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Loginはこちら【1563】[1896]私の最新刊の 『日本が中国の属国にさせられる日』 のことを書きます。
副島隆彦です。 続けて、あと一本書きます。
私の新刊本が26日発売で、今書店に並んでいます。 政治の本だからあまり売れないだろうと、出版社が判断して、たいして発売部数がありませんから、大手の書店でしか手に入らないと思います。
書名は、『日本が中国の 属国にさせられる日』(ベストセラーズ 刊)です。こんな書名にしたから、あまり売れないかなあ、と自分では心配しています。
アルルくんが、昨日、「今日のぼやき」の方に、さっさと、この本の紹介の宣伝の批評をしてくれました。皆さん読んでください。私よりも 20歳若いアルル君から見たら、私の今度の本は、このように 見えるのか、と私なりに感慨深いです。「やがて中国の属国になるんだよ」と言われて、気分がいい日本人はいないだろうから、あまり良い書名ではなかったかな、と 何度も思います。
「そんなはずはない。中国はもうすぐ崩壊する(共産主義体制だから崩れ落ちる)」と今でも堅く信じて疑わない人も 多い。 それでも、実際には、そんな気配はない。今も強大になりつつある。 中国崩壊論を書き続けている人たちは、内心、肝が冷えているのではないか。
「 副島隆彦の中国認識は、根本から間違っている」と、私に対して、上から目線で、余裕をもって笑っている人も、この本を読めるように工夫して書いた。
私自身は、こういう本を今のうちに書いて出しておかなければいけないと、思って急いで書いた。
この本の帯(おび)には、「共産主義(きょうさんしゅぎ)の何が悪(あく)で、どこがどう間違っていたのか」と 書いてあります。 この本は、共産主義国である中国の日本支配が起きるだろう、という本ですが、私が書いているうちに、
「共産主義という政治思想が、生まれて130年ぐらいだ。 そして、ちょうど100年前のロシア革命(1917年)から、いったい、人類は、どういう悲惨なことをたくさん作りだして、残虐な何百万人もの 政治犯の 大量虐殺を起こして、ここまでやってきた」ということの、私なりの究明、探求の本になった。
私が、この本を書こうと思った動因のひとつは、私たちの研究員である、藤森かよこさんが、私の講演しているときの、演台のすぐ下の、客席から、質問者として質問したことだ。それは、「副島先生は、中国が日本に攻めてくることに対して、どう考えますか」というものだった。
私は、面食らって、「あなたのような(高学歴の女性で、見識のある)人でも、そのような心配をするのですか」と、答えた。それは去年の9月の講演会でのことだった。
藤森さんは、アメリカ文学研究が専門で、女性学(じょせいがく)もなさっていて、そして、何よりもアイン・ランド(Ayn Rand )女史という傑出した、アメリカの政治思想の、リバータリアン思想の生みの親のひとりである文学者の日本における研究者の草分け(先駆者)である。
その 藤森さんに、私は、「あなたでも中国が怖(こわ)いのですか」と壇上から問いかけたら、「怖いです」と返ってきた。 だから、私は、この本を書いた。
読んでみてください。 ただしこの本は、これまで副島隆彦の本も読ます、じっくりと物事を考えたことのない、普通の知能をしている程度の人では、どうせ理解できません。
このように断っておきます。 本物の読書人(どくしょじん)であり、深く自分の頭で思考できる人しか、受け付けないでしょう。 だから対して、読書体験のない、20台の若者では無理だろう。若者は、自分が生きることで精いっぱいだ。40代、50代の人でも、サラリーマンをやっていたら、仕事が忙し過ぎて、本なんか買って読んでいられない。
それでも、私、副島隆彦の本に出合って、何か大きなこの世の真実とか、隠されている真実とかに気づいて、自分の人生の意義を見つけた人たちには、分かってもらえる本です。私自身が、自己評価で見ても奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な本です。これまでのような、食い付きの良さはこの本にはありません。 私は、ついに読者(読み手)に迎合(げいごう)することをやめました。
「共産主義の何が悪(あく)で、どこがどう間違っていたのか」と書くと、これは、世にいわゆる、反共(はんきょう)本、ということになります。そんな 時代遅れの、反共右翼や公安警察の手先(全貌社 )が書くような本を誰が読むか、と 吐き捨てられそうな本でしょう。 だが、アルル君は、そこのところのむずかしさを、的確に見破ってくれました。ありがとう。
私は、安倍晋三首相 という明らかに、反共産主義=反共(はんきょう)で、頭のてっぺんから体の芯(しん)まで反共主義者である人物に体現される人が首相である間に、この本を書いておこうと思った。
そして、「安倍ちゃん。頑張ってくれよ。あの態度の悪い チャンコロ、チョーセン人、ついでもロスケ(ロシア人への蔑称)を ちょっと痛めつけてくれよ」 と 安倍晋三を強く支持している 人々に向けて、彼らに読んでもらえるように、と思って、この本を書いた。
私なりに、彼らの懐(ふところ)の中に、飛び込んで、彼らと対話をできるようにと、彼らの世界(土俵)に入り込んでゆく積(つも)りで、書いた。
安倍晋三が、国会答弁で、急に、「おい、日教組(にっきょうそ の アカ 野郎)。早く質問しろよ」と、首相らしからぬ忍耐の無さで、旧社会党系の 民主党の議員に、歯をむき出してケンカを売るごとく、言ったときのあの態度に、反共主義の堅い信念を見た。 自分が反共(はんきょう)主義者(=勝共(しょうきょう)主義者。共産主義に勝つ主義) であることに、強い誇りを持っていることがよく分かる。 だから、安倍晋三に向かって、私は、それでは、「安倍さん。あなたは、その反共主義の信念のほかに、何を持っているのか」と聞きたい、と思ってる。
こういう私の問題意識を、副島隆彦の本読みの皆さんに、何とか分かって貰(もら)いたい。みんな自分のことで忙しくて、大変でしょうが、またしても、副島隆彦に脳天を叩かれた、という気になりたい人は、どうぞ読んでみてください。
それから、この本を書こうと思ったのは、「いまのうちに書いておかなければ、時代に遅れてしまう。先へ先へと、世の中の流れを、ほかの人たちよりも、先へ読んでゆく予言者型(がた)言論人としての、自分の能力の欠如になる」 と考えたからです。
どうせ、中国がアメリカに勝つ。それには、あと5年もかからない。アメリカの国力の衰退と、帝国(世界覇権国、ヘジョモニック・ステイト)としての世界管理能力が、どんどん減退している。それなのに、「アメリカは強い。アメリカはいつまでも永遠に、世界一だ。アメリカにしっかりしがみ付いてゆくのが日本の道だ」と考えている愚か者たちが、内心でボロボロになって、崩れ果てて、それで、どうするか、というと、ペロリを舌を出して、恥知らずに態度を変えて「アメリカはもうもたないと僕も思っていたよ」と言い出す前に。 私は、書いておかなければいけないのだ。
私が、この本で書き忘れたことは、次のことだ。 「中国は、今は、まだアメリカよりも、弱い国だ。 金融・経済力でも、軍事力でもアメリカよりも弱い。だから正義がある。中国はチャレンジャー(挑戦者)だから、下から這い上がって来るものの、泥だらけの穢(きたな)さがあるから、だから正しいのだ。 それに対して、今の支配者であるアメリカは、尊大に構えて、まわりを見下(みくだ)して威張っている。だからアメリアは悪(あく)なのだ」 と、 考えていい。
ところが、である。その今は正義である中国が、本当に、アメリカを追い抜いて、GDP(経済力)でも軍事力でもアメリカと拮抗(きっこう)するようになり、そして、アメリカの金融市場が崩れて、自壊を始めたときに、中国との関係で、逆転が起きる。
その時である。中国は、じっと耐えてアメリカの衰退を、狙ってきた。そして、アメリカが自分のせいで内部からガラガラと崩れる時に、中国が、日本に対して、どういう態度を取るか、である。
そのとき中国は甘い態度を、日本に対して取らないだろう。よくも、これまで、さんざん敵対してくれたな、という横柄な態度になるだろう。 今から2000年前の、漢(かん)の帝国に、日本(倭国、わこく)が朝貢(ちょうこう)していた頃と、同じような感じになるだろう。日本は、中国の歴代王朝(歴代の中華帝国)の、朝貢国=周辺属国のひとつ、だったのである。この大きな世界史規模での、歴史の事実を無視して、なにごとか、虚勢(きょせい)を張ってみても、つまらない話だ。 真に知識と教養のある者は、歴史に学ぶ。
だから、中国が世界一の国になったら、中国は権力者だから、悪(あく)になる。それが冷酷な政治学からの目だ。悪(あく)になった中国が、日本にどういう仕返し、報復をしてくるか、を、今のうちから、考えておくことが必要だ。そのときに震えあがっても遅い。 このように考えて、副島隆彦は、この本を書いたのだ。 中国が本当に世界で一番強い国(次の世界覇権国)になったとき、日本は、どうするのだ。
このことを いまのうちから、先へ先へと、予言者の知識人として、考えて書いておかないといけない、と 私は思って、この本を書いた。
だから、安倍晋三以下の、日本の反共(はんきょう)思想の燃えるような堅い信念の人々に、このことの備えをそろそろ始めるように、と促(うなが)そうと思ってこの本を書いた。
読んだら、頭が腸捻転(ちょうねんてん)を起こすような奇妙な感じになるでしょう。 読んでみてください。
副島隆彦 記
【1562】[1895]トランプが、駐留米軍は撤退。日本は核保有しても構わない、と発言。
副島隆彦です。 今日は、2016年3月29日です。
以下の新聞記事は、これからの日本が進む道(進まされる道)として重要です。 アメリカの共和党の大統領候補者になる(7月18日の党大会で決まる予定)であろうドナルド・トランプ候補が、吼(ほ)えるように、正直に率直に答えている。
(転載貼り付け始め)
●「トランプ氏「在日米軍撤退も」=安保改定、日本の核保有容認―米大統領選」
2016年3月27日 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160327-00000008-jij-n_ame
米大統領選の共和党候補指名争いで首位を走る不動産王ドナルド・トランプ氏(69)は、大統領に就任した場合、日本が駐留経費の負担を大幅に増額しなければ、在日米軍を撤退させる考えを明らかにした。
日本による核兵器の保有を容認する意向も示した。(引用者注記。トランプ氏は、正確には「日本と韓国による・・・」と言った)
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)が、26日に掲載したインタビューで語った。トランプ氏は、これまでも「日米安全保障条約は不公平だ」など と日本側の負担増を求める方針を示していたが、米軍撤退の可能性に言及したのは初めて。
トランプ氏はインタビューで、日米安保条約について「片務(へんむ)的な取り決めだ。
私たち(アメリカ)が攻撃されても、日本は防衛に来る必要がない」と説明。「米国 には、巨額の資金を日本(と韓国。引用者注記 )の防衛に費やす余裕はもうない」とも述べ、撤退の背景として米国の財政力衰退を挙げた。
その上で、インタビュアーが「日本は世界中のどの国よりも駐留経費を負担している」とただしたのに対し、「実際のコストより、はるかに少ない」 と強調。「負担を大幅に増やさなければ、日本や韓国から米軍を撤退させるか」と畳み掛けられると、「喜んでではないが、そうすることをいとわな い」と語った。
トランプ氏は、日本政府と再交渉して安保条約を改定したい考えも表明。日韓両国が北朝鮮などから自国を防衛できるようにするため、「核武装もあり得る」と述べ、両国の核兵器保有を否定しないという見解も示した。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。 この記事は重要だ。 ドナルド・トランプは、 「米国 には、巨額の資金を日本の防衛に費やす余裕はもうない」と述べ、「日本(と韓国)が駐留経費の負担を大幅に増額 しなければ、在日米軍を撤退させる考え」だと、答えた。「駐留米軍の撤退の背景として米国の財政力衰退を挙げた」となっている。
そして、その場合、「 日韓両国が北朝鮮などから自国を防衛できるようにするため、「核武装もあり得る」と述べ、両国の核兵器保有を否定しないという見解を述べた」となっている。
トランプは、アメリカの経済・財政状態がひどく悪いことを知っている。だから、これまでのようにアメリカ軍が、世界中で展開して、海外にまで進駐軍(遠征軍)を出せるような力はない、と言っている。
トランプは、明らかにアイソレーショニスト( isolationist 、国内問題優先主義。海外派兵反対論者 。外国への不干渉主義)である。アイソレーショニストは、「それぞれの国は、自分の判断で自分のことをやるのがいい。いちいちアメリカは助けない。独裁国家だろうが、そこの国民が飢えていようがアメリカは関わらない」という考えだ。 アメリカには、もうそんな力はない、と正直に答えている。 私は、このトランプの 態度が好きだ。
彼は、“不動産王”の経営者だから、企業の経営という、苦しい職業からものごとを見ている。経営の才能のない者が、あれこれ経営者に向かって言っても「黙って働け。お前の能力では、この苦しみは分からない」と答えるだろう。
そして、その流れで、アメリカに守ってもらえなくなったら、国際政治の自然な成り行きとして、日本と韓国は、自衛のための核武装を始めるだろう、そして、それを大統領候補者としてのトランプは、「必然的な動きだから、その事態を受け入れて、認める」と答えている。
私、副島隆彦は、日本の核武装(核保有)に反対だ。何があっても核保有すべきでない。たとえ北朝鮮の核兵器が飛んできて、それを撃ち落とせなくて(迎撃不能)、10万人の日本人が死ぬことになっても、はやり、核保有はすべきでない、と考えている。
それよりも世界は、そして、その一部としての私たち東アジア人たちは、そのような悲惨な事態を避けるために、努力をし賢明に動くだろう。それが、副島隆彦が言う、「アジア人どうし戦わず。ダマされて、戦争だけはしてはならない」だ。 だから、この問題に対しては、私は楽観的に考えている。自分が核兵器(恐ろしい大量人殺しの刃物)を持ったからと言って、それで自分が強くなった、安全になあった、と考える必要はない。
こういう問題では、どんな立場の人も、実は、優劣はない。自分が人よりも優れている、といえる人間はいない。安倍晋三首相のような、反共産主義(はんきょうさんしゅぎ)が腹の底から信念である 政治家でも、私たちひとりひとりの考えよりも、優れた見識など持っていない。
ドナルド・トランプの 外交・軍事(=安全保障とも言う)の助言者(アドヴァイザー)は、マイケル・フリン中将( 元DIA, ディー・アイ・エイ、政府機関である国家情報研究所の所長)だと言われている。それと、デンプシー元統合参謀本部議長(チェアマン・オブ・ジョイント・チーフ・オブ・スタッフ。米軍の制服のトップ)だそうだ。
彼らは、ネオコン派とは、ずっと大ゲンカをしてきた 「外交における現実主義者(リアリスト)」の軍人たちだ。2003年からの米軍のイラク(侵略)戦争に「(たったの16万人しかイラクに派兵できないのだったら)安易な軍の投入はするな」と反対してきた軍人たちだ。
トランプへの支持表明をしている、彼ら職業軍人のトップたちや、アメリカの民族右翼たちや、ユダヤ系の経営者たちも大勢いる。だから、もうトランプを暗殺したり、引きずり降ろしたりは出来ない。トランプが言う通り、「共和党が、私にティップ( tip 、候補者の指名)を与えなかったら、(私の白人の支持者たちが)暴動を起こすだろう」、と。
私、副島隆彦は、トランプが、本音で、本気で、アメリカの指導者となるべく、なんでもずけずけと言ってくれることが、一番、大事で必要なことだと思っている。ヒラリーの周(まわ)りに揃(そろ)っている、偽善者で、ワルで、上品そうに、大きく秩序を維持する(=民衆を抑えつける)者たちが大嫌いだ。
彼らがグローバリスト( globalist 、地球支配(しはい)主義者)だ。人類は、今こそ、アメリカ帝国のグローバリストの世界支配を打ち破らなくてはいけない。だから、正直者のトランプたち、ポピュリスト(下から吹き上げる保守的な白人大衆のワシントン政治への怒り、を受けとめ体現する政治家の出現のこと)であり、アイソレーショニストである、やや右翼っぽい本物の、おのれに正直に人種差別(区別)発言もする、デブの大男のアメリカのオヤジたちを、私は支持する。
その代わり、この本物のアメリカおやじたちは、「自分のことは自分でやれ。俺たちはもうお前たちのことに構う気はない。そんな余裕もない。アメリカは撤退する」と、私たちアジア人にも突き放すように言う。 それがいいのだ、と、私、副島隆彦は思う。私は自分のアメリカ政治研究の本で、このことをもう20年間も私はずっと書いて説明してきた。
トランプのような、ヒューイ・ロング( もう、この重要なアメリカの政治家のことは説明しない。この名前が、まだ分からなかったら、学問道場に近寄るな。どうせ、政治のことなんか一生分からないアホなのだから。私も甘やかす気がなくなった。私の 主著の『覇権アメ』で勉強しなさい。あるいは私のアメリカ政治映画の評論本を読みなさい)の再来の男が、またこうして表れた。 これがアメリカ政治の醍醐味(だいごみ)だ。
アメリカの”草の根(グラス・ルーツ、 grass roots )”というのは、アメリカの地方の白人の農場主や商店主や保守的な労働者たちのことだ。彼らが、本当のデモクラシー(民衆の代表者による政治)を俺たちに返せ、暴れ出す時にグラス・ルーツの反乱=ポピュリズム と 言うのだ。 こういうことを、ウソばっかり教えられて、洗脳されきっている日本国民に教えるために、日本に副島隆彦が出現したのだ。
アメリカは、人類史上で初めて デモクラシー( demos - cratia デーモス・クラテーア 代議制・民主・ 政体 )を実現した国だ。デモクラシーというのは、存亡に関わる大きなことは、国民全員が集まって直接民主政(ダイレクト・デモクラシー)で決める。
しかし他の大抵(たいてい)のことは、指導者(リーダー。ゲンス=部族=の長)が決める。そして、指導者は人一倍体力のある、どんな苦難にも耐えることの出来る有能な大人物でなければいけない。ちょっとぐらい女問題や金の問題で後(うし)ろめたくてもいいから、いざというときに、本当に体を張って死ぬ気で、国民を守らなければいけない。という考えで出来ている。
デモクラシーは、 古代ギリシャや古代ローマ帝国や中世ヨーロッパの都市国家の伝統から生まれたのではない。「デモクラシーはチュートン(トイトブルグ)の森」から生まれたのだ」(モンテスキュー)。 ゲルマン部族の原住民の部族の習わしから起こった。ゲルマン族の野蛮で粗野な男たちが、剣と盾を打ち鳴らしながらものごとを決めた。
だから、アメリカも、ゲルマン民族の、遊牧民(nomad ノウマド)の伝統を今もひきづっていて、幌馬車隊(ほろばしゃたい)の隊長のような人物として、自分たちのリーダー(指導者)を見つめている。 リーダーが臆病者とか、ズルいやつとか、知恵が足りないと、幌馬車隊は、崖から落ちて全滅してしまう。
だから、アメリカのデモクラシーは、演説の力で、皆の前で、堂々と演説して、皆の信頼を集めることの出来る人間を選び出す。「よし、この人間だったら信用する。言うことを聞く。この男の命令に従って戦って一緒に死んでもいい。たいていのことはこいつに任せる」という仕組みで、アメリカン・デモクラシーは、出来ている。だから、今は、それを トランプという 男が体現している。アメリカ国民からの試験(テスト)を受けている最中だ。
みんなの前で、本気になって、体を張って、演説の力だけで、「私がみんなの指導者(しどうしゃ)になります。その能力がある。もし、私が間違っていて、みなさんを苦しめることになったら、私はこの場で自殺します(腹を切ります)」という覚悟でやるのが、本当のデモクラシーだ。
トランプは、だから、ほかの人たちの助言は受けるが、そんなことを言っていられない、緊急の場合が多いから、咄嗟(とっさ)の判断も自分でやらなければいけない。 自分の能力、知能、知恵の限りを尽くして、自分で判断して発言しなければいけない。 その意味では、ロシアの優れた指導者である プーチンと同格だ。
プーチンとトランプは、お互いを認め合って、互いに大好きなようだ。世界基準の 大物の人間 というのは、ああいう振る舞い方をする。
それに比べれば、ヒラリーなんかは、ロックフェラー家の嫁(よめ)で、謀略で悪いことばっかりやってきた、戦争やりたがり、のいけ好かない女だ。それでも、こんな女(氷の女王 だ)に ひれ伏して、屈従してアメリカ人は、まだまだ生きてゆかなければいけないのか。ヒラリーは、ベトナム反戦運動世代の、大学時代は急進リベラル派の活動家あがりの、ネオコンそのものだ。
それでもやっぱり、今の世界を支配している勢力の表面に出ているのがヒラリーで、このヒラリーが勝って、これまでどおり、そしてこの先も私たちは、「どんなことにも卑屈になって、これまでどおりアメリカに忍従する 大人の人間の生き方で、それが無難な生き方だ」を続けるのか。
トランプをつぶして、やっぱりヒラリーの勝ち、ということに、アメリカの支配層、頂点の権力者たちは考えているのだろう。
アメリカは、国力衰退し、財政破たんし、金融市場がやがて取引き停止を起こす、もう、どうしようもない状況だ。このことは日本には伝わらない。そのように操作されている。イエレンFRB議長は、「アメリカの失業率は5%にまで下がった (これは私の大業績よ)」と言っている。
それに対して、「トランプが、「バカ言うな、イエレン議長よ。アメリカの(真実の)失業率は、25%から42%だ」 と、言い放ったのだ。 本当のアメリカの失業率は30%ぐらいなのだ。白人でも3人にひとりは失業している。 学校を出た日本の若者に、職がない、日本の現状と同じだ。 ウソばっかり、報道するなよ。
日本のGDP 衰退率(何が、成長率だ。バカー)は、前年度比で、マイナス21%だったのだ(2014年)。2016年のIMFの予測は、マイナス10・2%だ。私は、今、金融本を書いている。こういうことを調べながら生きている。誰も、本当の大きな数字を書かない。ウソばっかりの、嘘つき、国民洗脳(せんのう)国家だ。
だからトランプが、「私が大統領になったら、アメリカを一旦(いったん)、破たんさせる。アメリカ政府を チャプター11(イレブン)(破産宣告)させる」と、今にも言い出しそうだ。 そして、ケンタッキー州の陸軍基地でもあるフォートノックスの大きな洞穴に保管しているFRB(ニューヨーク連銀)の 金(きん)を、「自分で見に行く」と、トランプは言った。
そして、「なんだ、アメリカ政府が持っているはずの、8300トンの金(きん)は、もう、すっからかんで、無いじゃないか」 と、トランプは、喚(わめ)くつもりだ。
それが、有能な経営者というものだ。ダメな企業は、破産させなければいけない。悪い血を一回、全部、外に流さなければいけない。これはものすごくキツイことだが、誰かがやらなければいけない。それが出来るのが本物の経営者というものだ。
だから、アメリカ国民は(貧乏層で、福祉にたかることばかり考えてる、有色人種たちを除いて)今、トランプの、この いくつもの経営危機という苦難を乗り越えてきた経営者としての能力に賭けてみようと、考えているのだ。このことを分かることが、今のアメリカ政治を分かるということだ。それは、私たちの日本の現実にすぐに跳ね返る。
トランプ支持の黒人やヒスパニック系もたくさんいる。 本物の誇り高い独立自尊(どくりつじそん)の人間だったら、トランプを応援する。リバータリアンLibertarian というのも、もともと、そういう人たちだ。貧しい開拓農民の思想から生まれたのだから。作物が取れなくて、あるいは大不況で、飢えることもあったアメリカ白人農民たちのことを、私たち日本人は、あまりに知らなすぎる。教えられていない。綺麗(きれい)ごとばっかりの、表面でものごとを見てはいけない。
それから、最後に、「米軍を東アジア(日本、韓国)から撤退させる。アメリカはカネがないから、もう駐留軍の経費を負担できない」というトランプの発言に対して「韓国政府は、駐留米軍に 毎年、80億ドル(9千億円)払っている」という反論が出ている。
同じく、「日本政府は、(思いやり予算と称して)駐留米軍に、毎年2000億円(ぐらい。20億ドル)払っている」という反論の新聞記事が出ている。だが、トランプも知らないのだ。
日本は、アメリカの米国債を すでに、隠れて買っている分を含めて、これまでに1000兆円ぐらい買っている。いや、無理やり買わされている。10兆ドルだ。そして、この10兆ドルの米国債は、「売らせてもらえない(売れない)」のだ。 中国は、今、米国債をどんどん売っている。この違いだ。
日本の”用心棒代”としての米軍駐留費の負担は、毎年たったの2000億円などという端(はした)ガネではないのだ。毎年毎年買わされている30兆円ぐらいの米国債だ。これが、たまりに溜(た)まって一千兆円だ。だから、そっくりそのまま、この金額は、日本政府が発行して、返済できなくなっている、日本国債の残高の 1千兆円と、ピタリと見合っているのだ。
だから、トランプが大統領になったとき、「安保ただ乗り論」で、日本を批判して、アメリカ軍の駐留経費をもっと負担せよ、と言って来たら、そのときは、この「10兆ドル=1000兆円の米国債の保有残高」の問題を、日本側は、公然と持ち出すべきだ。もう隠している必要はない。 トランプは、目を丸くして、「ひえー。そんなにあるとは。オレは知らなかった。誰も教えてくれなかったぞ 」と 言うだろう。
だが、そのあとは、トランプは、さすがに、迫力のあるアメリカの右翼の大物経営者だから、「そんなものは、踏み倒す(返さなない)」と言うだろう。 これが、世界政治の現実だ。
副島隆彦 記
【1561】[1894]マイナンバーの導入がひたひたと進んでいる。
副島隆彦です。 下 ↓ 「1893」番で 浅川京華さんの、マイナンバー制度に対する疑問と不信と小さな怒りの表明がありました。
「マイナンバーは、支払調書(しはらいちょうしょ)を作成するときにのみ使用します」として、もの書き業者である私も、半ば強制的に、どんどん「登録の申請をしてください。そうしないと 原稿料の支払いができません」という感じで、着々と進行しています。 抗(あらが)いようがない。
「マイナンバーは、日本政府と、あなた(国民のひとりひとり)とだけの、 秘密の内緒の番号です。ほかの人には見せてはいけません」と、まるで、“ヒミツのあっこちゃーん”みたいな、気持ちの悪い制度です。
これは、日本国民に強制する、国民総背番号(そうせばんごう)制度であり、ID(アイディー)カード( 国民管理・認識制度 )の導入です。 じわじわとやって来ますから、なかなか抵抗できない。 迫りくる統制経済(コントロールド・エコノミー)と 国家による国民一元管理の、統制社会へ向かう準備です。
それにどうやって反対するかは、個人的な不服従の抵抗しかできなくない。 「抵抗しても無駄だよ。コンピュータで何でも全部管理される社会になってしまっているのだから。便利でいいじゃないか」と、あきらめムードです。
私、副島隆彦は、このマイナンバーついての本も、もう半年以上、ずっと書いています。 どうも謎が解けない。この制度の、国家官僚(による)統制としての秘密に迫ろうとしてますが、向こうはなかなか尻尾を出しません。 誰でもわかることとしては、「マイナンバーで、国民ひとりひとりをすべて番号で一括して管理する。とくにお金の動きを監視するためのものだ。
だから、お金持ち層の、アパート賃貸し代の徴収とかで、主にその効力を発揮する」ということでしょう。このように 公然と国民が議論し、指摘し合うことによる抵抗ぐらいしかほかに手がない。 副島隆彦 記
【1560】[1893]マイナンバ―について
マイナンバ―が送られて来て、私は放っておくつもりだったが、老父がうるさく、写真を貼って再郵送したが、それっきり音沙汰なし。そして、勤め先から、マイナンバ―を提出しろと言われ、来ていませんといった所、役所に言ってくれと言われた。勤め先の為にマイナンバ―をもらうわけでなし、こんな個人情報を勤め先が、当然のように提出しろなどと言うのは、おかしいと思う。またそれに、何の疑いもなく、マイナンバ―を出す同りの人間が、私は真実恐ろしいが、副島先生、会員の皆様は、どう思われますか?
【1559】[1892]Re:私も津谷論文に疑問を感じる
六城雅敦(ろくじょう つねあつ)です。本日は3月28日です。
[1888]に清野眞一氏の『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』の丁寧な感想を拝読いたしました。清野さまには著者の一人として厚くお礼申し上げます。
私は昨年の定期講演会の前座として「蕃書調所と近代思想」という題で話させていただきました。
・「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」(SNSI論文集 2005/1 祥伝社)
・「時代を見通す力」(副島隆彦 2008/7 PHP)
・「隠されたヨーロッパの血の歴史」(副島隆彦 2012/10 ベストセラーズ)
この3冊が日本での表面的な思想史に一石を投じた著作物であると紹介いたしました。それにつづく「フリーメイソン=ユニテリアン・・・」は日本人には理解しがたい当時の<過激な西洋思想>の紹介を試みたものです。
私の章は明治エリートの代表格であり、軍医総監であった森林太郎(鴎外)が、脚気対策の誤りが全1/3に及ぶ兵士を消耗したことを微塵にも恥じず、死の間際まで爵位を心待ちにしていたということを知りまして、その背景を掘り下げるつもりでしたが、そこから明治のエリート・知識人のメンタリティへと話が逸れてしまったのです。
(参考文献:「森鴎外は何故袴をはいて死んだのか」志田信男著)
大作家である吉村昭も「白い航跡」で尊敬する鴎外をどうしても悪人として登場させざろうえなかったのか自問していると後のエッセーで読みました。
田中進次郎氏と私も奇しくも西周(にしあまね)が実は重要なキーマンであるという結論に達しました。それまでは明治維新の脇役程度にしか認識していなかった幕末明治のインテリたちが、巨大な壁として現れ始めたのです。
横井小楠を初めとするその系譜の人々(勝海舟ら開国派)そして幕府内の蕃書調所という特殊機関の存在・・・
余談ですが私は小楠が日本で最初のPhirosopherだと思っています。
蕃書調所は元は幕府天文台が起源でして、場所は浅草の南側にあたります。
天文台といいましても暦つくりを名目として語学だけに及ばず、数学者・物理学者の天才達が全国から集められた西洋思想の研究施設です。縁があるのか、その近くに私は居住しております。(ぽつんと交差点に教育委員会が建てた碑が建っています)
新たな思想の導入というものはこれほど激しく、私をはじめ頭の弱い者には厳しい時代だったのだと感じています。
NHK「歴史ヒストリア」という番組で津田梅子を紹介していました。番組中では創立時の津田塾では津田梅子は相当厳しく怖い教師だったそうで、嫁入り前の習い事程度の気持ちで入学した女学生では多くが退学したといいます。
幕末の状況と現代はとても似ていると定例講演会では締めくくらせていただきました。
・財政悪化と重税による景気悪化 ←天保の改革
・公共事業による景気浮揚 ←印旛沼開拓
・外国からの干渉/グローバリズム
・覇権国移動の過渡期 ←英国から米国へ
・宗教宗派・思想の対立、過激思想の蔓延
・リーダー不在
・産業革命・大量生産 ←絹綿製品の大量輸入危機
→大きな意識改革は20年以内に確実に来る!
そこで台頭するのは新たなインテリ達であることは疑いようがありません。
学問道場は15年近く経過し、当時の若者は中年、中年は黄昏(たそがれ)つつあります。
これが還暦をすぎた副島先生の実感ですし、残念ながら創設時に若かった私も若くはないという自覚だけが空回りしております。
福沢諭吉は物理学者であったというこのことがあまり知られていません。
幕末から明治にかけた神学論として入った思想、そして切っても切れない関係でである<思想と数学>は次回講演会でひょっとしたらお話がでるかもしれません。(私の勝手な期待と予想です)
六城雅敦拝
【1558】[1891]加藤哲郎氏著『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』を今また 再読する
加藤哲郎氏著『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』を今また
再読する
平凡社新書 2005年7月刊行(現在品切れ)
昭和天皇免責についての最終的な決定は、日本がポツダム宣言受諾前の19
45年6月にトルーマン大統領と太平洋問題調査会(IPR)のジョン・マッ
クロイたち「賢人会議」で決まったのであり、多くの人々が誤解しているよう
に、敗戦後マッカーサー元帥と昭和天皇とが話し合って決まったのではない
今なぜ明仁天皇が平和のシンボルとして、激戦地のペリリュー島やパラオそ
してフィリピンに行くのかの謎を解く鍵が、この著作に書かれています。
1946年、日本に「民主教育」を植え付けるために訪日したアメリカ教育
使節団が皇居を訪れた際、既に「人間宣言」を行っていた裕仁天皇からの強い
要請により、明仁皇太子は、家庭教師として米国人でクエーカー教徒のヴァイ
ニング夫人を付けられたのです。
こうして皇太子はジミーと呼ばれて、その後4年に渉って徹頭徹尾平和のシ
ンボルとして行動するように躾けられたのです。そしてこの事は、当然の事な
がら父である裕仁天皇の意思でもありました。
このように敗戦国日本の皇太子に戦勝国であるアメリカ人の家庭教師を付け
る事は、「囲む会」会員の吉田祐二氏が最新刊『天皇家の経済学』(洋泉社)
で的確に捉えていたように、まさに日本が米国の軍門に下った事を何よりも雄
弁に語るもので、それはこの冷徹な事実を裕仁天皇自身が「国策」として受け
入れた事を示すものでありました。
こうして昭和天皇は自らの意思で戦争と軍備を拒否したのです。記憶で大変
申し訳ない事ですが、副島先生も昭和天皇は自ら座敷牢に入られたと表されて
いた事を思い出します。
この著作は、2004年に加藤氏自身がアメリカの国立公文書館で発見した
戦略情報局(OSS)の機密文書「日本計画」(最終草稿)についての著作で
す。今でもこの文書の存在が広く知られていない事は、大変残念な事です。
しかし昨年の安保法案成立に至る安倍政権の状況と、この1年間の明仁天皇
の「平和」のシンボル然とした言動との矛盾が大きなものになっている現在、
既に私自身が10年ほど前に書評したものの、現在の品切れ状態に鑑みその重
要な内容を詳しく書いて残す事にしました。
この「日本計画」の作成は、1942年6月の時点、つまり真珠湾攻撃から
僅か6ヶ月後の事でしたが、その時点で既に日本を打ち負かした後の戦後日本
の政治体制、つまり「象徴天皇」制を構想した驚くべき計画でした。
勿論、この結論に至る研究は、当然の事ながらその前から行われていました。
さてここで一寸話を替えます。湾岸戦争の開始日、つまり1991年1月1
7日、アメリカ軍を中心とする多国籍軍は対イラク軍事作戦である「砂漠の嵐
作戦」を開始して、イラクのバクダットおよび各地の防空施設やミサイル基地
を大規模に空爆しました。
その日、多国籍軍は宣戦布告なくイラクへの爆撃(「砂漠の嵐作戦」)を開
始したのです。この最初の攻撃は、サウジアラビアから航空機およびミサイル
によってイラク領内を直接叩く「左フック戦略」と呼ばれ、当時クウェート方
面に軍を集中させていたイラクは出鼻をくじかれ、急遽イラク領内の防衛を固
める事になりました。
かくの如く敵の中心を直ちに撃破する事は軍事作戦の常道です。
この時、巡航ミサイルが大活躍し、アメリカ海軍は288基の「トマホー
ク」巡航ミサイルを使用し、アメリカ空軍はB―52から35基の対地ミサイ
ルを発射しました。
日本も太平洋戦争では1944年(昭和19年)11月14日以降、東京は
実に106回もの空襲を受けました。
特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日―26日の5回は大規模でした。
その中でも「東京大空襲」といった場合、死者数が10万人以上と著しく多い1945年3月10日の空襲(下町空襲)を指します。この3月10日の罹災者は100万人を超えたのです。
ここで注目すべき事は、開戦以来、皇居はこれまで一度たりとも爆撃された事
はありません。しかし3月10日、東京駅周辺を絨毯爆撃を開始した米軍が全
く意図も想像もしなかった事ですが、東京駅や銀座方面が余りの大火のため、
期せずして皇居にも延焼し戦災に遭ってしまったのです。
では日米開戦当時、何故イラク戦争のように開戦の当初に、皇居に対する激
しい爆撃・攻撃がなぜされなかったのでしょうか。
正解は、太平洋戦争では一貫して、皇居は爆撃目標から除外されていたからです。なぜならそもそも米軍には開戦当初から敗戦後の日本には天皇利用計画があり、その為に天皇が居住する皇居を爆撃をしようとの意思は、鼻からアメリカにはなかったからです。
その計画の存在とその狙いを徹底して解明した本が、この著作です。その意
味において天皇制は、つまり「国体」は敗戦後占領軍のマッカーサーたちと当
時の天皇を始めとする日本側の必死の努力と折衝によって辛うじて「護持」さ
れたのではなく、その内実はアメリカの主体的な決定による「日本計画」によ
り、ただただ利用されたにすぎません。
その証拠にマッカーサーの軍事秘書官、つまり日米開戦後にフィリピンから
オーストラリアのブリスベンまで退却していた南西太平洋軍司令官マッカーサ
ーに請われたボナー・フェラーズは、1943年9月からマッカーサー司令部
統合計画本部長に就任、マッカーサーの軍事秘書、PWB=心理作戦本部長と
して活躍していたのです。
映画「終戦のエンペラー」で一躍有名になったフェラーズは日本通として、
その映画の中ではマッカーサーの指令により「戦争責任者を特定せよ」との指
令を受けて行動し、結果的に天皇を救った人物として描かれております。しか
しマッカーサー司令部に赴任する直前まで戦略情報局(OSS)に努めていた
事は伏せられていたのです。
それでは、本書の章別構成を紹介しておきます。
プロローグ
第一章 象徴天皇制を巡る情報戦
第二章 一九四二年六月の米国[日本計画]―最終草稿の発見
第三章 戦時米国の情報戦体制―戦略情報局(OSS)の調査分析部
第四章 「敵国日本」の百科全書―真珠湾攻撃時の調査分析部極東局
第五章 「平和の象徴」天皇観の形成―「日本計画」第一・第二草稿
第六章 もう一つの源流―情報調整局(COI)の「四二年テーゼ」
第七章 第三の系譜―英米共同計画アウトライン
第八章 「日本計画」と「ドラゴン計画」―対中国・朝鮮戦略との連動
第九章 「日本計画」をめぐるOSS対OWI―マッカーサー書簡の意味
第十章 「日本計画」と象徴天皇制のその後―心理戦・情報戦は続く
エピローグ―研究案内を兼ねて
以上ですが、250ページに満たない小著ながら、その丁寧で全面的な考察
に私などは驚かされます。それでは章ごとに短評をつけてゆきましょう。
プロローグでは、話の切り出しとして情報「戦争はなお続いている」、そし
て米国文化が日常生活に深く浸透しているが、その需要の受け皿が「象徴天皇
制、天皇制民主主義」だと提起しています。
第一章では、改憲・論憲・護憲・女性天皇をめぐる情報戦を紹介して、今で
は天皇制そのものを問う政治的「共和派」ほとんどみられないとした上で、現
日本国憲法制定時には当時の日本政府と民主化・非軍事化を強力に推進する占
領軍とのせめぎ合いの焦点として天皇制があった事を示しました。
そして昭和天皇が一九五三年以降も「米国の駐留が引き続き必要」と発言していた事が米国側資料から明らかになったと続け、「天皇を利用する」米軍戦略文書が発見された事を明らかにしたのです。
これがCIAの前身である戦略情報局(OSS)の機密文章で「一九四二年
六月、情報工作の一環として昭和天皇を『平和のシンボル(象徴)として利用
する』計画を立て」いました。
同年八月五日付でこの「日本計画」に寄せたマッカーサーメモも見つかりました事も書かれています。
第二章では、話の切り出しとして当年九月に後の駐日大使・ライシャワーが
書いた日米戦争勝利後の「ヒロヒトを中心とした傀儡政権」を紹介し、その構
想自体が戦略情報局(OSS)の「日本計画」の影響下にあったとしました。
この計画は「ドノヴァン」文書といわれる文書綴りの中の一つで、起草者は陸
軍情報部心理戦争課長のソルバート大佐です。
「シンボルとしての天皇利用」の発想は陸軍情報部ではなく、情報調整局(C
OI)調査分析部(R&A)極東課と思われ、チャールズ・B・ファーズが中
心であり、彼には指導教官ケネス・W・コールグローブに影響を受けている。
この教官は新渡戸稲造の影響下にありました。
新渡戸は「天皇は国民の代表であり、国民統合のシンボル」と発言して、米国に天皇シンボル論を教え込んだ人物です。
「日本計画」には、三種の草稿があり、最終稿では連合軍の軍事戦略を助ける
ための四つの政策目標と八つの宣伝目的が設定されました。
そしてより個別的な一一項目の宣伝目的が設定されたのですが、その最大のものは「天皇を平和のシンボルとして利用する」です。
つまり日米戦争に導いた日本の軍部と「天皇・皇室を含む」国民との間に楔
を打ち込み、「軍事独裁打倒」に力を集中させる方針が確立しました。
ここに第一に天皇制存続、第二に戦後日本の繁栄=資本主義再建という、GHQの占領で実現する二本柱の方向が示唆されたのです。
こうした視点から明治以来のアジア侵略は免罪され、明治天皇は「立憲君
主」と美化されて、軍部を排除した後昭和天皇の下での繁栄での自由と繁栄が
保証されました。
ここで注意されなければならないのは、日本へのある種の畏敬と愛情からそ
の判断が成されたのではなく、戦略的な「天皇の象徴的側面」の利用価値から
出たものだという事実です。
第三章では、今日「情報戦」と呼ばれる国家間の情報的側面をイギリスは
「政治戦」、アメリカは「心理戦」と呼んでいた事と、アメリカにおける情報
機関の創設と発展の歴史とそれに関わる機密文書の公開・閲覧について述べて
います。
第四章では、真珠湾攻撃時の調査分析部極東局の関係文書が膨大で徹底的に
敵国の全容解明に迫っていたものである事を述べています。日本の階級分析に
は、マルクス主義的な階級・階層分析も積極的に取り入れており、『日本資本
主義発達史講座』を利用した上での「皇室、貴族、官僚、ビックビジネス、地
主、小ビジネス、都市労働者、農民、朝鮮人、エタ」党の社会的身分の分析す
ら進めていたのです。
こうした研究から「天皇でも共産主義でも勝利のために利用する」視点が出
て来ました。特に日本の国民性分析から「エタ」=被差別部落民や朝鮮人、共
産主義者などのマイノリティ利用戦略が考えられていた事は注目に値します。
第五章では、「日本計画」の第一・第二草稿について書かれています。第一
草稿での階級分析と天皇利用については、シンボルとして利用すために政府と
普通の民衆との間に分裂を作り出す戦略が策定されたのです。
その際、日本の民衆が持つナチスとの同一視には不快感を持つ事も考慮され
ました。そのため、軍部主導の戦争は日本の長い伝統および立憲君主制からの
逸脱だとのプロパガンダが使われる事になったのです。
その他、支配者内部のあらゆる対立を促進する事も考慮されました。例えば
極端な軍国主義者対ビック・ビジネス、極端な軍国主義者対宮中グループ、陸
軍対海軍、陸軍内部の派閥等々です。実に考え抜かれた方針ではないですか。
第六章では、「日本計画」には情報調整局(COI)の草案もあった事が書か
れています。
この計画は英米共同作戦文書の系列にあり、対中国向けの「ドラゴン計
画」、対朝鮮向けの「オリビア計画」と一体のものでした。加藤氏は、この計
画をコミンテルンの三二テーゼに習って四二テーゼと命名しています。
この計画は、日本に「二度と侵略を許さない」ような日本の天皇をシンボルとする「真の代表政府」を作る事を目的としていました。このための方策として、
「悪い助言者」が天皇を欺き起こしたとの方便が使われたのです。
こうしてこれ以降、天皇を誹謗する事や攻撃する事は御法度になりました。
第七章では、「日本計画」には英国政府と軍・情報機関の深い関与がある事
が書かれています。両国の間にはインドを挟んで若干の対立があったが、「シ
ンボルとしての天皇利用」の点においては米英共同戦略になったのです。
第八章では、一九四二年四月二十日、情報調整局(COI)対外情報部(FIS)
指令として「皇居への爆撃は避けるべきだ」とし「東京の心臓部に位置する皇
居へのいかなる可能なダメージも、話題にしてはならない」と明言されていた
事を明らかに致しました。
その後アメリカで情報調整局(COI)が戦略情報局(OSS)と戦時情報局
(OWI)とに二分された事により、「日本計画」完成の主導権争いが起こって
参謀本部に送られる事なく、「日本計画」は同年八月に撤回・凍結されて棚上
げとなったのです。しかしアジア戦略策定のため、対中国計画(ドラゴン計
画)および対朝鮮計画(オリビア計画)が作成される過程で、第四の「日本計
画」が浮上し「象徴天皇の利用」こそ明言されなかったものの、「代表制立憲
政府への復帰」が戦略目的とされたのです。
ついでに書いておけば、オリビア計画は朝鮮にはガンジーがいないとされて
朝鮮戦争まで温存されました。
第九章では、米陸軍の「日本計画」と戦略情報局(OSS)の「ドラゴン計
画」との衝突が論じられています。戦略情報局(OSS)のドノバァン長官は、
参謀本部でも検討していた「ドラゴン計画」の中での「日本計画」とソルバー
ト大佐の「日本計画」(最終草稿)との調整が必要となり、更に研究する事で
戦略情報局(OSS)の側近テイラーと合意したのです。
こうして「日本計画」は根本的に書き換えられたのですが、再度棚上げされ
ます。この間英国との協議も進み、戦時情報局(OWI)内部でも「英米対日心
理戦計画アウトライン」の策定に踏み切りました。引き続き「皇居への攻撃は
避ける事」とされながら。
一九四二年十月十一日、心理戦共同委員会小委員会メモにはマッカーサーから
の二通の機密電報が着いています。そこには「心理戦は、プロパガンダと破壊
活動その他の手段と組み合わせて使用する戦略の特殊な形態である」との指摘
とプロパガンダと破壊活動を結びつけるには「前線における心理戦指令系統が
独自に必要だ」とあったのです。
こうして戦略情報局(OSS)に勤務経験のある象徴天皇制存続に重要な役割
を果たすボナー・フェラーズがマッカーサーの下に行く事になったのでした。
勿論ボナー・フェラーズは、「ドラゴン計画」も「日本計画」も知悉していま
す。象徴天皇制の利用は既定です。
第十章では、これまでの研究成果である全百三十二頁三部構成の「日本に対
する心理戦争計画立案のための社会出来・心理的情報概観」の内容が書かれて
います。
エピローグでは、従来の日本の研究が米国の国務省外交文書による物が大半
を占めている事を俯瞰した後、通説の陥穽となる米国陸・海軍、戦時貿易省、
さらには大統領補佐官などの多角的ルートで、中でも戦略情報局(OSS)の
「日本計画」が重要視されなければならないと強調しています。
ジョン・ダワーは、ピューリッツアー賞を受賞した『敗北を抱きしめて』の
中で占領軍の天皇政策について、「なかでも最重要の人物は、マッカーサーの
軍事秘書官であり、心理戦の責任者でもあったボナー・フェラーズ准将であ
る」と書いてあります。
続けてダワーは、このボナー・フェラーズが平和主義のクエーカー教徒であ
る事、「終戦のエンペラー」の原作となった『陛下をお救い下さい』を書いた
河合道とラフカディオ・ハーンとフェラーズとの麗しい関係も書いています。
しかし彼が実際に戦略情報局(OSS)の「心臓」にあたる心理作戦計画本部
にいた事、そして極東のみならず世界全体での対米心理戦略立案で重要な役割
を果たしていた事を伏せています。ボナー・フェラーズはこの映画の中で一面
的に描枯れたようにではなく、まさに全面的に捉えなければ成りません。
確かに「映画」で描かれたようにボナー・フェラーズと、占領当時恵泉女学
園の校長をしていた河合道との活躍によって、「国体」は残ったかのようで
す。その訴追を免れるための策動の一環として、昭和天皇『独白録』は英語版
(フェラーズ所有)と日本語版の二つがあるのです。しかし真実をいえば、
「『国体』は護持されたのではな」く「ただ利用されただけ」なのです。
昭和天皇に対する最終的な決定は、1945年6月にトルーマン大統領と太
平洋問題調査会(IPR)のジョン・マックロイたち「賢人会議」で決まった
のであり、多くの人々が誤解しているようにマッカーサー元帥と昭和天皇とが
話し合って決めたのではありません。
先にも引用しておきましたが、『天皇家の経済学』(洋泉社)の中で、「囲
む会」会員の吉田祐二氏は本邦未訳の『The Wise Men』から、以上の経緯を氏
自らの試訳として、214ページに紹介しています。
当然の事ながらボナー・フェラーズは勿論の事、マッカーサーですらこの日
本計画の存在とその核心についての知識は、充分に周知していたのです。この
ように天皇の処遇と戦後日本の政治体制は、戦後の日本人の想像を遥かに超え
た所で既に決まっていました。
その意味において「国体」は護持されたのではなく、アメリカに利用された
にすぎなかったのであり、これまで真実はかくも隠されてきたのです。
もし貴方が戦後の「象徴天皇制」には、今では大して意味はないと考えてい
るのなら、是非この本を読んで今後のためにも真剣に考え抜いて欲しいと私は
考えています。
明仁天皇の誕生日の十二月二十三日午前零事にA級戦犯の絞首刑は執行さ
れ、米国は当時の明仁皇太子にメッセージを発していたのです。「政治とは関
わりを避け、平和のシンボルとして行動せよ、さもないと……」と。
私はこのように考えています。まさに米軍と象徴天皇制と憲法第9条は一体
の物、つまり三点セットなのです。
【1557】[1890]いち日本庶民の心願
近頃、世界経済の中心地が西側から東洋に移ってきていることを感じて心に浮かんだ個人的願望です。
アメリカ合衆国の勃興期は、1800年代末から1900年代初期と思われます。
1776年7月4日に独立戦争を終えてアメリカは建国されましたが、政治的にも経済的にもずっとヨーロッパ各国の衛星国扱いであったことは客観的に諸事を鑑みれば誰でも分かることです。
そんな状態の中で、ヨーロッパ系資本に頼らずアメリカ国内の資本で独立的に経済を運営すべく活動したのが、丁度1800年代末?1900年代初期に活躍したジョン・D・ロックフェラー、アンドリュー・カーネギー、ジョン・ピアポント・モルガン等の民族資本派の財界人たちであります。
中でもロックフェラーのヨーロッパ系資本に対する敵愾心は顕著であり、欧州ロスチャイルド系金融機関およびその顧客たる企業群に対する無慈悲かつ徹底的な攻撃的措置は冷酷を極め、繁栄させるべき対象の筈のアメリカ国民たちからも悪魔と蔑まれたと言います。
無論、「すべてのアメリカ国民に平等の光を。(庶民たちにもリーズナブルな価格で石油ランプを提供する意)」や「神から金儲けの才を賜ったからには、出来るだけ多く稼ぎそれを仲間たちのために配る。それが私の義務なのだ。」の言葉通りの経済的貢献とフィアンソロフィスト=慈善活動家としての貢献は、アメリカ合衆国の繁栄に多いに役立ったことであり、そのこと自体は認めざるを得ないことです。
世の中の善悪の尺度は、その時代を生きている人間たちの倫理観で決まると思われます。
約100年前に勃興したアメリカ合衆国が衰退の一途を辿り、アジアの国々が勃興しているこんにち、かつてのロックフェラーやカーネギーのような人々がアジア各国から出現するのだと思いますが、アジアの経済界の英雄たちの倫理が、(西側の英雄たちがキリスト教各宗派により倫理を守ったように)儒教や仏教や神道等により守られることを願います。
私ごとき庶民は、そう心願する以外には然したる社会的貢献も出来ずにただ生きて逝くだけしかないというのも、虚しいものです。
加地龍太 拝
【1556】[1889]副島隆彦先生の『信長はイエズス会に爆殺され、家康はすり替えられた』を読む①
副島隆彦先生の『信長はイエズス会に爆殺され、家康は爆殺された』を読む
・人気の明智憲三郎著『本能寺の変・431年目の真実』で踏み込まれなかった、畿内のキリシタン大名、仏教勢力とイエズス会のつながり
・秀吉の死に、キリシタン大名・高山右近、前田利家が関わっていた?
・イエズス会の主要構成メンバーは、改宗ユダヤ人(converso コンベルソ)
・インドのゴアでイエズス会のザビエルはユダヤ教徒・ヒンドゥー教徒を火あぶりにしていた。
・信長、家康の大河ドラマの英雄像は、明治大正の大ジャーナリスト・徳富蘇峰によって作られていた
副島隆彦先生の御著書『信長はイエズス会に爆殺され、家康はすり替えられた』(PHP 2016年1月刊)を2カ月ほど前に、読みました。従来の歴史書の真偽の区別がはっきりなされており、信長、秀吉、家康の三大英雄の時代の真実が分かる力作でした。
『今日のぼやき』(会員制)でも、この本についての副島先生の詳しい解説があります。
良い本というのは、その本だけを読んで終わりにならず、次々と他の書籍を調べてみようとなるものです。私田中進二郎も、副島先生の『信長はイエズスに爆殺され・・』から、明智憲三郎氏の明智本、故・小室直樹博士の『信長ー近代日本の曙と資本主義精神』、村岡素(そ)一郎著『史疑(しぎ)』、徳富蘇峰の『近世日本国民史(織田信長)』などを読み、三大英雄にどのようなウソがまかり通っているのかを調べています。
私の塾の教え子たちにも、この本を勧めたところ、頭が柔軟な子たち(中学2年生)5、6名が読了しました。その中の一人は、『本能寺の変431年目の真実』(文芸社文庫 2013年刊 以下明智本と略する) を何度も読んでいたのですが、副島先生の本と比較していくうちに、やはり信長はイエズス会に爆殺されたのは正しいのだ、と納得した、と言っていました。
彼ともうひとりの塾生と、学問道場の会員の方と四名で、副島本と明智本を比較する読書会を行いました。(京都からわざわざきていただきました。ありがとうございます。)
やはり、イエズス会の幹部(巡察使)だった宣教師・ヴァリニャー二(1539-1606)が信長に献上した、彌助(ヤスケ)という黒人小姓(インド人だっただろう)が本能寺の変の謎を解明する上で、重要だと見解が一致しました。
日本語を解する彌助が信長の小姓として仕えるふりをしながら、彼の情報をヴァリニャー二に逐一報告していただろう。本能寺の変(1582年6月2日)での唯一の生き残り、が彌助であったことは、かれがイエズス会の諜報要員として、インドのゴアで仕込まれていたことを示している。
(副島本p92-95を参照)
このことは、明智本が最初に指摘した重要なことだ。彌助は信長が斃(たお)れた本能寺から、嫡子・信忠のいる二条城に移動して、信忠が死ぬところを見届ける役割を果たしたのであろう。
その後、明智光秀の軍に投降して行方を絶った。私田中の教え子は、ヴァリニャー二はこのあと、「琵琶湖の小島に隠れていた」というが、安土城を焼く工作を実行したのではないか、と推測していた。
また、イエズス会の巡察使・オルガンティーノ(1530-1609)が、キリシタン大名・高山右近に「明智光秀を裏切って、羽柴秀吉に味方せよ。」とポルトガル語で書いた手紙を送っていたことも、明智本のp225で書かれている。
高山右近は、イエズス会の手先として働き、明智光秀を「信長殺しの主犯」として抹殺する作戦に最も忠実に動いた。右近は、「中国大返し」をしてきた秀吉軍の先鋒を勤め、光秀の本隊
を鉄砲隊で撃破した(1582年6月13日)。
秀吉は、信長の後継者としての地位を手に入れた山崎の戦いで、最大の功績を立てた高山右近に3万石のみ加増しただけだった。それは、右近が決して秀吉に忠誠心があるわけではなく、イエズス会ーローマカトリック教会につながっていることを、秀吉自身が知っていて、警戒したためだろう。
山崎の戦いの時に、もうひとり重要な人物が戦場に近いところにいて、合戦の趨勢を見守っていた。それは千利休(宗易)である。利休は、高山右近の茶の湯の師として、密接な交流があった。利休がキリシタンであったということは、今も日本ではタブーとされている。
しかし、利休の茶道が、当時畿内のキリスト教会で行われた洗礼の儀式を取り入れたものであることを確証する史料が、ローマ・バチカンの図書館に残っているという。
(引用元ー武者小路千家14代目家元 ラジオ番組の録音
http://manga.world.coocan.jp/sadou-iemoto-musyakouji.html)
また利休も、山崎の戦いの後、山崎(京都府)の地を秀吉から与えられている。そして、待庵という茶室を建てている。これは、国宝として、茶道の愛好家たちの間では、聖地とされている。
秀吉は、イエズス会と、明智光秀、細川幽斎、高山右近らキリシタン大名の動きをつかみながら、光秀を討伐し、信長の後継者としての地位を固めていったのだろう。
このほかにも当時はキリシタン大名が、ゴロゴロいた。高山右近が彼らに洗礼を施していったのは有名である。蒲生氏郷(がもう うじさと)、黒田官兵衛(如水 秀吉の軍師)
、前田利家、宇喜多秀家・・・。前田利家は表向きはキリシタンであることを隠していたが、秀吉がバテレン追放令(1587年)を出して、高山右近の高槻(大阪府)の領地を没収したあと、右近を加賀領内で保護していた。そして、金沢城の一角に菱櫓(ひしやぐら)という、京都の南蛮寺を模した建物を作らせている。「信長を爆殺した」イエズス会の南蛮寺を高山右近と前田利家が密かに作っていた、その真意はいかに?
(金沢城菱櫓と南蛮寺↓
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1793168/1802629/84392511)
また、金沢から少し離れた七尾(ななお)には、前田利家、嫡男・利長が保護した寺院群があるが、この中に、利家と正室・まつがひそかにおがんだ十字架が日蓮宗の本行寺(ほんぎょうじ)に残されている。
高山右近もこの寺にしばしば滞在したことが分かっている。日蓮宗・本行寺は、浅草、下関、高槻などにも点在しているが「隠れキリシタンの本山」である、ということである。
右近は高槻(大阪府北部)の領内にカトリック教会の教えを広め、仏教寺院を徹底的に破壊した、といわれている。その高槻にも本行寺が存在しているのは、耶蘇教を密かに伝えるためであったろう。
右近はこの寺の敷地内に設けられた茶室で、南蛮渡来の耶蘇教や建築技術などを教えていたらしい。金沢市に今も残る辰巳(たつみ)用水も、右近から学んだ板屋兵四郎(いたや へいしろう)がわずか1年で正確に工事を完成させたのだという。彼らは高度な数学の知識を有していたのだ。
前田利家、利長は右近の最大の庇護者となり、二十余年にわたって右近が領内で布教するのを許していた。家康が禁教令(1612、13年)を出して、右近は内藤如安(じょあん)らとともに、フィリピンのマニラに追放された。そこで熱病にかかり没するのであるが、右近と前田利家には、さらに大きな疑惑がある。それは、朝鮮出兵を続行していた豊臣秀吉を大坂城で暗殺したのではないか?というものだ。
これは、テレビ番組『歴史ミステリー』で取り上げられている陰謀説である。
朝鮮出兵の停戦交渉に朝鮮側からは、沈惟敬(しんいけい)が日本にやって来る。
副島本(p91)にも、小西行長と沈惟敬の停戦交渉について書かれている。
国内では、前田利家が伏見城で沈の接待を行っていた。このあと、沈は秀吉と話し合ったが、その際に万能薬と偽ってヒ素を飲ませ、秀吉を毒殺した、ということが朝鮮の史料に記載されている、という。
(引用元ー歴史ミステリー
▲裏・歴史▼ 豊臣秀吉暗殺に新説!黒幕はあのキリシタン大名だった!?[ミステリー#84]: http://youtu.be/LNEYF5hT-W4)
これを、学問道場で論じるのはどうかな、とも思うのであるが、前田利家が右近に洗礼を受け、長きにわたって指導されていたとすると、秀吉を殺そうとするイエズス会ー高山右近ー前田利家という指令系統があった、としても不思議ではない。これより前に、高山右近は師である千利休が、秀吉の怒りを買って切腹をさせられている(1591年)。
そして、秀吉の大阪城での死の2年前ー1596年には、長崎で「26聖人大殉教」が起こっている。この時、日本人の信者だけでなく、フランシスコ会士、イエズス会士たちもあわせて9名処刑されているのである。
これは、ローマ・カトリック教会を震撼(しんかん)させた出来事だった。上の歴史ミステリーの動画でも、イエズス会の書簡に「秀吉を葬り去ることを決定した」というものが存在している、と言っている。
イエズス会と、朝鮮、国内の大名の利害が一致して、秀吉暗殺計画が実行されたのではあるまいか?そして、その計画の黒子(くろこ)として動いたのは、本能寺の変の時と同様に、高山右近であっただろう。
イエズス会ーローマ・カトリック教会の周到さ、執念深さ、というものは、やはり震えあがるほど、おそるべきものである。
田中進二郎拝
【1555】[1888]私も津谷論文に疑問を感じる
読書室 副島隆彦+SNSI副島国家戦略研究所著『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』成甲書房 本体価格 1800円
ついに明らかにされた幕末・明治のフリーメイソンの活動実態と表裏一体であるユニテリアン教会の教義思想の核心と世界規模での最先端の政治思想の“真実”
この本は、副島隆彦氏を指導者とする副島隆彦国家戦略研究所の第7論文集である。
常日頃からの誹謗中傷の嵐に耐えながら、副島氏は弟子たちと着実に前進しつつ、この様な充実した論文集を発刊したことを大いに喜びたい。そしてこの本は副島氏の主著の一つである『属国・日本論』の「第三部 属国日本の近代史」を直接的に補完するものだ。
周知のように江戸末期に黒船で来航し開国を強要したぺリーらによって、日本は開国された。その後、折から勃発したアメリカの南北戦争で政治的影響力を低下したアメリカに対して、反比例するかのように影響力を急速に増大させ実質的に日本を主導するようになったのは、オルコック・パークス・アーネスト・サトウらのイギリス勢力であった。
薩摩や長州等と闘う中で彼らを変え倒幕勢力としつつ戦略を授けて武器を売りつけ、背後から動かしたのは、前面に立ったイギリスの武器商人らと黒子に徹した彼らであった。
この本は、そのイギリスとは別に世界最大の秘密結社であるフリーメイソン=ユニテリアンが、幕末・明治の日本にどれほど強い影響を与えたかを詳しく解明した本である。
具体的には、幕末・維新、そして明治の日本の指導者たち11人の「偉人伝」を読み解いてゆく事で、明治の元勲たちの中にフリーメイソン=ユニテリアンの思想がどのように入り込んだかを、歴史資料に基づいて正確無比に立証している本である。
この選ばれた幕末・明治のイレブンを紹介順に列挙すると、日本の自立自尊のためにフリーメイソンと共に闘った福澤諭吉、ユニテリアン思想を日本に導入した新島襄、オランダ軍人に操られた榎本武揚、日本人初のフリーメイソンとなった西周、自由民権運動の父で実はフリーメイソンであった板垣退助、「牽制の神様」かつユニテリアン人脈の尾崎行雄、西周が従兄弟叔父の森鴎外、ジャディーン=マセソン商会が育てた日本工学の父・山尾庸三、日本初・国際“超”高級官僚としての新渡戸稲造、「日本のセシル・ローズ」である後藤新平、開国期の女子教育に献身した「津田津田しい」津田梅子の11人、その他にオランダ人フルベッキのユニテリアン思想の日本受容を準備した横井小楠がいる。
紙面の関係で当然の事柄として全員には触れられないので、ここでは残念ながら明治期の啓蒙思想家の両雄でもある福澤諭吉と西周に絞って紹介してみたい。
幕末に開塾した慶應義塾が大学になる際、諭吉の強い意思により教壇に立った外国人教師の多くは、ハーヴァート大学から来たユニテリアン教会に属する宣教師たちだった。
また汎神論者スピノザが準備したフリーメイソンのオランダからの影響も見逃せない。横井小楠や西周・森鴎外・榎本武揚たちは蕃所調所を通してフルベッキと出会ったのだ。
当時の日本はロシアとイギリスの確執の最中にあり、まさにイギリスから遠隔操作されていた手駒であった。その当時の日本の政治的な代表者が伊藤博文である。
確かに慶応義塾にはイギリス国教会からの教師もいたが、彼らと福澤との間には信頼関係というよりは、相互に利用し合う事を目的とした付き合いしかなかった。なぜなら福澤には、明治政府をしてイギリスのくびきから解き放たれるには、アメリカのユニテリアン思想の助けを借りて自立自尊する道の他ありえないとの大戦略があったからである。
ユニテリアン思想とは何か。端的には、理神論という名前の「神の否定」思想である。彼らは神を信仰せず、理性を合理を最高のものとする。彼らはカソリックの馬鹿げた三位一体説、信仰への盲従強要や神父らの商工業者への蔑視を嫌い、自らの理性信仰を「神の摂理」と称してきた。ミケランジェロ・モーツアルト・ニュートンらが理神論たちである。
福澤諭吉は、この立場を受け入れて二人の息子を米国留学させ“日本の独立自尊”を更に追求していった。そして全く意外にも“ワルの頂点”である伊藤博文も、また追求していたのだ。まさに「事実は小説よりも奇なり」ではないか。伊藤博文が朝鮮併合に強く反対して、山県有朋に暗殺されたのはその遠因がここにあったのかも知れないのである。
その意味では、福澤が無謀な政治的な闘いに引き込まれずに思想家・教育家として生涯を全うしたのは、賢い選択であった。福澤は部分的ではあれ、着実に日本が自立していくために、知識・思想・学問の分野で伊藤らと生死を掛けて英国と闘い続けたのである。
この事に関連して述べておくと、以前から開明的な諭吉とアジア蔑視の諭吉と二人の福澤諭吉が云々されてきたが、近年平山洋氏の福澤諭吉全集の各版本精査の尽力により、これらアジア蔑視の無署名論考については弟子の石河幹明氏のものであることが明らかになった(詳しくは、『福澤諭吉の真実』(平山洋氏・文春新書)をご覧下さい)。
続いて西周について紹介する。彼は、幕末期に津和野藩の選抜メンバーとして江戸留学中に脱藩した。その後蕃書調所に出入りすると共に当時江戸で英語塾を開いていたジョン万次郎の所で勉学に励んでいた。学友には榎本武揚と大鳥圭介がいる。この時、幕府がオランダ留学生を派遣するに当たって選抜され、二年間オランダに行っている。彼は反カトリックのオランダの自由主義者の牙城であったライデン大学に学び、J・S・ミルやコントらを研究した。この間、英国留学中の五代友厚ら薩摩藩士と密会した事もある。
ミルと言えば、『代議制統治論』で知られているようにデモクラシーの元祖である。こうした流れの中で、西周は留学中にフリーメイソン入会日本人第一号になったのである。
そして帰国してからは、日本の古い身分制度の破壊のため、社会革命をめざした。彼がめざしたのは思想界の革命である。幼少期に朱子学を学び青年期に荻生俎徠で開眼した西周は、日本の知識人の教養の土台とである儒学を基礎として西洋の学術大系を理解させるべく欧州語の哲学・思想用語の日本語訳を、日本社会に確実に定着させていったのである。
その手始めとして『万国公法』の中国語訳本にレ点を入れ刊行した事で、当時の知識人達に注目され西周の名は一躍有名となった。彼はこの本を徳川慶喜に献上もした。彼によって有名になった蕃書調所は、その後東京大学に発展していった。
この開明思想の鼓吹者として西周は徳川慶喜に呼ばれて京都に私塾を開き、その塾生の中に松平容保会津藩主に従って上洛した山本覚馬もいた。西に大いに学んだ山本がその後、京都府政のために尽力したのは、周知の事実である。彼を導いたのは西の思想である。
西周はまさに思想界に革命を起こした。現在に至っても私たちが恩恵を受けている主な訳語を列挙すれば、哲学・観念・概念・主観・客観・理性・悟性・感性・総合・帰納法・演繹法など、枚挙するに暇がない。これらの訳語の恩恵は、日本一国のみならず現代中国の哲学・思想界にすら大きな影響を及ぼしているのであり、彼の残した業績の偉大さは誰にも否定できないものがある。西周については、こうした面をぜひ補強しておきたい。
このように明治期日本の思想界からユニテリアンから学んだ福澤諭吉と西周の二人を除いたら、どんなに貧しくみすぼらしいかを、読者にはぜひとも想像していただきたい。
また付章として、ブリタ理科大百科事典に掲載されている「フリーメイソンリー」「ユニテリアン」「理神論」の項目についての翻訳がついている。これらの解説は、まさに世界標準からの実に簡潔でありながらも本質を突いた貴重な記述である。精読を期待する。
最後に、副島隆彦氏によるフリーメイソン・福澤諭吉・伊藤博文についての重要な指摘を「はじめに」から一つ、「おわりに」から二つを引用しておこう。
「はじめに」では、「このローマン・カトリックから毛虫のように嫌われ続けたフリーメイソン=ユニテリアン思想は、これまで、日本の出版界が『おどろおどろしい闇の支配者たち』だとか、『裏に隠れた悪魔の集団』などという愚か極まりない理解を日本国内に蔓延させた。(中略)
その真の元凶は、やはりロール・カトリック教団そのものである。彼らは、この世の諸悪の根源である。実は、フリーメイソン=イルミナティの思想が、ローマ・カトリック教団の中にまでじわじわと潜り込んでゆき、自分たちの巨大な偽善を暴いて突き崩しに来るのがイヤでイヤでたまらないのだ。(中略)だが、ところがである。
どうもきっかり20世紀に入ったあたりで、本当にフリーメイソンリーとイルミナティは、世界を頂点のところで支配する超権力者たちの、秘密の集団によって乗っ取られて大きく変質をとげたようである。(中略)日本の明治時代を生き生きと作った指導者たちがフリーメイソン=ユニテリアンに加入していた頃までは腐敗していない」
と従来の日本のフリーメイソン観を一新する視点を明確に打ち出したのである。
そして「おわりに」では、「日本が誇る大知識人である福澤諭吉と、明治の最高権力者のワルの頂点である伊藤博文には共通の考えがあった。
それは、『日本はインドや中国やエジプトやトルコのように外債(外国からの借金)を理由に西洋人に騙されて西洋列強(とりわけ大英帝国)の悲惨な支配下に置かれないように、急いで欧米の(当時)最先端の政治思想と諸学問(理工系の科学技術だけでなく)を輸入し(翻訳し)、身につけなければならない』と、共に切迫した気持ちで考えたことだ」
と福澤と伊藤との共通認識を指摘した後、「福澤は、伊藤博文らに謀られて追いつめられ決起した西郷隆盛の自刃のあと立憲運動として起きた自由民権運動が、同じく狡猾な伊藤によって、自由民権運動の最大のヒーローとなった土佐の板垣退助が早くも1881年には、洋行の資金で籠絡されててっぺんから切り崩されていく様をずっと苦々しく見つめていた。
板垣が伊藤の子分になり下がって自由民権運動を内部から壊したのだ。だから福澤は、終始一貫して、伊藤博文ら買弁権力者たちに一歩も譲らなかった。知識、思想、学問の方が現実の政治権力より上に立つべきだと、生涯この説を通した」と明治期日本を貫く、その対立構図を指摘したのである。
この本によって、私たちは明治期日本の二十年代・三十年代の全体像が理解できる。そして今後、この本の続刊として『明治偉人伝のウソ』が企画されているという。
今後、日本の近現代史を主体的に理解するためにも、孝明天皇、徳川慶喜、明治天皇、大室虎之祐、山内容堂、小松帯刀、坂本龍馬、木戸孝允、伊藤博文、西郷隆盛、大久保利通らにも鋭いメスが入らねばならない、と私たちは確信する。
その意味において発刊を大いに期待して筆を置く。
【1554】[1887]遅れましたが、ぼやき、津谷論文に反論します
『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』で、福澤諭吉がいかに立派であったかを書いた、石井 利明です。
津谷研究員の2月発表の、ぼやき「幕末の幕臣たちの目から見た、薩英戦争(さつえいせんそう)の真実」に対して反論します。
私、石井 利明の論点は、津谷研究員が擁護(ようご)する、安川寿之輔(やすかわじゅのすけ)に対し、「21世紀から偉そうに19世紀の福澤を批判するな」、です。
まず、この論文は、有料会員しか読めないので、私なりに要点をまとめます。
(詳細は、有料会員になってお読みください)
・ アメリカは、福澤諭吉を筆頭とする幕臣たちを操(あやつ)って薩英戦争を起こし、イギリスを倒幕に誘導した。石井孝(いしいたかし)をはじめとする歴史学者は、このアメリカの謀略は隠して、イギリスの悪を言いたてることによって、日本人をうまくコントロールしてきた。
・ 福澤は日清戦争推進の黒幕の戦争屋であり、日清戦争とはアメリカの手先の福澤が中心となって起こした日本を戦争国家へと変貌させるための戦争であった。これもアメリカの意図である。
・ 福沢が日清戦争の黒幕である、という暗部については福沢礼賛(らいさん)の評論家たちはまるでなかったことのように無視している。その筆頭が、平山洋(ひらやまよう)という悪い福沢諭吉美化論者である。私(石井 利明)のネタ元も、この平山である。
・ 津谷研究員は、平山洋と論争してきた安川寿之輔(やすかわじゅのすけ)の、福沢諭吉は日清戦争に賛成だった説のほうが正しいと考え、平山をはじめとする福澤礼賛者たちに反撃をくわえる。
私の反論は、津谷研究員の、「明治維新の黒幕はアメリカの手先であった福澤諭吉である論」の諸事実に対してではなく、津谷君が福澤をアメリカの手先と決め付ける基準である。
その基準は、彼が擁護する安川寿之輔と同じ理由で間違っていると考える。
それは、平山・安川論争の論点である「福澤がアジア諸国を蔑視(べっし)していたかどうか」という安川の論に結び付けて、大東亜戦争の敗戦及び、その後の侵略した国家群に対する外交の失敗までも、なんでもかんでも、遡(さかのぼ)って福澤のせいにする事にある。
真実の福澤は、アジア蔑視者でもなければアジア解放者でもない。
当時の日本にアジアを解放する力が無いことを福澤は当然知っていた。
彼は日本国の独立自尊だけで手一杯で、日本の国益の追求以外に手を出す余裕など無かった。それは、当時の指導者なら当然の事です。
19世紀のアジアの現実を想像して欲しい。
植民地化を免れているのは、国家としては日本とタイしかない。
福澤の生涯は、1835年1月10日に始まり、1901年2月3日に終わる。まさに、19世紀を生きた人物だ。
安川論者は、福澤が19世紀に生きた人間という、もっとも単純で重要なことを無視している。
19世紀は西欧列強によるアジアの分捕り合戦の真っ最中なのだ。
福澤は、数度の海外渡航により、この現実の厳しさが骨身に染みて分かっていた。
そして、日本が植民地にされてしまうかもしれないという恐れを他の誰よりも感じていた。その恐れの中心が大英帝国であった。
津谷論文の中では、福澤は「戦争屋」であると書かれている。
この言葉の使い方も、乱暴である。
それは、戦争が19世紀と20世紀以降では、全く違った意味を持つからである。
小室直樹博士の、『痛快!憲法学』のp168-169を要約します。
近代の戦争は経済的利益を追求する為に行われる国益追及のための外交手段の一つとして認められており、従って、どこの国でも戦争を自由に行うことが出来るし、誰も、他の国の戦争を批判することが出来なかった。
これが第1次世界大戦前の20世紀初頭までの国際法の常識です。
石井 利明です。
よって19世紀を生きた福澤に、植民地にされない力を得るためなら戦争という手段に訴えることに対する躊躇(ちゅうちょ)が無いことは当然です。それどころか、多額の献金までしているのは事実です。
だからといって、福澤が日清戦争を推進した黒幕の戦争屋と決め付けることは間違っている。
日清戦争に負けたら国益どころか、日本の独立までも危うくなる。
「現在の価値観で過去の判断を評価するのは先人に対する冒涜に他ならない」という言葉を私は大切にする。
津谷研究員が正しいとする安川は、福澤の過去を断罪する為に、歴史に教訓を得ると称して、この手法を使っている。
福澤の生きた時代に反戦思想や、20世紀のようなアジア蔑視の思想は存在しない。
そして、福澤はアメリカの手先ではない、と私は考える。
私は、「手先」という言葉を、自国及び自国民の利益を省(かえり)みず、他国の利益のために動く人間という意味で使うからだ。