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Loginはこちら【1512】[1844]天武天皇の正統性について
何故、柿本人麿は石見国で下級官吏として亡くなった、と信じられているのか。
上の設問に対する答えは、簡単である。『万葉集』自身が、人麿は奈良遷都以前に、岩見国の鴨山で亡くなった、と述べているのだ。
『万葉集』第二巻、〔223〕~〔227〕の五首の歌とその題詞から人麿の死亡伝説は創られている。それらの歌と題詞を次に掲げる。
柿本朝臣人麿、石見国にありて死に臨む時、自ら傷みて作る歌一首
鴨山の岩根し枕けるわれをかも 知らにと妹が待ちつつあらむ〔223〕
(大意)鴨山の岩根を枕にして横たわっている私を、そんなことも知らずに妻は、いつ帰ってくるかと待ち続けているのだろう。
柿本朝臣人麿の死(みまか)りし時、妻依羅娘子(よさみのをとめ)の作る歌二首
今日今日(けふけふ)とわが待つ君は 石川の貝に(一に云う、谷に)交りてありといはずやも〔224〕
(大意)今日か今日かと私がお待ちしている貴方は、石川の貝に(一に云う、谷に)交じっているというではありませんか。
直(ただ)の逢ひは逢ひかつましじ 石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ〔225〕
(大意)直接お逢いする事はもう叶わないのでしょう。石川のあたりに雲を立ち昇らせてください、それを見て貴方をお偲びしましょう。
丹比真人、柿本朝臣人麿の意(こころ)に擬して報(こた)ふる歌一首
荒波に寄りくる玉を枕に置き われここにありと誰か告げなむ〔226〕
(大意)荒波に打ち寄せられてくる玉を枕辺に置いて、私がここにいると、誰が家のものに伝えてくれるのだろう。
或る本の歌に曰く
天離(あまざか)る夷(ひな)の荒野に君を置きて 思ひつつあれば生けるともなし〔227〕
(大意)都を遠く離れた荒れ野にあなたを置いて、いつも思っていると生きた心地もしません。
この五首の歌と題詞から、人麻呂の死亡伝説は創られている。つまり、石見の鴨山で死んだ人麿は、石川の畔に運ばれ、荼毘にふされ、石川に散骨されたのだと。妻は、その荼毘の煙りを見て人麿を偲んだのだと。
しかし、この物語には都合が悪い点がある。〔226〕の丹比真人の歌と〔227〕の或る本の歌の存在である。
〔226〕は、〔223〕の人麿臨死の歌の直前に置かれている「讃岐の狭岑島(さみねのしま)に、石の中に死(にまか)れる人を視て、柿本朝臣人麿の作る歌一首並びに短歌〔220~222〕」の反歌とすると、ピッタリするのです。
また、〔227〕の或る本の歌も、〔207~216〕の「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」の反歌とするとピッタリする。
これは、『万葉集』の編者が、人麿の生と死は、〔207〕の人麿の妻が亡くなった時に、泣血哀慟して作った歌から、〔227〕の或る本の歌までの連続の中で考えるよう示唆しているのではないか、と私は受け取ったのです。それで、〔207〕の歌から丁寧に検討してみます。どのような人麻呂像が浮かび上がるか。
以下次回。
【1511】[1843]左翼とは現実社会を理想の形に変えて行くべきと信じる人達のことである。自分は左翼ではない
相田です。この話は今纏めている原子力の論考の中で書くつもりでしたが、訳あってここに載せます。あの論考で私はずっと、左翼に対して批判的な立場を取っています。しかし、「左翼」と呼ばれる人々とは一体どのような人物達なのか、彼らに対し私自身はどのような政治主張で向き合っているのか、ということを、きちんと述べなくてはいけない、と考えていました。
左翼とは一般には、共産党の主張に影響されている人達、憲法第9条を守りながら戦争に反対する人達、天皇家の役割を否定し全ての国民に平等な権利を与えよと主張する人達、等の特徴が挙げられるでしょう。しかし私が思い描く「左翼」は、これらの説明とは少し異なります。端的に述べると左翼とは、自らが「人間社会はこうでなくてはいけない」とう理想の形を頭に描いており、現実社会をその理想に一刻も早く変えて行くべきだ、という信念をもつ人々、ということです。
この「左翼」の説明は、私が副島先生の主著である「世界覇権国アメリカを動かす知識人達」(以下に「覇権アメ本」と略す)から学んだ重要な定義であり、世界基準での正確な理解であると、自信を持って言えます。
副島先生の「覇権アメ本」と、故片岡鉄哉の「日本永久占領」、ついでにフランシス・フクヤマの「歴史の終わり 上、下」の3冊(正確には4冊)は、日本の知識人を自認するからには、熟読すべき必読書と断言できます。これらの本を読んでいない知識人はモグリです。この3冊(4冊)はそれぞれが、アメリカ政治思想、日本の戦後史、そして社会科学という学問に関する、日本人に向けての最高度の入門書であるとも言えます。多分今でもそうです。
正直に言って私は、この4冊を読み終えた後では、頭の中が10年くらい先に一気にワープするような実感を覚えました。それまでわからなかった、世の中を動かしている真の法則の頑強な骨格が、頭の中にガッチリと築かれてゆくのがわかりました。「なんだ、そうだったのか、この野郎」という感じです。上記の3冊はSNSIのバイブルでもあります。SNSIの各メンバー達の主張は、これらの本は内容を踏まえたものである限り、極めて堅牢です。
左翼とはざっくりいうと、リベラル(人権派のこと、ここではアメリカでのリベラルを指す)という主張を過激にしたもの、といえます。「覇権アメ本」によると、リベラル派の思想の特徴は、1)社会科学(ソーシャルサイエンス)の成果を現実社会の改革に積極的に取り入れようとする、2)人間社会には求めるべき理想の形態が存在しており、理想社会を実現するために、現実の状況を一刻も早く改革するべきである、ということにあります。彼らは、世の中とは本来こうあるべきだという、理想のモデルを重視します。この考えの極限が、マルクス理論による社会の改革を実現した、ロシア革命とソビエト連邦の建設につながります。
これに対して保守派とは「覇権アメ本」によると、理想の社会モデル等という代物は、たとえあったとしても、現実の世には簡単に実現されるものではなく、性急に求めてはならないと主張します。現実の社会に過度の理想を持ち込もうとすると、そこでは予想もしない大きな悲劇がもたらされるため、過度に理想を追ってはいけない、と主張する人々です。私はこの保守派という思想の本来の定義について、副島先生の「覇権アメ」を読んで初めて知りました。
「覇権アメ」を読むまでの自分は、現実の社会に存在する様々な矛盾を一刻も早く無くして、人間らしい幸せな社会に変えてゆくことが、人間としての真実であると思っていました。要するに左翼のシンパです。しかし一方で自分は、人間社会が抱えている矛盾や不合理(例えば、どうしようもない貧富の差、国家間の対立、環境破壊、莫大な国家財政赤字の存在等のこと)は、非常に重い存在でもあり、それを取り除くことが果たして可能であるのか?とも、常日頃から考えていました。
社会の矛盾を一度に無くすような過激な改革を行うと、それにより人間らしさが少なからず失われてしまうのではないか?その後の社会は、果たして人々に幸せなものになるのか?という疑いが、私の頭の中から離れることはありませんでした。
「覇権アメ本」で書かれていた内容は、私のこのような疑問を全て払拭してしまうインパクトを持っていました。私は「覇権アメ本」を読むことで、自分の考えはリベラルではなくて、実は保守なのだということをはっきりと理解しました。以下には、私が「覇権アメ本」で最も重要と考える記載を引用します。
―引用始め―
ヒューマンライツ(人権)派のように、「人間の生存権は憲法にはっきりと定められているのだから、何が何でも全ての人の自由と平等を実現しろ」と主張し続けることが、果たしてこの世界の現実の中でできることなのかと問う時、「おそらくそれは無理であろう」と、はっきり公言することは控える。しかし内心ではそう思っているのが、保守主義なるものの核心だと思う。これが現時点での私の理解である。
人間(人類)はそもそも「実際には自由でも平等でもない」生き物である。二十五年間、住宅ローンを払い続けなければ自分の住居さえ手に入らない者と、生まれた時から資産のある者の生活上の差を、縮めることはできても、なくすことはできないだろう。あるいは、会社(企業)の従業員である人々と、企業の経営者である人々との対立を消し去ることはできない。そしてこの「貧富の差」や「社会階級」を一気に消滅させようとする理想主義の運動が、これまでに、この地上でどれほどの政治的惨劇と大量殺人を招いてきたことか。
―引用終わり―
相田です。上の引用からわかるとおり、本来の保守主義とは、日本で盛んに語られる「天皇陛下万歳」とか「中国、韓国人は日本から出て行け」等の思想とは、縁もゆかりも無いものなのです。あれはまともな思想などと呼べる代物ではなく、単なるカルトです。私に政治思想と呼ばれるものがあるならば、それは、上の保守主義に関する副島先生の記載そのものです。
あたりまえですが、現実の社会には様々な矛盾や不条理があふれています。しかし、それらの不条理は存在するに足る何らかの要因があり、まずはその要因をよく考えて受け入れなければならない、ということです。その上で、可能な範囲で社会の仕組みを少しずつ変えて行くことが、より良い社会を作る道である、と私は考えています。社会の仕組みを一気に、過激に変えてはいけないのだ、ということです。
原発に関してもここまで世の中に広まってしまったのは、それなりの理由があるのであり、それを一気に日本から無くしてしまうことはやってはいけない、という考えが、本論考を書く際の私の考えの核心となっています。
相田英男 拝
【1510】[1842]天武天皇の正統性について
柿本朝臣人麿と稗田阿礼の重なり合う役割
『古事記』は、稗田阿礼(ひえだのあれ)が語る事を太安万侶(おおのやすまろ)が筆録して和銅五年(西暦712年)正月に完成し献上された、と『古事記』序文は記します。
その序文によれば、稗田阿礼は天武天皇の即位の年(673)に歴史編纂の命を受けたと記されています。稗田阿礼は、極めて聡明で目にしたこと、耳に聞いたことは心に刻み込み忘れることが無かったと記される。
またその時稗田阿礼は、二十八歳であった、と。ですから、『古事記』が献上された和銅五年には六十六歳になっていたことになります。当時ではかなりの高齢で、老翁と呼ばれても良い年齢です。
『古事記』序文を読んだ限りでは、稗田阿礼の方が筆録者・太安万侶より格上の印象を受けます。稗田阿礼が、俺の言う事を書け!と指示しているような。
しかし、太安万侶と云う人物は民部卿(民部省の長官)にまで出世したエリートキャリア官僚です。そのエリート官僚を顎で使っている印象がある。
『古事記』編纂の方針は、「『諸家の齎(もた)る帝紀及び本辞、既に正実に違(たが)い、多く虚偽を加う』と、今の時に当たり其の失(あやまり)を改めずは、幾年も経ずして本当のことが失われてしまうだろう。
このことは、国家統治の根本である故、帝紀を撰録し、旧辞を検討して撰び、偽りを削り、実を定めて、後の世に伝えむと思う」この天武天皇の詔に表されている。
権力者・天武天皇に都合が悪いことが「偽り」であり、天武の正統性に適(かな)うものが「実」であると、自らが告白しているのである。過去の記録が、天武天皇の正統性に不都合だから、書き換える、と告白していたのだ。その作業を天武は、稗田阿礼に命じなさった。
稗田阿礼こそ歴史編纂事業(私は、これを天武天皇の正統性の創造と呼ぶ)の中心にいたのである。
以前に書いたように、柿本人麿は『万葉集』第一巻(29)「近江の荒れたる都を過ぎし時作れる歌」・第一巻(45)「軽皇子の安騎野に宿りましし時に作る歌」・第二巻(167)の「皇太子・草壁の皇子に奉げた挽歌」・第二巻(199)の「高市皇子に奉げた挽歌」また、
天皇、雷丘にいでましし時、柿本朝臣人麿の創れる歌
大君は 神にしませば 天雲の 雷(いかずち)の上に いほらせるかも
これらの歌は、歴史編纂事業(正統性の創造)に参加していなければ知り得ない内容を謳っている。人麿は、それまであった神話や歴史を謳っているのではない。人麿が歌った故に、それは神話になり歴史となったのである。
人麿と稗田阿礼は、同じ作業チームの中にいたのである。『万葉集』によれば、人麿は奈良遷都(和銅三年・西暦710年)以前に亡くなっていたことになる。つまり、『古事記』が選定された和銅五年には人麿は既に鬼籍に入っていた、信じられているが、ここに奇妙な証言がある。『古今和歌集』の仮名序である。
・・・いにしへよりかく伝はるうちにも、奈良の御時よりぞ広まりにける。かの御代や、歌の心を知ろしめしけむ。かの御時に、正三位柿本人麿なむ、歌の聖なりける。これは、君も人も身をあわせたりといふなるべし。・・・
奈良の御時に、人麿が生存していたという。『古今和歌集』は、延喜五年(西暦905)に紀貫之らによって選定された。仮名序は、紀貫之の筆とされている。平安時代の後期には、『万葉集』から、人麿は奈良遷都以前に石見国の地方官で亡くなった、という伝説が信じられるようになっていたらしく、『古今和歌集』仮名序の「奈良の御時に、人麿が生存していた」という記述は誤り、解釈されるようになり、「奈良の御時」は、文武天皇のことであるとするのが、歌道のしきたりとなっていたようである。今でも「人麿は、奈良遷都前に、石見国鴨山で地方の下級官吏で亡くなった」と云うのが通説としてまかり通っている。
この通説の立場に立つと、『古今和歌集』の仮名序は、許しがたい誤りを書いていると断罪するしかない。しかし、奈良の御時を、文武天皇に比定するのはいかがなものか。文武天皇が亡くなったのは、慶雲三年(西暦707年)である。未だ奈良京は存在していなかった。
私は、紀貫之は出鱈目を書いたのではない、と考える。延喜五年とは、『万葉集』の最終編者である大伴家持が亡くなってまだ僅か百年しか経っていないのだ。人麿の真実を伝える口伝・秘伝の類がまだ生きていたのではなかったか。貫之は、人麿の正体・真実を知っていたのではないか。口伝・秘伝の類は、文字化されると滅びる、というのは世界の常識である。貫之が『古今和歌集』の仮名序にそれを記したことで、秘伝は滅んだのではないか。それで『万葉集』の奈良遷都以前に人麿は亡くなっている、としていることが広く信じられるようになったのではないか。
私は、紀貫之が書いてある通り、人麿は奈良遷都以後も生きていた、と確信している。人麿と稗田阿礼は、同一人物ではなかったか、と疑っている。
【1509】[1841]本当の悪はエルドアンではないか?
副島先生のシリア分析読ませていただきました。
現在、トルコとロシアが、領空侵犯=撃墜問題でもめていますが、
私は、この紛争の焦点は
もう一つ剥けば、これはロシアとトルコの接近ではないかと
予測します。
ヨーロッパ諸国にしてみれば、ロシアとトルコが結びつくと
NATOやEUに楔が打たれるわけですから避けたいところです。
歴史的に見ればロシアとトルコの共闘関係を阻止してきたのは
19世紀においては、
ディズレイリのイギリスと、
ビスマルクのドイツなわけです。
それは、19世紀のベルリン会議の主要な議題であったわけです。
サン・ステファノ条約を破棄させるために
ディズレイリがトルコのバックアップを図って
ロシアとフランスに挟まれて
普仏戦争の『ルバンシュ=復讐』を恐れたビスマルクが
アレクサンドル2世(ゴンチャロフ ロシア外相)のススメで
ベルリン会議を開いたという話です。
この話はキッシンジャーの『外交』の第六章に詳しい話です。
大局で見れば、シリア問題はドイツの弱体化をはかる
コンスピラシーセオリーです。
メルケル首相が今後シリア問題にどう関わるかが
世界の注目なんだと思います。
【1508】[1840]今、世界で起きていることを 大きくはどのように理解すべきか。 ぼやき の方に大事なことを書きました。
副島隆彦です。 今日は、2015年12月10日です。
私は、11月28日から、ずっと 今の世界情勢で、本当に重要な事は何なのか、を書こうとして、他用に追われて書けなかった。ようやく書けたので、今日のぼやきの方に載せた。
私、副島隆彦が、自分の頭脳をフルに高速度で回転させて、いくつもの多くな謎を解明したし、今の人類(世界中の人間)が漠然と考えていること、の全体像を把握した。
おそらく日本では、やっぱり私の頭脳が一番だろう。ウソだ、副島隆彦のいつもの大風呂敷だ、と思うなら、ぼやきの方を、真剣に読んで自分の脳(思考力)の限りを盡(つ)くして判定してみたらいい。 私は掛け値無しで、自分がこの2週間で解明した「現代の世界の大きな謎」に迫っている。
11月29日に、私が、テレビの映画専門チャンネルWOWOWでたまたま、40年ぶりに、スパイ映画の大作「 OO7 / ロシアから愛をこめて」(1963年制作)を見たことが大きかった。 これで南氷洋の大きな氷の塊(かたまり)が氷解するよに、大きな謎が一気にいくつも解けた。 だから真剣に読みなさい。
副島隆彦が何を書いていて、何を言っているのか分からない、という人間は、自分の低知能を恥じて、もう、この学問道場に近寄らなくていい。どこかに行きなさい。
以下は、私が、ぼやきの 「ロシアのプーチンが、今度の新作の12月4日日本でも公開された 新作「007/ スペクター Spectre 」の ダニエル・クレッグ そのものだ」そして、今、「ロシアから愛をこめて」とは何か、に載せきれなかった、最新の 新聞記事だ。重要な記事は、たくさんあるから、解説も兼ねて、そのうち、まとめて論じる。まず以下を読むだけ読みなさい。
(転載貼り付け始め)
◯ 「ISIS、米国製の武器を大量入手 アムネスティ報告書」
2015年12月9日 CNN
http://www.cnn.co.jp/world/35074656.html?ref=rss
米国がイラク軍やシリア反体制派に供与した大量の武器が、過激派組織「イラ
ク・シリア・イスラム国(ISIS)」に渡っている実態が、国際人権団 体ア
ムネスティ・インターナショナルの報告書で明らかになった。
アムネスティはイラクやシリアで撮影された数千枚の映像や画像を分析し、7日に報告書をまとめた。それによると、ISISが現在保有する装備や武 器弾薬は、米国の同盟国であるイラクや、米国が支援しているシリア反体制派から奪取したり、違法取引によって入手したものが相当数を占めることが 分かった。
オバマ米大統領は6日の演説で、ISISと交戦しているイラク軍やクルド人部隊、シリア反体制派に対する武器供与などの支援に力を入れる方針を改 めて打ち出した。しかしアムネスティの報告書で、そうした支援が結果的に、ISISへの武器供給につながっている実態が浮き彫りになった。
ISISは米国のほか、トルコや湾岸諸国からシリア反体制派の武装組織に供与された軍事品も入手。計25カ国で設計・製造されたライフル銃や戦 車、地対空防衛システムを使っていることが判明した。
その原因について報告書では、「何十年にも及ぶイラクへの無責任な武器の移転、米国主導の占領統治による武器供与や保管の安全確保の不手際、イラ クにまん延する腐敗を反映したもの」と指摘。米国などの供与国は、過去数十年の間にイラクに移転された武器の管理の不手際により、同地域でこうし た武器が流通し、ISISなどの武装勢力の手に渡ることを許したと結論付けている。
報告書を執筆したパトリック・ウィルケン氏は「イラクへの主な供給国は歴史的にロシア、中国、そして米国だった」と解説する。ISISの保有する 武器は、イラン・イラク戦争時代にイラクに持ち込まれたソ連製の旧式な武器や、2003~07年の米統治下で持ち込まれた武器が大半を占めるもの の、「近年製造されたもっと高度な兵器も保有している」という。
報告書によれば、ISISの戦闘員の間で最も普及しているのはロシア製のAKライフル銃だが、米軍が供与した「M16」のほか、中国、ドイツ、ク ロアチア、ベルギーの各国で製造された銃も使われていた。さらに、ISISが米国製やロシア製の装甲車や迫撃砲、対戦車ミサイル、地対空ミサイルをイラク軍やクルド人部隊から大量に奪取していることも分 かった。
この報告書について米国防総省の報道官は、同盟国などに供与した武器については厳格に監視していると強調した。ただし国防総省は、戦場でなくした 装備までは監視が行き届かないと認めている。
ウィルケン氏によれば、ISISはこうした近代兵器を米国が支援する部隊との戦闘にも使用。昨年、イラクのモスルやティクリート、ファルージャを 陥落させた際にも使われたという。また、イラクとシリアの民間人に対しても、小火器や爆弾が使われているとした。
これ以上の武器がISISのような勢力の手に渡ることを防ぐため、アムネス
ティでは米国などの供与国に対し、イラク政府と連携して武器の移送や保 管や
配備の管理を厳格化するよう促している。
◯「 トルコと戦争望まず=撃墜は計画的、シリア国境封鎖要求―ロ外相」
時事通信 モスクワ 2015年11月26日
ロシアのラブロフ外相は25日、トルコによるロシア軍機撃墜を受けモスクワで記者会見し、両国関係が緊張する中でも「トルコと戦争するつもりはない」と述べた。
プーチン大統領はロシア軍機乗員の安全確保のため、シリアの防空体制を強化してトルコをけん制したが、外相は北大西洋条約機構(NATO)加盟国トルコとの軍事的な衝突は望まない考えを明確に示した。
一方、外相は「トルコによる計画された挑発行為だ」と撃墜を強く非難。今回の撃墜は、ロシア軍が過激派組織「イスラム国」の石油施設を集中的に空爆した直後に起きたと指摘し、石油密輸でトルコが利益を得ている疑惑と絡め不満を述べた。また「特定の国のテロ支援を国連安保理に提起する用意がある」と表明した。プーチン大統領はトルコを「テロの共犯者」と呼んでいる。
撃墜前の状況について外相は「トルコ軍機から警告はなかった。ロシアは具体的な飛行管制データを開示する用意がある」と述べ、トルコ側の説明に反論した。NATO緊急大使級会合後のストルテンベルグ事務総長によるトルコ支持表明を「奇妙だ。苦し紛れにトルコをかばっている」と批判した。
さらに「両国関係を真剣に見直す」と警告。関係正常化の条件は「撃墜事件でトルコが非を認めることだ」と迫った。また「トルコ(要人)を受け入れるつもりはない」と述べ、12月のエルドアン大統領の訪ロ実現に否定的な考えを示した。
トルコはシリアとの国境管理が緩く、以前から「イスラム国」に参加する外国人戦闘員の流入ルートや反体制派への軍事支援の温床になっていると批判されていた。パリ同時テロ以降、批判はさらに強まっており、外相はトルコに対し、シリアとの国境封鎖を要求。「北部のトルコ系トルクメン人支配地域は、武装勢力の弾薬庫や司令所が集中している」と空爆を正当化した。
◯ 「 露軍機撃墜 シリア巡る対立引き金 緊張、不測の事態も 」
毎日新聞 2015年11月25日
トルコ・シリア国境付近で24日、ロシア軍機がトルコ軍機に撃墜された事件は、ロシアが擁護するアサド政権支配地と、トルコ系トルクメン人が多く住む反体制派支配地の境界近くで起こった。
過激派組織「イスラム国」(IS)の掃討で一致するトルコとロシアだが、アサド政権の処遇を巡る対立が最悪の事態に発展した格好だ。北大西洋条約機構(NATO)や米国は対立回避を目指す方針で、ロシアも当面は経済的な報復にとどめる構えだが、高まる軍事的緊張が不測の事態に発展する恐れもある。【エルサレム大治朋子、モスクワ真野森作】
トルコ軍が撃墜に踏み切ったのは、シリア北西部ラタキア付近に住むトルクメン人と、戦略的要衝の一帯を防衛するためだった。英BBCなどによると、シリアのトルクメン人は約150万~350万人。強硬な同化政策を進めるアサド政権の下、少数民族として抑圧的な環境下に置かれてきた。
トルコ政府はシリアのトルクメン人を「同胞」と見なし、友好関係を維持してきた。2011年にシリアが内戦状態に陥ると、トルクメン人は反体制派武装勢力と連携してアサド政権の打倒を掲げ、トルコ政府から武器供与や訓練などの支援を受けてきた。
戦闘が大幅に拡大したのは、ロシアがシリア内戦に本格的に「参戦」した9月末以降だ。トルコ政府によると、10月初旬ごろからロシア軍機がトルコ領空を繰り返し侵犯するようになり、同国外務省がロシアの駐トルコ大使に警告。トルコ側には「(撃墜)事件を回避するための最善の努力は尽くしてきた」(エルドアン大統領)との思いが強い。
一方、ロシア軍側は、空爆の標的について「ロシア出身者を多く含む過激派組織」と主張している。軍参謀本部・作戦総司令部長のルツコイ陸軍中将は24日、「作戦エリアは(ロシア南部チェチェン共和国など)北カフカス地方の出身者約1000人を擁する最も急進的な過激派組織が支配する地域として有名だった」と強調した。
米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは中東レバノン発の分析記事で、撃墜地点周辺ではチェチェン人が加わる国際テロ組織アルカイダ系組織も活動していると伝えた。
プーチン露大統領は10月中旬、「ロシアなど旧ソ連諸国の出身者5000~7000人がIS側で戦っている」と述べ、過激派戦闘員や共鳴者が母国でテロを起こす事態を阻止すべきだと訴えていた。
露が防空体制強化 NATOは対立回避へ自重
ロシア軍機の撃墜事件を受け、プーチン露大統領は25日、シリア領内のロシア軍基地への最新型地対空ミサイルシステムS400(最大射程400キロ)の配備を了承した。トルコ軍が再び敵対行為に出るのをけん制するとともに、欧州諸国にもにらみをきかせるためだ。ロシア通信によると、地中海に展開する露黒海艦隊の旗艦「モスクワ」(ミサイル巡洋艦)は25日、シリア・トルコ国境一帯に防空体制も敷いた。
ただ、ロシアは当面、経済的なダメージをトルコに与えて報復する構えとみられる。新たな欧州向けパイプライン「トルコ・ストリーム」の敷設や、トルコへの原発輸出が影響を受けそうだ。トルコへの天然ガス輸出が削減される事態も想定される。ロシアとトルコはシリアのアサド政権の処遇に関する方針で立場が異なるが、近年はトルコがロシア産天然ガスの輸入国として第2位となるなど、経済的な結びつきを強めていた。
パリ同時多発テロを受け、プーチン氏は「幅広い対テロ大連合」の結成を訴えていたが、今回の撃墜事件で米欧やトルコとの協調だけでなく、シリア内戦の終結に向けた各国との協力も難しくなるのは確実だ。
一方、トルコやNATO側にも、これ以上の軍事的対立を避けたい思いがある。トルコ政府は24日、NATOに対し集団的自衛権に基づく共同防衛を求めなかった。NATO外交筋が毎日新聞に明らかにした。NATO理事会は露軍機のトルコへの領空侵犯を確認、ストルテンベルグ事務総長は「憂慮」を示してロシアに警告したが、共同防衛を強調することはなかった。背景にはトルコがロシアとの決定的対立を望んでいない事情があるとみられる。
NATOを定めるワシントン条約には、加盟国への攻撃を全体への攻撃とみなして集団的自衛権を発動する「共同防衛条項」(第5条)があるが、24日の緊急理事会はこの条項に基づかないものだった。同条約には加盟国が独立や領土保全に脅威を感じた場合にNATOと協議できる条項(第4条)もあるが、今回の撃墜事件ではこの条項も使われず、トルコが理事会で状況説明するだけだった。
NATO外交筋は「状況を見極めたいということだ」と述べ、ロシアの反応を見て慎重に対応が検討されていることを示唆した。
近年、ロシアとの経済協力を図ってきたトルコも、「正面衝突」は回避したいのが本音とみられる。エルドアン大統領は25日、イスタンブールで開かれた企業家らとの会合で、「今回の(撃墜)事件をエスカレートさせるつもりはまったくない。ただ我々の安全と、同胞(トルクメン人)の権利を守っているだけだ」と強調。緊張緩和に取り組む考えを改めて明確にした。【モスクワ杉尾直哉、ブリュッセル斎藤義彦】
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1507】[1839]天武天皇の正統性について
天皇制を支える二つのドグマ(教義)
天皇制を支えているドグマの一つは「万世一系の天皇」、つまり天皇は日本国の開闢から血統の絶えることなく受け継がれてきたとする主張である。
もう一つのドグマは、「天孫降臨神話」である。
皇孫瓊瓊杵尊(すめみまのみことににぎのみこと)が、主神天照大神が下された「葦原の瑞穂の国は王たるべき地(くに)なり」の神勅に従って葦原の瑞穂の国(日本国)の王(きみ)に成ったと云う神話である。
まず「万世一系」の主張から検討すれば、「壬申の乱」に勝利して皇位に就いた天武天皇は、『日本書紀』では天智天皇の「同母の弟」と書いているが、すでに何度も論じてきたように明らかに偽りである。天皇の「万世一系」の主張は、天武天皇の即位を正統化するために創造されたのである。
では「天孫降臨神話」はどうだろう。持統天皇は、西暦697年八月に、孫の軽皇子(かるのみこ)に譲位している。『懐風藻』に依れば、696年六月、天武・持統朝の実質的主宰者であった高市皇子(天武天皇の長男・壬申の乱の主導者)が突然亡くなられた。皇位継承については、何も決めていなかったのである。
そこで持統天皇は、皇族・主だった貴族を集め、皇位継承の事を相談した。天武天皇の皇子たちの中に皇位に色気を示す皇子もおり、簡単に結論が出そうになかった。
その時、葛野王(かどののおほきみ)が立ち上がり、「我が国の法(のり、古来からの決まり)では、相続は、親から子へと決まっている。この正しい決まりを破るところに、世の乱れが生ずるのだ。次の皇位に就かれるのは、亡くなった皇太子・草壁皇子の遺子・軽皇子に決まり切っている。と天武の皇子たちを一喝した。
この葛野王の一言で軽皇子の即位が決まったと『懐風藻』は記す。持統天皇は、この葛野王の発言を大いに喜び、多くの褒賞を与えたと記す。
しかし、親から子への継承が、我が国の正しい法(のり)と云うなら、天武の正統性は、根底から否定されることになる。持統は、天武の皇后であったのだ。皇后自らが、夫・天武の正統性を否定しているのだ。皇孫・軽皇子への譲位も平坦な道ではなかったのだ。
「万世一系」の主張、「天孫降臨神話」この天皇制を支える二つのドグマは、共に歴史編纂時代の現代史を反映しているのです。当時の人々は、『日本書紀』の歴史・神話が、創造された、辛辣に言えば、捏造された神話、でっち上げられた歴史であることを自覚していた。歴史の綻びを隠蔽するには、天皇を神の座に祭り上げなければならなかった。
天皇、雷丘に御遊(いでま)しし時、柿本朝臣人麿の作る歌
大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 庵らせるかも(235)
「かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏(かしこ)き」
(大意)心にかけて思うことも畏れ多い、まして言葉に出して言うことなど心底畏れ多いことだ。
これが天皇に対する枕詞になるのだ。あれこれ考えるな、つべこべ言わず黙っとれ、と云うことである。奈良時代の日本人、平安初期の日本人は、正史『日本書紀』の歴史は「創造されたもの」であることを自覚していた。自覚しながら信奉していたのである。この事が、後の日本人に大きな影響を残したのではないかと考えている。
【1506】[1838]GPIF (昔、大損を出した 悪名高い 年福=ねんぷく=事業団を改組したもの )は、7.9兆円の運用損失を出したと発表。
副島隆彦です。
私は、今、ロシアによるIS 爆撃、IS 撃滅(げきめつ) が、世界の中心の課題だと判断しているから、そのことを書こうと思って、あれこれ考えています。 結論は、 「ロシアから愛をこめて」でした。 これはイギリス映「画「 OO7(ダブルオウ・セブン) 」の第2作目(1963年作) です。
私は、世界の政治問題の重要局面は、各国の国家情報部のなかにいる、二重スパイ(ダブル・エイジェント)たちの活動の結果なのだろう、と判断しています。 私の 「副島隆彦版 ロシアから愛をこめて」 を もうすぐお送りしますので、待っていてください。「それと 世界反共(はんきょう)主義とは何か」だ。
その前に、今朝朝4時に、私は、以下の記事をネットで見つけてムカッとした。 それなのにそのあと配られてきた 日経新聞では、「2面の下の方」にぼっと置いてあって、しかも、朝のNHKでも放送しなかった。 なんなんだ、この卑怯者どもの態度は。 すべては、菅義偉(すがよしひで)官房長官の 報道管制で動いている。
自分たちの責任問題が出るものだから、「報道の諸君。ここは、穏便にやってくれたまえ」で、ろくすっぽ国民に どの局の新聞社も報道しない。4千万人の国民が毎月、掛け続けている 大切な年金の掛け金の運用による、大損害、大失敗の報告なのに。
7月から9月(第2四半期、年度)で、運用損=投資の失敗が、7.9兆円になったのだ。 だれも責任を取る者がいない。 ヒドい国のヒドい政府だな。 共産国家(きょうさんこっか)並みだな。
皆は、このGPIFの 運用資産の総額が、141.1兆円あったのが135.1兆円に減った、さあ、このあとはどうなるのか、 という ことを、これらの数字(金額)をしっかり覚えることで、自分の金融の知識に 基準を作る、ということを覚えてください。
副島隆彦拝
(転載貼り付け始め)
**社
****編集長へ
****くんへも
副島隆彦から
昨日、午後4時頃、 菅義偉 官房長官 が、GPIFの運用の 7.9兆円の運用損失 を 記者会見したようだ。 GPIFは、三石博之(みついしひろゆき) 審議役 という のが、記者会見している(以下の時事通信の記事)。
「10月以降は回復した」という点を強調している。 おそらく 日経新聞は、今朝の朝刊は、 この記事は、一面の下の方に小さく載せるだろう。
私は、次の株式の大きな下落 (1000円ぐらいの下げ) が年末に来ないと、とても次の本を書く気になりません。12月16日の米FOMC の結果のイエレンによる発表で、「政策金利を 0.25%上げる」の発表の前後に、アメリカの株価が暴落するこを待っています。
副島隆彦拝
◯「 GPIF、運用赤字7兆8899億円 7~9月期、足元は改善か 」
2015/11/30 日経新聞
公的年金の積立金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が30日発表した2015年7~9月期の運用実績は、7兆8899億円の赤字だった。
期間収益率はマイナス5.59%(4~6月期はプラス1.92%)となり、14年1~3月期以来、6四半期ぶりのマイナス運用となった。
世界的な株安が進んだのに加え、円相場の上昇で海外資産の評価損が出た。10月以降は株式相場の持ち直しで運用収益は改善しているとみられる。
GPIFは国民年金と厚生年金の積立金を国内外の株式や債券に分散投資している。運用資産額は9月末時点で135兆1087億円。自主運用を始めた01年度以降で最高だった6月末時点(141兆1209億円)から減少した。
資産構成別の収益の内訳(市場運用分)は、国内株式が4兆3154億円、外国株式が3兆6552億円、外国債券が2408億円の赤字だった。一方、国内債券は3022億円の黒字だった。
9月末時点の積立金全体の資産構成は、外債の比率が13.60%と6月末時点(13.08%)から上昇し、これまでの最高(14年12月末、13.14%)を更新した。
GPIFが目安の中心値とする15%にやや近づいた。国内債は38.95%と6月末(37.95%)から上昇し、目安の中心値である35%を上回っている。一方、国内株式は21.35%(6月末23.39%)、外国株式は21.64%(同22.32%)と、いずれも前四半期から低下。それぞれ目安中心値の25%には達しなかった。
7~9月期の収益率(市場運用分)は、リーマン・ショック後の2008年10~12月期(マイナス6.09%)以来の下落幅となった。もっとも10月以降は株式相場が持ち直し、GPIFの運用収益は改善しているとみられる。
野村証券の西川昌宏チーフ財政アナリストは11月27日時点で、昨年度末と比べ約1.9兆円の運用黒字が出ていると試算。SMBC日興証券の末沢豪謙金融財政アナリストは四半期別にみると、4~6月期の落ち込みが足元までに一巡し、今のところ収益はほぼ均衡したとみている。
【GPIFの資産構成】
9月末(6月末)
国内債券 38.95%(37.95%)
国内株式 21.35%(23.39%)
外国債券 13.60%(13.08%)
外国株式 21.64%(22.32%)
短期資産 4.46%(3.27%)
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◯ 「 公的年金の運用損失7.8兆円=過去最大、株式投資拡大が裏目―7~9月 」
2015年11月30日 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151130-00000088-jij-pol
公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は30日、2015年7~9月期の運用損益が7兆8899億円の赤字に転落した と発表した。
赤字は6四半期ぶりで、四半期の赤字額としては過去最大となった。
8月以降、中国経済の減速懸念を背景に国内外の株価が急落したことで、保
有する株式の評価額が大きく下落した。
昨年10月に公表した資産構成 の見直しにより、株式投資比率の目標を従来の約2倍の25%に引き上げたことも裏目に出た。6月末に比べ円高が進行したことで、外国株や外国債券 の円換算での赤字拡大につながった。運用実績を示す収益率はマイナス5.59%(4~6月期はプラス1.92%)に悪化した。
記者会見したGPIFの三石博之審議役は「10月以降の市場環境は回復してお
り、今年度の直近までの収益額はプラスに転じる基調だ」と強調し た。
◯ 「短期的な振れ幅大きいが長期的にはリスク小さい=GPIF運用で官房長官」
2015年11月30日 ロイター
http://jp.reuters.com/article/2015/11/30/gpif-idjpkbn0tj0k120151130
菅義偉官房長官は30日午後の会見で、年金積立金管理運用独立行政法人
(GPIF)の2015年7―9月の運用損益に関連し、短期的な振れ幅は 大き
いが、長期的な観点からすればリスクは小さいとの見解を示した。
菅長官は、同日午後4時からGPIFが同期の運用成績について記者会見して
いると述べた上で、市場変動で短期的に損失が出ても、長期的な観点か らは、
安定した収益が出せる態勢になっているとの見方を示し長期的により安定的、効
率的な運用をすることが大切であると述べた。
また、現行のポートフォリオはそうした観点から、専門家が決めたと述べ、適切なプロセスに基づいて現在の運用スタンスが決まったことを強調した。
◯ 「日本の年金基金 2015年第3四半期に640億ドルの損失」
2015年11月30日 SPUTNIK(スプートニク)
http://jp.sputniknews.com/japan/20151130/1250937.html
世界最大規模の日本の年金基金「年金積立金管理運用独立行政法人」は2015年度第3四半期、640億ドルの損失を被った。
通信社ブルームバーグによると、2015年8月および9月の世界的な株価急落などが原因だという。ブルームバーグは、「年金積立金管理運用独立行政法人」の収益率は約5.6パーセントマイナスとなり、2008年4月以降で最悪の数値だと指 摘している。
日本株式と外国株式で主な損失が出て、外国債券はおよそマイナス20億ドル
だった。なお国内債券は約25億ドルの収益をもたらした。「年金積立金管理運用独立行政法人」は、約1兆1000億ドルの運用資産を持 つ、世界最大規模の年金基金。
ブルームバーグは、ノルウェーのソブリン・ウエルス・ファンドも2015年第
3四半期に、資産の4.9パーセント失ったと報じた。
<http://jp.sputniknews.com/japan/20151130/1250937.html#ixzz3szUYcggA>
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1505】[1837]天武天皇の正統性について
大宝(西暦7003)三年の粟田真人の遣唐使と『日本書紀』との関係
唐朝との交渉は、「壬申の乱」の年〔672〕の五月の末日に唐使・郭務宋が離日してから三十年ぶりのものであった。天武天皇が大和王朝(日本国)を乗っ取り天武の王朝を開始してから最初の遣唐使派遣であった。
遣唐使派遣は、唐朝に対する朝貢を意味する。つまり、唐の臣下であることの表明であり、朝貢を受け入れたことは、朝貢国を唐の臣下と認めたことである。上下関係であれ国交が成立したことを意味する。
日本国は、朝鮮半島で唐軍を支援する援軍の派兵を約束していた。671年十一月の郭務宋の来日は、日本国の支援を取り付ける以外に考えられるのか。
「壬申乱」の結果、天武天皇は唐との約束を反故にしたのであった。唐軍の襲来を恐れ警戒せねばならなかった。天武の王朝は強い危機感の中に出発したのである。
しかし、大宝三(703)年、遣唐使を受け入れてもらったのである。ここに唐との間の危機、緊張は解消したのである。
因みに、669年から唐と戦争となり、半島から唐軍を排除した新羅王朝が唐朝に朝貢し、受け入れられたのは天平七(735)年の事である。それまで唐と新羅には緊張関係が続いていたのである。
以前言及したことであるが『旧唐書』は、日本国の使者の説明する日本国の由来は信じ難い。唐の史官がそれまでの記録を基に質問しても、真実をもって答えようとしない。「故に、中国これを疑う」と『旧唐書』は記すのである。
しかし、日本国の由来を信じてもらえなくとも、朝貢は受け入れてもらったのだ。君臣の関係が成立したのであった。日本にとってこれは大きな出来事であった。それは、それまで維持してきた緊張感、危機意識に弛緩をもたらした。
柿本人麿の作歌活動で年代の明らかなものは、持統三(689)年の皇太子・草壁皇子への挽歌から大宝元(700)年の明日香皇女への挽歌である。
天武の王朝が最初の遣唐使派遣に向け、必死に準備を進めていた時期が人麿の活躍時期である。人麿が平城京遷都(和銅三(710)年)以前に亡くなっていたとされるのは、この栗田真人の遣唐使と無関係ではあるまい。歴史編纂(正統性の創造)への逼迫感が薄れたためではなかったか。
【1504】[1836]私の次の本は、歴史の本です。
副島隆彦です。 今日は、2015年11月26日です。
このあと急いで、今日のぼやき の 方に、ロシア、シリア、トルコ の 直近の問題についての私の考えを書きます。
私は、この2ヶ月の間、ずっと一冊の本を書き上げることに熱中していました。ようやく書き上げました。1ページ、1ページの 文字、人名、歴史の事実、そしてそれらの相互関係を、ひとつずつ確認する作業をずっとやっていました。 去年の5月から掛かりきりの本でした。 やれやれ、だ。
体調が悪かったりして、ああ、もう年だなあ、足腰が弱ったなあ、とブツブツ言いながら、ずっと文献や資料を読みながら書いていた。
歴史の本だ。日本の戦国時代(1500年代)に絞り込んだ本だ。歴史の真実も、掘り当て、探し出し、暴き立てなければ気が済まないから、ずっとやっていた。つい最近決まった書名を公表していいものか、分からないが(出版社に迷惑がかかるだろうか)、書いてしまう。
書名は、『信長(のぶなが)はイエズス会に爆殺され、家康(いえやす)は摩(す)り替(か)えられた 』(PHP研究所刊)だ。12月の中旬には出るだろう。 私が、一昨年(2013年)に書いて出した『闇に葬られた歴史』(同じくPHP研究所刊)の第1章で扱った、信長殺しの真実 の テーマ(課題)を引き継ぐものである。読む人に衝撃を与える書き方をしている。
なんとか、謎解き小説、ミステリー風に書きたかったのだが、どうも、もう私には、小説家の才能はあまり残っていないようだ。自分の世界をどんどん、有り有りと事件の現場にいたかのように書いてゆく能力を、すっかり摩滅(まめつ)させている。時代がまだ、文学や小説、文芸の時代であったら私は小説家になっていた。
しかし、もう、人々は、一部の小説(読み)好きを除いて、もう最新小説には近寄らない。スマホを弄(いじ)くっている時代に、そんなヒマ(悠長、ゆうちょう)はない。だから、「真犯人は、こいつだ」と私はアタマ(冒頭)から書いてゆくしかない。そして、これでもか、これでもか、と証拠、証明作業、合理的推論(reasoning リーズニング)を浴びせかけて、読み手(読者)を説得する。
「ホントだよなあ、そうとしか考えられないよ。やっぱり、副島の書き方には適わないよ。真実を暴き立てる力があるからなあ。計画的に、権力者たちによって覆い隠された真実が、どうしても 草葉の陰から、何百年たってもむっくりと起き上がってくるんだなあ」 と、なる。そのように私は書く。読み手を冷静に、どこまでも果(は)てし無く説得し続けることしか書き手には出来ないのだ。この不屈の作業に耐えれられない者は、その国を支える知識人、言論人 にはなれない。
今度のこの『真実の信長、家康 』(秀吉 についてはウソがない。ほとんど真実が書かれている。何冊かある『太閤記』で、次の家康の時代に暴き立てられるように書かれたから)を私は書いて世に問う。 きっかけは、『本能寺の変 431年目の真実』(明智憲三郎著 文芸社文庫 2013年刊)を去年の5月に読んだからだ。
ジワジワと全国の書店でこの文庫本はひっそりでありながら売れ続けている。誰も宣伝しないのに売れ続けている。歴史もの読み好きたちが噂を聞きつけて次々に手にとって読んでいる。この明智本(と私は名付けた)の業績、と悪い点を、徹底的に評価判定するようにして、私はさらに真実を暴き立てるべく書いた。 そして、私が一昨年から、唱導、主唱し始めた 真実の日本史の研究には、どうしても「八切止夫(やぎりとめお)、を今こそ!」 ( と、私の今度の本の 帯(おび)に書いている)ということになった。
織田信長が、西暦1582年(天正10年)6月2日(こっちは和暦)に、京都の本能寺で、なぜ、死体も、髪の毛一本も、残さずに殺されて、死んでしまったのか。あれほどの強力な男が、部下の明智光秀(あけちみつひで)ごときに殺されるだろうか、という疑問は、ずっと日本国内の、戦国モノ好きの人間たちの脳(アタマ)の中に残っている。
首狩り族の伝統(風習)を強く残している日本の武家(ぶけ。下臈(げろう)、地下人から這い上がった)の慣習にあって、討ち取った敵将の首を捧げ持つことをしないことはない。 だから、「どうして信長の首も死体も残っていないのだ。息子の信忠(のぶただ。長男で継嗣=けいし=)の死体も首もない。おかしい」と、日本人は、ずっと450年間思い続けてきたのだ。
「そんなことは、もうどうでもいいじゃないか。教科書どおりでいいよ」という人間は、悪辣(あくらつ)な、日本民族の敵の手先どもだ。たとえ、この者たちが、愛国者や民族右翼を自称しようとも、私、副島隆彦は、断じて許容しない。打ち払ってやる。
計画的に覆(おお)い隠された真実は、何百年経っても、草葉の陰からむっくりと起き上がってくるのだ。 怨(うら)みを呑んで死んでいった、民族の真の英雄たちの無念は、怨念となって、今の私たちのまわりに、空中に、天空に舞っている。彼らの声を聞き取ろうとする堅い真剣な意思さえあれば、この復活の作業は出来る。
ただ、今度の私のこの歴史本が、どうも分量が300ページを越して、それで読み手(読者)に負担をかけることを心配している。どうしていつの間にかこんなにたくさん書いてしまうのだろうか、と自分に言い聞かせるが、つい、「このことは私の発見だ。このようにはこれまで誰も書いていない」と思うことを、どんどん、すでに出来上がっている幹(みき)に枝葉(えだは)を付け加えるように書き加えてしまう。
これは自分の悪い癖(クセ)なのだと分かっているがやめられない。編集長に、「つまらない、冗長だ、と思われるところは、構いませんから、バッサリ30ページぐらい削ってください」 とお願いするのだが、向こうも遠慮してなかなかこれをやってくれない。
このように私の今度の、『信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた』が12月20日までには出ますから、年末正月の休みにでも読んでください。
副島隆彦拝
【1503】[1835]社会に壊された人々へ 終
松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/11/26です。
現在、世界では、大きな動きが起こっているようですね。私も現状分析をしたいんですが、いかんせん知識が足りません。世界の大きな見方、視点の置き方なら、歴史論文を書くことで得ました。あとは、現状の詳細な知識だ。
『今日のぼやき』の会員ページの方に、私の論考を載せていただきました。『幻想国家としての古代アテナイ』という題名です。わざわざ地図など貼りつけていただきました。ありがとうございます。
会員の方だけ読めます。有料制ということですね。会員ページは、一年間、副島先生の論考をはじめ、あらゆる論文を読み放題で、10000円です。ここを読んでいる皆さんも、会員になってくれればなあ、と思います。
私からすれば、本を集めるだけで、一ヶ月10000円くらいは吹っ飛んじゃうんで、けっこう安いと思うんだけどなあ。一年で10000円。一ヶ月に換算すると、800円くらいですよー?ラーメン一杯くらいですよ!
会員になってくれればなあ、と思います。文章を書くというのは、わりとカツカツの生活を余儀なくされるのです。それでもいいと思っているから、書いてるんですけどね。それでも、支援してくれると助かるなあ。必ず、対価に見合うだけの文章は書きます。
ぼやきに載せていただいた『幻想国家としての古代アテナイ』の『幻想』とはですね、つまるところ、お金、マネーのことなのです。マネーというのは、マグカップとはちがう。コーヒー飲むだけのマグカップとは違って、なんにでも変身できます。マネーは、マグカップにもなれるし、時計にもなれる。車にもなれます。なんにでも変身可能です。
マネーというのは、かたちのない幻想である。かたちないからこそ、なんにでも変身可能である。そして、人類史上初めての、マネー基軸の国家をつくりあげたのが、古代ギリシャのアテナイだった。だから、『幻想国家としての古代アテナイ』。
だから、なんだか白く輝かしいものとしてイメージすることの多い古代アテナイですが、古代ギリシャ思想とか、民主政democracyとか、あれ全部、マネーに付随(ふずい)して生まれてきたものです。
これは予想だが、マネーの訳語である『お金』という日本語の名詞は、本来の『money』のニュアンスを、伝えきれていないのではないかと、私は考えています。本来の『money』は、もっと、神聖なニュアンスがあるのではないか。
現代日本人も、マネーを軸にした『社会』という人工物の中で暮らす以上、古代アテナイは、他人事ではない。そういう考えのもとに書きました。次は、エジプトかな。現代日本の矛盾を考えていたら、私は、不可避に、フィレンツェ・ルネサンスと同じ追求をすることとなりました。
だから、マネーmoneyとか、社会societyとかいう単語は、おそらく神聖なニュアンスを持つんであって、ここの感覚を理解できないところに、日本人の限界があるというか、いつまでも猿マネ民族として扱われる部分があるというか。
結局、「日本人は社会を理解できていないのに、社会を押しつけられている」という構図だ。私は独り身なのでよく外食をするが、たまに横柄な客を目撃することがある。なにやら大声のタメ口で店員に口をきいている。太った体でふんぞり返っている。私は、文化人類学者のマネをして、ずっとその横柄な客を観察し続けるのである。「金を払っているのだから、俺が偉いんだ」という感じである。
だがよくよく考えてみれば、店と客との関係は、マネーにもとづく契約であり、マネーにもとづく以上、店と客は対等のはずだ。お金とは、すべて人間を平等にならすことに特徴がある。社会においては、売り手も買い手も、だれもかれもが平等なのだ。だから、店員もおかしい。ヘエコラする必要はない。
マネーは、すべての人々を『平等』の立ち位置に再編成するのである。一万円には一万円のサービスを、十万円には十万円のサービスを提供する。そうやって、お互いにバランスをとっている。SNSI研究員・鴨川光氏が、常々書いているエクィリブリアムequlibuliamである。我々の時代のような、マネーにもとづく社会societyにおいては、貴族も平民も存在しない。みんな平等だ、ということになっている。これは、そのまま民主政democracyのことでもある。
それを、この横柄な客はわかっていない。「上の者が下の者に金を払ってやる」という地域共同体に独特の感覚のままに行動している。こんな光景は、日本のどこでも、そこかしこに見られる現象だろう。だから「日本人は社会オンチである」といわれるのだ。
太平洋戦争の際、1944年にニューヨークで、日本人の性格構造を分析するための太平洋問題調査会(Institute of Pacific Relations)略して、IPR会議がひらかれた。IPR会議は、もともとロックフェラー財団の資金提供で運営されていたものである。
この会議に、日本人を徹底的に丸裸にしたルース・ベネディクトやジェフリー・ゴーラーも出席している。なんと、社会学の泰斗であるタルコット・パーソンズ(1902~1979)も出席した会議である。パーソンズは、私の師である副島隆彦氏の、そのまた師にあたる小室直樹氏に、社会学を教示した人物でもある。
このIPR会議の様子が、『日本人の行動パターン』(ルース・ベネディクト著 福井七子訳 日本放送出版協会 1997年)の訳者解説で描かれてある。これは貴重な記録だ。p148で紹介されているジョン・マキという人物の発言が重要である。「日本人は『社会society』を理解できない」という趣旨の発言をしている。さきに私が描いた横柄な人物像を思い浮かべながら、次を読んでみてください。
(引用はじめ)
『日本人の行動パターン』p148(ルース・ベネディクト著 福井七子訳 日本放送出版協会 1997年)
ジョン・マキは次のように説明する。「日本では身内とよそ者という考えは非常に重要です。西洋人は、日本人が非常に礼儀正しいと考えています。確かに身内の関係のなかではきちんと紹介され、礼儀正しく振る舞われますが、よそ者の状況にある場合、形式や丁寧さは完全に無視され、人間の感情を欠いた関係となるのです。
社会的に丁重な言動という考え方は日本人にはありません。身内とよそ者という考えは、強い郷土愛に基づく地方主義に遡ることができます。外からやってくる人は、潜在的に敵やスパイと考えられていた十七、十八、十九世紀に由来します。
家族は最小単位の身内で、友人、級友、同郷人、同国人という単位の身内へとその範囲は広がります。そしてよそ者はすべて劣っており、軽蔑の目で見られるのです。日本人は敗北した敵は、軽蔑をもって処遇されるべきだと思っています。」
(引用終わり)
松村享です。
日本人には『社会society』は、わからないのだ。だからみなさん、店やホテルでふんぞり返っている人間を見たときは、「ああ。この人は、社会オンチの土着民なのだ」と思って、マジマジと観察すればいい。文化人類学者をマネして見ればいい。
同様に、清く正しい、笑顔マシーンのような営業マンもまた、『社会society』の輸入に失敗した人間である。社会という魔界の中では、とるべき手段、ふるまうべき行動がわからない。だから、笑顔マシーンというパターン化された類型が現れる。
『社会society』とは、Godそのものなのだ。近代という妙な時代にあわせて、つまりは、マネーを基軸にせざるを得なかった時代にあわせて、キリスト教のGodは、『社会society』という姿へと変貌した。Godの生まれ変わりたる『社会society』の、アジアでの初輸入は、戦後日本において行われた。アメリカの戦後統治において、日本にキリスト教が輸入されたのだ。
だがキリスト教など、もっといえばGodの一部となる喜びなど、日本人にはとうてい理解不可能である。喜びなんかない。むしろ魔界だ。Godなんぞ知るか。誰だそれは。我々は、東アジアの島国の、隔離されたおぼっちゃま民族である。ずっと国を閉じて生きてきた。だから、Godなんか知らない。Godの一部だからといって、自分を肯定することはできない。
だから、笑顔のふりをするしかない。清く正しい笑顔マシーンになりきるしかない。その内面はズタズタに引き裂かれて、ネットに癒しを求めて、陽が昇れば再び笑顔マシーンだ。
どうやら『社会人』というパターン化されたキャラクターが、現代日本には定着しているらしい。初めて街にでたおぼっちゃまが、いじめられないように、すれちがう人々の身のこなしから言葉づかいまで真似をしているのである。真似を集めて集めて、パターン化した。パターン化の極端な例が、とびきりの笑顔マシーンである。
そして、ああ、もはや嘆息(たんそく)するしかないのだが、このパターン化の性質についても、文化人類学者・ジェフリー・ゴーラーは見抜いている。これも引用しよう。
(引用はじめ)
『日本人の性格構造とプロパガンダ』p64(ジェフリー・ゴーラー著 福井七子訳 ミネルヴァ書房 2011年)
日本人は理解や管理できない環境においては、不安を感じるということはすでに述べた。
そうした環境に備えて、予見できるすべての状況に適した、
もっとも巧妙で形式的な行動パターンが日本文化には発達している。
これらの行動パターンに従いさえすれば、
日本人には怖いものはなく、陽気で楽しくいられる。
しかし、これらの行動パターンに従うことは、
各個人に相当な自己抑制やさまざまな攻撃的な感情、
憂鬱な気持ち、血気盛んな感情といったすべてを捨て去ることが求められる。
一般的にどのような感情も表現することは誤っている。
痛みや喜び、うれしさや怒りなどの感情表現は許されず、
そうした感情は予想できないことなので、自らが先立って捨てることにより、
他人も同じように放棄するという保証が得られる。
(引用終わり)
松村享です。
ゴーラーは、すでに70年の昔に、笑顔マシーンの出現を見抜いている。社会人、笑顔マシーンに見られる日本人の、巧妙(こうみょう)かつ形式的な行動パターンの出現は、おぼっちゃまが外界から自分自身を守るためだったのだ。ゴーラーの言説からは、そう解釈できる。
『社会society』という輸入物の中で不安な日本人は、だから、パターン化した形式的な学歴に強くこだわるのである。大学など、サイエンティストscientistになりたい人間だけが行けばいい。私の周りには、意味不明なままに大学に通っている、あるいは卒業した人間がたくさんいる。これは、とくに文系に顕著だ。自然科学natural scienceはまだしも、社会科学social scienceなど、日本人は理解していないからだ。
大学でたいして何もしていない友人に「おまえは何のために大学に通ったのか」と問い詰めると、「いろんな人に出会えるから」とこたえが返ってくる。それはたしかに大事なことだ。人との出会いは大事である。だが出会いなら、自身が積極的に動いていれば、大学など無関係に発生するものであり、高い授業料を払ってまで自らを限定するその生き方は、私は納得できない。
「いろんな人に出会える」というその回答は、強迫観念のもたらした不安の正当化であり、より大きくいえば、奴隷根性の正当化である。漠然とした未来への不安のために、自分自身を質に入れているのだ。そして約束されたはずの未来が、本当に訪れるのかどうかは、誰にもわからない。
わからないはずのものを、約束の地のごとく思いこもうとする、つまり自分で自分を錯覚させるほど混乱していることに、現代日本人は気づくべきだ。日本人は、混乱しているのである。
混乱して不安に陥った日本人は、パターン化した行動をとるのだと、すでにゴーラーに見抜かれている。だから日本人は、ハツカネズミとたいして変わらないのだ。学歴や就職への執念は、ハツカネズミとぜんぜん変わらないパターン化された精神構造である。
私たちは、よけいな虚栄心など捨てて、自分を動物だと認識すべきなのだ。動物だと認識して初めて、精神構造の迷路をさまよう自分を発見する。あなたのその生き方は、あなたの自由意志が選びとったものではなく、『日本人という動物』に特有の行動パターンなのだ。
だから、私のメールアドレスを盗んだあなた、あなたの精神構造は、とうの昔に、文化人類学者・ジェフリー・ゴーラーに見抜かれているのだし、私にも見抜かれている。あなたの行動は、社会に壊されて混乱した人間の、パターン化された行動なんだ。
いいかい。社会に壊された人々に特有の行動パターンなんだ。動物となにも変わらない。動物でしかない自分と、幻想としての自分のはざまで、自分が何者なのかを、脳が焦げつくまで考えるべきだ。そして、覚悟を決めて行動すべきなんだ。あんたの行動からは、覚悟など、みじんも感じられない。
だから、私になにか物申したいのなら、「自分は社会societyに壊された人間の一人で、複合体(コンプレックス)と化した精神構造の迷路をさまよっている最中だ」と、きちんと認識したうえで、堂々と来てください。松村享の電話番号は09044877280です。顔を伏せてうろちょろすんのは、もうやめようぜ。非通知の電話にも出ない。名を名乗ったうえで、いつでも電話してください。
というか、どなたでも電話どうぞ。なんだか電話番号は非公開だというのが、現代の主流のようだが、電話番号なんて、昔はタウンページに載ってたじゃないか。いまはどうか知らないが。こんなもの公表すればいいのである。笑顔マシーンに馴れすぎて、本気でぶつかる事の美徳を忘れちまったか、現代人は。
文章は、私という人間を半分も伝えない。私には、声があって、体があって、感情がある。はじめに現実がある。音や匂いや感覚がある。はじめにロゴスはないんだ。『はじめにロゴスあり』などと、人間を逆さまにつくりあげたのが、新約聖書のヨハネ福音書である。
キリスト教の統治技術は、空と同じように、あまりに巨大で普遍で、あたりまえだと思ってしまう。だがその「あたりまえ」は、あたりまえでもなんでもない。人工物である。あなたのその生き方じたいが、人工物だ。
別の生き方だってある。生きることは、そんなに堅苦しくはない。「社会societyから、はみだしたら罪人」だなんて、どこの誰に植えつけられた考えなんだ。あなたらは、一体いつからキリスト教徒になったのだ。
手汚して、知恵絞って、なんとかかんとか生きてゆく。マネーだけでは、太刀打ちできない問題もある。どこの誰も教えてはくれない。私はつい先日、東京・八王子の大きな祭りで出店を開いた。私が店主だ。ど素人の祭り参加だ。ハプニングだらけだった。でも、それでよかった。
隣の出店のおっちゃん達と仲良くなってだな、「こっちのものを買ってくれたから、今度は俺がむこうの酒を飲もう」だとか、土着日本特有のご近所づきあいが発生するんだぞ。社会societyもくそもあるか。甘ったれんじゃねえ。俺たちは、一度、野生に帰るべきなんだ。社会に壊された人々よ、キリスト教という清潔空間にいる自分を認識したならば、さっさとこっちへ来い。(終)
松村享拝
参考文献
○片岡徹哉著『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』(文藝春秋 1992年)
○小室直樹著『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』(中公文庫 1991年)
○シュテーリッヒ・ハンス・ヨアヒム著 草薙正夫 堤彪 長井和雄 山田潤二 工藤喜作 神川正彦 草薙千雅子 共訳『世界の思想史(下)』(白水社 1978年)
○ジェフリー・ゴーラー著 福井七子訳『日本人の性格構造とプロパガンダ』(ミネルヴァ書房 2011年)
○副島隆彦著『堕ちよ!日本経済 アメリカの軛から脱するために』(祥伝社 2000年)
○SNSI副島国家戦略研究所『悪魔の用語辞典 これだけ知ればあなたも知識人』( kkベストセラーズ 2009年)
○フランク・マニュエル著『サン-シモンの新世界 下』森博訳 恒星社厚生閣 1975年
○ルース・ベネディクト著 福井七子訳『日本人の行動パターン』(日本放送出版協会 1997年)
ウェブサイト
○石井利明筆『【避暑地と権力者】日本の縮図、避暑地・軽井沢』(ウェブサイト『副島隆彦の学問道場・今日のぼやき会員ページ』)
○鴨川光筆『サイエンス=学問体系の全体像』(ウェブサイト副島隆彦の論文教室)