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田中進二郎 投稿日:2016/03/31 22:51

【1567】[1900]副島隆彦先生著『信長イエズス会に爆殺され、家康はすり替えられた』を読む②

●副島隆彦先生著『信長はイエズス会に爆殺され、家康はすり替えられた』を読む②
ーイエズス会が日本にもたらした科学技術をめぐる、徳川幕府とキリシタン大名の暗闘ー

(注)副島隆彦先生の3/30の御投稿が↓にありますので。

最初に前回の投稿で誤りがあったので、訂正させて頂きます。

×「イエズス会のヴァリニャー二が、本能寺の変のあと、「琵琶湖の小島に隠れていた」と
記録されている。」

○「イエズス会の巡察使・オルガンティーノ(1530-1609)が、本能寺の変のあと、「琵琶湖の小島に隠れていた」と記録されている。」

(ヴァリニャーニは本能寺の変の半年ほど前にインドのゴアに帰還していました。)

×金沢市に今も残る辰巳(たつみ)用水も、右近から学んだ板屋兵四郎(いたや ひょうしろう)がわずか1年で正確に工事を完成させた。

○金沢市に残る辰巳用水も、高山右近とともに加賀領内にやってきたイエズス会の宣教師や、技術者たちから学んだ板屋兵四郎が前田家に抜てきされて、わずか1年で正確に工事を完成させた。

(イエズス会やフランシスコ会ーどちらも、ローマ・カトリック教会ーは、高度な測量技術をもち、地図を作ることができた。そして、黒色火薬。キリシタン大名が急速に日本国内に現れた理由の一つが、宣教師たちが当時世界最高の科学技術をもたらしたことだった。)

上記に関連して、前田利家だけでなく、伊達政宗も南蛮人の宣教師を招いて鉱山を開発させていた。
最新刊『政宗の陰謀』(大泉光一著 大空出版 2016年刊)によると、
秀吉も、家康もスペインの鉱山の採掘技術ー灰吹き法ーの技術者集団を送るように、宣教師たちに命じていた。家康は、フランシスコ会(スペイン系)の宣教師ルイス・ソテロ(1574-1624)にそれを期待したが、スペイン帝国が技術者の派遣を断ったことや、スペイン人が幕府のために建造したガレオン船が進水に失敗したことなどもあり、フランシスコ会を冷遇した。イギリス人ウィリアム・アダムズが台頭してくると、家康は本格的に禁教を考え始める。
将軍家から締め出されたソテロは、のちにキリシタンの後藤寿庵(ごとう じゅあん 洗礼名ジョアン)の仲立ちで、伊達政宗の仙台に行く。このソテロは、実は改宗ユダヤ人(コンヴェルソ converso セファルディ系ユダヤ人) であり、スペイン最古の大学・サラマンカ大学で神学(シオロジー theology)や法学などを修め、フランシスコ会に入会した人物である。政宗はこのソテロと共謀して、「日本のキリシタンの王」という地位を、スペイン帝国とローマ法王に認めてもらい、徳川政権を国内のキリシタンと、スペイン帝国の援助で倒す計画を開始した。幕府の目を通商条約締結という名目で欺きながら、密命を帯びた支倉常長を団長とする使節を派遣した。太平洋を横断したのち、メキシコ(ヌエバ・エスパーニャ 新スペイン)、スペイン、ローマで歓迎を受けたソテロ、支倉一行はしかし、目的を果たせなかった。それはフランシスコ会が東日本の宣教を独占しようという、ソテロの野心に気づいたイエズス会(ポルトガル系)が、いち早くローマ教会に通報し、伊達政宗は本当のキリシタンではないことを密告したためだ、と『政宗の陰謀』の著者・大泉光一氏は書いている。これらの記録文書がバチカンはじめカトリック教国に現在も残されている。大泉 氏は、半世紀もかけて支倉使節団に関する、原語の史料を解読したということだ。

政宗は、支倉常長使節団の秘密交渉が失敗した、と知ると倒幕計画のすべての証拠を焼き捨てて、幕府に恭順の意をひたすら示し始める。ここで、伊達政宗は自らが信長たらんとした、若き日からの野望をもはや完全に捨て去って、キリシタンの仮面も捨てて、領内のキリシタンを処刑していった。
(政宗は十代のときから、織田信長に憧れていた。信長そっくりの出で立ちを好んでしていたらしい。が、表面だけ真似して、信長の精神までは引き継がなかった。)

このときまでにすでに伊達家領内には、高山右近やイエズス会宣教師が滞在した加賀・前田藩と同じように、宣教師たちと後藤寿庵たちが入り込み、信仰の共同体が築かれていた。後藤という姓ももともとは、キリシタンが多かった長崎の五島列島から渡ってきたためについたらしい。伊達政宗が晩年につくらせた、貞山堀(ていざんぼり 貞山は政宗の晩年の号)にも、後藤寿庵の技術と算術がものをいった。(貞山堀は、東日本大震災で大きな被害を受けた。)

(奥州の隠れキリシタン殉教の地 動画ー【短編ドキュメンタリー】大籠探訪 キリシタン殉教の地: http://youtu.be/PvRsu0bI80o

政宗が藩内でキリシタン弾圧をはじめると、後藤寿庵も領内で捕らえられ、むごい殺され方をしたという。しかし、この後藤家は、岩手県の水沢で続いていく。生き残った子孫は密かにキリスト教の信仰を続けた。江戸時代には、大槻玄沢、高野長英といった大蘭学者を続々と輩出した。彼らは南蛮人(スペイン・ポルトガル人)の舶来の技術に精通する血筋から出てきていたのだ。南蛮文化が後藤家の中でひそかに蘭学へと変容を遂げていったということが分かる。さらには、大正・昭和の政治家・実業家として有名な、あの後藤新平へとつながっていく。
(成甲書房刊『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』の後藤新平の評伝ー中田安彦氏筆をお読みください。)
 
歴史評論家・落合莞爾(おちあい かんじ)氏のブログには、後藤新平は自分が隠れキリシタンの一族の出である、ということを明かしていた、ということが書かれている。
引用します。

http://2006530.blog69.fc2.com/category2-12.html
自分は隠れキリシタン」 後藤を生んだ水沢の伏流
(引用開始)

 後藤新平は、水沢伊達家の小姓頭・後藤左伝次の長男として、安政4年(1857)に生まれた。安政3年生まれの南部藩上士の次男・原敬と、同年の日向都城藩士の次男・上原勇作を合わせた3人こそ大正時代の3大政治家で、その気宇と実績は現実に首相に就いた大隈重信・寺内正毅・山本権兵衛らを遥かに凌駕している。台湾政策の実行に関わった児玉と後藤を比べる時、後藤が児玉(というより、薩摩派首脳を除くどの日本人)よりも、1段深くワンワールドに染まっていたと思えるが、理由はその出自であろう。大正中期、上原元帥の命令で特種のケシを栽培し、純質アヘンの生産に励んでいた吉薗周蔵は、後藤新平から数回にわたりケシの栽培・利用に関する協力を求められたが、その際に後藤が指定した密会場所は、たいてい神田や中野のメソジスト教会で、そこで後藤は「自分は隠れキリシタンの家筋で、家には数百年以来の伝承がある」ことを明らかにした。水沢は独自の国際化政策を有した伊達家がキリシタンを集めた地で、水沢キリシタンの主頭・後藤寿庵の直系子孫が後藤新平である。

(引用終わり)

田中進二郎です。
一方で加賀前田藩も、伊達藩と同様に徳川初期政権との厳しい緊張関係にあった。
高山右近とイエズス会宣教師によるキリスト教宣教の影響が大きかったため、幕府は前田家が謀叛の疑いがある、とにらんでいた。前田利家の没後も、利長・利常(としつね)と三代にわたり、幕府は警戒をおこたらなかった。1632年には金沢城内の火薬庫が爆発して、大火が発生し市街地までを焼くという大事件がおこっている。落雷のために起こったことになっている。
だが、幕府の隠密が引き起こした可能性もあるだろう。この大火のあと、防災用の水を得るために、板屋兵四郎を起用して、辰巳用水(逆サイフォン式ー犀川から兼六園に水を汲み上げ、そこから市内へ流れ下っていく)が急ピッチでつくられたのだ(1633年完成)。
前田家の歴代藩主が「忍」という一文字の掛け軸を、奥座敷にかけていたのは有名だ。幕府の鎖国政策完成(1641年出島完成)に向かう頃に、加賀藩は相当ギュウといわされている。三代目藩主・利常は鼻毛を伸ばして、呆けたふりまでした。それでも陰では前田の歴代藩主たちは、山奥の五箇庄(ごかのしょう)で黒色火薬(gunpowder)の原料の塩硝(えんしょう 硝石 硝酸ナトリウム)を作らせ続けていたのである。越中富山の五箇庄と加賀の金沢を結ぶ「塩硝街道」については、故・司馬遼太郎も調査して書いている。金沢に運ばれた塩硝は、木炭と硫黄を練り合わせて火薬にされた。副島本の中で、イエズス会が本能寺の信長を爆殺した際に用いた火薬もこれと同じものであろう。この黒色火薬を加賀藩が生産出来るということは重大だった。

塩硝街道(五箇庄~金沢)↓
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1793168/1802629/97003628

『信長はイエズス会に爆殺され、家康はすり替えられた』で副島先生は故・八切止夫(やぎり とめお)史観の復活を唱えておられます。その八切止夫が次のように書いている。
『論考八切史観(最終)』からやや長いですが、引用します。
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1100

(引用開始)

「天文十二年(1543年)種子島に鉄砲伝来」とは周知の事実だが、鉄砲を用いるには火薬がいる。そして当時の九州南部で採れても、主成分の硝石は日本列島では全く[ほとんど?]産出しない。つまり鉄砲の国産は国友鍛冶や根来(ねごろ)の雑賀(さいが)の鍛冶が大量生産したが、用いる火薬はすべて輸入依存だったのである。
 
信長時代はポルトガル船をマカオ経由、秀吉時代はイスパニア品をマニラ経由で輸入した。だから戦国時代というのは、武将や武者故人のバイタリティーで覇を競ったように今ではいわれるが、どうもそうではなく、良質な火薬エージェントをつかんだ戦国大名が、勝利を勝ち取ったもののようである。
 ところが、日本歴史というのは、鉄砲は火薬なしで使用できるものと誤認したのか、これまでそこを誰一人として解明していない。軍需用硝石ほしさに、言葉もわからぬまま宣教師と仲良くしたり洗礼したりした連中までを、「信仰あつき切支丹大名」としてしまう。
(中略)
徳川家は寛永十四年の島原の乱に懲(こ)りて、長崎に出島を築き、渡航許可をオランダ船のみに限定した。ということは、硝石の独占輸入法案で、他への横流しを一切認めぬ禁制をとったことになる。こうなると他の大名やその他にしても、硝石が入手不能では火薬ができぬ。それがなくては鉄砲も大砲も使えない。
 だから幕末になって、長州が上海へ硝石の買付けにいって叛乱するまでは、なんとか天下泰平が続いたのである。
「鎖国」というのはつまり、なにもキリスト教に怯えたためでも何でもなく、硝石を独り占めにして治安維持を図った巧妙な徳川家の政治目的による偽装だったにすぎない。

(引用終わり)

田中進二郎です。八切止夫氏が書いているように、鎖国政策は、徳川幕府による火薬の原料の独占が大きな目的であった。だから加賀の金沢城にあった火薬庫を幕府が爆破したとしても、おかしくはない。

実は、信長も、きわめて早い段階から近江商人とつながって、火薬の入手ルートを確保していた。上洛を果たし、足利義昭を将軍の座に付ける前から(1568年以前)のことらしい。信長が鉄砲を使用したことが出てくるのは、永禄二年(1559年2月)の尾張・岩倉城攻めの時だ。信長はこの戦いで尾張統一を成し遂げた。翌年が、全国に名を轟かせた桶狭間の戦い(1560年)である。そのころにすでに近江国の国友、日野といったところが、鉄砲生産の拠点になっていた。
近江の土倉(高利貸し)から火薬ビジネスに進出していったことで有名なのが、角倉了以(すみのくら りょうい)である。了以は徳川家康の時代にも、朱印状をもらって東南アジアからの硝石や鉛(鉄砲玉の原料)を輸入していた。角倉(すみのくら)というのは、おそらく炭(すみ)ではなく黒色火薬を暗に意味していたのであろう。もともとは吉田姓である。京都の吉田神道もこの一族だった。そして吉田神道は、嵐山から遠くない愛宕山(あたごやま)にある愛宕権現の神主も兼ねていた。副島先生の『イエズス会は信長に爆殺され家康はすり替えられた』とのつながりが見えてくる。

吉田神道は金貸しも愛宕権現で行っていた、そして本能寺の変の直前に、明智光秀が愛宕権現で里村紹巴(さとむら じょうは)らと連歌を詠んだ。

時は今 天(あま)が下なる 五月(さつき)かな

という一句だ。この時、愛宕権現(神社)は明智光秀に合戦のために融資をしたのだ、と上記の副島本 (p141)に書かれている。当時の吉田神社の神主・吉田兼見(よしだ かねみ)は、明智光秀と最も昵懇(じっこん)の間柄だったので、本能寺の変に直接融資をしたのだろう。
だからやはり吉田神道は裏でイエズス会とつながっていた、と考えざるをえないのである。
しかし、吉田兼見は山崎の戦いで、光秀が敗れると、すぐさま「天罰眼前」と言って光秀との関係を絶って、秀吉と接触をはかった。また、『兼見卿日記』に手を入れて記録を改ざんしたことは、明智本にもある。吉田一族は、時の権力者にたくみに取り入って、利益をあげている。

角倉了以ものちに、黒色火薬を使って京都の保津川開削(かいさく)事業を行っている。川岸の大きな岩石を破砕するのに用いられたはずだ。そのほかに、滑車を用いて、岩を引き上げたり、ゼネコンの工事風景さながらだっただろう。
京都の中心を南北に流れる高瀬川も、角倉了以の指揮によって行われた。そうして、交通の利便をはかって、運河や河川の通行料の半分が角倉家に入った。京都の偉人とされている了以は、本当はユダヤ商人のように狡猾(こうかつ)でもあった。

学問道場の六城雅敦さんに教えて頂いた鳴海風(なるみ ふう)著『江戸の天才数学者-世界を驚かせた和算家たち』(新潮選書2012年刊)という本には、角倉了以が、吉田流算術の元祖であった、とある。了以とその息子、素庵(そあん)の二人から算術を学んだのが、和算書のベストセラー『塵劫記』(じんごうき 1627年刊行)を著した吉田光由(みつよし 1598-1672)である。角倉家との血縁もあり、開削工事に加わって難工事を成功させたこともある。もともと、技術屋(エンジニア)だったのだ。だが少年時代に、京都の天主堂で布教していたイタリア人宣教師のカルロ・スピノラから、数学を学んだ可能性がある、と鳴海氏は書いている。(p27)スピノラから、ピタゴラスの定理や、円周率を教わっていたようだ。(p84)イタリア人宣教師たちは、ルネサンス期のイタリアの数学者たちの業績を、デウスの御業と称して、教えただろう。本国ではルネサンス運動を押しつぶしたくせに平気で剽窃(ひょうせつ)だ。

そのスピノラも、禁教令で幕府に迫害されて、長崎で処刑された(1618年)。吉田光由も『塵劫記』が売れれば売れるほど、幕府から隠れキリシタンではないか、という疑いの目で見られるようになり、熊本のキリシタン大名・細川忠興(妻は細川ガラシャ 玉子ーたまこ)を頼ったこともあった。晩年は京の嵯峨野で隠れるように暮らして世を去った、という。

時代は下るが、江戸時代の前半には、徳川幕府は暦を変えるのに、京都の公家たちの権威を借りていた。暦を変えるためには、京都の土御門(つちみかど)家の許可を必要とした。わざわざ、幕府機関の天文方(てんもんがた)のトップに吉田神道や、陰陽道(おんみょうどう)の人間を据えておかなければならなかった。

幕府天文方というのは、↓の六城雅敦さんもお書きになっているように、日本で最初に暦を作った渋川春海(しぶかわ はるみ 安井算哲ともいう 1639-1715)にはじまる。のち1782年に天文台が浅草に設置され、長崎経由で輸入された望遠鏡を用いて、天体観測が開始された。しかし、まだ京都の公家の陰陽師(おんみょうし)や神道家(吉田神道)の末裔たちが天文方のトップにいた。幕府は、彼らを引きずりおろすために、下級武士であった高橋至時(よしとき)という和算の天才を浅草天文台の局長に抜擢した。これは、朝廷側からの猛反発が予想された。だから、この人事を幕府は朝廷に極秘で進めた。老中松平定信もこの計画に加わっていた、という。蘭癖(らんぺき)大名・堀田正敦(ほった まさあつ  1755-1832 若年寄 近江国堅田(かただ)藩主 伊達政宗の子孫)がこの計画の中心だった。

千葉の佐倉の総庄屋・伊能忠敬(1745-1818)も、極貧の至時を資金援助をするために付けられた。しかし伊能忠敬の本当の姿は公儀隠密だ。天文方の蘭学者を監視もしていただろう。あと一人、間重富(はざま しげとみ 大阪の町人・数学者)の三人が中心になって、寛政の改暦事業が行われた (1797年 寛政九年 改暦の実施はその翌年)。この寛政暦は、天文台で実際に天体観測した結果から、膨大な計算をして作り上げた暦である。
(広瀬隆著『文明開化は長崎から』集英社2014年刊を参考にした)

つまり朝廷や吉田神道に対抗して、幕府の蘭癖(らんぺき)大名ー副島先生のことばでいうと、隠れキリシタン大名ーたちが蘭学者たちに命じて、暦を作らせたのだ。この改暦事業の日本の数学史的な意義については、今後、六城雅敦さんが明らかにされるだろう。きっと、寛政のルネサンスと呼ぶにふさわしい大きな出来事だったのだろう。これが、蕃書和解御用(ばんしょわげごよう)、蕃書調所(ばんしょしらべしょ)へとつながっていくのである。

ー付記ー
 南蛮の宣教師たちとともにやってきた工人たちの残した遺産というのは、全国的に見ても多い。九州には、長崎の眼鏡橋、熊本県の砥用町(ともち)の通潤橋(つうじゅんきょう)という石橋、鹿児島の鶴丸城の甲突(こうつき)五橋といわれる石橋など。岩永三五郎たち、「肥後の石工」と呼ばれたひとたちが作ったという。岩永三五郎は、薩摩藩に命じられて、敵が攻撃してきたときには、1個の石を取り外すだけで橋が全て崩れる仕掛けのものをつくった。秘密保守のため、三五郎以外の工夫たちは、工事が終わると薩摩藩の侍に斬り殺された、というかわいそうな逸話がある。(金沢の辰巳用水についても、板屋兵四郎と工人たちは加賀藩士に殺された、という説もある。)
しかし、アーチ型の石橋がなぜ日本に忽然(こつぜん)と姿をあらわしたのか?
通潤橋は、現在も農業用水を通す水道橋として現役である。古代ローマ帝国で作られた水道橋とほぼ同じ技術が日本に伝えられたのだろう。そして日本の石工たちに直接、技術(テクニック)を伝えたのは、宣教師ではないだろう。それは、南蛮人の宣教師とともにやって来た、初期フリーメイソン(石工の同業者)たちであったのではないか?だからこそ、これらの橋や、用水の技術が今もって謎に包まれているのだろう。これらは、Godに仕える者だけが知る秘技として、他言は禁止だったはずだ。鹿児島市内にたつ岩永三五郎の像は定規を手に持ち、フリーメイソンであったことを如実に物語っているように私には見える。

(岩永三五郎像の写真ー

田中進二郎拝
shinjintaro@gmail.com

本多俊一 投稿日:2016/03/30 19:32

【1566】[1899]図表は2ページに

>↓ [1898]私が、消費税「値上げ」なし、撤回。安倍首相の臆病者、と書いたとおりだ。投稿者:副島隆彦 投稿日:2016-03-30 17:14:51

 副島隆彦氏が引用した森信茂樹氏(中央大学法科大学院教授 東京財団上席研究員)の記事は、こちらです。図表は2~3ページにあります。やはり図表を見るのが一番です。

安倍政権が真にやるべき政策を
米国の経済学者に聞く必要はない(森信茂樹氏)
http://diamond.jp/articles/-/88726

以上です。

副島隆彦 投稿日:2016/03/30 17:14

【1565】[1898]私が、消費税「値上げ」なし、撤回。安倍首相の臆病者、と書いたとおりだ。

副島隆彦です。今日は、2016年3月30日です。

森信茂樹(もりのぶしげき) という経済評論家?  いや、アメリカできちんと勉強してきた若手の経済学者のようだ。 この人がが、実に的確に、いい(良い)ことを書いている。 週刊ダイヤモンドの記事だ。

この森信という学者は、政府の審議会とかに入れられて ふにゃふにゃ にならなければ、いい学者に成長すると思う。

 消費税の 来年4月からの、8% → 10% を 取りやめる、という政府決定を、安倍晋三首相は、 「撤回します。私の政策の失敗です。国民に謝ります。 増税(税率の引き上げ)はしません。とても出来ません。ご免なさい」と国民に、ちゃんと自分で言えばいいのに、この臆病者めが。 と、私はここで10日ぐらい前に書いた。

そうしたら、この 森信茂樹(もりのぶしげき)という学者が、もっと上手に、専門家らしく きちんと書いてくれた。以下に載せるとおり、

「 消費増税の是非を米国の経済学者に聞くことは、世界の恥さらし。
 安倍政権が真にやるべき政策を米国の経済学者に聞く必要はない 」

だ、と。このとおりだ。 

まったくもって本当だ。 恥を知れ、安倍晋三。 ついでに、ステグリッツも クルーグマンも なに様だ。自分の国の経済と財政のボロボロ状態を棚に上げて。なにが日本に助言だ。 バカやろうども。 ノーベル経済学賞なんか、廃止にしてしまえ。 副島隆彦 記

(転載貼り付け始め)

〇「 安倍政権が真にやるべき政策を米国の経済学者に聞く必要はない  」

ダイヤモンド・オンライン  = 週刊ダイヤモンド  
2016年3月30日

 森信茂樹

 安倍政権が真にやるべき政策を米国の経済学者に聞く必要はない 。安倍首相が官邸に米国の経済学者らを招いて、一国の租税政策、消費増税の是非についてのアドバイスを求めることは、筋違いではないか

 ( 画像 © diamond  安倍首相が官邸に米国の経済学者らを招いて、一国の租税政策、消費増税の是非についてのアドバイスを求めることは、筋違いではないか)

消費増税の是非を米国の経済学者に聞くことは、世界の恥さらし

 安倍首相は、官邸に米国のノーベル賞受賞学者であるスティグリッツ氏やクルーグマン氏などを招いて、「国際金融経済分析会合」を開催した。趣旨は、来年4月に予定されている消費増税を延期すべきかどうかについて、彼らのアドバイスを求めることだと報道されている。

 しかし、一国の最も重要な経済政策である租税政策、消費増税の是非を米国経済学者のアドバイスを基に判断するということ自体、前代未聞の恥知らずなことではないだろうか。

 税制というものは、国家の最も根源的な権限である。EU では、通貨が単一で多くの規制も統一されている。しかし、税制だけは全く統一されていない。消費税率も上限と下限はあるものの、ばらばらである。

 その理由は、税制は国家の主権 (しゅけん。引用者注記。 ソブリーンティ sovereignty という。皆さん、そろそろこの英語を覚えなさい。むずかしいけど。この属国洗脳奴隷ども。 副島隆彦 割り込み終わり )そのものであり、大きな政府もあれば、小さな政府もあるというように、各国の経済社会状況に応じて、時々の政権が国民と対話しながら決めるもの、という認識からである。

 さらに、アドバイスを求める相手が米国の経済学者というのも疑問だらけである。彼らは米国の政権に様々なアドバイスをしてきたわけだが、米国の経済社会はどうなっているのだろうか。

 今回の大統領選挙に象徴されるように、米国ほどみじめに国民が分断・分裂している国はない。経済こそ順調であるが、1%のスーパーリッチ層が99%を支配するという基本構造は、今も変わっていない。その証拠が年々拡大する格差であり、ダントツに高い相対的貧困率だ。

 そのことは、今回の大統領選挙に象徴されている。民主党も共和党も分裂状況にあると言ってよく、背景には人種問題だけでなく、グリーディー(引用者注記。greedy 貪欲=どんよく= ) 資本主義を体現する税制(ストックオプションやファンドからの利益に対する優遇税制)が所得・資産格差をもたらしているという現実がある。

つまり、彼らは自国の税制をまともにするというアドバイスができていないわけで、そんな人たちにどうして日本の税制のアドバイスができるのだろうか。

 米国には、安定した社会保障は存在しない。公的医療保険制度はなく、オバマケアも日本の制度から見れば、まやかしのようなものだ。「金の切れ目は命の切れ目」という社会で、消費税により社会保障を構築するという、欧州やわが国がとってきた政策すら導入されていない国である。

そのような全く異なる社会状況の下で、どうして彼らのアドバイスが必要なのだろうか。彼らに日本経済・財政や社会保障を語る資格はないと思う。

 安倍政権の意図は自明である。憲法改正のための多数議席の確保、そのための同時選挙、そのための大義名分としての消費税先送り、そして経済財政諮問会議の学者ではなく、国民を信用させるための米国・ノーベル賞経済学者のお墨付き(外圧)――。これが本当のところだろう。

アベノミクスで好循環は生じず所得・資産格差は大幅に拡大

 わが国における経済停滞の最大原因は、消費の伸び悩みだ。非正規雇用の拡大などに伴う賃金総額の伸び悩み、高齢者の生活不安、若年層の将来への不安が背景にある。手を付けるべきは、そこへの対応策だ。

 アベノミクスの三本の矢は金融政策に依存してきたが、それは実物経済( しつぶつけいざい)が活性化するまでの時間稼ぎの政策だったはずだ。「ベースマネーを増やせば実物経済が活性化する」という政策は完全に行き詰まっている。

自らの理論の非を認めたくないリフレ派が、2年前の消費税増税のせいにしようとしているが、これこそブードゥー(voodoo 引用者注記  )経済学(根拠のないおまじない)だ。

 以下、一橋大学の小塩教授が2015年の家計調査に基づき作図された図表に基づき、アベノミクス前後のわが国の所得・資産の分布を見ていくが、アベノミクスでは、「成長と分配の好循環」は全く生じていないという、驚きの姿がわかる。

 図表1は、所得階層ごとに世帯数の比率をアベノミクス前後にわたって比較したものである。

◆図表1 (略)

 アベノミクス以前には、年収5000万円以上の世帯比率が軒並み減少し、経済停滞の下で「みんなが貧しくなった」状況が映し出されている。

 一方アベノミクス後は、年収400万円から700万円の層の厚みは薄くなり、その両脇(400万円以下と700万円以上)の層が厚みを増している。アベノミクスの下では、「中間層」が薄くなり、所得分布の二極分化が煤でいることを物語っている。

 背景には、正規雇用と比べて3割ほど賃金の低い非正規雇用者の割合が拡大している状況があると予想される。

 図表2は、貯蓄残高を比較したものである。(略)

 アベノミクス以前の分布を見ると、すでに二極化が進んでおり、経済低迷の中で貯蓄を持たない家庭が増えてきていたことが見て取れる。

 アベノミクス以降は、貯蓄の二極化がより大きく進んできたことがわかる。低貯蓄世帯の比率には大きな変化がなく、中程度の貯蓄残高の層の比率が低下し、貯蓄残高3000万円以上の層の比率が上昇している。高齢化の要因もあると考えられるが、アベノミクス下での株価上昇が最大の原因であろう。

 このように最新の統計によれば、アベノミクスが所得や資産の格差を拡大してきたという事実が判明した。標榜してきた成長と分配の好循環、トリクルダウンは全く生じていないことが見てとれるのである。このような状況の下で、金融緩和政策に固執し、それだけが処方箋のような政策では、わが国経済のデフレ脱却はおぼつかない。

 リフレ派の経済政策は間違っていたわけで、今後は将来不安の解消のための様々な政策(それに伴い財源の確保)と所得再分配政策の強化を同時に行う政策にシフトする必要がある。つまり、社会保障の効率化と充実により、国民の安心に向けて政策の有効性を高めること、併せて適切な所得・資産の再分配を行うことではないだろうか。

社会保障は効率化しつつ充実を消費増税も確実に行なうべき

 社会保障については、効率化と充実とを同時に図る必要がある。

 効率化を進めるカギは、マイナンバーの活用である。第一に、マイナンバーにより所得だけでなく資産情報を活用し、「所得は少ないが多くの資産を持つ高齢者」に対する社会保障を縮小することである。

 次に、児童手当など個人の所得基準に基づき適用されている社会保障を、マイナンバーを活用して世帯所得を基準とし、効率化を進めることである。

 図表3は、平成21年の全国消費実態調査に基づくグラフである。これを見ると、高齢夫婦世帯では、所得200万円以下でも4000万円以上の貯蓄残高を持つ世帯の割合が2.2%、2000万円以上の貯蓄を持つ世帯の割合は8%を超えている。高齢者の社会保障負担と給付は基本的に所得基準であるが、資産状況も入れてよりきめ細かいものにする必要がある。

 社会保障の拡充については、高齢者から勤労世代への社会保障のシフトを進めるとともに、どうしても財源の確保が重要になる。その意味で、消費税の10%への引き上げは、確実に行われる必要がある。社会保障の失敗国である米国の経済学者に聞く必要はない。

  最後にひとこと。先週27日に結党した「民進党」だが、「軽減税率のもとでの消費税率引き上げには反対」という立場のようだ。なぜ、「低所得者への給付と合わせて、消費税率を引上げ社会保障を充実する」といわないのだろうか。

 子ども手当など、財源なくバラ色の世界を語ったことが、民主党政権のつまずきの根本原因であったはずだ。

( 転載貼り付け終わり)

副島隆彦 記 

磯貝 太 投稿日:2016/03/29 18:44

【1564】[1897]マイナンバーについて

マイナンバーについて。

前回、東芝ソリューションとアクセンチュアリという会社規模がでっかいだけでよくわからないコンサル会社が政府の下請けをしていました。

日経コンピュータさんの2つの記事2014/03/31と2012/12/10を並べると、多分、わかりやすいと思います。

前回NTTをいれなくて大失敗したので、今回はNTTが本格的に参入したようです。

個人的には今度こそ手強いかなと感じています。

だからどうなるかは、申し訳ありませんがわかりません。

(引用開始)

マイナンバー中枢システムはNTTコムなど「大手5社連合」が異例の落札、114億円で

2014/03/31
玄 忠雄=日経コンピュータ (筆者執筆記事一覧)

内閣府は2014年3月31日、社会保障・税番号(マイナンバー)制度を支える中核システム「情報提供ネットワークシステム」の設計・開発業者を一般競争入札で決定した。NTTコミュニケーションズを代表とし、ほかにNTTデータと富士通、NEC、日立製作所が参加するコンソーシアムが落札した。落札金額は税抜き114億円である(8%の消費税込みでは123億1200万円)。

 今回の入札に提案を提出したのは「5社で構成するコンソーシアムだけだった」(内閣府会計課)という。国内ITベンダーのうち、政府の大規模システム開発を請け負えるだけの体力を持つ大手5社がそろって手を組むという異例の展開で、競争なく落札者が決定した。

 一方、落札価格の決定までには何度かの手順を踏んだ。コンソーシアムが初回に提示した金額128億円(税抜き)が、政府側が見積もった予定価格を上回っていたからだ。コンソーシアムは2回目に125億5000万円、3回目に123億5000万円を提示したものの予定価格を下回らず、最終的に相対交渉を経て落札金額114億円での随意契約で合意した(全て税抜き金額)。なお予定価格は業者側など外部には一切公表しない。

 当初、開札は3月28日を予定していたが、5社の役割分担など提案内容を再度精査したこともあり3月31日にずれ込んだ。調達仕様を作った内閣官房の担当分野で「これほどの大規模システム開発プロジェクトの入札参加者が、企業コンソーシアムただ1者になるのは例外的だった」(内閣府会計課)ためである。

 NTTコムなど5社は、情報提供ネットワークシステムのほかにも一部のマイナンバー向けシステムで5社コンソーシアムを組んで入札に参加している。総務省管轄の地方自治情報センター(LASDEC、2014年4月1日より地方公共団体情報システム機構に改組)が調達を担当した、個人用のマイナンバーを生成させる「番号生成システム」で、やはり単独の入札者となり同案件の受注を獲得している(関連記事:マイナンバーの生成システムは69億円で構築、NTTコムなど「大手5社連合」が落札)

(引用終わり)

ここから、

(引用開始)
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55億円無駄に、特許庁の失敗

2012/12/10
浅川 直輝=日経コンピュータ (筆者執筆記事一覧)

出典:日経コンピュータ 2012年7月19日号
(記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります)

政府システム調達における失敗の典型例が、特許庁の基幹系システム刷新プロジェクトだ。5年がかりで臨んだが、結局は55億円を無駄にしただけ。新システムは完成しなかった。失敗の最大の要因は、発注者である特許庁にあった(図1)。関係者の証言から、失敗に至る経過を改めてひもとく。

図1●特許庁のシステム刷新プロジェクトにおける中止までの経緯

[画像のクリックで拡大表示]

 特許庁は2004年、政府が打ち出した「業務・システム最適化計画」に沿って、特許審査や原本保管といった業務を支援する基幹系システムの全面刷新を計画した。システムアーキテクチャーに詳しい情報システム部門のある職員(以下A職員)と、刷新の「可能性調査」を担ったIBMビジネスコンサルティングサービス(現・日本IBM)を中心に、調達仕様書を作成した。

 業務プロセスを大幅に見直し、2年かかっていた特許審査を半分の1年で完了することを目指した。度重なる改修によって複雑に入り組んだ記録原本データベース(DB)の一元化に加え、検索や格納などの基盤機能と法改正の影響を受けやすい業務機能を分離し、保守性を高めるという野心的な目標を立てた。一方で、全ての情報をXMLで管理するなど技術的難度が高く、十分な性能を出せないなどのリスクを抱えていた。さらに仕様書の骨格が固まった2005年7月、A職員は異動となりプロジェクトを離れた。

 特許庁はこの調達仕様書に基づいて2006年7月に入札を実施した。政府の調達指針では、大規模プロジェクトについては分割発注を原則にしていたため、システムの基本設計から詳細設計までと、業務アプリケーション開発以降の工程を分離した。

 基本設計から詳細設計までを落札したのは東芝ソリューションだった。技術点では最低だったが、入札価格は予定価格の6割以下の99億2500万円。これが決め手となった。価格の妥当性について会計課は審査し、問題なしとした。

方針転換、「現行業務の延長で」

 プロジェクトは2006年12月の開始直後からつまずいた。複数の関係者によれば、計画と工程の策定に2カ月をかけた後、特許庁は東芝ソリューションにこんな提案をしたという。

 「現行業務の延長でシステムを開発してほしい」。

 業務プロセス改革(BPR)を前提にシステムを刷新するのではなく、現行システムに機能を追加する形でシステムを開発しようというわけだ。調達仕様書の作成に費やしたコストと時間を無駄にしてまで方針転換した理由は定かでないが、この時点で開発範囲についてベンダーとシステム部門、利用部門との間で、認識に大きなギャップがあったのは明らかだった。そもそもシステム部門に、大胆なBPRを進めるに足る権限も体制もなかった。

東芝ソリューションは現行の業務フローを文書化するため、2007年5月までに450人体制に増強した。だが、現行業務の把握に手間取り、作業が遅延した。

 東芝ソリューションは遅れを取り戻すため、2008年には1100~1300人体制にまで増員した。人材派遣会社や協力会社を通じて、大量の人材を集めたという。これが、さらなる混乱をもたらした。「東芝ソリューションには、協力会社を含め多数の開発要員を統率する経験がなかった」(関係者)。

 設計チームが入居していたビルは一気に手狭になり、机の1人当たりのスペースは「ノートPCが1台置けるくらい」(同)に縮小した。窮屈な環境の中、数十人単位に分かれたチームは、ひたすら成果物となる文書を作成した。だが、基礎となる記述ルールがなく、成果物の品質にばらつきが生じた。

仕切り直しの矢先に

 2009年4月、特許庁は調達仕様書を作成したA職員をプロジェクトに復帰させ、プロジェクトの仕切り直しを図る。開発範囲を当初の仕様書ベースに戻したのだ。

 A職員は設計書で記載すべき内容を示した「設計規約」の作成を東芝ソリューションと始めた。当時の技術者は「ようやくプロジェクトが回り始めた」と振り返る。

 とはいえ本格的にプロジェクトを立て直すには、現行システムを担当するNTTデータの参画が必要なのは明らかだった。分割発注に基づくアプリケーション開発をNTTデータが落札すれば、現行業務の把握など懸念のいくつかを解消できると見込んだ。

 そんな矢先の2010年6月、プロジェクトに激震が走る。NTTデータや日立製作所、東芝ソリューションが特許庁職員にタクシー券などの利益供与をしたことが明らかになったのだ。NTTデータ社員と特許庁の職員は逮捕された。A職員も入札前の情報を東芝ソリューションに提供していた事実が認められ、プロジェクトを再び離れた。NTTデータには6カ月の指名停止処分が下った。

 2011年頃には、プロジェクトはほとんど「開店休業」となっていた。要員は500人に減った。プロジェクトの破綻は明らかだった。だが「開発中止」を認定・判断するプロセスがなかった。

 苦肉の策として持ち出されたのが、贈収賄事件を機に2010年6月に発足した調査委員会だった。同委員会をベースとした技術検証委員会は2012年1月に「開発終了時期が見通せない」とする報告書を公開。この報告書を根拠に、枝野幸男経済産業大臣がプロジェクトの中止を表明した。プロジェクト開始から5年が経過していた。

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(引用終わり)
以上です。

副島隆彦 投稿日:2016/03/29 14:34

【1563】[1896]私の最新刊の 『日本が中国の属国にさせられる日』 のことを書きます。

副島隆彦です。 続けて、あと一本書きます。

 私の新刊本が26日発売で、今書店に並んでいます。 政治の本だからあまり売れないだろうと、出版社が判断して、たいして発売部数がありませんから、大手の書店でしか手に入らないと思います。  

 書名は、『日本が中国の 属国にさせられる日』(ベストセラーズ 刊)です。こんな書名にしたから、あまり売れないかなあ、と自分では心配しています。

 アルルくんが、昨日、「今日のぼやき」の方に、さっさと、この本の紹介の宣伝の批評をしてくれました。皆さん読んでください。私よりも 20歳若いアルル君から見たら、私の今度の本は、このように 見えるのか、と私なりに感慨深いです。「やがて中国の属国になるんだよ」と言われて、気分がいい日本人はいないだろうから、あまり良い書名ではなかったかな、と 何度も思います。

「そんなはずはない。中国はもうすぐ崩壊する(共産主義体制だから崩れ落ちる)」と今でも堅く信じて疑わない人も 多い。 それでも、実際には、そんな気配はない。今も強大になりつつある。 中国崩壊論を書き続けている人たちは、内心、肝が冷えているのではないか。 

「 副島隆彦の中国認識は、根本から間違っている」と、私に対して、上から目線で、余裕をもって笑っている人も、この本を読めるように工夫して書いた。

 私自身は、こういう本を今のうちに書いて出しておかなければいけないと、思って急いで書いた。

 この本の帯(おび)には、「共産主義(きょうさんしゅぎ)の何が悪(あく)で、どこがどう間違っていたのか」と 書いてあります。 この本は、共産主義国である中国の日本支配が起きるだろう、という本ですが、私が書いているうちに、

「共産主義という政治思想が、生まれて130年ぐらいだ。 そして、ちょうど100年前のロシア革命(1917年)から、いったい、人類は、どういう悲惨なことをたくさん作りだして、残虐な何百万人もの 政治犯の 大量虐殺を起こして、ここまでやってきた」ということの、私なりの究明、探求の本になった。

 私が、この本を書こうと思った動因のひとつは、私たちの研究員である、藤森かよこさんが、私の講演しているときの、演台のすぐ下の、客席から、質問者として質問したことだ。それは、「副島先生は、中国が日本に攻めてくることに対して、どう考えますか」というものだった。

 私は、面食らって、「あなたのような(高学歴の女性で、見識のある)人でも、そのような心配をするのですか」と、答えた。それは去年の9月の講演会でのことだった。

 藤森さんは、アメリカ文学研究が専門で、女性学(じょせいがく)もなさっていて、そして、何よりもアイン・ランド(Ayn Rand )女史という傑出した、アメリカの政治思想の、リバータリアン思想の生みの親のひとりである文学者の日本における研究者の草分け(先駆者)である。 

 その 藤森さんに、私は、「あなたでも中国が怖(こわ)いのですか」と壇上から問いかけたら、「怖いです」と返ってきた。 だから、私は、この本を書いた。

 読んでみてください。 ただしこの本は、これまで副島隆彦の本も読ます、じっくりと物事を考えたことのない、普通の知能をしている程度の人では、どうせ理解できません。

 このように断っておきます。 本物の読書人(どくしょじん)であり、深く自分の頭で思考できる人しか、受け付けないでしょう。 だから対して、読書体験のない、20台の若者では無理だろう。若者は、自分が生きることで精いっぱいだ。40代、50代の人でも、サラリーマンをやっていたら、仕事が忙し過ぎて、本なんか買って読んでいられない。

 それでも、私、副島隆彦の本に出合って、何か大きなこの世の真実とか、隠されている真実とかに気づいて、自分の人生の意義を見つけた人たちには、分かってもらえる本です。私自身が、自己評価で見ても奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な本です。これまでのような、食い付きの良さはこの本にはありません。 私は、ついに読者(読み手)に迎合(げいごう)することをやめました。

 「共産主義の何が悪(あく)で、どこがどう間違っていたのか」と書くと、これは、世にいわゆる、反共(はんきょう)本、ということになります。そんな 時代遅れの、反共右翼や公安警察の手先(全貌社 )が書くような本を誰が読むか、と 吐き捨てられそうな本でしょう。  だが、アルル君は、そこのところのむずかしさを、的確に見破ってくれました。ありがとう。

 私は、安倍晋三首相 という明らかに、反共産主義=反共(はんきょう)で、頭のてっぺんから体の芯(しん)まで反共主義者である人物に体現される人が首相である間に、この本を書いておこうと思った。

 そして、「安倍ちゃん。頑張ってくれよ。あの態度の悪い チャンコロ、チョーセン人、ついでもロスケ(ロシア人への蔑称)を ちょっと痛めつけてくれよ」 と 安倍晋三を強く支持している 人々に向けて、彼らに読んでもらえるように、と思って、この本を書いた。

 私なりに、彼らの懐(ふところ)の中に、飛び込んで、彼らと対話をできるようにと、彼らの世界(土俵)に入り込んでゆく積(つも)りで、書いた。

安倍晋三が、国会答弁で、急に、「おい、日教組(にっきょうそ の アカ 野郎)。早く質問しろよ」と、首相らしからぬ忍耐の無さで、旧社会党系の 民主党の議員に、歯をむき出してケンカを売るごとく、言ったときのあの態度に、反共主義の堅い信念を見た。 自分が反共(はんきょう)主義者(=勝共(しょうきょう)主義者。共産主義に勝つ主義) であることに、強い誇りを持っていることがよく分かる。 だから、安倍晋三に向かって、私は、それでは、「安倍さん。あなたは、その反共主義の信念のほかに、何を持っているのか」と聞きたい、と思ってる。

 こういう私の問題意識を、副島隆彦の本読みの皆さんに、何とか分かって貰(もら)いたい。みんな自分のことで忙しくて、大変でしょうが、またしても、副島隆彦に脳天を叩かれた、という気になりたい人は、どうぞ読んでみてください。

 それから、この本を書こうと思ったのは、「いまのうちに書いておかなければ、時代に遅れてしまう。先へ先へと、世の中の流れを、ほかの人たちよりも、先へ読んでゆく予言者型(がた)言論人としての、自分の能力の欠如になる」 と考えたからです。

 どうせ、中国がアメリカに勝つ。それには、あと5年もかからない。アメリカの国力の衰退と、帝国(世界覇権国、ヘジョモニック・ステイト)としての世界管理能力が、どんどん減退している。それなのに、「アメリカは強い。アメリカはいつまでも永遠に、世界一だ。アメリカにしっかりしがみ付いてゆくのが日本の道だ」と考えている愚か者たちが、内心でボロボロになって、崩れ果てて、それで、どうするか、というと、ペロリを舌を出して、恥知らずに態度を変えて「アメリカはもうもたないと僕も思っていたよ」と言い出す前に。  私は、書いておかなければいけないのだ。

 私が、この本で書き忘れたことは、次のことだ。 「中国は、今は、まだアメリカよりも、弱い国だ。 金融・経済力でも、軍事力でもアメリカよりも弱い。だから正義がある。中国はチャレンジャー(挑戦者)だから、下から這い上がって来るものの、泥だらけの穢(きたな)さがあるから、だから正しいのだ。 それに対して、今の支配者であるアメリカは、尊大に構えて、まわりを見下(みくだ)して威張っている。だからアメリアは悪(あく)なのだ」 と、 考えていい。

 ところが、である。その今は正義である中国が、本当に、アメリカを追い抜いて、GDP(経済力)でも軍事力でもアメリカと拮抗(きっこう)するようになり、そして、アメリカの金融市場が崩れて、自壊を始めたときに、中国との関係で、逆転が起きる。

 その時である。中国は、じっと耐えてアメリカの衰退を、狙ってきた。そして、アメリカが自分のせいで内部からガラガラと崩れる時に、中国が、日本に対して、どういう態度を取るか、である。

 そのとき中国は甘い態度を、日本に対して取らないだろう。よくも、これまで、さんざん敵対してくれたな、という横柄な態度になるだろう。 今から2000年前の、漢(かん)の帝国に、日本(倭国、わこく)が朝貢(ちょうこう)していた頃と、同じような感じになるだろう。日本は、中国の歴代王朝(歴代の中華帝国)の、朝貢国=周辺属国のひとつ、だったのである。この大きな世界史規模での、歴史の事実を無視して、なにごとか、虚勢(きょせい)を張ってみても、つまらない話だ。 真に知識と教養のある者は、歴史に学ぶ。

 だから、中国が世界一の国になったら、中国は権力者だから、悪(あく)になる。それが冷酷な政治学からの目だ。悪(あく)になった中国が、日本にどういう仕返し、報復をしてくるか、を、今のうちから、考えておくことが必要だ。そのときに震えあがっても遅い。 このように考えて、副島隆彦は、この本を書いたのだ。  中国が本当に世界で一番強い国(次の世界覇権国)になったとき、日本は、どうするのだ。 

 このことを いまのうちから、先へ先へと、予言者の知識人として、考えて書いておかないといけない、と 私は思って、この本を書いた。 

 だから、安倍晋三以下の、日本の反共(はんきょう)思想の燃えるような堅い信念の人々に、このことの備えをそろそろ始めるように、と促(うなが)そうと思ってこの本を書いた。

読んだら、頭が腸捻転(ちょうねんてん)を起こすような奇妙な感じになるでしょう。 読んでみてください。

副島隆彦 記 

副島隆彦 投稿日:2016/03/29 12:55

【1562】[1895]トランプが、駐留米軍は撤退。日本は核保有しても構わない、と発言。

副島隆彦です。  今日は、2016年3月29日です。

 以下の新聞記事は、これからの日本が進む道(進まされる道)として重要です。 アメリカの共和党の大統領候補者になる(7月18日の党大会で決まる予定)であろうドナルド・トランプ候補が、吼(ほ)えるように、正直に率直に答えている。

(転載貼り付け始め)

●「トランプ氏「在日米軍撤退も」=安保改定、日本の核保有容認―米大統領選」

2016年3月27日 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160327-00000008-jij-n_ame

米大統領選の共和党候補指名争いで首位を走る不動産王ドナルド・トランプ氏(69)は、大統領に就任した場合、日本が駐留経費の負担を大幅に増額しなければ、在日米軍を撤退させる考えを明らかにした。

日本による核兵器の保有を容認する意向も示した。(引用者注記。トランプ氏は、正確には「日本と韓国による・・・」と言った)

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)が、26日に掲載したインタビューで語った。トランプ氏は、これまでも「日米安全保障条約は不公平だ」など と日本側の負担増を求める方針を示していたが、米軍撤退の可能性に言及したのは初めて。

 トランプ氏はインタビューで、日米安保条約について「片務(へんむ)的な取り決めだ。
私たち(アメリカ)が攻撃されても、日本は防衛に来る必要がない」と説明。「米国 には、巨額の資金を日本(と韓国。引用者注記 )の防衛に費やす余裕はもうない」とも述べ、撤退の背景として米国の財政力衰退を挙げた。

 その上で、インタビュアーが「日本は世界中のどの国よりも駐留経費を負担している」とただしたのに対し、「実際のコストより、はるかに少ない」 と強調。「負担を大幅に増やさなければ、日本や韓国から米軍を撤退させるか」と畳み掛けられると、「喜んでではないが、そうすることをいとわな い」と語った。

 トランプ氏は、日本政府と再交渉して安保条約を改定したい考えも表明。日韓両国が北朝鮮などから自国を防衛できるようにするため、「核武装もあり得る」と述べ、両国の核兵器保有を否定しないという見解も示した。 

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 この記事は重要だ。 ドナルド・トランプは、 「米国 には、巨額の資金を日本の防衛に費やす余裕はもうない」と述べ、「日本(と韓国)が駐留経費の負担を大幅に増額 しなければ、在日米軍を撤退させる考え」だと、答えた。「駐留米軍の撤退の背景として米国の財政力衰退を挙げた」となっている。

 そして、その場合、「 日韓両国が北朝鮮などから自国を防衛できるようにするため、「核武装もあり得る」と述べ、両国の核兵器保有を否定しないという見解を述べた」となっている。

 トランプは、アメリカの経済・財政状態がひどく悪いことを知っている。だから、これまでのようにアメリカ軍が、世界中で展開して、海外にまで進駐軍(遠征軍)を出せるような力はない、と言っている。

 トランプは、明らかにアイソレーショニスト( isolationist 、国内問題優先主義。海外派兵反対論者 。外国への不干渉主義)である。アイソレーショニストは、「それぞれの国は、自分の判断で自分のことをやるのがいい。いちいちアメリカは助けない。独裁国家だろうが、そこの国民が飢えていようがアメリカは関わらない」という考えだ。 アメリカには、もうそんな力はない、と正直に答えている。 私は、このトランプの 態度が好きだ。

 彼は、“不動産王”の経営者だから、企業の経営という、苦しい職業からものごとを見ている。経営の才能のない者が、あれこれ経営者に向かって言っても「黙って働け。お前の能力では、この苦しみは分からない」と答えるだろう。

 そして、その流れで、アメリカに守ってもらえなくなったら、国際政治の自然な成り行きとして、日本と韓国は、自衛のための核武装を始めるだろう、そして、それを大統領候補者としてのトランプは、「必然的な動きだから、その事態を受け入れて、認める」と答えている。

 私、副島隆彦は、日本の核武装(核保有)に反対だ。何があっても核保有すべきでない。たとえ北朝鮮の核兵器が飛んできて、それを撃ち落とせなくて(迎撃不能)、10万人の日本人が死ぬことになっても、はやり、核保有はすべきでない、と考えている。

 それよりも世界は、そして、その一部としての私たち東アジア人たちは、そのような悲惨な事態を避けるために、努力をし賢明に動くだろう。それが、副島隆彦が言う、「アジア人どうし戦わず。ダマされて、戦争だけはしてはならない」だ。 だから、この問題に対しては、私は楽観的に考えている。自分が核兵器(恐ろしい大量人殺しの刃物)を持ったからと言って、それで自分が強くなった、安全になあった、と考える必要はない。

 こういう問題では、どんな立場の人も、実は、優劣はない。自分が人よりも優れている、といえる人間はいない。安倍晋三首相のような、反共産主義(はんきょうさんしゅぎ)が腹の底から信念である 政治家でも、私たちひとりひとりの考えよりも、優れた見識など持っていない。 

 ドナルド・トランプの 外交・軍事(=安全保障とも言う)の助言者(アドヴァイザー)は、マイケル・フリン中将( 元DIA, ディー・アイ・エイ、政府機関である国家情報研究所の所長)だと言われている。それと、デンプシー元統合参謀本部議長(チェアマン・オブ・ジョイント・チーフ・オブ・スタッフ。米軍の制服のトップ)だそうだ。 

 彼らは、ネオコン派とは、ずっと大ゲンカをしてきた 「外交における現実主義者(リアリスト)」の軍人たちだ。2003年からの米軍のイラク(侵略)戦争に「(たったの16万人しかイラクに派兵できないのだったら)安易な軍の投入はするな」と反対してきた軍人たちだ。

 トランプへの支持表明をしている、彼ら職業軍人のトップたちや、アメリカの民族右翼たちや、ユダヤ系の経営者たちも大勢いる。だから、もうトランプを暗殺したり、引きずり降ろしたりは出来ない。トランプが言う通り、「共和党が、私にティップ( tip 、候補者の指名)を与えなかったら、(私の白人の支持者たちが)暴動を起こすだろう」、と。

 私、副島隆彦は、トランプが、本音で、本気で、アメリカの指導者となるべく、なんでもずけずけと言ってくれることが、一番、大事で必要なことだと思っている。ヒラリーの周(まわ)りに揃(そろ)っている、偽善者で、ワルで、上品そうに、大きく秩序を維持する(=民衆を抑えつける)者たちが大嫌いだ。

 彼らがグローバリスト( globalist 、地球支配(しはい)主義者)だ。人類は、今こそ、アメリカ帝国のグローバリストの世界支配を打ち破らなくてはいけない。だから、正直者のトランプたち、ポピュリスト(下から吹き上げる保守的な白人大衆のワシントン政治への怒り、を受けとめ体現する政治家の出現のこと)であり、アイソレーショニストである、やや右翼っぽい本物の、おのれに正直に人種差別(区別)発言もする、デブの大男のアメリカのオヤジたちを、私は支持する。

 その代わり、この本物のアメリカおやじたちは、「自分のことは自分でやれ。俺たちはもうお前たちのことに構う気はない。そんな余裕もない。アメリカは撤退する」と、私たちアジア人にも突き放すように言う。 それがいいのだ、と、私、副島隆彦は思う。私は自分のアメリカ政治研究の本で、このことをもう20年間も私はずっと書いて説明してきた。

 トランプのような、ヒューイ・ロング( もう、この重要なアメリカの政治家のことは説明しない。この名前が、まだ分からなかったら、学問道場に近寄るな。どうせ、政治のことなんか一生分からないアホなのだから。私も甘やかす気がなくなった。私の 主著の『覇権アメ』で勉強しなさい。あるいは私のアメリカ政治映画の評論本を読みなさい)の再来の男が、またこうして表れた。 これがアメリカ政治の醍醐味(だいごみ)だ。 

 アメリカの”草の根(グラス・ルーツ、 grass roots )”というのは、アメリカの地方の白人の農場主や商店主や保守的な労働者たちのことだ。彼らが、本当のデモクラシー(民衆の代表者による政治)を俺たちに返せ、暴れ出す時にグラス・ルーツの反乱=ポピュリズム と 言うのだ。 こういうことを、ウソばっかり教えられて、洗脳されきっている日本国民に教えるために、日本に副島隆彦が出現したのだ。

 アメリカは、人類史上で初めて デモクラシー( demos - cratia デーモス・クラテーア 代議制・民主・ 政体 )を実現した国だ。デモクラシーというのは、存亡に関わる大きなことは、国民全員が集まって直接民主政(ダイレクト・デモクラシー)で決める。

 しかし他の大抵(たいてい)のことは、指導者(リーダー。ゲンス=部族=の長)が決める。そして、指導者は人一倍体力のある、どんな苦難にも耐えることの出来る有能な大人物でなければいけない。ちょっとぐらい女問題や金の問題で後(うし)ろめたくてもいいから、いざというときに、本当に体を張って死ぬ気で、国民を守らなければいけない。という考えで出来ている。 

 デモクラシーは、 古代ギリシャや古代ローマ帝国や中世ヨーロッパの都市国家の伝統から生まれたのではない。「デモクラシーはチュートン(トイトブルグ)の森」から生まれたのだ」(モンテスキュー)。 ゲルマン部族の原住民の部族の習わしから起こった。ゲルマン族の野蛮で粗野な男たちが、剣と盾を打ち鳴らしながらものごとを決めた。

 だから、アメリカも、ゲルマン民族の、遊牧民(nomad ノウマド)の伝統を今もひきづっていて、幌馬車隊(ほろばしゃたい)の隊長のような人物として、自分たちのリーダー(指導者)を見つめている。 リーダーが臆病者とか、ズルいやつとか、知恵が足りないと、幌馬車隊は、崖から落ちて全滅してしまう。

 だから、アメリカのデモクラシーは、演説の力で、皆の前で、堂々と演説して、皆の信頼を集めることの出来る人間を選び出す。「よし、この人間だったら信用する。言うことを聞く。この男の命令に従って戦って一緒に死んでもいい。たいていのことはこいつに任せる」という仕組みで、アメリカン・デモクラシーは、出来ている。だから、今は、それを トランプという 男が体現している。アメリカ国民からの試験(テスト)を受けている最中だ。

 みんなの前で、本気になって、体を張って、演説の力だけで、「私がみんなの指導者(しどうしゃ)になります。その能力がある。もし、私が間違っていて、みなさんを苦しめることになったら、私はこの場で自殺します(腹を切ります)」という覚悟でやるのが、本当のデモクラシーだ。 

 トランプは、だから、ほかの人たちの助言は受けるが、そんなことを言っていられない、緊急の場合が多いから、咄嗟(とっさ)の判断も自分でやらなければいけない。 自分の能力、知能、知恵の限りを尽くして、自分で判断して発言しなければいけない。 その意味では、ロシアの優れた指導者である プーチンと同格だ。

 プーチンとトランプは、お互いを認め合って、互いに大好きなようだ。世界基準の 大物の人間 というのは、ああいう振る舞い方をする。

 それに比べれば、ヒラリーなんかは、ロックフェラー家の嫁(よめ)で、謀略で悪いことばっかりやってきた、戦争やりたがり、のいけ好かない女だ。それでも、こんな女(氷の女王 だ)に ひれ伏して、屈従してアメリカ人は、まだまだ生きてゆかなければいけないのか。ヒラリーは、ベトナム反戦運動世代の、大学時代は急進リベラル派の活動家あがりの、ネオコンそのものだ。

 それでもやっぱり、今の世界を支配している勢力の表面に出ているのがヒラリーで、このヒラリーが勝って、これまでどおり、そしてこの先も私たちは、「どんなことにも卑屈になって、これまでどおりアメリカに忍従する 大人の人間の生き方で、それが無難な生き方だ」を続けるのか。 

 トランプをつぶして、やっぱりヒラリーの勝ち、ということに、アメリカの支配層、頂点の権力者たちは考えているのだろう。

 アメリカは、国力衰退し、財政破たんし、金融市場がやがて取引き停止を起こす、もう、どうしようもない状況だ。このことは日本には伝わらない。そのように操作されている。イエレンFRB議長は、「アメリカの失業率は5%にまで下がった (これは私の大業績よ)」と言っている。

 それに対して、「トランプが、「バカ言うな、イエレン議長よ。アメリカの(真実の)失業率は、25%から42%だ」 と、言い放ったのだ。 本当のアメリカの失業率は30%ぐらいなのだ。白人でも3人にひとりは失業している。 学校を出た日本の若者に、職がない、日本の現状と同じだ。 ウソばっかり、報道するなよ。

 日本のGDP 衰退率(何が、成長率だ。バカー)は、前年度比で、マイナス21%だったのだ(2014年)。2016年のIMFの予測は、マイナス10・2%だ。私は、今、金融本を書いている。こういうことを調べながら生きている。誰も、本当の大きな数字を書かない。ウソばっかりの、嘘つき、国民洗脳(せんのう)国家だ。

 だからトランプが、「私が大統領になったら、アメリカを一旦(いったん)、破たんさせる。アメリカ政府を チャプター11(イレブン)(破産宣告)させる」と、今にも言い出しそうだ。 そして、ケンタッキー州の陸軍基地でもあるフォートノックスの大きな洞穴に保管しているFRB(ニューヨーク連銀)の 金(きん)を、「自分で見に行く」と、トランプは言った。

 そして、「なんだ、アメリカ政府が持っているはずの、8300トンの金(きん)は、もう、すっからかんで、無いじゃないか」 と、トランプは、喚(わめ)くつもりだ。

 それが、有能な経営者というものだ。ダメな企業は、破産させなければいけない。悪い血を一回、全部、外に流さなければいけない。これはものすごくキツイことだが、誰かがやらなければいけない。それが出来るのが本物の経営者というものだ。

 だから、アメリカ国民は(貧乏層で、福祉にたかることばかり考えてる、有色人種たちを除いて)今、トランプの、この いくつもの経営危機という苦難を乗り越えてきた経営者としての能力に賭けてみようと、考えているのだ。このことを分かることが、今のアメリカ政治を分かるということだ。それは、私たちの日本の現実にすぐに跳ね返る。

 トランプ支持の黒人やヒスパニック系もたくさんいる。 本物の誇り高い独立自尊(どくりつじそん)の人間だったら、トランプを応援する。リバータリアンLibertarian というのも、もともと、そういう人たちだ。貧しい開拓農民の思想から生まれたのだから。作物が取れなくて、あるいは大不況で、飢えることもあったアメリカ白人農民たちのことを、私たち日本人は、あまりに知らなすぎる。教えられていない。綺麗(きれい)ごとばっかりの、表面でものごとを見てはいけない。

 それから、最後に、「米軍を東アジア(日本、韓国)から撤退させる。アメリカはカネがないから、もう駐留軍の経費を負担できない」というトランプの発言に対して「韓国政府は、駐留米軍に 毎年、80億ドル(9千億円)払っている」という反論が出ている。

 同じく、「日本政府は、(思いやり予算と称して)駐留米軍に、毎年2000億円(ぐらい。20億ドル)払っている」という反論の新聞記事が出ている。だが、トランプも知らないのだ。

 日本は、アメリカの米国債を すでに、隠れて買っている分を含めて、これまでに1000兆円ぐらい買っている。いや、無理やり買わされている。10兆ドルだ。そして、この10兆ドルの米国債は、「売らせてもらえない(売れない)」のだ。 中国は、今、米国債をどんどん売っている。この違いだ。 

日本の”用心棒代”としての米軍駐留費の負担は、毎年たったの2000億円などという端(はした)ガネではないのだ。毎年毎年買わされている30兆円ぐらいの米国債だ。これが、たまりに溜(た)まって一千兆円だ。だから、そっくりそのまま、この金額は、日本政府が発行して、返済できなくなっている、日本国債の残高の 1千兆円と、ピタリと見合っているのだ。 

 だから、トランプが大統領になったとき、「安保ただ乗り論」で、日本を批判して、アメリカ軍の駐留経費をもっと負担せよ、と言って来たら、そのときは、この「10兆ドル=1000兆円の米国債の保有残高」の問題を、日本側は、公然と持ち出すべきだ。もう隠している必要はない。 トランプは、目を丸くして、「ひえー。そんなにあるとは。オレは知らなかった。誰も教えてくれなかったぞ 」と 言うだろう。

 だが、そのあとは、トランプは、さすがに、迫力のあるアメリカの右翼の大物経営者だから、「そんなものは、踏み倒す(返さなない)」と言うだろう。 これが、世界政治の現実だ。

副島隆彦 記

副島隆彦 投稿日:2016/03/29 10:28

【1561】[1894]マイナンバーの導入がひたひたと進んでいる。

副島隆彦です。 下 ↓ 「1893」番で 浅川京華さんの、マイナンバー制度に対する疑問と不信と小さな怒りの表明がありました。

 「マイナンバーは、支払調書(しはらいちょうしょ)を作成するときにのみ使用します」として、もの書き業者である私も、半ば強制的に、どんどん「登録の申請をしてください。そうしないと 原稿料の支払いができません」という感じで、着々と進行しています。 抗(あらが)いようがない。

 「マイナンバーは、日本政府と、あなた(国民のひとりひとり)とだけの、 秘密の内緒の番号です。ほかの人には見せてはいけません」と、まるで、“ヒミツのあっこちゃーん”みたいな、気持ちの悪い制度です。 

 これは、日本国民に強制する、国民総背番号(そうせばんごう)制度であり、ID(アイディー)カード( 国民管理・認識制度 )の導入です。 じわじわとやって来ますから、なかなか抵抗できない。 迫りくる統制経済(コントロールド・エコノミー)と 国家による国民一元管理の、統制社会へ向かう準備です。 

 それにどうやって反対するかは、個人的な不服従の抵抗しかできなくない。 「抵抗しても無駄だよ。コンピュータで何でも全部管理される社会になってしまっているのだから。便利でいいじゃないか」と、あきらめムードです。

私、副島隆彦は、このマイナンバーついての本も、もう半年以上、ずっと書いています。 どうも謎が解けない。この制度の、国家官僚(による)統制としての秘密に迫ろうとしてますが、向こうはなかなか尻尾を出しません。 誰でもわかることとしては、「マイナンバーで、国民ひとりひとりをすべて番号で一括して管理する。とくにお金の動きを監視するためのものだ。

 だから、お金持ち層の、アパート賃貸し代の徴収とかで、主にその効力を発揮する」ということでしょう。このように 公然と国民が議論し、指摘し合うことによる抵抗ぐらいしかほかに手がない。  副島隆彦 記

浅川京華 投稿日:2016/03/29 04:50

【1560】[1893]マイナンバ―について

マイナンバ―が送られて来て、私は放っておくつもりだったが、老父がうるさく、写真を貼って再郵送したが、それっきり音沙汰なし。そして、勤め先から、マイナンバ―を提出しろと言われ、来ていませんといった所、役所に言ってくれと言われた。勤め先の為にマイナンバ―をもらうわけでなし、こんな個人情報を勤め先が、当然のように提出しろなどと言うのは、おかしいと思う。またそれに、何の疑いもなく、マイナンバ―を出す同りの人間が、私は真実恐ろしいが、副島先生、会員の皆様は、どう思われますか?

六城雅敦 投稿日:2016/03/28 20:54

【1559】[1892]Re:私も津谷論文に疑問を感じる

六城雅敦(ろくじょう つねあつ)です。本日は3月28日です。

[1888]に清野眞一氏の『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』の丁寧な感想を拝読いたしました。清野さまには著者の一人として厚くお礼申し上げます。

私は昨年の定期講演会の前座として「蕃書調所と近代思想」という題で話させていただきました。
・「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」(SNSI論文集 2005/1 祥伝社)
・「時代を見通す力」(副島隆彦 2008/7 PHP)
・「隠されたヨーロッパの血の歴史」(副島隆彦 2012/10 ベストセラーズ)

この3冊が日本での表面的な思想史に一石を投じた著作物であると紹介いたしました。それにつづく「フリーメイソン=ユニテリアン・・・」は日本人には理解しがたい当時の<過激な西洋思想>の紹介を試みたものです。

私の章は明治エリートの代表格であり、軍医総監であった森林太郎(鴎外)が、脚気対策の誤りが全1/3に及ぶ兵士を消耗したことを微塵にも恥じず、死の間際まで爵位を心待ちにしていたということを知りまして、その背景を掘り下げるつもりでしたが、そこから明治のエリート・知識人のメンタリティへと話が逸れてしまったのです。
(参考文献:「森鴎外は何故袴をはいて死んだのか」志田信男著)

大作家である吉村昭も「白い航跡」で尊敬する鴎外をどうしても悪人として登場させざろうえなかったのか自問していると後のエッセーで読みました。

田中進次郎氏と私も奇しくも西周(にしあまね)が実は重要なキーマンであるという結論に達しました。それまでは明治維新の脇役程度にしか認識していなかった幕末明治のインテリたちが、巨大な壁として現れ始めたのです。

横井小楠を初めとするその系譜の人々(勝海舟ら開国派)そして幕府内の蕃書調所という特殊機関の存在・・・
余談ですが私は小楠が日本で最初のPhirosopherだと思っています。

蕃書調所は元は幕府天文台が起源でして、場所は浅草の南側にあたります。
天文台といいましても暦つくりを名目として語学だけに及ばず、数学者・物理学者の天才達が全国から集められた西洋思想の研究施設です。縁があるのか、その近くに私は居住しております。(ぽつんと交差点に教育委員会が建てた碑が建っています)

新たな思想の導入というものはこれほど激しく、私をはじめ頭の弱い者には厳しい時代だったのだと感じています。

NHK「歴史ヒストリア」という番組で津田梅子を紹介していました。番組中では創立時の津田塾では津田梅子は相当厳しく怖い教師だったそうで、嫁入り前の習い事程度の気持ちで入学した女学生では多くが退学したといいます。

幕末の状況と現代はとても似ていると定例講演会では締めくくらせていただきました。

・財政悪化と重税による景気悪化 ←天保の改革
・公共事業による景気浮揚 ←印旛沼開拓
・外国からの干渉/グローバリズム
・覇権国移動の過渡期 ←英国から米国へ
・宗教宗派・思想の対立、過激思想の蔓延
・リーダー不在
・産業革命・大量生産 ←絹綿製品の大量輸入危機
→大きな意識改革は20年以内に確実に来る!

そこで台頭するのは新たなインテリ達であることは疑いようがありません。

学問道場は15年近く経過し、当時の若者は中年、中年は黄昏(たそがれ)つつあります。
これが還暦をすぎた副島先生の実感ですし、残念ながら創設時に若かった私も若くはないという自覚だけが空回りしております。

福沢諭吉は物理学者であったというこのことがあまり知られていません。
幕末から明治にかけた神学論として入った思想、そして切っても切れない関係でである<思想と数学>は次回講演会でひょっとしたらお話がでるかもしれません。(私の勝手な期待と予想です)

六城雅敦拝

清野 眞一 投稿日:2016/03/28 12:41

【1558】[1891]加藤哲郎氏著『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』を今また 再読する

加藤哲郎氏著『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』を今また
再読する
             平凡社新書 2005年7月刊行(現在品切れ)

 昭和天皇免責についての最終的な決定は、日本がポツダム宣言受諾前の19
45年6月にトルーマン大統領と太平洋問題調査会(IPR)のジョン・マッ
クロイたち「賢人会議」で決まったのであり、多くの人々が誤解しているよう
に、敗戦後マッカーサー元帥と昭和天皇とが話し合って決まったのではない

 今なぜ明仁天皇が平和のシンボルとして、激戦地のペリリュー島やパラオそ
してフィリピンに行くのかの謎を解く鍵が、この著作に書かれています。

 1946年、日本に「民主教育」を植え付けるために訪日したアメリカ教育
使節団が皇居を訪れた際、既に「人間宣言」を行っていた裕仁天皇からの強い
要請により、明仁皇太子は、家庭教師として米国人でクエーカー教徒のヴァイ
ニング夫人を付けられたのです。

 こうして皇太子はジミーと呼ばれて、その後4年に渉って徹頭徹尾平和のシ
ンボルとして行動するように躾けられたのです。そしてこの事は、当然の事な
がら父である裕仁天皇の意思でもありました。

 このように敗戦国日本の皇太子に戦勝国であるアメリカ人の家庭教師を付け
る事は、「囲む会」会員の吉田祐二氏が最新刊『天皇家の経済学』(洋泉社)
で的確に捉えていたように、まさに日本が米国の軍門に下った事を何よりも雄
弁に語るもので、それはこの冷徹な事実を裕仁天皇自身が「国策」として受け
入れた事を示すものでありました。

 こうして昭和天皇は自らの意思で戦争と軍備を拒否したのです。記憶で大変
申し訳ない事ですが、副島先生も昭和天皇は自ら座敷牢に入られたと表されて
いた事を思い出します。

 この著作は、2004年に加藤氏自身がアメリカの国立公文書館で発見した
戦略情報局(OSS)の機密文書「日本計画」(最終草稿)についての著作で
す。今でもこの文書の存在が広く知られていない事は、大変残念な事です。

 しかし昨年の安保法案成立に至る安倍政権の状況と、この1年間の明仁天皇
の「平和」のシンボル然とした言動との矛盾が大きなものになっている現在、
既に私自身が10年ほど前に書評したものの、現在の品切れ状態に鑑みその重
要な内容を詳しく書いて残す事にしました。

 この「日本計画」の作成は、1942年6月の時点、つまり真珠湾攻撃から
僅か6ヶ月後の事でしたが、その時点で既に日本を打ち負かした後の戦後日本
の政治体制、つまり「象徴天皇」制を構想した驚くべき計画でした。

勿論、この結論に至る研究は、当然の事ながらその前から行われていました。

 さてここで一寸話を替えます。湾岸戦争の開始日、つまり1991年1月1
7日、アメリカ軍を中心とする多国籍軍は対イラク軍事作戦である「砂漠の嵐
作戦」を開始して、イラクのバクダットおよび各地の防空施設やミサイル基地
を大規模に空爆しました。

 その日、多国籍軍は宣戦布告なくイラクへの爆撃(「砂漠の嵐作戦」)を開
始したのです。この最初の攻撃は、サウジアラビアから航空機およびミサイル
によってイラク領内を直接叩く「左フック戦略」と呼ばれ、当時クウェート方
面に軍を集中させていたイラクは出鼻をくじかれ、急遽イラク領内の防衛を固
める事になりました。

かくの如く敵の中心を直ちに撃破する事は軍事作戦の常道です。

 この時、巡航ミサイルが大活躍し、アメリカ海軍は288基の「トマホー
ク」巡航ミサイルを使用し、アメリカ空軍はB―52から35基の対地ミサイ
ルを発射しました。

 日本も太平洋戦争では1944年(昭和19年)11月14日以降、東京は
実に106回もの空襲を受けました。

特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日―26日の5回は大規模でした。

その中でも「東京大空襲」といった場合、死者数が10万人以上と著しく多い1945年3月10日の空襲(下町空襲)を指します。この3月10日の罹災者は100万人を超えたのです。

 ここで注目すべき事は、開戦以来、皇居はこれまで一度たりとも爆撃された事
はありません。しかし3月10日、東京駅周辺を絨毯爆撃を開始した米軍が全
く意図も想像もしなかった事ですが、東京駅や銀座方面が余りの大火のため、
期せずして皇居にも延焼し戦災に遭ってしまったのです。

 では日米開戦当時、何故イラク戦争のように開戦の当初に、皇居に対する激
しい爆撃・攻撃がなぜされなかったのでしょうか。

 正解は、太平洋戦争では一貫して、皇居は爆撃目標から除外されていたからです。なぜならそもそも米軍には開戦当初から敗戦後の日本には天皇利用計画があり、その為に天皇が居住する皇居を爆撃をしようとの意思は、鼻からアメリカにはなかったからです。

 その計画の存在とその狙いを徹底して解明した本が、この著作です。その意
味において天皇制は、つまり「国体」は敗戦後占領軍のマッカーサーたちと当
時の天皇を始めとする日本側の必死の努力と折衝によって辛うじて「護持」さ
れたのではなく、その内実はアメリカの主体的な決定による「日本計画」によ
り、ただただ利用されたにすぎません。

 その証拠にマッカーサーの軍事秘書官、つまり日米開戦後にフィリピンから
オーストラリアのブリスベンまで退却していた南西太平洋軍司令官マッカーサ
ーに請われたボナー・フェラーズは、1943年9月からマッカーサー司令部
統合計画本部長に就任、マッカーサーの軍事秘書、PWB=心理作戦本部長と
して活躍していたのです。

 映画「終戦のエンペラー」で一躍有名になったフェラーズは日本通として、
その映画の中ではマッカーサーの指令により「戦争責任者を特定せよ」との指
令を受けて行動し、結果的に天皇を救った人物として描かれております。しか
しマッカーサー司令部に赴任する直前まで戦略情報局(OSS)に努めていた
事は伏せられていたのです。

 それでは、本書の章別構成を紹介しておきます。

 プロローグ
 第一章 象徴天皇制を巡る情報戦
 第二章 一九四二年六月の米国[日本計画]―最終草稿の発見
 第三章 戦時米国の情報戦体制―戦略情報局(OSS)の調査分析部
 第四章 「敵国日本」の百科全書―真珠湾攻撃時の調査分析部極東局
 第五章 「平和の象徴」天皇観の形成―「日本計画」第一・第二草稿
 第六章 もう一つの源流―情報調整局(COI)の「四二年テーゼ」
 第七章 第三の系譜―英米共同計画アウトライン
 第八章 「日本計画」と「ドラゴン計画」―対中国・朝鮮戦略との連動
 第九章 「日本計画」をめぐるOSS対OWI―マッカーサー書簡の意味
 第十章 「日本計画」と象徴天皇制のその後―心理戦・情報戦は続く
 エピローグ―研究案内を兼ねて

 以上ですが、250ページに満たない小著ながら、その丁寧で全面的な考察
に私などは驚かされます。それでは章ごとに短評をつけてゆきましょう。

 プロローグでは、話の切り出しとして情報「戦争はなお続いている」、そし
て米国文化が日常生活に深く浸透しているが、その需要の受け皿が「象徴天皇
制、天皇制民主主義」だと提起しています。

 第一章では、改憲・論憲・護憲・女性天皇をめぐる情報戦を紹介して、今で
は天皇制そのものを問う政治的「共和派」ほとんどみられないとした上で、現
日本国憲法制定時には当時の日本政府と民主化・非軍事化を強力に推進する占
領軍とのせめぎ合いの焦点として天皇制があった事を示しました。

 そして昭和天皇が一九五三年以降も「米国の駐留が引き続き必要」と発言していた事が米国側資料から明らかになったと続け、「天皇を利用する」米軍戦略文書が発見された事を明らかにしたのです。

 これがCIAの前身である戦略情報局(OSS)の機密文章で「一九四二年
六月、情報工作の一環として昭和天皇を『平和のシンボル(象徴)として利用
する』計画を立て」いました。

 同年八月五日付でこの「日本計画」に寄せたマッカーサーメモも見つかりました事も書かれています。

 第二章では、話の切り出しとして当年九月に後の駐日大使・ライシャワーが
書いた日米戦争勝利後の「ヒロヒトを中心とした傀儡政権」を紹介し、その構
想自体が戦略情報局(OSS)の「日本計画」の影響下にあったとしました。

 この計画は「ドノヴァン」文書といわれる文書綴りの中の一つで、起草者は陸
軍情報部心理戦争課長のソルバート大佐です。

「シンボルとしての天皇利用」の発想は陸軍情報部ではなく、情報調整局(C
OI)調査分析部(R&A)極東課と思われ、チャールズ・B・ファーズが中
心であり、彼には指導教官ケネス・W・コールグローブに影響を受けている。
この教官は新渡戸稲造の影響下にありました。

 新渡戸は「天皇は国民の代表であり、国民統合のシンボル」と発言して、米国に天皇シンボル論を教え込んだ人物です。

「日本計画」には、三種の草稿があり、最終稿では連合軍の軍事戦略を助ける
ための四つの政策目標と八つの宣伝目的が設定されました。

 そしてより個別的な一一項目の宣伝目的が設定されたのですが、その最大のものは「天皇を平和のシンボルとして利用する」です。

 つまり日米戦争に導いた日本の軍部と「天皇・皇室を含む」国民との間に楔
を打ち込み、「軍事独裁打倒」に力を集中させる方針が確立しました。

 ここに第一に天皇制存続、第二に戦後日本の繁栄=資本主義再建という、GHQの占領で実現する二本柱の方向が示唆されたのです。

 こうした視点から明治以来のアジア侵略は免罪され、明治天皇は「立憲君
主」と美化されて、軍部を排除した後昭和天皇の下での繁栄での自由と繁栄が
保証されました。

 ここで注意されなければならないのは、日本へのある種の畏敬と愛情からそ
の判断が成されたのではなく、戦略的な「天皇の象徴的側面」の利用価値から
出たものだという事実です。

 第三章では、今日「情報戦」と呼ばれる国家間の情報的側面をイギリスは
「政治戦」、アメリカは「心理戦」と呼んでいた事と、アメリカにおける情報
機関の創設と発展の歴史とそれに関わる機密文書の公開・閲覧について述べて
います。

 第四章では、真珠湾攻撃時の調査分析部極東局の関係文書が膨大で徹底的に
敵国の全容解明に迫っていたものである事を述べています。日本の階級分析に
は、マルクス主義的な階級・階層分析も積極的に取り入れており、『日本資本
主義発達史講座』を利用した上での「皇室、貴族、官僚、ビックビジネス、地
主、小ビジネス、都市労働者、農民、朝鮮人、エタ」党の社会的身分の分析す
ら進めていたのです。

 こうした研究から「天皇でも共産主義でも勝利のために利用する」視点が出
て来ました。特に日本の国民性分析から「エタ」=被差別部落民や朝鮮人、共
産主義者などのマイノリティ利用戦略が考えられていた事は注目に値します。

 第五章では、「日本計画」の第一・第二草稿について書かれています。第一
草稿での階級分析と天皇利用については、シンボルとして利用すために政府と
普通の民衆との間に分裂を作り出す戦略が策定されたのです。

 その際、日本の民衆が持つナチスとの同一視には不快感を持つ事も考慮され
ました。そのため、軍部主導の戦争は日本の長い伝統および立憲君主制からの
逸脱だとのプロパガンダが使われる事になったのです。

 その他、支配者内部のあらゆる対立を促進する事も考慮されました。例えば
極端な軍国主義者対ビック・ビジネス、極端な軍国主義者対宮中グループ、陸
軍対海軍、陸軍内部の派閥等々です。実に考え抜かれた方針ではないですか。

 第六章では、「日本計画」には情報調整局(COI)の草案もあった事が書か
れています。

 この計画は英米共同作戦文書の系列にあり、対中国向けの「ドラゴン計
画」、対朝鮮向けの「オリビア計画」と一体のものでした。加藤氏は、この計
画をコミンテルンの三二テーゼに習って四二テーゼと命名しています。

 この計画は、日本に「二度と侵略を許さない」ような日本の天皇をシンボルとする「真の代表政府」を作る事を目的としていました。このための方策として、
「悪い助言者」が天皇を欺き起こしたとの方便が使われたのです。

 こうしてこれ以降、天皇を誹謗する事や攻撃する事は御法度になりました。

 第七章では、「日本計画」には英国政府と軍・情報機関の深い関与がある事
が書かれています。両国の間にはインドを挟んで若干の対立があったが、「シ
ンボルとしての天皇利用」の点においては米英共同戦略になったのです。

 第八章では、一九四二年四月二十日、情報調整局(COI)対外情報部(FIS)
指令として「皇居への爆撃は避けるべきだ」とし「東京の心臓部に位置する皇
居へのいかなる可能なダメージも、話題にしてはならない」と明言されていた
事を明らかに致しました。

 その後アメリカで情報調整局(COI)が戦略情報局(OSS)と戦時情報局
(OWI)とに二分された事により、「日本計画」完成の主導権争いが起こって
参謀本部に送られる事なく、「日本計画」は同年八月に撤回・凍結されて棚上
げとなったのです。しかしアジア戦略策定のため、対中国計画(ドラゴン計
画)および対朝鮮計画(オリビア計画)が作成される過程で、第四の「日本計
画」が浮上し「象徴天皇の利用」こそ明言されなかったものの、「代表制立憲
政府への復帰」が戦略目的とされたのです。

 ついでに書いておけば、オリビア計画は朝鮮にはガンジーがいないとされて
朝鮮戦争まで温存されました。

 第九章では、米陸軍の「日本計画」と戦略情報局(OSS)の「ドラゴン計
画」との衝突が論じられています。戦略情報局(OSS)のドノバァン長官は、
参謀本部でも検討していた「ドラゴン計画」の中での「日本計画」とソルバー
ト大佐の「日本計画」(最終草稿)との調整が必要となり、更に研究する事で
戦略情報局(OSS)の側近テイラーと合意したのです。

 こうして「日本計画」は根本的に書き換えられたのですが、再度棚上げされ
ます。この間英国との協議も進み、戦時情報局(OWI)内部でも「英米対日心
理戦計画アウトライン」の策定に踏み切りました。引き続き「皇居への攻撃は
避ける事」とされながら。

一九四二年十月十一日、心理戦共同委員会小委員会メモにはマッカーサーから
の二通の機密電報が着いています。そこには「心理戦は、プロパガンダと破壊
活動その他の手段と組み合わせて使用する戦略の特殊な形態である」との指摘
とプロパガンダと破壊活動を結びつけるには「前線における心理戦指令系統が
独自に必要だ」とあったのです。

 こうして戦略情報局(OSS)に勤務経験のある象徴天皇制存続に重要な役割
を果たすボナー・フェラーズがマッカーサーの下に行く事になったのでした。
勿論ボナー・フェラーズは、「ドラゴン計画」も「日本計画」も知悉していま
す。象徴天皇制の利用は既定です。

 第十章では、これまでの研究成果である全百三十二頁三部構成の「日本に対
する心理戦争計画立案のための社会出来・心理的情報概観」の内容が書かれて
います。

 エピローグでは、従来の日本の研究が米国の国務省外交文書による物が大半
を占めている事を俯瞰した後、通説の陥穽となる米国陸・海軍、戦時貿易省、
さらには大統領補佐官などの多角的ルートで、中でも戦略情報局(OSS)の
「日本計画」が重要視されなければならないと強調しています。

 ジョン・ダワーは、ピューリッツアー賞を受賞した『敗北を抱きしめて』の
中で占領軍の天皇政策について、「なかでも最重要の人物は、マッカーサーの
軍事秘書官であり、心理戦の責任者でもあったボナー・フェラーズ准将であ
る」と書いてあります。

 続けてダワーは、このボナー・フェラーズが平和主義のクエーカー教徒であ
る事、「終戦のエンペラー」の原作となった『陛下をお救い下さい』を書いた
河合道とラフカディオ・ハーンとフェラーズとの麗しい関係も書いています。

 しかし彼が実際に戦略情報局(OSS)の「心臓」にあたる心理作戦計画本部
にいた事、そして極東のみならず世界全体での対米心理戦略立案で重要な役割
を果たしていた事を伏せています。ボナー・フェラーズはこの映画の中で一面
的に描枯れたようにではなく、まさに全面的に捉えなければ成りません。

 確かに「映画」で描かれたようにボナー・フェラーズと、占領当時恵泉女学
園の校長をしていた河合道との活躍によって、「国体」は残ったかのようで
す。その訴追を免れるための策動の一環として、昭和天皇『独白録』は英語版
(フェラーズ所有)と日本語版の二つがあるのです。しかし真実をいえば、
「『国体』は護持されたのではな」く「ただ利用されただけ」なのです。

 昭和天皇に対する最終的な決定は、1945年6月にトルーマン大統領と太
平洋問題調査会(IPR)のジョン・マックロイたち「賢人会議」で決まった
のであり、多くの人々が誤解しているようにマッカーサー元帥と昭和天皇とが
話し合って決めたのではありません。

 先にも引用しておきましたが、『天皇家の経済学』(洋泉社)の中で、「囲
む会」会員の吉田祐二氏は本邦未訳の『The Wise Men』から、以上の経緯を氏
自らの試訳として、214ページに紹介しています。

 当然の事ながらボナー・フェラーズは勿論の事、マッカーサーですらこの日
本計画の存在とその核心についての知識は、充分に周知していたのです。この
ように天皇の処遇と戦後日本の政治体制は、戦後の日本人の想像を遥かに超え
た所で既に決まっていました。

 その意味において「国体」は護持されたのではなく、アメリカに利用された
にすぎなかったのであり、これまで真実はかくも隠されてきたのです。

 もし貴方が戦後の「象徴天皇制」には、今では大して意味はないと考えてい
るのなら、是非この本を読んで今後のためにも真剣に考え抜いて欲しいと私は
考えています。

 明仁天皇の誕生日の十二月二十三日午前零事にA級戦犯の絞首刑は執行さ
れ、米国は当時の明仁皇太子にメッセージを発していたのです。「政治とは関
わりを避け、平和のシンボルとして行動せよ、さもないと……」と。

 私はこのように考えています。まさに米軍と象徴天皇制と憲法第9条は一体
の物、つまり三点セットなのです。