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Loginはこちら【1653】[1989]新刊『明治を創った幕府の天才たち』が9月10日に発売される。
( 副島隆彦です。 今日は、2016年9月5日(月)です。
冒頭に、割り込み加筆します。 私が、今度の私たちの新刊書の「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」の本を、こっちでも、宣伝しようとしたら、すでに、津谷侑太君が、以下の宣伝文を、書き散らしていました。
私が、今、津谷君の以下の文を、整理、整序して、何とか、読めるようにしました。
今日のぼやき の方に、古村治彦クンが、宣伝文と 私が書いた「まえがき」を載せましたので、読んでください。
今、私が、ひとつだけ、「あ、しまった」と思ったことは、 「さらば! ウソ八百の 薩長(さっちょう)史観」のところを、「薩長英雄(えいゆう)史観」 と すべきだった。 「薩長中心(ちゅうしん)史観」までは、
考えていたのですが、薩長英雄史観 までは、昨日まで考えつかなかった。
私は、執筆者の弟子たちに、私たちの手元に昨日、届いたばかりの この本の見本(みほん。発売の数日前に出来る)を見て、このあと、何か書こうとしています。出来はよい本なのだが、果たして、今の日本の、今の時代に合っているのか。歴史の本だから古色蒼然(こしょくそうぜん)は仕方が無いか、とか、いろいろ 考えてしまう・・・。
副島隆彦 冒頭の加筆終わり)
研究員の津谷侑太(つやゆうた)です。今日は2016年9月4日です。
いよいよ副島先生編集の論文集が発売されます。
皆さま、お待たせ致しました。この企画は二年二カ月に渡って、企画立案されたものです。
この私、津谷侑太(つやゆうた)が今回の論文集の陣頭指揮をとりました。まとまりのない本ではありません。出版社も全面的に協力していただいて、素晴らしい論文集に仕上がりました。
今回の論文集は六条雅敦(ろくじょうまさあつ)氏を御大将(おんたいしょう)に不肖(ふしょう)、津谷侑太めが参謀を務めました。六条氏は会社経営者をされている実業家であります。さながら日本のドナルド・トランプの様な天才的な頭脳を持たれた凄腕の経営者です。このような大人物が今回、本気の本気で江戸時代の日本人数学者たちと向き合った論文を執筆しました。皆さま、ぜひ六条氏の論文を読んでみて下さい。
今回の論文集には私が相談に乗っていただいた田中進二郎(たなかしんじろう)氏も参加しています。田中氏は塾の講師をしながら、研究活動をしている人です。早稲田大学に在学した日本の本物のエリートです。高慢ちきな鼻持ちならない高学歴たちとは人間の出来がはじめから違う、まるで古代の中国の思想家がこの平成の御代(みよ)におりてきて来たかのような人です。決して偉ぶらない、気取りもない聖人のような人です。
その知識量は常人を遥かに凌駕(りょうが)します。今回、田中氏が注目したのが蕃書和解御用(ばんしょわげごよう)という知られざる機関です。この江戸時代後期にはじまった機関について田中氏が舌鋒(ぜっぽう)鋭く迫ります。
さて、六条氏と田中氏の参謀としてお仕えしてきた私、津谷侑太は、このお二人と打ち合わせを徹底的に行いました。その時間は何と百時間以上です! 学問道場はじまって以来巨大プロジェクトである今回の論文集の制作にはこのように徹底的(てっていてき)に戦略が練られております。六条氏を御大将(おんたいしょう)と仰ぐ限り、この戦いに負けるわけには参りません。
私がこのように自信満々に論文集を推薦するかと言うと、今回の論文集のテーマが、薩長史観をぶっ飛ばせ!だからです。幕末の動乱の時代は「長州の高杉晋作や土佐の坂本龍馬がつくったのだ。幕府は人材がいなくて無能だったのだ」という薩長史観が幅を利かせています。
たとえば、司馬遼太郎が大村益次郎を主役に描いた小説『花神(かしん)』では、幕府軍に追い詰められた長州藩が奇兵隊率いる高杉晋作と協力して、幕府軍に勝っていく様子が描かれている。幕府軍=役に立たない無能な旗本たち、長州軍=強力な兵器を持った優秀な部隊という印象が私たちに刷り込まれる。
だが、この薩長史観に待った、の声をかけたのが 政党政治家の犬養毅(いぬかいつよし)です。五・一五事件で海軍に暗殺された総理大臣です。犬養は、かの福澤諭吉(幕末に外務省勤務経験ありの元幕臣)大先生の弟子でもある。犬養は、「薩長史観は嘘だらけだ。本当は幕臣たちは優秀だったのだ 」と薩長史観に対して反撃を加えた。明治時代以後、幕臣たちは教育界、政界、芸能界で活躍し、回顧録を出版するなど、旺盛に活動していた。まさに “刀を抜けない、おしゃべり幕臣たち ” だ。
彼らは幕末に幕臣として国政に参与していた。その中にはなんと司馬遼太郎の『花神(かしん)』で無能と笑われた幕府軍の司令官たちも含まれた。
ところが、実際には幕府軍の司令官は、多数が明治の帝国陸軍、帝国海軍の中に就職した。長州の山県有朋(やまがたありとも)は、旧幕府軍の指導者たちに頭が上がらず、で「はい、幕府軍の方々は無罪と致します・・」と大量に就職を認めた。
まさに驚愕(きょうがく)の史実と言えます。その代表が立見尚文(たちみなおふみ)です。桑名藩出身の立見は、旧幕府軍の一翼(いちよく)を担い、東北(奥羽列藩同盟)の戦いで、薩長軍を撃破しました。その後、明治政府に起用され、日清・日露戦争の戦いにも参加し、名将として称(たた)えられた。この功績によって、陸軍大将に出世した立見は東洋一の用兵家(ようへいか)と言われました。
このように負け組の幕臣たちのその後の活躍は凄かった。今回の論文集は、この幕臣たちの幕末・明治期の活動をクローズアップし、彼らがどう考え、動いたのかを分析した。決して、難しい本ではありません。わかりやすく、かつ新しい発見もあります。副島隆彦の学問道場は、一般の人々に広く門戸を開いております。
知ったかぶりの難しい専門用語が並んでいる学術書ではなく、一般の読者に訴える、わかりやすい表現技法を用いたエンタ―テインメント性を重視した本づくり を目指しております。
( 副島隆彦が、割り込み、加筆します。 コラ、津谷くん。どうして君は、こういう、自分一人で舞い上がって、こういういい加減な、勝手な思い込みの文を書くのか。私から、あれほど、電話口で、怒鳴られ、叱られたはずなのに。 どうして、勝手に、ひとりで舞い上がるのか。少しは反省しなさい。私は、今、君の この冷静さを失った、投稿文を、整序、切り詰めをやりながら、ため息をついています。副島隆彦の加筆終わり)
平成を生きる私たちには、もはや遠い過去となってしまった江戸時代と明治時代を追体験できるように今回の論文集は工夫されている。
「そんなことを言うが、どうせ副島先生のえこひいきで抜擢(ばってき)された弟子ばかりなのであろう? どうせ出版社や編集者には認められないような 文章の表現力の低い 素人の弟子が書いた歴史の事実を羅列しただけのとてもつまらない論文集なんだろう」と。そのように読者たちは判断するだろう。
今回は私津谷侑太が田中進二郎(たなかしんじろう)氏らが忙しかったのでその代表として出版社の方と打ち合わせを行いまして、その場には副島隆彦先生は同席されておりません。そこで出版社の方に津谷侑太の原稿をお見せしたところ、「合格!」との判定を受け、同時に「面白かった」との感想をいただきました。
( 副島隆彦注記。 こら、津谷。お前という人間は、私は、本当に驚く。君は、少し 躁病=そうびょう=だ。自分勝手な妄想で暴走する、思い込みの激しい人間だ。もう少し、落ち着かないと、私から、もっと叱られますよ。私の言うことを、少しは 聞きなさい。 副島隆彦の加筆終わり)
つまり、今回の論文集は副島先生のえこひいきやコネクションといった余計なものを排除し、本当に面白い論文しか載せていないんです! これが今回の論文集の最大の見どころでしょう。
(副島隆彦注記。 六城くんも、石井くんも、アルル君、他の人たちも、もう一度、この津谷君の思い上がりを、諫めて、年長者として、しっかりと教育してください。 こういう自己増長(ぞうちょう)人間は、早いうちに矯正(きょうせい correction コレクション )しておかないといけない。 私、副島隆彦が、どれぐらい、夜中に、電話で、彼を叱ったか、そして、私の助言を全く聞き入れようとしなかった。私は、今も、この津谷裕太に、唖然としています。 鴨川君と同じような、病気だ。副島隆彦の加筆終わり )
なぜこのようなことをしたかと申しますと、副島先生に気に入られることはもちろんですが、それだけでは本が売れるのは厳しい・・・。そのためには、副島先生+一般の読者を楽しませることができなければ作家、評論家とは呼べません。
偉い先生の弟子であっても、本が売れるとは限りません。読者が求めるのは「読者を楽しませるエンタ―テイナーである作家」です。読者を楽しませる本を書けなければ、その人は作家ではありません。
今回の論文集では、副島先生の七光で論文を書いている実力のない弟子たち、という偏見(へんけん)は払拭(ふっしょく)していただけたでしょうか。出版社の厳しい審査の目を潜(くぐ)り抜け、本当に面白い論文しか、今回の『明治を創った幕臣たち』には掲載しておりません。
(副島隆彦注記。 こら、津谷。何を書くか。お前は、どうして、このように自分勝手な、作り話を、よくも、私たちの目の前で、書けるものだ。 私は、呆(あき)れかえっています。副島隆彦の加筆終わり)
この本は買いですよ! 読者の皆さま!
せっかく文章を読むという娯楽を楽しんでいらっしゃるのだから、この本を買って見てください。それから自分で研究するもよし、ご自身のブログやツイッタ―、フェイスブックに感想を書き込むのもよし、です。いやいや、この本はとても信じられない、やはり西郷さんは偉かった!というご感想を持たれるのもよし、です。
○『明治を創った幕臣たち』の購入方法
続いて『明治を創った幕臣たち』の購入方法について、説明申し上げます。そういう面白い本が出たのなら買いたい!とご希望の方。2016年9月10日発売となっております。
つまり発売は先となっていますが、予約は可能であります。
①大型書店で予約する
一番簡単な方法はご自身の行きつけの大型書店で予約されることです。予約の方法は簡単です。まず大型書店に行き、店員に声をかけてください。そうすれば予約手続きを行ってもらえます。たいていの大型書店であるあるならば、予約可能です。何か欲しい本があるときについでに『明治を創った幕臣たち』を予約する、あるいはぶらりと書店に立ち寄られたときに予約するなどご自由に予約されてください。
書店での購入は本好きの皆さまにはおススメの方法です。なぜなら本カバーをもらえますから、大事な本に汚れが付くのを防ぐことが出来ます。本カバーがあれば、通勤途中や会社の休憩時間にも読んでもいざというときに本が濡れてしまうことを予防できます。
発売日になれば書店からご本人に連絡がございます。連絡があったら書店に出向いて購入となります。大型書店での予約は書店に定期的に足を運ばれる方には絶好の購入方法です。
②ネットで『明治を創った幕臣たち』を予約する。
有名なサイトとしてamazonがあります。ここで予約されると注文されると発売日に自宅に郵送されて参ります。
https://www.amazon.co.jp/明治を創った幕府の天才たち-蕃書調所の研究-副島-隆彦/dp/4880863459
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「 明治を創った幕府の天才たち 蕃書調所の研究」 単行本(ソフトカバー)-2016/9/10
副島 隆彦 (著)
> 副島 隆彦のAmazon著者ページを見る
著者の作品一覧、著者略歴や口コミなどをご覧いただけます
副島 隆彦(著), SNSI副島国家戦略研究所(著)
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Amazon 価格 新品 中古品
単行本(ソフトカバー)
“もう一度試してください。” ¥ 1,836 ¥ 1,836 -
上記のような画面が論文集の注文画面です。予約注文のところをクリックし、amazonへの注文を行って下さい。
③ネットサイトe-honで購入する
e-honという大型のネットでの本販売のサイトがございます。インターネットでe-honと検索していただくとサイトが見つかります。このサイトではネットで本の注文を行い、会員登録をすると自宅か、行きつけの本屋に本が郵送されます。
例として、下記の画面がe-honの論文集の販売画面です。
明治を創った幕府の天才たち 蛮書調所と講武所の研究
副島 隆彦 SNSI 副島国家戦略研究所
成甲書房
1,836円
ISBN 978-4-88086-345-0
2016年9月13日 小説・エッセイ 予約受付中
皆さま、是非とも買って読んで下さい!
今まで副島隆彦プロデュースの本が皆さまを損させたことがありましたか! この本は買いです!
副島先生の弟子たちの本気のエンターテインメントを今回は堪能(たんのう)していただきたい!
上記の投稿文をツイッタ―、フェイスブック、ブログなどで貼り付けてもらっても著作権を私津谷侑太は主張致しませんので、好きに使ってください。
津谷侑太拝
【1652】[1988]天武天皇の正統性について
自ら正体を隠した柿本人麿
人麿作歌は、二つに類別することが出来る。歴史事件を歌ったものや皇子、皇女(ひめみこ)の死を歌った挽歌は公(おおやけ)を歌ったものであり、一方、妻の死と自身の死を嘆いた歌群は「人麿の私生活」を歌ったものである。
私は、(207)の「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」から(227)「或る本の歌」までの二十一首を、一つのシリーズ「亡き妻に奉げた鎮魂の」であると考えた。あくまでも私の仮説です。
小室直樹先生が、ことあるごとに力説していることは、科学は仮説を立てることで始まる、と云う事です。仮説を検証する事が、科学です。
科学者の能力は、人の思い付かない仮説を立てることが出来るか否かにかかっています。想像力、空想力が科学者には不可欠な能力です。
私が(207)から(227)までを一つのシリーズと考えた理由は、〔226〕「丹比真人(名をもらせり)、柿本朝臣人麿の意(こころ)に擬(なずら)へて報(こた)ふる歌」
荒波に 寄りくる玉を 枕に置き 吾ここにありと 誰か告げなむ
この歌は(220)の「讃岐の狭岑島に、石の中に死(みまか)れる人視て、柿本朝臣人麿の作る歌」の反歌と見るとピッタリするのです。
また(227)「或る本の歌」
天離(あまざか)る 夷(ひな)の荒野に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし
この歌は、(207~216)の「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」の反歌にピッタリします。
これは『万葉集』の編者が、(207)から(227)までを一つのシリーズと読めと示唆しているのではないかと、私は考えたのです。
このシリーズのヒロインは、覚悟の失踪を遂げ、何処で果てたかもしれない人麿の妻です。妻に奉げた鎮魂の歌群です。
そうすれば(223)「柿本朝臣人麿、石見国に在りて臨死(みまか)らむとする時、自ら傷みて作る歌」
鴨山の 岩根し枕ける 吾をかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ
この歌で人麿が語り掛けている相手は、今やあの世の住人である妻と云う事になります。
つぎの(224~225)「柿本朝臣人麿の死(みまか)りし時、妻依羅娘子(よさみのをとめ)の作る歌」
今日今日(けふけふ)と 吾が待つ君は 石川の 貝に(一に云ふ、谷に)交(まじ)りて ありといはずやも
直(ただ)の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ
答えて歌を返しているのは、あの世の妻と云う事になる。あの世の妻の気持ちになって歌っているのだ。
今日今日と 吾が待つ君は 石川の 貝に(谷に)交りて ありといはずやも
貝または谷とあれば、女性を指す隠語に決まり切っている。「貝に(谷に)交(まじ)りて」は、エロスの表現である。
つまり、妻を見殺しにした人麿が、長い苦悶の旅の末、新たな愛を得た、石川の娘さんとよろしくなさっているではありませんか、とあの世の妻が語り掛けている形に作っているのである。
次の
直(ただ)の逢ひは 逢かつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ
直接お逢いする事は叶わないことでしょう、石川に煙を立ち昇らせてください、それを見て貴方をお偲びいたしましょう。
通説は「石川に 雲立ち渡れ」を、人麿を火葬した時の煙と云う。しかし、それはおかしいだろう。人麿が石見国の鴨山で死んだとするなら、妻が人麿の死を知ったのは、人麿が死んでからかなりの時間が過ぎた後であったはずだ。もうとっくに火葬も終わっていたはずだ。
ちなみに通説は、鴨山で死んだ人麿は、石川の川原に運ばれて荼毘にふされ、海に散骨された、と云う物語を作っている。
私は「石川に 雲立ち渡れ」の雲は、生活の煙りと理解する。炊事の煙りである。あの世の妻は、人麿の新生活を望み見て、それを祝福さえしているのではないか。
人麿は、長い苦悩の旅の末、石川の娘さん(石川郎女)の愛を得て新生活を始めたのである。
石川郎女は『万葉集』の中心的ヒロインの一人である。しかしその素性は謎に包まれている。『万葉集』には、少なくとも三人以上の石川郎女が登場しているように見える。
しかし、石川郎女は柿本人麿の相方である、人麿を謎の中に置いた以上、その相方の石川郎女も謎の中に置く必要があったのではないか。
石川郎女を探求する中で、柿本人麿の素性も自ずから明らかになってくるのではないかと考えた。
次回から、しばらくは石川郎女を検証しようと思う。
【1651】[1987]澤田様、書き込みを見ました
ご指摘ありがとうございます。
ウソを見抜く勉強になりました。
別にアドレスを持っていたので、こちらから報復まがいのメールを返信してやりました。
会員番号7791 庄司 豊明
【1650】[1986]なるほど
澤田様のご指摘が正しいが正しいのかもしれません。
一度、国税局の納税支援調整官に電話して聞いてみます。
澤田様、有難う御座いました。
会員NO1035 中野 誠
【1649】[1985]ドメインがヤフーでは国ではない.
会員番号2953の澤田正典です.今日は平成28年9月3日です.
現状についてよく把握できている者ではありませんが,東京国税局といった国家機関から,ヤフーのドメイン@yahoo.co.jpで日本国民に連絡をするということが,果たしてありうるのかどうか,正直,疑問に感じます.それは,おそらく,謀略メールというやつでしょう.
今,「副島隆彦の学問道場」だけでなく,他にも,日本国民の利益に直接的に繋がる大切な情報をインターネット上で広く発信している方たちは,どうやら同じような被害や妨害を受けているようです.
あまりひどい内容であれば,警察に届けることも含めて対策を進めたほうが良いかもしれません.東京国税局自身も,そのように名をかたったメールがネット上に流れていることに対処したほうが良い可能性があります.
澤田正典 拝
【1648】[1984]また東京国税局からメールが来ました
東京国税局には、領収書など見たこともないし、署名捺印などしていない。
学問道場の人間が勝手に、私の名前を使ってしたことだと返信しました。
会員の名前を勝手に使い、ニセ領収書を税務署に提出するなんてあまりにも
幼稚な安易な手段だと思います。税務署もプロですから、騙されません。
副島さん、どうなっているのですか?会員にまで迷惑をかけてどうするのですか
御説明をお願いします
会員NO1035 中野 誠
【1647】[1983]天武天皇の正統性について
1977の続きです。
自ら正体を隠した柿本人麿
柿本人麿の正体を明らかにすることが何故重要か?
天武天皇の命で始まる「歴史編纂作業」と人麿の作歌活動は同じ時期に重なり合っている。
人麿が作歌活動をしているのは、持統朝(687~697)・文武朝(697~707)である。
修史作業も、この持統朝・文武朝で精力的に進められていたのである。大宝三年(703)の粟田真人の遣唐使は、日本国の由来を唐朝に説明するのが主任務であった。
つまり、この時まで「日本史」の大枠は完成していたと考えねばならないのである。この「日本史」は、天武天皇を正統化する為のものであり、唐朝にそれを認めてもらうために創られたのである。唐朝を読者に想定して作られたのだ。
七世紀の後半まで、日本列島には未だ統一王朝は成立していなかった。天智天皇の時、初めて統一王朝が成立したのである。倭国の朝鮮半島出兵の惨敗による自滅で、それは可能になった。
天智天皇の和風諡号(おくりな)は、天命開分天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)である。初めての統一王者に相応しい諡号である。
「壬申の乱」は、倭国の大皇弟による近畿大和王朝(日本国)乗っ取り事件であった。
朝鮮半島では、668年に高句麗が唐・新羅連合軍に滅ぼされる。唐は大帝国である。朝鮮半島の植民地化を企てていた。新羅が勝者として強大化するのを望まなかった。百済残党を援助して、新羅に対抗させるような策謀を巡らしていた。
遂に新羅は正面切って唐に反旗を掲げたのです。そんな中、671年(天智十年)十一月、唐使・郭務宋が二千の兵を率いて四度目の来日を果たしている。この来日の目的を、倭国に再度の新羅討伐軍の派兵の要請以外に考えることが出来るのか。要請と云うより、命令であった。
しかし、今や倭国は日本国の臣下である。唐の命令を、日本国に取り次ぐしかなかった。この十二月三日に、天智天皇が亡くなっている。皇位を引き継いだのは、天智天皇の長子の大友皇子(明治になって諡号を送られた弘文天皇)であった。
大友皇子は、唐の要請を受け入れ、半島に新羅討伐軍を送ることに決めた。
郭務宋は、672年の五月の末日に帰途についている。
この五月に、大友皇子は、美濃・尾張両国で徴兵を開始している。この兵達の服に赤い色を目印に付けさせていたという。赤のシンボルカラーは、帝国唐のものであった。周辺の属国は、赤を勝手に用いることなど許されることではなかった。
天武の勝利は、大友皇子の徴集していた兵を、何の抵抗を受けることなく手に入れたことと、名門大豪族大伴氏が一族を結集して天武の味方に付いたことによる。
しかしあくまでも乗っ取りであり、騙し討ちであった。天武の勢力は、勝者ではあったが、少数者であった。天智系勢力から見れば、大伴氏は裏切り者であった。大伴氏は、勝者であったが、すみ安い世ではなかった。
さて人麿である、彼は天武の王朝に全力で賛歌を捧げている。
大君は 神にしませば 天雲の 雷(雷)の上に 庵らせるかも(235)
人麿は、明らかに天武勢力の一員である。また七世紀後半まで日本列島には統一王朝は成立していなかったのであり、統一神話も統一歴史も持っていなかったのである。
天武の命による「修史事業」で始めて「統一神話・統一歴史」が編み出されたのだ。人麿の王朝賛歌は、まだ日本人が知らなかったことを元にして謳われている。彼が修史事業の真っただ中に居なければ不可能である。
人麿は、それまでにある日本人の信仰を謳ったのではなく、人麿が歌った故に日本人の信仰になったのである。
【1646】[1982]中野誠様ありがとうございます
夏休み中に弟と2人で徳力本店で200万円を超過する金塊取引をしていたので、しかも地元市役所から配布されたマイナンバー票の原本提示をしていたので、私の取引情報が漏れたかと最初は思いました。
過去にも地元税務署から金塊についての追跡調査文書が来て、抗議文を送付したので、報復かと思いました。
会員番号7791 庄司 豊明
【1645】[1981]私にも来ました
今朝、メールを見ると東京国税局からお尋ねしたいことがありますとの
題名で届きました。ニセメールだと思い開けずに消しましたが
念のため、東京国税局に朝一番、電話で問い合わせをしょうかと
思っておりました。今朝7時半ごろ、重たい掲示板を見ましたら
庄司様の投稿が載ってあり、アドレスも同じninnfu4545でした
内容は、庄司様が書いておられるので、私に来たメールも同じだと
思います。会員の個人情報が持ち出されていますね。
会員NO1035 中野 誠
【1644】[1980]相手方アドレスの訂正です
度々すみません。
相手方メールアドレスが間違っていたので訂正致します。
ninnfu4545@yahoo.co.jp
会員番号7791 庄司 豊明