集』仮名序の「奈良の御時に、人麿が生存していた」という記述は誤り、解釈されるようになり、「奈良の御時」は、文武天皇のことであるとするのが、歌道のしきたりとなっていたようである。今でも「人麿は、奈良遷都前に、石見国鴨山で地方の下級官吏で亡くなった」と云うのが通説としてまかり通っている。
この通説の立場に立つと、『古今和歌集』の仮名序は、許しがたい誤りを書いていると断罪するしかない。しかし、奈良の御時を、文武天皇に比定するのはいかがなものか。文武天皇が亡くなったのは、慶雲三年(西暦707年)である。未だ奈良京は存在していなかった。
私は、紀貫之は出鱈目を書いたのではない、と考える。延喜五年とは、『万葉集』の最終編者である大伴家持が亡くなってまだ僅か百年しか経っていないのだ。人麿の真実を伝える口伝・秘伝の類がまだ生きていたのではなかったか。貫之は、人麿の正体・真実を知っていたのではないか。口伝・秘伝の類は、文字化されると滅びる、というのは世界の常識である。貫之が『古今和歌集』の仮名序にそれを記したことで、秘伝は滅んだのではないか。それで『万葉集』の奈良遷都以前に人麿は亡くなっている、としていることが広く信じられるようになったのではないか。
私は、紀貫之が書いてある通り、人麿は奈良遷都以後も生きていた、と確信している。人麿と稗田阿礼は、同一人物ではなかったか、と疑っている。
【1509】[1841]本当の悪はエルドアンではないか?
副島先生のシリア分析読ませていただきました。
現在、トルコとロシアが、領空侵犯=撃墜問題でもめていますが、
私は、この紛争の焦点は
もう一つ剥けば、これはロシアとトルコの接近ではないかと
予測します。
ヨーロッパ諸国にしてみれば、ロシアとトルコが結びつくと
NATOやEUに楔が打たれるわけですから避けたいところです。
歴史的に見ればロシアとトルコの共闘関係を阻止してきたのは
19世紀においては、
ディズレイリのイギリスと、
ビスマルクのドイツなわけです。
それは、19世紀のベルリン会議の主要な議題であったわけです。
サン・ステファノ条約を破棄させるために
ディズレイリがトルコのバックアップを図って
ロシアとフランスに挟まれて
普仏戦争の『ルバンシュ=復讐』を恐れたビスマルクが
アレクサンドル2世(ゴンチャロフ ロシア外相)のススメで
ベルリン会議を開いたという話です。
この話はキッシンジャーの『外交』の第六章に詳しい話です。
大局で見れば、シリア問題はドイツの弱体化をはかる
コンスピラシーセオリーです。
メルケル首相が今後シリア問題にどう関わるかが
世界の注目なんだと思います。
【1508】[1840]今、世界で起きていることを 大きくはどのように理解すべきか。 ぼやき の方に大事なことを書きました。
副島隆彦です。 今日は、2015年12月10日です。
私は、11月28日から、ずっと 今の世界情勢で、本当に重要な事は何なのか、を書こうとして、他用に追われて書けなかった。ようやく書けたので、今日のぼやきの方に載せた。
私、副島隆彦が、自分の頭脳をフルに高速度で回転させて、いくつもの多くな謎を解明したし、今の人類(世界中の人間)が漠然と考えていること、の全体像を把握した。
おそらく日本では、やっぱり私の頭脳が一番だろう。ウソだ、副島隆彦のいつもの大風呂敷だ、と思うなら、ぼやきの方を、真剣に読んで自分の脳(思考力)の限りを盡(つ)くして判定してみたらいい。 私は掛け値無しで、自分がこの2週間で解明した「現代の世界の大きな謎」に迫っている。
11月29日に、私が、テレビの映画専門チャンネルWOWOWでたまたま、40年ぶりに、スパイ映画の大作「 OO7 / ロシアから愛をこめて」(1963年制作)を見たことが大きかった。 これで南氷洋の大きな氷の塊(かたまり)が氷解するよに、大きな謎が一気にいくつも解けた。 だから真剣に読みなさい。
副島隆彦が何を書いていて、何を言っているのか分からない、という人間は、自分の低知能を恥じて、もう、この学問道場に近寄らなくていい。どこかに行きなさい。
以下は、私が、ぼやきの 「ロシアのプーチンが、今度の新作の12月4日日本でも公開された 新作「007/ スペクター Spectre 」の ダニエル・クレッグ そのものだ」そして、今、「ロシアから愛をこめて」とは何か、に載せきれなかった、最新の 新聞記事だ。重要な記事は、たくさんあるから、解説も兼ねて、そのうち、まとめて論じる。まず以下を読むだけ読みなさい。
(転載貼り付け始め)
◯ 「ISIS、米国製の武器を大量入手 アムネスティ報告書」
2015年12月9日 CNN
http://www.cnn.co.jp/world/35074656.html?ref=rss
米国がイラク軍やシリア反体制派に供与した大量の武器が、過激派組織「イラ
ク・シリア・イスラム国(ISIS)」に渡っている実態が、国際人権団 体ア
ムネスティ・インターナショナルの報告書で明らかになった。
アムネスティはイラクやシリアで撮影された数千枚の映像や画像を分析し、7日に報告書をまとめた。それによると、ISISが現在保有する装備や武 器弾薬は、米国の同盟国であるイラクや、米国が支援しているシリア反体制派から奪取したり、違法取引によって入手したものが相当数を占めることが 分かった。
オバマ米大統領は6日の演説で、ISISと交戦しているイラク軍やクルド人部隊、シリア反体制派に対する武器供与などの支援に力を入れる方針を改 めて打ち出した。しかしアムネスティの報告書で、そうした支援が結果的に、ISISへの武器供給につながっている実態が浮き彫りになった。
ISISは米国のほか、トルコや湾岸諸国からシリア反体制派の武装組織に供与された軍事品も入手。計25カ国で設計・製造されたライフル銃や戦 車、地対空防衛システムを使っていることが判明した。
その原因について報告書では、「何十年にも及ぶイラクへの無責任な武器の移転、米国主導の占領統治による武器供与や保管の安全確保の不手際、イラ クにまん延する腐敗を反映したもの」と指摘。米国などの供与国は、過去数十年の間にイラクに移転された武器の管理の不手際により、同地域でこうし た武器が流通し、ISISなどの武装勢力の手に渡ることを許したと結論付けている。
報告書を執筆したパトリック・ウィルケン氏は「イラクへの主な供給国は歴史的にロシア、中国、そして米国だった」と解説する。ISISの保有する 武器は、イラン・イラク戦争時代にイラクに持ち込まれたソ連製の旧式な武器や、2003~07年の米統治下で持ち込まれた武器が大半を占めるもの の、「近年製造されたもっと高度な兵器も保有している」という。
報告書によれば、ISISの戦闘員の間で最も普及しているのはロシア製のAKライフル銃だが、米軍が供与した「M16」のほか、中国、ドイツ、ク ロアチア、ベルギーの各国で製造された銃も使われていた。さらに、ISISが米国製やロシア製の装甲車や迫撃砲、対戦車ミサイル、地対空ミサイルをイラク軍やクルド人部隊から大量に奪取していることも分 かった。
この報告書について米国防総省の報道官は、同盟国などに供与した武器については厳格に監視していると強調した。ただし国防総省は、戦場でなくした 装備までは監視が行き届かないと認めている。
ウィルケン氏によれば、ISISはこうした近代兵器を米国が支援する部隊との戦闘にも使用。昨年、イラクのモスルやティクリート、ファルージャを 陥落させた際にも使われたという。また、イラクとシリアの民間人に対しても、小火器や爆弾が使われているとした。
これ以上の武器がISISのような勢力の手に渡ることを防ぐため、アムネス
ティでは米国などの供与国に対し、イラク政府と連携して武器の移送や保 管や
配備の管理を厳格化するよう促している。
◯「 トルコと戦争望まず=撃墜は計画的、シリア国境封鎖要求―ロ外相」
時事通信 モスクワ 2015年11月26日
ロシアのラブロフ外相は25日、トルコによるロシア軍機撃墜を受けモスクワで記者会見し、両国関係が緊張する中でも「トルコと戦争するつもりはない」と述べた。
プーチン大統領はロシア軍機乗員の安全確保のため、シリアの防空体制を強化してトルコをけん制したが、外相は北大西洋条約機構(NATO)加盟国トルコとの軍事的な衝突は望まない考えを明確に示した。
一方、外相は「トルコによる計画された挑発行為だ」と撃墜を強く非難。今回の撃墜は、ロシア軍が過激派組織「イスラム国」の石油施設を集中的に空爆した直後に起きたと指摘し、石油密輸でトルコが利益を得ている疑惑と絡め不満を述べた。また「特定の国のテロ支援を国連安保理に提起する用意がある」と表明した。プーチン大統領はトルコを「テロの共犯者」と呼んでいる。
撃墜前の状況について外相は「トルコ軍機から警告はなかった。ロシアは具体的な飛行管制データを開示する用意がある」と述べ、トルコ側の説明に反論した。NATO緊急大使級会合後のストルテンベルグ事務総長によるトルコ支持表明を「奇妙だ。苦し紛れにトルコをかばっている」と批判した。
さらに「両国関係を真剣に見直す」と警告。関係正常化の条件は「撃墜事件でトルコが非を認めることだ」と迫った。また「トルコ(要人)を受け入れるつもりはない」と述べ、12月のエルドアン大統領の訪ロ実現に否定的な考えを示した。
トルコはシリアとの国境管理が緩く、以前から「イスラム国」に参加する外国人戦闘員の流入ルートや反体制派への軍事支援の温床になっていると批判されていた。パリ同時テロ以降、批判はさらに強まっており、外相はトルコに対し、シリアとの国境封鎖を要求。「北部のトルコ系トルクメン人支配地域は、武装勢力の弾薬庫や司令所が集中している」と空爆を正当化した。
◯ 「 露軍機撃墜 シリア巡る対立引き金 緊張、不測の事態も 」
毎日新聞 2015年11月25日
トルコ・シリア国境付近で24日、ロシア軍機がトルコ軍機に撃墜された事件は、ロシアが擁護するアサド政権支配地と、トルコ系トルクメン人が多く住む反体制派支配地の境界近くで起こった。
過激派組織「イスラム国」(IS)の掃討で一致するトルコとロシアだが、アサド政権の処遇を巡る対立が最悪の事態に発展した格好だ。北大西洋条約機構(NATO)や米国は対立回避を目指す方針で、ロシアも当面は経済的な報復にとどめる構えだが、高まる軍事的緊張が不測の事態に発展する恐れもある。【エルサレム大治朋子、モスクワ真野森作】
トルコ軍が撃墜に踏み切ったのは、シリア北西部ラタキア付近に住むトルクメン人と、戦略的要衝の一帯を防衛するためだった。英BBCなどによると、シリアのトルクメン人は約150万~350万人。強硬な同化政策を進めるアサド政権の下、少数民族として抑圧的な環境下に置かれてきた。
トルコ政府はシリアのトルクメン人を「同胞」と見なし、友好関係を維持してきた。2011年にシリアが内戦状態に陥ると、トルクメン人は反体制派武装勢力と連携してアサド政権の打倒を掲げ、トルコ政府から武器供与や訓練などの支援を受けてきた。
戦闘が大幅に拡大したのは、ロシアがシリア内戦に本格的に「参戦」した9月末以降だ。トルコ政府によると、10月初旬ごろからロシア軍機がトルコ領空を繰り返し侵犯するようになり、同国外務省がロシアの駐トルコ大使に警告。トルコ側には「(撃墜)事件を回避するための最善の努力は尽くしてきた」(エルドアン大統領)との思いが強い。
一方、ロシア軍側は、空爆の標的について「ロシア出身者を多く含む過激派組織」と主張している。軍参謀本部・作戦総司令部長のルツコイ陸軍中将は24日、「作戦エリアは(ロシア南部チェチェン共和国など)北カフカス地方の出身者約1000人を擁する最も急進的な過激派組織が支配する地域として有名だった」と強調した。
米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは中東レバノン発の分析記事で、撃墜地点周辺ではチェチェン人が加わる国際テロ組織アルカイダ系組織も活動していると伝えた。
プーチン露大統領は10月中旬、「ロシアなど旧ソ連諸国の出身者5000~7000人がIS側で戦っている」と述べ、過激派戦闘員や共鳴者が母国でテロを起こす事態を阻止すべきだと訴えていた。
露が防空体制強化 NATOは対立回避へ自重
ロシア軍機の撃墜事件を受け、プーチン露大統領は25日、シリア領内のロシア軍基地への最新型地対空ミサイルシステムS400(最大射程400キロ)の配備を了承した。トルコ軍が再び敵対行為に出るのをけん制するとともに、欧州諸国にもにらみをきかせるためだ。ロシア通信によると、地中海に展開する露黒海艦隊の旗艦「モスクワ」(ミサイル巡洋艦)は25日、シリア・トルコ国境一帯に防空体制も敷いた。
ただ、ロシアは当面、経済的なダメージをトルコに与えて報復する構えとみられる。新たな欧州向けパイプライン「トルコ・ストリーム」の敷設や、トルコへの原発輸出が影響を受けそうだ。トルコへの天然ガス輸出が削減される事態も想定される。ロシアとトルコはシリアのアサド政権の処遇に関する方針で立場が異なるが、近年はトルコがロシア産天然ガスの輸入国として第2位となるなど、経済的な結びつきを強めていた。
パリ同時多発テロを受け、プーチン氏は「幅広い対テロ大連合」の結成を訴えていたが、今回の撃墜事件で米欧やトルコとの協調だけでなく、シリア内戦の終結に向けた各国との協力も難しくなるのは確実だ。
一方、トルコやNATO側にも、これ以上の軍事的対立を避けたい思いがある。トルコ政府は24日、NATOに対し集団的自衛権に基づく共同防衛を求めなかった。NATO外交筋が毎日新聞に明らかにした。NATO理事会は露軍機のトルコへの領空侵犯を確認、ストルテンベルグ事務総長は「憂慮」を示してロシアに警告したが、共同防衛を強調することはなかった。背景にはトルコがロシアとの決定的対立を望んでいない事情があるとみられる。
NATOを定めるワシントン条約には、加盟国への攻撃を全体への攻撃とみなして集団的自衛権を発動する「共同防衛条項」(第5条)があるが、24日の緊急理事会はこの条項に基づかないものだった。同条約には加盟国が独立や領土保全に脅威を感じた場合にNATOと協議できる条項(第4条)もあるが、今回の撃墜事件ではこの条項も使われず、トルコが理事会で状況説明するだけだった。
NATO外交筋は「状況を見極めたいということだ」と述べ、ロシアの反応を見て慎重に対応が検討されていることを示唆した。
近年、ロシアとの経済協力を図ってきたトルコも、「正面衝突」は回避したいのが本音とみられる。エルドアン大統領は25日、イスタンブールで開かれた企業家らとの会合で、「今回の(撃墜)事件をエスカレートさせるつもりはまったくない。ただ我々の安全と、同胞(トルクメン人)の権利を守っているだけだ」と強調。緊張緩和に取り組む考えを改めて明確にした。【モスクワ杉尾直哉、ブリュッセル斎藤義彦】
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝