重たい掲示板

書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。
旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください

書き込みの連番がリニューアルによりリセットされております。旧サイトの書き込みの連番は[●●]で表示されております。ご了承ください

清野 眞一 投稿日:2016/03/15 14:05

【1547】[1880]ともにフリー・シンカーたるべく、日々研鑽してゆこう

[1878][1879]と2本立て続けに「学問道場」の主宰者である副島先生が、実に貴重な投稿をしている。

 ここに結集している早期入会の会員として、私は先生に連帯の意見を述べてゆきたい。

 副島先生は、端的に、「学問道場」の会員に期待するものは何かを、以下のように率直に書き記している。

「私、副島隆彦の現地からのコトバに、耳を傾けることをせずに、それまでの、私の本や文章への信頼を、一気に失って、『もう私はこの人の言うことを信じない。学問道場をやめる』として居なくなった。そういう人が1000人も出た。

 私は、このことを今も深く無念に思っている。慙愧(ざんき)の念に堪(た)えない。せめて、『もしかしたら、副島隆彦の言うことが正しいのではないか』と、自分の判断をためらい、保留する、ということをしてくれたら、どんなに有り難いかったか。

 普通とは違うことを言う、この人の意見に耳を傾けてみよう、という態度こそは、本当に優れた人間が取る行動だ。今も会員でいる人たちには、その人間としての余裕がある。この一点が、人間として素晴らしいことなのだ。

 私は、困った時、悩んでいるときに、そういう『ひとまず判断を保留して、戸惑いながらも、もう一度、自分の頭を整理して、考え直してみる』という、生き方の態度を身に着けられる人を尊敬している。そういう人間を育てることを、この学問道場の教育方針の一番大事なところに置いている。

『いや、待てよ』と、世の中の大半の人が、たいして考えもしないで、即座に行ってしまう方向に行かないで、『いや、そうではないのではないか。この人の言っていることは、筋が通っている。真剣に訴えている』と、じっとその場で、立ち止まって、ひとりで考えることだ。それが真に賢明な人間のすることだ。

 そういう人間たちを育てるために、私は、この学問道場を16年間やってきた」

 会員に求められる資質はこれである。

 道場を退会した者たちは、まず自らの信念とは何かについて真剣に考えなければならない。そして考えを深めていく過程において、己のとんでもない浅薄さと軽信とを本当に恥じる必要がある。そうしてこそ今後の人生がある。

 学問道場の会員の論文集に『悪魔の用語辞典』シリーズがある。この名前の元になったのは、ご存じピアスの『悪魔の辞典』である。

 その中の信仰(Faith)の項目には、「類例のない物事について、知りもしないくせに語る者の言うことを、証拠がないにもかかわらず正しいと信ずること」とある。

 放射能の危険については、すぐれた古典がある。講談社のブルーバックス『人は放射能になぜ弱いか』がそれだ。この本の初版は約30年前なので、ポット出の本ではない。まずはこの本を読んでみようではないか。

 この本は、初版が1985年11月、改訂新版が1991年2月、第三版が1998年8月が出版されている。

 そして福1事故後の第三版第六刷(2011.3)にあたっては、「東日本大震災による原発事故にともなう放射線被ばくリスクに国内が大揺れしています。今回の被ばくは生命に危険を与えることは全くありません。本書はその科学的根本をしたためています」とある。

 この本の第三版は、放射能リスクのしきい値を認め「放射線を少しあびた場合、被ばくによる傷が身体から完全に排除される。この素晴らしい防衛機構に関する最新の研究を紹介する」ために、改訂新版の発行からわずか7年後に出版されたのである。

 だからまず「専門家」とは、実際には何の専門家なのかを真剣に問わなければならないのだ。だからここはまず副島先生の見解に学ぶべきなのである。

 そして会員の論文集『放射能のタブー』に真剣に取り組む必要がある。それでこそフリー・シンカーである。

 よく言われる事ではあるが、信念とは一度でも疑った事がないもの言うのではなく、何度疑ったとしても、必ず自分がそこに帰って行く立場を言うのである。

「学問道場」の会員たる者、今後とも世の全てを疑い尽くして行こうではないか。

 さて最初の投稿である「聖徳太子=タルドゥ説」は、衝撃的だ。私も谷沢榮一氏の『聖徳太子はいなかった』本を書評して、大山一派と谷沢氏の過去を暴いたことがある。

 私は更に自分の聖徳太子論を極めたいと考えて、文明史論家新井信介氏の種本と睨んだ小林惠子氏の総ページ478の『興亡古代史 東アジアの覇権争奪1000年』を読んでみた。そして小林氏のその気宇壮大さと荒唐無稽ぶりとに驚かされた。

 しかし私は今迄岡田英弘先生の流れで研究してきたのでその節に非常に困惑したが、小林氏も既に20余冊の著述がある事も知っていたから、単なる飛んでも本と安易に決めつける事なく、その著作をほとんど買い求めて、現在研究を進めているところである。

 副島先生が小林惠子氏の本を読んで新たな視野を切り開きつつある事で、私の研究にも先生から新たな指針が出来るかと考えて、大いに喜んでいるところである。

 会員の皆様、ともにフリー・シンカーたるべく、日々研鑽してゆこうではありませんか。

副島隆彦 投稿日:2016/03/14 09:47

【1546】[1879]福島原発事故 から 丁度5年が経ちました。感慨深いです。

副島隆彦です。 今日は、2016年3月14日です。

 「3.11」の大地震、大津波 、そして福島の原発事故 から5年がたった。 私は、以下の新聞記事を載せようと考えていた。「 福島県民に (原発事故を原因とする)健康影響は確認されず」という記事だ。 

 私は、きわめて不愉快のまま、この3月11日を越した。 あれだけ私たちの学問道場が、原発事故のあと、福島の現地に入って事故原発のすぐそばで活動して放射線量を測定して、真実の報告をした。

 それなのに「放射能がコワい、コワい」の大合唱が起きて、愚かなる恐怖心で自分自身が圧倒され、権力者に扇動されて、そのあとも長く、おのれの知能の低さ、と 臆病者の 大衆の独特の反応を示して、私たちの「現地からの報告」に悪罵(あくば)と中傷(ちゅうしょう)と、嘲笑を投げた。

 私は、この者たちに対して今も奥深いところから怒っている。どうして、あれほど、私たちが真実を現地から伝えて、説得したのに、それを受け入れようとしない者たちが、あれほどにたくさん出たのか。

 以下の記事は、5年たった今、誰一人として、福島の人間たちは、原発から漏れた、ごく微量の放射能によって、発病していないと報告している。

(転載貼り付け始め) 

●「 震災から5年 「県民健康調査」 健康影響は確認されず WBC受診 28万人超」

2016年3月1日 福島民報

http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/03/post_13359.html
 
県は体内に取り込まれた放射性物質の量を調べるため、ホール・ボディー・カウ ンター(WBC)を活用し内部被ばく検査を実施している。車載の WBC8台 を所有し、学校や公共施設などを巡って検査している。

 県が実施した平成23年6月から昨年末までの検査結果は【表】の通り。これまで28万848人が受診した。成人で今後50年、子どもで70歳までの内部被ばく累積線量を示す預託実効線量が1ミリシーベルトを超えたのは全体の0・009%に当たる 26人。 99・99%に当たる28万822人が一ミリシーベルト未満だった。

県は「全員、健康に影響が及ぶ数値ではない」とみている。

県内では、県のWBCのほか、平田村のひらた中央病院や福島市の県労働保健センターなど約30施設でWBCを導入している。ひらた中央病院 は、乳幼 児の検査ができるWBC「ベビースキャン」も配備している。
 
ひらた中央病院 乳幼児専用機器を導入 2396人検査、広がる安心感

 平田村の公益財団法人震災復興支援放射能対策研究所は、東京電力福島第一 原発事故後の平成23年からホールボディーカウンター(WBC)による内部被ばく検査をひらた中央病院で続けている。延べ約5万人を検査した。

 乳幼児の 検査ができるWBC「ベビースキャン」も備え、小さな子どもを 持つ親の不安解消に努めている。研究所によると、検査の結果からこれまでに放射線の影響は見られないという。ベビースキャンは25年に導入した。体の小さな乳幼児の状態をより精密に 測定するためで、乳児から身長135センチまでの子どもが対象。導入 時から1月末現在で延べ2396人を検査した。

 対象者は子ども専用の検査衣に着替え、ベビースキャンの中に入る。4分ほどで測定が終わる。検査を受ける人は、ほとんどが甲状腺検査とセット にして受けている。エコー機器で甲状腺の状態を調べ、尿を採取する。小学生以上は採血もする。

一週間程度で結果が出て、再び来院してもらい医師が直接、伝えている。医師が丁寧に説明することで子どもや親に安心してもらえるという。内部被ばく検査は18歳以下を無料としている。研究所はこれまで検査の結果を基に放射線の影響を調べる研究を続けており、定期的に結果を公表 してきた。
 
佐川文彦理事長(56)は「県民や子どもたちに安心感を持ってもらうためにも検査を続けたい」と話す。
 
■昨年12月の県民世論調査 46.8%、前回比0.3ポイント減 「生活で放射線を意識」減少傾向

 福島民報社と福島テレビが震災と原発事故後から共同で実施している県民世論調査では、「普段の生活で放射線を意識しているか」との質問を設け ている。昨年12月に実施した第12回調査で「意識している」と回答したのは全体の46・8%。前回(11回)調査の47・1%に比べ0・3ポイ ント減った。

過去の調査で「意識している」、「意識していない」と回答した人の割合は【グラフ】の通り。「意識している」は平成24年4月の第一回から第9回まで60%台、 50%台と徐々に減少してきた。昨年6月の第10回以降は40%台で推移 してる。

 一方、「意識していない」は第一回から第8回までは20%台で推移。第9回で30%台となり、第12回では44・4%となった。
 
■24年から回復傾向 県内の合計特殊出生率
 合計特殊出生率は原発事故などの影響で事故後、マイナス傾向にあったが、平成24年以降、回復傾向にある。26年は事故前の水準を超える1・ 58で、東日本で最も高かった。

 20年以降の本県と全国の合計特殊出生率の推移は【グラフ】の通り。事故前の22年は1・52だったが、23年が1・48、24年は1・41まで下がった。一方で25年は1・53まで回復。上昇幅は25年から 2年連続で全国最大となった。
 
■2年連続で増加 県内の里帰り出産件数
里帰り出産件数は原発事故発生後、減少傾向にあったが、平成24年以降、回復傾向にある。県産婦人科医会の調査で継続回答している25医療機関で扱った里帰り出産件数の推移は【グラフ】の通り。

 平成22年は2290件だったが、事故後の23年は1476件、24年は 1246件にとどまった。一方、25年は1659件、26年は1704件と2年連続で増加に転じた。
 
■東大大学院理学系研究科教授 早野龍五氏に聞く 結果認識に差異ケア大切
原発事故を受け、県内では県民健康調査や子どもの甲状腺検査が行われている。放射線の健康影響を調べている東大大学院理学系研究科の早野龍五 教授(64)に聞いた。
 
- 外部被ばく線量を推計する県民健康調査の問題点は。

 「回答率が低いことが課題になっているが、原発事故から5年近くが経過し、今の段階では当時どのように行動をしたかを答えることは難しいと思 う。携帯電話の衛星利用測位システム(GPS)のデータが活用できれば個人の行動 を追い掛けるには有効だ」
 
- 甲状腺検査の結果についてどう考えるか。
 
 「検査はまだ二巡目の本格検査の途中であり、結果について放射性物質の影 響だと確定的に言う段階ではない。もし、原発事故との因果関係を問う なら、甲状腺がんと疑われる人が受けた線量を把握することが大切になる。検査を始めた以上は甲状腺がんと診断された子どものケアは重要だ。家族に 丁寧に説明し、経済的に不利にならないようにする必要がある」
 
-県内各地で内部被ばく検査などを行ってきた。
 
「平田村のひらた中央病院など県内3病院で内部被ばく検査を受けた乳幼児ら全員から放射性セシウムは検出されていない。県内では、計測して放 射性物質が検出されないことと、人々が結果に納得するということのギャップをどのように埋めるかが大きな課題になっている。私は科学者の活動とし てデータを取り分析して発表してきたが、それだけでは人の心に届かないと感じたことが数多くあった。人々が検査結果に納得し、本来の生活を取り戻 す方向にいけば役に立つと思うが、必ずしも全てがそうなるとはいえないので難しい」
 
-国や県はどのような役割を果たす必要があるか。
 
 「放射線への不安を抱える住民を支援する相談員制度は、ギャップを埋めるために重要な取り組みだ。自治体は、相談員として住民の間に入ってい る保健師らを支え、地元のニーズに応えていくことが必要だ。私のような科学者は相談員が困ったときに後ろから助言できるような立ち位置にいたい」
 
-福島高スーパーサイエンス部の生徒の研究などに協力している。
 
「福島の将来を考えると、県内の若者が自信を持って自分が置かれた状況を 説明できることが大切になると思う。私から教えるのではなく、何かを 知りたいという生徒の自発的な思いを応援していきたい」
 
はやの・りゅうご 岐阜県出身。東京大大学院理学系研究科修了。同大理学部物理学科准教授を経て、平成9年から同大学院理学系研究科教授。専 門は原子物理学。コピーライターの糸井重里氏とともに、対談形式で放射能の知識を伝える「知ろうとすること。」(新潮文庫)を出版した。64歳。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 このように 福島県が資金を出している医者たちの調査で、事故の放射能の影響での発病者は誰もいない、と報告が出ている。甲状腺肥大の人もいない。

 5年たって、これだ。 5年前にも、4年前にも、 「福島では、10万人が甲状腺がんで死ぬ」とか言いふらし続けた者たちがいる。 今は、口を拭(ぬぐ)って何も言わないのか。あるいは、「いや、10年後になってみないと分からない。安全だ、という人間たちは犯罪的だ」と、反論するのか。

 どっちが福島の人間たちに対して、犯罪的か。「福島の人たちから、多くの甲状腺がんの発病者が出る。福島に近寄ってはいけない」と、実名で書いた者たちを、私たちは、記憶していなければいけない。 民衆の側が犯した、この大きな誤謬(ごびゅう)と迷妄(めいもう)を、簡単に忘れ去ってはいけない。

 私、副島隆彦が今も不愉快なのは、あの 3.11のあとの福島原発の事故に対して、私たちの学問道場が現地で活動して、「もう安全です。誰も死にません。発病しません」と、翌月の4月に報告したことで、 「もう、副島隆彦の言うことは信じない」と、恐怖心を露(あら)わにして、学問道場の会員を止(や)めた人が、1000人ぐらい出たことだ。

 広い世の中の、他の人たちのことは、どうにもならないことだから、私は何も言わない。だが、私たちの学問道場の会員であって、私たちの現場からの決死の覚悟の報告を、文章や写真や、動画で、自分で、毎日、見て読んでいた者たちの中から、「放射能コワい、コワい」の愚か者たちが大勢出た。このことが私は残念でならない。

 私、副島隆彦の現地からのコトバに、耳を傾けることをせずに、それまでの、私の本や文章への信頼を、一気に失って、「もう私はこの人の言うことを信じない。学問道場をやめる」として居なくなった。そういう人が1000人も出た。

 私は、このことを今も深く無念に思っている。慙愧(ざんき)の念に堪(た)えない。せめて、「もしかしたら、副島隆彦の言うことが正しいのではないか」と、自分の判断をためらい、保留する、ということをしてくれたら、どんなに有り難いかったか。

 普通とは違うことを言う、この人の意見に耳を傾けてみよう、という態度こそは、本当に優れた人間が取る行動だ。今も会員でいる人たちには、その人間としての余裕がある。この一点が、人間として素晴らしいことなのだ。
 私は、困った時、悩んでいるときに、そういう 「ひとまず判断を保留して、戸惑いながらも、もう一度、自分の頭を整理して、考え直してみる」という、生き方の態度を身に着けられる人を尊敬している。そういう人間を育てることを、この学問道場の 教育方針の一番大事なところに置いている。

 「いや、待てよ」と、世の中の大半の人が、たいして考えもしないで、即座に行ってしまう方向に行かないで、「いや、そうではないのではないか。この人の言っていることは、筋が通っている。真剣に訴えている」 と、じっとその場で、立ち止まって、ひとりで考えることだ。それが真に賢明な人間のすることだ。 そういう人間たちを育てるために、私は、この学問道場を16年間やってきた。 そして、そのために今もここに多くの優れた人々が集まっている。

 ですから、5年前の原発事故のあとの私たちの活動をきっかけとして、会員をやめた人で、自分の今の考えを、正直に表明できる人は、この 重たい掲示板に、書いてほしい。そして出来れば会員として戻ってきてほしい。 愚か者になる為に、私たちはここに集まっているのではありません。 

 チョロチョロした金融情報を知りたい、というだけの、ネズミのような人間たちのために、この私たちの学問道場があるのではない。

 そうではなくて、「いや、そうではないのではないか。真実は逆なのでは。もしかしたら、この少数者の意見の方が正しいのではないか」と、自分の考えを深くする者たちがひとりでも増えるようにと、私たちは集まっているのだ。 私たちには、自分勝手な思い込みや、付和雷同や、「長いものには巻かれろ」や、「仕方がないんだよ。世の中はそんなものだよ」 の、背骨が折れた人間たちの生き方を拒絶する だけの強さを持っている。

 実は、「3・11」(3月11日)に、原発事故と放射能漏れが有ったのではない。その3日後の 今日3月14日に有ったのだ。 こういうことも大方の人は忘れている。

 福島第一原発の1号機の爆発事故が起きたのは、大津波(午後2時半)を被(かぶ)った翌日の、3月12日午後3時36分だ。この事故のことは、政府とか権力者たちしか知らない。菅直人首相が現地上空にヘリコプターで行った。 

 私たち国民が大きな異変に気づいたのは、その翌日(13日)には何もなくて、その次の14日の午前11時01分 だ。 つまり5年前の今日だ。このときに、あの3号機の事故が起きて、小さなきのこ雲が原発の真上に上がった。あのとき、広島・長崎の原爆のきのこ雲とそっくりだ、とすべての人が感じて、青ざめた。 この映像は世界中に流された。繰り返し繰り返し流された。

 それで、「放射能コワい、コワい」の恐怖心に自分の脳をやられた人間たちが、大挙して出現した。頭の悪い人間たちは、6月になってから、急に「きゃー。こわーい」と騒ぎ出した。 ある事柄(ことがら)を、脳が受容するのには個人差があって、時間がかかるのである。 もっとすごい人間になると、1年たってから「キャーキャー」と騒ぎ出した。特に女たちが、( 「私たちは、子供を産んで、子宮で考えているのよ」という思慮の足りない、典型的な女たち )がいた。 私は、これらの国民行動の証拠のすべてを、自分の手に入る限り資料として、溜めて持っている。

 以下に、ここの「今日の ぼやき 」の 当時の、原発事故の直後に、私たちが、現地から報告した文章 9本を載せます。 今からでも 読み直してください。

 (転載貼り付け始め)

 今日のぼやき 「1218」番  私たちの「福島復興活動本部」ができまして、事務所開きのお知らせです。皆さん、いらしてください。それと、副島隆彦先生の最新の 「原発 報告文 16」を後ろに載せます。 2011.5.16 

「1216」番 【動画】副島隆彦からの緊急提言(全編版。文字起しテキスト付き)。動物たちの殺処分だけでなく、福島の住民たちに対する、恐るべき政治的殺処分が行われようとしている。2011.5.8

「1215」番 【動画】副島隆彦からの緊急提言。動物たちの殺処分だけでなく、福島の住民たちに対する、恐るべき政治的殺処分が行われようとしている。東電原発事故の責任者たちを追求せよ。2011.5.1

2011年04月分
 「1214」番 【動画】4月12日の福島県調査・取材時の動画を記録として載せます。2011年4月30日

「1210」番 【写真を追加】 副島・中田・古村で12日に福島県内の浜通り、中通りの各地を取材してきました。その時に収録した、副島隆彦先生の現時点での状況評価と提言を動画でお伝えします。あと、現地の写真を貼り付けます。2011年4月13日

「1209」番 【動画】 2011年3月28日・29日、福島第一原発に最大限近づいて観測した際に撮影した動画を載せます。2011.4.12

「1207」番 原発の避難者の皆さん、子供もつれて自分の家に帰りましょう。もう、大丈夫です。安心してください。と、私は、言い続けるしかない(報告文 10)。 副島隆彦 2011.4.1

2011年03月分
 今日のぼやき 「1204」番 明日からまた弟子たちと福島に行きます。原発の放射能の測定を続けます。四ツ倉海岸に活動拠点を作ります(報告文 9)。 2011.3.27 副島隆彦

「1202」番  強運により、原発事故の凶悪事(強度の放射能汚染)から日本国民全体が、逃れることができました。 2011.3.20

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 よしなお君。 上記の 9本については、会員以外の人にも読めるように、規制を解除してくれませんか。

 人間は、大いにためらった後に、よくよく考えたあと、自分の考えを変える、ということをしていい。そうするべきだ。それが人間の成長だ。その場合は、正直に、「以前とは違って、今は、自分はこのように考えている」と周囲に堂々と言うべきだ。そういう人間になるべきだ。 そのためにこそ、私たちの学問道場はあります。

副島隆彦拝

副島隆彦 投稿日:2016/03/13 14:28

【1545】[1878]難民(なんみん)問題としての世界の古代史。『古代倭王(わおう)の正体』を読んだ。

副島隆彦です。  今日は、2016年3月13日です。

 今の世界の中心の問題は、中東、アフガニスタン、北アフリカからヨーロッパ諸国への難民(なんみん、レフュジー refugees )問題だ。 難民と言う、移動する民衆の問題が世界の中心だ。

 このことは、北アメリカの メキシコ国境から、アメリカ合衆国へ流入してくる移民、季節労働者、経済難民(けいざいなんみん。エコノミック・マイグラント economic migrants)、出稼ぎ労働者 の問題と同じだ。   共和党のドナルド・トランプ候補は、演説の中で、「メキシコ国境に高い塀(ビッグ・ウォール)を作る費用を出すのは誰ですか」 「そうです。メキシコ政府です」 という大唱和(だいしょうわ)を聴衆、支持者たちとやっている。

 トランプの運動は、今や、荒れ狂うアメリカ民衆の運動だ。大不況の中でのたうち回るアメリカの下層、中層の白人たちが激しく怒っている。まさしくポピュリズム(民衆反乱)の吹き上げる熱気となっている。このことにアメリカの権力者や支配層が、血相を変え始めた。トランプを上から押さえ込みに入った。トランプは、まだ、取り引きに応じていない。ここで折れたら自分の名折れだ。

 私は、日本の右翼あるいは保守的な人々が、「日本にも、中国や朝鮮半島で動乱が起きて、難民が何十万人も押し寄せて来なければいいが」と、心配している事実を重視する。

 沖縄をこれ以上、安倍政権と右翼的な人々 が、差別して虐(いじ)めると、沖縄で独立論が起きる。と ヒドく心配した、安倍政権は、態度を変えて懐柔策(かいじゅうさく)に出たようだ。佐藤優(さとうまさる)氏が、鋭く、このことを 毎日新聞に書いたそうだ。 今の沖縄県の翁長(おなが)知事の 副知事が、自民党(東京政府)との連絡係だ。両者は深く話し込んでいる。

 辺野古崎への米海兵隊のヘリポート用の滑走路付きの移転計画を日本政府が、「アメリカとの約束だ」としてこれ以上、強行すると沖縄に異変が起きると、察知したようである。

 沖縄を見下して、「あいつらは態度が大きい。、それでも独立論と称して、中国に取られたらかなわない。このまま、緩衝地帯(かんしょうちたい、バッファー)でいてもらわないと日本が困る」
「この点では、韓国、北朝鮮が、日本にとっての中国との、緩衝地帯として今のまま残ってくれた方がいい」と、 恐ろしいまでの現実主義(リアリズム)で考える。この 日本の為政者 や、支配層の人々の考えを、私たち普通の日本人も、真剣に考えたほうがいい。 

 それで、私は、来週から発売の、『日本が中国の属国にさせられる日』(ベストセラーズ刊)を書いた。 帯に、「 共産主義の何が悪(あく)であり、どこをどのように間違ったのか」 と書いた。共産主義に反対し、その撲滅(ぼくめつ)のために命がけになる 日本の反共(はんきょう)右翼たちに対する、私からの語りかけだ。

それらは、現代の難民問題につながるのである。北朝鮮からの核兵器の脅威というものも同類だ。

 民族(ネイションズ、あるいは、人種。レイス)の移動 の 時代に、世界が入った。動乱の時代の始まりだろう。 それに対して、島国=島嶼(とうしょ)国の 我々、日本人は、世界から吹いてくる大きな嵐を避けようとして、いよいよこの島国に立て籠もろうとしている。そのために、結婚しない、子供も作らない、人口を増やさない、独身者のまま生きる、という目に見えない悲しい運動を、国民運動として、やっている。

 人間が、我儘(わがまま)になり尽くして、もう、親、兄弟、親戚 友人とさえ、話が合わない、という人が増えて、ひとり暮らしのまま生きて、そして死んでゆく、というライフ・スタイルになりつつある。私も、海を見下ろす崖の上の家にひとりいて、太陽信仰で朝日を拝みながら(出たばかりの初めの5分間の太陽は、黄色と赤色で美しい。そのあとはただの太陽、お日様だ)生きている。

 そして、誰かが、私が死んでいるのを見つけてくれて、それを片付けてくれる人が、たった一人だけいてくれればそれでいい。医師の死亡診断書に間に合わなければ(医師の目の前に死なないといけない)、死体検視書かを作ってもらって、焼き場に持って行って焼いて、死亡届を出してくれる家族がいてくれればいい。 血縁者たちに看取られながら死ぬ、という生き方を、おそらく今の多くの日本人は、それから欧米先進国の人間たちは、もう望まなくなっている。どんな人にとっても死は静かにたった一人でやってくるものなのだ。

 私は、この3日間、一冊の本を、ずっと読み続けた。 それは大きくはこの難民問題に関わるからだ。

『古代倭王(こだいわおう)の正体』(祥伝社新書、2016年2月刊)という本で、著者は、小林恵(やす)子 氏だ。 小林氏は、1936年生まれで、岡山大学の東洋史を出た女性で、現在、 80歳になるおばあちゃんだ。

この「古代倭王の正体」 という古代史の本をずっと、私は没頭して読んでいた。小さくメモを取りながら、地図帳(日本と世界の両方)と 歴史年表(日本史と世界史の両方)で事実と年号と場所 を いちいち確認しながら読んだ。

 古代の倭王(わおう)というのは、倭国(わこく。西暦668年に、「日本」 と自分で名乗る前のこの国のこと。天智(てんち)天皇の時の近江令=おうみりょう=で出現した )の王たちのことだ。倭の国王(こくおう)たちの歴代の歴史のことだ。

 私の本で説明した「天皇(てんこう)とは、北極星(ほっきょくせい)のことである」という説を書いてきた斎川眞(さいかわまこと)氏と私の共著は、今年中に出したい。

 私は、この小林本が、一番、おしまいの方で書いている、日本(倭)に、西暦600年に、タクラマカン砂漠の方から、渡って来た、西突厥(にしとっけつ)の達頭(タルドウ)可汗(カガン。ハーン)が聖徳太子(しょうとくたいし)である、というあまりの 大きな話に、卒倒しそうになった。

 私、副島隆彦は、「聖徳太子 は 蘇我入鹿(そがのいるか)である」の 関裕二(せきゆうじ)説に、それが登場した32年前(1984年)から注目した。そして、同時に、岡田秀英弘(おかだひでひろ)東京外語大学名誉教授(存命)の 「華僑(かきょう、オーヴァーシーズ・チャイニーズ)たちが、古代日本を作った」説を信じて、自分の日本古代史の本も書いてきた。

 今では、欽明(きんめい、第29代天皇。在位539-571年)は、蘇我稲目(そがのいなめ)その人であり、次の敏達(びだつ、第30代 )と、用明(ようめい、第31代)天皇は、蘇我馬子(そがのうまこ)であろう、ということは、日本史学者たちが、呻き(うめ)声を上げながらでも認めなければ済まなくなっている 日本史(古代史)学界の 事実である。 

 「 えーい。もうどうなってもいい。史実などどうでもいい。厩戸王(うまやどのおう)がいたということにする。この厩戸皇子(うまやどのみこ)を、 聖徳(しょうとく)ということにしてしまえ。そうしないと、 『聖徳太子はいなかった』論争で、乱れに乱れた日本古代史は、大変なことになる 」 と、この10年で、苦し紛れに、歴史の大改竄(かいざん)をやっている。居直り尽くした日本文部科学省と、盲目的な天皇崇拝の体制護持派 が、困ってしまった。「聖徳太子はいなかった」の騒動を、無理やりでも鎮圧したのだ。

 私、副島隆彦は、この事態に追撃の手を緩めない。 私の『闇に葬られた歴史』(2013年11月刊、PHP 研究所 )を読んでください。 聖徳太子はいなかった論を、私たち、学問道場の13年前の議論からさえ「も」泥棒して一大議論を作った、大山誠一(おおやませいいち)一派が、卑屈なる日本史学者の伝統で、吉川弘文堂(よしかわこうぶんどう)という、権威的な日本史出版社からの、脅しも有って、「聖徳太子はいなかった、では、日本の国の国体(こくたい、こっかたいせい)が、揺らぐから、もうこの辺で、議論をやめて、厩戸王という( バカな、何の存在根拠もない)人がいた、ということで、収めましょう」 ということになったのだ。  

 私、副島隆彦は、それらのおかしな取り決めを一切、認めない。これからも、お前たちの 学問犯罪の所業を、追撃し続ける。

 蘇我氏が、西暦530年ぐらいから640年ぐらいまで、大王(だいおう、オオキミ)を名乗り、山門(やまと)や、御門(みかど、ミカド)と呼ばれる建物(邸宅、朝廷 そのもの)に住んでいた。近くに甘樫(あまかし)の丘というお城( 武器庫、と今は言われる)が今の奈良県明日香村あった。蘇我氏の一族の大きな住居 でかつ迎賓館が、斑鳩(いかるが)寺=法隆寺 である。  

 飛鳥寺(あすかでら)という古い、40年前ははぼろぼろだった寺の敷地の隅(すみ)に、入鹿大王(いるかだいおう)=聖徳 の 首塚(くびづか)がある。これは本物だ。重要人物殺された、その地にある首塚は簡単には移せない。怨霊(おんりょう)がそこに有るからだ。

  私は、自分が、17歳のとき(高校2年、このあと高校を中退、放校とも言うの1970年に、この当時まだボロボロだった飛鳥寺を見に行った。和辻哲郎(わつじてつろう)の 「大和古寺巡礼」という本を持って。 飛鳥寺の鬱蒼(うっそう)とした、古い仏像を見て「これには妖気が漂っている」と感じた。

 今度、私は、小林恵(やす)子という、80歳のおばあちゃん学者の「もう白内障で目が見えないから、本を読めない」と「あとがき」のある本、『 古代倭王の正体  海を越えて来た覇者たちの興亡 』 「卑弥呼、神武、ヤマトタケル、応神、雄略、聖徳太子、日本列島生まれは一人もいない ! 」「邪馬台国の所在地、天皇家のルーツが見える。紀元前から6世紀まで、ユーラシアを貫く壮大な古代史」 ・・・・

 この本の気宇壮大(きうそうだい)、荒唐無稽(こうとうむけい) は、私、副島隆彦でも簡単には付いてゆけない。 高句麗(こうくり)王、 と 新羅(しらぎ。辰韓=しんかん=)王 と 百済(くだら)王 と そして、倭王(初期天皇)たちが、入れ替わったり、同一人物だったり、一時、日本にいて、それからまた高句麗や百済に戻って王になった、と。

 日本(福井県、若狭あるいは、丹波=多婆邦(タバナ)王国 生まれの 脱解(だつかい)(紀元前19年生)が、弁韓(べんかん)=金官加羅(きんかんから)国=伽耶(かや)国=日本名は任那(みまな)で、受け入れられず、弁韓=新羅 で育ち、月城=現在の慶州(けいしゅう、キョンジュ)で、新羅王になる(P60)。

 ・・・・・この脱解(だつかい)が、高句麗王(こうくりおう)大武人(だいぶじん)になり、日本(倭、まだ 奴国=なこく= )にやってきて、神武(じんむ)天皇のモデルになった。スサノオノミコト の モデルでもある(P69)。

 「魏志倭人伝(本当は、東夷伝倭人)」の中の、卑弥呼の死(西暦248年。これには異論がない )のあと、皆に支持されなかった男王 がいて、この男が、神武であり、この神武東遷(じんむ・とうせん、東の方への征服の移動 )は、248年で 北九州の博多湾の邪馬台国でまさしく卑弥呼が死んだ年だ、と。

 小林恵子説は、卑弥呼は、中国の江南(今の、上海あたり)の地の巫術(ふじゅつ)師の 「許(きょ)」氏の出で、三国志が始まる 後漢(ごかん)末の大混乱の時、西暦172年に、中国の南から、日本列島に渡り、奄美大島に着いた、とする。 確かに、あそこの島々には、巫女(ふじょ、みこ)の伝統が残っている。

 このあと博多湾の隣の糸島の湾にあった 伊都(イト)国に住み、平原(ひらはら)古墳に242年に埋葬された。この古墳から、日本最大の変形内行花文八葉鏡(へんけい・ないこう・かもんはちよう・きょう)が見つかっている(P85)。 同じものが、伊勢(いせ)神宮の伊勢の瑞龍寺山頂(ずいりゅうじ・さんちょう)古墳からも出ている(P87)、そうだ。

 私、副島隆彦は、これまで、出雲(いずも) と 邪馬台国(私の考えでは、博多湾)と伊勢(いせ)の3者の関係が分からなかった。誰も教えてくれない。はっきりと書かない。なぜ 日本の天皇家にとって、出雲( 出雲大社、大物主=おおものぬし=)と 伊勢(天照大神 アマテラスオオミカミ )が、大事であるのに、それなのにどこか煙たがっている。そして出雲と伊勢は、両者は本当は、どういう関係なのか、誰も分かり易く書かない。 この小林本がそれとなく、それらの関係を書いてくれた。有り難いことだ。

 P82 から書いている、江南の会稽(かいけい、今の杭州)にいた巫術者(ふじゅつしゃ)の許昌(きょしょう)が、西暦172年に、反乱を起こした。後漢帝国が乱れていた。このときに、同族の卑弥呼の一行が日本に難民となってだろう、逃れてきたのだ、と小林説はする。

 私、副島隆彦の説では、西暦184年の、太平道(たいへいどう)の教えを説いて張角(ちょうかく)を指導者とする「黄巾(こうきん)の乱」を起こした人々は、「人類の現世の苦難からの救済(きゅうさい、サルベイション)」を求めた、キリスト教が、中国にまで伝わった人々だ。救済を求める人々の熱気の中から、世界の4大宗教は興った(ただしユダヤ教は救済宗教ではない)。 

 日本にまで伝わった仏教は、救済宗教としてのキリスト教と同じものだ。仏教はキリスト教の変形だ。同じく、中国の 太平道(黄巾の乱)と、同時期の五斗米道(ごとべいどう、張魯=ちょうろ=が指導者)が、中国の道教(どうきょう、タオイズム)の源流となったのだ。この指導者の張角や張魯 は、軍人(暴力団)ではなく、道士=導師であり、キリスト教の宣教師である。 

 そして、日本にまで渡って来た道教が、日本で、神道(しんとう、シントウイズム)に変形したのだ。それらにも、占(うらな)い、呪(まじな)い、祈祷(きとう)による病気治療、悪霊退散(精神病からの快癒)を求める、救済の思想がある。 私、副島隆彦は、ここまでずっと、何冊もの本でこのように書いてきた。

 岡田英弘(おかだひでひろ)先生が、はっきりと30年前に書いていた。卑弥呼(ヒメミコだ)について、「魏志倭人伝」で書いている、「鬼道(きどう、鬼の道)に仕え 民を惑わし・・・」の「鬼道」とは、妖術などのことではなく、当時の中国の五斗米道(ごとべいどう)である、と。これで小林説とほぼ一致する。
 
 そして それを 副島隆彦がさらに拡張して、これらの大きな宗教の発生による、キリスト教の爆発的な世界への広がりは、「 私たち哀れな人間を救けてくれ、援けてくれー」という 血の叫びなのである。

 このあと、西暦220年に後漢が滅んで、その中から、例の 「三国志」の 曹操(そうそう、その子 曹丕 =そうひ=、 魏 を建てる)、劉備玄徳(りゅうびげんとく。蜀を健てる)・諸葛孔明(しょかつこうめい) と、孫堅(そんけん、その子孫権。呉の国)の 三国の戦いとなる。260年代まで。  

 この時の大混乱で、またしても日本にまで、逃げて来た難民が大勢いたはずなのだ。 筏(いかだ)のようなものを組んで、数万人が、流れ着いてきただろう。800キロぐらいの海を渡って来なければいけない。卑弥呼たちの様な、呉の国 (今の上海あたり)から( ここから、呉服=ごふく=が生まれる。呉音という読み方が日本に伝わって保存される。これ以外は、漢音=かんおん=だ ) だけでなく、遠く、揚子江(ようすこう。今の中国人は、長江=ちょうこう=としか言わない) をずっと下って来た、蜀(しょく、四川省)が滅んで、人々もいただろう。

 日本は、大陸の東の 吹き溜まりだから、大陸で政治的な大混乱があると、必ず、難民となって、民族や、人種の生き残りが、日本にまで、流れ着いてくる。朝鮮半島からも来る。

 今の、ヨーロッパへの 中東からの難民の様子は、民族の移動でもある。ホメロスの大叙事詩「オデユッセウス」や「イリアード」も、当時のエーゲ海に小アジア(今のトルコ)からの、動乱があって移動してきた民衆のたどった道とまったく同じだそうだ。

 ヨーロッパからの、「お願いだから、こっちにこれ以上、来ないでくれ。迷惑だ」という表明が、ニューズで毎日、報道されている。 東アジアでも、きっと2000年前から繰り広げられた光景だ。難民たちの、あの、襤褸切(ぼろき)れや、毛布を頭と体に被(かぶ)って、子供の手を引いて、移動してゆく感じは、人類がずっと繰り返しやってきたことだ。 だから、これからも繰り返す。

 小林本は、P118で次のように書いている。
 「 私の推測では、高句麗の王 雛(すう)が滅ぼされて、大物主(おおものぬし)の勢力の残党が、「倭国 の 大乱」時代、瀬戸内海から近畿にかけて戦闘しながら大和に入った乱の中心だったと思う。そして長脛彦(ながすねひこ)勢力は神武勢が大和に入った時、大物主を祀(まつ)る三輪山(みわやま。今の桜井市)の周辺を中心に大和地方に君臨していた。」

 私は、日本国の創業者とされる、神武(じんむ)天皇以来の、すべての古代倭王(わおう)が、西暦600年の 聖徳=蘇我入鹿大王 に至るまで、すべて高句麗王や、新羅王、百済王との二重王、であり、行ったり来たりしていたという 小林恵子説のあまりの遠大な古代史の図式に 圧倒された。

 日本の天皇には、本姓はないということになってるが、本姓は、「休(きゅう)」である(P41)。 「万葉集」で、 「やすみしし」は、天皇にかかる枕詞であるが、これは、「休氏(きゅうし)スメラギ」で「やすみしし天皇」なのである、そうだ。

 大夏(たいか)の休氏が、月氏(げっし)に入って、大月氏(だいげっし)になる。・・・・

壮大な 遊牧民族(ゆうぼくみんぞく)の興亡が、広大なユーラシア大陸の大草原で繰り広げられる。遊牧民族(nomad ノウマド)こそは、古代の世界史を作った人々だ。 私たち日本人は、ずっと島国にいて、農耕民=定住民(あagrarian アグラリアン)の伝統しか持たない(忘れてしまった)ので、なかなか理解できない。

 何百キロも、いや、それこそ 何千キロも移動する、ということは出来るのか?

 1.スキタイ( BC 7世紀からの広大な広がりを持つユーラシア大陸の遊牧民族の始まりの種族。馬を飼いならした )→ 
2.古代シリア → 

3.バクトリア(BC250年ごろから) → 

4.大月氏(だいげっし、BC150年ごろから )→ 

5.匈奴(きょうど。フンヌ、フン族。BC50年ごろから。のちに ヨーロッパに広がる。ヨーロッパで、西暦  300年代に、ゲルマン族の民族大移動を引き起こす原因となった )→ 

6.鮮卑(せんぴ。AD100年代から) → 

7.クシャナ帝国(クシャナ朝、北インドから)→ 

8.エフタル (AD440年から、もとは大月氏の一部の部族だった)→ 

9.突厥 (とっけつ。西暦600年代から 西突厥と東突厥に分裂 ) → 
10.ウイグル(700年代から。トルコ系。契丹=きったん=も。 のちのモンゴル族がこの文化や文字を受け継ぐ ) → 

11.遼(りょう。これもトルコ系。900年代から。 ) 

12.金きん。満州族。1230年代に滅ぶ。 のちに、西暦1600年代から、後金=こうきん=を名乗って、中国に攻め込んで、女真族の大清(シン)帝国 が出来る )

13.モンゴル帝国 (1200年代から、チンギス・ハーンが興す。100年間だけ世界帝国を作った)

 これらのことが、小林本の記述を確認しながら、私の中で、大きくつながった。

 この本には、たった一枚しか地図は付いてない。P152, 153 だ。 私は、これまで、扶余(ふよ)族、という、大きな遊牧民族のことが分からなかった。 扶余(ふよ)が南下したのである。 松花江(しょうかこう)という満州の中心部を大きく流れる大河がある。 

 そのど真ん中に、ハルピン(哈爾濱)をロシアが、1900年ごろに、突貫工事で、作った。私は、松花江を3年前に見に行った。満州帝国と満蒙開拓団の悲劇が有った一体だ。 

  その辺に扶余族はいた。 満州族 である 金(きん)帝国 や、女真の清の帝国を作った者たちは、もっと南の、長春(ちょうしゅん。日本時代は、新京)と、さらに南の瀋陽(しんよう。日本時代は、奉天=ほうてん=)だ。ここでも、冬は零下30度だ。耳覆(みみおお)いがないとすぐに凍傷になる。私はここにも行って体験した。

  私は、その扶余族の西となりに、3世紀(西暦200年代)から、同じ遊牧民族の鮮卑(せんぴ)族が勃興して居たことが、どうしても、実感で分からなかった。それから、沃姐(よくそ)族が、特に北沃姐族が、今のウラジオストクのあたりにいたことが、ようやく分かった。 韃靼(だったん、タタール)人は、小林本には、一言も出てこない。

 それから、邑婁(ゆうそう)族という種族が、もっと北の、ペイロンチー(黒竜江)河や、ウスリー河のあたりにいたこと。それから、新羅(=辰韓)の北にいた、 穢(サンズイ、わい)と狛(はく)という部族国家のことがずっと気になっていた。 靺鞨人(まっかつじん)というのもいた。 

今の韓国人は、「自分たちの祖先は、北の方から移動してきた、モンゴルのような遊牧民族だ。とくに新羅はそうだ」と言う。 それは、これらの扶余族の南下のことだろう。ところが、そのほかに、トルコ(チュルク)人である、大月氏系 もいた。

大月氏の地(中央アジアの、今のタシケントやサマルカンドのあたり)は、日本から5000キロの先である。

 遠く、中央アジアの 大月氏(だいげっし)の部族が、日本にまで、やってきていた。しかも、日本で大王(オオキミ、天皇)にまでなっていたこと。それらの、興亡の激しさに、私でも小林本の記述のすべてには、とてもつても付いてゆけない。それでも、この気宇壮大になんとか、喰らいついてゆく。  

 それから、「欠史八代(けっしはちだい)」と日本古代史で言われる、神武天皇から、あとの2代目綏靖(すいぜい)、3代目 安寧(あんねい)、4代目 懿徳(いとく)、5代目 孝昭(こうしょう)、6代目 孝安(こうあん)、7代目 考霊(こうれい)、8代目 孝元8こうげん)、9代目 開化(かいか)天皇 のことと、動きを、逐一、初めてその概略を知った。

 そのあとに、10代 崇神(すじん、西暦300年前後。大月氏大夏系の葛城=かつらぎ=氏系の、出雲系・大物主=おおものぬし=の勢力 を打倒して、大和に入って三輪山を根拠地にした。) 、11代 垂仁(すいにん。西暦315年に 纏向=まきむく= 今の、奈良県桜井市 に都を作った) 、12代 景行(けいこう。ヤマトヤケル=大和武尊=のモデル。扶余=ふよ=あるいは鮮卑=せんぴ=族の慕容=ぼよう=氏の一族である。 慕容コウ その人 ) ・・・・ 大月氏 である 古い先住者である出雲の大物主 や葛城(かつらぎ)氏 の 勢力が、 山門(=大和)からも 駆逐されてゆく。・・・

 なんともはや、壮大な、ユーラシア大陸をまたがる、さらに中央アジア史の一部としての さらに東アジア史の一部としての 日本 (倭国)に全てがつながっている話だ。

 昨年末に、私は、「これで、副島隆彦の日本古代史 は、完成した」 と思って本を書く準備をしていたのに。 「 東アジア史の一部としての、日本の、 西暦200年代(卑弥呼=ヒメミコ=の邪馬台国)、300年代、400年代、500年代、600年代が、これで大きく分かった。これでいい 」 と、すべて描きつくそうと思った。

 それは、「次々に、中国の歴代王朝の交替の大混乱 (戦乱)によって、朝鮮半島と 満州あたりだけでなく、 日本にまでも大きな、津波のように、難民となって、次々と、押し寄せてくる人々の群れ 」の話として、私はずっと書こうとしていた。 

 次々にやってくる難民たちは、筏(いかだ)に、馬、豚や、羊(日本では山羊、ヤギ)や、牛を載せて、北九州から、瀬戸内海を通って、順番に、ぞろぞろと数千人の群れとなって、「東へ、東へ」と移動していった。「あっちの方が空いているから、あっちにいってくれ」と 先住者たちに言われながら。

日本では、、馬、牛を去勢していないから、だから、江上浪夫(えがみなみお)の騎馬民族(きばみんぞく)征服王朝説は成り立たない」と、1990年代に、葬り去った、終生、悪質な学者であった、梅原猛(うめはらたけし)たちの 勢力は、今や、駆逐されつつある。

 遊牧民族(騎馬民族というのは、どうかなあ)は、何千頭も、何万頭も、家畜( livestock ライブストック,
生きている 財産、食べ物)を引き連れて、ぞろぞろと どこまでに、草原を移動してゆく。家畜は、殺したら、すぐに食べないと、10時間で腐って行く。 しかし、生きている動物は、腐らない。 生きた羊と、牛と、豚と、馬と、ヤギを連れている限り、そしてその餌(えさ)となる草原の草がある限り、どこまででも移動して行ける。

遊牧民は、家畜さえいれば、生きて行ける。肉とミルク、あとは、家畜の皮から作ったパオ、ゲルの住居と、焚き火用の材木だ。 私は、5年前に、カザフスタンのあと、モンゴルに行った。 モンゴルの首都ウランバトール
から、200キロと地の観光客用の ゲル(中国名はパオ)に 5日いた。 遠くの、30キロぐらい先を、次から、次に、羊や、馬の群れが、水飲み場に来て、それから、はっと気づいたら、もう 20キロぐらい先に、行っている光景を見た。  生きている食糧である家畜を連れていれば、遊牧民はどこまでも移動できる。

 考えてみれば、西暦375年に、ヨーロッパ北部で、フン族(匈奴、やがてアッチラ大王が出てくる。ハンガリー人は、今でもアッチラという名前を子供に付ける )が、背後から圧迫したので、ゴート族というゲルマン民族のひとつが、一斉に 数十万人がドナウ川(ダニューブ川)を渡りだした。ローマ帝国の兵士たちがそれを押しとどめることが出来なかった。 

 この時からが、ゲルマン民族の大移動だ。それから、このゲルマンの遊牧民たちの多くの部族が、100年間ぐらいの間に、ヨーロッパ中を、そして北アフリカ( ヴァンンダル族、バーバリアン)にまで移動していった。 あの感じと同じことが、東アジアでも起きたのだ、いや、きっと起きたはずだ、と 考えなければ、真の世界史の理解にならない。

 日本に押し寄せた難民たちは、うまく話が付かないで先住民との戦乱もあったろう。 そうやって、いつ、山門(やまと、大和。今の奈良盆地)にまで、入っていったか。それを、初期天皇たちの動きとして、逐一、私は、叙述しようと思った。

 それが、この小林本によって、打ち壊された。この小林本のスケイル(もの差し)の大きさの前に、私の「日本古代史の全体像」は、この3日間で、吹き飛ばされてしまった。
 
 中央アジアの日本から5千キロ先の、大月氏(だいげっし)や突厥(とっけつ)などの遊牧民族が、はるばる日本にまでやってきて、そして、歴代国王にまで、何人も何人も、次々と何人もなっている、話を、これでもか、これでもか、と書かれると、普通の日本人は、頭が割れるか、眩暈(めまい)がするだろう。

 「もう、やめてください。私の頭には入りません。そんな、大月氏とか、鮮卑(せんぴ)族、とか、エフタルとか、扶余(ふよ)族とか、日本にやってきて国王になった、なんて、やめてください。匈奴(きょうど)ぐらいなら習って知っているけど。それ以上は、頭に入りません」と なる。  

 私、副島隆彦は、そういうわけにはゆかない。私は、5年前に、カザフスタンに行った。アルマトウ(ここが、新しい世界銀行の地になるだろう)に行った。首都のアスタナにも行った。ここから天山(てんさん、テンシャン)山脈を南に見て、その向こうのキルギスまでが見えた。 

 その向こうは、フェルガナ盆地(大宛国、だいえんこく)を一部にしているウズベキスタン(ここが、中央アジア5か国の、本当は中心の国。しかし、政情不安で栄えていない)だ。 ここらに大月氏国 があったのだ。

 それから、7年ぐらい前に、私は新疆ウイグル自治区 のウルムチや、敦煌(とんこう)、トルファン盆地、ハミに行った。 コルラ、クチャ(庫車)には行けなかったが、天山山脈そのもののあたりを車で走った。

 この小林本の P42に、「中央アジアに残った大月氏は大体シルクロード上のオアシス都市クチャ(かつての亀茲=きじ=国)の東北(にある)金山(きんざん)あたりに住んでいたらしい」 とある。 ここの金山(きんざん)を私、副島隆彦は自分の目では見ていないが、そのあたりの出身者の女性に話を聞いた。 

 中国人は、北西の遊牧民を、西戎(せいじゅう。西の方の遊牧民で、野蛮人の「えびす」たち。トルコ系。チュルク人。のちのウイグル族や契丹族。それが、モンゴル族にもなった )と呼ぶが、犬戎(けんじゅう)とも呼ぶ。 この大月氏、犬戎が日本の天皇族の「休」氏の一族である(P44)。

私、副島隆彦説では、「満州人(マンジュ)とは、大興安嶺(だいこうあんれい)山脈を越えて来た、モンゴル族である。そして、狩猟もする民族になった」となる。 この点で、岡田英弘先生と、意見が合わなくて、岡田先生が、顔をそむけたので、それで対談本の企画が流れた。もう12ぐらい前のことだ。私のあまりにも荒っぽい(粗っぽい)議論に、岡田先生が、拒否の態度を取られた。岡田先生が、日本の東洋史、モンゴル史、満州史、朝鮮史 総して、アルタイ学(会)( Altaic studies アルタイック・スタディーズ)の 日本における権威である。

岡田先生と奥様 が、同じ東洋史である 小林さんの研究を何と言うか、私は、聞いてみたいが、きっと顔をそむけるだろうと、思う。

 小林恵子(やすこ)さんは、中国の正史である各王朝の歴史書、特に『資治通鑑(しじつがん)』も読んでいるが、『高句麗本紀(こうくりほんぎ)』や、『新羅本紀(しらぎほんき)』、『百済本紀』、『海山経』、『三国史記』 なども読んでいる。日本史学者たちは、こういう資料の読み込みをしない。出来ない。

 そして、細かく日本の『記紀』( 古事記 と 日本書紀。日本の正史と決めつけられてる)と付き合わあせている。 いい加減な突合せ(照合)はしていない。

 そして、P202で「応神 と 広開土王 の死闘」 となっている。応神(おうじん)天皇 (第15代、在位、西暦270―310年。この大王 は実在とされる)が、あの有名な、高句麗の王である「広開土王(こうかいどおう)の碑文(413年、息子の長寿王=ちょうじゅおう=が建てた)」の広開土王のことを 書いている。  

 ・・・・そして、P223で,仁徳天皇は、この広開土王(好太王 、句麗王安、)であり、日本征服に来た、となっている。あーあーあーで、ずっとこの調子だ。 私は、頭が強いから、簡単には割れないから、耐えられる。普通の人には耐えられないだろう。

 小林恵子女史は、古代オリエント学会の会員である。この古代オリエント学会(1954年設立)は、三笠宮(みかさのみや、昭和天皇の末弟。存命 )によって運営されてきた。 小林女史が、「あとがき」で書いているが、「三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんのう)殿下に何かと学問上のお世話をいただきました。・・・常識外れの私説に対しても一度も疑義のお言葉をいただいたことはありません」 と、 書いている。

 三笠宮は、「2月11日を建国記念日(神武天皇が国造り=国家統一を決めた日とされるとすることに歴史学的な根拠はない)と、紀元節(きげんせつ)の復活にかつて反対した。それで三笠宮は右翼たちから攻撃された。

 三笠宮は、中東、オリエント世界 (中央アジア()への遺跡発掘調査にも出かけて、実は、あの映画「インデアナ・ジョーンズ」(主演、ハリソン・フォード)のモデルにもなった人なのだ。

 私は、この小林恵子氏の本は、十分の根拠を持っていると判断した。従来の、古代史を、ユダヤの失われた一支族(第13氏族)が、日本にまでやってきて、四国の剣山(つるぎさん)そのほかに、古代国家の痕跡を残している」などと書く、歴史学の知識や精密な研究歴 を持たない、いい加減な思い付きだけの、おかしな人たちが書く本とは、異なる。

 ただ、どうやって、あの 5000キロも先の、中央アジアの広大な砂漠や草原地帯を超えて、はるばる、日本まで、どういう動機でやってきて(確かに 移動する遊牧民たちの時代だ )、しかも次々と日本の王にまでなっている、というのは、どういうことなのか。私は、今、この『古代倭王(たち)の正体』を読んで、深く考え込んでいる。  

副島隆彦拝

古村治彦 投稿日:2016/03/12 10:29

【1544】[1877]副島隆彦先生著作、その他の「学問道場」関連書籍の期間限定割引販売を是非ご利用ください

3月21日注記

おかげさまで本の販売は終了しました。
今までありがとうございました。

=====

 SNSI・副島隆彦の学問道場の古村治彦です。今日は2016年3月12日です。

 2016年2月21日から始まりました、副島隆彦先生著作、その他の「学問道場」関連書籍の期間限定販売(4冊で8,000円)の終了が近づいてきました。今までに多くの皆様にご利用いただきましたこと、厚く御礼を申し上げます。終了が近づきましたので、再度、この「重たい気持ちで各掲示板」でお知らせしたいと思います。

リンク⇒https://snsi.jp/shops/index#book

 この期間限定販売が終了しますと、本ウェブサイト「副島隆彦の学問道場」での書籍販売は終了となります。DVDに関しては引き続き販売を継続いたします。今では書店でも手に入らない副島先生の若い時の本や、弟子たちの本、更には絶版になってしまった本が、少しですが残っております。この機会に是非ご覧ください。ただ、在庫が大変少なくなっている本もございますので、売り切れになる可能性もあります。その際はご容赦ください。ご注文いただいた本が売り切れてしまった場合は、こちらからご連絡を差し上げ、代わりの本の注文を承ります。

 副島先生はこれまでに100冊を超える本を書いてこられましたが、本ウェブサイト「副島隆彦の学問道場」にも載っておりますように、主著と呼ばれるのは、『属国・日本論』(五月書房、1997年)と『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(講談社、1999年)です。「日本はアメリカの属国だから」「アメリカのネオコンが」と私たちは当たり前のように口にするようになりましたが、それもこれら2冊から始まったと言っても過言ではありません。

●商品番号:14・『属国・日本論』(出版社:五月書房、発行年:1997年5月)
●商品番号:21・『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(出版社:講談社、発行年:1999年3月)

 今回のアメリカ大統領選挙では、共和党予備選挙では実業家で不動産王のドナルド・トランプ氏が他の政治のプロである候補者たちを大きくリードしています。トランプを阻止したいという共和党内の動きも大きくなっています。こうしたアメリカ政治の流れ全体を理解する上で、上に挙げた『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』は今でも有効です。また、ドナルド・トランプをいち早く取り上げた以下のムック本『アメリカ権力者図鑑』も重要だと思います。

●商品番号:75・『世界権力者 人物図鑑』(出版社:日本文芸社、発行年:2010年2月)
●商品番号:B-25・『アメリカ権力者図鑑』(出版社:日本文芸社、発行年:2011年12月)

 2016年3月26日には最新刊『日本が中国の属国にさせられる日』(ベストセラーズ)が発売となります。刺激の強いタイトルの本ですが、先ほどご紹介した『』に加えて、先生の中国研究本も併せてお読みいただければ、より理解が深まるものと考えます。先生は2008年1月に『中国 赤い資本主義は平和な帝国を目指す』(ビジネス社、2008年)を発表してから、毎年のように中国各地に調査に出かけ、その成果を「中国本」として次々と発表してきました。現地の人たちとふれあい、情報を得て、先生の洞察を加えるという形で出来上がった本は、どれも中国研究の最先端に位置づけられるものです。

●商品番号:60・『中国 赤い資本主義は平和な帝国を目指す』(出版社:ビジネス社、発行年:2008年1月)
●商品番号:72・『あと5年で中国が世界を制覇する』(出版社:ビジネス社、発行年:2009年8月)
●商品番号:84・『中国バブル経済はアメリカに勝つ』(出版社:ビジネス社、発行年:2010年12月)
●商品番号:92・『中国は世界恐慌を乗り越える』(出版社:ビジネス社、発行年:2012年1月)
●商品番号:95・『中国 崩壊か 繁栄か!? 殴り合い激論』(出版社:ビジネス社、発行年:2012年6月)
●商品番号:103・『それでも中国は巨大な成長を続ける』(出版社:ビジネス社、発行年:2013年2月)
●商品番号:107・『中国人の本性-歴史・思想・宗教で読み解く』(出版社:徳間書店、発行年:2013年7月)
●商品番号:114『靖国問題と中国包囲網』(出版社:ビジネス社、発行年:2014年3月)

 最後になりますが、私たち弟子が書いた本もございますので、こちらもお求めいただけますように宜しくお願い申し上げます。

<中田安彦>

●商品番号:B-08・『ジャパン・ハンドラーズ』(出版社:独自復刊です、発行年:2005年5月)
●商品番号:B-14・『世界を動かす人脈』(出版社:講談社、発行年:2008年2月)
●商品番号:B-16・『アメリカを支配するパワーエリート解体新書』(出版社:PHP研究所、発行年:2009年8月)
●商品番号:B-23・『日本再占領』(出版社:成甲書房、発行年:2011年8月)

<古村治彦>

●商品番号:71・『メルトダウン 金融溶解』(出版社:成甲書房、発行年:2009年7月)
●商品番号:76・『バーナード・マドフ事件 アメリカ巨大金融詐欺の全容』(出版社:成甲書房、発行年:2010年4月)
●商品番号:B-22・『ネクスト・ルネサンス』(出版社:講談社、発行年:2011年6月)
●商品番号:B-26・『アメリカ政治の秘密』(出版社:PHP研究所、発行年:2012年5月)
●商品番号:B-30・『ハーヴァード大学の秘密』(出版社:PHP研究所、発行年:2014年1月)

<吉田裕二>

●商品番号:B-17・『日銀―円の王権』(出版社:学習研究社、発行年:2009年9月)

 長くなりましたが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

リンク⇒https://snsi.jp/shops/index#book

(終わり)

土井康弘 投稿日:2016/03/11 22:03

【1543】[1876]米大統領選挙に関してのオバマ大統領のコメント

 会員番号1091の土井と申します。
 米大統領選挙に関して、BBC News で興味深いと感じた記事があったので紹介します。
 いろいろな解釈があり得ると思いますが、私はこの記事を読んで、オバマ大統領は、トランプ氏とサンダース氏に好意を持っていると感じました。
 皆様の感想はどうでしょうか。

(転載貼り付け始め)

「オバマ米大統領、「トランプは自分のせいじゃない」」

 BBC News 3月11日(金)19時4分配信

オバマ米大統領は10日、共和党大統領候補として実業家ドナルド・トランプ氏が台頭したのは自分の責任だという批判を一蹴した。

カナダのトルドー首相公式訪問に際してホワイトハウスで記者会見した大統領は、「共和党には色々と責任を問われて批判されてきたが、自分たちが誰を選ぶかについて僕のせいだと言われるのは珍しい話だ」と述べた。

記者会見で、米国政治の対立が先鋭化し分断が激化しているのはオバマ政権の責任かと問われて、答えたもの。

大統領は、共和党幹部や右派メディアが共和党の支持基盤に対して、「僕のやることには何でも反対すべきで、協力や妥協は何らかの裏切りだ」という考えを叩きこんできたせいだと批判した。

「いま共和党の中で起きているのは、時間をかけて積み上げてきたことの結果で、ドナルド・トランプのような人が活気づく環境を作ってきたせいだ。過去7年半の間に繰り返されてきたことを、もっとたくさんやっているだけだ」

大統領はさらに、トランプ氏の「挑発的」発言がさかんに話題になるが、移民問題などについての姿勢は、同じ共和党の対立候補、テッド・クルーズ上院議員(テキサス州選出)氏やマーコ・ルビオ上院議員(フロリダ州選出)と実は大差ないのだと指摘した。

オバマ氏はさらに、民主党の候補指名を争っているヒラリー・クリントン前国務長官とバーニー・サンダース上院議員(バーモント州選出)のどちらかを選んで支持はしないと言明。

「党大会が終わったら全員をひとつにまとめて、本選の勝利に向けて一丸となれるようにするのが、僕の一番大事な役割だ」

民主党大会は7月に開かれる。

(転載貼り付け終わり)

守谷健二 投稿日:2016/03/11 13:39

【1542】[1875]天武天皇の正統性について

    柿本人麿の悲劇(その6)

 『日本書紀』は、天武天皇の即位を正統化する為に編纂された史書である。『日本書紀』は、原則的に天皇一人に付き一巻を立てているが唯一天武天皇に対しては巻第二八、巻第二九と2巻を分け、巻第二八全てを「壬申の乱」の記載に当て、天武勝利に貢献した将兵の顕彰に当てている。

 『日本書紀』では、非は大友皇子(天智天皇の長子、明治に追号された弘文天皇)にあり、天武は追い詰められてやむを得ず決起したのであり、元来皇位継承の正統者(東宮)は大海人皇子(天武天皇)であったと書いている。

 「壬申の乱」は、皇位継承の正統者が正当な権利を行使した戦いであると言うのが『日本書紀』の主張である。
 であったなら、どうして「乱」と云うのだ。「乱」と云うのは、世を乱す行為である。下剋上など秩序を破壊する行為だ。正統者が正当な権利を行使した戦を「乱」と呼んではならないはずである、断じて。
 しかし我々日本人は、何のためらいもなく天武の決起を「壬申の乱」と呼んで来た。驚くことに奈良時代(天武の王朝)で既に「乱」と呼ぶのが定着していた。(『懐風藻』より)
 『日本書紀』は、天武天皇の正統性を主張するが、人々はそれがインチキであることを明確に認識していたのである。日本国の最初の正史『日本書紀』は、信用されていなかったのである。尊敬されていなかったのである。
 
 万世一系の天皇信仰(現人神信仰)は、天武を正統化するために創作された教義(ドグマ)である。天武の命で始まった修史事業の過程で創造されたドグマであった。
 柿本人麿は、この修史事業の中心人物である、断じて地方の下級官吏や流罪人などではない。天武朝、持統朝の中枢にいた人物である。

 天皇に対する枕詞「かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏(かしこ)き」

《あれこれと心にかけて考えることを禁ずる。まして口に出して云うなど実に畏れ多い事である》

 大君は 神にしませば 天雲(あまくも)の 雷(いかづち)の上に 庵(いほ)らせるかも

《天皇は、神であらせられるのだから、天雲の雷(いかづち)の上にお住まいになっておられるのだ》

 何度でも強調するが、人麿こそ現人神(あらひとがみ)信仰の創造者である。

 前回まで「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」との題詞を持つ三首の長歌を検討してきた、題詞には「妻死(みまか)りし後」とあるが、三首の歌の後半全てで、人麿が必死の思いで妻を捜し求めていたことが歌われている。死んでしまっていることが確認されていたのなら、どうして妻のお気に入りの場所であった「軽の市」や、難渋して山に踏み入って捜索する必要があるというのだ。

 人麿は、妻の死を受け入れることが出来なかったのだ。妻が苦境に堕ちていたことを人麿は十分認識していた。ほとぼりが覚めたらまた逢えるようになるさ、とのんきに構えていた。そこに突然妻の失踪が知らされたのである。人麿は、妻を助けずにいた。妻を見殺しにしたのである。
 次回は、この次に配置されている「吉備の津の采女(うねめ)の死(みまか)りし時、柿本朝臣人麿の作る歌一首、並びに短歌」〔217~219〕の題詞を持つ歌を検討する。

副島隆彦 投稿日:2016/03/09 10:42

【1541】[1874]イタリアの大銀行のひとつで、取り付け騒ぎ(バンク・ラン)が起きていました。

副島隆彦です。  今日は、2016年3月9日です。

どうもイタリアの銀行で取り付け騒ぎ(bank running バンク・ラニング、あるいは、 bank run )が、起きていたようだ。 以下の英文の新聞記事を読むと、イタリアの大銀行のひとつである、 モンテ・ディ・パスキ・デイ・シエナ銀行 で、ミラノの本店(登記簿上は、シエーナに本店がある)で、取り付け騒ぎ が起きている。 この1月20日ぐぐらいからだ。

以下に載せる 記事 に、 ” Bank Runs have begun in Italy ! (バンク・ランズ・ハヴ・ビガン・イン・イタリー)” と書いてある。
この銀行の株式が大暴落している。

取り付け騒ぎとは、日本でも、昭和恐慌(昭和5年から8年)の前の昭和2年(1927年)の金融恐慌(きんゆうきょうこう)の時に起きた。 預金者が、銀行に押しかけて、預金を引き下ろす行動に出て、銀行の正面が大騒ぎになることだ。 ラン run とは、銀行の前に列を作ることだ。

以下の英文記事の中に、はっきりと Banca Monte dei Paschi di Siena
すなわち、モンテ・ディ・パスキ・ディ・シエナ銀行 と書いてある。

イタリア取り付け騒ぎ

このモンテ・ディ・パスキ・ディ・シエナ銀行は、イタリアの第3位の銀行だ。規模が第1の銀行は、ウニ・クレディト 、2位は、インテザ・サンパオロ、3位が、この モンテ・ディ・パスキ・ディ・シエナ で、4位が、バンコ・ポポラーレSC 、 5位が、UBIバンカ である。

イタリアの若いレンツィ首相は、何食わぬ顔をして、2月27日のG20の 中央銀総裁・財務省会議のあとの、イギリスのEU残留(離脱の阻止)のための欧州首脳の集まりに出席していたが、あの表情は、引きつっていた。イタリアは、すでに、どうやら銀行機能が半分ぐらい麻痺しているようだ。

それでも、何とか平静を保っている。マリオ・ドラギECB(ヨーロッパ中央銀行)総裁が、緊急で、思いきりたくさんのユーロの紙幣を、イタリアに現金輸送して、取り付け騒ぎを鎮静化させたのだろう。 世界の一流金融メディアは、まったくこの事件の報道をしなかった。  他に探しても記事が出てこない。イタリアの新聞、テレビでは大騒ぎになっただろう。

明日は、わが身である。 私、副島隆彦は、これだけは書いておきます。

副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)

“SHEAR PANIC!” Bank Runs have begun in Italy!

Newsroom Jan 21,2016

https://www.superstation95.com/index.php/world/796

MILAN - A “run” has begun on Italian Banks, with Depositors taking out money in a PANIC, fearing they will lose everything if they leave their money deposited.

Banca Monte dei Paschi di Siena SpA’s shares shed one fifth of their value after plunging for a third consecutive day Wednesday, as the bank scrambled to reassure investors its finances are solid.

The bank said that it had suffered outflow of deposits as a result of market jitters and that its accounts had improved in the last quarter.

The bank’s Chief Executive Fabrizio Viola said in a statement that deposit outflows were limited and lower than those that had taken place in 2013.

In February 2013, it emerged the bank was entangled in a legal scandal
involving loss-making complex financial transactions, something that spooked investors and caused a deposit-outflow of “some billions,” the bank said in April that year.

But Mr. Viola’s words didn’t stop the massive selloff.

Trading in the bank’s shares was suspended for most of Wednesday’s session and shares ended up shedding 22.2%. Since Monday, the bank’s shares have lost 46% of their value, plunging to €0.51 ($0.56) per share. Since the beginning of the year, the bank’s share price has
declined 58%.

The bank is now capitalized at roughly €1.6 billion, despite having tapped investors for €8 billion in the last two years to pay back a €4 billion government loan and shore up its capital position, amid mounting bad loans and a chronic lack of profitability.

“It’s pure panic, we are going beyond the prospects of the bank’s low profitability,” said Vincenzo Longo, a strategist at IG Markets in Milan.

The bank will post fourth-quarter earnings on Feb. 5.

In 2012, the bank started to implement a drastic restructuring plan, aimed at bringing it into the black and to pay back a €4 billion government loan.

For the first half of last year, the bank posted a net profit of €194 million, after having accumulated losses of over €10 billion in earnings periods since the second quarter of 2012.

But it posted a €109 million loss for the third quarter, mainly due to a one-off hit caused by the unwinding in September of a complex structured-product transaction.

It also tapped investors for €8 billion in the last two years to pay back a €4 billion government loan and shore up its capital position, amid mounting bad loans and a chronic lack of profitability.

Meanwhile, UniCredit SpA’s Chief Executive Federico Ghizzoni ruled out any intervention to support Monte dei Paschi, adding that he had received no requests from the Italian government to do so.

Sources in the financial markets throughout Europe have confirmed to SuperStation95 that “These bank runs will spread” to other countries, with one analyst saying “This is the beginning of the end for all of Europe.”

In fact, it is likely to spread to Germany next. Just this week,
Germany’s largest bank, Deutsch Bank, revealed they will post a loss of 6.7 BILLION Euros for last year; the worst loss in that bank’s entire history! Investors were stunned by this news and there is now open and public worry that Deutsch Bank may not be solvent.

Elsewhere in Europe, banks admitted last week they are sitting on . . .
. . . ONE TRILLION IN BAD LOANS . . . . . and may have to be
“re-capitalized.” Therein lies the problem: Under the new banking laws, governments will no longer “bail-out” banks.

Instead, the banks must be “bailed-IN” by taking money from DEPOSITORS and replacing that with newly-issued stock in each bank!

Average citizens would lose a major portion of all accounts in each bank (Checking, Savings, Certificates of Deposit, IRA/401-K Retirement plans, etc.) and would be given shares in the bank as compensation. The trouble is, depositors cannot pay their bills or eat with stocks.

In the United States, Wells Fargo admitted during a conference call this week, their commercial loan portfolio contains “$17 Billion” in loans that they described as “less than investment grade.” That was a nice way of saying “bad loans.” Wells Fargo made things worse when they admitted they only have $1.2 Billion set-aside to cover bad loans. So
if all $17 Billion are bad, where will the other $15.8 Billion come from? YOU! Your checking, savings, CD, IRA, 401-K will all be “levied” by the bank to cover its losses!

Also in the US, the Chairman of Citibank refused this week, to disclose how much in bad loans are on their books! He also refused to reveal how much cash the bank has set-aside to cover bad loans!

It is not a good sign when a bank Chairman refuses to disclose how bad things might be. After that stockholder conference call, rumors began to circulate that Citibank may be “in bad financial shape.”

If true, where will Citibank get the money to cover its losses? YOU! Your checking, savings, CD, IRA/401-K retirement accounts will all be levied to cover the bank’s losses and you will be given stock in the bank as compensation. How will you pay your bills with stock? How will you eat?

When the analysts mentioned earlier said “This will spread” and “This is the beginning of the end for Europe” people stood-up and took notice.

Now a “run” is taking place against banks in Italy. If those analysts are correct, then the contagion could spread to the United States. Will YOU be one of the people who leaves his money at a bank while it fails?

How will you eat if that happens? How will your family eat?

In the movie “Forrest Gump” he famously said “stupid is as stupid does.” Are YOU stupid?

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

守谷健二 投稿日:2016/03/01 14:08

【1540】[1872]天武天皇の正統性について

柿本人麿の悲劇(その5)

 「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌二首」この題詞は本当の事を述べていない。

  渡る日の 暮れ行くが如 照る月の 雲隠る如 沖つ藻の 靡きし妹は もみち葉の 過ぎて去(い)にきと 玉梓(たまづさ)の 使の言へば〔207〕より

 《渡る日が暮れて行くように、照る月が雲に隠れるように、寄り添って相寝た吾妻が、(もみち葉の 過ぎて去にきと) 妻の里から使者が云うので》

 私が目にした全ての注釈書は《もみち葉の 過ぎて去(い)にき》を「死んでしまった」と解釈している。
 しかし、妻が死んでしまっているのなら、どうして人麻呂は妻の姿を必死になって捜しているのだろう。〔207〕の歌の前半で、世間の目が恐ろしくて人麿は妻の下へ通うことが出来なくなっていたと歌っている。〔210〕の歌によれば、二人の間にはすでに子供も誕生していたのにである。
 何か得体のしれない異常な事件に人麿の妻は巻き込まれていた。それに対し人麿は無事であったらしい。ほとぼりが覚めたらまた逢えるようになるさ、とのんきに構えていたところに、突然妻の里から使者が来て「妻がいなくなった」と告げられたのだ。
 人麿の妻は世間の目を恐れなければならない窮地に堕ちていた。人麿の妻にとって世間は敵となっていたのです。それなのに〔210〕〔213〕の歌の《世の中を 背きし得ねば》を「死ぬと云う事は世の摂理、人はそれを免れないから」と、全ての注釈本は解釈している。こんなバカな解釈はあり得ない、こんな解釈をして学者たちは恥ずかしくないのだろうか。世間は世間で良いのだ。
 妻は、村八分と云うか、世間の刺すような厳しい視線の中に置かれていたのだ。実家でひっそりと暮らすのも許されない苦境にあった。世の中全てが敵に思えた。
 人麿は、甘く考えていたのだ、妻の苦しみを。ほとぼりが覚めたらまた逢えるようになるさ、などと。

  大鳥の羽易の山に 汝(な)が恋ふる 妹はいますと 人のいへば 岩根さくみて なづみ来し 好けくもぞ無き うつそみと 思ひし妹が 灰にてませば〔213〕より

 《汝が恋ふる 妹はいますと 人のいへば 》

 これは、あなたの奥さんを見かけた、と云う事だ。人麿は、いまだに妻の死を受け入れることが出来ずにいたのである。

  家に来て わが家を見れば 玉床の 外(ほか)に向きけり 妹が木枕(こまくら)〔216〕

 これまでの通説は、題詞に呪縛され「妻は死んでしまっている」と決め付けて解釈したものである。しかし歌の内容と、題詞は矛盾している。この人麿の妻の死に関しては、題詞は真実を告げていない。擬装し、人麿の正体を韜晦している。

津谷侑太 投稿日:2016/02/28 23:24

【1539】[1871]追悼・鬼塚英昭!

津谷侑太です。今日は2016年 2月 28日です。

 日本の大作家である元竹細工(たけざいく)職人の鬼塚英昭(おにづかひであき)氏が亡くなったという報告をします。七十八歳でした。

 私はさる筋から鬼塚英昭氏の体調不良を聞いていました。それでずっと心配していました。健康回復を祈っていましたが、1月25日死去、とのことです。成甲書房(せいこうしょぼう)からの正式な発表です。

 鬼塚英昭を差し置いて、今の歴史研究は成り立たない。そう断言できるほど、鬼塚英昭は本当の日本の大作家でした。
私は悲しみや驚きを通り越して、今や怒りしか感じません。なぜ、これほどの大作家の死を騒がないのでしょうか。
 これほどの大作家の死はもっと盛大にネット上で騒がれるべきです。

 鬼塚英昭のガツガツと本を読んで、新事実を発見する、あるいは新理論をつくりあげる手法は全国の鬼塚ファンたちに多大な影響を与えたと思います。決して難解ではなく、一般の読者に教え諭すがごとく、権力者たちの共同謀議を暴き続けた鬼塚英昭はもっと評価されるべきです。

 その真実追求の姿勢を大分県の郷土(きょうど)歴史家という枠に押し込めて、葬り去ろうという、今の冷え切ったネット空間はおかしいと私は思います。2016年2月を中心に起きたアベノミクスの政策の株乱高下のパニックも鬼塚の『池田勇人』を読めば、謎が解けないようにできています。

 以下に鬼塚英昭氏の著作を紹介します。

 『天皇のロザリオ』・・・昭和天皇を狙ってローマ法王やイエズス会が暗躍するノンフィクション。戦後まもなく大分県で起きた大事件の全貌を暴く!

 『日本の一番醜い日』・・・1945年8月15日、宮中で森師団長が殺害された。アメリカに占領されようとする日本を守るため、青年将校が決起する。・・・が、その中に謎の人物・某元中佐が行動していたことを鬼塚英昭が大量の史料から突き止める。某元中佐とは一体何者なのか。そして、森師団長を殺害したクーデターの意外な真犯人とは誰なのか。まるでミステリー小説の様な興奮を味わえる衝撃の一冊。

 『白洲次郎の嘘』・・・白洲次郎といえば、2000年代に入って、急速に美化された偉人である。吉田茂とともに日本の独立を勝ち取ったGHQに抵抗した吉田と白洲は立派だった・・・・・・ところが、白洲次郎という男、とんでもない食わせ者であった。
 戦前・戦中・戦後を通して、東京大空襲、下山事件、近衛文麿(このえふみまろ)元首相自殺、鳩山一郎追放で裏から動いた官邸のラスプーチン・白洲次郎のおどろおどろしい素顔をこれでもかと史料を引用しながら検証していく。
 偉人には必ず裏の顔がある・・・・・・そんな恐ろしい真実を私たちに教えてくれる本だ。

『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』・・・・・・山口組長だった宅見勝が射殺された。政治事件とは無関係に見える組長射殺事件・・・・・・しかし、その背後には帝国陸軍の参謀で失敗続きだった瀬島龍三のとんでもない秘密が隠されていた。
 戦後、ソ連抑留から帰還した瀬島龍三は伊藤忠商事の会長に迎えられる。リクルート事件、金屏風事件、イトマン事件、政治スキャンダルの影で瀬島はどう動いたのか。
 昭和・平成史を瀬島龍三の目から描いた重大事件の裏側。

『20世紀のファウスト』・・・・・・アメリカの鉄道王・ハリマン財閥の長男・アヴェレル・ハリマン。アメリカのパワー・エリートのアヴェレル・ハリマンは軍需産業と深くつながっており、チャーチルやスターリンの間を飛び回り、第二次世界大戦に世界を引きづり込んでいく。

 津谷侑太です。ざっとこんなところです。古代から平成の現代まで諸問題について、鋭く切り込んだ鬼塚英昭はまさに評論業界の巨星でした。もう、こんな大物は二度と出てこないでしょう。
 だが、鬼塚英昭氏の死で終り、というのはいささか寂しいのではないでしょうか。ここは第二の鬼塚英昭が出現して、彼の業績を引き継いでいくべきでしょう。学問道場という、日本の在野の研究者の結集軸があるのだから、それを活用してみてはいかがですか。

 第二の鬼塚英昭が現れれば、鬼塚ファンたちのもやもやとした胸のわかだまりもとれることだと思います。このまま、鬼塚ファンを放置するというのは残酷すぎる判断です。

 津谷侑太拝

中野 誠 投稿日:2016/02/27 18:20

【1538】[1870]1月21日のNY市場

1月20日のNY市場は249ドル下げてますが、21日は115ドル上げてます
 翌22日も210ドル上げてます。21日に下げたのは、日経平均で398円
 下げてますが、22日は941円上げてます もう少し正確にお願いします。
会員NO1035 中野 誠