重たい掲示板
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Loginはこちら【1554】[1887]遅れましたが、ぼやき、津谷論文に反論します
『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』で、福澤諭吉がいかに立派であったかを書いた、石井 利明です。
津谷研究員の2月発表の、ぼやき「幕末の幕臣たちの目から見た、薩英戦争(さつえいせんそう)の真実」に対して反論します。
私、石井 利明の論点は、津谷研究員が擁護(ようご)する、安川寿之輔(やすかわじゅのすけ)に対し、「21世紀から偉そうに19世紀の福澤を批判するな」、です。
まず、この論文は、有料会員しか読めないので、私なりに要点をまとめます。
(詳細は、有料会員になってお読みください)
・ アメリカは、福澤諭吉を筆頭とする幕臣たちを操(あやつ)って薩英戦争を起こし、イギリスを倒幕に誘導した。石井孝(いしいたかし)をはじめとする歴史学者は、このアメリカの謀略は隠して、イギリスの悪を言いたてることによって、日本人をうまくコントロールしてきた。
・ 福澤は日清戦争推進の黒幕の戦争屋であり、日清戦争とはアメリカの手先の福澤が中心となって起こした日本を戦争国家へと変貌させるための戦争であった。これもアメリカの意図である。
・ 福沢が日清戦争の黒幕である、という暗部については福沢礼賛(らいさん)の評論家たちはまるでなかったことのように無視している。その筆頭が、平山洋(ひらやまよう)という悪い福沢諭吉美化論者である。私(石井 利明)のネタ元も、この平山である。
・ 津谷研究員は、平山洋と論争してきた安川寿之輔(やすかわじゅのすけ)の、福沢諭吉は日清戦争に賛成だった説のほうが正しいと考え、平山をはじめとする福澤礼賛者たちに反撃をくわえる。
私の反論は、津谷研究員の、「明治維新の黒幕はアメリカの手先であった福澤諭吉である論」の諸事実に対してではなく、津谷君が福澤をアメリカの手先と決め付ける基準である。
その基準は、彼が擁護する安川寿之輔と同じ理由で間違っていると考える。
それは、平山・安川論争の論点である「福澤がアジア諸国を蔑視(べっし)していたかどうか」という安川の論に結び付けて、大東亜戦争の敗戦及び、その後の侵略した国家群に対する外交の失敗までも、なんでもかんでも、遡(さかのぼ)って福澤のせいにする事にある。
真実の福澤は、アジア蔑視者でもなければアジア解放者でもない。
当時の日本にアジアを解放する力が無いことを福澤は当然知っていた。
彼は日本国の独立自尊だけで手一杯で、日本の国益の追求以外に手を出す余裕など無かった。それは、当時の指導者なら当然の事です。
19世紀のアジアの現実を想像して欲しい。
植民地化を免れているのは、国家としては日本とタイしかない。
福澤の生涯は、1835年1月10日に始まり、1901年2月3日に終わる。まさに、19世紀を生きた人物だ。
安川論者は、福澤が19世紀に生きた人間という、もっとも単純で重要なことを無視している。
19世紀は西欧列強によるアジアの分捕り合戦の真っ最中なのだ。
福澤は、数度の海外渡航により、この現実の厳しさが骨身に染みて分かっていた。
そして、日本が植民地にされてしまうかもしれないという恐れを他の誰よりも感じていた。その恐れの中心が大英帝国であった。
津谷論文の中では、福澤は「戦争屋」であると書かれている。
この言葉の使い方も、乱暴である。
それは、戦争が19世紀と20世紀以降では、全く違った意味を持つからである。
小室直樹博士の、『痛快!憲法学』のp168-169を要約します。
近代の戦争は経済的利益を追求する為に行われる国益追及のための外交手段の一つとして認められており、従って、どこの国でも戦争を自由に行うことが出来るし、誰も、他の国の戦争を批判することが出来なかった。
これが第1次世界大戦前の20世紀初頭までの国際法の常識です。
石井 利明です。
よって19世紀を生きた福澤に、植民地にされない力を得るためなら戦争という手段に訴えることに対する躊躇(ちゅうちょ)が無いことは当然です。それどころか、多額の献金までしているのは事実です。
だからといって、福澤が日清戦争を推進した黒幕の戦争屋と決め付けることは間違っている。
日清戦争に負けたら国益どころか、日本の独立までも危うくなる。
「現在の価値観で過去の判断を評価するのは先人に対する冒涜に他ならない」という言葉を私は大切にする。
津谷研究員が正しいとする安川は、福澤の過去を断罪する為に、歴史に教訓を得ると称して、この手法を使っている。
福澤の生きた時代に反戦思想や、20世紀のようなアジア蔑視の思想は存在しない。
そして、福澤はアメリカの手先ではない、と私は考える。
私は、「手先」という言葉を、自国及び自国民の利益を省(かえり)みず、他国の利益のために動く人間という意味で使うからだ。
【1553】[1886]天武天皇の正統性について
柿本人麿の悲劇(その7)
奈良朝の人々は『日本書紀』のインチキ性を十分認識していた。『日本書紀』が全力で主張する「天武の決起の正統性」を「乱」と呼び正統性を否定していた。正史を信用も尊敬もしていなかったのである。当然、天皇の万世一系神話も信じてはいなかった。
そんな中、天皇の現人神(あらひとがみ)信仰を力強く歌い上げていたのが後に歌聖と崇められるようになった柿本人麿であった。現人神信仰の成立に果たした人麿の功績は限りなく大きいのである。人麿の正体を解明することは、天皇信仰を考えるうえで不可欠の要素である。
前回まで「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌二首」と「或る本の歌一首」の三首の長歌と反歌(207~216)を検討した。
題詞には「妻死(みまか)りし後」と書かれているが、人麻呂の妻は、単に死んだのではなく、追い詰められ、死に装束に身を正し、覚悟の失踪を遂げたことを明らかにした。
今回は、その直後に配置されている「吉備津の采女が死(みまか)りし時、柿本朝臣人麿の作れる歌一首並びに短歌(217~219)」を検討します。
秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひをれか
たく縄の 長き命を 露こそば 朝(あした)に置きて 夕(ゆうべ)は 消ゆと言へ 霧こそば 夕に立ちて 朝は 失すと言へ
梓弓(あづさゆみ) 音聞くわれも おぼに見し 事悔しきを 敷たへの 手枕(たまくら)まきて 剣刀(つるぎたち) 身に副へ寝けむ 若草の その夫(つま)の子は さぶしみか 思ひて寝(ぬ)らむ 悔しみか 思ひ恋ふらむ
時ならず 過ぎにし子らが 朝露のごと 夕霧のごと
《訳》
秋山の赤く色づくように美しい妹、なよ竹のようにやわらかくしなやかな妹は 何と思ってるのか、長い命であるものを、
露ならば、朝に置いて夕方には消え失せると言うが、霧ならば夕べに立ち朝には消えると言うけれど、
(梓弓)噂を聞いている私も、ちらりと見ただけだったことが後悔されるのに、
(敷たへの)手枕を巻き交わし体を添えて寝ていただろう夫は、寂しく思って寝ているだろうか。悔しく思って恋い慕っていることであろうか。
まだ死ぬべき時でないのに死んでしまった吉備津の采女よ!
朝露のように、
夕霧のように!
私の好きな詩の一つです。亡くなった吉備津の采女の夫に対するしみじみとした共感。まるで自分の体験のように。人麿は、突然の吉備津の采女の死は、決して他人ごとではなかった。
人麿は、いまだに妻の死に囚われていた。妻を見殺しにしたことを引きずっていた。妻への鎮魂の旅を続けなければならなかった。この歌も、妻に奉げたレクイエム(鎮魂歌)である。
【1552】[1885]副島本電子書籍化
会員番号4770ですが、匿名で投稿させていただきます。
副島先生の本の頒布が停止になると掲示板に書いてあったのであわてて8冊購入いたしました。
私のホームタウンでは芳林堂が閉店になり、新店にはなりましたが蔵書の取り揃え今一つです。
副島先生は歴史、思想、経済、政治、化学、文学等々ジャンルを問わず言説持論を展開されています。
副島先生は批判を恐れず自分が正しい考える主張をしています。
人間は見たいもの欲するものしか見えないでしょうから先生の主張は暴論です。
あくまでも言論人ですから表現できる出版という形をとります。
内容の良しあしは本の売り上げに反映しますので見出しは過激になります。
お金を頂ける文章、情報を身を削って絞り出して書いていると考えます(DVDを買った際生原稿をいただきました)
副島先生は過激に主張しますが、読者は拒否反応をしないで受け止め、ゆっくり考えないといけません。副島本は劇薬です。読みなれると薬にもなります。
わたしは先生の文章の中で「土人」「洗脳」「頭が割れるくらいのショック」という言葉が好きです。
学校でまじめに勉強し、新聞やテレビを人並みにみて世の中こんなもんだろうと考えてた私ですら「自分は土人なのに」人並み以上に利口だと思ってました。
自分が土人であるという現実がわからない限り副島先生の本はトンデモ本です。
自分が土人であることを教えてくれるのが副島本なのです。
馬淵氏、リチャード・コシミズ氏あたりは副島剽窃情報のような気がします。
最近、とくにテレビ新聞の右傾化、情報遮断がひどいと感じます。
韓国、中国、北朝鮮批判は情報に名を借りた煽動洗脳にみえます。
放射能報道も同じ構造です。
過去出版の本は電子書籍化していただき1000円前後で販売していただくことを希望いたします。
【1551】[1884]貴金属業者にも格差
長年、三菱マテリアルマイゴールドプランからの会員にまでなって売買取引をしていたのに、神田の徳力本店の方がいいと思い取引先の変更見直しをしようと思いました。
三菱の会員として金の他にも銀やプラチナを取り扱うのに三菱の店頭では、金の売買取引しかせず、しかも同じ三菱ブランドで買った商品なのに買取手数料が高く、さらに他社ブランドは割り引かれる。
神田の徳力本店は金、銀、プラチナの店頭売買をするばかりでなく、インターネットや電話注文して送ってもらう商品の送料も安い。
銀は金よりも売買単価が安いせいか、金の買えないない人たちがなだれ込み買いをする人が多くなり、需給バランスら関係で値上がりし、神田の徳力本店では銀地金の在庫切れも発生しています。
マイナス金利政策で銀行に預金して、あいそをつかした人々が預金を引き出してでも買うのも当然だろう。
日本国民を政治家や官僚たちが洗脳して言うことを聞かせようとしてもアベノミクスの大失敗を象徴している出来事です。
【1550】[1883]消費税の 追加上げ(10パーセントへ)は、もうない。
副島隆彦です。 今日は、2016年3月17日です。
以下の新聞記事を 読んでください。 これで、安倍首相が、「(今回は延期しますが。8%のままだ。)が、来年4月には、絶対に消費税を10%に上げます」 と、言ったのに、もう上げない、ということの 宣言文に等しい。
本当に、こういう 穢(きたな)い、みっともない手口を使う。ステグリッツという、コソコソと、新興国、途上国の肩を持つフリまでするワルの経済学者(ノーベル賞受賞)を日本に連れてきて、言わせる。
安倍晋三が、自分で言えばいいじゃないか。この臆病者めが。
(転載貼り付け始め)
「 「スティグリッツ氏「消費増税すべきでない」 国際経済分析会合」」
2016年3月16日 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFK16H26_W6A310C1000000/
政府は、3月16日午前、世界経済について有識者と意見交換する「国際金融経済分析会合」を初めて開いた。講師として招いたノーベル経済学賞の受賞者 である
ジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大教授は、世界経済は難局にあり「2016 年はより弱くなるだろう」との見解を示した。「現在のタイ ミングでは消費税を引き上げる時期ではない」とも述べ、来年4月の消費税率10%への引き上げを見送るよう提言した。
菅義偉官房長官は、3月16日午前の記者会見で「スティグリッツ氏から税制について、総需要を喚起するものではないとの観点から、消費税引き上げはい まのタイミングではないとの趣旨の発言があった」と説明した。
分析会合の終了後、安倍晋三首相とスティグリッツ氏のほか、首相の経済政策
のブレーンを務める浜田宏一、本田悦朗両内閣官房参与を交え意見交換 した。
スティグリッツ氏は首相官邸で記者団に「首相は(消費増税先送りを)恐らく、確実に検討するだろう」と述べた。
首相は分析会合の冒頭で「伊勢志摩サミットの議長の責任を果たすため、世界
の経済・金融情勢について率直な意見交換をしたい。アベノミクスに関 して
も、どしどし意見を頂きたい」とあいさつした。
スティグリッツ氏は分析会合で「世界経済は低迷している」との認識を表明。
「日銀の金融政策だけでは限界がある。次に財政政策をとることが重要 だ」と
強調し、政府に財政出動を促した。
分析会合の座長には石原伸晃経済財政・再生相が就いた。林幹雄経済産業相や
加藤勝信一億総活躍相、菅氏や日銀の黒田東彦総裁が出席。本田、浜田 両氏も
陪席した。
分析会合は17日に米ハーバード大学のデール・ジョルゲンソン教授と元日銀副
総裁で日本経済研究センターの岩田一政理事長を招く。22日には ノーベル経済
学賞を受賞したポール・クルーグマン氏を呼ぶ。
首相はこれまでの国会答弁で増税の是非について「世界経済の収縮が起こって
いるか、専門的見地から分析し判断していかねばならない」と発言して いる。
首相周辺は「有識者が経済収縮のリスクを指摘するなら増税見送りの判断はあり
うる」と語る。
サミットまで継続的に開く予定で、5月の大型連休に安倍首相が欧州を歴訪す
る際にも外遊先で現地の経済学者らを招いた分析会合を開く方向で調整 している。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 この記事を読んだら分かるでしょう。 もう消費税の値上げは、ないんだよ。 「 「有識者が経済収縮のリスクを指摘するなら増税見送りの判断はありうる」と語る」などど、もったいぶった、思わせぶりなことを権力新聞記者たちと 一緒になって、おぜん立てをする。
太鼓持ちのスティグリッツ や、クルーグマンどころか、浜田宏一の爺さん、本田悦朗(ほんだえつろう。スイス公使にして外に出したのに)たち、茶坊主(ちゃぼうず)呼び戻して儀式をやっている。
経済学とか、理論経済学とか、アメリカ経済学とか、現代経済学 などという、学問が、もう滅んでいて、実際には何の役にも立たず、口ばっかり(数式の山のウソ)で、もう自分たちで、どうしていいか、分からなくなっている。そのことを正直に言えないで。
この現代の大僧正(だいそうじょう)、大司教(アーチビショップ)どもは、偉そうに、偉そうに、自分たちが何か、経済政策(国家を運営する経営手法)の魔法の杖(つえ)をもっていると思っている。偉そうに。 私、副島隆彦にはもうバレている。 お前たちは、このあとは、国家統制経済=金融抑圧(きんゆうよくあつ。ファイナンシャル・サプレッション)をやるしかないのだ。
もう 市場経済の、自由主義経済体制の、自由世界のと、偉そうなことは本心では、言えないのだ。万策(ばんさく)尽き果てたはずなのだ。ロシアや中国と、やっていることに何の差があるのか。本当のところは。国家統制経済、そののもに、どんどんなりつつある。
前の消費税「値上げ」は、相当に日本経済に堪(こた)えた。がらがらと景気がさらに崩れた。 それでもう上げられなくなった。
消費税というのは、何のことだか今も、日本国民は分かっていない。私、副島隆彦の金融本を読んでいる人たちは、少しは分かっている。その正体は、「「売上税(うりあげぜい)」で、「取引税(とりひきぜい)」だ、と。取引き、すなわちお金の動きがあったら、すべてそこに税金を掛ける、という税金だ。
所得税(しょとくぜい)への2回目の、上乗せした再所得(税)課税だ。
ところが、こう書いてもほとんどに人は分からない。日本では、経済学者たちも税法学者たちも分かってうないだろう、と私が書くと、まさかそんな、と思うだろう。
いいですか。それなら 給与、サラリーには、なぜ、消費税が掛からないのか、誰も、言えない。給与所得も所得税だ。 本当なら、給与(月給)に、掛けるべきなのだ。それをやらないのは、 それをやったら、自分たち公務員(その上級の連中が官僚) も、安(やす)月給の給与所得者だから、公務員どもが、干上がってしまうので、だから、やらないのだ。 まさか、そんな、と思うでしょうが。そういうことだ。
このことは、インカム・タックス( income tax ,所得課税)というものの本性に関わることだ。本当は、税金というものは、所得(儲けから経費=損金 を引いたもの)に対してしか課税できない。
それでは、なぜ、定期預金の 金利(インタレスト)やら、株のもうけ金にまで2割(20%)の税金を掛けるのか、というと、これは、キャピタル・ゲイン(資本課税 capital gain tax ) 。
不動産(土地、住宅)を売った時にかかる税金も キャピタル・ゲイン・タッスクだ。 この税金は、すでに一回、所得税で取っている、 残りの資金(資産)への課税だから、二重課税、二回課税だから違法だ、という考え(学説)がある。
20%以上 (資本主義の牙城、アメリカでも25%が限度だ )の 高い、資本課税をやると、資本主義(カピタリスムス、capitalism)の体制が壊れる、という考えがある。 何のために、自由主義経済=市場経済=デモクラシー体制 をやっているのか、分からなくなる、という 根源的な議論である。
消費税 が、一般国民に関係ない、ように見える( お店で買い物をするときだけ。切実に、イヤだなあ、と思う。あれは商品の値上げと同じだ、と感じる )。ところが、私のような自営業者扱いされる 物書き、言論人(権力者・公務員からは、著述業と呼ばれる)でも、原稿料という売り上げに、ガバガバ税金を掛けてくる。だから、200万円とかを、納税申告したときに、最後の手元に残った金から、持ってゆく。
どれだけ、会社経営を 赤字法人 にしても、売上税だから、経営者の最後の手元のお金に、2千万円とかを課税する。取ってゆく。だから、それで、景気が悪くなるのだ。 消費税の恐ろしさを、普通の人たちは、分からないようにしている。
だから、8%が10%になっても、どうということはない、という、感じなる。それでも、主婦たちは、その2%の「値上げ」に怒る。前に消費税を3%上げたために、日本経済が打撃を受けて、景気の悪さに如実に表れた。だから、権力者たちは震えて、もう上げられない、と思考転換(転向)をした。
勘定奉行である財務省官僚たちだけが、「またしても俺たちだけが、ダマされて裏切られた」と感じる。だが、もう アメリカと安倍政権に逆らうことが出来ない。天下り先を紹介してくれなくなったら、自分の老後が貧乏だ、と。こういう 逆らうのはやめよう・・・・。こういう仕組みで動いているのです。
税金というのは、究極では、空気税、水税、(だから、環境税 と言い出しているでしょう) ・・・・最後には、しあわせ税、愛情税(笑)、生きている喜び税、人間税、命税(いのちぜい、身代金だ)、初夜税(領主と坊主たちが取った) と、なんでも掛けられる・・・・・と権力者、支配者たちは思う。必要なら、なんにでも掛けようとする。面白いでしょう。
だから、これからの、日本政府の課題 は、金持ち層への、キャピタル・ゲイン課税である、財産税だ。 「取れるところからしか、取れない」の必死な形相になってきた。 土地・アパート財産や、現金、預金などの金融資産へのへの課税は、所得税(インカム・タックス)ではない。キャピタル・ゲイン課税である。
何となく、税金というものの恐ろしさが、これで 分かったでしょう。
副島隆彦拝
【1549】[1882]福島 嘘と真実
私も福島の原発事故発生後1年ほど副島先生の放射線被害に関する見解に懐疑的だったのですが、当サイト(たぶん掲示板)で先生自ら紹介された「福島 嘘と真実」高田純著 医療科学社 を読んで、自分の考えが単なる憶測に過ぎなかったことが分かりました。
副島先生の主張される通り、現地に赴く以上に実感として理解する方法はないと思いますが、副島本を数冊も読まれている会員の皆様ならば、かなりの確率でこの本で理解が得られると思います。
未読の方は是非一読することをお勧めいたします。
私は、もともと文科系の人間で細かなところまで理解できませんが大きくはこの本が決め手でした。
私たちを取り巻く情勢は刻々と変化してゆきます。さっと理解してそれぞれ次の課題へ進みましょう。
【1548】[1881]2つ、メールをいただきました。会員はここに考え、情報を投稿してください。
副島隆彦です。 今日は、2016年3月16日です。
私が、続けて2本、この重たい掲示板に書きましたので、それに対する ご自分の考えを 2つメールで会員からいただきました。
私は、学問道場の会員や、私の本の読後感想を寄せてくださった人には必ず返事をします。ですからメールをください。 そして、その内容が公共の課題である場合(私的な問題でない場合)私は、その自分のお考えを、重たい掲示板に、そのままでいいですから載せてください、とお願いします。
私、副島隆彦の考えとは私は違う、でも、このように自分は考える、でもいいですから会員の皆さん、ご自分の意見をどんどん書いてください。すべての言論は自由です。そう言い切るべきです。 学問道場では一切の規制は、なし、です 。評価、判定は、会員それぞれの人がすればいい。
私たちの会員になっている人で、ネット特有の 荒らし(troll トロウル、vandalism ヴァンダリズム)や、煽(あお)りや、自作自演=なりすまし や、炎上(えんじょう、flame フレイム)や、 スパム・メール( spam )や、憎悪犯罪(hate crime ヘイト・クライム)をする人はいない。 そういう ゆがんだ精神の人間は、もういなくなりました。
ですから、情報を持ち寄ったり、自分の考えをここに書いて他の会員たちに知らせてください。私たちのアーゴラ
( agora 言論の広場。市場の脇の集会所。古代ギリシア民主政の中心)を大事にしましょう。
(転載貼り付け始め)
From: ***********
Sent: Saturday, March 12, 2016 4:17 PM
To: 副島隆彦
会員番号****番の****と申します。
新しく会員になってから、会員サイトの学問道場での副島先生のお話を読む事が出来まして、嬉しく思っております。
先生のその深い知識とそれ故に余りに平凡な一主婦には難解な世界情勢についてのご説明にいささか戸惑っておりますのも事実でございます。
つい先日以下の様な動画を見ました。中で副島先生のお名前がチラッと出ましたので、この動画の馬淵睦夫(まぶちむつお)氏をご存知かも知れないと思いお送り致します。
http://www.realinsight.tv/nishi/episode_1_vov76h4f/
お話の内容は、先生も昔から本に書かれている事の様に思いましたが、間違っておりましたら訂正致します。
世界最終戦争がウクライナ危機を契機に既に始まっている事に、日本人としてどの様に向き合えば良いのか、先生のご見識を伺いたいと思っております。宜しくお願い申し上げます。 ****
2016/03/14 7:48、副島隆彦 <GZE03120@nifty.ne.jp> のメッセージ:
**** さまへ
> 副島隆彦から
> メールをありがとうございます。
> 学問道場の会員になって くださいましてありがとうございます。
>
> この 馬淵睦夫(まぶちむつお) という 男は、許しがたい男で、 私の考えを 本から たくさん、そのまま真似して、書いたりしゃべったりしている 恐るべき 剽窃(ひょうせつ)、盗作(とうさく)人間です。
> こんな 厚顔無恥の 恥知らずの男 (私よりも10歳ぐらい上です)が、キューバ大使とかウクライナ大使とかした 外務省幹部をした 外交官あがり らしいのです。 私は、驚いたまま、ずっとほったらかしてきました。 今もほっています。 私が、黙っていると思って、いよいよ 増長しています。
私本の内容とそっくりのことを、よくもまあ、これだけたくさん、あんなに何冊もの本に書けるなあ、と あきれ返っています。 私の本の内容に、長年、相当に感動したらしい。それで、その内容が自分の身についてしまって、染(し)みついて、いつの間にか、自分の独創や、自分の研究の成果だと信じ込んだようです。
> 実に 目出度(めでた)い人だなあ、と思います。
> 出版業界の人間たち(編集者たち)は、本つくりのプロの職人たちですから、このことに 気づいています。 が、誰も何も言いません。業界人は自分の業界の恥部にはお互い、触れようとはしません。編集者たちは、業界の黒子(くろこ)ですから、自分の意見を公表するということをしません。 こういうことは、 自然に淘汰されることだ、と考えているようです。ここまでみっともないことをやると、馬渕睦夫は、そのうち消えるだろう、と皆、考えているのでしょう。
>
> どうか、**さんが、まず、 重たい掲示板に、この真淵 のことをまず貴女が書いて報告してください。
> 私の弟子たちで気づいた者が、真淵睦夫を叩いてくれるとありがたいとも思っていました。が、誰もそういう 生産的でないことをしません。
> このあと、私も態度を決めて、名指しで彼を叩きます。 彼以外にも、何人も 同じような 私の考えの 泥棒たちが、出ています。 私は、どのように対応したらいいのものか、ずっと考えていました。
彼が自分の本で書いていることと、 私が書いていることを、3か所ぐらい2つ並べて読んでもらえば、すぐに分かることだ。それを今はできません。彼の本を持っていないからです。
アメリカであれば、こういうことは、ライベル(libel 、侮辱、中傷、名誉棄損、誹謗中傷)といって、必ず、ライベル・スート( libel suit 、libel court 名誉棄損の民事裁判)となって争われます。
有名人、芸能人でなくても、普通の国民であっても、実名で自分の人格や行為が、公然と棄損(きそん)されたら、不法行為(tort law トート・ラー)を原因とする裁判所に訴えます。そして白黒つけます。馬渕睦夫が、私を訴えてくればいいのです。
言論の自由 (フリーダム・オブ・エクスプレッションあるいは フリー・スピーチ)として日本でも憲法21条が、強く保障していますから、何を書こうが自由です。とくに権力者、公務員、公職にある者たちへの批判は、容赦なく徹底的になされるべきです。それは人格攻撃ではない。
しかし、人(特定の人間、ほかの人)の名誉を棄損をしてはいけません。それは裁判になります。 損害賠償責任を負います。 私は、馬渕睦夫のような、生来品性の卑しい人間とは、裁判をやったほうがいいと、思っています。
> 副島隆彦
>
—–Original Message—–
From: ******
Sent: Monday, March 14, 2016 3:43 PM
To: 副島隆彦
お忙しい中、何の知識もない一介の主婦で、子供達や孫たちの為に飯炊き婆さんを週何回かしているに過ぎない私に、直々のメールを下さいまして恐縮しております。
今朝の先生からのメールを何度も読み直しました。私は馬渕睦夫(まぶいむつお)氏について、とても重たい掲示板に書くほどの知識を持ち合わせてはおりません。
幾つか動画を聴いて少し理解できたことは、左寄りでは無く右寄りの方で、安倍さんの憲法9条改革に賛成されている方と言う程度です。この程度の浅い知識でその方の人となりも知らずに、批判めいた事を書く事は出来ません。
それは同じ様に、副島先生に対しても言える事です。
15年以上前から先生のご本を読んでおりましたが、必ずしも先生のスタンスがどこに根ざしているのか理解できておりません。新会員になる事は、先生のご発言や著作に全て賛同しないといけないのでしょうか?
であるならば、私は失格です。それは正しく、今日の重たい掲示板に書かれた先生の原発事故に関する記事に賛同しかねるからです。
私の親類に故人ですが、原子力委員会の委員をしていました者がおりました。彼はチェルノブイリの事故後、空気中の放射能を避ける為に外出には帽子を被りマスクをし、井戸水は飲まずに気を付けておりました。もし、今回の事故の時に生きていたらどの様な防護をしたか、考えてしまいました。
福島での放射能線量が今以て高く、立ち入り禁止区域になっている箇所が沢山ある事実は、ニュースでも言っております。私は家族を守る為にも、原発の再稼働には反対です。何故先生は原発稼働に賛成なのですか?
福島の若い方々は放射能に汚染された食物を子供達の口に入れない様に、水や野菜その他を他県から取り寄せている話を聞きました。甲状腺癌(こうじょうせんがん)から子供達を守る為に、もしかして沢山の海藻を食べさせているかもしれません。私だったら、その様に致します。
先生程の博学な方が、原発の安全性を説き、ホロコーストは無かったと言う説を唱えられるのか、私には不可解です。私は、「憲法9条は日本の為に絶対に死守すべき」と語気を強めて言われた、あの占い師の方のお顔を忘れる事が出来ません。
色々な知識人の方のお話を聞いて理解できた事は、最終的には自分の感性を信じる事だと言う事です。人には其々守るべきものがあり、その方法は人によっても違うはずです。これなら出来そうだと言う方法を色々な方のお説の中からつまみ食いをしてはいけないのでしょうか? 先生はお嫌いの様ですが。
そして最後ですが、私は夫から年を取ったら、心穏やかに過ごしなさいと言われております。先生のお説をパクる人達へのお怒りは如何ばかりか、と想像に難くありません。でもパクられるのは、先生のお説が正しいと言う事の証ですから、敢えて反論なさらずとも良いのでは無いかと思います。
どうか人を非難せずに、この世界情勢を先生の深い知識で分かりやすく我々凡人に説いて下さいます事を切にお願いいたします。長々と失礼な事を書きました事、ご容赦頂きたいと思います。先生におかれましては、お怒りの余り、血圧を上げない事を祈っております。 失礼致します。 ****
Sent: Monday, March 14, 2016 9:55 PM
****さまへ
副島隆彦から
再度のメールをありがとうございます。
**さまの お考えは、このまま 私に理解できます。 どうぞ ご自分の 考えに従って、安らかに生きてください。
私は、私の考えを 世の中に投げて、それをより優れた考えだと、判断してくださる 人たちによって、「お金を出してでも」 買っていただけるように、日々努力している人間です。 私は、知識、思想、言論の 商売人なのです。職業としての 伝達者です。 それが、普通の人々と私の違いです。
**さまは、疑問文で、「・・・ではいけないのでしょうか」 と、問いかけの文を、私にお書きですが、私は、人に対して疑問形の文を使って威嚇(いかく)することを なるべくしないようにしています。 疑問形の文 は、自分に向かって発する自問 の形で、だいたいは 発します。 それと、 男と女は、決定的にちがう生き物のようです。
**さまが、どのようにお考えになるかは、すべてご自由です。
ただし、次の一点、 「 福島の若い方々は放射能に汚染された食物を子供達の口に入れない様に、水や野菜その他を他県から取り寄せている話を聞きました。」 に、付きまして、必ず、ご自分の体で、ご自分の目で、現地に行って、確認してきてください。
ご自分の親戚とか、知り合いのつてを頼って、 どうぞ現地に行ってください。 今は、事故のあった原発から 4キロぐらいのところまで誰でも平気で入れます。そこでたくさんの人が働いています。 福島人にもいろいろの考えがあります。
福島県の 親分衆( 商工会、農協の幹部、経営者たち 公職の上級の者たち )ひとり、一億円ぐらいずつ出たそうです。 現地の人たちがひそひそと話しています。みんな知っています。
一般の福島県人は、 この5年間で、ひとり だいたい、たった5万円を 渡されて、それでおしまいのようです。こういう はしたガネの、つかみ金で与えて、それを相手が受け取れば、もうそいつ は、東京電力や、県や国を訴えて来ないだろう、という下卑(げび)た、下品極まりない考えです。
国家や政府(公務員)、というのはこういうことを、平気でやります。自分たちが責任を追及されたり、いちゃもんを言われ続けるのが一番、いやだ。だから、相手を騙(だま)してしまえ。 うるさい奴には、裏金(うらがね)で渡せ。そして示談=秘密の和解に持ち込め。 こういう ワルの根性が身に染みている連中です。 現実の世の中は、このように出来ています。
今後とも「副島隆彦の学問道場」をよろしくお願いします。 副島隆彦拝
Subject: 先生の最新原稿を読んで
Date: Mon, 14 Mar 2016 11:35:45 0900
From: ************
先生の最新原稿読みました。原発事故の後 学問道場を千人もの人が退会したと
は とても驚きました。いかにこの原発の問題が意見の分かれる大問題だったかということなんですね。
現在私の住む北海道でも色んな観点からいまだに議論が続いています。北海道の高橋知事は、地元では大概の人は知ってますが、北海道電力とつながりが深く もっといえばズブズブの関係です。
ですから本音では 高橋知事は泊原発(とまりげんぱつ) を再稼動したいんだろう。しかも再稼動したいのは経済上の問題とかではなく 己のスポンサー に対する気遣いだろう。
こういう次元のひくい話 と副島さんや吉本隆明のいう実際の福島の後遺症に関する考察 とか、人類の進歩から発生した原子力と関わらざるをえないとか、 すごく難しい話がゴチャゴチャになっているのが現状だと思います。
先生からすれば馬鹿馬鹿しい話でしょうが 現実はそんな感じと思います。ですから私達は勿論、学問道場の会員ですから先生や中田さんや古村さんの論文を思想の根っ子として大切にしながら 自分の頭で物事を考えるようにしようと思っています。
From: 副島隆彦
Sent: Monday, March 14, 2016 10:11 PM
To: ********
Subject: [ml:00715] Re: Fwd: 先生の最新原稿を読んで
****さまへ
副島隆彦から
メールをありがとうございます。**さまの お考えは、だいたい私に理解できます。
どうぞ ご自分のお考えを大切にして、 じっくりとお考えください。
**さまがご自分がお住いの 、北海道の 高橋晴美(たかはしはるみ)知事が、「(原発の」再稼動をしたいのは経済上の問題 とかではなく 己(おのれ)のスポンサー((=北海道電力)に対する気遣いだろう 」 と お書きです。 権力者たちは、当然、このように
考え判断し行動します。 それは自然なことだと私は思います。
きっと自分を育ててあやつっている人間が背後にいるに決まっている高橋女史(官僚上がり。彼女の真の親分のことを北海道人は皆、知っているでしょう )が、そのように 保守派の人間として行動することは、自然なことです。そして道民の動向をよく見計(みはか)らって、泊原発の再稼働の許可への賛同もするでしょう。
それには、 **さまを含めて北海道という、 自民党に反対する 人間が多い、日本の 古くからの 反中央、 反権力の 風土の 長い土壌があっての お考えだと思います。**さまが自分たちの道知事のことをそのように他人事(ひとごと)のように、憐れみを込めて同情しながら書いていることを、その外側にいます私は苦笑します。
私は、シャクシャインたちアイヌ人(先住民)の 反倭人 (松前藩)との戦い とか、屯田兵(とんでんへい。国境を守る半農民、半兵士)や全国各県からの開拓農民でのこととか( 「新熊本」とかありますよね)、 私のの知っている限りの知識で、思い出します。
私は、3週間前に、札幌に講演でゆきました。札幌の市街には、雪はほとんどありませんでした。中国人観光客の多さに、驚きました。200万人の人口の札幌のに20万人ぐらいの中国人が来ているように見えました。
一点、**さまが、 「 実際の福島の後遺症に関する考察とか 」 と お書きですが、福島に 原発の後遺症 の 人はいません。 このことは、**さんが、現地に自分で行って、確認して、その 後遺症の人たち がいたら、そのことを私たちに報告してください。
一度くらいは何かのついでで、現地に寄って、行ってきてください。事故原発から、4キロぐらいのところまで自由に入れます。林の向こうが原発です。
現地の人間たちは、皆、そこで生きています。何を遠くの方から、勝手なことを言っているのだろう、と私は、ずっと不思議です。 行って来ればいいのです。自分は貧乏だから時間も暇もないから福島になんか、いけない、というのであれば、次には、メディア(テレビ、新聞)に、自分の脳が洗脳されているのではないか、と自分で、自分に疑問を持ってください。
今後とも「副島隆彦の学問道場」をよろしくお願いします。 副島隆彦拝
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
【1547】[1880]ともにフリー・シンカーたるべく、日々研鑽してゆこう
[1878][1879]と2本立て続けに「学問道場」の主宰者である副島先生が、実に貴重な投稿をしている。
ここに結集している早期入会の会員として、私は先生に連帯の意見を述べてゆきたい。
副島先生は、端的に、「学問道場」の会員に期待するものは何かを、以下のように率直に書き記している。
「私、副島隆彦の現地からのコトバに、耳を傾けることをせずに、それまでの、私の本や文章への信頼を、一気に失って、『もう私はこの人の言うことを信じない。学問道場をやめる』として居なくなった。そういう人が1000人も出た。
私は、このことを今も深く無念に思っている。慙愧(ざんき)の念に堪(た)えない。せめて、『もしかしたら、副島隆彦の言うことが正しいのではないか』と、自分の判断をためらい、保留する、ということをしてくれたら、どんなに有り難いかったか。
普通とは違うことを言う、この人の意見に耳を傾けてみよう、という態度こそは、本当に優れた人間が取る行動だ。今も会員でいる人たちには、その人間としての余裕がある。この一点が、人間として素晴らしいことなのだ。
私は、困った時、悩んでいるときに、そういう『ひとまず判断を保留して、戸惑いながらも、もう一度、自分の頭を整理して、考え直してみる』という、生き方の態度を身に着けられる人を尊敬している。そういう人間を育てることを、この学問道場の教育方針の一番大事なところに置いている。
『いや、待てよ』と、世の中の大半の人が、たいして考えもしないで、即座に行ってしまう方向に行かないで、『いや、そうではないのではないか。この人の言っていることは、筋が通っている。真剣に訴えている』と、じっとその場で、立ち止まって、ひとりで考えることだ。それが真に賢明な人間のすることだ。
そういう人間たちを育てるために、私は、この学問道場を16年間やってきた」
会員に求められる資質はこれである。
道場を退会した者たちは、まず自らの信念とは何かについて真剣に考えなければならない。そして考えを深めていく過程において、己のとんでもない浅薄さと軽信とを本当に恥じる必要がある。そうしてこそ今後の人生がある。
学問道場の会員の論文集に『悪魔の用語辞典』シリーズがある。この名前の元になったのは、ご存じピアスの『悪魔の辞典』である。
その中の信仰(Faith)の項目には、「類例のない物事について、知りもしないくせに語る者の言うことを、証拠がないにもかかわらず正しいと信ずること」とある。
放射能の危険については、すぐれた古典がある。講談社のブルーバックス『人は放射能になぜ弱いか』がそれだ。この本の初版は約30年前なので、ポット出の本ではない。まずはこの本を読んでみようではないか。
この本は、初版が1985年11月、改訂新版が1991年2月、第三版が1998年8月が出版されている。
そして福1事故後の第三版第六刷(2011.3)にあたっては、「東日本大震災による原発事故にともなう放射線被ばくリスクに国内が大揺れしています。今回の被ばくは生命に危険を与えることは全くありません。本書はその科学的根本をしたためています」とある。
この本の第三版は、放射能リスクのしきい値を認め「放射線を少しあびた場合、被ばくによる傷が身体から完全に排除される。この素晴らしい防衛機構に関する最新の研究を紹介する」ために、改訂新版の発行からわずか7年後に出版されたのである。
だからまず「専門家」とは、実際には何の専門家なのかを真剣に問わなければならないのだ。だからここはまず副島先生の見解に学ぶべきなのである。
そして会員の論文集『放射能のタブー』に真剣に取り組む必要がある。それでこそフリー・シンカーである。
よく言われる事ではあるが、信念とは一度でも疑った事がないもの言うのではなく、何度疑ったとしても、必ず自分がそこに帰って行く立場を言うのである。
「学問道場」の会員たる者、今後とも世の全てを疑い尽くして行こうではないか。
さて最初の投稿である「聖徳太子=タルドゥ説」は、衝撃的だ。私も谷沢榮一氏の『聖徳太子はいなかった』本を書評して、大山一派と谷沢氏の過去を暴いたことがある。
私は更に自分の聖徳太子論を極めたいと考えて、文明史論家新井信介氏の種本と睨んだ小林惠子氏の総ページ478の『興亡古代史 東アジアの覇権争奪1000年』を読んでみた。そして小林氏のその気宇壮大さと荒唐無稽ぶりとに驚かされた。
しかし私は今迄岡田英弘先生の流れで研究してきたのでその節に非常に困惑したが、小林氏も既に20余冊の著述がある事も知っていたから、単なる飛んでも本と安易に決めつける事なく、その著作をほとんど買い求めて、現在研究を進めているところである。
副島先生が小林惠子氏の本を読んで新たな視野を切り開きつつある事で、私の研究にも先生から新たな指針が出来るかと考えて、大いに喜んでいるところである。
会員の皆様、ともにフリー・シンカーたるべく、日々研鑽してゆこうではありませんか。
【1546】[1879]福島原発事故 から 丁度5年が経ちました。感慨深いです。
副島隆彦です。 今日は、2016年3月14日です。
「3.11」の大地震、大津波 、そして福島の原発事故 から5年がたった。 私は、以下の新聞記事を載せようと考えていた。「 福島県民に (原発事故を原因とする)健康影響は確認されず」という記事だ。
私は、きわめて不愉快のまま、この3月11日を越した。 あれだけ私たちの学問道場が、原発事故のあと、福島の現地に入って事故原発のすぐそばで活動して放射線量を測定して、真実の報告をした。
それなのに「放射能がコワい、コワい」の大合唱が起きて、愚かなる恐怖心で自分自身が圧倒され、権力者に扇動されて、そのあとも長く、おのれの知能の低さ、と 臆病者の 大衆の独特の反応を示して、私たちの「現地からの報告」に悪罵(あくば)と中傷(ちゅうしょう)と、嘲笑を投げた。
私は、この者たちに対して今も奥深いところから怒っている。どうして、あれほど、私たちが真実を現地から伝えて、説得したのに、それを受け入れようとしない者たちが、あれほどにたくさん出たのか。
以下の記事は、5年たった今、誰一人として、福島の人間たちは、原発から漏れた、ごく微量の放射能によって、発病していないと報告している。
(転載貼り付け始め)
●「 震災から5年 「県民健康調査」 健康影響は確認されず WBC受診 28万人超」
2016年3月1日 福島民報
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/03/post_13359.html
県は体内に取り込まれた放射性物質の量を調べるため、ホール・ボディー・カウ ンター(WBC)を活用し内部被ばく検査を実施している。車載の WBC8台 を所有し、学校や公共施設などを巡って検査している。
県が実施した平成23年6月から昨年末までの検査結果は【表】の通り。これまで28万848人が受診した。成人で今後50年、子どもで70歳までの内部被ばく累積線量を示す預託実効線量が1ミリシーベルトを超えたのは全体の0・009%に当たる 26人。 99・99%に当たる28万822人が一ミリシーベルト未満だった。
県は「全員、健康に影響が及ぶ数値ではない」とみている。
県内では、県のWBCのほか、平田村のひらた中央病院や福島市の県労働保健センターなど約30施設でWBCを導入している。ひらた中央病院 は、乳幼 児の検査ができるWBC「ベビースキャン」も配備している。
ひらた中央病院 乳幼児専用機器を導入 2396人検査、広がる安心感
平田村の公益財団法人震災復興支援放射能対策研究所は、東京電力福島第一 原発事故後の平成23年からホールボディーカウンター(WBC)による内部被ばく検査をひらた中央病院で続けている。延べ約5万人を検査した。
乳幼児の 検査ができるWBC「ベビースキャン」も備え、小さな子どもを 持つ親の不安解消に努めている。研究所によると、検査の結果からこれまでに放射線の影響は見られないという。ベビースキャンは25年に導入した。体の小さな乳幼児の状態をより精密に 測定するためで、乳児から身長135センチまでの子どもが対象。導入 時から1月末現在で延べ2396人を検査した。
対象者は子ども専用の検査衣に着替え、ベビースキャンの中に入る。4分ほどで測定が終わる。検査を受ける人は、ほとんどが甲状腺検査とセット にして受けている。エコー機器で甲状腺の状態を調べ、尿を採取する。小学生以上は採血もする。
一週間程度で結果が出て、再び来院してもらい医師が直接、伝えている。医師が丁寧に説明することで子どもや親に安心してもらえるという。内部被ばく検査は18歳以下を無料としている。研究所はこれまで検査の結果を基に放射線の影響を調べる研究を続けており、定期的に結果を公表 してきた。
佐川文彦理事長(56)は「県民や子どもたちに安心感を持ってもらうためにも検査を続けたい」と話す。
■昨年12月の県民世論調査 46.8%、前回比0.3ポイント減 「生活で放射線を意識」減少傾向
福島民報社と福島テレビが震災と原発事故後から共同で実施している県民世論調査では、「普段の生活で放射線を意識しているか」との質問を設け ている。昨年12月に実施した第12回調査で「意識している」と回答したのは全体の46・8%。前回(11回)調査の47・1%に比べ0・3ポイ ント減った。
過去の調査で「意識している」、「意識していない」と回答した人の割合は【グラフ】の通り。「意識している」は平成24年4月の第一回から第9回まで60%台、 50%台と徐々に減少してきた。昨年6月の第10回以降は40%台で推移 してる。
一方、「意識していない」は第一回から第8回までは20%台で推移。第9回で30%台となり、第12回では44・4%となった。
■24年から回復傾向 県内の合計特殊出生率
合計特殊出生率は原発事故などの影響で事故後、マイナス傾向にあったが、平成24年以降、回復傾向にある。26年は事故前の水準を超える1・ 58で、東日本で最も高かった。
20年以降の本県と全国の合計特殊出生率の推移は【グラフ】の通り。事故前の22年は1・52だったが、23年が1・48、24年は1・41まで下がった。一方で25年は1・53まで回復。上昇幅は25年から 2年連続で全国最大となった。
■2年連続で増加 県内の里帰り出産件数
里帰り出産件数は原発事故発生後、減少傾向にあったが、平成24年以降、回復傾向にある。県産婦人科医会の調査で継続回答している25医療機関で扱った里帰り出産件数の推移は【グラフ】の通り。
平成22年は2290件だったが、事故後の23年は1476件、24年は 1246件にとどまった。一方、25年は1659件、26年は1704件と2年連続で増加に転じた。
■東大大学院理学系研究科教授 早野龍五氏に聞く 結果認識に差異ケア大切
原発事故を受け、県内では県民健康調査や子どもの甲状腺検査が行われている。放射線の健康影響を調べている東大大学院理学系研究科の早野龍五 教授(64)に聞いた。
- 外部被ばく線量を推計する県民健康調査の問題点は。
「回答率が低いことが課題になっているが、原発事故から5年近くが経過し、今の段階では当時どのように行動をしたかを答えることは難しいと思 う。携帯電話の衛星利用測位システム(GPS)のデータが活用できれば個人の行動 を追い掛けるには有効だ」
- 甲状腺検査の結果についてどう考えるか。
「検査はまだ二巡目の本格検査の途中であり、結果について放射性物質の影 響だと確定的に言う段階ではない。もし、原発事故との因果関係を問う なら、甲状腺がんと疑われる人が受けた線量を把握することが大切になる。検査を始めた以上は甲状腺がんと診断された子どものケアは重要だ。家族に 丁寧に説明し、経済的に不利にならないようにする必要がある」
-県内各地で内部被ばく検査などを行ってきた。
「平田村のひらた中央病院など県内3病院で内部被ばく検査を受けた乳幼児ら全員から放射性セシウムは検出されていない。県内では、計測して放 射性物質が検出されないことと、人々が結果に納得するということのギャップをどのように埋めるかが大きな課題になっている。私は科学者の活動とし てデータを取り分析して発表してきたが、それだけでは人の心に届かないと感じたことが数多くあった。人々が検査結果に納得し、本来の生活を取り戻 す方向にいけば役に立つと思うが、必ずしも全てがそうなるとはいえないので難しい」
-国や県はどのような役割を果たす必要があるか。
「放射線への不安を抱える住民を支援する相談員制度は、ギャップを埋めるために重要な取り組みだ。自治体は、相談員として住民の間に入ってい る保健師らを支え、地元のニーズに応えていくことが必要だ。私のような科学者は相談員が困ったときに後ろから助言できるような立ち位置にいたい」
-福島高スーパーサイエンス部の生徒の研究などに協力している。
「福島の将来を考えると、県内の若者が自信を持って自分が置かれた状況を 説明できることが大切になると思う。私から教えるのではなく、何かを 知りたいという生徒の自発的な思いを応援していきたい」
はやの・りゅうご 岐阜県出身。東京大大学院理学系研究科修了。同大理学部物理学科准教授を経て、平成9年から同大学院理学系研究科教授。専 門は原子物理学。コピーライターの糸井重里氏とともに、対談形式で放射能の知識を伝える「知ろうとすること。」(新潮文庫)を出版した。64歳。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 このように 福島県が資金を出している医者たちの調査で、事故の放射能の影響での発病者は誰もいない、と報告が出ている。甲状腺肥大の人もいない。
5年たって、これだ。 5年前にも、4年前にも、 「福島では、10万人が甲状腺がんで死ぬ」とか言いふらし続けた者たちがいる。 今は、口を拭(ぬぐ)って何も言わないのか。あるいは、「いや、10年後になってみないと分からない。安全だ、という人間たちは犯罪的だ」と、反論するのか。
どっちが福島の人間たちに対して、犯罪的か。「福島の人たちから、多くの甲状腺がんの発病者が出る。福島に近寄ってはいけない」と、実名で書いた者たちを、私たちは、記憶していなければいけない。 民衆の側が犯した、この大きな誤謬(ごびゅう)と迷妄(めいもう)を、簡単に忘れ去ってはいけない。
私、副島隆彦が今も不愉快なのは、あの 3.11のあとの福島原発の事故に対して、私たちの学問道場が現地で活動して、「もう安全です。誰も死にません。発病しません」と、翌月の4月に報告したことで、 「もう、副島隆彦の言うことは信じない」と、恐怖心を露(あら)わにして、学問道場の会員を止(や)めた人が、1000人ぐらい出たことだ。
広い世の中の、他の人たちのことは、どうにもならないことだから、私は何も言わない。だが、私たちの学問道場の会員であって、私たちの現場からの決死の覚悟の報告を、文章や写真や、動画で、自分で、毎日、見て読んでいた者たちの中から、「放射能コワい、コワい」の愚か者たちが大勢出た。このことが私は残念でならない。
私、副島隆彦の現地からのコトバに、耳を傾けることをせずに、それまでの、私の本や文章への信頼を、一気に失って、「もう私はこの人の言うことを信じない。学問道場をやめる」として居なくなった。そういう人が1000人も出た。
私は、このことを今も深く無念に思っている。慙愧(ざんき)の念に堪(た)えない。せめて、「もしかしたら、副島隆彦の言うことが正しいのではないか」と、自分の判断をためらい、保留する、ということをしてくれたら、どんなに有り難いかったか。
普通とは違うことを言う、この人の意見に耳を傾けてみよう、という態度こそは、本当に優れた人間が取る行動だ。今も会員でいる人たちには、その人間としての余裕がある。この一点が、人間として素晴らしいことなのだ。
私は、困った時、悩んでいるときに、そういう 「ひとまず判断を保留して、戸惑いながらも、もう一度、自分の頭を整理して、考え直してみる」という、生き方の態度を身に着けられる人を尊敬している。そういう人間を育てることを、この学問道場の 教育方針の一番大事なところに置いている。
「いや、待てよ」と、世の中の大半の人が、たいして考えもしないで、即座に行ってしまう方向に行かないで、「いや、そうではないのではないか。この人の言っていることは、筋が通っている。真剣に訴えている」 と、じっとその場で、立ち止まって、ひとりで考えることだ。それが真に賢明な人間のすることだ。 そういう人間たちを育てるために、私は、この学問道場を16年間やってきた。 そして、そのために今もここに多くの優れた人々が集まっている。
ですから、5年前の原発事故のあとの私たちの活動をきっかけとして、会員をやめた人で、自分の今の考えを、正直に表明できる人は、この 重たい掲示板に、書いてほしい。そして出来れば会員として戻ってきてほしい。 愚か者になる為に、私たちはここに集まっているのではありません。
チョロチョロした金融情報を知りたい、というだけの、ネズミのような人間たちのために、この私たちの学問道場があるのではない。
そうではなくて、「いや、そうではないのではないか。真実は逆なのでは。もしかしたら、この少数者の意見の方が正しいのではないか」と、自分の考えを深くする者たちがひとりでも増えるようにと、私たちは集まっているのだ。 私たちには、自分勝手な思い込みや、付和雷同や、「長いものには巻かれろ」や、「仕方がないんだよ。世の中はそんなものだよ」 の、背骨が折れた人間たちの生き方を拒絶する だけの強さを持っている。
実は、「3・11」(3月11日)に、原発事故と放射能漏れが有ったのではない。その3日後の 今日3月14日に有ったのだ。 こういうことも大方の人は忘れている。
福島第一原発の1号機の爆発事故が起きたのは、大津波(午後2時半)を被(かぶ)った翌日の、3月12日午後3時36分だ。この事故のことは、政府とか権力者たちしか知らない。菅直人首相が現地上空にヘリコプターで行った。
私たち国民が大きな異変に気づいたのは、その翌日(13日)には何もなくて、その次の14日の午前11時01分 だ。 つまり5年前の今日だ。このときに、あの3号機の事故が起きて、小さなきのこ雲が原発の真上に上がった。あのとき、広島・長崎の原爆のきのこ雲とそっくりだ、とすべての人が感じて、青ざめた。 この映像は世界中に流された。繰り返し繰り返し流された。
それで、「放射能コワい、コワい」の恐怖心に自分の脳をやられた人間たちが、大挙して出現した。頭の悪い人間たちは、6月になってから、急に「きゃー。こわーい」と騒ぎ出した。 ある事柄(ことがら)を、脳が受容するのには個人差があって、時間がかかるのである。 もっとすごい人間になると、1年たってから「キャーキャー」と騒ぎ出した。特に女たちが、( 「私たちは、子供を産んで、子宮で考えているのよ」という思慮の足りない、典型的な女たち )がいた。 私は、これらの国民行動の証拠のすべてを、自分の手に入る限り資料として、溜めて持っている。
以下に、ここの「今日の ぼやき 」の 当時の、原発事故の直後に、私たちが、現地から報告した文章 9本を載せます。 今からでも 読み直してください。
(転載貼り付け始め)
今日のぼやき 「1218」番 私たちの「福島復興活動本部」ができまして、事務所開きのお知らせです。皆さん、いらしてください。それと、副島隆彦先生の最新の 「原発 報告文 16」を後ろに載せます。 2011.5.16
「1216」番 【動画】副島隆彦からの緊急提言(全編版。文字起しテキスト付き)。動物たちの殺処分だけでなく、福島の住民たちに対する、恐るべき政治的殺処分が行われようとしている。2011.5.8
「1215」番 【動画】副島隆彦からの緊急提言。動物たちの殺処分だけでなく、福島の住民たちに対する、恐るべき政治的殺処分が行われようとしている。東電原発事故の責任者たちを追求せよ。2011.5.1
2011年04月分
「1214」番 【動画】4月12日の福島県調査・取材時の動画を記録として載せます。2011年4月30日
「1210」番 【写真を追加】 副島・中田・古村で12日に福島県内の浜通り、中通りの各地を取材してきました。その時に収録した、副島隆彦先生の現時点での状況評価と提言を動画でお伝えします。あと、現地の写真を貼り付けます。2011年4月13日
「1209」番 【動画】 2011年3月28日・29日、福島第一原発に最大限近づいて観測した際に撮影した動画を載せます。2011.4.12
「1207」番 原発の避難者の皆さん、子供もつれて自分の家に帰りましょう。もう、大丈夫です。安心してください。と、私は、言い続けるしかない(報告文 10)。 副島隆彦 2011.4.1
2011年03月分
今日のぼやき 「1204」番 明日からまた弟子たちと福島に行きます。原発の放射能の測定を続けます。四ツ倉海岸に活動拠点を作ります(報告文 9)。 2011.3.27 副島隆彦
「1202」番 強運により、原発事故の凶悪事(強度の放射能汚染)から日本国民全体が、逃れることができました。 2011.3.20
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 よしなお君。 上記の 9本については、会員以外の人にも読めるように、規制を解除してくれませんか。
人間は、大いにためらった後に、よくよく考えたあと、自分の考えを変える、ということをしていい。そうするべきだ。それが人間の成長だ。その場合は、正直に、「以前とは違って、今は、自分はこのように考えている」と周囲に堂々と言うべきだ。そういう人間になるべきだ。 そのためにこそ、私たちの学問道場はあります。
副島隆彦拝
【1545】[1878]難民(なんみん)問題としての世界の古代史。『古代倭王(わおう)の正体』を読んだ。
副島隆彦です。 今日は、2016年3月13日です。
今の世界の中心の問題は、中東、アフガニスタン、北アフリカからヨーロッパ諸国への難民(なんみん、レフュジー refugees )問題だ。 難民と言う、移動する民衆の問題が世界の中心だ。
このことは、北アメリカの メキシコ国境から、アメリカ合衆国へ流入してくる移民、季節労働者、経済難民(けいざいなんみん。エコノミック・マイグラント economic migrants)、出稼ぎ労働者 の問題と同じだ。 共和党のドナルド・トランプ候補は、演説の中で、「メキシコ国境に高い塀(ビッグ・ウォール)を作る費用を出すのは誰ですか」 「そうです。メキシコ政府です」 という大唱和(だいしょうわ)を聴衆、支持者たちとやっている。
トランプの運動は、今や、荒れ狂うアメリカ民衆の運動だ。大不況の中でのたうち回るアメリカの下層、中層の白人たちが激しく怒っている。まさしくポピュリズム(民衆反乱)の吹き上げる熱気となっている。このことにアメリカの権力者や支配層が、血相を変え始めた。トランプを上から押さえ込みに入った。トランプは、まだ、取り引きに応じていない。ここで折れたら自分の名折れだ。
私は、日本の右翼あるいは保守的な人々が、「日本にも、中国や朝鮮半島で動乱が起きて、難民が何十万人も押し寄せて来なければいいが」と、心配している事実を重視する。
沖縄をこれ以上、安倍政権と右翼的な人々 が、差別して虐(いじ)めると、沖縄で独立論が起きる。と ヒドく心配した、安倍政権は、態度を変えて懐柔策(かいじゅうさく)に出たようだ。佐藤優(さとうまさる)氏が、鋭く、このことを 毎日新聞に書いたそうだ。 今の沖縄県の翁長(おなが)知事の 副知事が、自民党(東京政府)との連絡係だ。両者は深く話し込んでいる。
辺野古崎への米海兵隊のヘリポート用の滑走路付きの移転計画を日本政府が、「アメリカとの約束だ」としてこれ以上、強行すると沖縄に異変が起きると、察知したようである。
沖縄を見下して、「あいつらは態度が大きい。、それでも独立論と称して、中国に取られたらかなわない。このまま、緩衝地帯(かんしょうちたい、バッファー)でいてもらわないと日本が困る」
「この点では、韓国、北朝鮮が、日本にとっての中国との、緩衝地帯として今のまま残ってくれた方がいい」と、 恐ろしいまでの現実主義(リアリズム)で考える。この 日本の為政者 や、支配層の人々の考えを、私たち普通の日本人も、真剣に考えたほうがいい。
それで、私は、来週から発売の、『日本が中国の属国にさせられる日』(ベストセラーズ刊)を書いた。 帯に、「 共産主義の何が悪(あく)であり、どこをどのように間違ったのか」 と書いた。共産主義に反対し、その撲滅(ぼくめつ)のために命がけになる 日本の反共(はんきょう)右翼たちに対する、私からの語りかけだ。
それらは、現代の難民問題につながるのである。北朝鮮からの核兵器の脅威というものも同類だ。
民族(ネイションズ、あるいは、人種。レイス)の移動 の 時代に、世界が入った。動乱の時代の始まりだろう。 それに対して、島国=島嶼(とうしょ)国の 我々、日本人は、世界から吹いてくる大きな嵐を避けようとして、いよいよこの島国に立て籠もろうとしている。そのために、結婚しない、子供も作らない、人口を増やさない、独身者のまま生きる、という目に見えない悲しい運動を、国民運動として、やっている。
人間が、我儘(わがまま)になり尽くして、もう、親、兄弟、親戚 友人とさえ、話が合わない、という人が増えて、ひとり暮らしのまま生きて、そして死んでゆく、というライフ・スタイルになりつつある。私も、海を見下ろす崖の上の家にひとりいて、太陽信仰で朝日を拝みながら(出たばかりの初めの5分間の太陽は、黄色と赤色で美しい。そのあとはただの太陽、お日様だ)生きている。
そして、誰かが、私が死んでいるのを見つけてくれて、それを片付けてくれる人が、たった一人だけいてくれればそれでいい。医師の死亡診断書に間に合わなければ(医師の目の前に死なないといけない)、死体検視書かを作ってもらって、焼き場に持って行って焼いて、死亡届を出してくれる家族がいてくれればいい。 血縁者たちに看取られながら死ぬ、という生き方を、おそらく今の多くの日本人は、それから欧米先進国の人間たちは、もう望まなくなっている。どんな人にとっても死は静かにたった一人でやってくるものなのだ。
私は、この3日間、一冊の本を、ずっと読み続けた。 それは大きくはこの難民問題に関わるからだ。
『古代倭王(こだいわおう)の正体』(祥伝社新書、2016年2月刊)という本で、著者は、小林恵(やす)子 氏だ。 小林氏は、1936年生まれで、岡山大学の東洋史を出た女性で、現在、 80歳になるおばあちゃんだ。
この「古代倭王の正体」 という古代史の本をずっと、私は没頭して読んでいた。小さくメモを取りながら、地図帳(日本と世界の両方)と 歴史年表(日本史と世界史の両方)で事実と年号と場所 を いちいち確認しながら読んだ。
古代の倭王(わおう)というのは、倭国(わこく。西暦668年に、「日本」 と自分で名乗る前のこの国のこと。天智(てんち)天皇の時の近江令=おうみりょう=で出現した )の王たちのことだ。倭の国王(こくおう)たちの歴代の歴史のことだ。
私の本で説明した「天皇(てんこう)とは、北極星(ほっきょくせい)のことである」という説を書いてきた斎川眞(さいかわまこと)氏と私の共著は、今年中に出したい。
私は、この小林本が、一番、おしまいの方で書いている、日本(倭)に、西暦600年に、タクラマカン砂漠の方から、渡って来た、西突厥(にしとっけつ)の達頭(タルドウ)可汗(カガン。ハーン)が聖徳太子(しょうとくたいし)である、というあまりの 大きな話に、卒倒しそうになった。
私、副島隆彦は、「聖徳太子 は 蘇我入鹿(そがのいるか)である」の 関裕二(せきゆうじ)説に、それが登場した32年前(1984年)から注目した。そして、同時に、岡田秀英弘(おかだひでひろ)東京外語大学名誉教授(存命)の 「華僑(かきょう、オーヴァーシーズ・チャイニーズ)たちが、古代日本を作った」説を信じて、自分の日本古代史の本も書いてきた。
今では、欽明(きんめい、第29代天皇。在位539-571年)は、蘇我稲目(そがのいなめ)その人であり、次の敏達(びだつ、第30代 )と、用明(ようめい、第31代)天皇は、蘇我馬子(そがのうまこ)であろう、ということは、日本史学者たちが、呻き(うめ)声を上げながらでも認めなければ済まなくなっている 日本史(古代史)学界の 事実である。
「 えーい。もうどうなってもいい。史実などどうでもいい。厩戸王(うまやどのおう)がいたということにする。この厩戸皇子(うまやどのみこ)を、 聖徳(しょうとく)ということにしてしまえ。そうしないと、 『聖徳太子はいなかった』論争で、乱れに乱れた日本古代史は、大変なことになる 」 と、この10年で、苦し紛れに、歴史の大改竄(かいざん)をやっている。居直り尽くした日本文部科学省と、盲目的な天皇崇拝の体制護持派 が、困ってしまった。「聖徳太子はいなかった」の騒動を、無理やりでも鎮圧したのだ。
私、副島隆彦は、この事態に追撃の手を緩めない。 私の『闇に葬られた歴史』(2013年11月刊、PHP 研究所 )を読んでください。 聖徳太子はいなかった論を、私たち、学問道場の13年前の議論からさえ「も」泥棒して一大議論を作った、大山誠一(おおやませいいち)一派が、卑屈なる日本史学者の伝統で、吉川弘文堂(よしかわこうぶんどう)という、権威的な日本史出版社からの、脅しも有って、「聖徳太子はいなかった、では、日本の国の国体(こくたい、こっかたいせい)が、揺らぐから、もうこの辺で、議論をやめて、厩戸王という( バカな、何の存在根拠もない)人がいた、ということで、収めましょう」 ということになったのだ。
私、副島隆彦は、それらのおかしな取り決めを一切、認めない。これからも、お前たちの 学問犯罪の所業を、追撃し続ける。
蘇我氏が、西暦530年ぐらいから640年ぐらいまで、大王(だいおう、オオキミ)を名乗り、山門(やまと)や、御門(みかど、ミカド)と呼ばれる建物(邸宅、朝廷 そのもの)に住んでいた。近くに甘樫(あまかし)の丘というお城( 武器庫、と今は言われる)が今の奈良県明日香村あった。蘇我氏の一族の大きな住居 でかつ迎賓館が、斑鳩(いかるが)寺=法隆寺 である。
飛鳥寺(あすかでら)という古い、40年前ははぼろぼろだった寺の敷地の隅(すみ)に、入鹿大王(いるかだいおう)=聖徳 の 首塚(くびづか)がある。これは本物だ。重要人物殺された、その地にある首塚は簡単には移せない。怨霊(おんりょう)がそこに有るからだ。
私は、自分が、17歳のとき(高校2年、このあと高校を中退、放校とも言うの1970年に、この当時まだボロボロだった飛鳥寺を見に行った。和辻哲郎(わつじてつろう)の 「大和古寺巡礼」という本を持って。 飛鳥寺の鬱蒼(うっそう)とした、古い仏像を見て「これには妖気が漂っている」と感じた。
今度、私は、小林恵(やす)子という、80歳のおばあちゃん学者の「もう白内障で目が見えないから、本を読めない」と「あとがき」のある本、『 古代倭王の正体 海を越えて来た覇者たちの興亡 』 「卑弥呼、神武、ヤマトタケル、応神、雄略、聖徳太子、日本列島生まれは一人もいない ! 」「邪馬台国の所在地、天皇家のルーツが見える。紀元前から6世紀まで、ユーラシアを貫く壮大な古代史」 ・・・・
この本の気宇壮大(きうそうだい)、荒唐無稽(こうとうむけい) は、私、副島隆彦でも簡単には付いてゆけない。 高句麗(こうくり)王、 と 新羅(しらぎ。辰韓=しんかん=)王 と 百済(くだら)王 と そして、倭王(初期天皇)たちが、入れ替わったり、同一人物だったり、一時、日本にいて、それからまた高句麗や百済に戻って王になった、と。
日本(福井県、若狭あるいは、丹波=多婆邦(タバナ)王国 生まれの 脱解(だつかい)(紀元前19年生)が、弁韓(べんかん)=金官加羅(きんかんから)国=伽耶(かや)国=日本名は任那(みまな)で、受け入れられず、弁韓=新羅 で育ち、月城=現在の慶州(けいしゅう、キョンジュ)で、新羅王になる(P60)。
・・・・・この脱解(だつかい)が、高句麗王(こうくりおう)大武人(だいぶじん)になり、日本(倭、まだ 奴国=なこく= )にやってきて、神武(じんむ)天皇のモデルになった。スサノオノミコト の モデルでもある(P69)。
「魏志倭人伝(本当は、東夷伝倭人)」の中の、卑弥呼の死(西暦248年。これには異論がない )のあと、皆に支持されなかった男王 がいて、この男が、神武であり、この神武東遷(じんむ・とうせん、東の方への征服の移動 )は、248年で 北九州の博多湾の邪馬台国でまさしく卑弥呼が死んだ年だ、と。
小林恵子説は、卑弥呼は、中国の江南(今の、上海あたり)の地の巫術(ふじゅつ)師の 「許(きょ)」氏の出で、三国志が始まる 後漢(ごかん)末の大混乱の時、西暦172年に、中国の南から、日本列島に渡り、奄美大島に着いた、とする。 確かに、あそこの島々には、巫女(ふじょ、みこ)の伝統が残っている。
このあと博多湾の隣の糸島の湾にあった 伊都(イト)国に住み、平原(ひらはら)古墳に242年に埋葬された。この古墳から、日本最大の変形内行花文八葉鏡(へんけい・ないこう・かもんはちよう・きょう)が見つかっている(P85)。 同じものが、伊勢(いせ)神宮の伊勢の瑞龍寺山頂(ずいりゅうじ・さんちょう)古墳からも出ている(P87)、そうだ。
私、副島隆彦は、これまで、出雲(いずも) と 邪馬台国(私の考えでは、博多湾)と伊勢(いせ)の3者の関係が分からなかった。誰も教えてくれない。はっきりと書かない。なぜ 日本の天皇家にとって、出雲( 出雲大社、大物主=おおものぬし=)と 伊勢(天照大神 アマテラスオオミカミ )が、大事であるのに、それなのにどこか煙たがっている。そして出雲と伊勢は、両者は本当は、どういう関係なのか、誰も分かり易く書かない。 この小林本がそれとなく、それらの関係を書いてくれた。有り難いことだ。
P82 から書いている、江南の会稽(かいけい、今の杭州)にいた巫術者(ふじゅつしゃ)の許昌(きょしょう)が、西暦172年に、反乱を起こした。後漢帝国が乱れていた。このときに、同族の卑弥呼の一行が日本に難民となってだろう、逃れてきたのだ、と小林説はする。
私、副島隆彦の説では、西暦184年の、太平道(たいへいどう)の教えを説いて張角(ちょうかく)を指導者とする「黄巾(こうきん)の乱」を起こした人々は、「人類の現世の苦難からの救済(きゅうさい、サルベイション)」を求めた、キリスト教が、中国にまで伝わった人々だ。救済を求める人々の熱気の中から、世界の4大宗教は興った(ただしユダヤ教は救済宗教ではない)。
日本にまで伝わった仏教は、救済宗教としてのキリスト教と同じものだ。仏教はキリスト教の変形だ。同じく、中国の 太平道(黄巾の乱)と、同時期の五斗米道(ごとべいどう、張魯=ちょうろ=が指導者)が、中国の道教(どうきょう、タオイズム)の源流となったのだ。この指導者の張角や張魯 は、軍人(暴力団)ではなく、道士=導師であり、キリスト教の宣教師である。
そして、日本にまで渡って来た道教が、日本で、神道(しんとう、シントウイズム)に変形したのだ。それらにも、占(うらな)い、呪(まじな)い、祈祷(きとう)による病気治療、悪霊退散(精神病からの快癒)を求める、救済の思想がある。 私、副島隆彦は、ここまでずっと、何冊もの本でこのように書いてきた。
岡田英弘(おかだひでひろ)先生が、はっきりと30年前に書いていた。卑弥呼(ヒメミコだ)について、「魏志倭人伝」で書いている、「鬼道(きどう、鬼の道)に仕え 民を惑わし・・・」の「鬼道」とは、妖術などのことではなく、当時の中国の五斗米道(ごとべいどう)である、と。これで小林説とほぼ一致する。
そして それを 副島隆彦がさらに拡張して、これらの大きな宗教の発生による、キリスト教の爆発的な世界への広がりは、「 私たち哀れな人間を救けてくれ、援けてくれー」という 血の叫びなのである。
このあと、西暦220年に後漢が滅んで、その中から、例の 「三国志」の 曹操(そうそう、その子 曹丕 =そうひ=、 魏 を建てる)、劉備玄徳(りゅうびげんとく。蜀を健てる)・諸葛孔明(しょかつこうめい) と、孫堅(そんけん、その子孫権。呉の国)の 三国の戦いとなる。260年代まで。
この時の大混乱で、またしても日本にまで、逃げて来た難民が大勢いたはずなのだ。 筏(いかだ)のようなものを組んで、数万人が、流れ着いてきただろう。800キロぐらいの海を渡って来なければいけない。卑弥呼たちの様な、呉の国 (今の上海あたり)から( ここから、呉服=ごふく=が生まれる。呉音という読み方が日本に伝わって保存される。これ以外は、漢音=かんおん=だ ) だけでなく、遠く、揚子江(ようすこう。今の中国人は、長江=ちょうこう=としか言わない) をずっと下って来た、蜀(しょく、四川省)が滅んで、人々もいただろう。
日本は、大陸の東の 吹き溜まりだから、大陸で政治的な大混乱があると、必ず、難民となって、民族や、人種の生き残りが、日本にまで、流れ着いてくる。朝鮮半島からも来る。
今の、ヨーロッパへの 中東からの難民の様子は、民族の移動でもある。ホメロスの大叙事詩「オデユッセウス」や「イリアード」も、当時のエーゲ海に小アジア(今のトルコ)からの、動乱があって移動してきた民衆のたどった道とまったく同じだそうだ。
ヨーロッパからの、「お願いだから、こっちにこれ以上、来ないでくれ。迷惑だ」という表明が、ニューズで毎日、報道されている。 東アジアでも、きっと2000年前から繰り広げられた光景だ。難民たちの、あの、襤褸切(ぼろき)れや、毛布を頭と体に被(かぶ)って、子供の手を引いて、移動してゆく感じは、人類がずっと繰り返しやってきたことだ。 だから、これからも繰り返す。
小林本は、P118で次のように書いている。
「 私の推測では、高句麗の王 雛(すう)が滅ぼされて、大物主(おおものぬし)の勢力の残党が、「倭国 の 大乱」時代、瀬戸内海から近畿にかけて戦闘しながら大和に入った乱の中心だったと思う。そして長脛彦(ながすねひこ)勢力は神武勢が大和に入った時、大物主を祀(まつ)る三輪山(みわやま。今の桜井市)の周辺を中心に大和地方に君臨していた。」
私は、日本国の創業者とされる、神武(じんむ)天皇以来の、すべての古代倭王(わおう)が、西暦600年の 聖徳=蘇我入鹿大王 に至るまで、すべて高句麗王や、新羅王、百済王との二重王、であり、行ったり来たりしていたという 小林恵子説のあまりの遠大な古代史の図式に 圧倒された。
日本の天皇には、本姓はないということになってるが、本姓は、「休(きゅう)」である(P41)。 「万葉集」で、 「やすみしし」は、天皇にかかる枕詞であるが、これは、「休氏(きゅうし)スメラギ」で「やすみしし天皇」なのである、そうだ。
大夏(たいか)の休氏が、月氏(げっし)に入って、大月氏(だいげっし)になる。・・・・
壮大な 遊牧民族(ゆうぼくみんぞく)の興亡が、広大なユーラシア大陸の大草原で繰り広げられる。遊牧民族(nomad ノウマド)こそは、古代の世界史を作った人々だ。 私たち日本人は、ずっと島国にいて、農耕民=定住民(あagrarian アグラリアン)の伝統しか持たない(忘れてしまった)ので、なかなか理解できない。
何百キロも、いや、それこそ 何千キロも移動する、ということは出来るのか?
1.スキタイ( BC 7世紀からの広大な広がりを持つユーラシア大陸の遊牧民族の始まりの種族。馬を飼いならした )→
2.古代シリア →
3.バクトリア(BC250年ごろから) →
4.大月氏(だいげっし、BC150年ごろから )→
5.匈奴(きょうど。フンヌ、フン族。BC50年ごろから。のちに ヨーロッパに広がる。ヨーロッパで、西暦 300年代に、ゲルマン族の民族大移動を引き起こす原因となった )→
6.鮮卑(せんぴ。AD100年代から) →
7.クシャナ帝国(クシャナ朝、北インドから)→
8.エフタル (AD440年から、もとは大月氏の一部の部族だった)→
9.突厥 (とっけつ。西暦600年代から 西突厥と東突厥に分裂 ) →
10.ウイグル(700年代から。トルコ系。契丹=きったん=も。 のちのモンゴル族がこの文化や文字を受け継ぐ ) →
11.遼(りょう。これもトルコ系。900年代から。 )
12.金きん。満州族。1230年代に滅ぶ。 のちに、西暦1600年代から、後金=こうきん=を名乗って、中国に攻め込んで、女真族の大清(シン)帝国 が出来る )
13.モンゴル帝国 (1200年代から、チンギス・ハーンが興す。100年間だけ世界帝国を作った)
これらのことが、小林本の記述を確認しながら、私の中で、大きくつながった。
この本には、たった一枚しか地図は付いてない。P152, 153 だ。 私は、これまで、扶余(ふよ)族、という、大きな遊牧民族のことが分からなかった。 扶余(ふよ)が南下したのである。 松花江(しょうかこう)という満州の中心部を大きく流れる大河がある。
そのど真ん中に、ハルピン(哈爾濱)をロシアが、1900年ごろに、突貫工事で、作った。私は、松花江を3年前に見に行った。満州帝国と満蒙開拓団の悲劇が有った一体だ。
その辺に扶余族はいた。 満州族 である 金(きん)帝国 や、女真の清の帝国を作った者たちは、もっと南の、長春(ちょうしゅん。日本時代は、新京)と、さらに南の瀋陽(しんよう。日本時代は、奉天=ほうてん=)だ。ここでも、冬は零下30度だ。耳覆(みみおお)いがないとすぐに凍傷になる。私はここにも行って体験した。
私は、その扶余族の西となりに、3世紀(西暦200年代)から、同じ遊牧民族の鮮卑(せんぴ)族が勃興して居たことが、どうしても、実感で分からなかった。それから、沃姐(よくそ)族が、特に北沃姐族が、今のウラジオストクのあたりにいたことが、ようやく分かった。 韃靼(だったん、タタール)人は、小林本には、一言も出てこない。
それから、邑婁(ゆうそう)族という種族が、もっと北の、ペイロンチー(黒竜江)河や、ウスリー河のあたりにいたこと。それから、新羅(=辰韓)の北にいた、 穢(サンズイ、わい)と狛(はく)という部族国家のことがずっと気になっていた。 靺鞨人(まっかつじん)というのもいた。
今の韓国人は、「自分たちの祖先は、北の方から移動してきた、モンゴルのような遊牧民族だ。とくに新羅はそうだ」と言う。 それは、これらの扶余族の南下のことだろう。ところが、そのほかに、トルコ(チュルク)人である、大月氏系 もいた。
大月氏の地(中央アジアの、今のタシケントやサマルカンドのあたり)は、日本から5000キロの先である。
遠く、中央アジアの 大月氏(だいげっし)の部族が、日本にまで、やってきていた。しかも、日本で大王(オオキミ、天皇)にまでなっていたこと。それらの、興亡の激しさに、私でも小林本の記述のすべてには、とてもつても付いてゆけない。それでも、この気宇壮大になんとか、喰らいついてゆく。
それから、「欠史八代(けっしはちだい)」と日本古代史で言われる、神武天皇から、あとの2代目綏靖(すいぜい)、3代目 安寧(あんねい)、4代目 懿徳(いとく)、5代目 孝昭(こうしょう)、6代目 孝安(こうあん)、7代目 考霊(こうれい)、8代目 孝元8こうげん)、9代目 開化(かいか)天皇 のことと、動きを、逐一、初めてその概略を知った。
そのあとに、10代 崇神(すじん、西暦300年前後。大月氏大夏系の葛城=かつらぎ=氏系の、出雲系・大物主=おおものぬし=の勢力 を打倒して、大和に入って三輪山を根拠地にした。) 、11代 垂仁(すいにん。西暦315年に 纏向=まきむく= 今の、奈良県桜井市 に都を作った) 、12代 景行(けいこう。ヤマトヤケル=大和武尊=のモデル。扶余=ふよ=あるいは鮮卑=せんぴ=族の慕容=ぼよう=氏の一族である。 慕容コウ その人 ) ・・・・ 大月氏 である 古い先住者である出雲の大物主 や葛城(かつらぎ)氏 の 勢力が、 山門(=大和)からも 駆逐されてゆく。・・・
なんともはや、壮大な、ユーラシア大陸をまたがる、さらに中央アジア史の一部としての さらに東アジア史の一部としての 日本 (倭国)に全てがつながっている話だ。
昨年末に、私は、「これで、副島隆彦の日本古代史 は、完成した」 と思って本を書く準備をしていたのに。 「 東アジア史の一部としての、日本の、 西暦200年代(卑弥呼=ヒメミコ=の邪馬台国)、300年代、400年代、500年代、600年代が、これで大きく分かった。これでいい 」 と、すべて描きつくそうと思った。
それは、「次々に、中国の歴代王朝の交替の大混乱 (戦乱)によって、朝鮮半島と 満州あたりだけでなく、 日本にまでも大きな、津波のように、難民となって、次々と、押し寄せてくる人々の群れ 」の話として、私はずっと書こうとしていた。
次々にやってくる難民たちは、筏(いかだ)に、馬、豚や、羊(日本では山羊、ヤギ)や、牛を載せて、北九州から、瀬戸内海を通って、順番に、ぞろぞろと数千人の群れとなって、「東へ、東へ」と移動していった。「あっちの方が空いているから、あっちにいってくれ」と 先住者たちに言われながら。
日本では、、馬、牛を去勢していないから、だから、江上浪夫(えがみなみお)の騎馬民族(きばみんぞく)征服王朝説は成り立たない」と、1990年代に、葬り去った、終生、悪質な学者であった、梅原猛(うめはらたけし)たちの 勢力は、今や、駆逐されつつある。
遊牧民族(騎馬民族というのは、どうかなあ)は、何千頭も、何万頭も、家畜( livestock ライブストック,
生きている 財産、食べ物)を引き連れて、ぞろぞろと どこまでに、草原を移動してゆく。家畜は、殺したら、すぐに食べないと、10時間で腐って行く。 しかし、生きている動物は、腐らない。 生きた羊と、牛と、豚と、馬と、ヤギを連れている限り、そしてその餌(えさ)となる草原の草がある限り、どこまででも移動して行ける。
遊牧民は、家畜さえいれば、生きて行ける。肉とミルク、あとは、家畜の皮から作ったパオ、ゲルの住居と、焚き火用の材木だ。 私は、5年前に、カザフスタンのあと、モンゴルに行った。 モンゴルの首都ウランバトール
から、200キロと地の観光客用の ゲル(中国名はパオ)に 5日いた。 遠くの、30キロぐらい先を、次から、次に、羊や、馬の群れが、水飲み場に来て、それから、はっと気づいたら、もう 20キロぐらい先に、行っている光景を見た。 生きている食糧である家畜を連れていれば、遊牧民はどこまでも移動できる。
考えてみれば、西暦375年に、ヨーロッパ北部で、フン族(匈奴、やがてアッチラ大王が出てくる。ハンガリー人は、今でもアッチラという名前を子供に付ける )が、背後から圧迫したので、ゴート族というゲルマン民族のひとつが、一斉に 数十万人がドナウ川(ダニューブ川)を渡りだした。ローマ帝国の兵士たちがそれを押しとどめることが出来なかった。
この時からが、ゲルマン民族の大移動だ。それから、このゲルマンの遊牧民たちの多くの部族が、100年間ぐらいの間に、ヨーロッパ中を、そして北アフリカ( ヴァンンダル族、バーバリアン)にまで移動していった。 あの感じと同じことが、東アジアでも起きたのだ、いや、きっと起きたはずだ、と 考えなければ、真の世界史の理解にならない。
日本に押し寄せた難民たちは、うまく話が付かないで先住民との戦乱もあったろう。 そうやって、いつ、山門(やまと、大和。今の奈良盆地)にまで、入っていったか。それを、初期天皇たちの動きとして、逐一、私は、叙述しようと思った。
それが、この小林本によって、打ち壊された。この小林本のスケイル(もの差し)の大きさの前に、私の「日本古代史の全体像」は、この3日間で、吹き飛ばされてしまった。
中央アジアの日本から5千キロ先の、大月氏(だいげっし)や突厥(とっけつ)などの遊牧民族が、はるばる日本にまでやってきて、そして、歴代国王にまで、何人も何人も、次々と何人もなっている、話を、これでもか、これでもか、と書かれると、普通の日本人は、頭が割れるか、眩暈(めまい)がするだろう。
「もう、やめてください。私の頭には入りません。そんな、大月氏とか、鮮卑(せんぴ)族、とか、エフタルとか、扶余(ふよ)族とか、日本にやってきて国王になった、なんて、やめてください。匈奴(きょうど)ぐらいなら習って知っているけど。それ以上は、頭に入りません」と なる。
私、副島隆彦は、そういうわけにはゆかない。私は、5年前に、カザフスタンに行った。アルマトウ(ここが、新しい世界銀行の地になるだろう)に行った。首都のアスタナにも行った。ここから天山(てんさん、テンシャン)山脈を南に見て、その向こうのキルギスまでが見えた。
その向こうは、フェルガナ盆地(大宛国、だいえんこく)を一部にしているウズベキスタン(ここが、中央アジア5か国の、本当は中心の国。しかし、政情不安で栄えていない)だ。 ここらに大月氏国 があったのだ。
それから、7年ぐらい前に、私は新疆ウイグル自治区 のウルムチや、敦煌(とんこう)、トルファン盆地、ハミに行った。 コルラ、クチャ(庫車)には行けなかったが、天山山脈そのもののあたりを車で走った。
この小林本の P42に、「中央アジアに残った大月氏は大体シルクロード上のオアシス都市クチャ(かつての亀茲=きじ=国)の東北(にある)金山(きんざん)あたりに住んでいたらしい」 とある。 ここの金山(きんざん)を私、副島隆彦は自分の目では見ていないが、そのあたりの出身者の女性に話を聞いた。
中国人は、北西の遊牧民を、西戎(せいじゅう。西の方の遊牧民で、野蛮人の「えびす」たち。トルコ系。チュルク人。のちのウイグル族や契丹族。それが、モンゴル族にもなった )と呼ぶが、犬戎(けんじゅう)とも呼ぶ。 この大月氏、犬戎が日本の天皇族の「休」氏の一族である(P44)。
私、副島隆彦説では、「満州人(マンジュ)とは、大興安嶺(だいこうあんれい)山脈を越えて来た、モンゴル族である。そして、狩猟もする民族になった」となる。 この点で、岡田英弘先生と、意見が合わなくて、岡田先生が、顔をそむけたので、それで対談本の企画が流れた。もう12ぐらい前のことだ。私のあまりにも荒っぽい(粗っぽい)議論に、岡田先生が、拒否の態度を取られた。岡田先生が、日本の東洋史、モンゴル史、満州史、朝鮮史 総して、アルタイ学(会)( Altaic studies アルタイック・スタディーズ)の 日本における権威である。
岡田先生と奥様 が、同じ東洋史である 小林さんの研究を何と言うか、私は、聞いてみたいが、きっと顔をそむけるだろうと、思う。
小林恵子(やすこ)さんは、中国の正史である各王朝の歴史書、特に『資治通鑑(しじつがん)』も読んでいるが、『高句麗本紀(こうくりほんぎ)』や、『新羅本紀(しらぎほんき)』、『百済本紀』、『海山経』、『三国史記』 なども読んでいる。日本史学者たちは、こういう資料の読み込みをしない。出来ない。
そして、細かく日本の『記紀』( 古事記 と 日本書紀。日本の正史と決めつけられてる)と付き合わあせている。 いい加減な突合せ(照合)はしていない。
そして、P202で「応神 と 広開土王 の死闘」 となっている。応神(おうじん)天皇 (第15代、在位、西暦270―310年。この大王 は実在とされる)が、あの有名な、高句麗の王である「広開土王(こうかいどおう)の碑文(413年、息子の長寿王=ちょうじゅおう=が建てた)」の広開土王のことを 書いている。
・・・・そして、P223で,仁徳天皇は、この広開土王(好太王 、句麗王安、)であり、日本征服に来た、となっている。あーあーあーで、ずっとこの調子だ。 私は、頭が強いから、簡単には割れないから、耐えられる。普通の人には耐えられないだろう。
小林恵子女史は、古代オリエント学会の会員である。この古代オリエント学会(1954年設立)は、三笠宮(みかさのみや、昭和天皇の末弟。存命 )によって運営されてきた。 小林女史が、「あとがき」で書いているが、「三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんのう)殿下に何かと学問上のお世話をいただきました。・・・常識外れの私説に対しても一度も疑義のお言葉をいただいたことはありません」 と、 書いている。
三笠宮は、「2月11日を建国記念日(神武天皇が国造り=国家統一を決めた日とされるとすることに歴史学的な根拠はない)と、紀元節(きげんせつ)の復活にかつて反対した。それで三笠宮は右翼たちから攻撃された。
三笠宮は、中東、オリエント世界 (中央アジア()への遺跡発掘調査にも出かけて、実は、あの映画「インデアナ・ジョーンズ」(主演、ハリソン・フォード)のモデルにもなった人なのだ。
私は、この小林恵子氏の本は、十分の根拠を持っていると判断した。従来の、古代史を、ユダヤの失われた一支族(第13氏族)が、日本にまでやってきて、四国の剣山(つるぎさん)そのほかに、古代国家の痕跡を残している」などと書く、歴史学の知識や精密な研究歴 を持たない、いい加減な思い付きだけの、おかしな人たちが書く本とは、異なる。
ただ、どうやって、あの 5000キロも先の、中央アジアの広大な砂漠や草原地帯を超えて、はるばる、日本まで、どういう動機でやってきて(確かに 移動する遊牧民たちの時代だ )、しかも次々と日本の王にまでなっている、というのは、どういうことなのか。私は、今、この『古代倭王(たち)の正体』を読んで、深く考え込んでいる。
副島隆彦拝